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堕落論 現代語訳

坂口安吾さかぐちあんご)・1990

AI生成この訳はAI(claude-sonnet-4-6)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-23

半年のあいだに、世の中はすっかり変わった。

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半年のうちに世相は変った。

「醜の御楯といでたつ我は」——

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しこ御楯みたてといでたつ我は。

「大君のへにこそ死なめかへりみはせじ」——

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大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。

若者たちは花のように散っていったが、その同じ彼らが生き残って、今や闇屋になっている。

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若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋やみやとなる。

「ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて」——

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ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。

けなげな気持ちで夫を送り出した女たちも、半年も経てば夫の位牌に手を合わせることすら事務的になっていくだろうし、やがて心に新しい人の面影を宿す日も、それほど遠くはない。

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けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌いはいにぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。

人間が変わったのではない。

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人間が変ったのではない。

人間はもともとそういうものであり、変わったのは世の中の表面だけのことだ。

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人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。

昔、四十七士の助命を退けて処刑を断行した理由の一つは、彼らが生き続けて生き恥をさらし、せっかくの名誉を傷つける者が出てきてはいけないという余計な親切心からだったという。

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昔、四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角せっかくの名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。

今の法律にはそんな人情はない。

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現代の法律にこんな人情は存在しない。

けれども人の心にはこの傾向がかなり残っていて、美しいものを美しいままで終わらせたいというのは、ごく一般的な気持ちの一つらしい。

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けれども人の心情には多分にこの傾向が残っており、美しいものを美しいままで終らせたいということは一般的な心情の一つのようだ。

十数年前だったか、童貞と処女のまま愛の一生を終わらせようと大磯のどこかで心中した学生と娘がいたが、世間の同情は大きかったし、私自身も、数年前に私ととても親しかった姪の一人が二十一歳で自殺したとき、美しいうちに死んでくれてよかったような気がした。

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十数年前だかに童貞処女のまま愛の一生を終らせようと大磯のどこかで心中した学生と娘があったが世人の同情は大きかったし、私自身も、数年前に私と極めて親しかっためいの一人が二十一の年に自殺したとき、美しいうちに死んでくれて良かったような気がした。

一見清楚な娘だったが、壊れそうな危うさがあり、まっさかさまに地獄へ落ちていきそうな不安を感じさせるところがあって、その一生を正視できないような気がしていたからだった。

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一見清楚せいそな娘であったが、壊れそうな危なさがあり真逆様まっさかさまに地獄へちる不安を感じさせるところがあって、その一生を正視するに堪えないような気がしていたからであった。

この戦争中、文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた。

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この戦争中、文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた。

戦争で夫を失った女性たちを刺激して堕落させてはいけないという軍人政治家の思惑で、彼女たちに使徒のような余生を送らせようとしたのだろう。

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戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で彼女達に使徒の余生を送らせようと欲していたのであろう。

軍人たちは悪徳に対する理解力が鋭く、女心の移ろいやすさを知らなかったわけではなく、知りすぎていたからこそ、こんな禁止事項を作るに至ったのだった。

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軍人達の悪徳に対する理解力は敏感であって、彼等は女心の変り易さを知らなかったわけではなく、知りすぎていたので、こういう禁止項目を案出に及んだまでであった。

そもそも日本の武人は昔から女性の心情を知らないと言われているが、これは表面的な見方で、彼らが作り出した武士道という無骨きわまりない規則は、人間の弱さに対する防壁こそが最大の意味だった。

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いったいが日本の武人は古来婦女子の心情を知らないと言われているが、これは皮相の見解で、彼等の案出した武士道という武骨千万な法則は人間の弱点に対する防壁がその最大の意味であった。

武士は仇討ちのために草の根を分けて乞食になってでも敵の足跡を追い続けなければならないというが、本当に復讐の情熱をもって仇敵を追い詰めた忠臣孝子がいただろうか。

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武士は仇討のために草の根を分け乞食となっても足跡を追いまくらねばならないというのであるが、真に復讐の情熱をもって仇敵の足跡を追いつめた忠臣孝子があったであろうか。

彼らが知っていたのは仇討ちのルールとそのルールが定める名誉だけで、もともと日本人は最も憎しみが少なく、またそれが長続きしない国民であり、昨日の敵は今日の友というおおらかさが、偽らない本音の気持ちというものだろう。

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彼等の知っていたのは仇討の法則と法則に規定された名誉だけで、元来日本人は最も憎悪心の少い又永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。

