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現代語訳

芥川竜之介あくたがわりゅうのすけ)・1986

AI生成この訳はAI(claude-sonnet-4-6)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-23

禅智内供の鼻といえば、池の尾で知らない人はいない。

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禅智内供ぜんちないぐの鼻と云えば、いけで知らない者はない。

長さは十五センチほどあって、上唇の上からあごの下まで垂れ下がっている。

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長さは五六寸あって上唇うわくちびるの上からあごの下まで下っている。

形は根元も先も同じくらい太い。

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形は元も先も同じように太い。

言ってみれば、細長いソーセージのようなものが、だらりと顔のまん中からぶら下がっているのだ。

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云わば細長い腸詰ちょうづめのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。

五十歳を過ぎた内供は、修行僧だった頃から内道場供奉という役職に就いた今日まで、心の中ではずっとこの鼻を気に病んできた。

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五十歳を越えた内供は、沙弥しゃみの昔から、内道場供奉ないどうじょうぐぶの職にのぼった今日こんにちまで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。

もちろん表向きは、今でもたいして気にしていないような顔をして平然としている。

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勿論もちろん表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。

それは、来世の浄土を一心に願うべき僧侶の身で、鼻の心配をするのはよくないと思ったからだけではない。

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これは専念に当来とうらい浄土じょうど渇仰かつぎょうすべき僧侶そうりょの身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。

それよりもむしろ、自分が鼻を気にしているということを、人に知られるのが嫌だったからだ。

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それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。

内供は普段の会話の中に「鼻」という言葉が出てくるのを、何よりも恐れていた。

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内供は日常の談話の中に、鼻と云う語が出て来るのを何よりもおそれていた。

内供が鼻を持て余していた理由は二つある。

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内供が鼻を持てあました理由は二つある。――

一つは実際的に、鼻が長いと不便だったからだ。

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一つは実際的に、鼻の長いのが不便だったからである。

まず食事のときにも一人では食べられない。

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第一飯を食う時にも独りでは食えない。

一人で食べようとすると、鼻の先がお椀の中の飯に届いてしまうのだ。

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独りで食えば、鼻の先がかなまりの中の飯へとどいてしまう。

そこで内供は弟子の一人を膳の向こう側に座らせて、食事をしている間じゅう、幅三センチ・長さ六十センチほどの板で鼻を持ち上げてもらうことにした。

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そこで内供は弟子の一人を膳の向うへ坐らせて、飯を食う間中、広さ一寸長さ二尺ばかりの板で、鼻を持上げていて貰う事にした。

しかしこうして食事をするというのは、持ち上げる弟子にとっても、持ち上げられる内供にとっても、決して楽なことではない。

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しかしこうして飯を食うと云う事は、持上げている弟子にとっても、持上げられている内供にとっても、決して容易な事ではない。

一度この弟子の代わりをしていた小僧がくしゃみをした拍子に手が震えて、鼻をお粥の中に落としてしまった話は、当時京都まで広まった。

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一度この弟子の代りをした中童子ちゅうどうじが、くさめをした拍子に手がふるえて、鼻をかゆの中へ落した話は、当時京都まで喧伝けんでんされた。――

けれどもこれは内供にとって、鼻を気に病んだ主な理由ではない。

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けれどもこれは内供にとって、決して鼻を苦に病んだおもな理由ではない。

内供は実にこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんでいたのだ。

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内供は実にこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。

池の尾の人々は、このような鼻を持つ禅智内供のことを、僧侶であってよかったと言った。

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池の尾の町の者は、こう云う鼻をしている禅智内供のために、内供の俗でない事を仕合せだと云った。

あの鼻では誰も妻になる女性はいないだろうと思ったからだ。

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あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思ったからである。

中にはまた、あの鼻だから出家したのだろうと批評する者さえいた。

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中にはまた、あの鼻だから出家しゅっけしたのだろうと批評する者さえあった。

しかし内供は、自分が僧であるために、少しでもこの鼻に悩まされることが減ったとは思っていなかった。

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しかし内供は、自分が僧であるために、幾分でもこの鼻にわずらわされる事が少くなったと思っていない。

内供の自尊心は、結婚するかどうかといった表面的な事実に左右されるには、あまりにも繊細にできていたのだ。

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内供の自尊心は、妻帯と云うような結果的な事実に左右されるためには、余りにデリケイトに出来ていたのである。

