走れメロス 現代語訳
太宰治(だざいおさむ)・1988年
AI生成この訳はAI(claude-sonnet-4-6)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-23)
メロスは激しく怒った。
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メロスは激怒した。
あの邪悪で残酷な王を倒さなければならない、と心に決めた。
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必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
メロスは政治のことなど何もわからない。
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メロスには政治がわからぬ。
メロスは、村の羊飼いだ。
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メロスは、村の牧人である。
笛を吹き、羊と遊んで暮らしてきた。
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笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。
でも、悪いことに対しては、人一倍敏感だった。
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けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
今日の夜明け前、メロスは村を出発し、野や山を越えて、十里離れたこのシラクスの街にやって来た。
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きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此のシラクスの市にやって来た。
メロスには父も母もいない。
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メロスには父も、母も無い。
妻もいない。
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女房も無い。
十六歳の内気な妹と二人で暮らしている。
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十六の、内気な妹と二人暮しだ。
この妹は、村のある誠実な羊飼いを、もうすぐ夫として迎えることになっていた。
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この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿として迎える事になっていた。
結婚式も間近だ。
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結婚式も間近かなのである。
メロスは、そのため、花嫁の衣装や祝宴のごちそうを買いに、はるばる街にやって来たのだ。
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メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。
まず、その品々を買いそろえ、それから都の大通りをぶらぶら歩いた。
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先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。
メロスには幼なじみの友達がいた。
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メロスには竹馬の友があった。
セリヌンティウスだ。
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セリヌンティウスである。
今はこのシラクスの街で、石工をしている。
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今は此のシラクスの市で、石工をしている。
その友を、これから訪ねてみるつもりだった。
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その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。
長い間会っていなかったから、訪ねて行くのが楽しみだった。
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久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。
歩いているうちにメロスは、街の様子がおかしいと感じた。
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歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。
しんと静まり返っている。
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ひっそりしている。
もう日も暮れていて、街が暗いのは当然だが、なんだか夜のせいだけではなく、街全体がやけに寂しい。
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もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。
のんきなメロスも、だんだん不安になってきた。
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のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。
道で出会った若い男をつかまえて、何かあったのか、二年前にこの街に来たときは、夜でもみんなが歌をうたって賑やかだったはずだが、と尋ねた。
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路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈だが、と質問した。
若い男は首を振って答えなかった。
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若い衆は、首を振って答えなかった。
しばらく歩いてお爺さんに出会い、今度はもっと強い口調で尋ねた。
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しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。
お爺さんも答えなかった。
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老爺は答えなかった。
メロスは両手でお爺さんの体を揺さぶって、繰り返し尋ねた。
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メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。
お爺さんは、あたりをはばかるような小声で、かすかに答えた。
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老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「王様が、人を殺しているんです。」
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「王様は、人を殺します。」
「なぜ殺すんだ。」
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「なぜ殺すのだ。」
「悪だくみを抱いている、ということなんですが、誰もそんな悪い心なんて持っていませんよ。」
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「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの人を殺したのか。」
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「たくさんの人を殺したのか。」
「はい、最初は王様の義理の弟を。それから、ご自分の跡継ぎを。それから、妹さまを。それから、妹さまのお子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢い臣下のアレキス様を。」
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「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」
「驚いた。王は正気を失ったのか。」
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「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、正気を失ったわけではございません。人を信じることができない、というのです。最近は臣下の心さえも疑うようになって、少し派手な暮らしをしている者には人質を一人ずつ差し出すよう命じています。命令を断れば磔にされて殺されます。今日は六人殺されました。」
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「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」
それを聞いて、メロスは激しく怒った。
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聞いて、メロスは激怒した。
「あきれた王だ。生かしておけない。」
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「呆れた王だ。生かして置けぬ。」
メロスは、単純な男だった。
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メロスは、単純な男であった。
買い物を背負ったまま、のそのそと王城に入っていった。
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買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。
たちまち彼は、巡回中の警備兵に捕まえられた。
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たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。
調べられると、メロスの懐から短剣が出てきたので、大騒ぎになってしまった。
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調べられて、メロスの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。
メロスは、王の前に引き出された。
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メロスは、王の前に引き出された。
「この短剣で何をするつもりだったか。言え!」
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「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」
