人格の養成 小学生向け
新渡戸稲造(にとべいなぞう)・1905年
AI生成この訳はAI(claude-sonnet-4-6)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-23)
久しぶりに東京に帰ってきて、ゆっくり休もうと思っていたのに、突然呼ばれました。きっとごちそうでもあるのだろうと思って来てみたら、二階の階段のところで話をしてくれという命令です。
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久振で東京へ帰ッて参りまして、安心して休むつもりであッたところが、突然お呼出しになりまして、定めし何にか御馳走でもあるじゃろうと思ッて来たところが、二階の階段で演説をという命令である。
台湾から帰ってきたばかりで、おもしろい話なんてとてもできません。でも、台湾に行ったからといって、舌を落としてきたわけでも、日本語を忘れたわけでもないので、絶対に話せないとは言えません。
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台湾から帰ッたばかりで、とても面白い話など出来る次第でもなし、けれども台湾に行ッたからというて、舌を落して来たという訳でもなし、日本語を忘れたという訳でもないからして、絶対的にお話出来ぬというお断りは出来ない。
さっき横井さんがとても役に立つ親切なお話をしてくださったので、私にはつけ加えることは何もありません。それに皆さんはもう保険料を払い済みのことでしょう。
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しかしただ今も横井さんの有益なる御深切なお話のあとで、私は何も附加えることはない、殊にあなた方はもう既に保険料をお払済になッたろうと思うのである。
私もたびたび保険会社の人に押しかけられて、この保険会社に入れと言ってきたかと思うと、すぐ次には別の会社が来る。なかなか熱心なものです。
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私もしばしばこの保険会社の人に押込まれて、何々保険会社から入れと言うて来るかと思うと、直後から他の会社から来る、中々勉強するものである。
でも皆さんの場合は、おそらく横井さんが最初のお声がけで、そのあとからまた来られたらさぞかしうるさいとお思いになるでしょう。
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然るにあなた方に対しては恐らく横井さんが初めての申込であッて、後から来るものは定めしうるさいだろうとお思いになるだろう。
ですから私は保険の申し込みは一切しませんので、その点はご安心ください。
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故に私は何も保険申込はしないから、それだけは御安心下さい。
横井さんのお話のあとで、さっき申しましたとおり、つけ加えることはないのですが、とてもよく共感できる点が多い、多いどころか、すべてに共感です。
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また横井さんのお話の後で、ただ今申した通り、加えることはないが、すこぶる御同感の点が多い、多いどころではない悉く御同感である。
今日は卒業式ということでしたが、皆さんが何か巻き物を持っているところを見ると、おそらく卒業式はもう終わったのでしょう。
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今日は卒業式とかいう話であッたが、あなた方が何か巻物を持ッておるところを見ると、多分卒業式は済んだのであろう。
ということは、これから社会に出る方々が何人かいらっしゃるわけです。
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してみるとこれから世の中に出られるという方々が何人かおいでになる。
私はここに来たついでに、十分か十五分ほど、社会に出る方々に一言申し上げ、それから残っている方々にも少しお話ししたいと思います。
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私は此処へ参りましたついでに、十分か十五分を期して世の中に出られる方に一言を申し、それから残ッておられる方々に一口申したいと思う。
社会に出て成功するためにどんな条件が必要かは、もうお話がありましたが、それを実際に実行できるかどうか、ここが大切です。
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世の中に出られる方は、どういう成功の条件が必要であるかということは、既にお話があッたが、ただそれを実行出来るや否や、ここが大切である。
女性の力というのはすごいもので、長年世の中を見てきた私の知人がこんなことを言っていました。世の中は三つの「ぽう」で治まっている、と。
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女の勢力というものはひどいもので私の知人の世の中を永く見た人が言うたことがある、世の中は三つのぽうで治まッておる。
一つ目は「鉄砲」、これは今日新聞を開けばすぐわかります。
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一つは鉄砲、これはマア吾々が今日新聞を取ッて見てもすぐ分る。
