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文鳥 小学生向け

夏目漱石なつめそうせき)・1988

AI生成この訳はAI(claude-sonnet-5)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-28

十月、早稲田(わせだ)に引っ越した。

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十月早稲田わせだに移る。

がらんとして広い書斎にひとりでいて、すましたような顔をほおづえで支えていると、三重吉(みえきち)がやって来て、「鳥を飼いなさい」と言った。

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伽藍がらんのような書斎にただ一人、片づけた顔を頬杖ほおづえで支えていると、三重吉みえきちが来て、鳥を御いなさいと云う。

「飼ってもいいよ」と答えた。

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飼ってもいいと答えた。

でも念のため、「何を飼うんだい」と聞いてみると、「文鳥(ぶんちょう)です」という返事だった。

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しかし念のためだから、何を飼うのかねと聞いたら、文鳥ぶんちょうですと云う返事であった。

文鳥は三重吉の小説にも出てくるくらいだから、きっときれいな鳥にちがいないと思い、「じゃあ買ってきてくれ」と頼んだ。

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文鳥は三重吉の小説に出て来るくらいだから奇麗きれいな鳥に違なかろうと思って、じゃ買ってくれたまえと頼んだ。

ところが三重吉は「ぜひ飼いなさい」と、同じようなことを何度も繰り返している。

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ところが三重吉は是非御飼いなさいと、同じような事を繰り返している。

「うん、買うよ、買うよ」と、やっぱりほおづえを突いたまま、もごもご言っているうちに、三重吉は黙ってしまった。

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うむ買うよ買うよとやはり頬杖を突いたままで、むにゃむにゃ云ってるうちに三重吉は黙ってしまった。

たぶんほおづえをついたままの態度にあきれたのだろうと、このときはじめて気がついた。

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おおかた頬杖に愛想を尽かしたんだろうと、この時始めて気がついた。

すると三分ほどして、今度は「籠(かご)を買いなさい」と言い出した。

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すると三分ばかりして、今度はかごを御買いなさいと云いだした。

これも「いいよ」と答えると、三重吉はもう一度念を押す代わりに、鳥籠についての説明を始めた。

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これもよろしいと答えると、是非御買いなさいと念を押す代りに、鳥籠の講釈を始めた。

その説明はなかなか細かいものだったが、気の毒なことに、みんな忘れてしまった。

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その講釈はだいぶったものであったが、気の毒な事に、みんな忘れてしまった。

ただ、「いい籠は二十円くらいする」という話になったとき、急に「そんな高いのでなくてもいいだろう」と言っておいた。

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ただ好いのは二十円ぐらいすると云う段になって、急にそんな高価たかいのでなくってもかろうと云っておいた。

三重吉はにやにやしている。

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三重吉はにやにやしている。

それから、いったいどこで買うのかと聞いてみると、「どこの鳥屋にでもありますよ」と、実にありきたりな答えをした。

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それから全体どこで買うのかと聞いて見ると、なにどこの鳥屋にでもありますと、実に平凡な答をした。

「籠は?」と聞き返すと、「籠ですか。籠はその……何ですよ、どこかにあるでしょう」と、まるで雲をつかむような、のんきなことを言う。

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籠はと聞き返すと、籠ですか、籠はその何ですよ、なにどこにかあるでしょう、とまるで雲をつかむような寛大な事を云う。

でも、「君、あてがなくちゃいけないだろう」と、いかにもだめだというような顔をして見せたら、三重吉はほおに手をあてて、「なんでも駒込(こまごめ)に籠づくりの名人がいるそうですが、年寄りだそうですから、もう死んだかもしれません」と、急に心細そうな顔になった。

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でも君あてがなくっちゃいけなかろうと、あたかもいけないような顔をして見せたら、三重吉はほっぺたへ手をあてて、何でも駒込に籠の名人があるそうですが、年寄だそうですから、もう死んだかも知れませんと、非常に心細くなってしまった。

とにかく、言い出した人に責任を持ってもらうのは当然のことだから、さっそく全部三重吉に任せることにした。

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何しろ言いだしたものに責任を負わせるのは当然の事だから、さっそく万事を三重吉に依頼する事にした。

すると、すぐに「お金を出してください」と言う。

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すると、すぐ金を出せと云う。

お金はたしかに渡した。

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金はたしかに出した。

三重吉はどこで買ったのか、七子織(ななこおり)の三つ折りの財布を持ち歩いていて、人のお金も自分のお金も、みんなこの財布に入れてしまうくせがある。

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三重吉はどこで買ったか、七子ななこおれの紙入を懐中していて、人の金でも自分の金でも悉皆しっかいこの紙入の中に入れる癖がある。

自分は、三重吉が五円札をたしかにこの財布の底に押し込むのを見た。

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自分は三重吉が五円札をたしかにこの紙入の底へ押し込んだのを目撃した。

こうして、お金はたしかに三重吉の手に渡った。

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かようにして金はたしかに三重吉の手に落ちた。

しかし、鳥と籠はなかなかやって来ない。

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しかし鳥とかごとは容易にやって来ない。

そのうち秋は小春日和(こはるびより・秋の終わりの暖かい日)になった。

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そのうち秋が小春こはるになった。

三重吉はたびたびやって来る。

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三重吉はたびたび来る。

よく女の人の話などをして帰っていく。

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よく女の話などをして帰って行く。

文鳥と籠の話は、まったく出てこない。

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文鳥と籠の講釈は全く出ない。

ガラス戸ごしに、五尺(しゃく・約1.5メートル)ほどの縁側にはよく日が当たる。

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硝子戸ガラスどすかして五尺の縁側えんがわには日が好く当る。

どうせ文鳥を飼うなら、こんな暖かい季節に、この縁側に鳥籠を置いてやったら、文鳥もきっとよく鳴くだろうと思うくらいだった。

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どうせ文鳥を飼うなら、こんな暖かい季節に、この縁側へ鳥籠をえてやったら、文鳥も定めし鳴きかろうと思うくらいであった。

三重吉の小説によると、文鳥は「千代(ちよ)、千代」と鳴くそうだ。

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三重吉の小説によると、文鳥は千代ちよ千代と鳴くそうである。

その鳴き声がよほど気に入ったらしく、三重吉は「千代千代」ということばを何度も使っている。

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その鳴き声がだいぶん気に入ったと見えて、三重吉は千代千代を何度となく使っている。

もしかしたら、千代という女の人に恋をしていたことがあるのかもしれない。

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あるいは千代と云う女にれていた事があるのかも知れない。

しかし本人は、まったくそんなことを言わない。

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しかし当人はいっこうそんな事を云わない。

自分も聞いてみない。

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自分も聞いてみない。

ただ、縁側にはよく日が当たる。

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ただ縁側に日が善く当る。

そして、文鳥はまだ鳴かない。

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そうして文鳥が鳴かない。

そのうち、霜(しも)が降り始めた。

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そのうちしもが降り出した。

自分は毎日、がらんとして広い書斎で、寒そうな顔をすましてみたり、くずしてみたり、ほおづえをついたりやめたりして暮らしていた。

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自分は毎日伽藍がらんのような書斎に、寒い顔を片づけてみたり、取乱してみたり、頬杖を突いたりやめたりして暮していた。

戸は二重に閉め切った。

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戸は二重にじゅうに締め切った。

火鉢(ひばち)に、炭ばかり足していた。

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火鉢ひばちに炭ばかりいでいる。

文鳥のことは、とうとう忘れてしまった。

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文鳥はついに忘れた。

そこへ三重吉が、門口(かどぐち)から勢いよく入って来た。

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ところへ三重吉が門口かどぐちから威勢よく這入はいって来た。

時刻は、夜のはじめごろだった。

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時はよいくちであった。

寒いので火鉢の上に胸から上をかざして、さえない顔をわざと火にあてていたのが、急に元気になった。

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寒いから火鉢の上へ胸から上をかざして、浮かぬ顔をわざとほてらしていたのが、急に陽気になった。

