武蔵野 小学生向け
国木田独歩(くにきだどっぽ)・1967年
AI生成この訳はAI(claude-sonnet-4-6)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-23)
一
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一
「武蔵野(むさしの)のおもかげは、今ではわずかに入間(いるま)郡に残るだけだ」
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「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」
と、自分は文政年間(ぶんせいねんかん)につくられた地図で読んだことがある。
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と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。
その地図には入間郡のところに「小手指原(こてさしはら)・久米川(くめがわ)は古い戦場である。太平記(たいへいき)によると元弘三年五月十一日、源氏と平氏が小手指原で一日に三十回以上も戦い、日が暮れると平氏は三里引いて久米川に陣を張った。翌朝、源氏が久米川の陣へ攻め寄せた、と書いてあるのはこのあたりのことであろう」
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そしてその地図に入間郡「小手指原久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」
と書き込んであるのを読んだことがある。
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と書きこんであるのを読んだことがある。
自分は、武蔵野の名残がわずかに残っている場所というのはきっとこの古い戦場あたりではないかと思い、一度行ってみようと考えながらまだ行っていない。実際、今もそのとおりなのかと少し不安に思っている。
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自分は武蔵野の跡のわずかに残っている処とは定めてこの古戦場あたりではあるまいかと思って、一度行ってみるつもりでいてまだ行かないが実際は今もやはりそのとおりであろうかと危ぶんでいる。
ともかく、絵や和歌でしか想像してこなかった武蔵野のおもかげだけでも見てみたいと思っているのは、自分だけではないだろう。
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ともかく、画や歌でばかり想像している武蔵野をその俤ばかりでも見たいものとは自分ばかりの願いではあるまい。
それほど名高い武蔵野が今はどんな様子なのか、くわしくこの問いに答えて自分を満足させたいという気持ちが起きたのはちょうど一年前のことで、今ではその気持ちがますます大きくなってきた。
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それほどの武蔵野が今ははたしていかがであるか、自分は詳わしくこの問に答えて自分を満足させたいとの望みを起こしたことはじつに一年前の事であって、今はますますこの望みが大きくなってきた。
さて、この望みは自分の力で果たすことができるだろうか。
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さてこの望みがはたして自分の力で達せらるるであろうか。
できないとは言わない。
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自分はできないとはいわぬ。
かんたんではないと思っている。それだけ今の武蔵野に強い興味を感じているということだ。
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容易でないと信じている、それだけ自分は今の武蔵野に趣味を感じている。
たぶん、同じように感じている人も少なくないだろうと思う。
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たぶん同感の人もすくなからぬことと思う。
そこで今、すこしだけとっかかりをつくって、秋から冬にかけて自分が見て感じたことを書き、望みの小さな一部を果たしたい。
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それで今、すこしく端緒をここに開いて、秋から冬へかけての自分の見て感じたところを書いて自分の望みの一少部分を果したい。
まず、自分がこの問いに出す答えは「武蔵野の美しさは今も昔に負けない」というひと言だ。
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まず自分がかの問に下すべき答は武蔵野の美今も昔に劣らずとの一語である。
昔の武蔵野が実際にどれほど美しかったかは想像も及ばないほどだったに違いないが、自分が今見る武蔵野の美しさも、そんな大きな断言をするほどに自分の心を動かしているのだ。
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昔の武蔵野は実地見てどんなに美であったことやら、それは想像にも及ばんほどであったに相違あるまいが、自分が今見る武蔵野の美しさはかかる誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かしているのである。
自分は武蔵野の「美しさ」と言ったが、「美しさ」というよりも「詩のような趣(しみじみとした味わい)」と言いたい。そちらのほうがぴったりだと思う。
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自分は武蔵野の美といった、美といわんよりむしろ詩趣といいたい、そのほうが適切と思われる。
二
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二
そこで自分は材料が少ないので、自分の日記を使ってみたい。
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そこで自分は材料不足のところから自分の日記を種にしてみたい。
自分は明治二十九年の秋の初めから春の初めまで、渋谷村の小さなかやぶきの家(ぼうおく)に住んでいた。
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自分は二十九年の秋の初めから春の初めまで、渋谷村の小さな茅屋に住んでいた。
自分がこの望みを持ったのもその時のことで、秋から冬のことだけを今書くというのもそのわけだ。
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自分がかの望みを起こしたのもその時のこと、また秋から冬の事のみを今書くというのもそのわけである。
九月七日――「昨日も今日も南風が強く吹いて、雲を送ったり払ったり、雨が降ったりやんだり。日の光が雲の間からさし込むとき、林の影が一度にきらめく――」
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九月七日――「昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を払いつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるるとき林影一時に煌めく、――」
これが今の武蔵野の秋の始まりだ。
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これが今の武蔵野の秋の初めである。
林はまだ夏の緑のままなのに、空の様子がすっかり変わって、雨雲が南風にともなって武蔵野の空に低くたれこめ、しきりに雨を降らせる。その晴れ間には、水気を帯びた日の光が向こうの林に落ち、こちらの杜(もり)に輝いた。
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林はまだ夏の緑のそのままでありながら空模様が夏とまったく変わってきて雨雲の南風につれて武蔵野の空低くしきりに雨を送るその晴間には日の光水気を帯びてかなたの林に落ちこなたの杜にかがやく。
自分はしばしば思った。こんな日に武蔵野を高いところから一望できたら、どれほど美しいだろうかと。
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自分はしばしば思った、こんな日に武蔵野を大観することができたらいかに美しいことだろうかと。
二日あけた九日の日記にも「風強く、秋の気配が野に満ちる。浮かぶ雲がたえず形を変える」
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二日置いて九日の日記にも「風強く秋声野にみつ、浮雲変幻たり」
とある。
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とある。
ちょうどこのころはこんな天気が続いて、大空と野の景色が絶え間なく変わり、日の光は夏らしく、雲の色や風の音は秋らしく、とても趣(おもむき)があると自分は感じた。
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ちょうどこのころはこんな天気が続いて大空と野との景色が間断なく変化して日の光は夏らしく雲の色風の音は秋らしくきわめて趣味深く自分は感じた。
まずこれを今の武蔵野の秋の始まりとして、冬の終わりごろまでの日記を以下に並べ、変化のあらましと景色の要素を示しておこうと思う。
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まずこれを今の武蔵野の秋の発端として、自分は冬の終わるころまでの日記を左に並べて、変化の大略と光景の要素とを示しておかんと思う。
九月十九日――「朝、空が曇り風がやんだ。冷たい霧と露。虫の声が多い。天地の心がまだ目ざめていないようだ」
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九月十九日――「朝、空曇り風死す、冷霧寒露、虫声しげし、天地の心なお目さめぬがごとし」
同二十一日――「秋空がぬぐったように晴れている。木の葉が火のようにかがやく」
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同二十一日――「秋天拭うがごとし、木葉火のごとくかがやく」
十月十九日――「月が明るく、林の影が黒い」
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十月十九日――「月明らかに林影黒し」
同二十五日――「朝は霧が深く、午後は晴れる。夜になって雲の切れ間の月が冴える。夜明けまえ、霧の晴れない間に家を出て野を歩き、林を訪ねた」
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同二十五日――「朝は霧深く、午後は晴る、夜に入りて雲の絶間の月さゆ。朝まだき霧の晴れぬ間に家を出で野を歩み林を訪う」
同二十六日――「午後、林を訪ねた。林の奥に座って、あたりを見回し、耳をすまし、目をこらし、静かに思いをめぐらした」
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同二十六日――「午後林を訪う。林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、黙想す」
十一月四日――「空が高く澄んでいる。夕暮れに一人、風の吹く野に立つと、はるかかなたの富士山が近く感じられ、国境をぐるりとめぐる山々の連なりが地平線上に黒く見える。星がひとつ光り、暮れ色がだんだん迫り、林の影がだんだん遠くなる」
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十一月四日――「天高く気澄む、夕暮に独り風吹く野に立てば、天外の富士近く、国境をめぐる連山地平線上に黒し。星光一点、暮色ようやく到り、林影ようやく遠し」
同十八日――「月の光を踏みながら散歩する。青い煙が地をはい、月の光が林で砕ける」
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同十八日――「月を蹈んで散歩す、青煙地を這い月光林に砕く」
同十九日――「空が晴れ、風は清く、露は冷たい。見渡す限りの黄色い葉の中に緑の木が混じる。小鳥が梢でさえずる。道に人影はない。ひとりで歩きながら黙って考え、口の中で詩を口ずさみ、足の向くままに近くの郊外をめぐる」
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同十九日――「天晴れ、風清く、露冷やかなり。満目黄葉の中緑樹を雑ゆ。小鳥梢に囀ず。一路人影なし。独り歩み黙思口吟し、足にまかせて近郊をめぐる」
同二十二日――「夜が更けた。戸外では林を渡る風の音がものすごい。雨だれの音が続いているが、雨はもうやんでいるらしい」
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同二十二日――「夜更けぬ、戸外は林をわたる風声ものすごし。滴声しきりなれども雨はすでに止みたりとおぼし」
同二十三日――「昨夜の風雨で木の葉がほとんど落ちてしまった。稲田もほとんど刈り取られた。冬枯れの寂しい様子になった」
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同二十三日――「昨夜の風雨にて木葉ほとんど揺落せり。稲田もほとんど刈り取らる。冬枯の淋しき様となりぬ」
同二十四日――「木の葉はまだすっかりは落ちていない。遠くの山を眺めると、心が溶けてしまいそうなほど懐かしい」
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同二十四日――「木葉いまだまったく落ちず。遠山を望めば、心も消え入らんばかり懐し」
同二十六日――夜十時に書く。「戸外は風雨の音がものすごい。雨だれも続いて応じる。今日は一日中霧が立ちこめて、野や林が永遠の夢に入ったようだ。午後、犬をともなって散歩した。林に入って黙って座る。犬が眠る。細い流れが林から出てまた林に入り、落ち葉を浮かべて流れる。ときどき時雨(しぐれ)がしめやかに林を過ぎ、落ち葉の上をわたってゆく音が静かだ」
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同二十六日――夜十時記す「屋外は風雨の声ものすごし。滴声相応ず。今日は終日霧たちこめて野や林や永久の夢に入りたらんごとく。午後犬を伴うて散歩す。林に入り黙坐す。犬眠る。水流林より出でて林に入る、落葉を浮かべて流る。おりおり時雨しめやかに林を過ぎて落葉の上をわたりゆく音静かなり」
同二十七日――「昨夜の風雨がすっかり晴れ、日がうららかに昇った。家の裏の丘に立って眺めると、富士山が真っ白に、連なる山々の上にそびえている。風は清く、空気は澄んでいる。