二つ目は「説法」、つまり宗教のことで、お寺や教会が至るところに建っているのを見ればわかります。
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第二は説法というので即ち宗教というのであろう、本願寺を始めとして到る処に建ッておる教会を見ても分る。
三つ目は「女房」というやつで、これがものすごい力を持っているそうです。
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第三のは女房というやつ、これは恐ろしい勢力を持ッておるものだそうです。
この三つの「ぽう」で世の中が治まっているというわけです。
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この三つのぽうで世の中が治まッておるのであるという。
なかでも最も力があるという「女房」は、まあここから出る方々でしょう。
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このうちにも最も勢力のあるという女房というのは、マアこの辺から出られるのであろう。
ほかからも多く出るでしょうが、まあここからも出るのでしょう。
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他からも大分出るのであるけれども、マアここからも出るのであろう。
たとえ人の妻にならないとしても、「女房」というのは広い意味での女性のことで、人の奥さんだけに限りません。
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よし女房にならぬと言うても、女房というのは広い意味においては婦人ということである、何も人の妻のみには限らない。
その広い意味での「女房」はどうすれば成功できるか、つまり人の妻であれば、どうすれば夫をうまく支えてリードしていけるか、そういう成功の保険はどうなっているのでしょう。
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その広い意味においての女房というものは如何にして成功するか、即ち人の妻であッたならば、どうして自分の夫を支配して押付けて行くことが出来るか、というこの成功の保険などはどうである。
これも横井さんのお話の条件を守れば、自分の夫を支えるだけでなく、世界をも動かすことができるでしょう。ただ、その一つの要素としてお話しになりました。
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これも横井さんのお話の条件を守ッたら、自分の夫を押えるのみならず、世界を治める事も出来よう、ただその一の要素としてお話しなすッた。
たとえば体を丈夫にしようと思えば、おいしいものを食べろということで、なるほどおいもやかぼちゃばかりでは体が丈夫にはなれないでしょう。いいことをおっしゃった。皆さんもご同感でしょう。ただ、どうやっておいしいものを食べていくか、それが現実の問題で、ここが考えどころです。
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例えば一つの身体をよくしよう、最も身体をよくするには、うまい物を食え、これはなるほどお芋や南瓜ばかりでは身体は丈夫にはなるまい、いいことをお話しになッた、皆様も御同感であろうと思う、ただどうして、うまい物を食ッて行こうか、という問題が事実問題でここが考え物だ。
ほかの点でもお話しになったことを実行しようとするとき、何によって決まるかというと、やはりお話しになった知識というものを使って、女性としての本領、つまり世界の大きな流れを動かす力になることだと思います。
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他の点においてもお話しになッた事を実行するに当ッて、どうであろうということは何に依て定まるかというと、やはりお話しになッたところの智識というものを利用して、それで女房の女房たるところ、即ち世界の大勢を動かす機関となることであろうと思う。
ですから知識というものはとても役に立つものです。その知識を得るための第一歩として、卒業証書はもう手に入れた、学校の勉強は終えたと思いますから、次はそれを使うことです。
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故に智識というものは頗る利なものである、それでその智識を得るの要素というものは既に卒業証書は得られた、学校は学校で修めたと思いますから、それを応用する。
本を読む力というのはすごいもので、本を読む力さえあれば、たいていの問題が起きてもなんとか判断できます。
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この読書力というものは恐ろしいもので、書物を読む力さえあれば、大概な問題が湧いても、どうかこうかそれに判断を下すことが出来る。
私は農業のことを知っているようなふりをしていますが、いろいろ聞かれることがあって、大根にどんな肥料がいいでしょうかとか聞かれます。私が作る大根は筋っぽくていけない、とてもお役に立つような大根ではないと思うようなものができる。そこで工夫して本を開いてみると、ちゃんと書いてあります。
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私は農学を知ッておるような顔をしている、ところがいろいろな事を持ッて来る、大根にやる肥料はどんなのがようございましょうなんとかいうのがある、私が作る大根は筋ッぽくッていかぬ、とてもあなた方の養生にはなるまいと思うような大根が出来る、そこでこれを工夫して本を開けて見ると、ちゃんと書いてある。