三重吉は豊隆(ほうりゅう)を連れている。

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三重吉は豊隆ほうりゅうを従えている。

豊隆にとってはいい迷惑である。

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豊隆はいい迷惑である。

二人は籠を一つずつ持っている。

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二人が籠を一つずつ持っている。

そのうえ三重吉は、大きな箱を兄貴分らしく抱えている。

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その上に三重吉が大きな箱をあにぶんかかえている。

五円札が文鳥と籠と箱になったのは、この初冬(はつふゆ)の晩のことだった。

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五円札が文鳥と籠と箱になったのはこの初冬はつふゆの晩であった。

三重吉はとても得意そうである。

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三重吉は大得意である。

「まあ、見てください」と言う。

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まあ御覧なさいと云う。

「豊隆、そのランプをもっとこっちへ出せ」などと言う。

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豊隆その洋灯ランプをもっとこっちへ出せなどと云う。

そのくせ、寒いので鼻の頭が少し紫色になっている。

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そのくせ寒いので鼻の頭が少し紫色むらさきいろになっている。

なるほど、立派な籠だった。

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なるほど立派な籠ができた。

台に漆(うるし)が塗ってある。

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台がうるしで塗ってある。

竹は細く削ったうえに、色が染めてある。

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竹は細くけずった上に、色がけてある。

それで三円だという。

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それで三円だと云う。

「安いなあ、豊隆」と言っている。

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安いなあ豊隆と云っている。

豊隆は「うん、安い」と言っている。

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豊隆はうん安いと云っている。

自分には安いのか高いのかはっきりわからないが、「まあ、安いなあ」と言っておいた。

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自分は安いか高いか判然とわからないが、まあ安いなあと云っている。

「いいものになると二十円もするそうですよ」と言う。

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好いのになると二十円もするそうですと云う。

二十円という値段は、これで二度目である。

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二十円はこれで二返目にへんめである。

二十円に比べれば安いのは当然である。

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二十円に比べて安いのは無論である。

「この漆はですね、先生、日なたに出してさらしておくうちに黒みが取れて、だんだん朱(しゅ・赤に近い色)が出てきますから――それにこの竹は、一度しっかり煮てあるから大丈夫ですよ」などと、しきりに説明してくれる。

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この漆はね、先生、日向ひなたへ出してさらしておくうちに黒味くろみが取れてだんだんしゅの色が出て来ますから、――そうしてこの竹は一返いっぺん善く煮たんだから大丈夫ですよなどと、しきりに説明をしてくれる。

「何が大丈夫なんだい」と聞き返すと、「まあ、鳥を見てください。きれいでしょう」と言っている。

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何が大丈夫なのかねと聞き返すと、まあ鳥を御覧なさい、奇麗きれいでしょうと云っている。

なるほど、きれいだ。

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なるほど奇麗だ。

となりの部屋に籠を置いて、四尺(しゃく・約1.2メートル)ほど離れたこちらから見ると、少しも動かない。

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つぎへ籠を据えて四尺ばかりこっちから見ると少しも動かない。

薄暗いなかで、まっ白に見える。

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薄暗い中に真白に見える。

籠の中にうずくまっていなければ、鳥だとは思えないほど白い。

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籠の中にうずくまっていなければ鳥とは思えないほど白い。

なんだか寒そうだ。

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何だか寒そうだ。

「寒いだろうね」と聞いてみると、「そのために箱を作ったんです」と言う。

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寒いだろうねと聞いてみると、そのために箱を作ったんだと云う。

夜になれば、この箱に入れてやるのだと言う。

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夜になればこの箱に入れてやるんだと云う。

「籠が二つあるのはどうしてだ」と聞くと、「この粗末なほうへ入れて、ときどき行水(ぎょうずい・水浴び)をさせるんです」と言う。

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かごが二つあるのはどうするんだと聞くと、この粗末な方へ入れて時々行水ぎょうずいを使わせるのだと云う。

これは少し手間がかかるなと思っていると、「それから、糞(ふん)をして籠を汚しますから、ときどき掃除をしてやってください」とつけ加えた。

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これは少し手数てすうが掛るなと思っていると、それからふんをして籠をよごしますから、時々掃除そうじをしておやりなさいとつけ加えた。

三重吉は、文鳥のこととなるとなかなか強気である。

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三重吉は文鳥のためにはなかなか強硬である。

それを「はいはい」と引き受けると、今度は三重吉がたもとから粟(あわ)を一袋取り出した。

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それをはいはい引受けると、今度は三重吉がたもとからあわを一袋出した。

「これを毎朝食べさせなくちゃいけません。

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これを毎朝食わせなくっちゃいけません。

もし餌(え)を取りかえてやらないなら、餌壺(えつぼ)を出して、殻(から)だけ吹き飛ばしておいてください。

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もしをかえてやらなければ、餌壺えつぼを出してからだけ吹いておやんなさい。

そうしないと、文鳥が実(み)の入った粟をいちいち拾い出さなくちゃいけませんから」

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そうしないと文鳥がのある粟を一々拾い出さなくっちゃなりませんから。

「水も毎朝、取りかえてやってください。

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水も毎朝かえておやんなさい。

先生は寝坊だから、ちょうどいいでしょう」と、文鳥にとても親切にしてくれる。

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先生は寝坊だからちょうど好いでしょうと大変文鳥に親切をきわめている。

そこで自分も、「わかった」と全部引き受けた。

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そこで自分もよろしいと万事受合った。

そこへ豊隆が、たもとから餌壺と水入れを出して、行儀よく自分の前に並べた。

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ところへ豊隆が袂から餌壺と水入を出して行儀よく自分の前に並べた。

こうして何もかも用意しておいて、あとは実行してくれと迫られると、義理でも文鳥の世話をしないわけにはいかなくなる。

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こういっさい万事を調ととのえておいて、実行をせまられると、義理にも文鳥の世話をしなければならなくなる。

内心では、うまくやれるかよほど心もとなかったが、とにかくやってみようとだけは決心した。

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内心ではよほど覚束おぼつかなかったが、まずやってみようとまでは決心した。

もしできなかったら、家の者がなんとかしてくれるだろうと思った。

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もしできなければうちのものが、どうかするだろうと思った。

やがて三重吉は、鳥籠をていねいに箱の中へ入れて、縁側へ持ち出し、「ここに置きますから」と言って帰った。

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やがて三重吉は鳥籠を叮嚀ていねいに箱の中へ入れて、縁側えんがわへ持ち出して、ここへ置きますからと云って帰った。

自分は、がらんとして広い書斎の真ん中に布団をしいて、ひんやりと眠った。

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自分は伽藍がらんのような書斎の真中に床をべてひややかに寝た。

夢の中で文鳥を背負いこんだような気持ちがして、少し寒かったが、眠ってみればいつもの夜と同じように穏やかだった。

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夢に文鳥を背負しょんだ心持は、少し寒かったがねぶってみれば不断ふだんよるのごとく穏かである。

翌朝、目が覚めるとガラス戸に日がさしていた。

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翌朝よくあさ眼がめると硝子戸ガラスどに日が射している。

すぐに、「文鳥に餌をやらなくちゃ」と思った。

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たちまち文鳥にをやらなければならないなと思った。

けれども、起きるのがめんどうだった。

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けれども起きるのが退儀たいぎであった。

「今にやろう、今にやろう」と考えているうちに、とうとう八時過ぎになった。

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今にやろう、今にやろうと考えているうちに、とうとう八時過になった。

仕方がないので、顔を洗うついでに、冷たい縁側を素足(すあし)で踏みながら、箱のふたを取って、鳥籠を明るいところへ出した。

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仕方がないから顔を洗うついでをもって、冷たい縁を素足すあしで踏みながら、箱のふたを取って鳥籠を明海あかるみへ出した。

文鳥は目をぱちぱちさせている。

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文鳥は眼をぱちつかせている。

もっと早く起こしてほしかっただろうと思うと、気の毒になった。

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もっと早く起きたかったろうと思ったら気の毒になった。

文鳥の目は真っ黒である。

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文鳥の眼は真黒である。

まぶたのまわりに、うすい紅色(べにいろ)の絹糸を縫いつけたような筋(すじ)が入っている。

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まぶた周囲まわりに細い淡紅色ときいろの絹糸を縫いつけたようなすじが入っている。