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同二十七日――「昨夜の風雨は今朝なごりなく晴れ、日うららかに昇りぬ。屋後の丘に立ちて望めば富士山真白ろに連山の上に聳ゆ。風清く気澄めり。
なんとも、初冬の朝だ。
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げに初冬の朝なるかな。
田の面に水があふれ、林の影が逆さに映っている」
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田面に水あふれ、林影倒に映れり」
十二月二日――「今朝は霜が雪のように朝日にきらめいてみごとだ。しばらくして薄い雲がかかり、日の光が冷たくなった」
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十二月二日――「今朝霜、雪のごとく朝日にきらめきてみごとなり。しばらくして薄雲かかり日光寒し」
同二十二日――「雪が初めて降る」
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同二十二日――「雪初めて降る」
三十年一月十三日――「夜が更けた。風がやみ、林が静まる。雪がしきりに降る。ランプをかかげて戸外をのぞくと、降る雪がランプの光にきらめいて舞う。ああ、武蔵野が静まり返る。しかし耳をすますと、遠くの林を渡る風の音がする。これは本当に風の音なのか」
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三十年一月十三日――「夜更けぬ。風死し林黙す。雪しきりに降る。燈をかかげて戸外をうかがう、降雪火影にきらめきて舞う。ああ武蔵野沈黙す。しかも耳を澄ませば遠きかなたの林をわたる風の音す、はたして風声か」
同十四日――「今朝は大雪で、ぶどう棚が落ちてしまった。
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同十四日――「今朝大雪、葡萄棚堕ちぬ。
夜が更けた。
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夜更けぬ。
梢を渡る風の音が遠く聞こえる。ああ、これが武蔵野の林から林へと渡る冬の夜の寒風(こがらし)だ。
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梢をわたる風の音遠く聞こゆ、ああこれ武蔵野の林より林をわたる冬の夜寒の凩なるかな。
雪どけの滴(しずく)の音が軒をめぐっている」
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雪どけの滴声軒をめぐる」
同二十日――「美しい朝。空に雲ひとつなく、地面は霜柱が白銀のようにきらめく。小鳥が梢でさえずる。梢の先が針のようにとがっている」
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同二十日――「美しき朝。空は片雲なく、地は霜柱白銀のごとくきらめく。小鳥梢に囀ず。梢頭針のごとし」
二月八日――「梅が咲いた。月がだんだん美しくなってきた」
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二月八日――「梅咲きぬ。月ようやく美なり」
三月十三日――「夜十二時。月が傾き、風が急に強くなり、雲が湧き、林が鳴る」
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三月十三日――「夜十二時、月傾き風きゅうに、雲わき、林鳴る」
同二十一日――「夜十一時。戸外の風の音を聞く。たちまち遠くなり、たちまち近くなる。春が押し寄せてきたのか、冬が逃げたのか」
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同二十一日――「夜十一時。屋外の風声をきく、たちまち遠くたちまち近し。春や襲いし、冬や遁れし」
三
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三
昔の武蔵野は、かやの原の果てしない光景でならびのない美しさと言い伝えられてきたようだが、今の武蔵野は林だ。
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昔の武蔵野は萱原のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。
林こそが今の武蔵野の特色と言っていい。
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林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。
木は主にナラの仲間で、冬はみんな葉を落とし、春はしたたるような新緑が萌え出る。その変化が秩父(ちちぶ)山脈の東側十数里の野に一斉に起こって、春夏秋冬を通じ、霞(かすみ)・雨・月・風・霧・時雨・雪・緑の木陰・紅葉など、さまざまな景色を見せる。その面白さは、西国の人や東北の人にはちょっとわかりにくいものがある。
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すなわち木はおもに楢の類いで冬はことごとく落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞に雨に月に風に霧に時雨に雪に、緑蔭に紅葉に、さまざまの光景を呈するその妙はちょっと西国地方また東北の者には解しかねるのである。
そもそも日本人はこれまで、ナラの仲間の落ち葉の林の美しさをあまり知らなかったようだ。
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元来日本人はこれまで楢の類いの落葉林の美をあまり知らなかったようである。
林といえば主に松林だけが日本の文学や美術の中で認められていて、和歌にもナラ林の奥で時雨を聞くというようなものは見当たらない。
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林といえばおもに松林のみが日本の文学美術の上に認められていて、歌にも楢林の奥で時雨を聞くというようなことは見あたらない。
自分も西国で生まれ育ち、少年のころ学生として初めて東京に上って十年になるが、こうした落ち葉林の美しさがわかるようになったのはごく最近のことで、それも次の文章が大いに自分を教えてくれた。
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自分も西国に人となって少年の時学生として初めて東京に上ってから十年になるが、かかる落葉林の美を解するに至ったのは近来のことで、それも左の文章がおおいに自分を教えたのである。
「秋の九月中旬というころ、ある日、自分が白樺(かば)の林の中に座っていたことがあった。今朝から小雨がしとしとと降り、その晴れ間にはときどき生ぬるい日差しも射して、まことに気まぐれな空模様だった。薄い白い雲が空一面に棚引くかと思うと、ふとあちこちで瞬く間に雲が切れて、無理に押し分けたような雲の間から澄んでかしこそうな人の目のように朗らかに晴れた青空がのぞかれた。自分は座って、あたりを見回して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上でかすかにそよいだが、その音を聞いただけで季節はわかった。それは春の始め頃の楽しそうで笑うようなざわめきでもなく、夏のゆったりとしたそよぎでもなく、長々しい話し声でもなく、また晩秋のおどおどした寒そうなおしゃべりでもなかったが、ただかろうじて聞き取れるかどうかというほどの、しめやかなひそひそ声だった。そっと吹く風が忍ぶように梢を伝った。晴れたり曇ったりして雨に濡れた林の中のようすが絶え間なく移り変わった。あるときはそこにあるものすべてが一斉に微笑んだように、すみずみまで赤みわたって、それほど茂ってもいない白樺のほそほそとした幹が思いがけず白絹のような、やさしい光沢を帯び、地上に散り敷かれた細かな落ち葉がにわかに日に映じてまばゆいほど金色に輝き、頭をかきむしったような「パアポロトニク」(わらびの仲間)のみごとな茎が、熟しすぎたぶどうのような色を帯びたものが、際限もなくもつれからみついて目の前に透かして見られた。
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「秋九月中旬というころ、一日自分が樺の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま暖かな日かげも射してまことに気まぐれな空合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧し気にみえる人の眼のごとくに朗らかに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上でかすかに戦いだが、その音を聞いたばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌りでもなかったが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末を伝ッた、照ると曇るとで雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変わッた、あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、隈なくあかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢を帯び、地上に散り布いた、細かな落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色を放ち、頭をかきむしッたような『パアポロトニク』(蕨の類い)のみごとな茎、しかも熟えすぎた葡萄めく色を帯びたのが、際限もなくもつれからみつして目前に透かして見られた。
あるいはまたあたり一面がにわかに薄暗くなりはじめ、瞬く間に物の見分けもつかなくなり、白樺の木立も、積もったまままた日の目に逢わない雪のように、白くぼんやりと霞む――と小雨が忍びやかに、不思議そうに、ひそひそと話しかけるようにぱらぱらと降って通った。
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あるいはまたあたり一面にわかに薄暗くなりだして、瞬く間に物のあいろも見えなくなり、樺の木立ちも、降り積ッたままでまた日の眼に逢わぬ雪のように、白くおぼろに霞む――と小雨が忍びやかに、怪し気に、私語するようにバラバラと降ッて通ッた。
白樺の木の葉はいちじるしく光沢が失せてもさすがにまだ青かった。ただそこここに立つ若い木だけはすべて赤くも黄色くも色づいて、ときどき日の光が今まで雨に濡れたばかりの細い枝の茂みを漏れて滑るように抜けてくるのを浴びては、きらきらときらめいた」
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樺の木の葉はいちじるしく光沢が褪めてもさすがになお青かッた、がただそちこちに立つ稚木のみはすべて赤くも黄いろくも色づいて、おりおり日の光りが今ま雨に濡れたばかりの細枝の繁みを漏れて滑りながらに脱けてくるのをあびては、キラキラときらめいた」
これはロシアの作家ツルゲーネフが書いたものを二葉亭四迷(ふたばていしめい)が訳して「あいびき」
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すなわちこれはツルゲーネフの書きたるものを二葉亭が訳して「あいびき」
と題した短編小説の冒頭にある一節で、自分がこうした落ち葉林の趣をわかるようになったのは、この細やかな景色描写の力が大きい。
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と題した短編の冒頭にある一節であって、自分がかかる落葉林の趣きを解するに至ったのはこの微妙な叙景の筆の力が多い。
これはロシアの景色で、しかも林は白樺で、武蔵野の林はナラ。植物の種類からいうとかなり違うが、落ち葉林の趣は同じだ。
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これはロシアの景でしかも林は樺の木で、武蔵野の林は楢の木、植物帯からいうとはなはだ異なっているが落葉林の趣は同じことである。
自分はしばしば思った。もし武蔵野の林がナラの仲間でなく、松かなにかだったら、ごくありふれた変化に乏しい同じような色合いのものとなって、それほど大切に思わないだろう、と。
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自分はしばしば思うた、もし武蔵野の林が楢の類いでなく、松か何かであったらきわめて平凡な変化に乏しい色彩いちようなものとなってさまで珍重するに足らないだろうと。
ナラの仲間だから黄色く染まる。
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楢の類いだから黄葉する。
黄色く染まるから葉が落ちる。
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黄葉するから落葉する。
時雨(しぐれ)がひそひそとさやく。
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時雨が私語く。
木枯らし(こがらし)が叫ぶ。
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凩が叫ぶ。
ひと吹きの風が小高い丘を襲うと、何千万という木の葉が高く大空に舞い上がり、小鳥の群れのように遠くへ飛んでいく。
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一陣の風小高い丘を襲えば、幾千万の木の葉高く大空に舞うて、小鳥の群かのごとく遠く飛び去る。
木の葉がすっかり落ちると、数十里にわたる広い林が一斉に葉を落として裸になり、青みがかった冬の空が高くこの上に垂れ、武蔵野一面がある種の静けさに包まれる。
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木の葉落ちつくせば、数十里の方域にわたる林が一時に裸体になって、蒼ずんだ冬の空が高くこの上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈静に入る。
空気がいちだん澄みわたる。
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空気がいちだん澄みわたる。
遠い物音がくっきりと聞こえる。
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遠い物音が鮮かに聞こえる。
自分は十月二十六日の日記に、林の奥に座ってあたりを見回し、耳をすまし、目をこらし、黙って思いをめぐらした、と書いた。
