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舞踏会 小学生向け

芥川竜之介あくたがわりゅうのすけ)・1968

AI生成この訳はAI(claude-sonnet-4-6)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-23

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明治十九年(1886年)の十一月三日の夜のことでした。

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明治十九年十一月三日の夜であつた。

そのころ十七歳だった、ある家の娘・明子(あきこ)は、頭が禿げ(はげ)た父親とふたりで、今夜の舞踏会(ぶとうかい)が開かれる鹿鳴館(ろくめいかん)の階段を上って行きました。

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当時十七歳だつた――の令嬢明子あきこは、頭の禿げた父親と一しよに、今夜の舞踏会が催さるべき鹿鳴館ろくめいくあんの階段を上つて行つた。

明るいガスの光(ひかり)に照らされた、幅の広い階段の両側(りょうがわ)には、まるで作りものかと思うほど見事な大輪の菊の花が、三重(みえ)の垣根(かきね)を作っていました。

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あかる瓦斯ガスの光に照らされた、幅の広い階段の両側には、ほとんど人工に近い大輪の菊の花が、三重のまがきを造つてゐた。

菊は、いちばん奥がうす紅色(べにいろ)、真ん中が濃い黄色、いちばん手前がまっ白な花びらを房(ふさ)のように乱していました。

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菊は一番奥のがうすべに、中程のが濃い黄色、一番前のがまつ白な花びらを流蘇ふさの如く乱してゐるのであつた。

そして、その菊の垣根が終わるあたり、階段の上の舞踏室(ぶとうしつ)からは、もう陽気な音楽の音が、押さえきれない幸福のため息のように、休みなく溢れ(あふれ)て来るのでした。

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さうしてその菊の籬の尽きるあたり、階段の上の舞踏室からは、もう陽気な管絃楽の音が、抑へ難い幸福の吐息のやうに、休みなく溢れて来るのであつた。

明子はずっと前からフランス語と舞踏(ダンス)の教育を受けていました。

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明子はつと仏蘭西フランス語と舞踏との教育を受けてゐた。

しかし、正式な舞踏会に出席するのは、今夜が生まれて初めてのことでした。

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が、正式の舞踏会に臨むのは、今夜がまだ生まれて始めてであつた。

だから彼女は馬車の中でも、ときどき話しかけてくる父親に、うわの空の返事ばかりをしていました。

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だから彼女は馬車の中でも、折々話しかける父親に、うはの空の返事ばかり与へてゐた。

それほど彼女の胸の中には、「うれしい不安」とでも言いたいような、落ち着かない気持ちが根を張っていたのでした。

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それ程彼女の胸の中には、愉快なる不安とでも形容すべき、一種の落着かない心もちが根を張つてゐたのであつた。

彼女は、馬車が鹿鳴館の前に止まるまで、何度もいらいらした目を上げて、窓の外に流れていく東京の町のわずかな明かりを、じっと見つめたことかわかりませんでした。

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彼女は馬車が鹿鳴館の前に止るまで、何度いら立たしい眼を挙げて、窓の外に流れて行く東京の町の乏しい燈火ともしびを、見つめた事だか知れなかつた。

しかし、鹿鳴館の中に入ると、すぐに彼女はその不安を忘れるような出来事に出会いました。

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が、鹿鳴館の中へはひると、間もなく彼女はその不安を忘れるやうな事件に遭遇した。

というのは、階段のちょうど真ん中まで来たとき、ふたりは一足先に上って行く清(しん)の国の高い身分の役人に追いつきました。

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と云ふのは階段の丁度中程まで来かかつた時、二人は一足先に上つて行く支那の大官に追ひついた。

すると役人は太った体を脇(わき)に開いて、ふたりを先に通しながら、あっけにとられたような視線を明子に向けました。

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すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、あきれたやうな視線を明子へ投げた。

初々しい(ういういしい)薔薇色(ばらいろ)の舞踏服、上品に首にかけた水色のリボン、それから濃い黒髪に香る一輪の薔薇の花――その夜の明子の姿は、長い弁髪(べんぱつ)を垂らしたこの清の役人の目を驚かせるほど、開化(かいか)した日本の少女の美しさをすべて備えていたのでした。

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初々うひうひしい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂つてゐるたつた一輪の薔薇の花――実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪べんぱつを垂れた支那の大官の眼を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾ゐかんなく具へてゐたのであつた。