目をぱちぱちさせるたびに、その絹糸のような筋が急に寄って一本になる。

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眼をぱちつかせるたびに絹糸が急に寄って一本になる。

と思うと、また丸くなる。

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と思うとまた丸くなる。

籠を箱から出すとすぐに、文鳥は白い首を少しかしげながら、この黒い目を動かして、はじめて自分の顔を見た。

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籠を箱から出すや否や、文鳥は白い首をちょっとかたぶけながらこの黒い眼を移して始めて自分の顔を見た。

そして、「ちち」と鳴いた。

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そうしてちちと鳴いた。

自分は静かに、鳥籠を箱の上に置いた。

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自分は静かに鳥籠を箱の上にえた。

文鳥は、ぱっと止まり木(とまりぎ)を離れた。

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文鳥はぱっととまを離れた。

そして、また止まり木に乗った。

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そうしてまた留り木に乗った。

止まり木は二本ある。

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留り木は二本ある。

黒みがかった青い軸(じく)を、ちょうどいい間隔で橋のように渡して、横に並べてある。

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黒味がかった青軸あおじくをほどよき距離に橋と渡して横に並べた。

その一本を軽く踏んでいる足を見ると、いかにも華奢(きゃしゃ・細くて弱々しい)にできている。

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その一本を軽く踏まえた足を見るといかにも華奢きゃしゃにできている。

細長いうすい紅色の指の先に、真珠を削ったような爪がついていて、ちょうどいい太さの止まり木を上手に抱え込んでいる。

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細長い薄紅うすくれないの端に真珠をけずったような爪が着いて、手頃な留り木をうまかかんでいる。

すると、ひらりと目の前で何かが動いた。

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すると、ひらりと眼先が動いた。

文鳥はもう、止まり木の上で向きを変えていた。

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文鳥はすでに留り木の上で方向むきを換えていた。

しきりに首を左右にかしげる。

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しきりに首を左右にかたぶける。

かしげかけた首を、ふと持ち直して、少し前へ伸ばしたかと思ったら、白い羽根がまたちらりと動いた。

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傾けかけた首をふと持ち直して、心持前へしたかと思ったら、白い羽根がまたちらりと動いた。

文鳥の足は、向こうの止まり木の真ん中あたりに、ちょうどよく落ちついた。

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文鳥の足は向うの留り木の真中あたりに具合よく落ちた。

「ちち」と鳴く。

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ちちと鳴く。

そして、遠くから自分の顔をのぞきこんだ。

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そうして遠くから自分の顔をのぞき込んだ。

自分は顔を洗いに、風呂場へ行った。

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自分は顔を洗いに風呂場ふろばへ行った。

帰りに台所へ寄って、戸棚を開け、昨日の夕方三重吉が買ってきてくれた粟の袋を取り出し、餌壺の中に餌を入れ、もう一つの器には水をいっぱい入れて、また書斎の縁側に出た。

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帰りに台所へ廻って、戸棚とだなを明けて、昨夕ゆうべ三重吉の買って来てくれた粟の袋を出して、餌壺の中へ餌を入れて、もう一つには水を一杯入れて、また書斎の縁側へ出た。

三重吉は用意周到な男で、昨日の夕方、餌をやるときの注意をていねいに説明していった。

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三重吉は用意周到な男で、昨夕ゆうべ叮嚀ていねいをやる時の心得を説明して行った。

その説明によると、むやみに籠の戸を開けると、文鳥が逃げ出してしまう。

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その説によると、むやみに籠の戸を明けると文鳥が逃げ出してしまう。

「だから、右手で籠の戸を開けながら、左手をその下にあてて、外から出口をふさぐようにしないと危ないですよ」

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だから右の手で籠の戸を明けながら、左の手をその下へあてがって、外から出口をふさぐようにしなくっては危険だ。

「餌壺を出すときも、同じやり方でやらなくちゃいけません」

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餌壺えつぼを出す時も同じ心得でやらなければならない。

と、その手つきまでして見せてくれたが、こうやって両方の手を使いながら、いったいどうやって餌壺を籠の中へ入れられるのか、つい聞いておかなかった。

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とその手つきまでして見せたが、こう両方の手を使って、餌壺をどうして籠の中へ入れる事ができるのか、つい聞いておかなかった。

自分は仕方なく、餌壺を持ったまま手の甲で籠の戸をそろりと上へ押し上げた。

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自分はやむをえず餌壺を持ったまま手の甲で籠の戸をそろりと上へ押し上げた。

同時に左手で、開いた口をすぐにふさいだ。

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同時に左の手でいた口をすぐふさいだ。

鳥はちょっと振り返った。

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鳥はちょっと振り返った。

そして、「ちち」と鳴いた。

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そうして、ちちと鳴いた。

自分は、出口をふさいだ左手をどうしたらいいのか困ってしまった。

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自分は出口を塞いだ左の手の処置に窮した。

人のすきを狙って逃げるような鳥にも見えなかったので、なんだか気の毒になった。

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人のすきうかがって逃げるような鳥とも見えないので、何となく気の毒になった。

三重吉は悪いことを教えたものだ。

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三重吉は悪い事を教えた。

大きな手を、そろそろと籠の中へ入れた。

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大きな手をそろそろ籠の中へ入れた。

すると、文鳥は急に羽ばたきを始めた。

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すると文鳥は急に羽搏はばたきを始めた。

細く削った竹のすき間から、暖かいうぶ毛が白く飛び散るほど、翼を大きく鳴らした。

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細くけずった竹の目から暖かいむく毛が、白く飛ぶほどにつばさを鳴らした。

自分は急に、自分の手が大きいのがいやになった。

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自分は急に自分の大きな手がいやになった。

粟(あわ)の壺と水の壺を止まり木の間にようやく置くと、すぐに手を引っ込めた。

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あわの壺と水の壺を留り木の間にようやく置くや否や、手を引き込ました。

籠の戸は、ぱたりとひとりでに落ちた。

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籠の戸ははたりと自然ひとりでに落ちた。

文鳥は止まり木の上に戻った。

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文鳥は留り木の上に戻った。

白い首を半分横に向けて、籠の外にいる自分を見上げた。

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白い首をなかば横に向けて、籠の外にいる自分を見上げた。

それから曲げた首をまっすぐにして、足元にある粟と水を眺めた。

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それから曲げた首を真直まっすぐにして足のもとにある粟と水を眺めた。

自分は食事をしに、茶の間へ行った。

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自分は食事をしに茶の間へ行った。

そのころは、毎日の決まりごととして小説を書いていた時期だった。

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その頃は日課として小説を書いている時分であった。

食事と食事の間は、たいてい机に向かって筆を握っていた。

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飯と飯の間はたいてい机に向って筆を握っていた。

静かなときは、自分でも紙の上を走るペンの音を聞くことができた。

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静かな時は自分で紙の上を走るペンの音を聞く事ができた。

がらんとして広い書斎には、誰も入って来ない決まりだった。

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伽藍がらんのような書斎へは誰も這入はいって来ない習慣であった。

筆の音に、さびしさというものを感じる朝も昼も晩もあった。

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筆の音にさびしさと云う意味を感じた朝も昼も晩もあった。

しかし、ときどきこの筆の音がぴたりと止まる、いや止めなければならないときも、けっこうあった。

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しかし時々はこの筆の音がぴたりとやむ、またやめねばならぬ、折もだいぶあった。

そういうときは、指の間に筆をはさんだまま、手のひらにあごをのせて、ガラス越しに風の吹き荒れる庭を眺めるのがくせだった。

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その時は指のまたに筆をはさんだまま手のひらあごを載せて硝子越ガラスごしに吹き荒れた庭を眺めるのがくせであった。

