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駈込み訴え 現代語訳

太宰治だざいおさむ)・1967

AI生成この訳はAI(claude-opus-5)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-28

申し上げます。

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申し上げます。

申し上げます。

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申し上げます。

旦那さま。

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旦那さま。

あの人は、ひどい。

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あの人は、ひどい。

ひどい。

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酷い。

はい。

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はい。

嫌な奴です。

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いやな奴です。

悪い人です。

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悪い人です。

ああ。

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ああ。

我慢ならない。

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我慢ならない。

生かしておけねえ。

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生かして置けねえ。

はい、はい。

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はい、はい。

落ち着いて申し上げます。

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落ちついて申し上げます。

あの人を、生かしておいてはいけません。

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あの人を、生かして置いてはなりません。

世の中の敵です。

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世の中のかたきです。

はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。

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はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。

私は、あの人の居場所を知っています。

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私は、あの人の居所いどころを知っています。

すぐにご案内します。

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すぐに御案内申します。

ずたずたに切りきざんで、殺してください。

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ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。

あの人は、私の師です。

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あの人は、私の師です。

主です。

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主です。

けれども私と同じ年です。

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けれども私と同じ年です。

三十四です。

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三十四であります。

私は、あの人よりたった二か月おそく生まれただけなのです。

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私は、あの人よりたった二月ふたつきおそく生れただけなのです。

たいした違いがあるはずがない。

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たいした違いが無い筈だ。

人と人との間に、そんなにひどい差別があるはずがない。

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人と人との間に、そんなにひどい差別は無い筈だ。

それなのに私は今日まであの人に、どれほど意地悪くこき使われてきたことか。

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それなのに私はきょうまであの人に、どれほど意地悪くこき使われて来たことか。

どんなに馬鹿にされ、なぐさみものにされてきたことか。

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どんなに嘲弄ちょうろうされて来たことか。

ああ、もう、いやだ。

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ああ、もう、いやだ。

耐えられるところまでは、耐えてきたのだ。

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堪えられるところ迄は、堪えて来たのだ。

怒るときに怒らなければ、人間に生まれた甲斐がありません。

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怒る時に怒らなければ、人間の甲斐がありません。

私は今まであの人を、どんなにこっそりかばってあげたか。

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私は今まであの人を、どんなにこっそりかばってあげたか。

誰も、ご存じないのです。

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誰も、ご存じ無いのです。

あの人ご自身だって、それに気がついていないのだ。

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あの人ご自身だって、それに気がついていないのだ。

いや、あの人は知っているのだ。

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いや、あの人は知っているのだ。

ちゃんと知っています。

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ちゃんと知っています。

知っているからこそ、なおさらあの人は私を意地悪く軽蔑するのだ。

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知っているからこそ、尚更あの人は私を意地悪く軽蔑けいべつするのだ。

あの人は傲慢だ。

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あの人は傲慢ごうまんだ。

私にずいぶん世話をしてもらっているので、それがご自身で悔しいのだ。

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私から大きに世話を受けているので、それがご自身に口惜くやしいのだ。

あの人は、馬鹿みたいなうぬぼれ屋だ。

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あの人は、阿呆なくらいに自惚うぬぼれ屋だ。

私などから世話を受けている、ということを、何かご自身の、ひどい負い目でもあるかのように思い込んでいらっしゃるのです。

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私などから世話を受けている、ということを、何かご自身の、ひどい引目ひけめででもあるかのように思い込んでいなさるのです。

あの人は、何でもご自身で出来るかのように、人から見られたくてたまらないのだ。

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あの人は、なんでもご自身で出来るかのように、ひとから見られたくてたまらないのだ。

馬鹿な話だ。

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ばかな話だ。

世の中はそんなものじゃないんだ。

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世の中はそんなものじゃ無いんだ。

この世で暮していくからには、どうしても誰かに、ぺこぺこ頭を下げなければいけないのだし、そうして一歩一歩、苦労して人を押さえていくより他にやりようがないのだ。

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この世に暮して行くからには、どうしても誰かに、ぺこぺこ頭を下げなければいけないのだし、そうして歩一歩、苦労して人を抑えてゆくより他に仕様がないのだ。

あの人にいったい、何が出来るでしょう。

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あの人に一体、何が出来ましょう。

何も出来やしないのです。

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なんにも出来やしないのです。

私から見れば青二才だ。

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私から見れば青二才だ。

私がもしいなかったら、あの人はもう、とうの昔に、あの無能でとんまな弟子たちと一緒に、どこかの野原で野垂れ死にしていたに違いない。

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私がもし居らなかったらあの人は、もう、とうの昔、あの無能でとんまの弟子たちと、どこかの野原でのたれじにしていたに違いない。

「狐には穴があり、鳥にはねぐらがある、けれども人の子には枕するところが無い」

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「狐には穴あり、鳥にはねぐら、されども人の子には枕するところ無し」

それ、それ、それだ。

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それ、それ、それだ。

ちゃんと自分で白状していやがるのだ。

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ちゃんと白状していやがるのだ。

ペテロに何が出来ますか。

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ペテロに何が出来ますか。

ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、トマス、間抜けの集まり、ぞろぞろあの人について歩いて、背筋が寒くなるような甘ったるいお世辞を言い、天国だなんて馬鹿げたことを夢中で信じて熱狂し、その天国が近づいたなら、あいつらみんな右大臣、左大臣にでもなるつもりなのか、馬鹿な奴らだ。

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ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、トマス、こけの集り、ぞろぞろあの人について歩いて、脊筋が寒くなるような、甘ったるいお世辞を申し、天国だなんて馬鹿げたことを夢中で信じて熱狂し、その天国が近づいたなら、あいつらみんな右大臣、左大臣にでもなるつもりなのか、馬鹿な奴らだ。

その日のパンにも困っていて、私がやりくりしてあげなければ、みんな飢え死にしてしまうだけじゃないのか。

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その日のパンにも困っていて、私がやりくりしてあげないことには、みんな飢え死してしまうだけじゃないのか。

私はあの人に説教させ、群衆からこっそり賽銭を巻き上げ、また、村の金持ちから供物を取り立て、宿の手配から日々の衣食の買い物まで、面倒がらずにしてあげていたのに、あの人はもちろん弟子の馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。

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私はあの人に説教させ、群集からこっそり賽銭さいせんを巻き上げ、また、村の物持ちから供物を取り立て、宿舎の世話から日常衣食の購求まで、煩をいとわず、してあげていたのに、あの人はもとより弟子の馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。

お礼を言わないどころか、あの人は、私のこんな隠れた日々の苦労も知らないふりをして、いつでも大変な贅沢を言い、五つのパンと魚が二つあるだけの時でさえ、目の前の大群衆みんなに食べ物を与えよ、などと無理難題を言いつけなさって、私は陰で実に苦しいやりくりをして、どうにか、その命じられた食べ物を、まあ、買いそろえることが出来るのです。

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お礼を言わぬどころか、あの人は、私のこんな隠れた日々の苦労をも知らぬ振りして、いつでも大変な贅沢ぜいたくを言い、五つのパンと魚が二つ在るきりの時でさえ、目前の大群集みなに食物を与えよ、などと無理難題を言いつけなさって、私は陰で実に苦しいやり繰りをして、どうやら、その命じられた食いものを、まあ、買い調えることが出来るのです。

言ってみれば、私はあの人の奇蹟の手伝いを、危ない手品の助手を、これまで何度となく務めてきたのだ。

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わば、私はあの人の奇蹟の手伝いを、危い手品の助手を、これまで幾度となく勤めて来たのだ。

私はこう見えても、決してけちな男じゃない。

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私はこう見えても、決して吝嗇りんしょくの男じゃ無い。

それどころか私は、よほど趣味の高い人間なのです。

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それどころか私は、よっぽど高い趣味家なのです。

私はあの人を、美しい人だと思っている。

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私はあの人を、美しい人だと思っている。

私から見れば、子供のように欲がなく、私が日々のパンを得るために、お金をせっせと貯めても、すぐにそれを一銭残らず、むだなことに使わせてしまって。

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私から見れば、子供のように慾が無く、私が日々のパンを得るために、お金をせっせとめたっても、すぐにそれを一厘残さず、むだな事に使わせてしまって。

けれども私は、それを恨みに思いません。

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けれども私は、それを恨みに思いません。

あの人は美しい人なのだ。

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あの人は美しい人なのだ。

私は、もともと貧しい商人ではありますが、それでも精神を重んじる人間というものを理解していると思っています。

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私は、もともと貧しい商人ではありますが、それでも精神家というものを理解していると思っています。

だから、あの人が、私が苦労して貯めておいたわずかな金を、どんなに馬鹿らしくむだ使いしても、私は、何とも思いません。

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だから、あの人が、私の辛苦して貯めて置いた粒々の小金を、どんなに馬鹿らしくむだ使いしても、私は、なんとも思いません。