また、階段を急ぎ足で下りて来た若い燕尾服(えんびふく)の日本人も、途中でふたりとすれ違いながら、思わずちょっと振り返って、やはりあっけにとられたような一瞥(いちべつ)を明子の後ろ姿に投げかけました。

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と思ふと又階段を急ぎ足に下りて来た、若い燕尾服の日本人も、途中で二人にすれ違ひながら、反射的にちよいと振り返つて、やはりあきれたやうな一瞥いちべつを明子の後姿に浴せかけた。

それから何を思ったのか、白いネクタイに手をやってみて、また菊の花の間を忙しく玄関の方へ下りて行きました。

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それから何故か思ひついたやうに、白い襟飾ネクタイへ手をやつて見て、又菊の中を忙しく玄関の方へ下りて行つた。

ふたりが階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口では、白髪交じり(しらがまじり)のほほひげをたくわえた主人役の伯爵(はくしゃく)が、胸にいくつかの勲章(くんしょう)をつけて、フランス風のおしゃれをした年上の伯爵夫人(はくしゃくふじん)とともに、鷹揚(おうよう)に客を迎えていました。

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二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬鬚ほほひげを蓄へた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易ルイ十五世式の装ひをらした年上の伯爵夫人と一しよに、大様おほやうに客を迎へてゐた。

明子は、この伯爵でさえ、彼女の姿を見たとき、そのずる賢そうな顔のどこかに、一瞬間だけ子どものような驚きの色が浮かんだのを見逃しませんでした。

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明子はこの伯爵でさへ、彼女の姿を見た時には、その老獪らうくあいらしい顔の何処かに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかつた。

気の優しい明子の父親は、嬉しそうな笑みを浮かべながら、伯爵とその夫人へ手短に娘を紹介しました。

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人の好い明子の父親は、嬉しさうな微笑を浮べながら、伯爵とその夫人とへ手短てみじかに娘を紹介した。

彼女は恥ずかしさと誇らしさを交互(こうご)に感じました。

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彼女は羞恥しうちと得意とをかはがはる味つた。

しかし、その間にも偉そうな伯爵夫人の顔つきに、どこか下品なところがあると気づくだけの余裕がありました。

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が、その暇にも権高けんだかな伯爵夫人の顔だちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があつた。

舞踏室の中にも、あちこちに菊の花が美しく咲き乱れていました。

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舞踏室の中にも至る所に、菊の花が美しく咲き乱れてゐた。

そしてまたあちこちに、相手を待っている女性たちのレースや花や象牙(ぞうげ)の扇が、さわやかな香水の匂いの中で、音のない波のように揺れていました。

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さうして又至る所に、相手を待つてゐる婦人たちのレエスや花や象牙の扇が、爽かな香水の匂の中に、音のない波の如く動いてゐた。

明子はすぐに父親と別れて、その華やかな女性たちの一団に加わりました。

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明子はすぐに父親と分れて、その綺羅きらびやかな婦人たちの或一団と一しよになつた。

みんな同じような水色やバラ色の舞踏服を着た、同じくらいの年の少女たちでした。

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それは皆同じやうな水色や薔薇色の舞踏服を着た、同年輩らしい少女であつた。

彼女たちは明子を迎えると、小鳥のようにざわめき立って、口々に今夜の彼女の姿が美しいとほめ合いました。

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彼等は彼女を迎へると、小鳥のやうにさざめき立つて、口口に今夜の彼女の姿が美しい事を褒め立てたりした。

しかし、彼女がその仲間に入るか入らないかのうちに、見知らぬフランスの海軍将校(かいぐんしょうこう)が、どこからかそっと歩み寄って来ました。

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が、彼女がその仲間へはひるや否や、見知らない仏蘭西フランスの海軍将校が、何処からか静に歩み寄つた。

そして両腕を垂らしたまま、ていねいに日本式のお辞儀をしました。

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さうして両腕を垂れた儘、叮嚀に日本風の会釈ゑしやくをした。

明子はかすかに、頬(ほお)に血の色が上がってくるのを感じました。

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明子はかすかながら血の色が、頬に上つて来るのを意識した。

しかし、そのお辞儀が何を意味するかは、聞くまでもなくはっきりしていました。

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しかしその会釈が何を意味するかは、問ふまでもなく明かだつた。