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自分は十月二十六日の記に、林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、黙想すと書いた。
「あいびき」
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「あいびき」
にも、自分は座って、四方を見回して、そして耳を傾けた、とある。
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にも、自分は座して、四顧して、そして耳を傾けたとある。
この「耳を傾けて聞く」ということが、秋の末から冬にかけての今の武蔵野にどれほどぴったりのことだろう。
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この耳を傾けて聞くということがどんなに秋の末から冬へかけての、今の武蔵野の心に適っているだろう。
秋なら林の中から起こる音、冬なら林のかなた遠くに響く音。
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秋ならば林のうちより起こる音、冬ならば林のかなた遠く響く音。
鳥の羽音、さえずる声。
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鳥の羽音、囀る声。
風がそよぐ、鳴る、うなる、叫ぶ声。
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風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。
草むらの陰、林の奥に集まる虫の声。
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叢の蔭、林の奥にすだく虫の音。
空の荷車・荷車が林をめぐり、坂を下り、野の道を横切る響き。
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空車荷車の林を廻り、坂を下り、野路を横ぎる響。
馬のひづめが落ち葉を蹴散らす音。これは騎兵演習の斥候(せっこう)か、さもなければ夫婦そろって遠乗りに出た外国人だ。
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蹄で落葉を蹶散らす音、これは騎兵演習の斥候か、さなくば夫婦連れで遠乗りに出かけた外国人である。
何かを大きな声で話しながら行く村の人のしゃがれ声。それもいつしか遠ざかっていく。
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何事をか声高に話しながらゆく村の者のだみ声、それもいつしか、遠ざかりゆく。
一人で寂しそうに道を急ぐ女の足音。
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独り淋しそうに道をいそぐ女の足音。
遠くに響く砲声(大砲の音)。
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遠く響く砲声。
隣の林でいきなり起こる銃声(鉄砲の音)。
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隣の林でだしぬけに起こる銃音。
自分がある時、犬をつれて近くの林を訪ね、切り株に腰掛けて本を読んでいると、突然、林の奥で何かが落ちたような音がした。
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自分が一度犬をつれ、近処の林を訪い、切株に腰をかけて書を読んでいると、突然林の奥で物の落ちたような音がした。
足もとに寝ていた犬が耳を立て、きっとそのほうを見つめた。
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足もとに臥ていた犬が耳を立ててきっとそのほうを見つめた。
それっきりだった。
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それぎりであった。
たぶん栗が落ちたのだろう。武蔵野には栗の木もずいぶん多いから。
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たぶん栗が落ちたのであろう、武蔵野には栗樹もずいぶん多いから。
それに時雨(しぐれ)の音ときては、これほど静かで趣のあるものはない。
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もしそれ時雨の音に至ってはこれほど幽寂のものはない。
山里の時雨は日本でも和歌の題材になっているが、広い広い野の果てから果てへと林を越え、杜(もり)を越え、田を横切り、またまた林を越えて、忍びやかに通り過ぎる時雨の音のいかにも静かで、のびやかで、やさしく懐かしい感じは、まさに武蔵野の時雨の特色だろう。
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山家の時雨は我国でも和歌の題にまでなっているが、広い、広い、野末から野末へと林を越え、杜を越え、田を横ぎり、また林を越えて、しのびやかに通り過く時雨の音のいかにも幽かで、また鷹揚な趣きがあって、優しく懐しいのは、じつに武蔵野の時雨の特色であろう。
自分がかつて北海道の深い林で時雨に逢ったことがある。これはまた人の足あとのない大森林だから、その趣はさらに深いが、その代わり、武蔵野の時雨のようにいっそう人なつかしく、ひそひそとつぶやくような趣はない。
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自分がかつて北海道の深林で時雨に逢ったことがある、これはまた人跡絶無の大森林であるからその趣はさらに深いが、その代り、武蔵野の時雨のさらに人なつかしく、私語くがごとき趣はない。
秋の中ごろから冬の初め、試しに中野あたり、あるいは渋谷・世田ヶ谷・または小金井の奥の林を訪ねて、しばらく座って散歩の疲れを休めてみよ。
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秋の中ごろから冬の初め、試みに中野あたり、あるいは渋谷、世田ヶ谷、または小金井の奥の林を訪うて、しばらく座って散歩の疲れを休めてみよ。
これらの物音がたちまち起こり、たちまちやみ、だんだん近づき、だんだん遠ざかり、頭上の木の葉が風もないのに落ちてかすかな音を立て、それもやんだとき、自然の静けさを感じ、永遠(エタルニテー)の息吹が身に迫るのを覚えるだろう。
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これらの物音、たちまち起こり、たちまち止み、しだいに近づき、しだいに遠ざかり、頭上の木の葉風なきに落ちてかすかな音をし、それも止んだ時、自然の静蕭を感じ、永遠の呼吸身に迫るを覚ゆるであろう。
武蔵野の冬の夜更けに星が冴えわたるとき、星をも吹き落としそうな野分(のわき)が激しく林を渡る音を、自分はしばしば日記に書いた。
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武蔵野の冬の夜更けて星斗闌干たる時、星をも吹き落としそうな野分がすさまじく林をわたる音を、自分はしばしば日記に書いた。
風の音は人の思いを遠くへ誘う。
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風の音は人の思いを遠くに誘う。
自分はこの物すごい風の音が、たちまち近くたちまち遠くなるのを聞いては、遠い昔からの武蔵野の人々の暮らしを思い続けたこともある。
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自分はこのもの凄い風の音のたちまち近くたちまち遠きを聞きては、遠い昔からの武蔵野の生活を思いつづけたこともある。
熊谷直好(くまがいなおよし)の和歌に、
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熊谷直好の和歌に、
よもすがら 木葉かたよる 音きけば
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よもすから木葉かたよる音きけは
しのびに風の かよふなりけり
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しのひに風のかよふなりけり
というのがあるが、自分は山里での暮らしを知っていながら、この歌の気持ちをなるほどと感じたのは、じつに武蔵野の冬の村暮らしの時だった。
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というがあれど、自分は山家の生活を知っていながら、この歌の心をげにもと感じたのは、じつに武蔵野の冬の村居の時であった。
林に座っていて日の光を最も美しいと感じるのは、春の末から夏の初めだが、それは今ここには書くべきでない。
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林に座っていて日の光のもっとも美しさを感ずるのは、春の末より夏の初めであるが、それは今ここには書くべきでない。
その次は黄葉の季節だ。
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その次は黄葉の季節である。
半分黄色く半分緑な林の中を歩いていると、澄み渡った大空が梢々(こずえごずえ)の隙間からのぞかれて、日の光は風に動く葉末(はずえ)葉末に砕け、その美しさはとても言い尽くせない。
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なかば黄いろくなかば緑な林の中に歩いていると、澄みわたった大空が梢々の隙間からのぞかれて日の光は風に動く葉末葉末に砕け、その美しさいいつくされず。
日光や碓氷(うすい)といった天下の名所はともかく、武蔵野のような広い平原の林がすみずみまで染まって、日が西に傾くとともに一面に火花を放つというのも、特別な美しさではないか。
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日光とか碓氷とか、天下の名所はともかく、武蔵野のような広い平原の林が隈なく染まって、日の西に傾くとともに一面の火花を放つというも特異の美観ではあるまいか。
もし高いところに登ってこの大きな景色を一度に見渡すことができるならこれ以上のことはないが、たとえそれがかなわないにしても、平原の景色が単調なだけに、人はその一部を見ただけで全体の広い、ほとんど果てしない景色を想像させられるものだ。
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もし高きに登りて一目にこの大観を占めることができるならこの上もないこと、よしそれができがたいにせよ、平原の景の単調なるだけに、人をしてその一部を見て全部の広い、ほとんど限りない光景を想像さするものである。
その想像にかきたてられながら夕焼けに向かって黄葉の中を歩けるだけ歩くことが、どれほど楽しいだろう。
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その想像に動かされつつ夕照に向かって黄葉の中を歩けるだけ歩くことがどんなにおもしろかろう。
林が尽きると野に出る。
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林が尽きると野に出る。
四
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四
十月二十五日の日記に「野を歩み林を訪う」と書き、また十一月四日の日記には「夕暮れに一人、風吹く野に立てば」と書いてある。
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十月二十五日の記に、野を歩み林を訪うと書き、また十一月四日の記には、夕暮に独り風吹く野に立てばと書いてある。
そこで自分はもう一度ツルゲーネフを引用する。
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そこで自分は今一度ツルゲーネフを引く。
「自分は立ち止まった。花束を拾い上げた。そして林を離れて野に出た。日は青々とした空に低くただよい、さす影も青ざめて冷たくなり、照るというわけでもなくただ地味な水色のぼかしのように四方に満ちわたった。日没にはまだ半時間もあろうに、もうほの赤く夕焼けが空の果てを染めだした。黄色くからびた刈り株を渡って激しく吹きつける野分に促されて、そり返った細かな落ち葉があわただしく起き上がり、林に沿った道を横切って、自分のそばを走り過ぎた。野に向かって壁のようにそびえる林の一面はすべてざわざわとざわめき、細かい宝石の粉を散らしたようにきらめきはしないがちらついていた。また枯れ草・雑草・藁(わら)の区別なくそこら一面にからみついた蜘蛛(くも)の巣は風に吹き靡(なび)かされて波打っていた。
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「自分はたちどまった、花束を拾い上げた、そして林を去ッてのらへ出た。日は青々とした空に低く漂ッて、射す影も蒼ざめて冷やかになり、照るとはなくただジミな水色のぼかしを見るように四方に充ちわたった。日没にはまだ半時間もあろうに、モウゆうやけがほの赤く天末を染めだした。黄いろくからびた刈株をわたッて烈しく吹きつける野分に催されて、そりかえッた細かな落ち葉があわただしく起き上がり、林に沿うた往来を横ぎって、自分の側を駈け通ッた、のらに向かッて壁のようにたつ林の一面はすべてざわざわざわつき、細末の玉の屑を散らしたように煌きはしないがちらついていた。また枯れ草、莠、藁の嫌いなくそこら一面にからみついた蜘蛛の巣は風に吹き靡かされて波たッていた。
自分は立ち止まった……なんとなく心細くなってきた。目に映るものはさっぱりとしてはいるが、おもしろくもおかしくもなく、さびれたなかにもどうやら間近になった冬の恐ろしさが見えるようで。
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自分はたちどまった……心細くなってきた、眼に遮る物象はサッパリとはしていれど、おもしろ気もおかし気もなく、さびれはてたうちにも、どうやら間近になッた冬のすさまじさが見透かされるように思われて。
小心なカラスが重そうに羽ばたきをして激しく風を切りながら頭上を高く飛び過ぎたが、ふと首を回らして横目で自分をにらんで、急に飛び上がり、声をふりしぼるように鳴きながら林の向こうへかくれてしまった。
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小心な鴉が重そうに羽ばたきをして、烈しく風を切りながら、頭上を高く飛び過ぎたが、フト首を回らして、横目で自分をにらめて、きゅうに飛び上がッて、声をちぎるように啼きわたりながら、林の向うへかくれてしまッた。
ハトが何羽ともなく群れをなして勢いよく穀倉のほうから飛んできたが、ふと柱を立てたように舞い上がり、さてぱっと一斉に野面に散った――ああ、秋だ!