思いませんけれども、それならば、たまには私にも、優しい言葉の一つくらいは掛けてくれてもよさそうなのに、あの人は、いつでも私に意地悪く当たるのです。

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思いませんけれども、それならば、たまには私にも、優しい言葉の一つ位は掛けてくれてもよさそうなのに、あの人は、いつでも私に意地悪くしむけるのです。

一度、あの人が、春の海辺をぶらぶら歩きながら、ふと、私の名を呼び、「おまえにも、世話になるね。おまえの寂しさは、わかっている。けれども、そんなにいつも不機嫌な顔をしていては、いけない。寂しいときに、寂しそうな顔つきをするのは、それは偽善者のすることなのだ。寂しさを人にわかってもらおうとして、わざわざ顔色を変えて見せているだけなのだ。本当に神を信じているなら、おまえは、寂しい時でも素知らぬふりをして顔をきれいに洗い、髪に油を塗り、微笑んでいればいい。わからないかね。寂しさを、人にわかってもらわなくても、どこか目に見えないところにいるおまえの本当の父だけが、わかっていてくださったなら、それでいいではないか。そうではないかね。寂しさは、誰にだってあるのだよ」

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一度、あの人が、春の海辺をぶらぶら歩きながら、ふと、私の名を呼び、「おまえにも、お世話になるね。おまえの寂しさは、わかっている。けれども、そんなにいつも不機嫌な顔をしていては、いけない。寂しいときに、寂しそうな面容おももちをするのは、それは偽善者のすることなのだ。寂しさを人にわかって貰おうとして、ことさらに顔色を変えて見せているだけなのだ。まことに神を信じているならば、おまえは、寂しい時でも素知らぬ振りして顔を綺麗に洗い、頭にあぶらを塗り、微笑ほほえんでいなさるがよい。わからないかね。寂しさを、人にわかって貰わなくても、どこか眼に見えないところにいるお前の誠の父だけが、わかっていて下さったなら、それでよいではないか。そうではないかね。寂しさは、誰にだって在るのだよ」

そう言ってくれて、私はそれを聞いてなぜだか声を出して泣きたくなり、いいえ、私は天の父にわかっていただかなくても、また世間の者に知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、わかっていてくださったら、それでもう、いいのです。

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そうおっしゃってくれて、私はそれを聞いてなぜだか声出して泣きたくなり、いいえ、私は天の父にわかって戴かなくても、また世間の者に知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。

私はあなたを愛しています。

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私はあなたを愛しています。

ほかの弟子たちが、どんなに深くあなたを愛していたって、それとは比べものにならないほどに愛しています。

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ほかの弟子たちが、どんなに深くあなたを愛していたって、それとは較べものにならないほどに愛しています。

誰よりも愛しています。

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誰よりも愛しています。

ペテロやヤコブたちは、ただ、あなたについて歩いて、何かいいこともあるかと、そればかりを考えているのです。

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ペテロやヤコブたちは、ただ、あなたについて歩いて、何かいいこともあるかと、そればかりを考えているのです。

けれども、私だけは知っています。

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けれども、私だけは知っています。

あなたについて歩いたって、何の得もないということを知っています。

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あなたについて歩いたって、なんの得するところも無いということを知っています。

それでいながら、私はあなたから離れることが出来ません。

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それでいながら、私はあなたから離れることが出来ません。

どうしたのでしょう。

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どうしたのでしょう。

あなたがこの世にいなくなったら、私もすぐに死にます。

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あなたが此の世にいなくなったら、私もすぐに死にます。

生きていることが出来ません。

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生きていることが出来ません。

私には、いつでも一人でこっそり考えていることがあるんです。

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私には、いつでも一人でこっそり考えていることが在るんです。

それはあなたが、くだらない弟子たち全部から離れて、また天の父の教えとやらを説くこともおやめになり、つつましい民の一人として、母のマリヤ様と、私と、それだけで静かな一生を、長く暮していくことです。

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それはあなたが、くだらない弟子たち全部から離れて、また天の父の御教えとやらを説かれることもおしになり、つつましい民のひとりとして、お母のマリヤ様と、私と、それだけで静かな一生を、永く暮して行くことであります。

私の村には、まだ私の小さい家が残っています。

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私の村には、まだ私の小さい家が残って在ります。

年老いた父も母もいます。

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年老いた父も母も居ります。

ずいぶん広い桃畑もあります。

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ずいぶん広い桃畠ももばたけもあります。

春、いまごろは、桃の花が咲いて見事です。

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春、いまごろは、桃の花が咲いて見事であります。

一生、安楽にお暮しになれます。

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一生、安楽にお暮しできます。

私がいつでもお傍について、お仕えしたいと思います。

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私がいつでもお傍について、御奉公申し上げたく思います。

よい奥さまをもらってください。

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よい奥さまをおもらいなさいまし。

そう私が言ったら、あの人は、薄くお笑いになり、「ペテロやシモンは漁師だ。美しい桃の畑も無い。ヤコブもヨハネも赤貧の漁師だ。あの人たちには、そんな、一生を安楽に暮せるような土地が、どこにも無いのだ」

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そう私が言ったら、あの人は、薄くお笑いになり、「ペテロやシモンは漁人すなどりだ。美しい桃の畠も無い。ヤコブもヨハネも赤貧の漁人だ。あのひとたちには、そんな、一生を安楽に暮せるような土地が、どこにも無いのだ」

と低く独りごとのようにつぶやいて、また海辺を静かに歩きつづけたのでしたが、後にも先にも、あの人としんみり話せたのは、そのとき一度だけで、あとは、決して私に打ち解けてくださったことが無かった。

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と低く独りごとのようにつぶやいて、また海辺を静かに歩きつづけたのでしたが、後にもさきにも、あの人と、しんみりお話できたのは、そのとき一度だけで、あとは、決して私に打ち解けて下さったことが無かった。

私はあの人を愛している。

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私はあの人を愛している。

あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ。

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あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ。

あの人は、誰のものでもない。

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あの人は、誰のものでもない。

私のものだ。

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私のものだ。

あの人を他人に手渡すくらいなら、手渡すまえに、私はあの人を殺してあげる。

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あの人を他人に手渡すくらいなら、手渡すまえに、私はあの人を殺してあげる。

父を捨て、母を捨て、生まれた土地を捨てて、私は今日まで、あの人について歩いてきたのだ。

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父を捨て、母を捨て、生れた土地を捨てて、私はきょう迄、あの人について歩いて来たのだ。

私は天国を信じない。

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私は天国を信じない。

神も信じない。

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神も信じない。

あの人の復活も信じない。

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あの人の復活も信じない。

どうしてあの人が、イスラエルの王なものか。

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なんであの人が、イスラエルの王なものか。

馬鹿な弟子どもは、あの人を神の御子だと信じていて、そうして神の国の福音とかいうものを、あの人から伝え聞いては、情けないほどに小躍りして喜んでいる。

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馬鹿な弟子どもは、あの人を神の御子だと信じていて、そうして神の国の福音とかいうものを、あの人から伝え聞いては、浅間しくも、欣喜雀躍きんきじゃくやくしている。

今にがっかりするのが、私にはわかっています。

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今にがっかりするのが、私にはわかっています。

自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされると、あの人は約束なさったが、世の中、そんなに甘くいってたまるものか。

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おのれを高うする者はひくうせられ、おのれを卑うする者は高うせられると、あの人は約束なさったが、世の中、そんなに甘くいってたまるものか。

あの人は嘘つきだ。

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あの人は嘘つきだ。

言うこと言うこと、一から十まででたらめだ。

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言うこと言うこと、一から十まで出鱈目でたらめだ。

私はまるで信じていない。

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私はてんで信じていない。

けれども私は、あの人の美しさだけは信じている。

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けれども私は、あの人の美しさだけは信じている。

あんな美しい人はこの世にいない。

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あんな美しい人はこの世に無い。

私はあの人の美しさを、純粋に愛している。

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私はあの人の美しさを、純粋に愛している。

それだけだ。

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それだけだ。

私は、何の報酬も考えていない。

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私は、なんの報酬も考えていない。

あの人について歩いて、やがて天国が近づき、その時こそは、みごと右大臣、左大臣になってやろうなどと、そんな卑しい根性は持っていない。

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あの人について歩いて、やがて天国が近づき、その時こそは、あっぱれ右大臣、左大臣になってやろうなどと、そんなさもしい根性は持っていない。

私は、ただ、あの人から離れたくないのだ。

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私は、ただ、あの人から離れたくないのだ。

ただ、あの人の傍にいて、あの人の声を聞き、あの人の姿を眺めていられればそれでいいのだ。

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ただ、あの人の傍にいて、あの人の声を聞き、あの人の姿を眺めて居ればそれでよいのだ。

そうして、できればあの人に説教などをやめてもらい、私とたった二人きりで一生長く生きていてもらいたいのだ。

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そうして、出来ればあの人に説教などを止してもらい、私とたった二人きりで一生永く生きていてもらいたいのだ。

あああ、そうなったら!