それが終わると、のせたあごを一度つまんでみる。

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それが済むと載せた顎を一応つまんで見る。

それでも筆と紙がうまくいっしょにならないときは、つまんだあごを二本の指で伸ばしてみる。

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それでも筆と紙がいっしょにならない時は、撮んだ顎を二本の指でして見る。

すると、縁側で文鳥が、たちまち「千代、千代」と二声鳴いた。

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すると縁側えんがわで文鳥がたちまち千代ちよ千代と二声鳴いた。

筆を置いて、そっと出てみると、文鳥は自分のほうを向いたまま、止まり木の上から、前へのめりそうに白い胸を突き出して、高く「千代」と鳴いた。

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筆をいて、そっと出て見ると、文鳥は自分の方を向いたまま、とまの上から、のめりそうに白い胸を突き出して、高く千代と云った。

三重吉が聞いたら、さぞ喜ぶだろうと思うほど美しい声で、「千代」と鳴いた。

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三重吉が聞いたらさぞ喜ぶだろうと思うほどない声で千代と云った。

三重吉は、「今に慣れたら『千代』と鳴きますよ、きっと鳴きますよ」と言って帰っていった。

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三重吉は今にれると千代と鳴きますよ、きっと鳴きますよ、と受合って帰って行った。

自分はまた、籠のそばにしゃがんだ。

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自分はまた籠のそばへしゃがんだ。

文鳥は、ふくらんだ首を二、三度たてよこに向け直した。

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文鳥はふくらんだ首を二三度竪横たてよこに向け直した。

やがて、ひとかたまりの白い体が、ぽいと止まり木の上を抜け出した。

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やがて一団ひとかたまりの白い体がぽいと留り木の上を抜け出した。

と思うと、きれいな足の爪が半分ほど、餌壺のふちから後ろへ出た。

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と思うと奇麗きれいな足の爪が半分ほど餌壺えつぼふちからうしろへ出た。

小指をかけただけでもすぐひっくり返りそうな餌壺なのに、釣鐘(つりがね)のように静かである。

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小指を掛けてもすぐかえりそうな餌壺は釣鐘つりがねのように静かである。

さすがに文鳥は軽いものだ。

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さすがに文鳥は軽いものだ。

なんだか、淡雪(あわゆき)の精(せい・魂のようなもの)のような気がした。

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何だか淡雪あわゆきせいのような気がした。

文鳥は、すっとくちばしを餌壺の真ん中に落とした。

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文鳥はつとくちばしを餌壺の真中に落した。

そして、二、三度左右に振った。

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そうして二三度左右に振った。

きれいに平らにして入れてあった粟が、はらはらと籠の底にこぼれた。

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奇麗にならして入れてあった粟がはらはらと籠の底にこぼれた。

文鳥はくちばしを上げた。

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文鳥はくちばしを上げた。

のどのあたりで、かすかな音がする。

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咽喉のどの所でかすかな音がする。

また、くちばしを粟の真ん中に落とす。

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また嘴を粟の真中に落す。

また、かすかな音がする。

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また微な音がする。

その音がおもしろい。

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その音が面白い。

静かに聞いていると、丸くて細やかで、しかもとても速い音である。

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静かに聴いていると、丸くてこまやかで、しかも非常にすみやかである。

すみれの花ほど小さい人が、金の槌(つち)で、めのうの碁石(ごいし)を続けざまにたたいているような気がする。

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すみれほどな小さい人が、黄金こがねつち瑪瑙めのう碁石ごいしでもつづけ様にたたいているような気がする。

くちばしの色を見ると、紫をうすく混ぜた紅色(べにいろ)のようである。

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くちばしの色を見るとむらさきを薄くぜたべにのようである。

その紅色がしだいに薄くなっていき、粟をつつく先のほうは白い。

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その紅がしだいに流れて、あわをつつく口尖くちさきあたりは白い。

象牙(ぞうげ)を半透明にしたような白さである。

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象牙ぞうげを半透明にした白さである。

このくちばしが粟の中に入るときは、とても速い。

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この嘴が粟の中へ這入はいる時は非常に早い。

左右に振りまく粟の粒(つぶ)も、とても軽そうだ。

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左右に振りく粟のたまも非常に軽そうだ。

文鳥は、体が逆さまになりそうなほど、とがったくちばしを黄色い粒の中に差しこんでは、ふくらんだ首を思いきりよく右へ左へ振る。

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文鳥は身をさかさまにしないばかりにとがった嘴を黄色い粒の中に刺し込んでは、くらんだ首を惜気おしげもなく右左へ振る。

籠の底に飛び散る粟の数は、何粒あるのかわからない。

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籠の底に飛び散る粟の数は幾粒だか分らない。

それでも、餌壺だけはひっそりと静かである。

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それでも餌壺えつぼだけは寂然せきぜんとして静かである。

重いものなのだ。

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重いものである。

餌壺の直径は、一寸五分(いっすんごぶ・約4.5センチ)ほどだと思う。

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餌壺の直径は一寸五分ほどだと思う。

自分はそっと書斎へ帰って、さびしくペンを紙の上に走らせていた。

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自分はそっと書斎へ帰ってさびしくペンを紙の上に走らしていた。

縁側では、文鳥が「ちち」と鳴く。

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縁側えんがわでは文鳥がちちと鳴く。

ときどきは、「千代、千代」とも鳴く。

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折々は千代千代とも鳴く。

外では、木枯らし(こがらし・冬の冷たい風)が吹いていた。

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外では木枯こがらしが吹いていた。

夕方には、文鳥が水を飲むところを見た。

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夕方には文鳥が水を飲むところを見た。

細い足を壺のふちにかけて、小さいくちばしに受けた一しずくを大事そうに、上を向いて飲みくだしている。

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細い足を壺のふちけて、ちさい嘴に受けた一雫ひとしずくを大事そうに、仰向あおむいてくだしている。

この様子だと、一杯の水が十日くらいはもつだろうと思って、また書斎へ帰った。

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この分では一杯の水が十日ぐらい続くだろうと思ってまた書斎へ帰った。

晩には、箱にしまってやった。

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晩には箱へしまってやった。

寝るときにガラス戸から外をのぞいたら、月が出ていて、霜が降りていた。

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寝る時硝子戸ガラスどから外をのぞいたら、月が出て、しもが降っていた。

文鳥は、箱の中でことりとも音を立てなかった。

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文鳥は箱の中でことりともしなかった。

次の日も、気の毒なことにまた遅く起きてしまい、箱から籠を出してやったのは、やっぱり八時過ぎだった。

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あくもまた気の毒な事に遅く起きて、箱から籠を出してやったのは、やっぱり八時過ぎであった。

箱の中では、とっくに目が覚めていたのだろう。

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箱の中ではとうから目がめていたんだろう。

それでも、文鳥はまったく不満そうな顔もしなかった。

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それでも文鳥はいっこう不平らしい顔もしなかった。

籠が明るいところに出るとすぐに、いきなり目をしばたたいて、少し首をすくめて、自分の顔を見た。

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籠が明るい所へ出るや否や、いきなり眼をしばたたいて、心持首をすくめて、自分の顔を見た。

昔、美しい女の人を知っていた。

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むかし美しい女を知っていた。

この女の人が机にもたれて何か考えているところへ、後ろからそっと近づき、紫の帯上げ(おびあげ)のふさになった先を長く垂らして、首すじの細いあたりを上からなでまわしたら、女の人はけだるそうに振り向いた。

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この女が机にもたれて何か考えているところを、うしろから、そっと行って、紫の帯上おびあげのふさになった先を、長く垂らして、頸筋くびすじの細いあたりを、上からまわしたら、女はものうに後を向いた。

そのとき、女の人のまゆは少し八の字に寄っていた。

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その時女のまゆは心持八の字に寄っていた。

それでいて、目じりと口元には笑いが浮かびかけていた。

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それで眼尻と口元には笑がきざしていた。

同時に、形のよい首を肩まですくめていた。

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同時に恰好かっこうの好い頸を肩まですくめていた。

文鳥が自分を見たとき、自分はふと、この女の人のことを思い出した。

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文鳥が自分を見た時、自分はふとこの女の事を思い出した。

この女の人は、今は嫁に行った。

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この女は今嫁に行った。

自分が紫の帯上げでいたずらをしたのは、結婚の話が決まった二、三日後のことだった。

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自分が紫の帯上でいたずらをしたのは縁談のきまった二三日あとである。