だから彼女は手に持っていた扇を預かってもらうべく、隣に立っている水色の舞踏服の娘の方へ振り返りました。

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だから彼女は手にしてゐた扇を預つて貰ふべく、隣に立つてゐる水色の舞踏服の令嬢をふり返つた。

すると同時に、思いがけなくも、そのフランスの海軍将校は、ちらりと頬に微笑みの影を浮かべながら、変わったフランス語なまりの日本語で、はっきりと彼女にこう言いました。

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と同時に意外にも、その仏蘭西の海軍将校は、ちらりと頬に微笑の影を浮べながら、異様なアクサンを帯びた日本語で、はつきりと彼女にかう云つた。

「いっしょに踊ってはくださいませんか。」

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「一しよに踊つては下さいませんか。」

間もなく明子は、そのフランスの海軍将校と、「美しく青きドナウ」

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間もなく明子は、その仏蘭西の海軍将校と、「美しく青きダニウブ」

のワルツを踊っていました。

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のヴアルスを踊つてゐた。

相手の将校は、頬が日に焼けた、目鼻立ちのはっきりした、濃い口ひげのある男性でした。

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相手の将校は、頬の日に焼けた、眼鼻立ちのあざやかな、濃い口髭のある男であつた。

彼女はその相手の軍服の左の肩に、長い手袋をはめた手を置くには、あまりにも背が低すぎました。

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彼女はその相手の軍服の左の肩に、長い手袋をめた手を預くべく、余りに背が低かつた。

しかし、場慣れした海軍将校は、上手に彼女を導いて、軽々と人の群れの中を舞い歩きました。

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が、場馴れてゐる海軍将校は、巧に彼女をあしらつて、軽々と群集の中を舞ひ歩いた。

そして時々彼女の耳に、愛想のよいフランス語のお世辞まで囁(ささや)いてくれました。

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さうして時々彼女の耳に、愛想の好い仏蘭西語の御世辞さへもささやいた。

彼女はその優しい言葉に、恥ずかしそうな微笑みを返しながら、時々自分たちが踊っている舞踏室の周りへ目を向けました。

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彼女はその優しい言葉に、恥しさうな微笑を酬いながら、時々彼等が踊つてゐる舞踏室の周囲へ眼を投げた。

皇室の御紋章(ごもんしょう)を染め抜いた紫の縮緬(ちりめん)の幕(まく)や、爪を張った青い竜(りゅう)が体をくねらせている清の国の国旗の下には、花瓶ごとに菊の花が、あるものは軽やかな銀色を、あるものは重たい金色を、人の波の間にきらめかせていました。

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皇室の御紋章を染め抜いた紫縮緬ちりめん幔幕まんまくや、爪を張つた蒼竜さうりゆうが身をうねらせてゐる支那の国旗の下には、花瓶々々の菊の花が、或は軽快な銀色を、或は陰欝いんうつな金色を、人波の間にちらつかせてゐた。

しかもその人の波は、シャンパンのように湧き立つ、華やかなドイツの管弦楽(かんげんがく)の旋律(せんりつ)の風にあおられて、しばらくも目まぐるしく揺れ動くのを止めませんでした。

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しかもその人波は、三鞭酒シヤンパアニユのやうに湧き立つて来る、花々しい独逸ドイツ管絃楽の旋律の風に煽られて、暫くも目まぐるしい動揺を止めなかつた。

明子は、同じく踊っている友達のひとりと目が合うと、お互いに楽しそうにうなずき合いました。

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明子はやはり踊つてゐる友達の一人と眼を合はすと、互に愉快さうなうなづきを忙しい中に送り合つた。

しかしその瞬間には、もう別の踊り手が、まるで大きな蛾(が)が狂うように、どこからかそこへ現れていました。

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が、その瞬間には、もう違つた踊り手が、まるで大きなが狂ふやうに、何処からか其処へ現れてゐた。

しかし明子はその間にも、相手のフランス海軍将校の目が、彼女の一挙一動(いっきょいちどう)に注意を向けているのを知っていました。

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しかし明子はその間にも、相手の仏蘭西の海軍将校の眼が、彼女の一挙一動に注意してゐるのを知つてゐた。

それはまったく、この日本に慣れていない外国人が、いかに彼女の生き生きとした踊りに興味を持っているかを語るものでした。

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それは全くこの日本に慣れない外国人が、如何に彼女の快活な舞踏ぶりに、興味があつたかを語るものであつた。