私よりも賢い人が世の中にはたくさんいて、大根の肥料の方法を長年研究している人がいます。
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私より怜悧な人が沢山世の中におる、大根の肥料の法を永い間研究しておる。
ちょっと変な感じがするかもしれませんが、そういう賢い人が世の中にいて、その人の言う通りに作ると、私が話で言うような筋っぽい大根とは全然違うものができます。私はよく質問に答えるのに苦しまぎれに本を読んで、それで間に合わせたことが一度や二度ではなく、始終そうやっています。間に合うことが多いです。
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ちょッと馬鹿じみた人に思いますけれども、怜悧な人が世の中におる、その人の言うことを聞いて作ると、とても私が講釈で言うような筋ッぽい大根ではない、しばしば私は質問に答えるに苦し紛れに、本を読んで、それで間に合わせた事がしばしばどころではない始終それでやッておる、間に合うことが多い。
まず本を読む力があれば、世の中のことはたいてい何とかなります。
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先書物を読む力があれば、世の中の事は大概間に合ッて行く。
ですから、卒業される皆さんにぜひ覚えておいていただきたいのは、本を読む力を失わないようにしなければならないということです。もうこれで安心だ、学校を卒業したからこれで学者になった、この卒業証書さえ持っていればいい、もうあとは楽チンだ、という考えではいけません。ある尼さんの悟りを開いたときの歌があって、歌はうろ覚えなのですが、だいたいこういう意味でした。
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故に私はこの卒業せらる方々に能記憶して戴きたいと思うことは、書物を読む力を失わぬようにせねばならぬことで、もうこれで安心だ、もう学校も卒業したからして、これで学者になッた、この巻物だか紙だか何だかある、これを持ッていさえすればよい、もう極楽浄土というような考ではいかぬ、ある尼でしたね、何とかいう、悟りを開いたという尼さんの歌がある、歌をやると、少し間違ッていかぬけれども、何でもこういうような意味でした。
「船に乗ってしまえば、ろもかいも要らない。片瀬の波さえあれば流れていくから、安心して寝ていられる」というものです。
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船に乗ッてしまえば艪も櫂もいらない、ただ片瀬の浪さえあれば流れて行くから、安心して寐て行くことが出来る。
悟りの道に入ればもう安心だという尼さんの歌です。
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悟道の道に入れば、もう安心じゃというた尼の歌がある。
皆さんも学校を出て卒業証書を持って行けばろもかいも要らない、という気持ちになる人が多い。口では「いやいや、まだまだです」と言っていても、心の中では安心している人がたくさんいます。
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あなた方も世の中に出れば、学校さえ去ッて卒業免状を持ッて行けば艪櫂もいらないという観念を持つ人が沢山ある、口ではなアにまだまだなんと言ッておるけれども、心の中で安心する人が沢山ある。
ところが、その尼さんの歌に答えたお坊さんの歌があります。
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ところがその尼の歌に答えた坊さんの歌がある。
「いくら船に乗っても、片瀬の波があればいいと言うけれど、浮いたり沈んだりがあるから、油断できるものではない」と言いました。つまりそのつもりで、皆さんも社会に出なければいけないと思います。
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いくら船に乗ッても片瀬の浪があればよいと言うけれども、浮いたり沈んだりがあるから、油断の出来るものではないと言うたが、即ちそのお積りで、あなた方も世の中に出られぬといかないと思う。
私も学校というものを二つ三つ卒業してみて、それで大した者になった気でいたのですが、どうしてどうして、全然大したことはない。大根一本まともに作れないありさまで、学校の卒業証書くらいでは油断できません。
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私も学校というものは二つ三つ卒業してみた、そうして何でもえらい者になッた気でおッた、ところがどうして中々えらいどころではない、大根一本碌に出来ないような始末、学校の免状位では油断の出来るもんではない。
本を読む力というのも、実際の問題に使えると安心していると、その力というやつは不思議なことに蒸発してしまうもので、特に口でも開いていようものならスーッと逃げてしまいます。
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書物というものも実際の問題になッて読めるぞと安心しておる中に、力というやつは妙に蒸発するやつで、殊に口でも開いていようものならスーッと逃げてしまう。
