弟子 小学生向け
中島敦(なかじまあつし)・1992年
AI生成この訳はAI(claude-sonnet-5)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-28)
一
原文を見る
一
魯(ろ)の国の卞(べん)という土地に、仲由(ちゅうゆう)、あざなは子路(しろ)という、けんかっぱやくて義理堅い若者がいた。子路は、近ごろ賢い人だとうわさの高い学者、陬(すう)の国出身の孔丘(こうきゅう)を、やっつけてやろうと思い立った。
原文を見る
魯の卞の游侠の徒、仲由、字は子路という者が、近頃賢者の噂も高い学匠・陬人孔丘を辱しめてくれようものと思い立った。
にせものの賢者なんて大したことはないだろうと、ぼさぼさの髪、かたむいた帽子、動きやすいように裾を短く仕立てた服という格好で、左手におんどり、右手にオスの豚をかかえ、勢いよく孔丘の家へと出かけていった。
原文を見る
似而非賢者何程のことやあらんと、蓬頭突鬢・垂冠・短後の衣という服装で、左手に雄雞、右手に牡豚を引提げ、勢猛に、孔丘が家を指して出掛ける。
にわとりを揺さぶり豚を暴れさせ、そのやかましい鳴き声で、儒学者(じゅがくしゃ・孔子の教えを学ぶ人たち)たちが琴に合わせて経典を読み上げる声をじゃましてやろうというのだ。
原文を見る
雞を揺り豚を奮い、嗷しい脣吻の音をもって、儒家の絃歌講誦の声を擾そうというのである。
動物たちの騒がしい鳴き声とともに、目をつり上げて飛び込んできた子路と、丸い帽子をかぶりゆったりとした学者らしい身なりで、机によりかかって座る、おだやかな顔つきの孔子との間で、問答(もんどう・質問と答えのやりとり)が始まった。
原文を見る
けたたましい動物の叫びと共に眼を瞋らして跳び込んで来た青年と、圜冠句履緩く玦を帯びて几に凭った温顔の孔子との間に、問答が始まる。
「お前は、何が好きか。」
原文を見る
「汝、何をか好む?」
と孔子がたずねた。
原文を見る
と孔子が聞く。
「わたしは、長い剣が好きだ。」
原文を見る
「我、長剣を好む。」
と、子路は胸を張って言い放った。
原文を見る
と青年は昂然として言い放つ。
孔子は思わずにっこりした。
原文を見る
孔子は思わずニコリとした。
子路の声や態度に、あまりにも子どもっぽい得意げな気持ちが見えたからだ。
原文を見る
青年の声や態度の中に、余りに稚気満々たる誇負を見たからである。
血色がよく、眉が太く、目のはっきりした、いかにも勇ましそうな子路の顔には、それでもどこか、かわいらしい素直さが自然とにじみ出ているように見えた。
原文を見る
血色のいい・眉の太い・眼のはっきりした・見るからに精悍そうな青年の顔には、しかし、どこか、愛すべき素直さがおのずと現れているように思われる。
孔子はまた聞いた。
原文を見る
再び孔子が聞く。
「では、学問についてはどう思うか。」
原文を見る
「学はすなわちいかん?」
「学問なんて、何の役に立つだろうか。」
原文を見る
「学、豈、益あらんや。」
もともとこれを言いたくて来たのだから、子路は勢いよく、怒鳴るように答えた。
原文を見る
もともとこれを言うのが目的なのだから、子路は勢込んで怒鳴るように答える。
学問の値打ちについてそんなことを言われては、孔子も笑ってばかりはいられない。
原文を見る
学の権威について云々されては微笑ってばかりもいられない。
孔子はていねいに、かみくだくように、学問の必要性を説き始めた。
原文を見る
孔子は諄々として学の必要を説き始める。
「王に、いさめてくれる家来がいなければ正しさを失う。武士に、教えてくれる友がいなければ、人の言うことを聞けなくなる。」
原文を見る
人君にして諫臣が無ければ正を失い、士にして教友が無ければ聴を失う。
「木も、墨縄(すみなわ・まっすぐな線を引く道具)を当ててこそ、まっすぐになるものではないか。」
原文を見る
樹も縄を受けて始めて直くなるのではないか。
「馬にむちが、弓にため木(弓の形を整える道具)が必要なように、人にも、わがままな心を正す学問が、必要でないわけがない。」
原文を見る
馬に策が、弓に檠が必要なように、人にも、その放恣な性情を矯める教学が、どうして必要でなかろうぞ。
「正し、整え、磨いてこそ、はじめて物は役に立つ材料になるのだ。」
原文を見る
匡し理め磨いて、始めてものは有用の材となるのだ。
のちの世に残された語録の文字づらからはとても想像できないほど、孔子は人を納得させる話し方をした。
原文を見る
後世に残された語録の字面などからは到底想像も出来ぬ・極めて説得的な弁舌を孔子は有っていた。
話の中身だけでなく、そのおだやかな声や話し方の抑揚(よくよう・上げ下げ)にも、語るときの自信に満ちた態度にも、聞く人を納得させずにはおかない何かがあった。
原文を見る
言葉の内容ばかりでなく、その穏かな音声・抑揚の中にも、それを語る時の極めて確信に充ちた態度の中にも、どうしても聴者を説得せずにはおかないものがある。
子路の態度からは、しだいに反抗する様子が消えて、ようやく真剣に聞き入る様子に変わってきた。
原文を見る
青年の態度からは次第に反抗の色が消えて、ようやく謹聴の様子に変って来る。
「しかし」
原文を見る
「しかし」
それでも子路は、まだ言い返す気力を失っていなかった。
原文を見る
と、それでも子路はなお逆襲する気力を失わない。
「南山の竹は、曲げなくても自然にまっすぐで、切って使えば、犀(さい)の厚い革さえも突き通すと聞いている。」
原文を見る
南山の竹は揉めずして自ら直く、斬ってこれを用うれば犀革の厚きをも通すと聞いている。
「そうだとすれば、生まれつき優れた者に、学ぶ必要などあるだろうか。」
原文を見る
して見れば、天性優れたる者にとって、何の学ぶ必要があろうか?
孔子にとって、こんな子どもじみたたとえを打ち破ることぐらい、たやすいことはなかった。
原文を見る
孔子にとって、こんな幼稚な譬喩を打破るほどたやすい事はない。
「お前の言うその南山の竹に、矢羽根をつけ、矢じりをつけて磨いたなら、ただ犀の革を通すだけではすまないだろう」と孔子に言われたとき、素直で単純な子路は、返す言葉がなかった。
原文を見る
汝の云うその南山の竹に矢の羽をつけ鏃を付けてこれを礪いたならば、ただに犀革を通すのみではあるまいに、と孔子に言われた時、愛すべき単純な若者は返す言葉に窮した。
顔を赤らめ、しばらく孔子の前に突っ立ったまま何か考えている様子だったが、急ににわとりと豚を放り出し、頭を下げて、「謹んで教えを受けます。」
原文を見る
顔を赧らめ、しばらく孔子の前に突立ったまま何か考えている様子だったが、急に雞と豚とを抛り出し、頭を低れて、「謹しんで教を受けん。」
と、降参した。
原文を見る
と降参した。
ただ言葉に詰まったからではない。
原文を見る
単に言葉に窮したためではない。
実は、部屋に入って孔子の姿を見て、最初のひと言を聞いたときにはもう、にわとりや豚を持ってきたことが場違いだと感じ、自分とはあまりにもかけ離れた相手の大きさに、圧倒されていたのだった。
原文を見る
実は、室に入って孔子の容を見、その最初の一言を聞いた時、直ちに雞豚の場違いであることを感じ、己と余りにも懸絶した相手の大きさに圧倒されていたのである。
その日のうちに、子路は弟子としての礼をとって、孔子の門下に入った。
原文を見る
即日、子路は師弟の礼を執って孔子の門に入った。
二
原文を見る
二
このような人間を、子路は今まで見たことがなかった。
原文を見る
このような人間を、子路は見たことがない。
ものすごく重いかなえ(金属製の大きな器)を持ち上げる力持ちの勇者なら、見たことがある。
原文を見る
力千鈞の鼎を挙げる勇者を彼は見たことがある。
千里も先のことを見通す知恵者の話も、聞いたことがある。
原文を見る
明千里の外を察する智者の話も聞いたことがある。
けれど、孔子が持っているものは、そんな怪物のような異常さでは決してなかった。
原文を見る
しかし、孔子に在るものは、決してそんな怪物めいた異常さではない。
ただ、もっとも常識的な完成に過ぎないのだ。
原文を見る
ただ最も常識的な完成に過ぎないのである。
頭の良さも心の豊かさも意志の強さも、体の力も、どれもとても平凡に、しかしのびのびと育っている見事さだった。
原文を見る
知情意のおのおのから肉体的の諸能力に至るまで、実に平凡に、しかし実に伸び伸びと発達した見事さである。
一つ一つの力の優れたところがまったく目立たないほど、多すぎず少なすぎず、釣り合いのとれた豊かさは、子路にとってまさに初めて見るものだった。
原文を見る
一つ一つの能力の優秀さが全然目立たないほど、過不及無く均衡のとれた豊かさは、子路にとって正しく初めて見る所のものであった。
のびのびとして自由自在で、少しも道学者(どうがくしゃ・堅苦しく道徳を説く人)くささがないことに、子路は驚いた。
原文を見る
闊達自在、いささかの道学者臭も無いのに子路は驚く。
この人は苦労してきた人だな、とすぐに子路は感じた。
原文を見る
この人は苦労人だなとすぐに子路は感じた。
おかしなことに、子路が自慢する武芸や腕力でさえ、孔子のほうが上なのだった。
原文を見る
可笑しいことに、子路の誇る武芸や膂力においてさえ孔子の方が上なのである。
ただ、それをふだん使わないだけのことだ。
原文を見る
ただそれを平生用いないだけのことだ。
任侠肌の子路は、まずこの点で度肝を抜かれた。
原文を見る
侠者子路はまずこの点で度胆を抜かれた。
荒れた無頼(ぶらい・素行の悪い暮らし)をしたことがあるのではと思えるほど、あらゆる人間への鋭い見抜く力を、孔子は持っていた。
原文を見る
放蕩無頼の生活にも経験があるのではないかと思われる位、あらゆる人間への鋭い心理的洞察がある。
そういう一面から、もう一方の、とても高くて汚れのない理想を持つところまでの幅の広さを考えると、子路は「うーん」と心の底からうならずにはいられなかった。
原文を見る
