一房の葡萄 現代語訳
有島武郎(ありしまたけお)・1955年
AI生成この訳はAI(claude-sonnet-4-6)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-23)
一
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一
僕は小さいころ、絵を描くのが好きでした。
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僕は小さい時に絵を描くことが好きでした。
僕が通っていた学校は横浜の山の手という場所にありましたが、そのあたりは西洋人ばかりが住む町で、学校の先生も全員西洋人でした。
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僕の通っていた学校は横浜の山の手という所にありましたが、そこいらは西洋人ばかり住んでいる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかりでした。
学校の行き帰りはいつも、ホテルや西洋人の会社が並んでいる海岸沿いの通りを歩きました。
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そしてその学校の行きかえりにはいつでもホテルや西洋人の会社などがならんでいる海岸の通りを通るのでした。
通りの海側に立って見渡すと、真っ青な海の上に軍艦や商船がずらりと並んでいて、煙突から煙が出ているものや、マストからマストへ万国旗を張り渡したものなどがあって、目が痛くなるほど美しかったです。
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通りの海添いに立って見ると、真青な海の上に軍艦だの商船だのが一ぱいならんでいて、煙突から煙の出ているのや、檣から檣へ万国旗をかけわたしたのやがあって、眼がいたいように綺麗でした。
僕はよく岸に立ってその景色を眺め、家に帰ると覚えているかぎり精いっぱい美しく絵に描こうとしました。
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僕はよく岸に立ってその景色を見渡して、家に帰ると、覚えているだけを出来るだけ美しく絵に描いて見ようとしました。
でも、あの透き通るような海の藍色と、白い帆船の水際近くに塗ってある洋紅色は、僕が持っている絵の具ではどうしてもうまく出せませんでした。
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けれどもあの透きとおるような海の藍色と、白い帆前船などの水際近くに塗ってある洋紅色とは、僕の持っている絵具ではどうしてもうまく出せませんでした。
何度描いても描いても、実際の景色で見るような色には描けませんでした。
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いくら描いても描いても本当の景色で見るような色には描けませんでした。
ある日、ふと僕は学校の友達が持っている西洋絵の具のことを思い出しました。
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ふと僕は学校の友達の持っている西洋絵具を思い出しました。
その友達もやはり西洋人で、しかも僕より二つくらい年上だったから、見上げるほど背が高い子でした。
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その友達は矢張西洋人で、しかも僕より二つ位齢が上でしたから、身長は見上げるように大きい子でした。
ジムというその子が持っている絵の具は舶来の上等なもので、軽い木の箱の中に、十二色の絵の具が小さな墨のような四角い形に固められて、二列に並んでいました。
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ジムというその子の持っている絵具は舶来の上等のもので、軽い木の箱の中に、十二種の絵具が小さな墨のように四角な形にかためられて、二列にならんでいました。
どの色も美しかったけれど、とりわけ藍と洋紅はびっくりするほど美しいものでした。
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どの色も美しかったが、とりわけて藍と洋紅とは喫驚するほど美しいものでした。
ジムは僕より背が高いくせに、絵はずっと下手でした。
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ジムは僕より身長が高いくせに、絵はずっと下手でした。
それでもその絵の具で塗ると、下手な絵でさえまるで見違えるほど美しく見えるのです。
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それでもその絵具をぬると、下手な絵さえがなんだか見ちがえるように美しく見えるのです。
僕はいつもそれをうらやましいと思っていました。
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僕はいつでもそれを羨しいと思っていました。
あんな絵の具さえあれば、僕だって海の景色を本当に海に見えるように描いてみせられるのに、と自分の絵の具を恨みながら考えました。
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あんな絵具さえあれば僕だって海の景色を本当に海に見えるように描いて見せるのになあと、自分の悪い絵具を恨みながら考えました。
そうしたら、その日からジムの絵の具がほしくてほしくてたまらなくなりました。
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そうしたら、その日からジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなりました。
でも僕はなんだか臆病になって、パパにもママにも買ってほしいと言い出す気になれず、毎日毎日その絵の具のことを心の中で思い続けるばかりで、何日かが過ぎていきました。