こんなに美しい娘も、やはり紙と竹でできた家の中に、人形のように暮らしているのだろうか。

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こんな美しい令嬢も、やはり紙と竹との家の中に、人形の如く住んでゐるのであらうか。

そして細い金属の箸で、青い花の描かれた手のひら程の茶碗から、米粒をつまんで食べているのだろうか――

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さうして細い金属の箸で、青い花の描いてある手のひら程の茶碗から、米粒を挾んで食べてゐるのであらうか。――

彼の目の中には、こんな疑問が、何度も人なつっこい微笑みとともに行き来しているようでした。

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彼の眼の中にはかう云ふ疑問が、何度も人懐しい微笑と共に往来するやうであつた。

明子にはそれがおかしくもあり、同時にまた誇らしくもありました。

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明子にはそれが可笑をかしくもあれば、同時に又誇らしくもあつた。

だから彼女の細くて可愛い(かわいい)バラ色の踊り靴は、物珍しそうな相手の視線が時々足元へ落ちるたびに、いっそう軽やかになめらかな床の上をすべって行くのでした。

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だから彼女の華奢きやしやな薔薇色の踊り靴は、物珍しさうな相手の視線が折々足もとへ落ちる度に、一層身軽くなめらかな床の上をすべつて行くのであつた。

しかし、やがて相手の将校は、この子猫のような娘が疲れてきたのに気づいたとみえて、いたわるように顔をのぞきこみながら、

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が、やがて相手の将校は、この児猫のやうな令嬢の疲れたらしいのに気がついたと見えて、いたはるやうに顔を覗きこみながら、

「もっと続けて踊りましょうか。」

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「もつと続けて踊りませうか。」

「ノン・メルシイ(いいえ、結構です)。」

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「ノン・メルシイ。」

明子は息を弾(はず)ませながら、今度ははっきりとこう答えました。

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明子は息をはずませながら、今度ははつきりとかう答へた。

するとそのフランスの海軍将校は、まだワルツの足取りを続けながら、前後左右に動くレースや花の波を縫って、壁際(かべぎわ)の花瓶の菊の方へ、ゆったりと彼女を連れて行きました。

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するとその仏蘭西の海軍将校は、まだヴアルスの歩みを続けながら、前後左右に動いてゐるレエスや花の波を縫つて、壁側かべぎはの花瓶の菊の方へ、悠々と彼女を連れて行つた。

そして最後の一回転の後、そこにあった椅子の上へ鮮やかに彼女を座らせると、自分は一度軍服の胸を張り、それからまた前のように丁寧(ていねい)に日本式のお辞儀をしました。

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さうして最後の一廻転の後、其処にあつた椅子の上へ、あざやかに彼女を掛けさせると、自分は一旦軍服の胸を張つて、それから又前のやうにうやうやしく日本風の会釈をした。

その後もポルカやマズルカを踊ってから、明子はこのフランスの海軍将校と腕を組んで、白と黄とうす紅の三重(みえ)の菊の垣根(かきね)の間を通り、階下(かいか)の広い部屋へ下りて行きました。

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その後又ポルカやマズユルカを踊つてから、明子はこの仏蘭西の海軍将校と腕を組んで、白と黄とうす紅と三重の菊のまがきの間を、階下の広い部屋へ下りて行つた。

ここには燕尾服や白い肩が絶えず行き来する中、銀やガラスの食器類に覆われたいくつかの食卓が、あるものは肉とトリュフの山を盛り上げ、あるものはサンドウィッチとアイスクリームの塔を築き、またあるものはザクロと無花果(いちじく)の三角の塔を作っていました。

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此処には燕尾服や白い肩がしつきりなく去来する中に、銀や硝子ガラスの食器類におほはれた幾つかの食卓が、或は肉と松露しようろとの山を盛り上げたり、或はサンドウイツチとアイスクリイムとの塔をそばだてたり、或は又柘榴ざくろ無花果いちじゆくとの三角塔を築いたりしてゐた。

特に菊の花が置かれていない、部屋の一方の壁の上には、巧みな作りものの葡萄(ぶどう)の蔓(つる)が青々とからみついている、美しい金色の格子(こうし)がありました。

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殊に菊の花が埋め残した、部屋の一方の壁上には、巧な人工の葡萄蔓ぶだうつるが青々とからみついてゐる、美しい金色の格子があつた。

