よめる文庫

日本文化私観 小学生向け

坂口安吾さかぐちあんご)・1990

AI生成この訳はAI(claude-sonnet-5)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-28

一 「日本的」

原文を見る

一 「日本的」

ということ

原文を見る

ということ

ぼくは日本の昔の文化について、ほとんど何も知らない。

原文を見る

僕は日本の古代文化について殆んど知識を持っていない。

ブルーノ・タウトがべた褒めする桂離宮(かつらりきゅう)も見たことがないし、玉泉、大雅堂、竹田(ちくでん)、鉄斎という絵かきたちのことも知らない。

原文を見る

ブルーノ・タウトが絶讃する桂離宮も見たことがなく、玉泉も大雅堂も竹田ちくでんも鉄斎も知らないのである。

まして、秦蔵六(はたぞうろく)や竹源斎という名人の名前さえ聞いたことがないし、そもそもめったに旅行しないので、日本のあちこちの町や村のことも、風習(ふうしゅう・その土地のならわし)も、山や川のことも知らないのだ。

原文を見る

いわんや、秦蔵六はたぞうろくだの竹源斎師など名前すら聞いたことがなく、第一、めったに旅行することがないので、祖国のあの町この村も、風俗も、山河も知らないのだ。

タウトによれば日本でいちばん俗悪(ぞくあく・下品でみっともないこと)な都市だという新潟市(にいがたし)にぼくは生まれ、彼が見下してきらう上野から銀座への街や、ネオンサインをぼくは愛している。

原文を見る

タウトによれば日本に於ける最も俗悪な都市だという新潟市に僕は生れ、彼のさげすみ嫌うところの上野から銀座への街、ネオン・サインを僕は愛す。

茶の湯(さどう・お茶をたてる作法)のやり方などまったく知らない代わりに、むやみにお酒に酔いしれることばかり知っていて、ひとりで家にこもっていても、床の間(とこのま・和室のかざりの場所)などというものに目を向けたことすらない。

原文を見る

茶の湯の方式など全然知らない代りには、みだりに酔いれることをのみ知り、孤独の家居にいて、床の間などというものに一顧を与えたこともない。

けれども、そんなぼくの暮らしが、日本の輝かしい古代文化の伝統(でんとう・昔から受けつがれてきたもの)を見失ったからといって、貧しいものだとは思っていない(もっとも、別の理由で「自分は貧しいのではないか」という反省には悩まされているのだが――)。

原文を見る

けれども、そのような僕の生活が、祖国の光輝ある古代文化の伝統を見失ったという理由で、貧困なものだとは考えていない(然し、ほかの理由で、貧困だという内省には悩まされているのだが――)。

タウトはある日、竹田(ちくでん)の絵が好きだというある日本のお金持ちに招待された。

原文を見る

タウトはある日、竹田の愛好家というさる日本の富豪の招待を受けた。

客は十人あまりだった。

原文を見る

客は十名余りであった。

その家の主人は女中(じょちゅう・家事を手伝う人)の手を借りず、自分で倉庫と座敷(ざしき)を何度も行き来し、一幅(いっぷく)ずつ掛け軸を持ってきては床の間にかけて客たちに見せ、また別の掛け軸を取りに行った。名画で客を楽しませることを、自分のよろこびとしているのである。

原文を見る

主人は女中の手をかりず、自分で倉庫と座敷の間を往復し、一幅いっぷくずつの掛物を持参して床の間へ吊し一同に披露して、又、別の掛物をとりに行く、名画が一同を楽しませることを自分の喜びとしているのである。

それが終わると席を変えて、茶の湯と、行儀正しい食事を出したという。

原文を見る

終って、座を変え、茶の湯と、礼儀正しい食膳を供したという。

こういう暮らしが「古代文化の伝統を見失わない」

原文を見る

こういう生活が「古代文化の伝統を見失わない」

ための、心の中身が豊かな暮らしだと言われると、「心の中身」の基準があまりに安易でめちゃくちゃな話だけれど、しかしもちろん、文化の伝統を見失ったぼくの方が、そのために心豊かであるはずもない。

原文を見る

ために、内面的に豊富な生活だと言うに至っては内面なるものの目安が余り安直で滅茶苦茶な話だけれども、然し、無論、文化の伝統を見失った僕の方が(そのために)豊富である筈もない。

いつかコクトオが日本へ来たとき、日本人はどうして和服を着ないのだろうと言って、日本が自分の国の伝統を忘れ、欧米のまねをすることに必死になっているようすを嘆いたのだった。

原文を見る

いつかコクトオが、日本へ来たとき、日本人がどうして和服を着ないのだろうと言って、日本が母国の伝統を忘れ、欧米化に汲々きゅうきゅうたる有様を嘆いたのであった。

なるほど、フランスという国は不思議な国である。

原文を見る

成程、フランスという国は不思議な国である。

戦争が始まると、まっさきに避難させたのはルーヴル博物館にならべてあった美術品と金のかたまりだった。パリを守るために、国の運命を変えてしまったのである。

原文を見る

戦争が始ると、先ずまっさきに避難したのはルーヴル博物館の陳列品と金塊で、巴里パリの保存のために祖国の運命を換えてしまった。

彼らは伝統という遺産(いさん・受けついだ財産)を受け継いできたが、自分の国の伝統を生み出すのもまた自分たち自身にほかならないということを、まったく知らないようである。

原文を見る

彼等は伝統の遺産を受継いできたが、祖国の伝統を生むべきものが、又、彼等自身に外ならぬことを全然知らないようである。

伝統とは何か?

原文を見る

伝統とは何か?

国民性とは何か?

原文を見る

 国民性とは何か?

日本人には生まれつき決まった性格があって、どうしても和服を発明し、それを着なければならないような決定的な理由があるのだろうか。

原文を見る

 日本人には必然の性格があって、どうしても和服を発明し、それを着なければならないような決定的な素因があるのだろうか。

講談(こうだん・昔の武士などの物語を語る芸)を読むと、われわれの祖先はとても復讐心(ふくしゅうしん・仕返しをしたい気持ち)が強く、こじきになってでも、草の根をかき分けるようにして敵をさがし回っている。

原文を見る

講談を読むと、我々の祖先は甚だ復讐心が強く、乞食となり、草の根を分けて仇を探し廻っている。

そのサムライの時代が終わってからまだ七、八十年しかたっていないのに、これはもう、われわれにとっては夢の中の物語である。

原文を見る

そのサムライが終ってからまだ七八十年しか経たないのに、これはもう、我々にとっては夢の中の物語である。

今日の日本人は、あらゆる国民の中でも、おそらく最も人を憎む気持ちの少ない国民の一つである。

原文を見る

今日の日本人は、およそ、あらゆる国民の中で、恐らく最も憎悪心のすくない国民の中の一つである。

これはぼくがまだ学生だったころの話だが、アテネ・フランセ(フランス語を教える学校)でロベール先生の歓迎会があった。テーブルには名札が置かれて席が決まっていて、どういうわけかぼくだけ外国人の間にはさまれ、真正面はコット先生だった。

原文を見る

僕がまだ学生時代の話であるが、アテネ・フランセでロベール先生の歓迎会があり、テーブルには名札が置かれ席が定まっていて、どういうわけだか僕だけ外国人の間にはさまれ、真正面はコット先生であった。

コット先生は菜食主義者(さいしょくしゅぎしゃ・肉を食べない人)だから、ひとりだけ献立(こんだて)が別で、オートミールのようなものばかり食べている。

原文を見る

コット先生は菜食主義者だから、たった一人献立が別で、オートミルのようなものばかり食っている。

ぼくは話し相手がなくて退屈だったので、先生の食べっぷりばかりじっと観察していた。すると、ものすごい速さで、一度スプーンを手に取ると口と皿の間を高速で行き来させ、食べ終わるまで下に置かない。ぼくが肉を一切れ食べる間に、オートミールを一皿飲みこんでしまうのだ。

原文を見る

僕は相手がなくて退屈だから、先生の食欲ばかりもっぱら観察していたが、猛烈な速力で、一度さじをとりあげると口と皿の間を快速力で往復させ食べ終るまで下へ置かず、僕が肉を一きれ食ううちに、オートミルを一皿すすり込んでしまう。

先生が胃を悪くするのももっともだと思った。

原文を見る

先生が胃弱になるのはもっともだと思った。

テーブルスピーチ(食事の席でのあいさつ)が始まった。

原文を見る

テーブルスピーチが始った。

コット先生が立ち上がった。

原文を見る

コット先生が立上った。

すると、先生の声は深く沈んだ調子で、突然、クレマンソーの追悼演説(ついとうえんぜつ・死んだ人をしのんでたたえる話)を始めたのである。

原文を見る

と、先生の声は沈痛なもので、突然、クレマンソーの追悼演説を始めたのである。

クレマンソーは前の大きな戦争(第一次世界大戦)のときのフランスの首相で、「虎」とよばれた決闘好きの政治家だが、ちょうどその日の新聞に彼が亡くなったことが報じられたのだった。

原文を見る

クレマンソーは前大戦のフランスの首相、虎とよばれた決闘好きの政治家だが、丁度その日の新聞に彼の死去が報ぜられたのであった。

コット先生はボルテールのようなニヒリスト(ものごとの意味や価値を信じない人)で、無神論者(むしんろんしゃ・神を信じない人)だった。

原文を見る

コット先生はボルテール流のニヒリストで、無神論者であった。

エレジー(悲しみをうたう詩)をいちばん愛し、好んでボルテールのエピグラム(短くて気のきいた言葉)を学生に教え、また自分でも好んで声に出して読んでいた。

原文を見る

エレジヤの詩を最も愛し、好んでボルテールのエピグラムを学生に教え、又、自ら好んでむ。

だから先生が人の死について、考え方を通さない、じかの悲しみの気持ちで語ろうなどとは、ぼくは夢にも思わなかった。

原文を見る

だから先生が人の死について思想を通したものでない直接の感傷で語ろうなどとは、僕は夢にも思わなかった。

ぼくは先生の演説を冗談だと思った。

原文を見る

僕は先生の演説が冗談だと思った。

今にいっぺんにひっくり返すユーモア(おもしろい仕掛け)が用意されているのだろうと考えたのだ。

原文を見る

今に一度にひっくり返すユーモアが用意されているのだろうと考えたのだ。

けれども先生の演説は、深い悲しみからさらに強い悲しみへと変わっていき、もう冗談ではないことがはっきり分かったのだった。

原文を見る

けれども先生の演説は、沈痛から悲痛になり、もはや冗談ではないことがハッキリ分ったのである。

あまりにも思いがけないことだったので、ぼくはあっけにとられて、思わず笑いだしてしまった。――

原文を見る

あんまり思いもよらないことだったので、僕は呆気あっけにとられ、思わず、笑いだしてしまった。――

そのときの先生の目を、ぼくは一生忘れることができない。

原文を見る

その時の先生の眼を僕は生涯忘れることができない。

先生は、殺してもまだ足りないくらいの、血に飢えた激しい憎しみを目にこめて、ぼくをにらみつけたのだ。

原文を見る

先生は、殺しても尚あきたりぬ血に飢えた憎悪をらして、僕をにらんだのだ。

このような目つきは、日本人にはないのである。

原文を見る

このような眼は日本人には無いのである。

ぼくは一度も、このような目を日本人に見たことがなかった。

原文を見る

僕は一度もこのような眼を日本人に見たことはなかった。

その後も特に気をつけて見てきたが、一度も出会ったことがない。

原文を見る

その後も特に意識して注意したが、一度も出会ったことがない。

つまり、このような激しい憎しみが、日本人にはないのである。

原文を見る

つまり、このような憎悪が、日本人には無いのである。

『三国志』

原文を見る

『三国志』

に出てくる憎しみや、『チャタレイ夫人の恋人』

原文を見る

に於ける憎悪、『チャタレイ夫人の恋人』

に出てくる憎しみのような、血に飢え、八つ裂きにしてもまだ足りないというほどの憎しみは、日本人にはほとんどない。

原文を見る

に於ける憎悪、血に飢え、八ツざきにしても尚あき足りぬという憎しみは日本人には殆んどない。

「昨日の敵は今日の友」というあまえた考え方こそ、むしろ日本人みんなに共通する気持ちだ。

原文を見る

昨日の敵は今日の友という甘さが、むしろ日本人に共有の感情だ。

自分たちが仇討ち(あだうち・仕返し)にまるでふさわしくない人間だということを、おそらく多くの日本人が痛いほど感じているにちがいない。

原文を見る

およそ仇討にふさわしくない自分達であることを、恐らく多くの日本人が痛感しているに相違ない。

長い年月にわたって徹底的に憎み続けることさえほとんど不可能に近く、せいぜい「食いつきそうな」

原文を見る

長年月にわたって徹底的に憎み通すことすら不可能にちかく、せいぜい「食いつきそうな」

目つきぐらいが限界なのである。

原文を見る

眼付ぐらいが限界なのである。

伝統とか国民性とよばれるものにも、時として、このような欺瞞(ぎまん・人をだますこと)が隠されている。

原文を見る

伝統とか、国民性とよばれるものにも、時として、このような欺瞞ぎまんが隠されている。

自分の本当の性格とは正反対の習慣や伝統を、まるで生まれつき望んでいたことのように背負わされてしまうのである。

原文を見る

凡そ自分の性情にうらはらな習慣や伝統を、あたかも生来の希願のように背負わなければならないのである。

だから、昔の日本で行われていたことが、昔行われていたというだけの理由で、日本本来のものだということにはならない。

原文を見る

だから、昔日本に行われていたことが、昔行われていたために、日本本来のものだということは成立たない。

外国で行われていて日本では行われていなかった習慣が、実は日本人にいちばんふさわしいということもありうるし、日本で行われていて外国では行われなかった習慣が、実は外国人にふさわしいということもありうるのだ。

原文を見る

外国に於て行われ、日本には行われていなかった習慣が、実は日本人に最もふさわしいことも有り得るし、日本に於て行われて、外国には行われなかった習慣が、実は外国人にふさわしいことも有り得るのだ。

まねをすることではなく、発見することだ。

原文を見る

模倣ではなく、発見だ。

ゲーテがシェイクスピアの作品からヒントを得て自分の傑作を書きあげたように、個性を大切にする芸術の世界でさえ、まねから発見へと進む道すじがいちばんよく起こるのである。

原文を見る

ゲーテがシェクスピアの作品に暗示を受けて自分の傑作を書きあげたように、個性を尊重する芸術に於てすら、模倣から発見への過程は最も屡々しばしば行われる。

ひらめき(インスピレーション)は、多くの場合、まねをしようとする気持ちから出発して、発見によって実を結ぶのである。

原文を見る

インスピレーションは、多く模倣の精神から出発して、発見によって結実する。

着物とは何なのか?

原文を見る

キモノとは何ぞや?