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鳩が幾羽ともなく群をなして勢いこんで穀倉のほうから飛んできた、がフト柱を建てたように舞い昇ッて、さてパッといっせいに野面に散ッた――アア秋だ!
誰かがはげ山の向こうを通るとみえて、空の荷車の音が空中に響きわたった……」
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誰だか禿山の向うを通るとみえて、から車の音が虚空に響きわたッた……」
これはロシアの野だが、わが武蔵野の野の秋から冬にかけての景色も、おおよそこんなものだ。
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これはロシアの野であるが、我武蔵野の野の秋から冬へかけての光景も、およそこんなものである。
武蔵野にははげ山はまったくない。
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武蔵野にはけっして禿山はない。
しかし大洋のうねりのように高低に起伏している。
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しかし大洋のうねりのように高低起伏している。
それも外から見ると一面の平原のようで、むしろ高台のところどころが低くへこんで小さな浅い谷をなしているというほうが正確だろう。
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それも外見には一面の平原のようで、むしろ高台のところどころが低く窪んで小さな浅い谷をなしているといったほうが適当であろう。
この谷の底はたいてい水田だ。
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この谷の底はたいがい水田である。
畑は主に高台にある。高台は林と畑でさまざまに区切られている。
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畑はおもに高台にある、高台は林と畑とでさまざまの区劃をなしている。
畑がすなわち野だ。
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畑はすなわち野である。
だから林といっても数里にわたるものはなく、いや、おそらく一里にわたるものもあるまい。畑といっても一目で数里続くものはなく、ひとつの林の周りは畑、ある広さの畑の三方は林、というような具合で、農家がその間に散らばってさらに分割している。
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されば林とても数里にわたるものなく否、おそらく一里にわたるものもあるまい、畑とても一眸数里に続くものはなく一座の林の周囲は畑、一頃の畑の三方は林、というような具合で、農家がその間に散在してさらにこれを分割している。
つまり野やら林やら、ただ入り混じっていて、たちまち林に入るかと思えば、たちまち野に出るというような様子だ。
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すなわち野やら林やら、ただ乱雑に入組んでいて、たちまち林に入るかと思えば、たちまち野に出るというような風である。
それがまたじつに武蔵野に独特の特色を与えていて、ここに自然があり、ここに人の暮らしがある。北海道のような自然そのままの大原野・大森林とは異なっていて、その趣も特別だ。
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それがまたじつに武蔵野に一種の特色を与えていて、ここに自然あり、ここに生活あり、北海道のような自然そのままの大原野大森林とは異なっていて、その趣も特異である。
稲が実る頃となると、谷々の水田が黄ばんでくる。
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稲の熟するころとなると、谷々の水田が黄ばんでくる。
稲が刈り取られて林の影が逆さに田の面に映るころとなると、大根畑の最盛期で、大根がそろそろ抜かれて、あちこちの水溜まりや小さな流れのほとりで洗われるようになると、野は麦の新芽で青々となってくる。
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稲が刈り取られて林の影が倒さに田面に映るころとなると、大根畑の盛りで、大根がそろそろ抜かれて、あちらこちらの水溜めまたは小さな流れのほとりで洗われるようになると、野は麦の新芽で青々となってくる。
あるいは麦畑の一端が野原のままで残り、すすきや野菊が風に揺れている。
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あるいは麦畑の一端、野原のままで残り、尾花野菊が風に吹かれている。
かやの原の一端がだんだん高まって、その果てが空の際(きわ)をかぎっていて、そこへつま先上がりに登ってみると、林の切れ間に国境まで続く秩父の峰々(みねみね)が黒く横たわっていて、まるで地平線上を走ってはまた地平線の下に消えているようにも見える。
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萱原の一端がしだいに高まって、そのはてが天ぎわをかぎっていて、そこへ爪先あがりに登ってみると、林の絶え間を国境に連なる秩父の諸嶺が黒く横たわッていて、あたかも地平線上を走ってはまた地平線下に没しているようにもみえる。
さてここからまた畑のほうへ下るべきか。
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さてこれよりまた畑のほうへ下るべきか。
あるいは畑のかなたのかやの原に身を横たえ、強く吹く北風を積み重ねた枯れ草でよけながら、南の空をめぐる日のぬるい光に顔をさらして、畑の横の林が風にざわめき輝くのを眺めるべきか。
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あるいは畑のかなたの萱原に身を横たえ、強く吹く北風を、積み重ねた枯草で避けながら、南の空をめぐる日の微温き光に顔をさらして畑の横の林が風にざわつき煌き輝くのを眺むべきか。
あるいはまたそのままかの林へと行く道を進むべきか。
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あるいはまたただちにかの林へとゆく路をすすむべきか。
自分はこうして迷ったことがしばしばある。
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自分はかくためらったことがしばしばある。
自分は困ったかといえば、まったく困らない。
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自分は困ったか否、けっして困らない。
自分は武蔵野を縦横に通じている道は、どれを選んでいっても自分を失望させないことを、長い経験から知っているから。
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自分は武蔵野を縦横に通じている路は、どれを撰んでいっても自分を失望ささないことを久しく経験して知っているから。
五
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五
自分の友人がかつてその故郷から送ってきた手紙の中に「この間も一人、夕方にかやの原を歩きながら考えました。この野の中を縦横に通じる十数本の道の上を、何百年もの昔からこのかた、朝の露が清らかだといっては出かけ、夕べの雲が美しいといってはあこがれ、何百人もの情感を解する人が逍遥(散歩)したことでしょう。憎み合う人は憎み合ってよけながら別々の道を歩き、愛し合う人は手を取り合って同じ道を帰ったことでしょう」
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自分の朋友がかつてその郷里から寄せた手紙の中に「この間も一人夕方に萱原を歩みて考え申候、この野の中に縦横に通ぜる十数の径の上を何百年の昔よりこのかた朝の露さやけしといいては出で夕の雲花やかなりといいてはあこがれ何百人のあわれ知る人や逍遥しつらん相悪む人は相避けて異なる道をへだたりていき相愛する人は相合して同じ道を手に手とりつつかえりつらん」
という一節があった。
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との一節があった。
野原の道を歩めばそのような美しい想いも起こるだろうが、武蔵野の道はそれとは違い、出会おうとして行っても会い損ね、避けようとして歩いても林の曲がり角で突然出会うことがある。
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野原の径を歩みてはかかるいみじき想いも起こるならんが、武蔵野の路はこれとは異り、相逢わんとて往くとても逢いそこね、相避けんとて歩むも林の回り角で突然出逢うことがあろう。
だから道という道、右にめぐり左に曲がり、林を突き抜け、野を横切り、まっすぐなこと鉄道線路のようかと思えば、東から進んでまた東に戻るような遠回りの道もあり、林にかくれ、谷にかくれ、野に現われ、またまた林にかくれ、野原の道のようによく遠くの別の道を行く人影を見ることはかんたんではない。
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されば路という路、右にめぐり左に転じ、林を貫き、野を横ぎり、真直なること鉄道線路のごときかと思えば、東よりすすみてまた東にかえるような迂回の路もあり、林にかくれ、谷にかくれ、野に現われ、また林にかくれ、野原の路のようによく遠くの別路ゆく人影を見ることは容易でない。
しかし野原の道の想いにもまして、武蔵野の道には本物の味わいがある。
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しかし野原の径の想いにもまして、武蔵野の路にはいみじき実がある。
武蔵野を散歩する人は、道に迷うことを心配してはいけない。
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武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。
どの道でも足の向くほうへ行けば、かならずそこに見るべきもの・聞くべきもの・感じるべきものが待っている。
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どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。
武蔵野の美しさはただ、縦横に通じる何千本もの道を当てもなく歩くことによって初めて得られる。
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武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当もなく歩くことによって始めて獲られる。
春・夏・秋・冬、朝・昼・夕・夜、月にも、雪にも、風にも、霧にも、霜にも、雨にも、時雨にも、ただこの道をぶらぶら歩いて、思いつき次第に右へ左へ行けば、どこにでも自分たちを満足させるものがある。
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春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも、雪にも、風にも、霧にも、霜にも、雨にも、時雨にも、ただこの路をぶらぶら歩いて思いつきしだいに右し左すれば随処に吾らを満足さするものがある。
これがじつにまた、武蔵野第一の特色だと自分はしみじみ感じている。
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これがじつにまた、武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。
武蔵野を除いて日本にこのような場所がどこにあるか。
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武蔵野を除いて日本にこのような処がどこにあるか。
北海道の原野にはむろん、那須野(なすの)にもない。ほかのどこにあるか。
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北海道の原野にはむろんのこと、奈須野にもない、そのほかどこにあるか。
林と野がこれほどよく入り混じって、人の暮らしと自然がこれほど密接している場所がどこにあるか。
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林と野とがかくもよく入り乱れて、生活と自然とがこのように密接している処がどこにあるか。
じつに武蔵野にこのような特別な道があるのはこのためだ。
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じつに武蔵野にかかる特殊の路のあるのはこのゆえである。
だから君よ、もし一本の小道を行き、たちまち三本に分かれる場所に出たとしても困る必要はない。杖(つえ)を立てて倒れたほうへ行きたまえ。
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されば君もし、一の小径を往き、たちまち三条に分かるる処に出たなら困るに及ばない、君の杖を立ててその倒れたほうに往きたまえ。
あるいはその道が君を小さな林へ導く。