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けれども僕はなんだか臆病になってパパにもママにも買って下さいと願う気になれないので、毎日々々その絵具のことを心の中で思いつづけるばかりで幾日か日がたちました。
今ではいつのことだったか覚えていませんが、秋だったのでしょう。
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今ではいつの頃だったか覚えてはいませんが秋だったのでしょう。
葡萄の実が熟していたのですから。
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葡萄の実が熟していたのですから。
冬が来る前の秋によくあるように、空の奥の奥まで見通せそうなほど晴れ渡った日でした。
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天気は冬が来る前の秋によくあるように空の奥の奥まで見すかされそうに霽れわたった日でした。
僕たちは先生と一緒にお弁当を食べましたが、楽しいはずのお弁当の最中でも、僕の心はなんとなく落ち着かず、その日の空とは裏腹に暗かったのです。
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僕達は先生と一緒に弁当をたべましたが、その楽しみな弁当の最中でも僕の心はなんだか落着かないで、その日の空とはうらはらに暗かったのです。
僕は一人で考えこんでいました。
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僕は自分一人で考えこんでいました。
誰かが気づいて見ていたら、顔もきっと青かったかもしれません。
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誰かが気がついて見たら、顔も屹度青かったかも知れません。
僕はジムの絵の具がほしくてほしくてたまらなくなっていたのです。
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僕はジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなってしまったのです。
胸が痛くなるほどほしくなっていたのです。
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胸が痛むほどほしくなってしまったのです。
ジムは僕が心の中で考えていることを知っているに違いないと思って、そっとその顔を見ると、ジムは何も知らないように楽しそうに笑ったりしながら、隣に座っている生徒と話をしているのです。
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ジムは僕の胸の中で考えていることを知っているにちがいないと思って、そっとその顔を見ると、ジムはなんにも知らないように、面白そうに笑ったりして、わきに坐っている生徒と話をしているのです。
でもその笑い方が、僕のことを知っていて笑っているようにも思えるし、何か話しているのが「いまに見ろ、あの日本人が僕の絵の具を取るに違いないから。」
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でもその笑っているのが僕のことを知っていて笑っているようにも思えるし、何か話をしているのが、「いまに見ろ、あの日本人が僕の絵具を取るにちがいないから。」
と言っているようにも思えるのです。
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といっているようにも思えるのです。
僕はいやな気持ちになりました。
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僕はいやな気持ちになりました。
でもジムが僕を疑っているように見えれば見えるほど、僕はその絵の具がほしくてならなくなるのです。
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けれどもジムが僕を疑っているように見えれば見えるほど、僕はその絵具がほしくてならなくなるのです。
二
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二
僕はかわいい顔はしていたかもしれないけれど、体も心も弱い子でした。
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僕はかわいい顔はしていたかも知れないが体も心も弱い子でした。
その上臆病者で、言いたいことも言わずにやり過ごしてしまう性分でした。
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その上臆病者で、言いたいことも言わずにすますような質でした。
だからあまり人からかわいがられることもなく、友達も少ない方でした。
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だからあんまり人からは、かわいがられなかったし、友達もない方でした。
昼ご飯が終わると、他の子供たちは元気よく運動場に出て走り回って遊び始めましたが、僕だけはその日に限っていっそう気持ちが沈んで、一人だけ教室に残っていました。
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昼御飯がすむと他の子供達は活溌に運動場に出て走りまわって遊びはじめましたが、僕だけはなおさらその日は変に心が沈んで、一人だけ教場に這入っていました。
外が明るい分だけ教室の中は暗くなって、まるで僕の心の中のようでした。
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そとが明るいだけに教場の中は暗くなって僕の心の中のようでした。
自分の席に座りながら、僕の目は時々ジムの机の方へ向かいました。