そしてその葡萄の葉の間には、蜂の巣のような葡萄の房(ふさ)が、いくつも重なり紫色に垂れ下がっていました。

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さうしてその葡萄の葉の間には、蜂の巣のやうな葡萄の房が、累々るゐるゐと紫に下つてゐた。

明子はその金色の格子の前で、頭の禿げた彼女の父親が、同じくらいの年の紳士と並んで、葉巻(はまき)をくわえているのに出会いました。

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明子はその金色の格子の前に、頭の禿げた彼女の父親が、同年輩の紳士と並んで、葉巻をくはへてゐるのに遇つた。

父親は明子の姿を見ると、満足そうにちょっとうなずきましたが、それきり連れの方を向いて、また葉巻を燻らせ(くゆらせ)始めました。

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父親は明子の姿を見ると、満足さうにちよいと頷いたが、それぎり連れの方を向いて、又葉巻をくゆらせ始めた。

フランスの海軍将校は、明子と食卓のひとつへ行って、いっしょにアイスクリームのスプーンを取りました。

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仏蘭西の海軍将校は、明子と食卓の一つへ行つて、一しよにアイスクリイムのさじを取つた。

彼女はその間も、相手の目が時々彼女の手や髪や水色のリボンをかけた首へ注がれているのに気づきました。

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彼女はその間も相手の眼が、折々彼女の手や髪や水色のリボンを掛けたくびへ注がれてゐるのに気がついた。

それはもちろん彼女にとって、不快(ふかい)なことでも何でもありませんでした。

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それは勿論彼女にとつて、不快な事でも何でもなかつた。

しかし、ある瞬間には女らしい疑い(うたがい)が心をよぎらずにはいられませんでした。

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が、或刹那には女らしい疑ひもひらめかずにはゐられなかつた。

そこで黒いビロードの胸に赤い椿の花をつけた、ドイツ人らしい若い女性がふたりの傍を通った時、彼女はこの疑いをそれとなく伝えるために、こんなほめ言葉を口にしました。

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そこで黒い天鵞絨びろうどの胸に赤い椿の花をつけた、独逸人らしい若い女が二人の傍を通つた時、彼女はこの疑ひをほのめかせる為に、かう云ふ感歎の言葉を発明した。

「西洋の女の方は本当にお美しゅうございますこと。」

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「西洋の女の方はほんたうに御美しうございますこと。」

海軍将校はこの言葉を聞くと、思いの外(ほか)まじめに首を振りました。

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海軍将校はこの言葉を聞くと、思ひの外真面目に首を振つた。

「日本の女の方も美しいです。特にあなたなどは――」

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「日本の女の方も美しいです。殊にあなたなぞは――」

「そんなことはございませんわ。」

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「そんな事はこざいませんわ。」

「いいえ、お世辞ではありません。このままパリの舞踏会にも出られます。そうしたら皆が驚くでしょう。ワトーの絵の中のお姫様のようですから。」

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「いえ、御世辞ではありません。その儘すぐに巴里パリの舞踏会へも出られます。さうしたら皆が驚くでせう。ワツトオの画の中の御姫様のやうですから。」

明子はワトー(フランスの有名な画家)を知りませんでした。

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明子はワツトオを知らなかつた。

だから海軍将校の言葉が呼び起こした、美しい過去の幻(まぼろし)も――薄暗い(うすぐらい)森の泉(いずみ)と散って(ちって)いく薔薇との幻も、一瞬の後には跡形(あとかた)もなく消え失せてしまわなければなりませんでした。

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だから海軍将校の言葉が呼び起した、美しい過去の幻も――仄暗い森の噴水とすがれて行く薔薇との幻も、一瞬の後には名残りなく消え失せてしまはなければならなかつた。

しかし、人一倍感じの鋭い彼女は、アイスクリームのスプーンを動かしながら、わずかにもう一つ残っている話題にすがることを忘れませんでした。

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が、人一倍感じの鋭い彼女は、アイスクリイムの匙を動かしながら、僅にもう一つ残つてゐる話題にすがる事を忘れなかつた。

「私もパリの舞踏会へ行ってみたいものですわ。」

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「私も巴里の舞踏会へ参つて見たうございますわ。」

「いいえ、パリの舞踏会も全くこれと同じことです。」

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「いえ、巴里の舞踏会も全くこれと同じ事です。」

海軍将校はこう言いながら、ふたりの食卓をとり巻く人の波と菊の花を見渡しましたが、たちまち皮肉な微笑みの波が目の奥に動いたと思うと、アイスクリームのスプーンを止めて、