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あるいはその路が君を小さな林に導く。
林の真ん中あたりでまた二つに分かれたら、その小さいほうの道を選んでみたまえ。
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林の中ごろに到ってまた二つに分かれたら、その小なる路を撰んでみたまえ。
あるいはその道が君を不思議な場所に導く。
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あるいはその路が君を妙な処に導く。
これは林の奥の古いお墓で、苔むしたお墓が四つ五つ並び、その前に少しばかりの空き地があって、その横のほうに女郎花(おみなえし)などが咲いていることもあるだろう。
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これは林の奥の古い墓地で苔むす墓が四つ五つ並んでその前にすこしばかりの空地があって、その横のほうに女郎花など咲いていることもあろう。
頭の上の梢で小鳥が鳴いていたら君の幸運だ。
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頭の上の梢で小鳥が鳴いていたら君の幸福である。
すぐ引き返して左の道を進んでみたまえ。
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すぐ引きかえして左の路を進んでみたまえ。
たちまち林が尽きて、君の前に見渡しの広い野が開ける。
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たちまち林が尽きて君の前に見わたしの広い野が開ける。
足元からすこしだらだらと下りになり、かやが一面に生え、すすきの穂が日に光っている。かやの原の先が畑で、畑の先に背の低い林が一かたまり茂り、その林の上に遠い杉の小さな杜(もり)が見え、地平線の上にほんのりした雲が集まっていて、雲の色に見まがいそうな山々がその間に少しずつ見える。
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足元からすこしだらだら下がりになり萱が一面に生え、尾花の末が日に光っている、萱原の先きが畑で、畑の先に背の低い林が一叢繁り、その林の上に遠い杉の小杜が見え、地平線の上に淡々しい雲が集まっていて雲の色にまがいそうな連山がその間にすこしずつ見える。
十月の小春の日の光がのどかに照り、さわやかな風がそよそよと吹く。
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十月小春の日の光のどかに照り、小気味よい風がそよそよと吹く。
もしかやの原のほうへ下りていくと、今まで見えた広い景色がすっかり隠れてしまって、小さな谷の底に出るだろう。
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もし萱原のほうへ下りてゆくと、今まで見えた広い景色がことごとく隠れてしまって、小さな谷の底に出るだろう。
思いがけなく細長い池がかやの原と林との間に隠れていたのを発見する。
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思いがけなく細長い池が萱原と林との間に隠れていたのを発見する。
水は清く澄んでいて、大空を横切る白い雲の切れ端を鮮やかに映している。
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水は清く澄んで、大空を横ぎる白雲の断片を鮮かに映している。
水のほとりには枯れたあしが少しばかり生えている。
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水のほとりには枯蘆がすこしばかり生えている。
この池のほとりの道をしばらく行くとまた二つに分かれる。
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この池のほとりの径をしばらくゆくとまた二つに分かれる。
右へ行けば林、左へ行けば坂。
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右にゆけば林、左にゆけば坂。
君はきっと坂を登るだろう。
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君はかならず坂をのぼるだろう。
とかく武蔵野を散歩するのは、高い場所高い場所を選びたくなるのは、なんとかして広い眺めを求めたいからで、しかしその望みはなかなかかなわない。
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とかく武蔵野を散歩するのは高い処高い処と撰びたくなるのはなんとかして広い眺望を求むるからで、それでその望みは容易に達せられない。
見下ろすような眺望はけっしてできない。
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見下ろすような眺望はけっしてできない。
それははじめからあきらめたほうがいい。
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それは初めからあきらめたがいい。
もし君、なにかの必要で道を尋ねたいと思うなら、畑の真ん中にいる農夫に聞きたまえ。
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もし君、何かの必要で道を尋ねたく思わば、畑の真中にいる農夫にききたまえ。
農夫が四十以上の人だったら、大きな声を上げて尋ねてみたまえ。驚いてこちらを向き、大きな声で教えてくれるだろう。
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農夫が四十以上の人であったら、大声をあげて尋ねてみたまえ、驚いてこちらを向き、大声で教えてくれるだろう。
もし若い女の人だったら近づいて小声で聞きたまえ。
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もし少女であったら近づいて小声でききたまえ。
もし若い男だったら、帽子を取って礼儀正しく(ていねいに)尋ねたまえ。
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もし若者であったら、帽を取って慇懃に問いたまえ。
ゆったりと(おうような態度で)教えてくれるだろう。
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鷹揚に教えてくれるだろう。
怒ってはいけない、これが東京近くの若者の癖(くせ)だから。
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怒ってはならない、これが東京近在の若者の癖であるから。
教えられた道を行くと、道がまた二つに分かれる。
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教えられた道をゆくと、道がまた二つに分かれる。
教えてくれたほうの道があまりに細くて少しおかしいと思っても、そのとおりに行きたまえ。突然農家の庭先に出るだろう。
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教えてくれたほうの道はあまりに小さくてすこし変だと思ってもそのとおりにゆきたまえ、突然農家の庭先に出るだろう。
はたして変だと思っても驚いてはいけない。
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はたして変だと驚いてはいけぬ。
そのとき農家で尋ねてみたまえ。「門を出るとすぐ大通りですよ」とそっけなく答えるだろう。
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その時農家で尋ねてみたまえ、門を出るとすぐ往来ですよと、すげなく答えるだろう。
農家の門を外に出てみると、はたして見覚えある大通り。なるほどこれが近道だなと君は思わず微笑をもらす。そのとき初めて教えてくれた道のありがたさがわかるだろう。
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農家の門を外に出てみるとはたして見覚えある往来、なるほどこれが近路だなと君は思わず微笑をもらす、その時初めて教えてくれた道のありがたさが解るだろう。
まっすぐな道で、両側とも十分に黄葉した林が四五丁(よんごちょう・約四百メートル以上)も続く場所に出ることがある。
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真直な路で両側とも十分に黄葉した林が四五丁も続く処に出ることがある。
この道を一人で静かに歩むことのどれほど楽しいことか。
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この路を独り静かに歩むことのどんなに楽しかろう。
右側の林の頂は夕焼けの光が鮮やかにかがやいている。
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右側の林の頂は夕照鮮かにかがやいている。
ときどき落ち葉の音が聞こえるばかり、あたりはしんとしていかにも寂しい。
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おりおり落葉の音が聞こえるばかり、あたりはしんとしていかにも淋しい。
前にも後ろにも人影は見えず、誰にも会わない。
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前にも後ろにも人影見えず、誰にも遇わず。
もしそれが木の葉がすっかり落ちたころなら、道は落ち葉に埋もれて、一歩ごとにがさがさと音がする。林は奥まで見すかされ、梢の先は針のように細く青空を指している。
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もしそれが木葉落ちつくしたころならば、路は落葉に埋れて、一足ごとにがさがさと音がする、林は奥まで見すかされ、梢の先は針のごとく細く蒼空を指している。
なおさら人に会わない。
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なおさら人に遇わない。
いよいよ寂しい。
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いよいよ淋しい。
落ち葉を踏む自分の足音ばかりが高く、ときに一羽の山鳩があわただしく飛び去る羽音に驚かされるばかり。
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落葉をふむ自分の足音ばかり高く、時に一羽の山鳩あわただしく飛び去る羽音に驚かされるばかり。
同じ道を引き返して帰るのはもったいない。
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同じ路を引きかえして帰るは愚である。
迷ったところが今の武蔵野に過ぎない。まさか日が暮れて途方に暮れることもあるまい。
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迷ったところが今の武蔵野にすぎない、まさかに行暮れて困ることもあるまい。
帰りもやはりおよその方角を決めて、別の道を当てもなく歩くのが楽しい。
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帰りもやはりおよその方角をきめて、べつな路を当てもなく歩くが妙。
そうすると思いがけず落日の美しい光景を目にすることがある。
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そうすると思わず落日の美観をうることがある。
日が富士の背に落ちようとしてまだすっかり落ちず、富士の中腹に群がる雲は黄金色に染まって、見るうちにさまざまな形に変わる。
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日は富士の背に落ちんとしていまだまったく落ちず、富士の中腹に群がる雲は黄金色に染まって、見るがうちにさまざまの形に変ずる。
連なる山々の頂は白銀の鎖(くさり)のような雪がだんだん遠く北へ走って、終には暗い雲の中に消えてしまう。
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連山の頂は白銀の鎖のような雪がしだいに遠く北に走って、終は暗憺たる雲のうちに没してしまう。
日が落ちる。野では風が強く吹く。林は鳴る。武蔵野が暮れようとする。寒さが身に沁みる。そのときは道を急ぎたまえ。ふりかえって思わず、新月が枯れた林の梢の横に冷たい光を放っているのを見る。
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日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁む、その時は路をいそぎたまえ、顧みて思わず新月が枯林の梢の横に寒い光を放っているのを見る。
風が今にも梢から月を吹き落としそうだ。
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風が今にも梢から月を吹き落としそうである。
突然またまた野に出る。
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突然また野に出る。
