一握の砂 小学生向け
石川啄木(いしかわたくぼく)・1967年
AI生成この訳はAI(claude-sonnet-5)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-28)
函館(はこだて)にいる、郁雨(いくう)宮崎大四郎(みやざきだいしろう)くん
原文を見る
函館なる郁雨宮崎大四郎君
同じ国の友人で、文学士(ぶんがくし)の花明(かめい)金田一京助(きんだいちきょうすけ)くん
原文を見る
同国の友文学士花明金田一京助君
この歌集(かしゅう)を、お二人にささげる。
原文を見る
この集を両君に捧ぐ。
わたしはもう、自分のすべてをお二人の前に見せつくしたように思う。
原文を見る
予はすでに予のすべてを両君の前に示しつくしたるものの如し。
だから、お二人は、ここにある歌の一首一首(いちいち)について、いちばんよく知っている人だと信じているからだ。
原文を見る
従つて両君はここに歌はれたる歌の一一につきて最も多く知るの人なるを信ずればなり。
また、もう一冊(いっさつ)を、なくなったわが子・真一(しんいち)にささげる。
原文を見る
また一本をとりて亡児真一に手向く。
この歌集の原稿(げんこう)を本屋(ほんや)にわたしたのは、お前が生まれた朝だった。
原文を見る
この集の稿本を書肆の手に渡したるは汝の生れたる朝なりき。
この歌集の原稿料(げんこうりょう)は、お前の薬代(くすりだい)になった。
原文を見る
この集の稿料は汝の薬餌となりたり。
そして、この歌集の見本刷(みほんずり)をわたしが見たのは、お前を火葬(かそう)にした夜だった。
原文を見る
而してこの集の見本刷を予の閲したるは汝の火葬の夜なりき。
著者(ちょしゃ)
原文を見る
著者
明治四十一年(1908年)の夏より後に作った、千首(せんしゅ)あまりの中から、五百五十一首(ごひゃくごじゅういっしゅ)を選んで、この歌集におさめた。
原文を見る
明治四十一年夏以後の作一千余首中より五百五十一首を抜きてこの集に収む。
この歌集の中の五つの章は、心が動いたきっかけの近いものをたずねて、かりに分けただけである。
原文を見る
集中五章、感興の来由するところ相邇きをたづねて仮にわかてるのみ。
「秋風(あきかぜ)のこころよさに」
原文を見る
「秋風のこころよさに」
は、明治四十一年(1908年)の秋の記念(きねん)である。
原文を見る
は明治四十一年秋の紀念なり。
我(われ)を愛する歌
原文を見る
我を愛する歌
東海(とうかい)の小さな島の、磯(いそ)の白い砂の上で
原文を見る
東海の小島の磯の白砂に
わたしは泣きぬれて
原文を見る
われ泣きぬれて
蟹(かに)とたわむれる
原文を見る
蟹とたはむる
ほおをつたう
原文を見る
頬につたふ
なみだをふかずに
原文を見る
なみだのごはず
一握り(ひとにぎり)の砂を見せてくれた人を忘れない
原文を見る
一握の砂を示しし人を忘れず
大きな海に向かって、ひとり
原文を見る
大海にむかひて一人
七日(なのか)か八日(ようか)
原文を見る
七八日
泣こうと思って、家を出た
原文を見る
泣きなむとすと家を出でにき
ひどくさびたピストルが出てきた
原文を見る
いたく錆びしピストル出でぬ
砂山(すなやま)の
原文を見る
砂山の
砂を指で掘っていたら
原文を見る
砂を指もて掘りてありしに
ひと夜(よ)のうちに嵐(あらし)が来て積み上げた
原文を見る
ひと夜さに嵐来りて築きたる
この砂山は
原文を見る
この砂山は
いったい何の墓(はか)なのか
原文を見る
何の墓ぞも
砂山の砂にはらばいになり
原文を見る
砂山の砂に腹這ひ
初恋(はつこい)の
原文を見る
初恋の
痛み(いたみ)を遠く思い出す日
原文を見る
いたみを遠くおもひ出づる日
砂山のふもとに横たわる流木(りゅうぼく)に
原文を見る
砂山の裾によこたはる流木に
あたりを見まわし
原文を見る
あたり見まはし
ものを言ってみる
原文を見る
物言ひてみる
命(いのち)のない砂の悲しさよ
原文を見る
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
原文を見る
さらさらと
にぎれば指(ゆび)のあいだからこぼれ落ちる
原文を見る
握れば指のあひだより落つ
しっとりと
原文を見る
しっとりと
なみだを吸(す)った砂の粒(つぶ)
原文を見る
なみだを吸へる砂の玉
なみだは重いものなのだなあ
原文を見る
なみだは重きものにしあるかな
「大」という字を百(ひゃく)あまり
原文を見る
大という字を百あまり
砂に書いて
原文を見る
砂に書き
死ぬことをやめて帰ってきた
原文を見る
死ぬことをやめて帰り来れり
目が覚めても、まだ起き出さない子どもの癖(くせ)は
原文を見る
目さまして猶起き出でぬ児の癖は
悲しい癖だ
原文を見る
かなしき癖ぞ
母よ、しからないで
原文を見る
母よ咎むな
ひとかたまりの土によだれをたらして
原文を見る
ひと塊の土に涎し
泣く母の顔(かお)ににせて作った
原文を見る
泣く母の肖顔つくりぬ
なんと悲しいことだろうか
原文を見る
かなしくもあるか
明かりのない部屋(へや)にわたしがいる
原文を見る
燈影なき室に我あり
父と母が
原文を見る
父と母
壁(かべ)の中から、つえをついて出てくる
原文を見る
壁のなかより杖つきて出づ
ふざけて母をおんぶして
原文を見る
たはむれに母を背負ひて
あまりに軽(かる)いので泣けてきて
原文を見る
そのあまり軽きに泣きて
三歩(さんぽ)も歩けなかった
原文を見る
三歩あゆまず
ふらりと家を出ては
原文を見る
飄然と家を出でては
ふらりと帰ってくる癖(くせ)よ
原文を見る
飄然と帰りし癖よ
友だちは笑うけれど
原文を見る
友はわらへど
ふるさとの父が咳(せき)をするたびに、こんなふうに
原文を見る
ふるさとの父の咳する度に斯く
咳が出るのだろうか
原文を見る
咳の出づるや
病気(びょうき)になると、はかないものだ
原文を見る
病めばはかなし
わたしが泣くのを少女(しょうじょ)たちが聞いたら
原文を見る
わが泣くを少女等きかば
病気の犬(いぬ)が
原文を見る
病犬の
月に向かってほえるのに似ていると言うだろう
原文を見る
月に吠ゆるに似たりといふらむ
どこかでかすかに虫が鳴くような
原文を見る
何処やらむかすかに虫のなくごとき
心細(こころぼそ)さを
原文を見る
こころ細さを
今日も感じる
原文を見る
今日もおぼゆる
とても暗い
原文を見る
いと暗き
穴(あな)に心が吸(す)いこまれていくように感じて
原文を見る
穴に心を吸はれゆくごとく思ひて
疲れて眠る
原文を見る
つかれて眠る
気持ちよく
原文を見る
こころよく
わたしにはたらく仕事があってほしい
原文を見る
我にはたらく仕事あれ
それをやりとげて死にたいと思う
原文を見る
それを仕遂げて死なむと思ふ
こみ合う電車(でんしゃ)のすみで
原文を見る
こみ合へる電車の隅に
小さくちぢこまる
原文を見る
ちぢこまる
夕方(ゆうがた)ごとの、そんな自分がいとおしい
原文を見る
ゆふべゆふべの我のいとしさ
浅草(あさくさ)の夜のにぎわいに
原文を見る
浅草の夜のにぎはひに
まぎれこんで
原文を見る
まぎれ入り
まぎれ出てきた、さびしい心
原文を見る
まぎれ出で来しさびしき心
かわいがっている犬(いぬ)の耳を切ってみた
原文を見る
愛犬の耳斬りてみぬ
ああ、これも
原文を見る
あはれこれも
何かに飽(あ)きた心のせいだろうか
原文を見る
物に倦みたる心にかあらむ
鏡(かがみ)を手に取り
原文を見る
鏡とり
できるかぎりいろいろな顔をしてみた
原文を見る
能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽(あ)きた時に
原文を見る
泣き飽きし時
なみだ、なみだ
原文を見る
なみだなみだ
不思議(ふしぎ)なことだなあ
原文を見る
不思議なるかな
それで顔を洗うと、心がふざけたくなる
原文を見る
それをもて洗へば心戯けたくなれり
あきれた母の言葉に
原文を見る
呆れたる母の言葉に
はっと気がつくと
原文を見る
気がつけば
茶碗(ちゃわん)をはしでたたいていた
原文を見る
茶碗を箸もて敲きてありき
草の上に寝ころんで
原文を見る
草に臥て
何も考えない
原文を見る
おもふことなし
わたしの額(ひたい)にふんをして、鳥は空で遊んでいる
原文を見る
わが額に糞して鳥は空に遊べり
わたしのひげの
原文を見る
わが髭の
下を向く癖(くせ)が腹立たしい
原文を見る
下向く癖がいきどほろし
このごろ、にくらしい男に似てきたから
原文を見る
このごろ憎き男に似たれば
森の奥から銃(じゅう)の音が聞こえる
原文を見る
森の奥より銃声聞ゆ
ああ、ああ
原文を見る
あはれあはれ
自分で死ぬ音というのはいいものだ
原文を見る
自ら死ぬる音のよろしさ
大木(たいぼく)の幹(みき)に耳をあてて
原文を見る
大木の幹に耳あて
半日(はんにち)近く
原文を見る
小半日
かたい皮をむしっていた
原文を見る
堅き皮をばむしりてありき
「そんなことで死ぬのか」
原文を見る
「さばかりの事に死ぬるや」
「そんなことで生きるのか」
原文を見る
「さばかりの事に生くるや」
やめろやめろ、この問答(もんどう)
原文を見る
止せ止せ問答
めったにない
原文を見る
まれにある
この落ち着いた心のときには
原文を見る
この平なる心には
時計が鳴るのもおもしろく聞こえる
原文を見る
時計の鳴るもおもしろく聴く
ふと深い恐(おそ)れを感じて
原文を見る
ふと深き怖れを覚え
じっとして
原文を見る
ぢっとして
やがて静かにへそをさわってみる
原文を見る
やがて静かに臍をまさぐる
高い山の頂上(ちょうじょう)に登り
原文を見る
高山のいただきに登り
なんとなく帽子(ぼうし)をふって
原文を見る
なにがなしに帽子をふりて
また下りてきた
原文を見る
下り来しかな
どこかでたくさんの人が争っていて
原文を見る
何処やらに沢山の人があらそひて
くじを引いているようだ
原文を見る
鬮引くごとし
わたしも引いてみたい
原文を見る
われも引きたし
怒(おこ)る時
原文を見る
怒る時
かならず一つ、鉢(はち)を割る
原文を見る
かならずひとつ鉢を割り
九百九十九(きゅうひゃくきゅうじゅうきゅう)割って死にたい
原文を見る
九百九十九割りて死なまし
電車の中でいつも会う小さな男の
原文を見る
いつも逢ふ電車の中の小男の
とがった目
原文を見る
稜ある眼
このごろ気になる
原文を見る
このごろ気になる
鏡屋(かがみや)の前に来て
原文を見る
鏡屋の前に来て
ふと驚いた
原文を見る
ふと驚きぬ
こんなにみすぼらしく歩いているものか
原文を見る
見すぼらしげに歩むものかも
なんとなく汽車(きしゃ)に乗りたいと思っただけだった
原文を見る
何となく汽車に乗りたく思ひしのみ
汽車を降りたら
原文を見る
汽車を下りしに
行くところがない
原文を見る
ゆくところなし
空き家(あきや)に入って
原文を見る
空家に入り
たばこを吸(す)ったことがある
原文を見る
煙草のみたることありき
ああ、ただひとりでいたかっただけに
原文を見る
あはれただ一人居たきばかりに
なんとなく
原文を見る
何がなしに
さびしくなると外に出て歩く男になって
原文を見る
さびしくなれば出てあるく男となりて
三か月(みつき)にもなった
原文を見る
三月にもなれり
やわらかく積もった雪に
原文を見る
やはらかに積れる雪に
ほてったほおをうずめるような
原文を見る
熱てる頬を埋むるごとき
恋(こい)をしてみたい
原文を見る
恋してみたし
悲しいのは
原文を見る
かなしきは
あきることのない利己(りこ)の心を
原文を見る
飽くなき利己の一念を
もてあましている男だということだ
原文を見る
持てあましたる男にありけり
手も足も
原文を見る
手も足も
部屋(へや)いっぱいに投げ出して
原文を見る
室いっぱいに投げ出して
やがて静かに起き上がる
原文を見る
やがて静かに起きかへるかな
百年(ひゃくねん)の長いねむりから覚めたように
原文を見る
百年の長き眠りの覚めしごと
あくびをしてみたい
原文を見る
呿呻してまし
何も考えずに
原文を見る
思ふことなしに
腕(うで)を組んで
原文を見る
腕拱みて
このごろ思う
原文を見る
このごろ思ふ
大きな敵(てき)よ、目の前におどり出てこい、と
原文を見る
大いなる敵目の前に躍り出でよと
手が白く
原文を見る
手が白く
そして大きかった
原文を見る
且つ大なりき
非凡(ひぼん)な人だと言われる男に会ったとき
原文を見る
非凡なる人といはるる男に会ひしに
気持ちよく
原文を見る
こころよく
人をほめてみたくなった
原文を見る
人を讃めてみたくなりにけり
利己(りこ)の心にあきたさびしさ
原文を見る
利己の心に倦めるさびしさ
雨が降ると
原文を見る
雨降れば
わたしの家の者は、だれもかれも暗い顔をする
原文を見る
わが家の人誰も誰も沈める顔す
雨よ、はれてほしい
原文を見る
雨霽れよかし
高いところから飛びおりるような気持ちで
原文を見る
高きより飛びおりるごとき心もて
この一生(いっしょう)を
原文を見る
この一生を
終える方法(ほうほう)はないものか
原文を見る
終るすべなきか
このごろ
原文を見る
この日頃
ひそかに胸(むね)に住みついている後悔(こうかい)がある
原文を見る
ひそかに胸にやどりたる悔あり
わたしを笑わせない
原文を見る
われを笑はしめざり
おせじを聞くと
原文を見る
へつらひを聞けば
腹の立つわたしの心
原文を見る
腹立つわがこころ
あまりに自分を知っているのが悲しい
原文を見る
あまりに我を知るがかなしき
知らない家をたたき起こして
原文を見る
知らぬ家たたき起して
逃げてくるのが面白かった
原文を見る
遁げ来るがおもしろかりし
昔がなつかしい
原文を見る
昔の恋しさ
非凡(ひぼん)な人のようにふるまった
原文を見る
非凡なる人のごとくにふるまへる
そのあとのさびしさは
原文を見る
後のさびしさは
何にたとえたらいいのだろう
原文を見る
何にかたぐへむ
あの大きな彼の体(からだ)が
原文を見る
大いなる彼の身体が
憎(にく)らしかった
原文を見る
憎かりき
その前に行って話をする時
原文を見る
その前にゆきて物を言ふ時
実務(じつむ)には役に立たない歌人(かじん)だと
原文を見る
実務には役に立たざるうた人と
わたしを見る人から
原文を見る
我を見る人に
お金を借りた
原文を見る
金借りにけり
遠くから笛(ふえ)の音が聞こえる
原文を見る
遠くより笛の音きこゆ
うなだれているせいだろうか
原文を見る
うなだれてある故やらむ
なみだが流れる
原文を見る
なみだ流るる
それもいい、これもいいと言う人の
原文を見る
それもよしこれもよしとてある人の
その気軽(きがる)さが
原文を見る
その気がるさを
うらやましくなった