餌壺には、まだ粟が八割方入っている。

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餌壺にはまだ粟が八分通り這入っている。

しかし、殻(から)もだいぶ混じっていた。

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しかしからもだいぶ混っていた。

水入れには粟の殻が一面に浮いていて、ひどく濁っていた。

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水入には粟の殻が一面に浮いて、いたく濁っていた。

取りかえてやらなければならない。

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えてやらなければならない。

また、大きな手を籠の中へ入れた。

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また大きな手を籠の中へ入れた。

とても気をつけて入れたにもかかわらず、文鳥は白い翼を乱して騒いだ。

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非常に要心して入れたにもかかわらず、文鳥は白いつばさを乱して騒いだ。

小さい羽根が一本抜けただけでも、自分は文鳥にすまないと思った。

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小い羽根が一本抜けても、自分は文鳥にすまないと思った。

殻は、きれいに吹き飛ばした。

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殻は奇麗に吹いた。

吹き飛ばされた殻は、木枯らしがどこかへ持っていった。

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吹かれた殻は木枯がどこかへ持って行った。

水も取りかえてやった。

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水も易えてやった。

水道の水だから、とても冷たい。

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水道の水だから大変冷たい。

その日は一日、さびしいペンの音を聞いて過ごした。

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その日は一日淋しいペンの音を聞いて暮した。

その間には、ときどき「千代、千代」という声も聞こえた。

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その間には折々千代千代と云う声も聞えた。

文鳥もさびしいから鳴くのではないかと考えた。

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文鳥も淋しいから鳴くのではなかろうかと考えた。

しかし、縁側へ出てみると、二本の止まり木の間を、あちらへ飛んだり、こちらへ飛んだりと、絶え間なく行ったり来たりしている。

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しかし縁側えんがわへ出て見ると、二本のとまの間を、あちらへ飛んだり、こちらへ飛んだり、絶間たえまなく行きつ戻りつしている。

少しも不満そうな様子はなかった。

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少しも不平らしい様子はなかった。

夜は箱へ入れた。

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夜は箱へ入れた。

次の朝、目が覚めると、外は白い霜だった。

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あくあさ目がめると、外は白いしもだ。

文鳥も目が覚めているだろうが、なかなか起きる気になれない。

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文鳥も眼が覚めているだろうが、なかなか起きる気にならない。

枕元にある新聞を手に取ることさえ、めんどうだ。

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枕元にある新聞を手に取るさえ難儀なんぎだ。

それでも、たばこは一本吸った。

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それでも煙草たばこは一本ふかした。

この一本を吸い終わったら、起きて籠から出してやろうと思いながら、口から出る煙の行方をじっと見つめていた。

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この一本をふかしてしまったら、起きて籠から出してやろうと思いながら、口から出るけぶり行方ゆくえを見つめていた。

すると、この煙の中に、首をすくめて、目を細くして、それでいて少しまゆを寄せた、昔の女の人の顔がちょっと見えた。

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するとこの煙の中に、首をすくめた、眼を細くした、しかも心持まゆを寄せた昔の女の顔がちょっと見えた。

自分は布団の上に起き直った。

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自分は床の上に起き直った。

寝巻きの上に羽織(はおり)を引っかけて、すぐに縁側へ出た。

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寝巻の上へ羽織はおり引掛ひっかけて、すぐ縁側へ出た。

そして、箱のふたをはずして、文鳥を出した。

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そうして箱のふたをはずして、文鳥を出した。

文鳥は箱から出ながら、「千代、千代」と二声鳴いた。

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文鳥は箱から出ながら千代千代と二声鳴いた。

三重吉の話によると、慣れるにしたがって、文鳥は人の顔を見て鳴くようになるのだそうだ。

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三重吉の説によると、れるにしたがって、文鳥が人の顔を見て鳴くようになるんだそうだ。

実際、三重吉が飼っていた文鳥は、三重吉がそばにいさえすれば、しきりに「千代、千代」と鳴き続けたそうだ。

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現に三重吉の飼っていた文鳥は、三重吉がそばにいさえすれば、しきりに千代千代と鳴きつづけたそうだ。

それだけでなく、三重吉の指の先から餌を食べるのだという。

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のみならず三重吉の指の先からを食べると云う。

自分もいつか、指の先で餌をやってみたいと思った。

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自分もいつか指の先で餌をやって見たいと思った。

次の朝は、また怠けてしまった。

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次の朝はまたなまけた。

昔の女の人の顔も、つい思い出さなかった。

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昔の女の顔もつい思い出さなかった。

顔を洗って、食事をすませて、それでようやく気がついたように縁側へ出てみると、いつの間にか籠が箱の上に乗っている。

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顔を洗って、食事を済まして、始めて、気がついたように縁側えんがわへ出て見ると、いつの間にか籠が箱の上に乗っている。

文鳥はもう、止まり木の上を楽しそうに、あちらこちらと飛び移っている。

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文鳥はもうとまの上を面白そうにあちら、こちらと飛び移っている。

そして、ときどきは首を伸ばして、籠の外を下のほうからのぞいている。

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そうして時々は首をして籠の外を下の方からのぞいている。

その様子が、なかなか無邪気である。

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その様子がなかなか無邪気である。

昔、紫の帯上げでいたずらをした女の人は、えりの長い、背のすらりとした人で、ちょっと首を曲げて人を見るくせがあった。

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昔紫の帯上おびあげでいたずらをした女はえりの長い、背のすらりとした、ちょっと首を曲げて人を見るくせがあった。

粟はまだある。

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あわはまだある。

水もまだある。

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水もまだある。

文鳥は満足している。

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文鳥は満足している。

自分は粟も水も取りかえずに、書斎へ引っこんだ。

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自分は粟も水もえずに書斎へ引込ひっこんだ。

昼過ぎ、また縁側へ出た。

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昼過ぎまた縁側へ出た。

食後の運動もかねて、五、六間(けん・一間は約1.8メートル)の廻り縁を歩きながら本を読むつもりだった。

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食後の運動かたがた、五六間の廻り縁を、あるきながら書見するつもりであった。

ところが出てみると、粟がもう七割方なくなっている。

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ところが出て見ると粟がもう七分がた尽きている。

水もすっかり濁ってしまった。

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水も全く濁ってしまった。

本を縁側へ放り出しておいて、急いで餌と水を取りかえてやった。

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書物を縁側へほうり出しておいて、急いでと水を易えてやった。

次の日も、また遅く起きた。

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次の日もまた遅く起きた。

しかも、顔を洗ってご飯を食べるまでは、縁側をのぞかなかった。

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しかも顔を洗って飯を食うまでは縁側を覗かなかった。

書斎に帰ってから、もしかしたら昨日のように、家の人が籠を出しておいてくれたのではないかと、ちょっと縁側へ顔だけ出してみたら、やはり出してあった。

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書斎に帰ってから、あるいは昨日きのうのように、家人うちのものが籠を出しておきはせぬかと、ちょっと縁へ顔だけ出して見たら、はたして出してあった。

そのうえ、餌も水も新しくなっていた。

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その上餌も水も新しくなっていた。

自分はやっと安心して、首を書斎の中に戻した。

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自分はやっと安心して首を書斎に入れた。

そのとたん、文鳥は「千代、千代」と鳴いた。

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途端とたんに文鳥は千代千代と鳴いた。

それで、引っこめた首をまた出してみた。

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それで引込ひっこめた首をまた出して見た。

けれども、文鳥は二度と鳴かなかった。

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けれども文鳥は再び鳴かなかった。

けげんな顔をして、ガラス越しに庭の霜を眺めていた。

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けげんな顔をして硝子越ガラスごしに庭のしもを眺めていた。

