李陵 現代語訳
中島敦(なかじまあつし)・1968年
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一
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一
漢の武帝の天漢二年、秋九月。騎都尉・李陵は歩兵五千を率い、辺境の砦・遮虜鄣を出発して北へ向かった。
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漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜鄣を発して北へ向かった。
阿爾泰山脈の東南の端が戈壁沙漠に沈み込もうとするあたり、石ばかりでごつごつした丘陵地帯を縫って、北へ進むこと三十日。
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阿爾泰山脈の東南端が戈壁沙漠に没せんとする辺の磽确たる丘陵地帯を縫って北行すること三十日。
北風が軍服を吹き抜けて寒く、いかにも万里の彼方に孤立した軍が来てしまったという思いが深い。
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朔風は戎衣を吹いて寒く、いかにも万里孤軍来たるの感が深い。
沙漠の北、浚稽山の麓まで来て、軍はようやく陣を張った。
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漠北・浚稽山の麓に至って軍はようやく止営した。
すでに敵である匈奴の勢力圏へ、深く踏み込んでいるのである。
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すでに敵匈奴の勢力圏に深く進み入っているのである。
秋とはいっても北の地のこととて、うまごやしも枯れ、楡や川柳の葉ももう落ちつくしている。
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秋とはいっても北地のこととて、苜蓿も枯れ、楡や檉柳の葉ももはや落ちつくしている。
木の葉どころか、木そのものさえ(宿営地のあたりを除いては)容易に見つからないほどで、ただ砂と岩と河原と、水の涸れた川底とがひろがる荒涼とした風景であった。
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木の葉どころか、木そのものさえ(宿営地の近傍を除いては)、容易に見つからないほどの、ただ砂と岩と磧と、水のない河床との荒涼たる風景であった。
見わたすかぎり人家の煙はなく、まれに訪れるものといえば、荒野に水を求めてさまようかもしかぐらいのものである。
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極目人煙を見ず、まれに訪れるものとては曠野に水を求める羚羊ぐらいのものである。
にょっきりと秋空を区切る遠い山の上を、雁の列が高く南へ急ぐのを見ても、しかし、将も兵も誰ひとりとして、甘い望郷の思いに誘われる者はいない。
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突兀と秋空を劃る遠山の上を高く雁の列が南へ急ぐのを見ても、しかし、将卒一同誰一人として甘い懐郷の情などに唆られるものはない。
それほどに、彼らの置かれた位置は危険きわまるものだったのである。
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それほどに、彼らの位置は危険極まるものだったのである。
騎兵を主力とする匈奴に向かって、騎馬の一隊も連れず歩兵ばかりで(馬に乗っているのは、陵とその幕僚数人にすぎなかった)奥地深くへ侵入すること自体、無謀の極みというほかはない。
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騎兵を主力とする匈奴に向かって、一隊の騎馬兵をも連れずに歩兵ばかり(馬に跨がる者は、陵とその幕僚数人にすぎなかった、)で奥地深く侵入することからして、無謀の極みというほかはない。
その歩兵もわずか五千、後詰めの援軍はまったくなく、しかもこの浚稽山は、いちばん近い漢の砦である居延からでも、優に一千五百里(中国の里数)は離れている。
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その歩兵も僅か五千、絶えて後援はなく、しかもこの浚稽山は、最も近い漢塞の居延からでも優に一千五百里(支那里程)は離れている。
統率者である李陵への絶対的な信頼と心服とがなかったなら、とても続けられるような行軍ではなかった。
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統率者李陵への絶対的な信頼と心服とがなかったならとうてい続けられるような行軍ではなかった。
毎年、秋風が立ちはじめると決まって、漢の北の辺境には、胡の馬に鞭を当てた荒々しく素早い侵略者の大部隊が現れる。
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毎年秋風が立ちはじめると決って漢の北辺には、胡馬に鞭うった剽悍な侵略者の大部隊が現われる。
辺境の役人が殺され、住民がさらわれ、家畜が奪われる。
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辺吏が殺され、人民が掠められ、家畜が奪略される。
五原・朔方・雲中・上谷・雁門などが、毎年きまって被害を受ける土地である。
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五原・朔方・雲中・上谷・雁門などが、その例年の被害地である。
大将軍・衛青と嫖騎将軍・霍去病の武略によって、一時は沙漠の南に匈奴の王庭はないとまで言われた元狩から元鼎にかけての数年を除けば、この三十年来、こうした北の辺境の災いは絶えることなく続いていた。
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大将軍衛青・嫖騎将軍霍去病の武略によって一時漠南に王庭なしといわれた元狩以後元鼎へかけての数年を除いては、ここ三十年来欠かすことなくこうした北辺の災いがつづいていた。
霍去病が死んでから十八年、衛青が世を去ってから七年。
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霍去病が死んでから十八年、衛青が歿してから七年。
浞野侯・趙破奴は全軍を率いて敵に降り、光禄勲・徐自為が沙漠の北に築いた砦もたちまち破壊される。
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浞野侯趙破奴は全軍を率いて虜に降り、光禄勲徐自為の朔北に築いた城障もたちまち破壊される。
全軍の信頼をつなぎとめるに足る将帥といえば、先年、大宛を遠征して武名を挙げた弐師将軍・李広利がいるくらいのものであった。
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全軍の信頼を繋ぐに足る将帥としては、わずかに先年大宛を遠征して武名を挙げた弐師将軍李広利があるにすぎない。
その年――天漢二年の夏五月――匈奴の侵略に先立って、弐師将軍が三万騎を率いて酒泉を出た。
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その年――天漢二年夏五月、――匈奴の侵略に先立って、弐師将軍が三万騎に将として酒泉を出た。
しきりに西の辺境をうかがう匈奴の右賢王を、天山で討とうというのである。
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しきりに西辺を窺う匈奴の右賢王を天山に撃とうというのである。
武帝は李陵に命じて、この遠征軍の輜重、つまり物資輸送の任に当たらせようとした。
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武帝は李陵に命じてこの軍旅の輜重のことに当たらせようとした。
未央宮の武台殿に呼び出された李陵は、しかし、なんとかその役目を免じてほしいと必死に願い出た。
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未央宮の武台殿に召見された李陵は、しかし、極力その役を免ぜられんことを請うた。
陵は、飛将軍と呼ばれた名将・李広の孫である。
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陵は、飛将軍と呼ばれた名将李広の孫。
早くから祖父の風格があると言われた騎射の名手で、数年前から騎都尉として西の辺境、酒泉や張掖にあって弓射を教え、兵を鍛えていたのである。
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つとに祖父の風ありといわれた騎射の名手で、数年前から騎都尉として西辺の酒泉・張掖に在って射を教え兵を練っていたのである。
年齢もようやく四十に近い血気盛りとあっては、輜重の役はあまりに情けなかったに違いない。
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年齢もようやく四十に近い血気盛りとあっては、輜重の役はあまりに情けなかったに違いない。
自分が辺境で鍛えている兵はみな荊楚の一騎当千の勇士だから、どうかその一隊を率いて討って出て、側面から匈奴の軍を牽制させてほしい――そう訴える陵の嘆願には、武帝も頷けるところがあった。
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臣が辺境に養うところの兵は皆荊楚の一騎当千の勇士なれば、願わくは彼らの一隊を率いて討って出で、側面から匈奴の軍を牽制したいという陵の嘆願には、武帝も頷くところがあった。
しかし、あちこちへ次々と兵を送り出しているために、あいにく、陵の軍に割いてやれる騎馬の余力がないのである。
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しかし、相つづく諸方への派兵のために、あいにく、陵の軍に割くべき騎馬の余力がないのである。
李陵は、それでも構わないと言った。
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李陵はそれでも構わぬといった。
たしかに無理とは思われたが、輜重の役などに回されるよりは、むしろ自分のために命を惜しまない部下五千とともに危険を冒すほうを選びたかったのである。
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確かに無理とは思われたが、輜重の役などに当てられるよりは、むしろ己のために身命を惜しまぬ部下五千とともに危うきを冒すほうを選びたかったのである。
少ない兵で大軍を撃ちたいという陵の言葉を、派手好きな武帝は大いに喜んで、その願いを聞き入れた。
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臣願わくは少をもって衆を撃たんといった陵の言葉を、派手好きな武帝は大いに欣んで、その願いを容れた。
李陵は西の張掖に戻り、部下の兵をまとめると、すぐに北へ向けて出発した。
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李陵は西、張掖に戻って部下の兵を勒するとすぐに北へ向けて進発した。
当時、居延に駐屯していた彊弩都尉・路博徳が詔を受けて、陵の軍を途中まで迎えに出る。
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当時居延に屯していた彊弩都尉路博徳が詔を受けて、陵の軍を中道まで迎えに出る。
そこまではよかったのだが、そこから先がひどく厄介なことになってきた。
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そこまではよかったのだが、それから先がすこぶる拙いことになってきた。
もともとこの路博徳という男は、古くから霍去病の部下として軍に従い、邳離侯にまで封じられ、ことに十二年前には伏波将軍として十万の兵を率いて南越を滅ぼした老将である。
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元来この路博徳という男は古くから霍去病の部下として軍に従い、邳離侯にまで封ぜられ、ことに十二年前には伏波将軍として十万の兵を率いて南越を滅ぼした老将である。
その後、罪に問われて侯の位を失い、現在の地位にまで落とされて西の辺境を守っている。
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その後、法に坐して侯を失い現在の地位に堕されて西辺を守っている。
年齢からいっても、李陵とは父子ほども違う。
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年齢からいっても、李陵とは父子ほどに違う。
かつては諸侯にまで封じられたその老将が、いまさら若い李陵ごときの後についていくのが、どうにも不愉快だったのである。
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かつては封侯をも得たその老将がいまさら若い李陵ごときの後塵を拝するのがなんとしても不愉快だったのである。
彼は陵の軍を迎えると同時に、都へ使いをやって上奏させた。
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彼は陵の軍を迎えると同時に、都へ使いをやって奏上させた。
いままさに秋で匈奴の馬は肥えており、少ない兵では、騎馬戦を得意とする彼らの鋭い攻撃にはとうてい太刀打ちできない。
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今まさに秋とて匈奴の馬は肥え、寡兵をもってしては、騎馬戦を得意とする彼らの鋭鋒には些か当たりがたい。
だから、李陵とともにここで年を越し、春を待ってから、酒泉・張掖の騎兵をそれぞれ五千ずつ動員して出撃したほうが得策だと信じる――そういう上奏文である。
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それゆえ、李陵とともにここに越年し、春を待ってから、酒泉・張掖の騎各五千をもって出撃したほうが得策と信ずるという上奏文である。
もちろん、李陵はこのことを知らない。
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もちろん、李陵はこのことをしらない。
武帝はこれを見るとひどく怒った。
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武帝はこれを見ると酷く怒った。
李陵が博徳と相談したうえでの上書だと考えたのである。
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李陵が博徳と相談の上での上書と考えたのである。
自分の前ではあれほど大口を叩いておきながら、いまさら辺境に着いた途端に怖じ気づくとは何事か、というのである。
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わが前ではあのとおり広言しておきながら、いまさら辺地に行って急に怯気づくとは何事ぞという。
たちまち使者が都から博徳と陵のもとへ飛んだ。
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たちまち使いが都から博徳と陵の所に飛ぶ。
李陵は少ない兵で大軍を撃つと自分の前で豪語したのだから、お前がこれと協力する必要はない。
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李陵は少をもって衆を撃たんとわが前で広言したゆえ、汝はこれと協力する必要はない。
いま匈奴が西河に侵入したというのなら、お前はすぐに陵を残して西河へ駆けつけ、敵の進路を断て――というのが博徳への詔である。
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今匈奴が西河に侵入したとあれば、汝はさっそく陵を残して西河に馳せつけ敵の道を遮れ、というのが博徳への詔である。
李陵への詔には、ただちに沙漠の北へ至り、東は浚稽山から南は竜勒水のあたりまでを偵察して見張り、もし異状がなければ、浞野侯がかつて通った道をたどって受降城まで行き、兵を休ませよ、とある。
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李陵への詔には、ただちに漠北に至り東は浚稽山から南は竜勒水の辺までを偵察観望し、もし異状なくんば、浞野侯の故道に従って受降城に至って士を休めよとある。
博徳と相談したうえでのあの上書はいったい何事か、という激しい詰問があったことは言うまでもない。
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博徳と相談してのあの上書はいったいなんたることぞ、という烈しい詰問のあったことは言うまでもない。
少ない兵で敵地をうろつくことの危険はさておくとしても、指定されたこの数千里の行程は、騎馬を持たない軍隊にとってはひどく困難なものである。
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寡兵をもって敵地に徘徊することの危険を別としても、なお、指定されたこの数千里の行程は、騎馬を持たぬ軍隊にとってははなはだむずかしいものである。
徒歩だけで進む行軍の速度と、人の力で車を引く輸送力と、冬に向かう胡の地の気候とを考えれば、それは誰の目にも明らかであった。
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徒歩のみによる行軍の速度と、人力による車の牽引力と、冬へかけての胡地の気候とを考えれば、これは誰にも明らかであった。
武帝はけっして凡庸な王ではなかったが、同じく凡庸ではなかった隋の煬帝や始皇帝などと共通した長所と短所とを持っていた。
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武帝はけっして庸王ではなかったが、同じく庸王ではなかった隋の煬帝や始皇帝などと共通した長所と短所とを有っていた。
比類ない寵愛を受けた李夫人の兄である弐師将軍でさえ、兵力不足のためいったん大宛から引き揚げようとして帝の激怒に触れ、玉門関を閉ざされてしまったほどである。
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愛寵比なき李夫人の兄たる弐師将軍にしてからが兵力不足のためいったん、大宛から引揚げようとして帝の逆鱗にふれ、玉門関をとじられてしまった。
その大宛征討にしても、せいぜい良馬がほしいというだけの理由で思い立たれたものであった。
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その大宛征討も、たかだか善馬がほしいからとて思い立たれたものであった。
帝がいったん言い出したら、どんな我儘でも絶対に通されなければならない。
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帝が一度言出したら、どんな我儘でも絶対に通されねばならぬ。
まして、李陵の場合は、もともと自分から願い出た役目でさえある。
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まして、李陵の場合は、もともと自ら乞うた役割でさえある。
(ただ季節と距離とにかなり無理な注文があるだけで)ためらうべき理由はどこにもない。
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(ただ季節と距離とに相当に無理な注文があるだけで)躊躇すべき理由はどこにもない。
彼は、こうして、「騎兵を伴わない北征」
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彼は、かくて、「騎兵を伴わぬ北征」
に出たのであった。
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に出たのであった。
浚稽山の山あいには十日あまり留まった。
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浚稽山の山間には十日余留まった。
その間、毎日のように斥候を遠くまで放って敵の様子を探ったのはもちろん、付近の山や川の地形を余すところなく図に写し取って都へ報告しなければならなかった。
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その間、日ごとに斥候を遠く派して敵状を探ったのはもちろん、附近の山川地形を剰すところなく図に写しとって都へ報告しなければならなかった。
報告書は配下の陳歩楽という者が身につけ、単身で都へ馬を走らせるのである。
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報告書は麾下の陳歩楽という者が身に帯びて、単身都へ馳せるのである。
選ばれた使者は、李陵に一礼してから、十頭に足りない少数の馬の一頭にまたがると、一鞭くれて丘を駆け下りた。
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選ばれた使者は、李陵に一揖してから、十頭に足らぬ少数の馬の中の一匹に打跨ると、一鞭あてて丘を駈下りた。
灰色に乾いた果てしない風景の中に、その姿がしだいに小さくなっていくのを、一軍の将兵はどこか心細い気持ちで見送った。
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灰色に乾いた漠々たる風景の中に、その姿がしだいに小さくなっていくのを、一軍の将士は何か心細い気持で見送った。
十日の間、浚稽山の東西三十里の範囲には、匈奴の兵ひとり見かけなかった。
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十日の間、浚稽山の東西三十里の中には一人の胡兵をも見なかった。
彼らより先に、夏のうちに天山へ出撃した弐師将軍は、いったんは右賢王を破りながら、その帰り道で別の匈奴の大軍に囲まれて惨敗した。
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彼らに先だって夏のうちに天山へと出撃した弐師将軍はいったん右賢王を破りながら、その帰途別の匈奴の大軍に囲まれて惨敗した。
漢の兵は十のうち六、七までが討たれ、将軍自身の身さえ危なかったという。
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漢兵は十に六、七を討たれ、将軍の一身さえ危うかったという。
その噂は彼らの耳にも届いている。
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その噂は彼らの耳にも届いている。
李広利を破ったその敵の主力は、いまどのあたりにいるのか。
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李広利を破ったその敵の主力が今どのあたりにいるのか?