洋服との出会いが、千年ばかり遅かっただけのことだ。

原文を見る

 洋服との交流が千年ばかり遅かっただけだ。

そうして、限られたやり方のほかに、新しい発明のヒントとなる別のやり方が与えられなかっただけのことである。

原文を見る

そうして、限られた手法以外に、新らたな発明を暗示する別の手法が与えられなかっただけである。

日本人の貧弱な体つきが、特に着物を生みだしたわけではない。

原文を見る

日本人の貧弱な体躯が特にキモノを生みだしたのではない。

日本人には着物だけが似合って美しいというわけでもない。

原文を見る

日本人にはキモノのみが美しいわけでもない。

体格のいい外国人の男たちが和服を着た姿は、われわれよりも立派に見えるに決まっている。

原文を見る

外国の恰幅かっぷくのよい男達の和服姿が、我々よりも立派に見えるに極っている。

小学生のころ、万代橋(ばんだいばし)という、信濃川の河口にかかっている木の橋が取りこわされて、川幅を半分ほど埋め立てて鉄の橋にすると聞き、長いあいだ悲しい思いをしたことがあった。

原文を見る

小学生の頃、万代橋ばんだいばしという信濃川の河口にかかっている木橋がとりこわされて、川幅を半分に埋めたて鉄橋にするというので、長い期間、悲しい思いをしたことがあった。

日本一の木の橋がなくなり、川幅が狭くなって、自分の誇りがなくなってしまうことが、身を切られるようにつらかったのだ。

原文を見る

日本一の木橋がなくなり、川幅が狭くなって、自分の誇りがなくなることが、身を切られる切なさであったのだ。

その不思議な悲しみ方が、今では夢のような思い出になっている。

原文を見る

その不思議な悲しみ方が今では夢のような思い出だ。

このような悲しみ方は、大人になるにつれて、またその橋との関わりが大人になるほど深まっていくのに、かえって薄れていく一方だった。

原文を見る

このような悲しみ方は、成人するにつれ、又、その物との交渉が成人につれて深まりながら、かえって薄れる一方であった。

そうして今では、木の橋が鉄の橋に変わり、川幅が狭められたことが、悲しくないどころか、きわめて当たり前だと考えている。

原文を見る

そうして、今では、木橋が鉄橋に代り、川幅の狭められたことが、悲しくないばかりか、極めて当然だと考える。

しかし、このような変化はぼくだけのことではないだろう。

原文を見る

然し、このような変化は、僕のみではないだろう。

多くの日本人は、故郷の古い姿が壊されて、欧米風の建物が現れるたびに、悲しみよりも、むしろ喜びを感じる。

原文を見る

多くの日本人は、故郷の古い姿が破壊されて、欧米風な建物が出現するたびに、悲しみよりも、むしろ喜びを感じる。

新しい交通機関も必要だし、エレベーターも必要だ。

原文を見る

新らしい交通機関も必要だし、エレベーターも必要だ。

伝統の美しさだの、日本本来の姿だのというものよりも、より便利な生活が必要なのである。

原文を見る

伝統の美だの日本本来の姿などというものよりも、より便利な生活が必要なのである。

京都のお寺や奈良の仏像がすべてなくなっても困らないが、電車が動かなくなっては困るのだ。

原文を見る

京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなくては困るのだ。

われわれに大切なのは「生活に必要なもの」

原文を見る

我々に大切なのは「生活の必要」

だけであって、古代文化がすべてなくなっても、生活はほろびない。そして生活そのものがほろびない限り、われわれの独自性(どくじせい・自分たちらしさ)は健康なのである。

原文を見る

だけで、古代文化が全滅しても、生活は亡びず、生活自体が亡びない限り、我々の独自性は健康なのである。

なぜなら、われわれ自身に必要なものと、その必要に応じた欲求を失わないからである。

原文を見る

なぜなら、我々自体の必要と、必要に応じた欲求を失わないからである。

タウトが東京で講演をしたとき、聴衆の八、九割は学生で、残りの一、二割が建築家だったそうだ。

原文を見る

タウトが東京で講演の時、聴衆の八九割は学生で、あとの一二割が建築家であったそうだ。

東京のあらゆる建築の専門家に案内状を送ったのに、それでもそのような結果だったのである。

原文を見る

東京のあらゆる建築専門家に案内状を発送して、尚そのような結果であった。

ヨーロッパでは、こんなことは決してありえないそうだ。

原文を見る

ヨーロッパでは決してこのようなことは有り得ないそうだ。

いつも聴衆の八、九割は建築家で、残りの一、二割は都市の文化に関心を持つ市長や町長といった名誉ある役職の人たちであり、学生などが割りこむ余地はないはずだ、というのである。

原文を見る

常に八九割が建築家で、一二割が都市の文化に関心を持つ市長とか町長という名誉職の人々であり、学生などの割りこむ余地はない筈だ、と言うのである。

ぼくは建築の世界のことにはくわしくないが、文学の例で考えてみても、たとえばアンドレ・ジッドの講演が東京で行われたとしても、小説家の九割ぐらいは聴きに行かないだろう。

原文を見る

僕は建築界のことに就ては不案内だが、例を文学にとって考えても、たとえばアンドレ・ジッドの講演が東京で行われたにしても、小説家の九割ぐらいは聴きに行きはしないだろう。

そうして、やはり聴衆の八、九割は学生で、おまけに学生の三割ぐらいは女学生かもしれないのだ。

原文を見る

そうして、矢張り、聴衆の八九割は学生で、おまけに、学生の三割ぐらいは、女学生かも知れないのだ。

ぼくが仏教科の生徒だったころ、フランスやイギリスの仏教学者の講演会に行ってみると、お坊さんだらけの日本のくせに、聴衆は全部学生だった。

原文を見る

僕が仏教科の生徒の頃、フランスだのイギリスの仏教学者の講演会に行ってみると、坊主だらけの日本のくせに、聴衆の全部が学生だった。

もっとも、お坊さんの卵(たまご・見習い)だったのだろう。

原文を見る

尤も坊主の卵なのだろう。

日本の文化人が怠けているのかもしれないが、西洋の文化人が「社交的に」

原文を見る

日本の文化人が怠慢なのかも知れないが、西洋の文化人が「社交的に」

まめに動いているせいでもあるのだろう。

原文を見る

勤勉なせいでもあるのだろう。

社交的にまめに動くことが、必ずしも本当にまじめだというわけではなく、社交的に怠けることが、必ずしも本当に怠け者だというわけでもない。

原文を見る

社交的に勤勉なのは必ずしも勤勉ではなく、社交的に怠慢なのは必ずしも怠慢ではない。

まじめか怠け者かはともかくとして、日本の文化人はまったく困った連中だ。

原文を見る

勤勉、怠慢はとにかくとして、日本の文化人はまったく困った代物しろものだ。

桂離宮も見たことがなく、竹田も玉泉も鉄斎も知らず、茶の湯も知らない。

原文を見る

桂離宮も見たことがなく、竹田も玉泉も鉄斎も知らず、茶の湯も知らない。

小堀遠州(こぼりえんしゅう)と言われても、建築家だか、庭づくりの名人だか、大名だか、お茶の名人だか、もしかすると忍術使いの家元じゃなかったかね、などと言う者もいる。

原文を見る

小堀遠州などと言えば、建築家だか、造庭家だか、大名だか、茶人だか、もしかすると忍術使いの家元じゃなかったかね、などと言う奴がある。

故郷の古い建物を打ち壊して、できそこないの洋風の粗末な建物を建てて、得意になっている。

原文を見る

故郷の古い建築を叩きこわして、出来損いの洋式バラックをたてて、得々としている。

そのくせ、タウトの講演も、アンドレ・ジッドの講演も聴きに行きはしないのである。

原文を見る

そのくせ、タウトの講演も、アンドレ・ジッドの講演も聴きに行きはしないのである。

そうしてネオンサインの下を酔っぱらってよろめき歩き、パーマをかけた女性たちを話のたねにしながら、いかがわしいウイスキーをぐいぐい飲んでいる。

原文を見る

そうして、ネオン・サインの陰を酔っ払ってよろめきまわり、電髪嬢をさかなにしてインチキ・ウイスキーをあおっている。

まったくあきれ果てた連中である。

原文を見る

呆れ果てた奴等である。

日本本来の伝統への理解を持たないばかりか、その欧米のまねごとにいたっては形になっておらず、美しさのかけらも残っておらず、まったくのいんちきそのものである。

原文を見る

日本本来の伝統に認識も持たないばかりか、その欧米の猿真似に至ってはたいをなさず、美の片鱗へんりんをとどめず、全然インチキそのものである。

ゲーリー・クーパーの映画は満員で客止めになるほどのにぎわいだが、梅若万三郎(うめわかまんざぶろう・能楽の名人)の舞台には数えるほどしか客が来ない。

原文を見る

ゲーリー・クーパーは満員客止めの盛況だが、梅若万三郎は数える程しか客が来ない。

こういう文化人というものは、貧しさそのものではないか。

原文を見る

かかる文化人というものは、貧困そのものではないか。

しかしながら、タウトが日本を発見し、その伝統の美を発見したことと、われわれが日本の伝統を見失いながらも、それでも現に日本人であることとの間には、タウトがまったく思いもよらない隔たりがあった。

原文を見る

然しながら、タウトが日本を発見し、その伝統の美を発見したことと、我々が日本の伝統を見失いながら、しかも現に日本人であることとの間には、タウトが全然思いもよらぬへだたりがあった。

つまり、タウトは日本を発見しなければならなかったが、われわれは日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。

原文を見る

即ち、タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。

われわれは古代文化を見失っているかもしれないが、日本そのものを見失うはずはない。

原文を見る

我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日本を見失う筈はない。

日本精神とは何か、などということをわれわれ自身が論じる必要はないのである。

原文を見る

日本精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。

説明できる精神から日本が生まれるはずもないし、また、日本精神というものが言葉で説明できるはずもない。

原文を見る

説明づけられた精神から日本が生れる筈もなく、又、日本精神というものが説明づけられる筈もない。

日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康なのだ。

原文を見る

日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康だ。

曲がった短い足にズボンをはき、洋服を着て、ちょこちょこ歩き、ダンスを踊り、畳を捨てて、安物のいすやテーブルにふんぞり返って気取っている。

原文を見る

彎曲わんきょくした短い足にズボンをはき、洋服をきて、チョコチョコ歩き、ダンスを踊り、畳をすてて、安物の椅子テーブルにふんぞり返って気取っている。

それが欧米人の目から見てとてもこっけいであることと、われわれ自身がその便利さに満足していることとの間には、まったくつながりがないのである。

原文を見る

それが欧米人の眼から見て滑稽千万であることと、我々自身がその便利に満足していることの間には、全然つながりが無いのである。

彼らがわれわれを気の毒がって笑う立場と、われわれが実際に生活している立場とは、根本のところでちがっているのである。

原文を見る

彼等が我々を憐れみ笑う立場と、我々が生活しつつある立場には、根柢的に相違がある。

われわれの生活が正当な必要にもとづいている限り、彼らの憫笑(びんしょう・気の毒がって笑うこと)は、ひどく浅はかなものでしかないのである。

原文を見る

我々の生活が正当な要求にもとづく限りは、彼等の憫笑びんしょうが甚だ浅薄でしかないのである。

曲がった短い足にズボンをはいてちょこちょこ歩くのがこっけいだから笑うというのは無理もないが、われわれがそんなことにこだわらず、もう少し高いところに目的を置いているのだとしたら、笑う方が必ずしも賢いとは限らないではないか。

原文を見る

彎曲した短い足にズボンをはいてチョコチョコ歩くのが滑稽だから笑うというのは無理がないが、我々がそういう所にこだわりを持たず、もう少し高い所に目的を置いていたとしたら、笑う方が必ずしも利巧の筈はないではないか。

ぼくは先ほど白状した通り、桂離宮も見たことがなく、雪舟(せっしゅう)も雪村(せっそん)も竹田も大雅堂も玉泉も鉄斎も知らず、狩野派(かのうは)も運慶(うんけい)も知らない。

原文を見る

僕は先刻白状に及んだ通り、桂離宮も見たことがなく、雪舟も雪村も竹田も大雅堂も玉泉も鉄斎も知らず、狩野派も運慶も知らない。

けれども、ぼく自身の「日本文化私観」

原文を見る

けれども、僕自身の「日本文化私観」

を語ってみようと思うのだ。

原文を見る

を語ってみようと思うのだ。

自分の国の伝統をまったく知らず、ネオンサインとジャズぐらいしか知らないやつが、日本文化を語るとは不思議なことかもしれないが、すくなくとも、ぼくは日本を「発見」

原文を見る

祖国の伝統を全然知らず、ネオン・サインとジャズぐらいしか知らない奴が、日本文化を語るとは不思議なことかも知れないが、すくなくとも、僕は日本を「発見」

する必要だけはなかったのだ。

原文を見る

する必要だけはなかったのだ。

二 俗悪(ぞくあく・下品でみっともないこと)について(人間は人間を)

原文を見る

二 俗悪に就て(人間は人間を)

昭和十二年の初冬から、翌年の初夏まで、ぼくは京都に住んでいた。

原文を見る

昭和十二年の初冬から翌年の初夏まで、僕は京都に住んでいた。

京都へ行って何をしようというあてもなく、書きかけの長編小説と千枚の原稿用紙のほかには、タオルや歯ブラシさえ持たないという格好で、とにかく隠岐和一(おきわいち)をたずね、部屋でも探してもらって、ひとりぼっちの中で小説を書き上げるつもりだった。

原文を見る

京都へ行ってどうしようという目当もなく、書きかけの長篇小説と千枚の原稿用紙の外にはタオルや歯ブラシすら持たないといういでたちで、とにかく隠岐おき和一を訪ね、部屋でも探してもらって、孤独の中で小説を書きあげるつもりであった。

まったく、思いだしてみると、ひとりぼっちでいるということだけが、ひたすら懐かしかったようである。

原文を見る

まったく、思いだしてみると、孤独ということがただ一筋に、なつかしかったようである。

隠岐はぼくに、京都で何が見たいかということと、食べ物では何が好きかということを、いかにもさりげない世間話の中に織り込んで尋ねた。

原文を見る

隠岐は僕に京都で何が見たいかということと、食物では何が好きかということを、最もさりげない世間話の中へ織込んで尋ねた。

ぼくは東京で気さくにつきあっていたころの友情だけを期待していたのに、京都にいる隠岐は東京にいたときの隠岐とは別人で、お客をもてなすために細やかな気配りをする、古い都のお坊ちゃんに変わっていた。

原文を見る

僕は東京でザックバランにつきあっていた友情だけしか期待していなかったのに、京都の隠岐は東京の隠岐ではなく、客人をもてなすために最も細心な注意を払う古都のぼんぼんに変っていた。

ぼくは、祇園(ぎおん)の舞妓(まいこ)といのししだと、うっかり答えてしまったのだが――本当にうっかり答えてしまったのである。

原文を見る

僕は祇園ぎおん舞妓まいこいのししだとウッカリ答えてしまったのだが――まったくウッカリ答えたのである。

というのも、出発する晩、京都行きの送別会として尾崎士郎(おざきしろう)に連れて行ってもらい、初めていのしし肉を食べたばかりで、その勢いでうっかり言ってしまったのだが、そもそも、いのしし肉が手軽に手に入るものだとは思っていなかったせいでもあった。

原文を見る

なぜなら、出発の晩、京都行きの送別の意味で尾崎士郎に案内され始めて猪を食ったばかりで、もののハズミでウッカリ言ってしまったけれども、第一、猪の肉というものが手軽に入手出来ようなどとは考えていないせいでもあった。

ところが、その翌日から毎晩毎晩いのしし肉ぜめにあい、おまけに、いのしし肉の味がまったくぼくの好みに合わないことが、三日目ぐらいにはっきり分かったのである。

原文を見る

ところが、その翌日から毎晩毎晩猪に攻められ、おまけに、猪の味覚が全然僕の嗜好に当てはまるものではないことが、三日目ぐらいに決定的に分ったのである。

けれども、がまんして食べなければならなかった。

原文を見る

けれども、我慢して食べなければならなかった。

そうして一方、舞妓の方は、京都に着いたその晩さっそく花見小路(はなみこうじ)のお茶屋に案内された。そのころ祇園には三十六人だか三十七人だかの舞妓がいるということだったが、酔ってぼんやりした目の前に二十人ほどの舞妓が次から次へと現れたときには、これはもう運命だとあきらめて、目をつぶりたい気持ちになったほどである。