暴君ディオニスは静かに、しかし威厳を持って問い詰めた。
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暴君ディオニスは静かに、けれども威厳を以て問いつめた。
その王の顔は青白く、眉間のしわは、刻み込まれたように深かった。
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その王の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。
「街を暴君の手から救うんだ。」
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「市を暴君の手から救うのだ。」
とメロスは臆することなく答えた。
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とメロスは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」
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「おまえがか?」
王は、あわれむように笑った。
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王は、憫笑した。
「しょうがない奴だ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」
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「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」
「言うな!」
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「言うな!」
とメロスは、腹を立てて言い返した。
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とメロスは、いきり立って反駁した。
「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪だ。王は、民の忠誠心さえも疑っている。」
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「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」
「疑うのが正しい心構えだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと自分の欲のかたまりさ。信じてはならぬ。」
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「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」
暴君は落ち着いてつぶやき、ほっとため息をついた。
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暴君は落着いて呟き、ほっと溜息をついた。
「わしだって、平和を望んでいるのだが。」
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「わしだって、平和を望んでいるのだが。」
「何のための平和だ。自分の地位を守るためか。」
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「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」
今度はメロスが嘲るように笑った。
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こんどはメロスが嘲笑した。
「罪のない人を殺して、何が平和だ。」
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「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」
「黙れ、身分の低い者め。」
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「だまれ、下賤の者。」
王は、さっと顔を上げて言い返した。
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王は、さっと顔を挙げて報いた。
「口では、どんなきれいごとでも言える。わしには、人の腹の底が透けて見える。おまえだって、もうすぐ磔になってから、泣いて詫びたって許さないぞ。」
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「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」
「ああ、王は賢いな。自惚れていればいい。私は、ちゃんと死ぬ覚悟でいるのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」
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「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」
と言いかけて、メロスは足元に視線を落とし、一瞬ためらってから、「ただ、私に情けをかけてくれるつもりなら、処刑まで三日間の猶予を与えてください。たった一人の妹に、夫を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」
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と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな。」
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「ばかな。」
と暴君は、しゃがれた声で低く笑った。
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と暴君は、嗄れた声で低く笑った。
「とんでもない嘘をつくわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」
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「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るんです。」
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「そうです。帰って来るのです。」
メロスは必死で言い張った。
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メロスは必死で言い張った。
「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許してください。妹が、私の帰りを待っているんです。そんなに私を信じられないなら、よろしい、この街にセリヌンティウスという石工がいます。私の最高の友人です。あいつを、人質としてここに置いて行きましょう。私が逃げてしまって、三日目の日暮れまでにここへ帰って来なかったら、あの友人を絞め殺してください。たのむ、そうしてください。」
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「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて王は、残酷な気持で、こっそり心の中で笑った。
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それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑んだ。
生意気なことを言うわい。
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生意気なことを言うわい。
どうせ帰って来ないに決まっている。
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どうせ帰って来ないにきまっている。
この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。
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この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。
そうして身代わりの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。
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そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。
人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代わりの男を磔刑にしてやるのだ。
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人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。
世の中の、正直者とかいう連中にたっぷり見せつけてやりたいものだ。
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世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。
「願いを、聞いた。その身代わりを呼ぶがいい。三日目には日没までに帰って来い。遅れたら、その身代わりを、必ず殺すぞ。ちょっと遅れて来るがいい。おまえの罪は、永遠に許してやろうぞ。」
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「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
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「なに、何をおっしゃる。」
「はは。命が大事だったら、遅れて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
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「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
メロスは悔しくて、地団太を踏んだ。
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メロスは口惜しく、地団駄踏んだ。
何も言いたくなくなった。
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ものも言いたくなくなった。
幼なじみのセリヌンティウスは、深夜、王城に呼ばれた。
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竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。
暴君ディオニスの前で、親友と親友は、二年ぶりに再会した。
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暴君ディオニスの面前で、佳き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。
メロスは、友に一切の事情を話した。