自分はとうとう机の前に戻った。

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自分はとうとう机の前に帰った。

書斎の中では、相変わらずペンの音がさらさらする。

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書斎の中では相変らずペンの音がさらさらする。

書きかけの小説は、だいぶはかどった。

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書きかけた小説はだいぶんはかどった。

指の先が冷たい。

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指の先が冷たい。

今朝うずめておいた佐倉炭(さくらずみ)は白くなり、五徳(ごとく・鉄瓶をのせる台)にかけた鉄瓶(てつびん)がほとんど冷めている。

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今朝けた佐倉炭さくらずみは白くなって、薩摩五徳さつまごとくけた鉄瓶てつびんがほとんどめている。

炭入れは空っぽだ。

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炭取はからだ。

手をたたいたが、なかなか台所まで聞こえない。

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手をたたいたがちょっと台所まできこえない。

立って戸を開けると、文鳥はいつもと違って、止まり木の上にじっとしている。

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立って戸を明けると、文鳥は例に似ずとまの上にじっと留っている。

よく見ると、足が一本しかない。

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よく見ると足が一本しかない。

自分は炭入れを縁側に置いて、上からかがんで籠の中をのぞき込んだ。

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自分は炭取を縁に置いて、上からこごんで籠の中を覗き込んだ。

いくら見ても、足は一本しかない。

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いくら見ても足は一本しかない。

文鳥は、この華奢(きゃしゃ)な一本の細い足に体全体を預けて、黙ったまま、籠の中でじっとしている。

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文鳥はこの華奢きゃしゃな一本の細い足に総身そうみを託して黙然もくねんとして、籠の中に片づいている。

自分は不思議に思った。

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自分は不思議に思った。

文鳥について何もかも説明していた三重吉も、このことだけは言わなかったらしい。

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文鳥について万事を説明した三重吉もこの事だけは抜いたと見える。

自分が炭入れに炭を入れて戻ったとき、文鳥の足は、まだ一本のままだった。

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自分が炭取に炭を入れて帰った時、文鳥の足はまだ一本であった。

しばらく寒い縁側に立って眺めていたが、文鳥は動く様子もない。

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しばらく寒い縁側に立って眺めていたが、文鳥は動く気色けしきもない。

音を立てずに見つめていると、文鳥は丸い目をしだいに細くしていった。

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音を立てないで見つめていると、文鳥は丸い眼をしだいに細くし出した。

たぶん眠たいのだろうと思って、そっと書斎に入ろうとして、一歩足を動かしたとたん、文鳥はまた目を開いた。

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おおかたねむたいのだろうと思って、そっと書斎へ這入ろうとして、一歩足を動かすや否や、文鳥はまた眼をいた。

同時に、真っ白な胸の中から細い足をもう一本出した。

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同時に真白な胸の中から細い足を一本出した。

自分は戸を閉めて、火鉢に炭を足した。

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自分は戸をてて火鉢ひばちへ炭をついだ。

小説はしだいに忙しくなってきた。

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小説はしだいにいそがしくなる。

朝は相変わらず寝坊をする。

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朝は依然として寝坊をする。

一度、家の人が文鳥の世話をしてくれてから、なんだか自分の責任が軽くなったような気がする。

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一度うちのものが文鳥の世話をしてくれてから、何だか自分の責任が軽くなったような心持がする。

家の人が忘れているときは、自分が餌をやったり水をやったりする。

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家のものが忘れる時は、自分がをやる水をやる。

籠の出し入れもする。

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かごの出し入れをする。

自分でしないときは、家の人を呼んでやってもらうこともある。

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しない時は、家のものを呼んでさせる事もある。

自分は、ただ文鳥の声を聞くだけが役目のようになった。

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自分はただ文鳥の声を聞くだけが役目のようになった。

それでも縁側へ出るときは、必ず籠の前で立ち止まり、文鳥の様子を見た。

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それでも縁側えんがわへ出る時は、必ず籠の前へ立留たちどまって文鳥の様子を見た。

たいていは、狭い籠を気にもせず、二本の止まり木を満足そうに行ったり来たりしていた。

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たいていは狭い籠をにもしないで、二本の留り木を満足そうに往復していた。

天気のいいときは、薄い日ざしをガラス越しに浴びて、しきりに鳴きたてていた。

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天気の好い時は薄い日を硝子越ガラスごしに浴びて、しきりに鳴き立てていた。

しかし、三重吉が言っていたように、自分の顔を見てわざと鳴くような様子は、まったくなかった。

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しかし三重吉の云ったように、自分の顔を見てことさらに鳴く気色はさらになかった。

自分の指から直接餌を食べるなどということは、もちろんなかった。

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自分の指からじかにを食うなどと云う事は無論なかった。

ときどき機嫌のいいときは、パンの粉などを人差し指の先につけて、竹のすき間からちょっと出してみることがあったが、文鳥はけっして近づかなかった。

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折々機嫌きげんのいい時は麺麭パンなどを人指指ひとさしゆびの先へつけて竹の間からちょっと出して見る事があるが文鳥はけっして近づかない。

少し遠慮せずに指を突っこんでみると、文鳥は指の太さに驚いて、白い翼を乱し、籠の中で騒ぎまわるだけだった。

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少し無遠慮に突き込んで見ると、文鳥は指の太いのに驚いて白いつばさを乱して籠の中を騒ぎ廻るのみであった。

二、三度試したあと、自分は気の毒になって、このやり方だけは、もう永久にあきらめてしまった。

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二三度試みたのち、自分は気の毒になって、この芸だけは永久に断念してしまった。

今の世の中に、こんなことができる人がほんとうにいるのかどうか、はなはだ疑わしい。

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今の世にこんな事のできるものがいるかどうだかはなはだ疑わしい。

おそらく、昔の聖人(せいじん・とても立派な信仰の人)くらいにしかできない仕事だろう。

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おそらく古代の聖徒せいんとの仕事だろう。

三重吉は、うそをついたにちがいない。

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三重吉はうそいたに違ない。

ある日のこと、書斎でいつものようにペンの音を立てて、わびしいことを書き連ねていると、ふと妙な音が耳に入った。

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或日の事、書斎で例のごとくペンの音を立ててびしい事を書きつらねていると、ふと妙な音が耳に這入はいった。

縁側で、さらさら、さらさらという音がする。

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縁側でさらさら、さらさら云う。

女の人が長い着物のすそをさばいているようにも聞こえるが、ただの女の人にしては、あまりに大げさな音である。

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女が長いきぬすそさばいているようにも受取られるが、ただの女のそれとしては、あまりに仰山ぎょうさんである。

ひな段を歩く、おびな・めびな(内裏雛・だいりびな)の袴(はかま)のひだがこすれる音、とでも言ったらいいだろうと思った。

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雛段ひなだんをあるく、内裏雛だいりびなはかまひだれる音とでも形容したらよかろうと思った。

自分は、書きかけの小説をそのままにして、ペンを持ったまま縁側へ出てみた。

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自分は書きかけた小説をよそにして、ペンを持ったまま縁側へ出て見た。

すると、文鳥が行水(ぎょうずい)をつかっていた。

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すると文鳥が行水ぎょうずいを使っていた。

水はちょうど取りかえたばかりだった。

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水はちょうどてであった。

文鳥は軽い足を水入れの真ん中に、胸の毛まで浸して、ときどき白い翼を左右に広げながら、少し水入れの中にしゃがむようにお腹を押しつけて、体じゅうの毛を一度にぶるぶる振っている。

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文鳥は軽い足を水入の真中に胸毛むなげまでひたして、時々は白いつばさを左右にひろげながら、心持水入の中にしゃがむように腹をしつけつつ、総身そうみの毛を一度にっている。