昨日の敵と妥協する、いや心を打ち明け合うのは日常茶飯事であり、かつての仇敵だからこそかえって心が通い合い、たちまち二人の主君に仕えたがるし、昨日の敵にでも仕えたがる。

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昨日の敵と妥協否肝胆かんたん相照すのは日常茶飯事であり、仇敵なるが故に一そう肝胆相照らし、たちまち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。

生きて捕虜の恥を受けてはならないというが、こういう規定がなければ日本人を戦闘に駆り立てることは不可能なのであって、私たちは規約に従うけれど、私たちの偽らない本音は規約と逆のものだ。

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生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。

日本の戦史は武士道の戦史というより権謀術数の戦史であり、歴史の証明を待つよりも自分自身の本心を見つめることで歴史の仕組みを知ることができるだろう。

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日本戦史は武士道の戦史よりも権謀術数の戦史であり、歴史の証明にまつよりも自我の本心を見つめることによって歴史のカラクリを知り得るであろう。

今日の軍人政治家が未亡人の恋愛について執筆を禁じたように、昔の武人は武士道によって自分自身や部下たちの弱点を抑える必要があった。

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今日の軍人政治家が未亡人の恋愛にいて執筆を禁じた如く、いにしえの武人は武士道によって自らの又部下達の弱点を抑える必要があった。

小林秀雄は政治家のタイプを、独創を持たずただ管理し支配する人種と呼んでいるが、必ずしもそうではないようだ。

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小林秀雄は政治家のタイプを、独創をもたずただ管理し支配する人種と称しているが、必ずしもそうではないようだ。

政治家の大多数は常にそうだけれども、少数の天才は管理や支配の方法に独創を持ち、それが平凡な政治家の規範となって、それぞれの時代、それぞれの政治を貫く歴史の形として、巨大な生き物の意志を示している。

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政治家の大多数は常にそうであるけれども、少数の天才は管理や支配の方法に独創をもち、それが凡庸ぼんような政治家の規範となって個々の時代、個々の政治を貫く一つの歴史の形で巨大な生き者の意志を示している。

政治の場合において、歴史は個人をつなぎ合わせたものではなく、個人を飲み込んだ別個の巨大な生き物として誕生し、歴史の姿において政治もまた巨大な独創を行っているのだ。

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政治の場合に於て、歴史は個をつなぎ合せたものでなく、個を没入せしめた別個の巨大な生物となって誕生し、歴史の姿に於て政治もまた巨大な独創を行っているのである。

この戦争をやったのは誰か。東条であり軍部であるか。

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この戦争をやった者は誰であるか、東条であり軍部であるか。

そうでもあるが、しかしまた、日本を貫く巨大な生き物、歴史のどうにも動かしがたい意志でもあったに違いない。

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そうでもあるが、然し又、日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしならぬ意志であったに相違ない。

日本人は歴史の前ではただ運命に素直な子どもにすぎなかった。

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日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったにすぎない。

政治家にたとえ独創がなくても、政治は歴史の姿において独創を持ち、意欲を持ち、止めることのできない歩調で大海の波のように進んでいく。

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政治家によし独創はなくとも、政治は歴史の姿に於て独創をもち、意慾をもち、やむべからざる歩調をもって大海の波の如くに歩いて行く。

いったい誰が武士道を考え出したのか。

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何人が武士道を案出したか。

これもまた歴史の独創、あるいは歴史の嗅覚によるものだったろう。

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之も亦歴史の独創、又は嗅覚であったであろう。

歴史は常に人間の本質を嗅ぎ当てている。

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歴史は常に人間を嗅ぎだしている。

武士道は人間の本性や本能に対する禁止事項であるがゆえに非人間的で、人間の自然に反するものだが、人間の本性や本能を深く見抜いた結果である点においては、まったく人間的なものだ。

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そして武士道は人性や本能に対する禁止条項である為に非人間的反人性的なものであるが、その人性や本能に対する洞察の結果である点に於ては全く人間的なものである。

私は天皇制についても、きわめて日本的な(したがってある意味では独創的な)政治的作品を見る。

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私は天皇制に就ても、極めて日本的な(従って或いは独創的な)政治的作品を見るのである。

天皇制は天皇によって生み出されたものではない。

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天皇制は天皇によって生みだされたものではない。

天皇は時に自ら陰謀を起こしたこともあるが、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功したためしがなく、島流しになったり山奥へ逃げたりして、結局いつも政治的な理由によってその存在を認められてきた。

