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蟹工船 小学生向け

小林多喜二こばやしたきじ)・1953

AI生成この訳はAI(claude-sonnet-5)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-29

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「おい地獄さ行ぐんだで!」

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「おい地獄さぐんだで!」

二人はデッキの手すりに寄りかかって、函館(はこだて)の街を見ていた。街は、かたつむりが体をのばしたような形で、海を囲むように広がっていた。――

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二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛かたつむりが背のびをしたように延びて、海をかかえ込んでいる函館はこだての街を見ていた。――

漁夫(ぎょふ)は、指先まで吸いつくしたたばこを、つばと一緒に捨てた。

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漁夫は指元まで吸いつくした煙草たばこつばと一緒に捨てた。

巻きたばこはおどけたように、くるくるひっくり返りながら、高い船べりのすぐそばを落ちていった。

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巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹サイドをすれずれに落ちて行った。

彼は体じゅう酒くさかった。

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彼は身体からだ一杯酒臭かった。

赤い太鼓腹を幅広く浮かばせている汽船があった。積み荷の最中らしく、海の中から片袖をぐいと引っぱられているみたいに、思いきり片側にかたむいている船もあった。黄色くて太い煙突、大きな鈴のようなブイ、南京虫(なんきんむし)のように船と船のあいだをせわしく縫っていくランチ。寒々とざわめく油煙や、パンくずや、腐った果物が浮かぶ、なにか特別な織物のような波……。

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赤い太鼓腹をはば広く浮かばしている汽船や、積荷最中らしく海の中から片袖かたそでをグイと引張られてでもいるように、思いッ切り片側に傾いているのや、黄色い、太い煙突、大きな鈴のようなヴイ、南京虫ナンキンむしのように船と船の間をせわしく縫っているランチ、寒々とざわめいている油煙やパンくずや腐った果物の浮いている何か特別な織物のような波……。

風の具合で煙が波すれすれになびいて、むっとする石炭のにおいを送ってきた。

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風の工合で煙が波とすれずれになびいて、ムッとする石炭の匂いを送った。

ウインチのガラガラという音が、時々波を伝って直接ひびいてきた。

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ウインチのガラガラという音が、時々波を伝って直接じかに響いてきた。

この蟹工船(かにこうせん・カニをとって缶詰にする工場船)博光丸のすぐ手前に、ペンキのはげた帆船が、船首の牛の鼻の穴のようなところから、いかりの鎖をおろしていた。甲板では、パイプをくわえた外国人が二人、同じところを何度も機械人形のように行ったり来たりしているのが見えた。

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この蟹工船博光丸のすぐ手前に、ペンキのげた帆船が、へさきの牛の鼻穴のようなところから、いかりの鎖を下していた、甲板を、マドロス・パイプをくわえた外人が二人同じところを何度も機械人形のように、行ったり来たりしているのが見えた。

ロシアの船らしかった。

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ロシアの船らしかった。

たしかに日本の「蟹工船」

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たしかに日本の「蟹工船」

に対する監視船だった。

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に対する監視船だった。

「俺らもう一文も無え。――糞。こら」

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おいらもう一文も無え。――くそ。こら」

そう言って、体をずらして近づいてきた。

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そう云って、身体をずらして寄こした。

そしてもう一人の漁夫の手をにぎって、自分の腰のところへ持っていった。

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そしてもう一人の漁夫の手を握って、自分の腰のところへ持って行った。

袢天(はんてん・短い上着)の下の、コールテンのズボンのポケットに押しあてた。

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袢天はんてんの下のコールテンのズボンのポケットに押しあてた。

何か小さい箱らしかった。

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何か小さい箱らしかった。

一人はだまって、その漁夫の顔を見た。

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一人は黙って、その漁夫の顔をみた。

「ヒヒヒヒ……」

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「ヒヒヒヒ……」

と笑って、「花札(はなふだ)よ」

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と笑って、「花札はなよ」

と言った。

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と云った。

ボート・デッキで、「将軍」

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ボート・デッキで、「将軍」

のような格好をした船長が、ぶらぶらしながらたばこを吸っている。

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のような恰好かっこうをした船長が、ブラブラしながら煙草をのんでいる。

はき出す煙が鼻先からすぐ急な角度で折れて、ちぎれ飛んだ。

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はき出す煙が鼻先からすぐ急角度に折れて、ちぎれ飛んだ。

底に木を打った草履(ぞうり)をひきずって、食べ物のバケツを下げた船員がせわしなく「おもて」

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底に木を打った草履ぞうりをひきずッて、食物バケツをさげた船員が急がしく「おもて」

の船室を出たり入ったりした。――

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の船室を出入した。――

準備はすっかりできて、もう出発するばかりになっていた。

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用意はすっかり出来て、もう出るにいいばかりになっていた。

雑夫(ざつふ)のいるハッチを上からのぞきこむと、うす暗い船底の棚に、巣から顔だけぴょこぴょこ出す鳥のように、さわぎまわっているのが見えた。

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雑夫ざつふのいるハッチを上からのぞきこむと、薄暗い船底のたなに、巣から顔だけピョコピョコ出す鳥のように、騒ぎ廻っているのが見えた。

みんな十四、五歳の少年ばかりだった。

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皆十四、五の少年ばかりだった。

「お前はどこだ」

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「お前は何処どこだ」

「××町」

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「××町」

みんな同じだった。

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みんな同じだった。

函館の貧民窟(ひんみんくつ・貧しい人たちが集まって住む場所)の子どもばかりだった。

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函館の貧民くつの子供ばかりだった。

そういう子たちは、それだけで一つのかたまりになっていた。

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そういうのは、それだけで一かたまりをなしていた。

「あっちの棚は?」

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「あっちの棚は?」

「南部」

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「南部」

「それは?」

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「それは?」

「秋田」

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「秋田」

それぞれ棚がちがっていた。

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それ等は各〻棚をちがえていた。

「秋田のどこだ」

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「秋田の何処だ」

膿(うみ)のような鼻をたらした、目のふちが赤くただれている子が、

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うみのような鼻をたらした、眼のふちがあかべをしたようにただれているのが、

「北秋田だんし」

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「北秋田だんし」

と言った。

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と云った。

「百姓か?」

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「百姓か?」

「そんだし」

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「そんだし」

空気がむんとして、何か果物でも腐ったようなすっぱいにおいがしていた。

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空気がムンとして、何か果物でも腐ったすッぱい臭気がしていた。

漬物を何十樽もしまってある部屋がすぐ隣りだったので、「糞」

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漬物を何十たるしまってある室が、すぐ隣りだったので、「糞」

のようなにおいも混じっていた。

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のような臭いも交っていた。

「こんだ親父抱いて寝てやるど」

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「こんだ親父おど抱いて寝てやるど」

――漁夫がべらべら笑った。

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――漁夫がベラベラ笑った。

うす暗いすみの方で、袢天を着て股引(ももひき)をはき、風呂敷を三角にかぶった、日雇いで働く女らしい母親が、りんごの皮をむいて、棚にはらばいになっている子どもに食べさせてやっていた。

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薄暗いすみの方で、袢天はんてんを着、股引ももひきをはいた、風呂敷を三角にかぶった女出面でめんらしい母親が、林檎りんごの皮をむいて、棚に腹んいになっている子供に食わしてやっていた。

子どもの食べるのを見ながら、自分でむいたぐるぐる巻きの皮を食べている。

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子供の食うのを見ながら、自分ではいたぐるぐるの輪になった皮を食っている。

何かしゃべったり、子どものそばの小さな風呂敷包みを何度も開いたり、しばり直したりしていた。

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何かしゃべったり、子供のそばの小さい風呂敷包みを何度も解いたり、直してやっていた。

そういう親子が七、八人もいた。

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そういうのが七、八人もいた。

誰も見送りに来てくれる人のいない、内地から来た子どもたちは、時々そちらの方をぬすみ見るように見ていた。

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誰も送って来てくれるもののいない内地から来た子供達は、時々そっちの方をぬすみ見るように、見ていた。

髪や体がセメントの粉まみれになっている女が、キャラメルの箱から二粒くらいずつ、まわりの子どもたちに分けてやりながら、

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髪や身体がセメントの粉まみれになっている女が、キャラメルの箱から二粒位ずつ、その附近の子供達に分けてやりながら、

「うちの健吉(けんきち)と仲よく働いてやってけれよ、な」

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「うちの健吉と仲よく働いてやってけれよ、な」

と言っていた。

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と云っていた。

木の根っこのように不格好に大きい、ざらざらした手だった。

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木の根のように不恰好ぶかっこうに大きいザラザラした手だった。

子どもの鼻をかんでやっている人や、手ぬぐいで顔をふいてやっている人や、ぼそぼそ何か言っている人もいた。

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子供に鼻をかんでやっているのや、手拭てぬぐいで顔をふいてやっているのや、ボソボソ何か云っているのや、あった。

「お前さんどこの子どもは、体はええべものな」

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「お前さんどこの子供は、身体はええべものな」

母親同士だった。

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母親同志だった。

「ん、まあ」

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「ん、まあ」

「俺どこのア、とても弱いんだ。どうすべかッて思うんだども、何んしろ……」

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「俺どこのア、とても弱いんだ。どうすべかッて思うんだども、何んしろ……」

「それアどこでも、ね」

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「それア何処でも、ね」

――二人の漁夫がハッチから甲板へ顔を出すと、ほっとした。

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――二人の漁夫がハッチから甲板へ顔を出すと、ホッとした。

不機嫌に、急にだまり合ったまま、雑夫の穴よりもっと船首にある、台形をした自分たちの「巣」

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不機嫌ふきげんに、急にだまり合ったまま雑夫の穴より、もっと船首の、梯形ていけいの自分達の「巣」

に帰った。

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に帰った。

いかりを上げたり下ろしたりするたびに、コンクリートミキサーの中に投げこまれたように、みんなは跳ね上がり、ぶつかり合わなければならなかった。

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錨を上げたり、下したりする度に、コンクリート・ミキサの中に投げ込まれたように、皆はね上り、ぶッつかり合わなければならなかった。

うす暗い中で、漁夫は豚のようにごろごろしていた。それに豚小屋そっくりの、胸がすぐむかむかしてきそうなにおいがしていた。

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薄暗い中で、漁夫は豚のようにゴロゴロしていた、それに豚小屋そっくりの、胸がすぐゲエと来そうなにおいがしていた。

「くせえ、くせえ」

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「臭せえ、臭せえ」

「そよ、俺だちだもの。ええ加減、こったら腐りかけた臭いでもすべよ」

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「そよ、俺だちだもの。ええ加減、こったら腐りかけた臭いでもすべよ」

赤い臼(うす)のような頭をした漁夫が、一升瓶のままで、酒をふちの欠けた茶碗に注いで、するめをむしゃむしゃやりながら飲んでいた。

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赤いうすのような頭をした漁夫が、一升びんそのままで、酒を端のかけた茶碗ちゃわんいで、するめをムシャムシャやりながら飲んでいた。

そのそばに仰向けにひっくり返って、りんごを食べながら、表紙のぼろぼろになった講談雑誌を見ている人もいた。

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その横に仰向けにひっくり返って、林檎を食いながら、表紙のボロボロした講談雑誌を見ているのがいた。

四人で輪になって飲んでいたところに、まだ飲み足りない一人が割りこんでいった。

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四人輪になって飲んでいたのに、まだ飲み足りなかった一人が割り込んで行った。

「……んだべよ。四カ月も海の上だ。もう、これんかやれねべと思って……」

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「……んだべよ。四カ月も海の上だ。もう、これんかやれねべと思って……」

がんじょうな体をした男が、そう言って、厚い下唇を時々くせのようになめながら目を細めた。

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頑丈がんじょうな身体をしたのが、そう云って、厚い下唇を時々癖のようにめながら眼を細めた。

「んで、財布これさ」

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「んで、財布これさ」

干し柿のようなべったりした薄いがま口を、目の高さに振ってみせた。

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干柿のようなべったりした薄い蟇口がまぐちを眼の高さに振ってみせた。

「あの白首、体こったらに小せえくせに、とても上手えがったどオ!」

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「あの白首ごけ、身体こったらに小せえくせに、とても上手うめえがったどオ!」

「おい、止せ、止せ!」

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「おい、止せ、止せ!」

「ええ、ええ、やれやれ」

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「ええ、ええ、やれやれ」

相手はへへへへへと笑った。

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相手はへへへへへと笑った。

「見れ、ほら、感心なもんだ。ん?」

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「見れ、ほら、感心なもんだ。ん?」

酔った目をちょうど向かい側の棚の下に据えて、あごで、「ん!」

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酔った眼を丁度向い側の棚の下にすえて、あごで、「ん!」

と一人が言った。

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と一人が云った。

漁夫がその女房に金を渡しているところだった。

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漁夫がその女房に金を渡しているところだった。

「見れ、見れ、なア!」

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「見れ、見れ、なア!」

小さい箱の上に、しわくちゃになった札や銀貨を並べて、二人でそれを数えていた。

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小さい箱の上に、しわくちゃになった札や銀貨を並べて、二人でそれを数えていた。

男は小さい手帳に鉛筆をなめ、なめ何か書いていた。

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男は小さい手帖てちょうに鉛筆をなめ、なめ何か書いていた。

「見れ。ん!」

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「見れ。ん!」

「俺にだって嬶(かかあ)や子供はいるんだで」

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「俺にだってかかあや子供はいるんだで」

白首のことを話した漁夫が、急に怒ったように言った。

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白首ごけのことを話した漁夫が急に怒ったように云った。

そこから少し離れた棚に、二日酔いでむくんだ青ぶくれの顔をした、頭の前だけを長くのばした若い漁夫が、

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そこから少し離れた棚に、宿酔ふつかよいの青ぶくれにムクンだ顔をした、頭の前だけを長くした若い漁夫が、

「俺アもう今度こそア船さ来ねえッて思ってたんだけれどもな」

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「俺アもう今度こそア船さ来ねえッて思ってたんだけれどもな」

と大声で言っていた。

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と大声で云っていた。

「周旋屋(しゅうせんや・仕事を紹介する業者)に引っ張り廻されて、文無しになってよ。――又、長げえことくたばるめに合わされるんだ」

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「周旋屋に引っ張り廻されて、文無しになってよ。――又、長げえことくたばるめに合わされるんだ」

こっちに背を見せている、同じところから来ているらしい男が、それに何かひそひそ言っていた。

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こっちに背を見せている同じ処から来ているらしい男が、それに何かヒソヒソ云っていた。

ハッチの降り口にまず両足を見せて、ごろごろする大きな昔ふうの信玄袋(しんげんぶくろ・大きな布の袋)をかついだ男が、はしごを下りてきた。

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ハッチの降口に始め鎌足かまあしを見せて、ゴロゴロする大きな昔風の信玄袋をになった男が、梯子はしごを下りてきた。

床に立ってきょろきょろ見まわしていたが、空いているところを見つけると、棚に上ってきた。

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床に立ってキョロキョロ見廻わしていたが、いているのを見付けると、棚に上って来た。

「今日は」

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「今日は」

と言って、横の男に頭を下げた。

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と云って、横の男に頭を下げた。

顔が何かで染まったように、油じみて黒かった。

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顔が何かで染ったように、油じみて、黒かった。

「仲間さ入れて貰えます」

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「仲間されて貰えます」

あとで分かったことだが、この男は、船へ来るすぐ前まで夕張炭坑で七年も坑夫(こうふ)をしていた。

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後で分ったことだが、この男は、船へ来るすぐ前まで夕張炭坑に七年も坑夫をしていた。

それがこの前のガス爆発で危うく死にそこねてから――前にも何度かあったことだが――ふいに坑夫の仕事が恐ろしくなり、鉱山を下りてしまった。

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それがこの前のガス爆発で、危く死にそこねてから――前に何度かあった事だが――フイと坑夫が恐ろしくなり、鉱山やまを下りてしまった。

爆発のとき、彼は同じ坑内でトロッコを押して働いていた。

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爆発のとき、彼は同じ坑内にトロッコを押して働いていた。

トロッコいっぱいに石炭を積んで、他の人の持ち場まで押していった時だった。

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トロッコに一杯石炭を積んで、他の人の受持場まで押して行った時だった。

彼は百のマグネシウムを一瞬、目の前でたかれたと思った。

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彼は百のマグネシウムを瞬間眼の前でたかれたと思った。

それと同時に、500分の1秒も違わず、自分の体が紙切れのようにどこかへ飛び上がったと思った。

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それと、そして1/500秒もちがわず、自分の身体が紙ッきれのように何処かへ飛び上ったと思った。

何台ものトロッコがガスの圧力で、目の前を空のマッチ箱よりも軽く吹っ飛んでいった。

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何台というトロッコがガスの圧力で、眼の前を空のマッチ箱よりも軽くフッ飛んで行った。

それきり分からなかった。

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それッ切り分らなかった。

どのくらい経ったか、自分のうなった声で目が開いた。

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どの位ったか、自分のうなった声で眼が開いた。

監督や工夫(こうふ)が爆発が他へ広がらないように、坑道に壁を作っていた。

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監督や工夫が爆発が他へ及ばないように、坑道に壁を作っていた。

彼はその時、壁の向こうから、助けようと思えば助けられたはずの炭坑夫の、一度聞いたら心にきざみこまれて決して忘れられない、助けを求める声を「はっきり」

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彼はその時壁の後から、助ければ助けることの出来る炭坑夫の、一度聞いたら心に縫い込まれでもするように、決して忘れることの出来ない、救いを求める声を「ハッキリ」

聞いた。――

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聞いた。――

彼は急に立ち上がると、気が狂ったように、

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彼は急に立ち上ると、気が狂ったように、

「駄目だ、駄目だ!」

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「駄目だ、駄目だ!」

とみんなの中に飛びこんで、叫びだした。

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と皆の中に飛びこんで、叫びだした。

(彼は前の時は、自分でその壁を作ったことがあった。

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(彼は前の時は、自分でその壁を作ったことがあった。

そのときは何ともなかったのだったが)

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そのときは何んでもなかったのだったが)

「馬鹿野郎! ここに火でも移ってみろ、大損だ」

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「馬鹿野郎! ここさ火でも移ってみろ、大損だ」

だが、だんだん声が低くなっていくのが分かるではないか!

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だが、だんだん声の低くなって行くのが分るではないか!

彼は何を思ったのか、手を振ったり、わめいたりして、めちゃくちゃに坑道を走り出した。

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 彼は何を思ったのか、手を振ったり、わめいたりして、無茶苦茶に坑道を走り出した。

何度もつまずいて転び、坑木に額を打ちつけた。

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何度ものめったり、坑木に額を打ちつけた。

全身どろと血まみれになった。

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全身ドロと血まみれになった。

途中、トロッコの枕木につまずいて、投げ飛ばされたように、レールの上にたたきつけられて、また気を失ってしまった。

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途中、トロッコの枕木につまずいて、巴投ともえなげにでもされたように、レールの上にたたきつけられて、又気を失ってしまった。

その話を聞いていた若い漁夫は、

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その事を聞いていた若い漁夫は、

「さあ、ここだってそう大して変らないが……」

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「さあ、ここだってそう大して変らないが……」

と言った。

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と云った。

彼は坑夫独特の、まぶしいような、黄色っぽくつやのない目つきを漁夫の上にじっと置いて、だまっていた。

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彼は坑夫独特な、まばゆいような、黄色ッぽくつやのない眼差まなざしを漁夫の上にじっと置いて、黙っていた。

秋田、青森、岩手から来た「百姓の漁夫」

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秋田、青森、岩手から来た「百姓の漁夫」

たちの中には、大きくあぐらをかいて、両手を斜めに股にさしこんでむっつりしている者や、ひざを抱えこんで柱によりかかりながら、何も考えずにみんなが酒を飲んでいるのや、勝手にしゃべり合っているのを聞き入っている者もいた。――

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のうちでは、大きく安坐あぐらをかいて、両手をはすがいにまたに差しこんでムシッとしているのや、ひざを抱えこんで柱によりかかりながら、無心に皆が酒を飲んでいるのや、勝手にしゃべり合っているのに聞き入っているのがある。――

朝早く暗いうちから畑に出て、それでも食べていけず、追い払われてくる者たちだった。

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朝暗いうちから畑に出て、それで食えないで、追払われてくる者達だった。

長男一人を残して――それでもまだ食べていけない――女は工場の女工に、次男も三男もどこかへ出て働かなければならない。

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長男一人を残して――それでもまだ食えなかった――女は工場の女工に、次男も三男も何処かへ出て働かなければならない。

鍋で豆をよりわけるように、あまった人間はどんどん土地からはねとばされて、町に流れ出てきた。

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なべで豆をるように、余った人間はドシドシ土地からハネ飛ばされて、市に流れて出てきた。

彼らはみんな「金を残して」

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彼等はみんな「金を残して」

内地に帰ることを考えている。

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内地くにに帰ることを考えている。

しかし働いてきて、いざ陸を踏むと、餅を踏みつけた小鳥のように、函館や小樽(おたる)でバタバタお金を使ってしまう。

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しかし働いてきて、一度陸を踏む、するとモチを踏みつけた小鳥のように、函館や小樽でバタバタやる。

そうすると、まるっきり簡単に「生まれた時」

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そうすれば、まるッきり簡単に「生れた時」

とちっとも変らない裸になって、放り出された。

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とちっとも変らない赤裸になって、おっぽり出された。

内地へ帰れなくなる。

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内地くにへ帰れなくなる。

彼らは、身寄りのない雪の北海道で年を越すために、

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彼等は、身寄りのない雪の北海道で「越年おつねん

自分の体を鼻先ほどの安い値で「売らなければならない」

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するために、自分の身体を手鼻位の値で「売らなければならない」

――彼らはそれを何度くり返しても、できの悪い子どものように、次の年にはまた平気で(?)

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――彼等はそれを何度繰りかえしても、出来の悪い子供のように、次の年には又平気で(?)

同じことをやってしまう。

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同じことをやってのけた。

菓子折を背負った沖売り(おきうり・船に品物を売りに来る人)の女や、薬屋、それに日用品を持った商人が入ってきた。

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菓子折を背負った沖売の女や、薬屋、それに日用品を持った商人が入ってきた。

まん中の、離れ島のように区切られている場所に、それぞれの品物を広げた。

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真中の離島のように区切られている所に、それぞれの品物を広げた。

みんなは四方の棚の上下の寝床から身を乗り出して、からかったり、冗談を言ったりした。

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皆は四方の棚の上下の寝床から身体を乗り出して、ひやかしたり、笑談じょうだんを云った。

「お菓子めえか、ええ、ねっちゃよ?」

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「お菓子がしめえか、ええ、ねっちゃよ?」

「あッ、もッちょこい!」

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「あッ、もッちょこい!」

沖売りの女がとんきょうな声を出して、跳ね上がった。

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沖売の女が頓狂とんきょうな声を出して、ハネ上った。

「人の尻さ手ばやったりして、いけすかない、この男!」

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「人のしりさ手ばやったりして、いけすかない、この男!」

菓子で口をもぐもぐさせていた男が、みんなの視線が自分に集まったことにてれて、げらげら笑った。

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菓子で口をモグモグさせていた男が、皆の視線が自分に集ったことにテレて、ゲラゲラ笑った。

「この女子(あねこ)、可愛(めんこ)いな」

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「この女子あねこ可愛めんこいな」

便所から、片側の壁に片手をつきながら、あぶなっかしい足取りで帰ってきた酔っぱらいが、通りすがりに、赤黒くぷっくりしている女のほっぺたをつっついた。

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便所から、片側の壁に片手をつきながら、危い足取りで帰ってきた酔払いが、通りすがりに、赤黒くプクンとしている女のほっぺたをつッついた。

「何だね」

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「何んだね」

「怒んなよ。――この女子ば抱いて寝てやるべよ」

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「怒んなよ。――この女子あねこば抱いて寝てやるべよ」

そう言って、女におどけた格好をした。

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そう云って、女におどけた恰好をした。

みんなが笑った。

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皆が笑った。

「おいまんじゅう、まんじゅう!」

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「おい饅頭まんじゅう、饅頭!」

ずうっとすみの方から誰か大声で叫んだ。

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ずウとすみの方から誰か大声で叫んだ。

「ハアイ……」

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「ハアイ……」

こんなところではめずらしい、女のよく通る澄んだ声で返事をした。

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こんな処ではめずらしい女のよく通る澄んだ声で返事をした。

「幾ぼですか?」

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なんぼですか?」

「幾ぼ? 二つもあったら不具だべよ。――おまんじゅう、おまんじゅう!」

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なんぼ? 二つもあったら不具かたわだべよ。――お饅頭、お饅頭!」

――急にわっと笑い声が起こった。

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――急にワッと笑い声が起った。

「この前、竹田って男が、あの沖売の女ば無理矢理に誰もいねえどこさ引っ張り込んで行ったんだとよ。んだけ、面白いんでないか。何んぼ、どうやっても駄目だって言うんだ……」

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「この前、竹田って男が、あの沖売の女ば無理矢理に誰もいねえどこさ引っ張り込んで行ったんだとよ。んだけ、面白いんでないか。何んぼ、どうやっても駄目だって云うんだ……」

酔った若い男だった。

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酔った若い男だった。

「……猿又(さるまた・下着のズボン)はいてるんだとよ。竹田がいきなりそれを力一杯にさき取ってしまったんだども、まだ下にはいてるッて言うんでねか。――三枚もはいてたとよ……」

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「……猿又さるまたはいてるんだとよ。竹田がいきなりそれを力一杯にさき取ってしまったんだども、まだ下にはいてるッて云うんでねか。――三枚もはいてたとよ……」

男が首を縮めて笑い出した。

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男がくびを縮めて笑い出した。

その男は冬の間はゴム靴会社の職工だった。

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その男は冬の間はゴム靴会社の職工だった。

春になり仕事が無くなると、カムサツカへ出稼ぎに出た。

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春になり仕事が無くなると、カムサツカへ出稼でかせぎに出た。

どっちの仕事も「季節労働」

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どっちの仕事も「季節労働」

なので(北海道の仕事はほとんどそれだった)、いざ夜業となると、ぶっ続けに続けられた。

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なので、(北海道の仕事はほとんどそれだった)イザ夜業となると、ブッ続けに続けられた。

「もう三年も生きれたら有難い」

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「もう三年も生きれたら有難い」

と言っていた。

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と云っていた。

粗製ゴムのような、死んだ色の肌をしていた。

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粗製ゴムのような、死んだ色の膚をしていた。

漁夫の仲間には、北海道の奥地の開墾地や、鉄道敷設の土工部屋へ「蛸(たこ・だまされて働かされる労働者)」

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漁夫の仲間には、北海道の奥地の開墾地や、鉄道敷設の土工部屋へ「たこ

に売られたことのある者や、各地を食いつめた「渡り者」

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に売られたことのあるものや、各地を食いつめた「渡り者」

や、酒さえ飲めれば何もかもいらない、ただそれでいいという者などがいた。

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や、酒だけ飲めば何もかもなく、ただそれでいいものなどがいた。

青森あたりの善良な村長さんに選ばれてきた「何も知らない」

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青森辺の善良な村長さんに選ばれてきた「何も知らない」

「木の根っこのように」

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「木の根ッこのように」

正直な百姓もその中に混じっている。――

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正直な百姓もその中に交っている。――

そして、こういうばらばらな者たちを集めることが、雇う側にとってはこの上なく都合のいいことだった。

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そして、こういうてんでんばらばらのもの等を集めることが、雇うものにとって、この上なく都合のいいことだった。

(函館の労働組合は、蟹工船、カムサツカ行きの漁夫の中に組織者(そしきしゃ・仲間を集めて働きかける人)を送りこむことに、必死になっていた。

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(函館の労働組合は蟹工船、カムサツカ行の漁夫のなかに組織者を入れることに死物狂いになっていた。

青森、秋田の組合などとも連絡をとって。――

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青森、秋田の組合などとも連絡をとって。――

それを何より恐れていた)

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それを何より恐れていた

のりのついた真っ白い、上着の丈の短い服を着た給仕(ボーイ)が、「とも」

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のりのついた真白い、上衣うわぎたけの短い服を着た給仕ボーイが、「とも」

のサロンに、ビール、果物、洋酒のコップを持って、忙しく行き来していた。

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のサロンに、ビール、果物、洋酒のコップを持って、忙しく往き来していた。

サロンには、「会社のおっかない人、船長、監督、それにカムサツカで警備の任にあたる駆逐艦の偉い人、水上警察の署長さん、海員組合の折鞄(おりかばん・書類かばんを持った役人)」

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サロンには、「会社のオッかない人、船長、監督、それにカムサツカで警備の任に当る駆逐艦の御大おんたい、水上警察の署長さん、海員組合の折鞄おりかばん

がいた。

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がいた。

「畜生、ガブガブ飲むったら、ありゃしない」

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「畜生、ガブガブ飲むったら、ありゃしない」

――給仕はふくれかえっていた。

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――給仕はふくれかえっていた。

漁夫の「穴」

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漁夫の「穴」

に、はまなすの花のような電灯がついた。

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に、浜なすのような電気がついた。

たばこの煙や人いきれで、空気が濁って臭く、穴全体がそのまま「糞壺(くそつぼ)」

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煙草の煙や人いきれで、空気が濁って、臭く、穴全体がそのまま「糞壺くそつぼ

だった。

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だった。

区切られた寝床にごろごろしている人間が、うじ虫のようにうごめいて見えた。――

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区切られた寝床にゴロゴロしている人間が、蛆虫うじむしのようにうごめいて見えた。――

漁業監督を先頭に、船長、工場代表、雑夫長がハッチを下りて入ってきた。

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漁業監督を先頭に、船長、工場代表、雑夫長がハッチを下りて入って来た。

船長は先がはねあがっているひげを気にして、しじゅうハンカチで上唇をなでつけた。

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船長は先のハネ上っているひげを気にして、始終ハンカチで上唇をでつけた。

通路には、りんごやバナナの皮、ぐじょぐじょした高丈、鞋(わらじ)、飯粒のこびりついている薄皮などが捨ててあった。

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通路には、林檎やバナナの皮、グジョグジョした高丈たかじょうわらじ、飯粒のこびりついている薄皮などが捨ててあった。

流れの止まったどぶだった。

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流れの止った泥溝どぶだった。

監督はじろりとそれを見ながら、無遠慮に唾をはいた。――

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監督はじろりそれを見ながら、無遠慮に唾をはいた。――

どれも飲んできたらしく、顔を赤くしていた。

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どれも飲んで来たらしく、顔を赤くしていた。

「ちょっと言って置く」

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一寸ちょっと云って置く」

監督が土方の棒頭(ぼうがしら・現場の親方)のようにがんじょうな体で、片足を寝床の仕切りの上にかけて、ようじで口をもぐもぐさせながら、時々歯にはさまったものをトットッと飛ばして、口を開いた。

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監督が土方の棒頭ぼうがしらのように頑丈がんじょうな身体で、片足を寝床の仕切りの上にかけて、楊子ようじで口をモグモグさせながら、時々歯にはさまったものを、トットッと飛ばして、口を切った。

「分ってるものもあるだろうが、言うまでもなくこの蟹工船の仕事は、ただの一会社のもうけ仕事と見るべきじゃない。国際上の一大問題なんだ。我々が――我々日本帝国の人民が偉いか、露助が偉いか。一騎打ちの戦いなんだ。それにもし、もしもだ。そんな事は絶対にあるはずがないが、負けるようなことがあったら、きんたまをぶら下げた日本の男は腹でも切って、カムサツカの海の中にどぼんと落ちることだ。体が小さくたって、間抜けな露助に負けてたまるもんじゃない。

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「分ってるものもあるだろうが、云うまでもなくこの蟹工船の事業は、ただ単にだ、一会社の儲仕事もうけしごとと見るべきではなくて、国際上の一大問題なのだ。我々が――我々日本帝国人民が偉いか、露助が偉いか。一騎打ちの戦いなんだ。それにし、若しもだ。そんな事は絶対にあるべきはずがないが、負けるようなことがあったら、睾丸きんたまをブラ下げた日本男児は腹でも切って、カムサツカの海の中にブチ落ちることだ。身体が小さくたって、野呂間な露助に負けてたまるもんじゃない。

「それに、我がカムサツカの漁業は蟹の缶詰ばかりでなく、鮭(さけ)、鱒(ます)とともに、国際的に見てだ、他の国とは比べものにならない優秀な地位を持っているし、また日本国内の行き詰まった人口問題、食糧問題にとっても、重大な役目を持っているんだ。こんな事をしゃべったって、お前らには分かりもしないだろうが、とにかくだ、日本帝国の大きな使命のために、俺たちは命を的に、北の荒波を突っ切っていくんだということを知っておいてもらわなきゃならない。だからこそ、あっちへ行っても、いつも我が帝国の軍艦が我々を守っていてくれることになっているんだ。……それを、今はやりの露助の真似をして、とんでもないことをそそのかす者があるとしたら、それこそ、日本帝国を売るやつだ。こんな事はないはずだが、よっく覚えておいてもらうことにする……」

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「それに、我カムサツカの漁業は蟹罐詰ばかりでなく、さけますと共に、国際的に云ってだ、他の国とは比らべもならない優秀な地位を保っており、又日本国内の行き詰った人口問題、食糧問題に対して、重大な使命を持っているのだ。こんな事をしゃべったって、お前等には分りもしないだろうが、ともかくだ、日本帝国の大きな使命のために、俺達は命を的に、北海の荒波をつッ切って行くのだということを知ってて貰わにゃならない。だからこそ、あっちへ行っても始終我帝国の軍艦が我々を守っていてくれることになっているのだ。……それを今流行はやりの露助の真似まねをして、飛んでもないことをケシかけるものがあるとしたら、それこそ、取りも直さず日本帝国を売るものだ。こんな事は無い筈だが、よッく覚えておいて貰うことにする……」

監督は酔いざめのくしゃみを何度もした。

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監督は酔いざめのくさめを何度もした。

酔っぱらった駆逐艦の偉い人は、ばね仕掛けの人形のようなぎくしゃくした足取りで、待たせてあるランチに乗るために、タラップを下りていった。

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酔払った駆逐艦の御大はバネ仕掛の人形のようなギクシャクした足取りで、待たしてあるランチに乗るために、タラップを下りて行った。

水兵が上と下から、麻袋に入れた石ころみたいな艦長をかかえて、ほとんど持てあましてしまった。

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水兵が上と下から、カントン袋に入れた石ころみたいな艦長を抱えて、殆んど持てあましてしまった。

手を振ったり、足をふんばったり、勝手なことをわめく艦長のために、水兵は何度も真正面から自分の顔に「つば」

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手を振ったり、足をふんばったり、勝手なことをわめく艦長のために、水兵は何度も真正面まともから自分の顔に「唾」

を吹きかけられた。

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を吹きかけられた。

「表じゃ、何とか、かんとか偉いこと言ってこのざまなんだ」

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「表じゃ、何んとか、かんとか偉いこと云ってこのざまなんだ」

艦長を乗せてしまって、一人がタラップの踊り場からロープを外しながら、ちらっと艦長の方を見て、低い声で言った。

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艦長をのせてしまって、一人がタラップのおどり場からロープを外しながら、ちらっと艦長の方を見て、低い声で云った。

「やっちまうか⁉……」

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「やっちまうか⁉……」

二人はちょっと息をのんだ、が……声を合わせて笑い出した。

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二人は一寸息をのんだ、が……声を合せて笑い出した。

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祝津(しゅくつ)の灯台が、回転するたびにきらっきらっと光るのが、ずうっと遠い右手に、一面灰色の海のような霧の中から見えた。

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祝津しゅくつの燈台が、廻転する度にキラッキラッと光るのが、ずウと遠い右手に、一面灰色の海のような海霧ガスの中から見えた。

それが向こうへ回転していくとき、何か神秘的に、長く、遠くまで白銀色の光をさっと引いた。

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それが他方へ廻転してゆくとき、何か神秘的に、長く、遠く白銀色の光茫こうぼうを何海浬かいりもサッと引いた。

留萌(るもい)の沖あたりから、細い、じゅくじゅくした雨が降り出してきた。

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留萌るもいの沖あたりから、細い、ジュクジュクした雨が降り出してきた。

漁夫や雑夫は、かにのはさみのようにかじかんだ手を、時々ななめに懐(ふところ)の中へつっこんだり、口のあたりを両手で丸く囲んで「はあー」と息をかけたりして働かなければならなかった。――

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漁夫や雑夫は蟹のはさみのようにかじかんだ手を時々はすがいにふところの中につッこんだり、口のあたりを両手でるく囲んで、ハアーと息をかけたりして働かなければならなかった。――

納豆の糸のような雨が絶え間なく、それと同じ色の不透明な海に降った。

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納豆の糸のような雨がしきりなしに、それと同じ色の不透明な海に降った。

が、稚内(わっかない)に近くなるにつれて、雨が粒々になってきて、広い海の面が旗でもなびくようにうねりだし、そしてそれがまた細かく、せわしなくなった。――

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が、稚内わっかないに近くなるに従って、雨が粒々になって来、広い海の面が旗でもなびくように、うねりが出て来て、そして又それが細かく、せわしなくなった。――

風がマストに当たると不吉に鳴った。

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風がマストに当ると不吉に鳴った。

びょうがゆるむように、ぎいぎいと船のどこかが、絶え間なくきしんだ。

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びょうがゆるみでもするように、ギイギイと船の何処かが、しきりなしにきしんだ。

宗谷海峡(そうやかいきょう)に入ったときは、三千トンに近いこの船が、しゃっくりでも起きたようにギク、シャクとし出した。

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宗谷海峡に入った時は、三千トンに近いこの船が、しゃっくりにでも取りつかれたように、ギク、シャクし出した。

何かすばらしい力でぐいと持ち上げられる。

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何か素晴しい力でグイと持ち上げられる。

船が一瞬、宙に浮かぶ。――

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船が一瞬間宙に浮かぶ。――

が、ぐうと元の位置に沈む。

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が、ぐウと元の位置に沈む。

エレベーターで下りる瞬間の、小便がもれそうになる、くすぐったい不快さをそのたびに感じた。

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エレヴエターで下りる瞬間の、小便がもれそうになる、くすぐったい不快さをそのたびに感じた。

雑夫は黄色くなえて、船酔いらしく目だけとがらせて、げえげえしていた。

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雑夫は黄色になえて、船酔らしく眼だけとんがらせて、ゲエ、ゲエしていた。

波のしぶきで曇った丸い舷窓(げんそう・船の丸い窓)から、ひょいひょいと樺太(からふと)の、雪のある山並みの堅い線が見えた。

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波のしぶきで曇った円るい舷窓げんそうから、ひょいひょいと樺太からふとの、雪のある山並の堅い線が見えた。

しかしすぐそれはガラスの外へ、アルプスの氷山のようにもりもりとむくれ上がってくる波にかくされてしまう。

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しかしすぐそれはガラスの外へ、アルプスの氷山のようにモリモリとむくれ上ってくる波に隠されてしまう。

寒々とした深い谷ができる。

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寒々とした深い谷が出来る。

それが見る見る近づいてくると、窓のところへどっと打ち当たり、砕けて、ザアー……と泡立つ。

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それが見る見る近付いてくると、窓のところへドッと打ち当り、砕けて、ザアー……と泡立つ。

そして、そのまま後へ、後へ、窓をすべって、パノラマのように流れていく。

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そして、そのまま後へ、後へ、窓をすべって、パノラマのように流れてゆく。

船は時々、子どもがするように体をゆすった。

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船は時々子供がするように、身体をゆすった。

棚からものが落ちる音や、ぎーいと何かたわむ音や、波に横っ腹がどぶーんと打ち当たる音がした。――

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棚からものが落ちる音や、ギ――イと何かたわむ音や、波に横ッ腹がドブ――ンと打ち当る音がした。――

そのあいだじゅう、機関室からは機関の音が色々な器具を伝って、じかに小さな震動をともなって、どっ、どっ、どっ……とひびいていた。

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その間中、機関室からは機関の音が色々な器具を伝って、直接じかに少しの震動を伴ってドッ、ドッ、ドッ……と響いていた。

時々波の背に乗ると、スクリューが空回りして、羽根で水の表面をたたきつけた。

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時々波の背に乗ると、スクリュが空廻りをして、翼で水の表面をたたきつけた。

風はますます強くなってくるばかりだった。

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風は益々強くなってくるばかりだった。

二本のマストは釣り竿のようにたわんで、びゅうびゅう泣き出した。

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二本のマストは釣竿つりざおのようにたわんで、ビュウビュウ泣き出した。

波は丸太棒の上でも一またぎするくらいの無造作で、船の片側から反対側へ、暴力団のようにあばれこんできて、流れ出ていった。

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波は丸太棒の上でも一またぎする位の無雑作で、船の片側から他の側へ暴力団のようにあばれ込んできて、流れ出て行った。

その瞬間、出口がザアーと滝になった。

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その瞬間、出口がザアーと滝になった。

見る見るもり上がった山の、恐ろしく大きな斜面に、おもちゃの船ほどの大きさで、ちょこんと横にのっかることがあった。

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見る見るもり上った山の、恐ろしく大きな斜面に玩具おもちゃの船程に、ちょこんと横にのッかることがあった。

と、船はのめったように、どっ、どっと、その谷底へ落ちこんでいく。

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と、船はのめったように、ドッ、ドッと、その谷底へ落ちこんでゆく。

今にも、沈む!