そこで内供は、積極的にも消極的にも、この傷ついた自尊心を回復しようと試みた。

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そこで内供は、積極的にも消極的にも、この自尊心の毀損きそん恢復かいふくしようと試みた。

内供がまず考えたのは、この長い鼻を実際よりも短く見せる方法だ。

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第一に内供の考えたのは、この長い鼻を実際以上に短く見せる方法である。

人がいないときに鏡の前に立って、いろいろな角度から顔を映しながら、熱心に工夫を重ねてみた。

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これは人のいない時に、鏡へ向って、いろいろな角度から顔を映しながら、熱心に工夫くふうらして見た。

顔の向きを変えるだけでは満足できなくなって、ほおづえをついたりあごの先に指を当てたりしながら、粘り強く鏡をのぞき込むこともあった。

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どうかすると、顔の位置を換えるだけでは、安心が出来なくなって、頬杖ほおづえをついたりあごの先へ指をあてがったりして、根気よく鏡を覗いて見る事もあった。

しかし自分でも満足できるほど鼻が短く見えたことは、これまで一度もなかった。

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しかし自分でも満足するほど、鼻が短く見えた事は、これまでにただの一度もない。

ときには苦心すればするほど、かえって長く見えるような気さえした。

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時によると、苦心すればするほど、かえって長く見えるような気さえした。

内供はそういうときには、鏡を箱にしまいながら、今さらのようにため息をついて、仕方なくまた元の経机に戻って観音経を読むのだった。

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内供は、こう云う時には、鏡を箱へしまいながら、今更のようにため息をついて、不承不承にまた元の経机きょうづくえへ、観音経かんのんぎょうをよみに帰るのである。

それからまた内供は、いつも人の鼻を気にしていた。

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それからまた内供は、絶えず人の鼻を気にしていた。

池の尾の寺は、僧たちの勉強会や法話がたびたび行われる寺だ。

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池の尾の寺は、僧供講説そうぐこうせつなどのしばしば行われる寺である。

寺の中には僧坊がびっしりと建ち並び、湯屋では寺の僧が毎日お湯を沸かしている。

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寺の内には、僧坊が隙なく建て続いて、湯屋では寺の僧が日毎に湯を沸かしている。

したがってここを出入りする僧や俗人の数もとても多い。

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従ってここへ出入する僧俗のたぐいも甚だ多い。

内供はそういう人々の顔を根気よくひとりひとり観察した。

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内供はこう云う人々の顔を根気よく物色した。

一人でも自分と同じような鼻の人間を見つけて、少し安心したかったからだ。

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一人でも自分のような鼻のある人間を見つけて、安心がしたかったからである。

だから内供の目には、紺の水干も白の帷子も映らない。

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だから内供の眼には、紺の水干すいかんも白の帷子かたびらもはいらない。

まして橙色の帽子や黒みがかった法衣などは、見慣れているだけに、あっても目に入らないも同然だった。

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まして柑子色こうじいろの帽子や、椎鈍しいにび法衣ころもなぞは、見慣れているだけに、有れども無きが如くである。

内供は人を見ずに、ただ鼻だけを見ていた。

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内供は人を見ずに、ただ、鼻を見た。――

しかし鉤のように曲がった鼻はあっても、内供のような鼻は一つも見当たらない。

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しかし鍵鼻かぎばなはあっても、内供のような鼻は一つも見当らない。

見つからないことが重なるにつれて、内供の気持ちはまたじわじわと暗くなっていった。

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その見当らない事が度重なるに従って、内供の心は次第にまた不快になった。

内供が人と話しながら、つい無意識にだらりと垂れた鼻の先をつまんで、年甲斐もなく顔を赤らめたのは、まったくこの不快な気持ちに動かされてのことだ。

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内供が人と話しながら、思わずぶらりと下っている鼻の先をつまんで見て、年甲斐としがいもなく顔を赤らめたのは、全くこの不快に動かされての所為しょいである。

最後に内供は、仏典や外典の中に自分と同じような鼻の人物を見つけて、せめて少しでも気持ちを楽にしようとさえ思ったことがある。

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最後に、内供は、内典外典ないてんげてんの中に、自分と同じような鼻のある人物を見出して、せめても幾分の心やりにしようとさえ思った事がある。

けれども目連や舎利弗の鼻が長かったとは、どの経文にも書いていない。

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けれども、目連もくれんや、舎利弗しゃりほつの鼻が長かったとは、どの経文にも書いてない。