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天皇は時に自ら陰謀を起したこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。

社会的に忘れられたときでさえ政治的に担ぎ出されてくるのであって、その存在の政治的な理由はいわば政治家たちの嗅覚によるもので、彼らは日本人の性質を見抜き、その性質の中に天皇制を発見していた。

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社会的に忘れた時にすら政治的にかつぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。

それは天皇家に限るものではない。

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それは天皇家に限るものではない。

代われるものなら、孔子の家でも釈迦の家でもレーニンの家でも構わなかった。

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代り得るものならば、孔子家でも釈迦しゃか家でもレーニン家でも構わなかった。

ただ代われなかっただけだ。

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ただ代り得なかっただけである。

少なくとも日本の政治家たち(貴族や武士)は、自分たちが永遠に栄えること(それは永遠ではなかったが、彼らは永遠を夢見たろう)を約束する手段として、絶対君主の必要性を感じ取っていた。

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すくなくとも日本の政治家達(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼等は永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけていた。

平安時代の藤原氏は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の下位にあることを疑いもしなかったし、不満にも思っていなかった。

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平安時代の藤原氏は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の下位であるのを疑りもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。

天皇の存在によってお家の争いを処理し、弟は兄をやり込め、兄は父をやっつける。

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天皇の存在によって御家騒動の処理をやり、弟は兄をやりこめ、兄は父をやっつける。

彼らはもともと現実主義者であり、自分の一生が楽しければよかったし、そのくせ朝廷の儀式を盛大に行って天皇を拝む奇妙な形式が大好きで、満足していた。

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彼等は本能的な実質主義者であり、自分の一生がたのしければ良かったし、そのくせ朝儀を盛大にして天皇を拝賀する奇妙な形式が大好きで、満足していた。

天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示すとともに、自ら威厳を感じる手段でもあったのだ。

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天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、又、自ら威厳を感じる手段でもあったのである。

私たちには実際馬鹿げた話だ。

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我々にとっては実際馬鹿げたことだ。

私たちは靖国神社の下を電車が曲るたびに頭を下げさせられる馬鹿らしさには閉口したが、ある種の人々にとっては、そうすることでしか自分を感じることができないのであり、私たちは靖国神社についてはその馬鹿らしさを笑うけれど、別のことについて、同じような馬鹿げたことを自分自身でやっている。

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我々は靖国神社の下を電車が曲るたびに頭を下げさせられる馬鹿らしさには閉口したが、或種の人々にとっては、そうすることによってしか自分を感じることが出来ないので、我々は靖国神社に就てはその馬鹿らしさを笑うけれども、外の事柄に就て、同じような馬鹿げたことを自分自身でやっている。

ただ自分の馬鹿らしさには気づかないだけのことだ。

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そして自分の馬鹿らしさには気づかないだけのことだ。

宮本武蔵は一乗寺下り松の決闘場へ急ぐ途中、八幡様の前を通りかかって思わず拝みかけて思いとどまったというが、「吾神仏をたのまず」という彼の教訓は、この自分自身の性癖に発し、またそれに向けられた悔恨の深い言葉であり、私たちは自発的にはずいぶん馬鹿げたものを拝んでいて、ただそれを意識しないというだけのことだ。

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宮本武蔵は一乗寺下り松の果し場へ急ぐ途中、八幡様の前を通りかかって思わず拝みかけて思いとどまったというが、吾神仏をたのまずという彼の教訓は、この自らの性癖に発し、又向けられた悔恨深い言葉であり、我々は自発的にはずいぶん馬鹿げたものを拝み、ただそれを意識しないというだけのことだ。

道徳を説く先生は教壇でまず書物をうやうやしく押し頂くが、彼はそのことに自分の威厳を、そして自分自身の存在すら感じているのだろう。

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道学先生は教壇で先ず書物をおしいただくが、彼はそのことに自分の威厳と自分自身の存在すらも感じているのであろう。

そして私たちも何かにつけて似たようなことをやっている。

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そして我々も何かにつけて似たことをやっている。

日本人のように権謀術数を事とする国民には、権謀術数のためにも大義名分のためにも天皇が必要で、個々の政治家は必ずしもその必要を感じていなくても、歴史的な嗅覚において彼らはその必要を感じるよりも自分がいる現実を疑うことがなかったのだ。