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あああ、そうなったら!

私はどんなに幸せだろう。

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 私はどんなに仕合せだろう。

私は今の、この、現世の喜びだけを信じる。

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私は今の、此の、現世の喜びだけを信じる。

次の世の審判など、私は少しも怖れていない。

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次の世の審判など、私は少しも怖れていない。

あの人は、私のこの無報酬の、純粋の愛情を、どうして受け取ってくださらないのか。

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あの人は、私の此の無報酬の、純粋の愛情を、どうして受け取って下さらぬのか。

ああ、あの人を殺してください。

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ああ、あの人を殺して下さい。

旦那さま。

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旦那さま。

私はあの人の居場所を知っています。

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私はあの人の居所を知って居ります。

ご案内いたします。

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御案内申し上げます。

あの人は私をさげすみ、憎んでいます。

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あの人は私をいやしめ、憎悪して居ります。

私は、きらわれています。

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私は、きらわれて居ります。

私はあの人や、弟子たちのパンの世話をして、日々の飢えと渇きから救ってあげているのに、どうして私を、あんなに意地悪く軽蔑するのでしょう。

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私はあの人や、弟子たちのパンのお世話を申し、日日の飢渇から救ってあげているのに、どうして私を、あんなに意地悪く軽蔑するのでしょう。

お聞きください。

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お聞き下さい。

六日まえのことでした。

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六日まえのことでした。

あの人はベタニヤのシモンの家で食事をなさっていたとき、あの村のマルタめの妹のマリヤが、ナルドの香油をいっぱいに満たした石膏の壺をかかえて宴の部屋にこっそり入って来て、いきなり、その油をあの人の頭にざぶりと注いで足まで濡らしてしまって、それでも、その失礼を詫びるどころか、落ち着いてしゃがみ、マリヤ自身の髪の毛で、あの人の濡れた両足をていねいに拭ってあげて、香油の匂いが部屋に立ちこめ、まことに異様な光景でしたので、私は、なんだかやたらに腹が立ってきて、失礼なことをするな!

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あの人はベタニヤのシモンの家で食事をなさっていたとき、あの村のマルタの妹のマリヤが、ナルドの香油を一ぱい満たして在る石膏せっこうの壺をかかえて饗宴の室にこっそり這入はいって来て、だしぬけに、その油をあの人の頭にざぶと注いで御足まで濡らしてしまって、それでも、その失礼をびるどころか、落ちついてしゃがみ、マリヤ自身の髪の毛で、あの人の濡れた両足をていねいに拭ってあげて、香油の匂いが室に立ちこもり、まことに異様な風景でありましたので、私は、なんだか無性に腹が立って来て、失礼なことをするな!

と、その妹娘に怒鳴ってやりました。

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 と、その妹娘に怒鳴ってやりました。

これ、このようにお着物が濡れてしまったではないか、それに、こんな高価な油をぶちまけてしまって、もったいないと思わないか、お前はなんという馬鹿な奴だ。

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これ、このようにお着物が濡れてしまったではないか、それに、こんな高価な油をぶちまけてしまって、もったいないと思わないか、なんというお前は馬鹿な奴だ。

これだけの油だったら、三百デナリもするではないか、この油を売って、三百デナリ儲けて、その金を貧しい人に施してやったら、どんなに貧しい人が喜ぶかしれない。

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これだけの油だったら、三百デナリもするではないか、この油を売って、三百デナリもうけて、その金をば貧乏人に施してやったら、どんなに貧乏人が喜ぶか知れない。

無駄なことをしては困るね、と私は、さんざん叱ってやりました。

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無駄なことをしては困るね、と私は、さんざ叱ってやりました。

すると、あの人は、私のほうをきっと見て、「この女を叱ってはいけない。この女の人は、大変いいことをしてくれたのだ。貧しい人にお金を施すのは、おまえたちには、これから先いつでも出来ることではないか。私には、もう施しが出来なくなっているのだ。そのわけは言うまい。この女の人だけは知っている。この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬りの備えをしてくれたのだ。おまえたちも覚えておくがよい。全世界、どこの土地でも、私の短い一生が言い伝えられるところには、必ず、この女の今日のふるまいも記念として語り伝えられるだろう」

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すると、あの人は、私のほうをっと見て、「この女を叱ってはいけない。この女のひとは、大変いいことをしてくれたのだ。貧しい人にお金を施すのは、おまえたちには、これからあとあと、いくらでも出来ることではないか。私には、もう施しが出来なくなっているのだ。そのわけは言うまい。この女のひとだけは知っている。この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬いの備えをしてくれたのだ。おまえたちも覚えて置くがよい。全世界、どこの土地でも、私の短い一生を言い伝えられる処には、必ず、この女の今日の仕草も記念として語り伝えられるであろう」

そう言い終えたとき、あの人の青白い頬はいくぶん、上気して赤くなっていました。

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そう言い結んだ時に、あの人の青白い頬は幾分、上気して赤くなっていました。

私は、あの人の言葉を信じません。

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私は、あの人の言葉を信じません。

いつものように大袈裟なお芝居だと思い、平気で聞き流すことが出来ましたが、それよりも、そのとき、あの人の声に、また、あの人の瞳の色に、いままでかつて無かったほどの異様なものが感じられ、私は一瞬戸惑って、さらにあの人のわずかに赤らんだ頬と、うすく涙に潤んでいる瞳とを、つくづく見直して、はっと思い当たることがありました。

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れいに依って大袈裟おおげさなお芝居であると思い、平気で聞き流すことが出来ましたが、それよりも、その時、あの人の声に、また、あの人の瞳の色に、いままでつて無かった程の異様なものが感じられ、私は瞬時戸惑いして、更にあの人のかすかに赤らんだ頬と、うすく涙に潤んでいる瞳とを、つくづく見直し、はッと思い当ることがありました。

ああ、忌まわしい、口に出すだけでもこの上なく悔しいことです。

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ああ、いまわしい、口に出すさえ無念至極のことであります。

あの人は、こんな貧しい百姓女に恋、ではないが、まさか、そんなことは絶対に無いのですが、でも、危ない、それに似たあやしい感情を抱いたのではないか?

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あの人は、こんな貧しい百姓女に恋、では無いが、まさか、そんな事は絶対に無いのですが、でも、危い、それに似たあやしい感情を抱いたのではないか?

あの人ともあろうものが。

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 あの人ともあろうものが。

あんな無知な百姓女ふぜいに、ほんの少しでも特別な愛を感じたとあれば、それは、なんという失態。

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あんな無智な百姓女ふぜいに、そよとでも特殊な愛を感じたとあれば、それは、なんという失態。

取り返しのつかない大醜聞。

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取りかえしの出来ぬ大醜聞。

私は、人の恥になるような感情を嗅ぎわけるのが、生まれつき巧みな男です。

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私は、ひとの恥辱となるような感情をぎわけるのが、生れつき巧みな男であります。

自分でもそれを下品な嗅覚だと思い、いやなのですが、ちらと一目見ただけで、人の弱点を、誤りなく見抜いてしまう鋭敏な才能を持っています。

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自分でもそれを下品な嗅覚きゅうかくだと思い、いやでありますが、ちらと一目見ただけで、人の弱点を、あやまたず見届けてしまう鋭敏の才能を持って居ります。

あの人が、たとえかすかにでも、あの無学な百姓女に、特別の感情を動かしたということは、やっぱり間違いありません。

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あの人が、たとえ微弱にでも、あの無学の百姓女に、特別の感情を動かしたということは、やっぱり間違いありません。

私の眼に狂いがあるはずがない。

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私の眼には狂いが無い筈だ。

たしかにそうだ。

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たしかにそうだ。

ああ、我慢ならない。

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ああ、我慢ならない。

辛抱ならない。

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堪忍ならない。

私は、あの人も、こんなていたらくでは、もう駄目だと思いました。

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私は、あの人も、こんなていたらくでは、もはや駄目だと思いました。

醜態の極みだと思いました。

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醜態の極だと思いました。

あの人はこれまで、どんなに女に好かれても、いつでも美しく、水のように静かだった。

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あの人はこれまで、どんなに女に好かれても、いつでも美しく、水のように静かであった。

少しも取り乱すことが無かったのだ。

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いささかも取り乱すことが無かったのだ。

ヤキがまわった。

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ヤキがまわった。

だらしがねえ。

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だらしが無え。

あの人だってまだ若いのだし、それは無理もないと言えるかもしれないけれど、それなら私だって同じ年だ。

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あの人だってまだ若いのだし、それは無理もないと言えるかも知れぬけれど、そんなら私だって同じ年だ。