君はそのとき、
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君はその時、
山は暮れ 野は黄昏(たそがれ)の すすきかな
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山は暮れ野は黄昏の薄かな
という名句を思いだすだろう。
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の名句を思いだすだろう。
六
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六
今から三年前の夏のことだった。
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今より三年前の夏のことであった。
自分はある友と都心の仮住まいを出て、三崎町の停車場(ていしゃば)から境(さかい)まで電車に乗り、そこで下りて北へまっすぐに四五丁(よんごちょう)行くと桜橋という小さな橋がある。それを渡ると一軒の茶店(かけぢゃや)がある。この茶店のおばあさんが自分に向かって「今ごろ、何しに来たんだい」
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自分はある友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向かって、「今時分、何にしに来ただア」
と尋ねたことがあった。
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と問うたことがあった。
自分は友と顔を見合わせて笑って「散歩に来たんだよ、ただ遊びに来たんだ」
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自分は友と顔見あわせて笑って、「散歩に来たのよ、ただ遊びに来たのだ」
と答えると、おばあさんも笑って、それもばかにしたような笑い方で「桜は春に咲くことを知らないんだね」
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と答えると、婆さんも笑って、それもばかにしたような笑いかたで、「桜は春咲くこと知らねえだね」
と言った。
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といった。
そこで自分は夏の郊外の散歩がどれほど楽しいかをおばあさんにもわかるように話してみたが、むだだった。
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そこで自分は夏の郊外の散歩のどんなにおもしろいかを婆さんの耳にも解るように話してみたがむだであった。
「東京の人はのんきだ」というひと言で片付けられてしまった。
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東京の人はのんきだという一語で消されてしまった。
自分らは汗を拭き拭き、おばあさんが剥(む)いてくれるまくわうり(昔の甘いメロンのような瓜)を食べ、茶店の横を流れる幅一尺(約三十センチ)ばかりの小さな溝で顔を洗ったりして、そこを出た。
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自分らは汗をふきふき、婆さんが剥いてくれる甜瓜を喰い、茶屋の横を流れる幅一尺ばかりの小さな溝で顔を洗いなどして、そこを立ち出でた。
この溝の水はたぶん小金井の水道から引いたものらしく、よく澄んでいて、青草の間を心地よさそうに流れ、ときどきこぼこぼと鳴っては、小鳥が来て翼をひたし、のどをうるおすのを待っているらしい。
原文を見る
この溝の水はたぶん、小金井の水道から引いたものらしく、よく澄んでいて、青草の間を、さも心地よさそうに流れて、おりおりこぼこぼと鳴っては小鳥が来て翼をひたし、喉を湿おすのを待っているらしい。
しかしおばあさんは何とも思わないで、この水で毎朝毎夕(まいちょうまいゆう)なべかまを洗うようだった。
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しかし婆さんは何とも思わないでこの水で朝夕、鍋釜を洗うようであった。
茶店を出て、自分らはそろそろ小金井の堤を水の上流のほうへと上り始めた。
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茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上のほうへとのぼり初めた。
ああ、その日の散歩がどれほど楽しかったことか。
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ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。
なるほど小金井は桜の名所だ。だから夏の盛りにその堤をのこのこ歩くのは外から見るとばかなことに見えるだろう。しかしそれは、今の武蔵野の夏の日の光をまだ知らない人の話だ。
原文を見る
なるほど小金井は桜の名所、それで夏の盛りにその堤をのこのこ歩くもよそ目には愚かにみえるだろう、しかしそれはいまだ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。
空は蒸し暑い雲が湧き出て、雲の奥に雲が隠れ、雲と雲との間の底に青空が現われ、雲が青空に接するところは白銀の色とも雪の色とも言えないほど純白で透き通り、それでいて何となく穏やかで淡い色を帯びている。そこで青空が一段と深く青々と見える。
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空は蒸暑い雲が湧きいでて、雲の奥に雲が隠れ、雲と雲との間の底に蒼空が現われ、雲の蒼空に接する処は白銀の色とも雪の色とも譬えがたき純白な透明な、それで何となく穏やかな淡々しい色を帯びている、そこで蒼空が一段と奥深く青々と見える。
ただそれだけなら夏らしくもないが、さてある種の濁った色の霞(かすみ)のようなものが、雲と雲との間をかき乱して、空模様全体を揺れ動かし、参差(しんし)として、自由奔放で、入り混じった様子にし、雲を切り裂く光線と雲から放つ影とが彼方此方(あちらこちら)に交差して、束縛を嫌う自由な気(き)がどこからともなく空中に微かに動いている。
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ただこれぎりなら夏らしくもないが、さて一種の濁った色の霞のようなものが、雲と雲との間をかき乱して、すべての空の模様を動揺、参差、任放、錯雑のありさまとなし、雲を劈く光線と雲より放つ陰翳とが彼方此方に交叉して、不羈奔逸の気がいずこともなく空中に微動している。
林という林、梢という梢、草葉の先に至るまでが、光と熱に溶けて、まどろんで、怠けて、うとうとと酔っている。
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林という林、梢という梢、草葉の末に至るまでが、光と熱とに溶けて、まどろんで、怠けて、うつらうつらとして酔っている。
林の一角が直線に断たれ、その間から広い野が見える。野一面に陽炎(かげろう)が立ち上がって、長くは見つめていられない。
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林の一角、直線に断たれてその間から広い野が見える、野良一面、糸遊上騰して永くは見つめていられない。
自分らは汗を拭きながら、大空を仰いだり、林の奥をのぞいたり、空の際(きわ)の林に接するあたりを眺めたりして、堤の上をあえぎあえぎたどってゆく。
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自分らは汗をふきながら、大空を仰いだり、林の奥をのぞいたり、天ぎわの空、林に接するあたりを眺めたりして堤の上を喘ぎ喘ぎ辿ってゆく。
苦しいか?
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苦しいか?
どうして!
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どうして!
体中に健康があふれている。
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身うちには健康がみちあふれている。
長い堤(ながつつみ)三里の間、ほとんど人影を見ない。
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長堤三里の間、ほとんど人影を見ない。
農家の庭先、あるいは藪(やぶ)の間から突然、犬が現われて、自分らをあやしそうに見て、そしてあくびをして隠れてしまう。
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農家の庭先、あるいは藪の間から突然、犬が現われて、自分らを怪しそうに見て、そしてあくびをして隠れてしまう。
林のかなたでは高く羽ばたきをして雄鶏(おんどり)が時を告げる。それが米倉の壁や杉の森や林や藪に響いて、ほがらかに聞こえる。
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林のかなたでは高く羽ばたきをして雄鶏が時をつくる、それが米倉の壁や杉の森や林や藪に籠って、ほがらかに聞こえる。
堤の上にもニワトリの群れが幾組となく桜の木陰などで遊んでいる。
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堤の上にも家鶏の群が幾組となく桜の陰などに遊んでいる。
水の上流を遠く眺めると、一直線に流れてくる水道の末は銀粉を撒(ま)いたような一種の陰影のうちに消え、近くなるにつれてぎらぎら輝いて矢のように走ってくる。
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水上を遠く眺めると、一直線に流れてくる水道の末は銀粉を撒いたような一種の陰影のうちに消え、間近くなるにつれてぎらぎら輝いて矢のごとく走ってくる。
自分たちはある橋の上に立って、流れの上手(かみ)と下手(しも)を見比べていた。
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自分たちはある橋の上に立って、流れの上と流れのすそと見比べていた。
光の加減で流れの趣が絶えず変化している。
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光線の具合で流れの趣が絶えず変化している。
水の上流が突然薄暗くなるかと見ると、雲の影が流れとともに、瞬く間に走ってきて自分たちの上まで来て、ふと止まって、急に横にそれてしまうことがある。
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水上が突然薄暗くなるかとみると、雲の影が流れとともに、瞬く間に走ってきて自分たちの上まで来て、ふと止まって、きゅうに横にそれてしまうことがある。
しばらくすると水の上流がまばゆく輝いてきて、両側の林、堤上の桜が、まるで雨上がりの春草のように鮮やかに緑の光を放ってくる。
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しばらくすると水上がまばゆく煌いてきて、両側の林、堤上の桜、あたかも雨後の春草のように鮮かに緑の光を放ってくる。
橋の下では何とも言いようのないやさしい水音がする。
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橋の下では何ともいいようのない優しい水音がする。
これは水が両岸にぶつかって出る音でもなく、また浅瀬のような音でもない。
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これは水が両岸に激して発するのでもなく、また浅瀬のような音でもない。
たっぷりと水量があって、それで粘土質のほとんど壁を塗ったような深い溝を流れるので、水と水がもつれてからまって、揉み合って、みずから音を出しているのだ。
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たっぷりと水量があって、それで粘土質のほとんど壁を塗ったような深い溝を流れるので、水と水とがもつれてからまって、揉みあって、みずから音を発するのである。
なんという人なつかしい音だろう!
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何たる人なつかしい音だろう!
「――Let us match
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“――Let us match
This water's pleasant tune
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This water's pleasant tune
With some old Border song, or catch,
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With some old Border song, or catch,
That suits a summer's noon.」
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That suits a summer's noon.”