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自分の席に坐っていながら僕の眼は時々ジムの卓の方に走りました。
ナイフでいろんないたずら書きが彫りつけてあって、手の脂で真っ黒になっているあの蓋を開けると、中に本や雑記帳や石板と一緒に、飴のような色の木の絵の具箱があるんだ。
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ナイフで色々ないたずら書きが彫りつけてあって、手垢で真黒になっているあの蓋を揚げると、その中に本や雑記帳や石板と一緒になって、飴のような木の色の絵具箱があるんだ。
そしてその箱の中には小さな墨のような形をした藍や洋紅の絵の具が……僕は顔が赤くなったような気がして、思わずそっぽを向いてしまうのです。
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そしてその箱の中には小さい墨のような形をした藍や洋紅の絵具が……僕は顔が赤くなったような気がして、思わずそっぽを向いてしまうのです。
でもすぐにまた横目でジムの机の方を見ずにはいられませんでした。
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けれどもすぐ又横眼でジムの卓の方を見ないではいられませんでした。
胸のあたりがどきどきして苦しいくらいでした。
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胸のところがどきどきとして苦しい程でした。
じっと座っていながら、夢で鬼に追いかけられた時のように気ばかりせかせかしていました。
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じっと坐っていながら夢で鬼にでも追いかけられた時のように気ばかりせかせかしていました。
教室に入る鐘がかんかんと鳴りました。
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教場に這入る鐘がかんかんと鳴りました。
僕は思わずぎょっとして立ち上がりました。
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僕は思わずぎょっとして立上りました。
生徒たちが大きな声で笑ったり怒鳴ったりしながら、洗面所の方へ手を洗いに出かけていくのが窓から見えました。
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生徒達が大きな声で笑ったり呶鳴ったりしながら、洗面所の方に手を洗いに出かけて行くのが窓から見えました。
僕は急に頭の中が氷のように冷たくなるのを気味悪く感じながら、ふらふらとジムの机のところへ行って、半分夢のようにその蓋を開けてみました。
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僕は急に頭の中が氷のように冷たくなるのを気味悪く思いながら、ふらふらとジムの卓の所に行って、半分夢のようにそこの蓋を揚げて見ました。
そこには僕が思っていたとおり、雑記帳や鉛筆箱に混じって見覚えのある絵の具箱がしまってありました。
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そこには僕が考えていたとおり雑記帳や鉛筆箱とまじって見覚えのある絵具箱がしまってありました。
何のためだかわからないけれど、僕はあちこちを見回してから、誰も見ていないと思うと、素早くその箱の蓋を開けて藍と洋紅の二色を取り上げるが早いかポケットの中に押し込みました。
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なんのためだか知らないが僕はあっちこちを見廻してから、誰も見ていないなと思うと、手早くその箱の蓋を開けて藍と洋紅との二色を取上げるが早いかポッケットの中に押込みました。
そして急いで、いつも整列して先生を待っている場所に走って行きました。
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そして急いでいつも整列して先生を待っている所に走って行きました。
僕たちは若い女の先生に連れられて教室に入り、それぞれの席に座りました。
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僕達は若い女の先生に連れられて教場に這入り銘々の席に坐りました。
僕はジムがどんな顔をしているか見たくてたまらなかったけれど、どうしてもそちらの方を振り向くことができませんでした。
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僕はジムがどんな顔をしているか見たくってたまらなかったけれども、どうしてもそっちの方をふり向くことができませんでした。
でも、僕のしたことに誰も気づいた様子がないので、気味が悪いような、ほっとしたような気持ちでいました。
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でも僕のしたことを誰も気のついた様子がないので、気味が悪いような、安心したような心持ちでいました。
僕の大好きな若い女の先生がおっしゃることは、耳には入るのだけどなんのことかちっともわかりませんでした。
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僕の大好きな若い女の先生の仰ることなんかは耳に這入りは這入ってもなんのことだかちっともわかりませんでした。
先生も時々不思議そうに僕の方を見ているようでした。
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先生も時々不思議そうに僕の方を見ているようでした。
でも僕はその日に限って、先生の目を見るのがなんだかいやでした。
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僕は然し先生の眼を見るのがその日に限ってなんだかいやでした。