原文を見る
欲しくなりたり
死ぬことを
原文を見る
死ぬことを
いつも飲む薬(くすり)を飲むみたいに、わたしは思う
原文を見る
持薬をのむがごとくにも我はおもへり
心が痛(いた)む時には
原文を見る
心いためば
道ばたで犬が長々とあくびをした
原文を見る
路傍に犬ながながと呿呻しぬ
わたしもまねをした
原文を見る
われも真似しぬ
うらやましくて
原文を見る
うらやましさに
真剣(しんけん)になって竹(たけ)で犬をたたく
原文を見る
真剣になりて竹もて犬を撃つ
その子どもの顔を
原文を見る
小児の顔を
いいなと思った
原文を見る
よしと思へり
発電機(はつでんき)の
原文を見る
ダイナモの
重いうなり音の気持ちよさよ
原文を見る
重き唸りのここちよさよ
ああ、あんなふうに話してみたい
原文を見る
あはれこのごとく物を言はまし
おどけた性格(せいかく)だった友の死顔(しにがお)の
原文を見る
剽軽の性なりし友の死顔の
青ざめた疲(つか)れが
原文を見る
青き疲れが
今も目に浮かぶ
原文を見る
いまも目にあり
気の変わる人に仕えて
原文を見る
気の変る人に仕へて
つくづくと
原文を見る
つくづくと
自分の人生がいやになった
原文を見る
わが世がいやになりにけるかな
竜(りゅう)のようにむなしい空へおどり出て
原文を見る
龍のごとくむなしき空に躍り出でて
消えていく煙(けむり)
原文を見る
消えゆく煙
見ていてもあきない
原文を見る
見れば飽かなく
気持ちのよい疲れだなあ
原文を見る
こころよき疲れなるかな
息もつかずに
原文を見る
息もつかず
仕事をしたあとの、この疲れ
原文を見る
仕事をしたる後のこの疲れ
うそ寝や、うそのあくびなど
原文を見る
空寝入生呿呻など
なぜするのだろう
原文を見る
なぜするや
自分の思っていることを人に気づかれないため
原文を見る
思ふこと人にさとらせぬため
はしを止めて、ふっと思った
原文を見る
箸止めてふっと思ひぬ
とうとう
原文を見る
やうやくに
世の中のやり方に慣れてしまったなあ
原文を見る
世のならはしに慣れにけるかな
朝早く
原文を見る
朝はやく
結婚の時期(じき)を過ぎた妹の
原文を見る
婚期を過ぎし妹の
恋文(こいぶみ)のような手紙を読んだ
原文を見る
恋文めける文を読めりけり
しっとりと
原文を見る
しっとりと
水を吸(す)ったスポンジの
原文を見る
水を吸ひたる海綿の
重さに似た気持ちを感じる
原文を見る
重さに似たる心地おぼゆる
「死ね、死ね」と自分を怒って
原文を見る
死ね死ねと己を怒り
だまりこんだ
原文を見る
もだしたる
心の底にある、暗くむなしい気持ち
原文を見る
心の底の暗きむなしさ
けもののような顔が、口を開けたり閉めたりしている
原文を見る
けものめく顔あり口をあけたてす
そう見えただけだった
原文を見る
とのみ見てゐぬ
人が話しているのが
原文を見る
人の語るを
親と子が
原文を見る
親と子と
はなればなれの心のまま、静かに向かい合う
原文を見る
はなればなれの心もて静かに対ふ
気まずいのだろうか、何なのだろうか
原文を見る
気まづきや何ぞ
あの船の
原文を見る
かの船の
あの航海(こうかい)の乗客(じょうきゃく)の一人だった
原文を見る
かの航海の船客の一人にてありき
死にきれなかったのは
原文を見る
死にかねたるは
目の前のお菓子の皿(さら)などを
原文を見る
目の前の菓子皿などを
かりかりとかんでみたくなった
原文を見る
かりかりと噛みてみたくなりぬ
もどかしいことだなあ
原文を見る
もどかしきかな
よく笑う若い男が
原文を見る
よく笑ふ若き男の
もし死んだら
原文を見る
死にたらば
この世は少しさびしくなるだろう
原文を見る
すこしはこの世さびしくもなれ
なんとなく
原文を見る
何がなしに
息が切れるまで走り出してみたくなった
原文を見る
息きれるまで駆け出してみたくなりたり
草原(そうげん)などを
原文を見る
草原などを
新しい背広(せびろ)などを着て
原文を見る
あたらしき背広など着て
旅をしよう
原文を見る
旅をせむ
そう、今年もまた思っただけで終わった
原文を見る
しかく今年も思ひ過ぎたる
わざわざ明かりを消して
原文を見る
ことさらに燈火を消して
じっと見つめるように考えていたのは
原文を見る
まぢまぢと思ひてゐしは
わけのないこと
原文を見る
わけもなきこと
浅草(あさくさ)の凌雲閣(りょううんかく)のてっぺんで
原文を見る
浅草の凌雲閣のいただきに
腕(うで)を組んだ日の
原文を見る
腕組みし日の
長い日記(にっき)だなあ
原文を見る
長き日記かな
ふつうのふざけっこだろうか
原文を見る
尋常のおどけならむや
ナイフを持って死ぬまねをする
原文を見る
ナイフ持ち死ぬまねをする
その顔、その顔
原文を見る
その顔その顔
こそこそ話がやがて大きくなり
原文を見る
こそこその話がやがて高くなり
ピストルが鳴って
原文を見る
ピストル鳴りて
人生が終わる
原文を見る
人生終る
時には
原文を見る
時ありて
子どものようにふざけて遊ぶ
原文を見る
子供のやうにたはむれす
恋(こい)をしている人ならしないことだ
原文を見る
恋ある人のなさぬ業かな
とにかく家を出てみると
原文を見る
とかくして家を出づれば
日光(にっこう)のあたたかさがある
原文を見る
日光のあたたかさあり
息を深く吸う
原文を見る
息ふかく吸ふ
つかれた牛(うし)のよだれは
原文を見る
つかれたる牛のよだれは
たらたらと
原文を見る
たらたらと
何千万年たっても尽(つ)きないようだ
原文を見る
千万年も尽きざるごとし
道ばたの切り石(きりいし)の上で
原文を見る
路傍の切石の上に
腕(うで)を組んで
原文を見る
腕拱みて
空を見上げている男がいた
原文を見る
空を見上ぐる男ありたり
何だろうか
原文を見る
何やらむ
おだやかでない目つきをして
原文を見る
穏かならぬ目付して
つるはしを打つ人たちを見ている
原文を見る
鶴嘴を打つ群を見てゐる
今日は、心から逃げ去った
原文を見る
心より今日は逃げ去れり
病気(びょうき)の獣(けもの)のような
原文を見る
病ある獣のごとき
不平(ふへい)が逃げ去った
原文を見る
不平逃げ去れり
おおらかな心がやってきた
原文を見る
おほどかの心来れり
歩くだけでも
原文を見る
あるくにも
おなかに力がたまるようだ
原文を見る
腹に力のたまるがごとし
ただひとりで泣きたくて
原文を見る
ただひとり泣かまほしさに
来て、横になった
原文を見る
来て寝たる
宿屋(やどや)のふとんの気持ちよさよ
原文を見る
宿屋の夜具のこころよさかな
友よ、そんなふうに
原文を見る
友よさは
こじきのみすぼらしさをきらわないでくれ
原文を見る
乞食の卑しさ厭ふなかれ
腹が減っていた時は、わたしもそうだった
原文を見る
餓ゑたる時は我も爾りき
新しいインクのにおい
原文を見る
新しきインクのにほひ
せんを抜くと
原文を見る
栓抜けば
飢(う)えた腹にしみるのが悲しい
原文を見る
餓ゑたる腹に沁むがかなしも
悲しいのは
原文を見る
かなしきは
のどのかわきをこらえながら
原文を見る
喉のかわきをこらへつつ
寒い夜のふとんの中でちぢこまる時
原文を見る
夜寒の夜具にちぢこまる時
一度でもわたしに頭を下げさせた
原文を見る
一度でも我に頭を下げさせし
人はみな死ねと
原文を見る
人みな死ねと
祈(いの)ったこと
原文を見る
いのりてしこと
わたしに似た友の二人よ
原文を見る
我に似し友の二人よ
一人は死んで
原文を見る
一人は死に
一人は牢屋(ろうや)を出て、今は病気だ
原文を見る
一人は牢を出でて今病む
あり余る才能(さいのう)を持ちながら
原文を見る
あまりある才を抱きて
妻(つま)のために
原文を見る
妻のため
思い悩む友を悲しく思う
原文を見る
おもひわづらふ友をかなしむ
打ち明けて話して
原文を見る
打明けて語りて
何か損(そん)をしたような気がして
原文を見る
何か損をせしごとく思ひて
友と別れた
原文を見る
友とわかれぬ
どんよりと
原文を見る
どんよりと
くもった空を見ていたら
原文を見る
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなった
原文を見る
人を殺したくなりにけるかな
人並(ひとなみ)の才能(さいのう)しかない
原文を見る
人並の才に過ぎざる
わたしの友の
原文を見る
わが友の
深い不平(ふへい)も、あわれなことだ
原文を見る
深き不平もあはれなるかな
誰(だれ)が見ても取り柄(とりえ)のない男が来て
原文を見る
誰が見てもとりどころなき男来て
威張(いば)って帰った
原文を見る
威張りて帰りぬ
悲しいことだなあ
原文を見る
かなしくもあるか
働(はたら)いても
原文を見る
はたらけど
働いても、まだわたしの暮らしは楽にならない
原文を見る
はたらけど猶わが生活楽にならざり
じっと手を見る
原文を見る
ぢっと手を見る
何もかも、この先(さき)のことが見えるような
原文を見る
何もかも行末の事みゆるごとき
この悲しみは
原文を見る
このかなしみは
ふいてもふいても消えない
原文を見る
拭ひあへずも
ある日
原文を見る
とある日に
酒(さけ)を飲みたくてたまらないように
原文を見る
酒をのみたくてならぬごとく
今日、わたしは切実(せつじつ)にお金がほしかった
原文を見る
今日われ切に金を欲りせり
水晶(すいしょう)の玉を喜んでもてあそぶ
原文を見る
水晶の玉をよろこびもてあそぶ
このわたしの心は
原文を見る
わがこの心
いったい何の心なのだろう
原文を見る
何の心ぞ
何事もなく
原文を見る
事もなく
そして気持ちよく太っていく
原文を見る
且つこころよく肥えてゆく
このごろのわたしは、何か物足りない
原文を見る
わがこのごろの物足らぬかな
大きな水晶(すいしょう)の玉を
原文を見る
大いなる水晶の玉を
一つほしい
原文を見る
ひとつ欲し
それに向かって、ものを考えたい
原文を見る
それにむかひて物を思はむ
うぬぼれている友に
原文を見る
うぬ惚るる友に
調子(ちょうし)を合わせてうなずいていた
原文を見る
合槌うちてゐぬ
めぐみをあたえるような気持ちで
原文を見る
施与をするごとき心に
ある朝、悲しい夢からさめかけた時に
原文を見る
ある朝のかなしき夢のさめぎはに
鼻に入ってきた
原文を見る
鼻に入り来し
味噌(みそ)を煮(に)るにおいよ
原文を見る
味噌を煮る香よ
こつこつと空き地(あきち)で石をきざむ音が
原文を見る
こつこつと空地に石をきざむ音
耳について離れなかった
原文を見る
耳につき来ぬ
家に入るまで
原文を見る
家に入るまで
なんとなく
原文を見る
何がなしに
頭の中にがけがあって
原文を見る
頭のなかに崖ありて
毎日、土が崩(くず)れていくようだ
原文を見る
日毎に土のくづるるごとし
遠くで電話のベルが鳴るように
原文を見る
遠方に電話の鈴の鳴るごとく
今日も耳が鳴る
原文を見る
今日も耳鳴る
悲しい日だなあ
原文を見る
かなしき日かな
あかじみた着物(きもの)のえりよ
原文を見る
垢じみし袷の襟よ
悲しくも
原文を見る
かなしくも
ふるさとで胡桃(くるみ)を焼くにおいがする
原文を見る
ふるさとの胡桃焼くるにほひす
死にたくてたまらない時がある
原文を見る
死にたくてならぬ時あり
トイレで人目(ひとめ)をさけて
原文を見る
はばかりに人目を避けて
こわい顔をする
原文を見る
怖き顔する
一隊(いちたい)の兵隊(へいたい)を見送って
原文を見る
一隊の兵を見送りて
悲しかった
原文を見る
かなしかり
どうして彼らは、心配事(しんぱいごと)がないような顔をしているのだろう
原文を見る
何ぞ彼等のうれひ無げなる
同じ国の人たちの顔が、たえがたくいやしく
原文を見る
邦人の顔たへがたく卑しげに
目にうつる日だ
原文を見る
目にうつる日なり
家に閉(と)じこもろう
原文を見る
家にこもらむ
次の休みの日には、一日中(いちにちじゅう)寝てみようと
原文を見る
この次の休日に一日寝てみむと
そう思っただけで過ごしてきた
原文を見る
思ひすごしぬ
この三年(みとせ)というもの
原文を見る
三年このかた
ある時のわたしの心を
原文を見る
或る時のわれのこころを
焼きたての
原文を見る
焼きたての
パンに似ていると思ったことよ
原文を見る
麺麭に似たりと思ひけるかな
たんたらたら たんたらたらと
原文を見る
たんたらたらたんたらたらと
雨だれが
原文を見る
雨滴が
痛む頭にひびく悲しさ
原文を見る
痛むあたまにひびくかなしさ
ある日のこと
原文を見る
ある日のこと
部屋の障子(しょうじ)をはりかえた
原文を見る
室の障子をはりかへぬ
その日は、それだけで心がなごんだ
原文を見る
その日はそれにて心なごみき
こうしてはいられないと思って
原文を見る
かうしては居られずと思ひ
立ち上がったが
原文を見る
立ちにしが
外で馬(うま)がいななくまで
原文を見る
戸外に馬の嘶きしまで
気が抜けて、廊下(ろうか)に立っていた
原文を見る
気ぬけして廊下に立ちぬ
荒々(あらあら)しく扉(とびら)をおしたら
原文を見る
あららかに扉を推せしに
すぐに開いたので
原文を見る
すぐ開きしかば
じっとして
原文を見る
ぢっとして
黒(くろ)や赤のインクを吸(す)って
原文を見る
黒はた赤のインク吸ひ
かたくかわいたスポンジを見る
原文を見る
堅くかわける海綿を見る
誰(だれ)が見ても
原文を見る
誰が見ても
わたしをなつかしく思ってくれるような
原文を見る
われをなつかしくなるごとき
長い手紙を書きたい夕方(ゆうがた)
原文を見る
長き手紙を書きたき夕
うすい緑色(みどりいろ)の
原文を見る
うすみどり
飲むと、体(からだ)が水のようにすきとおるという
原文を見る
飲めば身体が水のごと透きとほるてふ
そんな薬(くすり)はないだろうか
原文を見る
薬はなきか
いつもにらんでいるランプにあきて
原文を見る
いつも睨むラムプに飽きて
三日(みっか)ほど
原文を見る
三日ばかり
ろうそくの火に親(した)しんでいる
原文を見る
蝋燭の火にしたしめるかな
人間が使わない言葉を
原文を見る
人間のつかはぬ言葉
ひょっとして
原文を見る
ひょっとして
自分だけが知っているように思う日
原文を見る
われのみ知れるごとく思ふ日
新しい心を求(もと)めて
原文を見る
あたらしき心もとめて
名前も知らない
原文を見る
名も知らぬ
町(まち)などを、今日もさまよって歩いてきた
原文を見る
街など今日もさまよひて来ぬ
友だちがみな、わたしよりえらく見える日よ
原文を見る
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ってきて
原文を見る
花を買ひ来て
妻(つま)と仲(なか)よくする
原文を見る
妻としたしむ
どうして
原文を見る
何すれば
ここにわたしがいるのだろう