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今にも、沈む!

が、谷底にはすぐ別の波がむくむくと立ち上がってきて、どしんと船の横腹に体当たりをする。

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 が、谷底にはすぐ別な波がむくむくとち上ってきて、ドシンと船の横腹と体当りをする。

オホーツク海へ出ると、海の色がはっきり、もっと灰色がかってきた。

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オホツック海へ出ると、海の色がハッキリもっと灰色がかって来た。

着物の上からぞくぞくと寒さが刺しこんできて、雑夫はみんな唇を紫色にして仕事をした。

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着物の上からゾクゾクと寒さが刺し込んできて、雑夫は皆唇をブシ色にして仕事をした。

寒くなればなるほど、塩のように乾いた細かい雪が、びゅう、びゅう吹きつのってきた。

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寒くなればなる程、塩のように乾いた、細かい雪がビュウ、ビュウ吹きつのってきた。

それはガラスの細かいかけらのように、甲板にはいつくばって働いている雑夫や漁夫の顔や手に突き刺さった。

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それは硝子ガラスの細かいカケラのように甲板にいつくばって働いている雑夫や漁夫の顔や手に突きささった。

波が一波、甲板を洗っていった後は、すぐ凍えて、つるつるにすべった。

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波が一波甲板を洗って行った後は、すぐ凍えて、デラデラにすべった。

みんなはデッキからデッキへロープを張り、それにそれぞれがおしめのようにぶら下がって、作業をしなければならなかった。――

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皆はデッキからデッキへロープを張り、それに各自がおしめのようにブラ下り、作業をしなければならなかった。――

監督は鮭殺しの棍棒(こんぼう)を持って、大声で怒鳴り散らした。

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監督は鮭殺しの棍棒こんぼうをもって、大声で怒鳴り散らした。

同時に函館を出た他の蟹工船は、いつの間にか離れ離れになってしまっていた。

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同時に函館を出帆した他の蟹工船は、何時の間にか離れ離れになってしまっていた。

それでも思いきりアルプスの絶頂に乗り上がったとき、おぼれ死んだ人が両手を振っているように、揺られに揺られている二本のマストだけが、遠くに見えることがあった。

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それでも思いっ切りアルプスの絶頂に乗り上ったとき、溺死者できししゃが両手を振っているように、揺られに揺られている二本のマストだけが遠くに見えることがあった。

たばこの煙ほどの煙が、波すれすれに吹きちぎられて、飛んでいた。……

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煙草の煙ほどの煙が、波とすれずれに吹きちぎられて、飛んでいた。……

波と叫び声のなかから、確かにその船が鳴らしているらしい汽笛が、間を置いてヒュウ、ヒュウと聞こえた。

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波浪と叫喚のなかから、確かにその船が鳴らしているらしい汽笛が、間を置いてヒュウ、ヒュウと聞えた。

が、次の瞬間、こっちがあっぷあっぷするみたいに、谷底に転落していった。

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が、次の瞬間、こっちがアプ、アプでもするように、谷底に転落して行った。

蟹工船には川崎船(かわさきぶね・カニをとる小型の船)を八隻のせていた。

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蟹工船には川崎船を八隻のせていた。

船員も漁夫も、それを何千匹のふかのように白い歯をむいてくる波に、もぎ取られないようにしばりつけるために、自分たちの命を「安々(やすやす)」

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船員も漁夫もそれを何千匹のふかのように、白い歯をむいてくる波にもぎ取られないように、縛りつけるために、自分等の命を「安々」

と賭けなければならなかった。――

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けなければならなかった。――

「貴様等の一人、二人が何んだ。川崎一艘取られてみろ、たまったもんでないんだ」

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「貴様等の一人、二人が何んだ。川崎一ぱい取られてみろ、たまったもんでないんだ」

――監督は日本語ではっきりそう言った。

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――監督は日本語でハッキリそういった。

カムサツカの海は、「よくも来やがった」と待ちかまえていたように見えた。

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カムサツカの海は、よくも来やがった、と待ちかまえていたように見えた。

ガツ、ガツに飢えたライオンのように、うなりをあげておそいかかってきた。

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ガツ、ガツに飢えている獅子ししのように、えどなみかかってきた。

船はまるでうさぎより、もっと弱々しかった。

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船はまるでうさぎより、もっと弱々しかった。

空一面の吹雪は、風のぐあいで、白い大きな旗がなびくように見えた。

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空一面の吹雪は、風の工合で、白い大きな旗がなびくように見えた。

夜が近づいてきた。

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夜近くなってきた。

しかし時化(しけ)はやみそうもなかった。

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しかし時化しけは止みそうもなかった。

仕事が終ると、みんなは「糞壺」

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仕事が終ると、皆は「糞壺」

の中へ順々に入りこんできた。

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の中へ順々に入り込んできた。

手や足は大根のように冷えて、感覚なく体についていた。

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手や足は大根のように冷えて、感覚なく身体についていた。

みんなは蚕(かいこ)のように、それぞれの棚の中に入ってしまうと、誰も一言も口をきくものがいなかった。

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皆は蚕のように、各〻の棚の中に入ってしまうと、誰も一口も口をきくものがいなかった。

ごろりと横になって、鉄の支柱につかまった。

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ゴロリ横になって、鉄の支柱につかまった。

船は、背中に食いついているあぶを追い払う馬のように、体をやけに振っている。

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船は、背に食いついているあぶを追払う馬のように、身体をヤケに振っている。

漁夫はあてのない視線を、白ペンキが黄色にすすけた天井にやったり、ほとんど海の中に入りっぱなしになっている青黒い丸窓にやったり……中には、ぼうっとしたようにきょとんと口を半開きにしている者もいた。

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漁夫はあてのない視線を白ペンキが黄色にすすけた天井にやったり、ほとんど海の中に入りッ切りになっている青黒い円窓にやったり……中には、ほおけたようにキョトンと口を半開きにしているものもいた。

誰も、何も考えていなかった。

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誰も、何も考えていなかった。

ぼんやりとした不安な気持ちが、みんなを不機嫌にだまらせていた。

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漠然とした不安な自覚が、皆を不機嫌にだまらせていた。

顔をあおむけにして、ぐいとウイスキーをらっぱ飲みにしている。

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顔を仰向けにして、グイとウイスキーをラッパ飲みにしている。

赤黄色く濁った、にぶい電灯の中で、ちらっと瓶の角が光って見えた。――

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赤黄く濁った、にぶい電燈のなかでチラッとびんの角が光ってみえた。――

がら、がらっと、ウイスキーの空き瓶が二、三カ所に稲妻の形に打ち当たって、棚から通路に力いっぱい投げ出された。

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ガラ、ガラッと、ウイスキーの空瓶が二、三カ所に稲妻形に打ち当って、棚から通路に力一杯に投げ出された。

みんなは頭だけをそちらに向けて、目で瓶を追った。――

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皆は頭だけをその方に向けて、眼で瓶を追った。――

すみの方で誰か怒った声を出した。

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隅の方で誰か怒った声を出した。

時化にとぎれて、それが片言のように聞こえた。

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時化にとぎれて、それが片言のように聞えた。

「日本を離れるんだど」

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「日本を離れるんだど」

丸窓をひじでぬぐっている。

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円窓をひじぬぐっている。

「糞壺」

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「糞壺」

のストーブはぶすぶすくすぶってばかりいた。

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のストーヴはブスブスくすぶってばかりいた。

鮭や鱒とまちがえられて、「冷蔵庫」

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鮭や鱒と間違われて、「冷蔵庫」

へ投げこまれたように、その中で「生きている」

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へ投げ込まれたように、その中で「生きている」

人間はがたがた震えていた。

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人間はガタガタふるえていた。

ズックでおおったハッチの上を、ザア、ザアと波が大股に乗り越えていった。

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ズックでおおったハッチの上をザア、ザアと波が大股おおまたに乗り越して行った。

それが、そのたびに太鼓の内部みたいな「糞壺」

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それが、その度に太鼓の内部みたいな「糞壺」

の鉄壁に、ものすごい反響を起こした。

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の鉄壁に、物凄ものすごい反響を起した。

時々、漁夫の寝ているすぐ横が、ぐいと男の強い肩でつかれたように、どしんとくる。――

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時々漁夫の寝ているすぐ横が、グイと男の強い肩でつかれたように、ドシンとくる。――

今では、船は、息絶えかけたくじらが、荒れ狂う波の間に体をのたうっている、そのままだった。

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今では、船は、断末魔の鯨が、荒狂う波濤はとうの間に身体をのたうっている、そのままだった。

「飯だ!」

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「飯だ!」

賄い(まかない)がドアから体の上半分をつき出して、口の両側に手をあてて叫んだ。

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まかないがドアーから身体の上半分をつき出して、口で両手を囲んで叫んだ。

「時化てるから汁なし」

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「時化てるから汁なし」

「何んだって?」

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「何んだって?」

「腐れ塩引(しおびき・塩づけの魚)!」

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「腐れ塩引!」

顔をひっこめた。

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顔をひっこめた。

思い思いに体を起こした。

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思い、思い身体を起した。

飯を食うことには、みんなは囚人のような執念深さを持っていた。

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飯を食うことには、皆は囚人のような執念さを持っていた。

がつがつだった。

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ガツガツだった。

塩引の皿をあぐらをかいた股の間に置いて、湯気をふきながら、ぱらぱらした熱い飯をほおばると、舌の上でせわしく、あちこちへやった。

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塩引の皿を安坐をかいた股の間に置いて、湯気をふきながら、バラバラした熱い飯を頬ばると、舌の上でせわしく、あちこちへやった。

「初めて」

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「初めて」

熱いものを鼻先に持ってきたために、水っぱなが絶え間なく下がって、ひょいと飯の中に落ちそうになった。

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熱いものを鼻先にもってきたために、水洟みずばながしきりなしに下がって、ひょいと飯の中に落ちそうになった。

飯を食っていると、監督が入ってきた。

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飯を食っていると、監督が入ってきた。

「いけホイドして、ガツガツまくらうな。仕事もろくにできない日に、飯ば鱈腹食われてたまるもんか」

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いけホイドして、ガツガツまくらうな。仕事もろくに出来ない日に、飯ば鱈腹たらふく食われてたまるもんか」

じろじろ棚の上下を見ながら、左肩だけを前の方へ揺すって出ていった。

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ジロジロ棚の上下を見ながら、左肩だけを前の方へゆすって出て行った。

「一体あいつにあんなことを言う権利があるのか」

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「一体あいつにあんなことを云う権利があるのか」

――船酔いと過労で、げっそりやせた学生上がりが、ぶつぶつ言った。

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――船酔と過労で、ゲッソリやせた学生上りが、ブツブツ云った。

「浅川ッたら蟹工の浅か、浅の蟹工かッてな」

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「浅川ッたら蟹工の浅か、浅の蟹工かッてな」

「天皇陛下は雲の上にいるから、俺達にャどうでもいいんだけど、浅ってなれば、どっこいそうは行かないからな」

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「天皇陛下は雲の上にいるから、俺達にャどうでもいいんだけど、浅ってなれば、どっこいそうは行かないからな」

別な方から、

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別な方から、

「ケチケチすんねえ、何んだ、飯の一杯、二杯! なぐってしまえ!」

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「ケチケチすんねえ、何んだ、飯の一杯、二杯! なぐってしまえ!」

唇をとがらせた声だった。

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唇をんがらした声だった。

「偉い偉い。そいつを浅の前で言えれば、なお偉い!」

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「偉い偉い。そいつを浅の前で云えれば、なお偉い!」

みんなは仕方なく、腹を立てたまま笑ってしまった。

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皆は仕方なく、腹を立てたまま、笑ってしまった。

夜、だいぶ過ぎてから、雨合羽(あまがっぱ)を着た監督が、漁夫の寝ているところへ入ってきた。

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夜、余程過ぎてから、雨合羽を着た監督が、漁夫の寝ているところへ入ってきた。

船のゆれを棚の枠につかまって支えながら、一人一人漁夫の間にカンテラを差しつけて歩いた。

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船の動揺を棚のわくにつかまってささえながら、一々漁夫の間にカンテラを差しつけて歩いた。

かぼちゃのようにごろごろしている頭を、無遠慮にぐいぐいと向き直して、カンテラで照らしてみていた。

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南瓜かぼちゃのようにゴロゴロしている頭を、無遠慮にグイグイと向き直して、カンテラで照らしてみていた。

踏んづけられたって、目を覚ますはずがなかった。

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フンづけられたって、目を覚ます筈がなかった。

全部照らし終わると、ちょっと立ち止まって舌打ちをした。――

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全部照し終ると、一寸立ち止まって舌打ちをした。――

どうしようか、そんな様子だった。

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どうしようか、そんな風だった。

が、すぐ次の賄部屋の方へ歩き出した。

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が、すぐ次の賄部屋の方へ歩き出した。

末広がりの、青っぽいカンテラの光が揺れるたびに、ごみごみした棚の一部や、すねの長い防水ゴム靴や、支柱にかけてある雨具や袢天、それに行李(こうり・柳や竹で編んだ荷物入れ)などの一部分がちら、ちらっと光って、消えた。――

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末広な、青ッぽいカンテラの光が揺れる度に、ゴミゴミした棚の一部や、すねの長い防水ゴム靴や、支柱に懸けてあるドザや袢天はんてん、それに行李こうりなどの一部分がチラ、チラッと光って、消えた。――

足元に光が震えながら一瞬たまる、と今度は賄いのドアに幻灯のような丸い光の輪をうつした。――

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足元に光がふるえながら一瞬間まる、と今度は賄のドアーに幻燈のような円るい光の輪を写した。――

次の朝になって、雑夫の一人が行方不明になったことが知れた。

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次の朝になって、雑夫の一人が行衛ゆくえ不明になったことが知れた。

みんなは前の日の「無茶な仕事」

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皆は前の日の「無茶な仕事」

を思い、「あれじゃ、波にさらわれたんだ」

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を思い、「あれじゃ、波にさらわれたんだ」

と思った。

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と思った。

いやな気持ちがした。

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イヤな気持がした。

しかし漁夫たちは未明から追い立てられていたので、そのことではお互いに話すことができなかった。

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然し漁夫達が未明から追い廻わされたので、そのことではお互に話すことが出来なかった。

「こったら冷ッこい水さ、誰が好き好んで飛び込むって! 隠れてやがるんだ。見付けたら、畜生、タタきのめしてやるから!」

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「こったらしゃッこい水さ、誰が好き好んで飛び込むって! 隠れてやがるんだ。見付けたら、畜生、タタきのめしてやるから!」

監督は棍棒をおもちゃのようにぐるぐる回しながら、船の中を探して歩いた。

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監督は棍棒を玩具のようにグルグル廻しながら、船の中を探して歩いた。

時化は頂上を過ぎてはいた。

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時化は頂上を過ぎてはいた。

それでも、船が進む先にもり上がった波に突き入ると、「おもて」

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それでも、船が行先きにもり上った波に突き入ると、「おもて」

の甲板を、波は自分の家の敷居でもまたぐように何のわけもなく、乗り越してきた。

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の甲板を、波は自分の敷居でもまたぐように何んの雑作もなく、乗り越してきた。

一昼夜の闘いで、全身に痛手を負ったように、船はどこかびっこな音をたてて進んでいた。

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一昼夜の闘争で、満身に痛手を負ったように、船は何処かびっこな音をたてて進んでいた。

薄い煙のような雲が、手が届きそうな上を、マストに打ち当たりながら、急な角度で吹きとんでいった。

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薄い煙のような雲が、手が届きそうな上を、マストに打ち当りながら、急角度を切って吹きとんで行った。

小寒い雨がまだやんでいなかった。

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小寒い雨がまだ止んでいなかった。

四方にもりもりと波がむくれ上ってくると、海に射しこむ雨足がはっきり見えた。

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四囲にもりもりと波がムクレ上ってくると、海に射込む雨足がハッキリ見えた。

それは原始林の中に迷いこんで雨に会うのより、もっと不気味だった。

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それは原始林の中に迷いこんで、雨に会うのより、もっと不気味だった。

麻のロープが鉄の管でも握るように、ばりばりに凍えている。

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麻のロープが鉄管でも握るように、バリ、バリに凍えている。

学生上がりが、すべる足元に気を配りながら、それにつかまってデッキを渡っていくと、タラップの段々を一つ置きに片足で跳びはねて上ってきた給仕に会った。

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学生上りが、すべる足下に気を配りながら、それにつかまって、デッキを渡ってゆくと、タラップの段々を一つ置きに片足で跳躍して上ってきた給仕に会った。

「チョッと」

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「チョッと」

給仕が風の当たらない角に引っ張っていった。

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給仕が風の当らない角に引張って行った。

「面白いことがあるんだよ」

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「面白いことがあるんだよ」

と言って話して聞かせた。

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と云って話してきかせた。

――今朝の二時ごろだった。

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――今朝の二時頃だった。

ボートデッキの上まで波が躍り上がって、間を置いて、バジャバジャ、ザアッとそれが滝のように流れていた。

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ボート・デッキの上まで波が躍り上って、間を置いて、バジャバジャ、ザアッとそれが滝のように流れていた。

夜の闇の中で、波が歯をむき出すのが、時々青白く光って見えた。

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夜のやみの中で、波が歯をムキ出すのが、時々青白く光ってみえた。

時化のために、みんな眠らずにいた。

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時化のために皆寝ずにいた。

そのときだった。

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その時だった。

船長室に無電係があわててかけこんできた。

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船長室に無電係が周章あわててかけ込んできた。

「船長、大変です。S・O・Sです!」

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「船長、大変です。S・O・Sです!」

「S・O・S? ――何船だ⁉」

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「S・O・S? ――何船だ⁉」

「秩父丸です。本船と並んで進んでいたんです」

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「秩父丸です。本船と並んで進んでいたんです」

「ボロ船だ、それア!」

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「ボロ船だ、それア!」

――浅川が雨合羽を着たまま、すみの方のいすに大きく股を開いて、腰をかけていた。

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――浅川が雨合羽あまがっぱを着たまま、すみの方の椅子に大きくまたを開いて、腰をかけていた。

片方の靴の先だけを、ばかにしたようにカタカタ動かしながら、笑った。

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片方の靴の先だけを、小馬鹿にしたように、カタカタ動かしながら、笑った。

「もっとも、どの船だって、ボロ船だがな」

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「もっとも、どの船だって、ボロ船だがな」

「一刻と言えないようです」

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「一刻と云えないようです」

「うん、それア大変だ」

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「うん、それア大変だ」

船長は、舵機室(だきしつ・かじをあつかう部屋)に上るために、急いで、身じたくもせずにドアを開けようとした。

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船長は、舵機室に上るために、急いで、身仕度みじたくもせずにドアーを開けようとした。

しかし、まだ開けないうちだった。

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然し、まだ開けないうちだった。

いきなり、浅川が船長の右肩をつかんだ。

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いきなり、浅川が船長の右肩をつかんだ。

「余計な寄道せって、誰が命令したんだ」

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「余計な寄道せって、誰が命令したんだ」

誰が命令した?

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誰が命令した?

「船長」

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「船長」

ではないか。――

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ではないか。――

が、とっさのことで、船長は棒杭(ぼうぐい)より、もっときょとんとした。

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が、突嗟とっさのことで、船長は棒杭ぼうぐいより、もっとキョトンとした。

しかし、すぐ彼は自分の立場を取り戻した。

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然し、すぐ彼は自分の立場を取り戻した。

「船長としてだ」

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「船長としてだ」

「船長としてだア――ア⁉」

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「船長としてだア――ア⁉」

船長の前に立ちはだかった監督が、尻上がりのばかにした調子でおさえつけた。

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船長の前に立ちはだかった監督が、尻上りの侮辱した調子でおさえつけた。

「おい、一体これア誰の船だんだ。会社が傭船(チアタア・チャーター)してるんだで、金を払って。ものを言えるのア会社代表の須田さんとこの俺だ。お前なんぞ、船長と言ってりゃ大きな顔してるが、糞場の紙位えの価値もねえんだど。分ってるか。――あんなものにかかわってみろ、一週間もフイになるんだ。冗談じゃない。一日でも遅れてみろ! それに秩父丸にはもったいないほどの保険がつけてあるんだ。ボロ船だ、沈んだら、かえって得するんだ」

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「おい、一体これア誰の船だんだ。会社が傭船チアタアしてるんだで、金を払って。ものを云えるのア会社代表の須田さんとこの俺だ。お前なんぞ、船長と云ってりゃ大きな顔してるが、糞場の紙位えの価値ねうちもねえんだど。分ってるか。――あんなものにかかわってみろ、一週間もフイになるんだ。冗談じゃない。一日でも遅れてみろ! それに秩父丸には勿体もったいない程の保険がつけてあるんだ。ボロ船だ、沈んだら、かえって得するんだ」

給仕は「今」

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給仕は「

恐ろしい喧嘩が!

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恐ろしい喧嘩が!

と思った。

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 と思った。

それが、それだけで済むはずがない。

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それが、それだけで済む筈がない。

だが(!)

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だが(!)

船長はのどへ綿でもつめられたように、立ちすくんでいるではないか。

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船長は咽喉のどへ綿でもつめられたように、立ちすくんでいるではないか。

給仕はこんな場合の船長を、かつて一度だって見たことがなかった。

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給仕はこんな場合の船長をかつて一度だって見たことがなかった。

船長の言ったことが通らない?

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船長の云ったことが通らない?

ばか、そんな事が!

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 馬鹿、そんな事が!

だが、それが起こっている。――

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 だが、それが起っている。――

給仕にはどうしても分からなかった。

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給仕にはどうしても分らなかった。

「人情味なんか柄でもなく持ち出して、国と国との大相撲がとれるか!」

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「人情味なんか柄でもなく持ち出して、国と国との大相撲がとれるか!」

唇を思いきりゆがめて唾をはいた。

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唇を思いッ切りゆがめてつばをはいた。

無電室では受信機が時々小さい、青白い火花(スパアクル)を出して、しきりなしに鳴っていた。

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無電室では受信機が時々小さい、青白い火花スパアクルを出して、しきりなしになっていた。

とにかく経過を見るために、みんなは無電室に行った。

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とにかく経過を見るために、皆は無電室に行った。

「ね、こんなに打っているんです。――だんだん早くなりますね」

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「ね、こんなに打っているんです。――だんだん早くなりますね」

係は自分の肩越しにのぞきこんでいる船長や監督に説明した。――

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係は自分の肩越しにのぞき込んでいる船長や監督に説明した。――

みんなは色々な器械のスイッチやボタンの上を、係の指先があちこち器用にすべるのを、それに縫いつけられたように目で追いながら、思わず肩とあごに力をこめて、じっとしていた。

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皆は色々な器械のスウィッチやボタンの上を、係の指先があち、こち器用にすべるのを、それに縫いつけられたように眼で追いながら、思わず肩と顎根あごねに力をこめて、じいとしていた。

船のゆれのたびに、はれものみたいに壁に取りつけてある電灯が、明るくなったり暗くなったりした。

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船の動揺の度に、腫物はれもののように壁に取付けてある電燈が、明るくなったり暗くなったりした。

横腹に思いきり打ち当たる波の音や、絶えず鳴らしている不吉な警笛が、風のぐあいで遠くなったり、すぐ頭の上に近くなったり、鉄の扉をへだてて聞こえていた。

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横腹に思いッ切り打ち当る波の音や、絶えずならしている不吉な警笛が、風の工合で遠くなったり、すぐ頭の上に近くなったり、鉄のとびらを隔てて聞えていた。

ジイ――、ジイ――イと、長く尾を引いて、スパアクルが散った。

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ジイ――、ジイ――イと、長く尾を引いて、スパアクルが散った。

と、そこで、ぴたりと音がとまってしまった。

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と、そこで、ピタリと音がとまってしまった。

それが、その瞬間、みんなの胸へどきりときた。

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それが、その瞬間、皆の胸へドキリときた。

係はあわてて、スイッチをひねったり、機械をせわしく動かしたりした。

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係は周章あわてて、スウィッチをひねったり、機械をせわしく動かしたりした。

が、それっきりだった。

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が、それッ切りだった。

もう打ってこない。

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もう打って来ない。

係は体をひねって、回転いすをぐるりとまわした。

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係は身体をひねって、廻転椅子をぐるりとまわした。

「沈没です!……」

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「沈没です!……」

頭から受信器を外しながら、そして低い声で言った。

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頭から受信器をはずしながら、そして低い声で云った。

「乗務員四百二十五人。最後なり。救助される見込なし。S・O・S、S・O・S、これが二、三度続いて、それで切れてしまいました」

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「乗務員四百二十五人。最後なり。救助される見込なし。S・O・S、S・O・S、これが二、三度続いて、それで切れてしまいました」

それを聞くと、船長は首とえりの間に手をつっこんで、息苦しそうに頭をゆすって、首をのばすようにした。

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それを聞くと、船長は頸とカラアの間に手をつッこんで、息苦しそうに頭をゆすって、頸をのばすようにした。

意味のない視線で、落ち着きなくあたりを見まわしてから、ドアの方へ体を向けてしまった。

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無意味な視線で、落着きなく四囲あたりを見廻わしてから、ドアーの方へ身体を向けてしまった。

そして、ネクタイの結び目あたりをおさえた。――

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そして、ネクタイの結び目あたりを抑えた。――

その船長は見ていられなかった。

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その船長は見ていられなかった。

……………………

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……………………

学生上がりは、「ウム、そうか!」

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学生上りは、「ウム、そうか!」

と言った。

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と云った。

その話にひきつけられていた。――

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その話にひきつけられていた。――

しかし暗い気持ちがして、海に目をそらした。

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然し暗い気持がして、海に眼をそらした。

海はまだ大きくうねりにうねり返っていた。

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海はまだ大うねりにうねり返っていた。

水平線が見る間に足の下になるかと思うと、二、三分もしないうちに、谷から狭められた空を仰ぐように、下へ引きずりこまれていた。

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水平線が見る間に足の下になるかと、思うと、二、三分もしないうちに、谷からばめられた空を仰ぐように、下へ引きずりこまれていた。

「本当に沈没したかな」

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「本当に沈没したかな」

独り言が出る。

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独言ひとりごとが出る。

気になって仕方がなかった。――

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気になって仕方がなかった。――

同じように、ボロ船に乗っている自分たちのことが頭にくる。

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同じように、ボロ船に乗っている自分達のことが頭にくる。

――蟹工船はどれもボロ船だった。

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――蟹工船はどれもボロ船だった。

労働者が北のオホーツクの海で死ぬことなどは、丸ビル(東京の高級ビル)にいる重役には、どうでもいいことだった。

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労働者が北オホツックの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいい事だった。

資本主義がきまりきったところだけのもうけでは行き詰まり、金利が下がって金がだぶついてくると、「文字通り」

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資本主義がきまりきった所だけの利潤では行き詰まり、金利が下がって、金がダブついてくると、「文字通り」

どんな事でもするし、どんなところへでも、死にものぐるいで生きる道を求め出してくる。

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どんな事でもするし、どんな所へでも、死物狂いで血路を求め出してくる。

そこへもってきて、船一隻でまんまと何十万円が手に入る蟹工船――彼らが夢中になるのも無理はない。

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そこへもってきて、船一艘でマンマと何拾万円が手に入る蟹工船、――彼等の夢中になるのは無理がない。

蟹工船は「工船」

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蟹工船は「工船」

(工場船)であって、「航船」

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工場船)であって、「航船」

ではない。

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ではない。

だから航海法は適用されなかった。

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だから航海法は適用されなかった。

二十年もつなぎっぱなしになって、沈めることしかどうにもならないよろよろな「梅毒(ばいどく・重い病気)患者」

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二十年の間もつなぎッ放しになって、沈没させることしかどうにもならないヨロヨロな「梅毒患者」

のような船が、恥ずかしげもなく、上べだけの濃い化粧をほどこされて、函館へ回ってきた。

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のような船が、恥かしげもなく、上べだけの濃化粧こいげしょうをほどこされて、函館へ廻ってきた。

日露戦争で、「名誉にも」

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日露戦争で、「名誉にも」

びっこにされ、魚のはらわたのように放っておかれた病院船や運送船が、幽霊よりも影のうすい姿を現した。――

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ビッコにされ、魚のハラワタのように放って置かれた病院船や運送船が、幽霊よりも影のうすい姿を現わした。――

少し蒸気を強くすると、パイプが破れて吹いた。

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少し蒸気を強くすると、パイプが破れて、吹いた。

ロシアの監視船に追われてスピードを上げると(そんな時は何度もあった)、船のどの部分もめりめり鳴って、今にもその一つ一つがばらばらにほどけそうだった。

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露国の監視船に追われて、スピードをかけると、(そんな時は何度もあった)船のどの部分もメリメリ鳴って、今にもその一つ、一つがバラバラにぐれそうだった。

中風(ちゅうぶ・体がまひする病気)患者のように体をふるわせた。

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中風患者のように身体をふるわした。

しかし、それでもまったくかまわない。

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然し、それでも全くかまわない。

なぜなら、日本帝国のためどんなものでも立ち上がるべき「秋(とき)」

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何故なぜなら、日本帝国のためどんなものでも立ち上るべき「とき

だったから。――

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だったから。――

それに、蟹工船はまさしく「工場」

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それに、蟹工船は純然たる「工場」

だった。

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だった。

しかし工場法の適用も受けていない。

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然し工場法の適用もうけていない。

それで、これほど都合よく、勝手にできるところはなかった。

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それで、これ位都合のいい、勝手に出来るところはなかった。

利口な重役は、この仕事を「日本帝国のため」

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利口な重役はこの仕事を「日本帝国のため」

と結びつけてしまった。

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と結びつけてしまった。

うそのような金が、そしてごっそり重役のふところに入ってくる。

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うそのような金が、そしてゴッソリ重役のふところに入ってくる。

彼はしかし、それをもっと確実なものにするために「代議士(だいぎし・国会議員)」

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彼は然しそれをモット確実なものにするために「代議士」

に出馬することを、自動車を運転しながら考えている。――

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に出馬することを、自動車をドライヴしながら考えている。――

が、おそらく、それとかっきり一分も違わない同じ時に、秩父丸の労働者が、何千マイルも離れた北の暗い海で、割れたガラスくずのように鋭い波と風に向かって、死の戦いを戦っているのだ!

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が、恐らく、それとカッキリ一分も違わない同じ時に、秩父丸の労働者が、何千マイルも離れた北の暗い海で、割れた硝子屑ガラスくずのように鋭い波と風に向って、死の戦いを戦っているのだ!

……学生上がりは「糞壺」

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……学生上りは「糞壺くそつぼ

の方へ、タラップを下りながら考えていた。

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の方へ、タラップを下りながら、考えていた。

「他人事ではないぞ」

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他人事ひとごとではないぞ」

「糞壺」

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「糞壺」

の梯子を下りると、すぐ突き当りに、誤字だらけで、

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梯子はしごを下りると、すぐ突き当りに、誤字沢山で、

雑夫、宮口を発見した者には、バット(たばこの銘柄)二つ、手ぬぐい一本を賞与としてくれるべし。

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雑夫、宮口を発見せるものには、バット二つ、手拭一本を、賞与としてくれるべし。

浅川監督。

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浅川監督。

と、書いた紙が、のり代わりに使った飯粒のぼこぼこを見せて、貼りつけてあった。

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と、書いた紙が、糊代りに使った飯粒のボコボコを見せて、らさってあった。

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霧雨が何日もあがらない。

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霧雨が何日も上らない。

それでぼやけたカムサツカの海岸線が、するするとやつめうなぎのように延びて見えた。

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それでボカされたカムサツカの沿線が、するすると八ツ目うなぎのように延びて見えた。

沖合四海里(かいり)のところに、博光丸がいかりを下ろした。――

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沖合四かいりのところに、博光丸がいかりを下ろした。――

三海里までロシアの領海なので、それ以内に入ることはできない「ことになっていた」

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三浬までロシアの領海なので、それ以内に入ることは出来ない「ことになっていた」

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網さばきが終わって、いつからでもカニ漁ができるように準備ができた。

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さばきが終って、何時いつからでも蟹漁が出来るように準備が出来た。

カムサツカの夜明けは二時ごろなので、漁夫たちはすっかり身支度をし、股までのゴム靴をはいたまま、折箱の中に入ってごろ寝をした。

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カムサツカの夜明けは二時頃なので、漁夫達はすっかり身支度をし、またまでのゴム靴をはいたまま、折箱の中に入って、ゴロ寝をした。

周旋屋にだまされて連れてこられた東京の学生上がりは、こんなはずがなかった、とぶつぶつ言っていた。

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周旋屋にだまされて、連れてこられた東京の学生上りは、こんなはずがなかった、とブツブツ云っていた。

「独り寝だなんて、ウマイ事言いやがって!」

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ひとり寝だなんて、ウマイ事云いやがって!」

「ちげえねえ、独り寝さ。ゴロ寝だもの」

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「ちげえねえ、独り寝さ。ゴロ寝だもの」

学生は十七、八人来ていた。

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学生は十七、八人来ていた。

六十円を前借りすることに決めて、汽車賃、宿代、毛布、布団、それに周旋料を取られて、結局船へ来たときには、一人七、八円の借金(!)

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六十円を前借りすることに決めて、汽車賃、宿料、毛布、布団ふとん、それに周旋料を取られて、結局船へ来たときには、一人七、八円の借金(!)

になっていた。

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になっていた。

それが初めて分かったとき、お金だと思って握っていたのが枯れ葉だったよりも、もっと彼らはきょとんとしてしまった。――

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それが始めて分ったとき、貨幣かねだと思って握っていたのが、枯葉であったより、もっと彼等はキョトンとしてしまった。――

初め、彼らは青鬼、赤鬼に取り巻かれた死者の魂のように、漁夫の中に一かたまりになって固まっていた。

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始め、彼等は青鬼、赤鬼の中に取り巻かれた亡者のように、漁夫の中に一かたまりにかたまっていた。

函館を出てから四日目ごろから、毎日のぼろぼろな飯といつも同じ汁のために、学生はみんな体の具合を悪くしてしまった。

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函館はこだてを出帆してから、四日目ころから、毎日のボロボロな飯と何時も同じ汁のために、学生は皆身体の工合を悪くしてしまった。

寝床に入ってから、ひざを立てて、お互いにすねを指で押していた。

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寝床に入ってから、ひざを立てて、お互にすねを指で押していた。

何度も繰り返して、そのたびにへこんだとか、へこまないとか、彼らの気持ちは瞬間に明るくなったり、暗くなったりした。

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何度も繰りかえして、そのたびに引っこんだとか、引っこまないとか、彼等の気持は瞬間明るくなったり、暗くなったりした。

すねをなでてみると、弱い電気に触れるようにしびれる者が二、三人出てきた。

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脛をなでてみると、弱い電気に触れるように、しびれるのが二、三人出てきた。

棚の端から両足をぶら下げて、ひざがしらを手刀で打って、足が飛び上がるかどうかを試した。

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たなの端から両足をブラ下げて、膝頭を手刀で打って、足が飛び上るか、どうかを試した。

それに悪いことには、「通じ(つうじ・便通)」

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それに悪いことには、「通じ」

が四日も五日もなくなっていた。

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が四日も五日も無くなっていた。

学生の一人が医者に通じ薬をもらいに行った。

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学生の一人が医者に通じ薬を貰いに行った。

帰ってきた学生は、興奮から青い顔をしていた。――

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帰ってきた学生は、興奮から青い顔をしていた。――

「そんなぜいたくな薬なんて無いとよ」

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「そんなぜいたくな薬なんて無いとよ」

「んだべ。船医なんてんなものよ」

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「んだべ。船医なんてなものよ」

そばで聞いていた古い漁夫が言った。

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そばで聞いていた古い漁夫が云った。

「どこの医者も同じだよ。俺のいたところの会社の医者もんだった」

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何処どこの医者も同じだよ。俺のいたところの会社の医者もだった」

坑山(こうざん)の漁夫だった。

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坑山の漁夫だった。

みんながごろごろ横になっていたとき、監督が入ってきた。

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皆がゴロゴロ横になっていたとき、監督が入ってきた。

「皆、寝たか――ちょっと聞け。秩父丸が沈没したっていう無電が入ったんだ。生死の詳しいことは分らないそうだ」

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「皆、寝たか――一寸ちょっと聞け。秩父丸が沈没したっていう無電が入ったんだ。生死の詳しいことは分らないそうだ」

唇をゆがめて、唾をチェッとはいた。

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唇をゆがめて、つばをチェッとはいた。

くせだった。

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癖だった。

学生は給仕から聞いたことが、すぐ頭にきた。

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学生は給仕からきいたことが、すぐ頭にきた。

自分が実際に手をかけて殺した四、五百人の労働者の命のことを、平気な顔で言う、海にたたきこんでやっても足りないやつだ、と思った。

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自分が現に手をかけて殺した四、五百人の労働者の生命のことを、平気な顔で云う、海にタタキ込んでやっても足りない奴だ、と思った。

みんなはむくむくと頭をあげた。

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皆はムクムクと頭をあげた。

急に、ざわざわお互いに話し出した。

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急に、ザワザワお互に話し出した。

浅川はそれだけ言うと、左肩だけを前の方に振って、出ていった。

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浅川はそれだけ云うと、左肩だけを前の方に振って、出て行った。

行方の分からなかった雑夫が、二日前にボイラーのそばから出てきたところをつかまった。

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行衛ゆくえの分らなかった雑夫が、二日前にボイラーの側から出てきたところをつかまった。

二日隠れていたけれども、腹が減って、腹が減って、どうにもできず、出てきたのだった。

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二日隠れていたけれども、腹が減って、腹が減って、どうにも出来ず、出て来たのだった。

捕まえたのは中年過ぎの漁夫だった。

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つかんだのは中年過ぎの漁夫だった。

若い漁夫がその漁夫をなぐりつけると言って、怒った。

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若い漁夫がその漁夫をなぐりつけると云って、怒った。

「うるさい奴だ、煙草のみでもないのに、煙草の味が分るか」

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「うるさい奴だ、煙草のみでもないのに、煙草の味が分るか」

バットを二個手に入れた漁夫は、うまそうに飲んでいた。

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バットを二個手に入れた漁夫はうまそうに飲んでいた。

雑夫は監督にシャツ一枚にされると、二つあるうちの一つの便所に押しこまれて、外から錠をおろされた。

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雑夫は監督にシャツ一枚にされると、二つあるうちの一つの方の便所に押し込まれて、表から錠を下ろされた。

初め、みんなは便所へ行くのをいやがった。

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初め、皆は便所へ行くのを嫌った。

隣りで泣きわめく声が、とても聞いていられなかった。

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隣りで泣きわめく声が、とても聞いていられなかった。

二日目にはその声がかすれて、ひえひえしていた。

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二日目にはその声がかすれて、ヒエ、ヒエしていた。

そして、そのわめきが間を置くようになった。

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そして、そのわめきが間を置くようになった。

その日の終わりごろに、仕事を終えた漁夫が、気がかりですぐ便所のところへ行ったが、もうドアを内側からたたきつける音もしていなかった。

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その日の終り頃に、仕事を終った漁夫が、気掛りでぐ便所のところへ行ったが、もうドアーを内側からたたきつける音もしていなかった。

こっちから合図をしても、それが返ってこなかった。――

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こっちから合図をしても、それが返って来なかった。――

そのおそく、金隠し(きんかくし・和式トイレの前についている仕切り)に片手をもたせかけて、便所紙の箱に頭を入れ、うつぶせに倒れていた宮口が、出されてきた。

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その遅く、睾隠きんかくしに片手をもたれかけて、便所紙の箱に頭を入れ、うつぶせに倒れていた宮口が、出されてきた。

唇の色が青インクをつけたように、はっきり死んでいた。

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唇の色が青インキをつけたように、ハッキリ死んでいた。

朝は寒かった。

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朝は寒かった。

明るくなってはいたが、まだ三時だった。

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明るくなってはいたが、まだ三時だった。

かじかんだ手を懐につっこみながら、背を丸くして起き上がってきた。

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かじかんだ手をふところにつッこみながら、背を円るくして起き上ってきた。

監督は雑夫や漁夫、水夫(すいふ)、火夫(かふ)の部屋まで見まわって歩いて、風邪をひいている者も、病気の者もかまわず引きずり出した。

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監督は雑夫や漁夫、水夫、火夫の室まで見廻って歩いて、風邪かぜをひいているものも、病気のものも、かまわず引きずり出した。

風はなかったが、甲板で仕事をしていると、手と足の先がすりこぎのように感覚がなくなった。

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風は無かったが、甲板で仕事をしていると、手と足の先きが擂粉木すりこぎのように感覚が無くなった。

雑夫長が大声で悪態をつきながら、十四、五人の雑夫を工場に追いこんでいた。

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雑夫長が大声で悪態をつきながら、十四、五人の雑夫を工場に追い込んでいた。