そんな状態で一時間が経ちました。
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そんな風で一時間がたちました。
みんなが何かひそひそ話をしているようだと思いながら、一時間が経ちました。
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なんだかみんな耳こすりでもしているようだと思いながら一時間がたちました。
教室を出る鐘が鳴ったので、僕はほっとしてため息をつきました。
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教場を出る鐘が鳴ったので僕はほっと安心して溜息をつきました。
ところが先生が行ってしまうと、僕は僕のクラスで一番大きく、勉強もよくできる生徒に「ちょっとこっちにおいで」
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けれども先生が行ってしまうと、僕は僕の級で一番大きな、そしてよく出来る生徒に「ちょっとこっちにお出で」
とひじのあたりをつかまれました。
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と肱の所を掴まれていました。
僕の胸は、宿題をさぼったのに先生に名前を指された時のように、思わずどきんと震え始めました。
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僕の胸は宿題をなまけたのに先生に名を指された時のように、思わずどきんと震えはじめました。
でも僕はできるだけ知らないふりをしていなければと思って、わざと平気な顔をしたつもりで、仕方なく運動場の隅に連れて行かれました。
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けれども僕は出来るだけ知らない振りをしていなければならないと思って、わざと平気な顔をしたつもりで、仕方なしに運動場の隅に連れて行かれました。
「君はジムの絵の具を持っているだろう。ここに出しなさい。」
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「君はジムの絵具を持っているだろう。ここに出し給え。」
そう言ってその生徒は僕の前に大きく広げた手を突き出しました。
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そういってその生徒は僕の前に大きく拡げた手をつき出しました。
そう言われると僕はかえって気持ちが落ち着いて、
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そういわれると僕はかえって心が落着いて、
「そんなもの、僕持ってないよ。」
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「そんなもの、僕持ってやしない。」
と、ついでたらめを言ってしまいました。
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と、ついでたらめをいってしまいました。
すると三、四人の友達と一緒に僕のそばに来ていたジムが、
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そうすると三四人の友達と一緒に僕の側に来ていたジムが、
「僕は昼休みの前にちゃんと絵の具箱を確かめておいたんだよ。一つも無くなっていなかったんだよ。そして昼休みが終わったら二つ無くなっていたんだよ。そして休み時間に教室にいたのは君だけじゃないか。」
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「僕は昼休みの前にちゃんと絵具箱を調べておいたんだよ。一つも失くなってはいなかったんだよ。そして昼休みが済んだら二つ失くなっていたんだよ。そして休みの時間に教場にいたのは君だけじゃないか。」
と少し声を震わせながら言い返しました。
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と少し言葉を震わしながら言いかえしました。
僕はもう駄目だと思うと、急に頭の中に血が流れ込んできて顔が真っ赤になったようでした。
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僕はもう駄目だと思うと急に頭の中に血が流れこんで来て顔が真赤になったようでした。
するとそこに立っていた誰かが、いきなり僕のポケットに手を差し込もうとしました。
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すると誰だったかそこに立っていた一人がいきなり僕のポッケットに手をさし込もうとしました。
僕は一生懸命にそうはさせまいとしましたが、多勢に無勢でとてもかないません。
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僕は一生懸命にそうはさせまいとしましたけれども、多勢に無勢で迚も叶いません。
僕のポケットの中からは、見る見るビー玉や鉛のメンコなどと一緒に、二つの絵の具のかたまりが引っ張り出されてしまいました。
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僕のポッケットの中からは、見る見るマーブル球(今のビー球のことです)や鉛のメンコなどと一緒に二つの絵具のかたまりが掴み出されてしまいました。
「それ見ろ」
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「それ見ろ」
と言わんばかりの顔をして、子供たちは憎らしそうに僕の顔をにらみつけました。
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といわんばかりの顔をして子供達は憎らしそうに僕の顔を睨みつけました。
僕の体はひとりでにぶるぶると震えて、目の前が真っ暗になるようでした。