原文を見る
此処に我ありや
時々、そう思ってはっとし、部屋を見まわす
原文を見る
時にかく打驚きて室を眺むる
電車(でんしゃ)の中で、つばを吐(は)く人がいる
原文を見る
人ありて電車のなかに唾を吐く
それにさえ
原文を見る
それにも
心が痛(いた)みそうになった
原文を見る
心いたまむとしき
夜明けまで、遊んで過ごせる場所がほしい
原文を見る
夜明けまであそびてくらす場所が欲し
家のことを思うと
原文を見る
家をおもへば
心が冷たくなる
原文を見る
こころ冷たし
みんなが家を持っているという悲しさよ
原文を見る
人みなが家を持つてふかなしみよ
墓(はか)に入るように
原文を見る
墓に入るごとく
家に帰って眠る
原文を見る
かへりて眠る
何か一つ、不思議なことをしてみせて
原文を見る
何かひとつ不思議を示し
みんなが驚(おどろ)いているすきに
原文を見る
人みなのおどろくひまに
消えてしまいたいと思う
原文を見る
消えむと思ふ
人という人の心の中に
原文を見る
人といふ人のこころに
一人ずつ、囚人(しゅうじん)がいて
原文を見る
一人づつ囚人がゐて
うめいている悲しさ
原文を見る
うめくかなしさ
しかられて
原文を見る
叱られて
わっと泣き出す子どもの心
原文を見る
わっと泣き出す子供心
その心にもう一度なってみたいなあ
原文を見る
その心にもなりてみたきかな
盗(ぬす)むということさえ、悪いと思えない
原文を見る
盗むてふことさへ悪しと思ひえぬ
そんな心は悲しい
原文を見る
心はかなし
かくれる場所もない
原文を見る
かくれ家もなし
見捨てられた女の人のような悲しみを
原文を見る
放たれし女のごときかなしみを
弱い男が
原文を見る
よわき男の
感じる日だ
原文を見る
感ずる日なり
庭の石に
原文を見る
庭石に
はっと時計を投げつけた
原文を見る
はたと時計をなげうてる
昔のわたしの怒りが、今はいとおしい
原文を見る
昔のわれの怒りいとしも
顔を赤くして怒(おこ)ったことが
原文を見る
顔あかめ怒りしことが
次の日には
原文を見る
あくる日は
たいしたことでもないと、さびしく思うことよ
原文を見る
さほどにもなきをさびしがるかな
いらだつ心よ、お前は悲しい
原文を見る
いらだてる心よ汝はかなしかり
さあさあ
原文を見る
いざいざ
少しあくびでもしよう
原文を見る
すこし呿呻などせむ
一人の女がいる
原文を見る
女あり
わたしの言いつけにそむくまいと、心をくだいている
原文を見る
わがいひつけに背かじと心を砕く
それを見ると悲しい
原文を見る
見ればかなしも
情(なさ)けない
原文を見る
ふがひなき
わたしの日本(にほん)の女たちを
原文を見る
わが日の本の女等を
秋雨(あきさめ)の夜にののしったことよ
原文を見る
秋雨の夜にののしりしかな
男に生まれて、男とつきあい
原文を見る
男とうまれ男と交り
負けている
原文を見る
負けてをり
そのせいだろうか、秋が身にしみる
原文を見る
かるがゆゑにや秋が身に沁む
わたしがいだく考えは、すべて
原文を見る
わが抱く思想はすべて
お金がないことから来ているようだ
原文を見る
金なきに因するごとし
秋の風が吹く
原文を見る
秋の風吹く
くだらない小説(しょうせつ)を書いて喜んでいる
原文を見る
くだらない小説を書きてよろこべる
男があわれだ
原文を見る
男憐れなり
初秋(しょしゅう)の風
原文を見る
初秋の風
秋の風
原文を見る
秋の風
今日からは、あのだらしない男に
原文を見る
今日よりは彼のふやけたる男に
口をきくまいと思う
原文を見る
口を利かじと思ふ
先の見えない
原文を見る
はても見えぬ
まっすぐな街を歩くような
原文を見る
真直の街をあゆむごとき
そんな心を、今日は持てたなあ
原文を見る
こころを今日は持ちえたるかな
何も考えずに
原文を見る
何事も思ふことなく
いそがしく
原文を見る
いそがしく
過ごした一日を忘れたくないと思う
原文を見る
暮らせし一日を忘れじと思ふ
何でもかんでも「金だ、金だ」と笑い
原文を見る
何事も金金とわらひ
少したつと
原文を見る
すこし経て
また急に不満(ふまん)がつのってくる
原文を見る
またも俄かに不平つのり来
誰(だれ)かわたしを
原文を見る
誰そ我に
ピストルで撃(う)ってくれ
原文を見る
ピストルにても撃てよかし
伊藤(いとう)のように死んでみせよう
原文を見る
伊藤のごとく死にて見せなむ
「あ」とばかり
原文を見る
やとばかり
桂(かつら)首相(しゅしょう)に手を取られた夢を見て、目が覚めた
原文を見る
桂首相に手とられし夢みて覚めぬ
秋の夜の二時
原文を見る
秋の夜の二時
煙(けむり)
原文を見る
煙
一
原文を見る
一
病気(びょうき)のように
原文を見る
病のごと
ふるさとを思う心がわいてくる日だ
原文を見る
思郷のこころ湧く日なり
目にうつる青空の煙が悲しい
原文を見る
目にあをぞらの煙かなしも
自分の名前をそっと呼んで
原文を見る
己が名をほのかに呼びて
涙(なみだ)を流した
原文を見る
涙せし
十四(じゅうし)の春には、もう帰る方法(ほうほう)がない
原文を見る
十四の春にかへる術なし
青空に消えていく煙
原文を見る
青空に消えゆく煙
さびしく消えていく煙
原文を見る
さびしくも消えゆく煙
わたしに似ているだろうか
原文を見る
われにし似るか
あの旅の汽車(きしゃ)の車掌(しゃしょう)が
原文を見る
かの旅の汽車の車掌が
思いがけず
原文を見る
ゆくりなくも
わたしの中学(ちゅうがく)時代の友だちだったなあ
原文を見る
我が中学の友なりしかな
ほとばしるポンプの水の
原文を見る
ほとばしる喞筒の水の
気持ちよさよ
原文を見る
心地よさよ
しばらくは、若かったころの心で見る
原文を見る
しばしは若きこころもて見る
先生も友だちも知らずに、わたしを責(せ)めた
原文を見る
師も友も知らで責めにき
なぞのような
原文を見る
謎に似る
わたしが学業(がくぎょう)をなまけた理由(りゆう)
原文を見る
わが学業のおこたりの因
教室(きょうしつ)の窓(まど)からにげて
原文を見る
教室の窓より遁げて
ただ一人
原文を見る
ただ一人
あの城(しろ)のあとに、寝(ね)に行ったなあ
原文を見る
かの城址に寝に行きしかな
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころんで
原文を見る
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸(す)いこまれていった
原文を見る
空に吸はれし
十五(じゅうご)の心
原文を見る
十五の心
悲しみと言うなら言えるだろう
原文を見る
かなしみといはばいふべき
物の味(あじ)を
原文を見る
物の味
わたしが味わったのは、あまりに早すぎた
原文を見る
我の嘗めしはあまりに早かり
晴れた空を見上げると、いつも
原文を見る
晴れし空仰げばいつも
口笛(くちぶえ)を吹きたくなって
原文を見る
口笛を吹きたくなりて
吹いて遊んでいた
原文を見る
吹きてあそびき
夜、寝てからも口笛を吹いた
原文を見る
夜寝ても口笛吹きぬ
口笛は
原文を見る
口笛は
十五歳(じゅうごさい)のわたしの歌だった
原文を見る
十五の我の歌にしありけり
よくしかる先生がいた
原文を見る
よく叱る師ありき
ひげが似ているからヤギと名づけて
原文を見る
髯の似たるより山羊と名づけて
口まねもした
原文を見る
口真似もしき
わたしと一緒に
原文を見る
われと共に
小鳥に石を投げて遊ぶ
原文を見る
小鳥に石を投げて遊ぶ
後備大尉(こうびたいい)の子どももいたなあ
原文を見る
後備大尉の子もありしかな
城(しろ)のあとの
原文を見る
城址の
石に腰(こし)かけて
原文を見る
石に腰掛け
禁じられた木の実(このみ)を、ひとりで味わったこと
原文を見る
禁制の木の実をひとり味ひしこと
その後、わたしを見捨てた友も
原文を見る
その後に我を捨てし友も
あのころは一緒に本を読み
原文を見る
あの頃は共に書読み
一緒に遊んだ
原文を見る
ともに遊びき
学校の図書倉庫(としょそうこ)の裏の秋の草に
原文を見る
学校の図書庫の裏の秋の草
黄色い花が咲いていた
原文を見る
黄なる花咲きし
今もその名前を知らない
原文を見る
今も名知らず
花が散ると
原文を見る
花散れば
だれよりも先に白い服を着て家を出る
原文を見る
先づ人さきに白の服着て家出づる
それはわたしだったのだろうか
原文を見る
我にてありしか
今はなき姉の恋人の弟と
原文を見る
今は亡き姉の恋人のおとうとと
仲(なか)よくしていたのを
原文を見る
なかよくせしを
悲しいと思う
原文を見る
かなしと思ふ
夏休みが終わってそのまま
原文を見る
夏休み果ててそのまま
帰ってこなかった
原文を見る
かへり来ぬ
若い英語の先生もいたなあ
原文を見る
若き英語の教師もありき
ストライキを思い出しても
原文を見る
ストライキ思ひ出でても
今はもう、わたしの血はさわがない
原文を見る
今は早や吾が血躍らず
ひそかにさびしい
原文を見る
ひそかに淋し
盛岡(もりおか)の中学校の
原文を見る
盛岡の中学校の
バルコニーの
原文を見る
露台の
手すりに、もう一度わたしをよりかからせて
原文を見る
欄干に最一度我を倚らしめ
「神がいる」と言い張る友を
原文を見る
神有りと言ひ張る友を
説得(せっとく)して言い負かした
原文を見る
説きふせし
あの道ばたの栗(くり)の木の下
原文を見る
かの路傍の栗の樹の下
西風(にしかぜ)に
原文を見る
西風に
内丸大路(うちまるおおじ)の桜(さくら)の葉が
原文を見る
内丸大路の桜の葉
かさこそ散るのを踏(ふ)んで遊んだ
原文を見る
かさこそ散るを踏みてあそびき
あのころ愛読(あいどく)していた本よ
原文を見る
そのかみの愛読の書よ
だいたいは
原文を見る
大方は
今はもう流行(はや)らなくなってしまったなあ
原文を見る
今は流行らずなりにけるかな
石が一つ
原文を見る
石ひとつ
坂(さか)をくだっていくように
原文を見る
坂をくだるがごとくにも
わたしは今日という日にたどり着いた
原文を見る
我けふの日に到り着きたる
もの悲しい少年の目で、うらやましく思った
原文を見る
愁ひある少年の眼に羨みき
小鳥が飛ぶのを
原文を見る
小鳥の飛ぶを
飛びながら歌うのを
原文を見る
飛びてうたふを
解剖(かいぼう)した
原文を見る
解剖せし
みみずの命(いのち)も悲しかった
原文を見る
蚯蚓のいのちもかなしかり
あの校庭(こうてい)の木のさくの下で
原文を見る
かの校庭の木柵の下
かぎりない知識(ちしき)への欲(よく)に燃える目を
原文を見る
かぎりなき知識の慾に燃ゆる眼を
姉は心配した
原文を見る
姉は傷みき
人に恋(こい)をしているのかと
原文を見る
人恋ふるかと
蘇峰(そほう)の本をわたしにすすめてくれた友は、早くに
原文を見る
蘇峯の書を我に薦めし友早く
学校をやめてしまった
原文を見る
校を退きぬ
貧(まず)しさのために
原文を見る
まづしさのため
おどけた手つきがおかしくて
原文を見る
おどけたる手つきをかしと
わたしだけは、いつも笑っていた
原文を見る
我のみはいつも笑ひき
博学(はくがく)な先生が
原文を見る
博学の師を
自分の才能(さいのう)のせいで身をあやまった人のことを
原文を見る
自が才に身をあやまちし人のこと
語って聞かせてくれた
原文を見る
かたりきかせし
そんな先生もいたなあ
原文を見る
師もありしかな
あのころ、学校で一番のなまけ者だった人が
原文を見る
そのかみの学校一のなまけ者
今はまじめに
原文を見る
今は真面目に
働いている
原文を見る
はたらきて居り
田舎(いなか)くさい旅すがたを
原文を見る
田舎めく旅の姿を
三日(みっか)ほど都(みやこ)にさらして
原文を見る
三日ばかり都に曝し
帰っていく友だなあ
原文を見る
かへる友かな
茨島(ばらじま)の松並木(まつなみき)の道を
原文を見る
茨島の松の並木の街道を
わたしと一緒に歩いた少女(しょうじょ)は
原文を見る
われと行きし少女
自分の才能(さいのう)をたよりにしていた
原文を見る
才をたのみき
目を病(や)んで黒いめがねをかけていたころ
原文を見る
眼を病みて黒き眼鏡をかけし頃
そのころだった
原文を見る
その頃よ
ひとりで泣くことをおぼえたのは
原文を見る
一人泣くをおぼえし
わたしの心は
原文を見る
わがこころ
今日もひそかに泣こうとしている
原文を見る
けふもひそかに泣かむとす
友はみな、それぞれの道を歩いている
原文を見る
友みな己が道をあゆめり
人より先に、恋(こい)の甘(あま)さと
原文を見る
先んじて恋のあまさと
悲しさを知ったのは、わたしだ
原文を見る
かなしさを知りし我なり
人より先に年をとる
原文を見る
先んじて老ゆ
楽しい気分になると
原文を見る
興来れば
友はなみだを流し、手をふって
原文を見る
友なみだ垂れ手を揮りて
酔(よ)っぱらいのように話した
原文を見る
酔漢のごとくなりて語りき
人ごみの中をかき分けてやってくる
原文を見る
人ごみの中をわけ来る
わたしの友の
原文を見る
わが友の
昔のままの太い杖(つえ)だなあ
原文を見る
むかしながらの太き杖かな
見栄(みば)えのする年賀状(ねんがじょう)を書く人だと
原文を見る
見よげなる年賀の文を書く人と
わたしは、ずっと思っていた
原文を見る
おもひ過ぎにき
三年(みとせ)ほどは
原文を見る
三年ばかりは
夢からさめて、ふっと悲しくなる
原文を見る
夢さめてふっと悲しむ
わたしの眠りは
原文を見る
わが眠り
昔のように安らかではないなあ
原文を見る
昔のごとく安からぬかな
その昔、秀才(しゅうさい)だと評判(ひょうばん)だった
原文を見る
そのむかし秀才の名の高かりし
友は牢屋(ろうや)にいる
原文を見る
友牢にあり
秋の風が吹く
原文を見る
秋のかぜ吹く
近眼(きんがん)で
原文を見る
近眼にて
ふざけた歌をよんでいた
原文を見る
おどけし歌をよみ出でし
茂雄(しげお)の恋も、悲しいものだったのだろうか
原文を見る
茂雄の恋もかなしかりしか
わたしの妻の、昔の願いは
原文を見る
わが妻のむかしの願ひ
音楽(おんがく)に関することだった
原文を見る
音楽のことにかかりき
今はもう歌わない
原文を見る
今はうたはず
友はみな、ある日、四方(しほう)に散っていった
原文を見る
友はみな或日四方に散り行きぬ
その後、八年(やとせ)
原文を見る
その後八年
名を上げた者もいない
原文を見る
名挙げしもなし
わたしの恋を
原文を見る
わが恋を
初めて友に打ち明けた夜のことなどを
原文を見る
はじめて友にうち明けし夜のことなど
思い出す日
原文を見る
思ひ出づる日
糸が切れたたこのように
原文を見る
糸切れし紙鳶のごとくに
若かったころの心は、軽々と
原文を見る
若き日の心かろくも