原文を見る

そうして、一方、舞妓の方は、京都へ着いたその当夜、さっそく花見小路のお茶屋に案内されて行ったのだが、そのころ、祇園に三十六人だか七人だかの舞妓がいるということだったが、酔眼朦朧もうろうたる眼前へ二十人ぐらいの舞妓達が次から次へと現れた時には、いささか天命と諦らめて観念の眼を閉じる気持になった程である。

ぼくは舞妓の半分以上を見たわけだが、これほどばかばかしい存在はめったにない。

原文を見る

僕は舞妓の半分以上を見たわけだったが、これぐらい馬鹿らしい存在はめったにない。

特別な教養を仕込まれているのかと思っていたら、そんなものはこれっぽっちもなく、踊りも中途半端だし、ターキーとオリエ(当時の有名な芸人コンビ)の話ぐらいしか知らないのだ。

原文を見る

特別の教養を仕込まれているのかと思っていたら、そんなものは微塵みじんもなく、踊りも中途半端だし、ターキーとオリエの話ぐらいしか知らないのだ。

それなら、かわいがるための無邪気な色気があるのかというと、ませているだけで、さわやかな色気などはまったくなかった。

原文を見る

それなら、愛玩用の無邪気な色気があるのかというとコマッチャクレているばかりで、清潔な色気などは全くなかった。

もともと、かわいがられるためにつくりあげられた存在に決まっているが、子どもであることを売りにしながら、子どもらしい美徳(びとく・りっぱなところ)がないのである。

原文を見る

元々、愛玩用につくりあげられた存在に極っているが、子供を条件にして子供の美徳がないのである。

はじらいがなければ、子どもとしての値打ちはゼロだ。

原文を見る

羞恥がなければ、子供はゼロだ。

子どもでありながら子どもではないというなら、大人と子どもをかね合わせた中間的な色っぽさがあるのかというと、それもない。

原文を見る

子供にして子供にあらざる以上、大小を兼ねた中間的な色っぽさが有るかというと、それもない。

広東(カントン)には盲妹(もうまい)という芸者がいるそうだが、盲妹というのは、顔立ちの美しい女の子を小さいうちに目が見えないようにして、特別な教養、踊りや音楽などを仕込むのだそうである。

原文を見る

広東カントン盲妹もうまいという芸者があるということだが、盲妹というのは、顔立の綺麗な女子を小さいうちに盲にして特別の教養、踊りや音楽などを仕込むのだそうである。

中国人のやることは、あくどいが、とことん徹底している。

原文を見る

支那人のやることは、あくどいが、徹底している。

どうせかわいがるために人工的につくりあげるつもりなら、これもいいだろう。

原文を見る

どうせ愛玩用として人工的につくりあげるつもりなら、これもよかろう。

目が見えないようにするとは、手のこんだ話だ。

原文を見る

盲にするとはった話だ。

ちょっとあくどいが、考えてみると、不思議な色気が感じられる。

原文を見る

ちと、あくどいが、不思議な色気が、考えてみても、感じられる。

舞妓はひどく人工的な作りものに見えながら、人工ならではのおもしろみがないのである。

原文を見る

舞妓は甚だ人工的な加工品に見えながら、人工の妙味がないのである。

少女でありながら少女らしいはじらいがない以上、自然のおもしろみもないのである。

原文を見る

娘にして娘の羞恥がない以上、自然の妙味もないのである。

ぼくたちは五、六人の舞妓を連れて東山ダンスホールへ行った。

原文を見る

僕達は五六名の舞妓を伴って東山ダンスホールへ行った。

深夜の十二時近くの時刻だった。

原文を見る

深夜の十二時に近い時刻であった。

舞妓の一人が、そこのダンサーに好きな人がいるそうで、その人と踊りたいと言いだしたからだ。

原文を見る

舞妓の一人が、そこのダンサーに好きなのがいるのだそうで、その人と踊りたいと言いだしたからだ。

ダンスホールは東山の中腹にあって、人里を離れ、東京の踊り場よりもはるかにきれいだ。

原文を見る

ダンスホールは東山の中腹にあって、人里を離れ、東京の踊り場よりははるかに綺麗だ。

満員のにぎわいだったが、このときぼくが驚いたのは、座敷でペチャクチャしゃべったり踊ったりしていたときはまるで見栄えのしなかった舞妓たちが、ダンスホールの群衆にまじると、周りを圧倒し、堂々とかがやいて目立つのである。

原文を見る

満員の盛況だったが、このとき僕が驚いたのは、座敷でベチャクチャしゃべっていたり踊っていたりしたのでは一向に見栄みばえのしなかった舞妓達が、ダンスホールの群集にまじると、群を圧し、堂々と光彩を放って目立つのである。

つまり、舞妓の独特の着物や、だらりと垂らした帯が、洋服姿の男たちを圧倒し、夜会服の踊り子を圧倒し、西洋人さえもまるで見栄えがしなくなるのだ。

原文を見る

つまり、舞妓の独特のキモノ、だらりの帯が、洋服の男を圧し、夜会服の踊り子を圧し、西洋人もてんで見栄えがしなくなる。

なるほど、伝統のあるものには、それ独自の力があるものだと、いささか感心したのだった。

原文を見る

成程、伝統あるものには独自の威力があるものだ、と、いささか感服したのであった。

同じことを、相撲を見るたびに、いつも感じた。

原文を見る

同じことは、相撲すもうを見るたびに、いつも感じた。

呼出(よびだし・力士を呼びあげる役の人)が呼びあげ、続いて行司(ぎょうじ・取組を進める役)が名乗りをあげ、それから力士たちがおじぎをしあって、四股(しこ・相撲の足踏み)をふみ、水をつけ、塩をゆったりとまきちらして、仕切りに入る。

原文を見る

呼出よびだしにつづいて行司の名乗り、それから力士が一礼しあって、四股しこをふみ、水をつけ、塩を悠々とまきちらして、仕切りにかかる。

仕切り直して、しばらくにらみ合い、ゆったりと塩をつかみに戻ってくるのである。

原文を見る

仕切り直して、やや暫く睨み合い、悠々と塩をつかんでくるのである。

土俵の上の力士たちは、国技館全体を圧倒している。

原文を見る

土俵の上の力士達は国技館を圧倒している。

何万人もの見物人も、国技館という大きな建物も、土俵の上の力士たちに比べれば、あまりにも小さく貧弱である。

原文を見る

数万の見物人も、国技館の大建築も、土俵の上の力士達に比べれば、余りに小さく貧弱である。

これを野球と比べてみると、二つのちがいがはっきりする。

原文を見る

これを野球に比べてみると、二つの相違がハッキリする。

なんというグラウンドの広さだろうか。

原文を見る

なんというグランドの広さであろうか。

九人の選手がグラウンドの広さに圧倒され、追いまくられて、何万人もの観衆に比べると気の毒なほど無力に見える。

原文を見る

九人の選手がグランドの広さに圧倒され、追いまくられ、数万の観衆に比べて気の毒なほど無力に見える。

グラウンドの広さに比べると、選手が草刈りの作業員に見えてもおかしくないほど貧弱に見え、プレーをしているというより、息を切らして追いまくられている感じである。

原文を見る

グランドの広さに比べると、選手を草苅人夫に見立ててもいいぐらい貧弱に見え、プレーをしているのではなく、息せききって追いまくられた感じである。

いつかベーブ・ルースの一行を見たときには、さすがにちがう感じだった。

原文を見る

いつかベーブ・ルースの一行を見た時には、流石さすがに違った感じであった。

堂々と身についたスタンドプレーがその場を圧倒し、グラウンドの広さが目立たなくなるのである。

原文を見る

板についたスタンド・プレーは場を圧し、グランドの広さが目立たないのである。

グラウンドを完全に圧倒しきれなくても、グラウンドと対等ではあった。

原文を見る

グランドを圧倒しきれなくとも、グランドと対等ではあった。

べつに体格のせいではない。

原文を見る

別に身体のせいではない。

力士といっても、大男ばかりではないのだ。

原文を見る

力士といえども大男ばかりではないのだ。

また、必ずしも技術のせいでもないだろう。

原文を見る

又、必ずしも、技術のせいでもないだろう。

いわば、伝統の貫禄(かんろく・積み重ねてきた重みのある力)だ。

原文を見る

いわば、伝統の貫禄かんろくだ。

それがあるからこそ、土俵を圧倒し、国技館という大きな建物を圧倒し、何万人もの観衆を圧倒しているのである。

原文を見る

それあるがために、土俵を圧し、国技館の大建築を圧し、数万の観衆を圧している。

しかしながら、伝統の貫禄だけでは、永遠に生き続けることはできないのだ。

原文を見る

然しながら、伝統の貫禄だけでは、永遠の生命を維持することはできないのだ。

舞妓の着物がダンスホールを圧倒し、力士の儀礼が国技館を圧倒しても、伝統の貫禄だけで、舞妓や力士が永遠に生き続けられるわけではない。

原文を見る

舞妓のキモノがダンスホールを圧倒し、力士の儀礼が国技館を圧倒しても、伝統の貫禄だけで、舞妓や力士が永遠の生命を維持するわけにはゆかない。

貫禄を保つだけの実質(じっしつ・本当の中身)がなければ、やがてはほろびるよりほかに仕方がない。

原文を見る

貫禄を維持するだけの実質がなければ、やがては亡びる外に仕方がない。

問題は、伝統や貫禄ではなく、実質なのだ。

原文を見る

問題は、伝統や貫禄ではなく、実質だ。

伏見(ふしみ)に部屋を見つけるまで、隠岐の別宅に三週間ほど泊まっていたが、隠岐の別宅は嵯峨(さが)にあって、京都の空は晴れていても、愛宕山(あたごやま)が雪をよびこみ、このあたりでは毎日雪がちらついたのだった。

原文を見る

伏見に部屋を見つけるまで、隠岐の別宅に三週間ぐらい泊っていたが、隠岐の別宅は嵯峨さがにあって、京都の空は晴れていても、愛宕山あたごやまが雪をよび、このあたりでは毎日雪がちらつくのだった。

隠岐の別宅から三十間(けん・昔の長さの単位、約五十メートル)ほどのところに、不思議な神社があった。

原文を見る

隠岐の別宅から三十間ぐらいの所に、不思議な神社があった。

車折(くるまざき)神社というのだが、清原(きよはら)の何とかという、たぶん学者らしい人をまつっているくせに、とても露骨にお金もうけをかなえる神様なのである。

原文を見る

車折クルマザキ神社というのだが、清原のなにがしという多分学者らしい人を祀っているくせに、非常に露骨な金儲けの神様なのである。

社殿(しゃでん・神社の建物)の前に柵で囲まれた場所があって、この中に丸みをおびた何万個もの小石が山のように積まれている。

原文を見る

社殿の前に柵をめぐらした場所があって、この中に円みを帯びた数万の小石が山を成している。

自分がほしい金額と、名前や生年月日などを小石に書いて、ここに納め、願いをかけるのだそうである。

原文を見る

自分の欲しい金額と姓名生年月日などを小石に書いて、ここへ納め、願をかけるのだそうである。

五万円と書かれたものもあれば、三十円ぐらいの悲しいような石もあった。まれには、月給がいくら、ボーナスがいくら、昇給するようにと、細かい数字を書いた石もあった。

原文を見る

五万円というものもあるし、三十円ぐらいの悲しいような石もあって、稀には、月給がいくらボーナスがいくら昇給するようにと詳細に数字を書いた石もあった。

節分の夜、燃え残ったトンド(お祓いの火)の明かりで、この石を一つ一つ手に取って読んでいたが、旅先で、それも自分の定まった家もなく、一本のペンに一生をかけて、くずれがちな自信と戦っている身には、気持ちのいい石ではなかった。

原文を見る

節分の夜、燃え残った神火トンドの明りで、この石を手にりあげて一つ一つ読んでいたが、旅先の、それも天下に定まる家もなく、一管のペンに一生を托してともすれば崩れがちな自信と戦っている身には、気持のいい石ではなかった。

牧野信一(まきののぶかず)は変わった人で、神社やお寺の前を素通りすることができない人だった。

原文を見る

牧野信一は奇妙な人で、神社仏閣の前を素通りすることの出来ない人であった。

必ずうやうやしく拝み、ジャランジャランと大きな鈴を鳴らす綱がぶらさがっていれば、それを鳴らし、お賽銭(さいせん)をあげて、しばらく目を閉じて深々とおじぎをする。

原文を見る

必ず恭々うやうやしく拝礼し、ジャランジャランと大きな鈴をならす綱がぶらさがっていれば、それを鳴らし、お賽銭さいせんをあげて、暫く瞑目最敬礼する。

お寺が何宗(なにしゅう)であろうと変わりはない。

原文を見る

お寺が何宗であろうと変りはない。

とてもはにかみ屋で、人前で目立つようなちょっとした行動もいちばんやりたがらない人だったのに、これだけは例外で、どうにも仕方がないという様子だった。

原文を見る

非常なはにかみ屋で、人前で目立つような些少さしょうの行為も最もやりたがらぬ人だったのに、これだけは例外で、どうにも、やむを得ないという風だった。

いつか息子の英雄君を連れて散歩のついでにぼくのところへ立ち寄り、三人で池上本門寺(いけがみほんもんじ)へ行くと、英雄君をうながして本堂の前へ進み、お賽銭をあげさせて、親子二人でうやうやしく拝んでいたが、正体のわからない切実な願いを血のつながりに託そうとしているようで、見ていて痛々しかった。

原文を見る

いつか息子の英雄君をつれて散歩のついで僕の所へ立寄って三人で池上本門寺いけがみほんもんじへ行くと、英雄君をうながして本堂の前へすすみ、お賽銭をあげさせて親子二人恭々しく拝礼していたが、得体えたいの知れぬ悲願を血につなごうとしているようで、痛々しかった。

節分の火に照らされて読んだ、あの石、この石。

原文を見る

節分の火にてらして読んだあの石この石。

もとより、そのようなしみじみとした気持ちや感動が、深いものであるはずはなく、また激しいものであるはずもない。

原文を見る

もとより、そのような感傷や感動が深いものである筈はなく、又、激しいものである筈もない。

けれども、今もはっきりと覚えている。

原文を見る

けれども、今も、ありありと覚えている。

そうして、毎日竹やぶに雪の降る日々、嵯峨や嵐山のお寺をめぐり、清滝(きよたき)の奥や小倉山(おぐらやま)の墓地の奥まで、あてもなく歩きまわったが、天龍寺(てんりゅうじ)も大覚寺(だいかくじ)も、何かむなしく冷たい感じをむしろ不快に思っただけで、まったく記憶に残っていない。

原文を見る

そうして、毎日竹藪たけやぶに雪の降る日々、嵯峨や嵐山の寺々をめぐり、清滝の奥や小倉山おぐらやまの墓地の奥まであてもなく踏みめぐったが、天龍寺も大覚寺も何か空虚な冷めたさをむしろ不快に思ったばかりで、一向に記憶に残らぬ。

車折神社のちょうど裏に、嵐山劇場という、名前だけは立派だが、ひどくさびれた小屋があった。

原文を見る

車折神社の真裏に嵐山劇場という名前だけは確かなものだが、ひどくうらぶれた小屋があった。

劇場のまわりは畑で、家がぽつぽつと点在しているだけ。

原文を見る

劇場のまわりは畑で、家がポツポツ点在するばかり。

劇場前の夕暮れの街道を、からっぽの牛車で酔っぱらった百姓が眠りこけ、牛が勝手に歩いて通っていく。

原文を見る

劇場前の暮方の街道をカラの牛車に酔っ払った百姓がねむり、牛が勝手に歩いて通る。

ぼくが京都に着いて、隠岐の別宅を探して自動車の運転手と二人でキョロキョロしながら歩いていると、電柱に嵐山劇場のビラがぶら下がっていて、猫遊軒猫八(びょうゆうけんねこはち)と書かれ、にせものだったら米五十俵をさしあげます、とある。