いま、因杅将軍・公孫敖が西河・朔方のあたりで防いでいる(陵と別れた路博徳はその応援に駆けつけて行ったのだが)という敵軍は、距離と時間とを計ってみると、どうも問題のあの敵の主力ではなさそうに思われる。
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今、因杅将軍公孫敖が西河・朔方の辺で禦いでいる(陵と手を分かった路博徳はその応援に馳せつけて行ったのだが)という敵軍は、どうも、距離と時間とを計ってみるに、問題の敵の主力ではなさそうに思われる。
天山から、そんなに早く、東へ四千里も離れた河南(オルドス)の地まで行けるはずがないからである。
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天山から、そんなに早く、東方四千里の河南(オルドス)の地まで行けるはずがないからである。
どう考えても匈奴の主力はいま、陵の軍の宿営地から北の郅居水までの間のどこかに屯していなければ計算が合わない。
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どうしても匈奴の主力は現在、陵の軍の止営地から北方郅居水までの間あたりに屯していなければならない勘定になる。
李陵自身、毎日前方の山の頂に立って四方を眺めるのだが、東から南にかけてはただ果てしなく平らな砂地がひろがり、西から北にかけては樹木の乏しい丘陵状の山々が連なっているばかりで、秋の雲の間にときおり鷹か隼かと思われる鳥の影を見ることはあっても、地上には騎兵ひとつ見あたらないのである。
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李陵自身毎日前山の頂に立って四方を眺めるのだが、東方から南へかけてはただ漠々たる一面の平沙、西から北へかけては樹木に乏しい丘陵性の山々が連なっているばかり、秋雲の間にときとして鷹か隼かと思われる鳥の影を見ることはあっても、地上には一騎の胡兵をも見ないのである。
山峡のまばらな林のはずれに兵車を並べて囲いとし、その中に幕を連ねて張った陣営である。
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山峡の疎林の外れに兵車を並べて囲い、その中に帷幕を連ねた陣営である。
夜になると、気温が急に下がった。
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夜になると、気温が急に下がった。
兵たちは乏しい木々を折り取っては焚いて暖をとった。
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士卒は乏しい木々を折取って焚いては暖をとった。
十日もいるうちに月は消えてしまった。
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十日もいるうちに月はなくなった。
空気が乾いているせいか、星がひどく美しい。
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空気の乾いているせいか、ひどく星が美しい。
黒々とした山影とすれすれのところに、夜ごと、狼星が青白い光の尾を斜めに引いて輝いていた。
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黒々とした山影とすれすれに、夜ごと、狼星が、青白い光芒を斜めに曳いて輝いていた。
十数日を何事もなく過ごしたのち、明日はいよいよここを引き払って、指定された進路を東南へ取ろうと決めた、その晩である。
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十数日事なく過ごしたのち、明日はいよいよここを立退いて、指定された進路を東南へ向かって取ろうと決したその晩である。
ひとりの歩哨が見るともなく、その爛々と光る狼星を見上げていると、突然、その星のすぐ下のあたりに、たいそう大きな赤黄色い星が現れた。
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一人の歩哨が見るともなくこの爛々たる狼星を見上げていると、突然、その星のすぐ下の所にすこぶる大きい赤黄色い星が現われた。
おやと思っているうちに、その見慣れない大きな星が赤く太い尾を引いて動いた。
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オヤと思っているうちに、その見なれぬ巨きな星が赤く太い尾を引いて動いた。
続いて、二つ三つ四つ五つと、同じような光がその周りに現れて、動いた。
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と続いて、二つ三つ四つ五つ、同じような光がその周囲に現われて、動いた。
思わず歩哨が声を上げようとしたとき、それらの遠い灯はふっと一度に消えた。
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思わず歩哨が声を立てようとしたとき、それらの遠くの灯はフッと一時に消えた。
まるでいま見たものが夢だったかのように。
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まるで今見たことが夢だったかのように。
歩哨の報告を受けた李陵は、全軍に命じて、明朝の夜明けとともにただちに戦闘に入れるよう準備を整えさせた。
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歩哨の報告に接した李陵は、全軍に命じて、明朝天明とともにただちに戦闘に入るべき準備を整えさせた。
外に出て一通り各部署を点検し終えると、また幕舎に戻り、雷のようないびきを立てて熟睡した。
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外に出て一応各部署を点検し終わると、ふたたび幕営に入り、雷のごとき鼾声を立てて熟睡した。
翌朝、李陵が目を覚まして外へ出てみると、全軍はすでに昨夜の命令どおりの陣形をとり、静かに敵を待ち構えていた。
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翌朝李陵が目を醒まして外へ出て見ると、全軍はすでに昨夜の命令どおりの陣形をとり、静かに敵を待ち構えていた。
全員が兵車を並べた囲いの外に出て、戟と盾を持つ者が前列に、弓や弩を手にする者が後列に、と配置されているのである。
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全部が、兵車を並べた外側に出、戟と盾とを持った者が前列に、弓弩を手にした者が後列にと配置されているのである。
この谷を挟んだ二つの山は、まだ明け方の暗がりの中でしんと静まり返ってはいるが、あちこちの岩陰に何かが潜んでいるらしい気配が、なんとなく感じられる。
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この谷を挾んだ二つの山はまだ暁暗の中に森閑とはしているが、そこここの巌蔭に何かのひそんでいるらしい気配がなんとなく感じられる。
朝日の光が谷あいに差し込んでくると同時に(匈奴は、単于がまず朝日を拝んだあとでなければ事を起こさないのだろう)、
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朝日の影が谷合にさしこんでくると同時に、(匈奴は、単于がまず朝日を拝したのちでなければ事を発しないのであろう。)
それまで何ひとつ見えなかった両側の山の頂から斜面にかけて、無数の人影が一度に湧き出した。
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今まで何一つ見えなかった両山の頂から斜面にかけて、無数の人影が一時に湧いた。
天地を揺るがすときの声とともに、匈奴の兵が山の下へ殺到した。
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天地を撼がす喊声とともに胡兵は山下に殺到した。
敵の先頭が二十歩の距離まで迫ったとき、それまで息をひそめていた漢の陣営から、はじめて太鼓の音が響く。
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胡兵の先登が二十歩の距離に迫ったとき、それまで鳴りをしずめていた漢の陣営からはじめて鼓声が響く。
たちまち千の弩がいっせいに放たれ、弦の音に応じて数百の匈奴兵がばたばたと倒れた。
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たちまち千弩ともに発し、弦に応じて数百の胡兵はいっせいに倒れた。
間髪を入れず、浮き足立った残りの敵に向かって、漢軍前列の戟を持つ者たちが襲いかかる。
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間髪を入れず、浮足立った残りの胡兵に向かって、漢軍前列の持戟者らが襲いかかる。
匈奴の軍は完全に崩れ、山の上へ逃げ上った。
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匈奴の軍は完全に潰えて、山上へ逃げ上った。
漢軍はこれを追撃して、敵の首を挙げること数千。
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漢軍これを追撃して虜首を挙げること数千。
鮮やかな勝ちっぷりではあったが、執念深い敵がこのまま引き下がることはけっしてない。
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鮮やかな勝ちっぷりではあったが、執念深い敵がこのままで退くことはけっしてない。
今日の敵軍だけでも、優に三万はあっただろう。
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今日の敵軍だけでも優に三万はあったろう。
しかも、山の上になびいていた旗印から見れば、まぎれもなく単于の親衛軍である。
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それに、山上に靡いていた旗印から見れば、紛れもなく単于の親衛軍である。
単于がいるとなれば、八万や十万の後詰めの軍は当然繰り出されてくるものと覚悟しなければならない。
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単于がいるものとすれば、八万や十万の後詰めの軍は当然繰出されるものと覚悟せねばならぬ。
李陵はただちにこの地を撤退して南へ移ることにした。
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李陵は即刻この地を撤退して南へ移ることにした。
それも、ここから東南二千里の受降城へ、という前日までの予定を変え、半月前にたどって来たその同じ道を南へ取って、一日も早くもとの居延の砦(それとて千数百里は離れているのだが)へ入ろうとしたのである。
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それもここから東南二千里の受降城へという前日までの予定を変えて、半月前に辿って来たその同じ道を南へ取って一日も早くもとの居延塞(それとて千数百里離れているが)に入ろうとしたのである。
南へ向かって三日目の昼、漢軍のはるか後方、北の地平線に、雲のように黄色い土煙が上がるのが見えた。
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南行三日めの午、漢軍の後方はるか北の地平線に、雲のごとく黄塵の揚がるのが見られた。
匈奴の騎兵の追撃である。
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匈奴騎兵の追撃である。
翌日にはもう、八万の匈奴兵が騎馬の速さを生かして、漢軍の前後左右を隙間なく取り囲んでしまっていた。
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翌日はすでに八万の胡兵が騎馬の快速を利して、漢軍の前後左右を隙もなく取囲んでしまっていた。
ただし、前日の失敗に懲りたとみえて、至近の距離までは近づいて来ない。
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ただし、前日の失敗に懲りたとみえ、至近の距離にまでは近づいて来ない。
南へ進んでいく漢軍を遠巻きにしながら、馬上から遠矢を射かけるのである。
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南へ行進して行く漢軍を遠巻きにしながら、馬上から遠矢を射かけるのである。
李陵が全軍を止めて戦闘の陣形をとらせれば、敵は馬を駆って遠くへ退き、接近戦を避ける。
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李陵が全軍を停めて、戦闘の体形をとらせれば、敵は馬を駆って遠く退き、搏戦を避ける。
また行軍を始めれば、近づいて来て矢を射かける。
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ふたたび行軍をはじめれば、また近づいて来て矢を射かける。
進む速度が著しく落ちるのはもちろん、死傷者も一日ごとに確実に増えていくのである。
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行進の速度が著しく減ずるのはもとより、死傷者も一日ずつ確実に殖えていくのである。
飢え疲れた旅人のあとをつける荒野の狼のように、匈奴の兵はこの戦法を続けながら執念深く追って来る。
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飢え疲れた旅人の後をつける曠野の狼のように、匈奴の兵はこの戦法を続けつつ執念深く追って来る。
少しずつ傷めつけたあげく、いつかは最後のとどめを刺そうと、その機会をうかがっているのである。
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少しずつ傷つけていった揚句、いつかは最後の止めを刺そうとその機会を窺っているのである。
戦いながら退きながら、さらに数日南へ進んで、ある山あいの谷で漢軍は一日の休養をとった。
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かつ戦い、かつ退きつつ南行することさらに数日、ある山谷の中で漢軍は一日の休養をとった。
負傷者もすでにかなりの数に上っている。
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負傷者もすでにかなりの数に上っている。
李陵は全員を点呼して被害の状況を調べたのち、傷が一か所だけの者にはふだんどおり武器を取って戦わせ、二か所傷を負った者にもなお兵車を押すのを手伝わせ、三か所に及んではじめて車に乗せて運ぶことに決めた。
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李陵は全員を点呼して、被害状況を調べたのち、傷の一か所にすぎぬ者には平生どおり兵器を執って闘わしめ、両創を蒙る者にもなお兵車を助け推さしめ、三創にしてはじめて輦に乗せて扶け運ぶことに決めた。
輸送力が足りないため、遺体はすべて荒野に置き去りにするほかはなかったのである。
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輸送力の欠乏から屍体はすべて曠野に遺棄するほかはなかったのである。
この夜、陣中を見回っていたとき、李陵はたまたまある輸送車の中に、男の服を着た女がいるのを見つけた。
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この夜、陣中視察のとき、李陵はたまたまある輜重車中に男の服を纏うた女を発見した。
全軍の車をひとつひとつ調べたところ、同じように隠れていた十数人の女が見つかった。
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全軍の車輛について一々調べたところ、同様にしてひそんでいた十数人の女が捜し出された。
かつて関東の盗賊団が一度に処刑されたとき、その妻子たちは追われて西の辺境へ移り住んだ。
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往年関東の群盗が一時に戮に遇ったとき、その妻子等が逐われて西辺に遷り住んだ。
そうした未亡人のうちには、衣食に困ったあげく辺境守備兵の妻となり、あるいは彼らを客とする娼婦になり果てた者が少なくない。
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それら寡婦のうち衣食に窮するままに、辺境守備兵の妻となり、あるいは彼らを華客とする娼婦となり果てた者が少なくない。
兵車の中に隠れて、はるばる沙漠の北までついて来たのは、そういう者たちである。
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兵車中に隠れてはるばる漠北まで従い来たったのは、そういう連中である。
李陵は軍の役人に、女たちを斬るよう短く命じた。
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李陵は軍吏に女らを斬るべくカンタンに命じた。
彼女らを連れて来た兵たちについては、ひと言も触れなかった。
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彼女らを伴い来たった士卒については一言のふれるところもない。
谷間のくぼ地に引き出された女たちの甲高い泣き叫ぶ声がしばらく続いたあと、突然それが夜の静けさに呑まれたようにふっと消えていくのを、幕舎の中の将兵一同は、身の引き締まる思いで聞いた。
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澗間の凹地に引出された女どもの疳高い号泣がしばらくつづいた後、突然それが夜の沈黙に呑まれたようにフッと消えていくのを、軍幕の中の将士一同は粛然たる思いで聞いた。
翌朝、久しぶりに間近まで攻め寄せて来た敵を迎え、漢の全軍は思いきり気持ちよく戦った。
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翌朝、久しぶりで肉薄来襲した敵を迎えて漢の全軍は思いきり快戦した。
敵が残していった遺体は三千あまり。
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敵の遺棄屍体三千余。
連日の執拗なゲリラ戦術に長く苛立ち、押さえつけられていた士気が、にわかに奮い立った形である。
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連日の執拗なゲリラ戦術に久しくいらだち屈していた士気が俄かに奮い立った形である。
次の日からまた、もとの竜城への道をたどって、南へ退く行軍が始まる。
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次の日からまた、もとの竜城の道に循って、南方への退行が始まる。
匈奴はまたしても、元の遠巻きの戦法に戻った。
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匈奴はまたしても、元の遠巻き戦術に還った。
五日目、漢軍は、平らな砂地の中にときおり見つかる沼沢地の一つに踏み込んだ。
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五日め、漢軍は、平沙の中にときに見出される沼沢地の一つに踏入った。
水は半ば凍り、ぬかるみはすねが沈むほどの深さで、行っても行っても果てしない枯れ葦の原が続く。
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水は半ば凍り、泥濘も脛を没する深さで、行けども行けども果てしない枯葦原が続く。
風上に回り込んだ匈奴の一隊が火を放った。
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風上に廻った匈奴の一隊が火を放った。
北風は炎をあおり、真昼の空の下で白っぽく輝きを失った火が、すさまじい速さで漢軍に迫る。
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朔風は焔を煽り、真昼の空の下に白っぽく輝きを失った火は、すさまじい速さで漢軍に迫る。
李陵はすぐに近くの葦に迎え火を放たせ、かろうじてこれを防いだ。
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李陵はすぐに附近の葦に迎え火を放たしめて、かろうじてこれを防いだ。
火は防いだものの、じめじめした低湿地を車で行く困難は、言葉に尽くせないほどだった。
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火は防いだが、沮洳地の車行の困難は言語に絶した。
休める場所もないままひと晩じゅうぬかるみの中を歩き通し、翌朝ようやく丘陵地にたどり着いたその途端、先回りして待ち伏せていた敵の主力の襲撃に遭った。
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休息の地のないままに一夜泥濘の中を歩き通したのち、翌朝ようやく丘陵地に辿りついたとたんに、先廻りして待伏せていた敵の主力の襲撃に遭った。
人も馬も入り乱れての白兵戦である。
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人馬入乱れての搏兵戦である。
騎馬隊の激しい突撃を避けるため、李陵は車を捨て、山裾のまばらな林の中へ戦いの場所を移した。
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騎馬隊の烈しい突撃を避けるため、李陵は車を棄てて、山麓の疎林の中に戦闘の場所を移し入れた。
林の間からの猛射はたいそう効き目があった。
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林間からの猛射はすこぶる効を奏した。
たまたま陣頭に姿を現した単于とその親衛隊に向かって、いっせいに連弩を放って乱射したとき、単于の白馬は前脚を高く上げて棒立ちになり、青い上着をまとった匈奴の王はたちまち地面に投げ出された。
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たまたま陣頭に姿を現わした単于とその親衛隊とに向かって、一時に連弩を発して乱射したとき、単于の白馬は前脚を高くあげて棒立ちとなり、青袍をまとった胡主はたちまち地上に投出された。
親衛隊の二騎が馬から下りもせず、左右からさっと単于をすくい上げると、全隊がすぐさまこれを真ん中に囲んで、素早く退いて行った。
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親衛隊の二騎が馬から下りもせず、左右からさっと単于を掬い上げると、全隊がたちまちこれを中に囲んですばやく退いて行った。
数時間の乱闘の末、ようやく執拗な敵を撃退できたが、たしかにこれまでにない苦しい戦いであった。
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乱闘数刻ののちようやく執拗な敵を撃退しえたが、確かに今までにない難戦であった。
敵が残した遺体はまたしても数千を数えたが、漢軍も千に近い戦死者を出したのである。
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遺された敵の屍体はまたしても数千を算したが、漢軍も千に近い戦死者を出したのである。
この日捕らえた匈奴の捕虜の口から、敵軍の内情の一端を知ることができた。
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この日捕えた胡虜の口から、敵軍の事情の一端を知ることができた。
それによれば、単于は漢兵の手強さに驚き、自分の二十分の一しかない小勢が大軍を恐れもせず日ごとに南下して誘い出すように見えるのは、あるいはどこか近くに伏兵がいて、それを当てにしているのではないかと疑っているらしい。
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それによれば、単于は漢兵の手強さに驚嘆し、己に二十倍する大軍をも怯れず日に日に南下して我を誘うかに見えるのは、あるいはどこか近くに、伏兵があって、それを恃んでいるのではないかと疑っているらしい。
前夜、単于がその疑いを幹部の諸将に打ち明けて相談したところ、結局、そういう疑いもたしかにありうるが、ともかく単于みずから数万騎を率いていながら漢の小勢を滅ぼせないとあっては我々の面目に関わる、という主戦論が通り、ここから南へ四、五十里は山谷が続くのでその間に力の限り猛攻し、そのうえで平地に出て一戦してもなお破れないとなったときに、はじめて兵を北へ引き返そう、と決まったという。
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前夜その疑いを単于が幹部の諸将に洩らして事を計ったところ、結局、そういう疑いも確かにありうるが、ともかくも、単于自ら数万騎を率いて漢の寡勢を滅しえぬとあっては、我々の面目に係わるという主戦論が勝ちを制し、これより南四、五十里は山谷がつづくがその間力戦猛攻し、さて平地に出て一戦してもなお破りえないとなったそのときはじめて兵を北に還そうということに決まったという。
これを聞いて、校尉・韓延年をはじめ漢軍の幕僚たちの頭に、もしかしたら助かるかもしれないぞという希望のようなものが、かすかに湧いた。
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これを聞いて、校尉韓延年以下漢軍の幕僚たちの頭に、あるいは助かるかもしれぬぞという希望のようなものが微かに湧いた。
翌日からの匈奴軍の攻撃は猛烈を極めた。
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翌日からの胡軍の攻撃は猛烈を極めた。
捕虜の言葉にあった最後の猛攻というのを始めたのだろう。
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捕虜の言の中にあった最後の猛攻というのを始めたのであろう。
襲撃は一日に十数回も繰り返された。
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襲撃は一日に十数回繰返された。
手厳しい反撃を加えながら、漢軍は少しずつ南へ移っていく。
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手厳しい反撃を加えつつ漢軍は徐々に南に移って行く。
三日経つと平地に出た。
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三日経つと平地に出た。
平地の戦いになると倍加する騎馬隊の威力にものを言わせ、匈奴たちはがむしゃらに漢軍を圧倒しようとかかったが、結局またしても二千の遺体を残して退いた。
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平地戦になると倍加される騎馬隊の威力にものを言わせ匈奴らは遮二無二漢軍を圧倒しようとかかったが、結局またも二千の屍体を遺して退いた。
捕虜の言葉が嘘でなければ、これで匈奴の軍は追撃を打ち切るはずである。
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捕虜の言が偽りでなければ、これで胡軍は追撃を打切るはずである。
たかが一兵卒の言ったことだから、それほど信用できるとは思わなかったが、それでも幕僚一同がいくらかほっとしたことは否めなかった。
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たかが一兵卒の言った言葉ゆえ、それほど信頼できるとは思わなかったが、それでも幕僚一同些かホッとしたことは争えなかった。
その晩、漢の軍侯である管敢という者が陣を抜け出し、匈奴の軍へ逃げ降った。
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その晩、漢の軍侯、管敢という者が陣を脱して匈奴の軍に亡げ降った。
かつて長安の町の不良少年だった男だが、前の晩、偵察の手抜かりについて校尉・成安侯の韓延年に人前で罵倒され、鞭打たれた。
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かつて長安都下の悪少年だった男だが、前夜斥候上の手抜かりについて校尉・成安侯韓延年のために衆人の前で面罵され、笞打たれた。
それを恨みに思ってこの挙に出たのである。
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それを含んでこの挙に出たのである。
先日、谷間で斬られた女たちのひとりが彼の妻だったとも言う。
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先日渓間で斬に遭った女どもの一人が彼の妻だったとも言う。
管敢は、匈奴の捕虜が白状した内容を知っていた。
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管敢は匈奴の捕虜の自供した言葉を知っていた。
だから、匈奴の陣へ逃げ込んで単于の前に引き出されるやいなや、伏兵を恐れて引き揚げる必要などないことを力説した。
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それゆえ、胡陣に亡げて単于の前に引出されるや、伏兵を懼れて引上げる必要のないことを力説した。
曰く、漢軍には後詰めの援軍がない。
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言う、漢軍には後援がない。
矢もほとんど尽きかけている。
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矢もほとんど尽きようとしている。
負傷者も次々に出て、行軍はきわめて難儀している。
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負傷者も続出して行軍は難渋を極めている。
漢軍の中核をなすのは李将軍と成安侯・韓延年が率いる各八百人だが、それぞれ黄と白の旗を目印にしているから、明日、匈奴の騎兵の精鋭にそこへ攻撃を集中させて破ってしまえば、あとは容易に崩れるだろう、云々。
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漢軍の中心をなすものは、李将軍および成安侯韓延年の率いる各八百人だが、それぞれ黄と白との幟をもって印としているゆえ、明日胡騎の精鋭をしてそこに攻撃を集中せしめてこれを破ったなら、他は容易に潰滅するであろう、云々。
単于は大いに喜んで管敢を手厚くもてなし、ただちに北へ引き揚げる命令を取り消した。
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単于は大いに喜んで厚く敢を遇し、ただちに北方への引上げ命令を取消した。
翌日、李陵、韓延年、早く降れと叫び立てながら、匈奴軍の最精鋭が黄と白の旗を目がけて襲いかかった。
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翌日、李陵韓延年速かに降れと疾呼しつつ、胡軍の最精鋭は、黄白の幟を目ざして襲いかかった。
その勢いに押され、漢軍はしだいに平地から西の山地へと追いやられていく。
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その勢いに漢軍は、しだいに平地から西方の山地へと押されて行く。
ついには本道からはるかに離れた山あいの谷へ追い込まれてしまった。
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ついに本道から遙かに離れた山谷の間に追込まれてしまった。
四方の山の上から、敵は矢を雨のように降らせた。
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四方の山上から敵は矢を雨のごとくに注いだ。
それに応戦しようにも、いまや矢は完全に尽きてしまった。
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それに応戦しようにも、今や矢が完全に尽きてしまった。
遮虜鄣を出るときに一人あたり百本ずつ携えた五十万本の矢が、すべて射尽くされたのである。
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遮虜鄣を出るとき各人が百本ずつ携えた五十万本の矢がことごとく射尽くされたのである。
矢ばかりではない。
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矢ばかりではない。
全軍の刀や槍、矛や戟のたぐいも、半分は折れたり欠けたりしてしまった。
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全軍の刀槍矛戟の類も半ばは折れ欠けてしまった。
文字どおり刀折れ矢尽きたのである。
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文字どおり刀折れ矢尽きたのである。
それでも、戟を失った者は車の輻を切り取ってこれを持ち、軍の役人は短い刀を手にして防ぎ戦った。
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それでも、戟を失ったものは車輻を斬ってこれを持ち、軍吏は尺刀を手にして防戦した。
谷は奥へ進むにつれて、いよいよ狭くなる。
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谷は奥へ進むに従っていよいよ狭くなる。
匈奴の兵はあちこちの崖の上から大石を投げ落としはじめた。
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胡卒は諸所の崖の上から大石を投下しはじめた。
矢よりもこのほうが確実に漢軍の死傷者を増やした。
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矢よりもこのほうが確実に漢軍の死傷者を増加させた。
遺体と積み重なった石とで、もはや前進も不可能になった。
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死屍と纍石とでもはや前進も不可能になった。
その夜、李陵は袖の細い短い上着の軽装に着替え、誰もついて来るなと禁じて、ひとり幕舎の外へ出た。
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その夜、李陵は小袖短衣の便衣を着け、誰もついて来るなと禁じて独り幕営の外に出た。
月が山の切れ目から顔を出し、谷間にうずたかく積もった屍を照らした。
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月が山の峡から覗いて谷間に堆い屍を照らした。
浚稽山の陣を引き払うときには夜が暗かったのに、またも月が明るくなりはじめたのである。
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浚稽山の陣を撤するときは夜が暗かったのに、またも月が明るくなりはじめたのである。
月の光と一面に降りた霜とで、片側の丘の斜面は水に濡れたように見えた。
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月光と満地の霜とで片岡の斜面は水に濡れたように見えた。