飛び去ってしまったなあ
原文を見る
とびさりしかな
二
原文を見る
二
ふるさとのなまりがなつかしい
原文を見る
ふるさとの訛なつかし
停車場(ていしゃば)の人ごみの中へ
原文を見る
停車場の人ごみの中に
それを聞きに行く
原文を見る
そを聴きにゆく
病気(びょうき)の獣(けもの)のような
原文を見る
やまひある獣のごとき
わたしの心は
原文を見る
わがこころ
ふるさとの話を聞くと、おとなしくなる
原文を見る
ふるさとのこと聞けばおとなし
ふと思う
原文を見る
ふと思ふ
ふるさとにいたころ、毎日聞いていたスズメの鳴き声を
原文を見る
ふるさとにゐて日毎聴きし雀の鳴くを
三年(みとせ)も聞いていない
原文を見る
三年聴かざり
亡(な)くなった先生が、その昔
原文を見る
亡くなれる師がその昔
くださった
原文を見る
たまひたる
地理(ちり)の本などを取り出して見る
原文を見る
地理の本など取りいでて見る
その昔
原文を見る
その昔
小学校のこけら屋根(まさやね)に投げた、あのまり
原文を見る
小学校の柾屋根に我が投げし鞠
どうなっただろうか
原文を見る
いかにかなりけむ
ふるさとの
原文を見る
ふるさとの
あの道ばたの、捨てられた石よ
原文を見る
かの路傍のすて石よ
今年も草にうもれているだろうか
原文を見る
今年も草に埋もれしらむ
はなれていると、妹(いもうと)がいとおしい
原文を見る
わかれをれば妹いとしも
赤い鼻緒(はなお)の
原文を見る
赤き緒の
げたなどをほしいと泣きわめく子だった
原文を見る
下駄など欲しとわめく子なりし
二日前に、山の絵を見たが
原文を見る
二日前に山の絵見しが
今朝になって
原文を見る
今朝になりて
急にふるさとの山がなつかしい
原文を見る
にはかに恋しふるさとの山
あめ売りのチャルメラを聞くと
原文を見る
飴売のチャルメラ聴けば
なくしてしまった
原文を見る
うしなひし
幼(おさな)い心を、拾(ひろ)い上げたような気がする
原文を見る
をさなき心ひろへるごとし
このごろは
原文を見る
このごろは
母も時々、ふるさとのことを話し出す
原文を見る
母も時時ふるさとのことを言ひ出づ
秋になったのだ
原文を見る
秋に入れるなり
それとなく
原文を見る
それとなく
ふるさとのことなどを話しはじめて
原文を見る
郷里のことなど語り出でて
秋の夜に焼く、もちのにおいだなあ
原文を見る
秋の夜に焼く餅のにほひかな
何(なに)はともあれ、渋民村(しぶたみむら)がなつかしい
原文を見る
かにかくに渋民村は恋しかり
思い出の山
原文を見る
おもひでの山
思い出の川
原文を見る
おもひでの川
田も畑も売って酒を飲み
原文を見る
田も畑も売りて酒のみ
ほろびていくふるさとの人たちに
原文を見る
ほろびゆくふるさと人に
心をよせる日
原文を見る
心寄する日
ああ、あの、わたしが教えた
原文を見る
あはれかの我の教へし
子どもたちもまた
原文を見る
子等もまた
やがてふるさとを捨てて出ていくのだろう
原文を見る
やがてふるさとを棄てて出づるらむ
ふるさとを出てきた子どもたちが
原文を見る
ふるさとを出で来し子等の
たがいに出会って
原文を見る
相会ひて
喜ぶことにまさる悲しみはない
原文を見る
よろこぶにまさるかなしみはなし
石を投げられて追われるように
原文を見る
石をもて追はるるごとく
ふるさとを出た悲しみは
原文を見る
ふるさとを出でしかなしみ
消える時がない
原文を見る
消ゆる時なし
やわらかく柳(やなぎ)が青くなった
原文を見る
やはらかに柳あをめる
北上川(きたかみがわ)の岸辺(きしべ)が目に見える
原文を見る
北上の岸辺目に見ゆ
泣けと言うように
原文を見る
泣けとごとくに
ふるさとの
原文を見る
ふるさとの
村の医者(いしゃ)の妻の、つつましい髪(かみ)の結(ゆ)い方なども
原文を見る
村医の妻のつつましき櫛巻なども
なつかしいなあ
原文を見る
なつかしきかな
あの村の登記所(とうきしょ)に来て
原文を見る
かの村の登記所に来て
肺(はい)を病んで
原文を見る
肺病みて
まもなく死んでしまった男もいた
原文を見る
間もなく死にし男もありき
小学校で、わたしと一番を争った
原文を見る
小学の首席を我と争ひし
友が営(いとな)む
原文を見る
友のいとなむ
安宿(やすやど)だなあ
原文を見る
木賃宿かな
千代治(ちよじ)たちも大人になって恋をし
原文を見る
千代治等も長じて恋し
子どもをもうけた
原文を見る
子を挙げぬ
わたしが旅の空の下でしたのと同じように
原文を見る
わが旅にしてなせしごとくに
ある年のお盆(ぼん)の祭りで
原文を見る
ある年の盆の祭に
「着物(きもの)を貸すから踊れ」と言った
原文を見る
衣貸さむ踊れと言ひし
あの女の人を思い出す
原文を見る
女を思ふ
のろまな兄と
原文を見る
うすのろの兄と
体(からだ)の不自由な父を持つ三太(さんた)は、かわいそうだ
原文を見る
不具の父もてる三太はかなし
夜も本を読む
原文を見る
夜も書読む
わたしと一緒に
原文を見る
我と共に
栗毛(くりげ)の子馬を走らせた
原文を見る
栗毛の仔馬走らせし
母のいない子の、盗(ぬす)みぐせだったなあ
原文を見る
母の無き子の盗癖かな
大きな模様(もよう)の被布(ひふ)についていた、赤い花の柄(がら)
原文を見る
大形の被布の模様の赤き花
今も目に浮かぶ
原文を見る
今も目に見ゆ
六歳(むっつ)の日の恋
原文を見る
六歳の日の恋
その名前さえ忘れられたころ
原文を見る
その名さへ忘られし頃
ふらりとふるさとに帰ってきて
原文を見る
飄然とふるさとに来て
せきをしていた男
原文を見る
咳せし男
意地悪(いじわる)な大工(だいく)の子どもなども、かわいそうだった
原文を見る
意地悪の大工の子などもかなしかり
戦争に行ったが
原文を見る
戦に出でしが
生きて帰らなかった
原文を見る
生きてかへらず
肺(はい)を病んでいる
原文を見る
肺を病む
道楽者(どうらくもの)の地主(じぬし)の長男(ちょうなん)の
原文を見る
極道地主の総領の
嫁取り(よめとり)の日に鳴った、春の雷(かみなり)だなあ
原文を見る
よめとりの日の春の雷かな
宗次郎(そうじろう)に
原文を見る
宗次郎に
おかねが泣きながら口説(くど)いている
原文を見る
おかねが泣きて口説き居り
大根(だいこん)の花が白い夕暮れ(ゆうぐれ)
原文を見る
大根の花白きゆふぐれ
気の小さい役場(やくば)の書記(しょき)が
原文を見る
小心の役場の書記の
気がくるったといううわさが立っている
原文を見る
気の狂れし噂に立てる
ふるさとの秋
原文を見る
ふるさとの秋
わたしのいとこは
原文を見る
わが従兄
野や山での狩(か)りにあきたあと
原文を見る
野山の猟に飽きし後
酒を飲み、家を売り、病気になって死んでしまったなあ
原文を見る
酒のみ家売り病みて死にしかな
わたしが行って手を取ると
原文を見る
我ゆきて手をとれば
泣いて、おさまった
原文を見る
泣きてしづまりき
酔(よ)って荒(あば)れた、あのころの友
原文を見る
酔ひて荒れしそのかみの友
酒を飲むと
原文を見る
酒のめば
刀(かたな)をぬいて妻を追いかける先生もいた
原文を見る
刀をぬきて妻を逐ふ教師もありき
村を追い出された
原文を見る
村を遂はれき
年ごとに、肺病(はいびょう)の人が増(ふ)えていく
原文を見る
年ごとに肺病やみの殖えてゆく
その村に迎(むか)えた
原文を見る
村に迎へし
若い医者(いしゃ)だなあ
原文を見る
若き医者かな
ほたる狩(が)り
原文を見る
ほたる狩
川に行こうと言うわたしを
原文を見る
川にゆかむといふ我を
山道(やまみち)にさそう人だった
原文を見る
山路にさそふ人にてありき
じゃがいもの、うすむらさきの花に降る
原文を見る
馬鈴薯のうす紫の花に降る
雨のことを思った
原文を見る
雨を思へり
都(みやこ)の雨の中で
原文を見る
都の雨に
ああ、わたしのノスタルジー(なつかしさ)は
原文を見る
あはれ我がノスタルジヤは
金(きん)のように
原文を見る
金のごと
心の中で、清らかにすみずみまで光っている
原文を見る
心に照れり清くしみらに
友だちとして遊ぶ相手がいない
原文を見る
友として遊ぶものなき
意地悪(いじわる)な巡査(じゅんさ)の子どもたちも
原文を見る
性悪の巡査の子等も
かわいそうだった
原文を見る
あはれなりけり
かんこどりが
原文を見る
閑古鳥
鳴く日になると起きるという
原文を見る
鳴く日となれば起るてふ
友の病気(びょうき)は、その後どうなっただろうか
原文を見る
友のやまひのいかになりけむ
わたしが思うことは
原文を見る
わが思ふこと
たいてい、正しかった
原文を見る
おほかたは正しかり
ふるさとから手紙が届いた朝は
原文を見る
ふるさとのたより着ける朝は
今日聞いたところによると
原文を見る
今日聞けば
あの、幸(しあわ)せのうすい、やもめの人が
原文を見る
かの幸うすきやもめ人
みにくい恋(こい)にのめりこんでいるという
原文を見る
きたなき恋に身を入るるてふ
わたしのために
原文を見る
わがために
なやんでいる魂(たましい)をしずめてくれと
原文を見る
なやめる魂をしづめよと
さんび歌をうたってくれた人がいたなあ
原文を見る
讃美歌うたふ人ありしかな
ああ、あの男のようなたましいよ
原文を見る
あはれかの男のごときたましひよ
今はどこにいて
原文を見る
今は何処に
何を思っているのだろうか
原文を見る
何を思ふや
わたしの庭の白いつつじを
原文を見る
わが庭の白き躑躅を
うすい月の夜に
原文を見る
薄月の夜に
折(お)って持っていったこと、忘れないでいてほしい
原文を見る
折りゆきしことな忘れそ
わたしの村に
原文を見る
わが村に
初めてイエス・キリストの教えを説(と)いた
原文を見る
初めてイエス・クリストの道を説きたる
若い女の人だなあ
原文を見る
若き女かな
霧(きり)の深い好摩(こうま)の原の
原文を見る
霧ふかき好摩の原の
停車場(ていしゃば)の
原文を見る
停車場の
朝の虫の声こそ、なんとなく心にしみる
原文を見る
朝の虫こそすずろなりけれ
汽車(きしゃ)の窓から
原文を見る
汽車の窓
はるか北に、ふるさとの山が見えてくると
原文を見る
はるかに北にふるさとの山見え来れば
えりを正(ただ)す
原文を見る
襟を正すも
ふるさとの土をわたしがふむと
原文を見る
ふるさとの土をわが踏めば
なんとなく足が軽くなり
原文を見る
何がなしに足軽くなり
心は重くなった
原文を見る
心重れり
ふるさとに入って、まず心が痛(いた)むなあ
原文を見る
ふるさとに入りて先づ心傷むかな
道が広くなり
原文を見る
道広くなり
橋も新しくなっている
原文を見る
橋もあたらし
見たこともない女の先生が
原文を見る
見もしらぬ女教師が
あのころの
原文を見る
そのかみの
わたしの学校の窓に立っているなあ
原文を見る
わが学舎の窓に立てるかな
あの家の、あの窓でこそ
原文を見る
かの家のかの窓にこそ
春の夜に
原文を見る
春の夜を
秀子(ひでこ)と一緒に、カエルの声を聞いたのだった
原文を見る
秀子とともに蛙聴きけれ
あのころの、神童(しんどう)と呼ばれた名前の
原文を見る
そのかみの神童の名の
悲しさよ
原文を見る
かなしさよ
ふるさとに来て泣くのは、そのことだ
原文を見る
ふるさとに来て泣くはそのこと
ふるさとの、駅(えき)へ続く道の
原文を見る
ふるさとの停車場路の
川ばたの
原文を見る
川ばたの
胡桃(くるみ)の木の下で、小石を拾(ひろ)った
原文を見る
胡桃の下に小石拾へり
ふるさとの山に向かって
原文を見る
ふるさとの山に向ひて
言うことは何もない
原文を見る
言ふことなし
ふるさとの山は、ありがたいものだなあ
原文を見る
ふるさとの山はありがたきかな
秋風(あきかぜ)の気持ちよさに
原文を見る
秋風のこころよさに
ふるさとの空は遠いのだろうか
原文を見る
ふるさとの空遠みかも
高い建物に、ひとりでのぼって
原文を見る
高き屋にひとりのぼりて
うれいを感じて下りてくる
原文を見る
愁ひて下る
白く光って、玉(たま)よりも美しく見える、心の小さい人も
原文を見る
皎として玉をあざむく小人も
秋が来たと聞けば
原文を見る
秋来といふに
ものを思う
原文を見る
物を思へり
悲しいのは
原文を見る
かなしきは
秋風だなあ
原文を見る
秋風ぞかし
めったにわかなかった涙が、しきりに流れる
原文を見る
稀にのみ湧きし涙の繁に流るる
青くすきとおって
原文を見る
青に透く
悲しみの玉(たま)をまくらにして
原文を見る
かなしみの玉に枕して
松(まつ)の音を一晩(ひとばん)じゅう聞く
原文を見る
松のひびきを夜もすがら聴く
神(かみ)さびた七山(ななやま)の杉(すぎ)を
原文を見る
神寂びし七山の杉
火のように赤く染(そ)めて、日がしずんだ
原文を見る
火のごとく染めて日入りぬ
静かだなあ
原文を見る
静かなるかな
それを読むと
原文を見る
そを読めば
「うれいを知る」と言って本を焼いた
原文を見る
愁ひ知るといふ書焚ける
昔の人の心はすばらしいなあ
原文を見る
いにしへ人の心よろしも
何もかもが、なんとなくはかなげに
原文を見る
ものなべてうらはかなげに
暮れていった
原文を見る
暮れゆきぬ
悲しみを寄せ集めたような日は
原文を見る
とりあつめたる悲しみの日は
水たまりが
原文を見る
水潦
暮れていく空と、紅(くれない)色のひもを、うつしている
原文を見る
暮れゆく空とくれなゐの紐を浮べぬ
秋雨(あきさめ)のあと
原文を見る
秋雨の後
秋が来るのは、水に似ているのだろうか
原文を見る
秋立つは水にかも似る
洗(あら)われて
原文を見る
洗はれて
思うことすべてが、新しくなる
原文を見る
思ひことごと新しくなる
うれいを感じて
原文を見る
愁ひ来て
丘(おか)にのぼると
原文を見る
丘にのぼれば
名も知らない鳥が、赤いいばらの実をついばんでいた
原文を見る
名も知らぬ鳥啄めり赤き茨の実
秋の四つ角(よつかど)
原文を見る
秋の辻
四本(よんほん)の道のうち、三本(さんぼん)へと吹いていく風の
原文を見る
四すぢの路の三すぢへと吹きゆく風の
あとが見えないなあ
原文を見る
あと見えずかも
秋の気配(けはい)が、まっさきに耳に入ってくる
原文を見る
秋の声まづいち早く耳に入る
そういう性分(しょうぶん)を持っている
原文を見る
かかる性持つ
悲しく思うべきなのだろう
原文を見る
かなしむべかり
見なれた山ではあるけれど
原文を見る
目になれし山にはあれど
秋が来ると
原文を見る
秋来れば
神(かみ)が住んでいるのではと、おそれ多く思って見る
原文を見る
神や住まむとかしこみて見る
わたしがこの世でやることが尽(つ)きたように
原文を見る
わが為さむこと世に尽きて
長い一日を
原文を見る
長き日を
こんなにも悲しくものを思うのだろうか
原文を見る