もちろん竜樹や馬鳴も、普通の鼻を持つ菩薩だ。

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勿論竜樹りゅうじゅ馬鳴めみょうも、人並の鼻を備えた菩薩ぼさつである。

内供は中国の話の流れで、蜀漢の劉玄徳の耳が長かったと聞いたとき、それが耳でなく鼻だったら、どれほど心強かっただろうと思った。

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内供は、震旦しんたんの話のついで蜀漢しょくかん劉玄徳りゅうげんとくの耳が長かったと云う事を聞いた時に、それが鼻だったら、どのくらい自分は心細くなくなるだろうと思った。

内供がこうした消極的な苦心をしながら、一方では積極的に鼻を短くする方法も試みていたことは、わざわざここで言うまでもない。

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内供がこう云う消極的な苦心をしながらも、一方ではまた、積極的に鼻の短くなる方法を試みた事は、わざわざここに云うまでもない。

内供はその方面でもほぼできることはすべてやった。

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内供はこの方面でもほとんど出来るだけの事をした。

からすうりを煎じて飲んでみたこともある。

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烏瓜からすうりせんじて飲んで見た事もある。

ネズミの尿を鼻に塗ってみたこともある。

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鼠の尿いばりを鼻へなすって見た事もある。

しかし何をどうしても、鼻は相変わらず、十五センチほどの長さをだらりと唇の上にぶら下げているではないか。

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しかし何をどうしても、鼻は依然として、五六寸の長さをぶらりと唇の上にぶら下げているではないか。

ところがある年の秋、内供の用事を兼ねて京に上った弟子の僧が、知り合いの医者から長い鼻を短くする方法を教わって帰ってきた。

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所がある年の秋、内供の用を兼ねて、京へ上った弟子でしの僧が、知己しるべの医者から長い鼻を短くする法を教わって来た。

その医者というのは、もともと中国から渡ってきた男で、当時は長楽寺の供僧になっていた。

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その医者と云うのは、もと震旦しんたんから渡って来た男で、当時は長楽寺ちょうらくじ供僧ぐそうになっていたのである。

内供は、いつものように鼻など気にしていないふりをして、わざとその方法をすぐに試してみようとは言わずにいた。

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内供は、いつものように、鼻などは気にかけないと云う風をして、わざとその法もすぐにやって見ようとは云わずにいた。

そして一方では、軽い口調で、食事のたびに弟子に手数をかけるのが心苦しいというようなことを口にした。

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そうして一方では、気軽な口調で、食事の度毎に、弟子の手数をかけるのが、心苦しいと云うような事を云った。

心の中ではもちろん、弟子の僧が自分を説得してこの方法を試させてくれるのを待っていたのだ。

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内心では勿論弟子の僧が、自分を説伏ときふせて、この法を試みさせるのを待っていたのである。

弟子の僧にも、内供のこの策略がわからないはずはない。

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弟子の僧にも、内供のこの策略がわからない筈はない。

しかしそれに対する反感よりも、内供がそういう策略をとらざるを得ない心情のほうが、この弟子の僧の同情を強く動かしたのだろう。

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しかしそれに対する反感よりは、内供のそう云う策略をとる心もちの方が、より強くこの弟子の僧の同情を動かしたのであろう。

弟子の僧は、内供の思惑どおり、言葉を尽くしてこの方法を試すよう勧め始めた。

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弟子の僧は、内供の予期通り、口を極めて、この法を試みる事を勧め出した。

そして内供自身もまた、その思惑どおり、結局この熱心な勧めに従うことになった。

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そうして、内供自身もまた、その予期通り、結局この熱心な勧告に聴従ちょうじゅうする事になった。

その方法というのは、ただ、お湯で鼻を茹でて、その鼻を人に踏ませるという、ごく簡単なものだった。

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その法と云うのは、ただ、湯で鼻をでて、その鼻を人に踏ませると云う、極めて簡単なものであった。

お湯は寺の湯屋で毎日沸かしている。

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湯は寺の湯屋で、毎日沸かしている。

そこで弟子の僧は、指も入れられないような熱いお湯を、すぐにやかんに入れて湯屋から汲んできた。

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そこで弟子の僧は、指も入れられないような熱い湯を、すぐにひさげに入れて、湯屋から汲んで来た。

