よめる文庫

阿部一族 現代語訳

森鴎外もりおうがい)・1972

AI生成この訳はAI(claude-opus-5)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-29

従四位下・左近衛少将、越中守を兼ねる細川忠利は、寛永十八年辛巳の春、よそより早く咲く領地肥後国の花を見捨てて、五十四万石の大名らしい晴れがましい行列に前後を囲ませ、南から北へ進む春とともに江戸を目指して参勤の旅に出ようとしていた。ところが思いがけず病にかかり、お抱えの医師の薬も効かず、日に日に重くなるばかりなので、江戸へは出発延期を知らせる飛脚が走ることになった。

原文を見る

じゅ位下いのげ左近衛少将さこんえのしょうしょう越中守えっちゅうのかみ細川忠利ほそかわただとしは、寛永十八年辛巳しんしの春、よそよりは早く咲く領地肥後国ひごのくにの花を見すてて、五十四万石の大名の晴れ晴れしい行列に前後を囲ませ、南より北へ歩みを運ぶ春とともに、江戸を志して参勤さんきんみちに上ろうとしているうち、はからず病にかかって、典医の方剤も功を奏せず、日に増し重くなるばかりなので、江戸へは出発日延べの飛脚が立つ。

徳川将軍は名君の誉れ高い三代目の家光で、島原一揆のときに賊将天草四郎時貞を討ち取って大きな功を立てた忠利の身を気づかい、三月二十日には松平伊豆守・阿部豊後守・阿部対馬守の連名の指示書を作らせ、以策という針医を京都から下らせた。

原文を見る

徳川将軍は名君の誉れの高い三代目の家光で、島原一揆いっきのとき賊将天草あまくさ四郎時貞ときさだを討ち取って大功を立てた忠利の身の上を気づかい、三月二十日には松平伊豆守まつだいらいずのかみ阿部豊後守あべぶんごのかみ阿部対馬守あべつしまのかみの連名の沙汰書さたしょを作らせ、針医以策いさくというものを、京都から下向げこうさせる。

続いて二十二日には、同じく執政三人が署名した指示書を持たせて、曽我又左衛門という侍を上使として派遣した。

原文を見る

続いて二十二日には同じく執政三人の署名した沙汰書を持たせて、曽我又左衛門そがまたざえもんというさむらいを上使につかわす。

大名に対する将軍家の扱いとしては、この上なく丁重なものであった。

原文を見る

大名に対する将軍家の取扱いとしては、鄭重ていちょうをきわめたものであった。

島原征伐がこの年から三年前の寛永十五年の春に平定されてからのち、江戸の屋敷に土地を加えて賜わったり、鷹狩りの鶴を下されたりと、ふだんから礼を尽くしていた将軍家のことであるから、このたびの大病を聞いて、先例の許す限りの見舞いをさせたのももっともである。

原文を見る

島原征伐がこの年から三年前寛永十五年の春平定してからのち、江戸のやしき添地そえちを賜わったり、鷹狩たかがりつるを下されたり、ふだん慇懃いんぎんを尽くしていた将軍家のことであるから、このたびの大病を聞いて、先例の許す限りの慰問をさせたのももっともである。

将軍家がこうした手続きを取る前に、熊本花畑の館では忠利の病が急変し、とうとう三月十七日の申の刻に五十六歳で亡くなった。

原文を見る

将軍家がこういう手続きをする前に、熊本花畑のやかたでは忠利の病がすみやかになって、とうとう三月十七日さるの刻に五十六歳でくなった。

奥方は小笠原兵部大輔秀政の娘を将軍が養女にして嫁がせた人で、今年四十五歳になっている。

原文を見る

奥方は小笠原おがさわら兵部大輔ひょうぶたゆう秀政ひでまさの娘を将軍が養女にしてめあわせた人で、今年四十五歳になっている。

名をお千の方という。

原文を見る

名をおせんかたという。

嫡子の六丸は六年前に元服して将軍家から「光」の字を賜わり、光貞と名のって、従四位下・侍従兼肥後守に任じられている。

原文を見る

嫡子ちゃくし六丸は六年前に元服して将軍家からみつの字を賜わり、光貞みつさだと名のって、従四位下侍従じじゅう肥後守ひごのかみにせられている。

今年十七歳である。

原文を見る

今年十七歳である。

江戸参勤の途中で遠江国の浜松まで帰っていたが、訃報を聞いて引き返した。

原文を見る

江戸参勤中で遠江国とおとうみのくに浜松まで帰ったが、訃音ふいんを聞いて引き返した。

光貞はのちに名を光尚と改めた。

原文を見る

光貞はのち名を光尚みつひさと改めた。

二男の鶴千代は幼いころから立田山の泰勝寺にやってある。

原文を見る

二男鶴千代つるちよは小さいときから立田山の泰勝寺たいしょうじにやってある。

京都妙心寺出身の大淵和尚の弟子になって宗玄と名のっている。

原文を見る

京都妙心寺出身の大淵和尚たいえんおしょうの弟子になって宗玄といっている。

三男の松之助は細川家に古くから縁のある長岡氏に養われている。

原文を見る

三男松之助は細川家に旧縁のある長岡氏に養われている。

四男の勝千代は家臣の南条大膳の養子になっている。

原文を見る

四男勝千代は家臣南条大膳だいぜんの養子になっている。

娘は二人ある。

原文を見る

女子は二人ある。

長女の藤姫は松平周防守忠弘の奥方になっている。

原文を見る

長女藤姫ふじひめは松平周防守すおうのかみ忠弘ただひろの奥方になっている。

二女の竹姫はのちに有吉頼母英長の妻になる人である。

原文を見る

二女竹姫はのちに有吉ありよし頼母たのも英長ひでながの妻になる人である。

弟には、忠利が三斎の三男として生まれたので、四男の中務大輔立孝、五男の刑部興孝、六男の長岡式部寄之の三人がある。

原文を見る

弟には忠利が三斎さんさいの三男に生まれたので、四男中務なかつかさ大輔たゆう立孝たつたか、五男刑部ぎょうぶ興孝おきたか、六男長岡式部寄之よりゆきの三人がある。

妹には、稲葉一通に嫁いだ多羅姫、烏丸中納言光賢に嫁いだ万姫がある。

原文を見る

いもとには稲葉一通かずみちに嫁した多羅姫たらひめ烏丸からすまる中納言ちゅうなごん光賢みつかたに嫁した万姫まんひめがある。

この万姫が産んだ禰々姫が、忠利の嫡子光尚の奥方として嫁いで来るのである。

原文を見る

この万姫の腹に生まれた禰々姫ねねひめが忠利の嫡子光尚の奥方になって来るのである。

目上には、長岡氏を名のる兄が二人、前野・長岡の両家に嫁いだ姉が二人ある。

原文を見る

目上には長岡氏を名のる兄が二人、前野長岡両家に嫁した姉が二人ある。

隠居した三斎宗立もまだ存命で、七十九歳になっている。

原文を見る

隠居三斎宗立そうりゅうもまだ存命で、七十九歳になっている。

この中には嫡子光貞のように江戸にいる者や、京都、そのほか遠国にいる者もあって、その人たちがのちに知らせを受けて嘆いたのとは違い、熊本の館にいた人たちの嘆きは、とりわけ痛切なものであった。

原文を見る

この中には嫡子光貞のように江戸にいたり、また京都、そのほか遠国にいる人だちもあるが、それがのちに知らせを受けてなげいたのと違って、熊本のやかたにいた限りの人だちの歎きは、わけて痛切なものであった。

江戸への急報には六島少吉と津田六左衛門の二人が立った。

原文を見る

江戸への注進には六島少吉むつしましょうきち、津田六左衛門の二人が立った。

三月二十四日には初七日の法要があった。

原文を見る

三月二十四日には初七日しょなぬかの営みがあった。

四月二十八日には、それまで館の居間の床板を剥がして土の中に置いてあった棺を担ぎ上げ、江戸からの指図によって、飽田郡春日村の岫雲院で遺骸を火葬にし、高麗門の外の山に葬った。

原文を見る

四月二十八日にはそれまで館の居間の床板とこいたを引き放って、土中に置いてあったかんき上げて、江戸からの指図さしずによって、飽田郡あきたごおり春日村かすがむら岫雲院しゅううんいん遺骸いがい荼毗だびにして、高麗門こうらいもんの外の山に葬った。

この霊屋の下に、翌年の冬になって護国山妙解寺が建てられ、江戸品川の東海寺から沢庵和尚と同門の啓室和尚が来て住職になり、その啓室和尚が寺内の臨流庵に隠居してから、忠利の二男で出家していた宗玄が天岸和尚と号して跡を継ぐことになるのである。

原文を見る

この霊屋みたまやの下に、翌年の冬になって、護国山ごこくざん妙解寺みょうげじ建立こんりゅうせられて、江戸品川東海寺から沢庵和尚たくあんおしょうの同門の啓室和尚が来て住持になり、それが寺内の臨流庵りんりゅうあんに隠居してから、忠利の二男で出家していた宗玄が、天岸和尚と号して跡つぎになるのである。

忠利の法号は妙解院殿台雲宗伍大居士とつけられた。

原文を見る

忠利の法号は妙解院殿みょうげいんでん台雲宗伍大居士たいうんそうごだいこじとつけられた。

岫雲院で火葬にしたのは、忠利の遺言によるものである。

原文を見る

岫雲院で荼毗だびになったのは、忠利の遺言によったのである。

いつのことであったか、忠利が狩りに出て、この岫雲院で休んで茶を飲んだことがある。

原文を見る

いつのことであったか、忠利が方目狩ばんがりに出て、この岫雲院で休んで茶を飲んだことがある。

そのとき忠利はふと顎ひげが伸びているのに気づいて、住職に剃刀はないかと言った。

原文を見る

そのとき忠利はふと腮髯あごひげの伸びているのに気がついて住持に剃刀かみそりはないかと言った。

住職が盥に水を汲み、剃刀を添えて出した。

原文を見る

住持がたらいに水を取って、剃刀を添えて出した。

忠利は機嫌よく小姓にひげを剃らせながら、住職に言った。

原文を見る

忠利は機嫌きげんよく児小姓こごしょうに髯をらせながら、住持に言った。

「どうだね。この剃刀では死んだ者の頭をずいぶん剃ったことだろうな」

原文を見る

「どうじゃな。この剃刀では亡者もうじゃの頭をたくさん剃ったであろうな」

と言った。

原文を見る

と言った。

住職は何と返事をしていいかわからず、ひどく困った。

原文を見る

住持はなんと返事をしていいかわからぬので、ひどく困った。

このときから忠利は岫雲院の住職と親しくなっていたので、火葬の場所をこの寺に決めたのである。

原文を見る

このときから忠利は岫雲院の住持と心安くなっていたので、荼毗所だびしょをこの寺にきめたのである。

ちょうど火葬の最中であった。

原文を見る

ちょうど荼毗の最中であった。

棺の供をして来ていた家臣たちの中から、「あれ、お鷹が、お鷹が」

原文を見る

ひつぎの供をして来ていた家臣たちの群れに、「あれ、お鷹がお鷹が」

と言う声がした。

原文を見る

と言う声がした。

境内の杉木立に切り取られた鈍い青色の空の下、丸い石の井戸枠の上に笠のように垂れかかった葉桜のさらに上の方を、二羽の鷹が輪を描いて飛んでいたのである。

原文を見る

境内けいだいすぎの木立ちに限られて、鈍い青色をしている空の下、円形の石の井筒いづつの上にかさのように垂れかかっている葉桜の上の方に、二羽の鷹が輪をかいて飛んでいたのである。

人々が不思議がって見ているうちに、二羽は尾と嘴が触れそうなほど前後に連なって、さっと舞い降り、桜の下の井戸の中に入った。

原文を見る

人々が不思議がって見ているうちに、二羽が尾とくちばしと触れるようにあとさきに続いて、さっと落して来て、桜の下の井の中にはいった。

寺の門前でしばらく何か言い争っていた五、六人の中から、二人の男が駆け出して来て井戸端に寄り、石の井戸枠に手をかけて中をのぞいた。

原文を見る

寺の門前でしばらく何かを言い争っていた五六人の中から、二人の男がけ出して、井のはたに来て、石の井筒に手をかけて中をのぞいた。

そのとき鷹はもう水の底深く沈んでしまって、しだの茂みの中に鏡のように光っている水面は、もとどおり平らになっていた。

原文を見る

そのとき鷹は水底深く沈んでしまって、歯朶しだの茂みの中に鏡のように光っている水面は、もうもとの通りに平らになっていた。

二人の男は鷹匠衆であった。

原文を見る

二人の男は鷹匠衆たかじょうしゅうであった。

井戸の底にもぐり込んで死んだのは、忠利が可愛がっていた有明・明石という二羽の鷹であった。

原文を見る

井の底にくぐり入って死んだのは、忠利が愛していた有明ありあけ明石あかしという二羽の鷹であった。

それがわかったとき、人々の間に、「それではお鷹も殉死したのか」

原文を見る

そのことがわかったとき、人々の間に、「それではお鷹も殉死じゅんししたのか」

とささやく声が聞こえた。

原文を見る

とささやく声が聞えた。

殿様が亡くなった当日から一昨日までに殉死した家臣が十人あまりあり、なかでも一昨日は八人が一度に切腹し、昨日も一人が切腹していたので、家中の誰一人として殉死のことを思わずにいる者はなかったのである。

原文を見る

それは殿様がお隠れになった当日から一昨日おとついまでに殉死した家臣が十余人あって、中にも一昨日は八人一時に切腹し、昨日きのうも一人切腹したので、家中誰かちゅうたれにん殉死のことを思わずにいるものはなかったからである。

二羽の鷹がどんな手落ちで鷹匠衆の手を離れたのか、なぜ目に見えない獲物を追うように井戸の中へ飛び込んだのかはわからないが、それを詮索しようなどと思う者は一人もいない。

原文を見る

二羽の鷹はどういう手ぬかりで鷹匠衆の手を離れたか、どうして目に見えぬ獲物えものを追うように、井戸の中に飛び込んだか知らぬが、それを穿鑿せんさくしようなどと思うものは一人もない。

鷹は殿様が可愛がっておられたもので、それが火葬の当日、しかも火葬の場である岫雲院の井戸に入って死んだ——その事実だけで、鷹が殉死したのだと判断するには十分であった。

原文を見る

鷹は殿様のご寵愛ちょうあいなされたもので、それが荼毗の当日に、しかもお荼毗所の岫雲院の井戸にはいって死んだというだけの事実を見て、鷹が殉死したのだという判断をするには十分であった。

それを疑って別の原因を探ろうとする余地はなかったのである。

原文を見る

それを疑って別に原因を尋ねようとする余地はなかったのである。

四十九日の中陰が五月五日に済んだ。

原文を見る

中陰の四十九日が五月五日に済んだ。

それまでは宗玄をはじめとして、既西堂・金両堂・天授庵・聴松院・不二庵などの僧侶が読経を勤めていたのである。

原文を見る

これまでは宗玄をはじめとして、既西堂きせいどう金両堂こんりょうどう天授庵てんじゅあん聴松院ちょうしょういん不二庵ふじあん等の僧侶そうりょ勤行ごんぎょうをしていたのである。

さて五月六日になったが、まだ殉死する人がぽつぽつと出る。

原文を見る

さて五月六日になったが、まだ殉死する人がぽつぽつある。

殉死する本人や親兄弟妻子は言うまでもなく、何の縁もない者まで、京都から来る針医と江戸から下る上使の接待の用意などは上の空でしていて、ただ殉死のことばかり考えている。

原文を見る

殉死する本人や親兄弟妻子は言うまでもなく、なんの由縁ゆかりもないものでも、京都から来るお針医と江戸から下る御上使との接待の用意なんぞはうわの空でしていて、ただ殉死のことばかり思っている。

例年なら軒に挿す端午の菖蒲も摘まず、まして初幟の祝いをする子のある家も、その子が生まれたことを忘れたようにして静まり返っている。

原文を見る

例年のきく端午の菖蒲しょうぶまず、ましてや初幟はつのぼりの祝をする子のある家も、その子の生まれたことを忘れたようにして、静まり返っている。

殉死には、いつどうして決まったともなく、自然に定めが出来ている。

原文を見る

殉死にはいつどうしてきまったともなく、自然におきてが出来ている。

どれほど殿様を大切に思っていようと、誰でも勝手に殉死できるものではない。

原文を見る

どれほど殿様を大切に思えばといって、誰でも勝手に殉死が出来るものではない。

泰平の世の江戸参勤のお供、いざ戦となったときの陣中へのお供と同じで、死出の山・三途の川のお供をするにも、必ず殿様のお許しを得なければならない。

原文を見る

泰平たいへいの世の江戸参勤のお供、いざ戦争というときの陣中へのお供と同じことで、死天しでの山三途さんずの川のお供をするにもぜひ殿様のお許しを得なくてはならない。

その許しもないのに死んでは、それは犬死にである。

原文を見る

その許しもないのに死んでは、それは犬死いぬじにである。

武士は世間の評判が大切だから、犬死にはしない。

原文を見る

武士は名聞みょうもんが大切だから、犬死はしない。

敵陣に飛び込んで討ち死にするのは立派だが、軍令に背いて抜け駆けをして死んでは手柄にならない。

原文を見る

敵陣に飛び込んで討死うちじにをするのは立派ではあるが、軍令にそむいて抜駈ぬけがけをして死んでは功にはならない。

それが犬死にであるのと同じことで、お許しがないのに殉死しては、これも犬死にである。

原文を見る

それが犬死であると同じことで、お許しのないに殉死しては、これも犬死である。

たまにそういう人でも犬死にとならないのは、厚い信頼で結ばれた主君と家臣の間に暗黙の了解があって、口に出したお許しはなくともお許しがあったのと変わらないからである。

原文を見る

たまにそういう人で犬死にならないのは、値遇ちぐうを得た君臣の間に黙契があって、お許しはなくてもお許しがあったのと変らぬのである。

釈迦入滅ののちに起こった大乗の教えは、仏のお許しを受けてはいないが、過去・現在・未来を通じて知らぬことのない仏は、そういう教えが出て来ると知って、あらかじめ許しておいたのだとされている。

原文を見る

仏涅槃ぶつねはんののちに起った大乗の教えは、ほとけのお許しはなかったが、過現未かげんみを通じて知らぬことのない仏は、そういう教えが出て来るものだと知って懸許けんきょしておいたものだとしてある。

お許しがないのに殉死できるというのは、仏自身の口から説かれたのと同じように大乗の教えを説くようなものであろう。

原文を見る

お許しがないのに殉死の出来るのは、金口こんぐで説かれると同じように、大乗の教えを説くようなものであろう。

ではどうやってお許しを得るのかというと、このたび殉死した人々の中の内藤長十郎元続が用いた願い方などがよい例である。

原文を見る

そんならどうしてお許しを得るかというと、このたび殉死した人々の中の内藤長十郎元続もとつぐが願った手段などがよい例である。

長十郎はふだんから忠利の机まわりの用を勤めて格別に目をかけられていた者で、病床を離れずに看病をしていた。

原文を見る

長十郎は平生へいぜい忠利の机廻りの用を勤めて、格別のご懇意をこうむったもので、病床を離れずに介抱をしていた。

もはや回復は望めないと忠利が悟ったとき、長十郎に「臨終が近くなったら、あの『不二』と書いてある大文字の掛物を枕もとにかけてくれ」

原文を見る

もはや本復は覚束おぼつかないと、忠利が悟ったとき、長十郎に「末期まつごが近うなったら、あの不二と書いてある大文字の懸物かけものを枕もとにかけてくれ」

と言いつけておいた。

原文を見る

と言いつけておいた。

三月十七日、容態がしだいに重くなって、忠利が「あの掛物をかけよ」

原文を見る

三月十七日に容態が次第に重くなって、忠利が「あの懸物をかけえ」

と言った。

原文を見る

と言った。

長十郎はそれをかけた。

原文を見る

長十郎はそれをかけた。

忠利はそれを一目見て、しばらく目を閉じていた。

原文を見る

忠利はそれを一目見て、しばらく瞑目めいもくしていた。

それから忠利が「足がだるい」

原文を見る

それから忠利が「足がだるい」

と言った。

原文を見る

と言った。

長十郎が掻巻の裾を静かにまくって忠利の足をさすりながら、忠利の顔をじっと見ると、忠利もじっと見返した。

原文を見る

長十郎は掻巻かいまきすそをしずかにまくって、忠利の足をさすりながら、忠利の顔をじっと見ると、忠利もじっと見返した。

「長十郎、お願いがございます」

原文を見る

「長十郎お願いがござりまする」

「何だ」

原文を見る

「なんじゃ」

「ご病気はいかにも重いようにお見受けしますが、神仏のご加護と良薬の効き目で、一日も早く全快なさるようにと祈っております。それでも万一ということがございます。もしものことがございましたら、どうかこの長十郎めにお供を仰せつけくださいますように」