かくしもあはれ物を思ふか
さらさらと雨が降ってきて
原文を見る
さらさらと雨落ち来り
庭の地面がぬれていくのを見ていたら
原文を見る
庭の面の濡れゆくを見て
涙を忘れていた
原文を見る
涙わすれぬ
ふるさとのお寺のろうかで
原文を見る
ふるさとの寺の御廊に
ふみつけてしまった
原文を見る
踏みにける
蝶(ちょう)の形の小さなくしを、夢に見たなあ
原文を見る
小櫛の蝶を夢にみしかな
ためしに
原文を見る
こころみに
幼(おさな)かったころのわたしになって
原文を見る
いとけなき日の我となり
話をしてみたい相手がいてほしいと思う
原文を見る
物言ひてみむ人あれと思ふ
ぱたぱたと、きびの葉が鳴っている
原文を見る
はたはたと黍の葉鳴れる
ふるさとの軒先(のきさき)がなつかしい
原文を見る
ふるさとの軒端なつかし
秋風が吹くと
原文を見る
秋風吹けば
すれちがう肩と肩のすきまから
原文を見る
摩れあへる肩のひまより
ほんの少し見えただけということさえ
原文を見る
はつかにも見きといふさへ
日記(にっき)に残っている
原文を見る
日記に残れり
風流(ふうりゅう)な男は、今も昔も
原文を見る
風流男は今も昔も
あわ雪のように白い
原文を見る
泡雪の
美しい腕(うで)を枕(まくら)にする夜に、年をとっていくものらしい
原文を見る
玉手さし捲く夜にし老ゆらし
ほんのしばらく、忘れてみたいものだ
原文を見る
かりそめに忘れても見まし
石だたみが
原文を見る
石だたみ
春に生(は)える草にうもれていくように
原文を見る
春生ふる草に埋るるがごと
その昔、ゆりかごに寝ていたころ
原文を見る
その昔揺籃に寝て
何度も夢に見た人だろうか
原文を見る
あまたたび夢にみし人か
切実(せつじつ)になつかしい
原文を見る
切になつかし
神無月(かんなづき、十月)
原文を見る
神無月
岩手(いわて)の山の
原文を見る
岩手の山の
初雪(はつゆき)が、まゆ近くまでせまって見えた朝を思い出した
原文を見る
初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ
日照り雨(ひでりあめ)がさらさらと降って
原文を見る
ひでり雨さらさら落ちて
庭先(にわさき)の
原文を見る
前栽の
萩(はぎ)の花が、少し乱(みだ)れているなあ
原文を見る
萩のすこしく乱れたるかな
秋の空はがらんとしていて、かげ一つない
原文を見る
秋の空廓寥として影もなし
あまりにさびしい
原文を見る
あまりにさびし
カラスでも飛んでくれ
原文を見る
烏など飛べ
雨上がりの月
原文を見る
雨後の月
ほどよくぬれた屋根(やね)がわらが
原文を見る
ほどよく濡れし屋根瓦の
ところどころ光る、その悲しさ
原文を見る
そのところどころ光るかなしさ
わたしが飢(う)えている日に
原文を見る
われ饑ゑてある日に
細い尾(お)をふって
原文を見る
細き尾を掉りて
腹をすかせて、わたしを見る犬の顔がいい
原文を見る
饑ゑて我を見る犬の面よし
いつのまにか
原文を見る
いつしかに
泣くということを忘れてしまった
原文を見る
泣くといふこと忘れたる
わたしを泣かせてくれる人はいないだろうか
原文を見る
我泣かしむる人のあらじか
涙をあふれさせて
原文を見る
汪然として
ああ、酒の悲しみがわたしにやってきた
原文を見る
ああ酒のかなしみぞ我に来れる
立ち上がって舞(ま)おう
原文を見る
立ちて舞ひなむ
コオロギが鳴く
原文を見る
蛼鳴く
そのそばの石にしゃがみこんで
原文を見る
そのかたはらの石に踞し
泣いたり笑ったりしながら、ひとりごとを言う
原文を見る
泣き笑ひしてひとり物言ふ
力なく病気(びょうき)をしていたころから
原文を見る
力なく病みし頃より
口を少し開けて眠るのが
原文を見る
口すこし開きて眠るが
癖(くせ)になってしまった
原文を見る
癖となりにき
たった一人の人を得るだけのことを
原文を見る
人ひとり得るに過ぎざる事をもて
大きな願いにしていた
原文を見る
大願とせし
若かったころのあやまち
原文を見る
若きあやまち
すねているような
原文を見る
物怨ずる
そのやわらかな上目(うわめ)づかいを
原文を見る
そのやはらかき上目をば
かわいいと思うからこそ、わざと冷(つめ)たくするのだろうか
原文を見る
愛づとことさらつれなくせむや
これほど熱い涙は
原文を見る
かくばかり熱き涙は
初恋(はつこい)の日にもあったと
原文を見る
初恋の日にもありきと
泣く日は、もう二度とない
原文を見る
泣く日またなし
長い長いあいだ忘れていた友に
原文を見る
長く長く忘れし友に
会うような
原文を見る
会ふごとき
喜びを持って、水の音を聞く
原文を見る
よろこびをもて水の音聴く
秋の夜の
原文を見る
秋の夜の
鋼鉄(こうてつ)の色をした大空に
原文を見る
鋼鉄の色の大空に
火をふく山があってもいい、などと思う
原文を見る
火を噴く山もあれなど思ふ
岩手山(いわてやま)は
原文を見る
岩手山
秋には、ふもとの三方(さんぽう)に広がる
原文を見る
秋はふもとの三方の
野原にあふれる虫の声を、どう聞いているのだろうか
原文を見る
野に満つる虫を何と聴くらむ
父のように、秋はいかめしい
原文を見る
父のごと秋はいかめし
母のように、秋はなつかしい
原文を見る
母のごと秋はなつかし
家を持たない子どもに
原文を見る
家持たぬ児に
秋が来ると
原文を見る
秋来れば
恋しく思う心が、ひまなくわいてくることよ
原文を見る
恋ふる心のいとまなさよ
夜も眠れずに、雁(かり)の声をたくさん聞く
原文を見る
夜もい寝がてに雁多く聴く
長月(ながつき、九月)も、なかばになった
原文を見る
長月も半ばになりぬ
いつまで
原文を見る
いつまでか
こんなにも幼(おさな)く、思いを口に出せずにいるのだろう
原文を見る
かくも幼く打出でずあらむ
「思っている」ということを言わない人が
原文を見る
思ふてふこと言はぬ人の
送ってきてくれた
原文を見る
おくり来し
忘れな草(わすれなぐさ)も、はっきりと目立っていた
原文を見る
忘れな草もいちじろかりし
秋の雨に、そりかえりやすい弓(ゆみ)のように
原文を見る
秋の雨に逆反りやすき弓のごと
このごろ
原文を見る
このごろ
君はわたしと親(した)しくしてくれないなあ
原文を見る
君のしたしまぬかな
松風(まつかぜ)が、夜も昼も鳴りひびいている
原文を見る
松の風夜昼ひびきぬ
人がたずねてこない、山の小さなほこらの
原文を見る
人訪はぬ山の祠の
石の馬(うま)の耳に
原文を見る
石馬の耳に
かすかな、朽(く)ちた木のにおい
原文を見る
ほのかなる朽木の香り
その中にまじる、きのこのにおいに
原文を見る
そがなかの蕈の香りに
秋がやや深まっている
原文を見る
秋やや深し
しぐれが降るような音をたてて
原文を見る
時雨降るごとき音して
木から木へとうつっていった
原文を見る
木伝ひぬ
人間によく似た、森のサルたちが
原文を見る
人によく似し森の猿ども
森の奥から
原文を見る
森の奥
遠くひびく音がする
原文を見る
遠きひびきす
木のうろで臼(うす)をひく小人(こびと)の国に、来てしまったのだろうか
原文を見る
木のうろに臼ひく侏儒の国にかも来し
世の始まりには
原文を見る
世のはじめ
まず森があって
原文を見る
まづ森ありて
半分は神のような人が、その中で火を守っていたのだろう
原文を見る
半神の人そが中に火や守りけむ
はてしなく砂(すな)が続く
原文を見る
はてもなく砂うちつづく
ゴビの野に住んでいらっしゃる神は
原文を見る
戈壁の野に住みたまふ神は
秋の神様なのだろうか
原文を見る
秋の神かも
天と地に
原文を見る
あめつちに
わたしの悲しみと月の光とが
原文を見る
わが悲しみと月光と
どこまでも広がる秋の夜になった
原文を見る
あまねき秋の夜となれりけり
なんとなく悲しい
原文を見る
うらがなしき
夜のいろいろな音が、もれ聞こえてくるのを
原文を見る
夜の物の音洩れ来るを
拾(ひろ)い集めるように、さまよい歩いた
原文を見る
拾ふがごとくさまよひ行きぬ
旅する子どもが
原文を見る
旅の子の
ふるさとに帰ってきて眠るように
原文を見る
ふるさとに来て眠るがに
本当に静かに、冬がやってきたなあ
原文を見る
げに静かにも冬の来しかな
忘れがたき人人
原文を見る
忘れがたき人人
一
原文を見る
一
潮(しお)のかおる、北の浜辺(はまべ)の
原文を見る
潮かをる北の浜辺の
砂山にある、あのハマナスの花よ
原文を見る
砂山のかの浜薔薇よ
今年も咲いているだろうか
原文を見る
今年も咲けるや
たよりにしていた、若い年月(としつき)を数(かぞ)えてみて
原文を見る
たのみつる年の若さを数へみて
指を見つめて
原文を見る
指を見つめて
旅がいやになった
原文を見る
旅がいやになりき
三度(さんど)ほど
原文を見る
三度ほど
汽車の窓からながめた町の名前なども
原文を見る
汽車の窓よりながめたる町の名なども
したしく感じられたなあ
原文を見る
したしかりけり
函館(はこだて)の床屋(とこや)の弟子(でし)を
原文を見る
函館の床屋の弟子を
思い出した
原文を見る
おもひ出でぬ
耳のまわりをそってもらうのが、気持ちよかった
原文を見る
耳剃らせるがこころよかりし
わたしのあとを追ってきて
原文を見る
わがあとを追ひ来て
知り合いもいない
原文を見る
知れる人もなき
はての土地に住んだ、母と妻だなあ
原文を見る
辺土に住みし母と妻かな
船に酔(よ)って、やさしくなった
原文を見る
船に酔ひてやさしくなれる
妹の目が見える
原文を見る
いもうとの眼見ゆ
津軽(つがる)の海を思うと
原文を見る
津軽の海を思へば
目を閉じて
原文を見る
目を閉ぢて
心の傷(きず)ついた句(く)をとなえていた
原文を見る
傷心の句を誦してゐし
友の手紙が、ふざけているのが悲しい
原文を見る
友の手紙のおどけ悲しも
幼(おさな)かったころ
原文を見る
をさなき時
橋の欄干(らんかん)にふんをぬりつけた
原文を見る
橋の欄干に糞塗りし
その話も、友は悲しそうに話した
原文を見る
話も友はかなしみてしき
きっと一生、妻はむかえないだろうと
原文を見る
おそらくは生涯妻をむかへじと
笑って言った友よ
原文を見る
わらひし友よ
今もまだ結婚していない
原文を見る
今もめとらず
ああ、あの
原文を見る
あはれかの
めがねのふちを、さびしそうに光らせていた
原文を見る
眼鏡の縁をさびしげに光らせてゐし
女の先生よ
原文を見る
女教師よ
友がわたしにごはんをくれた
原文を見る
友われに飯を与へき
その友を裏切った、わたしの
原文を見る
その友に背きし我の
性分(しょうぶん)の悲しさ
原文を見る
性のかなしさ
函館(はこだて)の青柳町(あおやぎちょう)こそ、悲しいところだ
原文を見る
函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋の歌
原文を見る
友の恋歌
矢車草(やぐるまそう)の花
原文を見る
矢ぐるまの花
ふるさとの
原文を見る
ふるさとの
麦(むぎ)のかおりをなつかしく思う
原文を見る
麦のかをりを懐かしむ
女の人のまゆに、心をひかれた
原文を見る
女の眉にこころひかれき
新しい洋書(ようしょ)の紙の
原文を見る
あたらしき洋書の紙の
においをかいで
原文を見る
香をかぎて
ひたすらお金がほしいと思ったが
原文を見る
一途に金を欲しと思ひしが
白波(しらなみ)が打ち寄せて、さわいでいる
原文を見る
しらなみの寄せて騒げる
函館の大森浜(おおもりはま)で
原文を見る
函館の大森浜に
思っていたいろいろなこと
原文を見る
思ひしことども
朝ごとに
原文を見る
朝な朝な
中国(ちゅうごく)の俗謡(ぞくよう)をうたい出す
原文を見る
支那の俗歌をうたひ出づる
まくらもとの時計を、かわいがっていた悲しさ
原文を見る
まくら時計を愛でしかなしみ
さすらいのうれいを書こうとして、書ききれなかった
原文を見る
漂泊の愁ひを叙して成らざりし
下書きの字の
原文を見る
草稿の字の
読みにくさよ
原文を見る
読みがたさかな
何度も死のうとしたが
原文を見る
いくたびか死なむとしては
死ねなかった
原文を見る
死なざりし
わたしのこれまでの道のりが、おかしくもあり悲しい
原文を見る
わが来しかたのをかしく悲し
函館の臥牛山(がぎゅうざん)の中腹(ちゅうふく)にある
原文を見る
函館の臥牛の山の半腹の
石碑(せきひ)の漢詩(かんし)も
原文を見る
碑の漢詩も
半分は忘れてしまった
原文を見る
なかば忘れぬ
もぐもぐと
原文を見る
むやむやと
口の中で、ありがたそうなことをつぶやく
原文を見る
口の中にてたふとげの事を呟く
こじきもいたなあ
原文を見る
乞食もありき
「取るに足らない男だと思ってくれ」と言うように
原文を見る
とるに足らぬ男と思へと言ふごとく
山に入っていった
原文を見る
山に入りにき
神様のような友
原文を見る
神のごとき友
巻きたばこを口にくわえて
原文を見る
巻煙草口にくはへて
波の荒い
原文を見る
浪あらき
磯(いそ)の夜霧(よぎり)の中に立っていた女(おんな)よ
原文を見る
磯の夜霧に立ちし女よ
軍事演習(えんしゅう)の合間(あいま)に、わざわざ
原文を見る
演習のひまにわざわざ
汽車に乗って
原文を見る
汽車に乗りて
たずねてきてくれた友と飲んだ、酒だなあ
原文を見る
訪ひ来し友とのめる酒かな
大きな川の水面(みなも)を見るたびに
原文を見る
大川の水の面を見るごとに
郁雨(いくう)よ
原文を見る
郁雨よ
君の悩みを思う
原文を見る
君のなやみを思ふ
知恵(ちえ)と、その深い慈悲(じひ)を
原文を見る
智慧とその深き慈悲とを
もてあまして
原文を見る
もちあぐみ
何もすることなく、友は遊んでいた
原文を見る
為すこともなく友は遊べり
こころざしをかなえられなかった人たちが
原文を見る
こころざし得ぬ人人の
集まって酒を飲む場所が
原文を見る
あつまりて酒のむ場所が
わたしの家だったなあ
原文を見る
我が家なりしかな
悲しいときには、大きな声で笑っていた
原文を見る
かなしめば高く笑ひき
酒(さけ)で
原文を見る
酒をもて
苦しみを解(と)くのだという、年上の友
原文を見る
悶を解すといふ年上の友
若いうちに
原文を見る
若くして
何人もの子の父親になった友は
原文を見る
数人の父となりし友
子どもがいないかのように、酔うと歌っていた
原文を見る
子なきがごとく酔へばうたひき
何気ない、大きな笑い声が
原文を見る
さりげなき高き笑ひが
酒とともに
原文を見る
酒とともに
わたしの腹の底にしみこんだらしい
原文を見る
我が腸に沁みにけらしな
あくびをかみころして
原文を見る
呿呻噛み
夜汽車(よぎしゃ)の窓ごしに別れた
原文を見る
夜汽車の窓に別れたる
その別れが、今は物足りない気がする
原文を見る
別れが今は物足らぬかな
雨にぬれた夜汽車の窓に