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メロスは、友に一切の事情を語った。
セリヌンティウスは無言でうなずき、メロスをしっかりと抱きしめた。
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セリヌンティウスは無言で首肯き、メロスをひしと抱きしめた。
友と友の間では、それで十分だった。
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友と友の間は、それでよかった。
セリヌンティウスは、縄で縛られた。
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セリヌンティウスは、縄打たれた。
メロスは、すぐに出発した。
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メロスは、すぐに出発した。
初夏、星が満天に広がっている。
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初夏、満天の星である。
メロスはその夜、一睡もせず十里の道を急いで急いで、村に着いたのは翌日の午前、太陽はもう高く昇っていて、村人たちは野に出て仕事を始めていた。
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メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、翌る日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。
メロスの十六歳の妹も、今日は兄の代わりに羊の群れの番をしていた。
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メロスの十六の妹も、きょうは兄の代りに羊群の番をしていた。
よろめきながら歩いてくる兄の、疲れ果てた姿を見つけて驚いた。
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よろめいて歩いて来る兄の、疲労困憊の姿を見つけて驚いた。
そして、矢継ぎ早に兄に質問を浴びせた。
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そうして、うるさく兄に質問を浴びせた。
「何でもないよ。」
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「なんでも無い。」
メロスは無理に笑おうとした。
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メロスは無理に笑おうと努めた。
「街にやり残したことがある。またすぐ街に行かなければならない。明日、おまえの結婚式を挙げよう。早いほうがいいだろう。」
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「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう。」
妹は頬を赤らめた。
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妹は頬をあからめた。
「うれしいか。きれいな衣装も買って来た。さあ、今から村の人たちに知らせて来い。結婚式は明日だと。」
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「うれしいか。綺麗な衣裳も買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。結婚式は、あすだと。」
メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を整え、間もなく床に倒れ伏して、息もできないくらい深い眠りに落ちてしまった。
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メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。
目が覚めたのは夜だった。
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眼が覚めたのは夜だった。
メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪ねた。
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メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。
そして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。
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そうして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。
婿の羊飼いは驚き、それはいけない、こちらにはまだ何の準備もできていない、ぶどうの季節まで待ってくれ、と答えた。
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婿の牧人は驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、葡萄の季節まで待ってくれ、と答えた。
メロスは、待つことはできない、どうか明日にしてくれ、と更に押して頼んだ。
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メロスは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。
婿の羊飼いも頑固だった。
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婿の牧人も頑強であった。
なかなか承諾してくれない。
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なかなか承諾してくれない。
夜明けまで話し合いを続けて、やっと、どうにか婿をなだめすかして、説き伏せた。
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夜明けまで議論をつづけて、やっと、どうにか婿をなだめ、すかして、説き伏せた。
結婚式は、真昼に行われた。
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結婚式は、真昼に行われた。
新郎新婦の、神々への誓いが済んだころ、黒い雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて激しい大雨になった。
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新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。
祝宴に集まっていた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、それぞれ気持ちを奮い立たせ、狭い家の中でむんむん蒸し暑いのもこらえて、陽気に歌をうたい、手を打った。
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祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのも怺え、陽気に歌をうたい、手を拍った。
メロスも、顔いっぱいに喜びをたたえて、しばらくは、王とのあの約束さえ忘れていた。
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メロスも、満面に喜色を湛え、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。
祝宴は、夜になってますます盛り上がり、人々は外の激しい雨をまったく気にしなくなった。
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祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。
メロスは、一生このままここにいたい、と思った。
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メロスは、一生このままここにいたい、と思った。
この良い人たちと一生暮らしていきたいと願ったが、今の自分のからだは、自分のものではない。
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この佳い人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。
どうにもならないことだ。
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ままならぬ事である。
メロスは、自分に鞭打って、ついに出発を決意した。
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メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。
明日の日没までには、まだ十分な時間がある。
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あすの日没までには、まだ十分の時が在る。
ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。
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ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。
そのころには、雨も小降りになっているだろう。
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その頃には、雨も小降りになっていよう。
少しでも長くこの家にぐずぐずとどまっていたかった。
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少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった。
メロスほどの男にも、やはり後ろ髪を引かれる気持ちというものはある。
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メロスほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。
今夜、うっとりと喜びに酔っているらしい花嫁に近づき、
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今宵呆然、歓喜に酔っているらしい花嫁に近寄り、
「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっと失礼して眠りたい。目が覚めたら、すぐに街に出かける。大切な用事があるんだ。私がいなくても、もうおまえには優しい夫がいるのだから、決して寂しいことはない。おまえの兄の、一番嫌いなものは、人を疑うことと、それから嘘をつくことだ。おまえも、それは知っているね。夫との間に、どんな秘密も作ってはならない。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん立派な男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」