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日本人の如く権謀術数を事とする国民には権謀術数のためにも大義名分のためにも天皇が必要で、個々の政治家は必ずしもその必要を感じていなくとも、歴史的な嗅覚に於て彼等はその必要を感じるよりも自らの居る現実を疑ることがなかったのだ。

秀吉は聚楽第に天皇の行幸を仰いで、自ら盛大な儀式に感涙していたが、自分の威厳をそれによって感じると同時に、宇宙の神をそこに見ていた。

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秀吉は聚楽じゅらくに行幸を仰いで自ら盛儀に泣いていたが、自分の威厳をそれによって感じると同時に、宇宙の神をそこに見ていた。

これは秀吉の場合であって、他の政治家の場合ではないが、権謀術数がたとえば悪魔の手段にしても、悪魔が幼子のように神を拝むことも必ずしも不思議ではない。

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これは秀吉の場合であって、他の政治家の場合ではないが、権謀術数がたとえば悪魔の手段にしても、悪魔が幼児の如くに神を拝むことも必ずしも不思議ではない。

どんな矛盾でもあり得るのだ。

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どのような矛盾も有り得るのである。

要するに天皇制というものも武士道と同じ種類のもので、女心は移ろいやすいから「節婦は二夫に見えず」——

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要するに天皇制というものも武士道と同種のもので、女心は変り易いから「節婦は二夫にまみえず」

という、禁止それ自体は非人間的で人間の自然に反するものだけれど、その洞察の真理においては人間的であることと同じように、天皇制それ自体は真理でもなく自然でもないが、そこに至る歴史的な発見や洞察において、軽々しく否定しがたい深刻な意味を含んでいて、表面的な真理や自然法則だけでは割り切れない。

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という、禁止自体は非人間的、反人性的であるけれども、洞察の真理に於て人間的であることと同様に、天皇制自体は真理ではなく、又自然でもないが、そこに至る歴史的な発見や洞察に於て軽々しく否定しがたい深刻な意味を含んでおり、ただ表面的な真理や自然法則だけでは割り切れない。

美しいものを美しいままで終わらせたいなどと望むのは小さな人情にすぎず、私の姪の場合にしても、自殺などせず生き抜いて、そして地獄に落ちて暗黒の荒野をさまようことを望むべきだったのかもしれない。

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まったく美しいものを美しいままで終らせたいなどとねがうことは小さな人情で、私の姪の場合にしたところで、自殺などせず生きぬきそして地獄にちて暗黒の曠野こうやをさまようことを希うべきであるかも知れぬ。

実際、私自身が自分に課した文学の道はそのような荒野の流浪だが、それにもかかわらず、美しいものを美しいままで終わらせたいというささやかな望みを消し去るわけにもいかない。

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現に私自身が自分に課した文学の道とはかかる曠野の流浪であるが、それにもかかわらず美しいものを美しいままで終らせたいという小さな希いを消し去るわけにも行かぬ。

未完の美は美ではない。

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未完の美は美ではない。

その当然落ちるべき地獄での放浪において、転落それ自体が美であり得るときに初めて美と呼べるのかもしれないが、二十歳の処女をわざわざ六十歳の醜い老いの姿の上で常に見つめなければならないのか。

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その当然堕ちるべき地獄での遍歴に淪落りんらく自体が美でありうる時に始めて美とよびうるのかも知れないが、二十の処女をわざわざ六十の老醜の姿の上で常に見つめなければならぬのか。

これは私には分からない。

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これは私には分らない。

私は二十歳の美女を好む。

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私は二十の美女を好む。

死んでしまえば身もふたもないというが、果たしてどういうものだろうか。

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死んでしまえば身もふたもないというが、果してどういうものであろうか。

敗戦して、結局気の毒なのは戦死した英霊たちだ、という考え方も、私は素直に肯定することができない。

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敗戦して、結局気の毒なのは戦歿した英霊達だ、という考え方も私は素直に肯定することができない。

けれども、六十を過ぎた将軍たちが今も生に未練を持ちながら法廷に引かれていくのを見ると、何が人生の魅力であるのか私にはさっぱり分からず、しかし恐らく私自身も、もし私が六十歳の将軍だったなら同じように生に未練を持ちながら法廷に引かれていくだろうと想像せざるを得ないので、私は生という不思議な力にただ茫然とするばかりだ。

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けれども、六十すぎた将軍達がなお生に恋々として法廷にひかれることを思うと、何が人生の魅力であるか、私には皆目分らず、然し恐らく私自身も、もしも私が六十の将軍であったなら矢張り生に恋々として法廷にひかれるであろうと想像せざるを得ないので、私は生という奇怪な力にただ茫然たるばかりである。