しかも、あの人より二か月おそく生まれているのだ。

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しかも、あの人より二月ふたつきおそく生れているのだ。

若さに変わりがあるはずがない。

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若さに変りは無い筈だ。

それでも私は耐えている。

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それでも私は堪えている。

あの人ひとりに心を捧げ、これまでどんな女にも心を動かしたことは無いのだ。

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あの人ひとりに心を捧げ、これ迄どんな女にも心を動かしたことは無いのだ。

マルタの妹のマリヤは、姉のマルタが骨組みも頑丈で牛のように大きく、気性も荒く、どたばた立ち働くのだけが取り柄で、何の見どころも無い百姓女ですが、あれは違って骨も細く、皮膚は透きとおるほどの青白さで、手足もふっくらして小さく、湖水のように深く澄んだ大きい眼が、いつも夢みるように、うっとり遠くを眺めていて、あの村では皆が不思議がるほどの気高い娘でした。

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マルタの妹のマリヤは、姉のマルタが骨組頑丈で牛のように大きく、気象も荒く、どたばた立ち働くのだけが取柄で、なんの見どころも無い百姓女でありますが、あれは違って骨も細く、皮膚は透きとおる程の青白さで、手足もふっくらして小さく、湖水のように深く澄んだ大きい眼が、いつも夢みるように、うっとり遠くを眺めていて、あの村では皆、不思議がっているほどの気高い娘でありました。

私だって思っていたのだ。

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私だって思っていたのだ。

町へ出たとき、何か白絹でも、こっそり買ってきてやろうと思っていたのだ。

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町へ出たとき、何か白絹でも、こっそり買って来てやろうと思っていたのだ。

ああ、もう、わからなくなりました。

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ああ、もう、わからなくなりました。

私は何を言っているのだ。

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私は何を言っているのだ。

そうだ、私は悔しいのです。

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そうだ、私は口惜しいのです。

何のわけだか、わからない。

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なんのわけだか、わからない。

地団駄を踏むほど悔しくてたまらないのです。

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地団駄踏むほど無念なのです。

あの人が若いなら、私だって若い。

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あの人が若いなら、私だって若い。

私は才能もある、家も畑もある立派な青年です。

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私は才能ある、家も畠もある立派な青年です。

それでも私は、あの人のために私の特権を全部捨ててきたのです。

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それでも私は、あの人のために私の特権全部を捨てて来たのです。

だまされた。

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だまされた。

あの人は、嘘つきだ。

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あの人は、嘘つきだ。

旦那さま。

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旦那さま。

あの人は、私の女をとったのだ。

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あの人は、私の女をとったのだ。

いや、ちがった!

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いや、ちがった!

あの女が、私からあの人を奪ったのだ。

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 あの女が、私からあの人を奪ったのだ。

ああ、それもちがう。

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ああ、それもちがう。

私の言うことは、みんなでたらめだ。

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私の言うことは、みんな出鱈目だ。

一言も信じないでください。

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一言も信じないで下さい。

わからなくなりました。

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わからなくなりました。

ごめんなさい。

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ごめん下さいまし。

つい根も葉も無いことを申しました。

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ついつい根も葉も無いことを申しました。

そんな浅はかな事実など、みじんも無いのです。

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そんな浅墓な事実なぞ、みじんも無いのです。

醜いことを口走りました。

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醜いことを口走りました。

だけれども、私は、悔しいのです。

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だけれども、私は、口惜しいのです。

胸を掻きむしりたいほど、悔しかったのです。

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胸を掻きむしりたいほど、口惜しかったのです。

何のわけだか、わかりません。

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なんのわけだか、わかりませぬ。

ああ、ジェラシィというのは、なんてやりきれない悪徳だ。

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ああ、ジェラシィというのは、なんてやりきれない悪徳だ。

私がこんなに、命を捨てるほどの思いであの人を慕い、今日までつき従ってきたのに、私には一つの優しい言葉もくださらず、かえってあんな卑しい百姓女の身の上を、頬を染めてまでかばってやりなさった。

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私がこんなに、命を捨てるほどの思いであの人を慕い、きょうまでつきしたがって来たのに、私には一つの優しい言葉も下さらず、かえってあんな賤しい百姓女の身の上を、御頬を染めて迄かばっておやりなさった。

ああ、やっぱり、あの人はだらしない。

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ああ、やっぱり、あの人はだらしない。

ヤキがまわった。

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ヤキがまわった。

もう、あの人には見込みがない。

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もう、あの人には見込みがない。

凡人だ。

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凡夫だ。

ただの人だ。

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ただの人だ。

死んだって惜しくはない。

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死んだって惜しくはない。

そう思ったら私は、ふいに恐ろしいことを考えるようになりました。

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そう思ったら私は、ふいと恐ろしいことを考えるようになりました。

悪魔に魅入られたのかもしれません。

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悪魔にこまれたのかも知れませぬ。

そのとき以来、あの人を、いっそ私の手で殺してあげようと思いました。

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そのとき以来、あの人を、いっそ私の手で殺してあげようと思いました。

いずれは殺されるお方に違いない。

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いずれは殺されるお方にちがいない。

またあの人だって、無理に自分を殺させるように仕向けているみたいな様子が、ちらちら見える。

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またあの人だって、無理に自分を殺させるように仕向けているみたいな様子が、ちらちら見える。

私の手で殺してあげる。

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私の手で殺してあげる。

他人の手で殺させたくはない。

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他人の手で殺させたくはない。

あの人を殺して私も死ぬ。

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あの人を殺して私も死ぬ。

旦那さま、泣いたりしてお恥ずかしく思います。

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旦那さま、泣いたりしてお恥ずかしゅう思います。

はい、もう泣きません。

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はい、もう泣きませぬ。

はい、はい。

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はい、はい。

落ち着いて申し上げます。

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落ちついて申し上げます。

その翌日、私たちはいよいよあこがれのエルサレムに向かって、出発しました。

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そのあくる日、私たちは愈愈いよいよあこがれのエルサレムに向い、出発いたしました。

大群衆が、老いも若きも、あの人のあとにつき従い、やがて、エルサレムの宮が間近になったころ、あの人は、一匹の老いぼれた驢馬を道ばたで見つけて、微笑してそれに乗り、これこそは、「シオンの娘よ、恐れるな、見よ、あなたの王は驢馬の子に乗って来られる」

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大群集、老いも若きも、あの人のあとにつき従い、やがて、エルサレムの宮が間近になったころ、あの人は、一匹の老いぼれた驢馬ろばを道ばたで見つけて、微笑してそれに打ち乗り、これこそは、「シオンの娘よ、おそるな、視よ、なんじの王は驢馬ろばの子に乗りて来り給う」

と予言されているとおりの姿なのだと、弟子たちに誇らしげな顔をして教えましたが、私ひとりは、なんだか浮かない気持でした。

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と予言されてある通りの形なのだと、弟子たちに晴れがましい顔をして教えましたが、私ひとりは、なんだか浮かぬ気持でありました。

なんという、あわれな姿だったでしょう。

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なんという、あわれな姿であったでしょう。

待ちに待った過越の祭、エルサレム宮に乗り込む、これが、あのダビデの御子の姿だったのか。

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待ちに待った過越すぎこしの祭、エルサレム宮に乗り込む、これが、あのダビデの御子の姿であったのか。

あの人が一生の念願とした晴れの姿は、この老いぼれた驢馬にまたがり、とぼとぼ進むあわれな眺めだったのか。

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あの人の一生の念願とした晴れの姿は、この老いぼれた驢馬にまたがり、とぼとぼ進むあわれな景観であったのか。

私には、もう、哀れみ以外のものは感じられなくなりました。

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私には、もはや、憐憫れんびん以外のものは感じられなくなりました。

実に悲惨で愚かしい茶番狂言を見ているような気がして、ああ、もう、この人も落ち目だ。

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実に悲惨な、愚かしい茶番狂言を見ているような気がして、ああ、もう、この人も落目だ。

一日生き延びれば、生き延びただけ、浅はかな醜態をさらすだけだ。

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一日生き延びれば、生き延びただけ、あさはかな醜態をさらすだけだ。

花は、しぼまないうちこそ、花である。

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花は、しぼまぬうちこそ、花である。

美しいうちに、切らなければならない。

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美しい間に、らなければならぬ。

あの人を、一番愛しているのは私だ。

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あの人を、一ばん愛しているのは私だ。

どんなに人から憎まれてもいい。

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どのように人から憎まれてもいい。

一日も早くあの人を殺してあげなければならないと、私は、いよいよこのつらい決心を固めるだけでした。

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一日も早くあの人を殺してあげなければならぬと、私は、いよいよ此のつらい決心を固めるだけでありました。

群衆は、刻一刻とその数を増し、あの人の通る道々に、赤、青、黄、色とりどりの自分たちの着物をほうり投げ、あるいは棕櫚の枝を切って、その行く道に敷きつめてあげて、歓呼にどよめきながら迎えるのでした。