原文を見る

僕が京都へつき、隠岐の別宅を探して自動車の運転手と二人でキョロキョロ歩いていると、電柱に嵐山劇場のビラがブラ下り、猫遊軒猫八とあって、贋物にせものだったら米五十俵進呈する、とある。

もちろん、にせもののはずはない。

原文を見る

勿論、贋の筈はない。

東京の猫八は「江戸や」

原文を見る

東京の猫八は「江戸や」

猫八だからである。

原文を見る

猫八だからである。

言うまでもなく、猫遊軒猫八をぼくはさっそく見物に行った。

原文を見る

言うまでもなく、猫遊軒猫八を僕はさっそく見物に行った。

おもしろかった。

原文を見る

面白かった。

猫遊軒猫八は、いかにも腕力が強そうな人相の悪い大男で、物まねはおろか、芸というものをいっさい知らないのである。

原文を見る

猫遊軒猫八は実に腕力の強そうな人相の悪い大男で、物真似ばかりでなく一切の芸を知らないのである。

和服姿の女性が突然着物をお尻までまくりあげる踊りなど、いろいろな出し物があって、いちばん最後に猫八が現れる。

原文を見る

和服の女が突然キモノを尻までまくりあげる踊りなど色々とあって、一番おしまいに猫八が現れる。

現れたときの様子は堂々としたもので、立派な裃(かみしも・武士の正装)を身につけ、テーブルには豪華な幕をかけていて、雲月(うんげつ・有名な浪曲師)の幕にも見劣りしない。

原文を見る

現れたところは堂々たるもの、立派なかみしもをつけ、テーブルには豪華な幕をかけて、雲月の幕にもひけをとらない。

そうして、けんかしたいやつは遠慮なく来いと言っているような、不思議な笑みを浮かべて見物人を見渡しながら、「おまえたち、よく見物に来てくれた、面白かっただろう」

原文を見る

そうして、喧嘩けんかしたい奴は遠慮なく来てくれという意味らしい不思議な微笑で見物人を見渡しながら、汝等よく見物に来てくれた、面白かったであろう。

また、明日の晩もさらにたくさんの知り合いを連れて見に来い、という意味のことをしゃべって、終わりとなるのである。

原文を見る

又、明晩も一そう沢山の知りあいを連れて見においで、という意味のことを喋って、終りとなるのである。

いったい何のために、テーブルに堂々とした幕をかけ、裃をつけて現れたのか。

原文を見る

何がためにテーブルに堂々たる幕をかけ、裃をつけて現れたのか。

本当に個性的な(ユニークな)芸人だった。

原文を見る

真にユニックな芸人であった。

旅芸人の一座は、たいてい一日、長くても三日の興行だった。

原文を見る

旅芸人の群は大概一日、長くて三日の興行であった。

そうして、それらの旅芸人たちは、猫八のようにけんかが好きな者ばかりではなかった。

原文を見る

そうして、それらの旅芸人は猫八のように喧嘩の好きなものばかりではなかった。

むしろ猫八の方が例外だった。

原文を見る

むしろ猫八が例外だった。

ぼくは出し物が変わるたびに見物し、ひどいときは同じものを二度も三度も見に出かけたが、中には福井県の山の中の農夫たちが冬の間だけ一座を組んで巡業しているものもあった。漫才もやれば、芝居も手品もやるが、そろいもそろって話にならないほど芸が下手で、座頭(ざがしら・一座のリーダー)らしい唯一のベテランの年配の男が、それをひどく気にしながらも、心の底から一座の人たちをいたわっている様子が痛々しいような一行もあった。

原文を見る

僕は変るたびに見物し、甚しきは同じ物を二度も三度も見にでかけたが、中には福井県の山中の農夫たちが、冬だけ一座を組織して巡業しているのもあり、漫才もやれば芝居も手品もやり、揃いも揃って言語道断に芸が下手へたで、座頭ざがしららしい唯一の老練な中老人がそれをひどく気にしながら、然し、心底から一座の人々をいたわる様子が痛々しいような一行もあった。

十八歳ぐらいのきれいな娘が一人いて、それで客を引く以外に手立てがない。

原文を見る

十八ぐらいの綺麗な娘が一人いて、それで客をひく以外には手段がない。

昼はこの娘にたった一人の付き添いをつけて、家よりも畑の多い道を練り歩かせ、漫才に芝居に踊りにと、むやみに娘を舞台に上げたが、これがまた芸が未熟で、ますます痛々しい。

原文を見る

昼はこの娘にたった一人の附添をつけて人家よりも畑の多い道をねり歩き、漫才に芝居に踊りに、むやみに娘を舞台に上げたが、これが、又、芸が未熟で、益々もって痛々しい。

ぼくはその翌日も見物に出かけたが、二日目は十五、六人しか客がおらず、三日目の興行を切り上げて、次の町へ行ってしまった。

原文を見る

僕はその翌日も見物にでかけたが、二日目は十五六名しか観衆がなく、三日目の興行を切上げて、次の町へ行ってしまった。

その深夜、うどんを食べに劇場の裏を通ったら、木戸が開けっぱなしになっていて、荷物を大八車(だいはちぐるま・大きな荷車)に積んでおり、座頭が道ばたでメザシを焼いていた。

原文を見る

その深夜、うどんを食いに劇場の裏を通ったら、木戸が開け放されていて、荷物を大八車につんでおり、座頭が路上でメザシを焼いていた。

嵐山の渡月橋(とげつきょう)を渡ると、茶店がずらりと並んでいる。春がいちばんにぎわう季節だけれど、遊覧バスがここで昼食をとることになっているので、とにかく冬も細々と商売を続けている。

原文を見る

嵐山の渡月橋とげつきょうを渡ると、茶店がズラリと立ち並び、春が人の出盛りだけれども、遊覧バスがここで中食をとることになっているので、とにかく冬も細々と営業している。

ある晩、隠岐と二人で散歩のついでに、ここで酒を飲もうと思って一軒一軒回ったが、どの店も明かりがなく、人の気配もない。

原文を見る

或る晩、隠岐と二人で散歩のついで、ここで酒をのもうと思って、一軒一軒廻ったが、どこも灯がなく、人の気配もない。

ようやく最後に、一軒見つけた。

原文を見る

ようやく、最後に、一軒みつけた。

冬の夜に、まぎれ込んでくる客などは決してないのだそうだ。

原文を見る

冬の夜、まぎれ込んでくる客なぞは金輪際ないのだそうだ。

四十歳ぐらいのおだやかなおかみさんと、十九歳の女中がいて、火の気がないからというので、家族の居間で一つの火鉢にあたりながら酒を飲んだが、その女中が曲馬団(きょくばだん・サーカス団)の踊り子あがりで、突然、嵐山劇場のことをしゃべりはじめた。

原文を見る

四十ぐらいの温和なおかみさんと十九の女中がいて、火がないからというので、家族の居間で一つ火鉢にあたりながら酒をのんだが、女中が曲馬団の踊り子あがりで、突然、嵐山劇場のことを喋りはじめた。

嵐山劇場は、いつも客席のトイレに小便があふれ、ひどいにおいがたちこめているのである。

原文を見る

嵐山劇場は常に客席の便所に小便が溢れ、臭気芬々たるものがあるのである。

われわれは用を足す前に、いちばん被害の少ない場所を選ぶのに一苦労しなければならない。

原文を見る

我々は用をたすに先立って、被害の最少の位置を選定するに一苦労しなければならない。

小便の海を歩いて渡り、小便つぼまでたどりつかなければならないようなときもあった。

原文を見る

小便の海をわたり歩いて小便壺まで辿たどりつかねばならぬような時もあった。

客席のトイレがあの様子では、楽屋の汚さも思いやられる。

原文を見る

客席の便所があのようでは、楽屋の汚なさが思いやられる。

どんなに汚いのだろうかしら、と女中は突然口にしたが、そこには実際に見てきたような強い実感があった。

原文を見る

どんなに汚いだろうかしら、と、女中は突然口走ったが、そこには激しい実感があった。

無邪気な娘だった。

原文を見る

無邪気な娘であった。

曲馬団でいちばんつらかったのは、冬になると、しょうゆを飲まなければならなかったことだそうだ。

原文を見る

曲馬団で一番つらかったのは、冬になると、醤油しょうゆを飲まなければならなかったことだそうだ。

しょうゆを飲むと体が温まるのだという。

原文を見る

醤油を飲むと身体が暖まるのだという。

それで、裸で舞台に出るときには、必ずしょうゆを飲まされる。

原文を見る

それで、裸体で舞台へ出るには、必ず醤油を飲まされる。

これにはお手上げだったそうである。

原文を見る

これには降参したそうである。

ぼくは嵯峨では、昼はもっぱら小説を書いた。

原文を見る

僕は嵯峨では昼は専ら小説を書いた。

夜になると、たいてい嵐山劇場に通った。

原文を見る

夜になると、大概、嵐山劇場へ通った。

京都の街も、神社やお寺も、名所旧跡(きゅうせき・昔の出来事があった場所)も、まったく心を引かれなかった。

原文を見る

京都の街も、神社仏閣も、名所旧蹟も、一向に心をそそらなかった。

嵐山劇場の小便くさい客席で、百人にも満たない寒々とした見物人たちと、くだらないだじゃれに、あくびまじりで笑っているだけで、それで十分だったのである。

原文を見る

嵐山劇場の小便くさい観覧席で、百名足らずの寒々とした見物人と、くだらぬ駄洒落だじゃれ欠伸あくびまじりで笑っているのが、それで充分であったのである。

そんなぼくに隠岐は少々手を焼いて、ひとつおどかしてやろうという気持ちになったらしい。

原文を見る

そういう僕に隠岐がいささか手を焼いて、ひとつ、おどかしてやろうという気持になったらしい。

無理にぼくを引っぱり出して(その日も雪が降っていた)汽車に乗り、保津川(ほづがわ)をさかのぼり、丹波(たんば)の亀岡(かめおか)というところへ行った。

原文を見る

無理に僕をひっぱりだして(その日も雪が降っていた)汽車に乗り、保津川をさかのぼり、丹波の亀岡という所へ行った。

昔の亀山のことで、明智光秀(あけちみつひで)の居城(いじょう・住んでいた城)があったところである。

原文を見る

昔の亀山のことで、明智光秀の居城のあった所である。

その城跡に、大本教(おおもときょう)の壮大な本部があったのだ。

原文を見る

その城跡に、大本教おおもときょうの豪壮な本部があったのだ。

不敬罪(ふけいざい・当時、天皇や皇室への不敬とされた罪)に問われ、ダイナマイトで爆破された直後だった。

原文を見る

不敬罪に問われ、ダイナマイトで爆破された直後であった。

ぼくたちは、それを見物に出かけたのである。

原文を見る

僕達は、それを見物にでかけたのである。

城跡は丘に堀(ほり)をめぐらしていて、上から下まで、水のない堀の中も、一面に、爆破された瓦がいくつも積み重なってくずれている。

原文を見る

城跡は丘にほりをめぐらし、上から下まで、空壕の中も、一面に、爆破した瓦が累々と崩れ重っている。

見渡す限りの廃墟で、木も草も一本すら残っておらず、さまよう犬の姿すらない。

原文を見る

茫々たる廃墟で一木一草をとどめず、さまよう犬の影すらもない。

まわり四方に板の囲いをして、おまけに鉄条網のようなものを張りめぐらし、少し離れたところに見張所もあったが、わざわざこのために丹波路をはるばる(というほどでもないが)汽車に揺られて来たのだから、目的を果たさないわけにはいかないと、鉄条網を乗り越えて、王仁三郎(おにさぶろう)の夢の跡へ踏みこんだ。

原文を見る

四周に板囲いをして、おまけに鉄条網のようなものを張りめぐらし、離れた所に見張所もあったが、唯このために丹波路遥々はるばる(でもないが)汽車に揺られて来たのだから、あに目的を達せずんばあるべからずと、鉄条網を乗り越えて、王仁三郎の夢の跡へ踏みこんだ。

頂上に立つと、亀岡の町と、丹波の山々に囲まれた小さな平野が一目で見わたせる。

原文を見る

頂上に立つと、亀岡の町と、丹波の山々にかこまれた小さな平野が一望に見える。

雪が激しくなり、廃墟の瓦に積もりはじめていた。

原文を見る

雪が激しくなり、廃墟の瓦につもりはじめていた。

めぼしいものは爆破の前に没収されて跡形もなく、ただ、頂上の瓦にはなるほど金の線の模様が入った瓦があったり、酒だるほどの大きさの石像の首が石段の上に転がっていたりした。王仁三郎に仕えた三十何人かのめかけたちがいたと思われる中腹のおびただしい数の小部屋のあたりには、中庭の景色が少し残っていて、そこにもいくつかの石像がつぶれていた。

原文を見る

目星めぼしいものは爆破の前に没収されて影をとどめず、ただ、頂上の瓦には成程金線の模様のはいった瓦があったり、酒樽ぐらいの石像の首が石段の上にころがっていたり、王仁三郎に奉仕した三十何人かの妾達がいたと思われる中腹のおびただしい小部屋のあたりに、中庭の若干の風景が残り、そこにも、いくつかの石像が潰れていた。

とにかく、念には念を入れて、徹底的にたたきつぶされている。

原文を見る

とにかく、こくめいの上にもこくめいに叩き潰されている。

再び鉄条網を乗り越えて、堀に沿って街道を歩き、町の入り口の茶屋に入って、保津川という清流の名前にふさわしくない地酒を飲んだが、そこへ一人の馬方(うまかた・馬を引く仕事の人)が現れ、馬をつないで、これもまた「保津川」を飲みはじめた。

原文を見る

再び鉄条網を乗り越えて、壕に沿うて街道を歩き、街のとば口の茶屋へ這入はいって、保津川という清流の名にふさわしからぬ地酒をのんだが、そこへ一人の馬方が現れ、馬をつないで、これもまた保津川をのみはじめた。

馬方は仕事帰りに、あちこちで紙くずを買って帰る途中で、紙くずのもうけなんて酒一本にも及ばんわい、くだらんこっちゃ、などとぼやきながら、何本も酒を飲みほしていた。何かぼくたちに話しかけたそうな様子でいて、それがひどく怖くもあるという様子である。

原文を見る

馬方は仕事帰りに諸方で紙屑を買って帰る途中で、紙屑の儲けなど酒一本にも当らんわい、やくたいもないこっちゃ、などとボヤきながら、何本となく平げている、何か僕達に話しかけたいという風でいて、それが甚だ怖しくもあるという様子である。

そのうちにすっかり酔っぱらって、話しかけてきたのだが、「旦那方は東京から出張でおいでどすか」と言う。

原文を見る

そのうちに酩酊に及んで、話しかけてきたのであったが、旦那方は東京から御出張どすか、と言う。

いかにも、そうだ、と答えると、感じ入った様子で、五、六回もおじぎをしながらうなっている。

原文を見る

いかにも、そうだ、と答えると、感に堪えて、五六ぺんぐらい御辞儀をしながらうなっている。

話しているうちに分かったのだが、ぼくたちのことを、特別な命令を受けて出張してきた刑事だと思いこんでいたのである。

原文を見る

話すうちに分ったのだが、僕達を特に密令を帯びて出張した刑事だと思ったのである。

隠岐は筒袖(つつそで)の外套(がいとう・コート)にハンチング帽で、商家の遊び好きな若旦那といった格好だし、ぼくはどてらを着流しにしてステッキを振りまわし、雪が降っているのに外套も着ていない。