私は二十歳の美女を好むが、老将軍もまた二十歳の美女を好んでいるのか。

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私は二十の美女を好むが、老将軍も亦二十の美女を好んでいるのか。

そして戦死した英霊が気の毒なのも、二十歳の美女を好むという意味においてのことか。

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そして戦歿の英霊が気の毒なのも二十の美女を好む意味に於てであるか。

そのようにはっきりした形のものなら、私は安心することもできるし、そこからひたすら二十歳の美女を追いかける信念さえ持つことができるのだが、生きることはもっとわけの分からないものだ。

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そのように姿の明確なものなら、私は安心することもできるし、そこから一途いちずに二十の美女を追っかける信念すらも持ちうるのだが、生きることは、もっとわけの分らぬものだ。

私は血を見ることがとても苦手で、以前私の目の前で自動車が衝突したとき、私はくるりと振り向いて逃げ出していた。

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私は血を見ることが非常に嫌いで、いつか私の眼前で自動車が衝突したとき、私はクルリと振向いて逃げだしていた。

けれども、私は偉大な破壊が好きだった。

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けれども、私は偉大な破壊が好きであった。

私は爆弾や焼夷弾に身を震わせながら、狂暴な破壊に激しく興奮していたが、それにもかかわらず、このときほど人間を愛し、懐かしいと感じていた時はなかったような気がする。

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私は爆弾や焼夷弾しょういだんおののきながら、狂暴な破壊にはげしく亢奮こうふんしていたが、それにも拘らず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする。

私は疎開を勧め、またすすんで田舎の住宅を提供しようと申し出てくれた数人の親切を断って、東京に踏みとどまっていた。

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私は疎開をすすめ又すすんで田舎の住宅を提供しようと申出てくれた数人の親切をしりぞけて東京にふみとどまっていた。

大井広介の焼け跡の防空壕を最後の拠点にするつもりで、そして九州へ疎開する大井広介と別れたときは東京からあらゆる友人を失ったときでもあったが、やがて米軍が上陸し四方に重砲弾が炸裂するさなかにその防空壕で息をひそめている自分自身を想像して、私はその運命を受け入れ、待ち構える気持ちになっていたのだった。

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大井広介の焼跡の防空壕を、最後の拠点にするつもりで、そして九州へ疎開する大井広介と別れたときは東京からあらゆる友達を失った時でもあったが、やがて米軍が上陸し四辺に重砲弾の炸裂さくれつするさなかにその防空壕に息をひそめている私自身を想像して、私はその運命を甘受し待ち構える気持になっていたのである。

私は死ぬかもしれないと思っていたが、より多く生きることを確信していたに違いない。

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私は死ぬかも知れぬと思っていたが、より多く生きることを確信していたに相違ない。

しかし廃墟に生き残り、何か抱負があったかといえば、私はただ生き残ること以外に何の見通しも持っていなかったのだ。

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然し廃墟に生き残り、何か抱負を持っていたかと云えば、私はただ生き残ること以外の何の目算もなかったのだ。

予想もできない新しい世界への不思議な再生。

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予想し得ぬ新世界への不思議な再生。

その好奇心は私の一生の中で最も新鮮なものであり、その奇妙な鮮度への代償として東京にとどまることを賭ける必要があるという奇妙な呪文に取り憑かれていたというだけだった。

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その好奇心は私の一生の最も新鮮なものであり、その奇怪な鮮度に対する代償としても東京にとどまることを賭ける必要があるという奇妙な呪文にかれていたというだけであった。

そのくせ私は臆病で、昭和二十年の四月四日、私は初めて四方二時間にわたる爆撃を経験したのだが、頭上の照明弾で昼のように明るくなった、そのとき丁度上京していた次兄が防空壕の中から焼夷弾かと尋ねた、いや照明弾が落ちてくるのだと答えようとした私は、一度腹に力を入れた上でないと声が全然出ないという状態を知った。

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そのくせ私は臆病で、昭和二十年の四月四日という日、私は始めて四周に二時間にわたる爆撃を経験したのだが、頭上の照明弾で昼のように明るくなった、そのとき丁度上京していた次兄が防空壕の中から焼夷弾かと訊いた、いや照明弾が落ちてくるのだと答えようとした私は一応腹に力を入れた上でないと声が全然でないという状態を知った。