そういう一面から、また一方、極めて高く汚れないその理想主義に至るまでの幅の広さを考えると、子路はウーンと心の底から呻らずにはいられない。
とにかく、この人はどこへ連れて行っても大丈夫な人だ。
原文を見る
とにかく、この人はどこへ持って行っても大丈夫な人だ。
きれい好きで正しさにうるさい見方からしても大丈夫だし、いちばん世間なみな意味で言っても大丈夫だ。
原文を見る
潔癖な倫理的な見方からしても大丈夫だし、最も世俗的な意味から云っても大丈夫だ。
子路がこれまで会った人間の偉さは、どれもみな、その人がどう役に立つかというところにあった。
原文を見る
子路が今までに会った人間の偉さは、どれも皆その利用価値の中に在った。
これこれの役に立つから偉い、というだけのことだった。
原文を見る
これこれの役に立つから偉いというに過ぎない。
孔子の場合は、まったく違う。
原文を見る
孔子の場合は全然違う。
ただそこに孔子という人間がいる、というだけで十分なのだ。
原文を見る
ただそこに孔子という人間が存在するというだけで充分なのだ。
少なくとも、子路にはそう思えた。
原文を見る
少くとも子路には、そう思えた。
子路はすっかり心を奪われてしまった。
原文を見る
彼はすっかり心酔してしまった。
弟子になってまだ一か月もたたないうちに、もうこの精神的な支えから離れられない自分を感じていた。
原文を見る
門に入っていまだ一月ならずして、もはや、この精神的支柱から離れ得ない自分を感じていた。
のちに孔子が長い旅を続け、苦しい思いをしたときも、子路ほど喜んで従った者はいなかった。
原文を見る
後年の孔子の長い放浪の艱苦を通じて、子路ほど欣然として従った者は無い。
それは、孔子の弟子になることで役人になる道を求めようとしたわけでもなく、また、おかしなことに、師のそばにいて自分の才能や人徳を磨こうとしたわけでさえもなかった。
原文を見る
それは、孔子の弟子たることによって仕官の途を求めようとするのでもなく、また、滑稽なことに、師の傍に在って己の才徳を磨こうとするのでさえもなかった。
死ぬまで変わることのなかった、これといって見返りを求めない、純粋な尊敬と愛情の気持ちだけが、この男を師のそばに引き留めていたのだ。
原文を見る
死に至るまで渝らなかった・極端に求むる所の無い・純粋な敬愛の情だけが、この男を師の傍に引留めたのである。
かつて長い剣を手放せなかったように、子路は今、何としてもこの人から離れられなくなっていた。
原文を見る
かつて長剣を手離せなかったように、子路は今は何としてもこの人から離れられなくなっていた。
そのころ、孔子は「四十にして惑わず(まよわず・迷わなくなる)」と言われるその四十歳に、まだ達していなかった。
原文を見る
その時、四十而不惑といった・その四十歳に孔子はまだ達していなかった。
子路よりわずか九歳年上なだけなのに、子路はその年齢の差を、ほとんど無限の隔たりのように感じていた。
原文を見る
子路よりわずか九歳の年長に過ぎないのだが、子路はその年齢の差をほとんど無限の距離に感じていた。
孔子は孔子で、この弟子がとびぬけて手なずけにくいことに驚いていた。
原文を見る
孔子は孔子で、この弟子の際立った馴らし難さに驚いている。
ただ勇ましさを好むとか、おとなしさを嫌うとかいうだけなら、似たような者はいくらでもいる。しかし、この弟子ほど、物事の形式を軽んじる男は珍しかった。
原文を見る
単に勇を好むとか柔を嫌うとかいうならば幾らでも類はあるが、この弟子ほどものの形を軽蔑する男も珍しい。
結局は心の持ちようが大事だとはいえ、礼というものはすべて形から入らなければならない。それなのに子路という男は、形から入っていくという筋道を、なかなか受け入れようとしないのだ。
原文を見る
究極は精神に帰すると云いじょう、礼なるものはすべて形から入らねばならぬのに、子路という男は、その形からはいって行くという筋道を容易に受けつけないのである。
「礼だ礼だと言うが、それは玉(ぎょく)や絹の贈り物のことを言っているのではない。音楽だ音楽だと言うが、それは鐘や太鼓の音のことを言っているのではない。」
原文を見る
「礼と云い礼と云う。玉帛を云わんや。楽と云い楽と云う。鐘鼓を云わんや。」
などと孔子が言うと、子路は大喜びで聞いているが、こまかい作法の決まりを説明する段になると、急につまらなそうな顔をする。
原文を見る
などというと大いに欣んで聞いているが、曲礼の細則を説く段になるとにわかに詰まらなさそうな顔をする。
形式ばったことを本能的に嫌がるこの気持ちと戦いながら、この男に礼儀や音楽を教えるのは、孔子にとってもなかなかの難事だった。
原文を見る
形式主義への・この本能的忌避と闘ってこの男に礼楽を教えるのは、孔子にとってもなかなかの難事であった。
しかし、それ以上に、これを習うことは子路にとっての難事業だった。
原文を見る
が、それ以上に、これを習うことが子路にとっての難事業であった。
子路が頼りにするのは、孔子という人間の懐の深さだけだ。
原文を見る
子路が頼るのは孔子という人間の厚みだけである。
その懐の深さが、毎日の細かい行いの積み重ねからできているとは、子路には考えられなかった。
原文を見る
その厚みが、日常の区々たる細行の集積であるとは、子路には考えられない。
根本があってこそ、枝葉が生まれるのだと子路は言う。
原文を見る
本があって始めて末が生ずるのだと彼は言う。
しかし、その根本をどうやって育てるかという、実際的な考えが足りないと、いつも孔子に叱られるのだった。
原文を見る
しかしその本をいかにして養うかについての実際的な考慮が足りないとて、いつも孔子に叱られるのである。
子路が孔子に心から従うことと、
原文を見る
彼が孔子に心服するのは一つのこと。
孔子の教えをすぐに受け入れられたかどうかとは、また別の話だった。
原文を見る
彼が孔子の感化を直ちに受けつけたかどうかは、また別の事に属する。
「もっとも賢い者ともっとも愚かな者は、なかなか変わらない」と孔子が言ったとき、そこに子路のことは入っていなかった。
原文を見る
上智と下愚は移り難いと言った時、孔子は子路のことを考えに入れていなかった。
欠点だらけではあっても、子路のことを「もっとも愚かな者」だとは、孔子も考えていなかった。
原文を見る
欠点だらけではあっても、子路を下愚とは孔子も考えない。
孔子はこの荒々しい弟子の、なんともいえない美点を、誰よりも高く評価していた。
原文を見る
孔子はこの剽悍な弟子の無類の美点を誰よりも高く買っている。
それは、この男が持つ、損得を考えない純粋な心のことだ。
原文を見る
それはこの男の純粋な没利害性のことだ。
こういう美しさは、この国の人々の間ではあまりにも珍しいので、子路のこの性質は、孔子のほかには誰からも美徳として認められなかった。
原文を見る
この種の美しさは、この国の人々の間に在っては余りにも稀なので、子路のこの傾向は、孔子以外の誰からも徳としては認められない。
むしろ、一種のわけの分からない愚かさとしか、見えなかったのだ。
原文を見る
むしろ一種の不可解な愚かさとして映るに過ぎないのである。
しかし、子路の勇ましさも、政治の才能も、この珍しい愚かさに比べれば大したことがないと、孔子だけはよく知っていた。
原文を見る
しかし、子路の勇も政治的才幹も、この珍しい愚かさに比べれば、ものの数でないことを、孔子だけは良く知っていた。
師の言葉に従って自分を抑え、とにかく形だけでも整えようとしたのは、親に対する態度においてだった。
原文を見る
師の言に従って己を抑え、とにもかくにも形に就こうとしたのは、親に対する態度においてであった。
孔子の弟子になってから、乱暴者の子路が急に親孝行になったと、親戚中でうわさになった。
原文を見る
孔子の門に入って以来、乱暴者の子路が急に親孝行になったという親戚中の評判である。
褒められて、子路は変な気持ちになった。
原文を見る
褒められて子路は変な気がした。
親孝行どころか、嘘ばかりついているような気がして仕方がなかったからだ。
原文を見る
親孝行どころか、嘘ばかりついているような気がして仕方が無いからである。
わがままを言って親を困らせていたころのほうが、どう考えても正直だったのだ。
原文を見る
我儘を云って親を手古摺らせていた頃の方が、どう考えても正直だったのだ。
今の自分の偽りに喜ばされている親たちのことが、少し気の毒にも思われた。
原文を見る
今の自分の偽りに喜ばされている親達が少々情無くも思われる。
こまかく心の中を分析するような人間ではなかったが、とても正直な人間だったので、こんなことにも気がつくのだった。
原文を見る
こまかい心理分析家ではないけれども、極めて正直な人間だったので、こんな事にも気が付くのである。
ずっとのちになって、あるとき突然、親が年をとったことに気づき、自分が幼かったころの両親の元気な姿を思い出したら、急に涙が出てきた。
原文を見る
ずっと後年になって、ある時突然、親の老いたことに気が付き、己の幼かった頃の両親の元気な姿を思出したら、急に泪が出て来た。
その時以来、子路の親孝行は、たぐいまれなほど献身的なものになるのだが、とにかく、それまでの急ごしらえの孝行は、こんな具合だった。
原文を見る
その時以来、子路の親孝行は無類の献身的なものとなるのだが、とにかく、それまでの彼の俄か孝行はこんな工合であった。
三
原文を見る
三
ある日、子路が街を歩いていると、昔の友人二、三人に出会った。
原文を見る
ある日子路が街を歩いて行くと、かつての友人の二三に出会った。
素行が悪いとまでは言えないが、勝手気ままで物にこだわらない、任侠肌の連中だった。
原文を見る
無頼とは云えぬまでも放縦にして拘わる所の無い游侠の徒である。
子路は立ち止まって、しばらく話をした。
原文を見る
子路は立止ってしばらく話した。
そのうち、彼らの一人が子路の服装をじろじろ見回して、「やあ、これが儒者(じゅしゃ)の服というやつか。」
原文を見る
その中に彼等の一人が子路の服装をじろじろ見廻し、やあ、これが儒服という奴か?