原文を見る

「ご病気はいかにもご重体のようにはお見受け申しまするが、神仏の加護良薬の功験で、一日も早うご全快遊ばすようにと、祈願いたしておりまする。それでも万一と申すことがござりまする。もしものことがござりましたら、どうぞ長十郎にお供を仰せつけられますように」

こう言いながら、長十郎は忠利の足をそっと持ち上げ、自分の額に押し当てて押しいただいた。

原文を見る

こう言いながら長十郎は忠利の足をそっと持ち上げて、自分のひたいに押し当てて戴いた。

目には涙がいっぱい浮かんでいた。

原文を見る

目には涙が一ぱい浮かんでいた。

「それはいかんぞ」

原文を見る

「それはいかんぞよ」

そう言って忠利は、それまで長十郎と顔を見合わせていたのに、半ば寝返りを打つようにして横を向いた。

原文を見る

こう言って忠利は今まで長十郎と顔を見合わせていたのに、半分寝返りをするようにわきを向いた。

「どうかそうおっしゃらずに」

原文を見る

「どうぞそうおっしゃらずに」

長十郎はまた忠利の足を押しいただいた。

原文を見る

長十郎はまた忠利の足を戴いた。

「いかん、いかん」

原文を見る

「いかんいかん」

顔をそむけたままで言った。

原文を見る

顔をそむけたままで言った。

居並ぶ者の中から、「未熟な身で出過ぎたことを言うな、慎むがよかろう」

原文を見る

列座の者の中から、「弱輩の身をもって推参じゃ、控えたらよかろう」

と言った者がある。

原文を見る

と言ったものがある。

長十郎はこの年十七歳である。

原文を見る

長十郎は当年十七歳である。

「どうか」

原文を見る

「どうぞ」

喉につかえたような声で言って、長十郎は三度目に押しいただいた足を、いつまでも額に当てて放さずにいた。

原文を見る

のどにつかえたような声で言って、長十郎は三度目に戴いた足をいつまでも額に当てて放さずにいた。

「思いの強い奴だな」

原文を見る

「情のこわやつじゃな」

声は怒って叱るようであったが、忠利はこの言葉とともに二度うなずいた。

原文を見る

声はおこってしかるようであったが、忠利はこのことばとともに二度うなずいた。

長十郎は「はっ」

原文を見る

長十郎は「はっ」

と言って、両手で忠利の足を抱えたまま、床の後ろにうつ伏して、しばらく動かずにいた。

原文を見る

と言って、両手で忠利の足をかかえたまま、床の背後うしろ俯伏うつぶして、しばらく動かずにいた。

そのとき長十郎の心の中には、たいへんな難所を越えてようやく行き着くべき所へ行き着いたような、力の抜けた安堵と心の落ち着きとが満ちあふれ、ほかのことは何一つ意識に上らず、備後畳の上に涙がこぼれるのにも気づかなかった。

原文を見る

そのとき長十郎の心のうちには、非常な難所を通って往き着かなくてはならぬ所へ往き着いたような、力のゆるみと心の落着きとが満ちあふれて、そのほかのことは何も意識に上らず、備後畳びんごたたみの上に涙のこぼれるのも知らなかった。

長十郎はまだ若輩で何一つ目立った功績もなかったが、忠利は始終目をかけてそば近くで使っていた。

原文を見る

長十郎はまだ弱輩で何一つきわだった功績もなかったが、忠利は始終目をかけて側近そばちかく使っていた。

酒が好きで、ほかの者なら無礼だとお咎めを受けそうな失敗をしたこともあるのに、忠利は「あれは長十郎がしたのではない、酒がしたのだ」

原文を見る

酒が好きで、別人なら無礼のおとがめもありそうな失錯しっさくをしたことがあるのに、忠利は「あれは長十郎がしたのではない、酒がしたのじゃ」

と言って笑っていた。

原文を見る

と言って笑っていた。

それでその恩に報いなければならない、その過ちを償わなければならないと思い込んでいた長十郎は、忠利の病が重くなってからは、その報恩と償いの道は殉死のほかにないと固く信じるようになった。

原文を見る

それでその恩に報いなくてはならぬ、そのあやまちをつぐのわなくてはならぬと思い込んでいた長十郎は、忠利の病気がおもってからは、その報謝と賠償との道は殉死のほかないとかたく信ずるようになった。

しかし細かにこの男の心の中に立ち入ってみると、自分から進んで殉死しなければならないという気持ちのかたわらに、周りの者は自分を殉死するはずの者だと思っているに違いないから自分は殉死せざるを得ない、という、人にすがって死へ進んでいくような気持ちが、ほとんど同じ強さで存在していた。

原文を見る

しかし細かにこの男の心中に立ち入ってみると、自分の発意で殉死しなくてはならぬという心持ちのかたわら、人が自分を殉死するはずのものだと思っているに違いないから、自分は殉死を余儀なくせられていると、人にすがって死の方向へ進んでいくような心持ちが、ほとんど同じ強さに存在していた。

裏返して言えば、もし自分が殉死せずにいたら恐ろしい屈辱を受けるに違いないと心配していたのである。

原文を見る

反面から言うと、もし自分が殉死せずにいたら、恐ろしい屈辱を受けるに違いないと心配していたのである。

こういう弱みのある長十郎ではあるが、死を恐れる気持ちは少しもない。

原文を見る

こういう弱みのある長十郎ではあるが、死をおそれる念は微塵みじんもない。

だから、どうか殿様に殉死をお許しいただこうという願いは、何ものにも妨げられずに、この男の意志のすべてを占めていたのである。

原文を見る

それだからどうぞ殿様に殉死を許して戴こうという願望がんもうは、何物の障礙しょうがいをもこうむらずにこの男の意志の全幅を領していたのである。

しばらくして長十郎は、両手で持っている殿様の足に力がこもり、少し踏み伸ばされるのを感じた。

原文を見る

しばらくして長十郎は両手で持っている殿様の足に力がはいって少し踏み伸ばされるように感じた。

これはまただるくおなりになったのだと思ったので、また初めのように静かにさすり始めた。

原文を見る

これはまただるくおなりになったのだと思ったので、また最初のようにしずかにさすり始めた。

このとき長十郎の頭に、老いた母と妻のことが浮かんだ。

原文を見る

このとき長十郎の心頭には老母と妻とのことが浮かんだ。

そして殉死した者の遺族は主家から手厚く遇されるということを思い、それなら自分は家族を安泰な立場に置いて、安心して死ぬことができると考えた。

原文を見る

そして殉死者の遺族が主家の優待を受けるということを考えて、それでおのれは家族を安穏な地位において、安んじて死ぬることが出来ると思った。

それと同時に長十郎の顔は晴れ晴れとした表情になった。

原文を見る

それと同時に長十郎の顔は晴れ晴れした気色になった。

四月十七日の朝、長十郎は衣服を改めて母の前に出て、はじめて殉死のことを打ち明け、暇乞いをした。

原文を見る

四月十七日の朝、長十郎は衣服を改めて母の前に出て、はじめて殉死のことを明かして暇乞いとまごいをした。

母は少しも驚かなかった。

原文を見る

母は少しも驚かなかった。

互いに口には出さなかったが、今日は息子が切腹する日だと、母もとうから思っていたからである。

原文を見る

それは互いに口に出しては言わぬが、きょうはせがれが切腹する日だと、母もとうから思っていたからである。

もし切腹しないとでも言ったなら、母はさぞ驚いたことであろう。

原文を見る

もし切腹しないとでも言ったら、母はさぞ驚いたことであろう。

母は、迎えたばかりの嫁が台所にいたのをその席に呼んで、ただ支度ができたかと尋ねた。

原文を見る

母はまだもらったばかりのよめが勝手にいたのをその席へ呼んでただ支度が出来たかと問うた。

嫁はすぐに立って、台所からかねて用意してあった杯と膳を自分の手で運んで出た。

原文を見る

よめはすぐにって、勝手からかねて用意してあった杯盤を自身に運んで出た。

嫁も母と同じように、夫が今日切腹するということをとうから知っていた。

原文を見る

よめも母と同じように、夫がきょう切腹するということをとうから知っていた。

髪をきれいに撫でつけ、ふだん着の中でも上等なものに着替えている。

原文を見る

髪を綺麗きれいでつけて、よい分のふだん着に着換えている。

母も嫁も、改まった真面目な顔をしているのは同じだが、ただ嫁の目のふちが赤くなっているので、台所にいたときに泣いたことがわかる。

原文を見る

母もよめも改まった、真面目まじめな顔をしているのは同じことであるが、ただよめの目のふちが赤くなっているので、勝手にいたとき泣いたことがわかる。

杯と膳が出ると、長十郎は弟の左平次を呼んだ。

原文を見る

杯盤が出ると、長十郎は弟左平次を呼んだ。

四人は黙って杯を酌み交わした。

原文を見る

四人は黙って杯を取り交わした。

杯がひとまわりしたとき、母が言った。

原文を見る

杯が一順したとき母が言った。

「長十郎や。お前の好きな酒だよ。少し過ごしてはどうだね」

原文を見る

「長十郎や。お前の好きな酒じゃ。少し過してはどうじゃな」

「まことにそうでございますな」

原文を見る

「ほんにそうでござりまするな」

と言って、長十郎は微笑を浮かべ、心地よさそうに杯を重ねた。

原文を見る

と言って、長十郎は微笑を含んで、心地ここちよげに杯を重ねた。

しばらくして長十郎が母に言った。

原文を見る

しばらくして長十郎が母に言った。

「よい心持ちに酔いました。先日からあれこれと気を遣いましたせいか、いつもより酒が利いたようでございます。失礼して少し休ませていただきましょう」

原文を見る

「よい心持ちに酔いました。先日からかれこれと心づかいをいたしましたせいか、いつもより酒が利いたようでござります。ご免をこうむってちょっと一休みいたしましょう」

こう言って長十郎は立って居間に入ったが、すぐに部屋の真ん中に転がって、いびきをかき出した。

原文を見る

こう言って長十郎は起って居間にはいったが、すぐに部屋の真ん中に転がって、いびきをかきだした。

妻があとからそっと入って枕を出して当てさせたとき、長十郎は「ううん」

原文を見る

女房があとからそっとはいって枕を出して当てさせたとき、長十郎は「ううん」

とうなって寝返りを打っただけで、またいびきをかき続けている。

原文を見る

とうなって寝返りをしただけで、また鼾をかき続けている。

妻はじっと夫の顔を見ていたが、急にあわてたように立って自分の部屋へ行った。

原文を見る

女房はじっと夫の顔を見ていたが、たちまちあわてたように起って部屋へ往った。

泣いてはならないと思ったのである。

原文を見る

泣いてはならぬと思ったのである。

家はひっそりとしている。

原文を見る

家はひっそりとしている。

主人の決心を母と妻が口に出さずとも知っていたのと同じように、家来も女中も知っていたので、台所からも厩の方からも笑い声などは聞こえない。

原文を見る

ちょうど主人の決心を母と妻とが言わずに知っていたように、家来も女中も知っていたので、勝手からもうまやの方からも笑い声なぞは聞こえない。

母は母の部屋に、嫁は嫁の部屋に、弟は弟の部屋に、じっと物思いに沈んでいる。

原文を見る

母は母の部屋に、よめはよめの部屋に、弟は弟の部屋に、じっと物を思っている。

主人は居間でいびきをかいて寝ている。

原文を見る

主人は居間で鼾をかいて寝ている。

開け放してある居間の窓には、下に風鈴をつけた吊り忍が吊ってある。

原文を見る

あけ放ってある居間の窓には、下に風鈴をつけた吊荵つりしのぶが吊ってある。

その風鈴が、ときおり思い出したようにかすかに鳴る。

原文を見る

その風鈴が折り折り思い出したようにかすかに鳴る。

その下には、丈の高い石の頂を掘りくぼめた手水鉢がある。

原文を見る

その下にはたけの高い石のいただきを掘りくぼめた手水鉢ちょうずばちがある。

その上に伏せてある柄の巻かれた柄杓に、やんまが一匹止まって、羽を山形に垂らしたまま動かずにいる。

原文を見る

その上に伏せてある捲物まきもの柄杓ひしゃくに、やんまが一ぴき止まって、羽を山形に垂れて動かずにいる。

二時間ほどが過ぎる。

原文を見る

一時ひととき立つ。

四時間ほどが過ぎる。

原文を見る

二時ふたとき立つ。

もう昼を過ぎた。

原文を見る

もうひるを過ぎた。

食事の支度は女中に言いつけてあるが、姑が食べると言うかどうかわからないと思って、嫁は聞きに行こうとしながらためらっていた。

原文を見る

食事の支度は女中に言いつけてあるが、しゅうとめが食べると言われるか、どうだかわからぬと思って、よめは聞きに行こうと思いながらためらっていた。

自分だけが食事のことなど考えているように取られはしまいかと、ためらっていたのである。

原文を見る

もし自分だけが食事のことなぞを思うように取られはすまいかとためらっていたのである。

そのとき、かねて介錯を頼まれていた関小平次が来た。

原文を見る

そのときかねて介錯かいしゃくを頼まれていた関小平次が来た。

姑は嫁を呼んだ。

原文を見る

姑はよめを呼んだ。

嫁が黙って手をついて用向きを伺っていると、姑が言った。

原文を見る

よめが黙って手をついて機嫌を伺っていると、姑が言った。

「長十郎は少し休むと言っていたが、ずいぶん時が経つね。ちょうど関殿も来られた。もう起こしてやってはどうだろうね」

原文を見る

「長十郎はちょっと一休みすると言うたが、いかい時が立つような。ちょうど関殿も来られた。もう起こしてやってはどうじゃろうの」

「まことにそうでございます。あまり遅くならない方が」

原文を見る

「ほんにそうでござります。あまり遅くなりません方が」

嫁はこう言って、すぐに立って夫を起こしに行った。

原文を見る

よめはこう言って、すぐにって夫を起しに往った。

夫の居間に来た妻は、さきほど枕をさせたときと同じように、またじっと夫の顔を見ていた。

原文を見る

夫の居間に来た女房は、さきに枕をさせたときと同じように、またじっと夫の顔を見ていた。

死なせるために起こすのだと思うので、しばらくは声をかけかねていたのである。

原文を見る

死なせに起すのだと思うので、しばらくはことばをかけかねていたのである。

熟睡していても、庭から差す昼の明かりがまぶしかったと見えて、夫は窓の方に背を向け、顔をこちらに向けている。

原文を見る

熟睡していても、庭からさす昼の明りがまばゆかったと見えて、夫は窓の方を背にして、顔をこっちへ向けている。

「もし、あなた」

原文を見る

「もし、あなた」

と妻は呼んだ。

原文を見る

と女房は呼んだ。

長十郎は目を覚まさない。

原文を見る

長十郎は目をさまさない。

妻がすり寄って、そびえている肩に手をかけると、長十郎は「あ、ああ」

原文を見る

女房がすり寄って、そびえている肩に手をかけると、長十郎は「あ、ああ」

と言って肘を伸ばし、両目を開けてむっくり起き上がった。

原文を見る

と言ってひじを伸ばして、両眼を開いて、むっくり起きた。

「ずいぶんよくお休みになりました。お袋さまが、あまり遅くなりはしないかとおっしゃいますので、お起こし申しました。それに関様がおいでになりました」

原文を見る

「たいそうよくお休みになりました。お袋さまがあまり遅くなりはせぬかとおっしゃりますから、お起し申しました。それに関様がおいでになりました」

「そうか。それでは昼になったと見える。少しの間のつもりだったが、酔ったのと疲れが出たのとで、時が経つのを知らずにいた。その代わりずいぶん気分がよくなった。茶漬けでも食べて、そろそろ東光院へ行かなければなるまい。お母さまにも申し上げてくれ」

原文を見る

「そうか。それではひるになったと見える。少しの間だと思ったが、酔ったのと疲れがあったのとで、時の立つのを知らずにいた。その代りひどく気分がようなった。茶漬ちゃづけでも食べて、そろそろ東光院へ往かずばなるまい。おあさまにも申し上げてくれ」

武士はいざというときに腹いっぱい食べたりはしない。

原文を見る

武士はいざというときには飽食ほうしょくはしない。

しかしまた、空腹のまま大事に取りかかることもない。

原文を見る

しかしまた空腹で大切なことに取りかかることもない。

長十郎は実際ちょっと寝るつもりだったのだが、思わず気持ちよく寝過ごし、昼になったと聞いたので食事をしようと言ったのである。

原文を見る

長十郎は実際ちょっと寝ようと思ったのだが、覚えず気持よく寝過し、ひるになったと聞いたので、食事をしようと言ったのである。

これから形ばかりではあるが、一家四人がふだんのように膳に向かって昼の食事をした。

原文を見る

これからかたばかりではあるが、一家いっけ四人のものがふだんのようにぜんに向かって、午の食事をした。

長十郎は心静かに支度をして、関を連れて菩提寺の東光院へ腹を切りに行った。

原文を見る

長十郎は心静かに支度をして、関を連れて菩提所ぼだいしょ東光院へ腹を切りに往った。

長十郎が忠利の足を押しいただいて願い出たように、ふだんから目をかけられていた家臣のうちで、これと前後してそれぞれに殉死を願い出て許された者が、長十郎を含めて十八人あった。

原文を見る

長十郎が忠利の足を戴いて願ったように、平生恩顧を受けていた家臣のうちで、これと前後して思い思いに殉死の願いをして許されたものが、長十郎を加えて十八人あった。

いずれも忠利が深く信頼していた侍たちである。

原文を見る

いずれも忠利の深く信頼していた侍どもである。

だから忠利の心としては、この人々を子息の光尚を支えるために残しておきたい気持ちは山々であった。

原文を見る

だから忠利の心では、この人々を子息光尚みつひさの保護のために残しておきたいことは山々であった。

またこの人々を自分と一緒に死なせるのが酷いことだとも、十分に感じていた。

原文を見る

またこの人々を自分と一しょに死なせるのが残刻ざんこくだとは十分感じていた。

しかし彼ら一人ひとりに「許す」

原文を見る

しかし彼ら一人一人に「許す」

という一言を、身を裂かれる思いで与えたのは、そうするほかなかったからである。

原文を見る

という一言を、身をくように思いながら与えたのは、勢いやむことを得なかったのである。

自分がそば近く使っていた彼らが命を惜しむような者でないことを、忠利は信じている。

原文を見る

自分の親しく使っていた彼らが、命を惜しまぬものであるとは、忠利は信じている。

したがって彼らが殉死を苦にしないことも知っている。

原文を見る

したがって殉死を苦痛とせぬことも知っている。

これに対して、もし自分が殉死を許さずにおいて、彼らが生き長らえたらどうなるだろうか。

原文を見る

これに反してもし自分が殉死を許さずにおいて、彼らが生きながらえていたら、どうであろうか。

家中の一同は彼らを、死ぬべきときに死ななかった者、恩知らず、卑怯者として、仲間扱いしないだろう。

原文を見る

家中かちゅう一同は彼らを死ぬべきときに死なぬものとし、恩知らずとし、卑怯者ひきょうものとしてともによわいせぬであろう。

それだけならば、彼らも耐え忍んで、命を光尚に捧げるときが来るのを待つかもしれない。

原文を見る

それだけならば、彼らもあるいは忍んで命を光尚に捧げるときの来るのを待つかも知れない。

しかし、その恩知らず、その卑怯者を、それと知らずに先代の主人が使っていたのだと言う者があったら、それは彼らの耐えられないことであろう。

原文を見る

しかしその恩知らず、その卑怯者をそれと知らずに、先代の主人が使っていたのだと言うものがあったら、それは彼らの忍び得ぬことであろう。

彼らはどんなにか悔しい思いをするだろう。

原文を見る

彼らはどんなにか口惜しい思いをするであろう。

そう思ってみると、忠利は「許す」

原文を見る

こう思ってみると、忠利は「許す」

と言わずにはいられない。

原文を見る

と言わずにはいられない。

そこで病の苦しみにも増して切ない思いをしながら、忠利は「許す」

原文を見る

そこで病苦にも増したせつない思いをしながら、忠利は「許す」

と言ったのである。

原文を見る

と言ったのである。

殉死を許した家臣の数が十八人になったとき、五十余年の長きにわたって乱世と治世を生き抜き、人情にも世渡りにも通じ切っていた忠利は、病の苦しみの中でつくづくと、自分の死と十八人の侍の死について考えた。