しっかり口を締めて、油断しないで本を読む力を続けて保たないといけません。
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能口を締めてから、油断しないで読書力を続けてやらんければならぬ。
そのためには、人の妻になろうがなるまいが、女性である以上、一日に十分でも二十分でも本を読む時間を作っておくことが必要です。
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それには人の妻になろうがなるまいが、女房たる以上は努めて一日に十分でも二十分でもよいから、書物を読むという途を作ッておくことが必要である。
私はこないだ台湾に三か月ほど行っていて、十日前に京都に帰り、外国人に会って英語をしゃべろうとすると、もともとそれほど流暢にしゃべれるわけではないのに、特にしゃべりにくかった。そんなもので、学力とか読書力というのはすぐに蒸発してしまいます。
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私は先達て台湾に三月ばかり行ッていて、十日前に京都へ帰ッて、外国人に会ッて英語をしゃべるのに、平生でもそう流暢にしゃべるのではないが、特にしゃべり難かッた、そんなもので、学力だとか読書力とかいうようなものは直に蒸発してしまう。
私は台湾に行って口を開けていたから、かなり早く蒸発してしまいました。
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私は台湾に行ッて口を開いていたから、よほど蒸発が早かッた。
この点に十分気をつけて、実際にこれを生かすには、一日に二十分か三十分は必ず本を読む。
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この点に十分御注意あッて、実際的にこれを応用するには日に二十分か三十分位はきッと本を読む。
一日に二十分や三十分の時間というものは、工夫すればどうにでも作れるものです。お昼ご飯の時でも何でも……といって、急いで食べてはいけませんが。
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日に二十分や三十分の時間というものは、どうやッても出来るものである、工夫さえすれば、御飯時だろうが、何だろうが、……といッて早く食ッちゃァいかぬ。
グラッドストーン(イギリスの政治家)が食べ物を二十回かんだというように、また最近はフレッチャリングという、フレッチャーという人が何でもよくかまなければいけないと言って広めているそうですが、とにかく時間を見つけて本をお読みなさい。
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グラッドストーンが二十遍噛んだという如く、また近頃はスレッチャレーションという事がはやッて、スレッチャーという人が何でも噛まなくてはいかぬといッてこれをやッたというが、とにかく時を窃んで本をお読みなさい。
一日に二十分や三十分は必ず作れます。
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日に二十分や三十分はどうしても出来る。
いやだと思っても無理にでもやらなければなりません。
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それをいやだと思ッても無理にやらんければならぬ。
次に、こういうことがいいと思います。
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その次にはこういう事がよいと思う。
これも実際的な話ですが、日記を書きなさい。英語で日記を書く、五行でも十行でもいい。
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これも実際の話になりますが、日記をお書きなさい、英語で日記を書く、五行でも十行でもよろしい。
また知らない英語が出てきたら辞書を引く。今五十銭も出せばいくらでも辞書が出ています。安いものです。
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また知らない英語が出て来たら、字引を引く、今五十銭も出すといくらも字引が出来ておる、安いものです。
それを読んでみて、知らない言葉を探してから日記を作る、これも本を読む力を伸ばしていく一つの方法だと思います。
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それを読んでみては、知らない字を探してから日記を作るという、これらも読書力を進めて行く一つの方法であろうと思う。
それよりも、もう一つ大切なことがあります。
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それよりも、もう一つ大切な事がある。
これは今横井さんが最後におっしゃったところの、人格を養うということです。
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これは今横井さんの最後にお話になッたところの人格を養うということである。
つまり本を読むことも、日記を書くことも、一つの技術や芸事として自分の暮らしの足しにしようという者はまだまだ低い段階です。
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つまり書を読むということも、日記を書くということも、一つの技術となッて、技芸となッて、それを以て自分の衣食の補遺としようという者はいまだ卑い。