また、当時日本映画社の嘱託だった私は、銀座が爆撃された直後、次の編隊が来るのを銀座の日映の屋上で迎えたが、五階の建物の上に塔があり、この上に三台のカメラが据えてある。

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又、当時日本映画社の嘱託だった私は銀座が爆撃された直後、編隊の来襲を銀座の日映の屋上で迎えたが、五階の建物の上に塔があり、この上に三台のカメラが据えてある。

空襲警報になると路上、窓、屋上、銀座からあらゆる人の姿が消え、屋上の高射砲陣地でさえ掩壕に隠れて人影はなく、ただ天地に露出している人の姿は日映の屋上の十名ほどの一団だけだった。

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空襲警報になると路上、窓、屋上、銀座からあらゆる人の姿が消え、屋上の高射砲陣地すらも掩壕えんごうに隠れて人影はなく、ただ天地に露出する人の姿は日映屋上の十名程の一団のみであった。

まず石川島に焼夷弾の雨が降り、次の編隊がまさに真上へ来る。

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先ず石川島に焼夷弾の雨がふり、次の編隊が真上へくる。

私は足の力が抜けていくのを感じた。

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私は足の力が抜け去ることを意識した。

煙草をくわえてカメラを編隊に向けている、腹立たしいほど落ち着いたカメラマンの姿に驚嘆したのだった。

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煙草をくわえてカメラを編隊に向けている憎々しいほど落着いたカメラマンの姿に驚嘆したのであった。

けれども私は偉大な破壊を愛していた。

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けれども私は偉大な破壊を愛していた。

運命に従順な人間の姿は奇妙なほど美しいものだ。

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運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。

麹町のあらゆる大きな邸宅が嘘のように消え失せて燃えさしの煙を立てており、上品な父と娘がたった一つの赤皮のトランクをはさんでお濠端の緑の草の上に座っている。

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麹町こうじまちのあらゆる大邸宅が嘘のように消え失せて余燼よじんをたてており、上品な父と娘がたった一つの赤皮のトランクをはさんで濠端の緑草の上に坐っている。

片側に燃えさしの煙を上げる広大な廃墟がなければ、平和なピクニックとまったく変わらない。

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片側に余燼をあげる茫々たる廃墟がなければ、平和なピクニックと全く変るところがない。

ここも消え失せて広大にただ燃えさしの煙を上げている道玄坂では、坂の中ほどにどうやら爆撃によるものではなく自動車にひき殺されたと思われる死体が倒れており、一枚のトタン板がかぶせてある。

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ここも消え失せて茫々ただ余燼をたてている道玄坂どうげんざかでは、坂の中途にどうやら爆撃のものではなく自動車にひき殺されたと思われる死体が倒れており、一枚のトタンがかぶせてある。

かたわらに銃剣を持った兵隊が立っていた。

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かたわらに銃剣の兵隊が立っていた。

行く者、帰る者、被災者たちの長い流れがまったくただ無心の流れのように死体をすり抜けて行き交い、路上の鮮血にも気づく者すらおらず、たまたま気づいた者があっても、捨てられた紙くずを見るほどの関心しか示さない。

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行く者、帰る者、罹災者りさいしゃ達の蜿蜓えんえんたる流れがまことにただ無心の流れの如くに死体をすりぬけて行き交い、路上の鮮血にも気づく者すら居らず、たまさか気づく者があっても、捨てられた紙屑を見るほどの関心しか示さない。

アメリカ人たちは終戦直後の日本人は虚脱して放心していると言ったが、爆撃直後の被災者たちの行進は虚脱や放心とは種類の違う、驚くべき充実と重みを持つ無心であり、素直な運命の子どもたちだった。

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米人達は終戦直後の日本人は虚脱し放心していると言ったが、爆撃直後の罹災者達の行進は虚脱や放心と種類の違った驚くべき充満と重量をもつ無心であり、素直な運命の子供であった。

笑っているのはいつも十五、六歳から十六、七歳の娘たちだった。

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笑っているのは常に十五六、十六七の娘達であった。

彼女たちの笑顔は爽やかだった。

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彼女達の笑顔はさわやかだった。

焼け跡を掘り返して焼けたバケツに掘り出した陶器を入れていたり、わずかばかりの荷物の番をして路上で日向ぼっこをしていたり、この年頃の娘たちは未来の夢でいっぱいで現実など苦にならないのだろうか、それとも高い虚栄心からなのだろうか。