原文を見る

殉死を許した家臣の数が十八人になったとき、五十余年の久しい間治乱のうちに身を処して、人情世故せいこにあくまで通じていた忠利は病苦の中にも、つくづく自分の死と十八人の侍の死とについて考えた。

命あるものは必ず滅びる。

原文を見る

しょうあるものは必ず滅する。

老いた木が朽ち枯れるそばで、若木は茂り栄えていく。

原文を見る

老木の朽ち枯れるそばで、若木は茂り栄えて行く。

嫡子の光尚の周りにいる若い者たちから見れば、自分が用いている年寄りたちは、もういなくてよいのである。

原文を見る

嫡子ちゃくし光尚の周囲にいる少壮者わかものどもから見れば、自分の任用している老成人としよりらは、もういなくてよいのである。

邪魔にもなるのである。

原文を見る

邪魔にもなるのである。

自分は彼らを生き長らえさせて、自分に対してしたのと同じ奉公を光尚にさせたいと思うが、その奉公を光尚にする者はもう何人も育っていて、手ぐすねを引いて待っているかもしれない。

原文を見る

自分は彼らを生きながらえさせて、自分にしたと同じ奉公を光尚にさせたいと思うが、その奉公を光尚にするものは、もう幾人も出来ていて、手ぐすね引いて待っているかも知れない。

自分が用いてきた者たちは、長年それぞれの役目を果たしてくるうちに、人の恨みも買っていよう。

原文を見る

自分の任用したものは、年来それぞれの職分を尽くして来るうちに、人のうらみをも買っていよう。

少なくとも妬みの的になっているには違いない。

原文を見る

少くも娼嫉そねみの的になっているには違いない。

そうしてみると、無理に彼らに生き長らえていろと言うのは、物の道理をわきまえた考えではないかもしれない。

原文を見る

そうしてみれば、いて彼らにながらえていろというのは、通達した考えではないかも知れない。

殉死を許してやったのは慈悲だったのかもしれない。

原文を見る

殉死を許してやったのは慈悲であったかも知れない。

そう思って、忠利はいくらか慰められたような心持ちになった。

原文を見る

こう思って忠利は多少の慰藉いしゃを得たような心持ちになった。

殉死を願い出て許された十八人は、寺本八左衛門直次、大塚喜兵衛種次、内藤長十郎元続、太田小十郎正信、原田十次郎之直、宗像加兵衛景定、同じく宗像吉太夫景好、橋谷市蔵重次、井原十三郎吉正、田中意徳、本庄喜助重正、伊藤太左衛門方高、右田因幡統安、野田喜兵衛重綱、津崎五助長季、小林理右衛門行秀、林与左衛門正定、宮永勝左衛門宗佑の人々である。

原文を見る

殉死を願って許された十八人は寺本八左衛門直次なおつぐ、大塚喜兵衛種次たねつぐ、内藤長十郎元続もとつぐ、太田小十郎正信、原田十次郎之直ゆきなお宗像むなかた加兵衛景定かげさだ、同吉太夫きちだゆう景好かげよし、橋谷市蔵重次しげつぐ、井原十三郎吉正よしまさ、田中意徳、本庄喜助重正しげまさ、伊藤太左衛門方高まさたか、右田因幡統安いなばむねやす、野田喜兵衛重綱しげつな、津崎五助長季ながすえ、小林理右衛門行秀ゆきひで、林与左衛門正定まささだ、宮永勝左衛門宗佑むねすけの人々である。

寺本の先祖は、尾張国の寺本に住んでいた寺本太郎という者であった。

原文を見る

寺本が先祖は尾張国おわりのくに寺本に住んでいた寺本太郎というものであった。

太郎の子の内膳正は今川家に仕えた。

原文を見る

太郎の子内膳正ないぜんのしょうは今川家に仕えた。

内膳正の子が左兵衛、左兵衛の子が右衛門佐、右衛門佐の子が与左衛門で、与左衛門は朝鮮出兵のときに加藤嘉明の配下として手柄を立てた。

原文を見る

内膳正の子が左兵衛、左兵衛の子が右衛門佐うえもんのすけ、右衛門佐の子が与左衛門で、与左衛門は朝鮮征伐のとき、加藤嘉明よしあきに属して功があった。

与左衛門の子が八左衛門で、大阪の籠城のときには後藤基次の下で働いたことがある。

原文を見る

与左衛門の子が八左衛門で、大阪籠城ろうじょうのとき、後藤基次もとつぐの下で働いたことがある。

細川家に召し抱えられてからは千石を取り、鉄砲五十挺の頭を務めていた。

原文を見る

細川家にかかえられてから、千石取って、鉄砲五十ちょうかしらになっていた。

四月二十九日に安養寺で切腹した。

原文を見る

四月二十九日に安養寺で切腹した。

五十三歳である。

原文を見る

五十三歳である。

藤本猪左衛門が介錯した。

原文を見る

藤本猪左衛門いざえもん介錯かいしゃくした。

大塚は百五十石取りの横目役である。

原文を見る

大塚は百五十石取りの横目役よこめやくである。

四月二十六日に切腹した。

原文を見る

四月二十六日に切腹した。

介錯は池田八左衛門であった。

原文を見る

介錯は池田八左衛門であった。

内藤のことは前に述べたとおりである。

原文を見る

内藤がことは前に言った。

太田は祖父の伝左衛門が加藤清正に仕えていた。

原文を見る

太田は祖父伝左衛門が加藤清正に仕えていた。

忠広が領地を取り上げられたとき、伝左衛門とその子の源左衛門は浪人となって流浪した。

原文を見る

忠広がほうを除かれたとき、伝左衛門とその子の源左衛門とが流浪るろうした。

小十郎は源左衛門の二男で、小姓として召し出された者である。

原文を見る

小十郎は源左衛門の二男で児小姓こごしょうに召し出された者である。

百五十石を取っていた。

原文を見る

百五十石取っていた。

殉死の先陣を切ったのはこの人で、三月十七日に春日寺で切腹した。

原文を見る

殉死の先登せんとうはこの人で、三月十七日に春日寺かすがでらで切腹した。

十八歳である。

原文を見る

十八歳である。

介錯は門司源兵衛がした。

原文を見る

介錯は門司もじ源兵衛がした。

原田は百五十石取りで、殿のおそば付きを勤めていた。

原文を見る

原田は百五十石取りで、おそばに勤めていた。

四月二十六日に切腹した。

原文を見る

四月二十六日に切腹した。

介錯は鎌田源太夫がした。

原文を見る

介錯は鎌田かまだ源太夫がした。

宗像加兵衛と同じく吉太夫の兄弟は、宗像中納言氏貞の子孫で、父の清兵衛景延の代に召し出された。

原文を見る

宗像加兵衛、同吉太夫きちだゆうの兄弟は、宗像中納言氏貞うじさだ後裔こうえいで、親清兵衛景延かげのぶの代に召し出された。

兄弟いずれも二百石取りである。

原文を見る

兄弟いずれも二百石取りである。

五月二日に、兄は流長院で、弟は蓮政寺で切腹した。

原文を見る

五月二日に兄は流長院、弟は蓮政寺れんしょうじで切腹した。

兄の介錯は高田十兵衛、弟の介錯は村上市右衛門がした。

原文を見る

兄の介錯は高田十兵衛、弟のは村上市右衛門がした。

橋谷は出雲国の人で、尼子氏の末裔である。

原文を見る

橋谷は出雲国いずものくにの人で、尼子あまこ末流ばつりゅうである。

十四歳のときに忠利に召し出され、知行百石のおそば役を勤めて、食事の毒味をしていた。

原文を見る

十四歳のとき忠利に召し出されて、知行百石の側役そばやくを勤め、食事の毒味をしていた。

忠利は病が重くなってから、橋谷の膝を枕にして寝たこともある。

原文を見る

忠利は病が重くなってから、橋谷のひざを枕にして寝たこともある。

四月二十六日に西岸寺で切腹した。

原文を見る

四月二十六日に西岸寺で切腹した。

ちょうど腹を切ろうとしたとき、城の太鼓がかすかに聞こえた。

原文を見る

ちょうど腹を切ろうとすると、城の太鼓がかすかに聞えた。

橋谷は、ついて来ていた家来に、外へ出て何時か聞いて来いと言った。

原文を見る

橋谷はついて来ていた家隷けらいに、外へ出て何時なんどきか聞いて来いと言った。

家来は戻って来て、「終わりの四つだけは聞きましたが、全部で何回打ったかはわかりません」

原文を見る

家隷は帰って、「しまいの四つだけは聞きましたが、総体の桴数ばちかずはわかりません」

と言った。

原文を見る

と言った。

橋谷をはじめ、その場の者がみな微笑んだ。

原文を見る

橋谷をはじめとして、一座の者が微笑ほほえんだ。

橋谷は「最期によく笑わせてくれた」

原文を見る

橋谷は「最期さいごによう笑わせてくれた」

と言って、家来に羽織を脱がせて切腹した。

原文を見る

と言って、家隷に羽織を取らせて切腹した。

吉村甚太夫が介錯した。

原文を見る

吉村甚太夫じんだゆうが介錯した。

井原は俸禄として三人扶持十石を取っていた。

原文を見る

井原は切米きりまい三人扶持ふち十石を取っていた。

切腹したときは、阿部弥一右衛門の家来の林左兵衛が介錯した。

原文を見る

切腹したとき阿部弥一右衛門やいちえもんの家隷林左兵衛が介錯した。

田中は『阿菊物語』を世に残したお菊の孫で、忠利が愛宕山へ学問に通っていたころの幼なじみであった。

原文を見る

田中は阿菊物語おきくものがたりを世に残したお菊が孫で、忠利が愛宕山あたごさんへ学問に往ったときの幼な友達であった。

忠利がそのころ出家しようとしたのを、ひそかに諌めたことがある。

原文を見る

忠利がそのころ出家しようとしたのを、ひそかにいさめたことがある。

のちに知行二百石のおそば役を勤め、計算が達者で役に立った。

原文を見る

のちに知行二百石の側役を勤め、算術が達者で用に立った。

年を取ってからは、主君の前で頭巾をかぶったまま楽な姿勢で座ることを許されていた。

原文を見る

老年になってからは、君前で頭巾ずきんをかむったまま安座することをゆるされていた。

当代の光尚に追腹を願い出ても許されないので、六月十九日に小脇差を腹に突き立ててから願書を出し、とうとう許された。

原文を見る

当代に追腹おいばらを願っても許されぬので、六月十九日に小脇差こわきざしを腹に突き立ててから願書を出して、とうとう許された。

加藤安太夫が介錯した。

原文を見る

加藤安太夫が介錯した。

本庄は丹後国の者で、浪人していたところを三斎公の部屋付きの本庄久右衛門が召し使っていた。

原文を見る

本庄は丹後国たんごのくにの者で、流浪していたのを三斎公の部屋附き本庄久右衛門ほんじょうきゅうえもんが召使っていた。

仲津で乱暴者を取り押さえた功で、五人扶持十五石の俸禄取りに取り立てられた。

原文を見る

仲津で狼藉者ろうぜきものを取り押さえて、五人扶持十五石の切米取きりまいとりにせられた。

本庄を名のったのもそのときからである。

原文を見る

本庄を名のったのもそのときからである。

四月二十六日に切腹した。

原文を見る

四月二十六日に切腹した。

伊藤は奥納戸役を勤めた俸禄取りである。

原文を見る

伊藤は奥納戸役おくおなんどやくを勤めた切米取りである。

四月二十六日に切腹した。

原文を見る

四月二十六日に切腹した。

介錯は河喜多八助がした。

原文を見る

介錯は河喜多かわきた八助がした。

右田は大伴家の浪人で、忠利に知行百石で召し抱えられた。

原文を見る

右田は大伴家おおともけの浪人で、忠利に知行百石で召し抱えられた。

四月二十七日に自宅で切腹した。

原文を見る

四月二十七日に自宅で切腹した。

六十四歳である。

原文を見る

六十四歳である。

松野右京の家来の田原勘兵衛が介錯した。

原文を見る

松野右京の家隷田原勘兵衛が介錯した。

野田は天草の家老、野田美濃の息子で、俸禄取りとして召し出された。

原文を見る

野田は天草の家老野田美濃みのせがれで、切米取りに召し出された。

四月二十六日に源覚寺で切腹した。

原文を見る

四月二十六日に源覚寺で切腹した。

介錯は恵良半衛門がした。

原文を見る

介錯は恵良えら半衛門がした。

津崎のことは別に書く。

原文を見る

津崎のことは別に書く。

小林は二人扶持十石の俸禄取りである。

原文を見る

小林は二人扶持十石の切米取りである。

切腹のときは高野勘右衛門が介錯した。

原文を見る

切腹のとき、高野勘右衛門が介錯した。

林は南郷下田村の百姓であったのを、忠利が十人扶持十五石で召し出し、花畑の館の庭役にした。

原文を見る

林は南郷下田村の百姓であったのを、忠利が十人扶持十五石に召し出して、花畑のやかた庭方にわかたにした。

四月二十六日に仏巌寺で切腹した。

原文を見る

四月二十六日に仏巌寺ぶつがんじで切腹した。

介錯は仲光半助がした。

原文を見る

介錯は仲光なかみつ半助がした。

宮永は二人扶持十石の台所役人で、先代への殉死を願い出た最初の男であった。

原文を見る

宮永は二人扶持十石の台所役人で、先代に殉死を願った最初の男であった。

四月二十六日に浄照寺で切腹した。

原文を見る

四月二十六日に浄照寺じょうしょうじで切腹した。

介錯は吉村嘉右衛門がした。

原文を見る

介錯は吉村嘉右衛門かえもんがした。

この人々の中には、それぞれの家の菩提寺に葬られた者もあるが、高麗門の外の山中にある霊屋のそばに葬られた者もある。

原文を見る

この人々の中にはそれぞれの家の菩提所ぼだいしょに葬られたのもあるが、また高麗門外こうらいもんがいの山中にある霊屋おたまやのそばに葬られたのもある。

俸禄取りの殉死者は割合に人数が多かったが、なかでも津崎五助の話はとりわけ興味深いので、別に書くことにする。

原文を見る

切米取りの殉死者はわりに多人数であったが、中にも津崎五助の事蹟は、きわだって面白いから別に書くことにする。

五助は二人扶持六石の俸禄取りで、忠利の犬を引く役である。

原文を見る

五助は二人扶持六石の切米取りで、忠利の犬牽いぬひきである。

いつも鷹狩りのお供をして、野山で忠利に気に入られていた。

原文を見る

いつも鷹狩の供をして野方のかたで忠利の気に入っていた。

主君にねだるようにして殉死のお許しは受けたが、家老たちは口をそろえて言った。

原文を見る

主君にねだるようにして、殉死のお許しは受けたが、家老たちは皆言った。

「ほかの方々は高い禄をいただいて栄えてこられたが、お前は殿様の犬を引く役ではないか。お前の志は殊勝で、殿様のお許しが出たのはこの上ない誉れだ。もうそれで十分だ。どうか死ぬことだけは思い止まって、当代の殿様にご奉公してくれ」

原文を見る

「ほかの方々は高禄こうろくを賜わって、栄耀えようをしたのに、そちは殿様のお犬牽きではないか。そちが志は殊勝で、殿様のお許しが出たのは、この上もないほまれじゃ。もうそれでよい。どうぞ死ぬることだけは思い止まって、御当主にご奉公してくれい」

と言った。

原文を見る

と言った。

五助はどうしても聞き入れず、五月七日に、いつも引いてお供をした犬を連れて、追廻田畑の高琳寺へ出かけた。

原文を見る

五助はどうしても聴かずに、五月七日にいつもいてお供をした犬を連れて、追廻田畑おいまわしたはた高琳寺こうりんじへ出かけた。

妻は戸口まで見送りに出て、「お前も男です、身分の高い方々に負けないようになさいませ」

原文を見る

女房は戸口まで見送りに出て、「お前も男じゃ、お歴々の衆に負けぬようにおしなされい」

と言った。

原文を見る

と言った。

津崎の家では往生院を菩提寺にしていたが、往生院は主家に由緒のある寺だというので遠慮し、高琳寺を死に場所と決めたのである。

原文を見る

津崎の家では往生院おうじょういんを菩提所にしていたが、往生院はかみのご由緒ゆいしょのあるお寺だというのではばかって、高琳寺を死所しにどころときめたのである。

五助が墓地に入ってみると、かねて介錯を頼んでおいた松野縫殿助が先に来て待っていた。

原文を見る

五助が墓地にはいってみると、かねて介錯を頼んでおいた松野縫殿助ぬいのすけが先に来て待っていた。

五助は肩にかけた浅葱色の袋を下ろし、その中から弁当の行李を出した。

原文を見る

五助は肩にかけた浅葱あさぎふくろをおろしてその中から飯行李めしこうりを出した。

蓋を開けると握り飯が二つ入っている。

原文を見る

ふたをあけると握り飯が二つはいっている。

それを犬の前に置いた。

原文を見る

それを犬の前に置いた。

犬はすぐに食おうともせず、尾を振って五助の顔を見ていた。

原文を見る

犬はすぐに食おうともせず、尾をふって五助の顔を見ていた。

五助は人間に語りかけるように犬に言った。

原文を見る

五助は人間に言うように犬に言った。

「お前は畜生だから知らずにいるかもしれないが、お前の頭を撫でてくださったことのある殿様は、もうお亡くなりになった。それでご恩を受けていた身分の高い方々は、みな今日腹を切ってお供をなさる。おれは身分の低い者だが、扶持をいただいてつないだ命は、あの方々と変わりはない。殿様に可愛がっていただいたありがたさも同じことだ。だからおれは今、腹を切って死ぬのだ。おれが死んでしまったら、お前は今から野良犬になるのだ。おれはそれが不憫でならない。殿様のお供をした鷹は岫雲院で井戸に飛び込んで死んだ。どうだ。お前もおれと一緒に死のうとは思わないか。もし野良犬になっても生きていたいと思うなら、この握り飯を食ってくれ。死にたいと思うなら、食うなよ」

原文を見る

「おぬしは畜生じゃから、知らずにおるかも知れぬが、おぬしの頭をさすって下されたことのある殿様は、もうお亡くなり遊ばされた。それでご恩になっていなされたお歴々は皆きょう腹を切ってお供をなさる。おれは下司げすではあるが、御扶持ごふちを戴いてつないだ命はお歴々と変ったことはない。殿様にかわいがって戴いたありがたさも同じことじゃ。それでおれは今腹を切って死ぬるのじゃ。おれが死んでしもうたら、おぬしは今から野ら犬になるのじゃ。おれはそれがかわいそうでならん。殿様のお供をした鷹は岫雲院しゅううんいんで井戸に飛び込んで死んだ。どうじゃ。おぬしもおれと一しょに死のうとは思わんかい。もし野ら犬になっても、生きていたいと思うたら、この握り飯を食ってくれい。死にたいと思うなら、食うなよ」