彼の持っている竹の先には皮がついていた。

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彼の持っている竹の先きには皮がついていた。

それは工場でなまけている者を、機械のわく越しに、向こう側からでもなぐりつけることができるように、作られていた。

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それは工場でなまけているものを機械の枠越わくごしに、向う側でもなぐりつけることが出来るように、造られていた。

「昨夜出されたきりで、ものも言えない宮口を今朝からどうしても働かさなけアならないって、さっき足で蹴ってるんだよ」

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昨夜ゆうべ出されたきりで、ものも云えない宮口を今朝からどうしても働かさなけアならないって、さっき足でってるんだよ」

学生上がりになじんでいる弱々しい体の雑夫が、雑夫長の顔を見い、見いそのことを知らせた。

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学生上りになじんでいる弱々しい身体の雑夫が、雑夫長の顔を見い、見いそのことを知らせた。

「どうしても動かないんで、とうとうあきらめたらしいんだけど」

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「どうしても動かないんで、とうとうあきらめたらしいんだけど」

そこへ、監督が体をわくわくふるわせている雑夫を後ろからぐい、ぐい突きながら、押してきた。

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其処そこへ、監督が身体をワクワクふるわせている雑夫を後からグイ、グイ突きながら、押して来た。

寒い雨に濡れながら仕事をさせられたために、その雑夫は風邪をひき、それから肋膜(ろくまく・肺のまわり)を悪くしていた。

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寒い雨にれながら仕事をさせられたために、その雑夫は風邪をひき、それから肋膜ろくまくを悪くしていた。

寒くないときでも、しじゅう体をふるわせていた。

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寒くないときでも、始終身体をふるわしていた。

子どもらしくないしわを眉の間に刻んで、血の気のない薄い唇を妙にゆがめて、神経がぴりぴりしているような目つきをしていた。

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子供らしくないしわまゆの間に刻んで、血の気のない薄い唇を妙にゆがめて、かんのピリピリしているような眼差まなざしをしていた。

彼が寒さに耐えられなくなって、ボイラーの部屋にうろうろしていたところを、見つけられたのだった。

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彼が寒さに堪えられなくなって、ボイラーの室にウロウロしていたところを、見付けられたのだった。

出漁のために、川崎船をウインチから降ろしていた漁夫たちは、その二人を何も言えず見送っていた。

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出漁のために、川崎船をウインチから降していた漁夫達は、その二人を何も云えず、見送っていた。

四十くらいの漁夫は、見ていられないという様子で顔をそむけると、いやいやをするように頭をゆるく二、三度振った。

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四十位の漁夫は、見ていられないという風に、顔をそむけると、イヤイヤをするように頭をゆるく二、三度振った。

「風邪をひいてもらったり、不貞寝(ふてね)をされてもらったりするために、高い金払って連れて来たんじゃないんだぜ。――馬鹿野郎、余計なものを見なくたっていい!」

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「風邪をひいてもらったり、不貞寝ふてねをされてもらったりするために、高い金払って連れて来たんじゃないんだぜ。――馬鹿野郎、余計なものを見なくたっていい!」

監督が甲板を棍棒でたたいた。

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監督が甲板を棍棒こんぼうで叩いた。

「監獄だって、これより悪かったら、お目にかからないで!」

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「監獄だって、これより悪かったら、お目にかからないで!」

「こんなこと内地さ帰って、なんぼ話したって本当にしねんだ」

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「こんなこと内地くにさ帰って、なんぼ話したって本当にしねんだ」

「んさ。――こったら事って第一あるか」

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「んさ。――こったら事って第一あるか」

蒸気(スティム)でウインチがガラガラ回り出した。

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スティムでウインチがガラガラ廻わり出した。

川崎船は体を空にゆすりながら、一斉に降り始めた。

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川崎船は身体を空にゆすりながら、一斉に降り始めた。

水夫や火夫も駆り立てられて、甲板のすべる足元に気を配りながら、走りまわっていた。

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水夫や火夫も狩り立てられて、甲板のすべる足元に気を配りながら、走り廻っていた。

それらの中を、監督はとさかを立てたおんどりのように見まわった。

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それ等のなかを、監督は鶏冠とさかを立てた牡鶏おんどりのように見廻った。

仕事の切れ目ができたので、学生上がりがちょっとの間風を避けて荷物のかげに腰を下ろしていると、炭山から来た漁夫が口のまわりに両手を丸く囲んで、ハア、ハア息をかけながら、ひょいと角を曲ってきた。

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仕事の切れ目が出来たので、学生上りが一寸の間風を避けて、荷物のかげに腰を下していると、炭山やまから来た漁夫が口のまわりに両手を円く囲んで、ハア、ハア息をかけながら、ひょいと角を曲ってきた。

「生命的だな!」

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生命えのぢまとだな!」

それが――心からふいと出た実感が、思わず学生の胸をついた。

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それが――心からフイと出た実感が思わず学生の胸をいた。

「やっぱし炭山と変らないで、死ぬ思いばしないと、生きられないなんてな。――瓦斯(ガス)もおッかねど、波もおっかねしな」

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「やっぱし炭山と変らないで、死ぬ思いばしないと、きられないなんてな。――瓦斯ガスッかねど、波もおっかねしな」

昼過ぎから、空の様子がどこか変わってきた。

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昼過ぎから、空の模様がどこか変ってきた。

薄い霧が一面に――しかしそうでないと言われれば、そうとも思われるほど、うっすらとかかった。

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薄い海霧ガスが一面に――しかしそうでないと云われれば、そうとも思われる程、淡くかかった。

波は風呂敷でもつまみ上げたように、無数に三角形にさわぎ立った。

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波は風呂敷でもつまみ上げたように、無数に三角形に騒ぎ立った。

風が急にマストを鳴らして吹いていった。

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風が急にマストを鳴らして吹いて行った。

荷物にかけてあるズックのおおいの裾が、バタバタとデッキをたたいた。

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荷物にかけてあるズックのおおいのすそがバタバタとデッキをたたいた。

「兎が飛ぶどオ――兎が!」

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「兎が飛ぶどオ――兎が!」

誰か大声で叫んで、右舷のデッキを走っていった。

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誰か大声で叫んで、右舷のデッキを走って行った。

その声が強い風にすぐちぎり取られて、意味のない叫び声のように聞こえた。

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その声が強い風にすぐちぎり取られて、意味のない叫び声のように聞こえた。

もう海一面、三角波の頂きが白いしぶきを飛ばして、無数のうさぎがあたかも大平原を飛び上がっているようだった。――

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もう海一面、三角波の頂きが白いしぶきを飛ばして、無数の兎があたかも大平原を飛び上っているようだった。――

それがカムサツカの「突風」

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それがカムサツカの「突風」

の前ぶれだった。

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前ブレだった。

にわかに底潮の流れが早くなってくる。

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にわかに底潮の流れが早くなってくる。

船が横に体をずらし始めた。

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船が横に身体をずらし始めた。

今まで右舷に見えていたカムサツカが、いつのまにか左舷になっていた。――

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今まで右舷に見えていたカムサツカが、分らないうちに左舷になっていた。――

船に残って仕事をしていた漁夫や水夫は、急にあわて出した。

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船に居残って仕事をしていた漁夫や水夫は急に周章あわて出した。

すぐ頭の上で、警笛が鳴り出した。

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すぐ頭の上で、警笛が鳴り出した。

みんなは立ち止まったまま、空を仰いだ。

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皆は立ち止ったまま、空を仰いだ。

すぐ下にいるせいか、斜め後ろに突き出ている、思ったより太い、湯桶のような煙突が、ゆらゆらと揺れていた。

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すぐ下にいるせいか、斜め後に突き出ている、思わない程太い、湯桶ゆおけのような煙突が、ユキユキと揺れていた。

その煙突の腹の、ドイツの帽子のような形のホイッスルから鳴る警笛が、荒れ狂う暴風の中で、何か悲壮に聞こえた。――

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その煙突の腹の独逸ドイツ帽のようなホイッスルから鳴る警笛が、荒れ狂っている暴風の中で、何か悲壮に聞えた。――

遠く本船を離れて漁に出ている川崎船は、絶え間なく鳴らされているこの警笛を頼りに、時化をおして帰ってくるのだった。

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遠く本船をはなれて、漁に出ている川崎船が絶え間なく鳴らされているこの警笛を頼りに、時化しけをおかして帰って来るのだった。

うす暗い機関室への降り口で、漁夫と水夫がかたまり合って騒いでいた。

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薄暗い機関室への降り口で、漁夫と水夫が固り合って騒いでいた。

斜め上から、船のゆれのたびに、ちらちら薄い光の束がもれていた。

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斜め上から、船の動揺の度に、チラチラ薄い光の束がれていた。

興奮した漁夫の色々な顔が、瞬間瞬間、浮き出て消えた。

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興奮した漁夫の色々な顔が、瞬間々々、浮き出て、消えた。

「どうした?」

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「どうした?」

坑夫がその中に入りこんだ。

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坑夫がその中に入り込んだ。

「浅川の野郎ば、なぐり殺すんだ!」

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「浅川の野郎ば、なぐり殺すんだ!」

殺気だっていた。

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殺気だっていた。

監督は実は今朝早く、本船から十マイルほど離れたところに碇を下ろしていた××丸から「突風」

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監督は実は今朝早く、本船から十哩ほど離れたところにとまっていた××丸から「突風」

の警戒報を受け取っていた。

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の警戒報を受取っていた。

それには、もし川崎船が出ていたら至急呼び戻すようにとさえ、付け加えていた。

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それにはし川崎船が出ていたら、至急呼戻すようにさえ附け加えていた。

そのとき、「こんな事に一々ビク、ビクしていたら、このカムサツカまでわざわざ来て仕事なんかできるかい」

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その時、「こんな事に一々ビク、ビクしていたら、このカムサツカまでワザワザ来て仕事なんか出来るかい」

――そう浅川の言ったことが、無線係から漏れた。

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――そう浅川の云ったことが、無線係から洩れた。

それを聞いた最初の漁夫は、無線係が浅川ででもあるように、怒鳴りつけた。

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それを聞いた最初の漁夫は、無線係が浅川ででもあるように、怒鳴りつけた。

「人間の命を何んだって思ってやがるんだ!」

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「人間の命を何んだって思ってやがるんだ!」

「人間の命?」

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「人間の命?」

「そうよ」

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「そうよ」

「ところが、浅川はお前達をどだい人間だなんて思っていないよ」

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「ところが、浅川はお前達をどだい人間だなんて思っていないよ」

何か言おうとした漁夫は、どもってしまった。

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何か云おうとした漁夫はどもってしまった。

彼は真っ赤になった。

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彼は真赤になった。

そしてみんなのところへかけこんできたのだった。

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そして皆のところへかけ込んできたのだった。

みんなは暗い顔に、しかし争えず底からじりじりと来る興奮を浮かべて、立ちつくしていた。

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皆は暗い顔に、然し争われず底からジリ、ジリ来る興奮をうかべて、立ちつくしていた。

父親が川崎船で出ている雑夫が、漁夫たちの集まっている輪の外をおどおどしていた。

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父親が川崎船で出ている雑夫が、漁夫達の集っている輪の外をオドオドしていた。

ステイ(帆柱を支えるロープ)が絶え間なしに鳴っていた。

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ステイが絶え間なしに鳴っていた。

頭の上で鳴るそれを聞いていると、漁夫の心はぎりぎりと切りさいなまれた。

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頭の上で鳴るそれを聞いていると、漁夫の心はギリ、ギリと切りいなまれた。

夕方近く、ブリッジから大きな叫び声が起こった。

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夕方近く、ブリッジから大きな叫声が起った。

下にいた者たちは、タラップの段を二つ置きくらいにかけ上がった。――

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下にいた者達はタラップの段を二つ置き位にかけ上った。――

川崎船が二隻近づいてきたのだった。

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川崎船が二隻近づいてきたのだった。

二隻はお互いにロープを渡して結び合っていた。

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二隻はお互にロープを渡して結び合っていた。

それは間近に来ていた。

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それは間近に来ていた。

しかし大きな波は、川崎船と本船を、シーソーの両はしにのせたように、代わる代わる激しく揺り上げたり、揺り下げたりした。

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然し大きな波は、川崎船と本船を、ガタンコの両端にのせたように、交互に激しく揺り上げたり、揺り下げたりした。

次から次へと、二つの船の間に大きな波のうねりが盛り上がり、船は大きく横にゆれた。

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次ぎ、次ぎと、二つの間に波の大きなうねりがもり上って、ローリングした。

目の前にいるのに、なかなか近づかない。――

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目の前にいて、中々近付かない。――

もどかしかった。

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歯がゆかった。

甲板からロープが投げられた。

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甲板からはロープが投げられた。

が、届かなかった。

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が、とどかなかった。

それはむだにしぶきを散らして、海へ落ちた。

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それは無駄なしぶきを散らして、海へ落ちた。

そしてロープは海蛇のように、たぐり寄せられた。

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そしてロープは海蛇のように、たぐり寄せられた。

それが何度もくり返された。

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それが何度もくり返された。

こっちからは皆が声をそろえて呼んだ。

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こっちからは皆声をそろえて呼んだ。

が、それには答えなかった。

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が、それには答えなかった。

漁夫たちの顔の表情は、マスクのように固まって、動かなかった。

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漁夫達の顔の表情はマスクのように化石して、動かない。

目も、何かを見た瞬間、そのままこわばったように動かない。――

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眼も何かを見た瞬間、そのままわばったように動かない。――

その光景は、漁夫たちの胸を、目のあたりにしていられないほどのすごさで、えぐるように刻みつけた。

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その情景は、漁夫達の胸を、のあたり見ていられないすごさで、えぐり刻んだ。

またロープが投げられた。

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又ロープが投げられた。

初めはぜんまいの形に――それからうなぎのようにロープの先がのびたかと思うと――その先が、それをつかまえようと両手をあげている漁夫の首すじを、横なぐりにたたきつけた。

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始めゼンマイ形に――それからうなぎのようにロープの先きがのびたかと思うと――その端が、それを捕えようと両手をあげている漁夫の首根を、横なぐりにたたきつけた。

皆は「アッ!」

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皆は「アッ!」

と叫んだ。

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と叫んだ。

漁夫はいきなり、そのままの格好で横倒しにされた。

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漁夫はいきなり、そのままの恰好かっこうで横倒しにされた。

が、つかんだ!

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が、つかんだ!

――ロープはギリギリとしまると、水のしずくをしぼり落として、まっすぐに張った。

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 ――ロープはギリギリとしまると、水のしたたりをしぼり落して、一直線に張った。

こっちで見ていた漁夫たちは、思わず肩の力を抜いた。

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こっちで見ていた漁夫達は、思わず肩から力を抜いた。

ステイは絶え間なく、風のぐあいで、高くなったり遠くなったりして鳴っていた。

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ステイは絶え間なく、風の具合で、高くなったり、遠くなったり鳴っていた。

夕方になるまでに二そうを残して、それでも全部帰ってくることができた。

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夕方になるまでに二艘を残して、それでも全部帰ってくることが出来た。

どの漁夫も本船のデッキをふむと、それっきり気を失いかけた。

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どの漁夫も本船のデッキを踏むと、それっきり気を失いかけた。

一そうは水がたまって沈みかけたので、いかりを投げこんで、漁夫が別の川崎船に移って、帰ってきた。

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一艘は水船になってしまったために、いかりを投げ込んで、漁夫が別の川崎に移って、帰ってきた。

もう一そうは漁夫もろとも、まったく行方不明だった。

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他の一艘は漁夫共に全然行衛不明だった。

監督はぷりぷりしていた。

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監督はブリブリしていた。

何度も漁夫の部屋へ降りてきて、また上がって行った。

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何度も漁夫の部屋へ降りて来て、又上って行った。

皆は焼き殺すような憎しみに満ちた目で、だまって、その度に見送った。

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皆は焼き殺すような憎悪ぞうおに満ちた視線で、だまって、その度に見送った。

翌日、川崎の捜索をかねて、蟹の後を追って、本船が移動することになった。

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翌日、川崎の捜索かたがた、かにの後を追って、本船が移動することになった。

「人間の五、六匹何んでもないけれども、川崎がいたまし」

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「人間の五、六匹何んでもないけれども、川崎がいたまし

かったからだった。

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かったからだった。

朝早くから、機関部が忙しかった。

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朝早くから、機関部が急がしかった。

いかりを上げるしん動が、いかり室と背中合わせになっている漁夫を、いり豆のようにはね飛ばした。

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錨を上げる震動が、錨室と背中合せになっている漁夫を煎豆いりまめのようにハネ飛ばした。

サイドの鉄板がボロボロになって、その度にこぼれ落ちた。――

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サイドの鉄板がボロボロになって、その度にこぼれ落ちた。――

博光丸は北緯五十一度五分の所まで、いかりをなげてきた第一号川崎船をさがした。

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博光丸は北緯五十一度五分の所まで、錨をなげてきた第一号川崎船を捜索した。

結氷のかけらが生きもののように、ゆるい波のうねりの間々に、ひょいひょい体を見せて流れていた。

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結氷の砕片かけらが生きもののように、ゆるい波のうねりの間々に、ひょいひょい身体からだを見せて流れていた。

が、ところどころその砕けた氷が見わたす限りの大きな集まりになって、あわを出しながら、船をみるみるうちに真ん中に取りかこんでしまう、そんなことがあった。

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が、所々その砕けた氷が見る限りの大きな集団をなして、あぶくを出しながら、船を見る見るうちに真中に取囲んでしまう、そんなことがあった。

氷は湯気のような水蒸気を立てていた。

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氷は湯気のような水蒸気をたてていた。

と、扇風機にでも吹かれるように「寒気」

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と、扇風機にでも吹かれるように「寒気」

がおそってきた。

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が襲ってきた。

船のあらゆる部分が急にカリッ、カリッと鳴り出すと、水にぬれていた甲板や手すりに、氷が張ってしまった。

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船のあらゆる部分が急にカリッ、カリッと鳴り出すと、水に濡れていた甲板や手すりに、氷が張ってしまった。

船の側面は、おしろいでもふりかけたように、霜の結しょうでキラキラに光った。

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船腹は白粉おしろいでもふりかけたように、霜の結晶でキラキラに光った。

水夫や漁夫は両ほおをおさえながら、甲板を走った。

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水夫や漁夫は両頬をおさえながら、甲板を走った。

船は後ろに長く、何もない野原の一本道のようなあとを残して、つき進んだ。

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船は後に長く、曠野こうやの一本道のような跡をのこして、つき進んだ。

川崎船はなかなか見つからない。

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川崎船は中々見つからない。

九時近いころになって、ブリッジから、前方に川崎船が一そう浮かんでいるのを見つけた。

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九時近い頃になって、ブリッジから、前方に川崎船が一艘浮かんでいるのを発見した。

それが分かると、監督は「畜生、やっと分りゃがったど。畜生!」

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それが分ると、監督は「畜生、やっと分りゃがったど。畜生!」

デッキを走り回って、喜んだ。

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デッキを走って歩いて、喜んだ。

すぐ発動機が降ろされた。

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すぐ発動機が降ろされた。

が、それは探していた第一号ではなかった。

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が、それは探がしていた第一号ではなかった。

それよりも、もっと新しい第三十六号と番号のうたれたものだった。

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それよりは、もっと新しい第36号と番号の打たれてあるものだった。

明らかに×××丸のものらしい鉄の浮標(ヴイ)がつけられていた。

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明らかに×××丸のものらしい鉄の浮標ヴイがつけられていた。

それで見ると×××丸がどこかへ移動する時に、元の位置を知るために、そうして置いていったものだった。

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それで見ると×××丸が何処どこかへ移動する時に、元の位置を知るために、そうして置いて行ったものだった。

浅川は川崎船の胴体を指先で、トントンたたいていた。

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浅川は川崎船の胴体を指先きで、トントンたたいていた。

「これアどうしてバンとしたもんだ」

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「これアどうしてバンとしたもんだ」

ニヤッと笑った。

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ニャッと笑った。

「引いて行くんだ」

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「引いて行くんだ」

そして第三十六号川崎船はウインチで、博光丸のブリッジに引き上げられた。

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そして第36号川崎船はウインチで、博光丸のブリッジに引きあげられた。

川崎は体を空でゆすりながら、しずくをバジャバジャ甲板に落とした。

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川崎は身体を空でゆすりながら、しずくをバジャバジャ甲板に落した。

「一働きをしてきた」

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ひと働きをしてきた」

そんなゆったりした態度で、つり上がって行く川崎を見ながら、監督が、

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そんな大様な態度で、釣り上がって行く川崎を見ながら、監督が、

「大したもんだ。大したもんだ!」

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「大したもんだ。大したもんだ!」

と、独り言を言った。

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と、独言ひとりごとした。

網をあつかいながら、漁夫がそれを見ていた。

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さばきをやりながら、漁夫がそれを見ていた。

「何んだ泥棒猫! チエンでも切れて、野郎の頭さたたき落ちればえんだ」

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「何んだ泥棒猫! チエンでも切れて、野郎の頭さたたき落ちればえんだ」

監督は仕事をしている彼ら一人一人を、そこから何かえぐり出すような目つきで、見下ろしながら、そばを通って行った。

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監督は仕事をしている彼らの一人々々を、そこから何かえぐり出すような眼付きで、見下しながら、側を通って行った。

そして大工をせっかちなだみ声で呼んだ。

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そして大工をせっかちなドラ声で呼んだ。

すると、別の方のハッチの口から、大工が顔を出した。

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すると、別な方のハッチの口から、大工が顔を出した。

「何んです」

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「何んです」

方向をまちがえてどなった監督は、ふり返ると、怒りっぽく、「何んです? ――馬鹿。番号をけずるんだ。カンナ、カンナ」

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見当はずれをした監督は、振り返ると、怒りッぽく、「何んです? ――馬鹿。番号をけずるんだ。カンナ、カンナ」

大工は分からない顔をした。

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大工は分らない顔をした。

「あんぽんたん、来い!」

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「あんぽんたん、来い!」

肩はばの広い監督のあとから、のこぎりの柄を腰にさして、カンナを持った小柄な大工が、足を引きずるような危なっかしい足取りで、甲板を渡って行った。――

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肩巾かたはばの広い監督のあとから、のこぎりの柄を腰にさして、カンナを持った小柄な大工が、びっこでも引いているような危い足取りで、甲板を渡って行った。――

川崎船の第三十六号の「3」

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川崎船の第36号の「3」

がカンナでけずり落とされて、「第六号川崎船」

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がカンナでけずり落されて、「第六号川崎船」

になってしまった。

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になってしまった。

「これでよし。これでよし。うッはァ、ざま見やがれ!」

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「これでよし。これでよし。うッはア、ざま見やがれ!」

監督は、口を三角形にゆがめると、背のびでもするように高笑いした。

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監督は、口を三角形にゆがめると、背のびでもするように哄笑こうしょうした。

これ以上北へ進んでも、川崎船を見つけられる見こみはなかった。

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これ以上北航しても、川崎船を発見する当がなかった。

第三十六号川崎船の引き上げで、足ぶみをしていた船は、元の位置に戻るために、ゆるく、大きくカーブをし始めた。

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第三十六号川崎船の引上げで、足ぶみをしていた船は、元の位置に戻るために、ゆるく、大きくカーヴをし始めた。

空は晴れ上がって、洗われたあとのようにすんでいた。

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空は晴れ上って、洗われた後のように澄んでいた。

カムサツカの山々が、絵はがきで見るスイスの山々のように、くっきりと輝いていた。

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カムサツカの連峰が絵葉書で見るスイッツルの山々のように、くっきりと輝いていた。

行方不明になった川崎船は帰らない。

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行衛不明になった川崎船は帰らない。

漁夫たちは、そこだけが水たまりのようにポツンと空いた棚から、残して行った自分たちの荷物や、家族のいる住所を調べたり、それぞれ万一の時にすぐ手続きができるように取りまとめたりした。――

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漁夫達は、そこだけが水たまりのようにポツンと空いた棚から、残して行った彼等の荷物や、家族のいる住所をしらべたり、それぞれ万一の時に直ぐ処置が出来るように取りまとめた。――

気持のいいことではなかった。

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気持のいいことではなかった。

それをしていると、漁夫たちは、まるで自分の痛いどこかを、のぞきこまれているようなつらさを感じた。

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それをしていると、漁夫達は、まるで自分の痛い何処かを、のぞきこまれているようなつらさを感じた。

中継ぎの船が来たら送ろうと、同じ苗字の女の人の名前があて先になっている小包や手紙が、彼らの荷物の中から出てきた。

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中積船が来たら托送たくそうしようと、同じ苗字みょうじの女名前がそのあて先きになっている小包や手紙が、彼等の荷物の中から出てきた。

その中の一人の荷物の中から、かたかなとひらがなの交ざった、鉛筆をなめなめ書いた手紙が出た。

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そのうちの一人の荷物の中から、片仮名と平仮名の交った、鉛筆をなめり、なめり書いた手紙が出た。

それが無骨な漁夫の手から、手へ渡されて行った。

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それが無骨な漁夫の手から、手へ渡されて行った。

彼らは豆粒でも拾うように、ぽつり、ぽつり、しかしむさぼるように、それを読んでしまうと、いやなものを見てしまったという風に頭をふって、次に渡してやった。――

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彼等は豆粒でも拾うように、ボツリ、ボツリ、しかしむさぼるように、それを読んでしまうと、いやなものを見てしまったという風に頭をふって、次ぎに渡してやった。――

子供からの手紙だった。

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子供からの手紙だった。

ぐずりと鼻を鳴らして、手紙から顔を上げると、かすかすした低い声で、「浅川のためだ。死んだと分ったら、弔い合戦をやるんだ」

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ぐずりと鼻をならして、手紙から顔を上げると、カスカスした低い声で、「浅川のためだ。死んだと分ったら、弔い合戦をやるんだ」

と言った。

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と云った。

その男は体の大きい、北海道の奥地でいろいろなことをやってきたという男だった。

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その男は図体の大きい、北海道の奥地で色々なことをやってきたという男だった。

もっと低い声で、

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もっと低い声で、

「奴、一人位タタキ落せるべよ」

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「奴、一人位タタキ落せるべよ」

若い、肩の盛り上がった漁夫が言った。

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若い、肩のもり上った漁夫が云った。

「あ、この手紙いけねえ。すっかり思い出してしまった」

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「あ、この手紙いけねえ。すっかり思い出してしまった」

「なア」

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「なア」

最初の男が言った。

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最初のが云った。

「うっかりしていれば、俺達だって奴にやられたんだで。他人ごとでねえんだど」

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「うっかりしていれば、俺達だって奴にやられたんだで。他人ひとごとでねえんだど」

すみの方で、立てひざをして、親指のつめをかみながら、上目づかいに、皆の言うのを聞いていた男が、その時、うん、うんと頭をふって、うなずいた。

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すみの方で、立膝たてひざをして、拇指おやゆびつめをかみながら、上眼をつかって、皆の云うのを聞いていた男が、その時、うん、うんと頭をふって、うなずいた。

「万事、俺にまかせれ、その時ア! あの野郎一人グイとやってしまうから」

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「万事、俺にまかせれ、その時ア! あの野郎一人グイとやってしまうから」

皆はだまった。――

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皆はだまった。――

だまったまま、しかし、ホッとした。

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だまったまま、然し、ホッとした。

博光丸が元の位置に帰ってから、三日して突然(!)

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博光丸が元の位置に帰ってから、三日して突然(!)

その行方不明になった川崎船が、しかも元気よく帰ってきた。

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その行衛不明になった川崎船が、しかも元気よく帰ってきた。

彼らは船長室から「糞壺」

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彼等は船長室から「糞壺」

に帰ってくると、たちまち皆に、うずまきのように取り巻かれてしまった。

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に帰ってくると、たちまち皆に、渦巻のように取巻かれてしまった。

――彼らは「大暴風雨」

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――彼等は「大暴風雨」

のために、ひとたまりもなく船を動かす自由をなくしてしまった。

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のために、一たまりもなく操縦の自由をなくしてしまった。

そうなればもう、えりくびをつかまれた子供と同じくらい力がなかった。

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そうなればもう襟首えりくびをつかまれた子供より他愛なかった。

一番遠くに出ていたし、それに風のぐあいもちょうど反対の方向だった。

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一番遠くに出ていたし、それに風の工合も丁度反対の方向だった。

皆は死ぬことを覚悟した。

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皆は死ぬことを覚悟した。

漁夫はいつでも「安々と」

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漁夫は何時でも「安々と」

死ぬ覚悟をすることに「慣らされて」

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死ぬ覚悟をすることに「慣らされて」

いた。

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いた。

が(!)

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が(!)

こんなことはめったにあるものではない。

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こんなことは滅多にあるものではない。

次の朝、川崎船は半分水につかったまま、カムサツカの岸に打ち上げられていた。

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次の朝、川崎船は半分水船になったまま、カムサツカの岸に打ち上げられていた。

そして皆は近くのロシア人に助けられたのだった。

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そして皆は近所のロシア人に救われたのだった。

そのロシア人の家族は四人暮らしだった。

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そのロシア人の家族は四人暮しだった。

女がいたり、子供がいたりする「家」

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女がいたり、子供がいたりする「家」

というものにうえていた彼らにとって、そこは何とも言えない魅力だった。

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というものに渇していた彼等にとって、其処そこは何とも云えなく魅力だった。

それに親切な人たちばかりで、いろいろと進んで世話をしてくれた。

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それに親切な人達ばかりで、色々と進んで世話をしてくれた。

しかし、初め皆はやはり、分からない言葉を話したり、髪の毛や目の色のちがう外国人であるということが不気味だった。

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然し、初め皆はやっぱり、分らない言葉を云ったり、髪の毛や眼の色のちがう外国人であるということが無気味だった。

何んだ、俺たちと同じ人間ではないか、ということが、しかしすぐに分かった。

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何アんだ、俺達と同じ人間ではないか、ということが、然し直ぐ分らさった。

難破のことが知れると、村の人たちがたくさん集まってきた。

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難破のことが知れると、村の人達が沢山集ってきた。

そこは日本の漁場などがある所とは、よほど離れていた。

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そこは日本の漁場などがある所とは、余程離れていた。

彼らはそこに二日いて、体を休め、そして帰ってきたのだった。

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彼等は其処に二日いて、身体を直し、そして帰ってきたのだった。

「帰ってきたくはなかった」

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「帰ってきたくはなかった」

誰が、こんな地獄に帰りたいって!

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誰が、こんな地獄に帰りたいって!

が、彼らの話は、それだけで終わってはいない。

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 が、彼等の話は、それだけで終ってはいない。

「面白いこと」

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「面白いこと」

がそのほかに隠されていた。

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がその外にかくされていた。

ちょうど帰る日だった。

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丁度帰る日だった。

彼らがストーブの周りで、身支度をしながら話をしていると、ロシア人が四、五人入ってきた。――

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彼等がストオヴのまわりで、身仕度をしながら話をしていると、ロシア人が四、五人入ってきた。――

中に中国人が一人交ざっていた。――

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中に支那人が一人交っていた。――

顔が大きくて、赤い、短いひげの多い、少し猫背の男が、いきなり何か大声で手ぶりをして話し出した。

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顔がおおきくて、赤い、短いひげの多い、少し猫背の男が、いきなり何か大声で手振りをして話し出した。

船頭は、自分たちがロシア語は分からないのだということを知らせるために、目の前で手を振ってみせた。

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船頭は、自分達がロシア語は分らないのだという事を知らせるために、眼の前で手を振って見せた。

ロシア人がひと区切り言うと、その口元を見ていた中国人は日本語をしゃべり出した。

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ロシア人が一句切り云うと、その口元を見ていた支那人は日本語をしゃべり出した。

それは聞いている方の頭が、かえってごじゃごじゃになってしまうような、順序のくるった日本語だった。

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それは聞いている方の頭が、かえってごじゃごじゃになってしまうような、順序の狂った日本語だった。

言葉と言葉が酔っぱらいのように、ちりぢりによろめいていた。

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言葉と言葉が酔払いのように、散り散りによろめいていた。

「貴方方、金キット持っていない」

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貴方あなた方、金キット持っていない」

「そうだ」

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「そうだ」

「貴方方、貧乏人」

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「貴方方、貧乏人」

「そうだ」

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「そうだ」

「だから、貴方方、プロレタリア。――分る?」

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「だから、貴方方、プロレタリア。――分る?」

「うん」

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「うん」

ロシア人が笑いながら、その辺を歩き出した。

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ロシア人が笑いながら、その辺を歩き出した。

時々立ち止まって、彼らの方を見た。

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時々立ち止って、彼等の方を見た。

「金持、貴方方をこれする。(首をしめる格好をする)金持だんだん大きくなる。(腹のふくれるまね)貴方方どうしても駄目、貧乏人になる。――分る? ――日本の国、駄目。働く人、これ(顔をしかめて、病人のような格好)働かない人、これ。えへん、えへん。(威張って歩いてみせる)」

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「金持、貴方方をこれする。(首を締める恰好かっこうをする)金持だんだん大きくなる。(腹のふくれる真似まね)貴方方どうしても駄目、貧乏人になる。――分る? ――日本の国、駄目。働く人、これ(顔をしかめて、病人のような恰好)働かない人、これ。えへん、えへん。(偉張って歩いてみせる)」

それらが若い漁夫には面白かった。

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それ等が若い漁夫には面白かった。

「そうだ、そうだ!」

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「そうだ、そうだ!」

と言って、笑い出した。

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と云って、笑い出した。

「働く人、これ。働かない人、これ。(前のをくり返して)そんなの駄目。――働く人、これ。(今度は逆に、胸を張って威張ってみせる、)働かない人、これ。(年取った乞食のような格好)これ良ろし。――分かる? ロシアの国、この国。働く人ばかり。働く人ばかり、これ。(威張る)ロシア、働かない人いない。ずるい人いない。人の首しめる人いない。――分る? ロシアちっとも恐ろしくない国。みんな、みんなウソばかり言って歩く」

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「働く人、これ。働かない人、これ。(前のを繰り返して)そんなの駄目。――働く人、これ。(今度は逆に、胸を張って偉張ってみせる、)働かない人、これ。(年取った乞食のような恰好)これ良ろし。――分かる? ロシアの国、この国。働く人ばかり。働く人ばかり、これ。(偉張る)ロシア、働かない人いない。ずるい人いない。人の首しめる人いない。――分る? ロシアちっとも恐ろしくない国。みんな、みんなウソばかり云って歩く」

彼らは漠然と、これが「恐ろしい」

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彼等は漠然と、これが「恐ろしい」

「赤化」

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「赤化」

というものではないだろうか、と考えた。

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というものではないだろうか、と考えた。

が、それが「赤化」

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が、それが「赤化」

なら、ばかに「当たり前」

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なら、馬鹿に「当り前」

のことであるような気が一方でしていた。

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のことであるような気が一方していた。

しかし何よりグイ、グイと引きつけられて行った。

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然し何よりグイ、グイと引きつけられて行った。

「分る、本当、分る!」

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「分る、本当、分る!」

ロシア人同士が二、三人ガヤガヤ何かしゃべり出した。

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ロシア人同志が二、三人ガヤガヤ何かしゃべり出した。

中国人はそれらを聞いていた。

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支那人はそれをきいていた。

それからまた、口ごもりながら、日本の言葉を一つ、一つ拾いながら、話した。

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それから又どもりのように、日本の言葉を一つ、一つ拾いながら、話した。

「働かないで、お金もうける人いる。プロレタリア、いつでも、これ。(首をしめられる格好)――これ、駄目! プロレタリア、貴方方、一人、二人、三人……百人、千人、五万人、十万人、みんな、みんな、これ(子供のお手々つないで、のまねをしてみせる)強くなる。大丈夫。(腕をたたいて)負けない、誰にも。分る?」

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「働かないで、お金もうける人いる。プロレタリア、いつでも、これ。(首をしめられる恰好)――これ、駄目! プロレタリア、貴方方、一人、二人、三人……百人、千人、五万人、十万人、みんな、みんな、これ(子供のお手々つないで、の真似をしてみせる)強くなる。大丈夫。(腕をたたいて)負けない、誰にも。分る?」

「ん、ん!」

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「ん、ん!」

「働かない人、にげる。(一散に逃げる格好)大丈夫、本当。働く人、プロレタリア、威張る。(堂々と歩いてみせる)プロレタリア、一番偉い。――プロレタリア居ない。みんな、パン無い。みんな死ぬ。――分る?」

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「働かない人、にげる。(一散に逃げる恰好)大丈夫、本当。働く人、プロレタリア、偉張る。(堂々と歩いてみせる)プロレタリア、一番偉い。――プロレタリア居ない。みんな、パン無い。みんな死ぬ。――分る?」

「ん、ん!」

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「ん、ん!」

「日本、まだ、まだ駄目。働く人、これ。(腰をかがめて縮こまってみせる)働かない人、これ。(威張って、相手をなぐり倒す格好)それ、みんな駄目! 働く人、これ。(顔つきすごく立ち上がる、突っかかって行く格好。相手をなぐり倒し、踏んづけるまね)働かない人、これ。(逃げる格好)――日本、働く人ばかり、いい国。――プロレタリアの国! ――分る?」

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「日本、まだ、まだ駄目。働く人、これ。(腰をかがめて縮こまってみせる)働かない人、これ。(偉張って、相手をなぐり倒す恰好)それ、みんな駄目! 働く人、これ。(形相すごく立ち上る、突ッかかって行く恰好。相手をなぐり倒し、フンづける真似)働かない人、これ。(逃げる恰好)――日本、働く人ばかり、いい国。――プロレタリアの国! ――分る?」

「ん、ん、分る!」

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「ん、ん、分る!」

ロシア人が奇声をあげて、ダンスの時のような足ぶみをした。

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ロシア人が奇声をあげて、ダンスの時のような足ぶみをした。

「日本、働く人、やる。(立ち上がって、刃向かう格好)うれしい。ロシア、みんな嬉しい。バンザイ。――貴方方、船へかえる。貴方方の船、働かない人、これ。(威張る)貴方方、プロレタリア、これ、やる!(拳とうのようなまね――それからお手々つないでをやり、また突っかかって行く格好)――大丈夫、勝つ! ――分る?」

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「日本、働く人、やる。(立ち上って、刃向う恰好)うれしい。ロシア、みんな嬉しい。バンザイ。――貴方方、船へかえる。貴方方の船、働かない人、これ。(偉張る)貴方方、プロレタリア、これ、やる!(拳闘のような真似――それからお手々つないでをやり、又突ッかかって行く恰好)――大丈夫、勝つ! ――分る?」

「分る!」

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「分る!」

知らないうちに興奮していた若い漁夫が、いきなり中国人の手をにぎった。

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知らないうちに興奮していた若い漁夫が、いきなり支那人の手を握った。

「やるよ、キットやるよ!」

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「やるよ、キットやるよ!」

船頭は、これが「赤化」

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船頭は、これが「赤化」

だと思っていた。

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だと思っていた。

ばかに恐ろしいことをやらせるものだ。

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馬鹿に恐ろしいことをやらせるものだ。

これで――この手で、ロシアが日本をまんまとだますんだ、と思った。

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これで――この手で、露西亜が日本をマンマだますんだ、と思った。

ロシア人たちは終わると、何か叫び声をあげて、彼らの手を力いっぱいにぎった。

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ロシア人達は終ると、何か叫声をあげて、彼等の手を力一杯握った。

抱きついて、かたい毛のほおをすりつけたりした。

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抱きついて、硬い毛の頬をすりつけたりした。

面くらった日本人は、首を後ろにこわばらせて、どうしていいか分からなかった。……

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面喰めんくらった日本人は、首を後に硬直さして、どうしていいか分らなかった。……

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皆は、「糞壺」

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皆は、「糞壺」

の入口に時々目をやり、その話をもっともっとうながした。

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の入口に時々眼をやり、その話をもっともっとうながした。

彼らは、それから見てきたロシア人のことをいろいろ話した。

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彼等は、それから見てきたロシア人のことを色々話した。

そのどれもが、吸い取り紙に吸われるように、皆の心に入りこんだ。

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そのどれもが、吸取紙に吸われるように、皆の心に入りこんだ。

「おい、もう止せよ」

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「おい、もうせよ」

船頭は、皆が変にムキになってその話に引き入れられているのを見て、一生懸命しゃべっている若い漁夫の肩を突ついた。

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船頭は、皆が変にムキにその話に引き入れられているのを見て、一生懸命しゃべっている若い漁夫の肩を突ッついた。

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もやが下りていた。

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もやが下りていた。

いつも厳しく機械的に組み合わさっている通風パイプ、煙筒(チェムニー)、ウインチの腕、つり下がっている川崎船、デッキの手すりなどが、うすぼんやりと輪郭をぼかして、今までにない親しみをもって見えていた。

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何時も厳しく機械的に組合わさっている通風パイプ、煙筒チェムニー、ウインチの腕、り下がっている川崎船、デッキの手すり、などが、薄ぼんやり輪廓をぼかして、今までにない親しみをもって見えていた。