「ずいぶんみすぼらしい格好だな」と言った。
原文を見る
随分みすぼらしいなりだな、と言った。
「長い剣が恋しくはないか」とも言った。
原文を見る
長剣が恋しくはないかい、とも言った。
子路が相手にしないでいると、今度は聞き捨てならないことを言い出した。
原文を見る
子路が相手にしないでいると、今度は聞捨のならぬことを言出した。
「どうだい。」
原文を見る
どうだい。
「あの孔丘とかいう先生は、なかなかのくせ者だっていうじゃないか。」
原文を見る
あの孔丘という先生はなかなかの喰わせものだって云うじゃないか。
「堅苦しい顔をして、心にもないことをもっともらしく説いていると、ずいぶんうまい思いができるものらしいなあ。」
原文を見る
しかつめらしい顔をして心にもない事を誠しやかに説いていると、えらく甘い汁が吸えるものと見えるなあ。
別に悪気があるわけではなく、気安さからのいつもの毒舌だったが、子路は顔色を変えた。
原文を見る
別に悪意がある訳ではなく、心安立てからのいつもの毒舌だったが、子路は顔色を変えた。
いきなりその男の胸ぐらをつかみ、右手のこぶしを思いきり顔に飛ばした。
原文を見る
いきなりその男の胸倉を掴み、右手の拳をしたたか横面に飛ばした。
二つ三つ続けざまに殴ってから手を離すと、相手はあっけなく倒れた。
原文を見る
二つ三つ続け様に喰わしてから手を離すと、相手は意気地なく倒れた。
あっけにとられている他の連中にも、子路は挑むような目を向けたが、子路の強さを知っている彼らは、向かってこようともしなかった。
原文を見る
呆気に取られている他の連中に向っても子路は挑戦的な眼を向けたが、子路の剛勇を知る彼等は向って来ようともしない。
殴られた男を両側から助け起こすと、捨てぜりふ一つ残さずに、こそこそと立ち去った。
原文を見る
殴られた男を左右から扶け起し、捨台詞一つ残さずにこそこそと立去った。
やがてこのことが、孔子の耳に入ったらしい。
原文を見る
いつかこの事が孔子の耳に入ったものと見える。
子路が呼ばれて師の前に出て行くと、直接そのことには触れられなかったものの、次のようなことを聞かされることになった。
原文を見る
子路が呼ばれて師の前に出て行った時、直接には触れないながら、次のようなことを聞かされねばならなかった。
「昔の立派な人は、真心を根本とし、思いやりを身を守るものとした。」
原文を見る
古の君子は忠をもって質となし仁をもって衛となした。
「悪いことがあれば真心でそれを正し、乱暴されそうなときは思いやりの心でそれを防いだ。」
原文を見る
不善ある時はすなわち忠をもってこれを化し、侵暴ある時はすなわち仁をもってこれを固うした。
「腕力の必要を感じなかったわけである。」
原文を見る
腕力の必要を見ぬゆえんである。
「とかく、つまらない人間は、無礼な態度を勇気だと思いこみがちだが、立派な人の勇気とは、正しさを貫くことをいうのだ」云々(うんぬん・などなど)。
原文を見る
とかく小人は不遜をもって勇と見做し勝ちだが、君子の勇とは義を立つることの謂である云々。
子路はおとなしく聞いていた。
原文を見る
神妙に子路は聞いていた。
数日後、子路がまた街を歩いていると、通りの木陰で、暇な人たちが盛んにしゃべっている声が耳に入った。
原文を見る
数日後、子路がまた街を歩いていると、往来の木蔭で閑人達の盛んに弁じている声が耳に入った。
それは、どうやら孔子のうわさのようだった。――
原文を見る
それがどうやら孔子の噂のようである。――
「昔は、昔は」と、何でも昔のことを持ち出して、今をけなす。
原文を見る
昔、昔、と何でも古を担ぎ出して今を貶す。
誰も昔を見たことなんてないんだから、何とでも言えるってわけさ。
原文を見る
誰も昔を見たことがないのだから何とでも言える訳さ。
しかし、昔のやり方を杓子定規(しゃくしじょうぎ・型どおり融通のきかない)にそのまま真似て、それでうまく世の中が治まるくらいなら、誰も苦労はしないさ。
原文を見る
しかし昔の道を杓子定規にそのまま履んで、それで巧く世が治まるくらいなら、誰も苦労はしないよ。
俺たちにとっては、死んだ周公(しゅうこう)よりも、生きている陽虎様(ようこさま)のほうが偉いってことになるのさ。
原文を見る
俺達にとっては、死んだ周公よりも生ける陽虎様の方が偉いということになるのさ。
下剋上(げこくじょう・下の者が上の者を倒す)の時代だった。
原文を見る
下剋上の世であった。
政治の実際の力は、魯(ろ)の殿様から、その家臣である季孫氏(きそんし)の手に移り、それが今ではさらに、季孫氏の家来である陽虎という野心家の手に移ろうとしていた。
原文を見る
政治の実権が魯侯からその大夫たる季孫氏の手に移り、それが今や更に季孫氏の臣たる陽虎という野心家の手に移ろうとしている。
しゃべっている当人は、もしかすると陽虎の身内の者かもしれない。
原文を見る
しゃべっている当人はあるいは陽虎の身内の者かも知れない。
「――ところで、その陽虎様が、このあいだから孔丘を家来にしようと何度も迎えを出しているのに、なんと、孔丘のほうからそれを避けているっていうじゃないか。」
原文を見る
――ところで、その陽虎様がこの間から孔丘を用いようと何度も迎えを出されたのに、何と、孔丘の方からそれを避けているというじゃないか。
「口ではえらそうなことを言っていても、実際の生きた政治にはまるで自信がないんだろうよ。」
原文を見る
口では大層な事を言っていても、実際の生きた政治にはまるで自信が無いのだろうよ。
「あの手合いはね。」
原文を見る
あの手合はね。
子路は後ろから人々をかき分けて、つかつかとしゃべっている老人の前に進み出た。
原文を見る
子路は背後から人々を分けて、つかつかと弁者の前に進み出た。
人々は、子路が孔子の弟子だとすぐに気づいた。
原文を見る
人々は彼が孔門の徒であることをすぐに認めた。
それまで得意げにしゃべっていた老人は、顔色を失い、わけもなく子路の前で頭を下げると、人垣(ひとがき)の後ろに身を隠した。
原文を見る
今まで得々と弁じ立てていた当の老人は、顔色を失い、意味も無く子路の前に頭を下げてから人垣の背後に身を隠した。
目をつり上げた子路の形相が、あまりにも恐ろしかったのだろう。
原文を見る
眥を決した子路の形相が余りにすさまじかったのであろう。
その後しばらく、同じようなことがあちこちで起こった。
原文を見る
その後しばらく、同じような事が処々で起った。
肩をいからせ、目をぎらぎらと光らせた子路の姿が遠くに見えると、人々は孔子の悪口を言う口をつぐむようになった。
原文を見る
肩を怒らせ炯々と眼を光らせた子路の姿が遠くから見え出すと、人々は孔子を刺る口を噤むようになった。
子路はこのことで何度も師に叱られたが、自分でもどうしようもなかった。
原文を見る
子路はこの事で度々師に叱られるが、自分でもどうしようもない。
子路には子路なりに、心の中で言いたいことがないわけではなかった。
原文を見る
彼は彼なりに心の中では言分が無いでもない。
いわゆる立派な人というものが、俺と同じ強さの怒りを感じながら、それでもそれを抑えられるのなら、そりゃ偉い。
原文を見る
いわゆる君子なるものが俺と同じ強さの忿怒を感じてなおかつそれを抑え得るのだったら、そりゃ偉い。
しかし、実際には、俺ほど強くは怒りを感じていないんだ。
原文を見る
しかし、実際は、俺ほど強く怒りを感じやしないんだ。
少なくとも、抑えられる程度の弱い怒りしか感じていないんだ。
原文を見る
少くとも、抑え得る程度に弱くしか感じていないのだ。
きっと……。
原文を見る
きっと…………。
一年ほどたってから、孔子が苦笑いしながらこう言った。
原文を見る
一年ほど経ってから孔子が苦笑と共に嘆じた。