こう言って犬の顔を見ていたが、犬は五助の顔ばかり見ていて、握り飯を食おうとはしない。

原文を見る

こう言って犬の顔を見ていたが、犬は五助の顔ばかりを見ていて、握り飯を食おうとはしない。

「それならお前も死ぬか」

原文を見る

「それならおぬしも死ぬるか」

と言って、五助は犬をきっと見つめた。

原文を見る

と言って、五助は犬をきっと見つめた。

犬はひと声鳴いて尾を振った。

原文を見る

犬は一声ひとこえ鳴いて尾をふった。

「よし。それでは不憫だが死んでくれ」

原文を見る

「よい。そんなら不便ふびんじゃが死んでくれい」

こう言って五助は犬を抱き寄せ、脇差を抜いて一刀で刺した。

原文を見る

こう言って五助は犬を抱き寄せて、脇差を抜いて、一刀に刺した。

五助は犬の死骸をかたわらに置いた。

原文を見る

五助は犬の死骸をかたわらへ置いた。

そして懐から一枚の書き物を出し、それを前に広げて、小石を重しにして置いた。

原文を見る

そして懐中から一枚の書き物を出して、それを前にひろげて、小石を重りにして置いた。

誰かの屋敷で歌の会があったときに見覚えたとおり、半紙を横に二つ折りにして、「家老衆はとまれとまれと仰せあれど とめてとまらぬこの五助かな」

原文を見る

誰やらのやしきで歌の会のあったとき見覚えた通りに半紙を横に二つに折って、「家老衆はとまれとまれと仰せあれどとめてとまらぬこの五助かな

と、ふつうの詠草のように書いてある。

原文を見る

と、常の詠草のように書いてある。

署名はしていない。

原文を見る

署名はしてない。

歌の中に五助と名が入っているから二重に名を書かなくてもよいと素直に考えたのが、自然に古くからの作法にかなっていた。

原文を見る

歌の中に五助としてあるから、二重に名を書かなくてもよいと、すなおに考えたのが、自然に故実にかなっていた。

もうこれで何も手落ちはないと思った五助は、「松野様、お頼み申します」

原文を見る

もうこれで何も手落ちはないと思った五助は「松野様、お頼み申します」

と言って、あぐらをかいて肌を押しはだけた。

原文を見る

と言って、安座あんざしてはだをくつろげた。

そして犬の血がついたままの脇差を逆手に持って、「お鷹匠衆はどうなさいましたな、犬引きはただいま参りますぞ」

原文を見る

そして犬の血のついたままの脇差を逆手さかてに持って、「お鷹匠衆たかじょうしゅうはどうなさりましたな、お犬牽いぬひきは只今ただいま参りますぞ」

と大声で言い、ひと声愉快そうに笑って、腹を十文字に切った。

原文を見る

高声たかごえに言って、一声こころよげに笑って、腹を十文字に切った。

松野が後ろから首を打った。

原文を見る

松野が背後うしろから首を打った。

五助は身分の軽い者ではあったが、のちに殉死者の遺族が受けたのと同じだけの手当を、あとに残った後家が受けた。

原文を見る

五助は身分の軽いものではあるが、のちに殉死者の遺族の受けたほどの手当は、あとに残った後家が受けた。

男子が一人いたが、幼いころに出家していたからである。

原文を見る

男子一人は小さいとき出家していたからである。

後家は五人扶持をもらい、新たに家屋敷ももらって、忠利の三十三回忌のときまで存命していた。

原文を見る

後家は五人扶持をもらい、新たに家屋敷をもらって、忠利の三十三回忌のときまで存命していた。

五助の甥の子が二代目の五助となり、それからは代々触組として奉公していた。

原文を見る

五助の甥の子が二代の五助となって、それからは代々触組ふれぐみで奉公していた。

忠利の許しを得て殉死した十八人のほかに、阿部弥一右衛門通信という者があった。

原文を見る

忠利の許しを得て殉死した十八人のほかに、阿部弥一右衛門通信みちのぶというものがあった。

はじめは明石氏を名のり、幼名を猪之助といった。

原文を見る

初めは明石氏あかしうじで、幼名を猪之助いのすけといった。

早くから忠利のそば近くに仕えて、千百石あまりの身分になっている。

原文を見る

はやくから忠利の側近そばちかく仕えて、千百石余の身分になっている。

島原征伐のときには、子供五人のうち三人までが戦功によって新たに二百石ずつをもらった。

原文を見る

島原征伐のとき、子供五人のうち三人まで軍功によって新知二百石ずつをもらった。

この弥一右衛門は、家中の者も殉死するはずだと思っていたし、当人もまた忠利の夜の付き添いに出る順番が来るたびに、殉死したいと願い出た。

原文を見る

この弥一右衛門は家中でも殉死するはずのように思い、当人もまた忠利の夜伽よとぎに出る順番が来るたびに、殉死したいと言って願った。

しかし忠利はどうしても許さない。

原文を見る

しかしどうしても忠利は許さない。

「お前の志は満足に思うが、それよりは生きて光尚に奉公してくれ」

原文を見る

「そちが志は満足に思うが、それよりは生きていて光尚みつひさに奉公してくれい」

と、何度願い出ても、同じことを繰り返して言うのである。

原文を見る

と、何度願っても、同じことを繰り返して言うのである。

だいたい忠利は、弥一右衛門の言うことを聞かない癖がついている。

原文を見る

一体忠利は弥一右衛門の言うことを聴かぬ癖がついている。

これはよほど古くからのことで、まだ猪之助といって小姓を勤めていたころも、猪之助が「お膳を差し上げましょうか」

原文を見る

これはよほど古くからのことで、まだ猪之助といって小姓を勤めていたころも、猪之助が「ごぜんを差し上げましょうか」

と伺うと、「まだ腹は減っていない」

原文を見る

と伺うと、「まだ空腹にはならぬ」

と言う。

原文を見る

と言う。

ほかの小姓が申し上げると、「よし、出させろ」

原文を見る

ほかの小姓が申し上げると、「よい、出させい」

と言う。

原文を見る

と言う。

忠利はこの男の顔を見ると、反対したくなるのである。

原文を見る

忠利はこの男の顔を見ると、反対したくなるのである。

それでは叱られるのかというと、そうでもない。

原文を見る

そんなら叱られるかというと、そうでもない。

この男ほど熱心に勤める者はなく、何事にも気がついて手落ちがないから、叱ろうにも叱りようがない。

原文を見る

この男ほど精勤をするものはなく、万事に気がついて、手ぬかりがないから、叱ろうといっても叱りようがない。

弥一右衛門は、ほかの者なら言いつけられてすることを、言いつけられる前にする。

原文を見る

弥一右衛門はほかの人の言いつけられてすることを、言いつけられずにする。

ほかの者なら伺いを立ててからすることを、伺いを立てずにする。

原文を見る

ほかの人の申し上げてすることを申し上げずにする。

しかもすることはいつも要点を外さず、非の打ちどころがない。

原文を見る

しかしすることはいつも肯綮こうけいにあたっていて、間然すべきところがない。

弥一右衛門は、意地だけで奉公を続けていくようになっている。

原文を見る

弥一右衛門は意地ばかりで奉公して行くようになっている。

忠利ははじめ何とも思わず、ただこの男の顔を見ると反対したくなっただけだったが、のちにはこの男が意地で勤めているのを知って憎らしいと思った。

原文を見る

忠利は初めなんとも思わずに、ただこの男の顔を見ると、反対したくなったのだが、のちにはこの男の意地で勤めるのを知って憎いと思った。

憎いと思いながらも、聡明な忠利は、なぜ弥一右衛門がそうなったのかを振り返ってみて、それは自分が仕向けたのだということに気がついた。

原文を見る

憎いと思いながら、聡明そうめいな忠利はなぜ弥一右衛門がそうなったかと回想してみて、それは自分がしむけたのだということに気がついた。

そして自分の反対する癖を改めようと思いながら、月が重なり年が重なるにつれて、それがしだいに改めにくくなった。

原文を見る

そして自分の反対する癖を改めようと思っていながら、月がかさなり年がかさなるにしたがって、それが次第に改めにくくなった。

人には誰にでも、好きな人と嫌いな人というものがある。

原文を見る

人にはが上にも好きな人、いやな人というものがある。

そして、なぜ好きなのか、なぜ嫌いなのかと探ってみても、どうかすると、これという手がかりが見つからない。

原文を見る

そしてなぜ好きだか、いやだかと穿鑿せんさくしてみると、どうかすると捕捉ほそくするほどのりどころがない。

忠利が弥一右衛門を好かないのも、そういうわけである。

原文を見る

忠利が弥一右衛門を好かぬのも、そんなわけである。

しかし弥一右衛門という男は、どこかに人が親しみにくいところを持っているに違いない。

原文を見る

しかし弥一右衛門という男はどこかに人と親しみがたいところを持っているに違いない。

それは親しい友達が少ないことでわかる。

原文を見る

それは親しい友達の少いのでわかる。

誰もが立派な侍として尊敬はする。

原文を見る

誰でも立派な侍として尊敬はする。

しかし気軽に近づこうとする者がいない。

原文を見る

しかしたやすく近づこうと試みるものがない。

まれに物好きに近づこうとする者があっても、しばらくすると根気が続かなくなって遠ざかってしまう。

原文を見る

まれに物ずきに近づこうと試みるものがあっても、しばらくするうちに根気が続かなくなって遠ざかってしまう。

まだ猪之助といって前髪のあった少年のころ、何度も話しかけたり何かと手を貸してやったりしていた年上の男が、「どうも阿部にはつけ入る隙がない」

原文を見る

まだ猪之助といって、前髪のあったとき、たびたび話をしかけたり、何かに手をしてやったりしていた年上の男が、「どうも阿部にはつけ入るひまがない」

と言って音を上げた。

原文を見る

と言ってを折った。

そのあたりを考えてみれば、忠利が自分の癖を改めたいと思いながら改められなかったのも、不思議ではない。

原文を見る

そこらを考えてみると、忠利が自分の癖を改めたく思いながら改めることの出来なかったのも怪しむに足りない。

ともあれ弥一右衛門が何度願い出ても殉死の許しを得られずにいるうちに、忠利は亡くなった。

原文を見る

とにかく弥一右衛門は何度願っても殉死の許しを得ないでいるうちに、忠利は亡くなった。

亡くなる少し前、「この弥一右衛門めは、お願いということを申し上げたことがございません。これが生涯ただ一度のお願いでございます」

原文を見る

亡くなる少し前に、「弥一右衛門はお願いと申すことを申したことはござりません、これが生涯唯一しょうがいゆいいつのお願いでござります」

と言って、じっと忠利の顔を見ていたが、忠利もじっと見返して、「いや、どうか光尚に奉公してくれ」

原文を見る

と言って、じっと忠利の顔を見ていたが、忠利もじっと顔を見返して、「いや、どうぞ光尚に奉公してくれい」

と言い放った。

原文を見る

と言い放った。

弥一右衛門はつくづく考えて決心した。

原文を見る

弥一右衛門はつくづく考えて決心した。

自分の身分で、この場合に殉死せずに生き残り、家中の者に顔を合わせているなどということは、百人が百人、とうていできないことだと思うだろう。

原文を見る

自分の身分で、この場合に殉死せずに生き残って、家中のものに顔を合わせているということは、百人が百人所詮しょせん出来ぬことと思うだろう。

犬死にと知って切腹するか、浪人になって熊本を去るかのほかに、道はあるまい。

原文を見る

犬死と知って切腹するか、浪人して熊本を去るかのほか、しかたがあるまい。

だが、おれはおれだ。

原文を見る

だがおれはおれだ。

それでいい。

原文を見る

よいわ。

武士は妾とは違う。

原文を見る

武士はめかけとは違う。

主君の気に入らないからといって、立場がなくなるはずはない。

原文を見る

しゅの気に入らぬからといって、立場がなくなるはずはない。

こう思って、一日一日といつものとおりに勤めていた。

原文を見る

こう思って一日一日と例のごとくに勤めていた。

そのうちに五月六日が来て、十八人の者がみな殉死した。

原文を見る

そのうちに五月六日が来て、十八人のものが皆殉死した。

熊本中、ただその噂ばかりである。

原文を見る

熊本中ただそのうわさばかりである。

誰は何と言って死んだ、誰の死にざまが誰よりも見事だった、という話のほかには何の話もない。

原文を見る

誰はなんと言って死んだ、誰の死にようが誰よりも見事であったという話のほかには、なんの話もない。

弥一右衛門は以前から用事以外の話をしかけられることは少なかったが、五月七日からこちらは、御殿の詰所に出ていても、いっそう寂しい。

原文を見る

弥一右衛門は以前から人に用事のほかの話をしかけられたことは少かったが、五月七日からこっちは、御殿の詰所に出ていてみても、一層寂しい。

しかも同役の者が、自分の顔を見ないようにしながら見ているのがわかる。

原文を見る

それに相役が自分の顔を見ぬようにして見るのがわかる。

そっと横から見たり、後ろから見たりするのがわかる。

原文を見る

そっと横から見たり、背後うしろから見たりするのがわかる。

不快でたまらない。

原文を見る

不快でたまらない。

それでも、おれは命が惜しくて生きているのではない、おれをどれほど悪く思う者でも、まさか命を惜しむ男だとは言えまい、たった今でも死んでよいのなら死んでみせる——そう思うので、堂々と首をそらして詰所に出、堂々と首をそらして詰所から下がっていた。

原文を見る

それでもおれは命が惜しくて生きているのではない、おれをどれほど悪く思う人でも、命を惜しむ男だとはまさかに言うことが出来まい、たった今でも死んでよいのなら死んでみせると思うので、昂然こうぜんうなじをそらして詰所へ出て、昂然と項をそらして詰所から引いていた。

二、三日たつと、弥一右衛門の耳にとんでもない噂が入って来た。

原文を見る

二三日立つと、弥一右衛門が耳にけしからん噂が聞え出して来た。

誰が言い出したのかわからないが、「阿部はお許しがないのを幸いに生きているらしい、お許しがなくても追腹は切れないはずがない、阿部の腹の皮は人とは違うと見える、瓢箪に油でも塗って切ればよいのに」

原文を見る

誰が言い出したことか知らぬが、「阿部はお許しのないを幸いに生きているとみえる、お許しはのうても追腹は切られぬはずがない、阿部の腹の皮は人とは違うとみえる、瓢箪ひょうたんに油でも塗って切ればよいに」

というのである。

原文を見る

というのである。

弥一右衛門はそれを聞いて、思いもよらないことだと思った。

原文を見る

弥一右衛門は聞いて思いのほかのことに思った。

悪口が言いたければ何とでも言うがいい。

原文を見る

悪口が言いたくばなんとも言うがよい。

だが、この弥一右衛門を縦から見ても横から見ても、命の惜しい男などとどうして見えようか。

原文を見る

しかしこの弥一右衛門をたてから見ても横から見ても、命の惜しい男とは、どうして見えようぞ。

よくもまあ言ってくれたものだ、それならそれでいい。

原文を見る

げに言えば言われたものかな、よいわ。

ならば、この腹の皮を、瓢箪に油を塗って切ってみせよう。

原文を見る

そんならこの腹の皮を瓢箪に油を塗って切って見しょう。

弥一右衛門はその日、詰所から下がると、急ぎの使いを出して、家を分けて別に住んでいる弟二人を山崎の屋敷に呼び寄せた。

原文を見る

弥一右衛門はその日詰所を引くと、急使をもって別家している弟二人を山崎の邸に呼び寄せた。

居間と客間の間の建具を外させ、嫡子の権兵衛、二男の弥五兵衛、それにまだ前髪のある五男の七之丞の三人をそばに座らせて、主人は威儀を正して待ち受けている。

原文を見る

居間と客間との間の建具をはずさせ、嫡子権兵衛ごんべえ、二男弥五兵衛やごべえ、つぎにまだ前髪のある五男七之丞しちのじょうの三人をそばにおらせて、主人は威儀を正して待ち受けている。

権兵衛は幼名を権十郎といい、島原征伐で立派な働きをして新たに二百石をもらっている。

原文を見る

権兵衛は幼名権十郎といって、島原征伐に立派な働きをして、新知二百石をもらっている。

父に劣らない若者である。

原文を見る

父に劣らぬ若者である。

このたびのことについては、ただ一度だけ父に「お許しは出ませんでしたか」

原文を見る

このたびのことについては、ただ一度父に「お許しは出ませなんだか」

と尋ねた。

原文を見る

と問うた。

父は「うん、出ないぞ」

原文を見る

父は「うん、出んぞ」

と言った。

原文を見る

と言った。

そのほかには、二人の間に何の言葉も交わされなかった。

原文を見る

そのほか二人の間にはなんのことばも交わされなかった。

親子は互いの心の底まで知り抜いているので、何も言うには及ばなかったのである。

原文を見る

親子は心の底まで知り抜いているので、何も言うにはおよばぬのであった。

まもなく二つの提灯が門の内に入った。

原文を見る

まもなく二張ふたはり提燈ちょうちんが門のうちにはいった。

三男の市太夫と四男の五太夫の二人が、ほとんど同時に玄関に着き、雨具を脱いで座敷に通った。

原文を見る

三男市太夫いちだゆう、四男五太夫ごだゆうの二人がほとんど同時に玄関に来て、雨具を脱いで座敷に通った。

中陰の明けた翌日からじめじめとした雨になって、五月の暗い空が晴れずにいるのである。

原文を見る

中陰の翌日からじめじめとした雨になって、五月闇さつきやみの空が晴れずにいるのである。

障子は開け放してあっても、蒸し暑くて風がない。

原文を見る

障子はあけ放してあっても、蒸し暑くて風がない。

それでいて燭台の火はゆらめいている。

原文を見る

そのくせ燭台しょくだいの火はゆらめいている。

蛍が一匹、庭の木立を縫って通り過ぎた。

原文を見る

ほたるが一匹庭の木立ちを縫って通り過ぎた。

一座を見渡した主人が口を開いた。

原文を見る

一座を見渡した主人が口を開いた。

「夜中に呼びにやったのに、皆よく来てくれた。家中に広まっている噂だそうだから、お前たちも聞いたに違いない。この弥一右衛門の腹は、瓢箪に油を塗って切る腹だそうだ。それならば、おれは今から瓢箪に油を塗って切ろうと思う。どうか皆で見届けてくれ」

原文を見る

「夜陰に呼びにやったのに、皆よう来てくれた。家中かちゅう一般の噂じゃというから、おぬしたちも聞いたに違いない。この弥一右衛門が腹は瓢箪に油を塗って切る腹じゃそうな。それじゃによって、おれは今瓢箪に油を塗って切ろうと思う。どうぞ皆で見届けてくれい」

市太夫も五太夫も島原の戦功で新たに二百石をもらって別に家を構えているが、なかでも市太夫は早くから若殿付きになっていたので、代替わりで人に羨まれる一人である。

原文を見る

市太夫も五太夫も島原の軍功で新知二百石をもらって別家しているが、中にも市太夫は早くから若殿附きになっていたので、御代替りになって人にうらやまれる一人である。

市太夫が膝を進めた。

原文を見る

市太夫がひざを進めた。

「なるほど。よくわかりました。実は同輩が言うには、弥一右衛門殿は御先代のご遺言で引き続きご奉公なさるそうだ、親子兄弟が変わらず揃ってお勤めなさる、めでたいことだ、と申すのでございます。その言い方が何やら意味ありげで、歯がゆうございました」

原文を見る

「なるほど。ようわかりました。実は傍輩ほうばいが言うには、弥一右衛門殿は御先代の御遺言で続いて御奉公なさるそうな。親子兄弟相変らずそろうてお勤めなさる、めでたいことじゃと言うのでござります。そのことばが何か意味ありげで歯がゆうござりました」

父の弥一右衛門は笑った。

原文を見る

父弥一右衛門は笑った。

「そうだろう。目の先しか見えない近眼どもを相手にするな。ところで、その死なないはずのおれが死んだら、お許しの出なかった男の子だと言ってお前たちを侮る者もあろう。おれの子に生まれたのは運だ。仕方がない。恥を受けるときは一緒に受けろ。兄弟げんかをするなよ。さあ、瓢箪で腹を切るのをよく見ておけ」

原文を見る

「そうであろう。目の先ばかり見える近眼ちかめどもを相手にするな。そこでその死なぬはずのおれが死んだら、お許しのなかったおれの子じゃというて、おぬしたちをあなどるものもあろう。おれの子に生まれたのは運じゃ。しょうことがない。恥を受けるときは一しょに受けい。兄弟喧嘩げんかをするなよ。さあ、瓢箪で腹を切るのをよう見ておけ」