幕舎に残った将兵は、李陵の身なりからして、彼がひとりで敵陣をうかがい、あわよくば単于と刺し違えるつもりでいるに違いないと察した。
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幕営の中に残った将士は、李陵の服装からして、彼が単身敵陣を窺ってあわよくば単于と刺違える所存に違いないことを察した。
李陵はなかなか戻って来なかった。
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李陵はなかなか戻って来なかった。
彼らは息をひそめて、しばらく外の様子をうかがった。
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彼らは息をひそめてしばらく外の様子を窺った。
遠く山の上の敵の陣から、胡の笛の音が響いてくる。
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遠く山上の敵塁から胡笳の声が響く。
かなり長くたってから、音もなく垂れ幕を上げて、李陵が幕舎の中に入って来た。
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かなり久しくたってから、音もなく帷をかかげて李陵が幕の内にはいって来た。
だめだ。
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だめだ。
と、ひと言吐き出すように言うと、腰かけに腰を下ろした。
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と一言吐き出すように言うと、踞牀に腰を下した。
全軍が斬り死にするほか道はないようだな、と、またしばらくしてから、誰に向かってともなく言った。
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全軍斬死のほか、途はないようだなと、またしばらくしてから、誰に向かってともなく言った。
居合わせた者は誰ひとり口を開かない。
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満座口を開く者はない。
しばらくして軍の役人のひとりが口を切り、先年、浞野侯・趙破奴が匈奴に生け捕られ、数年後に漢へ逃げ帰ったときも、武帝はこれを罰しなかったという話をした。
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ややあって軍吏の一人が口を切り、先年浞野侯趙破奴が胡軍のために生擒られ、数年後に漢に亡げ帰ったときも、武帝はこれを罰しなかったことを語った。
この例から考えても、少ない兵でこれほどまでに匈奴を震え上がらせた李陵であってみれば、たとえ都へ逃げ帰ったとしても、天子はしかるべく遇してくださるだろう、というのである。
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この例から考えても、寡兵をもって、かくまで匈奴を震駭させた李陵であってみれば、たとえ都へのがれ帰っても、天子はこれを遇する途を知りたもうであろうというのである。
李陵はそれを遮って言う。
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李陵はそれを遮って言う。
自分ひとりのことはひとまず措くとして、とにかく、いま数十本の矢でもあれば一応は包囲を抜け出すこともできようが、一本の矢もないこの有様では、明日の夜明けには全軍がただ座して縛につくばかりだ。
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陵一個のことはしばらく措け、とにかく、今数十矢もあれば一応は囲みを脱出することもできようが、一本の矢もないこの有様では、明日の天明には全軍が坐して縛を受けるばかり。
ただ、今夜のうちに囲みを突き破って外へ出、それぞれ鳥や獣のように散り散りに走ったなら、その中には辺境の砦までたどり着いて、天子に戦況を報告できる者もいるかもしれない。
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ただ、今夜のうちに囲みを突いて外に出、各自鳥獣と散じて走ったならば、その中にはあるいは辺塞に辿りついて、天子に軍状を報告しうる者もあるかもしれぬ。
思うに、いまいる場所は鞮汗山の北の山地に違いなく、居延まではまだ数日の道のりだから、うまくいくかどうかは心もとないが、ともかく今となっては、そのほかに残された道はないではないか。
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案ずるに現在の地点は鞮汗山北方の山地に違いなく、居延まではなお数日の行程ゆえ、成否のほどはおぼつかないが、ともかく今となっては、そのほかに残された途はないではないか。
諸将や幕僚もこれに頷いた。
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諸将僚もこれに頷いた。
全軍の将兵にそれぞれ二升の干し飯と一個の氷のかけらが配られ、なりふり構わず遮虜鄣に向かって走れという指示が言い含められた。
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全軍の将卒に各二升の糒と一個の冰片とが頒たれ、遮二無二、遮虜鄣に向かって走るべき旨がふくめられた。
一方で、漢の陣の旗印はすべて倒して切り刻み、地中に埋めたうえ、武器や兵車など敵に利用されるおそれのあるものも、みな打ち壊した。
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さて、一方、ことごとく漢陣の旌旗を倒しこれを斬って地中に埋めたのち、武器兵車等の敵に利用されうる惧れのあるものも皆打毀した。
夜半、太鼓を打って兵を起こした。
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夜半、鼓して兵を起こした。
軍太鼓の音も痛ましいほどに響かない。
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軍鼓の音も惨として響かぬ。
李陵は韓校尉とともに馬にまたがり、屈強な者十数人を従えて先頭に立った。
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李陵は韓校尉とともに馬に跨がり壮士十余人を従えて先登に立った。
この日追い込まれた峡谷の東の出口を破って平地に出、そこから南へ向けて走ろうというのである。
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この日追い込まれた峡谷の東の口を破って平地に出、それから南へ向けて走ろうというのである。
早く出た月は、もう沈んでいた。
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早い月はすでに落ちた。
匈奴の不意を突いて、ともかく全軍の三分の二は予定どおり峡谷の裏口を突破した。
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胡虜の不意を衝いて、ともかくも全軍の三分の二は予定どおり峡谷の裏口を突破した。
しかしすぐに敵の騎馬兵の追撃を受けた。
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しかしすぐに敵の騎馬兵の追撃に遭った。
徒歩の兵は大部分が討たれるか捕らえられるかしたようだったが、混戦に乗じて敵の馬を奪った数十人は、その馬に鞭を当てて南へ走った。
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徒歩の兵は大部分討たれあるいは捕えられたようだったが、混戦に乗じて敵の馬を奪った数十人は、その胡馬に鞭うって南方へ走った。
敵の追撃を振り切って、夜目にもぼうっと白く見える砂地の上を逃げ去った部下の数を数え、たしかに百を超えることを確かめると、李陵はまた峡谷の入口の修羅場へ引き返した。
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敵の追撃をふり切って夜目にもぼっと白い平沙の上を、のがれ去った部下の数を数えて、確かに百に余ることを確かめうると、李陵はまた峡谷の入口の修羅場にとって返した。
身にはいくつも傷を負い、自分の血と返り血とで、軍服は重く濡れていた。
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身には数創を帯び、自らの血と返り血とで、戎衣は重く濡れていた。
並んで戦っていた韓延年は、すでに討たれて戦死していた。
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彼と並んでいた韓延年はすでに討たれて戦死していた。
配下を失い、全軍を失って、もはや天子にまみえる顔はない。
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麾下を失い全軍を失って、もはや天子に見ゆべき面目はない。
彼は戟を握り直すと、ふたたび乱戦の中へ駆け込んだ。
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彼は戟を取直すと、ふたたび乱軍の中に駈入った。
暗がりの中で敵味方の区別もつかないほどの乱闘のうちに、李陵の馬が流れ矢に当たったとみえて、がっくりと前にのめった。
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暗い中で敵味方も分らぬほどの乱闘のうちに、李陵の馬が流矢に当たったとみえてガックリ前にのめった。
それとどちらが早かったか、目の前の敵を突こうと矛を引いた李陵は、突然、背後から重い一撃を後頭部に食らって気を失った。
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それとどちらが早かったか、前なる敵を突こうと戈を引いた李陵は、突然背後から重量のある打撃を後頭部に喰って失神した。
馬から転げ落ちた彼の上に、生け捕ろうと身構えていた匈奴の兵たちが幾重にも折り重なって、飛びかかった。
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馬から顛落した彼の上に、生擒ろうと構えた胡兵どもが十重二十重とおり重なって、とびかかった。
二
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二
九月に北へ向かった五千の漢軍は、十一月に入って、疲れ傷つき将を失った四百足らずの敗残兵となって、辺境の砦へたどり着いた。
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九月に北へ立った五千の漢軍は、十一月にはいって、疲れ傷ついて将を失った四百足らずの敗兵となって辺塞に辿りついた。
敗戦の報せは、ただちに宿駅の早馬によって長安の都へ届いた。
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敗報はただちに駅伝をもって長安の都に達した。
武帝は、思いのほか腹を立てなかった。
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武帝は思いのほか腹を立てなかった。
本隊である李広利の大軍でさえ惨敗しているのに、一支隊にすぎない李陵の小勢に大した期待がもてる道理もなかったからである。
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本軍たる李広利の大軍さえ惨敗しているのに、一支隊たる李陵の寡軍にたいした期待のもてよう道理がなかったから。
それに彼は、李陵はきっと戦死しているに違いないとも思っていたのである。
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それに彼は、李陵が必ずや戦死しているに違いないとも思っていたのである。
ただ、先ごろ李陵の使者として沙漠の北から「戦線に異状なし、士気はきわめて旺盛」
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ただ、先ごろ李陵の使いとして漠北から「戦線異状なし、士気すこぶる旺盛」
という報せを持ち帰った陳歩楽だけは(彼は吉報の使者として褒められ、郎の職を与えられてそのまま都にとどまっていた)、成り行き上どうしても自殺しなければならなかった。
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の報をもたらした陳歩楽だけは(彼は吉報の使者として嘉せられ郎となってそのまま都に留まっていた)成行上どうしても自殺しなければならなかった。
哀れではあったが、これはやむを得ない。
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哀れではあったが、これはやむを得ない。
翌年、天漢三年の春になって、李陵は戦死したのではない、
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翌、天漢三年の春になって、李陵は戦死したのではない。
捕らえられて敵に降ったのだ、という確かな報せが届いた。
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捕えられて虜に降ったのだという確報が届いた。
武帝は、そこではじめて激怒した。
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武帝ははじめて嚇怒した。
即位して四十年あまり。
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即位後四十余年。
帝はすでに六十に近かったが、気性の激しさは若いころを上回っている。
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帝はすでに六十に近かったが、気象の烈しさは壮時に超えている。
神仙の説を好み、方士や巫女のたぐいを信じた彼は、それまでにも、絶対に信じきっていた方士たちに何度か欺かれていた。
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神仙の説を好み方士巫覡の類を信じた彼は、それまでに己の絶対に尊信する方士どもに幾度か欺かれていた。
漢の勢いの絶頂にあって五十年あまりも君臨したこの大皇帝は、中年を過ぎてからずっと、霊魂の世界への不安な関心に執拗につきまとわれていた。
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漢の勢威の絶頂に当たって五十余年の間君臨したこの大皇帝は、その中年以後ずっと、霊魂の世界への不安な関心に執拗につきまとわれていた。
それだけに、その方面での失望は彼にとって大きな打撃となった。
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それだけに、その方面での失望は彼にとって大きな打撃となった。
こうした打撃は、生まれつき度量の大きかった彼の心に、年を経るごとに、臣下への暗い疑いを植えつけていった。
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こうした打撃は、生来闊達だった彼の心に、年とともに群臣への暗い猜疑を植えつけていった。
李蔡、青霍、趙周と、丞相の位にある者が次々に死罪に処せられた。
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李蔡・青霍・趙周と、丞相たる者は相ついで死罪に行なわれた。
現在の丞相である公孫賀などは、任命を受けたとき、自分の行く末を恐れて帝の前で人目もはばからず泣き出したほどである。
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現在の丞相たる公孫賀のごとき、命を拝したときに己が運命を恐れて帝の前で手離しで泣出したほどである。
硬骨漢の汲黯が退いたあとは、帝を取り巻くのは、へつらう臣か、むごい役人かのどちらかであった。
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硬骨漢汲黯が退いた後は、帝を取巻くものは、佞臣にあらずんば酷吏であった。
さて、武帝は重臣たちを呼び集めて、李陵の処置について相談した。
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さて、武帝は諸重臣を召して李陵の処置について計った。
李陵の身は都にはないが、その罪が決まることによって、彼の妻子や一族、家財などの処分が行われるのである。
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李陵の身体は都にはないが、その罪の決定によって、彼の妻子眷属家財などの処分が行なわれるのである。
むごい役人として名の通ったある廷尉は、いつも帝の顔色をうかがい、合法を装って法を曲げ、帝の意向に合わせることが巧みであった。
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酷吏として聞こえた一廷尉が常に帝の顔色を窺い合法的に法を枉げて帝の意を迎えることに巧みであった。
ある人が法の権威を説いてこれをなじったところ、彼はこう答えた。
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ある人が法の権威を説いてこれを詰ったところ、これに答えていう。
前の君主が正しいとしたことがそのまま律となり、あとの君主が正しいとしたことがそのまま令となる。
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前主の是とするところこれが律となり、後主の是とするところこれが令となる。
その時々の君主の意向のほかに、いったい何の法があるものか、と。
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当時の君主の意のほかになんの法があろうぞと。
臣下はみな、この廷尉と同類であった。
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群臣皆この廷尉の類であった。
丞相・公孫賀、御史大夫・杜周、太常・趙弟以下、誰ひとりとして、帝の激しい怒りを買ってまで陵のために弁護しようとする者はいない。
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丞相公孫賀、御史大夫杜周、太常、趙弟以下、誰一人として、帝の震怒を犯してまで陵のために弁じようとする者はない。
彼らは口を極めて李陵の売国的な行いを罵る。
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口を極めて彼らは李陵の売国的行為を罵る。
陵のような変節漢と肩を並べて朝廷に仕えていたかと思うと、いまさらながら恥ずかしい、とまで言い出した。
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陵のごとき変節漢と肩を比べて朝に仕えていたことを思うといまさらながら愧ずかしいと言出した。
ふだんの陵の振る舞いは、ひとつひとつ、すべて怪しかったということで意見が一致した。
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平生の陵の行為の一つ一つがすべて疑わしかったことに意見が一致した。
陵の従弟にあたる李敢が太子の寵愛を頼みにして驕り高ぶっていることまでが、陵を誹謗する材料になった。
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陵の従弟に当たる李敢が太子の寵を頼んで驕恣であることまでが、陵への誹謗の種子になった。
口を閉ざして意見を言わない者が、結局は陵に対していちばん好意を持っている者だったが、それも数えるほどしかいない。
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口を緘して意見を洩らさぬ者が、結局陵に対して最大の好意を有つものだったが、それも数えるほどしかいない。
ただひとり、苦々しい顔をしてこれらを見守っている男がいた。
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ただ一人、苦々しい顔をしてこれらを見守っている男がいた。
いま口を極めて李陵を陥れようとしているのは、数か月前、李陵が都を発つときに杯を挙げてその門出を祝った連中ではなかったか。
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今口を極めて李陵を讒誣しているのは、数か月前李陵が都を辞するときに盃をあげて、その行を壮んにした連中ではなかったか。
沙漠の北から使者が来て李陵の軍の健在を伝えたとき、さすがは名将・李広の孫だと、その孤軍奮闘を讃えたのも、また同じ連中ではないのか。
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漠北からの使者が来て李陵の軍の健在を伝えたとき、さすがは名将李広の孫と李陵の孤軍奮闘を讃えたのもまた同じ連中ではないのか。
平然と過去を忘れたふりのできる高官たちも、彼らのへつらいを見抜くだけの聡明さを持ちながら、なお真実に耳を傾けるのを嫌う君主も、この男には不思議に思われた。
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恬として既往を忘れたふりのできる顕官連や、彼らの諂諛を見破るほどに聡明ではありながらなお真実に耳を傾けることを嫌う君主が、この男には不思議に思われた。
いや、不思議ではない。
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いや、不思議ではない。
人間がそういうものだということは昔から嫌になるほど知ってはいるのだが、それにしても不愉快であることに変わりはないのである。
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人間がそういうものとは昔からいやになるほど知ってはいるのだが、それにしてもその不愉快さに変わりはないのである。
下大夫のひとりとして朝廷に列していたため、彼もまた意見を求められた。
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下大夫の一人として朝につらなっていたために彼もまた下問を受けた。
そのとき、この男ははっきりと李陵を褒め上げた。
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そのとき、この男はハッキリと李陵を褒め上げた。
こう言った。
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言う。
陵のふだんの姿を見れば、親に仕えては孝行、士と交わっては誠実、常に奮い立って我が身を顧みず国家の危急に命を捧げようとする、まことに国士の風格があると言うべきで、いま不幸にして一度事が破れただけなのに、我が身を守り妻子を保つことばかりを念願とする君側のへつらい者どもが、この一度の失敗を取り上げて大げさに歪め、陛下の聡明さを覆い隠そうとしているのは、遺憾このうえもない。
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陵の平生を見るに、親に事えて孝、士と交わって信、常に奮って身を顧みずもって国家の急に殉ずるは誠に国士のふうありというべく、今不幸にして事一度破れたが、身を全うし妻子を保んずることをのみただ念願とする君側の佞人ばらが、この陵の一失を取上げてこれを誇大歪曲しもって上の聡明を蔽おうとしているのは、遺憾この上もない。
そもそも陵の今回の戦いは、五千にも満たない歩兵を率いて敵地深く入り込み、匈奴の数万の軍を右往左往させて疲れさせ、千里を転戦し、矢が尽き道が絶たれるに至ってもなお、全軍が矢のない弩を引き絞り、白刃を恐れずに死力を尽くして戦っている。
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そもそも陵の今回の軍たる、五千にも満たぬ歩卒を率いて深く敵地に入り、匈奴数万の師を奔命に疲れしめ、転戦千里、矢尽き道窮まるに至るもなお全軍空弩を張り、白刃を冒して死闘している。
部下の心をつかんで死力を尽くさせたことは、昔の名将といえどもこれ以上ではあるまい。
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部下の心を得てこれに死力を尽くさしむること、古の名将といえどもこれには過ぎまい。
軍は敗れたとはいえ、その善戦ぶりは、まさに天下に顕彰するに足るものである。
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軍敗れたりとはいえ、その善戦のあとはまさに天下に顕彰するに足る。
思うに、彼が死なずに敵に降ったというのも、ひそかにあの地にとどまって何か漢のために報いようと期してのことではあるまいか。……
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思うに、彼が死せずして虜に降ったというのも、ひそかにかの地にあって何事か漢に報いんと期してのことではあるまいか。……
居並ぶ臣下たちは驚いた。
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並いる群臣は驚いた。
こんなことを言える男が世にいるとは思ってもみなかったからである。
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こんなことのいえる男が世にいようとは考えなかったからである。
彼らは、こめかみを震わせた武帝の顔を恐る恐る見上げた。
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彼らはこめかみを顫わせた武帝の顔を恐る恐る見上げた。
それから、自分たちをあえて我が身を全うし妻子を保つだけの臣と呼んだこの男を待ち受けているものが何かを考えて、にやりとするのである。
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それから、自分らをあえて全躯保妻子の臣と呼んだこの男を待つものが何であるかを考えて、ニヤリとするのである。
向こう見ずなその男――太史令・司馬遷が帝の前を退くと、すぐに、「我が身を全うし妻子を保つだけの臣」
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向こう見ずなその男――太史令・司馬遷が君前を退くと、すぐに、「全躯保妻子の臣」
のひとりが、遷と李陵との親しい関係について武帝の耳に入れた。
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の一人が、遷と李陵との親しい関係について武帝の耳に入れた。
太史令にはわけあって弐師将軍との間に確執があり、遷が陵を褒めるのは、それによって、このたび陵より先に出撃しながら手柄のなかった弐師将軍を陥れるためだ、と言い出す者まで出てきた。
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太史令は故あって弐師将軍と隙あり、遷が陵を褒めるのは、それによって、今度、陵に先立って出塞して功のなかった弐師将軍を陥れんがためであると言う者も出てきた。
ともかく、たかだか星暦や占い、祭祀を司るにすぎない太史令の身でありながら、あまりにも思い上がった態度だ、というのが一同の一致した意見である。
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ともかくも、たかが星暦卜祀を司るにすぎぬ太史令の身として、あまりにも不遜な態度だというのが、一同の一致した意見である。
おかしなことに、李陵の家族よりも司馬遷のほうが先に罰せられることになった。
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おかしなことに、李陵の家族よりも司馬遷のほうが先に罪せられることになった。
翌日、彼は廷尉のもとへ引き渡された。
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翌日、彼は廷尉に下された。
刑は宮刑と決まった。
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刑は宮と決まった。
中国で昔から行われた身体を損なう刑罰の主なものとして、黥(入れ墨)、劓(鼻を切る)、剕(足を切る)、宮の四つがある。
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支那で昔から行なわれた肉刑の主なるものとして、黥、劓(はなきる)、剕(あしきる)、宮、の四つがある。
武帝の祖父・文帝のとき、この四つのうち三つまでは廃止されたが、宮刑だけはそのまま残された。
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武帝の祖父・文帝のとき、この四つのうち三つまでは廃せられたが、宮刑のみはそのまま残された。
宮刑とはもちろん、男を男でなくしてしまう奇怪な刑罰である。
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宮刑とはもちろん、男を男でなくする奇怪な刑罰である。
これを腐刑ともいうのは、その傷が腐った臭いを放つからだとも、腐った木が実をつけないように、そういう男に成り果てるからだともいう。
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これを一に腐刑ともいうのは、その創が腐臭を放つがゆえだともいい、あるいは、腐木の実を生ぜざるがごとき男と成り果てるからだともいう。
この刑を受けた者を閹人と呼び、宮廷の宦官の大部分がこれであったことは言うまでもない。
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この刑を受けた者を閹人と称し、宮廷の宦官の大部分がこれであったことは言うまでもない。
よりによって司馬遷が、この刑に遭ったのである。
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人もあろうに司馬遷がこの刑に遭ったのである。
しかし、後世の我々が史記の作者として知っている司馬遷は大きな名前だが、当時の太史令・司馬遷は、取るに足りない一介の文筆の役人にすぎない。
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しかし、後代の我々が史記の作者として知っている司馬遷は大きな名前だが、当時の太史令司馬遷は眇たる一文筆の吏にすぎない。
頭の切れることは確かとしても、その頭脳に自信を持ちすぎた、人づき合いの悪い男、議論では決して人に負けない男、せいぜい強情で偏屈な人物としてしか知られていなかった。
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頭脳の明晰なことは確かとしてもその頭脳に自信をもちすぎた、人づき合いの悪い男、議論においてけっして他人に負けない男、たかだか強情我慢の偏窟人としてしか知られていなかった。
彼が腐刑に遭ったからといって、別に驚く者はいない。
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彼が腐刑に遇ったからとて別に驚く者はない。
司馬氏はもともと周の史官であった。
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司馬氏は元周の史官であった。
のちに晋に入り、秦に仕え、漢の世となってから四代目の司馬談が武帝に仕えて、建元年間に太史令を務めた。
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後、晋に入り、秦に仕え、漢の代となってから四代目の司馬談が武帝に仕えて建元年間に太史令をつとめた。
この談が遷の父である。
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この談が遷の父である。
専門の律・暦・易のほかに道家の教えに詳しく、また広く儒家、墨家、法家、名家など諸家の説にも通じていたが、それらをすべて自分なりの見識でまとめ上げ、自分のものとしていた。
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専門たる律・暦・易のほかに道家の教えに精しくまた博く儒、墨、法、名、諸家の説にも通じていたが、それらをすべて一家の見をもって綜べて自己のものとしていた。
自分の頭脳や精神力に対する強い自信は、そっくりそのまま息子の遷に受け継がれたものである。
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己の頭脳や精神力についての自信の強さはそっくりそのまま息子の遷に受嗣がれたところのものである。
彼が息子に施した最大の教育は、諸学の伝授を終えたあとに、国じゅうを巡る大旅行をさせたことであった。
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彼が、息子に施した最大の教育は、諸学の伝授を終えてのちに、海内の大旅行をさせたことであった。
当時としては変わった教育法であったが、これが後年の歴史家・司馬遷にとってきわめて大きな糧になったことは、言うまでもない。
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当時としては変わった教育法であったが、これが後年の歴史家司馬遷に資するところのすこぶる大であったことは、いうまでもない。
元封元年に武帝が東の泰山に登って天を祭ったとき、たまたま周南で病の床にあった熱血漢の司馬談は、天子がはじめて漢の封禅の儀を行うめでたいときに、自分ひとりお供できないのを嘆き、憤りのあまり、そのために死んだ。
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元封元年に武帝が東、泰山に登って天を祭ったとき、たまたま周南で病床にあった熱血漢司馬談は、天子始めて漢家の封を建つるめでたきときに、己一人従ってゆくことのできぬのを慨き、憤を発してそのために死んだ。
古今を貫く通史を書き上げることこそ彼の一生の願いだったのだが、ただ材料を集めるだけで終わってしまったのである。
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古今を一貫せる通史の編述こそは彼の一生の念願だったのだが、単に材料の蒐集のみで終わってしまったのである。
その臨終の光景は、息子・遷の筆によって、史記の最後の章に詳しく描かれている。
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その臨終の光景は息子・遷の筆によって詳しく史記の最後の章に描かれている。
それによると司馬談は、もう起き上がれないと悟るや遷を呼び、その手を取って、歴史を書き継ぐことの必要をこまやかに説き、自分は太史となりながらこれに着手できず、賢君や忠臣の事績をむなしく地中に埋もれさせてしまう不甲斐なさを嘆いて泣いた。
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それによると司馬談は己のまた起ちがたきを知るや遷を呼びその手を執って、懇ろに修史の必要を説き、己太史となりながらこのことに着手せず、賢君忠臣の事蹟を空しく地下に埋もれしめる不甲斐なさを慨いて泣いた。
「私が死ねば、お前はきっと太史になるだろう。太史になったら、私が書き残そうとしていたことを忘れるな」
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「予死せば汝必ず太史とならん。太史とならばわが論著せんと欲するところを忘るるなかれ」