原文を見る
雨に濡れし夜汽車の窓に
うつっていた
原文を見る
映りたる
山あいの町の、明かりの色
原文を見る
山間の町のともしびの色
雨が強く降る、夜の汽車の
原文を見る
雨つよく降る夜の汽車の
とぎれることなく、しずくが流れる
原文を見る
たえまなく雫流るる
窓ガラスだなあ
原文を見る
窓硝子かな
真夜中に
原文を見る
真夜中の
倶知安駅(くっちゃんえき)で降りていった
原文を見る
倶知安駅に下りゆきし
女の人のびんに残る、古い傷(きず)あと
原文を見る
女の鬢の古き痍あと
札幌(さっぽろ)に
原文を見る
札幌に
あの秋、わたしが持っていった
原文を見る
かの秋われの持てゆきし
そして今も持っている悲しみ
原文を見る
しかして今も持てるかなしみ
アカシアの並木(なみき)や、ポプラに
原文を見る
アカシヤの街樾にポプラに
秋の風が
原文を見る
秋の風
吹くのが悲しいと、日記に書き残した
原文を見る
吹くがかなしと日記に残れり
静まりかえった、広い街の
原文を見る
しんとして幅広き街の
秋の夜の
原文を見る
秋の夜の
とうもろこしを焼くにおいよ
原文を見る
玉蜀黍の焼くるにほひよ
わたしの宿の、姉と妹のけんかで
原文を見る
わが宿の姉と妹のいさかひに
初夜(しょや、夜の初め)が過ぎていった
原文を見る
初夜過ぎゆきし
札幌の雨
原文を見る
札幌の雨
石狩(いしかり)の美国(びくに)という駅の
原文を見る
石狩の美国といへる停車場の
さくにほしてあった
原文を見る
柵に乾してありし
赤い布切れだなあ
原文を見る
赤き布片かな
悲しいのは、小樽(おたる)の町だ
原文を見る
かなしきは小樽の町よ
歌うことのない人たちの
原文を見る
歌ふことなき人人の
声の荒(あら)さよ
原文を見る
声の荒さよ
泣くように首をふるわせて
原文を見る
泣くがごと首ふるはせて
手のひらの相(そう)を見せろと言った
原文を見る
手の相を見せよといひし
占い師(うらないし)もいた
原文を見る
易者もありき
少しばかりのお金を借りていった
原文を見る
いささかの銭借りてゆきし
わたしの友の
原文を見る
わが友の
後ろ姿の、肩の雪だなあ
原文を見る
後姿の肩の雪かな
世渡り(よわたり)が下手(へた)なことを
原文を見る
世わたりの拙きことを
ひそかに
原文を見る
ひそかにも
ほこりに思っていた、わたしではなかったか
原文を見る
誇りとしたる我にやはあらぬ
「お前のやせた体は、すべて
原文を見る
汝が痩せしからだはすべて
反抗心(はんこうしん)のかたまりだ」と
原文を見る
謀叛気のかたまりなりと
言われたこと
原文を見る
いはれてしこと
あの年の、あの新聞の
原文を見る
かの年のかの新聞の
初雪(はつゆき)の記事を書いたのは
原文を見る
初雪の記事を書きしは
わたしだったなあ
原文を見る
我なりしかな
いすでわたしを打とうと身構えた
原文を見る
椅子をもて我を撃たむと身構へし
あの友の酔(よ)いも
原文を見る
かの友の酔ひも
今はさめただろう
原文を見る
今は醒めつらむ
負けたのも、わたしだった
原文を見る
負けたるも我にてありき
けんかの原因(げんいん)も、わたしだったと
原文を見る
あらそひの因も我なりしと
今は思う
原文を見る
今は思へり
「なぐるぞ」と言われて
原文を見る
殴らむといふに
「なぐれ」とつめよった
原文を見る
殴れとつめよせし
昔のわたしが、いとおしいなあ
原文を見る
昔の我のいとほしきかな
「お前は三度(さんど)
原文を見る
汝三度
この喉(のど)に剣(けん)を突きつけた」と
原文を見る
この咽喉に剣を擬したりと
彼は、別れのあいさつの中で言った
原文を見る
彼告別の辞に言へりけり
けんかをして
原文を見る
あらそひて
ひどく憎(にく)みあって別れた
原文を見る
いたく憎みて別れたる
その友をなつかしく思う日も来た
原文を見る
友をなつかしく思ふ日も来ぬ
ああ、あの、まゆの美しい少年よ
原文を見る
あはれかの眉の秀でし少年よ
弟(おとうと)と呼ぶと
原文を見る
弟と呼べば
かすかに笑ったけれど
原文を見る
はつかに笑みしが
妻(つま)に着物(きもの)をぬわせた友がいた
原文を見る
わが妻に着物縫はせし友ありし
冬が早くやってくる
原文を見る
冬早く来る
植民地(しょくみんち)だなあ
原文を見る
植民地かな
平手(ひらて)で
原文を見る
平手もて
吹雪(ふぶき)にぬれた顔をふく
原文を見る
吹雪にぬれし顔を拭く
友は、共産主義(きょうさんしゅぎ)を信条(しんじょう)としていた
原文を見る
友共産を主義とせりけり
酒を飲むと、鬼(おに)のように青ざめた
原文を見る
酒のめば鬼のごとくに青かりし
大きな顔よ
原文を見る
大いなる顔よ
悲しい顔よ
原文を見る
かなしき顔よ
樺太(からふと)に行って
原文を見る
樺太に入りて
新しい宗教(しゅうきょう)を始めようという
原文を見る
新しき宗教を創めむといふ
友だったなあ
原文を見る
友なりしかな
おだやかに治(おさ)まった世の中の、何事もない毎日に
原文を見る
治まれる世の事無さに
あきたと言っていたころこそ
原文を見る
飽きたりといひし頃こそ
悲しかった
原文を見る
かなしかりけれ
共同(きょうどう)で薬屋(くすりや)を開いて
原文を見る
共同の薬屋開き
もうけようという友だった
原文を見る
儲けむといふ友なりき
詐欺(さぎ)をはたらいたという
原文を見る
詐欺せしといふ
青白いほおに涙を光らせて
原文を見る
あをじろき頬に涙を光らせて
死ぬことを口にした
原文を見る
死をば語りき
若い商人(あきんど)
原文を見る
若き商人
子どもを背負(せお)って
原文を見る
子を負ひて
雪が吹きこむ停車場(ていしゃば)で
原文を見る
雪の吹き入る停車場に
わたしが見送った、妻のまゆだなあ
原文を見る
われ見送りし妻の眉かな
敵(てき)として憎(にく)んでいた友と
原文を見る
敵として憎みし友と
少し長く、手をにぎった
原文を見る
やや長く手をば握りき
別れだというのに
原文を見る
わかれといふに
動き出す汽車の窓から
原文を見る
ゆるぎ出づる汽車の窓より
人より先に顔をひっこめたのも
原文を見る
人先に顔を引きしも
負けたくなかったから
原文を見る
負けざらむため
みぞれが降る
原文を見る
みぞれ降る
石狩(いしかり)の野を走る汽車で読んだ
原文を見る
石狩の野の汽車に読みし
ツルゲーネフの物語だなあ
原文を見る
ツルゲエネフの物語かな
わたしが去ったあとの、うわさを
原文を見る
わが去れる後の噂を
思いやりながらの旅立ちは、悲しい
原文を見る
おもひやる旅出はかなし
死にに行くように
原文を見る
死ににゆくごと
別れて来て、ふとまばたきすると
原文を見る
わかれ来てふと瞬けば
思いがけず
原文を見る
ゆくりなく
つめたいものが、ほおをつたって流れた
原文を見る
つめたきものの頬をつたへり
忘れてきたたばこのことを思う
原文を見る
忘れ来し煙草を思ふ
行っても行っても
原文を見る
ゆけどゆけど
山はまだ遠い、雪の野を走る汽車
原文を見る
山なほ遠き雪の野の汽車
うすく紅(べに)色に、雪の上を流れて
原文を見る
うす紅く雪に流れて
沈む日の光が
原文を見る
入日影
広い野を走る汽車の窓を照らしていた
原文を見る
曠野の汽車の窓を照せり
おなかが少し痛くなってきたのを
原文を見る
腹すこし痛み出でしを
がまんしながら
原文を見る
しのびつつ
長い道のりの汽車で吸う、たばこだなあ
原文を見る
長路の汽車にのむ煙草かな
乗り合わせた砲兵士官(ほうへいしかん)の
原文を見る
乗合の砲兵士官の
剣(けん)のさやが
原文を見る
剣の鞘
がちゃりと鳴って、考えごとが途切(とぎ)れた
原文を見る
がちゃりと鳴るに思ひやぶれき
名前だけ知っていて、縁(えん)もゆかりもない土地の
原文を見る
名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の
宿屋(やどや)は安心(あんしん)できた
原文を見る
宿屋安けし
まるで、わたしの家のように
原文を見る
我が家のごと
旅の連れだった、あの代議士(だいぎし)の
原文を見る
伴なりしかの代議士の
口を開けた、青白い寝顔(ねがお)を
原文を見る
口あける青き寐顔を
悲しいと思った
原文を見る
かなしと思ひき
今夜こそ、思う存分(ぞんぶん)泣いてみようと
原文を見る
今夜こそ思ふ存分泣いてみむと
泊まった宿屋の
原文を見る
泊りし宿屋の
お茶のぬるさだなあ
原文を見る
茶のぬるさかな
水蒸気(すいじょうき)が
原文を見る
水蒸気
列車の窓に、花のように凍(こお)りついたのを染(そ)める
原文を見る
列車の窓に花のごと凍てしを染むる
夜明けの色
原文を見る
あかつきの色
ごおっと鳴る木枯(こが)らしのあと
原文を見る
ごおと鳴る凩のあと
かわいた雪が舞(ま)い上がって
原文を見る
乾きたる雪舞ひ立ちて
林(はやし)を包んだ
原文を見る
林を包めり
空知川(そらちがわ)は雪にうもれて
原文を見る
空知川雪に埋れて
鳥の姿も見えない
原文を見る
鳥も見えず
岸辺(きしべ)の林に、人がひとりいた
原文を見る
岸辺の林に人ひとりゐき
さびしさを敵にも友にもして
原文を見る
寂莫を敵とし友とし
雪の中で
原文を見る
雪のなかに
長い一生を送る人もいる
原文を見る
長き一生を送る人もあり
ひどく汽車で疲れながらも、なお
原文を見る
いたく汽車に疲れて猶も
とぎれとぎれに思うのは
原文を見る
きれぎれに思ふは
自分自身への、いとおしさだった
原文を見る
我のいとしさなりき
歌うように、駅の名前を呼んでいた
原文を見る
うたふごと駅の名呼びし
おだやかな
原文を見る
柔和なる
若い駅員(えきいん)の目も、忘れない
原文を見る
若き駅夫の眼をも忘れず
雪の中に
原文を見る
雪のなか
ところどころ屋根(やね)が見えて
原文を見る
処処に屋根見えて
えんとつのけむりが、うすく空にただよっている
原文を見る
煙突の煙うすくも空にまよへり
遠くから
原文を見る
遠くより
汽笛(きてき)を長く長くひびかせて
原文を見る
笛ながながとひびかせて
汽車は今、ある森林(しんりん)に入っていく
原文を見る
汽車今とある森林に入る
何も考えずに
原文を見る
何事も思ふことなく
一日一日
原文を見る
日一日
汽車のひびきに、心をまかせていた
原文を見る
汽車のひびきに心まかせぬ
はての駅に降り立って
原文を見る
さいはての駅に下り立ち
雪明かり(ゆきあかり)の中
原文を見る
雪あかり
さびしい町へと、歩いて入っていった
原文を見る
さびしき町にあゆみ入りにき
白く氷がかがやいて
原文を見る
しらしらと氷かがやき
千鳥(ちどり)が鳴く
原文を見る
千鳥なく
釧路(くしろ)の海の、冬の月だなあ
原文を見る
釧路の海の冬の月かな
こおったインクのびんを
原文を見る
こほりたるインクの罎を
火にかざして
原文を見る
火に翳し
涙が流れた、明かりの下で
原文を見る
涙ながれぬともしびの下
顔と声
原文を見る
顔とこゑ
それだけが昔と変わらない友にも会った
原文を見る
それのみ昔に変らざる友にも会ひき
国のはてで
原文を見る
国の果にて
ああ、あの国のはてで
原文を見る
あはれかの国のはてにて
酒を飲んだ
原文を見る
酒のみき
悲しみのかすをすするように
原文を見る
かなしみの滓を啜るごとくに
酒を飲むと、悲しみが一気にわいてくるのを
原文を見る
酒のめば悲しみ一時に湧き来るを
寝ても夢を見なかったことを
原文を見る
寐て夢みぬを
うれしいと思った
原文を見る
うれしとはせし
だしぬけの、女の人の笑い声が
原文を見る
出しぬけの女の笑ひ
身にしみた
原文を見る
身に沁みき
台所(だいどころ)で酒がこおる真夜中に
原文を見る
厨に酒の凍る真夜中
わたしの酔(よ)いぶりに心を痛(いた)めて
原文を見る
わが酔ひに心いためて
歌わない女の人がいたが
原文を見る
うたはざる女ありしが
今はどうなっているだろうか
原文を見る
いかになれるや
小奴(こやっこ)といった女の人の
原文を見る
小奴といひし女の
やわらかい
原文を見る
やはらかき
耳たぶなども、忘れがたい
原文を見る
耳朶なども忘れがたかり
寄りそって
原文を見る
よりそひて
真夜中の雪の中に立つ
原文を見る
深夜の雪の中に立つ
女の人の右手のあたたかさだなあ
原文を見る
女の右手のあたたかさかな
「死にたくはないのか」と聞くと
原文を見る
死にたくはないかと言へば
「これを見て」と
原文を見る
これ見よと
喉(のど)の傷(きず)あとを見せた女の人だなあ
原文を見る
咽喉の痍を見せし女かな
芸事(げいごと)も顔も
原文を見る
芸事も顔も
あの人よりすぐれている
原文を見る
かれより優れたる
女の人が、わたしを悪く言ったそうだ
原文を見る
女あしざまに我を言へりとか
「舞え」と言うと、立って舞った
原文を見る
舞へといへば立ちて舞ひにき
自然に
原文を見る
おのづから
安酒(やすざけ)の酔(よ)いにたおれるまでも
原文を見る
悪酒の酔ひにたふるるまでも
死ぬほどわたしが酔うのを待って
原文を見る
死ぬばかり我が酔ふをまちて
いろいろな
原文を見る
いろいろの
悲しいことをささやいた人
原文を見る
かなしきことを囁きし人
「どうしたのか」と聞くと
原文を見る
いかにせしと言へば
青白い、酔いがさめた
原文を見る
あをじろき酔ひざめの
顔に、無理して笑いを作った
原文を見る
面に強ひて笑みをつくりき
悲しいのは
原文を見る
かなしきは
あの、白玉(しらたま)のような美しい腕(うで)に残した
原文を見る
かの白玉のごとくなる腕に残せし
キスのあとだなあ
原文を見る
キスの痕かな
酔(よ)って、うつむいている時も
原文を見る
酔ひてわがうつむく時も
水がほしくて目を開けた時も
原文を見る
水ほしと眼ひらく時も
呼んでいた名前だった
原文を見る
呼びし名なりけり
火をしたう虫のように
原文を見る
火をしたふ虫のごとくに
明かりの明るい家に
原文を見る
ともしびの明るき家に
通い慣れてしまった
原文を見る
かよひ慣れにき
寒さで、ふむとぎしぎしときしむ板の
原文を見る
きしきしと寒さに踏めば板軋む
帰り道の廊下(ろうか)での
原文を見る
かへりの廊下の
不意(ふい)のくちづけ
原文を見る
不意のくちづけ
その膝(ひざ)をまくらにしながらも
原文を見る
その膝に枕しつつも
わたしの心が
原文を見る
我がこころ
思っていたのは、みんな自分のことだった
原文を見る
思ひしはみな我のことなり
さらさらと、氷のかけらが
原文を見る
さらさらと氷の屑が
波に鳴る
原文を見る
波に鳴る
磯(いそ)の月夜を、行き来したことだなあ
原文を見る
磯の月夜のゆきかへりかな
死んだとか、このごろ聞いた
原文を見る
死にしとかこのごろ聞きぬ
恋がたきは
原文を見る
恋がたき
才能(さいのう)があり余る男だったが
原文を見る
才あまりある男なりしが