そして、水入れのふちにひょいと飛び上がる。

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そうして水入のふちにひょいと飛び上る。

しばらくして、また飛び込む。

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しばらくしてまた飛び込む。

水入れの直径は、一寸五分(いっすんごぶ・約4.5センチ)ほどしかない。

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水入の直径は一寸五分ぐらいに過ぎない。

飛び込んだときは、尾もはみ出し、頭もはみ出し、背中はもちろんはみ出す。

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飛び込んだ時は尾も余り、頭も余り、背は無論余る。

水につかるのは、足と胸だけである。

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水にかるのは足と胸だけである。

それでも文鳥は、うれしそうに行水をつかっている。

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それでも文鳥は欣然きんぜんとして行水ぎょうずいを使っている。

自分は急いで、取りかえ用の籠を持って来た。

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自分は急に易籠かえかごを取って来た。

そして、文鳥をそちらへ移した。

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そうして文鳥をこの方へ移した。

それからじょうろを持って風呂場へ行き、水道の水をくんで、籠の上からさあさあとかけてやった。

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それから如露じょろを持って風呂場へ行って、水道の水をんで、籠の上からさあさあとかけてやった。

じょうろの水がなくなるころには、白い羽根から落ちる水が、玉になって転がった。

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如露じょろの水が尽きる頃には白い羽根から落ちる水がたまになってころがった。

文鳥は絶えず、目をぱちぱちさせていた。

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文鳥は絶えず眼をぱちぱちさせていた。

昔、紫の帯上げでいたずらをした女の人が座敷で仕事をしていたとき、裏の二階から手鏡(てかがみ)で女の人の顔に春の光を反射させて楽しんだことがある。

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昔紫の帯上おびあげでいたずらをした女が、座敷で仕事をしていた時、裏二階から懐中鏡ふところかがみで女の顔へ春の光線を反射させて楽しんだ事がある。

女の人はうっすら赤くなったほおを上げて、細い手を額の前にかざしながら、不思議そうに目をしばたたいた。

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女は薄紅うすあかくなった頬を上げて、ほそい手を額の前にかざしながら、不思議そうにまばたきをした。

この女の人とこの文鳥とは、おそらく同じ気持ちだろう。

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この女とこの文鳥とはおそらく同じ心持だろう。

日がたつにしたがって、文鳥はよくさえずるようになった。

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日数ひかずが立つにしたがって文鳥はさえずる。

しかし、よく忘れられてしまう。

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しかしよく忘れられる。

ある時は、餌壺が粟の殻(から)だけになっていたこともある。

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或る時は餌壺えつぼあわからだけになっていた事がある。

ある時は、籠の底が糞(ふん)でいっぱいになっていたこともある。

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ある時はかごの底がふんでいっぱいになっていた事がある。

ある晩、宴会があって遅く帰ったら、冬の月がガラス越しに差し込んで、広い縁側がほんのり明るく見えるなかに、鳥籠がしんとして、箱の上に乗っていた。

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ある晩宴会があって遅く帰ったら、冬の月が硝子越ガラスごしに差し込んで、広い縁側えんがわがほの明るく見えるなかに、鳥籠がしんとして、箱の上に乗っていた。

そのすみに、文鳥の体がうっすら白く浮かんだまま、止まり木の上に、いるのかいないのかわからないように見えた。

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そのすみに文鳥の体が薄白く浮いたままとまの上に、有るか無きかに思われた。

自分は外套(がいとう・コート)の襟(えり)を返して、すぐに鳥籠を箱の中へ入れてやった。

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自分は外套がいとう羽根はねを返して、すぐ鳥籠を箱のなかへ入れてやった。

翌日、文鳥はいつものように元気よくさえずっていた。

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翌日文鳥は例のごとく元気よくさえずっていた。

それからは、ときどき寒い夜も、箱にしまってやるのを忘れることがあった。

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それからは時々寒いよるも箱にしまってやるのを忘れることがあった。

ある晩、いつものように書斎で一心にペンの音を聞いていると、突然、縁側のほうで、がたりと何かが倒れる音がした。

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ある晩いつもの通り書斎で専念にペンの音を聞いていると、突然縁側の方でがたりと物のくつがえった音がした。

しかし、自分は立たなかった。

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しかし自分は立たなかった。

相変わらず、急いでいる小説を書いていた。

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依然として急ぐ小説を書いていた。

わざわざ立って行って、何でもなかったらいまいましいから、気にならないわけではなかったが、やはりちょっと耳をすませたまま、知らんふりをしていた。

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わざわざ立って行って、何でもないといまいましいから、気にかからないではなかったが、やはりちょっと聞耳ききみみを立てたまま知らぬ顔ですましていた。

その晩、寝たのは十二時過ぎだった。

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その晩寝たのは十二時過ぎであった。

トイレに行ったついでに、気になったので、念のため縁側へ回ってみると――

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便所に行ったついで、気がかりだから、念のため一応縁側へ廻って見ると――

籠は箱の上から落ちている。

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籠は箱の上から落ちている。

そして、横に倒れている。

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そうして横に倒れている。

水入れも餌壺も、ひっくり返っている。

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水入みずいれ餌壺えつぼ引繰返ひっくりかえっている。

粟は、一面に縁側に散らばっている。

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あわは一面に縁側に散らばっている。

止まり木は抜け出している。

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留り木は抜け出している。

文鳥は、ひっそりと鳥籠のさん(桟・籠のわく)にかじりついていた。

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文鳥はしのびやかに鳥籠のさんにかじりついていた。

自分は、明日からは絶対にこの縁側に猫を入れまいと決心した。

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自分は明日あしたから誓ってこの縁側に猫を入れまいと決心した。

翌日、文鳥は鳴かなかった。

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翌日あくるひ文鳥は鳴かなかった。

粟を山盛りに入れてやった。

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粟を山盛やまもり入れてやった。

水をあふれるほど入れてやった。

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水をみなぎるほど入れてやった。

文鳥は、一本足のまま長い間、止まり木の上から動かなかった。

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文鳥は一本足のまま長らく留り木の上を動かなかった。

昼ご飯を食べてから、三重吉に手紙を書こうと思って、二、三行書き出すと、文鳥が「ちち」と鳴いた。

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午飯ひるめしを食ってから、三重吉に手紙を書こうと思って、二三行書き出すと、文鳥がちちと鳴いた。

自分は、手紙を書く筆を止めた。

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自分は手紙の筆を留めた。

文鳥がまた、「ちち」と鳴いた。

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文鳥がまたちちと鳴いた。

出てみたら、粟も水もだいぶん減っている。

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出て見たら粟も水もだいぶん減っている。

手紙はそこでやめて、破って捨てた。

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手紙はそれぎりにして裂いて捨てた。

翌日、文鳥はまた鳴かなくなった。

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翌日よくじつ文鳥がまた鳴かなくなった。

止まり木から下りて、籠の底にお腹を押しつけていた。

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留り木を下りて籠の底へ腹をしつけていた。

胸のところが少しふくらんで、小さい毛がさざなみのように乱れて見えた。

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胸の所が少しふくらんで、小さい毛がさざなみのように乱れて見えた。

自分はこの朝、三重吉から、例の用件である場所まで来てくれという手紙を受け取った。

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自分はこの朝、三重吉から例の件で某所まで来てくれと云う手紙を受取った。

十時までに、という頼みだったので、文鳥をそのままにして出かけた。

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十時までにと云う依頼であるから、文鳥をそのままにしておいて出た。

三重吉に会ってみると、例の用件がいろいろと長くなり、いっしょに昼ご飯を食べた。

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三重吉にって見ると例の件がいろいろ長くなって、いっしょに午飯を食う。

いっしょに晩ご飯も食べた。

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いっしょに晩飯ばんめしを食う。

そのうえ、明日の会合まで約束して、家へ帰った。

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その上明日あすの会合まで約束してうちへ帰った。

帰ったのは、夜の九時ごろだった。

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帰ったのは夜の九時頃である。

文鳥のことは、すっかり忘れていた。

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文鳥の事はすっかり忘れていた。

疲れていたので、すぐに布団に入って寝てしまった。

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疲れたから、すぐ床へ這入はいって寝てしまった。

次の日、目が覚めるとすぐ、例の用件を思い出した。

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翌日あくるひ眼がめるや否や、すぐ例の件を思いだした。

いくら本人が納得していても、そんなところへお嫁に行かせるのは、この先よくないだろう。まだ子どもだから、どこへでも行けと言われれば、その気になってしまうのだろう。

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いくら当人が承知だって、そんな所へ嫁にやるのは行末ゆくすえよくあるまい、まだ子供だからどこへでも行けと云われる所へ行く気になるんだろう。