しかし直接このやかんに鼻を入れると、湯気にあたって顔をやけどする恐れがある。

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しかしじかにこの提へ鼻を入れるとなると、湯気に吹かれて顔を火傷やけどするおそれがある。

そこでお盆に穴をあけて、それをやかんの蓋にして、その穴から鼻をお湯の中に入れることにした。

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そこで折敷おしきへ穴をあけて、それを提のふたにして、その穴から鼻を湯の中へ入れる事にした。

鼻だけはこの熱いお湯の中に浸しても、少しも熱くないのだった。

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鼻だけはこの熱い湯の中へひたしても、少しも熱くないのである。

しばらくすると弟子の僧が言った。

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しばらくすると弟子の僧が云った。

「もうよく茹だった頃でしょう。」

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――もうゆだった時分でござろう。

内供は苦笑した。

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内供は苦笑した。

これだけ聞いても、誰も鼻の話だとは気づかないだろうと思ったからだ。

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これだけ聞いたのでは、誰も鼻の話とは気がつかないだろうと思ったからである。

鼻は熱湯で蒸されて、のみに刺されたようにむずがゆい。

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鼻は熱湯にされて、のみの食ったようにむずがゆい。

弟子の僧は、内供がお盆の穴から鼻を引き抜くと、まだ湯気の立っているその鼻を、両足に力を入れながら踏み始めた。

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弟子の僧は、内供が折敷の穴から鼻をぬくと、そのまだ湯気の立っている鼻を、両足に力を入れながら、踏みはじめた。

内供は横になって、鼻を床板の上に伸ばしながら、弟子の僧の足が上下に動くのを目の前で見ているのだ。

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内供は横になって、鼻を床板の上へのばしながら、弟子の僧の足が上下うえしたに動くのを眼の前に見ているのである。

弟子の僧は、ときどき気の毒そうな顔をして、内供のはげ頭を見下ろしながら、こんなことを言った。

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弟子の僧は、時々気の毒そうな顔をして、内供の禿げ頭を見下しながら、こんな事を云った。

「痛くはございませんか。」

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――痛うはござらぬかな。

「医者は思い切って踏めと申しましたので。」

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医師はめて踏めと申したで。

「ですが、痛くはございませんか。」

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じゃが、痛うはござらぬかな。

内供は首を振って、痛くないという意味を示そうとした。

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内供は首を振って、痛くないと云う意味を示そうとした。

ところが鼻を踏まれているので思うように首が動かない。

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所が鼻を踏まれているので思うように首が動かない。

そこで上目づかいで弟子の僧のかかとにあかぎれが切れているのを眺めながら、腹を立てたような声で、

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そこで、上眼うわめを使って、弟子の僧の足にあかぎれのきれているのを眺めながら、腹を立てたような声で、

「痛くないよ。」

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――痛うはないて。

と答えた。

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と答えた。

実際、鼻はむずがゆいところを踏まれているので、痛いどころかむしろ気持ちいいくらいだったのだ。

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実際鼻はむず痒い所を踏まれるので、痛いよりもかえって気もちのいいくらいだったのである。

しばらく踏んでいると、やがて粟粒のようなものが鼻にできてきた。

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しばらく踏んでいると、やがて、粟粒あわつぶのようなものが、鼻へ出来はじめた。

言ってみれば、羽をむしった小鳥をまるごと丸焼きにしたような形だ。

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云わば毛をむしった小鳥をそっくり丸炙まるやきにしたような形である。

弟子の僧はこれを見ると、足を止めてひとり言のようにこう言った。

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弟子の僧はこれを見ると、足を止めて独り言のようにこう云った。

「これを毛抜きで抜けとのことでございました。」

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――これを鑷子けぬきでぬけと申す事でござった。

内供は不満そうに頬をふくらませて、黙って弟子の僧のするがままに任せていた。

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内供は、不足らしく頬をふくらせて、黙って弟子の僧のするなりに任せて置いた。

もちろん弟子の僧の親切がわからないわけではない。

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勿論弟子の僧の親切がわからない訳ではない。

それはわかっていても、自分の鼻をまるで物のように扱われるのが不快に感じられたからだ。

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それは分っても、自分の鼻をまるで物品のように取扱うのが、不愉快に思われたからである。