原文を見る

隠岐は筒袖の外套がいとうに鳥打帽子、商家の放蕩ほうとう若旦那といういでたちであるし、僕はドテラの着流しにステッキをふりまわし、雪が降るのに外套も着ていない。

そんな異様な二人連れが、立ち入り禁止の場所から鉄条網を乗り越えて悠々と現れるのを見たものだから、怖いもの見たさで後をつけて来たのだった。

原文を見る

異様な二人づれが禁制の地域から鉄条網を乗り越えて悠々現れるのを見たものだから、怖い物見たさで、跡をつけて来たのであった。

こう言われてみると、なるほど、見張りの人まで、ぼくたちに遠慮していた。

原文を見る

こう言われてみると、成程、見張の人まで、僕達に遠慮していた。

ぼくたちは一時間ほど廃墟をうろついていたが、見張りの人は番所の前を掃いたりしながら、ぼくたちがそちらを向くと、あわてて振り向いて見ないふりをしていたのである。

原文を見る

僕達は一時間ぐらい廃墟をうろついていたが、見張の人は番所の前をいたりしながら、僕達がそっちを向くと、慌てて振向いて、見ないふりをしていたのである。

ぼくたちは刑事になりすまして、大本教の隠れた信者たちの様子などを尋ねてみたが、馬方は酔っぱらいながらも急に顔が青ざめて、たちまち言葉もどもりはじめた。多少は知らないこともないけれど、悪いことをした覚えはない自分だから、それを聞くのだけはどうか勘弁してほしい、と、まるで取調室にいるかのように何度も何度もおじぎをしていた。

原文を見る

僕達は刑事になりすまして、大本教の潜伏信者の様子などを訊ねてみたが、馬方は泥酔しながらもにわかに顔色蒼然となり、忽ち言葉もどもりはじめて、多少は知らないこともないけれども悪事を働いた覚えのない自分だから、それを訊くのだけは何分にも勘弁していただきたい、と、取調室にいるように三拝九拝していた。

宇治の黄檗山(おうばくさん)万福寺は、隠元(いんげん)が建てた寺だが、隠元によれば、寺院建築でいちばん大事なのは荘厳(そうごん・おごそかで立派なこと)ということで、信者のありふれた心を高めるための形をととのえていなければならない、と言っていたそうである。

原文を見る

宇治の黄檗山おうばくさん万福寺は隠元いんげんの創建にかかる寺だが、隠元によれば、寺院建築の要諦は荘厳ということで、信者の俗心を高めるところの形式をととのえていなければならぬと言っていたそうである。

また、人は食事をともにすることでつきあいが深まるものだから、食事が大切だとも言ったそうだ。

原文を見る

又、人は飲食を共にすることによって交りが深くなるものだから、食事が大切であるとも言ったそうだ。

なるほど、万福寺の斎堂(さいどう・食堂)は堂々としたものであり、その普茶(ふちゃ)料理は世に名高いものである。

原文を見る

成程、万福寺の斎堂さいどう(食堂)は堂々たるものであり、その普茶ふちゃ料理は天下に名高いものである。

もっとも、食事とつきあいを結びつけて大切にするのは中国一般の風習だそうで、隠元だけの考えではないかもしれない。

原文を見る

尤も、食事と交際を結びつけて大切にするのは支那一般の風習だそうで、隠元に限られた思想ではないかも知れぬ。

建築の工学的なことについては、ぼくはまったく知らないけれども、すくなくとも、寺院建築の特徴は、まず第一に、寺院は住宅ではないということである。

原文を見る

建築の工学的なことに就ては、全然僕は知らないけれども、すくなくとも、寺院建築の特質は、先ず、第一に、寺院は住宅ではないという事である。

ここには、ふだんの世間の暮らしをうかがわせるものがないばかりか、むしろその反対の暮らし、世俗をはなれた思想を表すことに、注意が集中されている。

原文を見る

ここには、世俗の生活を暗示するものがないばかりか、つとめてその反対の生活、非世俗的な思想を表現することに注意が集中されている。

だからまた、世間の暮らしをそのまま宗教としても肯定する真宗の寺の一帯が、たちまち俗っぽいにおいをただよわせるのも当然である。

原文を見る

それゆえ、又、世俗生活をそのまま宗教としても肯定する真宗の寺域が忽ち俗臭芬々とするのも当然である。

しかしながら、真宗の寺(京都の東西の本願寺)は、昔からひとりぼっちの思想をうかがわせてきた寺院建築の様式(ようしき・決まった形)をそのまま借りて、世間の暮らしを肯定する自分たちの考え方に当てはめようとしているから、落ち着きがなく、俗悪なのである。

原文を見る

然しながら、真宗の寺(京都の両本願寺)は、古来孤独な思想を暗示してきた寺院建築の様式をそのままかりて、世俗生活を肯定する自家の思想に応用しようとしているから、落着がなく、俗悪である。

俗悪であるべきものが俗悪であるのはまったくかまわないのだが、要は、その俗悪さが独自の(ユニークな)ものであることが必要だということである。

原文を見る

俗悪なるべきものが俗悪であるのは一向に差支えがないのだが、要は、ユニックな俗悪ぶりが必要だということである。

京都という場所は、寺だらけ、名所旧跡だらけで、二、三丁(ちょう・昔の距離の単位、一丁は約百九メートル)歩くごとに大きなお寺の敷地や神社の敷地に突き当たる。

原文を見る

京都という所は、寺だらけ、名所旧蹟だらけで、二三丁歩くごとに大きな寺域や神域に突き当る。

一週間ぐらい滞在するつもりなら、目的を決めて歩くよりも、ただでたらめに足の向くほうへ歩くのがいい。

原文を見る

一週間ぐらい滞在のつもりなら、目的をきめて歩くよりも、ただ出鱈目でたらめに足の向く方へ歩くのがいい。

次から次へ、いわくありげなものが現れるので、少しでも心を引かれたら、名前を聞いたり、じっくり見たりすればいい。

原文を見る

次から次へ由緒ありげなものが現れ、いくらか心を惹かれたら、名前をきいたり、丁寧に見たりすればいい。

狭い街だから、すみからすみまで歩いても、大したことはない。

原文を見る

狭い街だから、隅から隅まで歩いても、大したことはない。

ぼくは、そういうふうにして、時々歩いた。

原文を見る

僕は、そういう風にして、時々、歩いた。

深草(ふかくさ)から醍醐(だいご)、小野の里、山科(やましな)へ通う峠の道も歩いたし、市街となると、どこを歩いても迷う心配のない街だから、伏見から歩きはじめて、夕方、北野の天神様にぶつかってあわてたことがあった。

原文を見る

深草から醍醐だいご、小野の里、山科やましなへ通う峠の路も歩いたし、市街ときては、何処を歩いても迷う心配のない街だから、伏見から歩きはじめて、夕方、北野の天神様にぶつかって慌てたことがあった。

だが、ぼくが街へ出るときは、楽しみを求めるためか、ひとりぼっちを求めるためか、そのどちらかだ。

原文を見る

だが、僕が街へでる時は、歓楽をもとめるためか、孤独をもとめるためか、どちらかだ。

そうして、そのような散歩に寺の敷地はたしかに向いているが、にぎやかな街で車をよけながらうろうろ歩くよりも落ち着きがある、という程度のことだった。

原文を見る

そうして、そのような散歩に寺域はたしかに適当だが、繁華な街で車をウロウロ避けるよりも落着きがあるという程度であった。

なるほど、寺院は、建物そのものとして、ひとりぼっちの雰囲気をうかがわせようとしている。

原文を見る

成程、寺院は、建築自体として孤独なものを暗示しようとしている。

料理のにおいだとか、妻や子どもといったものを連想させず、日常の心、世間並みの心とのつながりを断とうとする意志がある。

原文を見る

炊事の匂いだとか女房子供というものを聯想させず、日常の心、俗な心とつながりを断とうとする意志がある。

しかしながら、そのような考え(観念)を、建物の上でどれほど形にしようと努めてみても、考えそのものにはるかに及ばない。

原文を見る

然しながら、そういう観念を、建築の上に於てどれほど具象化につとめてみても、観念自体に及ばざること遥に遠い。

日本の庭園、林泉(りんせん・池や木のある庭)は、必ずしも自然をまねたものではないだろう。

原文を見る

日本の庭園、林泉は必ずしも自然の模倣ではないだろう。

南画(なんが・中国風の水墨画)などに表された、ひとりぼっちの思想や精神を、庭という現実の形で表そうとしたものらしい。

原文を見る

南画などに表現された孤独な思想や精神を林泉の上に現実的に表現しようとしたものらしい。

茶室の建築だとか(寺院建築でも同じことだが)、庭というものは、いわば思想を表したもので、自然のまねではなく、自然の創造なのである。土地の狭さといった制限は、つまり、絵で言えばカンバスの大きさの制限と同じようなものである。

原文を見る

茶室の建築だとか(寺院建築でも同じことだが)林泉というものは、いわば思想の表現で自然の模倣ではなく、自然の創造であり、用地の狭さというような限定は、つまり、絵に於けるカンバスの限定と同じようなものである。

けれども、果てしなく広い海のひとりぼっちさや、砂漠のひとりぼっちさ、大森林や平原のひとりぼっちさについて考えるとき、庭のひとりぼっちさなどというものが、どんなにひねって考えてみても、たかが知れていることを思い知らざるを得ない。

原文を見る

けれども、茫洋たる大海の孤独さや、沙漠の孤独さ、大森林や平原の孤独さに就て考えるとき、林泉の孤独さなどというものが、いかにヒネくれてみたところで、タカが知れていることを思い知らざるを得ない。

龍安寺(りょうあんじ)の石庭が何を表そうとしているのか。

原文を見る

龍安寺の石庭が何を表現しようとしているか。

どのような考えを結びつけようとしているのか。

原文を見る

如何なる観念を結びつけようとしているか。

タウトは修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)の書院にある黒と白の壁紙をべた褒めして、滝の音を表現したものだと言っているが、こういう無理な説明までして鑑賞のつじつまを合わせなければならないというのは、なさけない。

原文を見る

タウトは修学院離宮の書院の黒白の壁紙を絶讃し、滝の音の表現だと言っているが、こういう苦しい説明までして観賞のツジツマを合せなければならないというのは、なさけない。

思うに、庭や茶室というものは、禅の坊さんの悟りと同じことで、禅的な作り話の上に建てられた空中楼閣(くうちゅうろうかく・実体のない絵空事)なのである。

原文を見る

けだし、林泉や茶室というものは、禅坊主の悟りと同じことで、禅的な仮説の上に建設された空中楼閣なのである。

仏とは何か、と問う。

原文を見る

仏とは何ぞや、という。

答えて、うんちをかき取るへらだという。

原文を見る

答えて、くそカキベラだという。

庭に一つの石を置いて、これはうんちをかき取るへらでもあるが、また仏でもある、という。

原文を見る

庭に一つの石を置いて、これは糞カキベラでもあるが、又、仏でもある、という。

これは仏かもしれない、というふうに見てもらえればいいのだが、うんちをかき取るへらは、ただのへらだとしか見てもらえなかったら、それでおしまいである。

原文を見る

これは仏かも知れないという風に見てくれればいいけれども、糞カキベラは糞カキベラだと見られたら、おしまいである。

実際のところ、うんちをかき取るへらは、ただのへらでしかないという当たり前のことには、禅の決まりごとよりも強い説得力があるからである。

原文を見る

実際に於て、糞カキベラは糞カキベラでしかないという当前さには、禅的な約束以上の説得力があるからである。

龍安寺の石庭がどれほど深いひとりぼっちさや「サビ」(静かで趣のある味わい)を表していて、奥深い禅の心に通じていてもかまわない。石の並べ方がどんな考えや思想に結びつくかも問題ではないのだ。

原文を見る

龍安寺の石庭がどのような深い孤独やサビを表現し、深遠な禅機に通じていても構わない、石の配置が如何なる観念や思想に結びつくかも問題ではないのだ。

つまり、われわれが果てしない海の無限のなつかしさや、砂漠の大きな夕日を思い、石庭が与えてくれる感動がそれに及ばないと感じたときには、遠慮なく石庭を無視すればいいのである。

原文を見る

要するに、我々がはてしない海の無限なる郷愁や沙漠の大いなる落日を思い、石庭の与える感動がそれに及ばざる時には、遠慮なく石庭を黙殺すればいいのである。

無限に広がる大海や高原を庭の中に入れることは不可能だ、という言い訳には意味がない。

原文を見る

無限なる大洋や高原を庭の中に入れることが不可能だというのは意味をなさない。

芭蕉(ばしょう)は庭を出て、大自然の中に自分の庭を見つけ、また作った。

原文を見る

芭蕉は庭をでて、大自然のなかに自家の庭を見、又、つくった。

彼の人生が旅を愛しただけでなく、彼の俳句そのものが、庭のようなものを飛び出して、大自然の中に庭を作った、と言うことができる。

原文を見る

彼の人生が旅を愛したばかりでなく、彼の俳句自体が、庭的なものを出て、大自然に庭をつくった、と言うことが出来る。

その庭には、ただ一本の椎(しい)の木しかなかったり、ただ夏草だけが生い茂っていたり、岩と、しみ入るようなセミの声しかなかったりする。

原文を見る

その庭には、ただ一本の椎の木しかなかったり、ただ夏草のみがもえていたり、岩と、浸み入る蝉の声しかなかったりする。

この庭には、意味を持たせた石だの、曲がりくねった松の木だのはなく、それ自体がそのままの風景であり、同時に、そのままの考えなのである。

原文を見る

この庭には、意味をもたせた石だの曲りくねった松の木などなく、それ自体が直接な風景であるし、同時に、直接な観念なのである。

そうして、龍安寺の石庭よりは、よっぽど美しいのだ。

原文を見る

そうして、龍安寺の石庭よりは、よっぽど美しいのだ。

とはいえ、一本の椎の木や夏草だけで、実際に同じような庭を作ることは、まったくできない相談である。

原文を見る

と言って、一本の椎の木や、夏草だけで、現実的に、同じ庭をつくることは全く出来ない相談である。

だから、庭や建築に「永遠なるもの」

原文を見る

だから、庭や建築に「永遠なるもの」

を作ることはできない相談だというあきらめが、昔から日本にはあった。

原文を見る

を作ることは出来ない相談だという諦らめが、昔から、日本には、あった。

建物は、やがて火事で焼けるから「永遠ではない」

原文を見る

建築は、やがて火事に焼けるから「永遠ではない」

という意味ではない。

原文を見る

という意味ではない。

建物は火に焼けるし、人はやがて死ぬから、人生は水のあわのようなものだ、というのは『方丈記』

原文を見る

建築は火に焼けるし人はやがて死ぬから人生水の泡の如きものだというのは『方丈記』

の考え方で、タウトは『方丈記』

原文を見る

の思想で、タウトは『方丈記』

を愛したが、実際、タウトという人の考え方は、その程度のものでしかなかった。

原文を見る

を愛したが、実際、タウトという人の思想はその程度のものでしかなかった。

しかしながら、芭蕉のような庭を実際には作れないというあきらめ、人の手でできることの限界に対する絶望から、家だの庭だの家具だのというものにはまったく気を配らない、という生き方は、特に日本で本気で精神的な生活を求めた人たちに好まれたのである。