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群集は、刻一刻とその数を増し、あの人の通る道々に、赤、青、黄、色とりどりの彼等の着物をほうり投げ、あるいは棕櫚しゅろの枝をって、その行く道に敷きつめてあげて、歓呼にどよめき迎えるのでした。

前を行き、あとに従い、右から、左から、まつわりつくようにして、果ては大波のように、驢馬とあの人をゆさぶり、ゆさぶり、「ダビデの子にホサナ、ほめたたえよ、主の御名によって来る者を、いと高きところで、ホサナ」

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かつ前にゆき、あとに従い、右から、左から、まつわりつくようにして果ては大浪の如く、驢馬とあの人をゆさぶり、ゆさぶり、「ダビデの子にホサナ、むべきかな、主の御名によりて来る者、いと高き処にて、ホサナ」

と熱狂して口々に歌うのでした。

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と熱狂して口々に歌うのでした。

ペテロやヨハネやバルトロマイ、そのほか全部の弟子ども、馬鹿な奴らは、もう天国を目の前に見たかのように、まるで凱旋する将軍につき従っているかのように、有頂天の歓喜で互いに抱き合い、涙に濡れた接吻を交わし、一徹者のペテロなど、ヨハネを抱きかかえたまま、わあわあ大声で嬉し泣きに泣き崩れていました。

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ペテロやヨハネやバルトロマイ、そのほか全部の弟子共は、ばかなやつ、すでに天国を目のまえに見たかのように、まるで凱旋がいせんの将軍につき従っているかのように、有頂天の歓喜で互いに抱き合い、涙に濡れた接吻を交し、一徹者のペテロなど、ヨハネを抱きかかえたまま、わあわあ大声で嬉し泣きに泣き崩れていました。

その有様を見ているうちに、さすがに私も、この弟子たちと一緒に苦難をおして布教に歩いてきた、その苦しさに耐えた貧しい日々を思い出し、思わず、目頭が熱くなってきました。

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その有様を見ているうちに、さすがに私も、この弟子たちと一緒に艱難かんなんを冒して布教に歩いて来た、その忍苦困窮の日々を思い出し、不覚にも、目がしらが熱くなって来ました。

こうしてあの人は宮に入り、驢馬から降りて、何を思ったか、縄を拾ってそれを振りまわし、宮の境内の、両替をする者の台や、鳩を売る者の腰掛けなどを打ち倒し、また、売り物に出ている牛、羊も、その縄の鞭で全部、宮から追い出して、境内にいる大勢の商人たちに向かって、「おまえたち、みんな出て行け、私の父の家を、商いの家にしてはならない」

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かくしてあの人は宮に入り、驢馬から降りて、何思ったか、縄を拾いこれを振りまわし、宮の境内の、両替する者の台やら、鳩売る者の腰掛けやらを打ち倒し、また、売り物に出ている牛、羊をも、その縄のむちでもって全部、宮から追い出して、境内にいる大勢の商人たちに向い、「おまえたち、みな出て失せろ、私の父の家を、商いの家にしてはならぬ」

と甲高い声で怒鳴るのでした。

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甲高かんだかい声で怒鳴るのでした。

あの優しいお方が、こんな酔っぱらいのような、つまらない乱暴を働くとは、どうしても少し気がふれているとしか、私には思えませんでした。

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あの優しいお方が、こんな酔っぱらいのような、つまらぬ乱暴を働くとは、どうしても少し気がふれているとしか、私には思われませんでした。

傍の人もみんな驚いて、これはどうしたことですか、とあの人に尋ねると、あの人が息せき切って答えるには、「おまえたち、この宮をこわしてしまえ、私は三日のうちに、また建て直してあげるから」

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傍の人もみな驚いて、これはどうしたことですか、とあの人に訊ねると、あの人の息せき切って答えるには、「おまえたち、この宮をこわしてしまえ、私は三日の間に、また建て直してあげるから」

ということだったので、さすがに愚直な弟子たちも、あまりに無鉄砲なその言葉には、信じきれず、ぽかんとしてしまいました。

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ということだったので、さすが愚直の弟子たちも、あまりに無鉄砲なその言葉には、信じかねて、ぽかんとしてしまいました。

けれども私は知っていました。

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けれども私は知っていました。

結局はあの人の、幼い強がりに違いない。

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所詮しょせんはあの人の、幼い強がりにちがいない。

あの人の信仰とやらがあれば、何事も成し遂げられないことは無いという気概を、人々に見せたかったのに違いないのです。

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あの人の信仰とやらでもって、万事成らざるは無しという気概のほどを、人々に見せたかったのに違いないのです。

それにしても、縄の鞭を振りあげて、無力な商人を追い回したりして、なんて、まあ、けちな強がりでしょう。

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それにしても、縄の鞭を振りあげて、無力な商人を追い廻したりなんかして、なんて、まあ、けちな強がりなんでしょう。

あなたに出来る精いっぱいの反抗は、たったそれだけなのですか、鳩売りの腰掛けを蹴散らすだけのことなのですか、と私はあわれみ笑ってお尋ねしてみたいとさえ思いました。

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あなたに出来る精一ぱいの反抗は、たったそれだけなのですか、鳩売りの腰掛けを蹴散けちらすだけのことなのですか、と私は憫笑びんしょうしておたずねしてみたいとさえ思いました。

もうこの人は駄目なのです。

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もはやこの人は駄目なのです。

破れかぶれなのです。

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破れかぶれなのです。

自重も自愛も忘れてしまった。

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自重自愛を忘れてしまった。

自分の力では、この上もう何も出来ないということを最近そろそろ知り始めた様子なので、あまりぼろが出ないうちに、わざと祭司長に捕えられ、この世からおさらばしたくなってきたのでしょう。

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自分の力では、この上もう何も出来ぬということを此の頃そろそろ知り始めた様子ゆえ、あまりボロの出ぬうちに、わざと祭司長に捕えられ、この世からおさらばしたくなって来たのでありましょう。

私は、それを思ったとき、はっきりあの人を諦めることが出来ました。

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私は、それを思った時、はっきりあの人をあきらめることが出来ました。

そうして、あんな気取り屋の坊ちゃんを、これまで一途に愛してきた私自身の愚かさも、たやすく笑うことが出来ました。

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そうして、あんな気取り屋の坊ちゃんを、これまで一途いちずに愛して来た私自身の愚かさをも、容易に笑うことが出来ました。

やがてあの人は宮に集まる大勢の民を前にして、これまで述べた言葉のうちで一番ひどい、無礼で傲慢な暴言を、めちゃくちゃに、わめき散らしてしまったのです。

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やがてあの人は宮に集る大群の民を前にして、これまで述べた言葉のうちで一ばんひどい、無礼傲慢ごうまんの暴言を、滅茶苦茶に、わめき散らしてしまったのです。

そう、たしかに、やけくそです。

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左様、たしかに、やけくそです。

私はその姿を薄汚くさえ思いました。

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私はその姿を薄汚くさえ思いました。

殺されたがって、うずうずしていやがる。

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殺されたがって、うずうずしていやがる。

「わざわいだ、偽善の学者、パリサイ人たちよ、おまえたちは杯と皿の外側を清めるが、内側は貪欲と放縦で満ちている。

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禍害わざわいなるかな、偽善なる学者、パリサイ人よ、汝らは酒杯さかずきと皿との外を潔くす、然れども内は貪慾どんよくと放縦とにて満つるなり。

わざわいだ、偽善の学者、パリサイ人たちよ、おまえたちは白く塗った墓に似ている、外は美しく見えるけれども、内側は死人の骨とさまざまの汚れで満ちている。

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禍害なるかな、偽善なる学者、パリサイ人よ、汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまのけがれとに満つ。

このようにおまえたちも外は正しく見えるけれども、内側は偽善と不法で満ちているのだ。

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かくのごとく汝らも外は正しく見ゆれども、内は偽善と不法とにて満つるなり。

蛇よ、蝮の子孫よ、おまえたちがどうしてゲヘナの刑罰を逃れられよう。

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蛇よ、まむしすえよ、なんじらいかで、ゲヘナの刑罰を避け得んや。

ああエルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、遣わされた人々を石で撃つ者よ、めんどりがその雛を翼の下に集めるように、私がおまえの子らを集めようとしたことが幾度あったか、それなのに、おまえたちは望まなかった」

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ああエルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、つかわされたる人々を石にて撃つ者よ、牝鶏めんどりのそのひなを翼の下に集むるごとく、我なんじの子らを集めんとしこと幾度ぞや、れど、汝らは好まざりき」