内供は、信頼できない医者の手術を受ける患者のような顔をして、不承不承に弟子の僧が鼻の毛穴から毛抜きで脂を取るのを眺めていた。

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内供は、信用しない医者の手術をうける患者のような顔をして、不承不承に弟子の僧が、鼻の毛穴から鑷子けぬきあぶらをとるのを眺めていた。

脂は、鳥の羽の軸のような形をして、一センチほどの長さで抜けてくるのだ。

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脂は、鳥の羽のくきのような形をして、四分ばかりの長さにぬけるのである。

やがてこれがひととおり終わると、弟子の僧はほっと一息ついたような顔をして、

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やがてこれが一通りすむと、弟子の僧は、ほっと一息ついたような顔をして、

「もう一度、これを茹でればよいでしょう。」

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――もう一度、これを茹でればようござる。

と言った。

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と云った。

内供はやはり、眉をひそめたまま不服そうな顔をして、弟子の僧の言うとおりにしていた。

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内供はやはり、八の字をよせたまま不服らしい顔をして、弟子の僧の云うなりになっていた。

さて二度目に茹でた鼻を出して見ると、なるほど、いつになく短くなっている。

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さて二度目に茹でた鼻を出して見ると、成程、いつになく短くなっている。

これではごく普通の鉤鼻と大して変わらない。

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これではあたりまえの鍵鼻と大した変りはない。

内供はその短くなった鼻を撫でながら、弟子の僧が差し出す鏡を、気恥ずかしそうにおずおずとのぞいてみた。

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内供はその短くなった鼻をでながら、弟子の僧の出してくれる鏡を、きまりが悪るそうにおずおずのぞいて見た。

鼻は——あごの下まで垂れていたあの鼻は、嘘のように縮んで、今はかろうじて上唇の上でちょこんと残っているだけだ。

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鼻は――あのあごの下まで下っていた鼻は、ほとんど嘘のように萎縮して、今はわずかに上唇の上で意気地なく残喘ざんぜんを保っている。

ところどころまだらに赤くなっているのは、おそらく踏まれたときの跡だろう。

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所々まだらに赤くなっているのは、恐らく踏まれた時のあとであろう。

こうなれば、もう誰も笑う者はいないにちがいない。

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こうなれば、もう誰もわらうものはないにちがいない。――

鏡の中にある内供の顔は、鏡の外にある内供の顔を見て、満足そうに目をしばたたいた。

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鏡の中にある内供の顔は、鏡の外にある内供の顔を見て、満足そうに眼をしばたたいた。

しかしその日はまだ一日じゅう、鼻がまた長くなりはしないかという不安があった。

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しかし、その日はまだ一日、鼻がまた長くなりはしないかと云う不安があった。

そこで内供はお経を読むときにも食事をするときにも、暇さえあれば手を伸ばして、そっと鼻の先に触れてみた。

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そこで内供は誦経ずぎょうする時にも、食事をする時にも、暇さえあれば手を出して、そっと鼻の先にさわって見た。

けれど鼻はきちんと唇の上に収まっているだけで、特にそれ以上下に垂れてくる気配もない。

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が、鼻は行儀ぎょうぎよく唇の上に納まっているだけで、格別それより下へぶら下って来る景色もない。

それから一晩寝て翌朝早く目が覚めると、内供はまず最初に自分の鼻を撫でてみた。

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それから一晩寝てあくる日早く眼がさめると内供はまず、第一に、自分の鼻を撫でて見た。

鼻は依然として短い。

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鼻は依然として短い。

内供はそこで、何年ぶりかで、法華経を書き写す修行を積み終えたときのような、のびのびした気分になった。

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内供はそこで、幾年にもなく、法華経ほけきょう書写の功を積んだ時のような、のびのびした気分になった。

ところが二三日するうちに、内供は思いがけないことを発見した。

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所が二三日たつ中に、内供は意外な事実を発見した。

それは、ちょうど用事があって池の尾の寺を訪れた侍が、以前よりさらにおかしそうな顔をして、ろくに話もせずにじろじろと内供の鼻ばかり眺めていたことだ。

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それは折から、用事があって、池の尾の寺を訪れたさむらいが、前よりも一層可笑おかしそうな顔をして、話も碌々ろくろくせずに、じろじろ内供の鼻ばかり眺めていた事である。

それだけではなく、かつて内供の鼻をお粥の中に落としたことのある小僧などは、講堂の外で内供とすれ違ったとき、最初は下を向いておかしさをこらえていたが、とうとうこらえきれなくなったとみえて、一度にぷっと吹き出してしまった。