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僕の体はひとりでにぶるぶる震えて、眼の前が真暗になるようでした。
いい天気なのに、みんなが休み時間を楽しそうに遊び回っているのに、僕だけは本当に心からしおれてしまいました。
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いいお天気なのに、みんな休時間を面白そうに遊び廻っているのに、僕だけは本当に心からしおれてしまいました。
なんであんなことをしてしまったんだろう。
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あんなことをなぜしてしまったんだろう。
取り返しのつかないことになってしまった。
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取りかえしのつかないことになってしまった。
もう僕は駄目だ。
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もう僕は駄目だ。
そう思うと弱虫だった僕は寂しく悲しくなってきて、しくしくと泣き出してしまいました。
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そんなに思うと弱虫だった僕は淋しく悲しくなって来て、しくしくと泣き出してしまいました。
「泣いておどかしても駄目だよ。」
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「泣いておどかしたって駄目だよ。」
とよくできる大きな子が馬鹿にするような憎みきった声で言って、動くまいとする僕をみんなで寄ってたかって二階に引っ張って行こうとしました。
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とよく出来る大きな子が馬鹿にするような憎みきったような声で言って、動くまいとする僕をみんなで寄ってたかって二階に引張って行こうとしました。
僕はできるだけ行くまいとしたけれど、とうとう力まかせに引きずられて階段を上らされてしまいました。
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僕は出来るだけ行くまいとしたけれどもとうとう力まかせに引きずられて階子段を登らせられてしまいました。
そこに僕の好きな担任の先生の部屋があるのです。
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そこに僕の好きな受持ちの先生の部屋があるのです。
やがてその部屋の戸をジムがノックしました。
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やがてその部屋の戸をジムがノックしました。
ノックするとは、入ってもいいかと戸を叩くことなのです。
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ノックするとは這入ってもいいかと戸をたたくことなのです。
中からはやさしく「お入り」
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中からはやさしく「お這入り」
という先生の声が聞こえました。
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という先生の声が聞えました。
僕はその部屋に入る時ほどいやだと思ったことは、後にも先にもありませんでした。
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僕はその部屋に這入る時ほどいやだと思ったことはまたとありません。
何か書き物をしていた先生は、どやどやと入ってきた僕たちを見ると少し驚いたようでした。
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何か書きものをしていた先生はどやどやと這入って来た僕達を見ると、少し驚いたようでした。
でも、女性なのに男性のように首のところでぱっつりと切った髪を右手でかき上げながら、いつものとおりのやさしい顔をこちらに向けて、ちょっと首をかしげただけで「何の御用?」という様子をされました。
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が、女の癖に男のように頸の所でぶつりと切った髪の毛を右の手で撫であげながら、いつものとおりのやさしい顔をこちらに向けて、一寸首をかしげただけで何の御用という風をしなさいました。
するとよくできる大きな子が前に出て、僕がジムの絵の具を取ったことを詳しく先生に告げました。
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そうするとよく出来る大きな子が前に出て、僕がジムの絵具を取ったことを委しく先生に言いつけました。
先生は少し曇った顔つきをして、真剣にみんなの顔と半分泣きかけている僕の顔を見比べていましたが、僕に「それは本当ですか。」
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先生は少し曇った顔付きをして真面目にみんなの顔や、半分泣きかかっている僕の顔を見くらべていなさいましたが、僕に「それは本当ですか。」
と聞かれました。
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と聞かれました。
本当のことなのだけれど、僕がそんないやな奴だということを、どうしても好きな先生に知られるのがつらかったのです。
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本当なんだけれども、僕がそんないやな奴だということをどうしても僕の好きな先生に知られるのがつらかったのです。
だから僕は答える代わりに、本当に泣き出してしまいました。