と言い、これこそ自分に対する最大の孝行だと、よく心に刻んでおけ、と繰り返したとき、遷はうつむいて涙を流し、その言いつけに背かないことを誓ったのである。
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といい、これこそ己に対する孝の最大なものだとて、爾それ念えやと繰返したとき、遷は俯首流涕してその命に背かざるべきを誓ったのである。
父が死んで二年後、はたして司馬遷は太史令の職を継いだ。
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父が死んでから二年ののち、はたして、司馬遷は太史令の職を継いだ。
父が集めた資料と、宮廷所蔵の秘蔵の書物とを使って、すぐにも父子相伝の天職に取りかかりたかったのだが、任官後の彼にまず課せられたのは、暦の改正という仕事であった。
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父の蒐集した資料と、宮廷所蔵の秘冊とを用いて、すぐにも父子相伝の天職にとりかかりたかったのだが、任官後の彼にまず課せられたのは暦の改正という事業であった。
この仕事に没頭すること、ちょうど満四年。
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この仕事に没頭することちょうど満四年。
太初元年にようやくこれを仕上げると、彼はすぐに史記の編纂に取りかかった。
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太初元年にようやくこれを仕上げると、すぐに彼は史記の編纂に着手した。
遷、このとき四十二歳。
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遷、ときに年四十二。
構想はとうにでき上がっていた。
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腹案はとうにでき上がっていた。
その構想による史書の形式は、これまでのどの史書とも似ていなかった。
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その腹案による史書の形式は従来の史書のどれにも似ていなかった。
彼は、道義的な判断の基準を示すものとしては春秋を推したが、事実を伝える史書としては、どうしても物足りなかった。
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彼は道義的批判の規準を示すものとしては春秋を推したが、事実を伝える史書としてはなんとしてもあきたらなかった。
もっと事実がほしい。
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もっと事実が欲しい。
教訓よりも事実が。
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教訓よりも事実が。
左伝や国語となると、なるほど事実はある。
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左伝や国語になると、なるほど事実はある。
左伝の叙述の巧みさに至っては、感嘆するほかはない。
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左伝の叙事の巧妙さに至っては感嘆のほかはない。
しかし、その事実を作り上げていく一人ひとりの人間についての探求がない。
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しかし、その事実を作り上げる一人一人の人についての探求がない。
事件の中での彼らの姿の描き方は鮮やかであっても、そういうことをしでかすまでに至った一人ひとりの素性の詮索が欠けているのが、司馬遷には不満だった。
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事件の中における彼らの姿の描出は鮮やかであっても、そうしたことをしでかすまでに至る彼ら一人一人の身許調べの欠けているのが、司馬遷には不服だった。
それにこれまでの史書はどれも、同時代の者に過去を知らせることが主眼になっていて、未来の者に同時代を知らせるためのものという配慮が、あまりに欠けすぎているように思われる。
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それに従来の史書はすべて、当代の者に既往をしらしめることが主眼となっていて、未来の者に当代を知らしめるためのものとしての用意があまりに欠けすぎているようである。
要するに、司馬遷が求めるものは、これまでの史書には求めても得られなかった。
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要するに、司馬遷の欲するものは、在来の史には求めて得られなかった。
これまでの史書のどういう点が物足りないのかは、彼自身、自分の書きたいものを書き上げてみてはじめてはっきりする類のものだと思われた。
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どういう点で在来の史書があきたらぬかは、彼自身でも自ら欲するところを書上げてみてはじめて判然する底のものと思われた。
胸の中にもやもやと溜まったものを書き表したいという欲求のほうが、これまでの史書への批判より先に立った。
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彼の胸中にあるモヤモヤと鬱積したものを書き現わすことの要求のほうが、在来の史書に対する批判より先に立った。
いや、彼の批判は、自分で新しいものを創るという形でしか現れないのである。
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いや、彼の批判は、自ら新しいものを創るという形でしか現われないのである。
長い間頭の中で描いてきた構想が、はたして史と呼べるものかどうか、彼には自信がなかった。
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自分が長い間頭の中で画いてきた構想が、史といえるものか、彼には自信はなかった。
しかし、史と呼べようが呼べまいが、とにかくそういうものこそ何より書かれなければならないものだ(世の人にとって、後の世にとって、とりわけ自分自身にとって)という点については、自信があった。
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しかし、史といえてもいえなくても、とにかくそういうものが最も書かれなければならないものだ(世人にとって、後代にとって、なかんずく己自身にとって)という点については、自信があった。
彼も孔子にならって、述べるだけで作らないという方針を取ったが、しかし、孔子のそれとはかなり中身の違う「述べて作らず」である。司馬遷にとっては、年代を追って事件を並べるだけではまだ「述べる」
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彼も孔子に倣って、述べて作らぬ方針をとったが、しかし、孔子のそれとはたぶんに内容を異にした述而不作である、司馬遷にとって、単なる編年体の事件列挙はいまだ「述べる」
のうちには入らなかったし、また、後の世の人が事実そのものを知るのを妨げるような、あまりに道義に寄った断定は、むしろ「作る」
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の中にはいらぬものだったし、また、後世人の事実そのものを知ることを妨げるような、あまりにも道義的な断案は、むしろ「作る」
の部類に入るように思われた。
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の部類にはいるように思われた。
漢が天下を平定してからすでに五代・百年、始皇帝の反文化政策によって失われ、あるいは隠されていた書物がようやく世に出はじめ、文が興ろうとする気運が力強く感じられた。
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漢が天下を定めてからすでに五代・百年、始皇帝の反文化政策によって湮滅しあるいは隠匿されていた書物がようやく世に行なわれはじめ、文の興らんとする気運が鬱勃として感じられた。
漢の朝廷ばかりでなく、時代そのものが史の出現を求めているときであった。
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漢の朝廷ばかりでなく、時代が、史の出現を要求しているときであった。
司馬遷個人としても、父の遺言による感激が、学識と観察眼と筆力の充実を伴って、ようやく渾然としたものを生み出そうと発酵しかけてきていた。
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司馬遷個人としては、父の遺嘱による感激が学殖・観察眼・筆力の充実を伴ってようやく渾然たるものを生み出すべく醗酵しかけてきていた。
彼の仕事は実に気持ちよく進んだ。
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彼の仕事は実に気持よく進んだ。
むしろ調子がよすぎて困るくらいであった。
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むしろ快調に行きすぎて困るくらいであった。
というのは、初めの五帝本紀から夏・殷・周・秦の本紀あたりまでは、彼も材料を按配して記述の正確さと厳密さを期する一人の技師にすぎなかったのだが、始皇帝を経て項羽本紀に入るころから、その技術者としての冷静さが怪しくなってきた。
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というのは、初めの五帝本紀から夏殷周秦本紀あたりまでは、彼も、材料を按排して記述の正確厳密を期する一人の技師に過ぎなかったのだが、始皇帝を経て、項羽本紀にはいるころから、その技術家の冷静さが怪しくなってきた。
ともすれば、項羽が彼に、あるいは彼が項羽に、乗り移りかねないのである。
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ともすれば、項羽が彼に、あるいは彼が項羽にのり移りかねないのである。
項王はそこで夜起き出して、幕舎の中で酒を飲んだ。
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項王則チ夜起キテ帳中ニ飲ス。
美人がいた。
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美人有リ。
名を虞という。
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名ハ虞。
いつも寵愛を受けて付き従っていた。
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常ニ幸セラレテ従フ。
駿馬は騅といい、いつもこれに乗っていた。
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駿馬名ハ騅、常ニ之ニ騎ス。
そこで項王は悲しみに堪えず歌い、みずから詩を作ってこう言った。「力は山を引き抜き、気迫は世を覆うほどだったが、時運に恵まれず、騅も進もうとしない。騅が進まないのをどうすればよいのか。虞よ、虞よ、お前をどうしてやればよいのか」
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是ニ於テ項王乃チ悲歌慷慨シ自ラ詩ヲ為リテ曰ク「力山ヲ抜キ気世ヲ蓋フ、時利アラズ騅逝カズ、騅逝カズ奈何スベキ、虞ヤ虞ヤ若ヲ奈何ニセン」
と。
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ト。
何度か歌うと、美人がそれに唱和した。
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歌フコト数闋、美人之ニ和ス。
項王の頬をいく筋も涙が流れ落ちた。
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項王泣数行下ル。
側近たちも皆泣いて、顔を上げて見ることのできる者はいなかった……。
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左右皆泣キ、能ク仰ギ視ルモノ莫シ……。
これでいいのか。
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これでいいのか?
と司馬遷は疑う。
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と司馬遷は疑う。
こんな熱に浮かされたような書きっぷりでいいものだろうか。
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こんな熱に浮かされたような書きっぷりでいいものだろうか?
彼は「作る」
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彼は「作ル」
ことを極度に警戒した。
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ことを極度に警戒した。
自分の仕事は「述べる」
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自分の仕事は「述ベル」
ことに尽きる。
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ことに尽きる。
事実、彼は述べただけであった。
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事実、彼は述べただけであった。
しかし、なんと生気にあふれた述べ方であったことか。
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しかしなんと生気溌剌たる述べ方であったか?
並外れた想像力による視覚を持つ者でなければ、とうてい書けない記述であった。
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異常な想像的視覚を有った者でなければとうてい不能な記述であった。
彼は、ときに「作る」
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彼は、ときに「作ル」
ことを恐れるあまり、すでに書いた部分を読み返してみて、それがあるために歴史上の人物が現実の人間のように躍動して見える字句を削る。
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ことを恐れるのあまり、すでに書いた部分を読返してみて、それあるがために史上の人物が現実の人物のごとくに躍動すると思われる字句を削る。
すると、たしかにその人物は生き生きとした息づかいを止める。
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すると確かにその人物はハツラツたる呼吸を止める。
これで、「作る」
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これで、「作ル」
ことになる心配はないわけである。
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ことになる心配はないわけである。
しかし(と司馬遷は思う)、これでは項羽が項羽でなくなってしまうではないか。
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しかし、(と司馬遷が思うに)これでは項羽が項羽でなくなるではないか。
項羽も始皇帝も楚の荘王も、みな同じ人間になってしまう。
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項羽も始皇帝も楚の荘王もみな同じ人間になってしまう。
違う人間を同じ人間として書くことの、どこが「述べる」
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違った人間を同じ人間として記述することが、何が「述べる」
だというのか。
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だ?
「述べる」
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「述べる」
とは、違う人間を違う人間として述べることではないか。
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とは、違った人間は違った人間として述べることではないか。
そう考えてくると、やはり彼は、削った字句をもう一度生かさないわけにはいかない。
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そう考えてくると、やはり彼は削った字句をふたたび生かさないわけにはいかない。
元どおりに直して、あらためて読んでみて、彼はやっと落ち着く。
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元どおりに直して、さて一読してみて、彼はやっと落ちつく。
いや、彼だけではない。
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いや、彼ばかりではない。
そこに書かれた歴史上の人物が、項羽も樊噲も范増も、みなようやく安心してそれぞれの場所に落ち着くように思われる。
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そこにかかれた史上の人物が、項羽や樊噲や范増が、みんなようやく安心してそれぞれの場所に落ちつくように思われる。
機嫌のよいときの武帝は、まことに度量の大きい、理解のある学問文化の保護者だったし、太史令という職が地味で特殊な技能を要するものだったために、官界につきものの徒党を組んでの陥れや讒言による地位(あるいは生命)の不安定からも免れることができた。
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調子のよいときの武帝は誠に高邁闊達な・理解ある文教の保護者だったし、太史令という職が地味な特殊な技能を要するものだったために、官界につきものの朋党比周の擠陥讒誣による地位(あるいは生命)の不安定からも免れることができた。
数年の間、司馬遷は充実した、幸福といっていい日々を送った。
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数年の間、司馬遷は充実した・幸福といっていい日々を送った。
(当時の人間が考える幸福は、現代人のそれとはずいぶん中身の違うものだったが、それを求めるという点に変わりはない。)
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(当時の人間の考える幸福とは、現代人のそれと、ひどく内容の違うものだったが、それを求めることに変わりはない。)
妥協するところはなかったが、どこまでも明るい性質で、よく論じ、よく怒り、よく笑い、とりわけ論敵をこてんぱんに言い負かすことを何より得意としていた。
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妥協性はなかったが、どこまでも陽性で、よく論じよく怒りよく笑いなかんずく論敵を完膚なきまでに説破することを最も得意としていた。
さて、そうした数年ののち、突然、この災いが降りかかったのである。
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さて、そうした数年ののち、突然、この禍が降ったのである。
薄暗い蚕室の中で――腐刑を施したあとしばらくは風に当たるのを避けなければならないので、中で火を焚いて暖かく保った密閉の暗室を作り、そこに施術後の受刑者を数日入れて身体を養わせる。
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薄暗い蚕室の中で――腐刑施術後当分の間は風に当たることを避けねばならぬので、中に火を熾して暖かに保った・密閉した暗室を作り、そこに施術後の受刑者を数日の間入れて、身体を養わせる。
暖かく暗いところが蚕を飼う部屋に似ているというので、それを蚕室と名づけるのである。――
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暖かく暗いところが蚕を飼う部屋に似ているとて、それを蚕室と名づけるのである。――
言葉に尽くせぬ混乱のあまり、彼はぼんやりと壁に寄りかかった。
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言語を絶した混乱のあまり彼は茫然と壁によりかかった。
憤りよりも先に、驚きのようなものさえ感じていた。
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憤激よりも先に、驚きのようなものさえ感じていた。
斬られること、死を賜ることに対してなら、彼にはもとよりふだんから覚悟ができている。
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斬に遭うこと、死を賜うことに対してなら、彼にはもとより平生から覚悟ができている。
刑死する自分の姿なら想像してみることもできるし、武帝の意に逆らって李陵を褒め上げたときも、まかり間違えば死を賜ることになるかもしれない、くらいの懸念は自分にもあったのである。
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刑死する己の姿なら想像してみることもできるし、武帝の気に逆らって李陵を褒め上げたときもまかりまちがえば死を賜うようなことになるかもしれぬくらいの懸念は自分にもあったのである。
ところが、数ある刑罰の中でも、よりによって最も見苦しい宮刑に遭おうとは。
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ところが、刑罰も数ある中で、よりによって最も醜陋な宮刑にあおうとは!
迂闊といえば迂闊だが(死刑を予期するくらいなら、当然、ほかのあらゆる刑罰も予期しなければならないわけだから)、彼は自分の運命の中に思いがけない死が待ち構えているかもしれないとは考えていたけれども、こんな醜いものが突然現れようとは、まったく頭から考えもしなかったのである。
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迂闊といえば迂闊だが、(というのは、死刑を予期するくらいなら当然、他のあらゆる刑罰も予期しなければならないわけだから)彼は自分の運命の中に、不測の死が待受けているかもしれぬとは考えていたけれども、このような醜いものが突然現われようとは、全然、頭から考えもしなかったのである。
つねづね彼は、人間にはそれぞれ、その人間にふさわしい出来事しか起こらないのだという、一種の確信のようなものを持っていた。
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常々、彼は、人間にはそれぞれその人間にふさわしい事件しか起こらないのだという一種の確信のようなものを有っていた。
これは長い間、史実を扱っているうちに自然と養われた考えであった。
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これは長い間史実を扱っているうちに自然に養われた考えであった。
同じ逆境にしても、気概のある士には激しく痛烈な苦しみが、軟弱な者にはのろのろとしたじめじめした見苦しい苦しみが、というふうに。
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同じ逆境にしても、慷慨の士には激しい痛烈な苦しみが、軟弱の徒には緩慢なじめじめした醜い苦しみが、というふうにである。
たとえ最初は一見ふさわしくないように見えても、少なくともその後の身の処し方によって、その運命がその人間にふさわしいものだと分かってくるのだ、と。
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たとえ始めは一見ふさわしくないように見えても、少なくともその後の対処のし方によってその運命はその人間にふさわしいことが判ってくるのだと。
司馬遷は、自分を男だと信じていた。
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司馬遷は自分を男だと信じていた。
文筆の役人ではあっても、当代のどんな武人よりも男であることを確信していた。
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文筆の吏ではあっても当代のいかなる武人よりも男であることを確信していた。
自分がそう思うだけではない。
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自分でばかりではない。
このことだけは、どんなに彼を好かない者でも認めないわけにはいかないようであった。
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このことだけは、いかに彼に好意を寄せぬ者でも認めないわけにはいかないようであった。
だから彼は、自分の持論に従って、車裂きの刑ならば我が身の行く末として思い描くことができたのである。
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それゆえ、彼は自らの持論に従って、車裂の刑なら自分の行く手に思い画くことができたのである。
それが、五十に近い年になって、この辱めに遭おうとは。
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それが齢五十に近い身で、この辱しめにあおうとは!
彼は、いま自分が蚕室の中にいるということが夢のような気がした。
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彼は、今自分が蚕室の中にいるということが夢のような気がした。
夢だと思いたかった。
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夢だと思いたかった。
しかし、壁にもたれて閉じていた目を開けると、薄暗い中に、生気のない、魂まで抜けたような顔をした男が三、四人、だらしなく横たわったり座ったりしているのが目に入った。
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しかし、壁によって閉じていた目を開くと、うす暗い中に、生気のない・魂までが抜けたような顔をした男が三、四人、だらしなく横たわったりすわったりしているのが目にはいった。
あの姿が、つまりいまの自分なのだと思ったとき、むせび泣きとも怒号ともつかない叫びが彼の喉を突き破った。
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あの姿が、つまり今の己なのだと思ったとき、嗚咽とも怒号ともつかない叫びが彼の咽喉を破った。
激しい憤りと悶えの数日のうちには、ときおり、学者としての習慣から来る思索が――反省が訪れた。
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痛憤と煩悶との数日のうちには、ときに、学者としての彼の習慣からくる思索が――反省が来た。
いったい、今度の出来事の中で、何が――誰が――誰のどういうところが悪かったのか、という考えである。
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いったい、今度の出来事の中で、何が――誰が――誰のどういうところが、悪かったのだという考えである。
日本の君臣の道とは根本から異なるかの国のこととて、当然、彼はまず武帝を怨んだ。
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日本の君臣道とは根柢から異なった彼の国のこととて、当然、彼はまず、武帝を怨んだ。
一時はその怨みだけで、ほかを顧みる余裕などまったくなかったというのが実際であった。
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一時はその怨懣だけで、いっさい他を顧みる余裕はなかったというのが実際であった。
しかし、しばらくの狂乱の時期が過ぎたあとには、歴史家としての彼が目を覚ましてきた。
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しかし、しばらくの狂乱の時期の過ぎたあとには、歴史家としての彼が、目覚めてきた。
儒者と違って、昔の王の価値にも歴史家として割り引いて見ることを知っていた彼は、いまの王である武帝の評価についても、私怨のために狂いを生じさせることはなかった。
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儒者と違って、先王の価値にも歴史家的な割引をすることを知っていた彼は、後王たる武帝の評価の上にも、私怨のために狂いを来たさせることはなかった。
なんといっても武帝は大君主である。
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なんといっても武帝は大君主である。
そのあらゆる欠点にもかかわらず、この君主がいるかぎり、漢の天下は微動だにしない。
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そのあらゆる欠点にもかかわらず、この君がある限り、漢の天下は微動だもしない。
高祖はひとまず措くとしても、仁君と称えられた文帝も名君の景帝も、この君主に比べれば、やはり小さい。
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高祖はしばらく措くとするも、仁君文帝も名君景帝も、この君に比べれば、やはり小さい。
ただ、大きいものは欠点までが大きく映るのは、これはやむを得ない。
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ただ大きいものは、その欠点までが大きく写ってくるのは、これはやむを得ない。
司馬遷は、極度の憤りと怨みの中にあっても、このことを忘れてはいない。
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司馬遷は極度の憤怨のうちにあってもこのことを忘れてはいない。
今度のことは要するに、天のなす暴風雨と落雷に見舞われたものと思うほかない――そういう考えが、彼をいっそう絶望的な憤りへ駆り立てたが、また一方では、逆に諦めへも向かわせようとする。
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今度のことは要するに天の作せる疾風暴雨霹靂に見舞われたものと思うほかはないという考えが、彼をいっそう絶望的な憤りへと駆ったが、また一方、逆に諦観へも向かわせようとする。
怨みが長く君主に向かい得ないとなると、勢い、君主の側にいる悪臣たちへ向けられる。
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怨恨が長く君主に向かい得ないとなると、勢い、君側の姦臣に向けられる。
彼らが悪い。
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彼らが悪い。
たしかにそうだ。
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たしかにそうだ。
しかし、この悪さは、きわめて副次的な悪さである。
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しかし、この悪さは、すこぶる副次的な悪さである。
それに、誇り高い彼にとって、あの小人物どもは、怨みの対象としてさえ物足りない気がする。
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それに、自矜心の高い彼にとって、彼ら小人輩は、怨恨の対象としてさえ物足りない気がする。
彼は、今度ほど好人物というものに腹立たしさを覚えたことはない。
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彼は、今度ほど好人物というものへの腹立ちを感じたことはない。
これは悪臣やむごい役人よりも始末が悪い。
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これは姦臣や酷吏よりも始末が悪い。
少なくとも、傍から見ていて腹が立つ。
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少なくとも側から見ていて腹が立つ。
良心的なつもりで安っぽく安心しきっており、周りまで安心させてしまうだけ、いっそうけしからんのだ。
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良心的に安っぽく安心しており、他にも安心させるだけ、いっそう怪しからぬのだ。
弁護もしなければ反論もしない。
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弁護もしなければ反駁もせぬ。
心の中に反省もなければ自責もない。
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心中、反省もなければ自責もない。
丞相・公孫賀などは、その代表格だ。
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丞相公孫賀のごとき、その代表的なものだ。
同じくへつらい迎合を事としても、杜周(最近この男は前任者の王卿を陥れて、まんまと御史大夫におさまった)のような奴は自分でもそれと分かっているに違いないが、このお人好しの丞相ときたら、その自覚さえない。
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同じ阿諛迎合を事としても、杜周(最近この男は前任者王卿を陥れてまんまと御史大夫となりおおせた)のような奴は自らそれと知っているに違いないがこのお人好しの丞相ときた日には、その自覚さえない。
自分の身を全うし妻子を保つだけの臣、と言われても、こういう手合いは腹も立てないのだろう。
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自分に全躯保妻子の臣といわれても、こういう手合いは、腹も立てないのだろう。
こんな手合いは、怨みを向けるだけの値打ちさえない。
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こんな手合いは恨みを向けるだけの値打ちさえもない。
司馬遷は最後に、憤りの持って行き場を自分自身に求めようとする。
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司馬遷は最後に忿懣の持って行きどころを自分に求めようとする。
実際、何かに対して腹を立てなければならないとすれば、結局それは自分自身に対してのほかはなかったのである。
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実際、何ものかに対して腹を立てなければならぬとすれば、結局それは自分自身に対してのほかはなかったのである。
だが、自分のどこが悪かったのか。
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だが、自分のどこが悪かったのか?