(この水のほがらかな調べに合わせて、昔の国境の歌か合唱曲を歌おうではないか、夏の正午にふさわしいものを)という詩句も思い出されて、七十二歳の翁(おきな)と少年とが、そこらの桜の木陰にでも座っていないだろうかと見回したくなる。
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の句も思いだされて、七十二歳の翁と少年とが、そこら桜の木蔭にでも坐っていないだろうかと見廻わしたくなる。
自分はこの流れの両側に点在する農家の人々を幸せな人々と思った。
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自分はこの流れの両側に散点する農家の者を幸福の人々と思った。
もちろん、この堤の上を麦わら帽子とステッキ一本で散歩する自分たちも。
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むろん、この堤の上を麦藁帽子とステッキ一本で散歩する自分たちをも。
七
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七
自分と一緒に小金井の堤を散歩した友人は、今は裁判官(判官)になって地方に行っているが、自分の前に書いた文を読んで、次のように書いて送ってきた。
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自分といっしょに小金井の堤を散歩した朋友は、今は判官になって地方に行っているが、自分の前号の文を読んで次のごとくに書いて送ってきた。
自分は便利のためにこれをここに引用する必要を感じる――武蔵野は俗に言う「関(かん)八州の平野」でもない。
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自分は便利のためにこれをここに引用する必要を感ずる――武蔵野は俗にいう関八州の平野でもない。
また道灌(どうかん)が傘の代わりに山吹(やまぶき)の花をもらったという、歴史ゆかりの原でもない。
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また道灌が傘の代りに山吹の花を貰ったという歴史的の原でもない。
僕は自分で限界を定めた独自の武蔵野を持っている。
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僕は自分で限界を定めた一種の武蔵野を有している。
その限界は、国境や村境が山や川、あるいは古跡などいろいろなもので自然に定められるように、おのずと定まったもので、その境は次のいろいろな考えから来る。
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その限界はあたかも国境または村境が山や河や、あるいは古跡や、いろいろのもので、定めらるるようにおのずから定められたもので、その定めは次のいろいろの考えから来る。
僕の武蔵野の範囲の中には東京がある。
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僕の武蔵野の範囲の中には東京がある。
しかしこれはもちろんはぶかなくてはならない。なぜなら、農商務省の役所(かんが)がどっしりとそびえていたり、鉄管事件(てっかんじけん)の裁判があったりする東京の多くの街(やちょうばちょう)によって、昔の面影を想像することができないから。
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しかしこれはむろん省かなくてはならぬ、なぜならば我々は農商務省の官衙が巍峨として聳えていたり、鉄管事件の裁判があったりする八百八街によって昔の面影を想像することができない。
それに僕が最近知り合いになったドイツ人女性の評に、東京は「新しい都(みやこ)」
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それに僕が近ごろ知合いになったドイツ婦人の評に、東京は「新しい都」
ということがあって、今日の様子からすれば、たとえ徳川の江戸であったにしろ、この評語を適切と考えられる面もある。
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ということがあって、今日の光景ではたとえ徳川の江戸であったにしろ、この評語を適当と考えられる筋もある。
このようなわけで東京はかならず武蔵野から消してしまわなければならない。
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このようなわけで東京はかならず武蔵野から抹殺せねばならぬ。
しかしその市街が尽きるところ、つまり町外れはかならず消してはならない。
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しかしその市の尽くる処、すなわち町外ずれはかならず抹殺してはならぬ。
僕の考えでは、武蔵野の詩のような趣を描くにはかならずこの町外れを一つの題材としなければならないと思う。
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僕が考えには武蔵野の詩趣を描くにはかならずこの町外れを一の題目とせねばならぬと思う。
たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂(どうげんざか)の近く、目黒の行人坂(ぎょうにんざか)、また君と僕が何度も散歩した早稲田の鬼子母神(きしもじん)あたりの街、新宿、白金(しろがね)……
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たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂の近傍、目黒の行人坂、また君と僕と散歩したことの多い早稲田の鬼子母神あたりの町、新宿、白金……
また武蔵野の味を知るには、その野から富士山・秩父(ちちぶ)山脈・国府台(こうのだい)などを眺めた視点だけでなく、またその中央に包まれている首都東京をふりかえった視点で眺めなければならない。
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また武蔵野の味を知るにはその野から富士山、秩父山脈国府台等を眺めた考えのみでなく、またその中央に包まれている首府東京をふり顧った考えで眺めねばならぬ。
そこで三里五里の外に出て平原を描くことの必要がある。
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そこで三里五里の外に出で平原を描くことの必要がある。
君の一篇にも「生活と自然が密接している」ということがあり、また「ときどきいろいろなものに出会う面白さ」が描いてあるが、いかにもそのとおりだ。
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君の一篇にも生活と自然とが密接しているということがあり、また時々いろいろなものに出あうおもしろ味が描いてあるが、いかにもさようだ。
僕はかつてこういうことがある。弟をつれて多摩川のほうへ遠足したとき、一二里行き、また半里行って家並み(やなみ)があり、また家並みを離れ、また家並みに出て、人や動物に接し、また草木ばかりになる。この変化があってところどころに人の暮らしを点在させている趣のおもしろさを感じて話したことがあった。
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僕はかつてこういうことがある、家弟をつれて多摩川のほうへ遠足したときに、一二里行き、また半里行きて家並があり、また家並に離れ、また家並に出て、人や動物に接し、また草木ばかりになる、この変化のあるのでところどころに生活を点綴している趣味のおもしろいことを感じて話したことがあった。
この趣を描くために武蔵野に散在する駅、駅とまでいかなくても家並み、つまり製図家の言葉でいう「連なった建物(れんたんかおく)」を描写する必要がある。
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この趣味を描くために武蔵野に散在せる駅、駅といかぬまでも家並、すなわち製図家の熟語でいう聯檐家屋を描写するの必要がある。
また多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならない。
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また多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならぬ。
「六つ玉川」などと先祖が名づけたことがあるが、武蔵の多摩川のような川がほかにどこにあるか。
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六つ玉川などと我々の先祖が名づけたことがあるが武蔵の多摩川のような川が、ほかにどこにあるか。
その川が平らな田と低い林とに続く場所の趣は、ちょうど首都が郊外と続く場所の趣とともに、無限の意味がある。
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その川が平らな田と低い林とに連接する処の趣味は、あだかも首府が郊外と連接する処の趣味とともに無限の意義がある。
また東のほうの平地を考えてみよ。
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また東のほうの平面を考えられよ。
これはあまりに開けていて水田が多く、地平線が少し低いので、除外されそうだが、やはり武蔵野に違いない。
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これはあまりに開けて水田が多くて地平線がすこし低いゆえ、除外せられそうなれどやはり武蔵野に相違ない。
亀井戸(かめいど)の金糸堀(きんしぼり)あたりから木下川(きねがわ)あたりにかけて、水田と立ち木と茅葺き(かやぶき)の家が趣をなしている様子は、武蔵野の一つの区域だ。
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亀井戸の金糸堀のあたりから木下川辺へかけて、水田と立木と茅屋とが趣をなしているぐあいは武蔵野の一領分である。
ことに富士山でわかる。
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ことに富士でわかる。
富士を高く見せて、まるで自分たちが逗子(ずし)の「あぶずり」
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富士を高く見せてあだかも我々が逗子の「あぶずり」
で眺めるように見せるのはこのあたりに限る。
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で眺むるように見せるのはこの辺にかぎる。
また筑波山(つくばさん)でもわかる。
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また筑波でわかる。
筑波の姿が低くはるかに見えると、自分たちは関八州の一隅(いっぐう)に武蔵野が息づいている意味を感じる。
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筑波の影が低く遥かなるを見ると我々は関八州の一隅に武蔵野が呼吸している意味を感ずる。
しかし東京の南北にかけては、武蔵野の範囲がはなはだ狭い。
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しかし東京の南北にかけては武蔵野の領分がはなはだせまい。
ほとんどないといってもいい。
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ほとんどないといってもよい。
これは地形のせいで、かつ鉄道が通じているので、つまり「東京」
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これは地勢のしからしむるところで、かつ鉄道が通じているので、すなわち「東京」
がこの線路によって武蔵野を貫いて直接に他の範囲と続いているからだ。
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がこの線路によって武蔵野を貫いて直接に他の範囲と連接しているからである。
僕はどうもそう感じる。
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僕はどうもそう感じる。
そこで僕は武蔵野はまず雑司谷(ぞうしがや)から始まって線を引いてみると、そこから板橋の中仙道(なかせんどう)の西側を通って川越(かわごえ)近くまで達し、君の一篇に示された入間郡(いるまぐん)を含んで、丸く甲武線(こうぶせん)の立川駅に来る。
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そこで僕は武蔵野はまず雑司谷から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、君の一編に示された入間郡を包んで円く甲武線の立川駅に来る。
この範囲の間に所沢(ところざわ)・田無(たなし)などという駅がどれほど趣があることか……とくに夏の緑が深いころは。
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この範囲の間に所沢、田無などいう駅がどんなに趣味が多いか……ことに夏の緑の深いころは。
さて立川からは多摩川を境界として上丸辺まで下る。
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さて立川からは多摩川を限界として上丸辺まで下る。
八王子はけっして武蔵野には入れられない。
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八王子はけっして武蔵野には入れられない。
そして丸子(まるこ)から下目黒(しもめぐろ)に返る。
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そして丸子から下目黒に返る。
この範囲の間に布田(ふだ)・登戸(のぼりと)・二子(ふたご)などのどれほど趣があることか。
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この範囲の間に布田、登戸、二子などのどんなに趣味が多いか。
以上は西半分。
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以上は西半面。
東の半分は亀井戸あたりから小松川(こまつがわ)にかけ、木下川(きねがわ)から堀切(ほりきり)を含んで千住(せんじゅ)近くまで行って止まる。
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東の半面は亀井戸辺より小松川へかけ木下川から堀切を包んで千住近傍へ到って止まる。
この範囲は異論があれば取り除いてもよい。
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この範囲は異論があれば取除いてもよい。
しかし一種の趣があって武蔵野に違いないことは前に述べたとおりだ――
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しかし一種の趣味があって武蔵野に相違ないことは前に申したとおりである――
八
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八
自分は以上の意見にまったく異論はない。
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自分は以上の所説にすこしの異存もない。
とくに東京市街の町外れを題材にせよという注意には大いに同意で、自分もかねてから考えていたことだ。
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ことに東京市の町外れを題目とせよとの注意はすこぶる同意であって、自分もかねて思いついていたことである。
町外れを「武蔵野」
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町外ずれを「武蔵野」
の一部に入れるといえば、少しおかしく聞こえるが、じつは不思議はない。海を描くのに波打ち際を描くのと同じことだ。
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の一部に入れるといえば、すこしおかしく聞こえるが、じつは不思議はないので、海を描くに波打ちぎわを描くも同じことである。