「由(ゆう・子路)が弟子になってから、自分は悪口を耳にしなくなった」と。
原文を見る
由が門に入ってから自分は悪言を耳にしなくなったと。
四
原文を見る
四
ある時、子路が部屋で瑟(しつ・琴に似た楽器)をひいていた。
原文を見る
ある時、子路が一室で瑟を鼓していた。
孔子はそれを別の部屋で聞いていたが、しばらくして、そばにいた冉有(ぜんゆう)に向かって言った。
原文を見る
孔子はそれを別室で聞いていたが、しばらくして傍らなる冉有に向って言った。
「あの瑟の音を聞いてごらん。」
原文を見る
あの瑟の音を聞くがよい。
「荒々しく激しい気持ちが、自然とみなぎっているではないか。」
原文を見る
暴厲の気がおのずから漲っているではないか。
「立派な人の音は、おだやかでやさしく、ほどよく調和がとれていて、命を育てる気を養うものでなければならない。」
原文を見る
君子の音は温柔にして中におり、生育の気を養うものでなければならぬ。
「昔、舜(しゅん)という王は、五絃琴(ごげんきん)をひいて、南風の詩を作った。」
原文を見る
昔舜は五絃琴を弾じて南風の詩を作った。
「南風が薫るときには、それによって民の怒りを解くことができる。」
原文を見る
南風の薫ずるやもって我が民の慍を解くべし。
「南風が季節どおり吹くときには、それによって民の富を豊かにすることができる、と。」
原文を見る
南風の時なるやもって我が民の財を阜にすべしと。
「今、由(子路)の音を聞くと、まことに荒々しくとげとげしくて、南の音楽ではなく、北の音楽に似ている。」
原文を見る
今由の音を聞くに、誠に殺伐激越、南音に非ずして北声に類するものだ。
「弾く者の、荒れて怠け、勝手気ままな心の状態を、これほどはっきりと映し出したものはない。――」
原文を見る
弾者の荒怠暴恣の心状をこれほど明らかに映し出したものはない。――
のちに、冉有が子路のところへ行って、先生の言葉を伝えた。
原文を見る
後、冉有が子路の所へ行って夫子の言葉を告げた。
子路は、もともと自分に音楽の才能が乏しいことを知っていた。
原文を見る
子路は元々自分に楽才の乏しいことを知っている。
そして、それを自分の耳と手のせいだと思っていた。
原文を見る
そして自らそれを耳と手のせいに帰していた。
しかし、それが実はもっと深い、心の持ちようから来ているのだと聞かされたとき、子路はぎょっとして恐れた。
原文を見る
しかし、それが実はもっと深い精神の持ち方から来ているのだと聞かされた時、彼は愕然として懼れた。
大切なのは、手の練習ではない。
原文を見る
大切なのは手の習練ではない。
もっと深く考えなければならない。
原文を見る
もっと深く考えねばならぬ。
子路は部屋に閉じこもり、静かに考え込んで食事もとらず、とうとうやせ細ってしまった。
原文を見る
彼は一室に閉じ籠り、静思して喰わず、もって骨立するに至った。
数日たって、ようやく分かったと信じ、再び瑟を手に取った。
原文を見る
数日の後、ようやく思い得たと信じて、再び瑟を執った。
そして、とても恐る恐る、それをひいた。
原文を見る
そうして、極めて恐る恐る弾じた。
その音を漏れ聞いた孔子は、今度は特に何も言わなかった。
原文を見る
その音を洩れ聞いた孔子は、今度は別に何も言わなかった。
とがめるような顔つきも見えなかった。
原文を見る
咎めるような顔色も見えない。
子貢(しこう)が子路のところへ行って、そのことを伝えた。
原文を見る
子貢が子路の所へ行ってそのむねを告げた。
師にとがめられなかったと聞いて、子路はうれしそうに笑った。
原文を見る
師の咎が無かったと聞いて子路は嬉しげに笑った。
お人よしな兄弟子のうれしそうな笑顔を見て、若い子貢も、思わずほほえんでしまった。
原文を見る
人の良い兄弟子の嬉しそうな笑顔を見て、若い子貢も微笑を禁じ得ない。
頭のいい子貢は、ちゃんと分かっていた。
原文を見る
聡明な子貢はちゃんと知っている。
子路の奏でる音が、あいかわらず荒々しい北の音楽に満ちていることを。
原文を見る
子路の奏でる音が依然として殺伐な北声に満ちていることを。
そして、先生がそれをとがめなかったのは、やせ細るまで苦しんで考え込んだ子路の一途(いちず)な性格を、あわれに思われたからにすぎないことも。
原文を見る
そうして、夫子がそれを咎めたまわぬのは、痩せ細るまで苦しんで考え込んだ子路の一本気を愍まれたために過ぎないことを。
五
原文を見る
五
弟子の中で、子路ほど孔子に叱られる者はいなかった。
原文を見る
弟子の中で、子路ほど孔子に叱られる者は無い。
子路ほど遠慮なく師に問い返す者もいなかった。
原文を見る
子路ほど遠慮なく師に反問する者もない。
「お願いします。昔からのやり方を捨てて、この由(子路)の考えどおりにやってみたいのですが、よろしいでしょうか。」
原文を見る
「請う。古の道を釈てて由の意を行わん。可ならんか。」
などと、叱られるに決まっていることをわざと聞いてみたり、孔子に面と向かって、ずけずけと「なんとまあ、先生の考えは回りくどいことか。」
原文を見る
などと、叱られるに決っていることを聞いてみたり、孔子に面と向ってずけずけと「これある哉。子の迂なるや!」
などと言ってのける人間は、他に誰もいなかった。
原文を見る
などと言ってのける人間は他に誰もいない。
それでいて、子路ほど、全身で孔子に寄りかかっている者もいなかった。
原文を見る
それでいて、また、子路ほど全身的に孔子に凭り掛かっている者もないのである。
どんどん問い返すのは、心から納得できないことを、うわべだけうなずいてすませることのできない性分だからだ。
原文を見る
どしどし問返すのは、心から納得出来ないものを表面だけ諾うことの出来ぬ性分だからだ。
また、他の弟子たちのように、笑われまい、叱られまいと気をつかわないからでもある。
原文を見る
また、他の弟子達のように、嗤われまい叱られまいと気を遣わないからである。
子路は、ほかの場では、人の下について甘んじることをよしとしない、誰にも縛られない独立独歩の男であり、一度約束したことは必ず守る、気っ風のいい男でもあった。それだけに、平凡な弟子のようにおとなしく孔子のそばに控えている姿は、人々に確かに、不思議な感じを与えた。
原文を見る
子路が他の所ではあくまで人の下風に立つを潔しとしない独立不羈の男であり、一諾千金の快男児であるだけに、碌々たる凡弟子然として孔子の前に侍っている姿は、人々に確かに奇異な感じを与えた。
実際、子路には、孔子の前にいるときだけは、難しい考え事や大事な判断はすべて師に任せてしまい、自分はすっかり安心しきっているような、おかしなところもないではなかった。
原文を見る
事実、彼には、孔子の前にいる時だけは複雑な思索や重要な判断は一切師に任せてしまって自分は安心しきっているような滑稽な傾向も無いではない。
母親の前では、自分でできることまでやってもらっている幼い子どもと、同じような具合だった。
原文を見る
母親の前では自分に出来る事までも、してもらっている幼児と同じような工合である。
あとで一人になって考えてみて、自分でも苦笑いすることがあるほどだった。
原文を見る
退いて考えてみて、自ら苦笑することがある位だ。
だが、これほどの師にも、なお触れさせない心の奥底が、子路にはあった。
原文を見る
だが、これほどの師にもなお触れることを許さぬ胸中の奥所がある。
ここだけは譲れないという、ぎりぎりの決着点が。
原文を見る
ここばかりは譲れないというぎりぎり結著の所が。
つまり、子路にとって、この世に一つ、大事にしているものがあった。
原文を見る
すなわち、子路にとって、この世に一つの大事なものがある。
そのものの前では、生きるか死ぬかということさえ論じるまでもなく、まして、こまごまとした損得など、問題にもならない。