李陵のために弁護したこと、これはどう考えてみても間違っていたとは思えない。
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李陵のために弁じたこと、これはいかに考えてみてもまちがっていたとは思えない。
やり方としても、格別まずかったとは思わない。
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方法的にも格別拙かったとは考えぬ。
へつらいに堕することを甘んじて受け入れないかぎり、あれはあれでどうしようもない。
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阿諛に堕するに甘んじないかぎり、あれはあれでどうしようもない。
それでは、自分を顧みてやましいところがないのなら、そのやましくない行いがどんな結果を招こうとも、士たる者はそれを甘んじて受けなければならないはずだ。
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それでは、自ら顧みてやましくなければ、そのやましくない行為が、どのような結果を来たそうとも、士たる者はそれを甘受しなければならないはずだ。
なるほど、それは一応そうに違いない。
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なるほどそれは一応そうに違いない。
だから自分も、手足を切り離されようと腰を斬られようと、そういうものならば甘んじて受けるつもりなのだ。
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だから自分も肢解されようと腰斬にあおうと、そういうものなら甘んじて受けるつもりなのだ。
しかし、この宮刑は――その結果こう成り果てた我が身の有様というものは――これはまた別だ。
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しかし、この宮刑は――その結果かく成り果てたわが身の有様というものは、――これはまた別だ。
同じ身体を損なう刑でも、足を切られたり鼻を切られたりするのとは、まったく種類の違うものだ。
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同じ不具でも足を切られたり鼻を切られたりするのとは全然違った種類のものだ。
士たる者に加えられるべき刑ではない。
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士たる者の加えられるべき刑ではない。
これだけは、身体がこういう状態になるということは、どの角度から見ても完全な悪だ。
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こればかりは、身体のこういう状態というものは、どういう角度から見ても、完全な悪だ。
言い繕う余地はない。
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飾言の余地はない。
そして、心の傷だけならば時とともに癒えることもあろうが、この身体の醜悪な現実は、死ぬまで続くのだ。
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そうして、心の傷だけならば時とともに癒えることもあろうが、己が身体のこの醜悪な現実は死に至るまでつづくのだ。
動機がどうであろうと、このような結果を招くものは、結局「悪かった」
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動機がどうあろうと、このような結果を招くものは、結局「悪かった」
と言わなければならない。
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といわなければならぬ。
しかし、どこが悪かった。
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しかし、どこが悪かった?
自分のどこが。
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己のどこが?
どこも悪くなかった。
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どこも悪くなかった。
自分は正しいことしかしなかった。
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己は正しいことしかしなかった。
強いていえば、ただ、「我あり」
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強いていえば、ただ、「我あり」
という事実だけが悪かったのである。
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という事実だけが悪かったのである。
ぼんやりと抜け殻のようになって座っていたかと思うと、突然飛び上がり、傷ついた獣のようにうめきながら、暗く暖かい部屋の中を歩き回る。
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茫然とした虚脱の状態ですわっていたかと思うと、突然飛上り、傷ついた獣のごとくうめきながら暗く暖かい室の中を歩き廻る。
そうした仕草を無意識に繰り返しながら、彼の考えもまた、いつも同じところをぐるぐる回ってばかりで、行き着くところを知らないのである。
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そうしたしぐさを無意識に繰返しつつ、彼の考えもまた、いつも同じ所をぐるぐる廻ってばかりいて帰結するところを知らないのである。
我を忘れて壁に頭を打ちつけ、血を流したその数回を除けば、彼は自ら死のうと試みなかった。
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我を忘れ壁に頭を打ちつけて血を流したその数回を除けば、彼は自らを殺そうと試みなかった。
死にたかった。
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死にたかった。
死ねたらどんなによいだろう。
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死ねたらどんなによかろう。
死よりも何倍も恐ろしい恥辱が追い立てるのだから、死を恐れる気持ちなどまったくなかった。
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それよりも数等恐ろしい恥辱が追立てるのだから死をおそれる気持は全然なかった。
なぜ死ねなかったのか。
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なぜ死ねなかったのか?
牢の中に、自分を殺すための道具がなかったせいもあろう。
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獄舎の中に、自らを殺すべき道具のなかったことにもよろう。
しかし、それ以外に、何かが内側から彼を引き止める。
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しかし、それ以外に何かが内から彼をとめる。
はじめ、彼はそれが何であるかに気づかなかった。
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はじめ、彼はそれがなんであるかに気づかなかった。
ただ狂乱と憤りの中で、絶えず発作のように死への誘惑を感じたにもかかわらず、一方では自分の気持ちを自殺のほうへ向かわせまいとするものがあるのを、漠然と感じていた。
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ただ狂乱と憤懣との中で、たえず発作的に死への誘惑を感じたにもかかわらず、一方彼の気持を自殺のほうへ向けさせたがらないものがあるのを漠然と感じていた。
何を忘れたのかははっきりしないまま、とにかく何か忘れ物をしたような気がすることがある。
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何を忘れたのかはハッキリしないながら、とにかく何か忘れものをしたような気のすることがある。
ちょうどそんな具合であった。
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ちょうどそんなぐあいであった。
許されて自宅に戻り、そこで謹慎するようになってから、はじめて彼は気づいた。この一か月、狂乱に紛れて自分の生涯をかけた事業である歴史の編纂をすっかり忘れ果てていたこと、しかし、表向きは忘れていたにもかかわらず、その仕事への無意識の関心が、ひそかに彼を自殺から引き止める役目を果たしていたことに。
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許されて自宅に帰り、そこで謹慎するようになってから、はじめて、彼は、自分がこの一月狂乱にとり紛れて己が畢生の事業たる修史のことを忘れ果てていたこと、しかし、表面は忘れていたにもかかわらず、その仕事への無意識の関心が彼を自殺から阻む役目を隠々のうちにつとめていたことに気がついた。
十年前、臨終の床で自分の手を取り、泣きながら言い残した父の胸に迫る言葉は、いまなお耳の底に残っている。
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十年前臨終の床で自分の手をとり泣いて遺命した父の惻々たる言葉は、今なお耳底にある。
しかし、痛みと嘆きを極めたいまの彼の心にあって、なお歴史を書き継ぐ仕事を思い切らせなかったのは、その父の言葉ばかりではなかった。
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しかし、今疾痛惨怛を極めた彼の心の中に在ってなお修史の仕事を思い絶たしめないものは、その父の言葉ばかりではなかった。
それは何よりも、その仕事そのものであった。
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それは何よりも、その仕事そのものであった。
仕事の魅力だとか、仕事への情熱だとかいう、そんな楽しいたぐいのものではない。
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仕事の魅力とか仕事への情熱とかいう怡しい態のものではない。
歴史を書き継ぐという使命の自覚には違いないとしても、胸を張って自分を頼みとするような自覚ではない。
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修史という使命の自覚には違いないとしてもさらに昂然として自らを恃する自覚ではない。
恐ろしく我の強い男だったが、今度のことで、自分がいかに取るに足りないものだったかをしみじみと思い知らされた。
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恐ろしく我の強い男だったが、今度のことで、己のいかにとるに足らぬものだったかをしみじみと考えさせられた。
理想だの抱負だのと威張ってみたところで、しょせん自分は、牛に踏みつぶされる道端の虫けらのようなものにすぎなかったのだ。
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理想の抱負のと威張ってみたところで、所詮己は牛にふみつぶされる道傍の虫けらのごときものにすぎなかったのだ。
「我」
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「我」
はみじめに踏みつぶされたが、歴史を書き継ぐという仕事の意義は疑いようがなかった。
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はみじめに踏みつぶされたが、修史という仕事の意義は疑えなかった。
こんな浅ましい身に成り果て、自信も自負も失いつくしたあとで、それでもなお生きながらえてこの仕事に従うということが、どう考えても楽しいわけはなかった。
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このような浅ましい身と成り果て、自信も自恃も失いつくしたのち、それでもなお世にながらえてこの仕事に従うということは、どう考えても怡しいわけはなかった。
それはほとんど、どんなに疎ましくとも最後まで縁を切ることの許されない人間同士のような、宿命的な因縁に近いものだと、彼自身には感じられた。
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それはほとんど、いかにいとわしくとも最後までその関係を絶つことの許されない人間同士のような宿命的な因縁に近いものと、彼自身には感じられた。
とにかくこの仕事のために自分は自らを殺すことができないのだ(それも義務感からではなく、もっと肉体的な、この仕事とのつながりによってである)ということだけは、はっきりしてきた。
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とにかくこの仕事のために自分は自らを殺すことができぬのだ(それも義務感からではなく、もっと肉体的な、この仕事との繋がりによってである)ということだけはハッキリしてきた。
当座の盲目的な獣のうめき苦しみに代わって、より意識的な、人間としての苦しみが始まった。
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当座の盲目的な獣の呻き苦しみに代わって、より意識的な・人間の苦しみが始まった。
困ったことに、自殺できないことが明らかになるにつれ、自殺による以外に苦悩と恥辱から逃れる道がないこともまた、ますます明らかになってきた。
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困ったことに、自殺できないことが明らかになるにつれ、自殺によってのほかに苦悩と恥辱とから逃れる途のないことがますます明らかになってきた。
一個の男子たる太史令・司馬遷は、天漢三年の春に死んだ。
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一個の丈夫たる太史令司馬遷は天漢三年の春に死んだ。
そして、そのあとに彼の書き残した史を書き継ぐ者は、知覚も意識もない一台の書写機械にすぎない――自分でそう思い込むよりほかに道はなかった。
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そして、そののちに、彼の書残した史をつづける者は、知覚も意識もない一つの書写機械にすぎぬ、――自らそう思い込む以外に途はなかった。
無理にでも、彼はそう思おうとした。
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無理でも、彼はそう思おうとした。
歴史を書き継ぐ仕事は、必ず続けられなければならない。
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修史の仕事は必ず続けられねばならぬ。
これは彼にとって絶対であった。
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これは彼にとって絶対であった。
その仕事を続けるためには、どんなに堪えがたくとも生きながらえなければならない。
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修史の仕事のつづけられるためには、いかにたえがたくとも生きながらえねばならぬ。
生きながらえるためには、どうしても、自分を完全に亡き者と思い込む必要があったのである。
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生きながらえるためには、どうしても、完全に身を亡きものと思い込む必要があったのである。
五か月ののち、司馬遷はふたたび筆を執った。
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五月ののち、司馬遷はふたたび筆を執った。
喜びも昂ぶりもなく、ただ仕事を完成させようという意志だけに鞭打たれて、傷ついた脚を引きずりながら目的地へ向かう旅人のように、とぼとぼと原稿を書き継いでいく。
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歓びも昂奮もない・ただ仕事の完成への意志だけに鞭打たれて、傷ついた脚を引摺りながら目的地へ向かう旅人のように、とぼとぼと稿を継いでいく。
太史令の職はすでに解かれていた。
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もはや太史令の役は免ぜられていた。
いくらか後悔した武帝が、しばらくして彼を中書令に取り立てたが、官職が上がろうが下がろうが、彼にとってはもう何の意味もない。
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些か後悔した武帝が、しばらく後に彼を中書令に取立てたが、官職の黜陟のごときは、彼にとってもうなんの意味もない。
以前の議論好きな司馬遷は、いっさい口を開かなくなった。
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以前の論客司馬遷は、一切口を開かずなった。
笑うことも怒ることもない。
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笑うことも怒ることもない。
しかし、けっしてしょんぼりとした姿ではなかった。
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しかし、けっして悄然たる姿ではなかった。
むしろ、何か悪霊にでも取り憑かれているようなすさまじさを、人々は黙り込んだ彼の面立ちの中に見て取った。
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むしろ、何か悪霊にでも取り憑かれているようなすさまじさを、人々は緘黙せる彼の風貌の中に見て取った。
夜眠る時間さえ惜しんで、彼は仕事を続けた。
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夜眠る時間をも惜しんで彼は仕事をつづけた。
一刻も早く仕事を完成させ、そのうえで早く自殺する自由を手に入れたいと焦っているように、家の者たちには思われた。
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一刻も早く仕事を完成し、そのうえで早く自殺の自由を得たいとあせっているもののように、家人らには思われた。
すさまじい努力を一年ばかり続けたのち、ようやく彼は、生きる喜びを失いつくしたあとにも、表現する喜びだけは生き残りうるのだということを発見した。
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凄惨な努力を一年ばかり続けたのち、ようやく、生きることの歓びを失いつくしたのちもなお表現することの歓びだけは生残りうるものだということを、彼は発見した。
しかし、そのころになってもまだ、彼の完全な沈黙は破られなかったし、面立ちの中のすさまじさもまったく和らぎはしない。
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しかし、そのころになってもまだ、彼の完全な沈黙は破られなかったし、風貌の中のすさまじさも全然和らげられはしない。
原稿を書き継いでいくうちに、宦官や去勢された奴隷といった文字を書かなければならないところに来ると、彼は思わずうめき声を上げた。
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稿をつづけていくうちに、宦者とか閹奴とかいう文字を書かなければならぬところに来ると、彼は覚えず呻き声を発した。
ひとり部屋にいるときでも、夜、寝床に横になったときでも、ふとこの屈辱の思いが頭をもたげてくると、たちまちかっと、焼きごてを当てられるような熱く疼くものが全身を駆けめぐる。
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独り居室にいるときでも、夜、牀上に横になったときでも、ふとこの屈辱の思いが萌してくると、たちまちカーッと、焼鏝をあてられるような熱い疼くものが全身を駈けめぐる。
彼は思わず飛び上がり、奇声を発し、うめきながらあたりを歩き回り、しばらくしてから歯を食いしばって自分を落ち着かせようと努めるのである。
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彼は思わず飛上り、奇声を発し、呻きつつ四辺を歩きまわり、さてしばらくしてから歯をくいしばって己を落ちつけようと努めるのである。
三
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三
乱戦の中で気を失った李陵が、獣の脂を灯し獣の糞を焚いた単于の天幕の中で目を覚ましたとき、彼はとっさに心を決めた。
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乱軍の中に気を失った李陵が獣脂を灯し獣糞を焚いた単于の帳房の中で目を覚ましたとき、咄嗟に彼は心を決めた。
自ら首を刎ねて辱めを免れるか、それともいったんは敵に従っておいて、そのうちに機を見て脱走する――敗軍の責めを償うに足る手柄を土産にして――か、この二つのほかに道はないのだが、李陵は後者を選ぶことに心を決めたのである。
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自ら首刎ねて辱しめを免れるか、それとも今一応は敵に従っておいてそのうちに機を見て脱走する――敗軍の責を償うに足る手柄を土産として――か、この二つのほかに途はないのだが、李陵は、後者を選ぶことに心を決めたのである。
単于は自らの手で李陵の縄を解いた。
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単于は手ずから李陵の縄を解いた。
その後の扱いもきわめて丁重だった。
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その後の待遇も鄭重を極めた。
且鞮侯単于は先代の呴犁湖単于の弟だが、骨格のたくましい、目の大きな赤ひげの中年の偉丈夫である。
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且鞮侯単于とて先代の呴犁湖単于の弟だが、骨骼の逞しい巨眼赭髯の中年の偉丈夫である。
数代の単于に従って漢と戦ってきたが、まだ李陵ほど手強い敵に遭ったことはない、と正直に語り、陵の祖父・李広の名を引き合いに出して陵の善戦を讃えた。
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数代の単于に従って漢と戦ってはきたが、まだ李陵ほどの手強い敵に遭ったことはないと正直に語り、陵の祖父李広の名を引合いに出して陵の善戦を讃めた。
虎を素手で打ち殺したり、岩に矢を突き立てたりした飛将軍・李広の勇名は、いまなおこの胡の地にまで語り伝えられている。
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虎を格殺したり岩に矢を立てたりした飛将軍李広の驍名は今もなお胡地にまで語り伝えられている。
陵が厚遇を受けるのは、彼が強い者の子孫であり、また彼自身も強かったからである。
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陵が厚遇を受けるのは、彼が強き者の子孫でありまた彼自身も強かったからである。
食べ物を分けるときも、強く元気な者がうまいものを取り、老人や弱い者に残り物を与えるのが匈奴のならわしであった。
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食を頒けるときも強壮者が美味をとり老弱者に余り物を与えるのが匈奴のふうであった。
ここでは、強い者が辱められることはけっしてない。
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ここでは、強き者が辱しめられることはけっしてない。
降将の李陵は、天幕ひとつと数十人の召使いを与えられ、賓客としての礼をもって遇された。
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降将李陵は一つの穹盧と数十人の侍者とを与えられ賓客の礼をもって遇せられた。
李陵にとって、奇妙な生活が始まった。
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李陵にとって奇異な生活が始まった。
住まいは毛織の幕を張った丸い天幕、食べ物は獣の肉、飲み物は乳のしぼり汁と獣の乳と乳を発酵させた酒。
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家は絨帳穹盧、食物は羶肉、飲物は酪漿と獣乳と乳醋酒。
着るものは狼や羊や熊の皮を綴り合わせた毛皮の衣。
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着物は狼や羊や熊の皮を綴り合わせた旃裘。
牧畜と狩猟と略奪と、これ以外に彼らの暮らしはない。
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牧畜と狩猟と寇掠と、このほかに彼らの生活はない。
見わたすかぎり果てしない高原にも、しかし川や湖や山々による境目があって、単于の直轄地のほかは左賢王・右賢王・左谷蠡王・右谷蠡王以下の諸王侯の領地に分けられており、牧民の移動もそれぞれの境の内側に限られているのである。
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一望際涯のない高原にも、しかし、河や湖や山々による境界があって、単于直轄地のほかは左賢王右賢王左谷蠡王右谷蠡王以下の諸王侯の領地に分けられており、牧民の移住はおのおのその境界の中に限られているのである。
城壁もなければ田畑もない国。
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城郭もなければ田畑もない国。
村落はあっても、季節に従い水と草を追って土地を移していく。
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村落はあっても、それが季節に従い水草を逐って土地を変える。
李陵には土地は与えられない。
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李陵には土地は与えられない。
単于の配下の諸将とともに、いつも単于に付き従っていた。
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単于麾下の諸将とともにいつも単于に従っていた。
隙があれば単于の首でも、と李陵は狙っていたが、なかなか機会が来ない。
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隙があったら単于の首でも、と李陵は狙っていたが、容易に機会が来ない。
たとえ単于を討ち果たしたとしても、その首を持って脱出することは、よほどの幸運に恵まれないかぎり、まず不可能であった。
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たとい、単于を討果たしたとしても、その首を持って脱出することは、非常な機会に恵まれないかぎり、まず不可能であった。
この地で単于と刺し違えたのでは、匈奴は自分たちの不名誉をうやむやのうちに葬ってしまうに決まっているから、おそらく漢の耳に届くことはあるまい。
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胡地にあって単于と刺違えたのでは、匈奴は己の不名誉を有耶無耶のうちに葬ってしまうこと必定ゆえ、おそらく漢に聞こえることはあるまい。
李陵は辛抱強く、その不可能とも思われる機会が訪れるのを待った。
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李陵は辛抱強く、その不可能とも思われる機会の到来を待った。
単于のもとには、李陵のほかにも漢から降った者が何人かいた。
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単于の幕下には、李陵のほかにも漢の降人が幾人かいた。
その中のひとり、衛律という男は軍人ではなかったが、丁霊王の位を与えられ、単于に最も重く用いられている。
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その中の一人、衛律という男は軍人ではなかったが、丁霊王の位を貰って最も重く単于に用いられている。
父は胡の人だが、わけあって衛律は漢の都で生まれ育った。
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その父は胡人だが、故あって衛律は漢の都で生まれ成長した。
武帝に仕えていたのだが、先年、協律都尉・李延年の事件に連座するのを恐れて、逃げて匈奴に身を寄せたのである。
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武帝に仕えていたのだが、先年協律都尉李延年の事に坐するのを懼れて、亡げて匈奴に帰したのである。
血が血だけに胡のならわしにも早くなじみ、相当の切れ者でもあって、いつも且鞮侯単于の本営に参じてすべての謀りごとに関わっていた。
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血が血だけに胡風になじむことも速く、相当の才物でもあり、常に且鞮侯単于の帷幄に参じてすべての画策に与かっていた。
李陵はこの衛律をはじめ、漢から降って匈奴のもとにいる者たちとは、ほとんど口をきかなかった。
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李陵はこの衛律を始め、漢人の降って匈奴の中にあるものと、ほとんど口をきかなかった。
胸の中にある計画をともにできる人物はいないと思われたのである。
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彼の頭の中にある計画について事をともにすべき人物がいないと思われたのである。
そういえば、ほかの漢人同士の間でもまた、互いに妙に気まずいものを感じるらしく、親しく交わることはないようであった。
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そういえば、他の漢人同士の間でもまた、互いに妙に気まずいものを感じるらしく、相互に親しく交わることがないようであった。
一度、単于が李陵を呼んで軍略についての教えを乞うたことがある。
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一度単于は李陵を呼んで軍略上の示教を乞うたことがある。
それは東胡に対する戦いのことだったので、陵は快く自分の意見を述べた。
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それは東胡に対しての戦いだったので、陵は快く己が意見を述べた。
次に単于が同じような相談を持ちかけてきたとき、それは漢軍に対する作戦についてであった。
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次に単于が同じような相談を持ちかけたとき、それは漢軍に対する策戦についてであった。
李陵ははっきりと嫌な顔をしたまま、口を開こうとしなかった。
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李陵はハッキリと嫌な表情をしたまま口を開こうとしなかった。
単于も、無理に答えを求めようとはしなかった。
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単于も強いて返答を求めようとしなかった。
それからだいぶ経ったころ、代と上郡を略奪する軍の一将として南へ行くことを求められた。
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それからだいぶ久しくたったころ、代・上郡を寇掠する軍隊の一将として南行することを求められた。
このときは、漢に対する戦いには出られないと言って、きっぱり断わった。
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このときは、漢に対する戦いには出られない旨を言ってキッパリ断わった。
それ以後、単于は陵に二度とこうした求めをしなくなった。
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爾後、単于は陵にふたたびこうした要求をしなくなった。
待遇は相変わらず変わらない。
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待遇は依然として変わらない。
ほかに利用する目的があるわけでもなく、ただ士を士として遇するために遇しているのだとしか思われない。
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他に利用する目的はなく、ただ士を遇するために士を遇しているのだとしか思われない。
ともかくこの単于は男だ、と李陵は感じた。
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とにかくこの単于は男だと李陵は感じた。
単于の長男である左賢王が、妙に李陵に好意を示しはじめた。
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単于の長子・左賢王が妙に李陵に好意を示しはじめた。
好意というより、尊敬といったほうが近い。
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好意というより尊敬といったほうが近い。
二十歳を越したばかりの、粗野ではあるが勇気のある真面目な青年である。