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焼跡をほじくりかえして焼けたバケツへ掘りだした瀬戸物を入れていたり、わずかばかりの荷物の張番をして路上に日向ぼっこをしていたり、この年頃の娘達は未来の夢でいっぱいで現実などは苦にならないのであろうか、それとも高い虚栄心のためであろうか。

私は焼け野原に娘たちの笑顔を探すのが楽しみだった。

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私は焼野原に娘達の笑顔を探すのがたのしみであった。

あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。

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あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。

無心だったが、充実していた。

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無心であったが、充満していた。

猛火をくぐって逃げのびてきた人たちは、燃えかけている家のそばに群がって寒さをしのぐ暖を取っており、同じ火に必死に消火に努めている人々からほんの少し離れているだけで、まったく別の世界にいるのだった。

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猛火をくぐって逃げのびてきた人達は、燃えかけている家のそばに群がって寒さの煖をとっており、同じ火に必死に消火につとめている人々から一尺離れているだけで全然別の世界にいるのであった。

偉大な破壊、その驚くべき愛情。

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偉大な破壊、その驚くべき愛情。

偉大な運命、その驚くべき愛情。

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偉大な運命、その驚くべき愛情。

それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。

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それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。

だが、堕落ということの驚くべき平凡さや当たり前の自然さに比べると、あのすさまじい偉大な破壊の愛情や、運命に従順な人間たちの美しさも、泡のようなはかない幻にすぎないという気持ちがする。

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だが、堕落ということの驚くべき平凡さや平凡な当然さに比べると、あのすさまじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間達の美しさも、泡沫ほうまつのような虚しい幻影にすぎないという気持がする。

徳川幕府の考えは四十七士を殺すことによって永遠の義士にしようとしたのだが、四十七人が堕落することだけは防げたとしても、人間そのものが常に義士から凡人へ、また地獄へと転落し続けることは防ぎようもない。

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徳川幕府の思想は四十七士を殺すことによって永遠の義士たらしめようとしたのだが、四十七名の堕落のみは防ぎ得たにしたところで、人間自体が常に義士から凡俗へ又地獄へ転落しつづけていることを防ぎうるよしもない。

「節婦は二夫に見えず、忠臣は二君に仕えず」と規則を作っても人間の転落は防げず、たとえ処女を刺し殺してその純潔を守ることに成功しても、堕落の平凡な足音、ただ打ち寄せる波のようなその当然の足音に気づくとき、人間の手による努力の小ささ、人為によって守られた処女の純潔の小ささなどは、泡のようなはかない幻にすぎないと気づかずにはいられない。

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節婦は二夫に見えず、忠臣は二君に仕えず、と規約を制定してみても人間の転落は防ぎ得ず、よしんば処女を刺し殺してその純潔を保たしめることに成功しても、堕落の平凡な跫音あしおと、ただ打ちよせる波のようなその当然な跫音に気づくとき、人為の卑小さ、人為によって保ち得た処女の純潔の卑小さなどは泡沫の如き虚しい幻像にすぎないことを見出さずにいられない。

特攻隊の勇士はただの幻にすぎず、人間の歴史は闇屋になるところから始まるのではないか。

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特攻隊の勇士はただ幻影であるにすぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないのか。

未亡人が使徒であることも幻にすぎず、新たな人の面影を胸に宿すところから人間の歴史が始まるのではないか。

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未亡人が使徒たることも幻影にすぎず、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのではないのか。

そしてあるいは天皇もただの幻にすぎず、ただの人間になるところから本当の天皇の歴史が始まるのかもしれない。

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そして或は天皇もただ幻影であるにすぎず、ただの人間になるところから真実の天皇の歴史が始まるのかも知れない。

歴史という生き物が巨大であるのと同じように、人間そのものも驚くほど巨大だ。

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歴史という生き物の巨大さと同様に人間自体も驚くほど巨大だ。

生きるということは実に唯一の不思議だ。

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生きるという事は実に唯一の不思議である。

六十、七十の将軍たちが切腹もせず肩を並べて法廷に引かれていくなどとは、終戦によって発見された壮観な人間の姿であり、日本は負け、そして武士道は滅びたが、堕落という真実の母胎によって初めて人間が誕生したのだ。

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六十七十の将軍達が切腹もせずくつわを並べて法廷にひかれるなどとは終戦によって発見された壮観な人間図であり、日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。

生きよ、堕ちよ、その正当な手順の外に、本当に人間を救える便利な近道などあり得るだろうか。

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生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。