柔らかい、生ぬるい空気が、ほおをなでて流れる。――

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柔かい、生ぬるい空気が、ほおでて流れる。――

こんな夜はめずらしかった。

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こんな夜はめずらしかった。

とものハッチに近く、蟹の脳みその匂いがムッとくる。

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トモのハッチに近く、蟹の脳味噌の匂いがムッとくる。

網が山のように積み上がっている間に、高さのちぐはぐな二つの影がたたずんでいた。

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網が山のようにつまさっている間に、高さのびっこな二つの影がたたずんでいた。

過労で心臓を悪くして、体が青黄色く、むくんでいる漁夫が、ドキッ、ドキッとくる心臓の音でどうしても寝られず、甲板に上がってきた。

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過労から心臓を悪くして、身体が青黄く、ムクンでいる漁夫が、ドキッ、ドキッとくる心臓の音でどうしても寝れず、甲板に上ってきた。

手すりにもたれて、のりをとかしたようにトロッとしている海を、ぼんやり見ていた。

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手すりにもたれて、フ糊でも溶かしたようにトロッとしている海を、ぼんやり見ていた。

この体では監督に殺される。

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この身体では監督に殺される。

しかし、それにしては、この遠いカムサツカで、しかも陸もふめずに死ぬのはさびしすぎる。――

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しかし、それにしては、この遠いカムサツカで、しかも陸も踏めずに死ぬのはさびし過ぎる。――

すぐに考えこんでしまった。

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すぐ考え込まさった。

その時、網と網の間に、誰かいるのに漁夫が気づいた。

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その時、網と網の間に、誰かいるのに漁夫が気付いた。

蟹のこうらのかけらを時々ふむらしく、その音がした。

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蟹の甲殻のかけらを時々ふむらしく、その音がした。

ひそめた声が聞こえてきた。

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ひそめた声が聞こえてきた。

漁夫の目が慣れてくると、それが分かってきた。

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漁夫の眼が慣れてくると、それが分ってきた。

十四、五の雑夫に漁夫が何か言っているのだった。

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十四、五の雑夫に漁夫が何か云っているのだった。

何を話しているのかは分からなかった。

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何を話しているのかは分らなかった。

後ろ向きになっている雑夫は、時々イヤ、イヤをしている子供のように、すねているように、向きをかえていた。

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後向きになっている雑夫は、時々イヤ、イヤをしている子供のように、すねているように、向きをかえていた。

それにつれて、漁夫もその通り向きをかえた。

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それにつれて、漁夫もその通り向きをかえた。

それが少しの間続いた。

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それが少しの間続いた。

漁夫は思わず(そんな風だった)高い声を出した。

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漁夫は思わず(そんな風だった)高い声を出した。

が、すぐ低く、早口に何か言った。

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が、すぐ低く、早口に何か云った。

と、いきなり雑夫を抱きすくめてしまった。

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と、いきなり雑夫を抱きすくめてしまった。

けんかだな、と思った。

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喧嘩けんかだナ、と思った。

着物で口をおさえられた「むふ、むふ……」

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着物で口を抑えられた「むふ、むふ……」

という息の声だけが、ちょっとの間聞こえていた。

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という息声だけが、一寸ちょっとの間聞えていた。

しかし、そのまま動かなくなった。――

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然し、そのまま動かなくなった。――

その瞬間だった。

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その瞬間だった。

柔らかいもやの中に、雑夫の二本の足がろうそくのように浮かんだ。

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柔かい靄の中に、雑夫の二本の足がローソクのように浮かんだ。

下半分が、すっかり裸になってしまっている。

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下半分が、すっかり裸になってしまっている。

それから雑夫はそのまましゃがんだ。

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それから雑夫はそのまましゃがんだ。

と、その上に、漁夫がひきがえるのようにおおいかぶさった。

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と、その上に、漁夫ががまのようにおおいかぶさった。

それだけが「目の前」

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それだけが「眼の前」

で、短い――グッとのどにつかえる瞬間に行われた。

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で、短かい――グッと咽喉のどにつかえる瞬間に行われた。

見ていた漁夫は、思わず目をそらした。

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見ていた漁夫は、思わず眼をそらした。

酔わされたような、なぐられたような興奮をワクワクと感じた。

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酔わされたような、ぐられたような興奮をワクワクと感じた。

漁夫たちはだんだん内からむくれ上がってくる性欲になやまされ出してきていた。

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漁夫達はだんだん内からむくれ上ってくる性慾に悩まされ出してきていた。

四か月も、五か月も不自然に、この頑丈な男たちが「女」

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四カ月も、五カ月も不自然に、この頑丈がんじょうな男達が「女」

から離されていた。――

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から離されていた。――

函館で買った女の話や、露骨な女の陰部の話が、夜になると、きまって出た。

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函館で買った女の話や、露骨な女の陰部の話が、夜になると、きまって出た。

一枚の春画がボサボサに紙の毛が立つほど、何度も、何度もぐるぐる回された。

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一枚の春画がボサボサに紙に毛が立つほど、何度も、何度もグルグル廻された。

…………

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…………

床とれの、

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床とれの、

こちら向けえの、

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こちら向けえの、

口すえの、

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口すえの、

足をからめの、

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足をからめの、

気をやれの、

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気をやれの、

ほんに、つとめはつらいもの。

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ホンに、つとめはつらいもの。

誰かが歌った。

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誰か歌った。

すると、一度で、その歌が海綿にでも吸われるように、皆に覚えられてしまった。

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すると、一度で、その歌が海綿にでも吸われるように、皆に覚えられてしまった。

何かすると、すぐそれを歌い出した。

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何かすると、すぐそれを歌い出した。

そして歌ってしまってから、「えッ、畜生!」

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そして歌ってしまってから、「えッ、畜生!」

と、やけに叫んだ、目だけ光らせて。

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と、ヤケに叫んだ、眼だけ光らせて。

漁夫たちは寝てしまってから、

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漁夫達は寝てしまってから、

「畜生、困った! どうしたって眠れないや」

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「畜生、困った! どうしたってれないや」

と、体をゴロゴロさせた。

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と、身体をゴロゴロさせた。

「駄目だ、せがれが立って!」

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「駄目だ、が立って!」

「どうしたら、ええんだ!」

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「どうしたら、ええんだ!」

――しまいに、そう言って、こわばった睾丸(きんたま)をにぎりながら、裸で起き上がってきた。

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――しまいに、そう云って、勃起ぼっきしている睾丸きんたまを握りながら、裸で起き上ってきた。

大きな体の漁夫が、そうするのを見ると、体が引きしまるような、何かぞっとするような気さえした。

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大きな身体の漁夫の、そうするのを見ると、身体のしまる、何か凄惨せいさんな気さえした。

度肝をぬかれた学生は、目だけですみの方から、それを見ていた。

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度胆どぎもを抜かれた学生は、眼だけですみの方から、それを見ていた。

夢精をするのが何人もいた。

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夢精をするのが何人もいた。

誰もいない時、たまらなくなってひとりで慰めるものもいた。――

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誰もいない時、たまらなくなって自涜をするものもいた。――

棚のすみにしみのついた汚れたさるまたやふんどしが、しめっぽく、すえたにおいをして丸められていた。

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たなの隅にカタのついた汚れた猿又やふんどしが、しめっぽく、すえにおいをしてまるめられていた。

学生はそれを野糞のようにふみつけることがあった。

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学生はそれを野糞のように踏みつけることがあった。

――それから、雑夫の方へ「夜這い」

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――それから、雑夫の方へ「夜這よばい」

が始まった。

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が始まった。

たばこをキャラメルに換えて、ポケットに二つ三つ入れると、ハッチを出て行った。

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バットをキャラメルに換えて、ポケットに二つ三つ入れると、ハッチを出て行った。

便所くさい、漬物だるの積み上がっている物置を、コックが開けると、うす暗い、ムッとする中から、いきなり横っ面でもなぐられるように、どなられた。

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便所臭い、漬物樽つけものだるの積まさっている物置を、コックが開けると、薄暗い、ムッとする中から、いきなり横ッ面でもなぐられるように、怒鳴られた。

「閉めろッ! 今、入ってくると、この野郎、タタキ殺すぞ!」

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「閉めろッ! 今、入ってくると、この野郎、タタキ殺すぞ!」

×     ×     ×

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×     ×     ×

無電係が、他の船が交わしている無線を聞いて、その収獲を一々監督に知らせた。

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無電係が、他船の交換している無電を聞いて、その収獲を一々監督に知らせた。

それで見ると、本船がどうしても負けているらしいことが分かってきた。

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それで見ると、本船がどうしても負けているらしい事が分ってきた。

監督があせり出した。

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監督がアセリ出した。

すると、てきめんにそのことが何倍かの強さになって、漁夫や雑夫に打ち当たってきた。――

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すると、テキ面にそのことが何倍かの強さになって、漁夫や雑夫に打ち当ってきた。――

いつでも、そして、何んでもどん詰まりの引き受け所が「彼ら」

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何時いつでも、そして、何んでもドン詰りの引受所が「彼等」

だけだった。

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だけだった。

監督や雑夫長はわざと「船員」

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監督や雑夫長はわざと「船員」

と「漁夫、雑夫」

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と「漁夫、雑夫」

との間に、仕事の上で競争させるように仕組んだ。

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との間に、仕事の上で競争させるように仕組んだ。

同じ蟹つぶしをしていながら、「船員に負けた」

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同じかにつぶしをしていながら、「船員に負けた」

となると、(自分の得になる仕事でもないのに)漁夫や雑夫は「何に糞ッ!」

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となると、(自分のもうけになる仕事でもないのに)漁夫や雑夫は「何に糞ッ!」

という気になる。

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という気になる。

監督は「手を打って」

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監督は「手を打って」

喜んだ。

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喜んだ。

今日は勝った、今日は負けた、今度こそ負けるものか――血のにじむような日がめちゃくちゃに続く。

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今日勝った、今日負けた、今度こそ負けるもんか――血のにじむような日が滅茶苦茶に続く。

同じ日のうちに、今までより五、六割もふえていた。

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同じ日のうちに、今までより五、六割もえていた。

しかし五日、六日になると、両方とも気ぬけしたように、仕事の量がずしずしと減って行った。

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然し五日、六日になると、両方とも気抜けしたように、仕事の高がズシ、ズシ減って行った。

仕事をしながら、時々ガクリと頭を前に落とした。

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仕事をしながら、時々ガクリと頭を前に落した。

監督は何も言わないで、なぐりつけた。

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監督はものも云わないで、なぐりつけた。

不意をくらって、彼らは自分でも思いがけない悲鳴を「キャッ!」

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不意をらって、彼等は自分でも思いがけない悲鳴を「キャッ!」

とあげた。――

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とあげた。――

皆はかたき同士か、言葉を忘れてしまった人のように、お互いにだまりこくって働いた。

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皆はかたき同志か、言葉を忘れてしまった人のように、お互にだまりこくって働いた。

ものを言うだけのぜいたくな「余分」

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ものを云うだけのぜいたくな「余分」

さえ残っていなかった。

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さえ残っていなかった。

監督はしかし、今度は、勝った組に「賞品」

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監督は然し、今度は、勝った組に「賞品」

を出すことを始めた。

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を出すことを始めた。

くすぶりかえっていた木が、また燃え出した。

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くすぶりかえっていた木が、又燃え出した。

「他愛のないものさ」

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「他愛のないものさ」

監督は、船長室で、船長を相手にビールを飲んでいた。

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監督は、船長室で、船長を相手にビールを飲んでいた。

船長は太った女のように、手の甲にえくぼが出ていた。

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船長は肥えた女のように、手の甲にえくぼが出ていた。

器用に金口をトントンとテーブルにたたいて、意味の分からない笑顔で答えた。――

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器用に金口きんぐちをトントンとテーブルにたたいて、分らない笑顔えがおで答えた。――

船長は、監督がいつでも自分の目の前で、うろうろとじゃまをしているようで、たまらなく不快だった。

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船長は、監督が何時でも自分の眼の前で、マヤマヤ邪魔をしているようで、たまらなく不快だった。

漁夫たちがワッと事を起こして、こいつをカムサツカの海へたたき落とすようなことでもないかな、そんなことを考えていた。

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漁夫達がワッと事を起して、此奴をカムサツカの海へたたき落すようなことでもないかな、そんな事を考えていた。

監督は「賞品」

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監督は「賞品」

のほかに、逆に、一番働きの少ないものに「焼き」

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の外に、逆に、一番働きの少いものに「焼き」

を入れることをはり紙にした。

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を入れることを貼紙はりがみした。

鉄棒を真っ赤に焼いて、体にそのまま当てることだった。

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鉄棒を真赤に焼いて、身体にそのまま当てることだった。

彼らはどこまで逃げても離れない、まるで自分自身のかげのような「焼き」

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彼等は何処まで逃げても離れない、まるで自分自身の影のような「焼き」

にしじゅう追いかけられて、仕事をした。

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に始終追いかけられて、仕事をした。

仕事がしり上がりに、めもりを上げて行った。

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仕事が尻上しりあがりに、目盛りをあげて行った。

人間の体には、どのくらいの限度があるか、しかしそれは当の本人よりも監督の方が、よく知っていた。――

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人間の身体には、どの位の限度があるか、然しそれは当の本人よりも監督の方が、よく知っていた。――

仕事が終わって、丸太棒のように棚の中に横だおれにたおれると、「期せずして」

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仕事が終って、丸太棒のようにたなの中に横倒れに倒れると、「期せずして」

う、う――、とうめいた。

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う、う――、うめいた。

学生の一人は、小さい時に祖母に連れられて、お寺のうす暗いお堂の中で見たことのある「地獄」

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学生の一人は、小さい時は祖母に連れられて、お寺の薄暗いお堂の中で見たことのある「地獄」

の絵が、そのままこうであることを思い出した。

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の絵が、そのままこうであることを思い出した。

それは、小さい時の彼には、ちょうど大蛇のような動物が、沼地ににょろ、にょろとはっているのを思わせた。

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それは、小さい時の彼には、丁度うわばみのような動物が、沼地ににょろにょろっているのを思わせた。

それとそっくり同じだった。――

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それとそっくり同じだった。――

過労がかえって皆を眠らせない。

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過労がかえって皆を眠らせない。

夜中過ぎて、突然、ガラスの表面に思いっきりきずを付けるような不気味な歯ぎしりが起こったり、寝言や、うなされているらしい突拍子もない叫び声が、うす暗い「糞壺」

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夜中過ぎて、突然、硝子ガラスの表に思いッ切りきずを付けるような無気味な歯ぎしりが起ったり、寝言や、うなされているらしい突調子とっぴょうしな叫声が、薄暗い「糞壺」

のところどころから起こった。

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の所々から起った。

彼らは眠れずにいるとき、ふと、「よく、まだ生きているな……」

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彼等は寝れずにいるとき、フト、「よく、まだ生きているな……」

と自分で自分の生身の体にささやきかえすことがある。

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と自分で自分の生身の身体にささやきかえすことがある。

よく、まだ生きている。――

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よく、まだ生きている。――

そう自分の体に!

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そう自分の身体に!

学生上がりは一番「こたえて」

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学生上りは一番「こたえて」

いた。

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いた。

「ドストイェフスキーの死人の家な、ここから見れば、あれだって大したことでないって気がする」

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「ドストイェフスキーの死人の家な、ここから見れば、あれだって大したことでないって気がする」

――その学生は、便が何日もつまって、頭を手ぬぐいで力いっぱいにしめないと、眠れなかった。

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――その学生は、くそが何日もつまって、頭を手拭てぬぐいで力一杯に締めないと、眠れなかった。

「それアそうだろう」

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「それアそうだろう」

相手は函館からもってきたウイスキーを、薬でも飲むように、舌の先で少しずつなめていた。

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相手は函館からもってきたウイスキーを、薬でも飲むように、舌の先きで少しずつめていた。

「何しろ大事業だからな。人の足を踏み入れたことのない土地の富を切り開くッてんだから、大変だよ。――この蟹工船だって、今はこれで良くなったそうだよ。天候や潮の流れの変化の観測ができなかったり、地理が実際に分かっていなかったりした始まったばかりの頃は、いくら船が沈没したりしたか分らなかったそうだ。ロシアの船には沈められる、捕虜になる、殺される、それでも屈しないで、立ち上がり、立ち上がり苦しみぬいて来たからこそ、この大きな富が俺たちのものになったのさ。……まア仕方がないさ」

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「何んしろ大事業だからな。人跡未到の地の富源を開発するッてんだから、大変だよ。――この蟹工船かにこうせんだって、今はこれで良くなったそうだよ。天候や潮流の変化の観測が出来なかったり、地理が実際にマスターされていなかったりした創業当時は、幾ら船が沈没したりしたか分らなかったそうだ。露国の船には沈められる、捕虜になる、殺される、それでも屈しないで、立ち上り、立ち上り苦闘して来たからこそ、この大富源が俺たちのものになったのさ。……まア仕方がないさ」

「…………」

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「…………」

――歴史がいつでも書いているように、それはそうかも知れない気がする。

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――歴史が何時でも書いているように、それはそうかも知れない気がする。

しかし、彼の心の底にわだかまっているムッとした気持ちが、それでちっとも晴れないように思われた。

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然し、彼の心の底にわだかまっているムッとした気持が、それでちっとも晴れなく思われた。

彼はだまってベニヤ板のように固くなっている自分の腹をなでた。

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彼は黙ってベニヤ板のように固くなっている自分の腹をでた。

弱い電気にふれるように、親指のあたりが、チャラチャラとしびれる。

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弱い電気に触れるように、拇指おやゆびのあたりが、チャラチャラとしびれる。

いやな気持ちがした。

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イヤな気持がした。

親指を目の高さにかざして、片手でさすってみた。――

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拇指を眼の高さにかざして、片手でさすってみた。――

皆は、夕飯が終わって、「糞壺」

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皆は、夕飯が終って、「糞壺」

の真ん中に一つ取りつけてある、割れ目が地図のように入っているガタガタのストーブに寄っていた。

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の真中に一つ取りつけてある、割目が地図のように入っているガタガタのストーヴに寄っていた。

お互いの体が少し温まってくると、湯気が立った。

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お互の身体が少しあたたまってくると、湯気が立った。

蟹の生臭いにおいがムレて、ムッと鼻に来た。

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蟹の生ッ臭いにおいがムレて、ムッと鼻に来た。

「何んだか、理くつは分らねども、殺されたくねえで」

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「何んだか、理窟は分らねども、殺されたくねえで」

「んだよ!」

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「んだよ!」

ゆううつな気持ちが、もたれかかるように、そこへなだれて行く。

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憂々した気持が、もたれかかるように、其処そこ雪崩なだれて行く。

殺されかかっているんだ!

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殺されかかっているんだ!

皆ははっきりした焦点もなしに、怒りっぽくなっていた。

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 皆はハッキリした焦点もなしに、怒りッぽくなっていた。

「お、俺だちの、も、ものにもならないのに、く、糞、こッ殺されてたまるもんか!」

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「お、俺だちの、も、ものにもならないのに、く、くそ、こッ殺されてたまるもんか!」

口ごもりぐせのある漁夫が、自分でももどかしく、顔を真っ赤に筋張らせて、急に、大きな声を出した。

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どもりの漁夫が、自分でももどかしく、顔を真赤に筋張らせて、急に、大きな声を出した。

ちょっと、皆だまった。

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一寸ちょっと、皆だまった。

何かにグイと心を「不意」

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何かにグイと心を「不意」

に突き上げられた――のを感じた。

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に突き上げられた――のを感じた。

「カムサツカで死にたくないな……」

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「カムサツカで死にたくないな……」

「…………」

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「…………」

「中積船、函館ば出たとよ。――無電係の人言ってた」

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「中積船、函館ば出たとよ。――無電係の人云ってた」

「帰りてえな」

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「帰りてえな」

「帰れるもんか」

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「帰れるもんか」

「中積船でヨク逃げる奴がいるってな」

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「中積船でヨク逃げる奴がいるってな」

「んか⁉ ……ええな」

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「んか⁉ ……ええな」

「漁に出る振りして、カムサツカの陸さ逃げて、露助と一緒に赤化宣伝ばやってるものもいるッてな」

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「漁に出る振りして、カムサツカの陸さ逃げて、露助と一緒に赤化宣伝ばやってるものもいるッてな」

「…………」

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「…………」

「日本帝国のためか、――また、いい名義を考えたもんだ」

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「日本帝国のためか、――又、いい名義を考えたもんだ」

――学生は胸のボタンを外して、階段のように一つ一つくぼみのできている胸を出して、あくびをしながら、ゴシゴシかいた。

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――学生は胸のボタンをはずして、階段のように一つ一つくぼみの出来ている胸を出して、あくびをしながら、ゴシゴシいた。

あかがかわいて、うすい雲母のようにはげてきた。

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あかが乾いて、薄い雲母のようにげてきた。

「んよ、か、会社の金持ばかり、ふ、ふんだくるくせに」

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「んよ、か、会社の金持ばかり、ふ、ふんだくるくせに」

かきの貝殻のように、段々のついた、たるんだまぶたから、弱々しいにごった視線をストーブの上にぼんやり投げていた中年を過ぎた漁夫がつばをはいた。

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カキの貝殻のように、段々のついた、たるんだ眼蓋まぶたから、弱々しい濁った視線をストオヴの上にボンヤリ投げていた中年を過ぎた漁夫がつばをはいた。

ストーブの上に落ちると、それがクルックルッと真ん丸になって、ジュウジュウ言いながら、豆のようにはね上がって、見る間に小さくなり、油煙つぶほどの小さいかすを残して、無くなった。

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ストオヴの上に落ちると、それがクルックルッと真円まんまるにまるくなって、ジュウジュウ云いながら、豆のようにね上って、見る間に小さくなり、油煙粒ほどの小さいカスを残して、無くなった。

皆はそれにうかつな視線を投げている。

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皆はそれにウカツな視線を投げている。

「それ、本当かも知れないな」

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「それ、本当かも知れないな」

しかし、船頭が、ゴム底たびの赤毛布の裏を出して、ストーブにかざしながら、「おいおいてむかいなんかしないでけれよ」

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然し、船頭が、ゴム底タビの赤毛布の裏を出して、ストーヴにかざしながら、「おいおい叛逆てむかいなんかしないでけれよ」

と言った。

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と云った。

「…………」

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「…………」

「勝手だべよ。糞」

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「勝手だべよ。糞」

口ごもりぐせのある男が、唇をたこのように突き出した。

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吃りが唇をたこのように突き出した。

ゴムの焼けかかっているいやなにおいがした。

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ゴムの焼けかかっているイヤな臭いがした。

「おい、親父、ゴム!」

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「おい、親爺おど、ゴム!」

「ん、あ、こげた!」

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「ん、あ、こげた!」

波が出て来たらしく、サイドがかすかに鳴ってきた。

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波が出て来たらしく、サイドがかすかになってきた。

船も子守歌ほどにゆれている。

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船も子守うた程に揺れている。

腐ったほおずきのような五燭灯でストーブを囲んでいるお互いの、後ろに落ちている影がいろいろにもつれて、組み合った。――

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腐った海漿ほおずきのような五燭燈でストーヴを囲んでいるお互の、後に落ちている影が色々にもつれて、組合った。――

静かな夜だった。

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静かな夜だった。

ストーブの口から赤い火が、ひざから下にチラチラと反映していた。

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ストーヴの口から赤い火が、ひざから下にチラチラと反映していた。

不幸だった自分の一生が、ひょいと――まるっきり、ひょいと、しかも一瞬間だけ見返される――不思議に静かな夜だった。

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不幸だった自分の一生が、ひょいと――まるッきり、ひょいと、しかも一瞬間だけ見返される――不思議に静かな夜だった。

「たばこ無えか?」

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「煙草えか?」

「無え……」

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「無え……」

「無えか?……」

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「無えか?……」

「なかったな」

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「なかったな」

「糞」

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「糞」

「おい、ウイスキーをこっちにも回せよ、な」

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「おい、ウイスキーをこっちにも廻せよ、な」

相手は角瓶を逆さに振ってみせた。

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相手は角瓶かくびんを逆かさに振ってみせた。

「おッと、もったいねえことするなよ」

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「おッと、勿体もったいねえことするなよ」

「ハハハハハハハ」

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「ハハハハハハハ」

「飛んでもねえ所さ、しかし来たもんだな、俺も……」

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「飛んでもねえ所さ、然し来たもんだな、俺も……」

その漁夫は芝浦の工場にいたことがあった。

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その漁夫は芝浦の工場にいたことがあった。

そこの話がそれから出た。

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そこの話がそれから出た。

それは北海道の労働者たちには「工場」

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それは北海道の労働者達には「工場

だとは想像もつかない「立派な所」

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だとは想像もつかない「立派な処

に思われた。

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に思われた。

「ここの百に一つ位のことがあったって、あっちじゃストライキだよ」

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「ここの百に一つ位のことがあったって、あっちじゃストライキだよ」

と言った。

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と云った。

そのことから――そのきっかけで、お互いの今までしてきたいろいろのことが、ひょいひょいと話に出てきた。

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その事から――そのキッかけで、お互の今までしてきた色々のことが、ひょいひょいと話に出てきた。

「国道開拓工事」

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「国道開たく工事」

「かんがい工事」

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灌漑かんがい工事」

「鉄道敷設」

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「鉄道敷設」

「築港埋立」

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「築港埋立」

「新鉱発掘」

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「新鉱発掘」

「開墾」

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「開墾」

「積み取り人夫」

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「積取人夫」

「鰊(にしん)取り」

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にしん取り」

――ほとんど、そのどれかを皆はしてきていた。

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――ほとんど、そのどれかを皆はしてきていた。

――内地では、労働者が「横柄」

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――内地では、労働者が「横平おうへい

になって無理がきかなくなり、市場も大体開拓されつくして、行き詰まってくると、資本家は「北海道・樺太へ!」

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になって無理がきかなくなり、市場も大体開拓されつくして、行詰ってくると、資本家は「北海道・樺太へ!」

とかぎづめをのばした。

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鉤爪かぎづめをのばした。

そこでは、彼らは朝鮮や、台湾の植民地(しょくみんち・よその土地を支配して作った土地)と同じように、面白いほど無茶な「虐使(ぎゃくし・むごい使い方)」

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其処そこでは、彼等は朝鮮や、台湾の殖民地と同じように、面白い程無茶な「虐使」

ができた。

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が出来た。

しかも、誰も、何とも言えないということを、資本家ははっきり分かっていた。

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然し、誰も、何んとも云えない事を、資本家はハッキリ呑み込んでいた。

「国道開拓」

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「国道開たく」

「鉄道敷設」

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「鉄道敷設」

の土工部屋では、しらみより無造作に土方がタタき殺された。

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の土工部屋では、しらみより無雑作に土方がタタき殺された。

むごい使われ方に耐えられなくて逃亡する。

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虐使にえられなくて逃亡する。

それがつかまると、棒くいにしばりつけておいて、馬の後ろ足でけらせたり、裏庭で土佐犬にかみ殺させたりする。

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それがつかまると、棒杭ぼうぐいにしばりつけて置いて、馬の後足でらせたり、裏庭で土佐犬にみ殺させたりする。

それを、しかも皆の目の前でやってみせるのだ。

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それを、しかも皆の目の前でやってみせるのだ。

あばら骨が胸の中で折れるボクッとこもった音をきいて、「人間でない」

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肋骨ろっこつが胸の中で折れるボクッこもった音をきいて、「人間でない」

土方さえ思わず顔をおさえるものがいた。

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土方さえ思わず顔を抑えるものがいた。

気絶をすれば、水をかけて生かし、それを何度も何度もくりかえした。

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気絶をすれば、水をかけて生かし、それを何度も何度も繰りかえした。

しまいには風呂敷包みのように、土佐犬の強じんな首で振り回されて死ぬ。

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しまいには風呂敷包みのように、土佐犬の強靱きょうじんな首で振り廻わされて死ぬ。

ぐったりと広場のすみに投げ出されて、放っておかれてからも、体のどこかが、ピクピクと動いていた。

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ぐったり広場のすみに投げ出されて、放って置かれてからも、身体の何処かが、ピクピクと動いていた。

焼けた火ばしをいきなりしりにあてることや、六角棒で腰が立たなくなるほどなぐりつけることは「毎日」

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焼火箸やけひばしをいきなり尻にあてることや、六角棒で腰が立たなくなる程なぐりつけることは「毎日

だった。

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だった。

飯を食っていると、急に、裏でするどい叫び声が起こる。

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飯を食っていると、急に、裏で鋭い叫び声が起る。

すると、人の肉が焼ける生臭いにおいが流れてきた。

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すると、人の肉が焼ける生ッ臭い匂いが流れてきた。

「やめた、やめた。――とても飯なんて、食えたもんじゃねえや」

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「やめた、やめた。――とても飯なんて、食えたもんじゃねえや」

はしを投げる。

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箸を投げる。

が、お互いに暗い顔で見合った。

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が、お互暗い顔で見合った。

脚気(かっけ・栄養が足りなくてかかる病気)では何人も死んだ。

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脚気かっけでは何人も死んだ。

無理に働かせるからだった。

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無理に働かせるからだった。

死んでも「暇がない」

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死んでも「暇がない」

ので、そのまま何日も放っておかれた。

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ので、そのまま何日も放って置かれた。

裏へ出る暗がりに、無造作にかけてあるむしろのすそから、子供のように妙に小さくなった、黄黒く、つやのない両足だけが見えた。

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裏へ出る暗がりに、無雑作にかけてあるムシロのすそから、子供のように妙に小さくなった、黄黒く、つやのない両足だけが見えた。

「顔に一杯はえがたかっているんだ。そばを通ったとき、一度にワアーンと飛び上がるんでないか!」

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「顔に一杯はえがたかっているんだ。側を通ったとき、一度にワアーンと飛び上るんでないか!」

ひたいを手でトントン打ちながら入ってくると、そう言う者があった。

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額を手でトントン打ちながら入ってくると、そう云う者があった。

皆は朝は暗いうちに仕事場に出された。

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皆は朝は暗いうちに仕事場に出された。

そして鶴嘴(つるはし)の先がチラッ、チラッと青白く光って、手元が見えなくなるまで、働かされた。

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そして鶴嘴つるはしのさきがチラッ、チラッと青白く光って、手元が見えなくなるまで、働かされた。

近所に建っている監獄で働いている囚人の方を、皆はかえってうらやましがった。

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近所に建っている監獄で働いている囚人の方を、皆はかえってうらやましがった。

ことに朝鮮人は親方、棒頭からも、同じ仲間の土方(日本人の)からも「踏んづける」

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ことに朝鮮人は親方、棒頭ぼうがしらからも、同じ仲間の土方(日本人の)からも「踏んづける」

ような待遇をうけていた。

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ような待遇をうけていた。

そこから四、五里も離れた村にいる巡査(じゅんさ・おまわりさん)が、それでも時々手帳をもって、取り調べにテクテクやってくる。

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其処から四、五里も離れた村に駐在している巡査が、それでも時々手帖をもって、取調べにテクテクやってくる。

夕方までいたり、泊まりこんだりした。

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夕方までいたり、泊りこんだりした。

しかし土方たちの方へは一度も顔を見せなかった。

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然し土方達の方へは一度も顔を見せなかった。

そして、帰りには真っ赤な顔をして、歩きながら道の真ん中を、消防のまねでもしているように、小便を四方にジャジャやりながら、分からない独り言を言って帰って行った。

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そして、帰りには真赤な顔をして、歩きながら道の真中を、消防の真似まねでもしているように、小便を四方にジャジャやりながら、分らない独言を云って帰って行った。

北海道では、文字通り、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本一本、労働者の青むくれた「死体」

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北海道では、字義通り、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本々々労働者の青むくれた「死骸」

だった。

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だった。

築港の埋め立てには、脚気の土工が生きたまま「人柱」

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築港の埋立には、脚気の土工が生きたまま「人柱

のように埋められた。――

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のように埋められた。――

北海道では、そういう労働者を「タコ(蛸)」

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北海道の、そういう労働者を「タコ(蛸)」

と言っている。

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と云っている。

蛸は自分が生きて行くためには自分の手足をも食ってしまう。

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蛸は自分が生きて行くためには自分の手足をも食ってしまう。

これこそ、まったくそっくりではないか!

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これこそ、全くそっくりではないか!

そこでは誰にも遠慮のない「原始的」

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 そこでは誰をもはばからない「原始的」

な搾取ができた。

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な搾取が出来た。

「もうけ」

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もうけ」

がゴゾリ、ゴゾリと掘り返されてきた。

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がゴゾリ、ゴゾリ掘りかえってきた。

しかも、そして、そのことを巧みに「国家的」

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しかも、そして、その事を巧みに「国家的

な富の開発ということに結びつけて、まんまと理屈をつけていた。

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富源の開発ということに結びつけて、マンマと合理化していた。

抜け目がなかった。

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抜目がなかった。

「国家」

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「国家」

のために、労働者は「腹が減り」

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のために、労働者は「腹が減り」

「タタき殺されて」

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「タタき殺されて」

行った。

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行った。

「そこから生きて帰れたなんて、神様が助けてくれたようなもんだよ。有難かったな! んでも、この船で殺されてしまったら、同じだべよ。――何アーんでえ!」

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其処あこから生きて帰れたなんて、神助け事だよ。有難かったな! んでも、この船で殺されてしまったら、同じだべよ。――何アーんでえ!」

そして突拍子もなく大きく笑った。

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そして突調子とっぴょうしなく大きく笑った。

その漁夫は笑ってしまってから、しかしまゆのあたりをありありと暗くして、横を向いた。

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その漁夫は笑ってしまってから、然しまゆのあたりをアリアリと暗くして、横を向いた。

鉱山でも同じだった。――

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鉱山やまでも同じだった。――

新しい山に坑道をほる。

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新しい山に坑道を掘る。

そこにどんなガスが出るか、どんなとんでもない変化が起こるか、それを調べ上げて一つの確かな指針をつかむのに、資本家は「モルモット」

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そこにどんな瓦斯ガスが出るか、どんな飛んでもない変化が起るか、それを調べあげて一つの確針をつかむのに、資本家は「モルモット」

より安く買える「労働者」

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より安く買える「労働者」

を、乃木軍神がやったのと同じ方法で、入れ代わり、立ち代わりぞんざいに使い捨てた。

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を、乃木軍神がやったと同じ方法で、入り代り、立ち代り雑作なく使い捨てた。

鼻紙より無造作に!

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鼻紙より無雑作に!

「マグロ」

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 「マグロ」

の刺身のような労働者の肉片が、坑道のかべを幾重にも幾重にも丈夫にして行った。

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の刺身のような労働者の肉片が、坑道の壁を幾重にも幾重にも丈夫にして行った。

都会から離れていることをいいことにして、ここでもやはり「ゾッ」

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都会から離れていることを好い都合にして、此処でもやはり「ゾッ」

とすることが行われていた。

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とすることが行われていた。

トロッコで運んでくる石炭の中に親指や小指がバラバラに、ねばって交ざってくることがある。

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トロッコで運んでくる石炭の中に拇指おやゆびや小指がバラバラに、ねばって交ってくることがある。

女や子供はそんなことにはしかしまゆを動かしてはならなかった。

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女や子供はそんな事には然し眉を動かしてはならなかった。

そう「慣らされていた」

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そう「慣らされていた」

彼らは無表情に、それを次の持ち場まで押してゆく。――

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彼等は無表情に、それを次の持場まで押してゆく。――

その石炭が巨大な機械を、資本家の「利益」

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その石炭が巨大な機械を、資本家の「利潤」

のために動かした。

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のために動かした。

どの坑夫も、長く監獄に入れられた人のように、つやのない黄色くむくんだ、始終ぼんやりした顔をしていた。

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どの坑夫も、長く監獄に入れられた人のように、つやのない黄色くむくんだ、始終ボンヤリした顔をしていた。

日光の不足と、炭のちりと、有毒ガスをふくんだ空気と、温度と気圧の異常とで、目に見えて体がおかしくなってゆく。

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日光の不足と、炭塵たんじんと、有毒ガスを含んだ空気と、温度と気圧の異常とで、眼に見えて身体がおかしくなってゆく。

「七、八年も坑夫をしていれば、およそ四、五年間くらいはぶっ続けに真っ暗やみの底にいて、一度だって太陽をおがまなかったことになる、四、五年も!」

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「七、八年も坑夫をしていれば、およそ四、五年間位はッ続けに真暗闇まっくらやみの底にいて、一度だって太陽を拝まなかったことになる、四、五年も!」

――だが、どんなことがあろうと、代わりの労働者をいつでもたくさん仕入れることのできる資本家には、そんなことはどうでもいいことであった。

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――だが、どんな事があろうと、代りの労働者を何時でも沢山仕入れることの出来る資本家には、そんなことはどうでもいい事であった。

冬が来ると、「やはり」

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冬が来ると、「やはり」

労働者はその鉱山に流れこんで行った。

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労働者はその坑山に流れ込んで行った。

それから「入植百姓」

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それから「入地百姓」

――北海道には「移民百姓」

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――北海道には「移民百姓」

がいる。

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がいる。

「北海道開拓」

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「北海道開拓」

「人口食糧問題解決、移民奨励」

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「人口食糧問題解決、移民奨励」

、いかにも日本らしい「移民成金」

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、日本少年式な「移民成金」

など、うまいことばかり並べた活動写真を使って、田畑を奪われそうになっている内地の貧しい農民をあおりたてて、移民を勧めておきながら、四、五寸もほり返せば、下が粘土ばかりの土地に放り出される。

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など、ウマイ事ばかり並べた活動写真を使って、田畑を奪われそうになっている内地の貧農を煽動せんどうして、移民を奨励して置きながら、四、五寸も掘り返せば、下が粘土ばかりの土地に放り出される。

豊かな土地には、もう立札が立っている。

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豊饒ほうじょうな土地には、もう立札が立っている。

雪の中にうずめられて、じゃがいもも食えずに、一家は次の春には餓死することがあった。

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雪の中に埋められて、馬鈴薯も食えずに、一家は次の春には餓死することがあった。

それは「事実」

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それは「事実」

何度もあった。

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何度もあった。

雪がとけたころになって、一里も離れている「隣りの人」

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雪が溶けた頃になって、一里も離れている「隣りの人」

がやってきて、初めてそれが分かった。

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がやってきて、始めてそれが分った。

口の中から、半分飲みかけているわら屑が出てきたりした。

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口の中から、半分みかけている藁屑わらくずが出てきたりした。

まれに餓死からのがれても、その荒れ地を十年もかかって耕し、ようやくこれで普通の畑になったと思えるころ、実はそれがちゃんと、「ほかの人」

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れに餓死から逃れ得ても、その荒ブ地を十年もかかって耕やし、ようやくこれで普通の畑になったと思える頃、実はそれにちアんと、「外の人」

のものになるようになっていた。

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のものになるようになっていた。

資本家は――高利貸し、銀行、華族、大金持ちは、うそのような金を貸しておけば、(投げ捨てておけば)荒地は、太った黒猫の毛並みのように豊かな土地になって、まちがいなく、自分のものになってきた。

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資本家は――高利貸、銀行、華族、大金持は、うそのような金を貸して置けば、(投げ捨てて置けば)荒地は、肥えた黒猫の毛並のように豊饒な土地になって、間違なく、自分のものになってきた。

そんなことをまねて、らくに大もうけをたくらむ、目つきの鋭い人間も、また北海道に入りこんできた。――

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そんな事を真似て、濡手をきめこむ、目の鋭い人間も、又北海道に入り込んできた。――

百姓は、あっちからも、こっちからも自分のものをかみ取られて行った。

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百姓は、あっちからも、こっちからも自分のものをみとられて行った。

そしてしまいには、彼らが内地でそうされたのと同じように「小作人(こさくにん・土地を借りて畑を耕す人)」

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そしてしまいには、彼等が内地でそうされたと同じように「小作人

にされてしまっていた。

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にされてしまっていた。

そうなって百姓は初めて気づいた。――

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そうなって百姓は始めて気付いた。――

「しまった!」

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失敗しまった!」

彼らは少しでもお金をためて、故郷の村に帰ろう、そう思って、津軽海峡をわたって、雪の深い北海道へやってきたのだった。――

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彼等は少しでも金を作って故里ふるさとの村に帰ろう、そう思って、津軽海峡を渡って、雪の深い北海道へやってきたのだった。――

蟹工船にはそういう、自分の土地を「他人」

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蟹工船にはそういう、自分の土地を「他人」

に追い立てられて来たものがたくさんいた。

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に追い立てられて来たものが沢山いた。

積み取り人夫は蟹工船の漁夫と似ていた。

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積取人夫は蟹工船の漁夫と似ていた。

見張り付きの小樽の下宿屋にゴロゴロしていると、樺太や北海道の奥地へ船で引きずられて行く。

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監視付きの小樽おたるの下宿屋にゴロゴロしていると、樺太かばふとや北海道の奥地へ船で引きずられて行く。

足を「一寸」

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足を「一寸いっすん

すべらすと、ゴンゴンゴンとうなりながら、地響きをたてて転落してくる角材の下になって、せんべいよりも薄くされた。

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すべらすと、ゴンゴンゴンとうなりながら、地響をたてて転落してくる角材の下になって、南部センベイよりも薄くされた。