よい本を読んで心を養う、つまり人格を養う、思想を高くするということには、英語を学ぶより良いものはなかろうというお話がありましたが、私もたいへん同感です。
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良い書物を読んで心を養うと言うても、即ち人格を養うというても思想を高尚にするというても、これには最も英語を学ぶより良いものはなかろう、ということをお話があッたが、私も頗る同感である。
そう言うと、それじゃあ英語をかじった自分も人格が高尚なのかと思われるかもしれませんが、そうではありません。
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と言うと、何だか自分も英学をかじッて人格が高尚かというに、そうではない。
私はまだ中途半端で、とてもそんな立派な人格にはなれそうにもないのです。
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私は生半若でとても吾々の及ぶところじゃァない立派な人格を作ることが出来ようと思う。
そう言うと、皆さんは「その本人があんな人なら、ごめんこうむる」とおっしゃるかもしれません。でも私は、そもそも地金が悪い、土台が悪いのです。
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そうしてみると、あなた方は、ああ言う当人があんな人ならば、御免蒙ると言わるるかも知れぬが、私は一体、地が悪い、土台が悪いのです。
本来ならば今ごろは赤い着物でも着て、市ヶ谷あたり(囚人の服を着て)にいるか、巣鴨の刑務所にいてうろついているような人間なのですが、英語を少し読んだおかげで、こうしてフロックコートなどを着て偉そうな顔をしています。
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一体は今頃は赤い着物でも着て、市ヶ谷辺におるか巣鴨の監獄に入ッてぶら付いておるべき人間であるが、英語を少し読んだがために、こんなフロックコートなどを着て、威張ッた顔をしている。
皆さんのような素地があれば、きっと大したものになれるでしょう。その点において私は保証します。
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あなた方の地金であッたならば、大したものであろうと思う、その点に於て私は保険を附ける。
思想を養うということを第一の目標として、英語を読んでもらいたいと思います。
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この思想を養うということを第一の点として、英語を読んでもらいたいと思う。
これから社会に出ると、うるさいことがたくさんあります。男性よりもたぶんうるさいことがたくさんあると思います。
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これから世の中に出ようものなら、うるさい事が沢山あるです、男より恐らくうるさい事が沢山あろうと思う。
そのときには、前もってこの学校でお読みになった本や、さっきからお話ししている一日二十分か三十分読んでいる本から学んだ、高い思想を使うということを常に考えておいて、「あ、ここだな」と思う。
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その時には予てこの学校でお読みになッた書物あるいはさッきからお話するところの日々に二十分なり三十分なりお読みなさる書物で学んだところの、即ち高尚な思想を応用するということを始終考えておッてからに、即ち此処だなと考える。
少し困ったことがあったとき、シェイクスピアの言葉にこういうことがあった、これがそのことを言っているのだろう、と思う。
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少しうるさい事があッた時には、セキスピヤの文句にこういう事があッた此処のことを言うのであろう、とこう思う。
私も自分で努めていますが、「ああ、ここだな」という感覚を忘れてはいけません。
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私は自分でも力めておるが、ああ此処だな、という観念を失ッちゃァならぬ。
誰でもだいたいの人間は、私みたいに性格の悪いやつでも、人の物がある、少しきれいだと盗みたい……というのは少しおかしいですが、欲しいという気持ちがちょっと起こります。
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誰でも大概な人間というものは、私みたいな性のわるいやつでも、人の物がある、少し綺麗だと盗みたい……というのは少しおかしいが、欲しいという考がちょッと起る。
そのときにそれをすぐ実行すると変なことになります。
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その時それをちょいと実行すると妙なものになる。
そういうときに「ここだな」と思うと、ちょっと半分手を出しそうになっても引っ込められます。
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そういう時に、此処だな、と思うと、ちょッと半分手を出しそうにしても引込ますことになる。