馬鹿なことです。

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馬鹿なことです。

笑わせる。

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噴飯ものだ。

口真似するのさえ、忌まわしい。

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口真似するのさえ、いまわしい。

とんでもないことを言う奴だ。

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たいへんな事を言う奴だ。

あの人は、狂ったのです。

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あの人は、狂ったのです。

まだそのほかに、飢饉があるだの、地震が起こるだの、星は空から落ち、月は光を放たず、地に満ちる人の死骸のまわりに、それをついばむ鷲が集まるだの、人はそのとき嘆き、歯ぎしりをするだろうだの、実に、とんでもない暴言を口から出まかせに言い放ったのです。

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まだそのほかに、饑饉ききんがあるの、地震が起るの、星は空よりち、月は光を放たず、地に満つ人の死骸しがいのまわりに、それをついばむわしが集るの、人はそのとき哀哭なげき切歯はがみすることがあろうだの、実に、とんでも無い暴言を口から出まかせに言い放ったのです。

なんという思慮のないことを、言うのでしょう。

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なんという思慮のないことを、言うのでしょう。

思い上がりもはなはだしい。

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思い上りも甚しい。

馬鹿だ。

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ばかだ。

身のほど知らずだ。

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身のほど知らぬ。

いい気なものだ。

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いい気なものだ。

もう、あの人の罪は、免れない。

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もはや、あの人の罪は、まぬかれぬ。

必ず十字架。

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必ず十字架。

それに決まった。

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それにきまった。

祭司長や民の長老たちが、大祭司カヤパの中庭にこっそり集まって、あの人を殺すことを決議したとか、私はそれを、きのう町の物売りから聞きました。

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祭司長や民の長老たちが、大祭司カヤパの中庭にこっそり集って、あの人を殺すことを決議したとか、私はそれを、きのう町の物売りから聞きました。

もし群衆の目の前であの人を捕えたなら、あるいは群衆が暴動を起こすかもしれないから、あの人と弟子たちだけがいるところを見つけて役所に知らせてくれた者には銀三十を与えるということも、耳にしました。

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もし群集の目前であの人を捕えたならば、あるいは群集が暴動を起すかも知れないから、あの人と弟子たちとだけの居るところを見つけて役所に知らせてくれた者には銀三十を与えるということをも、耳にしました。

もう猶予している時ではない。

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もはや猶予の時ではない。

あの人は、どうせ死ぬのだ。

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あの人は、どうせ死ぬのだ。

ほかの人の手で、下役たちに引き渡されるよりは、私が、それをやろう。

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ほかの人の手で、下役たちに引き渡すよりは、私が、それをそう。

今日まで私が、あの人に捧げたひとすじの愛情の、これが最後の挨拶だ。

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きょうまで私の、あの人に捧げた一すじなる愛情の、これが最後の挨拶だ。

私の義務です。

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私の義務です。

私があの人を売ってやる。

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私があの人を売ってやる。

つらい立場だ。

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つらい立場だ。

誰がこの私のひたむきな愛の行為を、正当に理解してくれるだろうか。

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誰がこの私のひたむきの愛の行為を、正当に理解してくれることか。

いや、誰に理解されなくてもいいのだ。

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いや、誰に理解されなくてもいいのだ。

私の愛は純粋な愛だ。

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私の愛は純粋の愛だ。

人に理解してもらうための愛ではない。

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人に理解してもらう為の愛では無い。

そんな卑しい愛ではないのだ。

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そんなさもしい愛では無いのだ。

私は永遠に、人の憎しみを買うだろう。

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私は永遠に、人の憎しみを買うだろう。

けれども、この純粋な愛の貪欲の前では、どんな刑罰も、どんな地獄の業火も問題ではない。

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けれども、この純粋の愛の貪慾のまえには、どんな刑罰も、どんな地獄の業火も問題でない。

私は私の生き方を生き抜く。

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私は私の生き方を生き抜く。

身震いするほど固く決意しました。

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身震いするほどに固く決意しました。

私は、ひそかによい折を、うかがっていたのです。

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私は、ひそかによき折を、うかがっていたのであります。

いよいよ、お祭りの当日になりました。

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いよいよ、お祭りの当日になりました。

私たち師弟十三人は丘の上の古い料理屋の、薄暗い二階座敷を借りてお祭りの宴会を開くことにしました。

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私たち師弟十三人は丘の上の古い料理屋の、薄暗い二階座敷を借りてお祭りの宴会を開くことにいたしました。

みんな食卓に着いて、さあお祭りの夕食を始めようとしたとき、あの人は、すっと立ち上がり、黙って上着を脱いだので、私たちはいったい何をお始めになるのだろうと不思議に思って見ているうちに、あの人は卓の上の水がめを手に取り、その水がめの水を、部屋の隅にあった小さいたらいに注ぎ入れ、それから純白の手ぬぐいをご自身の腰にまとい、たらいの水で弟子たちの足を順々に洗ってくださったのです。

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みんな食卓に着いて、いざお祭りの夕餐ゆうげを始めようとしたとき、あの人は、つと立ち上り、黙って上衣を脱いだので、私たちは一体なにをお始めなさるのだろうと不審に思って見ているうちに、あの人は卓の上の水甕みずがめを手にとり、その水甕の水を、部屋の隅に在った小さいたらいに注ぎ入れ、それから純白の手巾をご自身の腰にまとい、盥の水で弟子たちの足を順々に洗って下さったのであります。

弟子たちには、その理由がわからず、うろたえて、うろうろするばかりでしたけれど、私には何やら、あの人の秘めた思いがわかるような気がしました。

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弟子たちには、その理由がわからず、度を失って、うろうろするばかりでありましたけれど、私には何やら、あの人の秘めた思いがわかるような気持でありました。

あの人は、寂しいのだ。

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あの人は、寂しいのだ。

極度に気が弱って、いまは、無知で頑固な弟子たちにさえすがりつきたい気持になっているに違いない。

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極度に気が弱って、いまは、無智な頑迷の弟子たちにさえすがりつきたい気持になっているのにちがいない。

かわいそうに。

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可哀想に。

あの人は自分の逃れ難い運命を知っていたのだ。

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あの人は自分の逃れ難い運命を知っていたのだ。

その有様を見ているうちに、私は、突然、激しい嗚咽が喉に突き上げてくるのを覚えた。

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その有様を見ているうちに、私は、突然、強力な嗚咽おえつのどにつき上げて来るのを覚えた。

いきなりあの人を抱きしめ、一緒に泣きたいと思いました。

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矢庭にあの人を抱きしめ、共に泣きたく思いました。

ああ、かわいそうに、あなたを罪人にしてなるものか。

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おう可哀想に、あなたを罪してなるものか。

あなたは、いつでも優しかった。

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あなたは、いつでも優しかった。

あなたは、いつでも正しかった。

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あなたは、いつでも正しかった。

あなたは、いつでも貧しい者の味方だった。

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あなたは、いつでも貧しい者の味方だった。

そうしてあなたは、いつでも光るばかりに美しかった。

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そうしてあなたは、いつでも光るばかりに美しかった。

あなたは、まさしく神の御子だ。

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あなたは、まさしく神の御子だ。

私はそれを知っています。

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私はそれを知っています。

おゆるしください。

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おゆるし下さい。

私はあなたを売ろうとしてこの二、三日、機会をねらっていたのです。

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私はあなたを売ろうとして此の二、三日、機会をねらっていたのです。

もう今はいやだ。

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もう今はいやだ。

あなたを売るなんて、なんという無茶なことを私は考えていたのでしょう。

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あなたを売るなんて、なんという私は無法なことを考えていたのでしょう。

ご安心ください。

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御安心なさいまし。

もう今からは、五百の役人、千の兵隊が来たとしても、あなたのおからだに指一本ふれさせることはない。

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もう今からは、五百の役人、千の兵隊が来たとても、あなたのおからだに指一本ふれさせることは無い。

あなたは、いま、つけねらわれているのです。

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あなたは、いま、つけねらわれているのです。

危ない。

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危い。

いますぐ、ここから逃げましょう。

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いますぐ、ここから逃げましょう。

ペテロも来い、ヤコブも来い、ヨハネも来い、みんな来い。

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ペテロも来い、ヤコブも来い、ヨハネも来い、みんな来い。

私たちの優しい主を守り、一生長く暮していこう、と心の底からの愛の言葉が、口に出しては言えなかったけれど、胸に沸きかえっていました。

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われらの優しい主を護り、一生永く暮して行こう、と心の底からの愛の言葉が、口に出しては言えなかったけれど、胸に沸きかえって居りました。

今日まで感じたことの無かった一種崇高な霊感に打たれ、熱いお詫びの涙が気持よく頬を伝って流れて、やがてあの人は私の足も静かに、ていねいに洗ってくださり、腰にまとっていた手ぬぐいで柔らかく拭いて、ああ、そのときの感触は。

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きょうまで感じたことの無かった一種崇高な霊感に打たれ、熱いお詫びの涙が気持よく頬を伝って流れて、やがてあの人は私の足をも静かに、ていねいに洗って下され、腰にまとって在った手巾で柔かく拭いて、ああ、そのときの感触は。