こう言っておいて、弥一右衛門は子供たちの面前で腹を切り、自分で首筋を左から右へ刺し貫いて死んだ。

原文を見る

こう言っておいて、弥一右衛門は子供らの面前で切腹して、自分で首筋を左から右へ刺し貫いて死んだ。

父の心を測りかねていた五人の子供たちは、このとき悲しくはあったが、それと同時に、これまでの落ち着かない立場から一歩抜け出して、重荷を一つ下ろしたように感じた。

原文を見る

父の心を測りかねていた五人の子供らは、このとき悲しくはあったが、それと同時にこれまでの不安心な境界きょうがいを一歩離れて、重荷の一つをおろしたように感じた。

「兄き」

原文を見る

あにき」

と、二男の弥五兵衛が嫡子に言った。

原文を見る

と二男弥五兵衛が嫡子に言った。

「兄弟げんかをするなと、親父どのは言い残した。それには誰も異存はあるまい。おれは島原で持ち場が悪くて知行ももらえずにいるから、これからはお前の世話になるだろう。だが何事かあったときには、お前の手元に確かな槍が一本あるということだ。そう思っていてくれ」

原文を見る

「兄弟喧嘩をするなと、おっさんは言いおいた。それには誰も異存はあるまい。おれは島原で持場が悪うて、知行ももらわずにいるから、これからはおぬしが厄介やっかいになるじゃろう。じゃが何事があっても、おぬしが手にたしかなやり一本はあるというものじゃ。そう思うていてくれい」

「わかりきったことだ。この先どうなるかは知らないが、おれがもらう知行はお前がもらうのと同じことだ」

原文を見る

「知れたことじゃ。どうなることか知れぬが、おれがもらう知行はおぬしがもらうも同じじゃ」

こう言ったきり、権兵衛は腕組みをして顔をしかめた。

原文を見る

こう言ったぎり権兵衛は腕組みをして顔をしかめた。

「そうだ。この先どうなるかわからない。追腹はお許しの出た殉死とは違う、などと言う奴もあろう」

原文を見る

「そうじゃ。どうなることか知れぬ。追腹はお許しの出た殉死とは違うなぞというやつがあろうて」

こう言ったのは四男の五太夫である。

原文を見る

こう言ったのは四男の五太夫である。

「それは目に見えている。どんな目に遭っても」

原文を見る

「それは目に見えておる。どういう目にうても」

こう言いかけて、三男の市太夫は権兵衛の顔を見た。

原文を見る

こう言いさして三男市太夫は権兵衛の顔を見た。

「どんな目に遭っても、兄弟がばらばらに相手をするのではなく、固まって行こうぞ」

原文を見る

「どういう目に逢うても、兄弟離れ離れに相手にならずに、固まって行こうぞ」

「うん」

原文を見る

「うん」

と権兵衛は言ったが、打ち解けた様子もない。

原文を見る

と権兵衛は言ったが、打ち解けた様子もない。

権兵衛は弟たちを心の中では気づかっているが、優しい物言いのできない男である。

原文を見る

権兵衛は弟どもを心にいたわってはいるが、やさしく物をいわれぬ男である。

しかも何事も一人で考え、一人でやりたがる。

原文を見る

それに何事も一人で考えて、一人でしたがる。

相談というものをめったにしない。

原文を見る

相談というものをめったにしない。

それで弥五兵衛も市太夫も念を押したのである。

原文を見る

それで弥五兵衛も市太夫も念を押したのである。

「兄さま方が揃っておいでですから、親父どのの悪口は、うかつには言えますまい」

原文を見る

いさま方が揃うておいでなさるから、お父っさんの悪口は、うかと言われますまい」

これは前髪の七之丞の口から出た。

原文を見る

これは前髪の七之丞が口から出た。

女のような声ではあったが、そこに強い確信がこもっていたので、その場の者の胸を、暗い行く末を照らす光のように照らした。

原文を見る

女のような声ではあったが、それに強い信念がこもっていたので、一座のものの胸を、暗黒な前途を照らす光明のように照らした。

「さて。おっ母さんに言って、女たちに暇乞いをさせようか」

原文を見る

「どりゃ。おっ母さんに言うて、女子おなごたちに暇乞いとまごいをさしょうか」

こう言って権兵衛は席を立った。

原文を見る

こう言って権兵衛が席を起った。

従四位下・侍従兼肥後守光尚の家督相続が済んだ。

原文を見る

従四位下侍従兼肥後守光尚の家督相続が済んだ。

家臣にはそれぞれ新たな知行、加増、役替えなどがあった。

原文を見る

家臣にはそれぞれ新知、加増、役替やくがえなどがあった。

なかでも殉死した侍十八人の家々は、嫡子にそのまま父の跡を継がせられた。

原文を見る

中にも殉死の侍十八人の家々は、嫡子にそのまま父のあとを継がせられた。

嫡子がある限りは、どれほど幼くてもその中から漏れることはない。

原文を見る

嫡子のある限りは、いかに幼少でもその数にはれない。

未亡人や老いた父母には扶持が与えられる。

原文を見る

未亡人びぼうじん、老父母には扶持が与えられる。

家屋敷を拝領し、その普請まで主家の手配で行われる。

原文を見る

家屋敷を拝領して、作事までもかみからしむけられる。

先代が格別に目をかけられた家柄で、しかも死出の旅のお供にまで立ったのだから、家中の者が羨みはしても妬みはしない。

原文を見る

先代が格別入懇じっこんにせられた家柄で、死天しでの旅のお供にさえ立ったのだから、家中のものがうらやみはしてもねたみはしない。

ところが、一風変わった跡目の処分を受けたのが阿部弥一右衛門の遺族である。

原文を見る

しかるに一種変った跡目あとめの処分を受けたのは、阿部弥一右衛門の遺族である。

嫡子の権兵衛は父の跡をそのまま継ぐことができず、弥一右衛門の千五百石の知行は細かく分けられて弟たちにも配分された。

原文を見る

嫡子権兵衛は父の跡をそのまま継ぐことが出来ずに、弥一右衛門が千五百石の知行は細かにいて弟たちへも配分せられた。

一族の知行を合わせてみれば以前と変わりはないが、本家を継いだ権兵衛は禄の少ない身になったのである。

原文を見る

一族の知行を合わせてみれば、前に変ったことはないが、本家を継いだ権兵衛は、小身ものになったのである。

権兵衛の肩身が狭くなったことは言うまでもない。

原文を見る

権兵衛の肩幅のせまくなったことは言うまでもない。

弟たちも、一人ひとりの知行は増えたものの、これまでは千石以上の本家があって大木の陰に立っているように思っていたのが、今はどんぐりの背比べになってしまい、ありがたいようで迷惑な思いをした。

原文を見る

弟どもも一人一人の知行はえながら、これまで千石以上の本家によって、大木の陰に立っているように思っていたのが、今は橡栗どんぐり背競せいくらべになって、ありがたいようで迷惑な思いをした。

政治というものは、当たり前の道筋をたどっている限り、誰の責任かなどと問う者はいない。

原文を見る

政道は地道じみちである限りは、とがめの帰するところを問うものはない。

ひとたび常と違う処置があると、誰の裁きかという詮索が起こる。

原文を見る

一旦いったん常に変った処置があると、誰のさばきかという詮議が起る。

当主の覚えがめでたく、そば付きを離れずに勤めている大目付役に、林外記という者がある。

原文を見る

当主のお覚えめでたく、おそば去らずに勤めている大目附役に、林外記というものがある。

小才が利くので若殿時代のお相手にはふさわしかったが、物事の大局を見ることでは足りないところがあり、とかく細かいあらを探しにかかる男であった。

原文を見る

小才覚があるので、若殿様時代のおとぎには相応していたが、物の大体を見ることにおいてはおよばぬところがあって、とかく苛察かさつに傾きたがる男であった。

阿部弥一右衛門は先の殿様のお許しを得ずに死んだのだから、本当の殉死者と弥一右衛門との間には線を引かなければならないと考えた。

原文を見る

阿部弥一右衛門は故殿様のお許しを得ずに死んだのだから、真の殉死者と弥一右衛門との間には境界をつけなくてはならぬと考えた。

そこで阿部家の禄を分割する策を進言した。

原文を見る

そこで阿部家の俸禄ほうろく分割の策を献じた。

光尚も思慮のある大名ではあったが、まだ世慣れないころのことで、弥一右衛門や嫡子の権兵衛と親しくなかったために思いやりがなく、自分の手元で使って馴染みのある市太夫の加増になるという点に目をつけて、外記の言を採ったのである。

原文を見る

光尚も思慮ある大名ではあったが、まだ物馴ものなれぬときのことで、弥一右衛門や嫡子権兵衛と懇意でないために、思いやりがなく、自分の手元に使って馴染なじみのある市太夫がために加増になるというところに目をつけて、外記の言を用いたのである。

十八人の侍が殉死したときには、弥一右衛門はおそばに仕えていたのに殉死しないと言って、家中の者が見下した。

原文を見る

十八人の侍が殉死したときには、弥一右衛門はお側に奉公していたのに殉死しないと言って、家中のものがいやしんだ。

さてわずか二、三日をおいて弥一右衛門は立派に切腹したが、その是非はさておき、ひとたび受けた侮辱はたやすく消えず、誰も弥一右衛門を褒める者がない。

原文を見る

さてわずかに二三日を隔てて弥一右衛門は立派に切腹したが、事の当否はいて、一旦受けた侮辱は容易に消えがたく、誰も弥一右衛門をめるものがない。

上では弥一右衛門の遺骸を霊屋のかたわらに葬ることを許したのだから、跡目相続の上でも無理に線を引かず、殉死者一同と同じ扱いにしてよかったのである。

原文を見る

かみでは弥一右衛門の遺骸いがい霊屋おたまやのかたわらに葬ることを許したのであるから、跡目相続の上にもいて境界を立てずにおいて、殉死者一同と同じ扱いをしてよかったのである。

そうしていれば阿部一族は面目を保ち、こぞって忠勤に励んだことだろう。

原文を見る

そうしたなら阿部一族は面目めんぼくを施して、こぞって忠勤を励んだのであろう。

ところが上が一段下げた扱いをしたので、家中の者が阿部家を侮る気持ちが公に認められた形になった。

原文を見る

しかるにかみで一段下がった扱いをしたので、家中のものの阿部家侮蔑ぶべつの念がおおやけに認められた形になった。

権兵衛の兄弟はしだいに同輩から疎んじられて、心の晴れない日を送った。

原文を見る

権兵衛兄弟は次第に傍輩ほうばいにうとんぜられて、怏々おうおうとして日を送った。

寛永十九年三月十七日になった。

原文を見る

寛永十九年三月十七日になった。

先代の殿様の一周忌である。

原文を見る

先代の殿様の一週忌である。

霊屋のそばにはまだ妙解寺は出来ていないが、向陽院という堂が建って、そこに妙解院殿の位牌が安置され、鏡首座という僧が住職を務めている。

原文を見る

霊屋おたまやのそばにはまだ妙解寺みょうげじは出来ていぬが、向陽院という堂宇どううが立って、そこに妙解院殿の位牌いはいが安置せられ、鏡首座きょうしゅざという僧が住持している。

命日に先立って、紫野大徳寺の天祐和尚が京都から下って来る。

原文を見る

忌日きにちにさきだって、紫野大徳寺の天祐和尚てんゆうおしょうが京都から下向げこうする。

年忌の法要は盛大なものになるらしく、一か月ほど前から熊本の城下は準備に忙しかった。

原文を見る

年忌の営みは晴れ晴れしいものになるらしく、一箇月ばかり前から、熊本の城下は準備に忙しかった。

いよいよ当日になった。

原文を見る

いよいよ当日になった。

うららかな天気で、霊屋のそばは桜が盛りである。

原文を見る

うららかな日和ひよりで、霊屋のそばは桜の盛りである。

向陽院の周囲には幕を張りめぐらし、足軽が警護している。

原文を見る

向陽院の周囲には幕を引き廻わして、歩卒が警護している。

当主がみずから出席して、まず先代の位牌に焼香し、続いて殉死者十九人の位牌に焼香する。

原文を見る

当主がみずから臨場して、まず先代の位牌に焼香し、ついで殉死者十九人の位牌に焼香する。

それから殉死者の遺族が許されて焼香し、同時に主家の紋のついた裃と時服を拝領する。

原文を見る

それから殉死者遺族が許されて焼香する、同時に御紋附上下かみしも、同時服じふくを拝領する。

馬廻り以上は長裃、徒士は半裃である。

原文を見る

馬廻うままわり以上は長上下なががみしも徒士かち半上下はんがみしもである。

身分の低い者たちは香典を拝領する。

原文を見る

下々しもじもの者は御香奠ごこうでんを拝領する。

儀式は滞りなく済んだが、その間にただ一つの珍事が起こった。

原文を見る

儀式はとどこおりなく済んだが、その間にただ一つの珍事が出来しゅったいした。

それは、阿部権兵衛が殉死者の遺族の一人として席順どおりに妙解院殿の位牌の前に進んだとき、焼香を済ませて下がりぎわに、脇差の小柄を抜き取って髻を押し切り、位牌の前に供えたことである。

原文を見る

それは阿部権兵衛が殉死者遺族の一人として、席順によって妙解院殿の位牌の前に進んだとき、焼香をして退きしなに、脇差の小柄こづかを抜き取ってもとどりを押し切って、位牌の前に供えたことである。

その場に詰めていた侍たちも、思いがけない出来事に驚きあきれてぼんやり見ていたが、権兵衛が何事もなかったように落ち着いて五、六歩下がったとき、一人の侍がようやく我に返って、「阿部殿、お待ちなされ」

原文を見る

この場に詰めていた侍どもも、不意の出来事に驚きあきれて、茫然ぼうぜんとして見ていたが、権兵衛が何事もないように、自若じじゃくとして五六歩退いたとき、一人の侍がようよう我に返って、「阿部殿、お待ちなされい」

と呼びかけながら、追いすがって押しとどめた。

原文を見る

と呼びかけながら、追いすがって押し止めた。

続いて二、三人が立ちかかって、権兵衛を別室へ連れて入った。

原文を見る

続いて二三人立ちかかって、権兵衛を別間に連れてはいった。

権兵衛が詰めていた者たちに尋ねられて答えたところは、こうである。

原文を見る

権兵衛が詰衆つめしゅうに尋ねられて答えたところはこうである。

貴殿らはそれがしを乱心した者のように思われるだろうが、まったくそういうわけではない。

原文を見る

貴殿らはそれがしを乱心者のように思われるであろうが、全くさようなわけではない。

父の弥一右衛門は生涯落ち度のないご奉公をしたからこそ、先の殿様のお許しを得ずに切腹しても殉死者の列に加えられ、遺族であるそれがしまでが他人に先んじてご位牌に焼香することができたのである。

原文を見る

父弥一右衛門は一生瑕瑾かきんのない御奉公をいたしたればこそ、故殿様のお許しを得ずに切腹しても、殉死者の列に加えられ、遺族たるそれがしさえ他人にさきだって御位牌に御焼香いたすことが出来たのである。