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海軍将校はかう云ひながら、二人の食卓をめぐつてゐる人波と菊の花とを見廻したが、忽ち皮肉な微笑の波が瞳の底に動いたと思ふと、アイスクリイムの匙を止めて、

「パリばかりではありません。舞踏会はどこでも同じことです。」

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「巴里ばかりではありません。舞踏会は何処でも同じ事です。」

と半ばひとりごとのように付け加えました。

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と半ば独り語のやうにつけ加へた。

一時間後、明子とフランスの海軍将校とは、やはり腕を組んだまま、大勢の日本人や外国人といっしょに、舞踏室の外にある星と月の光に照らされたテラスに立っていました。

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一時間の後、明子と仏蘭西フランスの海軍将校とは、やはり腕を組んだ儘、大勢の日本人や外国人と一しよに、舞踏室の外にある星月夜の露台に佇んでゐた。

欄干(らんかん)ひとつ隔てたテラスの向こうには、広い庭園を埋めた針葉樹(しんようじゅ)が、ひっそりと枝を交(か)わし合って、その梢(こずえ)にぽつぽつとほおずきちょうちんの灯(ひ)を透かしていました。

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欄干一つへだてた露台の向うには、広い庭園を埋めた針葉樹が、ひつそりと枝を交し合つて、そのこずゑに点々と鬼灯提燈ほほづきぢやうちんの火をかしてゐた。

しかも冷たい空気の底には、下の庭園から上ってくる苔(こけ)の香りや落ち葉の香りが、かすかに寂しい秋の息吹を漂わせているようでした。

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しかも冷かな空気の底には、下の庭園から上つて来る苔の匂や落葉の匂が、かすかに寂しい秋の呼吸を漂はせてゐるやうであつた。

しかし、すぐ後ろの舞踏室では、やはりレースや花の波が、十六菊(じゅうろくぎく)を染め抜いた紫縮緬の幕の下で、休みなく揺れ続けていました。

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が、すぐ後の舞踏室では、やはりレエスや花の波が、十六菊を染め抜いた紫縮緬ちりめんの幕の下に、休みない動揺を続けてゐた。

そしてまた高らかな管弦楽のつむじ風が、相変わらずその人間の海の上へ、容赦(ようしゃ)なく鞭(むち)を加えていました。

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さうして又調子の高い管絃楽のつむじ風が、相不変あひかはらずその人間の海の上へ、用捨ようしやもなく鞭を加へてゐた。

もちろんこのテラスの上からも、絶えず賑やかな(にぎやかな)話し声や笑い声が夜の空気を揺らしていました。

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勿論この露台の上からも、絶えず賑な話し声や笑ひ声が夜気をゆすつてゐた。

まして暗い針葉樹の空に美しい花火が上る時には、ほとんど人々のどよめきに近い声が、一同の口から漏れることもありました。

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まして暗い針葉樹の空に美しい花火が揚る時には、ほとんど人どよめきにも近い音が、一同の口から洩れた事もあつた。

その中に交じって立っていた明子も、そこにいた親しい娘たちとは、さっきから気軽なおしゃべりをしていました。

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その中に交つて立つてゐた明子も、其処にゐた懇意の令嬢たちとは、さつきから気軽な雑談を交換してゐた。

しかし、やがて気がついてみると、あのフランスの海軍将校は、明子に腕を借りたまま、庭園の上の星と月の光に照らされた夜空へ、黙って(だまって)じっと目を向けていました。

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が、やがて気がついて見ると、あの仏蘭西の海軍将校は、明子に腕を借した儘、庭園の上の星月夜へ黙然もくねんと眼を注いでゐた。

彼女にはそれが何となく、故郷を恋しがっているように見えました。

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彼女にはそれが何となく、郷愁でも感じてゐるやうに見えた。

そこで明子は彼の顔をそっと下からのぞきこんで、

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そこで明子は彼の顔をそつと下から覗きこんで、

「お国のことを思っていらっしゃるのでしょう。」

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「御国の事を思つていらつしやるのでせう。」

と、半ばあまえるように尋ねてみました。

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と半ば甘えるやうに尋ねて見た。

すると海軍将校は相変わらず微笑みを含んだ目で、静かに明子の方へ振り返りました。

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すると海軍将校は相不変微笑を含んだ眼で、静かに明子の方へ振り返つた。