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二十歳を越したばかりの・粗野ではあるが勇気のある真面目な青年である。
強い者への讃嘆が、実に純粋で強烈なのだ。
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強き者への讃美が、実に純粋で強烈なのだ。
はじめ李陵のところへ来て、騎射を教えてくれという。
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初め李陵のところへ来て騎射を教えてくれという。
騎射といっても、馬のほうは陵に劣らないほど巧い。
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騎射といっても騎のほうは陵に劣らぬほど巧い。
ことに裸馬を乗りこなす技術にかけては、はるかに陵を上回っているので、李陵は弓のほうだけを教えることにした。
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ことに、裸馬を駆る技術に至っては遙かに陵を凌いでいるので、李陵はただ射だけを教えることにした。
左賢王は、熱心な弟子となった。
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左賢王は、熱心な弟子となった。
陵が祖父・李広の神業のような弓の技などを語るとき、この異民族の青年は瞳を輝かせて熱心に聞き入るのである。
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陵の祖父李広の射における入神の技などを語るとき、蕃族の青年は眸をかがやかせて熱心に聞入るのである。
二人はよく連れ立って狩りに出かけた。
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よく二人して狩猟に出かけた。
ほんのわずかの供を連れただけで、二人は縦横に荒野を駆けめぐっては、狐や狼、かもしか、大鷲、雉などを射た。
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ほんの僅かの供廻りを連れただけで二人は縦横に曠野を疾駆しては狐や狼や羚羊や鵰や雉子などを射た。
あるときなど、夕暮れ近くなって矢も尽きかけた二人が――二人の馬は供の者をはるかに追い抜いていたので――狼の群れに囲まれたことがある。
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あるときなど夕暮れ近くなって矢も尽きかけた二人が――二人の馬は供の者を遙かに駈抜いていたので――一群の狼に囲まれたことがある。
馬に鞭を当て、全速力で狼の群れの中を駆け抜けて逃れたが、そのとき、李陵の馬の尻に飛びかかった一匹を、後ろを走っていた青年の左賢王が反り刀で見事に胴斬りにした。
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馬に鞭うち全速力で狼群の中を駈け抜けて逃れたが、そのとき、李陵の馬の尻に飛びかかった一匹を、後ろに駈けていた青年左賢王が彎刀をもって見事に胴斬りにした。
あとで調べると、二人の馬は狼たちに噛み裂かれて血だらけになっていた。
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あとで調べると二人の馬は狼どもに噛み裂かれて血だらけになっていた。
そういう一日を過ごしたのち、夜、天幕の中でその日の獲物を熱い汁に放り込み、ふうふう吹きながらすするとき、李陵は、火明かりに顔を火照らせた若い異民族の王子に、ふと友情のようなものさえ感じることがあった。
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そういう一日ののち、夜、天幕の中で今日の獲物を羹の中にぶちこんでフウフウ吹きながら啜るとき、李陵は火影に顔を火照らせた若い蕃王の息子に、ふと友情のようなものをさえ感じることがあった。
天漢三年の秋、匈奴がまたしても雁門を侵した。
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天漢三年の秋に匈奴がまたもや雁門を犯した。
その報復として、翌四年、漢は弐師将軍・李広利に騎兵六万、歩兵七万の大軍を授けて朔方から出撃させ、歩兵一万を率いる強弩都尉・路博徳にこれを援護させた。
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これに酬いるとて、翌四年、漢は弐師将軍李広利に騎六万歩七万の大軍を授けて朔方を出でしめ、歩卒一万を率いた強弩都尉路博徳にこれを援けしめた。
さらに因杅将軍・公孫敖は騎兵一万と歩兵三万で雁門から、游撃将軍・韓説は歩兵三万で五原から、それぞれ出発する。
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ひいて因杅将軍公孫敖は騎一万歩三万をもって雁門を、游撃将軍韓説は歩三万をもって五原を、それぞれ進発する。
近ごろにない大規模な北方遠征である。
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近来にない大北伐である。
単于はこの報せを受けるや、ただちに女子供や老人、家畜の群れ、家財のたぐいをことごとく余吾水(ケルレン河)の北方へ移し、自ら十万の精鋭の騎兵を率いて、李広利・路博徳の軍を川の南の大草原で迎え撃った。
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単于はこの報に接するや、ただちに婦女、老幼、畜群、資財の類をことごとく余吾水(ケルレン河)北方の地に移し、自ら十万の精騎を率いて李広利・路博徳の軍を水南の大草原に邀え撃った。
連戦すること十日あまり。
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連戦十余日。
漢軍はついに退くよりほかなくなった。
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漢軍はついに退くのやむなきに至った。
李陵に弓を学ぶ若い左賢王は、別に一隊を率いて東へ向かい、因杅将軍を迎え撃ってさんざんに打ち破った。
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李陵に師事する若き左賢王は、別に一隊を率いて東方に向かい因杅将軍を迎えてさんざんにこれを破った。
漢軍の左翼である韓説の軍もまた、何の戦果もなく兵を引いた。
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漢軍の左翼たる韓説の軍もまた得るところなくして兵を引いた。
北伐は完全な失敗である。
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北征は完全な失敗である。
李陵はいつものように漢との戦いには陣頭に立たず、川の北に退いていたが、左賢王の戦績をひそかに気にかけている自分に気づいて愕然とした。
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李陵は例によって漢との戦いには陣頭に現われず、水北に退いていたが、左賢王の戦績をひそかに気遣っている己を発見して愕然とした。
もちろん、全体としては漢軍の勝利と匈奴の敗北を望んでいたには違いないが、どうやら左賢王だけは何となく負けさせたくないと感じていたらしい。
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もちろん、全体としては漢軍の成功と匈奴の敗戦とを望んでいたには違いないが、どうやら左賢王だけは何か負けさせたくないと感じていたらしい。
李陵はそれに気づいて、激しく自分を責めた。
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李陵はこれに気がついて激しく己を責めた。
その左賢王に打ち破られた公孫敖が都に帰り、兵を多く失って手柄がなかったという廉で牢につながれたとき、妙な弁解をした。
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その左賢王に打破られた公孫敖が都に帰り、士卒を多く失って功がなかったとの廉で牢に繋がれたとき、妙な弁解をした。
敵の捕虜が、匈奴軍が強いのは、漢から降った李将軍が日ごろ兵を鍛え軍略を授けて漢軍に備えさせているからだ、と言った、というのである。
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敵の捕虜が、匈奴軍の強いのは、漢から降った李将軍が常々兵を練り軍略を授けてもって漢軍に備えさせているからだと言ったというのである。
だからといって自軍が負けたことの言い訳にはならないから、もちろん因杅将軍の罪は許されなかったが、これを聞いた武帝が李陵に激怒したことは言うまでもない。
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だからといって自軍が敗けたことの弁解にはならないから、もちろん、因杅将軍の罪は許されなかったが、これを聞いた武帝が、李陵に対し激怒したことは言うまでもない。
いったんは許されて家に戻っていた陵の一族はふたたび牢に入れられ、今度は、陵の老いた母から妻、子、弟に至るまで、ことごとく殺された。
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一度許されて家に戻っていた陵の一族はふたたび獄に収められ、今度は、陵の老母から妻・子・弟に至るまでことごとく殺された。
軽薄な世間の常として、当時、隴西(李陵の家は隴西の出である)の士大夫たちは皆、自分たちの土地から李家を出したことを恥じたと記されている。
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軽薄なる世人の常とて、当時隴西(李陵の家は隴西の出である)の士大夫ら皆李家を出したことを恥としたと記されている。
この知らせが李陵の耳に入ったのは半年ほどのち、辺境から連れ去られてきた一人の漢の兵卒の口からであった。
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この知らせが李陵の耳に入ったのは半年ほど後のこと、辺境から拉致された一漢卒の口からである。
それを聞いたとき、李陵は立ち上がってその男の胸ぐらをつかみ、荒々しく揺さぶりながら、事の真偽をもう一度確かめた。
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それを聞いたとき、李陵は立上がってその男の胸倉をつかみ、荒々しくゆすぶりながら、事の真偽を今一度たしかめた。
たしかに間違いないと知ると、彼は歯を食いしばり、思わず両手に力をこめた。
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たしかにまちがいのないことを知ると、彼は歯をくい縛り、思わず力を両手にこめた。
男は身をよじって、苦しげなうめきを洩らした。
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男は身をもがいて、苦悶の呻きを洩らした。
陵の手が、無意識のうちにその男の喉を締め上げていたのである。
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陵の手が無意識のうちにその男の咽喉を扼していたのである。
陵が手を離すと、男はばったりと地面に倒れた。
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陵が手を離すと、男はバッタリ地に倒れた。
その姿に目もくれず、陵は天幕の外へ飛び出した。
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その姿に目もやらず、陵は帳房の外へ飛出した。
彼はめちゃくちゃに野を歩いた。
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めちゃくちゃに彼は野を歩いた。
激しい憤りが頭の中で渦を巻いた。
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激しい憤りが頭の中で渦を巻いた。
老いた母や幼い子のことを考えると心は焼けるようであったが、涙は一滴も出ない。
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老母や幼児のことを考えると心は灼けるようであったが、涙は一滴も出ない。
あまりに強い怒りは、涙を涸らしてしまうのだろう。
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あまりに強い怒りは涙を涸渇させてしまうのであろう。
今度のことに限らない。
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今度の場合には限らぬ。
これまで我が一家は、そもそも漢からどんな扱いを受けてきたか。
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今まで我が一家はそもそも漢から、どのような扱いを受けてきたか?
彼は祖父・李広の最期を思った。
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彼は祖父の李広の最期を思った。
(陵の父・当戸は、彼が生まれる数か月前に死んだ。
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(陵の父、当戸は、彼が生まれる数か月前に死んだ。
陵はいわゆる、父の死後に生まれた子である。
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陵はいわゆる、遺腹の児である。
だから、少年時代までの彼を教育し鍛え上げたのは、有名なこの祖父であった。)
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だから、少年時代までの彼を教育し鍛えあげたのは、有名なこの祖父であった。)
名将・李広は幾度もの北伐に大きな手柄を立てながら、君主の側にいる悪臣たちに妨げられて、何ひとつ恩賞にあずからなかった。
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名将李広は数次の北征に大功を樹てながら、君側の姦佞に妨げられて何一つ恩賞にあずからなかった。
部下の諸将が次々に爵位を得、諸侯に封じられていくのに、清廉なこの将軍だけは封侯どころか、終始変わらぬ清貧に甘んじなければならなかった。
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部下の諸将がつぎつぎに爵位封侯を得て行くのに、廉潔な将軍だけは封侯はおろか、終始変わらぬ清貧に甘んじなければならなかった。
最後に彼は、大将軍・衛青と衝突した。
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最後に彼は大将軍衛青と衝突した。
さすがに衛青にはこの老将をいたわる気持ちはあったのだが、その配下の一人の軍吏が虎の威を借りて李広を辱めた。
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さすがに衛青にはこの老将をいたわる気持はあったのだが、その幕下の一軍吏が虎の威を借りて李広を辱しめた。
憤激した老名将は、その場ですぐ――陣営の中で自ら首を刎ねたのである。
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憤激した老名将はすぐその場で――陣営の中で自ら首刎ねたのである。
祖父の死を聞いて声を上げて泣いた少年の日の自分を、陵はいまだにはっきりと覚えている。……
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祖父の死を聞いて声をあげてないた少年の日の自分を、陵はいまだにハッキリと憶えている。……
陵の叔父(李広の次男)である李敢の最期はどうか。
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陵の叔父(李広の次男)李敢の最後はどうか。
彼は父である将軍のみじめな死について衛青を怨み、自ら大将軍の邸に乗り込んでこれを辱めた。
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彼は父将軍の惨めな死について衛青を怨み、自ら大将軍の邸に赴いてこれを辱しめた。
大将軍の甥にあたる嫖騎将軍・霍去病がそれを怒って、甘泉宮の狩りのときに李敢を射殺した。
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大将軍の甥にあたる嫖騎将軍霍去病がそれを憤って、甘泉宮の猟のときに李敢を射殺した。
武帝はそれを知りながら、嫖騎将軍をかばうために、李敢は鹿の角に突かれて死んだと発表させたのだ。……
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武帝はそれを知りながら、嫖騎将軍をかばわんがために、李敢は鹿の角に触れて死んだと発表させたのだ。……
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司馬遷の場合と違って、李陵のほうは単純であった。
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司馬遷の場合と違って、李陵のほうは簡単であった。
憤りがすべてであった。
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憤怒がすべてであった。
(無理をしてでも、もう少し早く以前からの計画――単于の首でも持って胡の地を脱するという――を実行すればよかった、という悔いを除けば)ただそれをどう表すかが問題であるにすぎない。
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(無理でも、もう少し早くかねての計画――単于の首でも持って胡地を脱するという――を実行すればよかったという悔いを除いては、)ただそれをいかにして現わすかが問題であるにすぎない。
彼は、先ほどの男の言葉――「胡の地で李将軍が兵を鍛えて漢に備えていると聞いて陛下が激怒され、云々」
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彼は先刻の男の言葉「胡地にあって李将軍が兵を教え漢に備えていると聞いて陛下が激怒され云々」
を思い出した。
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を思出した。
ようやく思い当たったのである。
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ようやく思い当たったのである。
もちろん彼自身にはそんな覚えはないが、同じく漢から降った者に李緒という男がいる。
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もちろん彼自身にはそんな覚えはないが、同じ漢の降将に李緒という者がある。
もと塞外都尉として奚侯城を守っていた男だが、これが匈奴に降ってから、いつも匈奴の軍に軍略を授け、兵を鍛えている。
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元、塞外都尉として奚侯城を守っていた男だが、これが匈奴に降ってから常に胡軍に軍略を授け兵を練っている。
現に半年前の戦いにも、単于に従って(問題の公孫敖の軍とではないが)漢軍と戦っている。
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現に半年前の軍にも、単于に従って、(問題の公孫敖の軍とではないが)漢軍と戦っている。
これだ、と李陵は思った。
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これだと李陵は思った。
同じ李将軍で、李緒と取り違えられたに違いないのである。
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同じ李将軍で、李緒とまちがえられたに違いないのである。
その晩、彼はひとりで李緒の天幕へ出向いた。
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その晩、彼は単身、李緒の帳幕へと赴いた。
ひと言も言わない、ひと言も言わせない。
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一言も言わぬ、一言も言わせぬ。
たった一突きで李緒は倒れた。
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ただの一刺しで李緒は斃れた。
翌朝、李陵は単于の前に出て事情を打ち明けた。
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翌朝李陵は単于の前に出て事情を打明けた。
心配は要らない、と単于は言う。
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心配は要らぬと単于は言う。
ただ母である大閼氏が少々うるさいから――というのは、かなりの高齢でありながら、単于の母は李緒と男女の関係にあったらしい。
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だが母の大閼氏が少々うるさいから――というのは、相当の老齢でありながら、単于の母は李緒と醜関係があったらしい。
単于はそれを承知していたのである。
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単于はそれを承知していたのである。
匈奴の習わしでは、父が死ぬと長男が亡き父の妻妾をそのまま引き継いで自分の妻妾とするのだが、さすがに生みの母だけはこれに含まれない。
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匈奴の風習によれば、父が死ぬと、長子たる者が、亡父の妻妾のすべてをそのまま引きついで己が妻妾とするのだが、さすがに生母だけはこの中にはいらない。
生みの母への敬意だけは、極端に男を重んじ女を軽んじる彼らでも持っているのである――しばらく北のほうへ隠れていてもらいたい、ほとぼりが冷めたころに迎えを出すから、と付け加えた。
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生みの母に対する尊敬だけは極端に男尊女卑の彼らでも有っているのである――今しばらく北方へ隠れていてもらいたい、ほとぼりがさめたころに迎えを遣るから、とつけ加えた。
その言葉に従って、李陵はしばらく従者たちを連れ、西北の兜銜山(額林達班嶺)の麓に身を隠した。
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その言葉に従って、李陵は一時従者どもをつれ、西北の兜銜山(額林達班嶺)の麓に身を避けた。
まもなく問題の大閼氏が病死し、単于の本営に呼び戻されたとき、李陵は人が変わったように見えた。
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まもなく問題の大閼氏が病死し、単于の庭に呼戻されたとき、李陵は人間が変わったように見えた。
というのは、これまで漢に対する軍略にだけは絶対に関わろうとしなかった彼が、自分から進んでその相談に乗ろうと言い出したからである。
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というのは、今まで漢に対する軍略にだけは絶対に与らなかった彼が、自ら進んでその相談に乗ろうと言出したからである。
単于はこの変化を見て大いに喜んだ。
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単于はこの変化を見て大いに喜んだ。
彼は陵を右校王に任じ、自分の娘のひとりを妻として与えた。
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彼は陵を右校王に任じ、己が娘の一人をめあわせた。
娘を妻にという話は以前にもあったのだが、これまで断わり続けてきた。
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娘を妻にという話は以前にもあったのだが、今まで断わりつづけてきた。
それを今度はためらいなく妻としたのである。
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それを今度は躊躇なく妻としたのである。
ちょうど酒泉や張掖のあたりを略奪するために南へ出て行く一軍があり、陵は自ら願い出てその軍に加わった。
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ちょうど酒泉張掖の辺を寇掠すべく南に出て行く一軍があり、陵は自ら請うてその軍に従った。
しかし、西南へ取った進路がたまたま浚稽山の麓を通ったとき、さすがに陵の心は曇った。
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しかし、西南へと取った進路がたまたま浚稽山の麓を過ったとき、さすがに陵の心は曇った。
かつてこの地で自分に従って死力を尽くして戦った部下たちのことを思い、彼らの骨が埋まり彼らの血が染み込んだその砂の上を歩きながら、いまの我が身の上を思うと、彼はもはや南へ下って漢の兵と戦う気力を失った。
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かつてこの地で己に従って死戦した部下どものことを考え、彼らの骨が埋められ彼らの血の染み込んだその砂の上を歩きながら、今の己が身の上を思うと、彼はもはや南行して漢兵と闘う勇気を失った。
病と称して、彼はひとり北へ馬を返した。
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病と称して彼は独り北方へ馬を返した。
翌年の太始元年、且鞮侯単于が死んで、陵と親しかった左賢王が後を継いだ。
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翌、太始元年、且鞮侯単于が死んで、陵と親しかった左賢王が後を嗣いだ。
狐鹿姑単于というのが、この人である。
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狐鹿姑単于というのがこれである。
匈奴の右校王となった李陵の心は、いまだにはっきりしない。
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匈奴の右校王たる李陵の心はいまだにハッキリしない。
母と妻子を一族もろとも殺された怨みは骨の髄まで染みているものの、自ら兵を率いて漢と戦うことができないのは、先ごろの経験で明らかである。
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母妻子を族滅された怨みは骨髄に徹しているものの、自ら兵を率いて漢と戦うことができないのは、先ごろの経験で明らかである。
二度と漢の地を踏むまいとは誓ったが、この匈奴の風習に染まって一生安んじていられるかどうかは、新しい単于への友情をもってしても、まださすがに自信がない。
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ふたたび漢の地を踏むまいとは誓ったが、この匈奴の俗に化して終生安んじていられるかどうかは、新単于への友情をもってしても、まださすがに自信がない。
考えることの嫌いな彼は、いらいらしてくると、いつもひとりで駿馬を駆り、荒野へ飛び出す。
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考えることの嫌いな彼は、イライラしてくると、いつも独り駿馬を駆って曠野に飛び出す。
秋空が一面に青く澄んだ下を、かつかつと蹄の音を響かせ、草原となく丘陵となく、狂ったように馬を走らせる。
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秋天一碧の下、嘎々と蹄の音を響かせて草原となく丘陵となく狂気のように馬を駆けさせる。
何十里かぶっ飛ばしたあと、馬も人もようやく疲れてくると、高原を流れる小川を探してそのほとりに下り、馬に水を飲ませる。
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何十里かぶっとばした後、馬も人もようやく疲れてくると、高原の中の小川を求めてその滸に下り、馬に飲かう。
それから自分は草の上に仰向けに寝ころんで、快い疲れの中でうっとりと見上げる青空の清らかさ、高さ、広さ。
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それから己は草の上に仰向けにねころんで快い疲労感にウットリと見上げる碧落の潔さ、高さ、広さ。
ああ、自分ももともと天地の間の一粒にすぎない、どうしてそこに漢だの胡だのがあるものか――ふとそんな気になることもある。
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ああ我もと天地間の一粒子のみ、なんぞまた漢と胡とあらんやとふとそんな気のすることもある。
ひとしきり休むとまた馬にまたがり、がむしゃらに駆け出す。
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一しきり休むとまた馬に跨がり、がむしゃらに駈け出す。
一日じゅう乗り疲れ、黄色い雲が夕日に翳るころになって、ようやく彼は幕舎へ戻る。
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終日乗り疲れ黄雲が落暉に曛ずるころになってようやく彼は幕営に戻る。
疲れだけが、彼のただ一つの救いなのである。
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疲労だけが彼のただ一つの救いなのである。
司馬遷が陵のために弁護して罪を得たことを伝える者があった。
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司馬遷が陵のために弁じて罪をえたことを伝える者があった。
李陵は、別にありがたいとも気の毒とも思わなかった。
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李陵は別にありがたいとも気の毒だとも思わなかった。
司馬遷とは互いに顔は知っているし挨拶をしたこともあるが、特に交わりを結んだというほどの間柄ではなかった。
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司馬遷とは互いに顔は知っているし挨拶をしたことはあっても、特に交を結んだというほどの間柄ではなかった。
むしろ、やたらに議論ばかりしてうるさい奴だ、というくらいにしか感じていなかったのである。
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むしろ、厭に議論ばかりしてうるさいやつだくらいにしか感じていなかったのである。
それに、いまの李陵は、他人の不幸を実感するには、あまりに自分ひとりの苦しみと闘うのに必死であった。
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それに現在の李陵は、他人の不幸を実感するには、あまりに自分一個の苦しみと闘うのに懸命であった。
よけいなお世話とまでは思わなかったにしても、特に申し訳ないと感じることがなかったのは事実である。
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よけいな世話とまでは感じなかったにしても、特に済まないと感じることがなかったのは事実である。
はじめは一概に野卑で滑稽としか映らなかった胡の地の風俗も、しかし、その土地の実際の風土や気候を背景に考えてみればけっして野卑でも不合理でもないことが、しだいに李陵にも呑み込めてきた。
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初め一概に野卑滑稽としか映らなかった胡地の風俗が、しかし、その地の実際の風土・気候等を背景として考えてみるとけっして野卑でも不合理でもないことが、しだいに李陵にのみこめてきた。
厚い皮革の胡の服でなければ北の冬はしのげないし、肉を食べなければこの地の寒さに堪えるだけの体力を蓄えられない。
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厚い皮革製の胡服でなければ朔北の冬は凌げないし、肉食でなければ胡地の寒冷に堪えるだけの精力を貯えることができない。
固定した家を建てないのも彼らの暮らし方から来る必然であって、頭から低級だと貶めるのは当たらない。
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固定した家屋を築かないのも彼らの生活形態から来た必然で、頭から低級と貶し去るのは当たらない。
漢人のやり方をあくまで通そうとするなら、この地の自然の中での生活は一日として続けられないのである。
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漢人のふうをあくまで保とうとするなら、胡地の自然の中での生活は一日といえども続けられないのである。
かつて先代の且鞮侯単于が言った言葉を、李陵は覚えている。
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かつて先代の且鞮侯単于の言った言葉を李陵は憶えている。
漢の人間が二言目には自分の国を礼儀の国と言い、匈奴の振る舞いを獣に近いものと見なすことを難じて、単于はこう言った。
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漢の人間が二言めには、己が国を礼儀の国といい、匈奴の行ないをもって禽獣に近いと看做すことを難じて、単于は言った。
漢人のいう礼儀とは何だ。
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漢人のいう礼儀とは何ぞ?