しかし、それがしは至らない者で父同様のご奉公はできまいと上でもご承知と見えて、知行を割いて弟たちにお与えになった。

原文を見る

しかしそれがしは不肖にして父同様の御奉公がなりがたいのを、かみにもご承知と見えて、知行をいて弟どもにおつかわしなされた。

それがしは、先の殿様にも当主にも、亡き父にも一族の者たちにも同輩にも、面目が立たない。

原文を見る

それがしは故殿様にも御当主にも亡き父にも一族の者どもにも傍輩ほうばいにも面目がない。

そう思っているうちに、今日ご位牌に焼香する場になり、とっさに感慨が胸に迫って、いっそのこと武士を捨てようと決心した。

原文を見る

かように存じているうち、今日御位牌に御焼香いたす場合になり、とっさの間、感慨胸に迫り、いっそのこと武士を棄てようと決心いたした。

場所柄をわきまえなかったお咎めは甘んじて受ける。

原文を見る

お場所がらを顧みざるおとがめは甘んじて受ける。

乱心などはしていない、というのである。

原文を見る

乱心などはいたさぬというのである。

権兵衛の答えを聞いて、光尚は不快に思った。

原文を見る

権兵衛の答を光尚は聞いて、不快に思った。

第一に、権兵衛が自分への当てつけのような振る舞いをしたのが不快である。

原文を見る

第一に権兵衛が自分に面当つらあてがましい所行しょぎょうをしたのが不快である。

次に、自分が外記の策を採って、しなくてもよいことをしたのが不快である。

原文を見る

つぎに自分が外記の策をれて、しなくてもよいことをしたのが不快である。

まだ二十四歳の血気盛んな殿様で、感情を抑え欲を制することが足りない。

原文を見る

まだ二十四歳の血気の殿様で、情を抑え欲を制することが足りない。

恩をもって恨みに報いるような寛大さに乏しい。

原文を見る

恩をもってうらみに報いる寛大の心持ちに乏しい。

即座に権兵衛を屋敷に閉じ込めさせた。

原文を見る

即座に権兵衛をおしめさせた。

それを聞いた弥五兵衛以下の一族の者は、門を閉じて上のご沙汰を待つことにし、夜ごとに一同集まっては、ひそかに一族の行く末について評議を重ねた。

原文を見る

それを聞いた弥五兵衛以下一族のものは門を閉じて上の御沙汰ごさたを待つことにして、夜陰に一同寄り合っては、ひそかに一族の前途のために評議をらした。

阿部一族は評議の末、このたび先代の一周忌の法要のために下って来て、まだ滞在している天祐和尚にすがることにした。

原文を見る

阿部一族は評議の末、このたび先代一週忌の法会ほうえのために下向して、まだ逗留とうりゅうしている天祐和尚にすがることにした。

市太夫は和尚の宿に行って一部始終を話し、権兵衛に対する上の処置を軽くしてもらうよう頼んだ。

原文を見る

市太夫は和尚の旅館に往って一部始終を話して、権兵衛に対する上の処置を軽減してもらうように頼んだ。

和尚はじっくりと聞いて言った。

原文を見る

和尚はつくづく聞いて言った。

承れば、ご一家の成り行きはまことに気の毒である。

原文を見る

承れば御一家のお成行なりゆき気の毒千万である。

しかし上のご政道についてあれこれ言うことはできない。

原文を見る

しかし上の御政道に対してかれこれ言うことは出来ない。

ただ権兵衛殿に死を賜わるということになったなら、必ず助命を願って差し上げよう。

原文を見る

ただ権兵衛殿に死を賜わるとなったら、きっと御助命を願って進ぜよう。

ことに権兵衛殿はすでに髻を落とされたのだから、もはや出家同様の身の上である。

原文を見る

ことに権兵衛殿はすでにもとどりを払われてみれば、桑門そうもん同様の身の上である。

助命だけはどのようにでも申し上げてみよう、と言った。

原文を見る

御助命だけはいかようにも申してみようと言った。

市太夫は頼もしく思って帰った。

原文を見る

市太夫は頼もしく思って帰った。

一族の者は市太夫の報告を聞いて、一筋の活路を得たような気がした。

原文を見る

一族のものは市太夫の復命を聞いて、一条の活路を得たような気がした。

そのうち日が経って、天祐和尚が京都に帰る日がしだいに近づいて来た。

原文を見る

そのうち日が立って、天祐和尚の帰京のときが次第に近づいて来た。

和尚は殿様に会って話をするたびに、阿部権兵衛の助命のことを折があれば申し上げようと思ったが、どうしても折がない。

原文を見る

和尚は殿様にって話をするたびに、阿部権兵衛が助命のことを折りがあったら言上しようと思ったが、どうしても折りがない。

それも当然である。

原文を見る

それはそのはずである。

光尚はこう考えていたのである。

原文を見る

光尚はこう思ったのである。

天祐和尚の滞在中に権兵衛のことを裁いたら、きっと助命を願われるに違いない。

原文を見る

天祐和尚の逗留中に権兵衛のことを沙汰したらきっと助命を請われるに違いない。

大寺の和尚の言葉となれば、いいかげんに聞き流すわけにもいくまい。

原文を見る

大寺の和尚のことばでみれば、等閑なおざりに聞きすてることはなるまい。

和尚が発つのを待って処置しようと思ったのである。

原文を見る

和尚の立つのを待って処置しようと思ったのである。

とうとう和尚は何も言えないまま熊本を発ってしまった。

原文を見る

とうとう和尚はむなしく熊本を立ってしまった。

天祐和尚が熊本を発つや否や、光尚はすぐに阿部権兵衛を井出の口に引き出して、縄をかけて首を打たせた。

原文を見る

天祐和尚が熊本を立つや否や、光尚はすぐに阿部権兵衛を井出の口に引きだして縛首しばりくびにさせた。

先代のご位牌に対して不敬なことをあえてした、上を恐れぬ振る舞いだとして処置されたのである。

原文を見る

先代の御位牌に対して不敬なことをあえてした、かみを恐れぬ所行として処置せられたのである。

弥五兵衛以下、一同が集まって評議した。

原文を見る

弥五兵衛以下一同のものは寄り集まって評議した。

権兵衛の振る舞いは不届きには違いない。

原文を見る

権兵衛の所行は不埓ふらちには違いない。

しかし亡父の弥一右衛門はともかく殉死者の中に数えられている。

原文を見る

しかし亡父弥一右衛門はとにかく殉死者のうちに数えられている。

その相続人である権兵衛としては、死を賜わるのはやむを得ない。

原文を見る

その相続人たる権兵衛でみれば、死を賜うことは是非ぜひがない。

武士らしく切腹を仰せつけられるのであれば、異存はない。

原文を見る

武士らしく切腹仰せつけられれば異存はない。

それを何ということか、盗賊か何かのように白昼に縄をかけて首を打たれた。

原文を見る

それに何事ぞ、奸盗かんとうかなんぞのように、白昼に縛首にせられた。

この様子から推し量れば、一族の者も無事には済まされまい。

原文を見る

この様子で推すれば、一族のものも安穏には差しおかれまい。

たとえ別にお沙汰がないとしても、縛り首にされた者の一族が、どの面下げて同輩に交じってご奉公ができようか。

原文を見る

たとい別に御沙汰がないにしても、縛首にせられたものの一族が、何の面目あって、傍輩に立ちまじわって御奉公をしよう。

こうなっては是非もない。

原文を見る

この上は是非におよばない。

何事があっても兄弟ばらばらになるなと弥一右衛門殿が言い残されたのは、まさにこのときのためである。

原文を見る

何事があろうとも、兄弟わかれわかれになるなと、弥一右衛門殿の言いおかれたのはこのときのことである。

一族そろって討手を引き受け、ともに死ぬほかはないと、一人の異議を唱える者もなく決した。

原文を見る

一族討手うってを引き受けて、ともに死ぬるほかはないと、一人の異議を称えるものもなく決した。

阿部一族は妻子を引き連れて、権兵衛の山崎の屋敷に立てこもった。

原文を見る

阿部一族は妻子を引きまとめて、権兵衛が山崎の屋敷に立てこもった。

穏やかでない一族の様子が上の耳に入った。

原文を見る

おだやかならぬ一族の様子がかみに聞えた。

横目役が偵察に出て来た。

原文を見る

横目よこめ偵察ていさつに出て来た。

山崎の屋敷は門を厳重に閉ざして静まりかえっていた。

原文を見る

山崎の屋敷では門を厳重にとざして静まりかえっていた。

市太夫や五太夫の家は空き家になっていた。

原文を見る

市太夫や五太夫の宅は空屋になっていた。

討手の手配りが定められた。

原文を見る

討手うって手配てくばりが定められた。

表門は側者頭の竹内数馬長政が指揮役を務め、それに小頭の添島九兵衛と同じく野村庄兵衛が従っている。

原文を見る

表門は側者頭そばものがしら竹内数馬長政たけのうちかずまながまさが指揮役をして、それに小頭こがしら添島九兵衛そえじまくへえ、同じく野村庄兵衛しょうべえがしたがっている。

数馬は千百五十石で、鉄砲組三十挺の頭である。

原文を見る

数馬は千百五十石で鉄砲組三十ちょうかしらである。

代々仕える家の年長の家来、島徳右衛門が供をする。

原文を見る

譜第ふだい乙名おとな島徳右衛門が供をする。

添島と野村は当時百石の者である。

原文を見る

添島、野村は当時百石のものである。

裏門の指揮役は知行五百石の側者頭、高見権右衛門重政で、これも鉄砲組三十挺の頭である。

原文を見る

裏門の指揮役は知行五百石の側者頭高見権右衛門重政しげまさで、これも鉄砲組三十挺の頭である。

それに目付の畑十太夫と、竹内数馬の小頭で当時百石の千場作兵衛が従っている。

原文を見る

それに目附畑十太夫と竹内数馬の小頭で当時百石の千場ちば作兵衛とがしたがっている。

討手は四月二十一日に差し向けられることになった。

原文を見る

討手は四月二十一日に差し向けられることになった。

前の晩から、山崎の屋敷の周囲には夜回りがつけられた。

原文を見る

前晩に山崎の屋敷の周囲には夜廻りがつけられた。

夜が更けてから、侍身分の者が一人覆面をして塀を内から乗り越えて出たが、見回り役の佐分利嘉左衛門の組の足軽、丸山三之丞が討ち取った。

原文を見る

夜がふけてから侍分のものが一人覆面して、へいをうちから乗り越えて出たが、廻役の佐分利さぶり嘉左衛門が組の足軽丸山三之丞さんのじょうが討ち取った。

その後、夜明けまで何事もなかった。

原文を見る

そののち夜明けまで何事もなかった。

あらかじめ近隣の者には通達があった。

原文を見る

かねて近隣のものには沙汰があった。

たとえ当番であっても家にとどまり、火の用心を怠らないようにせよ、というのが一つ。

原文を見る

たとい当番たりとも在宿して火の用心を怠らぬようにいたせというのが一つ。

討手でない者が阿部の屋敷に入り込んで手出しをすることは厳禁だが、逃げ出す者は勝手に討ち取ってよい、というのが二つ目であった。

原文を見る

討手でないのに、阿部が屋敷に入り込んで手出しをすることは厳禁であるが、落人おちうどは勝手に討ち取れというのが二つであった。

阿部一族は討手の向かって来る日を前日に聞き知って、まず屋敷内をすみずみまで掃除し、見苦しい物はすべて焼き捨てた。

原文を見る

阿部一族は討手の向う日をその前日に聞き知って、まず邸内をくまなく掃除し、見苦しい物はことごとく焼きすてた。

それから老いも若きも寄り集まって酒宴をした。

原文を見る

それから老若ろうにゃく打ち寄って酒宴をした。

それから老人や女は自害し、幼い者はそれぞれの手で刺し殺した。

原文を見る

それから老人や女は自殺し、幼いものはてんでに刺し殺した。

それから庭に大きな穴を掘って遺体を埋めた。

原文を見る

それから庭に大きい穴を掘って死骸しがいを埋めた。

あとに残ったのは屈強な若者ばかりである。

原文を見る

あとに残ったのは究竟くっきょうの若者ばかりである。

弥五兵衛・市太夫・五太夫・七之丞の四人が指図して、障子や襖を取り払った広間に家来を集め、鉦や太鼓を鳴らさせ、大声で念仏を唱えさせて夜が明けるのを待った。

原文を見る

弥五兵衛、市太夫、五太夫、七之丞の四人が指図して、障子ふすまを取り払った広間に家来を集めて、鉦太鼓かねたいこを鳴らさせ、高声に念仏をさせて夜の明けるのを待った。

これは老人や妻子を弔うためだとは言ったが、実は下働きの者たちに臆病な気持ちを起こさせないための用心であった。

原文を見る

これは老人や妻子をとむらうためだとは言ったが、実は下人げにんどもに臆病おくびょうの念を起させぬ用心であった。

阿部一族が立てこもった山崎の屋敷は、のちに斎藤勘助が住んだ所で、向かいは山中又左衛門、左右の両隣は柄本又七郎と平山三郎の住まいであった。

原文を見る

阿部一族の立て籠った山崎の屋敷は、のちに斎藤勘助の住んだ所で、向いは山中又左衛門、左右両隣は柄本つかもと又七郎、平山三郎の住いであった。

このうち柄本の家は、もと天草郡を三分して領していた柄本・天草・志岐の三家の一つである。

原文を見る

このうちで柄本が家は、もと天草郡を三分して領していた柄本、天草、志岐しきの三家の一つである。

小西行長が肥後の半国を治めていたとき、天草と志岐は罪を犯して討たれ、柄本だけが残って細川家に仕えた。

原文を見る

小西行長が肥後半国を治めていたとき、天草、志岐は罪を犯してちゅうせられ、柄本だけが残っていて、細川家に仕えた。

又七郎はふだんから阿部弥一右衛門の一家と親しく、主人同士はもちろん、妻たちまでが互いに行き来していた。

原文を見る

又七郎は平生阿部弥一右衛門が一家と心安くして、主人同志はもとより、妻女までも互いに往来していた。

なかでも弥一右衛門の二男の弥五兵衛は槍が得意で、又七郎も同じ武芸をたしなむところから、親しい間柄で大きなことを言い合い、「お手前が上手でも、それがしにはかなうまい」

原文を見る

中にも弥一右衛門の二男弥五兵衛はやりが得意で、又七郎も同じわざたしむところから、親しい中で広言をし合って、「お手前が上手じょうずでもそれがしにはかなうまい」

「いや、それがしがなんでお手前に負けようか」

原文を見る

、「いやそれがしがなんでお手前に負けよう」

などと言っていた。

原文を見る

などと言っていた。

そこで先代の殿様の病中に、弥一右衛門が殉死を願い出て許されないと聞いたときから、又七郎は弥一右衛門の胸の内を察して気の毒がった。

原文を見る

そこで先代の殿様の病中に、弥一右衛門が殉死を願って許されぬと聞いたときから、又七郎は弥一右衛門の胸中を察して気の毒がった。

それから弥一右衛門の追腹、家督相続人の権兵衛の向陽院での振る舞い、それがもとになっての死刑、弥五兵衛以下一族の立てこもりという順に、阿部家がしだいに不運へ傾いていったので、又七郎は身内にも劣らないほど心を痛めた。

原文を見る

それから弥一右衛門の追腹、家督相続人権兵衛の向陽院での振舞い、それがもとになっての死刑、弥五兵衛以下一族の立籠たてこもりという順序に、阿部家がだんだん否運に傾いて来たので、又七郎は親身のものにも劣らぬ心痛をした。

ある日、又七郎は妻に言いつけて、夜が更けてから阿部の屋敷へ見舞いにやった。

原文を見る

ある日又七郎が女房に言いつけて、夜ふけてから阿部の屋敷へ見舞いにやった。

阿部一族は上に背いて籠城まがいのことをしているのだから、男同士は行き来ができない。

原文を見る

阿部一族はかみそむいて籠城めいたことをしているから、男同志は交通することが出来ない。

しかし最初からの経緯を知っている以上、一族の者を悪人として憎むことはできない。

原文を見る

しかるに最初からの行きがかりを知っていてみれば、一族のものを悪人として憎むことは出来ない。

まして長年親しくしてきた間柄である。

原文を見る

ましてや年来懇意にした間柄である。

女の身でひそかに見舞うのなら、たとえ後日発覚しても申し開きが立たないほどのことでもあるまい、という考えで見舞いにやったのである。

原文を見る

婦女の身としてひそかに見舞うのは、よしや後日に発覚したとて申しわけの立たぬことでもあるまいという考えで、見舞いにはやったのである。

妻は夫の言葉を聞いて喜び、心尽くしの品を取りそろえて、夜更けに隣を訪ねた。

原文を見る

女房は夫のことばを聞いて、喜んで心尽くしの品を取り揃えて、夜ふけて隣へおとずれた。

この妻もなかなか気丈な女で、もし後日発覚したら罪は自分が引き受けて夫に迷惑はかけまいと思ったのである。

原文を見る

これもなかなか気丈な女で、もし後日に発覚したら、罪を自身に引き受けて、夫に迷惑はかけまいと思ったのである。

阿部一族の喜びようは大変なものであった。

原文を見る

阿部一族の喜びは非常であった。

世間は花が咲き鳥がさえずる春だというのに、不幸にも神仏にも人にも見放されて、こうして閉じこもっているのが自分たちである。

原文を見る

世間は花咲き鳥歌う春であるのに、不幸にして神仏にも人間にも見放されて、かく籠居ろうきょしている我々である。

それを見舞ってやれという夫も夫、その言いつけを守って来てくれる妻も妻、まことにありがたい心がけだと、心から感じ入った。

原文を見る

それを見舞うてやれという夫も夫、その言いつけを守って来てくれる妻も妻、実にありがたい心がけだと、しんから感じた。

女たちは涙を流して、こうなり果てて死ぬからには、世の中に誰一人として供養してくれる者もあるまい、どうか思い出したらひと言でも回向をしてほしいと頼んだ。

原文を見る

女たちは涙を流して、こうなり果てて死ぬるからは、世の中に誰一人菩提ぼだいとむろうてくれるものもあるまい、どうぞ思い出したら、一遍の回向えこうをしてもらいたいと頼んだ。

子供たちは門の外へ一歩も出られないので、ふだん優しくしてくれた柄本の妻を見ると右から左から取りすがって、なかなか放して帰さなかった。

原文を見る

子供たちは門外へ一足も出されぬので、ふだん優しくしてくれた柄本の女房を見て、右左から取りすがって、たやすく放して帰さなかった。

阿部の屋敷へ討手が向かう前の晩になった。

原文を見る

阿部の屋敷へ討手の向う前晩になった。

柄本又七郎はつくづく考えた。

原文を見る

柄本又七郎はつくづく考えた。

阿部一族は自分と親しい間柄である。

原文を見る

阿部一族は自分と親しい間柄である。

それで後日のお咎めもあろうかと思いながら、妻を見舞いにまでやった。

原文を見る

それで後日のとがめもあろうかとは思いながら、女房を見舞いにまでやった。

しかしいよいよ明朝は上の討手が阿部家へ来る。

原文を見る

しかしいよいよ明朝は上の討手が阿部家へ来る。

これは謀反人を征伐なさる上のいくさと同じことである。

原文を見る

これは逆賊を征伐せられるお上のいくさも同じことである。

お達しでは火の用心をせよ、手出しをするなと言われているが、武士たる者がこの場に懐手をして見ていられるものではない。

原文を見る

御沙汰には火の用心をせい、手出しをするなと言ってあるが、武士たるものがこの場合に懐手ふところでをして見ていられたものではない。

情けは情け、義は義である。

原文を見る

情けは情け、義は義である。

おれにはおれのすべきことがある、と考えた。

原文を見る

おれにはせんようがあると考えた。

そこで夜が更けきってから抜き足で後ろ口から薄暗い庭に出て、阿部家との境の竹垣の結び縄をすべて切っておいた。

原文を見る

そこで更闌こうたけて抜き足をして、後ろ口から薄暗い庭へ出て、阿部家との境の竹垣たけがきの結びなわをことごとく切っておいた。

それから戻って身支度をし、長押にかけた手槍を下ろして、鷹の羽の紋のついた鞘を払い、夜が明けるのを待っていた。

原文を見る

それから帰って身支度をして、長押なげしにかけた手槍てやりをおろし、たかの羽の紋の付いたさやを払って、夜の明けるのを待っていた。

討手として阿部の屋敷の表門に向かうことになった竹内数馬は、武勇の誉れある家に生まれた者である。

原文を見る

討手として阿部の屋敷の表門に向うことになった竹内数馬は、武道の誉れある家に生まれたものである。

先祖は細川高国の配下に属して強弓の名を得た島村弾正貴則である。

原文を見る

先祖は細川高国の手に属して、強弓ごうきゅうの名を得た島村弾正貴則だんじょうたかのりである。

享禄四年に高国が摂津国尼崎で敗れたとき、弾正は敵二人を両脇に挟んで海に飛び込んで死んだ。

原文を見る

享禄きょうろく四年に高国が摂津国せっつのくに尼崎あまがさきに敗れたとき、弾正は敵二人を両腋りょうわきはさんで海に飛び込んで死んだ。

弾正の子の市兵衛は河内の八隅家に仕えて一時は八隅を名のったが、竹内越を領することになって竹内と改めた。

原文を見る

弾正の子市兵衛は河内の八隅家やすみけに仕えて一時八隅と称したが、竹内越たけのうちごえを領することになって、竹内たけのうちと改めた。

竹内市兵衛の子の吉兵衛は小西行長に仕え、紀伊国太田の城を水攻めにしたときの功で、豊臣秀吉から白練りに朱の日の丸を染めた陣羽織をもらった。

原文を見る

竹内市兵衛の子吉兵衛は小西行長に仕えて、紀伊国きいのくに太田の城を水攻めにしたときの功で、豊臣太閤に白練しろねりに朱の日の丸の陣羽織をもらった。

朝鮮出兵のときには小西家の人質として、李王の宮に三年間閉じ込められていた。

原文を見る

朝鮮征伐のときには小西家の人質として、李王宮に三年押しめられていた。

小西家が滅びてからは加藤清正に千石で召し出されていたが、主君と争って白昼に熊本の城下を立ち退いた。

原文を見る

小西家が滅びてから、加藤清正に千石で召し出されていたが、主君と物争いをして白昼に熊本城下を立ち退いた。

加藤家の討手に備えるため、鉄砲に弾をこめ、火縄に火をつけて持たせながら退いた。

原文を見る

加藤家の討手に備えるために、鉄砲に玉をこめ、火縄に火をつけて持たせて退いた。

それを三斎が豊前で千石で召し抱えた。

原文を見る

それを三斎が豊前で千石に召し抱えた。

この吉兵衛には五人の男子があった。

原文を見る

この吉兵衛に五人の男子があった。

長男はやはり吉兵衛と名のったが、のちに髪を剃って八隅見山と号した。

原文を見る

長男はやはり吉兵衛と名のったが、のち剃髪ていはつして八隅見山けんざんといった。

二男は七郎右衛門、三男は次郎太夫、四男は八兵衛、五男がすなわち数馬である。

原文を見る

二男は七郎右衛門、三男は次郎太夫、四男は八兵衛、五男がすなわち数馬である。

数馬は忠利の小姓を勤め、島原征伐のときは殿様のそばにいた。

原文を見る

数馬は忠利の児小姓こごしょうを勤めて、島原征伐のとき殿様のそばにいた。

寛永十五年二月二十五日、細川の手勢が城を攻め落とそうとしたとき、数馬が「どうか先手にお遣わしください」

原文を見る

寛永十五年二月二十五日細川の手のものが城を乗り取ろうとしたとき、数馬が「どうぞお先手さきてへおつかわし下されい」

と忠利に願い出た。

原文を見る

と忠利に願った。

忠利は聞き入れなかった。

原文を見る

忠利は聴かなかった。

重ねてねだるように願うと、忠利は腹を立てて、「小僧め、勝手に行ってしまえ」

原文を見る

押し返してねだるように願うと、忠利が立腹して、「小倅こせがれ、勝手にうせおれ」

と叫んだ。

原文を見る

と叫んだ。

数馬はそのとき十六歳である。

原文を見る

数馬はそのとき十六歳である。

「はっ」

原文を見る

「あっ」

と言うなり駆け出すのを見送って、忠利が「怪我をするなよ」

原文を見る

と言いさま駈け出すのを見送って、忠利が「怪我をするなよ」

と声をかけた。

原文を見る

と声をかけた。

年長の家来の島徳右衛門、草履取り一人、槍持ち一人があとに続いた。

原文を見る

乙名おとな島徳右衛門、草履取ぞうりとり一人、槍持やりもち一人があとから続いた。

主従四人である。

原文を見る

主従四人である。

城から撃ちかけて来る鉄砲が激しいので、島が数馬の着ていた深紅の陣羽織の裾をつかんで後ろへ引いた。

原文を見る

城から打ち出す鉄砲がはげしいので、島が数馬の着ていた猩々緋しょうじょうひの陣羽織のすそをつかんであとへ引いた。

数馬は振り切って城の石垣によじ登る。

原文を見る

数馬は振り切って城の石垣にじ登る。

島も仕方なくついて登る。

原文を見る

島も是非なくついて登る。

とうとう城内に入って戦い、数馬は傷を負った。

原文を見る

とうとう城内にはいって働いて、数馬は手を負った。

同じ場所から攻め入った柳川の立花飛騨守宗茂は七十二歳の老練な武将で、このときの働きぶりを見ていたが、渡辺新弥・仲光内膳と数馬の三人が見事であったと言って、三人あての連名の感状を与えた。