原文を見る
そのものの前には死生も論ずるに足りず、いわんや、区々たる利害のごとき、問題にはならない。
「任侠(にんきょう)」と言うには、少し軽すぎる。
原文を見る
侠といえばやや軽すぎる。
「信」とか「義」とか言うと、どうも堅苦しい道学者めいて、自由でいきいきとした感じに欠ける気がする。
原文を見る
信といい義というと、どうも道学者流で自由な躍動の気に欠ける憾みがある。
そんな名前は、どうでもよかった。
原文を見る
そんな名前はどうでもいい。
子路にとって、それは一種の快感のようなものだった。
原文を見る
子路にとって、それは快感の一種のようなものである。
とにかく、それが感じられることは良いことであり、それがともなわないことは悪いことだった。
原文を見る
とにかく、それの感じられるものが善きことであり、それの伴わないものが悪しきことだ。
とてもはっきりしていて、これまで一度も疑いを感じたことがなかった。
原文を見る
極めてはっきりしていて、いまだかつてこれに疑を感じたことがない。
孔子の言う「仁(じん・思いやり)」とはかなり違いがあるのだが、子路は師の教えの中から、この単純な倫理観を後押ししてくれるものばかりを選んで取り入れていた。
原文を見る
孔子の云う仁とはかなり開きがあるのだが、子路は師の教の中から、この単純な倫理観を補強するようなものばかりを選んで摂り入れる。
「口先だけうまいことを言い、愛想笑いをし、必要以上にペコペコする。心の中でうらんでいながら、その相手を友だちのふりをする。そういうことを、わたし(孔丘)は恥ずかしいと思う」とか、「生きることを求めるあまり、思いやりの心をそこなうことはなく、むしろ、自分の命を投げ出してでも、思いやりの心をつらぬくことがある」とか、「見境なく突き進む者はどんどん物事に取り組み、頑固で潔癖な者は、やらないと決めたことは絶対にやらない」とか、そういう言葉が、それだった。
原文を見る
巧言令色足恭、怨ヲ匿シテ其ノ人ヲ友トスルハ、丘之ヲ恥ヅ とか、生ヲ求メテ以テ仁ヲ害スルナク身ヲ殺シテ以テ仁ヲ成スアリ とか、狂者ハ進ンデ取リ狷者ハ為サザル所アリ とかいうのが、それだ。
孔子も、初めのうちはこの角(つの・とがった性質)を直そうとしなくもなかったが、のちにはあきらめてやめてしまった。
原文を見る
孔子も初めはこの角を矯めようとしないではなかったが、後には諦めて止めてしまった。
とにかく、これはこれで、一頭の見事な牛には違いないのだから。
原文を見る
とにかく、これはこれで一匹の見事な牛には違いないのだから。
むちを必要とする弟子もいれば、手綱を必要とする弟子もいる。
原文を見る
策を必要とする弟子もあれば、手綱を必要とする弟子もある。
手綱をちょっと引いたくらいでは抑えられない。それが子路の性格の欠点だった。だが孔子は知っていた。その欠点こそが、かえって大きな力になることを。だから子路には、だいたいの方向だけ示せばよいと考えていた。
原文を見る
容易な手綱では抑えられそうもない子路の性格的欠点が、実は同時にかえって大いに用うるに足るものであることを知り、子路には大体の方向の指示さえ与えればよいのだと考えていた。
「うやうやしくしていても、礼儀にかなっていなければ、ただのがさつになる。勇ましくても、礼儀にかなっていなければ、乱暴になるだけだ」とか、「誠実さを大事にしても、学ぶことをしなければ、かえって人を傷つける。正直さを大事にしても、学ぶことをしなければ、人を追いつめてしまう」とか——孔子がこう言うのも、結局は、子路個人に向けてというより、塾頭(じゅくとう・弟子たちのまとめ役)としての子路への小言であることが多かった。
原文を見る
敬ニシテ礼ニ中ラザルヲ野トイヒ、勇ニシテ礼ニ中ラザルヲ逆トイフ とか、信ヲ好ンデ学ヲ好マザレバソノ蔽ヤ賊、直ヲ好ンデ学ヲ好マザレバソノ蔽ヤ絞 などというのも、結局は、個人としての子路に対してよりも、いわば塾頭格としての子路に向っての叱言である場合が多かった。
子路という特別な人間にとっては魅力になることでも、ほかの弟子たちにとっては、たいてい害になってしまうからだ。
原文を見る
子路という特殊な個人に在ってはかえって魅力となり得るものが、他の門生一般についてはおおむね害となることが多いからである。
六
原文を見る
六
晋(しん)の魏楡(きゆ)という土地で、石がものを言ったという。
原文を見る
晋の魏楡の地で石がものを言ったという。
民のうらみの声が、石を借りて出たのだろうと、ある賢者はそう考えた。
原文を見る
民の怨嗟の声が石を仮りて発したのであろうと、ある賢者が解した。
すでに弱り衰えていた周(しゅう)の王室は、さらに二つに分かれて争っていた。
原文を見る
既に衰微した周室は更に二つに分れて争っている。
十を超える大国が、手を結んだり戦ったりを繰り返し、戦いがやむ時がなかった。
原文を見る
十に余る大国はそれぞれ相結び相闘って干戈の止む時が無い。
斉(せい)の国のある君主は、家来の妻と通じ、夜ごとにその屋敷にこっそり通っていたが、とうとうその夫に殺されてしまった。
原文を見る
斉侯の一人は臣下の妻に通じて夜ごとその邸に忍んで来る中についにその夫に弑せられてしまう。
楚(そ)では、王族の一人が、病で寝ている王の首をしめて、位を奪った。
原文を見る
楚では王族の一人が病臥中の王の頸をしめて位を奪う。
呉(ご)では、足首を切り取られた罪人たちが王を襲い、晋では二人の家来がたがいに妻を交換し合った。
原文を見る
呉では足頸を斬取られた罪人共が王を襲い、晋では二人の臣が互いに妻を交換し合う。
そんな世の中だった。
原文を見る
このような世の中であった。
魯の昭公(しょうこう)は、上卿(じょうけい・重臣)の季平子(きへいし)を討とうとして、逆に国を追い出された。そして亡命生活七年ののち、よその国で貧しく死んでいった。
原文を見る
魯の昭公は上卿季平子を討とうとしてかえって国を逐われ、亡命七年にして他国で窮死する。
亡命中、帰国の話がまとまりかけても、昭公について行った家来たちが、帰った後の自分の身の上を心配して、昭公を引き止め、帰らせなかった。
原文を見る
亡命中帰国の話がととのいかかっても、昭公に従った臣下共が帰国後の己の運命を案じ公を引留めて帰らせない。
魯の国は、季孫(きそん)・叔孫(しゅくそん)・孟孫(もうそん)という三つの家の天下だったが、それがさらに、季氏の宰(さい・家来の代表)である陽虎(ようこ)の、思うがままの手に操られるようになっていった。
原文を見る
魯の国は季孫・叔孫・孟孫三氏の天下から、更に季氏の宰・陽虎の恣な手に操られて行く。
ところが、策略家の陽虎が、結局自分の策略で失敗して失脚すると、この国の政界の風向きは急に変わった。
原文を見る
ところが、その策士陽虎が結局己の策に倒れて失脚してから、急にこの国の政界の風向きが変った。
思いがけず、孔子が中都(ちゅうと)という町の宰として用いられることになった。
原文を見る
思いがけなく孔子が中都の宰として用いられることになる。
公平で私心のない役人や、重い税を無理やり取り立てるようなことをしない政治家など、当時はまったくいなかった。そんな時代だったから、孔子の公正なやり方と行き届いた計画は、ごく短い間に驚くほどの成果を上げた。
原文を見る
公平無私な官吏や苛斂誅求を事とせぬ政治家の皆無だった当時のこととて、孔子の公正な方針と周到な計画とはごく短い期間に驚異的な治績を挙げた。
すっかり驚いた主君の定公(ていこう)が、こう尋ねた。
原文を見る
すっかり驚嘆した主君の定公が問うた。
「そなたが中都を治めたやり方で、魯の国全体を治めたら、どうなるだろうか」
原文を見る
汝の中都を治めし所の法をもって魯国を治むればすなわちいかん?