しかし自分はこれを後回しにして、小金井の堤上の散歩に引き続き、まず今の武蔵野の水の流れを説くことにした。
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しかし自分はこれを後廻わしにして、小金井堤上の散歩に引きつづき、まず今の武蔵野の水流を説くことにした。
第一は多摩川、第二は隅田川(すみだがわ)。もちろんこの二つの川のことは十分に書いてみたいが、さてこれも後回しにして、さらに武蔵野を流れる水流を探してみたい。
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第一は多摩川、第二は隅田川、むろんこの二流のことは十分に書いてみたいが、さてこれも後廻わしにして、さらに武蔵野を流るる水流を求めてみたい。
小金井の流れのようなものが、その一つだ。
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小金井の流れのごとき、その一である。
この流れは東京近郊に及んでは千駄ヶ谷(せんだがや)・代々木(よよぎ)・角筈(つのはず)などの村の間を流れて新宿に入り、四谷上水(よつやじょうすい)となる。
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この流れは東京近郊に及んでは千駄ヶ谷、代々木、角筈などの諸村の間を流れて新宿に入り四谷上水となる。
また井の頭池(いのかしらいけ)・善福池(ぜんぷくち)などから流れ出て神田上水(かんだじょうすい)となるもの。
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また井頭池善福池などより流れ出でて神田上水となるもの。
目黒あたりを流れて品川(ひんかい)の海に入るもの。
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目黒辺を流れて品海に入るもの。
渋谷あたりを流れて金杉(かなすぎ)に出るもの。
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渋谷辺を流れて金杉に出ずるもの。
その他名も知れない細い流れ・小さな溝に至るまで、もしこれをよそで見るなら格別の面白みもないが、それが今の武蔵野の平地や高台の別なく、林をくぐり、野を横切り、隠れつ現われつして、しかも曲がりくねって(小金井は除く)流れる趣は、春夏秋冬を通じて自分たちの心を引くに足りるものがある。
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その他名も知れぬ細流小溝に至るまで、もしこれをよそで見るならば格別の妙もなけれど、これが今の武蔵野の平地高台の嫌いなく、林をくぐり、野を横切り、隠れつ現われつして、しかも曲りくねって(小金井は取除け)流るる趣は春夏秋冬に通じて吾らの心を惹くに足るものがある。
自分はもと山の多い地方で育ったので、川といえばかなり大きな川でもその水は透明なのを見慣れたせいか、初めは武蔵野の流れが、多摩川を除けばすべて濁っているのでひどく嫌な感じがしたものだが、だんだん慣れてみると、やはりこの少し濁った流れが平原の景色に合って見えるようになってきた。
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自分はもと山多き地方に生長したので、河といえばずいぶん大きな河でもその水は透明であるのを見慣れたせいか、初めは武蔵野の流れ、多摩川を除いては、ことごとく濁っているのではなはだ不快な感を惹いたものであるが、だんだん慣れてみると、やはりこのすこし濁った流れが平原の景色に適ってみえるように思われてきた。
自分がある一度、今から四五年前の夏の夜のことだった。あの友と二人で近郊を散歩したことを覚えている。
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自分が一度、今より四五年前の夏の夜の事であった、かの友と相携えて近郊を散歩したことを憶えている。
神田上水の上流の橋の一つを、夜の八時ごろ通りかかった。
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神田上水の上流の橋の一つを、夜の八時ごろ通りかかった。
この夜は月が冴えて風が清く、野も林も薄い絹(はくしゃ)につつまれたようで、何とも言いがたい良い夜(りょうや)だった。
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この夜は月冴えて風清く、野も林も白紗につつまれしようにて、何ともいいがたき良夜であった。
あの橋の上には村の人が四五人集まっていて、欄干(らんかん)に寄りかかって何かを語り、何かを笑い、何かを歌っていた。
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かの橋の上には村のもの四五人集まっていて、欄に倚って何事をか語り何事をか笑い、何事をか歌っていた。
その中に一人のおじいさんがまざっていて、しきりに若い人たちの話や歌をからかっていた。
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その中に一人の老翁がまざっていて、しきりに若い者の話や歌をまぜッかえしていた。
月はさやかに照り、これらの光景をぼんやりとした楕円形(だえんけい)の中に描き出して、田園詩(でんえんし)の一節のように浮かべている。
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月はさやかに照り、これらの光景を朦朧たる楕円形のうちに描きだして、田園詩の一節のように浮かべている。
自分たちもこの絵の中の人に加わって欄干に寄りかかって月を眺めていると、月はゆるやかに流れる水面に澄んで映っている。
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自分たちもこの画中の人に加わって欄に倚って月を眺めていると、月は緩るやかに流るる水面に澄んで映っている。
羽虫(はむし)が水を打つたびに細かな波紋が起きて、しばらく月の面(おもて)に小さなしわが寄るばかり。
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羽虫が水を摶つごとに細紋起きてしばらく月の面に小皺がよるばかり。
流れは林の間をくねって出てきたり、また林の間に半円を描いて隠れてしまう。
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流れは林の間をくねって出てきたり、また林の間に半円を描いて隠れてしまう。
林の梢(こずえ)で砕けた月の光が薄暗い水に落ちてきらめいて見える。
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林の梢に砕けた月の光が薄暗い水に落ちてきらめいて見える。
水蒸気が流れの上、一メートル余りのところをかすめている。
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水蒸気は流れの上、四五尺の処をかすめている。
大根の季節に、近郊を散歩すると、これらの細い流れのほとり、いたるところで農夫が大根の土を洗っているのを見る。
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大根の時節に、近郊を散歩すると、これらの細流のほとり、いたるところで、農夫が大根の土を洗っているのを見る。
九
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九
かならずしも道玄坂(どうげんざか)と言わず、また白金(しろがね)と言わず、つまり東京市街の一端、あるいは甲州街道(こうしゅうかいどう)となり、あるいは青梅道(おうめみち)となり、あるいは中原道(なかはらみち)となり、あるいは世田ヶ谷街道となって、郊外の林地や田畑に突入するところの、市街とも宿場(しゅくえき)ともつかない、一種の暮らしと一種の自然を組み合わせた一種の光景を見せている場所を描写することが、じつに自分の詩心(しごころ)をかきたてる。
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かならずしも道玄坂といわず、また白金といわず、つまり東京市街の一端、あるいは甲州街道となり、あるいは青梅道となり、あるいは中原道となり、あるいは世田ヶ谷街道となりて、郊外の林地田圃に突入する処の、市街ともつかず宿駅ともつかず、一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景を呈しおる場処を描写することが、すこぶる自分の詩興を喚び起こすも妙ではないか。
なぜそのような場所が自分たちの心を引くのだろうか。
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なぜかような場処が我らの感を惹くだらうか。
自分はひと言で答えることができる。
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自分は一言にして答えることができる。
つまりこのような町外れの光景は、なんとなく人に社会というものの縮図(ちぢみ図)でも見るような気持ちにさせるからだろう。
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すなわちこのような町外れの光景は何となく人をして社会というものの縮図でも見るような思いをなさしむるからであろう。
言い換えれば、田舎の人にも都会の人にも心を動かすような物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるいは大笑いするような物語が二つ三つ、そのあたりの軒先に隠れていそうに思われるからだろう。
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言葉を換えていえば、田舎の人にも都会の人にも感興を起こさしむるような物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるいは抱腹するような物語が二つ三つそこらの軒先に隠れていそうに思われるからであろう。
さらにその特色を言えば、大都会の暮らしの名残と田舎の暮らしのゆっくりした波とがここで落ち合って、ゆるやかにうずを巻いているようにも思われる。
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さらにその特点をいえば、大都会の生活の名残と田舎の生活の余波とがここで落ちあって、緩やかにうずを巻いているようにも思われる。
見たまえ、そこに片目の犬がうずくまっている。
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見たまえ、そこに片眼の犬が蹲っている。
この犬の名前が知れわたっている範囲が、すなわちこの町外れの領分だ。
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この犬の名の通っているかぎりがすなわちこの町外れの領分である。
見たまえ、そこに小さな料理屋がある。
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見たまえ、そこに小さな料理屋がある。
泣くのとも笑うのともわからない声を張り上げてわめく女の影法師(かげぼうし)が障子(しょうじ)に映っている。
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泣くのとも笑うのとも分からぬ声を振立ててわめく女の影法師が障子に映っている。
外は夕闇が迫り、煙の匂いとも土の匂いともわかちがたい香りがよどんでいる。
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外は夕闇がこめて、煙の臭いとも土の臭いともわかちがたき香りが淀んでいる。
大八車(だいはちぐるま)が二台三台と続いて通る。その空の荷車の車輪の音がやかましく起こっては絶え、絶えては起こっている。
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大八車が二台三台と続いて通る、その空車の轍の響が喧しく起こりては絶え、絶えては起こりしている。
見たまえ、鍛冶屋(かじや)の前に二頭の駄馬(だば)が立っているその黒い影の横のほうで、二三人の男が何かをひそひそと話し合っているのを。
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見たまえ、鍛冶工の前に二頭の駄馬が立っているその黒い影の横のほうで二三人の男が何事をかひそひそと話しあっているのを。
蹄鉄(てってい)の真っ赤になったものが鉄の台(かなしき)の上に置かれ、火花が夕闇を破って道の真ん中あたりまで飛んだ。
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鉄蹄の真赤になったのが鉄砧の上に置かれ、火花が夕闇を破って往来の中ほどまで飛んだ。
話していた人々がどっと何かを笑った。
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話していた人々がどっと何事をか笑った。
月が家並みの後ろの高い樫(かし)の梢まで昇ると、向こう片側の家の屋根が白っぽくなってきた。
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月が家並の後ろの高い樫の梢まで昇ると、向う片側の家根が白ろんできた。
カンテラから黒い油煙(ゆえん)が立っている。その間を村の人や町の人が十数人、駆け回ってわめいている。
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かんてらから黒い油煙が立っている、その間を村の者町の者十数人駈け廻わってわめいている。
いろいろな野菜がここかしこに積んで並べてある。
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いろいろの野菜が彼方此方に積んで並べてある。
これが小さな野菜市場(やさいいちば)、小さなせり売り場だ。
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これが小さな野菜市、小さな糶売場である。
日が暮れるとすぐ寝てしまう家があるかと思うと、夜の二時ごろまで店の障子に灯影(ほかげ)を映している家がある。
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日が暮れるとすぐ寝てしまう家があるかと思うと夜の二時ごろまで店の障子に火影を映している家がある。
床屋(とこや)の裏が百姓家(ひゃくしょうや)で、牛のうなる声が往来まで聞こえる。酒屋の隣が納豆売りのおじいさんの住まいで、毎朝早く「納豆、納豆」としゃがれた声で呼びながら都のほうへ向かって出かける。
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理髪所の裏が百姓家で、牛のうなる声が往来まで聞こえる、酒屋の隣家が納豆売の老爺の住家で、毎朝早く納豆納豆と嗄声で呼んで都のほうへ向かって出かける。
夏の短い夜がすぐに明けると、もう荷車が通り始める。
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夏の短夜が間もなく明けると、もう荷車が通りはじめる。
ごろごろがたがたと絶え間がない。
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ごろごろがたがた絶え間がない。
九時十時となると、セミが往来から見える高い梢で鳴き出す。だんだん暑くなる。
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九時十時となると、蝉が往来から見える高い梢で鳴きだす、だんだん暑くなる。
砂ぼこりが馬のひづめと車の車輪にあおられて空中に舞い上がる。
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砂埃が馬の蹄、車の轍に煽られて虚空に舞い上がる。
ハエの群れが往来を横切って家から家へ、馬から馬へと飛んで歩く。
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蝿の群が往来を横ぎって家から家、馬から馬へ飛んであるく。
それでも正午の「どん」(時報の大砲の音)がかすかに聞こえて、どこからともなく都の空のかなたで汽笛の響きがする。
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それでも十二時のどんがかすかに聞こえて、どことなく都の空のかなたで汽笛の響がする。