原文を見る

同じ場所から攻め入った柳川の立花飛騨守宗茂ひだのかみむねしげは七十二歳の古武者ふるつわもので、このときの働きぶりを見ていたが、渡辺新弥、仲光内膳なかみつないぜんと数馬との三人が天晴あっぱれであったと言って、三人へ連名の感状をやった。

落城ののち、忠利は数馬に関兼光の脇差を与え、禄を千百五十石に加増した。

原文を見る

落城ののち、忠利は数馬に関兼光せきかねみつの脇差をやって、禄を千百五十石に加増した。

脇差は一尺八寸、直刃の焼きで銘はなく、横やすり、銀の九曜を三つ並べた目貫、赤銅の縁、金の拵えである。

原文を見る

脇差は一尺八寸、直焼すぐやき無銘、横鑢よこやすり、銀の九曜くよう三並みつならびの目貫めぬき赤銅縁しゃくどうぶち金拵きんごしらえである。

目貫の穴は二つあって、一つは鉛で埋めてあった。

原文を見る

目貫の穴は二つあって、一つは鉛でめてあった。

忠利はこの脇差を大切にしていたので、数馬に与えてからも、登城のときなどに「数馬、あの脇差を貸せ」

原文を見る

忠利はこの脇差を秘蔵していたので、数馬にやってからも、登城のときなどには、「数馬あの脇差を貸せ」

と言って借りて差したことも何度もある。

原文を見る

と言って、借りて差したこともたびたびある。

光尚から阿部への討手を言いつけられ、数馬が喜んで詰所へ下がると、同輩の一人がささやいた。

原文を見る

光尚に阿部の討手を言いつけられて、数馬が喜んで詰所へ下がると、傍輩ほうばいの一人がささやいた。

「悪知恵の働く者にも取り柄はある。お前に表門の指揮を執らせるとは、林殿にしては上出来だ」

原文を見る

奸物かんぶつにも取りえはある。おぬしに表門の采配さいはいを振らせるとは、林殿にしてはよく出来た」

数馬は耳をそばだてた。

原文を見る

数馬は耳をそばだてた。

「何、このたびの役目は外記が申し上げて仰せつけられたのか」

原文を見る

「なにこのたびのお役目は外記げきが申し上げて仰せつけられたのか」

「そうだ。外記殿が殿様に申された。数馬は御先代が格別に取り立てられた者だ、ご恩返しにあれをお遣わしなさい、と言われた。もっけの幸いではないか」

原文を見る

「そうじゃ。外記殿が殿様に言われた。数馬は御先代が出格のお取立てをなされたものじゃ。ご恩報じにあれをおやりなされいと言われた。もっけの幸いではないか」

「ふん」

原文を見る

「ふん」

と言った数馬の眉間には、深い皺が刻まれた。

原文を見る

と言った数馬の眉間みけんには、深いしわが刻まれた。

「よかろう。討ち死にするまでのことだ」

原文を見る

「よいわ。討死するまでのことじゃ」

こう言い放って、数馬はついと立って館を下がった。

原文を見る

こう言い放って、数馬はついと起ってやかたを下がった。

このときの数馬の様子を光尚が聞いて、竹内の屋敷へ使いをやり、「怪我をしないように、首尾よく務めて参れ」

原文を見る

このときの数馬の様子を光尚が聞いて、竹内の屋敷へ使いをやって、「怪我をせぬように、首尾よくいたして参れ」

と伝えさせた。

原文を見る

と言わせた。

数馬は「ありがたいお言葉を確かに承ったと申し上げてください」

原文を見る

数馬は「ありがたいおことばをたしかに承ったと申し上げて下されい」

と言った。

原文を見る

と言った。

数馬は同輩の口から、外記が自分を推してこのたびの役に当てたのだと聞くや否や、その場で討ち死にしようと決心した。

原文を見る

数馬は傍輩の口から、外記が自分を推してこのたびの役に当らせたのだと聞くや否や、即時に討死をしようと決心した。

それはどうしても動かすことのできないほど固い決心であった。

原文を見る

それがどうしても動かすことの出来ぬほど堅固な決心であった。

外記はご恩返しをさせると言ったということである。

原文を見る

外記はご恩報じをさせると言ったということである。

この言葉はたまたま耳にしたのだが、実は聞くまでもない、外記が推すからには、そう言って推すに決まっている。

原文を見る

この詞ははからず聞いたのであるが、実は聞くまでもない、外記がすすめるには、そう言って薦めるにきまっている。

そう思うと、数馬は立っても座ってもいられない気がする。

原文を見る

こう思うと、数馬は立ってもすわってもいられぬような気がする。

自分は御先代に引き立てていただいたには違いない。

原文を見る

自分は御先代の引立てをこうむったには違いない。

しかし元服してからの自分は、いわば大勢の近習の中の一人であって、格別に目立った扱いを受けてはいない。

原文を見る

しかし元服をしてからのちの自分は、いわば大勢の近習きんじゅのうちの一人で、別に出色のお扱いを受けてはいない。

ご恩には誰もが浴している。

原文を見る

ご恩には誰も浴している。

ご恩返しを自分に限ってしなければならないというのは、どういう意味か。

原文を見る

ご恩報じを自分に限ってしなくてはならぬというのは、どういう意味か。

言うまでもない、自分は殉死するはずだったのに殉死しなかったから、命がけの場に行かせるというのである。

原文を見る

言うまでもない、自分は殉死するはずであったのに、殉死しなかったから、命がけの場所にやるというのである。

命はいつでも喜んで捨てるが、先に取り損ねた殉死の代わりに死のうとは思わない。

原文を見る

命は何時でも喜んで棄てるが、さきにしおくれた殉死の代りに死のうとは思わない。

今こうして命を惜しまない自分が、どうして御先代の四十九日の果てた日に命を惜しんだりしただろうか。

原文を見る

今命を惜しまぬ自分が、なんで御先代の中陰の果ての日に命を惜しんだであろう。

いわれのないことである。

原文を見る

いわれのないことである。

つまるところ、どれだけ親しくしていただいた者が殉死するのだという、はっきりした線はない。

原文を見る

畢竟ひっきょうどれだけのご入懇じっこんになった人が殉死するという、はっきりした境はない。

同じように勤めていた近習の若侍のうちに殉死の話が出なかったので、自分も生き続けていた。

原文を見る

同じように勤めていた御近習の若侍のうちに殉死の沙汰がないので、自分もながらえていた。

殉死してよいことなら、自分は誰よりも先にする。

原文を見る

殉死してよいことなら、自分は誰よりもさきにする。

それくらいのことは誰の目にも明らかだと思っていた。

原文を見る

それほどのことは誰の目にも見えているように思っていた。

それなのに、とうにするはずの殉死をしなかった人間だという烙印を押されたのは、返す返すも悔しい。

原文を見る

それにとうにするはずの殉死をせずにいた人間として極印ごくいんを打たれたのは、かえすがえすも口惜しい。

自分はすすぐことのできない汚れを身に受けた。

原文を見る

自分はすすぐことの出来ぬ汚れを身に受けた。

それほどの恥を人に負わせることは、あの外記でなければできまい。

原文を見る

それほどのはじを人に加えることは、あの外記でなくては出来まい。

外記のすることとしては、いかにもありそうなことである。

原文を見る

外記としてはさもあるべきことである。

しかし殿様はなぜそれをお聞き入れになったのか。

原文を見る

しかし殿様がなぜそれをお聴きいれになったか。

外記に傷つけられたのなら耐えることもできよう。

原文を見る

外記に傷つけられたのは忍ぶことも出来よう。

殿様に見捨てられたのは耐えることができない。

原文を見る

殿様に棄てられたのは忍ぶことが出来ない。

島原で城に乗り込もうとしたとき、御先代はお呼び止めになった。

原文を見る

島原で城に乗り入ろうとしたとき、御先代がお呼び止めなされた。

あれは馬廻りの者がわざわざ先手に加わるのをお止めになったのである。

原文を見る

それはお馬廻りのものがわざと先手さきてに加わるのをお止めなされたのである。

このたび当主が怪我をするなとおっしゃるのは、それとは違う。

原文を見る

このたび御当主の怪我をするなとおっしゃるのは、それとは違う。

惜しい命をいたわれとおっしゃるのである。

原文を見る

惜しい命をいたわれとおっしゃるのである。

それの何がありがたいものか。

原文を見る

それがなんのありがたかろう。

古い傷の上を新たに鞭打たれるようなものである。

原文を見る

古いきずの上を新たにむちうたれるようなものである。

ただ一刻も早く死にたい。

原文を見る

ただ一刻も早く死にたい。

死んでもすすげる汚れではないが、それでも死にたい。

原文を見る

死んですすがれる汚れではないが、死にたい。

犬死にでもよいから死にたい。

原文を見る

犬死でもよいから、死にたい。

数馬はこう思うと、いても立ってもいられない。

原文を見る

数馬はこう思うと、矢もたてもたまらない。

そこで妻子には、阿部への討手を仰せつけられたとだけ手短に言い聞かせて、一人ひたすら支度を急いだ。

原文を見る

そこで妻子には阿部の討手を仰せつけられたとだけ、手短てみじかに言い聞かせて、一人ひたすら支度を急いだ。

殉死した人たちは皆、安らかな気持ちで死につく思いでいたのに、数馬の気持ちは、苦しみから逃れるために死を急ぐのである。

原文を見る

殉死した人たちは皆安堵あんどして死につくという心持ちでいたのに、数馬が心持ちは苦痛を逃れるために死を急ぐのである。

年長の家来の島徳右衛門が事情を察して主人と同じ決心をしたほかには、家の中に数馬の心底を汲み取った者はいない。

原文を見る

乙名島徳右衛門が事情を察して、主人と同じ決心をしたほかには、一家のうちに数馬の心底をみ知ったものがない。

今年二十一歳になる数馬のもとへ去年嫁いで来たばかりの、まだ娘らしい妻は、生まれて間もない女の子を抱いてうろうろしているばかりである。

原文を見る

今年二十一歳になる数馬のところへ、去年来たばかりのまだ娘らしい女房にょうぼうは、当歳の女の子を抱いてうろうろしているばかりである。

明日は討ち入りという四月二十日の夜、数馬は行水を使い、月代を剃って、髪には忠利から拝領した名香「初音」を焚きしめた。

原文を見る

あすは討入りという四月二十日の夜、数馬は行水を使って、月題さかやきって、髪には忠利に拝領した名香初音はつねき込めた。

白装束に白い襷、白い鉢巻をして、肩には味方の印である角取紙をつけた。

原文を見る

白無垢しろむく白襷しろだすき白鉢巻しろはちまきをして、肩に合印あいじるし角取紙すみとりがみをつけた。

腰に帯びた刀は二尺四寸五分の正盛で、先祖の島村弾正が尼崎で討ち死にしたとき、故郷に送った形見である。

原文を見る

腰に帯びた刀は二尺四寸五分の正盛まさもりで、先祖島村弾正が尼崎で討死したとき、故郷に送った記念かたみである。

それに初陣のときに拝領した兼光を差し添えた。

原文を見る

それに初陣ういじんの時拝領した兼光を差し添えた。

門口では馬がいなないている。

原文を見る

門口には馬がいなないている。

手槍を取って庭に降り立つとき、数馬は草鞋の緒を男結びにして、余った緒を小刀で切って捨てた。

原文を見る

手槍を取って庭に降り立つとき、数馬は草鞋わらじ男結おとこむすびにして、余った緒を小刀で切って捨てた。

阿部の屋敷の裏門に向かうことになった高見権右衛門はもと和田氏で、近江国の和田に住んだ和田但馬守の子孫である。

原文を見る

阿部の屋敷の裏門に向うことになった高見権右衛門はもと和田氏で、近江国おうみのくに和田に住んだ和田但馬守たじまのかみすえである。

はじめ蒲生賢秀に従っていたが、和田庄五郎の代に細川家に仕えた。

原文を見る

初め蒲生賢秀がもうかたひでにしたがっていたが、和田庄五郎の代に細川家に仕えた。

庄五郎は岐阜と関ヶ原の戦いで功のあった者である。

原文を見る

庄五郎は岐阜、関原の戦いに功のあったものである。

忠利の兄の与一郎忠隆の配下についていたので、忠隆が慶長五年に大阪で妻の前田氏が早々に落ち延びたために父の怒りを買い、出家して休無と号して流浪したときには、高野山や京都まで供をした。

原文を見る

忠利の兄与一郎忠隆ただたかの下についていたので、忠隆が慶長五年大阪で妻前田氏の早く落ち延びたために父の勘気を受け、入道休無きゅうむとなって流浪したとき、高野山こうやさんや京都まで供をした。

それを三斎が小倉へ呼び寄せ、高見氏を名のらせて番頭にした。

原文を見る

それを三斎が小倉へ呼び寄せて、高見氏を名のらせ、番頭ばんがしらにした。

知行は五百石であった。

原文を見る

知行五百石であった。

庄五郎の子が権右衛門である。

原文を見る

庄五郎の子が権右衛門である。

島原の戦いで功はあったが、軍令に背いたかどでいったん役を取り上げられた。

原文を見る

島原の戦いに功があったが、軍令にそむいたかどで、一旦役を召し上げられた。

それがしばらくして復帰し、側者頭になっていたのである。

原文を見る

それがしばらくしてから帰参して側者頭そばものがしらになっていたのである。

権右衛門は討ち入りの支度のとき、黒羽二重の紋付きを着て、かねて大切にしていた備前長船の刀を取り出して帯びた。

原文を見る

権右衛門は討入りの支度のとき黒羽二重の紋附きを着て、かねて秘蔵していた備前長船おさふねの刀を取り出して帯びた。

そして十文字の槍を持って出た。

原文を見る

そして十文字の槍を持って出た。

竹内数馬の手勢に島徳右衛門がいるように、高見権右衛門は一人の小姓を連れている。

原文を見る

竹内数馬の手に島徳右衛門がいるように、高見権右衛門は一人の小姓を連れている。

阿部一族の事件の二、三年前の夏の日、この小姓は非番で部屋に昼寝をしていた。

原文を見る

阿部一族のことのあった二三年前の夏の日に、この小姓は非番で部屋に昼寝をしていた。

そこへ同役の一人が供先から帰って裸になり、手桶を提げて井戸へ水を汲みに行きかけたが、ふとこの小姓が寝ているのを見て、「おれがお供から帰ったのに、水も汲んでくれずに寝ているのか」

原文を見る

そこへ相役の一人が供先から帰って真裸まはだかになって、手桶ておけげて井戸へ水を汲みに行きかけたが、ふとこの小姓の寝ているのを見て、「おれがお供から帰ったに、水も汲んでくれずに寝ておるかい」