一度行ってしまえば、むやみに出られるものではない。

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いったん行けばむやみに出られるものじゃない。

世の中には、満足しているつもりで、不幸になっていく人がたくさんいる。

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世の中には満足しながら不幸におちいって行く者がたくさんある。

などと考えながら楊枝(ようじ)を使い、朝ご飯をすませて、また例の用件を片づけに出かけて行った。

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などと考えて楊枝ようじを使って、朝飯を済ましてまた例の件を片づけに出掛けて行った。

帰ったのは、午後三時ごろだった。

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帰ったのは午後三時頃である。

玄関に外套(がいとう)をかけて、廊下づたいに書斎へ入るつもりで、あの縁側へ出てみると、鳥籠が箱の上に出してあった。

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玄関へ外套がいとうけて廊下伝いに書斎へ這入はいるつもりで例の縁側へ出て見ると、鳥籠が箱の上に出してあった。

けれども、文鳥は籠の底に、ひっくり返っていた。

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けれども文鳥は籠の底にかえっていた。

二本の足をかたく揃えて、胴体と一直線に伸ばしていた。

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二本の足を硬くそろえて、胴と直線に伸ばしていた。

自分は籠のそばに立って、じっと文鳥を見守った。

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自分は籠のわきに立って、じっと文鳥を見守った。

黒い目を閉じて眠っている。

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黒い眼をねぶっている。

まぶたの色は、うすい青に変わっていた。

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まぶたの色は薄蒼うすあおく変った。

餌壺には、粟の殻(から)ばかりがたまっている。

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餌壺えつぼにはあわからばかりたまっている。

ついばむべき実は、一粒も残っていない。

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ついばむべきは一粒もない。

水入れは、底が見えるほどに乾ききっている。

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水入は底の光るほどれている。

西へ回った日が、ガラス戸をもれて、斜めに籠に差しかかっている。

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西へ廻った日が硝子戸ガラスどを洩れて斜めに籠に落ちかかる。

台に塗った漆は、三重吉が言っていたとおり、いつの間にか黒みが取れて、朱(しゅ)の色が出てきていた。

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台に塗ったうるしは、三重吉の云ったごとく、いつの間にか黒味がけて、しゅの色が出て来た。

自分は、冬の日にきれいな色になった朱色の台を眺めた。

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自分は冬の日に色づいた朱の台を眺めた。

空(から)になった餌壺を眺めた。

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からになった餌壺を眺めた。

むなしく橋のように渡されている二本の止まり木を眺めた。

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むなしく橋を渡している二本の留り木を眺めた。

そして、その下に横たわる、かたくなった文鳥を眺めた。

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そうしてその下によこたわる硬い文鳥を眺めた。

自分はかがんで、両手で鳥籠を抱えた。

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自分はこごんで両手に鳥籠をかかえた。

そして、書斎へ持って入った。

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そうして、書斎へ持って這入はいった。

十畳の真ん中に鳥籠を下ろして、その前にきちんと座り、籠の戸を開いて、大きな手を入れて、文鳥を握ってみた。

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十畳の真中へ鳥籠をおろして、その前へかしこまって、籠の戸を開いて、大きな手を入れて、文鳥を握って見た。

やわらかい羽根は、冷えきっている。

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やわらかい羽根はひえきっている。

こぶしを籠から引き出して、握った手を開くと、文鳥は静かに手のひらの上にのっている。

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こぶしを籠から引き出して、握った手を開けると、文鳥は静にてのひらの上にある。

自分は手を開いたまま、しばらく死んだ鳥を見つめていた。

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自分は手を開けたまま、しばらく死んだ鳥を見つめていた。

それから、そっと座布団の上に置いた。

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それから、そっと座布団ざぶとんの上に卸した。

そして、はげしく手をたたいた。

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そうして、はげしく手を鳴らした。

十六になる小女(こおんな・若いお手伝いの女の子)が、「はい」と言って、敷居(しきい)のそばに手をついた。

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十六になる小女こおんなが、はいと云って敷居際しきいぎわに手をつかえる。

自分はいきなり、座布団の上にある文鳥をつかんで、小女の前へ放り出した。

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自分はいきなり布団の上にある文鳥を握って、小女の前へほうり出した。

小女は下を向いて、畳を見つめたまま黙っている。

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小女は俯向うつむいて畳を眺めたまま黙っている。

自分は、「餌をやらないから、とうとう死んでしまったんだ」と言いながら、下女(げじょ・お手伝いの女の人)の顔をにらみつけた。

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自分は、をやらないから、とうとう死んでしまったと云いながら、下女の顔をにらめつけた。

下女は、それでも黙っている。

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下女はそれでも黙っている。

自分は机のほうへ向き直った。

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自分は机の方へ向き直った。

そして、三重吉へはがきを書いた。

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そうして三重吉へ端書はがきをかいた。

「家の者が餌をやらないものだから、文鳥はとうとう死んでしまった。頼みもしないものを籠に入れておいて、しかも餌をやる義務さえ果たさないのは、あまりにひどい」

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家人うちのものが餌をやらないものだから、文鳥はとうとう死んでしまった。たのみもせぬものを籠へ入れて、しかも餌をやる義務さえ尽くさないのは残酷の至りだ」

という文面だった。

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と云う文句であった。

自分は、「これを出しに行ってこい。それから、その鳥をあっちへ持っていけ」と下女に言った。

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自分は、これを投函して来い、そうしてその鳥をそっちへ持って行けと下女に云った。

下女は、「どこへ持っていきましょうか」と聞き返した。

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下女は、どこへ持って参りますかと聞き返した。

「どこへでも勝手に持っていけ」と怒鳴りつけたら、驚いて台所のほうへ持っていった。

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どこへでも勝手に持って行けと怒鳴どなりつけたら、驚いて台所の方へ持って行った。

しばらくすると、裏庭で子どもが「文鳥を埋めるんだ、埋めるんだ」と騒いでいる。

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しばらくすると裏庭で、子供が文鳥をうめるんだ埋るんだと騒いでいる。

庭の掃除を頼んだ植木屋が、「お嬢さん、このあたりがいいでしょう」と言っている。

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庭掃除にわそうじに頼んだ植木屋が、御嬢さん、ここいらが好いでしょうと云っている。

自分は気の進まないまま、書斎でペンを動かしていた。

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自分は進まぬながら、書斎でペンを動かしていた。

次の日は、なんだか頭が重かったので、十時ごろになって、ようやく起きた。

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翌日よくじつは何だか頭が重いので、十時頃になってようやく起きた。

顔を洗いながら裏庭を見ると、昨日植木屋の声がしたあたりに、小さい立て札(たてふだ)が、青いとくさ(木賊・草の一種)の一株と並んで立っている。

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顔を洗いながら裏庭を見ると、昨日きのう植木屋の声のしたあたりに、さい公札こうさつが、あお木賊とくさの一株と並んで立っている。

高さは、とくさよりもずっと低い。

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高さは木賊よりもずっと低い。

庭下駄(にわげた)をはいて、日陰の霜を踏みくだきながら近づいてみると、立て札の表には「この土手、登るべからず」と書いてあった。

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庭下駄にわげた穿いて、日影のしもくだいて、近づいて見ると、公札の表には、この土手登るべからずとあった。

筆子(ふでこ)の字である。

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筆子ふでこの手蹟である。

午後、三重吉から返事が来た。

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午後三重吉から返事が来た。

「文鳥はかわいそうなことをしました」と書いてあるだけで、家の者が悪いとも、ひどいとも、まったく書いていなかった。

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文鳥は可愛想かわいそうな事を致しましたとあるばかりで家人うちのものが悪いとも残酷だともいっこう書いてなかった。