ガラガラとウインチで船に積まれて行く、水で皮がペロペロになっている材木に、はずみを食って一なぐりされると、頭のつぶれた人間は、蚤(のみ)の子よりも軽く、海の中へたたきこまれた。

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ガラガラとウインチで船に積まれて行く、水で皮がペロペロになっている材木に、拍子を食って、一なぐりされると、頭のつぶれた人間は、のみの子よりも軽く、海の中へたたき込まれた。

――内地では、いつまでも、だまって「殺されていない」

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――内地では、何時までも、黙って「殺されていない」

労働者が一かたまりに固まって、資本家へ反抗している。

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労働者が一かたまりに固って、資本家へ反抗している。

しかし「植民地」

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然し「殖民地」

の労働者は、そういう事情から完全に「遮断」

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の労働者は、そういう事情から完全に「遮断しゃだん

されていた。

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されていた。

苦しくて、苦しくてたまらない。

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苦しくて、苦しくてたまらない。

しかし転んで歩けば歩くほど、雪だるまのように苦しみを体に背負いこんだ。

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然しころんで歩けば歩く程、雪ダルマのように苦しみを身体に背負い込んだ。

「どうなるかな……?」

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「どうなるかな……?」

「殺されるのさ、分ってるべよ」

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「殺されるのさ、分ってるべよ」

「…………」

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「…………」

何か言いたげな、しかしグイとつまったまま、皆だまった。

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何か云いたげな、然しグイとつまったまま、皆だまった。

「こ、こ、殺される前に、こっちから殺してやるんだ」

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「こ、こ、殺される前に、こっちから殺してやるんだ」

口ごもりぐせのある男が、ぶっきら棒に投げつけた。

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どもりがブッきら棒に投げつけた。

トブーン、ドブーンとゆるくサイドに波が当たっている。

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トブーン、ドブーンとゆるくサイドに波が当っている。

上甲板の方で、どこかのパイプから蒸気がもれているらしく、シー、シ――ン、シ――ンという鉄びんのたぎるような、柔らかい音が絶えずしていた。

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上甲板の方で、何処かのパイプからスティムがもれているらしく、シー、シ――ン、シ――ンという鉄瓶てつびんのたぎるような、柔かい音が絶えずしていた。

寝る前に、漁夫たちはあかでスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツをぬいで、ストーブの上に広げた。

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寝る前に、漁夫達はあかでスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツを脱いで、ストーヴの上に広げた。

囲んでいるものたちが、こたつのようにそれぞれ端をもって、熱くしてからバタバタとはたいた。

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囲んでいるもの達が、炬燵こたつのように各〻その端をもって、熱くしてからバタバタとほろった。

ストーブの上に虱(しらみ)や南京虫が落ちると、プツン、プツンと、音をたてて、人が焼ける時のような生臭いにおいがした。

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ストーヴの上にしらみや南京虫が落ちると、プツン、プツンと、音をたてて、人が焼ける時のような生ッ臭いにおいがした。

熱くなると、いたたまらなくなった虱が、シャツの縫い目から、細かいたくさんの足を夢中に動かして、出て来る。

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熱くなると、居たまらなくなった虱が、シャツの縫目から、細かい沢山の足を夢中に動かして、出て来る。

つまみ上げると、皮膚のあぶらっぽいコロッとした体の感触がぞっときた。

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つまみ上げると、皮膚の脂肪あぶらッぽいコロッとした身体の感触がゾッときた。

かまきり虫のような、不気味な頭が、それと分かるほど太っているのもいた。

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かまきり虫のような、無気味な頭が、それと分る程肥えているのもいた。

「おい、端を持ってけれ」

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「おい、端を持ってけれ」

ふんどしの片端を持ってもらって、広げながら虱をとった。

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ふんどしの片端を持ってもらって、広げながら虱をとった。

漁夫は虱を口に入れて、前歯で、音をさせてつぶしたり、両方の親指のつめで、つめが真っ赤になるまでつぶしたりした。

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漁夫は虱を口に入れて、前歯で、音をさせてつぶしたり、両方の拇指おやゆびの爪で、爪が真赤になるまでつぶした。

子供が汚い手をすぐ着物にふくように、はんてんのすそにぬぐうと、また始めた。――

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子供が汚い手をすぐ着物にくように、袢天はんてんすそにぬぐうと、又始めた。――

それでもやはり眠れない。

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それでも然し眠れない。

どこから出てくるのか、夜どおし虱と蚤と南京虫にせめられる。

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何処から出てくるか、夜通し虱とのみ南京虫ナンキンむしに責められる。

いくらどうしても退治しつくされなかった。

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いくらどうしても退治し尽されなかった。

うす暗く、じめじめしている棚に立っていると、すぐモゾモゾと何十匹もの蚤がすねをはい上ってきた。

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薄暗く、ジメジメしている棚に立っていると、すぐモゾモゾと何十匹もの蚤がすねい上ってきた。

しまいには、自分の体のどこかが腐ってでもいないか、と思った。

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しまいには、自分の体の何処かが腐ってでもいないのか、と思った。

蛆(うじ)や蠅にとりつかれている腐った「死体」

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うじや蠅に取りつかれている腐爛ふらんした「死体」

ではないか、そんな不気味さを感じた。

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ではないか、そんな不気味さを感じた。

お湯には、初め一日おきに入れた。

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お湯には、初め一日置きに入れた。

体が生臭くよごれてしようがなかった。

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身体が生ッ臭くよごれて仕様がなかった。

しかし一週間もすると、三日おきになり、一か月くらい経つと、一週間に一度。

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然し一週間もすると、三日置きになり、一カ月位経つと、一週間一度。

そしてとうとう月二回にされてしまった。

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そしてとうとう月二回にされてしまった。

水のむだづかいを防ぐためだった。

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水の濫費らんぴを防ぐためだった。

しかし、船長や監督は毎日お湯に入った。

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然し、船長や監督は毎日お湯に入った。

それはむだづかいにはならなかった。

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それは濫費にはならなかった。

(!)――

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(!)――

体が蟹のしるで汚れる、それがそのまま何日も続く、それで虱か南京虫がわかない「はず」

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身体が蟹の汁で汚れる、それがそのまま何日も続く、それで虱か南京虫がかない「はず

がなかった。

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がなかった。

ふんどしをほどくと、黒いつぶつぶがこぼれ落ちた。

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褌を解くと、黒い粒々がこぼれ落ちた。

ふんどしをしめたあとが、赤くあとがついて、腹に輪を作った。

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褌をしめたあとが、赤くかたがついて、腹に輪を作った。

そこがたまらなくかゆかった。

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そこがたまらなくゆかった。

寝ていると、ゴシゴシと体をやけにかく音がどこからも起こった。

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寝ていると、ゴシゴシと身体をやけにかく音が何処からも起った。

モゾモゾと小さいぜんまいのようなものが、体の下側を走るかと思うと――刺す。

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モゾモゾと小さいゼンマイのようなものが、身体の下側を走るかと思うと――刺す。

その度に漁夫は体をくねらせ、寝返りを打った。

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その度に漁夫は身体をくねらし、寝返りを打った。

しかしまたすぐ同じだった。

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然し又すぐ同じだった。

それが朝まで続く。

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それが朝まで続く。

皮膚が皮癬(ひぜん・皮ふの病気)のように、ザラザラになった。

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皮膚が皮癬ひぜんのように、ザラザラになった。

「死に虱だべよ」

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死に虱だべよ」

「んだ、ちょうどええさ」

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「んだ、丁度ええさ」

仕方なく、笑ってしまった。

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仕方なく、笑ってしまった。

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あわてた漁夫が二、三人デッキを走って行った。

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あわてた漁夫が二、三人デッキを走って行った。

曲がり角で、急に曲がれず、よろめいて、手すりにつかまった。

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曲り角で、急にまがれず、よろめいて、手すりにつかまった。

サロン・デッキで修理をしていた大工が背のびをして、漁夫の走って行った方を見た。

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サロン・デッキで修繕をしていた大工が背のびをして、漁夫の走って行った方を見た。

寒風の吹きさらしで、涙が出て、初め、よく見えなかった。

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寒風の吹きさらしで、涙が出て、初め、よく見えなかった。

大工は横を向いて勢いよく「つかみ鼻」

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大工は横を向いて勢いよく「つかみ鼻

をかんだ。

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をかんだ。

鼻水が風にあおられて、ゆがんだ線をえがいて飛んだ。

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鼻汁が風にあふられて、ゆがんだ線を描いて飛んだ。

とものさげんのウインチがガラガラ鳴っている。

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ともの左舷のウインチがガラガラなっている。

皆漁に出ている今、それを動かしているわけがなかった。

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皆漁に出ている今、それを動かしているわけがなかった。

ウインチにはそして何かぶら下がっていた。

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ウインチにはそして何かブラ下っていた。

それがゆれている。

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それが揺れている。

つり下がっているワイヤーが、その垂直線の周りを、ゆるく円をえがいてゆれていた。

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り下がっているワイヤーが、その垂直線の囲りを、ゆるく円を描いて揺れていた。

「何んだべ?」

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「何んだべ?」

――その時、ドキッと来た。

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――その時、ドキッと来た。

大工はあわてたように、もう一度横を向いて「つかみ鼻」

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大工は周章あわてたように、もう一度横を向いて「つかみ鼻」

をかんだ。

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をかんだ。

それが風のぐあいでズボンにひっかかった。

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それが風の工合でズボンにひっかかった。

トロッとした薄い水っぱなだった。

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トロッとした薄い水鼻だった。

「また、やってやがる」

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「又、やってやがる」

大工は涙を何度もうででぬぐいながら目をこらした。

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大工は涙を何度も腕でぬぐいながら眼をきめた。

こっちから見ると、雨上がりのような銀灰色の海をバックに、突き出ているウインチの腕、それにすっかり体をしばられて、つり上げられている雑夫が、はっきり黒く浮かび出て見えた。

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こっちから見ると、雨上りのような銀灰色の海をバックに、突き出ているウインチの腕、それにすっかり身体を縛られて、吊し上げられている雑夫が、ハッキリ黒く浮び出てみえた。

ウインチの先端まで空を上ってゆく。

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ウインチの先端まで空を上ってゆく。

そしてぞうきんぎれでもひっかかったように、しばらくの間――二十分もそのままつり下げられている。

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そして雑巾ぞうきん切れでもひッかかったように、しばらくの間――二十分もそのままに吊下げられている。

それから下がって行った。

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それから下がって行った。

体をよじってもがいているらしい。両足が、くもの巣にひっかかったハエのように動いている。

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身体をくねらして、もがいているらしく、両足が蜘蛛くもの巣にひっかかったはえのように動いている。

やがて、手前のサロンのかげになって見えなくなった。

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やがて手前のサロンの陰になって、見えなくなった。

まっすぐに張っていたワイヤーだけが、時々ブランコのように揺れた。

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一直線に張っていたワイヤーだけが、時々ブランコのように動いた。

涙が鼻に入っていくらしく、鼻水がさかんに出た。

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涙が鼻に入ってゆくらしく、水鼻がしきりに出た。

大工はまた「つかみ鼻」

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大工は又「つかみ鼻」

をした。

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をした。

それから、横ポケットでブラブラしている金づちを取って、仕事にかかった。

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それから横ポケットにブランブランしている金槌かなづちを取って、仕事にかかった。

大工はふと耳をすました。――そして振りかえって見た。

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大工はひょいと耳をすまして――振りかえって見た。

ワイヤ・ロープが、誰かが下でゆすっているように揺れていた。ボクンボクンという鈍くて不気味な音は、そこから聞こえていた。

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ワイヤ・ロープが、誰か下で振っているように揺れていて、ボクンボクンと鈍い不気味な音は其処そこからしていた。

ウインチにつり下げられた雑夫は、顔の色が変わっていた。

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ウインチに吊された雑夫は顔の色が変っていた。

死体のようにかたく閉じたくちびるから、あわを出していた。

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死体のように堅くしめている唇から、あわを出していた。

大工が下りていくと、雑夫長がまきをわきにはさみ、片方の肩を上げた無理な格好で、デッキから海へ小便をしていた。

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大工が下りて行った時、雑夫長がまきわきにはさんで、片肩を上げた窮屈な恰好かっこうで、デッキから海へ小便をしていた。

あれで殴ったんだな。大工はまきをちらっと見た。

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あれでなぐったんだな、大工は薪をちらっと見た。

小便は風がふくたびに、ジャ、ジャとデッキのはしにかかって、しぶきを飛ばした。

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小便は風が吹く度に、ジャ、ジャとデッキの端にかかって、はねを飛ばした。

漁夫たちは、何日も何日も続く働きすぎのせいで、だんだん朝起きられなくなった。

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漁夫達は何日も何日も続く過労のために、だんだん朝起きられなくなった。

監督は、石油の空きかんを、寝ている者の耳もとでたたいて歩いた。

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監督が石油の空罐あきかんを寝ている耳もとでたたいて歩いた。

目を開けて起き上がるまで、やたらにかんをたたいた。

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眼を開けて、起き上るまで、やけに罐をたたいた。

脚気の者が、頭を半分上げて何か言っている。

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脚気かっけのものが、頭を半分上げて何か云っている。

しかし監督は見ないふりをして、空きかんをたたくのをやめない。

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しかし監督は見ない振りで、空罐をやめない。

声が聞こえないので、金魚が水面に出てきて空気を吸っているときのように、口だけパクパク動いて見えた。

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声が聞えないので、金魚が水際に出てきて、空気を吸っている時のように、口だけパクパク動いてみえた。

いいかげんたたいてから、

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いい加減たたいてから、

「どうしたんだ、たたき起こすど!」

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「どうしたんだ、タタき起すど!」

と怒鳴りつけた。

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と怒鳴りつけた。

「仮にも国のための仕事なんだ、戦争と同じなんだ。死ぬ覚悟で働け! 馬鹿野郎」

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「いやしくも仕事が国家的である以上、戦争と同じなんだ。死ぬ覚悟で働け! 馬鹿野郎」

病人はみんな布団をはぎとられて、甲板へ押し出された。

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病人は皆蒲団ふとんぎとられて、甲板へ押し出された。

脚気の者は、階段の段に足先がつまずいた。

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脚気のものは階段の段々に足先きがつまずいた。

手すりにつかまりながら、体をななめにして、自分の足を自分の手で持ち上げながら、階段を上がった。

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手すりにつかまりながら、身体を斜めにして、自分の足を自分の手で持ち上げて、階段を上がった。

心臓が、一歩ごとに気味悪くピンピンとけるようにはね上がった。

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心臓が一足毎に無気味にピンピンるようにはね上った。

監督も雑夫長も、病人には、まま子にでもするようにジリジリといじわるだった。

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監督も、雑夫長も病人には、継子ままこにでも対するようにジリジリと陰険だった。

「肉詰め」

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「肉詰」

をしていると追い立てて、甲板で「爪たたき」

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をしていると追い立てて、甲板で「爪たたき」

をさせられる。

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をさせられる。

それを少ししていると「紙巻き」

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それを一寸ちょっとしていると「紙巻」

の方へ回される。

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の方へ廻わされる。

底冷えする、うす暗い工場の中で、すべる足もとに気をつけながら立ちつづけていると、ひざから下は義足(ぎそく)にさわるより感覚がなくなっていった。ふとすると、ひざの関節が蝶つがいの外れたようになって、思わずヘナヘナとすわりこんでしまいそうになった。

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底寒くて、薄暗い工場の中ですべる足元に気をつけながら、立ちつくしていると、ひざから下は義足に触るより無感覚になり、ひょいとすると膝の関節が、ちょうつがいが離れたように、不覚にヘナヘナと坐り込んでしまいそうになった。

学生が、蟹をつぶした汚れた手のこうで、ひたいを軽くたたいていた。

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学生が蟹をつぶした汚れた手の甲で、額を軽くたたいていた。

少しすると、そのまま横だおしに後ろへ倒れてしまった。

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一寸すると、そのまま横倒しに後へ倒れてしまった。

そのとき、そばに積み重なっていた缶詰の空きかんが、ひどい音をたてて、倒れた学生の上にくずれ落ちた。

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その時、側にさなっていた罐詰の空罐がひどく音をたてて、学生の倒れた上に崩れ落ちた。

それが船のかたむきにそって、機械の下や荷物の間を、光りながら丸く転がっていった。

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それが船の傾斜に沿って、機械の下や荷物の間に、光りながら円るく転んで行った。

仲間があわてて学生をハッチへ連れていこうとした。

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仲間が周章てて学生をハッチに連れて行こうとした。

それが、ちょうど口笛を吹きながら工場に下りてきた監督と、ばったり出会ってしまった。

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それが丁度、監督が口笛を吹きながら工場に下りてきたのと、会った。

ふと見てとると、

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ひょいと見てとると、

「誰が仕事をはなれたんだ!」

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「誰が仕事を離れったんだ!」

「誰が⁉……」

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「誰が⁉……」

思わずカッときた一人が、肩でつっかかるように、せきこんで言った。

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思わずグッと来た一人が、肩でつッかかるようにせき込んだ。

「誰がア――? この野郎、もう一度言ってみろ!」

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「誰がア――? この野郎、もう一度云ってみろ!」

監督はポケットからピストルを取り出して、おもちゃのようにいじり回した。

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監督はポケットからピストルを取り出して、玩具のようにいじり廻わした。

それから急に大声で、口を三角形にゆがめて、背のびするように体をゆすって笑い出した。

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それから、急に大声で、口を三角形にゆがめながら、背のびをするように身体をゆすって、笑い出した。

「水を持ってこい!」

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「水を持って来い!」

監督はおけいっぱいに水をもらうと、まくら木のように床にほうり出されている学生の顔に、いきなり――一度に、それを浴びせかけた。

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監督はおけ一杯に水を受取ると、枕木のように床に置き捨てになっている学生の顔に、いきなり――一度に、それを浴せかけた。

「これでええんだ。――いらないものなんか見なくてもええ、仕事でもしやがれ!」

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「これでええんだ。――らないものなんか見なくてもええ、仕事でもしやがれ!」

次の朝、雑夫が工場に下りていくと、機械の鉄の柱に、前の日の学生がしばりつけられているのを見た。

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次の朝、雑夫が工場に下りて行くと、旋盤の鉄柱に、前の日の学生が縛りつけられているのを見た。

首をひねられたニワトリのように、首をガクリと胸に落としこんでいた。背筋の先には、大きな関節が一つ、ポコンとむき出しに見えていた。

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首をひねられた鶏のように、首をガクリ胸に落し込んで、背筋の先端に大きな関節を一つポコンとあらわに見せていた。

そして、子供の前掛けのように、胸には、あきらかに監督の字で、

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そして子供の前掛けのように、胸に、それが明らかに監督の筆致で、

「この者は、うそをついてなまけている不忠実な仮病者(けびょうもの)である。だから、この縄をほどいてはならない」

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「此者ハ不忠ナル偽病者ニツキ、麻縄あさなわヲ解クコトヲ禁ズ」

と書いたボール紙をつるしていた。

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と書いたボール紙を吊していた。

ひたいに手をやってみると、冷えきった鉄にさわるより冷たくなっていた。

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額に手をやってみると、冷えきった鉄に触るより冷たくなっている。

雑夫たちは、工場に入るまでガヤガヤしゃべっていた。

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雑夫等は工場に入るまで、ガヤガヤしゃべっていた。

それが、今は誰も口をきかない。

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それが誰も口をきくものがない。

後ろから雑夫長の下りてくる声が聞こえると、彼らはその学生のしばられている機械から二手に分かれて、それぞれの持ち場へ散っていった。

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後から雑夫長の下りてくる声をきくと、彼等はその学生の縛られている機械から二つに分れて各々の持場に流れて行った。

蟹漁が忙しくなると、当たりがやけにきつくなってくる。

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蟹漁が忙がしくなると、ヤケに当ってくる。

前歯を折られて、一晩じゅう「血のつば」

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前歯を折られて、一晩中「血の唾」

をはいたり、働きすぎで作業中に倒れたり、目から血を出したり、平手でめちゃくちゃにたたかれて耳が聞こえなくなったりした。

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をはいたり、過労で作業中に卒倒したり、眼から血を出したり、平手で滅茶苦茶にたたかれて、耳が聞えなくなったりした。

あまり疲れてくると、みんな酒に酔ったときよりもぼんやりしてしまう。

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あんまり疲れてくると、皆は酒に酔ったよりも他愛なくなった。

時間がくると、「これでいい」

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時間がくると、「これでいい」

と、ふと安心する。その瞬間、クラクラッとした。

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と、フト安心すると、瞬間クラクラッとした。

みんなが仕事を終えかけると、

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皆が仕舞いかけると、

「今日は九時までだ」

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「今日は九時までだ」

と、監督が怒鳴って歩いた。

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と監督が怒鳴って歩いた。

「この野郎ども、仕舞いだって言うときだけ、手回しを早くしやがって!」

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「この野郎達、仕舞いだッて云う時だけ、手廻わしを早くしやがって!」

みんなは、スローモーション映像のようにノロノロと、また立ち上がった。

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皆は高速度写真のようにノロノロ又立ち上った。

それだけの気力しか残っていなかった。

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それしか気力がなくなっていた。

「いいか、ここは二度も三度も出直して来られる場所じゃないんだ。それに、いつでも蟹が取れるとは限らない。それを、一日十時間だ、十三時間だって、それでピッタリやめられたら大変なことになる。――仕事のやり方がちがうんだ。いいか、その代わり、蟹が取れない時は、お前らをもったいないほどブラブラ休ませてやるんだ」

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「いいか、此処ここへは二度も、三度も出直して来れるところじゃないんだ。それに何時いつだって蟹が取れるとも限ったものでもないんだ。それを一日の働きが十時間だから十三時間だからって、それでピッタリやめられたら、飛んでもないことになるんだ。――仕事の性質たちちがうんだ。いいか、その代り蟹が採れない時は、お前達を勿体ない程ブラブラさせておくんだ」

監督は「糞壺」

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監督は「糞壺」

へ降りてきて、そんなことを言った。

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へ降りてきて、そんなことを云った。

「露助はな、魚が目の前にどんなに集まってきても、時間が来れば一分も違わずに、仕事をぶん投げてしまうんだ。んだから――んな心がけだからロシアの国はああなったんだ。日本男児は絶対にまねしてはならないことだ!」

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「露助はな、魚が何んぼ眼の前で群化くきてきても、時間が来れば一分も違わずに、仕事をブン投げてしまうんだ。んだから――んな心掛けだから露西亜ロシアの国がああなったんだ。日本男児の断じて真似まねてならないことだ!」

何を言ってるんだ、ペテン野郎!

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何に云ってるんだ、ペテン野郎!

そう思って、聞いていない者もいた。

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 そう思って聞いていないものもあった。

しかし、大部分の者は監督にそう言われると、日本人はやっぱり偉いんだ、という気にさせられた。

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然し大部分は監督にそう云われると日本人はやはり偉いんだ、という気にされた。

そして、自分たちの毎日の残酷な苦しさが、何か「英雄的」

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そして自分達の毎日の残虐な苦しさが、何か「英雄的」

なものに見えてきて、それがせめてもの心の慰めになった。

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なものに見え、それがせめても皆を慰めさせた。

甲板で仕事をしていると、よく水平線を横切って、駆逐艦(くちくかん)が南へ下っていった。

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甲板で仕事をしていると、よく水平線を横切って、駆逐艦が南下して行った。

船の後ろに、日本の旗がはためいているのが見えた。

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後尾に日本の旗がはためくのが見えた。

漁夫たちは興奮のあまり、目に涙をいっぱいためて、帽子をつかんで振った。――

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漁夫等は興奮から、眼に涙を一杯ためて、帽子をつかんで振った。――

あれだけだ。

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あれだけだ。

俺たちの味方は、と思った。

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俺達の味方は、と思った。

「畜生、あいつを見ると、涙が出やがる」

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「畜生、あいつを見ると、涙が出やがる」

だんだん小さくなって、煙にまぎれて見えなくなるまで見送った。

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だんだん小さくなって、煙にまつわって見えなくなるまで見送った。

ぞうきんのようにクタクタになって帰ってくると、みんなは申し合わせたように、相手もなく、ただ「畜生!」

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雑巾切れのように、クタクタになって帰ってくると、皆は思い合わせたように、相手もなく、ただ「畜生!」

と怒鳴った。

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と怒鳴った。

暗がりで、それは憎しみに満ちた雄牛(おうし)のうなり声に似ていた。

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暗がりで、それは憎悪ぞうおに満ちた牡牛おうしうなり声に似ていた。

誰に向けているのか、彼ら自身にもわかっていなかった。しかし、毎日毎日同じ「糞壺」

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誰に対してか彼等自身分ってはいなかったが、然し毎日々々同じ「糞壺」

の中にいて、二百人近くの者たちがお互いにぶっきらぼうにしゃべり合っているうちに、目に見えないまま、考えること、言うこと、することが(なめくじが地面をはうほどのろいけれど)だんだん同じになっていった。――

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の中にいて、二百人近くのもの等がお互にブッキラ棒にしゃべり合っているうちに、眼に見えずに、考えること、云うこと、することが、(なめくじが地面をうほどののろさだが)同じになって行った。――

その同じ流れの中でも、もちろん、よどんで足踏みをする者が出たり、別な方へそれていく中年の漁夫もいた。

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その同じ流れのうちでも、勿論よどんだように足ぶみをするものが出来たり、別な方へれて行く中年の漁夫もある。

しかし、そのどれもが、自分では何も気づかないうちにそうなっていった。そして、いつの間にか、はっきりと分かれ分かれになっていた。

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然しそのどれもが、自分では何んにも気付かないうちに、そうなって行き、そして何時の間にか、ハッキリ分れ、分れになっていた。

朝だった。

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朝だった。

タラップをノロノロ上がりながら、炭山(やま・炭鉱のこと)から来た男が、

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タラップをノロノロ上りながら、炭山やまから来た男が、

「とても続かねえや」

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「とても続かねえや」

と言った。

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と云った。

前の日は十時近くまで働いて、体はこわれかかった機械のようにギクギクしていた。

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前の日は十時近くまでやって、身体はこわれかかった機械のようにギクギクしていた。

タラップを上りながら、ふとすると、眠っていた。

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タラップを上りながら、ひょいとすると、眠っていた。

後ろから「オイ」

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後から「オイ」

と声をかけられて、思わず手と足を動かす。

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と声をかけられて思わず手と足を動かす。

そして、足をふみ外して、そのまま腹ばいに倒れた。

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そして、足を踏みはずして、のめったまま腹んいになった。

仕事につく前に、みんなが工場に降りていって、かたすみに集まった。

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仕事につく前に、皆が工場に降りて行って、片隅かたすみたまった。

どれも、泥人形のような顔をしている。

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どれも泥人形のような顔をしている。

「俺ア仕事サボるんだ。出来ねえ」

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「俺ア仕事サボるんだ。出来ねえ」

――炭山だった。

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――炭山やまだった。

みんなも黙ったまま、顔を動かした。

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皆も黙ったまま、顔を動かした。

少しして、

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一寸して、

「大焼きが入るからな……」

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大焼きが入るからな……」

と誰かが言った。

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と誰か云った。

「ずるけてサボるんでねえんだ。働けねえからだよ」

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「ずるけてサボるんでねえんだ。働けねえからだよ」

炭山が、そでを二の腕のところまでまくり上げて、目の前ですかして見るようにかざした。

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炭山やまが袖を上膊じょうはくのところまで、まくり上げて、眼の前ですかして見るようにかざした。

「長げえことねえんだ。――俺アずるけてサボるんでねえんだど」

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「長げえことねえんだ。――俺アずるけてサボるんでねえんだど」

「それだら、そんだ」

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「それだら、そんだ」

「…………」

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「…………」

その日、監督は、とさかをピンと立てたけんかどりのように、工場を回って歩いていた。

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その日、監督は鶏冠とさかをピンと立てた喧嘩鶏けんかどりのように、工場を廻って歩いていた。

「どうした、どうした⁉」

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「どうした、どうした⁉」

と怒鳴り散らした。

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と怒鳴り散らした。

しかし、ノロノロと仕事をしているのは一人や二人ではなかった。あっちでも、こっちでも――ほとんど全部だったので、監督はただイライラと歩き回ることしかできなかった。

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がノロノロと仕事をしているのが一人、二人でなしに、あっちでも、こっちでも――ほとんど全部なので、ただイライラ歩き廻ることしか出来なかった。

漁夫たちも船員も、そんな監督を見るのは初めてだった。

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漁夫達も船員もそういう監督を見るのは始めてだった。

上甲板では、網から外した蟹が無数に、ガサガサと歩く音がしていた。

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上甲板で、網から外した蟹が無数に、ガサガサと歩く音がした。

流れの悪い下水道のように、仕事がどんどんつまっていった。

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通りの悪い下水道のように、仕事がドンドンつまって行った。

しかし、「監督の棍棒」

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然し「監督の棍棒こんぼう

が、何の役にも立たない!

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が何の役にも立たない!

仕事が終わってから、煮しめたような手ぬぐいで首をふきながら、みんなゾロゾロと「糞壺」

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仕事が終ってから、煮しまった手拭てぬぐいで首を拭きながら、皆ゾロゾロ「糞壺」

に帰ってきた。

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に帰ってきた。

顔を見合わせると、思わず笑い出した。

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顔を見合うと、思わず笑い出した。

それがなぜだかわからないまま、おかしくて、おかしくて仕方がなかった。

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それが何故なぜか分らずに、おかしくて、おかしくて仕様がなかった。

それが、船員の方にも移っていった。

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それが船員の方にも移って行った。

船員を漁夫とにらみ合わせて仕事をさせ、いいかげんに馬鹿を見せられていたことがわかると、彼らも時々「サボリ」

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船員を漁夫とにらみ合わせて、仕事をさせ、いい加減に馬鹿をみせられていたことが分ると、彼等も時々「サボリ」

出した。

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出した。

「昨日ウンと働き過ぎたから、今日はサボだど」

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「昨日ウンと働き過ぎたから、今日はサボだど」

仕事に出るとき、誰かがそう言うと、みんなそうなった。

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仕事の出しなに、誰かそう云うと、皆そうなった。

しかし「サボ」

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然し「サボ」

と言っても、ただ体を楽に使うというだけのことだったが。

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と云っても、ただ身体を楽に使うということでしかなかったが。

誰だって、体がおかしくなっていた。

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誰だって身体がおかしくなっていた。

いざとなったら「仕方がない」

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イザとなったら「仕方がない」

やるさ。

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やるさ。

「殺されること」

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「殺されること」

は、どっちみち同じことだ。

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はどっち道同じことだ。

そんな気が、みんなにあった。――

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そんな気が皆にあった。――

ただ、もうたまらなかった。

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ただ、もうたまらなかった。

×     ×     ×

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×     ×     ×

「中積船(なかづみせん・荷物を運ぶ船)だ! 中積船だ!」

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「中積船だ! 中積船だ!」

上甲板で叫んでいるのが、下まで聞こえてきた。

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上甲板で叫んでいるのが、下まで聞えてきた。

みんなは思い思いに「糞壺」

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皆は思い思い「糞壺」

の棚から、ボロ着のままはね下りた。

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の棚からボロ着のままね下りた。

中積船は、漁夫や船員を「女」

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中積船は漁夫や船員を「女」

よりも夢中にさせた。

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よりも夢中にした。

この船だけは塩くさくない。――函館の匂いがしていた。

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この船だけは塩ッ臭くない、――函館の匂いがしていた。

何カ月も、何百日も踏みしめたことのない、あの動かない「土」

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何カ月も、何百日も踏みしめたことのない、あの動かない「土」

の匂いがしていた。

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の匂いがしていた。

それに、中積船には、日付の違う何通りもの手紙や、シャツ、下着、雑誌などが送り届けられていた。

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それに、中積船には日附の違った何通りもの手紙、シャツ、下着、雑誌などが送りとどけられていた。

彼らは荷物を、蟹くさい節くれ立った手でわしづかみにすると、あわてたように「糞壺」

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彼等は荷物を蟹臭い節立った手で、わしづかみにすると、あわてたように「糞壺」

へ駆け下りた。

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にかけ下りた。

そして棚に大きくあぐらをかいて、そのあぐらの中で荷物を解いた。

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そして棚に大きな安坐あぐらをかいて、その安坐の中で荷物を解いた。

いろいろなものが出てくる。――

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色々のものが出る。――

そばで母親が言葉を教えて書かせた、自分の子供のたどたどしい手紙や、手ぬぐい、歯みがき、つまようじ、ちり紙、着物。それらの合わせ目から、思いがけなく妻の手紙が、重さできちんと平たくなって出てきた。

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側から母親がものを云って書かせた、自分の子供のたどたどしい手紙や、手拭、歯磨、楊子ようじ、チリ紙、着物、それ等の合せ目から、思いがけなく妻の手紙が、重さでキチンと平べったくなって、出てきた。

彼らは、そのどこからでも、陸にある「家」

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彼等はその何処からでも、陸にある「自家うち

の匂いをかぎ取ろうとした。

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の匂いをかぎ取ろうとした。

乳くさい子供の匂いや、妻のムッとくる肌の匂いをさがした。

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乳臭い子供の匂いや、妻のムッとくる膚のにおいを探がした。

………………………………

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………………………………

おそそに飢えて困っている、

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おそそにかつれて困っている、

三銭切手で届くなら、

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三銭切手でとどくなら、

おそそ缶詰で送りたい――かッ!

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おそそ罐詰で送りたい――かッ!

やけに大声で「ストトン節」

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やけに大声で「ストトン節」

を怒鳴った。

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をどなった。

何も送られてこなかった船員や漁夫は、ズボンのポケットに棒のように腕をつっこんで、歩き回っていた。

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何んにも送って来なかった船員や漁夫は、ズボンのポケットに棒のように腕をつッこんで、歩き廻っていた。

「お前の居ない間に、男でも引っ張り込んでるだんべよ」

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「お前の居ないに、男でも引ッ張り込んでるだんべよ」

みんなにからかわれた。

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皆にからかわれた。

薄暗いすみに顔を向けて、みんながガヤガヤ騒いでいるのをよそに、何度も指を折り直しながら、考えこんでいる者がいた。――

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薄暗いすみに顔を向けて、皆ガヤガヤ騒いでいるのをよそに、何度も指を折り直して、考え込んでいるのがいた。――

中積船で来た手紙で、子供が死んだという知らせを読んだのだった。

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中積船で来た手紙で、子供の死んだ報知しらせを読んだのだった。

二カ月も前に死んでいた子供のことを、それと知らずに「今まで」

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二カ月も前に死んでいた子供の、それを知らずに「今まで」

いた。

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いた。

手紙には、無線を頼むお金もなかったので、と書かれていた。

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手紙には無線を頼む金もなかったので、と書かれていた。

漁夫がそんなことを⁉ と思われるほど、その男はいつまでもむっつりしていた。

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漁夫が⁉ と思われる程、その男は何時までもムッつりしていた。

しかし、それとはちょうど反対のものもあった。

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然し、それと丁度反対のがあった。

ふやけたタコの子のような赤ん坊の写真が入っていたりした。

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ふやけたたこの子のような赤子の写真が入っていたりした。

「これがか⁈」

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「これがか⁈」

と、とんきょうな声で笑い出してしまう。

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と、頓狂とんきょうな声で笑い出してしまう。

それから「どうだ、これが生まれたんだとよ」

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それから「どうだ、これが産れたんだとよ」

と言って、わざわざ一人一人に、ニコニコしながら見せて歩いた。

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と云ってワザワザ一人々々に、ニコニコしながら見せて歩いた。

荷物の中には、何でもないことだけれど、妻でなければ気づかないような、細かい心づかいのわかるものが入っていた。

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荷物の中には何んでもないことで、然し妻でなかったら、やはり気付かないような細かい心配りの分るものが入っていた。

そんな時は、急に誰でも、バタバタと心が「あやしく」

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そんな時は、急に誰でも、バタバタと心が「あやしく」

騒ぎ立った。――

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騒ぎ立った。――

そして、ただ、むしょうに帰りたかった。

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そして、ただ、無性に帰りたかった。

中積船には、会社が送りこんだ活動写真隊が乗り込んできていた。

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中積船には、会社で派遣した活動写真隊が乗り込んできていた。

出来上がった分の缶詰を中積船に移し終えた晩、船で活動写真を映すことになった。

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出来上っただけの罐詰を中積船に移してしまった晩、船で活動写真を映すことになった。

平たいハンチング帽を少しななめにかぶり、蝶ネクタイをして、太いズボンをはいた、同じような格好の若い男が二、三人、重そうなトランクを持って船へやってきた。

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平べったい鳥打ちを少し横めにかぶり、ちょうネクタイをして、太いズボンをはいた、若い同じような恰好かっこうの男が二、三人トランクを重そうに持って、船へやってきた。

「臭い、臭い!」

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「臭い、臭い!」

そう言いながら、上着を脱ぎ、口笛を吹きながら、幕を張ったり、距離をはかって台を置いたりし始めた。

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そう云いながら、上着を脱いで、口笛を吹きながら、幕をはったり、距離をはかって台を据えたりし始めた。

漁夫たちは、それらの男から、何か「海で」

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漁夫達は、それ等の男から、何か「海で」

ないもの――自分たちのようなものではないもの、を感じて、それにひどく引きつけられた。

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ないもの――自分達のようなものでないもの、を感じ、それにひどく引きつけられた。

船員や漁夫は、どこか浮かれ気味で、彼らの支度を手伝った

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船員や漁夫は何処か浮かれ気味で、彼等の仕度したくに手伝った

一番年上らしい、下品に見える太い金ぶちの眼鏡をかけた男が、少しはなれた所に立って、首の汗をふいていた。

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一番年かさらしい下品に見える、太い金縁の眼鏡をかけた男が、少し離れた処に立って、首の汗を拭いていた。

「弁士さん、そったら所さ立ってれば、足から蚤(のみ・血を吸う小さな虫)がハネ上って行きますよ!」

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「弁士さん、そったらとこさ立ってれば、足からのみがハネ上って行きますよ!」

と言われて、「ひやア――ッ!」

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と、「ひやア――ッ!」

焼けた鉄板でもふんづけたように跳ね上がった。

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焼けた鉄板でも踏んづけたようにハネ上った。

見ていた漁夫たちがドッと笑った。

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見ていた漁夫達がドッと笑った。

「しかしひどい所にいるんだな!」

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「然しひどい所にいるんだな!」

しゃがれた、ジャラジャラした声だった。

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しゃがれた、ジャラジャラ声だった。

それも、やはり弁士だった。

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それはやはり弁士だった。

「知らないだろうけれど、この会社がこうやってここへやって来るために、いくら儲けていると思う? 大したもんだ。六カ月で五百万円だよ。一年で千万円だ。――口で千万円って言えば、それだけのことに聞こえるけれど、大したもんだ。それに株主へ二割二分五厘なんて、とんでもない配当をする会社なんて、日本にだってそうそうないんだ。今度社長が代議士になるって言うし、申し分ないさ。――やっぱり、こんな風にひどくしなけりゃ、あれだけ儲けられないんだろうな」

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「知らないだろうけれども、この会社が此処ここへこうやって、やって来るために、幾何いくらもうけていると思う? 大したもんだ。六カ月に五百万円だよ。一年千万円だ。――口で千万円って云えば、それっ切りだけれども、大したもんだ。それに株主へ二割二分五厘なんて滅法界もない配当をする会社なんて、日本にだってそうないんだ。今度社長が代議士になるッて云うし、申分がないさ。――やはり、こんな風にしてもひどくしなけア、あれだけ儲けられないんだろうな」

夜になった。

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夜になった。

「一万箱祝い」

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「一万箱祝」

を兼ねてやることになり、酒、焼酎、するめ、煮しめ、たばこの「バット」、キャラメルが、みんなに配られた。

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を兼ねてやることになり、酒、焼酎しょうちゅう、するめ、にしめ、バット、キャラメルが皆の間に配られた。

「さ、親父のどこさ来い」

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「さ、親父おどのどこさ来い」

雑夫が、漁夫や船員の間で引っ張りだこになった。

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雑夫が、漁夫、船員の間に、引張りだこになった。

「あぐらさ抱いて見せてやるからな」

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安坐あぐらさ抱いて見せてやるからな」

「危い、危い! 俺のどこさ来いてば」

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「危い、危い! 俺のどこさ来いてば」

それがガヤガヤと、しばらく続いた。

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それがガヤガヤしばらく続いた。

前の方で、四、五人が急に拍手した。

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前列の方で四、五人が急に拍手した。

みんなも、わけがわからないまま、それに続けて手をたたいた。

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皆も分らずに、それに続けて手をたたいた。

監督が、白い垂れ幕の前に出てきた。――

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監督が白い垂幕の前に出てきた。――

腰をのばして、両手を後ろに回しながら、「諸君は」

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腰をのばして、両手を後に廻わしながら、「諸君は」

とか、「私は」

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とか、「私は」

とか、ふだん言ったことのない言葉を出したり、また、いつもの「日本男児」

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とか、普段云ったことのない言葉を出したり、又何時いつもの「日本男児」