原文を見る

然しながら、芭蕉の庭を現実的には作り得ないという諦らめ、人工の限度に対する絶望から、家だの庭だの調度だのというものには全然顧慮しない、という生活態度は、特に日本の実質的な精神生活者には愛用されたのである。

大雅堂(たいがどう)はアトリエを持たなかったし、良寛(りょうかん)には寺すら必要ではなかった。

原文を見る

大雅堂は画室を持たなかったし、良寛には寺すらも必要ではなかった。

とはいえ、彼らは貧しさに甘んじることを生き方の本領(ほんりょう・いちばん大事なところ)としたのではない。

原文を見る

とはいえ、彼等は貧困に甘んじることをもって生活の本領としたのではない。

むしろ、彼らは、その心において、あまりにも欲が深すぎ、豪奢(ごうしゃ・ぜいたくで立派)でありすぎ、貴族的でありすぎたのだ。

原文を見る

むしろ、彼等は、その精神に於て、余りにも欲が深すぎ、豪奢ごうしゃでありすぎ、貴族的でありすぎたのだ。

つまり、アトリエや寺が彼らにとって無意味だったのではなく、絶対に完璧なものはありえないという考えから、中途半端なものを退け、「無いほうがまし」という清潔さを選んだのだ。

原文を見る

即ち、画室や寺が彼等に無意味なのではなく、その絶対のものが有り得ないという立場から、中途半端を排撃し、無きにかざるの清潔を選んだのだ。

茶室は、質素であることをいちばんの本領とする。

原文を見る

茶室は簡素を以て本領とする。

しかしながら、それは「無いほうがまし」という精神から生まれたものではないのである。

原文を見る

然しながら、無きに如かざる精神の所産ではないのである。

「無いほうがまし」という精神からすると、特別に払われたあらゆる気配りが、不潔であり、しゃべりすぎ(饒舌・じょうぜつ)なのである。

原文を見る

無きに如かざるの精神にとっては、特に払われた一切の注意が、不潔であり饒舌じょうぜつである。

床の間がどれほど自然な素朴さをよそおったとしても、そのために払われた気配りそのものが、すでに「無いほうがまし」なものなのである。

原文を見る

床の間が如何に自然の素朴さを装うにしても、そのために支払われた注意が、すでに、無きに如かざるの物である。

「無いほうがまし」という精神からすれば、質素な茶室も日光の東照宮も、ともに同じ「有る」

原文を見る

無きに如かざるの精神にとっては、簡素なる茶室も日光の東照宮も、共に同一の「有」

というものから生まれたものであり、つきつめれば同じ穴のむじな(同類)なのである。

原文を見る

の所産であり、詮ずれば同じ穴のむじななのである。

この精神から見れば、桂離宮が単純で気高く、東照宮が俗悪だという区別はない。

原文を見る

この精神から眺むれば、桂離宮が単純、高尚であり、東照宮が俗悪だという区別はない。

どちらもともにしゃべりすぎであり、「精神の貴族」

原文を見る

どちらも共に饒舌であり、「精神の貴族」

が永遠に見つめ続けるには耐えられない建物(普請・ふしん)なのである。

原文を見る

の永遠の観賞には堪えられぬ普請ふしんなのである。

しかしながら、「無いほうがまし」という冷酷な批評の精神は存在しても、「無いほうがまし」な芸術というものは存在することができない。

原文を見る

然しながら、無きに如かざるの冷酷なる批評精神は存在しても、無きに如かざるの芸術というものは存在することが出来ない。

存在しない芸術などというものが、あるはずはないのである。

原文を見る

存在しない芸術などが有る筈はないのである。

そうして、「無いほうがまし」という精神から、それはそれとして、とにかくいったん目に見える形の美へと戻ろうとするならば、茶室のような不自然な質素さを退けて、人の力の限りを尽くした豪華さ、俗悪なもののきわみにおいて花開こうとすることも、また自然なことだろう。

原文を見る

そうして、無きに如かざるの精神から、それはそれとして、とにかく一応有形の美に復帰しようとするならば、茶室的な不自然なる簡素を排して、人力の限りを尽した豪奢、俗悪なるものの極点に於て開花を見ようとすることも亦自然であろう。

質素なものも豪華なものも、どちらも俗悪であるとすれば、俗悪を否定しようとしながらそれでも俗悪にならざるを得ないみじめさよりも、俗悪であろうとして俗悪である、のびのびとした自由さのほうが、むしろ取り柄なのだ。

原文を見る

簡素なるものも豪華なるものも共に俗悪であるとすれば、俗悪を否定せんとして尚俗悪たらざるを得ぬ惨めさよりも、俗悪ならんとして俗悪である闊達かったつ自在さがむしろ取柄だ。

この精神を、ぼくは秀吉(ひでよし)の中に見る。

原文を見る

この精神を、僕は、秀吉に於て見る。

いったい、秀吉という人は、芸術について、どのくらいの理解や鑑賞する力があったのだろう?

原文を見る

いったい、秀吉という人は、芸術に就て、どの程度の理解や、観賞力があったのだろう?

そうして、彼が命じた多方面の芸術に対して、どのくらい口出しをしたのだろうか。

原文を見る

 そうして、彼の命じた多方面の芸術に対して、どの程度の差出口をしたのであろうか。

秀吉自身は職人ではなく、それぞれの職人の個性を生かしたはずなのに、彼が命じた芸術には、実にはっきりとした一貫性があるのである。

原文を見る

秀吉自身は工人ではなく、各々の個性を生かした筈なのに、彼の命じた芸術には、実に一貫した性格があるのである。

それは人の手によって作られたものの極み、最大級のぜいたくということであり、その道すじにある限りは、良いものも悪いものもまとめて受け入れるような大きさがある。

原文を見る

それは人工の極致、最大の豪奢ということであり、その軌道にある限りは清濁合せ呑むの概がある。

城を築くとなれば、とんでもなく大きな石を持ってくる。

原文を見る

城を築けば、途方もない大きな石を持ってくる。

三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)の塀といえば、塀の中の巨人のようなものだし、智積院(ちしゃくいん)の屏風(びょうぶ)といえば、あの前に座った秀吉が、花の中の小猿のように見えただろう。

原文を見る

三十三間堂の塀ときては塀の中の巨人であるし、智積院ちじゃくいん屏風びょうぶときては、あの前に坐った秀吉が花の中の小猿のように見えたであろう。

芸術もへったくれもないようである。

原文を見る

芸術も糞もないようである。

ひとつの、もっとも俗悪な意志によるくわだてなのだ。

原文を見る

一つの最も俗悪なる意志による企業なのだ。

けれども、否定することのできない落ち着きがある。

原文を見る

けれども、否定することの出来ない落着きがある。

安定感があるのである。

原文を見る

安定感があるのである。

いわば、事実として、彼の精神は「天下者」

原文を見る

いわば、事実に於て、彼の精神は「天下者」

であったと言うことができる。

原文を見る

であったと言うことが出来る。

家康も天下を握ったが、彼の精神は「天下者」ではない。

原文を見る

家康も天下を握ったが、彼の精神は天下者ではない。

そうして、天下を握った将軍たちは多いけれども、天下者の精神を持った人は、秀吉だけだった。

原文を見る

そうして、天下を握った将軍達は多いけれども、天下者の精神を持った人は、秀吉のみであった。

金閣寺も銀閣寺も、天下者の精神からはおよそ縁の遠い産物である。

原文を見る

金閣寺も銀閣寺も、凡そ天下者の精神からは縁の遠い所産である。

いわば、金持ちの風流人(ふうりゅうじん・風流を好む人)の道楽だった。

原文を見る

いわば、金持の風流人の道楽であった。

秀吉においては、風流も道楽もない。

原文を見る

秀吉に於ては、風流も、道楽もない。

彼のすることすべてが、みんな天下一でなければ気がすまないという、狂ったような強い意欲の表れがあるだけだ。

原文を見る

彼の為す一切合財いっさいがっさいのものが全て天下一でなければ納らない狂的な意欲の表れがあるのみ。

ためらった跡がなく、一歩でも控えてみたという形跡がない。

原文を見る

ためらいの跡がなく、一歩でも、控えてみたという形跡がない。

天下の美女をみんな欲しがり、くれないときには千利休さえも殺してしまうしまつである。

原文を見る

天下の美女をみんな欲しがり、れない時には千利休も殺してしまう始末である。

あらゆるわがままを言うことができた。

原文を見る

あらゆる駄々をこねることが出来た。

そうして、実際にあらゆるわがままを言った。

原文を見る

そうして、実際、あらゆる駄々をこねた。

そうして、わがまま放題な子どものような不敵な安定感というものが、天下者のスケールで、彼が残した多くのものに、一貫して花開いている。

原文を見る

そうして、駄々っ子のもつ不逞ふていな安定感というものが、天下者のスケールに於て、彼の残した多くのものに一貫して開花している。

ただ、天下者としてのスケールが、日本らしく小さいという心残りはある。

原文を見る

ただ、天下者のスケールが、日本的に小さいといううらみはある。

そうして、あらゆるわがままを言うことができたけれども、それでもすべてを思い通りにすることはできなかった、という天下者のニヒリズム(むなしさ)をうかがうこともできるのである。

原文を見る

そうして、あらゆる駄々をこねることが出来たけれども、しかも全てを意のままにすることは出来なかったという天下者のニヒリズムをうかがうことも出来るのである。

だいたいにおいて、極限までの華やかさには不思議な悲しみがつきまとうものだが、秀吉の足跡にもそのようなものがあり、しかも、はかりしれないところがある。

原文を見る

大体に於て、極点の華麗さには妙な悲しみがつきまとうものだが、秀吉の足跡にもそのようなものがあり、しかも端倪たんげいすべからざる所がある。

三十三間堂の太閤塀(たいこうべい)というものは、今ではごくわずかしか残っていないが、三十三間堂との対称(シンメトリー)などということは、ほとんど頭になかった作品だ。

原文を見る

三十三間堂の太閤塀というものは、今、極めて小部分しか残存していないが、三十三間堂とのシムメトリイなどというものは殆んど念頭にない作品だ。

対称があるとすれば、むだにその巨大さと落ち着きを競い合っているようなもので、そもそも塀というものは、その内側に建物があってはじめて成り立つはずだろうが、この塀ばかりは独立して存在していて、三十三間堂のことなど眼中にないのだ。

原文を見る

シムメトリイがあるとすれば、いたずらに巨大さと落着きを争っているようなもので、元来塀というものはその内側に建築あって始めて成立つ筈であろうが、この塀ばかりは独立自存、三十三間堂が眼中にないのだ。

そうして、その独立して存在するたくましさと落ち着きは、三十三間堂を上回るものである。

原文を見る

そうして、その独立自存の逞しさと、落着きとは、三十三間堂の上にあるものである。

そうして、その巨大さを不自然に見せない独自の曲線には、三十三間堂以上の美しさがある。

原文を見る

そうして、その巨大さを不自然に見せないところの独自の曲線には、三十三間堂以上の美しさがある。

ぼくが亀岡へ行ったとき、王仁三郎は現代において、秀吉のようなわがままな子どもの精神を、非常に突拍子もない形ではあるけれど、とにかく形にした人ではないだろうかと想像して、その夢の跡に多少の期待を持っていたのだが、これはスケールが話にならないほどちっぽけすぎて、ただ、そのまま俗悪そのものでしかなかった。

原文を見る

僕が亀岡へ行ったとき、王仁三郎は現代に於て、秀吉的な駄々っ子精神を、非常に突飛な形式ではあるけれども、とにかく具体化した人ではなかろうかと想像し、夢の跡に多少の期待を持ったのだったが、これはスケールが言語道断に卑小にすぎて、ただ、直接に、俗悪そのものでしかなかった。

まったく貧弱で、貧しいものだった。

原文を見る

全然、貧弱、貧困であった。

言うまでもなく、豪華さの極みからにじみ出るような悲しみなど、少しもなかったのである。

原文を見る

言うまでもなく、豪華極まって浸みでる哀愁の如きは、微塵といえども無かったのである。

酒だるさえあれば、帝王がなんだというのだ、とうたい、靴になってあの娘の足に踏まれたい、とうたう。

原文を見る

酒樽ありせば、帝王も我に於て何かあらんや、と、詠じ、靴となってあの娘の足に踏まれたい、と、歌う。

万葉集の詩人にも、アナクレオン(古代ギリシャの詩人)の仲間にも、中国にも、ペルシャにも、文化のあるところには必ず、こういう詩人と、こういう考え方があったのである。

原文を見る

万葉の詩人にも、アナクレオンのともがらにも、支那にも、ペルシャにも、文化のある所、必ず、かかる詩人と、かかる思想があったのである。

しかしながら、こういう考え方は退屈だ。

原文を見る

然しながら、かかる思想は退屈だ。

帝王がなんだというのだ、どころではなく、生まれつき帝王の器ではなく、たとえ帝王になったとしても、何一つ立派なことのできない連中なのである。

原文を見る

帝王何かあらんや、どころではなく、生来帝王の天質がなく、帝王になったところで、何一つ立派なことの出来る奴原やつばらではないのである。

俗な人は俗なままに、小さな人は小さなままに、俗なまま、小さなままのそれぞれの切実な願いを、まじめに生きる姿がなつかしい。

原文を見る

俗なる人は俗に、小なる人は小に、俗なるまま小なるままの各々の悲願を、まっとうに生きる姿がなつかしい。

芸術もまたそうである。

原文を見る

芸術も亦そうである。

まじめでなければならない。

原文を見る

まっとうでなければならぬ。

寺があって、その後にお坊さんがいるのではなく、お坊さんがいて、その後に寺があるのだ。

原文を見る

寺があって、後に、坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。

寺がなくても、良寛は存在する。

原文を見る

寺がなくとも、良寛は存在する。

もし、われわれに仏教が必要なのだとしたら、それはお坊さんが必要なのであって、寺が必要なのではないのである。

原文を見る

し、我々に仏教が必要ならば、それは坊主が必要なので、寺が必要なのではないのである。

京都や奈良の古いお寺がみんな焼けても、日本の伝統はびくともしない。

原文を見る

京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。

日本の建築でさえ、びくともしない。

原文を見る

日本の建築すら、微動もしない。

必要ならば、新しく造ればいいのである。

原文を見る

必要ならば、新らたに造ればいいのである。

急ごしらえの粗末な建物でかまわない。

原文を見る

バラックで、結構だ。

京都や奈良のお寺は似たり寄ったりで、深く記憶にも残らないが、今もなお車折神社の石の冷たさはぼくの手に残っているし、伏見稲荷(ふしみいなり)の俗悪きわまりない赤い鳥居が一里(約四キロメートル)あまりも続くトンネルを忘れることができない。

原文を見る

京都や奈良の寺々は大同小異、深く記憶にも残らないが、今も尚、車折神社の石の冷めたさは僕の手に残り、伏見稲荷の俗悪極まる赤い鳥居の一里に余るトンネルを忘れることが出来ない。