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「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに市に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しい事は無い。おまえの兄の、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、それから、嘘をつく事だ。おまえも、それは、知っているね。亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」
花嫁は、夢見心地でうなずいた。
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花嫁は、夢見心地で首肯いた。
メロスは、それから花婿の肩をたたいて、
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メロスは、それから花婿の肩をたたいて、
「準備がないのはお互い様さ。私の家にも、宝といったら、妹と羊だけだ。他には何もない。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ。」
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「仕度の無いのはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、妹と羊だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ。」
花婿は手をもみ合わせながら、照れていた。
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花婿は揉み手して、てれていた。
メロスは笑って村人たちにも軽く挨拶して、宴席から立ち去り、羊小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。
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メロスは笑って村人たちにも会釈して、宴席から立ち去り、羊小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。
目が覚めたのは翌日の夜明け前のころだ。
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眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。
メロスは跳ね起き、しまった、寝過ごしたか、いや、まだ大丈夫、これからすぐ出発すれば、約束の時間までには十分間に合う。
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メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。
今日こそ、あの王に、人の誠実というものがどういうものか見せてやろう。
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きょうは是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。
そうして笑って磔台に上ってやる。
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そうして笑って磔の台に上ってやる。
メロスは、ゆったりと身支度を始めた。
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メロスは、悠々と身仕度をはじめた。
雨も、いくらか小降りになっている様子だ。
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雨も、いくぶん小降りになっている様子である。
身支度はできた。
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身仕度は出来た。
さて、メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨の中、矢のように走り出した。
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さて、メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。
私は、今夜、殺される。
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私は、今宵、殺される。
殺されるために走るのだ。
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殺される為に走るのだ。
身代わりの友を救うために走るのだ。
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身代りの友を救う為に走るのだ。
王の狡猾な悪知恵を打ち破るために走るのだ。
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王の奸佞邪智を打ち破る為に走るのだ。
走らなければならない。
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走らなければならぬ。
そうして、私は殺される。
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そうして、私は殺される。
若い時から名誉を守れ。
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若い時から名誉を守れ。
さらば、ふるさとよ。
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さらば、ふるさと。
若いメロスは、つらかった。
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若いメロスは、つらかった。
何度か、立ち止まりそうになった。
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幾度か、立ちどまりそうになった。
えい、えいと大声を上げて自分を叱りながら走った。
原文を見る
えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。
村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止み、日は高く昇って、そろそろ暑くなってきた。
原文を見る
村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止み、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。
メロスは額の汗を拳で払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練はない。
原文を見る
メロスは額の汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練は無い。
妹たちは、きっと良い夫婦になるだろう。
原文を見る
妹たちは、きっと佳い夫婦になるだろう。
私には今、何の心配もないはずだ。
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私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。
まっすぐ王城に行き着けば、それでいいのだ。
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まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。
そんなに急ぐ必要もない。
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そんなに急ぐ必要も無い。
ゆっくり歩こう、と持ち前ののんきさを取り戻し、好きな小歌をいい声で歌い出した。
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ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。
ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全行程の半ばに達した頃、突然の災難、メロスの足は、ぴたりと止まった。
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ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧いた災難、メロスの足は、はたと、とまった。
見ろ、前方の川を。
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見よ、前方の川を。
昨日の大雨で山の水源地が氾濫し、濁流がどんどん下流に集まり、一気に橋を破壊して、ごうごうと音を立てる激流が、橋桁を粉々に吹き飛ばしていた。
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きのうの豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流滔々と下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵に橋桁を跳ね飛ばしていた。
彼は呆然として、立ちすくんだ。
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彼は茫然と、立ちすくんだ。
あちこちと見回し、また声の限りに呼びかけてみたが、舟はすべて波に流されて影もなく、渡し守の姿も見えない。
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あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟は残らず浪に浚われて影なく、渡守りの姿も見えない。
川の水はますます増えて、海のようになっている。
原文を見る
流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。
メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。
原文を見る
メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。
「ああ、鎮めてください、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽もすでに真昼です。あれが沈んでしまわないうちに、王城に行き着くことができなかったら、あの良い友達が、私のために死ぬんです。」
原文を見る
「ああ、鎮めたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」
濁流は、メロスの叫びをあざ笑うかのように、ますます激しく暴れ狂う。
原文を見る
濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。
波は波を飲み、巻き、あおり立て、そうして時は、刻一刻と消えていく。
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浪は浪を呑み、捲き、煽り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。
もうメロスも覚悟した。
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今はメロスも覚悟した。
泳いで渡るしかない。
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泳ぎ切るより他に無い。
ああ、神々よ、見ていてくれ!