だとか、「国富」

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だとか、「国富」

だとか言い出した。

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だとか云い出した。

大部分の者は、聞いていなかった。

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大部分は聞いていなかった。

こめかみとあごの骨を動かしながら、「するめ」

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こめかみとあごの骨を動かしながら、「するめ」

を噛んでいた。

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んでいた。

「やめろ、やめろ!」

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「やめろ、やめろ!」

後ろから怒鳴る。

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後から怒鳴る。

「お前えなんか、ひっこめ! 弁士がいるんだ、ちアんと」

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「お前えなんか、ひっこめ! 弁士がいるんだ、ちアんと」

「六角棒の方が似合うぞ!」

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「六角棒の方が似合うぞ!」

――みんなドッと笑った。

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――皆ドッと笑った。

口笛をピュウピュウ吹いて、やたらに手をたたいた。

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口笛をピュウピュウ吹いて、ヤケに手をたたいた。

監督も、まさかそこでは怒れず、顔を赤くして何か言うと(みんなが騒ぐので聞こえなかった)引っ込んだ。

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監督もまさか其処そこでは怒れず、顔を赤くして、何か云うと(皆が騒ぐので聞えなかった)引っ込んだ。

そして活動写真が始まった。

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そして活動写真が始まった。

最初は「実写」

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最初「実写」

だった。

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だった。

宮城、松島、江ノ島、京都……が、ガタピシャガタピシャと写っていった。

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宮城、松島、江ノ島、京都……が、ガタピシャガタピシャと写って行った。

時々切れた。

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時々切れた。

急に写真が二、三枚ダブって、目まいでもしたように入り乱れたかと思うと、一瞬で消えて、パッと白い幕になった。

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急に写真が二、三枚ダブって、目まいでもしたように入り乱れたかと思うと、瞬間消えて、パッと白い幕になった。

それから、西洋物と日本物をやった。

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それから西洋物と日本物をやった。

どれも写真にはキズが入っていて、ひどく「雨が降った」

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どれも写真はキズが入っていて、ひどく「雨が降った」

それに、ところどころ切れているのをつなぎ合わせたらしく、人の動きがギクシャクしていた。――

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それに所々切れているのを接合させたらしく、人の動きがギクシャクした。――

しかし、そんなことはどうでもよかった。

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然しそんなことはどうでもよかった。

みんなはすっかり引き込まれていた。

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皆はすっかり引き入れられていた。

外国の、いい体をした女が出てくると、口笛を吹いたり、豚のように鼻を鳴らしたりした。

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外国のいい身体をした女が出てくると、口笛を吹いたり、豚のように鼻をならした。

弁士は怒って、しばらく説明しないこともあった。

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弁士は怒ってしばらく説明しないこともあった。

西洋物はアメリカ映画で、「西部開発史」

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西洋物はアメリカ映画で、「西部開発史

を扱ったものだった。――

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を取扱ったものだった。――

野蛮人の襲撃を受けたり、自然の猛威にこわされたりしながらも、また立ち上がって、少しずつ鉄道をのばしていく。

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野蛮人の襲撃をうけたり、自然の暴虐に打ちこわされては、又立ち上り、一間いっけん々々と鉄道をのばして行く。

途中に、一夜づくりの「町」

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途中に、一夜作りの「町」

が、まるで鉄道の結びコブのようにできる。

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が、まるで鉄道の結びコブのように出来る。

そして鉄道が進む、その先へ先へと、町ができていった。――

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そして鉄道が進む、その先きへ、先きへと町が出来て行った。――

そこから起こるいろいろな苦難が、一人の工夫と、会社の重役の娘との「恋物語」

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其処から起る色々な苦難が、一工夫と会社の重役の娘との「恋物語」

ともつれ合って、表に出たり裏になったりして描かれていた。

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ともつれ合って、表へ出たり、裏になったりして描かれていた。

最後の場面で、弁士が声を張りあげた。

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最後の場面で、弁士が声を張りあげた。

「彼ら、数多くの犠牲となった青年たちによって、ついに成功にたどりついた、延々何百マイルもの鉄道は、長い蛇のように野を走り、山を貫き、昨日までの未開の土地は、こうして国の富と変わったのであります」

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「彼等幾多の犠牲的青年によって、遂に成功するに至った延々何百マイルの鉄道は、長蛇の如く野を走り、山を貫き、昨日までの蛮地は、かくして国富と変ったのであります」

重役の娘と、いつの間にか紳士のようになった工夫が抱き合うところで、幕になった。

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重役の娘と、何時いつの間にか紳士のようになった工夫が相抱くところで幕だった。

間に、意味もなくゲラゲラ笑わせる、短い西洋物が一本はさまった。

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間に、意味なくゲラゲラ笑わせる、短い西洋物が一本はさまった。

日本の方は、貧乏な一人の少年が「納豆売り」

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日本の方は、貧乏な一人の少年が「納豆売り」

「夕刊売り」

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「夕刊売り」

などから「靴磨き」

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などから「靴磨き」

をやり、工場に入って模範職工になり、取り立てられて、大金持ちになる映画だった。――

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をやり、工場に入り、模範職工になり、取り立てられて、一大富豪になる映画だった。――

弁士は字幕にはなかったが、「まことに、勤勉こそ成功の母でなくて何であろうか!」

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弁士は字幕タイトルにはなかったが、「げに勤勉こそ成功の母ならずして、何んぞや!」

と言った。

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と云った。

それには、雑夫たちの「真剣な」

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それには雑夫達の「真剣な」

拍手が起こった。

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拍手が起った。

しかし、漁夫か船員のうちで、

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然し漁夫か船員のうちで、

「嘘こけ! そんだったら、俺なんて社長になってねかならないべよ」

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うそこけ! そんだったら、俺なんて社長になってねかならないべよ」

と大声を出した者がいた。

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と大声を出したものがいた。

それで、みんなは大笑いに笑ってしまった。

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それで皆は大笑いに笑ってしまった。

後で弁士が、「ああいう所へは、ウンと力を入れて、繰り返し繰り返し言ってもらいたいって、会社から命令されて来たんだ」

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後で弁士が、「ああいう処へは、ウンと力を入れて、繰りかえし、繰りかえし云って貰いたいって、会社から命令されて来たんだ」

と言った。

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と云った。

最後は、会社の、各工場や事務所などを写したものだった。

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最後は、会社の、各所属工場や、事務所などを写したものだった。

「勤勉」

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「勤勉」

に働いているたくさんの労働者が写っていた。

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に働いている沢山の労働者が写っていた。

写真が終わってから、みんなは一万箱祝いの酒で酔っ払った。

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写真が終ってから、皆は一万箱祝いの酒で酔払った。

長い間、酒を口にしていなかったのと、疲れすぎていたのとで、ベロベロに参ってしまった。

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長い間口にしなかったのと、疲労し過ぎていたので、ベロベロに参ってしまった。

薄暗い電灯の下に、たばこの煙が雲のようにこもっていた。

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薄暗い電気の下に、煙草の煙が雲のようにこめていた。

空気がむれて、ドロドロに腐っていた。

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空気がムレて、ドロドロに腐っていた。

肌ぬぎになったり、鉢巻をしたり、大きくあぐらをかいてお尻をすっかりまくり上げたり、大声でいろいろなことを怒鳴り合ったりした。――

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肌脱はだぬぎになったり、鉢巻をしたり、大きく安坐をかいて、尻をすっかりまくり上げたり、大声で色々なことを怒鳴り合った。――

時々、なぐり合いのけんかが起こった。

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時々なぐり合いの喧嘩けんかが起った。

それが十二時過ぎまで続いた。

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それが十二時過ぎまで続いた。

脚気で、いつも寝ていた函館の漁夫が、まくらを少し高くしてもらって、みんなの騒ぐのを見ていた。

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脚気かっけで、何時も寝ていた函館の漁夫が、枕を少し高くして貰って、皆の騒ぐのを見ていた。

同じ所から来ている友達の漁夫は、そばの柱に寄りかかりながら、歯にはさまったするめを、マッチの軸で「シイ」

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同じ処から来ている友達の漁夫は、側の柱に寄りかかりながら、歯にはさまったするめを、マッチの軸で「シイ」

「シイ」

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「シイ」

と音をさせて、ほじっていた。

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音をさせてせせっていた。

よほど夜がふけてからだった。――

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余程過ぎてからだった。――

「糞壺」

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「糞壺」

の階段を、麻袋のように漁夫が転がってきた。

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の階段を南京袋のように漁夫が転がって来た。

着物と右手が、すっかり血まみれになっていた。

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着物と右手がすっかり血まみれになっていた。

「出刃(でば)、出刃! 出刃を取ってくれ!」

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「出刃、出刃! 出刃を取ってくれ!」

土間をはいながら、叫んでいる。

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土間をいながら、叫んでいる。

「浅川の野郎、どこへ行きゃがった。居ねえんだ。殺してやるんだ」

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「浅川の野郎、何処へ行きゃがった。居ねえんだ。殺してやるんだ」

監督になぐられたことのある漁夫だった。――

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監督のためになぐられたことのある漁夫だった。――

その男は、ストーブの火かき棒を持って、目の色を変えて、また出ていった。

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その男はストーヴのデレッキを持って、眼の色をかえて、又出て行った。

誰も、それを止めなかった。

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誰もそれをとめなかった。

「な!」

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「な!」

函館の漁夫は、友達を見上げた。

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函館の漁夫は友達を見上げた。

「漁夫だって、いつも木の根っこみたいな馬鹿でねえんだな。面白くなるど!」

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「漁夫だって、何時も木の根ッこみたいな馬鹿でねえんだな。面白くなるど!」

次の朝になって、監督の部屋の窓ガラスから、テーブルの道具まで、すっかりめちゃくちゃに壊されていたことがわかった。

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次の朝になって、監督の窓硝子まどガラスからテーブルの道具が、すっかり滅茶苦茶にこわされていたことが分った。

監督だけは、どこにいたのか運よく「こわされて」

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監督だけは、何処にいたのか運良く「こわされて

いなかった。

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いなかった。

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柔らかい雨曇りだった。――

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柔かい雨曇りだった。――

前の日まで降っていた。

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前の日まで降っていた。

それが上がりかけたころだった。

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それが上りかけた頃だった。

曇った空と同じ色の雨が、これもやはり曇った空と同じ色の海に、時々おだやかな丸い波紋を落としていた。

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曇った空と同じ色の雨が、これもやはり曇った空と同じ色の海に、時々なごやかな円るい波紋を落していた。

昼過ぎ、駆逐艦がやって来た。

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ひる過ぎ、駆逐艦がやって来た。

手のあいた漁夫や雑夫や船員が、デッキの手すりに寄って、見とれながら、駆逐艦についてガヤガヤ話し合った。

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手の空いた漁夫や雑夫や船員が、デッキの手すりに寄って、見とれながら、駆逐艦についてガヤガヤ話しあった。

めずらしいものだった。

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物めずらしかった。

駆逐艦からは、小さいボートが降ろされて、士官たちが本船へやってきた。

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駆逐艦からは、小さいボートが降ろされて、士官連が本船へやってきた。

船の横に、ななめに降ろされたタラップの、下の踊り場には、船長、工場代表、監督、雑夫長が待っていた。

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サイドに斜めに降ろされたタラップの、下のおどり場には船長、工場代表、監督、雑夫長が待っていた。

ボートが横付けになると、お互いに挙手の礼をして、船長が先頭に上ってきた。

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ボートが横付けになると、お互に挙手の礼をして船長が先頭に上ってきた。

監督が上をひょいと見ると、眉と口のはしをゆがめて、手を振って見せた。

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監督が上をひょいと見ると、まゆと口隅をゆがめて、手を振って見せた。

「何を見てるんだ。行ってろ、行ってろ!」

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「何を見てるんだ。行ってろ、行ってろ!」

「威張んねえ、野郎!」

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「偉張んねえ、野郎!」

――ゾロゾロと、デッキで後ろの者が前の者を順に押しながら、工場へ降りていった。

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――ゾロゾロデッキを後のものが前を順に押しながら、工場へ降りて行った。

生ぐさい匂いが、デッキにただよって、残った。

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生ッ臭い匂いが、デッキにただよって、残った。

「臭いね」

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「臭いね」

きれいな口ひげの若い士官が、上品に顔をしかめた。

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綺麗な口髭くちひげの若い士官が、上品に顔をしかめた。

後からついてきた監督が、あわてて前へ出ると、何か言って、頭を何度も下げた。

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後からついてきた監督が、周章あわてて前へ出ると、何か云って、頭を何度も下げた。

みんなは遠くから、飾りのついた短剣が、歩くたびにお尻に当たって跳ね上がるのを見ていた。

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皆は遠くから飾りのついた短剣が、歩くたびに尻に当って、跳ね上がるのを見ていた。

どれがどれより偉いとか、偉くないとか、それを本気で言い合った。

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どれが、どれよりも偉いとか偉くないとか、それを本気で云い合った。

しまいに、けんかのようになった。

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しまいに喧嘩のようになった。

「ああなると、浅川も見られたもんでないな」

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「ああなると、浅川も見られたもんでないな」

監督のペコペコした格好を、まねして見せた。

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監督のペコペコした恰好かっこう真似まねして見せた。

みんなは、それでドッと笑った。

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皆はそれでドッと笑った。

その日は、監督も雑夫長もいないので、みんな気楽に仕事をした。

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その日、監督も雑夫長もいないので、皆は気楽に仕事をした。

歌をうたったり、機械越しに声高く話し合ったりした。

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うたをうたったり、機械越しに声高こわだかに話し合った。

「こんな風に仕事をさせたら、どんなもんだべな」

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「こんな風に仕事をさせたら、どんなもんだべな」

みんなが仕事を終えて、上甲板に上ってきた。

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皆が仕事を終えて、上甲板に上ってきた。

サロンの前を通ると、中から酔っ払って、無遠慮に大声でわめき散らしているのが聞こえた。

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サロンの前を通ると、中から酔払って、無遠慮に大声でわめき散らしているのが聞えた。

給仕が出てきた。

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給仕ボーイが出てきた。

サロンの中は、たばこの煙でムンムンしていた。

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サロンの中は煙草の煙でムンムンしていた。

給仕の、のぼせた顔には、汗が一粒一粒になって出ていた。

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給仕の上気した顔には、汗が一つ一つ粒になって出ていた。

両手に、空のビールびんをいっぱい持っていた。

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両手に空のビールびんを一杯もっていた。

あごで、ズボンのポケットを知らせて、

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あごで、ズボンのポケットを知らせて、

「顔を頼む」

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「顔を頼む」

と言った。

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と云った。

漁夫がハンカチを出してふいてやりながら、サロンを見て、「何してるんだ?」

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漁夫がハンカチを出してふいてやりながら、サロンを見て、「何してるんだ?」

と聞いた。

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ときいた。

「イヤ、大変さ。ガブガブ飲みながら、何を話してるかって言えば――女のアレがどうしたとか、こうしたとかよ。おかげで百回も走らされるんだ。農林省の役人が来れば来たで、タラップからタタキ落ちるほど酔っぱらうしな!」

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「イヤ、大変さ。ガブガブ飲みながら、何を話してるかって云えば――女のアレがどうしたとか、こうしたとかよ。お蔭で百回も走らせられるんだ。農林省の役人が来れば来たでタラップからタタキ落ちる程酔払うしな!」

「何しに来るんだべ?」

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「何しに来るんだべ?」

給仕は、わからんさ、という顔をして、急いでコック場へ走っていった。

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給仕は、分らんさ、という顔をして、急いでコック場に走って行った。

はしでは食べづらいボロボロの南京米に、紙切れのような実が浮かんでいる塩っぽい味噌汁で、漁夫たちは飯を食った。

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はしでは食いづらいボロボロな南京米に、紙ッ切れのような、実が浮んでいる塩ッぽい味噌汁で、漁夫等が飯を食った。

「食ったことも、見たこともねえ洋食が、サロンさ何んぼも行ったな」

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「食ったことも、見たことも無えん洋食が、サロンさ何んぼも行ったな」

「糞喰え――だ」

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「糞喰え――だ」

テーブルのそばの壁には、

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テーブルの側の壁には、

一、飯のことで文句を言う者は、偉い人間になれぬ。

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一、飯のことで文句を云うものは、偉い人間になれぬ。

一、一粒の米を大切にせよ。

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一、一粒の米を大切にせよ。

血と汗の賜物なり。

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血と汗の賜物たまものなり。

一、不自由と苦しさに耐えよ。

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一、不自由と苦しさに耐えよ。

ふりがなのついた下手な字で、そんなビラが貼られていた。

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振仮名がついた下手な字で、ビラがらさっていた。

下の余白には、共同便所の中にあるような、いやらしい落書きがされていた。

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下の余白には、共同便所の中にあるような猥褻わいせつな落書がされていた。

飯が終わると、寝るまでの少しの間、ストーブを囲んだ。――

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飯が終ると、寝るまでの一寸の間、ストーヴを囲んだ。――

駆逐艦のことから、兵隊の話が出た。

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駆逐艦のことから、兵隊の話が出た。

漁夫には、秋田、青森、岩手の百姓が多かった。

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漁夫には秋田、青森、岩手の百姓が多かった。

それで、兵隊のことになると、わけもなく夢中になった。

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それで兵隊のことになると、訳が分らず、夢中になった。

兵隊に行ってきた者が多かった。

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兵隊に行ってきたものが多かった。

彼らは、今では、その当時の残酷な兵隊の生活を、かえって懐かしいものとして、いろいろ思い出していた。

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彼等は、今では、その当時の残虐に充ちた兵隊の生活をかえってなつかしいものに、色々おもい出していた。

みんなが寝てしまうと、急に、サロンで騒いでいる音が、デッキの板や船べりを伝って、ここまで聞こえてきた。

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皆寝てしまうと、急に、サロンで騒いでいる音が、デッキの板や、サイドを伝って、此処まで聞えてきた。

ふと目をさますと、「まだやっている」

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ひょいと眼をさますと、「まだやっている」

のが耳に入った。――

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のが耳に入った。――

もう夜が明けるのではないか。

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もう夜が明けるんではないか。

誰か――給仕かもしれない、甲板を行ったり来たりしている靴のかかとの、コツ、コツという音がしていた。

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誰か――給仕かも知れない、甲板を行ったり、来たりしている靴のかかとのコツ、コツという音がしていた。

実際、騒ぎは夜明けまで続いた。

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実際、そして、騒ぎは夜明けまで続いた。

士官たちは、それでも駆逐艦に帰っていったらしく、タラップは降ろされたままになっていた。

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士官連はそれでも駆逐艦に帰って行ったらしく、タラップは降ろされたままになっていた。

そして、その段のあちこちに、飯粒や蟹の肉や茶色のドロドロしたものが混ざり合った吐いたあとが、五、六段続いてついていた。

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そして、その段々に飯粒や蟹の肉や茶色のドロドロしたものが、ゴジャゴジャになった嘔吐へどが、五、六段続いて、かかっていた。

吐いたあとからは、腐ったアルコールの匂いが強く、鼻にプーンときた。

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嘔吐からは腐ったアルコールのにおいが強く、鼻にプーンときた。

胸が思わずカアーッとくる匂いだった。

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胸が思わずカアーッとくる匂いだった。

駆逐艦は、翼をたたんだ灰色の水鳥のように、見えないほどわずかに体をゆすって浮かんでいた。

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駆逐艦は翼をおさめた灰色の水鳥のように、見えない程に身体をゆすって、浮かんでいた。

それは、体全体が「眠り」

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それは身体全体が「眠り」

をむさぼっているように見えた。

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むさぼっているように見えた。

煙突からは、たばこの煙よりも細い煙が、風のない空に毛糸のように上っていた。

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煙筒からは煙草の煙よりも細い煙が風のない空に、毛糸のように上っていた。

監督や雑夫長たちは、昼になっても起きてこなかった。

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監督や雑夫長などは昼になっても起きて来なかった。

「勝手な畜生だ!」

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「勝手な畜生だ!」

仕事をしながら、ブツブツ言った。

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仕事をしながら、ブツブツ云った。

コック部屋のすみには、乱雑に食い散らかされた空の蟹缶詰やビールびんが、山積みになっていた。

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コック部屋のすみには、粗末に食い散らされた空の蟹罐詰やビール瓶が山積みに積まさっていた。

朝になると、それを運んで歩いた給仕自身でさえ、よくこんなに飲んだり食ったりしたもんだ、とびっくりした。

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朝になると、それを運んで歩いたボーイ自身でさえ、よくこんなに飲んだり、食ったりしたもんだ、と吃驚びっくりした。

給仕は仕事がら、漁夫や船員たちにはとてもうかがい知ることのできない、船長や監督、工場代表たちのむき出しの生活をよく知っていた。

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給仕は仕事の関係で、漁夫や船員などが、とてもうかがい知ることの出来ない船長や監督、工場代表などのムキ出しの生活をよく知っていた。

と同時に、漁夫たちのみじめな生活(監督は酔うと、漁夫たちを「豚め、豚め」

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と同時に、漁夫達のみじめな生活(監督は酔うと、漁夫達を「豚奴ぶため々々」

と言っていた)も、はっきり比べられるものとして知っていた。

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と云っていた)も、ハッキリ対比されて知っている。

公平に言って、上の人間は傲慢(ごうまん・いばっていて人を見下すこと)で、恐ろしいことを儲けのために「平気」

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公平に云って、上の人間はゴウマンで、恐ろしいことをもうけのために「平気」

でたくらんだ。

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たくらんだ。

漁夫や船員は、それにまんまと落ち込んでいった。――

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漁夫や船員はそれにウマウマ落ち込んで行った。――

それは、見ていられなかった。

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それは見ていられなかった。

何も知らないうちはいい。給仕は、いつもそう考えていた。

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何も知らないうちはいい、給仕は何時もそう考えていた。

彼は、当然どういうことが起こるか――起こらずにはいられないか、それが自分でわかるように思っていた。

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彼は、当然どういうことが起るか――起らないではいないか、それが自分で分るように思っていた。

二時ごろだった。

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二時頃だった。

船長や監督たちは、下手にたたんでおいたためについたらしい、いろいろな折り目のついた服を着て、缶詰を船員二人に持たせ、発動機船で駆逐艦へ出かけていった。

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船長や監督等は、下手に畳んでおいたために出来たらしい、色々な折目のついた服を着て、罐詰を船員二人に持たして、発動機船で駆逐艦に出掛けて行った。

甲板で蟹外しをしていた漁夫や雑夫が、手を休めずに「嫁入り行列」

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甲板で蟹外しをしていた漁夫や雑夫が、手を休めずに「嫁行列」

でも見るように、それを見ていた。

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でも見るように、それを見ていた。

「何やるんだか、分ったもんでねえな」

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「何やるんだか、分ったもんでねえな」

「俺達の作った缶詰ば、まるでちり紙よりも粗末にしやがる!」

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「俺達の作った罐詰ば、まるで糞紙よりも粗末にしやがる!」

「然しな……」

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「然しな……」

中年を過ぎかけている、左手の指が三本しかない漁夫だった。

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中年を過ぎかけている、左手の指が三本よりない漁夫だった。

「こんな処まで来て、わざわざ俺達ば守っててけるんだもの、ええさ――な」

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「こんな処まで来て、ワザワザ俺達ば守っててけるんだもの、ええさ――な」

――その夕方、駆逐艦が、知らないうちにムクムクと煙突から煙を出し始めた。

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――その夕方、駆逐艦が、知らないうちにムクムクと煙突から煙を出し初めた。

デッキを忙しく水兵が行ったり来たりし出した。

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デッキを急がしく水兵が行ったり来たりし出した。

そして、それから三十分ほどして動き出した。

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そして、それから三十分程して動き出した。

船の後ろの旗が、ハタハタと風にはためく音が聞こえた。

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艦尾の旗がハタハタと風にはためく音が聞えた。

蟹工船では、船長のかけ声で、「万歳」

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蟹工船では、船長の発声で、「万歳」

を叫んだ。

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を叫んだ。

夕飯が終わってから、「糞壺」

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夕飯が終ってから、「糞壺」

へ給仕が下りてきた。

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へ給仕がおりてきた。

みんなはストーブの周りで話していた。

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皆はストーヴの周囲で話していた。

薄暗い電灯の下に立っていって、シャツから虱(しらみ・服にすみつく小さな虫)を取っている者もいた。

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薄暗い電燈の下に立って行って、シャツから虱を取っているのもいた。

電灯を横切るたびに、大きな影が、ペンキを塗ったすすけた船べりに、ななめに映った。

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電燈を横切るたびに、大きな影がペンキを塗った、すすけたサイドに斜めにうつった。

「士官や船長や監督の話だけれどもな、今度ロシアの領地へこっそり入りこんで漁をするそうだど。それで駆逐艦がしょっちゅう、そばにいて番をしてくれるそうだ――だいぶ、コレやってるらしいな。(親指と人差し指で丸をつくってみせた)

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「士官や船長や監督の話だけれどもな、今度ロシアの領地へこっそり潜入して漁をするそうだど。それで駆逐艦がしっきりなしに、側にいてをしてくれるそうだ――大部、コレやってるらしいな。(拇指と人差指で円るくしてみせた)

「皆の話を聞いていると、金がそのままゴロゴロ転がっているようなカムサツカや北樺太など、このあたり一帯を、いずれはどうしても日本のものにするそうだ。日本のアレは支那や満洲ばかりでなく、こっちの方面も大切だって言うんだ。それにはここの会社が三菱などと一緒になって、政府をうまくつついているらしい。今度社長が代議士になれば、もっとそれをドンドンやるようだど。

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「皆の話を聞いていると、金がそのままゴロゴロころがっているようなカムサツカや北樺太など、この辺一帯を、行く行くはどうしても日本のものにするそうだ。日本のアレは支那や満洲ばかりでなしに、こっちの方面も大切だって云うんだ。それにはここの会社が三菱などと一緒になって、政府をウマクつッついているらしい。今度社長が代議士になれば、もっとそれをドンドンやるようだど。

「それでさ、駆逐艦が蟹工船の警備に出動すると言ったところで、どうしてどうして、そればかりの目的じゃなくて、この辺の海、北樺太、千島のあたりまで、くわしく測量したり気候を調べたりするのが、かえって本当の目的で、いざという時に手ぬかりのないようにするわけだな。これは秘密だろうと思うんだが、千島の一番はしの島に、こっそり大砲を運んだり、重油を運んだりしているそうだ。

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「それでさ、駆逐艦が蟹工船の警備に出動すると云ったところで、どうしてどうして、そればかりの目的でなくて、この辺の海、北樺太、千島の附近まで詳細に測量したり気候を調べたりするのが、かえって大目的で、万一のアレに手ぬかりなくする訳だな。これア秘密だろうと思うんだが、千島の一番端の島に、コッソリ大砲を運んだり、重油を運んだりしているそうだ。

「俺、初めて聞いてびっくりしたんだけれどもな、今までの日本のどの戦争でも、本当は――つきつめてみれば、みんな二人か三人の金持ち(そのかわり大金持ち)の指図で、きっかけだけはいろいろこじつけて起こしたもんだとよ。何しろ、もうかりそうな場所を手に入れたくて、手に入れたくて、じたばたしてるんだそうだからな、そいつらは。――危ないそうだ」

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「俺初めて聞いて吃驚びっくりしたんだけれどもな、今までの日本のどの戦争でも、本当は――底の底を割ってみれば、みんな二人か三人の金持の(そのかわり大金持の)指図で、動機きっかけだけは色々にこじつけて起したもんだとよ。何んしろ見込のある場所を手に入れたくて、手に入れたくてパタパタしてるんだそうだからな、そいつ等は。――危いそうだ」

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ウインチがガラガラと鳴って、川崎船が下がってきた。

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ウインチがガラガラとなって、川崎船が下がってきた。

ちょうどその下に漁夫が四人ほどいて、ウインチの腕が短いので、下りてくる川崎船をデッキの外側に押してやり、海まで下りられるようにしてやっていた。――

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丁度その下に漁夫が四人程居て、ウインチの腕が短いので、下りてくる川崎船をデッキの外側に押してやって、海までそれが下りれるようにしてやっていた。――

よく危ないことがあった。

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よく危いことがあった。

ボロ船のウインチは、脚気の膝のようにギクシャクとしていた。

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ボロ船のウインチは、脚気かっけひざのようにギクシャクとしていた。

ワイヤーを巻いている歯車のぐあいで、グイと片方のワイヤーだけが、びっこをひくようにのびる。

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ワイヤーを巻いている歯車の工合で、グイと片方のワイヤーだけがびっこにのびる。

川崎船が、いぶした鰊(にしん)のように、すっかりななめにぶら下がってしまうことがある。

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川崎船が燻製鰊くんせいにしんのように、すっかり斜めにブラ下がってしまうことがある。

そのとき、不意をつかれて、下にいた漁夫がよく怪我をした。――

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その時、不意をらって、下にいた漁夫がよく怪我けがをした。――

その朝、それがあった。

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その朝それがあった。

「あッ、危い!」

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「あッ、危い!」

誰かが叫んだ。

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誰か叫んだ。

真上からたたきのめされて、下にいた漁夫の首が、くいのように胸の中にめり込んでしまった。

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真上からタタキのめされて、下の漁夫の首が胸の中に、くいのように入り込んでしまった。

漁夫たちは、船医のところへかかえこんでいった。

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漁夫達は船医のところへかかえこんだ。

彼らのうちで、今ではもうはっきり、監督などに対して「畜生!」

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彼等のうちで、今ではハッキリ監督などに対して「畜生!」

と思っている者たちは、医者に「診断書」

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と思っている者等は、医者に「診断書」

を書いてもらうよう頼むことにした。

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を書いて貰うように頼むことにした。

監督は、蛇に人間の皮を着せたような奴だから、何とかきっと難くせを「ぬかす」

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監督は蛇に人間の皮をきせたような奴だから、何んとかキット難くせを「ぬかす」

に違いなかった。

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に違いなかった。

そのときの抗議のために、診断書は必要だった。

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その時の抗議のために診断書は必要だった。

それに船医は、わりあい漁夫や船員に同情を持っていた。

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それに船医は割合漁夫や船員に同情を持っていた。

「この船は、仕事をして怪我をしたり病気になったりするよりも、ひっぱたかれたり、たたきのめされたりして怪我したり病気したりする方が、ずうっと多いんだからねえ」

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「この船は仕事をして怪我をしたり、病気になったりするよりも、ひッぱたかれたり、たたきのめされたりして怪我したり、病気したりする方が、ずウッと多いんだからねえ」

と驚いていた。

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と驚いていた。

いちいち日記につけて、後の証拠にしなければならない、と言っていた。

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一々日記につけて、後の証拠にしなければならない、と云っていた。

それで、病気や怪我をした漁夫や船員たちを、わりあい親切にみてくれていた。

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それで、病気や怪我をした漁夫や船員などを割合に親切に見てくれていた。

診断書を作ってもらいたいんですけれども、と一人が切り出した。

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診断書を作って貰いたいんですけれどもと、一人が切り出した。

初め、びっくりしたようだった。

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初め、吃驚したようだった。

「さあ、診断書はねえ……」

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「さあ、診断書はねえ……」

「この通りに書いて下されば、いいんですが」

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「この通りに書いて下さればいいんですが」

はがゆかった。

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はがゆかった。

「この船では、それを書かせないことになってるんだよ。勝手にそう決めたらしいんだが。……後々のことがあるんでね」

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「この船では、それを書かせないことになってるんだよ。勝手にそう決めたらしいんだが。……後々のことがあるんでね」

気の短い、どもりの漁夫が「チェッ!」

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気の短い、どもりの漁夫が「チェッ!」

と舌打ちをしてしまった。

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と舌打ちをしてしまった。

「この前、浅川君になぐられて、耳が聞こえなくなった漁夫が来たので、何気なく診断書を書いてやったら、とんでもないことになってしまってね。――それがいつまでも証拠になるんで、浅川君にしてみりゃね……」

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「この前、浅川君になぐられて、耳が聞えなくなった漁夫が来たので、何気なく診断書を書いてやったら、飛んでもないことになってしまってね。――それが何時までも証拠になるんで、浅川君にしちゃね……」

彼らは船医の部屋を出ながら、船医もやはりそこまで行くと、もう「俺達」

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彼等は船医の室を出ながら、船医もやはり其処まで行くと、もう「俺達」

の味方ではなかったことを考えていた。

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の味方でなかったことを考えていた。

その漁夫は、しかし「不思議に」

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その漁夫は、しかし「不思議に」

どうにか命を取りとめることができた。

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どうにか生命を取りとめることが出来た。

その代わり、昼間でもよく何かにつまずいて転びそうになるほど暗いすみに転がったまま、その漁夫がうなっているのを、何日も何日も聞かされた。

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その代り、日中でもよく何かにつまずいて、のめる程暗いすみに転がったまま、その漁夫がうなっているのを、何日も何日も聞かされた。

彼が治りかけて、うめき声がみんなを苦しめなくなったころ、前から寝たきりになっていた脚気の漁夫が死んでしまった。――

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彼が直りかけて、うめき声が皆を苦しめなくなった頃、前から寝たきりになっていた脚気の漁夫が死んでしまった。――

二十七だった。

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二十七だった。

東京、日暮里(にっぽり)の周旋屋(人を紹介して仕事をあっせんする店)から来た者で、一緒の仲間が十人ほどいた。

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東京、日暮里にっぽりの周施屋から来たもので、一緒の仲間が十人程いた。

しかし、監督は次の日の仕事にさしつかえると言って、仕事に出ていない「病気の者だけ」

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然し、監督は次の日の仕事に差支えると云うので、仕事に出ていない「病気のものだけ」

で、「お通夜」

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で、「お通夜」

をさせることにした。

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をさせることにした。

湯灌(ゆかん・死んだ人の体をきれいに洗うこと)をしてやるために着物を解いてやると、体からは、胸がムカーッとする臭いが立った。

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湯灌ゆかんをしてやるために、着物を解いてやると、身体からは、胸がムカーッとする臭気がきた。

そして、不気味な真っ白い、平べったい虱が、あわててゾロゾロと走り出した。

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そして無気味な真白い、平べったいしらみ周章あわててゾロゾロと走り出した。

うろこのような形にあかのついた体全体は、まるで松の幹が転がっているようだった。

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鱗形うろこがたあかのついた身体全体は、まるで松の幹が転がっているようだった。

胸は、肋骨(ろっこつ)が一本一本、むき出しに見えていた。

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胸は、肋骨ろっこつが一つ一つムキ出しに出ていた。

脚気がひどくなってから自由に歩けなかったので、小便などはその場でもらしたらしく、あたり一面ひどい臭いだった。

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脚気がひどくなってから、自由に歩けなかったので、小便などはその場でもらしたらしく、一面ひどい臭気だった。

ふんどしもシャツも赤黒く色が変わって、つまみ上げると、硫酸でもかけたようにボロボロにくずれそうだった。

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ふんどしもシャツも赭黒あかぐろく色が変って、つまみ上げると、硫酸でもかけたように、ボロボロにくずれそうだった。

へそのくぼみには、あかとゴミがいっぱいにつまって、へそは見えなかった。

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へそくぼみには、垢とゴミが一杯につまって、臍は見えなかった。

肛門の周りには、糞がすっかり乾いて、粘土のようにこびりついていた。

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肛門のまわりには、糞がすっかり乾いて、粘土のようにこびりついていた。

「カムサツカでは死にたくない」

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「カムサツカでは死にたくない」

――彼は、死ぬときそう言ったそうだった。

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――彼は死ぬときそう云ったそうだった。

しかし、今、彼が命を落とすというとき、そばにはきっと誰も看てやる者がいなかったかもしれない。

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然し、今彼が命を落すというとき、側にキット誰もてやった者がいなかったかも知れない。

そのカムサツカでは、誰だって死にきれないだろう。

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そのカムサツカでは誰だって死にきれないだろう。

漁夫たちは、そのときの彼の気持ちを考えて、中には声をあげて泣いた者がいた。

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漁夫達はその時の彼の気持を考え、中には声をあげて泣いたものがいた。

湯灌に使うお湯をもらいにいくと、コックが、「可哀相にな」

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湯灌に使うお湯を貰いにゆくと、コックが、「可哀相にな」

と言った。

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と云った。

「たくさん持って行ってくれ。ずいぶん体が汚れてるべよ」

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「沢山持って行ってくれ。随分、身体が汚れてるべよ」

お湯を持ってくる途中、監督に会った。

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お湯を持ってくる途中、監督に会った。

「どこへゆくんだ」

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「何処へゆくんだ」

「湯灌だよ」

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「湯灌だよ」

と言うと、

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と云うと、

「ぜいたくに使うな」

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ぜいたくに使うな」

まだ何か言いたげにして、通っていった。

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まだ何か云いたげにして通って行った。

帰ってきたとき、その漁夫は、「あの時ほど、いきなり後ろからあいつの頭に、お湯をぶっかけてやりたくなった時はなかった!」

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帰ってきたとき、その漁夫は、「あの時位、いきなり後ろから彼奴あいつの頭に、お湯をブッかけてやりたくなった時はなかった!」

と言った。

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と云った。

興奮して、体をブルブル震わせた。

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興奮して、身体をブルブルふるわせた。

監督はしつこく回ってきては、みんなの様子を見ていった。――

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監督はしつこく廻ってきては、皆の様子を見て行った。――

しかし、みんなは、明日居眠りをしても、ふらつきながら仕事をしても――例の「サボ」

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然し、皆は明日居睡いねむりをしても、のめりながら仕事をしても――例の「サボ」

をやっても、みんなで「お通夜」

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をやっても、皆で「お通夜」

をしようということにした。

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をしようということにした。

そう決まった。

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そう決った。

八時ごろになって、ようやく一通りの用意ができ、線香やろうそくをつけて、みんながその前にすわった。

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八時頃になって、ようやく一通りの用意が出来、線香や蝋燭ろうそくをつけて、皆がその前に坐った。

監督は、とうとう来なかった。

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監督はとうとう来なかった。

船長と船医が、それでも一時間ほどすわっていた。

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船長と船医が、それでも一時間位坐っていた。

片言のように――切れ切れに、お経の文句を覚えていた漁夫が「それでいい、心が通じる」

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片言のように――切れ切れに、お経の文句を覚えていた漁夫が「それでいい、心が通じる」

と、みんなに言われて、お経をあげることになった。

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そう皆に云われて、お経をあげることになった。

お経のあいだ、シーンとしていた。

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お経の間、シーンとしていた。

誰かが鼻をすすり上げている。

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誰か鼻をすすり上げている。

終わりに近くなると、それが何人にも増えていった。

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終りに近くなるとそれが何人もに殖えて行った。

お経が終わると、一人一人焼香をした。

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お経が終ると、一人々々焼香をした。

それから座をくずして、それぞれ一かたまり、一かたまりになった。

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それから坐を崩して、各々一かたまり、一かたまりになった。

仲間が死んだことから、生きている――しかし、よく考えてみれば危ういところで生きている自分たちのことに、話がうつっていった。

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仲間の死んだことから、生きている――然し、よく考えてみればまるで危く生きている自分達のことに、それ等の話がなった。

船長と船医が帰ってから、どもりの漁夫が、線香とろうそくの立っている死体のそばのテーブルに出ていった。

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船長と船医が帰ってから、どもりの漁夫が線香とローソクの立っている死体の側のテーブルに出て行った。

「俺はお経は知らない。お経をあげて山田君の霊をなぐさめてやることはできない。しかし僕は、よく考えて、こう思うんです。山田君はどんなに死にたくなかったべか、とな。――いや、本当のことを言えば、どんなに殺されたくなかったか、と。たしかに、山田君は殺されたのです」

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「俺はお経は知らない。お経をあげて山田君の霊を慰めてやることは出来ない。然し僕はよく考えて、こう思うんです。山田君はどんなに死にたくなかったべか、とな。――イヤ、本当のことを云えば、どんなに殺されたくなかったか、と。確に山田君は殺されたのです」

聞いている者たちは、抑えられたように静かになった。

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聞いている者達は、抑えられたように静かになった。

「では、誰が殺したか? ――言わなくたってわかっているべよ! 僕はお経でもって、山田君の霊をなぐさめてやることはできない。しかし僕らは、山田君を殺した者のかたきをとることによって――とることによって、山田君をなぐさめてやることができるのだ。――このことを、今こそ、山田君の霊に僕らは誓わなければならないと思う……」

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「では、誰が殺したか? ――云わなくたって分っているべよ! 僕はお経でもって、山田君の霊を慰めてやることは出来ない。然し僕等は、山田君を殺したもののかたきをとることによって、とることによって、山田君を慰めてやることが出来るのだ。――この事を、今こそ、山田君の霊に僕等は誓わなければならないと思う……」

船員たちだった。一番先に「そうだ」

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船員達だった、一番先きに「そうだ」

と言ったのは。

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と云ったのは。

蟹の生ぐさい匂いと、人いきれのする「糞壺」

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蟹の生ッ臭いにおいと人いきれのする「糞壺」

の中に、線香の香りが、香水か何かのようにただよった。

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の中に線香のかおりが、香水か何かのように、ただよった。

九時になると、雑夫が帰っていった。

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九時になると、雑夫が帰って行った。

疲れているので、居眠りをしている者は、石の入った俵のように、なかなか起き上がらなかった。

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疲れているので、居睡りをしているものは、石の入った俵のように、なかなか起き上らなかった。