醜いことを表面だけ美しく飾り立てる、見せかけのことではないか。
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醜いことを表面だけ美しく飾り立てる虚飾の謂ではないか。
利を求め人を妬むこと、漢人と胡人とどちらが甚だしい。
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利を好み人を嫉むこと、漢人と胡人といずれかはなはだしき?
色に溺れ財を貪ること、これもまたどちらが甚だしい。
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色に耽り財を貪ること、またいずれかはなはだしき?
うわべを剥ぎ取ってしまえば、結局なんの違いもないはずだ。
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表べを剥ぎ去れば畢竟なんらの違いはないはず。
ただ漢人はそれをごまかし飾ることを知っており、我々はそれを知らないというだけだ、と。
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ただ漢人はこれをごまかし飾ることを知り、我々はそれを知らぬだけだ、と。
漢の初め以来の肉親同士が食い合う内乱や、功臣たちを排斥し陥れてきた跡を例に引いてこう言われたとき、李陵はほとんど返す言葉に詰まった。
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漢初以来の骨肉相喰む内乱や功臣連の排斥擠陥の跡を例に引いてこう言われたとき、李陵はほとんど返す言葉に窮した。
実際、武人である彼はそれまでにも、煩わしい礼のための礼に疑問を感じたことが一度ならずあったからである。
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実際、武人たる彼は今までにも、煩瑣な礼のための礼に対して疑問を感じたことが一再ならずあったからである。
たしかに、胡のならわしの粗野な正直さのほうが、美名の陰に隠れた漢人の陰険さよりはるかに好ましい場合がしばしばある、と思った。
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たしかに、胡俗の粗野な正直さのほうが、美名の影に隠れた漢人の陰険さより遙かに好ましい場合がしばしばあると思った。
中華の風習を正しいもの、胡のならわしを卑しいものと頭から決めてかかるのは、あまりにも漢人的な偏見ではないか――しだいに李陵にはそんな気がしてくる。
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諸夏の俗を正しきもの、胡俗を卑しきものと頭から決めてかかるのは、あまりにも漢人的な偏見ではないかと、しだいに李陵にはそんな気がしてくる。
たとえば、これまで人間には名のほかに字がなければならないものだと、理由もなく信じきっていたが、考えてみれば字が絶対に必要だという理由など、どこにもないのであった。
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たとえば今まで人間には名のほかに字がなければならぬものと、ゆえもなく信じ切っていたが、考えてみれば字が絶対に必要だという理由はどこにもないのであった。
彼の妻は、たいそう大人しい女だった。
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彼の妻はすこぶる大人しい女だった。
いまだに夫の前に出るとおどおどして、ろくに口もきけない。
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いまだに主人の前に出るとおずおずしてろくに口も利けない。
しかし、二人の間に生まれた男の子は、少しも父親を恐れず、よちよちと李陵の膝によじ登って来る。
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しかし、彼らの間にできた男の児は、少しも父親を恐れないで、ヨチヨチと李陵の膝に匍上がって来る。
その子の顔に見入りながら、数年前に長安へ残してきた――そして結局、母や祖母とともに殺されてしまった――子供の面影をふと思い浮かべて、李陵は我知らず茫然とするのであった。
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その児の顔に見入りながら、数年前長安に残してきた――そして結局母や祖母とともに殺されてしまった――子供の俤をふと思いうかべて李陵は我しらず憮然とするのであった。
陵が匈奴に降るより早く、ちょうどその一年前から、漢の中郎将・蘇武がこの地に引き留められていた。
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陵が匈奴に降るよりも早く、ちょうどその一年前から、漢の中郎将蘇武が胡地に引留められていた。
もともと蘇武は、平和の使節として捕虜交換のために遣わされたのである。
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元来蘇武は平和の使節として捕虜交換のために遣わされたのである。
ところが、その副使の某がたまたま匈奴の内紛に関わったために、使節団全員が捕らえられることになってしまった。
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ところが、その副使某がたまたま匈奴の内紛に関係したために、使節団全員が囚えられることになってしまった。
単于は彼らを殺そうとはせず、死をちらつかせて脅し、降伏させた。
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単于は彼らを殺そうとはしないで、死をもって脅かしてこれを降らしめた。
ただ蘇武ひとりは降伏を承知しないばかりか、辱めを避けようと自ら剣を取って我が胸を貫いた。
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ただ蘇武一人は降服を肯んじないばかりか、辱しめを避けようと自ら剣を取って己が胸を貫いた。
気を失った蘇武に対する胡の医者の手当てというのが、たいそう変わっていた。
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昏倒した蘇武に対する胡毉の手当てというのがすこぶる変わっていた。
地面を掘って穴をつくり、いぶした火を入れて、その上に傷ついた者を寝かせ、背中を踏んで血を出させたと漢書には記されている。
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地を掘って坎をつくり熅火を入れて、その上に傷者を寝かせその背中を蹈んで血を出させたと漢書には誌されている。
この荒療治のおかげで、不幸にも蘇武は半日気を失ったのち、また息を吹き返した。
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この荒療治のおかげで、不幸にも蘇武は半日昏絶したのちにまた息を吹返した。
且鞮侯単于は、すっかり彼に惚れ込んだ。
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且鞮侯単于はすっかり彼に惚れ込んだ。
数十日ののち、ようやく蘇武の身体が回復すると、例の側近である衛律を遣わして、また熱心に降伏をすすめさせた。
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数旬ののちようやく蘇武の身体が恢復すると、例の近臣衛律をやってまた熱心に降をすすめさせた。
衛律は蘇武の火のような罵倒に遭い、すっかり恥をかいて手を引いた。
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衛律は蘇武が鉄火の罵詈に遭い、すっかり恥をかいて手を引いた。
その後、蘇武が地下の穴に閉じ込められたとき、毛織物の毛を雪に混ぜて食い、飢えをしのいだ話や、ついに北海(バイカル湖)のほとりの人けのない地へ移され、雄羊が乳を出したら帰らせてやろうと言われた話は、節を持ち続けた十九年という彼の名とともに、あまりにも有名だから、ここでは述べない。
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その後蘇武が窖の中に幽閉されたとき旃毛を雪に和して喰いもって飢えを凌いだ話や、ついに北海(バイカル湖)のほとり人なき所に徙されて牡羊が乳を出さば帰るを許さんと言われた話は、持節十九年の彼の名とともに、あまりにも有名だから、ここには述べない。
とにかく、李陵が悶々とした余生をこの地に埋めようとようやく決心せざるを得なくなったころ、蘇武はすでに長いこと北海のほとりでひとり羊を飼っていたのである。
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とにかく、李陵が悶々の余生を胡地に埋めようとようやく決心せざるを得なくなったころ、蘇武は、すでに久しく北海のほとりで独り羊を牧していたのである。
李陵にとって、蘇武は二十年来の友であった。
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李陵にとって蘇武は二十年来の友であった。
かつて時を同じくして侍中を務めていたこともある。
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かつて時を同じゅうして侍中を勤めていたこともある。
片意地で融通の利かないところはあるにせよ、たしかにまれに見る硬骨の士であることは疑いない、と陵は思っていた。
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片意地でさばけないところはあるにせよ、確かにまれに見る硬骨の士であることは疑いないと陵は思っていた。
天漢元年に蘇武が北へ発ってまもなく、武の老いた母が病死したときも、陵は陽陵までその葬列を見送った。
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天漢元年に蘇武が北へ立ってからまもなく、武の老母が病死したときも、陵は陽陵までその葬を送った。
蘇武の妻が夫の帰る見込みなしと知って、家を出て他家に嫁いだという噂を聞いたのは、陵が北征に出発する直前のことであった。
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蘇武の妻が良人のふたたび帰る見込みなしと知って、去って他家に嫁した噂を聞いたのは、陵の北征出発直前のことであった。
そのとき、陵は友のために、その妻の薄情さをひどく憤った。
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そのとき、陵は友のためにその妻の浮薄をいたく憤った。
しかし、思いがけず自分が匈奴に降ることになってからは、もはや蘇武に会いたいとは思わなかった。
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しかし、はからずも自分が匈奴に降るようになってからのちは、もはや蘇武に会いたいとは思わなかった。
武がはるか北方へ移されていて顔を合わせずに済むことを、むしろ助かったと感じていた。
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武が遙か北方に遷されていて顔を合わせずに済むことをむしろ助かったと感じていた。
ことに、自分の家族が皆殺しにされ、二度と漢に戻る気持ちを失ってからは、いっそうこの「漢の使者の節を持ち続ける羊飼い」
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ことに、己の家族が戮せられてふたたび漢に戻る気持を失ってからは、いっそうこの「漢節を持した牧羊者」
と顔を合わせることを避けたかった。
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との面接を避けたかった。
狐鹿姑単于が父の後を継いでから数年後、一時、蘇武が生死不明だという噂が伝わった。
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狐鹿姑単于が父の後を嗣いでから数年後、一時蘇武が生死不明との噂が伝わった。
父の単于がついに降伏させられなかったこの不屈の漢の使者の存在を思い出した狐鹿姑単于は、蘇武の安否を確かめ、もし健在なら今一度降伏を勧めるよう、李陵に頼んだ。
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父単于がついに降服させることのできなかったこの不屈の漢使の存在を思出した狐鹿姑単于は、蘇武の安否を確かめるとともに、もし健在ならば今一度降服を勧告するよう、李陵に頼んだ。
陵が武の友人であることを聞いていたのである。
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陵が武の友人であることを聞いていたのである。
やむを得ず、陵は北へ向かった。
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やむを得ず陵は北へ向かった。
姑且水を北へさかのぼり、郅居水との合流点からさらに西北へ森林地帯を突っ切る。
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姑且水を北に溯り郅居水との合流点からさらに西北に森林地帯を突切る。
まだところどころに雪の残る川岸を進むこと数日、ようやく北海の青い水が森と野の向こうに見えはじめたころ、この地方に住む丁霊族の案内人は、李陵の一行を一軒の粗末な丸太小屋へ導いた。
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まだ所々に雪の残っている川岸を進むこと数日、ようやく北海の碧い水が森と野との向こうに見え出したころ、この地方の住民なる丁霊族の案内人は李陵の一行を一軒の哀れな丸太小舎へと導いた。
小屋の主が珍しい人声に驚いて、弓矢を手に外へ出て来た。頭から毛皮をかぶった、ひげぼうぼうの熊のような山男のその顔の中に、李陵がかつての移中厩監・蘇子卿の面影を見つけてからも、相手がこの胡の装いをした高官をもとの騎都尉・李少卿だと気づくまでには、なおしばらくの時間が必要であった。
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小舎の住人が珍しい人声に驚かされて、弓矢を手に表へ出て来た、頭から毛皮を被った鬚ぼうぼうの熊のような山男の顔の中に、李陵がかつての移中厩監蘇子卿の俤を見出してからも、先方がこの胡服の大官を前の騎都尉李少卿と認めるまでにはなおしばらくの時間が必要であった。
蘇武のほうでは、陵が匈奴に仕えていることもまったく聞いていなかったのである。
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蘇武のほうでは陵が匈奴に事えていることも全然聞いていなかったのである。
感動が、これまで陵の内にあって武との対面を避けさせていたものを、一瞬で圧し流してしまった。
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感動が、陵の内に在って今まで武との会見を避けさせていたものを一瞬圧倒し去った。
二人とも、はじめはほとんど言葉が出なかった。
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二人とも初めほとんどものが言えなかった。
陵の供の者たちの天幕がいくつかあたりに組み立てられ、人けのなかった場所が急に賑やかになった。
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陵の供廻りどもの穹廬がいくつか、あたりに組立てられ、無人の境が急に賑やかになった。
用意してきた酒と食べ物がさっそく小屋に運び込まれ、夜には珍しい笑い声が森の鳥や獣を驚かせた。
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用意してきた酒食がさっそく小舎に運び入れられ、夜は珍しい歓笑の声が森の鳥獣を驚かせた。
滞在は数日に及んだ。
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滞在は数日に亙った。
自分が胡の服をまとうに至った事情を話すことは、さすがに辛かった。
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己が胡服を纏うに至った事情を話すことは、さすがに辛かった。
しかし、李陵は少しも言い訳めいた調子を交えず、事実だけを語った。
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しかし、李陵は少しも弁解の調子を交えずに事実だけを語った。
蘇武がさりげなく語るこの数年間の暮らしは、まったく惨憺たるものであったらしい。
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蘇武がさりげなく語るその数年間の生活はまったく惨憺たるものであったらしい。
何年か前に匈奴の於靬王が狩りをするというのでたまたまここを通りかかり、蘇武に同情して三年続けて衣服や食糧を与えてくれたが、その於靬王が死んでからは、凍りついた大地から野ねずみを掘り出して飢えをしのがなければならない有様だという。
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何年か以前に匈奴の於靬王が猟をするとてたまたまここを過ぎ蘇武に同情して、三年間つづけて衣服食糧等を給してくれたが、その於靬王の死後は、凍てついた大地から野鼠を掘出して、飢えを凌がなければならない始末だと言う。
彼が生死不明だという噂は、彼が飼っていた家畜の群れが盗賊たちに一匹残らずさらわれてしまったことの誤り伝えらしい。
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彼の生死不明の噂は彼の養っていた畜群が剽盗どものために一匹残らずさらわれてしまったことの訛伝らしい。
陵は蘇武の母が死んだことだけは告げたが、妻が子を捨てて他家へ行ったことは、さすがに言えなかった。
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陵は蘇武の母の死んだことだけは告げたが、妻が子を棄てて他家へ行ったことはさすがに言えなかった。
この男は何を目当てに生きているのか、と李陵はいぶかった。
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この男は何を目あてに生きているのかと李陵は怪しんだ。
いまだに漢へ帰れる日を待ち望んでいるのだろうか。
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いまだに漢に帰れる日を待ち望んでいるのだろうか。
蘇武の口ぶりから察すれば、いまさらそんな期待は少しも持っていないようである。
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蘇武の口うらから察すれば、いまさらそんな期待は少しももっていないようである。
それでは何のために、こんな惨憺たる日々を堪え忍んでいるのか。
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それではなんのためにこうした惨憺たる日々をたえ忍んでいるのか?
単于に降伏を申し出れば重く用いられることは間違いないが、それをするような蘇武でないことは、はじめから分かりきっている。
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単于に降服を申出れば重く用いられることは請合いだが、それをする蘇武でないことは初めから分り切っている。
陵がいぶかったのは、なぜ早く自ら命を絶たないのか、という意味であった。
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陵の怪しむのは、なぜ早く自ら生命を絶たないのかという意味であった。
李陵自身が希望のない生活を自らの手で断ち切れないのは、いつのまにかこの地に根を下ろしてしまった数々の情や義理のためであり、また、いまさら死んだところで格別、漢のために義を立てることにもならないからである。
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李陵自身が希望のない生活を自らの手で断ち切りえないのは、いつのまにかこの地に根を下して了った数々の恩愛や義理のためであり、またいまさら死んでも格別漢のために義を立てることにもならないからである。
蘇武の場合は違う。
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蘇武の場合は違う。
彼にはこの地でのしがらみもない。
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彼にはこの地での係累もない。
漢の朝廷への忠義という点から考えるなら、いつまでも使者の節を持ち続けて荒野で飢えるのと、すぐに節を焼き捨ててから自ら首を刎ねるのとの間に、特に違いはなさそうに思われる。
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漢朝に対する忠信という点から考えるなら、いつまでも節旄を持して曠野に飢えるのと、ただちに節旄を焼いてのち自ら首刎ねるのとの間に、別に差異はなさそうに思われる。
最初に捕らえられたとき、いきなり自分の胸を刺した蘇武に、いまになって急に死を恐れる心が芽生えたとは考えられない。
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はじめ捕えられたとき、いきなり自分の胸を刺した蘇武に、今となって急に死を恐れる心が萌したとは考えられない。
李陵は、若いころの蘇武の片意地を――滑稽なほど強情な痩せ我慢を思い出した。
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李陵は、若いころの蘇武の片意地を――滑稽なくらい強情な痩我慢を思出した。
単于は栄華を餌にして、極度の困窮の中から蘇武を釣り上げようと試みる。
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単于は栄華を餌に極度の困窮の中から蘇武を釣ろうと試みる。
餌に釣られるのはもちろん、苦難に堪えかねて自ら死ぬこともまた、単于に(あるいはそれに象徴される運命に)負けることになる。
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餌につられるのはもとより、苦難に堪ええずして自ら殺すこともまた、単于に(あるいはそれによって象徴される運命に)負けることになる。
蘇武はそう考えているのではなかろうか。
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蘇武はそう考えているのではなかろうか。
運命と意地の張り合いをしているような蘇武の姿は、しかし、李陵には滑稽にも笑うべきものにも見えなかった。
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運命と意地の張合いをしているような蘇武の姿が、しかし、李陵には滑稽や笑止には見えなかった。
想像を絶した苦しみ、欠乏、厳しい寒さ、孤独を、しかもこれから死に至るまでの長い年月にわたって、平然と笑い飛ばさせるものが意地だとすれば、この意地こそはまことにすさまじく壮大なものと言わなければならない。
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想像を絶した困苦・欠乏・酷寒・孤独を、(しかもこれから死に至るまでの長い間を)平然と笑殺していかせるものが、意地だとすれば、この意地こそは誠に凄じくも壮大なものと言わねばならぬ。
昔は多少子供じみて見えた蘇武の痩せ我慢が、これほどの大きな我慢にまで育っているのを見て、李陵は驚嘆した。
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昔の多少は大人げなく見えた蘇武の痩我慢が、かかる大我慢にまで成長しているのを見て李陵は驚嘆した。
しかもこの男は、自分の行いが漢にまで知られることを期待していない。
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しかもこの男は自分の行ないが漢にまで知られることを予期していない。
自分がふたたび漢に迎えられることはもちろん、こんな人けのない地で苦難と戦っていることを、漢はおろか匈奴の単于にさえ伝えてくれる人間が現れることすら、当てにしていなかった。
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自分がふたたび漢に迎えられることはもとより、自分がかかる無人の地で困苦と戦いつつあることを漢はおろか匈奴の単于にさえ伝えてくれる人間の出て来ることをも期待していなかった。
誰にも看取られずひとり死んでいくに違いないその最後の日に、我が身を振り返って最後まで運命を笑い飛ばせたことに満足して死んでいこうというのだ。
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誰にもみとられずに独り死んでいくに違いないその最後の日に、自ら顧みて最後まで運命を笑殺しえたことに満足して死んでいこうというのだ。
誰ひとり自分のしたことを知ってくれなくても構わない、というのである。
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誰一人己が事蹟を知ってくれなくともさしつかえないというのである。
李陵は、かつて先代の単于の首を狙いながら、たとえその目的を果たしても、自分がそれを持ってこの地を脱出できなければ、せっかくの行いがむなしく、漢まで伝わらないだろうことを恐れて、ついに決行の機をつかめなかった。
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李陵は、かつて先代単于の首を狙いながら、その目的を果たすとも、自分がそれをもって匈土の地を脱走しえなければ、せっかくの行為が空しく、漢にまで聞こえないであろうことを恐れて、ついに決行の機を見出しえなかった。
人に知られないことを気にかけない蘇武を前にして、彼はひそかに冷や汗の出る思いであった。
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人に知られざることを憂えぬ蘇武を前にして、彼はひそかに冷汗の出る思いであった。
最初の感動が過ぎ、二日三日とたつうちに、李陵の中にやはり一種のわだかまりができてくるのを、どうすることもできなかった。
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最初の感動が過ぎ、二日三日とたつうちに、李陵の中にやはり一種のこだわりができてくるのをどうすることもできなかった。
何を語るにつけても、自分の過去と蘇武のそれとの対比が、いちいち引っかかってくる。
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何を語るにつけても、己の過去と蘇武のそれとの対比がいちいちひっかかってくる。
蘇武は義の人、自分は売国奴だと、そこまではっきり考えるわけではないけれども、森と野と水の沈黙によって長年鍛え上げられた蘇武の厳しさの前では、自分の行いに対する唯一の弁明であったこれまでの苦悩など、ひとたまりもなく圧倒されるのを感じないわけにいかない。
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蘇武は義人、自分は売国奴と、それほどハッキリ考えはしないけれども、森と野と水との沈黙によって多年の間鍛え上げられた蘇武の厳しさの前には己の行為に対する唯一の弁明であった今までのわが苦悩のごときは一溜りもなく圧倒されるのを感じないわけにいかない。
それに、気のせいか、日がたつにつれ、蘇武の自分に対する態度の中に、何か富める者が貧しい者に接するときのような――自分の優位を知ったうえで相手に寛大であろうとする者の態度を感じはじめた。
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それに、気のせいか、日にちが立つにつれ、蘇武の己に対する態度の中に、何か富者が貧者に対するときのような――己の優越を知ったうえで相手に寛大であろうとする者の態度を感じはじめた。
どこがどうとはっきり言えないが、何かの拍子にひょいとそういうものが感じられることがある。
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どことハッキリはいえないが、どうかした拍子にひょいとそういうものの感じられることがある。
ぼろをまとった蘇武の目の中にときおり浮かぶかすかな憐れみの色を、豪奢な貂の毛皮をまとった右校王・李陵は、何よりも恐れた。
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繿縷をまとうた蘇武の目の中に、ときとして浮かぶかすかな憐愍の色を、豪奢な貂裘をまとうた右校王李陵はなによりも恐れた。
十日ばかり滞在したのち、李陵は旧友に別れを告げ、うなだれて南へ去った。
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十日ばかり滞在したのち、李陵は旧友に別れて、悄然と南へ去った。
食糧や衣服のたぐいは、十分に森の丸太小屋へ残してきた。
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食糧衣服の類は充分に森の丸木小舎に残してきた。
李陵は、単于から頼まれた降伏の勧告については、とうとう口に出さなかった。
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李陵は単于からの依嘱たる降服勧告についてはとうとう口を切らなかった。
蘇武の答えは問うまでもなく明らかなのに、いまさらそんな勧告をして蘇武をも自分をも辱めるには当たらない、と思ったからである。
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蘇武の答えは問うまでもなく明らかであるものを、何もいまさらそんな勧告によって蘇武をも自分をも辱めるには当たらないと思ったからである。
南に帰ってからも、蘇武の存在は一日も彼の頭を離れなかった。
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南に帰ってからも、蘇武の存在は一日も彼の頭から去らなかった。
離れて考えるとき、蘇武の姿はかえっていっそう厳しく彼の前にそびえ立っているように思われる。
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離れて考えるとき、蘇武の姿はかえっていっそうきびしく彼の前に聳えているように思われる。
李陵自身、匈奴への降伏という自分の行いをよしとしているわけではないが、自分が故国に尽くしてきたことと、それに対して故国が自分に報いたこととを考えるなら、どんなに情け容赦のない批判者であっても、なお、それが「やむを得なかった」
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李陵自身、匈奴への降服という己の行為をよしとしているわけではないが、自分の故国につくした跡と、それに対して故国の己に酬いたところとを考えるなら、いかに無情な批判者といえども、なお、その「やむを得なかった」
ことは認めるだろう、とは信じていた。
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ことを認めるだろうとは信じていた。
ところが、ここに一人の男がいて、どれほど「やむを得ない」
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ところが、ここに一人の男があって、いかに「やむを得ない」