そして「ノン(いいえ)」

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さうして「ノン」

と答える代わりに、子どものように首を振ってみせました。

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と答へる代りに、子供のやうに首を振つて見せた。

「でも何か考えていらっしゃるようですわ。」

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「でも何か考へていらつしやるやうでございますわ。」

「何だか当ててごらんなさい。」

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「何だか当てて御覧なさい。」

そのときテラスに集まっていた人々の間には、また一しきり風のようにざわめく音が起こり出しました。

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その時露台に集つてゐた人々の間には、又一しきり風のやうなざわめく音が起り出した。

明子と海軍将校とは申し合わせたように話をやめて、庭園の針葉樹を圧して(おして)いる夜空の方へ目をやりました。

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明子と海軍将校とは云ひ合せたやうに話をやめて、庭園の針葉樹を圧してゐる夜空の方へ眼をやつた。

そこにはちょうど赤と青の花火が、蜘蛛の巣(くものす)のように闇(やみ)を弾き(はじき)ながら、今まさに消えようとしているところでした。

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其処には丁度赤と青との花火が、蜘蛛手くもでに闇をはじきながら、まさに消えようとする所であつた。

明子にはなぜかその花火が、ほとんど悲しい気持ちになるほど美しく思われました。

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明子には何故かその花火が、殆悲しい気を起させる程それ程美しく思はれた。

「私は花火のことを考えていたのです。私たちの命(いのち)のような花火のことを。」

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「私は花火の事を考へてゐたのです。我々のヴイのやうな花火の事を。」

しばらくしてフランスの海軍将校は、優しく明子の顔を見下ろしながら、教えるような口調でこう言いました。

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暫くして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下しながら、教へるやうな調子でかう云つた。

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大正七年(1918年)の秋のことでした。

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大正七年の秋であつた。

年老いた明子は鎌倉(かまくら)の別荘へ向かう途中、一度だけ顔を知っている若い小説家と、偶然(ぐうぜん)汽車の中でいっしょになりました。

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当年の明子は鎌倉の別荘へおもむく途中、一面識のある青年の小説家と、偶然汽車の中で一しよになつた。

若い小説家はそのとき、棚の上に鎌倉の知人へ贈るための菊の花束(はなたば)を置いていました。

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青年はその時編棚の上に、鎌倉の知人へ贈るべき菊の花束を載せて置いた。

すると年老いた明子――今のH老夫人(ろうふじん)は、菊の花を見るたびに思い出す話があると言って、詳しく彼に鹿鳴館の舞踏会の思い出を話して聞かせました。

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すると当年の明子――今のH老夫人は、菊の花を見る度に思ひ出す話があると云つて、詳しく彼に鹿鳴館の舞踏会の思ひ出を話して聞かせた。

若い小説家は、この人自身の口からこんな思い出を聞けることに、大いに興味を感じずにはいられませんでした。

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青年はこの人自身の口からかう云ふ思出を聞く事に、多大の興味を感ぜずにはゐられなかつた。

その話が終わったとき、若い小説家はH老夫人に何気なくこんな質問をしました。

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その話が終つた時、青年はH老夫人に何気なくかう云ふ質問をした。

「奥様はそのフランスの海軍将校のお名前をご存じではございませんか。」

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「奥様はその仏蘭西の海軍将校の名を御存知ではございませんか。」

するとH老夫人は思いがけない返事をしました。

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するとH老夫人は思ひがけない返事をした。

「存じておりますとも。Julien Viaud(ジュリアン・ヴィオ)とおっしゃる方でございました。」

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「存じて居りますとも。Julien Viaud と仰有おつしやる方でございました。」

「では Loti(ロティ)だったのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロティだったのでございますね。」

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「では Loti だつたのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロテイだつたのでございますね。」

若い小説家は愉快な興奮を感じました。

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青年は愉快な興奮を感じた。

しかし、H老夫人は不思議そうに若い小説家の顔を見ながら、何度もこうつぶやくばかりでした。

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が、H老夫人は不思議さうに青年の顔を見ながら何度もかうつぶやくばかりであつた。

「いいえ、ロティとおっしゃる方ではございませんよ。ジュリアン・ヴィオとおっしゃる方でございますよ。」

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「いえ、ロテイと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴイオと仰有る方でございますよ。」

(大正八年十二月)

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(大正八年十二月)