少しすると、漁夫たちも一人、二人と眠り込んでしまった。――

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一寸すると、漁夫達も一人、二人と眠り込んでしまった。――

波が出てきた。

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波が出てきた。

船が揺れるたびに、ろうそくの灯が消えそうに細くなり、また明るくなったりした。

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船が揺れるたびに、ローソクの灯が消えそうに細くなり、又それが明るくなったりした。

死体の顔の上にかけてある白い木綿が、はずれそうに動いた。

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死体の顔の上にかけてある白木綿がれそうに動いた。

ずれた。

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ずった。

そこだけを見ていると、ゾッとする不気味さを感じた。――

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そこだけを見ていると、ゾッとする不気味さを感じた。――

船べりに、波が鳴り出した。

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サイドに、波が鳴り出した。

次の朝、八時過ぎまで一仕事をしてから、監督の決めた船員と漁夫、あわせて四人だけが下へ降りていった。

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次の朝、八時過ぎまで一仕事をしてから、監督のきめた船員と漁夫だけ四人下へ降りて行った。

お経を前の晩の漁夫に読んでもらってから、その四人のほかに、病気の者三、四人で、麻袋に死体をつめた。

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お経を前の晩の漁夫に読んでもらってから、四人の外に、病気のもの三、四人で、麻袋に死体をつめた。

麻袋は新しいものがたくさんあったが、監督は、すぐ海に投げるものに新しいものを使うなんてぜいたくだ、と言って聞かなかった。

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麻袋は新しいものは沢山あったが、監督は、直ぐ海に投げるものに新らしいものを使うなんてぜいたくだ、と云ってきかなかった。

線香は、もう船には用意がなかった。

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線香はもう船には用意がなかった。

「可哀相なもんだ。――これじゃ本当に死にたくなかったべよ」

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「可哀相なもんだ。――これじゃ本当に死にたくなかったべよ」

なかなか曲がらない腕を組み合わせながら、涙を麻袋の中に落とした。

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なかなか曲らない腕を組合せながら、涙を麻袋の中に落した。

「駄目駄目。涙をかけると……」

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「駄目々々。涙をかけると……」

「何とかして、函館まで持って帰られないものかな。……こら、顔をみれ、カムサツカの冷てえ水さ入りたくねえって言ってるんでないか。――海さ投げられるなんて、頼りねえな……」

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「何んとかして、函館まで持って帰られないものかな。……こら、顔をみれ、カムサツカのしやっこい水さ入りたくねえッて云ってるんでないか。――海さ投げられるなんて、頼りねえな……」

「同じ海でもカムサツカだ。冬になれば――九月過ぎれば、船一そうもいなくなって、凍ってしまう海だで。北の北のはずれの!」

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「同じ海でもカムサツカだ。冬になれば――九月過ぎれば、船一そうも居なくなって、凍ってしまう海だで。北の北のはずれの!」

「ん、ん」

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「ん、ん」

――泣いていた。

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――泣いていた。

「それによ、こうやって袋に入れるって言うのに、たった六、七人でな。三、四百人もいるのによ!」

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「それによ、こうやって袋に入れるッて云うのに、たった六、七人でな。三、四百人もいるのによ!」

「俺達、死んでからも、ろくな目に合わないんだ……」

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「俺達、死んでからも、ろくな目に合わないんだ……」

みんなは、半日でいいから休みにしてくれるように頼んだが、前の日からの蟹の大漁で、許されなかった。

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皆は半日でいいから休みにしてくれるように頼んだが、前の日から蟹の大漁で、許されなかった。

「私事と公事を混同するな」

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「私事と公事を混同するな」

監督に、そう言われた。

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監督にそう云われた。

監督が「糞壺」

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監督が「糞壺」

の天井から顔だけ出して、

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の天井から顔だけ出して、

「もういいか」

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「もういいか」

と聞いた。

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ときいた。

仕方なく、彼らは「いい」

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仕方がなく彼等は「いい」

と言った。

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と云った。

「じゃ、運ぶんだ」

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「じゃ、運ぶんだ」

「んでも、船長さんがその前に弔詞(ちょうじ・死んだ人へのお別れの言葉)を読んでくれることになってるんだよ」

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「んでも、船長さんがその前に弔詞ちょうじを読んでくれることになってるんだよ」

「船長オ? 弔詞イ? ――」

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「船長オ? 弔詞イ? ――」

あざけるように、「馬鹿! そんなのんびりしたことしてれるか」

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あざけるように、「馬鹿! そんな悠長ゆうちょうなことしてれるか」

のんびりしたことは、していられなかった。

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悠長なことはしていられなかった。

蟹が甲板に山積みになって、ゴソゴソとつめで床を鳴らしていた。

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蟹が甲板に山積みになって、ゴソゴソ爪で床をならしていた。

そして、どんどん運び出されて、鮭か鱒のこも包みのように、無造作に船尾の発動機船へ積みこまれた。

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そして、どんどん運び出されて、さけます菰包こもづつみのように無雑作に、船尾につけてある発動機に積み込まれた。

「いいか――?」

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「いいか――?」

「よオ――し……」

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「よオ――し……」

発動機がバタバタと動き出した。

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発動機がバタバタ動き出した。

船尾で水がかき回されて、あわが立った。

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船尾で水がき廻されて、アブクが立った。

「じゃ……」

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「じゃ……」

「じゃ」

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「じゃ」

「さようなら」

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「左様なら」

「淋しいけどな――我慢してな」

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さびしいけどな――我慢してな」

低い声で言っている。

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低い声で云っている。

「じゃ、頼んだど!」

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「じゃ、頼んだど!」

本船から、発動機船に乗った者に頼んだ。

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本船から、発動機に乗ったものに頼んだ。

「ん、ん、分った」

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「ん、ん、分った」

発動機船は、沖の方へ離れていった。

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発動機は沖の方へ離れて行った。

「じゃ、な!……」

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「じゃ、な!……」

「行ってしまった。」

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「行ってしまった。」

「麻袋の中で、行くのはイヤだ、イヤだってしてるようでな……目に見えるようだ」

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「麻袋の中で、行くのはイヤだ、イヤだってしてるようでな……眼に見えるようだ」

――漁夫が、漁から帰ってきた。

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――漁夫が漁から帰ってきた。

そして、監督の「勝手な」

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そして監督の「勝手な」

処置を聞いた。

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処置をきいた。

それを聞くと、怒る前に、自分が――死体になった自分の体が、底の暗いカムサツカの海に、そんなふうに蹴落とされでもしたように、ゾッとした。

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それを聞くと、怒る前に、自分が――屍体したいになった自分の身体が、底の暗いカムサツカの海に、そういうように蹴落けおとされでもしたように、ゾッとした。

みんなはものも言えず、そのままゾロゾロとタラップを下りていった。

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皆はものも云えず、そのままゾロゾロタラップを下りて行った。

「分った、分った」

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「分った、分った」

口の中でブツブツ言いながら、塩でぬれてずっしりと重いはんてんを脱いだ。

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口の中でブツブツ云いながら、塩ぬれのドッたりした袢天はんてんを脱いだ。

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表には何も出さない。

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表には何も出さない。

気づかれないように、手をゆるめていく。

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気付かれないように手をゆるめて行く。

監督がどんなに思いっきり怒鳴り散らしても、たたきつけて歩いても、口答えもせず「おとなしく」

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監督がどんなに思いッ切り怒鳴り散らしても、タタキつけて歩いても、口答えもせず「おとなしく」

している。

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している。

それを一日おきに繰りかえす。

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それを一日置きに繰りかえす。

(初めは、おっかなびっくり、おっかなびっくりでしていたが)――そういうふうにして、「サボ」

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(初めは、おっかなびっくり、おっかなびっくりでしていたが)――そういうようにして、「サボ」

を続けた。

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を続けた。

水葬(すいそう・死体を海に沈めてほうむること)のことがあってから、もっとその足並みが揃ってきた

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水葬のことがあってから、モットその足並がそろってきた

仕事の量は、目の前で減っていった。

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仕事の高は眼の前で減って行った。

中年を過ぎた漁夫は、働かされると一番それが身にこたえるのに、「サボ」

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中年過ぎた漁夫は、働かされると、一番それが身にこたえるのに、「サボ」

には、イヤな顔を見せた。

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にはイヤな顔を見せた。

しかし内心(!)

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然し内心(!)

心配していたことが起こらずに、不思議でならなかったが、かえって「サボ」

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心配していたことが起らずに、不思議でならなかったが、かえって「サボ」

が効いていくのを見ると、若い漁夫たちの言うように、動きかけてきた。

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いてゆくのを見ると、若い漁夫達の云うように、動きかけてきた。

困ったのは、川崎船の船頭だった。

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困ったのは、川崎の船頭だった。

彼らは、川崎船のことでは全責任があり、監督と平漁夫の間にいて、「漁獲高」

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彼等は川崎のことでは全責任があり、監督と平漁夫の間に居り、「漁獲高」

のことでは、すぐに監督から当たられた。

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のことでは、すぐに監督に当って来られた。

それが、何よりつらかった。

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それで何よりつらかった。

結局、三分の一だけ「仕方なしに」

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結局三分の一だけ「仕方なしに」

漁夫の味方をして、あとの三分の二は監督の小さい「出店(でみせ)」

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漁夫の味方をして、後の三分の二は監督の小さい「出店」

――その小さい「○」

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――その小さい「○」

だった。

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だった。

「そりゃ疲れるさ。工場のようにキチンキチンと仕事が決まっているわけにはいかないんだ。相手は生き物だ。蟹が人間さまに都合よく、時間時間に出てきてはくれないしな。仕方がないんだ」

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「それア疲れるさ。工場のようにキチン、キチンと仕事がきまってるわけには行かないんだ。相手は生き物だ。蟹が人間様に都合よく、時間々々に出てきてはくれないしな。仕方がないんだ」

――そっくり、監督の蓄音機だった。

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――そっくり監督の蓄音機だった。

こんなことがあった。――

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こんなことがあった。――

糞壺で、寝る前に、何かの話が、思いがけなくいろいろな方へ移っていった。

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糞壺で、寝る前に、何かの話が思いがけなく色々の方へ移って行った。

そのとき、ひょいと船頭が威張ったことを言ってしまった。

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その時ひょいと、船頭が威張ったことを云ってしまった。

それは、別に威張ったことではないが、「平(ひら)」

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それは別に威張ったことではないが、「平」

漁夫には、ムッときた。

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漁夫にはムッときた。

相手の平漁夫は、そして、少し酔っていた。

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相手の平漁夫が、そして、少し酔っていた。

「何んだって?」

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「何んだって?」

いきなり怒鳴った。

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いきなり怒鳴った。

「手前え、何んだ。あまり威張ったことを言わねえ方がええんだで。漁に出たとき、俺達四、五人でお前えを海の中さタタキ落す位、朝飯前だんだ。――それっきりだべよ。カムサツカだど。お前えがどうやって死んだって、誰が分るって!」

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手前てめえ、何んだ。あまり威張ったことを云わねえ方がええんだで。漁に出たとき、俺達四、五人でお前えを海の中さタタキ落す位朝飯前だんだ。――それッ切りだべよ。カムサツカだど。お前えがどうやって死んだって、誰が分るッて!」

そこまで言った者は、いなかった。

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そうは云ったものはいない。

それを、ガラガラな大声で怒鳴り立ててしまった。

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それをガラガラな大声でどなり立ててしまった。

誰も何も言わない。

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誰も何も云わない。

それまで話していた別の話も、そこでぷつりと切れてしまった。

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今まで話していた外のことも、そこでプッつり切れてしまった。

しかし、こういう言葉は、調子に乗って言っただけの、から元気の言葉ではなかった。

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しかし、こういうようなことは、調子よくね上った空元気からげんきだけの言葉ではなかった。

それは今まで「屈従(くつじゅう・言いなりになること)」

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それは今まで「屈従」

しか知らなかった漁夫を、思いがけないところから、とてつもない力で背中を突き飛ばした。

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しか知らなかった漁夫を、全く思いがけずに背から、とてつもない力で突きのめした。

突き飛ばされて、漁夫は初め戸惑ったようにうろうろした。

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突きのめされて、漁夫は初め戸惑いしたようにウロウロした。

それが自分でも気づいていなかった自分の力だ、ということを知らずに。

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それが知られずにいた自分の力だ、ということを知らずに。

――そんなことが「俺達に」

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――そんなことが「俺達に

できるんだろうか?

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出来るんだろうか?

しかし、なるほどできるんだ。

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 然し成る程出来るんだ。

そう分かると、それが不思議な魅力になって、反抗する気持ちが皆の心に強く入り込んでいった。

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そう分ると、今度は不思議な魅力になって、反抗的な気持が皆の心に喰い込んで行った。

今まで、ひどい重労働で搾り取られてきたことが、かえってこの上なく良い土台になっていた。――

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今まで、残酷極まる労働しぼり抜かれていた事が、かえってその為にはこの上ない良い地盤だった。――

こうなれば、監督も糞もあったものではない!

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こうなれば、監督も糞もあったものでない!

皆愉快がった。

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 皆愉快がった。

いったんこの気持ちをつかむと、不意に懐中電灯を突きつけられたように、自分達のうじ虫そのままの生活がありありと見えてきた。

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一旦この気持をつかむと、不意に、懐中電燈を差しつけられたように、自分達の蛆虫うじむしそのままの生活がアリアリと見えてきた。

「威張んな、この野郎」

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「威張んな、この野郎」

この言葉が皆の間ではやり出した。

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この言葉が皆の間で流行はやり出した。

何かというと「威張んな、この野郎」

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何かすると「威張んな、この野郎」

と言った。

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と云った。

別のことにも、すぐそれを使った。――

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別なことにでも、すぐそれを使った。――

威張る野郎は、しかし漁夫には一人もいなかった。

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威張る野郎は、然し漁夫には一人もいなかった。

それと似たことが、一度、二度ではなく何度もあった。

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それと似たことが一度、二度となくある。

そのたびごとに漁夫達は「分かって」

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そのたび毎に漁夫達は「分って」

いった。

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行った。

そして、それが重なっていくうちに、そういうときにはいつも表に押し出されてくる、決まった三、四人ができてきた。

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そして、それが重なってゆくうちに、そんな事で漁夫達の中から何時いつでも表の方へ押し出されてくる、きまった三、四人が出来てきた。

それは誰かが決めたのでもなく、本当は、決まったのでもなかった。

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それは誰かが決めたのでなく、本当は又、きまったのでもなかった。

ただ、何か起こったり、何かしなければならなくなったりすると、その三、四人の意見が皆の意見と一致した。それで皆もその通りに動くようになった。――

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ただ、何か起ったり又しなければならなくなったりすると、その三、四人の意見が皆のと一致したし、それで皆もその通り動くようになった。――

学生上がりが二人ほど、どもりの漁夫、「威張んな」

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学生上りが二人程、どもりの漁夫、「威張んな」

の漁夫などがそれだった。

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の漁夫などがそれだった。

学生が鉛筆をなめ、なめ、一晩中腹ばいになって、紙に何か書いていた。――

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学生が鉛筆をなめ、なめ、一晩中腹いになって、紙に何か書いていた。――

それは学生の「発案(はつあん・思いついた計画)」

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それは学生の「発案」

だった。

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だった。

発案(責任者の図)

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発案(責任者の図)

A       B         C

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A       B         C

|       |         |

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|       |         |

二人の学生 ┐ ┌雑夫の方一人  国別にして、それぞれのうちの餓鬼大将を一人ずつ

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二人の学生 ┐ ┌雑夫の方一人  国別にして、各々そのうちの餓鬼大将を一人ずつ

│ │川崎船の方二人 各川崎船に二人ずつ

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│ │川崎船の方二人 各川崎船に二人ずつ

どもりの漁夫 │ │水夫の方一人┐

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吃りの漁夫 │ │水夫の方一人┐

│ │      │ 水夫、火夫の諸君

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│ │      │ 水、火夫の諸君

「威張んな」

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「威張んな」

┘ └火夫の方一人┘

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┘ └火夫の方一人┘

A――――→B――――→C→┌全部の┐

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A――――→B――――→C→┌全部の┐

←―――― ←―――― ←└諸君 ┘

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←―――― ←―――― ←└諸君 ┘

学生はどんなもんだいと言った。

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学生はどんなもんだいと云った。

どんなことがAから起ころうが、Cから起ころうが、電気より早く、ぬかりなく「全体の問題」

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どんな事がAから起ろうが、Cから起ろうが、電気より早く、ぬかりなく「全体の問題」

にすることができる、と威張った。

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にすることが出来る、と威張った。

それが、そしてひと通り決められた。――

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それが、そして一通り決められた。――

実際には、それはそう簡単には行われなかったが。

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実際は、それはそう容易たやすくは行われなかったが。

「殺されたくないものは来れ!」

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殺されたくないものは来れ!」

――それがその学生上がりの得意の宣伝文句だった。

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 ――その学生上りの得意の宣伝語だった。

毛利元就(もうりもとなり)の弓矢を折る話や、内務省だったかのポスターで見たことのある「綱引き」

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毛利元就もうりもとなりの弓矢を折る話や、内務省かのポスターで見たことのある「綱引き」

の例を持ち出してきた。

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の例をもってきた。

「俺達四、五人いれば、船頭の一人くらい海の中へたたき落とすなんか朝飯前だ。元気を出すんだ」

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「俺達四、五人いれば、船頭の一人位海の中へタタキ落すなんか朝飯前だ。元気を出すんだ」

「一人と一人じゃ駄目だ。危ない。だが、あっちは船長から何からを皆んな入れて十人にならない。ところがこっちは四百人に近い。四百人が一緒になれば、もうこっちのものだ。十人に四百人! 相撲になるなら、やってみろ、だ」

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「一人と一人じゃ駄目だ。危い。だが、あっちは船長から何からを皆んな入れて十人にならない。ところがこっちは四百人に近い。四百人が一緒になれば、もうこっちのものだ。十人に四百人! 相撲になるなら、やってみろ、だ」

そして最後に「殺されたくないものは来れ!」

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そして最後に「殺されたくないものは来れ!」

だった。――

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だった。――

どんな「ボンクラ」

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どんな「ボンクラ」

でも「飲んだくれ」

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でも「飲んだくれ」

でも、自分達が半殺しにされるような生活をさせられていることは分かっていたし(現に、目の前で殺されてしまった仲間がいることも分かっている)、それに、苦しまぎれにやったちょこちょこした「サボ(サボタージュ・わざと仕事を怠けること)」

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でも、自分達が半殺しにされるような生活をさせられていることは分っていたし、(現に、眼の前で殺されてしまった仲間のいることも分っている)それに、苦しまぎれにやったチョコチョコした「サボ」

が案外効き目があったので、学生上がりやどもりの言うことも、よく聞き入れられた。

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が案外効き目があったので学生上りや吃りのいうことも、よく聞き入れられた。

一週間ほど前の大嵐で、発動機船がスクリューを壊してしまった。

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一週間程前の大嵐で、発動機船がスクリュウをこわしてしまった。

それで修理のために、雑夫長が下船して、四、五人の漁夫と一緒に陸へ行った。

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それで修繕のために、雑夫長が下船して、四、五人の漁夫と一緒に陸へ行った。

帰ってきたとき、若い漁夫がこっそり日本語の文字で印刷した「赤化宣伝(せきかせんでん・共産主義を広める宣伝)」

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帰ってきたとき、若い漁夫がコッソリ日本文字で印刷した「赤化宣伝」

のパンフレットやビラをたくさん持ってきた。

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のパンフレットやビラを沢山持ってきた。

「日本人がたくさんこういうことをやっているよ」

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「日本人が沢山こういうことをやっているよ」

と言った。――

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と云った。――

自分達の賃金や、労働時間の長さのことや、会社のごっそりした金もうけのことや、ストライキのことなどが書かれているので、皆は面白がって、お互いに読んだり、わけを聞き合ったりした。

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自分達の賃銀や、労働時間の長さのことや、会社のゴッソリした金儲かねもうけのことや、ストライキのことなどが書かれているので、皆は面白がって、お互に読んだり、ワケを聞き合ったりした。

しかし、中にはそこに書いてある文句にかえって反発を感じて、こんな恐ろしいことなんか「日本人」

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然し、中にはそれに書いてある文句に、かえって反撥はんぱつを感じて、こんな恐ろしいことなんか「日本人」

にできるか、と言うものがいた。

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に出来るか、というものがいた。

が、「俺ァこれが本当だと思うんだが」

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が、「俺アこれが本当だと思うんだが」

と、ビラを持って学生上がりのところへ聞きに来た漁夫もいた。

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と、ビラを持って学生上りのところへきに来た漁夫もいた。

「本当だよ。少し話大きいどもな」

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「本当だよ。少し話大きいどもな」

「んだって、こうでもしなかったら、浅川の性ッ骨(しょっぽね・根性)直るかな」

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「んだって、こうでもしなかったら、浅川のしょぽね直るかな」

と笑った。

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と笑った。

「それに、あいつらからはもっとひどいめに合わされてるから、これで当り前だべよ!」

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「それに、彼奴あいつ等からはモットひどいめに合わされてるから、これで当り前だべよ!」

漁夫達は、とんでもないものだ、と言いながら、その「赤化運動」

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漁夫達は、飛んでもないものだ、と云いながら、その「赤化運動」

に好奇心を持ち出していた。

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に好奇心を持ち出していた。

嵐のときもそうだが、霧が深くなると、川崎船を呼ぶために、本船では絶え間なく汽笛を鳴らした。

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嵐の時もそうだが、霧が深くなると、川崎船を呼ぶために、本船では絶え間なしに汽笛を鳴らした。

幅の広い、牛の鳴き声のような汽笛が、水のように濃く立ちこめた霧の中を一時間も二時間も鳴りつづけた。――

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はば広い、牛の啼声なきごえのような汽笛が、水のように濃くこめた霧の中を一時間も二時間もなった。――

しかしそれでも、うまく帰って来られない川崎船があった。

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然しそれでも、うまく帰って来れない川崎船があった。

ところが、そんなとき、仕事の苦しさからわざと見当を失ったふりをして、カムサツカに漂流したものがあった。

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ところが、そんな時、仕事の苦しさからワザと見当を失った振りをして、カムサツカに漂流したものがあった。

秘密に時々あった。

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秘密に時々あった。

ロシアの領海内に入って漁をするようになってから、あらかじめ陸に見当をつけておくと、案外たやすく、その漂流ができた。

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ロシアの領海内に入って、漁をするようになってから、あらかじめ陸に見当をつけて置くと、案外容易く、その漂流が出来た。

その連中も「赤化」

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その連中も「赤化」

のことを聞いてくるものがあった。

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のことを聞いてくるものがあった。

――いつでも会社は漁夫を雇うのに細心の注意を払った。

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――何時でも会社は漁夫を雇うのに細心の注意を払った。

募集地の村長さんや、署長さんに頼んで「模範青年」

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募集地の村長さんや、署長さんに頼んで「模範青年」

を連れてくる。

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を連れてくる。

労働組合などに関心のない、言いなりになる労働者を選ぶ。

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労働組合などに関心のない、云いなりになる労働者を選ぶ。

「抜け目なく」

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抜け目なく

万事好都合に!

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万事好都合に!

しかし、蟹工船の「仕事」

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 然し、蟹工船の「仕事」

は、今ではちょうど逆に、それらの労働者を団結――組織させようとしていた。

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は、今では丁度逆に、それ等の労働者を団結――組織させようとしていた。

いくら「抜け目のない」

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いくら「抜け目のない」

資本家でも、この不思議な行方までには気づいていなかった。

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資本家でも、この不思議な行方までには気付いていなかった。

それは、皮肉にも、まとまっていない労働者、手のつけられない「飲んだくれ」

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それは、皮肉にも、未組織の労働者、手のつけられない「飲んだくれ」

労働者をわざわざ集めて、団結することを教えてくれているようなものだった。

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労働者をワザワザ集めて、団結することを教えてくれているようなものだった。

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監督はあわて出した。

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監督は周章あわて出した。

漁期が過ぎてゆくその毎年の割合に比べて、蟹の量ははっきり減っていた。

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漁期の過ぎてゆくその毎年の割に比べて、蟹の高はハッキリ減っていた。

他の船の様子を聞いてみても、去年よりもっと成績がいいらしかった。

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他の船の様子をきいてみても、昨年よりはもっと成績がいいらしかった。

二千箱は遅れている。――

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二千ばこは遅れている。――

監督は、これではもう今までのように「お釈迦様」

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監督は、これではもう今までのように「お釈迦しゃか様」

のようにしていたって駄目だ、と思った。

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のようにしていたって駄目だ、と思った。

本船は移動することにした。

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本船は移動することにした。

監督は絶えず無線電信を盗み聞きさせ、他の船の網でもかまわずどんどん上げさせた。

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監督は絶えず無線電信を盗みきかせ、他の船の網でもかまわずドンドン上げさせた。

二十海里(かいり)ほど南下して、最初に上げた渋網には、蟹がもりもりと網の目に足をひっかけて、かかっていた。

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二十かいりほど南下して、最初に上げた渋網には、蟹がモリモリと網の目に足をひっかけて、かかっていた。

たしかに××丸のものだった。

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たしかに××丸のものだった。

「君のお陰だ」

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「君のお陰だ」

と、彼は監督らしくもなく、局長の肩をたたいた。

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と、彼は監督らしくなく、局長の肩をたたいた。

網を上げているところを見つけられて、発動機船がほうほうの体で逃げてくることもあった。

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網を上げているところを見付けられて、発動機が放々のていで逃げてくることもあった。

他船の網を手当たり次第に上げるようになって、仕事がだんだん忙しくなった。

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他船の網を手当り次第に上げるようになって、仕事が尻上りに忙しくなった。

仕事を少しでも怠けたと見たときには大焼きを入れる(こっぴどく叱る)。

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仕事を少しでもなまけたと見るときには大焼きを入れる。

組になって怠けたものにはカムサツカ体操をさせる。

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組をなして怠けたものにはカムサツカ体操をさせる。

罰として賃金の棒引き(帳消しにすること)、

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罰として賃銀棒引き、

函館へ帰ったら、警察に引き渡す。

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函館へ帰ったら、警察に引き渡す。

かりにも監督に対し、少しでも反抗を示すときは銃殺されるものと思うべし。

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いやしくも監督に対し、少しの反抗を示すときは銃殺されるものと思うべし。

浅川監督

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浅川監督

雑夫長

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雑夫長

この大きなビラが工場の降り口に貼られた。

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この大きなビラが工場の降り口にられた。

監督は弾をつめっぱなしにしたピストルを始終持っていた。

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監督は弾をつめッ放しにしたピストルを始終持っていた。

とんでもないときに、皆が仕事をしている頭の上で、かもめや船のどこかに見当をつけて、「示威運動(じいうんどう・力を見せつけること)」

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飛んでもない時に、皆の仕事をしている頭の上で、かもめや船の何処どこかに見当をつけて、「示威運動」

のようにぶっ放した。

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のように打った。

ぎょっとする漁夫を見て、にやにや笑った。

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ギョッとする漁夫を見て、ニヤニヤ笑った。

それはまったく何かの拍子に「本当」

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それは全く何かの拍子に「本当」

に撃ち殺されそうな不気味な感じを皆にひらめかせた。

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に打ち殺されそうな不気味な感じを皆にひらめかした。

水夫、火夫も完全に動員された。

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水夫、火夫も完全に動員された。

勝手に使い回された。

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勝手に使いまわされた。

船長はそれに対して一言も言えなかった。

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船長はそれに対して一言も云えなかった。

船長は「看板」

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船長は「看板」

になってさえいれば、それで立派な役目だった。

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になってさえいれば、それで立派な一役だった。

前にあったことだった――領海内に入って漁をするために、船を入れるように船長が強要された。

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前にあったことだった――領海内に入って漁をするために、船を入れるように船長が強要された。

船長は船長としての公の立場から、それを犯すことはできないと頑張った。

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船長は船長としての公の立場から、それを犯すことは出来ないと頑張がんばった。

「勝手にしやがれ!」

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「勝手にしやがれ!」

「頼まないや!」

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「頼まないや!」

と言って、監督達が自分達で、船を領海内に移動させてしまった。

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と云って、監督等が自分達で、船を領海内に転錨てんびょうさしてしまった。

ところが、それがロシアの監視船に見つけられて、追いかけられた。

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ところが、それが露国の監視船に見付けられて、追跡された。

そして取り調べになり、自分がしどろもどろになると、「卑怯」

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そして訊問じんもんになり、自分がしどろもどろになると、「卑怯ひきょう

にも退却してしまった。

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にも退却してしまった。

「そういう一切のことは、船としてはもちろん船長がお答えすべきですから……」

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「そういう一切のことは、船としては勿論もちろん船長がお答えすべきですから……」

無理やりに押しつけてしまった。

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無理矢理に押しつけてしまった。

まったく、この看板は、だから必要だった。

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全く、この看板は、だから必要だった。

それだけでよかった。

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それだけでよかった。

そのことがあってから、船長は船を函館に帰そうと何度も思った。

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そのことがあってから、船長は船を函館に帰そうと何辺も思った。

が、それをそうさせない力が――資本家の力が、やはり船長をつかんでいた。

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が、それをそうさせない力が――資本家の力が、やっぱり船長をつかんでいた。

「この船全体が会社のものなんだ、分ったか!」

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「この船全体が会社のものなんだ、分ったか!」

うぁはははは、と、口を三角にゆがめて、背伸びをするように、無遠慮に大きく笑った。

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ウァハハハハハと、口を三角にゆがめて、背のびするように、無遠慮に大きく笑った。

――「糞壺」

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――「糞壺」

に帰ってくると、どもりの漁夫はあおむけにでんぐり返った。

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に帰ってくると、どもりの漁夫は仰向けにでんぐり返った。

残念で、残念で、たまらなかった。

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残念で、残念で、たまらなかった。

漁夫達は、彼や学生などの方を気の毒そうに見るが、何も言えないほどぐしゃりと押しつぶされてしまっていた。

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漁夫達は、彼や学生などの方を気の毒そうに見るが、何も云えない程ぐッしゃりつぶされてしまっていた。

学生の作った組織も反故(ほご・役に立たない紙くず)のように、役に立たなかった。――

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学生の作った組織も反古ほごのように、役に立たなかった。――

それでも学生は割合に元気を保っていた。

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それでも学生は割合に元気を保っていた。

「何かあったら跳ね起きるんだ。その代わり、その何かをうまくつかむことだ」

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「何かあったら跳ね起きるんだ。その代り、その何かをうまくつかむことだ」

と言った。

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と云った。

「これでも跳ね起きられるかな」

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「これでも跳ね起きられるかな」

――威張んなの漁夫だった。

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――威張んなの漁夫だった。

「かな――? 馬鹿。こっちは人数が多いんだ。恐れることはないさ。それに彼奴等が無茶なことをすればするほど、今のうちこそ内へ、内へとこもっているが、火薬よりも強い不平と不満が皆の心の中に、つまるだけつまっているんだ。――俺はそいつを頼りにしているんだ」

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「かな――? 馬鹿。こっちは人数が多いんだ。恐れることはないさ。それに彼奴等が無茶なことをすればする程、今のうちこそ内へ、内へとこもっているが、火薬よりも強い不平と不満が皆の心の中に、つまりにいいだけつまっているんだ。――俺はそいつを頼りにしているんだ」

「道具立てはいいな」

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「道具立てはいいな」

威張んなは「糞壺」

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威張んなは「糞壺」

の中をぐるぐる見回して、

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の中をグルグル見廻して、

「そんな奴らがいるかな。どれも、これも…………」

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「そんな奴等がいるかな。どれも、これも…………」

愚痴っぽく言った。

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愚痴ッぽく云った。

「俺達から愚痴っぽかったら――もう、最後だよ」

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俺達から愚痴ッぽかったら――もう、最後だよ」

「見れ、お前えだけだ、元気のええのア。――今度事件起こしてみれ、命がけだ」

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「見れ、お前えだけだ、元気のええのア。――今度事件起こしてみれ、生命いのちがけだ」

学生は暗い顔をした。

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学生は暗い顔をした。

「そうさ……」

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「そうさ……」

と言った。

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と云った。

監督は手下を連れて、夜三回まわってきた。

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監督は手下を連れて、夜三回まわってきた。

三、四人固まっていると、怒鳴りつけた。

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三、四人固まっていると、怒鳴りつけた。

それでも、まだ足りなくて、秘密に自分の手下を「糞壺」

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それでも、まだ足りなく、秘密に自分の手下を「糞壺」

に寝させた。

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に寝らせた。

――「鎖」

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――「鎖」

が、ただ、目に見えないだけの違いだった。

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が、ただ、眼に見えないだけの違いだった。

皆の足は歩くとき、吋太(インチぶと)の鎖を現実に後ろへ引きずっているように重かった。

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皆の足は歩くときには、吋太インチぶとの鎖を現実に後に引きずッているように重かった。

「俺ァ、きっと殺されるべよ」

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「俺ア、キット殺されるべよ」

「ん。んでも、どうせ殺されるって分ったら、その時ァやるよ」

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「ん。んでも、どうせ殺されるッて分ったら、その時アやるよ」

芝浦の漁夫が、

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芝浦の漁夫が、

「馬鹿!」

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「馬鹿!」

と、横から怒鳴りつけた。

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と、横から怒鳴りつけた。

「殺されるって分ったら? 馬鹿ア、いつだ、それア。――今、殺されているんでねえか。小刻みによ。彼奴等はな、上手なんだ。ピストルは今にもうつように、いつでも持っているが、なかなかそんなヘマはしないんだ。あれア「手」なんだ。――分るか。彼奴等は、俺達を殺せば、自分等の方で損するんだ。目的は――本当の目的は、俺達をうんと働かせて、締木(しめぎ・力ずくで絞る道具)にかけて、ぎいぎい搾り上げて、しこたま儲けることなんだ。そいつを今俺達は毎日やられてるんだ。――どうだ、このめちゃくちゃは。まるで蚕に食われている桑の葉のように、俺達の身体が殺されているんだ」

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「殺されるッて分ったら? 馬鹿ア、何時いつだ、それア。――、殺されているんでねえか。小刻みによ。彼奴等はな、上手なんだ。ピストルは今にもうつように、何時でも持っているが、なかなかそんなヘマはしないんだ。あれア「手」なんだ。――分るか。彼奴等は、俺達を殺せば、自分等の方で損するんだ。目的は――本当の目的は、俺達をウンと働かせて、締木しめぎにかけて、ギイギイ搾り上げて、しこたま儲けることなんだ。そいつを今俺達は毎日やられてるんだ。――どうだ、この滅茶苦茶は。まるで蚕に食われている桑の葉のように、俺達の身体が殺されているんだ」

「んだな!」

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「んだな!」

「んだな、も糞もあるもんか」

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「んだな、も糞もあるもんか」

厚い手のひらの上で、煙草の火を転がした。

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厚いてのひらに、煙草の火を転がした。

「ま、待ってくれ、今に、畜生!」

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「ま、待ってくれ、今に、畜生!」

あまり南下しすぎて、体の小さい雌蟹ばかり多くなったので、場所を北の方へ移動することになった。

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あまり南下して、身体がらの小さい女蟹ばかり多くなったので、場所を北の方へ移動することになった。

それで皆は残業をさせられて、少し早めに(久しぶりに!)

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それで皆は残業をさせられて、少し早目に(久し振りに!)