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だから僕は答える代りに本当に泣き出してしまいました。
先生はしばらく僕を見つめていましたが、やがて生徒たちに向かって静かに「もう行ってもよろしいです。」
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先生は暫く僕を見つめていましたが、やがて生徒達に向って静かに「もういってもようございます。」
と言って、みんなを帰してしまわれました。
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といって、みんなをかえしてしまわれました。
生徒たちは少し物足りなそうにどやどやと下に降りていってしまいました。
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生徒達は少し物足らなそうにどやどやと下に降りていってしまいました。
先生はしばらくの間なんとも言わずに、僕の方も向かずに自分の手の爪を見つめていましたが、やがて静かに立ってきて、僕の肩を抱き寄せるようにして「絵の具はもう返しましたか。」
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先生は少しの間なんとも言わずに、僕の方も向かずに自分の手の爪を見つめていましたが、やがて静かに立って来て、僕の肩の所を抱きすくめるようにして「絵具はもう返しましたか。」
と小さな声でおっしゃいました。
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と小さな声で仰いました。
僕は返したことをちゃんと先生に知ってもらいたくて、深くうなずいてみせました。
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僕は返したことをしっかり先生に知ってもらいたいので深々と頷いて見せました。
「あなたは自分のしたことをいやなことだったと思っていますか。」
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「あなたは自分のしたことをいやなことだったと思っていますか。」
もう一度そう先生が静かにおっしゃった時には、僕はもうたまりませんでした。
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もう一度そう先生が静かに仰った時には、僕はもうたまりませんでした。
ぶるぶると震えてしかたない唇を噛みしめても噛みしめても泣き声が出て、目からは涙がむやみに流れてくるのです。
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ぶるぶると震えてしかたがない唇を、噛みしめても噛みしめても泣声が出て、眼からは涙がむやみに流れて来るのです。
もう先生に抱かれたまま死んでしまいたいような気持ちになってしまいました。
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もう先生に抱かれたまま死んでしまいたいような心持ちになってしまいました。
「もう泣かなくていいの。よくわかったならそれでいいから泣くのをやめましょう、ね。次の時間は教室に出なくていいから、私のこの部屋にいなさい。静かにここにいなさい。私が教室から戻るまでここにいなさいよ。いい?」
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「あなたはもう泣くんじゃない。よく解ったらそれでいいから泣くのをやめましょう、ね。次ぎの時間には教場に出ないでもよろしいから、私のこのお部屋に入らっしゃい。静かにしてここに入らっしゃい。私が教場から帰るまでここに入らっしゃいよ。いい。」
そうおっしゃりながら僕を長椅子に座らせて、その時また勉強の鐘が鳴ったので、机の上の本を取り上げて、僕の方を見ていましたが、二階の窓まで高く伸び上がった葡萄のつるから一房の西洋葡萄をもぎ取って、しくしくと泣き続けていた僕の膝の上にそっと置いて、静かに部屋を出て行かれました。
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と仰りながら僕を長椅子に坐らせて、その時また勉強の鐘がなったので、机の上の書物を取り上げて、僕の方を見ていられましたが、二階の窓まで高く這い上った葡萄蔓から、一房の西洋葡萄をもぎって、しくしくと泣きつづけていた僕の膝の上にそれをおいて静かに部屋を出て行きなさいました。
三
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三
さっきまでがやがやとうるさかった生徒たちがみんな教室に入って、急にしんとするほど辺りが静かになりました。
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一時がやがやとやかましかった生徒達はみんな教場に這入って、急にしんとするほどあたりが静かになりました。
僕は寂しくて寂しくてしょうがないほど悲しくなりました。
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僕は淋しくって淋しくってしようがない程悲しくなりました。
あれほど好きな先生を苦しめてしまったかと思うと、本当に悪いことをしてしまったと思いました。
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あの位好きな先生を苦しめたかと思うと僕は本当に悪いことをしてしまったと思いました。
葡萄なんてとても食べる気になれなくて、いつまでも泣いていました。
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葡萄などは迚も喰べる気になれないでいつまでも泣いていました。
ふと僕は肩を軽く揺すられて目を覚ましました。
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ふと僕は肩を軽くゆすぶられて眼をさましました。