そうだ、私はあのとき、天国を見たのかもしれない。

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そうだ、私はあのとき、天国を見たのかも知れない。

私の次には、ピリポの足を、その次にはアンデレの足を、そうして、次に、ペテロの足を洗ってくださる順番になったのですが、ペテロは、あのように愚かな正直者ですから、不思議に思う気持を隠しておくことが出来ず、主よ、あなたはどうして私の足などお洗いになるのです。

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私の次には、ピリポの足を、その次にはアンデレの足を、そうして、次に、ペテロの足を洗って下さる順番になったのですが、ペテロは、あのように愚かな正直者でありますから、不審の気持を隠して置くことが出来ず、主よ、あなたはどうして私の足などお洗いになるのです。

と多少不満げに口をとがらせて尋ねました。

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と多少不満げに口をとがらして尋ねました。

あの人は、「ああ、私のすることは、おまえには、わからないだろう。あとで、思い当たることもあるだろう」

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あの人は、「ああ、私のすることは、おまえには、わかるまい。あとで、思い当ることもあるだろう」

と穏やかに言い聞かせ、ペテロの足もとにしゃがんだのですが、ペテロはなおも頑強にそれを拒んで、いいえ、いけません。

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と穏かに言いさとし、ペテロの足もとにしゃがんだのだが、ペテロは尚も頑強にそれを拒んで、いいえ、いけません。

永遠に私の足などお洗いになってはなりません。

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永遠に私の足などお洗いになってはなりませぬ。

もったいない、とその足をひっこめて言い張りました。

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もったいない、とその足をひっこめて言い張りました。

すると、あの人は少し声を張り上げて、「私がもし、おまえの足を洗わないなら、おまえと私とは、もう何の関係も無いことになるのだ」

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すると、あの人は少し声を張り上げて、「私がもし、おまえの足を洗わないなら、おまえと私とは、もう何の関係も無いことになるのだ」

と、ずいぶん思い切った強いことを言いましたので、ペテロは大あわてにあわて、ああ、ごめんなさい、それならば、私の足だけでなく、手も頭も思う存分に洗ってください、と平身低頭して頼み込みましたので、私は思わず噴き出してしまい、ほかの弟子たちも、そっと微笑み、なんだか部屋が明るくなったようでした。

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と随分、思い切った強いことを言いましたので、ペテロは大あわてにあわて、ああ、ごめんなさい、それならば、私の足だけでなく、手も頭も思う存分に洗って下さい、と平身低頭して頼みいりましたので、私は思わず噴き出してしまい、ほかの弟子たちも、そっと微笑ほほえみ、なんだか部屋が明るくなったようでした。

あの人も少し笑いながら、「ペテロよ、足だけ洗えば、もうそれで、おまえの全身は清いのだ、ああ、おまえだけでなく、ヤコブも、ヨハネも、みんな汚れの無い、清いからだになったのだ。けれども」

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あの人も少し笑いながら、「ペテロよ、足だけ洗えば、もうそれで、おまえの全身はきよいのだ、ああ、おまえだけでなく、ヤコブも、ヨハネも、みんな汚れの無い、潔いからだになったのだ。けれども」

と言いかけてすっと腰を伸ばし、一瞬、苦痛に耐えかねるような、とても悲しい眼つきをなさり、すぐにその眼をぎゅっと固くつぶり、つぶったままで言いました。

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と言いかけてすっと腰を伸ばし、瞬時、苦痛に耐えかねるような、とても悲しい眼つきをなされ、すぐにその眼をぎゅっと固くつぶり、つぶったままで言いました。

「みんなが清ければいいのだが」

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「みんなが潔ければいいのだが」

はっと思った。

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はッと思った。

やられた!

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やられた!

私のことを言っているのだ。

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 私のことを言っているのだ。

私があの人を売ろうとたくらんでいた、ほんの少し前までの暗い気持を見抜いていたのだ。

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私があの人を売ろうとたくらんでいた寸刻以前までの暗い気持を見抜いていたのだ。

けれども、そのときは、ちがっていたのだ。

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けれども、その時は、ちがっていたのだ。

断然、私は、ちがっていたのだ!

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断然、私は、ちがっていたのだ!

私は清くなっていたのだ。

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 私は潔くなっていたのだ。

私の心は変わっていたのだ。

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私の心は変っていたのだ。

ああ、あの人はそれを知らない。

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ああ、あの人はそれを知らない。

それを知らない。

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それを知らない。

ちがう!

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ちがう!

ちがいます、と喉まで出かかった絶叫を、私の弱い卑屈な心が、唾を飲み込むように、飲みくだしてしまった。

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 ちがいます、と喉まで出かかった絶叫を、私の弱い卑屈な心が、つばを呑みこむように、呑みくだしてしまった。

言えない。

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言えない。

何も言えない。

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何も言えない。

あの人からそう言われてみれば、私はやはり清くなっていないのかもしれないと気弱く認めてしまうひがんだ気持が頭をもたげ、と思うまにみるみるその卑屈な反省が、醜く、黒くふくれあがり、私の五臓六腑を駆けめぐって、逆にむらむらと憤怒の念が炎を上げて噴き出したのだ。

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あの人からそう言われてみれば、私はやはり潔くなっていないのかも知れないと気弱く肯定するひがんだ気持が頭をもたげ、とみるみるその卑屈の反省が、醜く、黒くふくれあがり、私の五臓六腑ろっぷを駈けめぐって、逆にむらむら憤怒ふんぬの念が炎を挙げて噴出したのだ。

ええっ、だめだ。

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ええっ、だめだ。

私は、だめだ。

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私は、だめだ。

あの人に心の底から、きらわれている。

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あの人に心の底から、きらわれている。

売ろう。

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売ろう。

売ろう。

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売ろう。

あの人を、殺そう。

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あの人を、殺そう。

そうして私も一緒に死ぬのだ、と前からの決意に再び目覚め、私はいまは完全に、復讐の鬼になりました。

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そうして私も共に死ぬのだ、と前からの決意に再び眼覚め、私はいまは完全に、復讐ふくしゅうの鬼になりました。

あの人は、私の内心が、二度も三度も、どんでん返しのように変化した大動乱には、お気づきになることも無かった様子で、やがて上着をまとい服装を整え、ゆったりと席に座り、実に青ざめた顔をして、「私がおまえたちの足を洗ってやったわけを知っているか。おまえたちは私を主と呼び、また師と呼んでいるようだが、それは間違いのないことだ。私はおまえたちの主、また師なのに、それでもなお、おまえたちの足を洗ってやったのだから、おまえたちもこれからは互いに仲良く足を洗い合ってやるように心がけなければならないだろう。私は、おまえたちと、いつまでも一緒にいることが出来ないかもしれないから、いま、この機会に、おまえたちに模範を示してやったのだ。私がやったとおりに、おまえたちも行うように心がけなければならない。師は必ず弟子より優れたものなのだから、よく私の言うことを聞いて忘れないようになさい」

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あの人は、私の内心の、ふたたび三たび、どんでん返して変化した大動乱には、お気づきなさることの無かった様子で、やがて上衣をまとい服装を正し、ゆったりと席に坐り、実にあおざめた顔をして、「私がおまえたちの足を洗ってやったわけを知っているか。おまえたちは私を主とたたえ、また師と称えているようだが、それは間違いないことだ。私はおまえたちの主、または師なのに、それでもなお、おまえたちの足を洗ってやったのだから、おまえたちもこれからは互いに仲好く足を洗い合ってやるように心がけなければなるまい。私は、おまえたちと、いつまでも一緒にいることが出来ないかも知れぬから、いま、この機会に、おまえたちに模範を示してやったのだ。私のやったとおりに、おまえたちも行うように心がけなければならぬ。師は必ず弟子より優れたものなのだから、よく私の言うことを聞いて忘れぬようになさい」

ひどく物憂そうな口調で言って、静かに食事を始め、ふっと、「おまえたちのうちの、一人が、私を売る」

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ひどく物憂そうな口調で言って、音無しく食事を始め、ふっと、「おまえたちのうちの、一人が、私を売る」

と顔を伏せ、うめくような、泣きむせぶような苦しげな声で言い出したので、弟子たちは全員、のけぞらんばかりに驚き、一斉に席を蹴って立ち、あの人のまわりに集まってそれぞれ、主よ、私のことですか、主よ、それは私のことですかと、口々に騒ぎ立て、あの人は死んでいく人のようにかすかに首を振り、「私がいま、その人に一つまみのパンを与えます。その人は、ずいぶん不幸せな男なのです。ほんとうに、その人は、生まれて来なかったほうが、よかった」