十年前に作ったという漢詩(かんし)を
原文を見る
十年まへに作りしといふ漢詩を
酔うと口ずさんでいた
原文を見る
酔へば唱へき
旅の中で年をとった友
原文を見る
旅に老いし友
息を吸うたびに
原文を見る
吸ふごとに
鼻がぴたりと凍(こお)りつく
原文を見る
鼻がぴたりと凍りつく
そんな寒い空気を、吸いたくなった
原文を見る
寒き空気を吸ひたくなりぬ
波もない、二月の入り江(いりえ)に
原文を見る
波もなき二月の湾に
白くぬられた
原文を見る
白塗の
外国の船が、低く浮かんでいた
原文を見る
外国船が低く浮かべり
三味線(しゃみせん)の糸が切れたのを
原文を見る
三味線の絃のきれしを
火事(かじ)のように大さわぎする子がいた
原文を見る
火事のごと騒ぐ子ありき
大雪(おおゆき)の夜に
原文を見る
大雪の夜に
神のように
原文を見る
神のごと
遠く姿(すがた)をあらわした
原文を見る
遠く姿をあらはせる
阿寒(あかん)の山の、雪の夜明け
原文を見る
阿寒の山の雪のあけぼの
ふるさとにいた時
原文を見る
郷里にゐて
身投げをしたことがあるという
原文を見る
身投げせしことありといふ
女の人が、三味線に合わせて歌う夕べ
原文を見る
女の三味にうたへるゆふべ
ぶどう色の
原文を見る
葡萄色の
古い手帳(てちょう)に残っている
原文を見る
古き手帳にのこりたる
あの、こっそり会った時と場所だなあ
原文を見る
かの会合の時と処かな
よごれた足袋(たび)をはく時の
原文を見る
よごれたる足袋穿く時の
気味悪(きみわる)い気持ちに似た
原文を見る
気味わるき思ひに似たる
思い出もある
原文を見る
思出もあり
わたしの部屋で、女の人が泣いたことを
原文を見る
わが室に女泣きしを
小説の中のことだったかと
原文を見る
小説のなかの事かと
思い出す日
原文を見る
おもひ出づる日
浪淘沙(ろうとうさ)
原文を見る
浪淘沙
長く声をふるわせて
原文を見る
ながくも声をふるはせて
歌うような旅だったなあ
原文を見る
うたふがごとき旅なりしかな
二
原文を見る
二
いつのことだっただろう
原文を見る
いつなりけむ
夢の中でふと聞いて、うれしかった
原文を見る
夢にふと聴きてうれしかりし
あの声も、ああ、もう長いこと聞いていない
原文を見る
その声もあはれ長く聴かざり
ほおの冷(つめ)たい
原文を見る
頬の寒き
さすらいの旅人(たびびと)として
原文を見る
流離の旅の人として
道をたずねるくらいのことしか、言わなかった
原文を見る
路問ふほどのこと言ひしのみ
何気(なにげ)なく言った言葉を
原文を見る
さりげなく言ひし言葉は
君も何気なく聞いたのだろう
原文を見る
さりげなく君も聴きつらむ
それだけのことだ
原文を見る
それだけのこと
冷(つめ)たく、清らかな大理石(だいりせき)に
原文を見る
ひややかに清き大理石に
春の日が静かに照るのは
原文を見る
春の日の静かに照るは
こんな気持ちに似ているのだろう
原文を見る
かかる思ひならむ
世の中の明るさだけを、吸(す)いこむような
原文を見る
世の中の明るさのみを吸ふごとき
黒いひとみが
原文を見る
黒き瞳の
今も目に浮かぶ
原文を見る
今も目にあり
あの時、言いそびれた
原文を見る
かの時に言ひそびれたる
大切な言葉は、今も
原文を見る
大切の言葉は今も
胸に残っているけれど
原文を見る
胸にのこれど
真っ白なランプのかさに
原文を見る
真白なるラムプの笠の
きずがあるように
原文を見る
瑕のごと
さすらいの記憶(きおく)は、消しがたいものだなあ
原文を見る
流離の記憶消しがたきかな
函館(はこだて)の、あの焼(や)け跡(あと)を去った夜の
原文を見る
函館のかの焼跡を去りし夜の
心残り(こころのこり)を
原文を見る
こころ残りを
今も残している
原文を見る
今も残しつ
人が言う
原文を見る
人がいふ
びんのほつれ毛(げ)の、うつくしさを
原文を見る
鬢のほつれのめでたさを
物を書いている時の君に、見たことがある
原文を見る
物書く時の君に見たりし
じゃがいもの花が咲くころに
原文を見る
馬鈴薯の花咲く頃と
なったなあ
原文を見る
なれりけり
君も、この花がお好きなのだろう
原文を見る
君もこの花を好きたまふらむ
山の子どもが
原文を見る
山の子の
山を思うのと同じように
原文を見る
山を思ふがごとくにも
悲しい時には、君を思っていた
原文を見る
かなしき時は君を思へり
忘れていたはずなのに
原文を見る
忘れをれば
ちょっとしたことが、また思い出のきっかけになる
原文を見る
ひょっとした事が思ひ出の種にまたなる
忘れることができない
原文を見る
忘れかねつも
病気(びょうき)だと聞き
原文を見る
病むと聞き
治(なお)ったと聞いて
原文を見る
癒えしと聞きて
四百里(しひゃくり)も離れたこちらで、わたしは気が気ではなかった
原文を見る
四百里のこなたに我はうつつなかりし
君に似た姿(すがた)を街(まち)で見た時の
原文を見る
君に似し姿を街に見る時の
心のときめきを
原文を見る
こころ躍りを
あわれと思ってほしい
原文を見る
あはれと思へ
あの声を、もう一度聞けたなら
原文を見る
かの声を最一度聴かば
すっきりと
原文を見る
すっきりと
胸が晴(は)れるだろうかと、今朝も思っている
原文を見る
胸や霽れむと今朝も思へる
いそがしい暮らしの中の
原文を見る
いそがしき生活のなかの
時々おとずれる、この物思いは
原文を見る
時折のこの物おもひ
だれのためだろうか
原文を見る
誰のためぞも
しみじみと
原文を見る
しみじみと
話をする友がいたら
原文を見る
物うち語る友もあれ
君のことなどを、話し出すことだろう
原文を見る
君のことなど語り出でなむ
「死ぬまでに一度会おう」と
原文を見る
死ぬまでに一度会はむと
言ってやったら
原文を見る
言ひやらば
君も、かすかにうなずいてくれるだろうか
原文を見る
君もかすかにうなづくらむか
時々
原文を見る
時として
君を思うと
原文を見る
君を思へば
おだやかだった心が、急にさわぐ悲しさ
原文を見る
安かりし心にはかに騒ぐかなしさ
別れてから年を重ねて
原文を見る
わかれ来て年を重ねて
年ごとに恋しくなっていく
原文を見る
年ごとに恋しくなれる
君なのだなあ
原文を見る
君にしあるかな
石狩(いしかり)の都のはずれにある
原文を見る
石狩の都の外の
君の家
原文を見る
君が家
りんごの花は、もう散っているだろうか
原文を見る
林檎の花の散りてやあらむ
長い手紙が
原文を見る
長き文
三年のあいだに、三度届いた
原文を見る
三年のうちに三度来ぬ
わたしが書いたのは、四度くらいだっただろうか
原文を見る
我の書きしは四度にかあらむ
手袋(てぶくろ)を脱ぐ時
原文を見る
手套を脱ぐ時
手袋を脱ぐ手が、ふと止まる
原文を見る
手套を脱ぐ手ふと休む
何だろう
原文を見る
何やらむ
心をかすめる、思い出があった
原文を見る
こころかすめし思ひ出のあり
いつのまにか
原文を見る
いつしかに
情(なさけ)をいつわることを覚えた
原文を見る
情をいつはること知りぬ
ひげを生やしたのも、そのころだっただろう
原文を見る
髭を立てしもその頃なりけむ
朝の風呂(ふろ)で
原文を見る
朝の湯の
湯船(ゆぶね)のふちに首(くび)のうしろを乗せて
原文を見る
湯槽のふちにうなじ載せ
ゆっくり息をしながら、物思いにふけることよ
原文を見る
ゆるく息する物思ひかな
夏が来ると
原文を見る
夏来れば
うがい薬(ぐすり)が
原文を見る
うがひ薬の
痛(いた)む歯にしみる朝が、うれしかったなあ
原文を見る
病ある歯に沁む朝のうれしかりけり
つくづくと自分の手をながめながら
原文を見る
つくづくと手をながめつつ
思い出した
原文を見る
おもひ出でぬ
キスが上手(じょうず)な女の人だったが
原文を見る
キスが上手の女なりしが
さびしいのは
原文を見る
さびしきは
はでな色に慣れていない目のせいだと言って
原文を見る
色にしたしまぬ目のゆゑと
赤い花などを買わせたなあ
原文を見る
赤き花など買はせけるかな
新しい本を買ってきて読む、夜中の
原文を見る
新しき本を買ひ来て読む夜半の
その楽しさも
原文を見る
そのたのしさも
長く忘れない
原文を見る
長くわすれぬ
旅(たび)七日(なのか)
原文を見る
旅七日
帰ってくると
原文を見る
かへり来ぬれば
わたしの窓の、赤いインクのしみもなつかしい
原文を見る
わが窓の赤きインクの染みもなつかし
古文書(こもんじょ)の中に見つけた
原文を見る
古文書のなかに見いでし
よごれた
原文を見る
よごれたる
吸取紙(すいとりがみ・インクをすう紙)を、なつかしく思うことよ
原文を見る
吸取紙をなつかしむかな
手にためした雪が溶けるのが
原文を見る
手にためし雪の融くるが
気持ちよくて
原文を見る
ここちよく
眠り飽きたわたしの心に、しみる
原文を見る
わが寐飽きたる心には沁む
薄れていく障子(しょうじ)の日の光
原文を見る
薄れゆく障子の日影
それを見ながら
原文を見る
そを見つつ
心はいつのまにか、暗くなっていく
原文を見る
こころいつしか暗くなりゆく
ひんやりと
原文を見る
ひやひやと
夜は薬のにおいがする
原文を見る
夜は薬の香のにほふ
医者が住んでいたあとの家だなあ
原文を見る
医者が住みたるあとの家かな
窓ガラス
原文を見る
窓硝子
ちりと雨とで曇った窓ガラスにも
原文を見る
塵と雨とに曇りたる窓硝子にも
悲しみはある
原文を見る
かなしみはあり
六年(むとせ)ほど、毎日毎日かぶった
原文を見る
六年ほど日毎日毎にかぶりたる
古い帽子も
原文を見る
古き帽子も
捨てられないなあ
原文を見る
棄てられぬかな
気持ちよく
原文を見る
こころよく
春の眠りをむさぼった
原文を見る
春のねむりをむさぼれる
目にやわらかい、庭の草だなあ
原文を見る
目にやはらかき庭の草かな
赤れんがが遠くまで続く高い塀(へい)が
原文を見る
赤煉瓦遠くつづける高塀の
むらさきに見えて
原文を見る
むらさきに見えて
春の日は長い
原文を見る
春の日ながし
春の雪
原文を見る
春の雪
銀座の裏の、三階建てのれんが造りの建物に
原文を見る
銀座の裏の三階の煉瓦造に
やわらかく降る
原文を見る
やはらかに降る
よごれたれんがの壁に
原文を見る
よごれたる煉瓦の壁に
降っては溶け、降っては溶ける
原文を見る
降りて融け降りては融くる
春の雪だなあ
原文を見る
春の雪かな
目を病んでいる
原文を見る
目を病める
若い女の人がよりかかる
原文を見る
若き女の倚りかかる
窓に、しっとりと春の雨が降る
原文を見る
窓にしめやかに春の雨降る
新しい木のかおりなどが
原文を見る
あたらしき木のかをりなど
ただよっている
原文を見る
ただよへる
新開町(しんかいまち)の、春の静けさ
原文を見る
新開町の春の静けさ
春の街
原文を見る
春の街
見栄えよく書かれた女の人の名前の
原文を見る
見よげに書ける女名の
門札(かどふだ)などを読んで歩くことよ
原文を見る
門札などを読みありくかな
何となく
原文を見る
そことなく
みかんの皮を焼いたようなにおいが残って
原文を見る
蜜柑の皮の焼くるごときにほひ残りて
夕方になった
原文を見る
夕となりぬ
にぎやかな若い女の人たちの集まりの
原文を見る
にぎはしき若き女の集会の
声を聞き飽きて
原文を見る
こゑ聴き倦みて
さびしくなった
原文を見る
さびしくなりたり
どこかに
原文を見る
何処やらに
若い女の人が死ぬときのような、悩ましさがある
原文を見る
若き女の死ぬごとき悩ましさあり
春のみぞれが降る
原文を見る
春の霙降る
コニャックに酔ったあとの
原文を見る
コニャックの酔ひのあとなる
やわらかな
原文を見る
やはらかき
この悲しみは、わけもなくやってくるなあ
原文を見る
このかなしみのすずろなるかな
白い皿
原文を見る
白き皿
拭いては棚に重ねている
原文を見る
拭きては棚に重ねゐる
酒場のすみの、悲しい女の人
原文を見る
酒場の隅のかなしき女
乾いた冬の大通りの
原文を見る
乾きたる冬の大路の
どこかしらに
原文を見る
何処やらむ
石炭酸(せきたんさん・消毒薬)のにおいが、ひそんでいる
原文を見る
石炭酸のにほひひそめり
赤々と、しずむ日がうつっている
原文を見る
赤赤と入日うつれる
川ばたの酒場の窓の
原文を見る
河ばたの酒場の窓の
白い顔だなあ
原文を見る
白き顔かな
新しいサラダの皿の
原文を見る
新しきサラドの皿の
酢のかおり
原文を見る
酢のかをり
心にしみて、悲しい夕方
原文を見る
こころに沁みてかなしき夕
空色のびんから
原文を見る
空色の罎より
山羊(やぎ)の乳をつぐ
原文を見る
山羊の乳をつぐ
手のふるえなどが、いとおしかったなあ
原文を見る
手のふるひなどいとしかりけり
姿見(すがたみ・大きな鏡)の
原文を見る
すがた見の
息のくもりで消された
原文を見る
息のくもりに消されたる
酔ってうるんだ目の、悲しさ
原文を見る
酔ひうるみの眸のかなしさ
ひとしきり静かになった
原文を見る
ひとしきり静かになれる
夕暮れの
原文を見る
ゆふぐれの
厨(くりや・台所)に残る、ハムのにおいだなあ
原文を見る
厨にのこるハムのにほひかな
冷ややかに、びんが並んだ棚の前で
原文を見る
ひややかに罎のならべる棚の前
歯をせせる女の人を
原文を見る
歯せせる女を
悲しいとも見たなあ
原文を見る
かなしとも見き
少し長いキスを交わして別れてきた
原文を見る
やや長きキスを交して別れ来し
深夜の街の
原文を見る
深夜の街の
遠くの火事だなあ
原文を見る
遠き火事かな
病院の窓の、夕方の
原文を見る
病院の窓のゆふべの
ほの白い顔に
原文を見る
ほの白き顔にありたる
うっすらと見覚えがあった
原文を見る
淡き見覚え
いつのことだったか
原文を見る
何時なりしか
あの大川(おおかわ)の遊覧船(ゆうらんせん)で
原文を見る
かの大川の遊船に
舞った女の人を思い出した
原文を見る
舞ひし女をおもひ出にけり
用もない手紙などを長く書きかけて
原文を見る
用もなき文など長く書きさして
ふと人がこいしくなり
原文を見る
ふと人こひし
街に出てゆく
原文を見る
街に出てゆく
しめった煙草(たばこ)を吸うと
原文を見る
しめらへる煙草を吸へば
だいたいの
原文を見る
おほよその
わたしの思うことも、少ししめってくる
原文を見る
わが思ふことも軽くしめれり
するどく
原文を見る
するどくも
夏が来たのを感じながら
原文を見る
夏の来るを感じつつ
雨あがりの小さな庭の、土のにおいをかぐ
原文を見る
雨後の小庭の土の香を嗅ぐ
すずしそうに飾りつけた
原文を見る
すずしげに飾り立てたる
ガラス屋の前でながめた
原文を見る
硝子屋の前にながめし
夏の夜の月
原文を見る
夏の夜の月
君が来るというので早く起き
原文を見る
君来るといふに夙く起き
白いシャツの
原文を見る