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それのみならず、かつて、内供の鼻をかゆの中へ落した事のある中童子ちゅうどうじなぞは、講堂の外で内供と行きちがった時に、始めは、下を向いて可笑おかしさをこらえていたが、とうとうこらえ兼ねたと見えて、一度にふっと吹き出してしまった。

用事を言いつかった下働きの法師たちが、面と向かっている間だけは慎んで聞いていても、内供が後ろを向くとすぐにくすくす笑い出したのは、一度や二度のことではない。

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用を云いつかった下法師しもほうしたちが、面と向っている間だけは、つつしんで聞いていても、内供がうしろさえ向けば、すぐにくすくす笑い出したのは、一度や二度の事ではない。

内供ははじめ、これは自分の顔が変わったせいだと解釈した。

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内供ははじめ、これを自分の顔がわりがしたせいだと解釈した。

しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようだ。

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しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。――

もちろん小僧や下働きの法師が笑う原因はそこにあるにちがいない。

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勿論、中童子や下法師がわらう原因は、そこにあるのにちがいない。

けれども同じ笑うにしても、鼻の長かった昔とは、笑い方にどことなく違いがある。

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けれども同じ哂うにしても、鼻の長かった昔とは、哂うのにどことなく容子ようすがちがう。

見慣れた長い鼻より、見慣れない短い鼻のほうが滑稽に見えると言えばそれまでだ。

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見慣れた長い鼻より、見慣れない短い鼻の方が滑稽こっけいに見えると云えば、それまでである。

しかしそこにはまだ何かあるらしい。

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が、そこにはまだ何かあるらしい。

「以前はあんなにずけずけとは笑わなかったのに。」

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――前にはあのようにつけつけとは哂わなんだて。

内供は読みかけていたお経をやめて、はげ頭を傾けながら、ときどきこうつぶやくことがあった。

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内供は、しかけた経文をやめて、禿げ頭を傾けながら、時々こうつぶやく事があった。

愛すべき内供は、そういうときになると、決まってぼんやりと傍らに掛けた普賢菩薩の絵を眺めながら、鼻の長かった四五日前のことを思い出して、「今はすっかり落ちぶれた人が、栄えていた昔を懐かしむように」

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愛すべき内供は、そう云う時になると、必ずぼんやり、かたわらにかけた普賢ふげんの画像を眺めながら、鼻の長かった四五日前の事をおもい出して、「今はむげにいやしくなりさがれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」

ふさぎ込んでしまうのだった。

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ふさぎこんでしまうのである。――

内供には、残念ながらこの問いに答えを出せる知恵がなかった。

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内供には、遺憾いかんながらこの問に答を与える明が欠けていた。

人間の心には、互いに矛盾した二つの感情がある。

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――人間の心には互に矛盾むじゅんした二つの感情がある。

もちろん、誰でも他人の不幸に同情しないわけはない。

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勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。

しかしその人がその不幸をどうにか乗り越えることができると、今度はこちらが何となく物足りない気持ちになる。

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所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。

少し大げさに言えば、もう一度その人を同じ不幸に落としてみたいような気にさえなる。

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少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸におとしいれて見たいような気にさえなる。

そしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くようになる。

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そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。――

内供が理由はわからないながらも何となく不快に思ったのは、池の尾の僧や俗人たちの態度に、この傍観者の身勝手さをなんとなく感じ取ったからにほかならない。

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内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。

そこで内供は日ごとに機嫌が悪くなった。

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そこで内供は日毎に機嫌きげんが悪くなった。

口を開けば誰彼かまわず意地悪くしかりつける。

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二言目には、誰でも意地悪くしかりつける。

しまいには鼻の治療をしてくれたあの弟子の僧でさえ、「内供は法を我が物にして貪る罪を受けることになるぞ」

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しまいには鼻の療治りょうじをしたあの弟子の僧でさえ、「内供は法慳貪ほうけんどんの罪を受けられるぞ」

と陰口をきくほどになった。

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と陰口をきくほどになった。

とりわけ内供を怒らせたのは、あのいたずら好きな小僧だ。

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殊に内供を怒らせたのは、例の悪戯いたずらな中童子である。