孔子が答えて言った。
原文を見る
孔子が答えて言う。
「魯の国だけではありません。
原文を見る
何ぞ但魯国のみならんや。
天下を治めることさえ、できましょう」
原文を見る
天下を治むるといえども可ならんか。
ふだんはほら話などとはまったく縁のない孔子が、いかにもうやうやしい調子で、すましてこんな大きなことを言ったので、定公はますます驚いた。
原文を見る
およそ法螺とは縁の遠い孔子がすこぶる恭しい調子で澄ましてこうした壮語を弄したので、定公はますます驚いた。
定公はすぐに孔子を司空(しくう・土木や工事を治める役)に取り立て、続いて大司寇(だいしこう)に進めて、宰相の仕事もあわせて行わせた。
原文を見る
彼は直ちに孔子を司空に挙げ、続いて大司寇に進めて宰相の事をも兼ね摂らせた。
孔子の推薦で、子路は季氏(きし)の宰となった。今でいえば、魯の国の内閣書記官長のような役目だった。
原文を見る
孔子の推挙で子路は魯国の内閣書記官長とも言うべき季氏の宰となる。
孔子の内政改革案を実行する先頭に立って、真っ先に動いたことは言うまでもない。
原文を見る
孔子の内政改革案の実行者として真先に活動したことは言うまでもない。
孔子の政策でまず第一に来るのは、中央集権、つまり魯侯(ろこう・魯の殿様)の力を強めることだった。
原文を見る
孔子の政策の第一は中央集権すなわち魯侯の権力強化である。
そのためには、今、魯侯より力を持っている季・叔・孟の三桓(さんかん・三つの一族)の力を、そがなければならなかった。
原文を見る
このためには、現在魯侯よりも勢力を有つ季・叔・孟・三桓の力を削がねばならぬ。
三つの家が持つ城のうち、百雉(ひゃくち・厚さ三丈、高さ一丈をこえる大きさ)をこえるものに、郈(こう)・費(ひ)・成(せい)の三つの土地があった。
原文を見る
三氏の私城にして百雉(厚さ三丈、高さ一丈)を超えるものに郈・費・成の三地がある。
まずこれらを壊すことに孔子は決め、その実行に直接あたったのが子路だった。
原文を見る
まずこれ等を毀つことに孔子は決め、その実行に直接当ったのが子路であった。
自分の仕事の結果が、すぐにはっきりと形になって現れる。しかも、これまでの経験にはなかったほどの大きな規模で。それは、子路のような人間にとって、たしかに気持ちのいいことだったに違いない。
原文を見る
自分の仕事の結果がすぐにはっきりと現れて来る、しかも今までの経験には無かったほどの大きい規模で現れて来ることは、子路のような人間にとって確かに愉快に違いなかった。
特に、これまでの政治家たちが張りめぐらせた悪だくみの組織やしきたりを、一つひとつ打ち壊していくことは、子路に、今まで知らなかった一種の生きがいを感じさせた。
原文を見る
殊に、既成政治家の張り廻らした奸悪な組織や習慣を一つ一つ破砕して行くことは、子路に、今まで知らなかった一種の生甲斐を感じさせる。
長年の抱負が実現していくのを、生き生きと忙しそうにしている孔子の顔を見るのも、さすがにうれしかった。
原文を見る
多年の抱負の実現に生々と忙しげな孔子の顔を見るのも、さすがに嬉しい。
孔子の目にも、一人の弟子としてではなく、実行力のある一人の政治家としての子路の姿が、頼もしく映った。
原文を見る
孔子の目にも、弟子の一人としてではなく一個の実行力ある政治家としての子路の姿が頼もしいものに映った。
費の城を壊しにかかった時、それに反抗して公山不狃(こうざんふちゅう)という者が、費の人々を率いて魯の都を襲った。
原文を見る
費の城を毀しに掛かった時、それに反抗して公山不狃という者が費人を率い魯の都を襲うた。
武子台(ぶしだい)に避難した定公のすぐそばまで、反乱軍の矢が飛んでくるほど、一時はあぶなかった。しかし、孔子の的確な判断と指揮によって、かろうじて何事もなくすんだ。
原文を見る
武子台に難を避けた定公の身辺にまで叛軍の矢が及ぶほど、一時は危かったが、孔子の適切な判断と指揮とによって纔かに事無きを得た。
子路はまた改めて、師の実務家としての腕前に感心した。
原文を見る
子路はまた改めて師の実際家的手腕に敬服する。
孔子の政治家としての腕前はよく知っていたし、個人としての力の強さも知っていた。しかし、実際の戦いの場面で、これほど見事な指揮ぶりを見せるとは、思いもよらなかったのだ。
原文を見る
孔子の政治家としての手腕は良く知っているし、またその個人的な膂力の強さも知ってはいたが、実際の戦闘に際してこれほどの鮮やかな指揮ぶりを見せようとは思いがけなかったのである。
もちろん、子路自身もこの時は、真っ先に立って勇ましく戦った。
原文を見る
もちろん、子路自身もこの時は真先に立って奮い戦った。
久しぶりにふるう長い剣の感触も、なかなか悪くなかった。
原文を見る
久しぶりに揮う長剣の味も、まんざら棄てたものではない。
とにかく、書物の字句をほじくり返したり、昔のしきたりを習ったりするよりも、荒々しい現実と正面から取り組んで生きていく方が、この男の性分に合っているようだった。
原文を見る
とにかく、経書の字句をほじくったり古礼を習うたりするよりも、粗い現実の面と取組み合って生きて行く方が、この男の性に合っているようである。
斉(せい)との間の屈辱的な講和のために、定公が孔子を連れて、斉の景公(けいこう)と夾谷(きょうこく)という土地で会見したことがあった。
原文を見る
斉との間の屈辱的媾和のために、定公が孔子を随えて斉の景公と夾谷の地に会したことがある。
その時、孔子は斉の無礼をとがめ、景公をはじめ、居並ぶ重臣たちを頭ごなしにしかりつけた。
原文を見る
その時孔子は斉の無礼を咎めて、景公始め群卿諸大夫を頭ごなしに叱咤した。
戦いに勝ったはずの斉の君主も家来たちも、みなふるえ上がったという。
原文を見る
戦勝国たるはずの斉の君臣一同ことごとく顫え上ったとある。
子路が心から快哉(かいさい・胸のすくような喜び)を叫ぶには十分な出来事だった。しかし、この時以来、強国である斉は、隣国の宰相としての孔子の存在に、そして孔子の政治のもとで力をつけていく魯の国力に、おそれを抱くようになった。
原文を見る
子路をして心からの快哉を叫ばしめるに充分な出来事ではあったが、この時以来、強国斉は、隣国の宰相としての孔子の存在に、あるいは孔子の施政の下に充実して行く魯の国力に、懼を抱き始めた。
苦心の末、いかにも古代支那(しな)式な苦肉の策がとられた。
原文を見る
苦心の結果、誠にいかにも古代支那式な苦肉の策が採られた。
つまり、斉から魯へ贈り物として、歌や舞に優れた美女の一団を送ったのだ。
原文を見る
すなわち、斉から魯へ贈るに、歌舞に長じた美女の一団をもってしたのである。
こうして魯侯の心をとろけさせ、定公と孔子の仲を引き裂こうとしたのである。
原文を見る
こうして魯侯の心を蕩かし定公と孔子との間を離間しようとしたのだ。
ところで、さらに古代支那式なのは、この幼稚な策が、魯の国内にいた反孔子派の動きと重なって、あまりにも早く効き目を発揮してしまったことだった。
原文を見る
ところで、更に古代支那式なのは、この幼稚な策が、魯国内反孔子派の策動と相俟って、余りにも速く効を奏したことである。
魯侯は、女たちの歌や踊りにおぼれて、もはや朝廷に出て来なくなった。
原文を見る
魯侯は女楽に耽ってもはや朝に出なくなった。
季桓子(きかんし)をはじめとする高官たちも、これをまねし始めた。
原文を見る
季桓子以下の大官連もこれに倣い出す。
子路は真っ先に腹を立てて衝突し、役人をやめてしまった。
原文を見る
子路は真先に憤慨して衝突し、官を辞した。
孔子は子路ほど早くあきらめず、なお、できる限りの手を尽くそうとした。
原文を見る
孔子は子路ほど早く見切をつけず、なお尽くせるだけの手段を尽くそうとする。
子路は、孔子に早く役人をやめてほしくてたまらなかった。
原文を見る
子路は孔子に早く辞めてもらいたくて仕方が無い。
師が家来としての節を汚すことをおそれているのではない。ただ、このみだらな雰囲気の中に師を置いて眺めているのが、たまらなかったのだ。
原文を見る
師が臣節を汚すのを懼れるのではなく、ただこの淫らな雰囲気の中に師を置いて眺めるのが堪らないのである。
孔子の粘り強さも、ついにあきらめざるを得なくなった時、子路はほっとした。
原文を見る
孔子の粘り強さもついに諦めねばならなくなった時、子路はほっとした。
そして、師について、喜んで魯の国を立ち去った。
原文を見る
そうして、師に従って欣んで魯の国を立退いた。
作曲もし作詞もした孔子は、しだいに遠ざかっていく都をふり返りながら、歌った。
原文を見る
作曲家でもあり作詞家でもあった孔子は、次第に遠離り行く都城を顧みながら、歌う。
あの美しい女たちのおしゃべりに、りっぱな君主でさえ、国を出て行かねばならぬ。
原文を見る
かの美婦の口には君子ももって出走すべし。
あの美しい女たちに会うことで、りっぱな君主でさえ、身を滅ぼすことになる……
原文を見る
かの美婦の謁には君子ももって死敗すべし。…………
こうして、その後長年にわたる、孔子の遍歴(へんれき・各地を旅すること)が始まった。
原文を見る
かくて、爾後永年に亘る孔子の遍歴が始まる。
七
原文を見る
七
大きな疑問が一つあった。
原文を見る
大きな疑問が一つある。
子どもの時からの疑問だったが、大人になっても、年寄りになりかかっても、いまだに納得できないことに変わりはなかった。
原文を見る
子供の時からの疑問なのだが、成人になっても老人になりかかってもいまだに納得できないことに変りはない。
それは、誰もがまったく疑おうとしない事柄だった。
原文を見る
それは、誰もが一向に怪しもうとしない事柄だ。
悪がさかえて、正しいものがしいたげられるという、ありふれた事実についてである。
原文を見る
邪が栄えて正が虐げられるという・ありきたりの事実についてである。
この事実にぶつかるたびに、子路は心の底から悲しみと怒りを感じずにはいられなかった。
原文を見る
この事実にぶつかるごとに、子路は心からの悲憤を発しないではいられない。
なぜだ?
原文を見る
なぜだ?
なぜそうなのだ?
原文を見る
なぜそうなのだ?