白シャツの
袖(そで)のよごれを気にする日だなあ
原文を見る
袖のよごれを気にする日かな
落ち着かないわたしの弟の
原文を見る
おちつかぬ我が弟の
このごろの
原文を見る
このごろの
目のうるみなどが、悲しかったなあ
原文を見る
眼のうるみなどかなしかりけり
どこかに杭(くい)を打つ音がして
原文を見る
どこやらに杭打つ音し
大きな桶(おけ)をころがす音がして
原文を見る
大桶をころがす音し
雪が降り出した
原文を見る
雪ふりいでぬ
人のいない夜の事務室に
原文を見る
人気なき夜の事務室に
けたたましく
原文を見る
けたたましく
電話のベルが鳴って、止んだ
原文を見る
電話の鈴の鳴りて止みたり
目を覚まして
原文を見る
目さまして
しばらくして、耳に入ってきた
原文を見る
ややありて耳に入り来る
真夜中すぎの話し声だなあ
原文を見る
真夜中すぎの話声かな
見ていると、時計が止まった
原文を見る
見てをれば時計とまれり
吸われるように
原文を見る
吸はるるごと
心はまた、さびしさへと向かっていく
原文を見る
心はまたもさびしさに行く
毎朝の
原文を見る
朝朝の
うがい用の水薬(すいやく)の
原文を見る
うがひの料の水薬の
びんが冷たい、秋になったなあ
原文を見る
罎がつめたき秋となりにけり
なだらかに麦が青くなっている
原文を見る
夷かに麦の青める
丘のふもとの
原文を見る
丘の根の
小道で、赤い小櫛(おぐし・小さなくし)を拾った
原文を見る
小径に赤き小櫛ひろへり
裏山の杉生(すぎふ・杉の林)の中に
原文を見る
裏山の杉生のなかに
まだらな日の光がはい込んでくる
原文を見る
斑なる日影這ひ入る
秋の昼過ぎ
原文を見る
秋のひるすぎ
港町
原文を見る
港町
とろろと鳴いて輪をえがくとび(鳶)を、おさえつけている
原文を見る
とろろと鳴きて輪を描く鳶を圧せる
潮ぐもり(しおぐもり・海の上のくもり)だなあ
原文を見る
潮ぐもりかな
小春日(こはるび・秋の終わりのあたたかい日)の、くもりガラスにうつった
原文を見る
小春日の曇硝子にうつりたる
鳥の影を見て
原文を見る
鳥影を見て
わけもなく、物思いにふける
原文を見る
すずろに思ふ
一列に泳いでいるような
原文を見る
ひとならび泳げるごとき
一列に並ぶ家々の、高い低いの軒(のき)に
原文を見る
家家の高低の軒に
冬の日が舞う
原文を見る
冬の日の舞ふ
京橋の滝山町(たきやまちょう)の
原文を見る
京橋の滝山町の
新聞社
原文を見る
新聞社
灯(ひ)がともるころの、いそがしさだなあ
原文を見る
灯ともる頃のいそがしさかな
よく怒る人だった、わたしの父が
原文を見る
よく怒る人にてありしわが父の
このごろ怒らない
原文を見る
日ごろ怒らず
怒れと思う
原文を見る
怒れと思ふ
朝の風が電車の中に吹き入れた
原文を見る
あさ風が電車のなかに吹き入れし
柳の葉、一枚
原文を見る
柳のひと葉
手にとって見る
原文を見る
手にとりて見る
わけもなく海が見たくて
原文を見る
ゆゑもなく海が見たくて
海に来た
原文を見る
海に来ぬ
心が傷んで、たえられない日に
原文を見る
こころ傷みてたへがたき日に
たいらな海につかれて
原文を見る
たひらなる海につかれて
そむけた
原文を見る
そむけたる
目をかき乱す、赤い帯だなあ
原文を見る
目をかきみだす赤き帯かな
今日出会った町の女の人が
原文を見る
今日逢ひし町の女の
どれもどれも
原文を見る
どれもどれも
恋に敗れて帰るような日
原文を見る
恋にやぶれて帰るごとき日
汽車の旅
原文を見る
汽車の旅
とある野中の停車場(ていしゃば)の
原文を見る
とある野中の停車場の
夏草のかおりが、なつかしかった
原文を見る
夏草の香のなつかしかりき
まだ朝早く
原文を見る
朝まだき
やっと間に合った、初秋の旅立ちの汽車の
原文を見る
やっと間に合ひし初秋の旅出の汽車の
かたいパンだなあ
原文を見る
堅き麺麭かな
あの旅の、夜汽車の窓で
原文を見る
かの旅の夜汽車の窓に
思っていた
原文を見る
おもひたる
わたしの行く先の、悲しかったことよ
原文を見る
我がゆくすゑのかなしかりしかな
ふと見ると
原文を見る
ふと見れば
とある林の停車場の時計が、止まっていた
原文を見る
とある林の停車場の時計とまれり
雨の夜の汽車
原文を見る
雨の夜の汽車
別れてきて
原文を見る
わかれ来て
灯(あかり)の薄暗い夜の汽車の窓で、もてあそぶ
原文を見る
燈火小暗き夜の汽車の窓に弄ぶ
青いりんごよ
原文を見る
青き林檎よ
いつも来る
原文を見る
いつも来る
この酒場(さかみせ)の、悲しさよ
原文を見る
この酒肆のかなしさよ
夕日が赤々と、酒にさし込む
原文を見る
ゆふ日赤赤と酒に射し入る
白いはす(蓮)が沼に咲くように
原文を見る
白き蓮沼に咲くごとく
悲しみが
原文を見る
かなしみが
酔いのあいだに、はっきりと浮かぶ
原文を見る
酔ひのあひだにはっきりと浮く
壁ごしに
原文を見る
壁ごしに
若い女の人が泣くのを聞く
原文を見る
若き女の泣くをきく
旅の宿屋の、秋の蚊帳(かや)だなあ
原文を見る
旅の宿屋の秋の蚊帳かな
取り出した、去年の袷(あわせ・裏地つきの着物)の
原文を見る
取りいでし去年の袷の
なつかしいにおいが、身にしみる
原文を見る
なつかしきにほひ身に沁む
初秋の朝
原文を見る
初秋の朝
気にしていた、左のひざの痛みなども
原文を見る
気にしたる左の膝の痛みなど
いつのまにか治って
原文を見る
いつか癒りて
秋の風が吹く
原文を見る
秋の風吹く
売って売って
原文を見る
売り売りて
手あかできたないドイツ語の辞書だけが残る
原文を見る
手垢きたなきドイツ語の辞書のみ残る
夏の終わりだなあ
原文を見る
夏の末かな
わけもなく憎んでいた友達と
原文を見る
ゆゑもなく憎みし友と
いつのまにか親しくなって
原文を見る
いつしかに親しくなりて
秋が暮れていく
原文を見る
秋の暮れゆく
赤い紙の表紙が、手ずれした
原文を見る
赤紙の表紙手擦れし
国が禁じた(国禁・こくきん)
原文を見る
国禁の
本を、行李(こうり・旅行かばん)の底からさがす日
原文を見る
書を行李の底にさがす日
売ることを止められた
原文を見る
売ることを差し止められし
本の著者に
原文を見る
本の著者に
道で出会った、秋の朝だなあ
原文を見る
路にて会へる秋の朝かな
今日からは
原文を見る
今日よりは
わたしも酒などをあおろうと思ったその日から
原文を見る
我も酒など呷らむと思へる日より
秋の風が吹く
原文を見る
秋の風吹く
大海の
原文を見る
大海の
その片すみに連なる島々の上に
原文を見る
その片隅につらなれる島島の上に
秋の風が吹く
原文を見る
秋の風吹く
うるんだ目と
原文を見る
うるみたる目と
目の下のほくろだけが
原文を見る
目の下の黒子のみ
いつも目につく、友の奥さんだなあ
原文を見る
いつも目につく友の妻かな
いつ見ても
原文を見る
いつ見ても
毛糸の玉をころがして
原文を見る
毛糸の玉をころがして
くつ下を編む女の人だったが
原文を見る
韈を編む女なりしが
えび色(葡萄色・赤むらさき色)の
原文を見る
葡萄色の
長いすの上で眠っているねこが、うっすら白く見える
原文を見る
長椅子の上に眠りたる猫ほの白き
秋の夕暮れ
原文を見る
秋のゆふぐれ
細々と
原文を見る
ほそぼそと
あちこちで虫が鳴く
原文を見る
其処ら此処らに虫の鳴く
昼の野原に来て読む、手紙だなあ
原文を見る
昼の野に来て読む手紙かな
夜おそく、戸をあけていると
原文を見る
夜おそく戸を繰りをれば
白いものが庭を走った
原文を見る
白きもの庭を走れり
犬だったのだろうか
原文を見る
犬にやあらむ
夜中の二時の、窓ガラスを
原文を見る
夜の二時の窓の硝子を
うすく紅(あか)く
原文を見る
うす紅く
染めて、音のない火事の色だなあ
原文を見る
染めて音なき火事の色かな
哀れな恋だなあと
原文を見る
あはれなる恋かなと
ひとりつぶやいて
原文を見る
ひとり呟きて
夜中の火桶(ひおけ・炭を入れて暖まる道具)に、炭を足した
原文を見る
夜半の火桶に炭添へにけり
真っ白なランプのかさに
原文を見る
真白なるラムプの笠に
手をあてて
原文を見る
手をあてて
寒い夜にする、物思いだなあ
原文を見る
寒き夜にする物思ひかな
水のように
原文を見る
水のごと
からだをひたす悲しみに
原文を見る
身体をひたすかなしみに
ねぎのにおいなどが混じる夕方
原文を見る
葱の香などのまじれる夕
時々
原文を見る
時ありて
ねこのまねなどをして笑う
原文を見る
猫のまねなどして笑ふ
三十路(みそじ)の友の、ひとり暮らしだなあ
原文を見る
三十路の友のひとり住みかな
気弱な斥候(せきこう・見張りの兵士)のように
原文を見る
気弱なる斥候のごとく
おそれながら
原文を見る
おそれつつ
深夜の街を、ひとりで散歩する
原文を見る
深夜の街を一人散歩す
皮ふが、みんな耳になったようだった
原文を見る
皮膚がみな耳にてありき
しんとして眠っている街の
原文を見る
しんとして眠れる街の
重い、くつの音
原文を見る
重き靴音
夜おそく、停車場に入り
原文を見る
夜おそく停車場に入り
立ったり座ったりして
原文を見る
立ち坐り
やがて出ていった、帽子のない男
原文を見る
やがて出でゆきぬ帽なき男
気がつくと
原文を見る
気がつけば
しっとりと夜霧が下りていた
原文を見る
しっとりと夜霧下りて居り
長いこと、街をさまよっていたことよ
原文を見る
ながくも街をさまよへるかな
もしあれば、たばこをめぐんでくれと
原文を見る
若しあらば煙草恵めと
寄ってくる
原文を見る
寄りて来る
あてもない人と、深夜に語る
原文を見る
あとなし人と深夜に語る
荒野(あらの)から帰るように
原文を見る
曠野より帰るごとくに
帰ってきた
原文を見る
帰り来ぬ
東京の夜を、ひとりで歩いて
原文を見る
東京の夜をひとりあゆみて
銀行の窓の下にある
原文を見る
銀行の窓の下なる
しき石の霜(しも)にこぼれた
原文を見る
舗石の霜にこぼれし
青いインクだなあ
原文を見る
青インクかな
ちょんちょんと
原文を見る
ちょんちょんと
とある小さなやぶで、ほおじろ(頬白・小鳥)が遊ぶのをながめる
原文を見る
とある小藪に頬白の遊ぶを眺む
雪の野の道
原文を見る
雪の野の路
十月の朝の空気を
原文を見る
十月の朝の空気に
新しく
原文を見る
あたらしく
息を吸いはじめた、赤ちゃんがいる
原文を見る
息吸ひそめし赤坊のあり
十月の産院(さんびょういん・お産の病院)の
原文を見る
十月の産病院の
しめった
原文を見る
しめりたる
長い廊下を、行ったり来たりすることよ
原文を見る
長き廊下のゆきかへりかな
むらさきの袖をたらして
原文を見る
むらさきの袖垂れて
空を見上げている中国人がいた
原文を見る
空を見上げゐる支那人ありき
公園の午後
原文を見る
公園の午後
赤ちゃん(孩児・がいじ)の手ざわりのような
原文を見る
孩児の手ざはりのごとき
思いがある
原文を見る
思ひあり
公園に来て、ひとりで歩けば
原文を見る
公園に来てひとり歩めば
ひさしぶりに公園に来て
原文を見る
ひさしぶりに公園に来て
友に会い
原文を見る
友に会ひ
かたく手をにぎり、早口で語る
原文を見る
堅く手握り口疾に語る
公園の木の間に
原文を見る
公園の木の間に
小鳥が遊んでいるのを
原文を見る
小鳥あそべるを
ながめて、しばらく休んだことよ
原文を見る
ながめてしばし憩ひけるかな
晴れた日の公園に来て
原文を見る
晴れし日の公園に来て
歩きながら
原文を見る
あゆみつつ
わたしの、このごろの衰えを知る
原文を見る
わがこのごろの衰へを知る
思い出の、あのキスかと
原文を見る
思出のかのキスかとも
おどろいた
原文を見る
おどろきぬ
プラタナスの葉が散って、ふれたのを
原文を見る
プラタヌの葉の散りて触れしを
公園のすみのベンチで
原文を見る
公園の隅のベンチに
二度ほど見かけた男の人が
原文を見る
二度ばかり見かけし男
このごろ見えない
原文を見る
このごろ見えず
公園の、悲しみよ
原文を見る
公園のかなしみよ
君がお嫁に行ってから
原文を見る
君の嫁ぎてより
もう七か月、来たこともない
原文を見る
すでに七月来しこともなし
公園の、とある木かげの捨てられたいすに
原文を見る
公園のとある木蔭の捨椅子に
思いあまって
原文を見る
思ひあまりて
身をよせた
原文を見る
身をば寄せたる
忘れられない顔だったなあ
原文を見る
忘られぬ顔なりしかな
今日、街で
原文を見る
今日街に
捕吏(ほり・警官)に引かれて笑っていた男は
原文を見る
捕吏にひかれて笑める男は
マッチをすると
原文を見る
マチ擦れば
二尺(にしゃく)ほどの明るさの
原文を見る
二尺ばかりの明るさの
中を横切る、白いが(蛾)がいた
原文を見る
中をよぎれる白き蛾のあり
目を閉じて
原文を見る
目をとぢて
口笛をかすかに、吹いてみた
原文を見る
口笛かすかに吹きてみぬ
眠れない夜、窓にもたれて
原文を見る
寐られぬ夜の窓にもたれて
わたしの友は
原文を見る
わが友は
今日も、母のいない子を背負って
原文を見る
今日も母なき子を負ひて
あの城あと(城址)を、さまよっているのだろうか
原文を見る
かの城址にさまよへるかな
夜おそく
原文を見る
夜おそく
勤め先から帰ってきて
原文を見る
つとめ先よりかへり来て
たった今死んだという子を、抱いたことよ
原文を見る
今死にしてふ児を抱けるかな
二声、三声
原文を見る
二三こゑ
死ぬまぎわに、かすかに泣いたというので
原文を見る
いまはのきはに微かにも泣きしといふに
なみだをさそわれる
原文を見る
なみだ誘はる
真っ白な大根の根が太る頃
原文を見る
真白なる大根の根の肥ゆる頃
生まれて
原文を見る
うまれて
やがて死んだ子がいる
原文を見る
やがて死にし児のあり
おそ秋の空気を
原文を見る
おそ秋の空気を
三尺四方(さんじゃくしほう・約九十センチ四方)ほど
原文を見る
三尺四方ばかり
吸って、わたしの子は死んでいったなあ
原文を見る
吸ひてわが児の死にゆきしかな
死んだ子の
原文を見る
死にし児の
胸に、注射の針を刺す
原文を見る
胸に注射の針を刺す
医者の手もとに集まる心は
原文を見る
医者の手もとにあつまる心
底の知れない謎に、向かっているようだ
原文を見る
底知れぬ謎に対ひてあるごとし
死んだ子のひたいに
原文を見る
死児のひたひに
またも手をやる
原文を見る
またも手をやる
悲しみが強くまでいたらない
原文を見る
かなしみのつよくいたらぬ
さびしさよ
原文を見る
さびしさよ
わたしの子のからだは、冷えていくけれど
原文を見る
わが児のからだ冷えてゆけども
悲しくも
原文を見る
かなしくも
夜が明けるまでは残っていない
原文を見る
夜明くるまでは残りゐぬ
息が切れた子の、肌のぬくもりは
原文を見る
息きれし児の肌のぬくもり