ある日、けたたましく犬の吠える声がするので、内供が何気なく外に出てみると、小僧は六十センチほどの木の棒を振り回して、毛の長い痩せた雑種犬を追いかけ回していた。

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ある日、けたたましく犬のえる声がするので、内供が何気なく外へ出て見ると、中童子は、二尺ばかりの木のきれをふりまわして、毛の長い、せた尨犬むくいぬいまわしている。

それもただ追いかけ回しているだけではない。

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それもただ、逐いまわしているのではない。

「鼻を打たれまい、それ、鼻を打たれまい」

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「鼻を打たれまい。それ、鼻を打たれまい」

とはやし立てながら追いかけ回しているのだ。

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はやしながら、逐いまわしているのである。

内供は小僧の手からその木の棒をひったくって、思い切りその顔を打った。

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内供は、中童子の手からその木の片をひったくって、したたかその顔を打った。

その棒は、以前鼻を持ち上げていたあの板だったのだ。

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木の片は以前の鼻持上はなもたげの木だったのである。

内供はなまじっか鼻が短くなったことが、かえって恨めしくなった。

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内供はなまじいに、鼻の短くなったのが、かえってうらめしくなった。

するとある夜のことだ。

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するとある夜の事である。

日が暮れてから急に風が出たとみえて、塔の風鐸が鳴る音が、うるさいほど枕元に響いてきた。

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日が暮れてから急に風が出たと見えて、塔の風鐸ふうたくの鳴る音が、うるさいほど枕にかよって来た。

そのうえ寒さもめっきり増したので、老年の内供は眠ろうとしても眠れない。

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その上、寒さもめっきり加わったので、老年の内供は寝つこうとしても寝つかれない。

そこで床の中でじっと起きていると、ふと鼻がいつになくむずがゆいことに気づいた。

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そこで床の中でまじまじしていると、ふと鼻がいつになく、むずかゆいのに気がついた。

手を当ててみると少し水気が来たようにむくんでいる。

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手をあてて見ると少し水気すいきが来たようにむくんでいる。

どうやらそこだけ熱さえあるらしい。

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どうやらそこだけ、熱さえもあるらしい。

「無理に短くしたので、病気になったのかもしれない。」

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――無理に短うしたで、病が起ったのかも知れぬ。

内供は、仏前に花を供えるような丁寧な手つきで鼻を押さえながら、こうつぶやいた。

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内供は、仏前に香花こうげそなえるようなうやうやしい手つきで、鼻を抑えながら、こう呟いた。

翌朝、内供がいつものように早く目を覚ましてみると、寺の中の銀杏やとちの木が一晩のうちに葉を落としたので、庭は黄金を敷いたように明るい。

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翌朝、内供がいつものように早く眼をさまして見ると、寺内の銀杏いちょうとちが一晩の中に葉を落したので、庭は黄金きんを敷いたように明るい。

塔の屋根には霜が下りているせいだろう。

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塔の屋根には霜が下りているせいであろう。

まだ薄い朝日に、九輪がまばゆく光っている。

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まだうすい朝日に、九輪くりんがまばゆく光っている。

禅智内供は、雨戸を上げた縁側に立って、深く息を吸い込んだ。

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禅智内供は、しとみを上げた縁に立って、深く息をすいこんだ。

ほとんど忘れかけていたあの感覚が、再び内供に戻ってきたのはこのときだ。

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ほとんど、忘れようとしていたある感覚が、再び内供に帰って来たのはこの時である。

内供は慌てて鼻に手をやった。

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内供は慌てて鼻へ手をやった。

手に触れるのは、昨夜の短い鼻ではない。

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手にさわるものは、昨夜ゆうべの短い鼻ではない。

上唇の上からあごの下まで、十五センチ余りもぶら下がっている、昔の長い鼻だ。

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上唇の上からあごの下まで、五六寸あまりもぶら下っている、昔の長い鼻である。

内供は鼻が一夜のうちに、また元のとおり長くなったことを知った。

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内供は鼻が一夜の中に、また元の通り長くなったのを知った。

そしてそれと同時に、鼻が短くなったときと同じような晴れ晴れとした気持ちが、どこからともなく戻ってくるのを感じた。

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そうしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。

「こうなれば、もう誰も笑う者はいないにちがいない。」

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――こうなれば、もう誰もわらうものはないにちがいない。

内供は心の中でこう自分にささやいた。

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内供は心の中でこう自分にささやいた。

長い鼻を夜明けの秋風にゆらゆらとなびかせながら。

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長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。

(大正五年一月)

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(大正五年一月)