僕は先生の部屋でいつの間にか泣き寝入りをしていたようです。
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僕は先生の部屋でいつの間にか泣寝入りをしていたと見えます。
少し痩せて背の高い先生は、笑顔を見せて僕を見下ろしていました。
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少し痩せて身長の高い先生は笑顔を見せて僕を見おろしていられました。
僕は眠ったおかげで気分が良くなって、さっきまであったことをすっかり忘れていたので、少し恥ずかしそうに笑い返しながら、慌てて膝の上からずり落ちそうになっていた葡萄の房をつまみ上げましたが、すぐに悲しいことを思い出して、笑いも何も引っ込んでしまいました。
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僕は眠ったために気分がよくなって今まであったことは忘れてしまって、少し恥しそうに笑いかえしながら、慌てて膝の上から辷り落ちそうになっていた葡萄の房をつまみ上げましたが、すぐ悲しいことを思い出して笑いも何も引込んでしまいました。
「そんな悲しい顔をしなくていいですよ。もうみんな帰りましたから、あなたもお帰りなさい。そして明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ。あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。必ずですよ。」
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「そんなに悲しい顔をしないでもよろしい。もうみんなは帰ってしまいましたから、あなたはお帰りなさい。そして明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ。あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。屹度ですよ。」
そう言って先生は僕のカバンの中にそっと葡萄の房を入れてくれました。
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そういって先生は僕のカバンの中にそっと葡萄の房を入れて下さいました。
僕はいつものように海岸通りを、海を眺めたり船を眺めたりしながら、ぼんやりと家に帰りました。
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僕はいつものように海岸通りを、海を眺めたり船を眺めたりしながらつまらなく家に帰りました。
そして葡萄をおいしく食べてしまいました。
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そして葡萄をおいしく喰べてしまいました。
でも次の日が来ると、僕はなかなか学校に行く気になれませんでした。
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けれども次の日が来ると僕は中々学校に行く気にはなれませんでした。
お腹が痛くなればいいと思ったり、頭が痛くなればいいと思ったりしたけれど、その日に限って虫歯一本痛みもしないのです。
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お腹が痛くなればいいと思ったり、頭痛がすればいいと思ったりしたけれども、その日に限って虫歯一本痛みもしないのです。
仕方なくいやいや家を出ましたが、ぶらぶらと考えながら歩きました。
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仕方なしにいやいやながら家は出ましたが、ぶらぶらと考えながら歩きました。
どうしても学校の門を入ることはできないように思われたのです。
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どうしても学校の門を這入ることは出来ないように思われたのです。
でも別れ際の先生の言葉を思い出すと、先生の顔だけはどうしても見たくてしかたがありませんでした。
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けれども先生の別れの時の言葉を思い出すと、僕は先生の顔だけはなんといっても見たくてしかたがありませんでした。
僕が行かなかったら先生はきっと悲しく思われるに違いない。
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僕が行かなかったら先生は屹度悲しく思われるに違いない。
もう一度先生のやさしい目で見てもらいたい。
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もう一度先生のやさしい眼で見られたい。
ただそれだけの気持ちで、僕は学校の門をくぐりました。
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ただその一事があるばかりで僕は学校の門をくぐりました。
そうしたらどうでしょう、まず最初にずっと待ちかねていたようにジムが飛んできて、僕の手を握ってくれました。
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そうしたらどうでしょう、先ず第一に待ち切っていたようにジムが飛んで来て、僕の手を握ってくれました。
そして昨日のことなどすっかり忘れてしまったように、親切に僕の手を引いて、どぎまぎしている僕を先生の部屋に連れて行くのです。
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そして昨日のことなんか忘れてしまったように、親切に僕の手をひいてどぎまぎしている僕を先生の部屋に連れて行くのです。
僕はなんだかわけがわかりませんでした。
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僕はなんだか訳がわかりませんでした。