悪は一時さかえても、結局はその報いを受けると人は言う。
原文を見る
悪は一時栄えても結局はその酬を受けると人は云う。
なるほど、そういう例もあるかもしれない。
原文を見る
なるほどそういう例もあるかも知れぬ。
しかし、それも、人間というものが結局はみな滅びるという、当たり前のことの一例に過ぎないのではないか。
原文を見る
しかし、それも人間というものが結局は破滅に終るという一般的な場合の一例なのではないか。
善人が最後に勝ったなどという例は、遠い昔のことは知らないが、今の世では、ほとんど聞いたことさえない。
原文を見る
善人が究極の勝利を得たなどという例は、遠い昔は知らず、今の世ではほとんど聞いたことさえ無い。
なぜだ?
原文を見る
なぜだ?
なぜだ?
原文を見る
なぜだ?
大きな子どものような子路にとって、これだけは、いくら腹を立てても腹を立てたりないのだった。
原文を見る
大きな子供・子路にとって、こればかりは幾ら憤慨しても憤慨し足りないのだ。
彼は地団駄を踏むような思いで、天とはいったい何なのだと考えた。
原文を見る
彼は地団駄を踏む思いで、天とは何だと考える。
天は何を見ているのだ。
原文を見る
天は何を見ているのだ。
そのような運命を作り上げるのが天だと言うなら、自分は天に逆らわないではいられない。
原文を見る
そのような運命を作り上げるのが天なら、自分は天に反抗しないではいられない。
天は、人間とけものとの間に区別を設けないのと同じように、善と悪との間にも差をつけないのか。
原文を見る
天は人間と獣との間に区別を設けないと同じく、善と悪との間にも差別を立てないのか。
正しいとか悪いとかいうことは、結局、人間だけの間の、仮の取り決めに過ぎないのか。
原文を見る
正とか邪とかは畢竟人間の間だけの仮の取決に過ぎないのか?
子路がこの問題を孔子のところへ聞きに行くと、いつも決まって、人間の幸福というものの本当のあり方について、説いて聞かされるだけだった。
原文を見る
子路がこの問題で孔子の所へ聞きに行くと、いつも決って、人間の幸福というものの真の在り方について説き聞かせられるだけだ。
善いことをした報いは、では結局、善いことをしたという満足のほかには無いのか。
原文を見る
善をなすことの報は、では結局、善をなしたという満足の外には無いのか?
師の前では、一応納得したような気になる。だが、下がって一人になって考えてみると、やはりどうしてもすっきりしないところが残るのだった。
原文を見る
師の前では一応納得したような気になるのだが、さて退いて独りになって考えてみると、やはりどうしても釈然としない所が残る。
そんな、無理にこじつけて考えた末の幸福などでは、納得できなかった。
原文を見る
そんな無理に解釈してみたあげくの幸福なんかでは承知出来ない。
誰が見ても文句の無い、はっきりした形の良い報いが、正しい人の身に起こるのでなければ、どうしても納得がいかなかった。
原文を見る
誰が見ても文句の無い・はっきりした形の善報が義人の上に来るのでなくては、どうしても面白くないのである。
天についてのこの不満を、子路は何よりも、師の運命について強く感じた。
原文を見る
天についてのこの不満を、彼は何よりも師の運命について感じる。
ほとんど人間とは思えないほどの、この大きな才能と徳を持つ人が、なぜこんな不遇に甘んじなければならないのか。
原文を見る
ほとんど人間とは思えないこの大才、大徳が、なぜこうした不遇に甘んじなければならぬのか。
家庭にも恵まれず、年をとってから放浪の旅に出なければならないような不運が、どうしてこの人を待っていなければならないのか。
原文を見る
家庭的にも恵まれず、年老いてから放浪の旅に出なければならぬような不運が、どうしてこの人を待たねばならぬのか。
ある夜、「めでたいしるしである鳳凰(ほうおう)もあらわれない。黄河から不思議な図もあらわれない。もう、だめなのだろうか」
原文を見る
一夜、「鳳鳥至らず。河、図を出さず。已んぬるかな。」
と、独り言のように孔子がつぶやくのを聞いた時、子路は思わず涙があふれてくるのを、こらえることができなかった。
原文を見る
と独言に孔子が呟くのを聞いた時、子路は思わず涙の溢れて来るのを禁じ得なかった。
孔子が嘆いたのは、世の中のすべての人々のためだった。だが、子路が泣いたのは、世の中のためではなく、ただ孔子一人のためだった。
原文を見る
孔子が嘆じたのは天下蒼生のためだったが、子路の泣いたのは天下のためではなく孔子一人のためである。
この人と、この人を待ち受けている時代とを見て泣いた時から、子路の心は決まっていた。
原文を見る
この人と、この人を竢つ時世とを見て泣いた時から、子路の心は決っている。
濁世(だくせ・けがれたこの世)のあらゆる侵害から、この人を守る盾となること。
原文を見る
濁世のあるゆる侵害からこの人を守る楯となること。
精神的には師に導かれ守られる代わりに、世の中のわずらわしい苦労や恥は、すべて自分の身に引き受けること。
原文を見る
精神的には導かれ守られる代りに、世俗的な煩労汚辱を一切己が身に引受けること。
出過ぎたことかもしれないが、これが自分の務めだと、子路は思う。
原文を見る
僭越ながらこれが自分の務だと思う。
学問も才能も、自分は後から入ってきた優れた者たちに劣るかもしれない。
原文を見る
学も才も自分は後学の諸才人に劣るかも知れぬ。
しかし、いざという時、真っ先に先生のために命を投げ出して、後をも顧みないのは、誰よりも自分だと、子路は深く信じていた。
原文を見る
しかし、いったん事ある場合真先に夫子のために生命を抛って顧みぬのは誰よりも自分だと、彼は自ら深く信じていた。
八
原文を見る
八
「ここに美しい玉があるとします。箱にしまって、隠しておきましょうか。それとも、良い買い手を探して、売りましょうか」
原文を見る
「ここに美玉あり。匱に韞めて蔵さんか。善賈を求めて沽らんか。」
と子貢が言った時、孔子はすぐに、「売ろう、売ろう。わたしは、良い買い手を待っているのだ」
原文を見る
と子貢が言った時、孔子は即座に、「これを沽らん哉。これを沽らん哉。我は賈を待つものなり。」
と答えた。
原文を見る
と答えた。
そういうつもりで、孔子は天下を巡る旅に出たのだった。
原文を見る
そういうつもりで孔子は天下周遊の旅に出たのである。
従った弟子たちも、ほとんどはもちろん自分を売りたいと思っていた。しかし子路は、必ずしも売ろうとは思わなかった。
原文を見る
随った弟子達も大部分はもちろん沽りたいのだが、子路は必ずしも沽ろうとは思わない。
権力ある地位について、自分の信じることをやりぬく気持ちよさは、先ごろの経験ですでに知っていた。しかし、それには、孔子を上にいただくという特別な条件が、どうしても必要だった。
原文を見る
権力の地位に在って所信を断行する快さは既に先頃の経験で知ってはいるが、それには孔子を上に戴くといった風な特別な条件が絶対に必要である。
それができないなら、むしろ「褐(かつ・粗末な着物)を身にまとい、玉を胸にいだく」
原文を見る
それが出来ないなら、むしろ、「褐(粗衣)を被て玉を懐く」
という生き方の方が好ましかった。
原文を見る
という生き方が好ましい。
一生、孔子の番犬のまま終わったとしても、少しも悔いはない。
原文を見る
生涯孔子の番犬に終ろうとも、いささかの悔も無い。
世間並みの虚栄心が無いわけではなかったが、中途半端に役人になることは、かえって自分の本来の持ち味である、さっぱりとして物事にこだわらない性格を損なうものだと思っていた。
原文を見る
世俗的な虚栄心が無い訳ではないが、なまじいの仕官はかえって己の本領たる磊落闊達を害するものだと思っている。
さまざまな者たちが、孔子について歩いた。
原文を見る
様々な連中が孔子に従って歩いた。
てきぱきした実務家の冉有(ぜんゆう)。
原文を見る
てきぱきした実務家の冉有。
おだやかで人格者の閔子騫(びんしけん)。
原文を見る
温厚の長者閔子騫。
細かいことをせんさくするのが好きな、故実(こじつ・昔のしきたり)にくわしい子夏(しか)。
原文を見る
穿鑿好きな故実家の子夏。
少し屁理屈をこねるところがある、人生を楽しむタイプの宰予(さいよ)。
原文を見る
いささか詭弁派的な享受家宰予。
気骨があってかどだった、世の不正に怒りっぽい公良孺(こうりょうじゅ)。
原文を見る
気骨稜々たる慷慨家の公良孺。
身長九尺六寸(きゅうしゃくろくすん・当時のものさしで、とても背が高いという意味)といわれる、のっぽの孔子の半分くらいしかない、背の低い、ばか正直な子羔(しこう)。
原文を見る
身長九尺六寸といわれる長人孔子の半分位しかない短矮な愚直者子羔。
年齢から言っても貫禄から言っても、もちろん子路が彼らのまとめ役だった。
原文を見る
年齢から云っても貫禄から云っても、もちろん子路が彼等の宰領格である。
子路より二十二歳も年下ではあったが、子貢という青年は、実にきわだった才能の持ち主である。
原文を見る
子路より二十二歳も年下ではあったが、子貢という青年は誠に際立った才人である。
孔子がいつも褒めちぎる顔回(がんかい)よりも、むしろ子貢の方を、子路は推したい気持ちだった。