原文を見る
ああ、神々も照覧あれ!
濁流にも負けない愛と誠実の偉大な力を、今こそ見せる。
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濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。
メロスは、ざぶんと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのたうち荒れ狂う波を相手に、必死の戦いを始めた。
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メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。
全身の力を腕に込めて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきとかき分けかき分け、がむしゃらに獅子奮迅で戦う人の姿に、神も哀れに思ったか、ついに憐れみをかけてくれた。
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満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍を垂れてくれた。
押し流されながらも、見事、対岸の木の幹にしがみつくことができたのだ。
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押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。
ありがたい。
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ありがたい。
メロスは馬のように大きく体を震わせ一つして、すぐにまた先を急いだ。
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メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。
一刻たりとも、無駄にできない。
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一刻といえども、むだには出来ない。
太陽はすでに西に傾きかけている。
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陽は既に西に傾きかけている。
ぜいぜい荒い息をしながら峠を登り、登り切ってほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。
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ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。
「待て。」
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「待て。」
「何をするんだ。私は日が沈まないうちに王城へ行かなければならない。放せ。」
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「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」
「放さないぞ。持ちものを全部置いていけ。」
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「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」
「私には命の他には何もない。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるんだ。」
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「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」
「その命が欲しいんだ。」
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「その、いのちが欲しいのだ。」
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたんだな。」
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「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」
山賊たちは、何も言わず一斉に棍棒を振り上げた。
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山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒を振り挙げた。
メロスはひょいと体を折り曲げ、飛ぶ鳥のように近くの一人に飛びかかり、その棍棒を奪い取って、
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メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、
「気の毒だが正義のためだ!」
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「気の毒だが正義のためだ!」
と猛然と一撃し、たちまち三人を殴り倒し、残る者がひるんだ隙に、さっさと走って峠を下った。
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と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。
一気に峠を駆け下りたが、さすがに疲れて、ちょうど午後の強烈な太陽がまともに照りつけてきて、メロスは何度もめまいを感じ、これではいけない、と気を取り直してはよろよろ二、三歩歩いて、ついに、がくりと膝を折った。
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一気に峠を駈け降りたが、流石に疲労し、折から午後の灼熱の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。
立ち上ることができないのだ。
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立ち上る事が出来ぬのだ。
空を仰いで、悔し泣きに泣き出した。
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天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。
ああ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒して、足の速さで、ここまで突破してきたメロスよ。
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ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天、ここまで突破して来たメロスよ。
真の勇者、メロスよ。
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真の勇者、メロスよ。
今、ここで、疲れ果てて動けなくなるとは情けない。
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今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。
愛する友は、おまえを信じただけで、もうすぐ殺されなければならない。
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愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。
おまえは、類いまれな裏切り者、まさしく王の思うつぼだぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身が萎えて、もはやイモムシほどにも前に進めない。
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おまえは、稀代の不信の人間、まさしく王の思う壺だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。
道端の草原にごろりと横になった。
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路傍の草原にごろりと寝ころがった。
体が疲れると、精神も一緒にやられる。
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身体疲労すれば、精神も共にやられる。
もう、どうでもいいという、勇者らしくない投げやりな気持ちが、心の隅に巣くった。
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もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。
私は、これほど努力したのだ。
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私は、これほど努力したのだ。
約束を破る気持ちは、少しもなかった。
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約束を破る心は、みじんも無かった。
神も見ていてくれ、私は全力で頑張ってきたのだ。
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神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。
動けなくなるまで走ってきたのだ。
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動けなくなるまで走って来たのだ。
私は裏切り者ではない。
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私は不信の徒では無い。
ああ、できることなら私の胸を切り開いて、真っ赤な心臓をお見せしたい。