また皆さんが人とつきあうにしても、人がいやな感じになることを言われて、少しむっとする。
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またあなた方が人とつきあうにしても、人がいやな気に障るようなことを言う、少しムッとする。
引っかいてやろうか、かみついてやろうかと思うことがある。
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引掻いてやろうか、食付いてやろうか、と思う事がある。
そういうときには「ここだな」と思って、怒ってはいけない、盗んではいけないということを思い出す。
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そういう時には、此処だなと思ッて、怒ッては悪いとか、盗んでは悪いとかいうことを想う。
これを使おうとするとき、「ここだな」と思う。
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これを応用するに当ッて、例の事は此処だなと思う。
普段からたいていの人はそれをしないので、ひょうたん(空洞の瓢箪)が川に流されるようになってしまいます。
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平生から大概な人はそれをやらないから、瓢箪の川流れみたようになッてしまう。
「ここだな」ということをしっかり一つ思って、ふだん学校で学んだ英文学にある高い思想を覚えておく。
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此処だなということを十分に一つ思ッて、かねがね学校で学ばれた英文学にあるところの高尚な思想を覚えておく。
とかく女学校を出ると実際的な才能がなくなって議論ばかりしていけない、うちの娘は女学校へやっても、みそ汁一つ作れない、みそ汁が辛くていけない、などという人もいますが、みそ汁が辛いか辛すぎるかは我慢もできます。また辛いと思ったら、こうじ何升に塩いくらと書いてありますから、本を読む力を使えばいいのです。
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とかく女学校を出ると実際的の才がなくなッて、議論ばかりなどしていけない、家の娘は女学校へやッても、味噌汁一つ拵えられない、どうも味噌汁が鹹酸くッていけない、などいう人もあるが、味噌汁の鹹酸いのや、辛いのは我慢も出来る、また鹹酸いと思ッたら、麹何升に塩いくらと書いてあるから、読書力を利用してやればよろしい。
女学校に来てみそ汁の作り方を習う人はいません。
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女学校へ来て味噌汁の拵え方を習う人はない。
それより大切なのは、思想を養うということで、みそ汁を作るのは下手でも、ここに政治の問題が出た、それはこう、生活の問題が出た、それにはこう、と判断していく。
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それより大切なのは、思想を養うということで、味噌汁を拵えるのは、下手だけれども、ここに政治の問題が出た、それはこう、生活の問題が出た、それにはこうと、判断して行く。
さっき横井さんがおっしゃった、いわゆる方針を間違えないようにしていくのが、確かに得がたい才能です。その才能を養う。
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さッき横井さんの言われたいわゆる方針を誤らぬようにして行くのが確に得難い才である、その才を養う。
どうせ世の中というものはじゃんけんの世の中で、生まれてから死ぬまでじゃんけんをしています。
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どうせ世の中というものはジャン拳の世の中で、生れてから死ぬまで、ジャン拳しておる。
はさみを出すと石には負けるけれど、紙には勝つ。
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鋏を出すと、石には負ける、けれども、紙には勝つという。
それなら石が何にでも勝つかというと、紙には負けるじゃないですか。
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そんなら石が何にでも勝つかというに、紙には負けるではありませぬか。
ぐるぐる回って勝ったり負けたりする世の中で、皆さんがはさみを出してみて石には失敗している、しかし石には負けても紙には勝つということがある。
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ぐるぐる廻り勝ッたり負けたりする世の中で、あなた方が鋏を出してみて石には失敗しておる、しかし石には負けても紙には勝つということがある。
みそ汁の腕前では負けるけれど、それよりはるかに大切な問題である人生の解釈ということになると勝つ。
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味噌汁の方では負けるけれども、それより遥かに大切な問題の人生の解釈ということになると勝つ。
その代わり皆さんに対して、みそ汁では勝つお年寄りは、そういう大切な問題では負けるというじゃんけんの世の中です。