見るからに醜く、まったく美しくはないのだが、人の切実な願いと結びつくとき、まともに胸を打つものがあるのである。

原文を見る

見るからに醜悪で、てんで美しくはないのだが、人の悲願と結びつくとき、まっとうに胸を打つものがあるのである。

これは、「無いほうがまし」

原文を見る

これは、「無きに如かざる」

というものではなく、そのあり方がちっぽけで俗悪であるにしても、なくてはならないものだった。

原文を見る

ものではなく、その在り方が卑小俗悪であるにしても、なければならぬ物であった。

そうして、龍安寺の石庭で休みたいとは思わないが、嵐山劇場のいかがわしいレビューを眺めながら、もの思いにふけりたいとは時々思う。

原文を見る

そうして、龍安寺の石庭で休息したいとは思わないが、嵐山劇場のインチキ・レビューを眺めながら物思いにふけりたいとは時に思う。

人間は、ただ、人間だけを恋しがるものだ。

原文を見る

人間は、ただ、人間をのみ恋す。

人間のない芸術など、あるはずがない。

原文を見る

人間のない芸術など、有る筈がない。

なつかしさのない木立の下で休みたいとは思わないのだ。

原文を見る

郷愁のない木立の下で休息しようとは思わないのだ。

ぼくは「檜垣(ひがき)」

原文を見る

僕は「檜垣ひがき

を世界一流の文学だと思っているが、能の舞台を見たいとは思わない。

原文を見る

を世界一流の文学だと思っているが、能の舞台を見たいとは思わない。

もうわれわれには直接ぴんとこないような表現やうたい方を、退屈しながら、せめて一粒の砂金を待つようにがまんするのが耐えられないからだ。

原文を見る

もう我々には直接連絡しないような表現や唄い方を、退屈しながら、せめて一粒の砂金を待って辛抱するのが堪えられぬからだ。

舞台はぼくが想像し、ぼくが作れば、それでいい。

原文を見る

舞台は僕が想像し、僕がつくれば、それでいい。

天才・世阿弥(ぜあみ)は永遠に新しいけれども、能の舞台や、うたい方や、表現の形が永遠に新しいかどうかはあやしい。

原文を見る

天才世阿弥は永遠に新らただけれども、能の舞台や唄い方や表現形式が永遠に新らたかどうかは疑しい。

古いもの、退屈なものは、ほろびるか、生まれ変わるのが当然だ。

原文を見る

古いもの、退屈なものは、亡びるか、生れ変るのが当然だ。

三 家について

原文を見る

三 家に就て

ぼくはもう、この十年ほど、たいてい一人で住んでいる。

原文を見る

僕はもう、この十年来、たいがい一人で住んでいる。

東京のあの街やこの街にも一人で住み、京都でも、茨城県の取手(とりで)という小さな町でも、小田原でも、一人で住んでいた。

原文を見る

東京のあの街やこの街にも一人で住み、京都でも、茨城県の取手とりでという小さな町でも、小田原でも、一人で住んでいた。

ところが、家というものは(部屋でもいいのだが)、たった一人で住んでいても、いつも後悔がつきまとう。

原文を見る

ところが、家というものは(部屋でもいいが)たった一人で住んでいても、いつも悔いがつきまとう。

しばらく家をあけて、外で酒を飲んだり女性と遊んだりして、時には、ただこれといった目的もない旅先から帰ってきたりする。

原文を見る

暫く家をあけ、外で酒を飲んだり女に戯れたり、時には、ただ何もない旅先から帰って来たりする。

すると、必ず後悔がある。

原文を見る

すると、必ず、悔いがある。

しかる母もいないし、怒る妻も子どももいない。

原文を見る

叱る母もいないし、怒る女房も子供もない。

隣の人にあいさつすることすら、いらない暮らしなのである。

原文を見る

隣の人に挨拶することすら、いらない生活なのである。

それでいて、家へ帰る、というときには、いつも変な悲しさと、うしろめたさから逃げることができない。

原文を見る

それでいて、家へ帰る、という時には、いつも変な悲しさと、うしろめたさから逃げることが出来ない。

帰る途中、友達のところへ寄る。

原文を見る

帰る途中、友達の所へ寄る。

そこでは、まったく悲しさや、うしろめたさがないのである。

原文を見る

そこでは、一向に、悲しさや、うしろめたさが、ないのである。

そうして、ごくふつうに四、五人の友達のところを渡り歩いて、家へ戻る。

原文を見る

そうして、平々凡々と四五人の友達の所をわたり歩き、家へ戻る。

すると、やっぱり悲しさ、うしろめたさが生まれてくる。

原文を見る

すると、やっぱり、悲しさ、うしろめたさが生れてくる。

「帰る」

原文を見る

「帰る」

ということは、不思議な魔物だ。

原文を見る

ということは、不思議な魔物だ。

「帰ら」

原文を見る

「帰ら」

なければ、後悔も悲しさもないのである。

原文を見る

なければ、悔いも悲しさもないのである。

「帰る」

原文を見る

「帰る」

以上、妻も子どもも、母もいなくても、どうしても後悔と悲しさから逃げることができないのだ。

原文を見る

以上、女房も子供も、母もなくとも、どうしても、悔いと悲しさから逃げることが出来ないのだ。

帰るということの中には、必ず、ふり返らせる魔物がいる。

原文を見る

帰るということの中には、必ず、ふりかえる魔物がいる。

この後悔や悲しさから逃れるためには、要するに、帰らなければいいのである。

原文を見る

この悔いや悲しさから逃れるためには、要するに、帰らなければいいのである。

そうして、いつも前へ進めばいい。

原文を見る

そうして、いつも、前進すればいい。

ナポレオンは常に前進し、ロシアまで、退却したことがなかった。

原文を見る

ナポレオンは常に前進し、ロシヤまで、退却したことがなかった。

ヒトラーは、一度も退却したことがないけれども、彼らほどの大天才でも、家から逃げることはできないはずだ。

原文を見る

ヒットラーは、一度も退却したことがないけれども、彼等程の大天才でも、家を逃げることが出来ない筈だ。

そうして、家がある以上は、必ず帰らなければならない。

原文を見る

そうして、家がある以上は、必ず帰らなければならぬ。

そうして、帰る以上は、やっぱりぼくと同じような不思議な後悔と悲しさから逃げることはできないはずだ、とぼくは考えているのである。

原文を見る

そうして、帰る以上は、やっぱり僕と同じような不思議な悔いと悲しさから逃げることが出来ない筈だ、と僕は考えているのである。

だが、あの大天才たちは、ぼくとは別の鋼鉄でできているのだろうか。

原文を見る

だが、あの大天才達は、僕とは別の鋼鉄だろうか。

いや、別の鋼鉄だからこそなおさら……と、ぼくは考えているのだ。

原文を見る

いや、別の鋼鉄だから尚更……と、僕は考えているのだ。

そうして、ひとりぼっちの部屋で、青ざめた鋼鉄の人間のもの思いについて考えるのだ。

原文を見る

そうして、孤独の部屋で蒼ざめた鋼鉄人の物思いに就て考える。

しかる母もいないし、怒る妻もいないけれども、家へ帰ると、しかられてしまう。

原文を見る

叱る母もなく、怒る女房もいないけれども、家へ帰ると、叱られてしまう。

人はひとりぼっちで、誰に気がねもいらない暮らしの中でも、決して自由ではないのである。

原文を見る

人は孤独で、誰に気がねのいらない生活の中でも、決して自由ではないのである。

そうして、文学は、こういうところから生まれてくるのだ、とぼくは思っている。

原文を見る

そうして、文学は、こういう所から生れてくるのだ、と僕は思っている。

「自由を我等に」

原文を見る

「自由を我等に」

という映画がある。

原文を見る

という活動写真がある。

機械文明への風刺(ふうし・皮肉をこめた批判)らしい。

原文を見る

機械文明への諷刺であるらしい。

毎日毎日が日曜日で、社長も工員もなく、毎日釣りだの酒だのを飲んで遊んで暮らしていられたら、自由で楽しいだろう、というのである。

原文を見る

毎日毎日日曜日で、社長も職工もなく、毎日釣りだの酒でも飲んで遊んで暮していられたら、自由で楽しいだろうというのである。

しかし、自由というものは、そんなに簡単なものではない。

原文を見る

然し、自由というものは、そんなに簡単なものじゃない。

誰に気がねがいらなくても、人は自由ではあり得ない。

原文を見る

誰に気がねがいらなくとも、人は自由では有り得ない。

そもそも、毎日毎日、遊ぶことしかなければ、遊びの特別さがなくなって、楽しくもなんともなくなる。

原文を見る

第一、毎日毎日、遊ぶことしかなければ、遊びに特殊性がなくなって、楽しくもなんともない。

苦しみがあって楽しみがあるのだが、楽しみばかりになってしまえば、世界中がただの水だけになってしまうようなもので、楽しみが楽しみである理由(所以・ゆえん)がなくなるだろう。

原文を見る

苦があって楽があるのだが、楽ばかりになってしまえば、世界中がただ水だけになったことと同じことで、楽の楽たる所以ゆえんがないだろう。

人は必ず死ぬ。

原文を見る

人は必ず死ぬ。

死があるからこそ、喜びや怒り、悲しみや楽しみもあるのだろうが、いつまでたっても死なないと決まっていたら、この上なく退屈な話である。

原文を見る

死あるがために、喜怒哀楽もあるのだろうが、いつまでたっても死なないと極ったら、退屈千万な話である。

生きていることに、特別な意味がなくなるからである。

原文を見る

生きていることに、特別の意義がないからである。

「自由を我等に」

原文を見る

「自由を我等に」

という映画のばかばかしさはどうでもいいが、監督のルネ・クレールのことはさておき、社会改良家などと呼ばれる人たちの自由に対する考え方が、やっぱりこれと似たり寄ったりの思いつきにすぎないことを考えると、文学への信頼をますます深くせずにはいられない。

原文を見る

という活動写真の馬鹿らしさはどうでもいいが、ルネ・クレールはとにかくとして、社会改良家などと言われる人の自由に対する認識が、やっぱりこれと五十歩百歩の思いつきに過ぎないことを考えると、文学への信用を深くせずにはいられない。

ぼくは文学こそ万能だと思う。

原文を見る

僕は文学万能だ。

なぜなら、文学というものは、しかる母がいなくても、怒る妻がいなくても、帰ってくるとしかられる。

原文を見る

なぜなら、文学というものは、叱る母がなく、怒る女房がいなくとも、帰ってくると叱られる。

そういうところから出発しているからである。

原文を見る

そういう所から出発しているからである。

だから、文学を信用することができなくなったら、人間を信用することができない、という考えでもある。

原文を見る

だから、文学を信用することが出来なくなったら、人間を信用することが出来ないという考えでもある。

四 美について

原文を見る

四 美に就て

三年前に取手(とりで)という町に住んでいた。

原文を見る

三年前に取手という町に住んでいた。

利根川(とねがわ)に沿った小さな町で、トンカツ屋とそば屋のほかに食堂がなく、ぼくは毎日トンカツを食べ、半年目にはとうとうすっかりうんざりしたが、ぼくはだいたい月に二回ずつ東京へ出て、酔っぱらって帰る習慣だった。

原文を見る

利根川に沿うた小さな町で、トンカツ屋とソバ屋の外に食堂がなく、僕は毎日トンカツを食い、半年目には遂に全くうんざりしたが、僕は大概一ヶ月に二回ずつ東京へでて、酔っ払って帰る習慣であった。

もっとも、町にも酒屋はある。

原文を見る

尤も、町にも酒屋はある。

しかし、おでん屋というようなものはなく、ふつうの酒屋で、上がり框(かまち・玄関の段の縁)に腰かけてコップ酒を飲むのである。

原文を見る

然し、オデン屋というようなものはなく、普通の酒屋で、かまちへ腰かけてコップ酒をのむのである。

これを「トンパチ」

原文を見る

これを「トンパチ」

と言い、「当八(とうはち)」

原文を見る

と言い、「当八」

という意味だそうである。

原文を見る

の意だそうである。

つまり、一升(いっしょう・約一・八リットル)がコップ八杯分にしかならない。

原文を見る

即ち一升がコップ八杯にしか当らぬ。

つまり、一合(いちごう)以上をなみなみと注いでくれる、盛りがいいという意味なのである。

原文を見る

つまり、一合以上なみなみとあり、盛りがいいという意味なのである。

村の百姓たちは「トンパチやんべいか」

原文を見る

村の百姓達は「トンパチやんべいか」

と言う。

原文を見る

と言う。

もちろんぼくは愛用したが、一杯十五銭だったり、十七銭だったりと、日によってそのときの仕入れ値段でまちまちだったが、東京から来る友達は顔をしかめて飲んでいる。

原文を見る

勿論僕は愛用したが、一杯十五銭だったり、十七銭だったり、日によってその時の仕入れ値段で区々まちまちだったが、東京から来る友達は顔をしかめて飲んでいる。

この町から上野まで五十六分しかかからないのだが、利根川、江戸川、荒川という三つの大きな川を越え、そのうちの一つの川岸に小菅(こすげ)刑務所があった。

原文を見る

この町から上野まで五十六分しかかからぬのだが、利根川、江戸川、荒川という三ツの大きな川を越え、その一つの川岸に小菅こすげ刑務所があった。

汽車は、この大きな近代風の建物を眺めながら走るのである。

原文を見る

汽車はこの大きな近代風の建築物を眺めて走るのである。

非常に高いコンクリートの塀がそびえ立ち、牢屋の建物は堂々と羽を広げるように十字の形に伸びていて、その十字の交わる中心には、大きな工場の煙突よりも高く、でこぼこした見張りの塔がそびえている。

原文を見る

非常に高いコンクリートの塀がそびえ、獄舎は堂々と翼を張って十字の形にひろがり十字の中心交叉点に大工場の煙突よりも高々とデコボコの見張の塔が突立っている。

もちろん、この大きな建物には、美しく見せるための飾りは一つもなく、どこから見ても刑務所そのもので、刑務所以外の何ものでもありえない造りなのだが、不思議に心を引かれる眺めである。

原文を見る

勿論、この大建築物には一ヶ所の美的装飾というものもなく、どこから見ても刑務所然としており、刑務所以外の何物でも有り得ない構えなのだが、不思議に心を惹かれる眺めである。

それは、刑務所という考えと結びついて、その威圧感でぼくの心に迫ってくるのとは、様子がちがう。

原文を見る

それは刑務所の観念と結びつき、その威圧的なもので僕の心に迫るのとは様子が違う。

むしろ、なつかしいような気持ちである。

原文を見る

むしろ、懐しいような気持である。

つまり、結局のところ、どこかしら、その美しさでぼくの心を引きつけているのだ。

原文を見る

つまり、結局、どこかしら、その美しさで僕の心を惹いているのだ。

利根川の風景も、手賀沼(てがぬま)も、この刑務所ほどぼくの心を引くことはなかった。

原文を見る

利根川の風景も、手賀沼も、この刑務所ほど僕の心を惹くことがなかった。

いったい、本当に美しいのだろうか、とぼくは時々考えた。

原文を見る

いったい、ほんとに美しいのかしら、と、僕は時々考えた。

これに似た別の経験が、もう一つ、はっきり心に残っている。

原文を見る

これに似た他の経験が、もう一つ、ハッキリ心に残っている。

もう、十数年前のことになる。

原文を見る

もう、十数年の昔になる。

そのころはまだ学生で、ぼくは酒も飲まないときだったが、友人たちと初めて同人雑誌を出し、酒を飲まないものだから、勢いで、ぶらぶら歩きながら五時間、六時間と議論を続けることになる。