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ああ、できる事なら私の胸を截ち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。
愛と誠実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。
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愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。
けれど私は、この大事な時に、力も気力も尽きてしまったのだ。
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けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。
私は、本当に運の悪い男だ。
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私は、よくよく不幸な男だ。
私は、きっと笑われる。
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私は、きっと笑われる。
私の一家も笑われる。
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私の一家も笑われる。
私は友を裏切った。
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私は友を欺いた。
途中で倒れるのは、最初から何もしないのと同じことだ。
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中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。
ああ、もう、どうでもいい。
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ああ、もう、どうでもいい。
これが、私に定められた運命なのかもしれない。
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これが、私の定った運命なのかも知れない。
セリヌンティウスよ、許してくれ。
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セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。
君は、いつでも私を信じてくれた。
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君は、いつでも私を信じた。
私も君を、裏切らなかった。
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私も君を、欺かなかった。
私たちは、本当に良い友同士だったのだ。
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私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。
一度だって、暗い疑いの気持ちを、お互い胸に抱いたことはなかった。
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いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。
今でも、君は私をひたすら待っているだろう。
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いまだって、君は私を無心に待っているだろう。
ああ、待っているだろう。
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ああ、待っているだろう。
ありがとう、セリヌンティウス。
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ありがとう、セリヌンティウス。
よくも私を信じてくれた。
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よくも私を信じてくれた。
それを思えば、たまらない。
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それを思えば、たまらない。
友と友の間の信実は、この世で一番誇るべき宝なのだから。
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友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。
セリヌンティウス、私は走ったのだ。
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セリヌンティウス、私は走ったのだ。
君を裏切るつもりは、少しもなかった。
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君を欺くつもりは、みじんも無かった。
信じてくれ!
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信じてくれ!
私は急いで急いでここまで来たのだ。
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私は急ぎに急いでここまで来たのだ。
濁流を突破した。
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濁流を突破した。
山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駆け下りてきたのだ。
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山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。
私だから、できたんだよ。
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私だから、出来たのだよ。
ああ、これ以上、私に求めないでくれ。
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ああ、この上、私に望み給うな。
放っておいてくれ。
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放って置いてくれ。
どうでも、いいのだ。
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どうでも、いいのだ。
私は負けたのだ。
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私は負けたのだ。
だらしがない。
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だらしが無い。
笑ってくれ。
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笑ってくれ。
王は私に、ちょっと遅れて来い、と耳打ちした。
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王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。
遅れたら、身代わりを殺して、私を助けてくれると約束した。
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おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。
私は王の卑劣さを憎んだ。
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私は王の卑劣を憎んだ。
けれど、今になってみると、私は王の言う通りになっている。
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けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。
私は、遅れて行くだろう。
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私は、おくれて行くだろう。
王は、ひとり勝手に納得して私を笑い、そして何事もなく私を解放するだろう。
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王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。
そうなったら、私は、死ぬよりつらい。
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そうなったら、私は、死ぬよりつらい。
私は、永遠に裏切り者だ。
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私は、永遠に裏切者だ。
地上で最も不名誉な人間だ。
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地上で最も、不名誉の人種だ。
セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。
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セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。
君と一緒に死なせてくれ。
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君と一緒に死なせてくれ。
君だけは私を信じてくれるに違いない。
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君だけは私を信じてくれるにちがい無い。
いや、それも私の、ひとりよがりか?
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いや、それも私の、ひとりよがりか?