仕事が終わった。

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仕事が終った。

皆が「糞壺」

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皆が「糞壺」

に降りてきた。

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に降りて来た。

「元気ねえな」

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「元気ねえな」

芝浦だった。

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芝浦だった。

「こら、足ば見てけれや。ガク、ガクッて、段ば降りれなくなったで」

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「こら、足ば見てけれや。ガク、ガクッて、段ば降りれなくなったで」

「気の毒だ。それでもまだ一生懸命働いてやろうってんだから」

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「気の毒だ。それでもまだ一生懸命働いてやろうッてんだから」

「誰が! ――仕方ねんだべよ」

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「誰が! ――仕方ねんだべよ」

芝浦が笑った。

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芝浦が笑った。

「殺される時も、仕方がねえか」

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「殺される時も、仕方がねえか

「…………」

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「…………」

「まあ、このまま行けば、お前ここ四、五日だな」

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「まあ、このまま行けば、お前ここ四、五日だな」

相手はその拍子に、嫌な顔をして、黄色っぽくむくんだ片方のほおとまぶたをゆがめた。

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相手は拍手に、イヤな顔をして、黄色ッぽくムクンだ片方のほお眼蓋まぶたをゆがめた。

そして、だまって自分の棚のところへ行くと、端から膝から下の足をぶら下げて、関節を手刀でたたいた。

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そして、だまって自分のたなのところへ行くと、端へひざから下の足をブラ下げて、関節を掌刀てがたなでたたいた。

――下では、芝浦が手を振りながら、しゃべっていた。

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――下で、芝浦が手を振りながら、しゃべっていた。

どもりが、体をゆすりながら、相槌を打った。

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どもりが、身体をゆすりながら、相槌あいづちを打った。

「……いいか、まあ仮に金持ちが金を出して作ったから、船があるとしてもいいさ。水夫と火夫がいなかったら動くか。蟹が海の底に何億っているさ。仮にだ、いろいろな仕度をして、ここまで出掛けてくるのに、金持ちが金を出せたからとしてもいいさ。俺達が働かなかったら、一匹の蟹だって、金持ちの懐に入って行くか。いいか、俺達がこの一夏ここで働いて、それで一体どのくらい金が入ってくる。ところが、金持ちはこの船一艘で純手取り四、五十万円って金をせしめるんだ。――さあ、んだら、その金の出所だ。無から有は生じない。――分るか。なあ、皆んな俺達の力さ。――んだから、そう今にもお陀仏するような不景気な顔してるなって言うんだ。うんと威張るんだ。底の底のことになれば、うそでない、あっちの方が俺達を怖がってるんだ。びくびくすんな。

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「……いいか、まア仮りに金持が金を出して作ったから、船があるとしてもいいさ。水夫と火夫がいなかったら動くか。蟹が海の底に何億っているさ。仮りにだ、色々な仕度したくをして、此処まで出掛けてくるのに、金持が金をだせたからとしてもいいさ。俺達が働かなかったら、一匹の蟹だって、金持のふところに入って行くか。いいか、俺達がこの一夏ここで働いて、それで一体どの位金が入ってくる。ところが、金持はこの船一艘で純手取り四、五十万円ッて金をせしめるんだ。――さあ、んだら、その金の出所だ。無から有は生ぜじだ。――分るか。なア、皆んな俺達の力さ。――んだから、そう今にもお陀仏するような不景気なつらしてるなって云うんだ。うんと威張るんだ。底の底のことになれば、うそでない、あっちの方が俺達をおッかながってるんだ。ビクビクすんな。

水夫と火夫がいなかったら、船は動かないんだ。――

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水夫と火夫がいなかったら、船は動かないんだ。――

労働者が働かねば、びた一文だって、金持ちの懐にゃ入らないんだ。

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労働者が働かねば、ビタ一文だって、金持の懐にゃ入らないんだ。

さっき言った船を買ったり、道具を用意したり、仕度をする金も、やっぱり他の労働者が血をしぼって、儲けさせてやった――俺達からしぼり取って行きやがった金なんだ。――

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さっき云った船を買ったり、道具を用意したり、仕度をする金も、やっぱり他の労働者が血をしぼって、儲けさせてやった――俺達からしぼり取って行きやがった金なんだ。――

金持ちと俺達とは親と子なんだ……」

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金持と俺達とは親と子なんだ……」

監督が入ってきた。

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監督が入ってきた。

皆どぎまぎした格好で、ごそごそし出した。

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皆ドマついた恰好かっこうで、ゴソゴソし出した。

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空気がガラスのように冷たくて、ちり一本なく澄んでいた。――

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空気が硝子ガラスのように冷たくて、ちり一本なく澄んでいた。――

二時で、もう夜が明けていた。

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二時で、もう夜が明けていた。

カムサツカの連峰が金紫色に輝いて、海から二、三寸ほどの高さで、地平線を南に長く走っていた。

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カムサツカの連峰が金紫色に輝いて、海から二、三寸位の高さで、地平線を南に長く走っていた。

さざ波が立って、その一つ一つの面が、朝日を一つ一つ受けて、夜明けらしく、寒々と光っていた。――

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小波さざなみが立って、その一つ一つの面が、朝日を一つ一つうけて、夜明けらしく、寒々と光っていた。――

それが入り乱れて砕け、入り交じって砕ける。

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それが入り乱れて砕け、入り交れて砕ける。

そのたびにきらきら、と光った。

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その度にキラキラ、と光った。

かもめの鳴き声が(どこにいるのか分からないまま)声だけしていた。――

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鴎の啼声が(何処どこにいるのか分らずに)声だけしていた。――

さわやかに、寒かった。

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さわやかに、寒かった。

荷物にかけてある、油のにじんだズックのカバーが時々ハタハタと鳴った。

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荷物にかけてある、油のにじんだズックのカヴァが時々ハタハタとなった。

分からないうちに、風が出てきていた。

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分らないうちに、風が出てきていた。

半纏(はんてん・和風の綿入れ上着)の袖に、案山子のように手を通しながら、漁夫が段々を上ってきて、ハッチから首を出した。

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袢天はんてんの袖に、カガシのように手を通しながら、漁夫が段々を上ってきて、ハッチから首を出した。

首を出したまま、はじかれたように叫んだ。

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首を出したまま、はじかれたように叫んだ。

「あ、兎が飛んでる。――これア大暴風になるな」

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「あ、うさぎが飛んでる。――これア大暴風しけになるな」

三角波が立ってきていた。

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三角波が立ってきていた。

カムサツカの海に慣れている漁夫には、それがすぐ分かる。

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カムサツカの海に慣れている漁夫には、それがぐ分る。

「危ねえ、今日休みだべ」

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「危ねえ、今日休みだべ」

一時間ほどしてからだった。

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一時間程してからだった。

川崎船を降ろすウインチの下で、そこ、ここに七、八人ずつ漁夫が固まっていた。

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川崎船を降ろすウインチの下で、其処そこ此処ここ七、八人ずつ漁夫が固まっていた。

川崎船はどれも半分降ろされたまま、途中で揺れていた。

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川崎船はどれも半降ろしになったまま、途中で揺れていた。

肩をゆすりながら海を見て、お互いに言い合っている。

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肩をゆすりながら海を見て、お互云い合っている。

ちょっとした。

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一寸した。

「やめたやめた!」

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「やめたやめた!」

「糞でも喰らえ、だ!」

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くそでもくららえ、だ!」

誰かがきっかけにそう言うのを、皆は待っていたようだった。

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誰かキッカケにそういうのを、皆は待っていたようだった。

肩を押し合って、「おい、引き上げるべ!」

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肩を押し合って、「おい、引き上げるべ!」

と言った。

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と云った。

「ん」

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「ん」

「ん、ん!」

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「ん、ん!」

一人がしかめた目つきで、ウインチを見上げて、「しかしな……」

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一人がしかめた眼差まなざしで、ウインチを見上げて、「しかしな……」

とためらっている。

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躊躇ためらっている。

行きかけたのが、自分の片肩をぐいとしゃくって、「死にたかったら、独りで行げよ!」

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行きかけたのが、自分の片肩をグイとしゃくって、「死にたかったら、ひとりでげよ!」

と、吐き出した。

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と、ハキ出した。

皆は固まって歩き出した。

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皆はかたまって歩き出した。

誰かが「本当にいいかな」

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誰か「本当にいいかな」

と、小声で言っていた。

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と、小声で云っていた。

二人ほど、あやふやに、遅れた。

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二人程、あやふやに、遅れた。

次のウインチの下でも、漁夫達は立ち止まったままでいた。

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次のウインチの下にも、漁夫達は立ちどまったままでいた。

彼らは第二号川崎の連中が、こっちへ歩いてくるのを見ると、その意味が分かった。

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彼等は第二号川崎の連中が、こっちに歩いてくるのを見ると、その意味が分った。

四、五人が声をあげて、手を振った。

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四、五人が声をあげて、手を振った。

「やめだ、やめだ!」

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「やめだ、やめだ!」

「ん、やめだ!」

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「ん、やめだ!」

その二つが合わさると、元気が出てきた。

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その二つが合わさると、元気が出てきた。

どうしようか分からないでいる遅れた二、三人は、まぶしそうにこっちを見て、立ち止まっていた。

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どうしようか分らないでいる遅れた二、三人は、まぶしそうに、こっちを見て、立ち止っていた。

皆が第五川崎のところで、また一緒になった。

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皆が第五川崎のところで、又一緒になった。

それらを見ると、遅れたものはぶつぶつ言いながら後から歩き出した。

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それ等を見ると、遅れたものはブツブツ云いながら後から、歩き出した。

どもりの漁夫が振り返って、大声で呼んだ。

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吃りの漁夫が振りかえって、大声で呼んだ。

「しっかりせッ!」

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「しっかりせッ!」

雪だるまのように、漁夫達のかたまりがこぶをつけて、大きくなっていった。

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雪だるまのように、漁夫達のかたまりがコブをつけて、大きくなって行った。

皆の前や後ろを、学生やどもりが行ったり来たり、ひっきりなしに走っていた。

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皆の前や後を、学生や吃りが行ったり、来たり、しきりなしに走っていた。

「いいか、はぐれないことだど! 何よりそれだ。もう、大丈夫だ。もう――!」

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「いいか、はぐれないことだど! 何よりそれだ。もう、大丈夫だ。もう――!」

煙筒の側に、車座に座って、ロープの繕いをやっていた水夫が、伸び上がって、

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煙筒の側に、車座に坐って、ロープの繕いをやっていた水夫が、のび上って、

「どうした。おーい?」

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「どうした。オ――イ?」

と怒鳴った。

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と怒鳴った。

皆はその方へ手を振り上げて、わあーっと叫んだ。

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皆はその方へ手を振りあげて、ワアーッと叫んだ。

上から見下ろしている水夫達には、それが林のように揺れて見えた。

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上から見下している水夫達には、それが林のように揺れて見えた。

「よオし、さ、仕事なんてやめるんだ!」

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「よオし、さ、仕事なんてやめるんだ!」

ロープをさっさと片付け始めた。

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ロープをさっさと片付け始めた。

「待ってたんだ!」

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「待ってたんだ!」

そのことが漁夫達の方にも分かった。

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そのことが漁夫達の方にも分った。

二度、わあーっと叫んだ。

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二度、ワアーッと叫んだ。

「まず糞壺さ引きあげるべ。そうするべ。――ひどえ奴だ。ちゃんと大暴風になること分っていて、それで船を出させるんだからな。――人殺しだべ!」

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「まず糞壺さ引きあげるべ。そうするべ。――非道ひでえ奴だ。ちゃんと大暴風しけになること分っていて、それで船を出させるんだからな。――人殺しだべ!」

「あったら奴に殺されて、たまるけア!」

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「あったら奴に殺されて、たまるけア!」

「今度こそ、覚えてれ!」

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今度こそ、覚えてれ!」

ほとんど一人も残さず、糞壺へ引きあげてきた。

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ほとんど一人も残さないで、糞壺へ引きあげてきた。

中には「仕方なしに」

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中には「仕方なしに」

ついて来たものもいるにはいた。

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いて来たものもいるにはいた。

――皆がドカドカッと入り込んできたので、薄暗いところに寝ていた病人が、びっくりして板のような上半身を起こした。

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――皆のドカドカッと入り込んできたのに、薄暗いところに寝ていた病人が、吃驚びっくりして板のような上半身を起した。

わけを話してやると、見る見る目に涙をにじませて何度も、何度も頭を振ってうなずいた。

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ワケを話してやると、見る見る眼に涙をにじませて何度も、何度も頭を振ってうなずいた。

どもりの漁夫と学生が、機関室の縄梯子(なわばしご)のようなタラップを下りていった。

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吃りの漁夫と学生が、機関室の縄梯子なわばしごのようなタラップを下りて行った。

急いでいたし、慣れていないので、何度も足をすべらせて、危うく手でぶら下がった。

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急いでいたし、慣れていないので、何度も足をすべらして、危く、手で吊下つりさがった。

中はボイラーの熱でムンとしていて、しかも暗かった。

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中はボイラーの熱でムンとして、それに暗かった。

彼らはすぐ体中汗まみれになった。

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彼等はすぐ身体中汗まみれになった。

汽罐(かま)の上のストーブのロストルのようなところを渡って、またタラップを下りた。

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汽罐かまの上のストーヴのロストルのような上を渡って、またタラップを下った。

下で何か声高にしゃべっているのが、ガン、ガーンと反響していた。――

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下で何か声高こわだかにしゃべっているのが、ガン、ガ――ンと反響していた。――

地下何百尺という地獄のような竪坑(たてこう・地下へ真っすぐ掘った穴)を初めて下りていくような不気味さを感じた。

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地下何百尺という地獄のような竪坑たてこうを初めて下りて行くような無気味さを感じた。

「これもつれえ仕事だな」

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「これもつれえ仕事だな」

「んよ、それに又、か、甲板さ引っぱり出されて、か、蟹たたきでも、さ、されたら、たまったもんでねえさ」

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「んよ、それに又、か、甲板さ引っぱり出されて、か、蟹たたきでも、さ、されたら、たまったもんでねえさ」

「大丈夫、火夫も俺達の方だ!」

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「大丈夫、火夫も俺達の方だ!」

「ん、大丈――夫!」

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「ん、大丈――夫!」

ボイラーの腹を、タラップで下りていた。

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ボイラーの腹を、タラップでおりていた。

「熱い、熱い、たまんねえな。人間のくんせいができそうだ」

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「熱い、熱い、たまんねえな。人間の燻製くんせいが出来そうだ」

「冗談じゃねえど。今火たいていねえ時で、こんだんだど。燃いてる時なんて!」

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「冗談じゃねえど。今火たいていねえ時で、こんだんだど。いてる時なんて!」

「んか、な。んだべな」

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「んか、な。んだべな」

「インドの海渡る時ア、三十分交代で、それでへなへなになるてんだとよ。うっかり文句をぬかした一機が、シャベルで滅多やたらにたたきのめされて、あげくの果て、ボイラーに燃かれてしまうことがあるんだとよ。――そうでもしたくなるべよ!」

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印度インドの海渡る時ア、三十分交代で、それでヘナヘナになるてんだとよ。ウッカリ文句をぬかした一機が、シャベルで滅多やたらにたたきのめされて、あげくの果て、ボイラーに燃かれてしまうことがあるんだとよ。――そうでもしたくなるべよ!」

「んな……」

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「んな……」

汽罐の前では、石炭カスが引き出されて、それに水でもかけたらしく、もうもうと灰が立ちのぼっていた。

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汽罐かまの前では、石炭カスが引き出されて、それに水でもかけたらしく、濛々もうもうと灰が立ちのぼっていた。

その側で、半分裸の火夫達が、煙草をくわえながら、膝を抱えて話していた。

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その側で、半分裸の火夫達が、煙草をくわえながら、ひざを抱えて話していた。

薄暗い中で、それはゴリラがうずくまっているのとそっくりに見えた。

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薄暗い中で、それはゴリラがうずくまっているのと、そっくりに見えた。

石炭庫の口が半開きになって、ひんやりした真っ暗な内側を、不気味に覗かせていた。

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石炭庫の口が半開きになって、ひんやりした真暗な内を、無気味にのぞかせていた。

「おい」

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「おい」

どもりが声をかけた。

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吃りが声をかけた。

「誰だ?」

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「誰だ?」

上を見上げた。――

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上を見上げた。――

それが「誰だ――誰だ、――誰だ」

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それが「誰だ――誰だ、――誰だ」

と三つほどに響き返っていく。

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と三つ位に響きかえって行く。

そこへ二人が降りていった。

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そこへ二人が降りて行った。

二人だということが分かると、

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二人だということが分ると、

「間違ったんでねえか、道を」

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「間違ったんでねえか、道を」

と、一人が大声をたてた。

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と、一人が大声をたてた。

「ストライキやったんだ」

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「ストライキやったんだ」

「ストキがどうしたって?」

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ストキがどうしたって?」

「ストキでねえ、ストライキだ」

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「ストキでねえ、ストライキだ」

「やったか!」

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「やったか!」

「そうか。このまま、どんどん火でもぶっ燃いて、函館さ帰ったらどうだ。面白いど」

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「そうか。このまま、どんどん火でもブッいて、函館さ帰ったらどうだ。面白いど」

どもりは「しめた!」

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吃りは「しめた!」

と思った。

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と思った。

「んで、皆勢揃えしたところで、畜生等にねじ込もうって言うんだ」

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「んで、皆勢揃せいぞろえしたところで、畜生等にねじ込もうッて云うんだ」

「やれ、やれ!」

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「やれ、やれ!」

「やれやれじゃねえ。やろう、やろうだ」

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「やれやれじゃねえ。やろう、やろうだ」

学生が口をはさんだ。

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学生が口を入れた。

「んか、んか、これア悪かった。――やろうやろう!」

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「んか、んか、これア悪かった。――やろうやろう!」

火夫が石炭の灰で白くなっている頭をかいた。

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火夫が石炭の灰で白くなっている頭をかいた。

皆笑った。

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皆笑った。

「お前達の方、お前達ですっかり一纏めにしてもらいたいんだ」

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「お前達の方、お前達ですっかり一まとめにして貰いたいんだ」

「ん、分った。大丈夫だ。いつでも一つくらいぶんなぐってやりてえと思ってる連中ばかりだから」

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「ん、分った。大丈夫だ。何時でも一つ位え、ブンなぐってやりてえと思ってる連中ばかりだから」

――火夫の方はそれでよかった。

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――火夫の方はそれでよかった。

雑夫達は全部漁夫のところへ連れ込まれた。

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雑夫達は全部漁夫のところに連れ込まれた。

一時間ほどするうちに、火夫と水夫も加わってきた。

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一時間程するうちに、火夫と水夫も加わってきた。

皆甲板に集まった。

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皆甲板に集った。

「要求事項」

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「要求事項」

は、どもり、学生、芝浦、威張んなが集まって決めた。

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は、吃り、学生、芝浦、威張んなが集ってきめた。

それを皆の面前で、彼らに突きつけることにした。

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それを皆の面前で、彼等につきつけることにした。

監督達は、漁夫達が騒ぎ出したのを知ると――それからちっとも姿を見せなかった。

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監督達は、漁夫等が騒ぎ出したのを知ると――それからちっとも姿を見せなかった。

「おかしいな」

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「おかしいな」

「これア、おかしい」

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「これア、おかしい」

「ピストル持ってたって、こうなったら駄目だべよ」

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「ピストル持ってたって、こうなったら駄目だべよ」

どもりの漁夫が、ちょっと高いところに上がった。

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吃りの漁夫が、一寸ちょっと高い処に上った。

皆は手をたたいた。

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皆は手をたたいた。

「諸君、とうとう来た! 長い間、長い間俺達は待っていた。俺達は半殺しにされながらも、待っていた。今に見ろ、と。しかし、とうとう来た。

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「諸君、とうとう来た! 長い間、長い間俺達は待っていた。俺達は半殺しにされながらも、待っていた。今に見ろ、と。しかし、とうとう来た。

「諸君、まず第一に、俺達は力を合わせることだ。俺達は何があろうと、仲間を裏切らないことだ。これだけさえ、しっかりつかんでいれば、彼奴等なんかをもみつぶすのは、虫けらより簡単なことだ。――そんならば、第二には何か。諸君、第二にも力を合わせることだ。落伍者を一人も出さないということだ。一人の裏切者、一人の寝がえり者を出さないということだ。たった一人の寝がえりものは、三百人の命を殺すということを知らなければならない。一人の寝がえり……(「分った、分った」「大丈夫だ」「心配しないで、やってくれ」)……

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「諸君、まず第一に、俺達は力を合わせることだ。俺達は何があろうと、仲間を裏切らないことだ。これだけさえ、しっかりつかんでいれば、彼奴等如きをモミつぶすは、虫ケラより容易たやすいことだ。――そんならば、第二には何か。諸君、第二にも力を合わせることだ。落伍者を一人も出さないということだ。一人の裏切者、一人の寝がえり者を出さないということだ。たった一人の寝がえりものは、三百人の命を殺すということを知らなければならない。一人の寝がえり……(「分った、分った」「大丈夫だ」「心配しないで、やってくれ」)……

「俺達の交渉が彼奴等をたたきのめせるか、その役目を完全に果たせるかどうかは、ひとえに諸君の団結の力によるのだ」

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「俺達の交渉が彼奴等をタタキのめせるか、その職分を完全につくせるかどうかは、一に諸君の団結の力に依るのだ」

続いて、火夫の代表が立ち、水夫の代表が立った。

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続いて、火夫の代表が立ち、水夫の代表が立った。

火夫の代表は、普段一度も言ったこともない言葉をしゃべり出して、自分でどぎまぎしてしまった。

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火夫の代表は、普段一度も云ったこともない言葉をしゃべり出して、自分でどまついてしまった。

つまるたびに赤くなり、菜っ葉服の裾を引っ張ってみたり、すり切れた穴のところに手を入れてみたり、そわそわした。

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つまるたびに赤くなり、ナッパ服のすそを引張ってみたり、すり切れた穴のところに手を入れてみたり、ソワソワした。

皆はそれに気づくとデッキを足踏みして笑った。

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皆はそれに気付くとデッキを足踏みして笑った。

「……俺ァもうやめる。然し、諸君、彼奴等はぶんなぐってしまうべよ!」

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「……俺アもうやめる。然し、諸君、彼奴等はブンなぐってしまうべよ!」

と言って、壇を下りた。

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と云って、壇を下りた。

わざと、皆が大げさに拍手した。

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ワザと、皆が大げさに拍手した。

「そこだけでよかったんだ」

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「其処だけでよかったんだ」

後で誰かがひやかした。

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後で誰かひやかした。

それで皆は一度にわっと笑い出してしまった。

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それで皆は一度にワッと笑い出してしまった。

火夫は、夏の真っ最中に、ボイラーの柄の長いシャベルを使うときよりも汗をびっしょりかいて、足元さえ頼りなくなっていた。

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火夫は、夏の真最中に、ボイラーの柄の長いシャベルを使うときよりも、汗をびっしょりかいて、足元さえ頼りなくなっていた。

降りてきたとき、「俺何しゃべったかな?」

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降りて来たとき、「俺何しゃべったかな?」

と仲間に聞いた。

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と仲間にきいた。

学生が肩をたたいて、「いい、いい」

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学生が肩をたたいて、「いい、いい」

と言って笑った。

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と云って笑った。

「お前えだ、悪いのア。別にいたのによ、俺でなくたって……」

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「お前えだ、悪いのア。別にいたのによ、俺でなくたって……」

「皆さん、私達は今日の来るのを待っていたんです」

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「皆さん、私達は今日の来るのを待っていたんです」

――壇には十五、六歳の雑夫が立っていた。

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――壇には一五、六歳の雑夫が立っていた。

「皆さんも知っている、私達の友達がこの工船の中で、どんなに苦しめられ、半殺しにされたか。夜になって薄っぺらい布団に包まってから、家のことを思い出して、よく私達は泣きました。ここに集っているどの雑夫にも聞いてみて下さい。一晩だって泣かない人はいないのです。そして又一人だって、体に生きずのないものはいないのです。もう、こんな事が三日も続けば、きっと死んでしまう人もいます。――ちょっとでも金のある家ならば、まだ学校に行けて、無邪気に遊んでいれる年頃の私達は、こんなに遠く……(声がかすれる。どもり出す。抑えられたように静かになった)然し、もういいんです。大丈夫です。大人の人に助けてもらって、私達は憎い憎い、彼奴等に仕返ししてやることができるのです……」

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「皆さんも知っている、私達の友達がこの工船の中で、どんなに苦しめられ、半殺しにされたか。夜になって薄ッぺらい布団に包まってから、家のことを思い出して、よく私達は泣きました。此処に集っているどの雑夫にも聞いてみて下さい。一晩だって泣かない人はいないのです。そして又一人だって、身体に生キズのないものはいないのです。もう、こんな事が三日も続けば、キット死んでしまう人もいます。――ちょっとでも金のあるうちならば、まだ学校に行けて、無邪気に遊んでいれる年頃の私達は、こんなに遠く……(声がかすれる。吃り出す。おさえられたように静かになった)然し、もういいんです。大丈夫です。大人の人に助けて貰って、私達は憎い憎い、彼奴等に仕返ししてやることが出来るのです……」

それは嵐のような拍手を引き起こした。

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それは嵐のような拍手をき起した。

手を夢中でたたきながら、目尻を太い指先で、そっと拭っている中年過ぎの漁夫がいた。

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手を夢中にたたきながら、眼尻を太い指先きで、ソッとぬぐっている中年過ぎた漁夫がいた。

学生やどもりは、皆の名前を書いた誓約書を回して、はんこを押してもらって歩いた。

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学生や、吃りは、皆の名前をかいた誓約書を廻して、捺印なついんを貰って歩いた。

学生二人、どもり、威張んな、芝浦、火夫三名、水夫三名が、「要求条項」

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学生二人、吃り、威張んな、芝浦、火夫三名、水夫三名が、「要求条項」

と「誓約書」

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と「誓約書」

を持って、船長室に出掛けること、そのときには表で示威運動をすることが決まった。――

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を持って、船長室に出掛けること、その時には表で示威運動をすることが決った。――

陸の場合のように、住まいがちりぢりばらばらになっていないこと、それに下地が十分にあったことが、すらすらと運ばせた。

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陸の場合のように、住所がチリチリバラバラになっていないこと、それに下地が充分にあったことが、スラスラと運ばせた。

うそのように、すらすら纏まった。

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ウソのように、スラスラ纏った。

「おかしいな、何んだって、あの鬼顔出さないんだべ」

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「おかしいな、何んだって、あの鬼顔出さないんだべ」

「やっきになって、得意のピストルでも打つかと思ってたどもな」

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やっきになって、得意のピストルでも打つかと思ってたどもな」

三百人はどもりの音頭で、一斉に「ストライキ万歳」

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三百人は吃りの音頭で、一斉に「ストライキ万歳」

を三度叫んだ。

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を三度叫んだ。

学生が「監督の野郎、この声聞いて震えてるだろう!」

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学生が「監督の野郎、この声聞いて震えてるだろう!」

と笑った。――

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と笑った。――

船長室へ押しかけた。

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船長室へ押しかけた。

監督は片手にピストルを持ったまま、代表を迎えた。

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監督は片手にピストルを持ったまま、代表を迎えた。

船長、雑夫長、工場代表……などが、今までたしかに何か相談をしていたらしいことがはっきり分かる、そのままの格好で迎えた。

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船長、雑夫長、工場代表……などが、今までたしかに何か相談をしていたらしいことがハッキリ分るそのままの恰好で、迎えた。

監督は落ち着いていた。

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監督は落付いていた。

入っていくと、

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入ってゆくと、

「やったな」

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「やったな」

とにやにや笑った。

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とニヤニヤ笑った。

外では、三百人が重なり合って、大声をあげ、どた、どた足踏みをしていた。

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外では、三百人が重なり合って、大声をあげ、ドタ、ドタ足踏みをしていた。

監督は「うるさい奴だ!」

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監督は「うるさい奴だ!」

と低い声で言った。

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とひくい声で云った。

が、それらには気もかけない様子で、代表が興奮して言うのをひと通り聞いてから、「要求条項」

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が、それ等には気もかけない様子だった代表が興奮して云うのを一通りきいてから、「要求条項」

と、三百人の「誓約書」

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と、三百人の「誓約書」

を形式的にちらちら見ると、「後悔しないか」

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を形式的にチラチラ見ると、「後悔しないか」

と、拍子抜けするほど、ゆっくり言った。

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と、拍子抜けするほど、ゆっくり云った。

「馬鹿野郎ッ!」

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「馬鹿野郎ッ!」

どもりがいきなり監督の鼻っ面を殴りつけるように怒鳴った。

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吃りがいきなり監督の鼻ッ面をなぐりつけるように怒鳴った。

「そうか、いい。――後悔しないんだな」

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「そうか、いい。――後悔しないんだな」

そう言って、それからちょっと調子を変えた。

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そう云って、それから一寸ちょっと調子をかえた。

「じゃ、聞け。いいか。明日の朝にならないうちに、色よい返事をしてやるから」

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「じゃ、聞け。いいか。明日の朝にならないうちに、色よい返事をしてやるから」

――だが、言うより早く、芝浦が監督のピストルをたたき落とすと、拳骨でほおを殴りつけた。

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――だが、云うより早かった、芝浦が監督のピストルをタタキ落すと、拳骨でほおをなぐりつけた。

監督がはっと思って、顔を押さえた瞬間、どもりがきのこのような丸椅子で横なぐりに足をさらった。

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監督がハッと思って、顔を押えた瞬間、吃りがキノコのような円椅子で横なぐりに足をさらった。

監督の体はテーブルに引っかかって、あっけなく横倒れになった。

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監督の身体はテーブルに引っかかって、他愛なく横倒れになった。

その上に四本の足を空に向けて、テーブルがひっくり返っていった。

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その上に四本の足を空にして、テーブルがひっくりかえって行った。

「色よい返事だ? この野郎、ふざけるな! 命にかけての問題だんだ!」

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「色よい返事だ? この野郎、フザけるな! 生命にかけての問題だんだ!」

芝浦は幅の広い肩をけわしく動かした。

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芝浦ははばの広い肩をけわしく動かした。

水夫、火夫、学生が二人を止めた。

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水夫、火夫、学生が二人をとめた。

船長室の窓がすごい音を立てて壊れた。

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船長室の窓がすごい音を立ててこわれた。

その瞬間、「殺しちまい!」

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その瞬間、「殺しちまい!」

「打っ殺せ!」

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「打ッ殺せ!」

「のせ! のしちまえ!」

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「のせ! のしちまえ!」

外からの叫び声が急に大きくなって、はっきり聞こえてきた。――

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外からの叫び声が急に大きくなって、ハッキリ聞えてきた。――

いつの間にか、船長や雑夫長や工場代表が部屋の片隅の方へ、固まり合って棒杭のように突っ立っていた。

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何時の間にか、船長や雑夫長や工場代表が室の片隅かたすみの方へ、固まり合って棒杭のようにつッ立っていた。

顔に色がなかった。

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顔の色がなかった。

ドアを壊して、漁夫や、水夫、火夫がなだれ込んできた。

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ドアーを壊して、漁夫や、水、火夫が雪崩なだれ込んできた。

昼過ぎから、海は大嵐になった。

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昼過ぎから、海は大嵐になった。

そして夕方近くになって、だんだん静かになった。

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そして夕方近くになって、だんだん静かになった。

「監督をたたきのめす!」

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「監督をたたきのめす!」

そんなことがどうしてできるものか、そう思っていた。

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そんなことがどうして出来るもんか、そう思っていた。

ところが!

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ところが!

自分達の「手」

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 自分達の「手」

でそれをやってのけたのだ。

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でそれをやってのけたのだ。

普段おどかしの看板にしていたピストルさえ撃てなかったではないか。

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普段おどかし看板にしていたピストルさえ打てなかったではないか。

皆はうきうきとはしゃいでいた。――

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皆はウキウキとはしゃいでいた。――

代表達は頭を集めて、これからのいろいろな対策を相談した。

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代表達は頭を集めて、これからの色々な対策を相談した。

「色よい返事」

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「色よい返事」

が来なかったら、「覚えてろ!」

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が来なかったら、「覚えてろ!」

と思った。

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と思った。

薄暗くなった頃だった。

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薄暗くなった頃だった。

ハッチの入口で見張りをしていた漁夫が、駆逐艦がやってきたのを見た。――

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ハッチの入口で、見張りをしていた漁夫が、駆逐艦がやってきたのを見た。――

あわてて「糞壺」

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周章あわてて「糞壺」

に駆け込んだ。

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け込んだ。

「しまったッ‼」

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「しまったッ‼」

学生の一人がバネのようにはね上がった。

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学生の一人がバネのようにはね上った。

見る見る顔の色が変わった。

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見る見る顔の色が変った。

「感違いするなよ」

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「感違いするなよ」

どもりが笑い出した。

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吃りが笑い出した。

「この、俺達の状態や立場、それに要求などを、士官達に詳しく説明して援助をうけたら、かえってこのストライキは有利に解決がつく。分りきったことだ」

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「この、俺達の状態や立場、それに要求などを、士官達に詳しく説明して援助をうけたら、かえってこのストライキは有利に解決がつく。分りきったことだ」

他のものも、「それアそうだ」

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外のものも、「それアそうだ」

と同意した。

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と同意した。

「我帝国の軍艦だ。俺達国民の味方だろう」

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「我帝国の軍艦だ。俺達国民の味方だろう」

「いや、いや……」

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「いや、いや……」

学生は手を振った。

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学生は手を振った。

よほどのショックを受けたらしく、唇を震わせている。

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余程のショックを受けたらしく、唇を震わせている。

言葉がどもった。

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言葉がどもった。

「国民の味方だって? ……いやいや……」

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「国民の味方だって? ……いやいや……」

「馬鹿な! ――国民の味方でない帝国の軍艦、そんな理屈なんてある筈があるか⁉」

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「馬鹿な! ――国民の味方でない帝国の軍艦、そんな理窟なんてあるはずがあるか⁉」

「駆逐艦が来た!」

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「駆逐艦が来た!」

「駆逐艦が来た!」

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「駆逐艦が来た!」

という興奮が学生の言葉を無理やりにもみ潰してしまった。

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という興奮が学生の言葉を無理矢理にもみつぶしてしまった。

皆はどやどやと「糞壺」

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皆はドヤドヤと「糞壺」

から甲板に駆け上がった。

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から甲板にかけ上った。

そして声を揃えていきなり、「帝国軍艦万歳」

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そして声をそろえていきなり、「帝国軍艦万歳」

を叫んだ。

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を叫んだ。

タラップの昇降口には、顔と手に包帯をした監督や船長と向かい合って、どもり、芝浦、威張んな、学生、水夫、火夫達が立った。

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タラップの昇降口には、顔と手にホータイをした監督や船長と向い合って、吃り、芝浦、威張んな、学生、水、火夫等が立った。

薄暗いので、はっきり分からなかったが、駆逐艦からは三艘の汽艇(きてい・小さい船)が出た。

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薄暗いので、ハッキリ分らなかったが、駆逐艦からは三艘汽艇が出た。

それが横付けになった。

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それが横付けになった。

十五、六人の水兵がぎっしり詰まっていた。

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一五、六人の水兵が一杯つまっていた。

それが一度にタラップを上ってきた。

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それが一度にタラップを上ってきた。

あッ!

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ッ!

着剣(ちゃっけん・銃の先に剣を付けること)をしているではないか!

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 着剣つけけんをしているではないか!

そして帽子のあご紐をかけている!

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 そして帽子の顎紐あごひもをかけている!

「しまった!」

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「しまった!」

そう心の中で叫んだのは、どもりだった。

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そう心の中で叫んだのは、吃りだった。

次の汽艇からも十五、六人。

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次の汽艇からも十五、六人。

その次の汽艇からも、やはり銃の先に着剣した、あご紐をかけた水兵!

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その次の汽艇からも、やっぱり銃の先きに、着剣した、顎紐をかけた水兵!

それらは海賊船にでも躍り込むように、ドカドカッと上ってくると、漁夫や水夫、火夫を取り囲んでしまった。

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 それ等は海賊船にでもおどり込むように、ドカドカッと上ってくると、漁夫や水、火夫を取り囲んでしまった。

「しまった! 畜生やりゃがったな!」

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「しまった! 畜生やりゃがったな!」

芝浦も、水夫、火夫の代表も初めて叫んだ。

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芝浦も、水、火夫の代表も初めて叫んだ。

「ざま、見やがれ!」

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「ざま、見やがれ!」

――監督だった。

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――監督だった。

ストライキになってからの、監督の不思議な態度が初めて分かった。

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ストライキになってからの、監督の不思議な態度が初めて分った。

だが、遅かった。

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だが、遅かった。

「有無」

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「有無」

を言わせない。

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を云わせない。

「不届者」

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「不届者」

「不忠者」

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「不忠者」

「露助の真似する売国奴」

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「露助の真似する売国奴」

そう罵倒されて、代表の九人が銃剣を突きつけられたまま、駆逐艦に護送されてしまった。

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そう罵倒ばとうされて、代表の九人が銃剣を擬されたまま、駆逐艦に護送されてしまった。

それは皆がわけが分からず、ぼんやり見とれている、その短い間のことだった。

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それは皆がワケが分らず、ぼんやり見とれている、その短い間だった。

まったく、有無を言わせなかった。――

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全く、有無を云わせなかった。――

一枚の新聞紙が燃えてしまうのを見ているより、あっけなかった。

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一枚の新聞紙が燃えてしまうのを見ているより、他愛なかった。

――簡単に「片付いてしまった」

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――簡単に「片付いてしまった」

「俺達には、俺達しか、味方が無えんだな。始めて分った」

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「俺達には、俺達しか、味方がえんだな。始めて分った」

「帝国軍艦だなんて、大きな事を言ったって大金持ちの手先でねえか、国民の味方? おかしいや、糞喰らえだ!」

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「帝国軍艦だなんて、大きな事を云ったって大金持の手先でねえか、国民の味方? おかしいや、糞喰らえだ!」

水兵達は万一を考えて、三日船にいた。

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水兵達は万一を考えて、三日船にいた。

その間じゅう、上官連中は、毎晩サロンで、監督達と一緒に酔っ払っていた。――

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その間中、上官連は、毎晩サロンで、監督達と一緒に酔払っていた。――

「そんなものさ」

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「そんなものさ」

いくら漁夫達でも、今度という今度こそ、「誰が敵」

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いくら漁夫達でも、今度という今度こそ、「誰が敵」

であるか、そしてそれらが(まったく意外にも!)

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であるか、そしてそれ等が(全く意外にも!)

どんなふうにお互い繋がり合っているか、ということを身をもって知らされた。

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どういう風に、お互が繋がり合っているか、ということが身をもって知らされた。

毎年の例で、漁期が終わりそうになると、蟹缶詰の「献上品(けんじょうひん・天皇陛下にさしあげる品)」

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毎年の例で、漁期が終りそうになると、蟹罐詰の「献上品

を作ることになっていた。

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を作ることになっていた。

しかし「乱暴にも」

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然し「乱暴にも」

いつでも、別に体を清めて丁寧に作るわけでもなかった。

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何時でも、別に斎戒沐浴もくよくして作るわけでもなかった。

そのたびに、漁夫達は監督をひどいことをするものだ、と思ってきた。――

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その度に、漁夫達は監督をひどい事をするものだ、と思って来た。――

だが、今度は違ってしまっていた。

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だが、今度はちがってしまっていた。

「俺達の本当の血と肉を搾り上げて作るものだ。フン、さぞうめえこったろ。食ってしまってから、腹痛でも起さねばいいさ」

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「俺達の本当の血と肉をしぼり上げて作るものだ。フン、さぞうめえこったろ。食ってしまってから、腹痛でも起さねばいいさ」

皆そんな気持ちで作った。

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皆そんな気持で作った。

「石ころでも入れておけ! かまうもんか!」

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「石ころでも入れておけ! かまうもんか!」

「俺達には、俺達しか味方が無えんだ」

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「俺達には、俺達しか味方が無えんだ」

それは今では、皆の心の底の方へ、底の方へ、と深く入り込んでいった。――

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それは今では、皆の心の底の方へ、底の方へ、と深く入り込んで行った。――

「今に見ろ!」

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「今に見ろ!」

しかし「今に見ろ」

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然し「今に見ろ」

を百遍繰り返して、それが何になるか。――

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を百遍繰りかえして、それが何になるか。――

ストライキが惨めに敗れてから、仕事は「畜生、思い知ったか」

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ストライキがみじめに敗れてから、仕事は「畜生、思い知ったか」

とばかりに、過酷になった。

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とばかりに、過酷になった。

それは今までの過酷さにもう一つさらに加えられた、監督の仕返しの過酷さだった。

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それは今までの過酷にもう一つ更に加えられた監督の復仇的ふっきゅうてきな過酷さだった。

限度というものの一番極端を越えていた。――

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限度というものの一番極端を越えていた。――

今ではもう仕事は堪え難いところまで来ていた。

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今ではもう仕事は堪え難いところまで行っていた。

「――間違っていた。ああやって、九人なら九人という人間を、表に出すんでなかった。まるで、俺達の急所はここだ、と知らせてやっているようなものではないか。俺達全部は、全部が一緒になったという風にやらなければならなかったのだ。そしたら監督だって、駆逐艦に無電は打てなかったろう。まさか、俺達全部を引き渡してしまうなんて事、できないからな。仕事が、できなくなるもの」

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「――間違っていた。ああやって、九人なら九人という人間を、表に出すんでなかった。まるで、俺達の急所はここだ、と知らせてやっているようなものではないか。俺達全部は、全部が一緒になったという風にやらなければならなかったのだ。そしたら監督だって、駆逐艦に無電は打てなかったろう。まさか、俺達全部を引き渡してしまうなんて事、出来ないからな。仕事が、出来なくなるもの」

「そうだな」

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「そうだな」

「そうだよ。今度こそ、このまま仕事していたんじゃ、俺達本当に殺されるよ。犠牲者を出さないように全部で、一緒にサボることだ。この前と同じ手で。どもりが言ったでないか、何より力を合わせることだって。それに力を合わせたらどんなことが出来たか、ということも分っている筈だ」

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「そうだよ。今度こそ、このまま仕事していたんじゃ、俺達本当に殺されるよ。犠牲者を出さないように全部で、一緒にサボルことだ。この前と同じ手で。吃りが云ったでないか、何より力を合わせることだって。それに力を合わせたらどんなことが出来たか、ということも分っている筈だ」

「それでも若し駆逐艦を呼んだら、皆で――この時こそ力を合わせて、一人も残らず引渡されよう! その方がかえって助かるんだ」

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「それでも若し駆逐艦を呼んだら、皆で――この時こそ力を合わせて、一人も残らず引渡されよう! その方がかえって助かるんだ」

「んかも知らない。然し考えてみれば、そんなことになったら、監督が第一あわてるよ、会社の手前。代りを函館から取り寄せるのには遅すぎるし、出来高だって問題にならない程少ないし。……うまくやったら、これア案外大丈夫だど」

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「んかも知らない。然し考えてみれば、そんなことになったら、監督が第一周章あわてるよ、会社の手前。代りを函館から取り寄せるのには遅すぎるし、出来高だって問題にならない程少ないし。……うまくやったら、これア案外大丈夫だど」

「大丈夫だよ。それに不思議に誰だって、びくびくしていないしな。皆、畜生! って気でいる」

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「大丈夫だよ。それに不思議に誰だって、ビクビクしていないしな。皆、畜生! ッて気でいる」

「本当のことを言えば、そんな先の見込みなんて、どうでもいいんだ。――死ぬか、生きるか、だからな」

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「本当のことを云えば、そんな先きの成算なんて、どうでもいいんだ。――死ぬか、生きるか、だからな」

「ん、もう一回だ!」

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「ん、もう一回だ!」

そして、彼らは立ち上がった。――

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そして、彼等は、立ち上った。――

もう一度!

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もう一度

附記(ふき・あとがき)

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附記

この後のことについて、二、三付け加えておこう。

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この後のことについて、二、三附け加えて置こう。

イ、二度目の、完全な「サボ」

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イ、二度目の、完全な「サボ」

は、まんまと成功したということ。

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は、マンマと成功したということ。

「まさか」

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「まさか」

と思っていた面食らった監督は、夢中になって無電室に駆け込んだが、ドアの前で立ち往生してしまったこと、どうしていいか分からなくなって。

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と思っていた、面くらった監督は、夢中になって無電室にかけ込んだが、ドアーの前で立ち往生してしまったこと、どうしていいか分らなくなって。

ロ、漁期が終わって、函館へ帰港したとき、「サボ」

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ロ、漁期が終って、函館へ帰港したとき、「サボ」

をやったりストライキをやったりした船は、博光丸だけではなかったこと。

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をやったりストライキをやった船は、博光丸だけではなかったこと。

二、三の船から「赤化宣伝」

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二、三の船から「赤化宣伝」

のパンフレットが出たこと。

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のパンフレットが出たこと。

ハ、それから監督や雑夫長達が、漁期中にストライキのような不祥事を引き起こさせ、製品高に多大の影響を与えたという理由のもとに、会社があの忠実な犬を「無慈悲」

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ハ、それから監督や雑夫長等が、漁期中にストライキの如き不祥事を惹起ひきおこさせ、製品高に多大の影響を与えたという理由のもとに、会社があの忠実な犬を「無慈悲」

に涙銭一文くれず、(漁夫達よりも惨めに!)

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に涙銭一文くれず、(漁夫達よりも惨めに!)

首を切ってしまったということ。

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首を切ってしまったということ。

面白いことは、「あ――あ、口惜しかった! 俺ア今まで、畜生、だまされていた!」

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面白いことは、「あ――あ、口惜くやしかった! 俺ア今まで、畜生、だまされていた!」

と、あの監督が叫んだということ。

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と、あの監督が叫んだということ。

ニ、そして、「組織」

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ニ、そして、「組織」

「闘争(とうそう・戦うこと)」

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「闘争」

――この初めて知った偉大な経験を担って、漁夫、年若い雑夫達が、警察の門から色々な労働の層へ、それぞれ入り込んでいったということ。

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――この初めて知った偉大な経験をになって、漁夫、年若い雑夫等が、警察の門から色々な労働の層へ、それぞれ入り込んで行ったということ。

――この一篇は、「植民地における資本主義侵入史」

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――この一篇は、「殖民地に於ける資本主義侵入史」

の一頁である。

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の一頁である。

(一九二九・三・三〇)

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(一九二九・三・三〇)