私は切腹が好きではない。

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私はハラキリを好まない。

昔、松永弾正という老獪で陰鬱な陰謀家は、信長に追い詰められて仕方なく城を枕に討ち死にしたが、死ぬ直前に毎日の習慣通り長生きのためのお灸をすえ、それから鉄砲を顔に押し当てて顔を打ち砕いて死んだ。

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昔、松永弾正という老獪ろうかい陰鬱な陰謀家は信長に追いつめられて仕方なく城を枕に討死したが、死ぬ直前に毎日の習慣通り延命のきゅうをすえ、それから鉄砲を顔に押し当て顔を打ち砕いて死んだ。

そのとき七十を過ぎていたが、人前で平気で女と戯れる悪どい男だった。

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そのときは七十をすぎていたが、人前で平気で女と戯れる悪どい男であった。

この男の死に方には共感するが、私は切腹は好きではない。

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この男の死に方には同感するが、私はハラキリは好きではない。

私は身を震わせながら、しかし惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。

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私はおののきながら、然し、惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。

私は考える必要がなかった。

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私は考える必要がなかった。

そこには美しいものがあるばかりで、人間がいなかったからだ。

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そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ。

実際、泥棒すらいなかった。

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実際、泥棒すらもいなかった。

最近の東京は暗いというが、戦争中は本当の闇で、それなのにどんな深夜でも強盗などの心配はなく、暗闇の真夜中を歩き、戸締まりなしで眠っていたのだ。

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近頃の東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でもオイハギなどの心配はなく、暗闇の深夜を歩き、戸締なしで眠っていたのだ。

戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただはかない美しさが咲き溢れていた。

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戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。

それは人間の本当の美しさではない。

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それは人間の真実の美しさではない。

そして、もし私たちが考えることを忘れるなら、これほど気楽で壮観な見世物はないだろう。

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そしてもし我々が考えることを忘れるなら、これほど気楽なそして壮観な見世物はないだろう。

たとえ爆弾の絶えない恐怖があるにしても、考えることがない限り、人は常に気楽であり、ただ惚れ惚れと見とれていればよかったのだ。

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たとえ爆弾の絶えざる恐怖があるにしても、考えることがない限り、人は常に気楽であり、ただ惚れ惚れと見とれておれば良かったのだ。

私は一人の馬鹿だった。

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私は一人の馬鹿であった。

最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。

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最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。

終戦後、私たちはあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自分自身のどうにも解きほぐせない縛りとその不自由さに気づくだろう。

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終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。

人間は永遠に自由ではあり得ない。

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人間は永遠に自由では有り得ない。

なぜなら人間は生きており、また死ななければならず、そして人間は考えるからだ。

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なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ。

政治上の改革は一日で行われるが、人間の変化はそうはいかない。

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政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。

遠くギリシャで発見され確立への一歩を踏み出した人間の本性が、今日、どれほどの変化を示しているだろうか。

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遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。

人間。

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人間。

戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向かってきても、人間そのものをどうにかできるものではない。

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戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。

戦争は終わった。

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戦争は終った。

特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな人の面影で胸をふくらませているではないか。

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特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。

人間は変わりはしない。

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人間は変りはしない。

ただ人間に戻ってきただけだ。

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ただ人間へ戻ってきたのだ。

人間は堕落する。

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人間は堕落する。

義士も聖女も堕落する。

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義士も聖女も堕落する。

それを防ぐことはできないし、防ぐことで人を救うこともできない。

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それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。

人間は生き、人間は堕ちる。

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人間は生き、人間は堕ちる。

そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

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そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

戦争に負けたから堕ちるのではない。

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戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。

人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。

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人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。

だが人間は永遠に堕ち続けることはできないだろう。

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だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。

なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄のようにはあり得ないからだ。

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なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。

人間はか弱く脆く、それゆえ愚かなものだが、堕ち続けるには弱すぎる。

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人間は可憐であり脆弱ぜいじゃくであり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。

人間は結局、処女を刺し殺さずにはいられず、武士道を作り出さずにはいられず、天皇を担ぎ出さずにはいられなくなるだろう。

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人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。

だが他人の処女ではなく自分自身の処女を刺し殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇を作り出すためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。

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だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。

そして人と同じように日本もまた堕ちることが必要だろう。

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そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。

堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。

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堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。

政治による救いなどは表面だけの、何の役にも立たないものだ。

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政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。