ああ、いっそ、悪人として生き延びてやろうか。
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ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。
村には私の家がある。
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村には私の家が在る。
羊もいる。
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羊も居る。
妹夫婦は、まさか私を村から追い出すようなことはしないだろう。
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妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。
正義だの、誠実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。
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正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。
人を殺して自分が生きる。
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人を殺して自分が生きる。
それが人間世界の決まりじゃなかったか。
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それが人間世界の定法ではなかったか。
ああ、何もかも、ばかばかしい。
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ああ、何もかも、ばかばかしい。
私は、醜い裏切り者だ。
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私は、醜い裏切り者だ。
どうとも、好きにするがいい。
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どうとも、勝手にするがよい。
もう、どうにでもなれ。――
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やんぬる哉。――
手足を投げ出して、うとうとまどろんでしまった。
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四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。
ふと耳に、さらさらと水の流れる音が聞こえた。
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ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。
そっと頭をもたげ、息をのんで耳をすました。
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そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。
すぐ足元で、水が流れているらしい。
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すぐ足もとで、水が流れているらしい。
よろよろ起き上がって見ると、岩の割れ目から、何か小さくささやきながら、こんこんと清水が湧き出ているのだ。
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よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々と、何か小さく囁きながら清水が湧き出ているのである。
その泉に引き寄せられるようにメロスは身をかがめた。
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その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。
水を両手ですくって、一口飲んだ。
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水を両手で掬って、一くち飲んだ。
ほうと長いため息が出て、夢から覚めたような気がした。
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ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。
歩ける。
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歩ける。
行こう。
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行こう。
体の疲れが回復するにつれて、わずかながら希望が生まれた。
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肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。
義務を果たすという希望だ。
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義務遂行の希望である。
自分の命を投げ出して、名誉を守るという希望だ。
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わが身を殺して、名誉を守る希望である。
傾いた太陽が赤い光を木々の葉に投げかけ、葉も枝も燃えるように輝いている。
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斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。
日没までには、まだ間がある。
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日没までには、まだ間がある。
私を、待っている人がいるのだ。
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私を、待っている人があるのだ。
少しも疑わず、静かに待ち続けてくれている人がいるのだ。
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少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。
私は、信じられている。
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私は、信じられている。
私の命などは、問題ではない。
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私の命なぞは、問題ではない。
死んでお詫び、などと気楽なことは言っていられない。
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死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。
私は、信頼に応えなければならない。
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私は、信頼に報いなければならぬ。
今はただそれだけだ。
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いまはただその一事だ。
走れ!
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走れ!
メロス。
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メロス。
私は信頼されている。
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私は信頼されている。
私は信頼されている。
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私は信頼されている。
さっきの、あの悪魔のささやきは、あれは夢だ。
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先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。
悪い夢だ。
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悪い夢だ。
忘れてしまえ。
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忘れてしまえ。
体が疲れ切っているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。
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五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。
メロス、おまえの恥ではない。
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メロス、おまえの恥ではない。
やっぱり、おまえは真の勇者だ。
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やはり、おまえは真の勇者だ。
再び立って走れるようになったじゃないか。
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再び立って走れるようになったではないか。
ありがたい!
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ありがたい!
私は、正義の人として死ぬことができるぞ。
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私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。
ああ、陽が沈む。
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ああ、陽が沈む。
どんどん沈む。
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ずんずん沈む。
待ってくれ、ゼウスよ。
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待ってくれ、ゼウスよ。
私は生まれた時から正直な男だった。
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私は生れた時から正直な男であった。
正直な男のままに死なせてください。
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正直な男のままにして死なせて下さい。
道を行く人を押しのけ、吹き飛ばして、メロスは黒い風のように走った。
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路行く人を押しのけ、跳ねとばし、メロスは黒い風のように走った。
野原で酒宴をしているその席のど真ん中を駆け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴飛ばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでいく太陽の十倍も速く走った。
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野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。
一団の旅人とさっとすれ違った瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。
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一団の旅人と颯っとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。
「今頃は、あの男も、磔にかかっているよ。」
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「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ。」
ああ、その男、その男のために私は、今こんなに走っているのだ。
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ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。
その男を死なせてはならない。
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その男を死なせてはならない。
急げ、メロス。
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急げ、メロス。
遅れてはならない。
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おくれてはならぬ。
愛と誠実の力を、今こそ知らせてやるといい。
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愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。
見た目なんかは、どうでもいい。
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風態なんかは、どうでもいい。
メロスは今、ほとんど全裸同然だった。
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メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。
息もできず、二度、三度、口から血が噴き出た。
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呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。
見える。
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見える。
はるか向こうに小さく、シラクスの街の塔が見える。
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はるか向うに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。
塔は、夕陽を受けてきらきら光っている。
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塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。
「ああ、メロス様。」