原文を見る

その頃はまだ学生で、僕は酒も飲まない時だが、友人達と始めて同人雑誌をだし、酒を飲まないから、勢い、そぞろ歩きをしながら五時間六時間と議論をつづけることになる。

そのため、足の向くままに、実にあちこちの道を歩いた。

原文を見る

そのため、足の向くままに、実に諸方の道を歩いた。

深夜になり、深夜でなくてもしきりと警察官に取り調べられたが、左翼運動がさかんな時代で、とことん小うるさく取り調べられた。

原文を見る

深夜になり、深夜でなくともしきりと警官に訊問されたが、左翼運動のさかんな時代で、徹底的に小うるさく訊問された。

だいたい、深夜に数人で歩きながら、酒も飲んでいないというのが、かえって怪しまれる種だった。

原文を見る

大体、深夜に数人で歩きながら、酒も飲んでいないというのが、かえって怪しまれる種であった。

そういうわけで、心を入れかえて大酒飲みになったわけでもないのだが。

原文を見る

そういう次第で心を改め大酒飲みになった訳でもないのだが。

銀座から築地(つきじ)へ歩き、渡し船に乗って、佃島(つくだじま)へ渡ることが、よくあった。

原文を見る

銀座から築地へ歩き、渡船に乗り、佃島つくだじまへ渡ることが、よく、あった。

この渡し船は一晩中動いているから、帰れなくなる心配はない。

原文を見る

この渡船は終夜運転だから、帰れなくなる心配はない。

佃島は、一間(けん・約一・八メートル)ほどの暗くて細い道の両側に「佃茂(つくもしげ)」

原文を見る

佃島は一間ぐらいの暗くて細い道の両側に「佃茂」

だの「佃一(つくいち)」

原文を見る

だの「佃一」

だのという家が並んでいて、佃煮屋かもしれないが、漁村のような雰囲気で、渡し船を降りると、突然、遠い旅に来たような気持ちになる。

原文を見る

だのという家が並び、佃煮屋かも知れないが、漁村の感じで、渡船を降りると、突然遠い旅に来たような気持になる。

とても川の向こうが銀座だとは思えない。

原文を見る

とても川向うが銀座だとは思われぬ。

こんな旅のような感じが好きだったが、ひとつには、聖路加(せいろか)病院の近くにドライアイスの工場があって、そこに雑誌の仲間が勤めていたため、この方面へ足が向く機会が多かったのである。

原文を見る

こんな旅の感じが好きであったが、ひとつには、聖路加せいろか病院の近所にドライアイスの工場があって、そこに雑誌の同人が勤めていたため、この方面へ足の向く機会が多かったのである。

さて、そのドライアイスの工場だが、これが不思議とぼくの心を引くのだった。

原文を見る

さて、ドライアイスの工場だが、これが奇妙に僕の心を惹くのであった。

工場地帯では、なんの変哲もない建物なのかもしれない。

原文を見る

工場地帯では変哲もない建物であるかも知れぬ。

起重機(クレーン)だのレールのようなものがあり、右も左もコンクリートで、頭上のはるか高いところにも、倉庫から続いてくる高架レールのようなものが突き出していて、ここにも美しく見せようとする考えなど一切なく、ただ必要に応じた設備だけで一つの建物ができあがっている。

原文を見る

起重機だのレールのようなものがあり、右も左もコンクリートで頭上の遥か高い所にも、倉庫からつづいてくる高架レールのようなものが飛び出し、ここにも一切の美的考慮というものがなく、ただ必要に応じた設備だけで一つの建築が成立っている。

町の家並みの中でこれを見ると、いかつく、異様な眺めだったが、しかし、群を抜いて美しいことが分かるのだった。

原文を見る

町家の中でこれを見ると、魁偉かいいであり、異観であったが、然し、頭抜ずぬけて美しいことが分るのだった。

聖路加病院の堂々たる大きな建物。

原文を見る

聖路加病院の堂々たる大建築。

それに比べれば工場はずっと小さく、貧弱な造りだったが、それにもかかわらず、この工場の引き締まった重量感に比べれば、聖路加病院は子どもの工作のようなたわいもないものだった。

原文を見る

それに較べれば余り小さく、貧困な構えであったが、それにも拘らず、この工場の緊密な質量感に較べれば、聖路加病院は子供達の細工のようなたあいもない物であった。

この工場はぼくの胸に食い込み、はるかななつかしさへとつながっていく、おおらかな美しさがあった。

原文を見る

この工場は僕の胸に食い入り、遥か郷愁につづいて行く大らかな美しさがあった。

小菅刑務所と、ドライアイスの工場。

原文を見る

小菅刑務所とドライアイスの工場。

この二つのつながりについて、ぼくはふと思うことがあったけれど、そのどちらにも、ぼくのなつかしさをゆり動かすたくましい美しさがあるということ以外には、あえて考えてみたことがなかった。

原文を見る

この二つの関聯に就て、僕はふと思うことがあったけれども、そのどちらにも、僕の郷愁をゆりうごかす逞しい美感があるという以外には、強いて考えてみたことがなかった。

法隆寺だの平等院の美しさとは、まったくちがう。

原文を見る

法隆寺だの平等院の美しさとは全然違う。

しかも、法隆寺だの平等院は、古代とか歴史というものを頭に入れて、いちおう何か納得しなければならないような美しさである。

原文を見る

しかも、法隆寺だの平等院は、古代とか歴史というものを念頭に入れ、一応、何か納得しなければならぬような美しさである。

直接心に突き当たり、はらわたに食い込んでくるようなものではない。

原文を見る

直接心に突当り、はらわたに食込んでくるものではない。

どこかしら物足りなさを補わなければ、納得することができないのである。

原文を見る

どこかしら物足りなさを補わなければ、納得することが出来ないのである。

小菅刑務所とドライアイスの工場は、もっと直接に突き当たってきて、何かを補う必要もなく、ぼくの心をすぐになつかしさへと導いていく力があった。

原文を見る

小菅刑務所とドライアイスの工場は、もっと直接突当り、補う何物もなく、僕の心をすぐ郷愁へ導いて行く力があった。

なぜだろう、ということを、ぼくは考えずにいたのである。

原文を見る

なぜだろう、ということを、僕は考えずにいたのである。

ある春先、半島の先端にある港町へ旅行に出かけた。

原文を見る

ある春先、半島の尖端の港町へ旅行にでかけた。

その小さな入り江の中に、わが帝国の無敵の駆逐艦(くちくかん)が停泊していた。

原文を見る

その小さな入江の中に、わが帝国の無敵駆逐艦が休んでいた。

それは小さな、どこか控えめな感じのする軍艦だったけれど、ひと目見ただけで、その美しさはぼくのたましいをゆり動かした。

原文を見る

それは小さな、何か謙虚な感じをさせる軍艦であったけれども一見したばかりで、その美しさは僕の魂をゆりうごかした。

ぼくは浜辺で休みながら、水に浮かぶ黒くて控えめな鉄のかたまりを、あきることなく眺めつづけた。そうして、小菅刑務所と、ドライアイスの工場と、この軍艦と、この三つのものを一つにして、その美しさの正体を思い返していたのであった。

原文を見る

僕は浜辺に休み、水にうかぶ黒い謙虚な鉄塊を飽かず眺めつづけ、そうして、小菅刑務所とドライアイスの工場と軍艦と、この三つのものを一にして、その美しさの正体を思いだしていたのであった。

この三つのものが、なぜこれほど美しいのか。

原文を見る

この三つのものが、なぜ、かくも美しいか。

ここには、美しく見せるために手を加えた美しさというものが、まったくない。

原文を見る

ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。

「美しくするため」という理由でつけ加えた柱や鋼鉄は一本もなく、「美しくないから」という理由で取り去った柱や鋼鉄も一本もない。

原文を見る

美というものの立場から附加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取去った一本の柱も鋼鉄もない。

ただ必要なものだけが、必要な場所に置かれた。

原文を見る

ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。

そうして、不要なものはすべて取り除かれ、必要だけが求める独自の形ができあがっているのである。

原文を見る

そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上っているのである。

それは、それ自身に似ている以外には、ほかの何ものにも似ていない形である。

原文を見る

それは、それ自身に似る外には、他の何物にも似ていない形である。

必要によって柱は遠慮なくゆがめられ、鋼鉄はでこぼこに張りめぐらされ、レールは突然頭の上から飛び出してくる。

原文を見る

必要によって柱は遠慮なくゆがめられ、鋼鉄はデコボコに張りめぐらされ、レールは突然頭上から飛出してくる。

すべては、ただ「必要」ということだ。

原文を見る

すべては、ただ、必要ということだ。

そのほかのどのような古くからの考え方も、この「必要」がどうしても生み出さずにはいられないものの誕生をさまたげる力にはなり得なかった。

原文を見る

そのほかのどのような旧来の観念も、この必要のやむべからざる生成をはばむ力とは成り得なかった。

そうして、ここに、何ものにも似ていない三つのものができあがったのである。

原文を見る

そうして、ここに、何物にも似ない三つのものが出来上ったのである。

ぼくの仕事である文学も、まったくそれと同じことだ。

原文を見る

僕の仕事である文学が、全く、それと同じことだ。

美しく見せるためだけの一行があってはならない。

原文を見る

美しく見せるための一行があってもならぬ。

美というものは、特に美を意識して作られたところからは生まれてこない。

原文を見る

美は、特に美を意識して成された所からは生れてこない。

どうしても書かなければならないこと、書く必要のあること――ただ、その、どうしようもない必要にだけ応じて、書きつくされなければならない。

原文を見る

どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。

ただ「必要」

原文を見る

ただ「必要」

であり、一つも二つも百も、最初から最後まで、ただ「必要」

原文を見る

であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」

だけ。

原文を見る

のみ。

そうして、この「どうしようもない実質」

原文を見る

そうして、この「やむべからざる実質」

が求めた独自の形が、美を生むのだ。

原文を見る

がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。

実質からの要求をはずれて、「美的」だとか「詩的」だとかいう立場に立って一本の柱を立てても、それはもう、たわいもない作りものになってしまう。

原文を見る

実質からの要求を外れ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たわいもない細工物になってしまう。

これが、散文(さんぶん・詩ではない普通の文章)の精神であり、小説の真の値打ちである。

原文を見る

これが、散文の精神であり、小説の真骨頂である。

そうして、同時に、あらゆる芸術の大きな道すじなのだ。

原文を見る

そうして、同時に、あらゆる芸術の大道なのだ。

問題は、おまえが書こうとしたことが、本当に必要なことであるか、ということだ。

原文を見る

問題は、汝の書こうとしたことが、真に必要なことであるか、ということだ。

おまえの命と引きかえにしても、それを表現せずにはいられないような、おまえ自身の宝石であるかどうか、ということだ。

原文を見る

汝の生命と引換えにしても、それを表現せずにはやみがたいところの汝自らの宝石であるか、どうか、ということだ。

そうして、それが、その求めに応じて、おまえ独自のやり方で、不要なものを取り去り、本当にふさわしい形で表現されているかどうか、ということだ。

原文を見る

そうして、それが、その要求に応じて、汝の独自なる手により、不要なる物を取去り、真に適切に表現されているかどうか、ということだ。

百メートルを疾走するオーエンス(当時の有名な陸上選手)の美しさと、二流選手の動きには、必要に応じきった完全な動きの美しさと、応じきれないぎこちなさとのちがいがある。

原文を見る

メートルを疾走するオウエンスの美しさと二流選手の動きには、必要に応じた完全なる動きの美しさと、応じ切れないギゴチなさの相違がある。

ぼくが中学生のころ、百メートルの選手といえば、やせていて、軽くて、足が長くて、すらりとした体でなければならないと決まっていた。

原文を見る

僕が中学生の頃、百米の選手といえば、痩せて、軽くて、足が長くて、スマートの身体でなければならぬと極っていた。

太って重い男はもっぱら投てき(円盤やハンマーなどを投げる種目)の方に回され、フィールドの片すみで砲丸を担いだりハンマーを振り回したりしていたのである。

原文を見る

ふとった重い男は専ら投擲とうてきの方へ廻され、フィールドの片隅で砲丸をかついだりハンマーを振廻していたのである。

日本へも来たことのあるパドックやシンプソンといった選手のころまでは、そうだった。

原文を見る

日本へも来たことのあるパドックだのシムプソンの頃までは、そうだった。

メトカルフやトーランといった選手が現れたころから、短距離には重い体の加速度こそが最後の決め手だと考えが改められ、すらりとした体は中距離の方へ回されるようになったのである。

原文を見る

メトカルフだのトーランが現れた頃から、短距離には重い身体の加速度が最後の条件であると訂正され、スマートな身体は中距離の方へ廻されるようになったのである。

いつか、羽田飛行場へ出かけて、分捕り品のイ十六型戦闘機を見たが、飛行場の左はしに姿を現したかと思ううちに右はしへ飛び去っていき、あきれるほどの速さだった。

原文を見る

いつか、羽田飛行場へでかけて、分捕品のイ―十六型戦闘機を見たが、飛行場の左端に姿を現したかと思ううちに右端へ飛去り、あきれ果てた速力であった。

日本の戦闘機は、格闘のしやすさに重点を置き、速さを二の次にするから、速さの点では比べものにならない。

原文を見る

日本の戦闘機は格闘性に重点を置き、速力を二の次にするから、速さの点では比較にならない。

イ十六は胴体が短く、ずんぐり太っていて、どっしりとした重量感があり、現代式の百メートル選手の体格の条件に、まったくよく当てはまっているのである。

原文を見る

イ―十六は胴体が短く、ずんぐり太っていて、ドッシリした重量感があり、近代式の百米選手の体格の条件に全く良く当てはまっているのである。

すらりとしたところは少しもなく、どこまでも不格好にできあがっているが、その重量の加速度によって風を切るスピード感の美しさは、すらりとした旅客機などとは比べものにならないものがあった。

原文を見る

スマートな所は微塵もなく、あくまで不恰好に出来上っているが、その重量の加速度によって風を切る速力的な美しさは、スマートな旅客機などの比較にならぬものがあった。

見た目のすらりとした美しさだけでは、本当に美しいものにはなり得ない。

原文を見る

見たところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。

すべては、実質の問題だ。

原文を見る

すべては、実質の問題だ。

美しさのための美しさは素直ではなく、結局、本物ではないのである。

原文を見る

美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。

要するに、中身がないのだ。

原文を見る

要するに、空虚なのだ。

そうして、中身のないものは、本物の力で人の心を打つことは決してなく、つきつめれば、あってもなくてもかまわない代物である。

原文を見る

そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。

法隆寺も平等院も焼けてしまって、まったく困らない。

原文を見る

法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。

必要ならば、法隆寺を取り壊して駅を作ればいい。

原文を見る

必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。

われわれ民族の輝かしい文化や伝統は、そんなことでは決してほろびはしないのである。

原文を見る

我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。

武蔵野の静かな夕日はなくなったが、いくつも重なりあうバラックの屋根に夕日が落ち、ほこりのために晴れた日でも空が曇り、月夜の景色に代わってネオンサインが光っている。

原文を見る

武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。

ここに、われわれの実際の暮らしがたましいを宿している限り、これが美しくなくて、何だろうか。

原文を見る

ここに我々の実際の生活が魂を下している限り、これが美しくなくて、何であろうか。

見るがいい、空には飛行機が飛び、海には鋼鉄の船が走り、高架線の上を電車がごうごうと音を立てて走っていく。

原文を見る

見給え、空には飛行機がとび、海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々ごうごうと駈けて行く。

われわれの暮らしが健康である限り、西洋風の安っぽいバラックをまねて得意になっていても、われわれの文化は健康だ。

原文を見る

我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。

われわれの伝統も健康だ。

原文を見る

我々の伝統も健康だ。

必要ならば、公園をひっくり返して野菜畑にせよ。

原文を見る

必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。

それが本当に必要ならば、必ずそこにも本当の美が生まれる。

原文を見る

それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。

そこに本物の暮らしがあるからだ。

原文を見る

そこに真実の生活があるからだ。

そうして、本当に生きている限り、まねごとを恥じる必要はないのである。

原文を見る

そうして、真に生活する限り、猿真似をはじることはないのである。

それが本物の暮らしである限り、まねごとにも、独自の創造と同じだけのすぐれた価値があるのである。

原文を見る

それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。