と言うなり枕を蹴った。

原文を見る

と言いざまに枕をった。

小姓は跳ね起きた。

原文を見る

小姓はね起きた。

「なるほど。目が覚めていたら水も汲んでやろう。だが枕を足蹴にするということがあるか。このままでは済まさぬぞ」

原文を見る

「なるほど。目がさめておったら、水も汲んでやろう。じゃが枕を足蹴にするということがあるか。このままには済まんぞ」

こう言って、抜き打ちに同役を肩から袈裟がけに切った。

原文を見る

こう言って抜打ちに相役を大袈裟おおげさに切った。

小姓は静かに同役の胸の上にまたがって止めを刺し、年長の家来の小屋へ行って一部始終を話した。

原文を見る

小姓は静かに相役の胸の上にまたがって止めを刺して、乙名の小屋へ行って仔細しさいを話した。

「即座に死ぬべきところでございましたが、お調べもございましょうかと存じまして」

原文を見る

「即座に死ぬるはずでござりましたが、ご不審もあろうかと存じまして」

と、肌をはだけて切腹しようとした。

原文を見る

と、はだを脱いで切腹しようとした。

年長の家来が「まあ待て」

原文を見る

乙名が「まず待て」

と言って権右衛門に告げた。

原文を見る

と言って権右衛門に告げた。

権右衛門はまだ役所から下がったばかりで衣服も改めていなかったので、そのまま館へ出て忠利に申し上げた。

原文を見る

権右衛門はまだ役所から下がって、衣服も改めずにいたので、そのままやかたへ出て忠利に申し上げた。

忠利は「もっともなことだ。切腹には及ばない」

原文を見る

忠利は「もっとものことじゃ。切腹にはおよばぬ」

と言った。

原文を見る

と言った。

このときから、小姓は権右衛門に命を捧げる覚悟で奉公しているのである。

原文を見る

このときから小姓は権右衛門に命を捧げて奉公しているのである。

小姓は矢を入れる箙を背負い、半弓を取って主人のかたわらに寄り添った。

原文を見る

小姓はえびらを負い半弓を取って、主のかたわらに引き添った。

寛永十九年四月二十一日は、麦の刈り入れどきによくある薄曇りの日であった。

原文を見る

寛永十九年四月二十一日は麦秋むぎあきによくある薄曇りの日であった。

阿部一族が立てこもっている山崎の屋敷に討ち入ろうとして、竹内数馬の手勢は明け方に表門の前に来た。

原文を見る

阿部一族の立て籠っている山崎の屋敷に討ち入ろうとして、竹内数馬の手のものは払暁ふつぎょうに表門の前に来た。

夜通し鉦や太鼓を鳴らしていた屋敷の中が、今はひっそりとして、空き家かと思われるほどである。

原文を見る

夜通し鉦太鼓かねたいこを鳴らしていた屋敷のうちが、今はひっそりとして空家あきやかと思われるほどである。

門の扉は閉ざしてある。

原文を見る

門のとびらとざしてある。

板塀の上に二、三尺伸びている夾竹桃の梢には蜘蛛の巣がかかっていて、そこに夜露が真珠のように光っている。

原文を見る

板塀の上に二三尺伸びている夾竹桃きょうちくとう木末うらには、くものいがかかっていて、それに夜露が真珠のように光っている。

燕が一羽どこからか飛んで来て、すっと塀の内に入った。

原文を見る

つばめが一羽どこからか飛んで来て、つと塀のうちに入った。

数馬は馬を放して降り立ち、しばらく様子を見ていたが、「門を開けろ」

原文を見る

数馬は馬を乗り放って降り立って、しばらく様子を見ていたが、「門をあけい」

と言った。

原文を見る

と言った。

足軽が二人、塀を乗り越えて中に入った。

原文を見る

足軽が二人塀を乗り越してうちにはいった。

門の周りには敵が一人もいないので、錠前を打ち壊して閂を抜いた。

原文を見る

門の廻りには敵は一人もいないので、錠前を打ちこわしてかんの木を抜いた。

隣家の柄本又七郎は、数馬の手勢が門を開ける物音を聞いて、前の晩に結び縄を切っておいた竹垣を踏み破って駆け込んだ。

原文を見る

隣家の柄本又七郎は数馬の手のものが門をあける物音を聞いて、前夜結び縄を切っておいた竹垣を踏み破って、駈け込んだ。

毎日のように行き来して、すみずみまで勝手を知っている家である。

原文を見る

毎日のようにして、隅々すみずみまで案内を知っている家である。

手槍を構えて、台所の口からすっと入った。

原文を見る

手槍を構えて台所の口から、つとはいった。

座敷の戸を締め切って、押し入って来る討手を一人ずつ討ち取ろうと待ち構えていた一族の中で、裏口に人の気配がするのにまず気づいたのは弥五兵衛である。

原文を見る

座敷の戸を締め切って、み入る討手のものを一人一人討ち取ろうとして控えていた一族の中で、裏口に人のけはいのするのに、まず気のついたのは弥五兵衛である。

これも手槍を提げて台所へ見に出た。

原文を見る

これも手槍を提げて台所へ見に出た。

二人は槍の穂先と穂先が触れ合うほどに向かい合った。

原文を見る

二人は槍の穂先と穂先とが触れ合うほどに相対した。

「や、又七郎か」

原文を見る

「や、又七郎か」

と、弥五兵衛が声をかけた。

原文を見る

と、弥五兵衛が声をかけた。

「おう。かねての大言がある。お前の槍の腕前を見に来た」

原文を見る

「おう。かねての広言がある。おぬしが槍の手並みを見に来た」

「よく来た。さあ」

原文を見る

「ようわせた。さあ」

二人は一歩下がって槍を交えた。

原文を見る

二人は一歩しざって槍を交えた。

しばらく戦ったが、槍の技は又七郎の方が優れていたので、弥五兵衛の胸板をしたたかに突き抜いた。

原文を見る

しばらく戦ったが、槍術は又七郎の方が優れていたので、弥五兵衛の胸板をしたたかにつき抜いた。

弥五兵衛は槍をからりと捨てて、座敷の方へ引き下がろうとした。

原文を見る

弥五兵衛は槍をからりと棄てて、座敷の方へ引こうとした。

「卑怯だぞ。引くな」

原文を見る

卑怯ひきょうじゃ。引くな」

又七郎が叫んだ。

原文を見る

又七郎が叫んだ。

「いや、逃げはしない。腹を切るのだ」

原文を見る

「いや逃げはせぬ。腹を切るのじゃ」

そう言い捨てて座敷に入った。

原文を見る

言いすてて座敷にはいった。

その瞬間、「おじ様、お相手いたす」

原文を見る

その刹那せつなに「おじ様、お相手」

と叫んで、前髪の七之丞が稲妻のように飛び出し、又七郎の太腿を突いた。

原文を見る

と叫んで、前髪の七之丞が電光のごとくに飛んで出て、又七郎の太股ふとももをついた。

親しい弥五兵衛に深手を負わせて、思わず気がゆるんでいたので、腕利きの又七郎も少年の手にかかったのである。

原文を見る

入懇じっこんの弥五兵衛に深手を負わせて、覚えず気がゆるんでいたので、手錬の又七郎も少年の手にかかったのである。

又七郎は槍を捨ててその場に倒れた。

原文を見る

又七郎は槍を棄ててその場に倒れた。

数馬は門内に入って、人数を屋敷のすみずみに配った。

原文を見る

数馬は門内に入って人数を屋敷の隅々に配った。

さて真っ先に玄関に進んでみると、正面の板戸が細めに開けてある。

原文を見る

さて真っ先に玄関に進んでみると、正面の板戸が細目にあけてある。

数馬がその戸に手をかけようとすると、島徳右衛門が押しへだてて、早口にささやいた。

原文を見る

数馬がその戸に手をかけようとすると、島徳右衛門が押し隔てて、詞せわしくささやいた。

「お待ちください。殿は今日の総大将です。それがしが先に参ります」

原文を見る

「お待ちなさりませ。殿は今日の総大将じゃ。それがしがお先をいたします」

徳右衛門は戸をがらりと開けて飛び込んだ。

原文を見る

徳右衛門は戸をがらりとあけて飛び込んだ。

待ち構えていた市太夫の槍に、徳右衛門は右の目を突かれ、よろよろと数馬に倒れかかった。

原文を見る

待ち構えていた市太夫の槍に、徳右衛門は右の目をつかれてよろよろと数馬に倒れかかった。

「邪魔だ」

原文を見る

「邪魔じゃ」

数馬は徳右衛門を押しのけて進んだ。

原文を見る

数馬は徳右衛門を押し退けて進んだ。

市太夫と五太夫の槍が、左右の脇腹を突き抜いた。

原文を見る

市太夫、五太夫の槍が左右のひわらをつき抜いた。

添島九兵衛と野村庄兵衛が続いて駆け込んだ。

原文を見る

添島九兵衛、野村庄兵衛が続いて駆け込んだ。

徳右衛門も深手にひるまず取って返した。

原文を見る

徳右衛門も痛手に屈せず取って返した。

このとき裏門を押し破って入った高見権右衛門は、十文字槍をふるって阿部の家来たちを突きまくり、座敷まで来た。

原文を見る

このとき裏門を押し破ってはいった高見権右衛門は十文字槍をふるって、阿部の家来どもをつきまくって座敷に来た。

千場作兵衛も続いて押し入った。

原文を見る

千場ちば作兵衛も続いてみ入った。

裏と表の二手の者たちが入り乱れ、わめき叫んで突いて来る。

原文を見る

裏表二手のものどもが入り違えて、おめき叫んでいて来る。

障子や襖は取り払ってあっても、三十畳に足りない座敷である。

原文を見る

障子襖は取り払ってあっても、三十畳に足らぬ座敷である。

市街戦の惨状が野戦よりひどいのと同じ道理で、皿に盛られた無数の虫が互いに食い合うのにもたとえられそうな、目も当てられない有様である。

原文を見る

市街戦の惨状が野戦よりはなはだしいと同じ道理で、さらに盛られた百虫ひゃくちゅう相啖あいくらうにもたとえつべく、目も当てられぬありさまである。

市太夫と五太夫は相手かまわず槍を交えているうちに、全身に数え切れないほどの傷を受けた。

原文を見る

市太夫、五太夫は相手きらわず槍を交えているうち、全身に数えられぬほどのきずを受けた。

それでもひるまず、槍を捨てて刀を抜き、切って回っている。

原文を見る

それでも屈せずに、槍を棄てて刀を抜いて切り廻っている。

七之丞はいつのまにか倒れている。

原文を見る

七之丞はいつのまにか倒れている。

太腿を突かれた柄本又七郎が台所に伏していると、高見の手の者が見て、「傷を負われたな、お見事だ、早くお引きなされ」

原文を見る

太股ふとももをつかれた柄本又七郎が台所に伏していると、高見の手のものが見て、「手をおいなされたな、お見事じゃ、早うお引きなされい」

と言って、奥へ通り抜けた。

原文を見る

と言って、奥へ通り抜けた。

「引く足があるなら、わしも奥へ入るのだが」

原文を見る

「引く足があれば、わしも奥へはいるが」

と、又七郎は苦々しげに言って歯ぎしりをした。

原文を見る

と、又七郎は苦々しげに言って歯咬はがみをした。

そこへ主人のあとを追って入り込んだ家来の一人が駆けつけ、肩に担いで退いた。

原文を見る

そこへ主のあとを慕って入り込んだ家来の一人が駈けつけて、肩にかけて退いた。

もう一人の柄本家の従者、天草平九郎という者は、主人の退き口を守って半弓で目につく敵を射ていたが、その場で討ち死にした。

原文を見る

今一人の柄本家の被官ひかん天草平九郎というものは、主の退くちを守って、半弓をもって目にかかる敵を射ていたが、その場で討死した。

竹内数馬の手勢では、島徳右衛門がまず死に、次いで小頭の添島九兵衛が死んだ。

原文を見る

竹内数馬の手では島徳右衛門がまず死んで、ついで小頭添島九兵衛が死んだ。

高見権右衛門が十文字槍をふるって戦う間、半弓を持った小姓はいつも槍の脇を固めて敵を射ていたが、のちには刀を抜いて切って回った。

原文を見る

高見権右衛門が十文字槍をふるって働く間、半弓を持った小姓はいつも槍脇やりわきを詰めて敵を射ていたが、のちには刀を抜いて切って廻った。

ふと見ると、鉄砲で権右衛門を狙っている者がある。

原文を見る

ふと見れば鉄砲で権右衛門をねらっているものがある。

「あの弾はわたくしが受け止めます」

原文を見る

「あのたまはわたくしが受け止めます」

と言って小姓が権右衛門の前に立つと、弾が来て当たった。

原文を見る

と言って、小姓が権右衛門の前に立つと、丸が来てあたった。

小姓は即死した。

原文を見る

小姓は即死した。

竹内の組から抜いて高見につけられた小頭の千場作兵衛は、深手を負って台所に出て水瓶の水を飲んだが、そのままそこにへたり込んでいた。

原文を見る

竹内の組から抜いて高見につけられた小頭千場作兵衛は重手おもでを負って台所に出て、水瓶みずかめの水をんだが、そのままそこにへたばっていた。

阿部一族は最初に弥五兵衛が切腹し、市太夫・五太夫・七之丞もとうとう皆、深手のために息が絶えた。

原文を見る

阿部一族は最初に弥五兵衛が切腹して、市太夫、五太夫、七之丞はとうとう皆深手に息が切れた。

家来も多くが討ち死にした。

原文を見る

家来も多くは討死した。

高見権右衛門は裏表の人数を集め、阿部の屋敷の裏手にあった物置小屋を崩させて、それに火をかけた。

原文を見る

高見権右衛門は裏表の人数を集めて、阿部が屋敷の裏手にあった物置小屋をくずさせて、それに火をかけた。

風のない日の薄曇りの空に、煙がまっすぐに立ちのぼって、遠くからも見えた。

原文を見る

風のない日の薄曇りの空に、煙がまっすぐにのぼって、遠方から見えた。

それから火を踏み消し、あとを水で湿らせて引き上げた。

原文を見る

それから火を踏み消して、あとを水でしめして引き上げた。

台所にいた千場作兵衛やそのほかの深手を負った者は、家来や同輩が肩に担いで続いた。

原文を見る

台所にいた千場作兵衛、そのほか重手を負ったものは家来や傍輩が肩にかけて続いた。

時刻はちょうど未の刻であった。

原文を見る

時刻はちょうどひつじの刻であった。

光尚はたびたび家中の主だった者の家へ出かけることがあったが、阿部一族を討たせた二十一日の日には、松野左京の屋敷へ明け方から出かけた。

原文を見る

光尚はたびたび家中のおもだったものの家へ遊びに往くことがあったが、阿部一族を討ちにやった二十一日の日には、松野左京の屋敷へ払暁ふつぎょうから出かけた。

館のあるお花畠から山崎はすぐ向こうなので、光尚が館を出るとき、阿部の屋敷の方角から人声や物音がするのが聞こえた。

原文を見る

やかたのあるお花畠はなばたけからは、山崎はすぐ向うになっているので、光尚が館を出るとき、阿部の屋敷の方角に人声物音がするのが聞こえた。

「今、討ち入ったな」

原文を見る

「今討ち入ったな」

と言って、光尚は駕籠に乗った。

原文を見る

と言って、光尚は駕籠かごに乗った。

駕籠がようやく一町ほど行ったとき、知らせが来た。

原文を見る

駕籠がようよう一町ばかりいったとき、注進があった。

竹内数馬が討ち死にしたことは、このときわかった。

原文を見る

竹内数馬が討死をしたことは、このときわかった。

高見権右衛門は討手の全員を率いて、光尚のいる松野の屋敷の前まで引き上げ、阿部の一族を残らず討ち取ったことを取り次いでもらった。

原文を見る

高見権右衛門は討手の総勢を率いて、光尚のいる松野の屋敷の前まで引き上げて、阿部の一族を残らず討ち取ったことを執奏してもらった。

光尚はすぐに会おうと言って、権右衛門を書院の庭に回らせた。

原文を見る

光尚はじきに逢おうと言って、権右衛門を書院の庭に廻らせた。

ちょうど卯の花が真っ白に咲いている垣根の間に小さな枝折戸があるのを開けて入り、権右衛門は芝生の上に片膝をついて控えた。

原文を見る

ちょうどの花の真っ白に咲いているかきの間に、小さい枝折戸しおりどのあるのをあけてはいって、権右衛門は芝生の上に突居ついいた。

光尚がそれを見て、「傷を負ったな、大儀であった」

原文を見る

光尚が見て、「手を負ったな、一段骨折りであった」

と声をかけた。

原文を見る

と声をかけた。

黒羽二重の衣服が血まみれになり、その上に、引き上げのとき小屋の火を踏み消して飛び散った炭や灰がまだらについていたのである。

原文を見る

黒羽二重くろはぶたえの衣服が血みどれになって、それに引上げのとき小屋の火を踏み消したとき飛び散った炭や灰がまだらについていたのである。

「いえ。かすり傷でございます」

原文を見る

「いえ。かすりきずでござりまする」

権右衛門は誰かにみぞおちをしたたか突かれたが、懐に入れていた鏡に当たって穂先がそれた。

原文を見る

権右衛門は何者かに水落みずおちをしたたかつかれたが懐中していた鏡にあたって穂先がそれた。

傷はわずかに鼻紙に血をにじませただけである。

原文を見る

創はわずかに血を鼻紙ににじませただけである。

権右衛門は討ち入りのときの各人の働きを詳しく申し上げ、第一の功は、単身で弥五兵衛に深手を負わせた隣家の柄本又七郎に譲った。

原文を見る

権右衛門は討入りのときのめいめいの働きをくわしく言上して、第一の功を単身で弥五兵衛に深手を負わせた隣家の柄本又七郎に譲った。

「数馬はどうであった」

原文を見る

「数馬はどうじゃった」

「表門から一足先に駆け込みましたので、見届けておりません」

原文を見る

「表門から一足先に駈け込みましたので見届けません」

「そうか。皆の者に庭へ入れと言え」

原文を見る

「さようか。皆のものに庭へはいれと言え」

権右衛門が一同を呼び入れた。

原文を見る

権右衛門が一同を呼び入れた。

深手を負って自宅へ担いで行かれた者たちのほかは、皆芝生に平伏した。

原文を見る

重手おもでで自宅へいて行かれた人たちのほかは、皆芝生に平伏した。

戦った者は血に汚れ、小屋を焼く手伝いだけをした者は灰ばかりかぶっている。

原文を見る

働いたものは血によごれている、小屋を焼く手伝いばかりしたものは、灰ばかりあびている。

その灰ばかりかぶった中に、畑十太夫がいた。

原文を見る

その灰ばかりあびた中に、畑十太夫がいた。

光尚が声をかけた。

原文を見る

光尚が声をかけた。

「十太夫、そちの働きはどうであった」

原文を見る

「十太夫、そちの働きはどうじゃった」

「はっ」

原文を見る

「はっ」

と言ったきり、黙って伏していた。

原文を見る

と言ったぎり黙って伏していた。

十太夫は体こそ大きいが臆病者で、阿部の屋敷の外をうろついていて、引き上げの前に小屋に火をかけたとき、ようやくおずおずと中に入ったのである。

原文を見る

十太夫は大兵だいひょうの臆病者で、阿部が屋敷の外をうろついていて、引上げの前に小屋に火をかけたとき、やっとおずおずはいったのである。

最初に討手を仰せつけられたとき、次の間へ出るところを剣術者の新免武蔵が見て、「まことに有り難いお役目だ、大いに手柄を立てられよ」

原文を見る

最初討手を仰せつけられたときに、お次へ出るところを劍術者新免武蔵しんめんむさしが見て、「冥加至極みょうがしごくのことじゃ、ずいぶんお手柄をなされい」

と言って背中をぽんと打った。

原文を見る

と言って背中をぽんと打った。

十太夫は顔色を失い、ゆるんでいた袴の紐を締め直そうとしたが、手が震えて締まらなかったそうである。

原文を見る

十太夫は色を失って、ゆるんでいたはかまひもを締め直そうとしたが、手がふるえて締まらなかったそうである。

光尚は席を立つときに言った。

原文を見る

光尚は座を起つとき言った。

「皆よく励んでくれた。帰って休息せよ」

原文を見る

「皆出精しゅっせいであったぞ。帰って休息いたせ」

竹内数馬の幼い娘には養子を迎えさせて家督相続を許されたが、この家はのちに絶えた。

原文を見る

竹内数馬の幼い娘には養子をさせて家督相続を許されたが、この家はのちに絶えた。

高見権右衛門は三百石、千場作兵衛と野村庄兵衛はそれぞれ五十石の加増を受けた。

原文を見る

高見権右衛門は三百石、千場作兵衛、野村庄兵衛はかく五十石の加増を受けた。

柄本又七郎へは、米田監物が承って組頭の谷内蔵之允を使者に立て、褒めの言葉が伝えられた。

原文を見る

柄本又七郎へは米田監物こめだけんもつが承って組頭谷内蔵之允たにくらのすけを使者にやって、賞詞ほめことばがあった。

親戚や友人が祝いを言いに来ると、又七郎は笑って、「元亀天正のころは、城攻めも野戦も朝晩の飯と同じことだった。阿部一族の討ち取りなど、朝飯前の朝飯前、そのまた朝飯前だ」

原文を見る

親戚朋友しんせきほうゆうがよろこびを言いに来ると、又七郎は笑って、「元亀げんき天正のころは、城攻め野合せが朝夕の飯同様であった、阿部一族討取りなぞは茶の子の茶の子の朝茶の子じゃ」

と言った。

原文を見る

と言った。

二年経って正保元年の夏、又七郎は傷が癒えて光尚に拝謁した。

原文を見る

二年立って、正保元年の夏、又七郎は創がえて光尚に拝謁はいえつした。

光尚は鉄砲十挺を預けて、「傷が根本から治るように湯治をしたければするがよい、また城下の外に別荘の土地を与えるから、場所を望め」

原文を見る

光尚は鉄砲十挺を預けて、「創が根治するように湯治がしたくばいたせ、また府外に別荘地をつかわすから、場所を望め」

と言った。

原文を見る

と言った。

又七郎は益城の小池村に屋敷地をもらった。

原文を見る

又七郎は益城ましき小池村に屋敷地をもらった。

その背後が竹藪の山である。

原文を見る

その背後が藪山やぶやまである。

「藪山も与えようか」

原文を見る

「藪山もつかわそうか」

と、光尚が使いを通じて言わせた。

原文を見る

と、光尚が言わせた。

又七郎はそれを辞退した。

原文を見る

又七郎はそれを辞退した。

竹はふだんでもお役に立つ。

原文を見る

竹は平日もご用に立つ。

戦でもあれば、竹束がたくさん要る。

原文を見る

戦争でもあると、竹束がたくさんいる。

それを自分のものとして拝領しては気が済まない、というのである。

原文を見る

それをわたくしに拝領しては気が済まぬというのである。

そこで藪山は永代のお預かりということになった。

原文を見る

そこで藪山は永代御預えいたいおあずけということになった。

畑十太夫は追放された。

原文を見る

畑十太夫は追放せられた。

竹内数馬の兄の八兵衛は、自分の判断で討手に加わりながら弟の討ち死にした場に居合わせなかったので、閉門を仰せつけられた。

原文を見る

竹内数馬の兄八兵衛は私に討手に加わりながら、弟の討死の場所に居合わせなかったので、閉門を仰せつけられた。

また馬廻りの子で近習を勤めていた某は、阿部の屋敷の近くに住んでいたので、「火の用心をせよ」

原文を見る

また馬廻りの子で近習を勤めていたそれがしは、阿部の屋敷に近く住まっていたので、「火の用心をいたせ」

と言われて当番を免除され、父と一緒に屋根に上がって火の粉を消していた。

原文を見る

と言って当番をゆるされ、父と一しょに屋根に上がって火の子を消していた。

のちに、せっかく当番を免除されたお心づかいに背いたと気づいてお暇を願い出たが、光尚は「それは臆病ではない、今後はもう少し気をつけるがよいぞ」

原文を見る

のちにせっかく当番をゆるされた思召おぼしめしにそむいたと心づいておいとまを願ったが、光尚は「そりゃ臆病ではない、以後はも少し気をつけるがよいぞ」

と言って、そのまま勤めさせた。

原文を見る

と言って、そのまま勤めさせた。

この近習は光尚が亡くなったときに殉死した。

原文を見る

この近習は光尚の亡くなったとき殉死した。

阿部一族の遺体は井出の口に引き出されて、検分された。

原文を見る

阿部一族の死骸は井出の口に引き出して、吟味せられた。

白川で一人ひとりの傷を洗ってみたとき、柄本又七郎の槍に胸板を突き抜かれた弥五兵衛の傷は、誰の受けた傷よりも見事であったので、又七郎はいよいよ面目を施した。

原文を見る

白川で一人一人の創を洗ってみたとき、柄本又七郎の槍に胸板をつき抜かれた弥五兵衛の創は、誰の受けた創よりも立派であったので、又七郎はいよいよ面目を施した。

大正二年一月

原文を見る

大正二年一月