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「ああ、メロス様。」
うめくような声が、風と共に聞こえた。
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うめくような声が、風と共に聞えた。
「誰だ。」
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「誰だ。」
メロスは走りながら尋ねた。
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メロスは走りながら尋ねた。
「フィロストラトスでございます。あなたのお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」
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「フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」
その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。
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その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。
「もう、駄目でございます。無駄でございます。走るのは、やめてください。もう、あの方をお助けになることはできません。」
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「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方をお助けになることは出来ません。」
「いや、まだ陽は沈まない。」
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「いや、まだ陽は沈まぬ。」
「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。恨めしい思いです。ほんの少し、もうちょっとでも早かったなら!」
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「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」
「いや、まだ陽は沈まない。」
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「いや、まだ陽は沈まぬ。」
メロスは胸が張り裂けそうな思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。
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メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。
走るしかない。
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走るより他は無い。
「やめてください。走るのは、やめてください。今は自分の命が大事です。あの方は、あなたを信じていました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様がさんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ち続けている様子でございました。」
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「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。」
「だから、走るんだ。信じられているから走るんだ。間に合う、間に合わないは問題じゃないんだ。人の命も問題じゃないんだ。私は、なんだかもっと恐ろしく大きいもののために走っているんだ。ついて来い! フィロストラトス。」
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「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。」
「ああ、あなたは気が狂ったか。それなら、うんと走るといい。ひょっとしたら、間に合わないとも限らない。走るがいい。」
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「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい。」
言うまでもない。
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言うにや及ぶ。
まだ陽は沈まない。
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まだ陽は沈まぬ。
最後の力を振り絞って、メロスは走った。
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最後の死力を尽して、メロスは走った。
メロスの頭は、からっぽだ。
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メロスの頭は、からっぽだ。
何一つ考えていない。
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何一つ考えていない。
ただ、わけのわからない大きな力に引きずられて走った。
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ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。
陽が、ゆらゆらと地平線に沈みかけて、まさに最後のひとかけらの光も消えようとした時、メロスは疾風のように刑場に突入した。
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陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。
間に合った。
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間に合った。
「待て。その人を殺してはならない。メロスが帰って来た。約束通り、今、帰って来た。」
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「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」
と大声で刑場の群衆に向かって叫んだつもりだったが、喉がつぶれてしゃがれた声がかすかに出ただけで、群衆は一人として彼の到着に気がつかない。
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と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉がつぶれて嗄れた声が幽かに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。
すでに磔の柱が高々と立てられ、縄で縛られたセリヌンティウスは、ゆっくりと吊り上げられていく。
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すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。
メロスはそれを目撃して最後の勇気を振り絞り、さっき濁流を泳いだように群衆をかき分けかき分けて、
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メロスはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、掻きわけ、
「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」
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「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」
と、かすれた声で精一杯に叫びながら、ついに磔台に登り、吊り上げられていく友の両足に、かじりついた。
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と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、齧りついた。
群衆は、どよめいた。
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群衆は、どよめいた。
あっぱれだ。
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あっぱれ。
許せ、と口々に叫んだ。
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ゆるせ、と口々にわめいた。
セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのだ。
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セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。
「セリヌンティウス。」
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「セリヌンティウス。」
メロスは目に涙を浮かべて言った。
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メロスは眼に涙を浮べて言った。
「私を殴れ。力いっぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君がもし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱き合う資格さえないんだ。殴れ。」
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「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」
セリヌンティウスは、すべてを察した様子でうなずき、刑場中に鳴り響くほど大きな音でメロスの右頬を殴った。
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セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。
殴ってから優しく微笑み、
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殴ってから優しく微笑み、
「メロス、私を殴れ。同じくらい大きな音で私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらりと君を疑った。生まれて初めて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱き合えない。」
原文を見る
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」
メロスは腕を唸らせてセリヌンティウスの頬を殴った。
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メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。
「ありがとう、友よ。」
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「ありがとう、友よ。」
二人同時に言い、しっかりと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を上げて泣いた。
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二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。
群衆の中からも、すすり泣きの声が聞こえた。
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群衆の中からも、歔欷の声が聞えた。
暴君ディオニスは、群衆の後ろから二人の様子をじっと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔を赤らめて、こう言った。
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暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空っぽの幻想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれないか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」
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「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」
どっと群衆の間に、歓声が起きた。
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どっと群衆の間に、歓声が起った。
「万歳、王様万歳。」
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「万歳、王様万歳。」
一人の少女が、赤いマントをメロスに捧げた。
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ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。
メロスは、まごついた。
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メロスは、まごついた。
良い友は、気を利かせて教えてやった。
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佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るといい。この可愛い娘さんは、メロスの裸を皆に見られるのが、たまらなく恥ずかしいんだ。」
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「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
勇者は、ひどく赤面した。
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勇者は、ひどく赤面した。
(古い伝説と、シラーの詩から。)
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(古伝説と、シルレルの詩から。)