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その代りあなた方に、味噌汁で勝つお婆さんは、そういう大切な問題では負けるというジャン拳の世の中である。
そんなことはあまり気にすることはないと思います。
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そんなことはあまり苦にすることはいるまいと思う。
最も大切なのは思想を健全にするということで、私は常にそう思っています。
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最も大切な所は思想を健全にするということで、私は始終そう思うておる。
英語の中に素晴らしい言葉があります。日本の詩や歌にも美しいものがありますが、私は今日卒業される皆さんへのはなむけの言葉として、私がとても好きな詩の一節があります。誰が書いた詩か知りませんが、本当に鋭い詩だと思っています。
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英語の中に美い辞がある、日本の詩や歌にも美いのがあるけれども、私は今日卒業なされる方々にお別れの言葉として、私のごく好きな詩の一句がある、誰が書いた詩か知らぬけれども実に穿ッた詩だと思ッておる。
皆さんは英語を学び、しかも卒業された方々ですから、翻訳してお話しする必要もないでしょうが、その一節には、つまり困難というものは、どんな困難があっても決して逃げてはいけない、逃げてはいけない、それを耐えなさい、という意味があります。
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皆様は英学をやり、しかも卒業せられた方々であるから、翻訳してお話する必要もあるまいが、その句に、つまり困難というものは、如何なる困難があッてもそれを決して遁れてはいかぬ、逃げてはいかぬ、それを堪えろ。
さっきお話があったとおり、物事に耐える力をふだんから養っていきなさい。ともすると困難が来ると逃げる人がいますが、逃げてはいけません。
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先刻お話のあッた通り、物に堪えるという力をかねがね養ッて行け、ややもすると困難が来ると逃げる人があるが、逃げてはいかぬ。
社会に出れば困難はたくさんあります。その困難をただ重い荷物だと思って、それのために弱ってしまうようではいけません。
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世の中に出れば、それは困難は沢山ある、その困難をただ重い困難であるというて、それがために重きを背負ッて弱るようではいかぬ。
その困難を利用して自分の人格をさらに高くするという意味で書かれた詩があります(原詩は省略します)。本当に見事な言葉です。
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その艱難を利用して己れの人格を一層高くするという意味で書いた歌に、(原詩略す)実にどうも美事な言葉です。
社会に出たならば、困難の始まりです。またもう始まっている方もいらっしゃるでしょう。
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世の中に出られたならば、この艱難ということの初りである、また既に初まッておる方もありましょう。
そのときに心を養うものは何かというと、まずキリスト教の方ならば聖書、キリスト教でない方ならば、これは卒業される方々に言うことですが、ふだん学校で学んだイギリスの文学者の言葉に、こういった思想が始終あるから、ちゃんとよい本なら一ページごとに注意しておくようにする。
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その時に当ッて能心を養うものは何かというと、先耶蘇教の人ならばバイブル、耶蘇教でない人ならば、これは卒業なさる方々に言うのであるが、かねがね学校で学ばれたところの英国の文学者の言葉に、かくの如き思想が始終あると、ちゃんと良い本ならば一頁ごとに注意しておくようにする。
この言葉をもって今日卒業される方々を送ります。
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この言葉を以て今日卒業せらるる方々を送る。
どんな困難に遭っても逃げないで、かえって自分の人格を養う一つの道具として使っていく、つまり英文学を活用して人格を高める、ということに心を向けていただきたいと切に願います。
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如何なる困難に遭ッても逃げないでかえッて自分の人格を養う一ツの道具として行く、即ち英文学を利用して人格を高める、ということに心を用いられんことを切に希望しておきます。
学校に残っておられる方々にもお話しするはずでしたが、何しろ五分ほどのつもりが、かなり長くなってしまいました。残っておられる方は長生きをなさるでしょうし、私もいっそう長生きするつもりですから、またいつかここに上がってつまらない演説をする機会もあるでしょう。
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学校に残ッておられる方々にもお話するはずであッたが、何しろ五分ばかりのつもりのところが、大分長くなッたから、何れまた学校に残ッておるお方は長寿をなさるだろうし、私は尚更長寿をするつもりだから、またいつか上ッてつまらぬ演説をする事もありましょう。