と思われる事情を前にしても、断じて自分に、それは「やむを得ないのだ」
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と思われる事情を前にしても、断じて、自らにそれは「やむを得ぬのだ」
という考え方を許そうとしないのである。
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という考えかたを許そうとしないのである。
飢えも寒さも孤独の苦しみも、祖国の冷たさも、自分の堅く守った節がついに誰にも知られないだろうというほとんど確実な事実も、この男にとっては、日ごろの節義を曲げなければならないほどのやむを得ない事情ではないのだ。
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飢餓も寒苦も孤独の苦しみも、祖国の冷淡も、己の苦節がついに何人にも知られないだろうというほとんど確定的な事実も、この男にとって、平生の節義を改めなければならぬほどのやむを得ぬ事情ではないのだ。
蘇武の存在は彼にとって、崇高な戒めでもあり、いらだたしい悪夢でもあった。
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蘇武の存在は彼にとって、崇高な訓誡でもあり、いらだたしい悪夢でもあった。
ときどき彼は人を遣わして蘇武の安否を尋ねさせ、食べ物や牛羊、毛織の敷物を贈った。
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ときどき彼は人を遣わして蘇武の安否を問わせ、食品、牛羊、絨氈を贈った。
蘇武に会いたい気持ちと避けたい気持ちとが、彼の中で常に闘っていた。
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蘇武をみたい気持と避けたい気持とが彼の中で常に闘っていた。
数年後、李陵はもう一度、北海のほとりの丸太小屋を訪ねた。
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数年後、今一度李陵は北海のほとりの丸木小舎を訪ねた。
そのとき途中で雲中の北方を守る衛兵たちに会い、彼らの口から、近ごろ漢の辺境では太守以下、役人も民も皆白い服を着ていることを聞いた。
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そのとき途中で雲中の北方を戍る衛兵らに会い、彼らの口から、近ごろ漢の辺境では太守以下吏民が皆白服をつけていることを聞いた。
人民がことごとく白い服を着ているとあれば、天子の喪に違いない。
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人民がことごとく服を白くしているとあれば天子の喪に相違ない。
李陵は、武帝が崩御したことを知った。
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李陵は武帝の崩じたのを知った。
北海のほとりに着いてこのことを告げたとき、蘇武は南に向かって声を上げて泣いた。
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北海の滸に到ってこのことを告げたとき、蘇武は南に向かって号哭した。
泣き伏すこと数日、ついに血を吐くに至った。
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慟哭数日、ついに血を嘔くに至った。
その有様を見ながら、李陵はしだいに暗く沈んだ気持ちになっていった。
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その有様を見ながら、李陵はしだいに暗く沈んだ気持になっていった。
彼はもちろん、蘇武の嘆きの真剣さを疑うものではない。
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彼はもちろん蘇武の慟哭の真摯さを疑うものではない。
その純粋で激しい悲嘆には、心を動かされずにはいられない。
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その純粋な烈しい悲嘆には心を動かされずにはいられない。
だが、自分にはいま、一滴の涙も浮かんでこないのである。
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だが、自分には今一滴の涙も泛んでこないのである。
蘇武は、李陵のように一族を皆殺しにされることこそなかったが、それでも彼の兄は天子の行列に際してちょっとした交通の不始末を起こしたために、また弟はある犯罪者を捕らえられなかったために、どちらも責めを負って自殺させられている。
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蘇武は、李陵のように一族を戮せられることこそなかったが、それでも彼の兄は天子の行列にさいしてちょっとした交通事故を起こしたために、また、彼の弟はある犯罪者を捕ええなかったことのために、ともに責を負うて自殺させられている。
どう考えても、漢の朝廷から厚遇されていたとは言いがたいのである。
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どう考えても漢の朝から厚遇されていたとは称しがたいのである。
それを知ったうえで、いま目の前の蘇武の純粋な号泣を見ているうちに、以前はただ蘇武の強烈な意地としか見えなかったものの底に、実は、たとえようもなく澄みきった純粋な漢の国土への愛情(それは義とか節とか、外から押しつけられたものではなく、抑えようとしても抑えきれず、こんこんと常に湧き出てくる、最も身に近い自然な愛情)が湛えられていることを、李陵ははじめて発見した。
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それを知ってのうえで、今目の前に蘇武の純粋な痛哭を見ているうちに、以前にはただ蘇武の強烈な意地とのみ見えたものの底に、実は、譬えようもなく清洌な純粋な漢の国土への愛情(それは義とか節とかいう外から押しつけられたものではなく、抑えようとして抑えられぬ、こんこんと常に湧出る最も親身な自然な愛情)が湛えられていることを、李陵ははじめて発見した。
李陵は自分と友とを隔てる根本的なものにぶつかって、いやでも自分自身への暗い疑いへ追い込まれざるを得ないのである。
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李陵は己と友とを隔てる根本的なものにぶつかっていやでも己自身に対する暗い懐疑に追いやられざるをえないのである。
蘇武のところから南へ帰って来ると、ちょうど漢からの使者が到着したところであった。
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蘇武の所から南へ帰って来ると、ちょうど、漢からの使者が到着したところであった。
武帝の死と昭帝の即位を告げ、あわせて当分の友好関係を――一年と続いたためしのない友好関係だったが――結ぶための平和の使節である。
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武帝の死と昭帝の即位とを報じてかたがた当分の友好関係を――常に一年とは続いたことのない友好関係だったが――結ぶための平和の使節である。
その使いとしてやって来たのが、思いがけず李陵の旧友である隴西の任立政ら三人であった。
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その使いとしてやって来たのが、はからずも李陵の故人・隴西の任立政ら三人であった。
その年の二月に武帝が崩御し、わずか八歳の太子・弗陵が位を継ぐと、遺言によって侍中奉車都尉・霍光が大司馬大将軍として政治を補佐することになった。
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その年の二月武帝が崩じて、僅か八歳の太子弗陵が位を嗣ぐや、遺詔によって侍中奉車都尉霍光が大司馬大将軍として政を輔けることになった。
霍光はもともと李陵と親しかったし、左将軍となった上官桀もまた陵の旧友であった。
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霍光はもと、李陵と親しかったし、左将軍となった上官桀もまた陵の故人であった。
この二人の間で、陵を呼び戻そうという相談がまとまったのである。
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この二人の間に陵を呼返そうとの相談ができ上がったのである。
今度の使者にわざわざ陵の昔の友人が選ばれたのは、そのためであった。
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今度の使いにわざわざ陵の昔の友人が選ばれたのはそのためであった。
単于の前で使者としての表向きの用が済むと、盛大な酒宴が開かれる。
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単于の前で使者の表向きの用が済むと、盛んな酒宴が張られる。
いつもはこうした場合の接待役を衛律が引き受けるのだが、今度は李陵の友人が来たということで、彼も引っ張り出されて宴に加わった。
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いつもは衛律がそうした場合の接待役を引受けるのだが、今度は李陵の友人が来た場合とて彼も引張り出されて宴につらなった。
任立政は陵を見たが、匈奴の高官たちが並ぶ前で、漢に帰れとは言えない。
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任立政は陵を見たが、匈奴の大官連の並んでいる前で、漢に帰れとは言えない。
席を隔てて李陵を見ては目配せをし、しきりに自分の刀の柄頭を撫でて、それとなく意を伝えようとした。
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席を隔てて李陵を見ては目配せをし、しばしば己の刀環を撫でて暗にその意を伝えようとした。
陵はそれを見た。
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陵はそれを見た。
相手が伝えようとしていることも、ほぼ察した。
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先方の伝えんとするところもほぼ察した。
しかし、どんな仕草で応えればよいのか分からない。
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しかし、いかなるしぐさをもって応えるべきかを知らない。
公式の宴が終わったあと、李陵と衛律らだけが残り、牛肉と酒、そして博打で漢の使者をもてなした。
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公式の宴が終わった後で、李陵・衛律らばかりが残って牛酒と博戯とをもって漢使をもてなした。
そのとき、任立政が陵に向かって言う。
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そのとき任立政が陵に向かって言う。
漢ではいま大赦の令が下り、万民は太平の仁政を楽しんでいる。
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漢ではいまや大赦令が降り万民は太平の仁政を楽しんでいる。
新しい帝はまだ幼いので、あなたの旧友である霍子孟・上官少叔が主上を助けて天下の政をつかさどることになった、と。
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新帝はいまだ幼少のこととて君が故旧たる霍子孟・上官少叔が主上を輔けて天下の事を用いることとなったと。
立政は、衛律を完全に胡の人になりきった者と見なして――事実そのとおりだったが――その前であからさまに陵を説くのをはばかった。
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立政は、衛律をもって完全に胡人になり切ったものと見做して――事実それに違いなかったが――その前では明らさまに陵に説くのを憚った。
ただ霍光と上官桀の名を挙げて、陵の心を引こうとしたのである。
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ただ霍光と上官桀との名を挙げて陵の心を惹こうとしたのである。
陵は黙って答えない。
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陵は黙して答えない。
しばらく立政をじっと見つめてから、自分の髪を撫でた。
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しばらく立政を熟視してから、己が髪を撫でた。
その髪も椎の実のように結い上げた形で、すでに中国風ではない。
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その髪も椎結とてすでに中国のふうではない。
しばらくして、衛律が着替えのために座を外した。
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ややあって衛律が服を更えるために座を退いた。
はじめて隔てのない調子で、立政が陵の字を呼んだ。
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初めて隔てのない調子で立政が陵の字を呼んだ。
少卿よ、長年の苦しみはどれほどだったか。
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少卿よ、多年の苦しみはいかばかりだったか。
霍子孟と上官少叔からよろしくとのことであった、と。
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霍子孟と上官少叔からよろしくとのことであったと。
その二人の安否を尋ね返す陵のよそよそしい言葉に、かぶせるようにして立政がふたたび言った。
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その二人の安否を問返す陵のよそよそしい言葉におっかぶせるようにして立政がふたたび言った。
少卿よ、帰ってくれ。
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少卿よ、帰ってくれ。
富や地位などは言うに足りないではないか。
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富貴などは言うに足りぬではないか。
どうか何も言わずに帰ってくれ。
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どうか何もいわずに帰ってくれ。
蘇武のところから戻ったばかりのこととて、李陵も友の切なる言葉に心が動かないではない。
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蘇武の所から戻ったばかりのこととて李陵も友の切なる言葉に心が動かぬではない。
しかし、考えてみるまでもなく、それはもはやどうにもならないことであった。
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しかし、考えてみるまでもなく、それはもはやどうにもならぬことであった。
「帰るのはたやすい。だが、また辱めを受けるだけのことではないか。どうだ」
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「帰るのは易い。だが、また辱しめを見るだけのことではないか? 如何?」
言葉の半ばで、衛律が座に戻ってきた。
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言葉半ばにして衛律が座に還ってきた。
二人は口をつぐんだ。
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二人は口を噤んだ。
会が終わって別れ際、任立政はさりげなく陵のそばに寄ると、低い声で、やはり帰る気はないのかともう一度尋ねた。
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会が散じて別れ去るとき、任立政はさりげなく陵のそばに寄ると、低声で、ついに帰るに意なきやを今一度尋ねた。
陵は首を横に振った。
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陵は頭を横にふった。
男子たる者、二度と辱めを受けるわけにはいかない、と答えた。
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丈夫ふたたび辱めらるるあたわずと答えた。
その言葉にひどく力がなかったのは、衛律に聞こえるのを恐れたためではない。
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その言葉がひどく元気のなかったのは、衛律に聞こえることを惧れたためではない。
五年後、昭帝の始元六年の夏、このまま誰にも知られず北の地で野垂れ死ぬと思われた蘇武が、偶然にも漢へ帰れることになった。
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後五年、昭帝の始元六年の夏、このまま人に知られず北方に窮死すると思われた蘇武が偶然にも漢に帰れることになった。
漢の天子が上林苑で射止めた雁の足に蘇武の絹の手紙が結んであった云々というあの有名な話は、もちろん、蘇武は死んだと言い張る単于を言い負かすためのでたらめである。
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漢の天子が上林苑中で得た雁の足に蘇武の帛書がついていた云々というあの有名な話は、もちろん、蘇武の死を主張する単于を説破するためのでたらめである。
十九年前に蘇武に従ってこの地へ来た常恵という者が漢の使者に会って蘇武の生存を知らせ、この嘘によって武を救い出すよう教えたのであった。
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十九年前蘇武に従って胡地に来た常恵という者が漢使に遭って蘇武の生存を知らせ、この嘘をもって武を救出すように教えたのであった。
さっそく北海へ使いが飛び、蘇武は単于の本営へ連れ出された。
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さっそく北海の上に使いが飛び、蘇武は単于の庭につれ出された。
李陵の心は、さすがに揺れた。
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李陵の心はさすがに動揺した。
ふたたび漢に戻れようと戻れまいと、蘇武の偉大さに変わりはなく、したがって陵の心を打つ鞭であることにも変わりはないに違いないが、しかし、天はやはり見ていたのだという思いが、李陵を強く打った。
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ふたたび漢に戻れようと戻れまいと蘇武の偉大さに変わりはなく、したがって陵の心の笞たるに変わりはないに違いないが、しかし、天はやっぱり見ていたのだという考えが李陵をいたく打った。
見ていないようでいて、やはり天は見ている。
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見ていないようでいて、やっぱり天は見ている。
彼は身の引き締まる思いで恐れた。
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彼は粛然として懼れた。
いまでも、自分の過去をけっして間違いだったとは思わないけれども、なおここに蘇武という男がいて、無理ではなかったはずの自分の過去をも恥ずかしく思わせることを堂々とやってのけ、しかもその跡がいまや天下に顕彰されることになったという事実は、どうしても李陵にはこたえた。
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今でも、己の過去をけっして非なりとは思わないけれども、なおここに蘇武という男があって、無理ではなかったはずの己の過去をも恥ずかしく思わせることを堂々とやってのけ、しかも、その跡が今や天下に顕彰されることになったという事実は、なんとしても李陵にはこたえた。
胸をかきむしられるような、このめめしい自分の気持ちが羨望ではないかと、李陵はひどく恐れた。
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胸をかきむしられるような女々しい己の気持が羨望ではないかと、李陵は極度に惧れた。
別れに際して、李陵は友のために宴を開いた。
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別れに臨んで李陵は友のために宴を張った。
言いたいことは山ほどあった。
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いいたいことは山ほどあった。
しかし結局それは、匈奴に降ったときの自分の志がどこにあったかということ、
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しかし結局それは、胡に降ったときの己の志が那辺にあったかということ。
そしてその志を実行に移す前に故国の一族が皆殺しにされ、もはや帰るすべがなくなった事情と、この二つに尽きる。
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その志を行なう前に故国の一族が戮せられて、もはや帰るに由なくなった事情とに尽きる。
それを言えば愚痴になってしまう。
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それを言えば愚痴になってしまう。
彼はひと言もそれについては言わなかった。
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彼は一言もそれについてはいわなかった。
ただ、宴がたけなわになると堪えかねて立ち上がり、舞いながら歌った。
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ただ、宴酣にして堪えかねて立上がり、舞いかつ歌うた。
万里を越え、沙漠を渡り
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径万里兮度沙幕
君のために将となって、匈奴に力を振るった
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為君将兮奮匈奴
道は絶え、矢も刃も砕け
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路窮絶兮矢刃摧
兵は滅び、名はすでに地に落ちた
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士衆滅兮名已隤
老いた母もすでに死んだ。恩に報いようにも、いったいどこへ帰ればよいのか
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老母已死雖欲報恩将安帰
歌っているうちに、声が震え、涙が頬を伝った。
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歌っているうちに、声が顫え涙が頬を伝わった。
めめしいぞと自分を叱りながら、どうしようもなかった。
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女々しいぞと自ら叱りながら、どうしようもなかった。
蘇武は十九年ぶりに祖国へ帰って行った。
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蘇武は十九年ぶりで祖国に帰って行った。
司馬遷はその後もひたすら書き続けた。
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司馬遷はその後も孜々として書き続けた。
この世に生きることをやめた彼は、書物の中の人物としてのみ生きていた。
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この世に生きることをやめた彼は書中の人物としてのみ活きていた。
現実の生活では二度と開かれることのなくなった彼の口が、魯仲連の舌を借りて、はじめて烈々と火を噴くのである。
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現実の生活ではふたたび開かれることのなくなった彼の口が、魯仲連の舌端を借りてはじめて烈々と火を噴くのである。
あるいは伍子胥となって自分の目をえぐらせ、あるいは藺相如となって秦王を叱りつけ、あるいは太子丹となって泣きながら荊軻を送り出した。
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あるいは伍子胥となって己が眼を抉らしめ、あるいは藺相如となって秦王を叱し、あるいは太子丹となって泣いて荊軻を送った。
楚の屈原の憂いと憤りを描き、いままさに汨羅に身を投げようとして作った懐沙の賦を長々と引用したとき、司馬遷にはその賦が、どうしても自分自身の作品のような気がしてしかたがなかった。
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楚の屈原の憂憤を叙して、そのまさに汨羅に身を投ぜんとして作るところの懐沙之賦を長々と引用したとき、司馬遷にはその賦がどうしても己自身の作品のごとき気がしてしかたがなかった。
筆を起こしてから十四年、腐刑の災いに遭ってから八年。
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稿を起こしてから十四年、腐刑の禍に遭ってから八年。
都では巫蠱の獄が起こり戻太子の悲劇が繰り広げられていたころ、父子相伝のこの著述は、だいたい最初の構想どおりの通史としてひととおりでき上がった。
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都では巫蠱の獄が起こり戻太子の悲劇が行なわれていたころ、父子相伝のこの著述がだいたい最初の構想どおりの通史がひととおりでき上がった。
これに書き足し、削り、推敲を重ねているうちに、また数年がたった。
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これに増補改刪推敲を加えているうちにまた数年がたった。
史記百三十巻、五十二万六千五百字が完成したのは、すでに武帝の崩御に近いころであった。
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史記百三十巻、五十二万六千五百字が完成したのは、すでに武帝の崩御に近いころであった。
列伝第七十、太史公自序の最後の筆を置いたとき、司馬遷は机に寄りかかったまま、茫然とした。
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列伝第七十太史公自序の最後の筆を擱いたとき、司馬遷は几に凭ったまま惘然とした。
深い溜め息が腹の底から出た。
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深い溜息が腹の底から出た。
目はしばらく庭先の槐の茂みに向いていたが、実は何も見ていなかった。
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目は庭前の槐樹の茂みに向かってしばらくはいたが、実は何ものをも見ていなかった。
うつろな耳で、それでも彼は、庭のどこからか聞こえてくる一匹の蝉の声に耳をすましているように見えた。
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うつろな耳で、それでも彼は庭のどこからか聞こえてくる一匹の蝉の声に耳をすましているようにみえた。
喜びがあるはずなのに、気の抜けた漠然とした寂しさと不安のほうが先に来た。
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歓びがあるはずなのに気の抜けた漠然とした寂しさ、不安のほうが先に来た。
完成した著作を役所に納め、父の墓前にその報告をするまではまだ気が張っていたが、それらが終わると、急にひどい虚脱の状態が訪れた。
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完成した著作を官に納め、父の墓前にその報告をするまではそれでもまだ気が張っていたが、それらが終わると急に酷い虚脱の状態が来た。
憑き物の落ちた巫女のように身も心もぐったりと崩れ、まだ六十を出たばかりの彼が、急に十年も年を取ったように老け込んだ。
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憑依の去った巫者のように、身も心もぐったりとくずおれ、まだ六十を出たばかりの彼が急に十年も年をとったように耄けた。
武帝の崩御も昭帝の即位も、かつての太史令・司馬遷の抜け殻にとっては、もはや何の意味も持たないように見えた。
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武帝の崩御も昭帝の即位もかつてのさきの太史令司馬遷の脱殻にとってはもはやなんの意味ももたないように見えた。
先に述べた任立政らが胡の地に李陵を訪ね、ふたたび都へ戻って来たころには、司馬遷はすでにこの世にいなかった。
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前に述べた任立政らが胡地に李陵を訪ねて、ふたたび都に戻って来たころは、司馬遷はすでにこの世に亡かった。
蘇武と別れたあとの李陵については、何ひとつ正確な記録は残されていない。
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蘇武と別れた後の李陵については、何一つ正確な記録は残されていない。
元平元年に胡の地で死んだ、ということのほかは。
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元平元年に胡地で死んだということのほかは。
とうに、彼と親しかった狐鹿姑単于は死に、その子の壺衍鞮単于の代になっていたが、その即位をめぐって左賢王と右谷蠡王の内紛があり、閼氏や衛律らと対立して李陵も心ならずもその争いに巻き込まれたであろうことは、想像に難くない。
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すでに早く、彼と親しかった狐鹿姑単于は死に、その子壺衍鞮単于の代となっていたが、その即位にからんで左賢王、右谷蠡王の内紛があり、閼氏や衛律らと対抗して李陵も心ならずも、その紛争にまきこまれたろうことは想像に難くない。
漢書の匈奴伝には、その後、李陵が胡の地でもうけた子が烏籍都尉を擁立して単于とし、呼韓邪単于に対抗してついに失敗した旨が記されている。
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漢書の匈奴伝には、その後、李陵の胡地で儲けた子が烏籍都尉を立てて単于とし、呼韓邪単于に対抗してついに失敗した旨が記されている。
宣帝の五鳳二年のことだから、李陵が死んでからちょうど十八年目にあたる。
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宣帝の五鳳二年のことだから、李陵が死んでからちょうど十八年めにあたる。
李陵の子とあるだけで、名前は記されていない。
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李陵の子とあるだけで、名前は記されていない。