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と顔を伏せ、うめくような、歔欷きょきなさるような苦しげの声で言い出したので、弟子たちすべて、のけぞらんばかりに驚き、一斉に席を蹴って立ち、あの人のまわりに集っておのおの、主よ、私のことですか、主よ、それは私のことですかと、ののしり騒ぎ、あの人は死ぬる人のように幽かに首を振り、「私がいま、その人に一つまみのパンを与えます。その人は、ずいぶん不仕合せな男なのです。ほんとうに、その人は、生れて来なかったほうが、よかった」

と意外にはっきりした語調で言って、一つまみのパンを取り腕をのばし、狙いを外さず私の口にぴたりと押し当てました。

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と意外にはっきりした語調で言って、一つまみのパンをとり腕をのばし、あやまたず私の口にひたと押し当てました。

私も、もうすでに度胸がついていたのだ。

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私も、もうすでに度胸がついていたのだ。

恥じるよりは憎んだ。

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恥じるよりは憎んだ。

あの人の今さらながらの意地悪さを憎んだ。

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あの人の今更ながらの意地悪さを憎んだ。

このように弟子たち皆の前で公然と私に恥をかかせるのが、あの人のこれまでのやり方なのだ。

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このように弟子たち皆の前で公然と私を辱かしめるのが、あの人のこれまでの仕来りなのだ。

火と水と。

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火と水と。

永遠に溶け合うことの無い宿命が、私とあいつとの間にあるのだ。

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永遠に解け合う事の無い宿命が、私とあいつとの間に在るのだ。

犬か猫に与えるように、一つまみのパン屑を私の口に押し入れて、それがあいつのせめてもの腹いせだったのか。

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犬か猫に与えるように、一つまみのパン屑を私の口に押し入れて、それがあいつのせめてもの腹いせだったのか。

ははん。

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ははん。

馬鹿な奴だ。

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ばかな奴だ。

旦那さま、あいつは私に、おまえのすることをすみやかにしろと言いました。

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旦那さま、あいつは私に、おまえのすことを速かに為せと言いました。

私はすぐに料理屋から走り出て、夕闇の道をひた走りに走り、たったいまここに参りました。

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私はすぐに料亭から走り出て、夕闇の道をひた走りに走り、ただいまここに参りました。

そうして急いで、このとおり訴え申し上げました。

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そうして急ぎ、このとおり訴え申し上げました。

さあ、あの人を罰してください。

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さあ、あの人を罰して下さい。

どうとでも勝手に、罰してください。

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どうとも勝手に、罰して下さい。

捕えて、棒で殴って素っ裸にして殺すがいい。

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捕えて、棒で殴って素裸にして殺すがよい。

もう、もう私は我慢ならない。

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もう、もう私は我慢ならない。

あれは、いやな奴です。

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あれは、いやな奴です。

ひどい人だ。

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ひどい人だ。

私を今まで、あんなにいじめた。

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私を今まで、あんなにいじめた。

はははは、ちくしょうめ。

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はははは、ちきしょうめ。

あの人はいま、ケデロンの小川の向こう、ゲッセマネの園にいます。

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あの人はいま、ケデロンの小川の彼方、ゲッセマネの園にいます。

もうとっくに、あの二階座敷の夕食もすみ、弟子たちと一緒にゲッセマネの園に行き、いまごろは、きっと天へ祈りを捧げている時刻です。

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もうはや、あの二階座敷の夕餐もすみ、弟子たちと共にゲッセマネの園に行き、いまごろは、きっと天へお祈りを捧げている時刻です。

弟子たちのほかには誰もいません。

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弟子たちのほかには誰も居りません。

今なら難なくあの人を捕えることが出来ます。

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今なら難なくあの人を捕えることが出来ます。

ああ、小鳥が鳴いて、うるさい。

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ああ、小鳥がいて、うるさい。

今夜はどうしてこんなに夜鳥の声が耳につくのでしょう。

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今夜はどうしてこんなに夜鳥の声が耳につくのでしょう。

私がここへ駆け込む途中の森でも、小鳥がピイチク鳴いていました。

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私がここへ駈け込む途中の森でも、小鳥がピイチク啼いて居りました。

夜にさえずる小鳥は、めずらしい。

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夜にさえずる小鳥は、めずらしい。

私は子供のような好奇心で、その小鳥の正体を一目見たいと思いました。

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私は子供のような好奇心でもって、その小鳥の正体を一目ひとめ見たいと思いました。

立ちどまって首をかしげ、木々の梢を透かして見ました。

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立ちどまって首をかしげ、樹々のこずえをすかして見ました。

ああ、私はつまらないことを言っています。

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ああ、私はつまらないことを言っています。

ごめんなさい。

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ごめん下さい。

旦那さま、お支度は出来ましたか。

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旦那さま、お仕度は出来ましたか。

ああ楽しい。

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ああ楽しい。

いい気持。

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いい気持。

今夜は私にとっても最後の夜だ。

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今夜は私にとっても最後の夜だ。

旦那さま、旦那さま、今夜これから私とあの人が立派に肩を接して立ち並ぶ光景を、よく見ておいてください。

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旦那さま、旦那さま、今夜これから私とあの人と立派に肩を接して立ち並ぶ光景を、よく見て置いて下さいまし。

私は今夜あの人と、ちゃんと肩を並べて立ってみせます。

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私は今夜あの人と、ちゃんと肩を並べて立ってみせます。

あの人を怖れることは無いんだ。

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あの人をおそれることは無いんだ。

卑下することは無いんだ。

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卑下することは無いんだ。

私はあの人と同じ年だ。

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私はあの人と同じ年だ。

同じ、すぐれた若者だ。

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同じ、すぐれた若いものだ。

ああ、小鳥の声が、うるさい。

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ああ、小鳥の声が、うるさい。

耳についてうるさい。

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耳についてうるさい。

どうして、こんなに小鳥が騒ぎまわっているのだろう。

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どうして、こんなに小鳥が騒ぎまわっているのだろう。

ピイチクピイチク、何を騒いでいるのでしょう。

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ピイチクピイチク、何を騒いでいるのでしょう。

おや、そのお金は?

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おや、そのお金は?

私にくださるのですか、あの、私に、三十銀。

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 私に下さるのですか、あの、私に、三十銀。

なるほど、はははは。

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なる程、はははは。

いや、お断りしましょう。

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いや、お断り申しましょう。

殴られないうちに、その金をひっこめたらいいでしょう。

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殴られぬうちに、その金ひっこめたらいいでしょう。

金が欲しくて訴え出たのではないんだ。

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金が欲しくて訴え出たのでは無いんだ。

ひっこめろ!

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ひっこめろ!

いいえ、ごめんなさい、いただきましょう。

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 いいえ、ごめんなさい、いただきましょう。

そうだ、私は商人だったのだ。

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そうだ、私は商人だったのだ。

金銭のせいで、私は優美なあの人から、いつも軽蔑されてきたのだった。

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金銭ゆえに、私は優美なあの人から、いつも軽蔑されて来たのだっけ。

いただきましょう。

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いただきましょう。

私は結局、商人だ。

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私は所詮、商人だ。

さげすまれている金銭で、あの人に見事、復讐してやるのだ。

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いやしめられている金銭で、あの人に見事、復讐ふくしゅうしてやるのだ。

これが私に、一番ふさわしい復讐の手段だ。

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これが私に、一ばんふさわしい復讐の手段だ。

ざまあみろ!

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ざまあみろ!

銀三十で、あいつは売られる。

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 銀三十で、あいつは売られる。

私は、ちっとも泣いてなんかいない。

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私は、ちっとも泣いてやしない。

私は、あの人を愛していない。

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私は、あの人を愛していない。

はじめから、みじんも愛していなかった。

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はじめから、みじんも愛していなかった。

はい、旦那さま。

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はい、旦那さま。

私は嘘ばかり申し上げました。

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私は嘘ばかり申し上げました。

私は、金が欲しくてあの人について歩いていたのです。

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私は、金が欲しさにあの人について歩いていたのです。

おお、それに違いない。

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おお、それにちがい無い。

あの人が、ちっとも私に儲けさせてくれないと今夜見極めがついたから、そこは商人、素早く寝返りを打ったのだ。

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あの人が、ちっとも私に儲けさせてくれないと今夜見極めがついたから、そこは商人、素速く寝返りを打ったのだ。

金。

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金。

世の中は金だけだ。

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世の中は金だけだ。

銀三十、なんと素晴らしい。

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銀三十、なんと素晴らしい。

いただきましょう。

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いただきましょう。

私は、けちな商人です。

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私は、けちな商人です。

欲しくてたまらない。

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欲しくてならぬ。

はい、ありがとうございます。

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はい、有難う存じます。

はい、はい。

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はい、はい。

申しおくれました。

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申しおくれました。

私の名は、商人のユダ。

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私の名は、商人のユダ。

へっへ。

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へっへ。

イスカリオテのユダ。

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イスカリオテのユダ。