学校に行ったらみんなが遠くから僕を見て「見ろ、泥棒の嘘つきの日本人が来た」
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学校に行ったらみんなが遠くの方から僕を見て「見ろ泥棒の譃つきの日本人が来た」
とでも悪口を言うだろうと思っていたのに、こんな風にされると気味が悪いくらいでした。
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とでも悪口をいうだろうと思っていたのにこんな風にされると気味が悪い程でした。
二人の足音を聞きつけてか、先生はジムがノックする前に戸を開けてくれました。
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二人の足音を聞きつけてか、先生はジムがノックしない前に、戸を開けて下さいました。
二人は部屋の中に入りました。
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二人は部屋の中に這入りました。
「ジム、あなたはいい子。私の言ったことをよくわかってくれましたね。ジムはもうあなたに謝ってもらわなくてもいいと言っています。二人は今からいいお友達になればそれでいいんです。二人とも上手に握手しなさい。」
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「ジム、あなたはいい子、よく私の言ったことがわかってくれましたね。ジムはもうあなたからあやまって貰わなくってもいいと言っています。二人は今からいいお友達になればそれでいいんです。二人とも上手に握手をなさい。」
と先生はにこにこしながら僕たちを向かい合わせました。
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と先生はにこにこしながら僕達を向い合せました。
僕はでもあまりに勝手すぎるようでもじもじしていると、ジムはいそいそと垂れ下げている僕の手を引っ張り出して、固く握ってくれました。
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僕はでもあんまり勝手過ぎるようでもじもじしていますと、ジムはいそいそとぶら下げている僕の手を引張り出して堅く握ってくれました。
僕はもうなんと言えばこの嬉しさを表せばいいのかわからなくて、ただ恥ずかしく笑うほかありませんでした。
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僕はもうなんといってこの嬉しさを表せばいいのか分らないで、唯恥しく笑う外ありませんでした。
ジムも気持ちよさそうに、笑顔をしていました。
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ジムも気持よさそうに、笑顔をしていました。
先生はにこにこしながら僕に、
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先生はにこにこしながら僕に、
「昨日の葡萄はおいしかった?」
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「昨日の葡萄はおいしかったの。」
と聞かれました。
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と問われました。
僕は顔を真っ赤にして「はい」
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僕は顔を真赤にして「ええ」
と白状するほかありませんでした。
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と白状するより仕方がありませんでした。
「それならまたあげましょうね。」
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「そんなら又あげましょうね。」
そう言って、先生は真っ白なリネンの服に包まれた体を窓から乗り出して、葡萄の一房をもぎ取って、真っ白な左手の上に粉をふいた紫色の房を乗せて、細長い銀色のはさみで真ん中からぷつりと二つに切って、ジムと僕に渡してくれました。
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そういって、先生は真白なリンネルの着物につつまれた体を窓からのび出させて、葡萄の一房をもぎ取って、真白い左の手の上に粉のふいた紫色の房を乗せて、細長い銀色の鋏で真中からぷつりと二つに切って、ジムと僕とに下さいました。
真っ白な手のひらに紫色の葡萄の粒が重なって乗っていたその美しさを、僕は今でもはっきりと思い出せます。
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真白い手の平に紫色の葡萄の粒が重って乗っていたその美しさを僕は今でもはっきりと思い出すことが出来ます。
僕はその時から以前より少しいい子になり、少し恥ずかしがり屋でなくなったようです。
原文を見る
僕はその時から前より少しいい子になり、少しはにかみ屋でなくなったようです。
それにしても、僕の大好きなあのいい先生はどこへ行かれたのでしょう。
原文を見る
それにしても僕の大好きなあのいい先生はどこに行かれたでしょう。
もう二度と会えないとわかっていながら、僕は今でもあの先生がいたらなあと思います。
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もう二度とは遇えないと知りながら、僕は今でもあの先生がいたらなあと思います。
秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますが、それを受けた大理石のような白く美しい手はどこにも見つかりません。
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秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。