原文を見る
孔子がいつも口を極めて賞める顔回よりも、むしろ子貢の方を子路は推したい気持であった。
孔子から、あの強い生きる力と、政治的なかけひきの部分を抜き取ったような若者。それが顔回だった。子路はこの若者を、あまり好きになれなかった。
原文を見る
孔子からその強靱な生活力と、またその政治性とを抜き去ったような顔回という若者を、子路は余り好まない。
それは決してねたみではない。
原文を見る
それは決して嫉妬ではない。
(子貢(しこう)や子張(しちょう)たちは、顔淵(がんえん・顔回と同じ人)に対する師のとびぬけた入れ込みように、どうしてもこの気持ちを感じてしまうらしいが。)
原文を見る
(子貢子張輩は、顔淵に対する・師の桁外れの打込み方に、どうしてもこの感情を禁じ得ないらしいが。)
子路は年齢が違いすぎていたし、もともとそういうことにこだわらない性分でもあったからだ。
原文を見る
子路は年齢が違い過ぎてもいるし、それに元来そんな事に拘わらぬ性でもあったから。
ただ、子路には、顔淵の受け身で柔軟な才能の良さが、まったく理解できなかった。
原文を見る
ただ、彼には顔淵の受動的な柔軟な才能の良さが全然呑み込めないのである。
第一、どこか生き生きとした力に欠けているところが、気に入らなかった。
原文を見る
第一、どこかヴァイタルな力の欠けている所が気に入らない。
その点、多少軽々しいところはあっても、いつも才気と元気に満ちている子貢の方が、子路の性分には合っていたのだろう。
原文を見る
そこへ行くと、多少軽薄ではあっても常に才気と活力とに充ちている子貢の方が、子路の性質には合うのであろう。
この若者の頭の鋭さに驚かされるのは、子路だけではなかった。
原文を見る
この若者の頭の鋭さに驚かされるのは子路ばかりではない。
頭の良さに比べて、人間としてはまだ出来上がっていないことは、誰の目にも明らかだった。しかし、それは年齢のせいというものだ。
原文を見る
頭に比べてまだ人間の出来ていないことは誰にも気付かれる所だが、しかし、それは年齢というものだ。
あまりの軽々しさに腹を立てて、一喝することもあった。だが、だいたいにおいて、「この若者はいずれ自分たちを超えていくだろう」という感じを、子路はこの青年に対して抱いていた。
原文を見る
余りの軽薄さに腹を立てて一喝を喰わせることもあるが、大体において、後世畏るべしという感じを子路はこの青年に対して抱いている。
ある時、子貢が、二、三人の仲間に向かって、次のようなことを言った。——
原文を見る
ある時、子貢が二三の朋輩に向って次のような意味のことを述べた。――
「先生は、口が達者すぎることを嫌うと言われている。だが、先生ご自身こそ、話がうますぎると思う。
原文を見る
夫子は巧弁を忌むといわれるが、しかし夫子自身弁が巧過ぎると思う。
これは、注意が必要だ。
原文を見る
これは警戒を要する。
宰予たちの話のうまさとは、まるで違う。
原文を見る
宰予などの巧さとは、まるで違う。
宰予の話し方は、うまさが目立ちすぎて、聞く人を楽しませることはできても、信頼させることはできない。
原文を見る
宰予の弁のごときは、巧さが目に立ち過ぎる故、聴者に楽しみは与え得ても、信頼は与え得ない。
それだけに、かえって安全だとも言える。
原文を見る
それだけにかえって安全といえる。
だが先生の話は、まったく違う。
原文を見る
夫子のは全く違う。
流暢さの代わりに、絶対に人に疑いを持たせない重々しさがあり、冗談の代わりに、深い意味を持つたとえ話を使う。その話し方には、誰であろうと逆らうことができない。
原文を見る
流暢さの代りに、絶対に人に疑を抱かせぬ重厚さを備え、諧謔の代りに、含蓄に富む譬喩を有つその弁は、何人といえども逆らうことの出来ぬものだ。
もちろん、先生のおっしゃることは、ほとんど間違いのない真実だと思う。
原文を見る
もちろん、夫子の云われる所は九分九厘まで常に謬り無き真理だと思う。
また、先生がなさることも、ほとんどすべて、わたしたちの誰もが手本とすべきものだ。
原文を見る
また夫子の行われる所は九分九厘まで我々の誰もが取ってもって範とすべきものだ。
にもかかわらず、残りのわずかな部分——絶対に人を信頼させる先生の話し方のうち、ほんの百分の一ほど——が、時々、先生自身の性格を(その中の、絶対に正しいとは言い切れないごく小さな部分を)弁護するために使われるおそれがある。
原文を見る
にもかかわらず、残りの一厘――絶対に人に信頼を起させる夫子の弁舌の中の・わずか百分の一が、時に、夫子の性格の(その性格の中の・絶対普遍的な真理と必ずしも一致しない極少部分の)弁明に用いられる惧れがある。
注意が必要なのは、ここだ。
原文を見る
警戒を要するのはここだ。
これはもしかすると、先生に親しみすぎ、慣れすぎたせいで、わたしの欲が言わせていることかもしれない。
原文を見る
これはあるいは、余り夫子に親しみ過ぎ狎れ過ぎたための慾の云わせることかも知れぬ。
実際、後の世の人々が先生を聖人としてあがめたとしても、それは当然すぎるほど当然なことだ。
原文を見る
実際、後世の者が夫子をもって聖人と崇めた所で、それは当然過ぎる位当然なことだ。
先生ほど完全に近い人を、わたしは見たことがない。これから先も、こういう人はそう現れるものではないだろう。
原文を見る
夫子ほど完全に近い人を自分は見たことがないし、また将来もこういう人はそう現れるものではなかろうから。
ただ、わたしが言いたいのは、その先生でさえも、ごくわずかではあるが、注意すべき点を残しているということだ。
原文を見る
ただ自分の言いたいのは、その夫子にしてなおかつかかる微小ではあるが・警戒すべき点を残すものだという事だ。
顔回のような、先生とよく似た気質の男にとっては、わたしが感じているような不満は、少しも感じられないに違いない。
原文を見る
顔回のような夫子と似通った肌合の男にとっては、自分の感じるような不満は少しも感じられないに違いない。
先生がしばしば顔回をほめられるのも、結局はこの気質の近さのせいではないのか……」
原文を見る
夫子がしばしば顔回を讃められるのも、結局はこの肌合のせいではないのか。…………
青二才(あおにさい・未熟者)の分際で師を批評するなんて生意気だと腹が立ち、これを言わせているのは結局、顔淵へのねたみだと分かってはいたが、それでも子路は、この言葉の中に、ばかにしきれないものを感じた。
原文を見る
青二才の分際で師の批評などおこがましいと腹が立ち、また、これを言わせているのは畢竟顔淵への嫉妬だとは知りながら、それでも子路はこの言葉の中に莫迦にしきれないものを感じた。
気質の違いということについては、たしかに子路にも思い当たることがあったからだ。
原文を見る
肌合の相違ということについては、確かに子路も思い当ることがあったからである。
自分たちにはぼんやりとしか感じ取れないものを、はっきりとした形に表す、不思議な才能。それが、この生意気な若造にはあるらしい。子路は、感心する気持ちと、見下す気持ちとを、同時に感じた。
原文を見る
おれ達には漠然としか気付かれないものをハッキリ形に表す・妙な才能が、この生意気な若僧にはあるらしいと、子路は感心と軽蔑とを同時に感じる。
子貢が孔子に、不思議な質問をしたことがある。
原文を見る
子貢が孔子に奇妙な質問をしたことがある。
「死んだ人には、知るということがあるのでしょうか。それとも、無いのでしょうか」
原文を見る
「死者は知ることありや? 将た知ることなきや?」
死んだあとに、感じたり考えたりすることがあるのか、つまり、たましいが滅びるのか滅びないのか、という疑問である。
原文を見る
死後の知覚の有無、あるいは霊魂の滅不滅についての疑問である。
孔子は、また変わった返事をした。
原文を見る
孔子がまた妙な返辞をした。
「死んだ人に知るということがある、と言ってしまうと、親孝行な子や孫が、生きている者のことをおろそかにしてまで、死んだ人のことにばかり尽くそうとするのではないかと心配になる。死んだ人に知るということは無い、と言ってしまうと、親不孝な子が、自分の親を見捨てて、ちゃんと葬らなくなるのではないかと心配になる」
原文を見る
「死者知るありと言わんとすれば、まさに孝子順孫、生を妨げてもって死を送らんとすることを恐る。死者知るなしと言わんとすれば、まさに不孝の子その親を棄てて葬らざらんとすることを恐る。」
まったく見当違いの答えだったので、子貢はひどく不満だった。
原文を見る
およそ見当違いの返辞なので子貢は甚だ不服だった。
もちろん、孔子は子貢の質問の意味をよく分かっていた。しかし、あくまで現実を重んじ、日々の暮らしを中心に考える孔子は、この優れた弟子の関心の向きを変えようとしたのだ。
原文を見る
もちろん、子貢の質問の意味は良く判っているが、あくまで現実主義者、日常生活中心主義者たる孔子は、この優れた弟子の関心の方向を換えようとしたのである。
子貢は不満だったので、子路にこの話をした。
原文を見る
子貢は不満だったので、子路にこの話をした。
子路は、別にそんな問題に興味はなかった。だが、死そのものよりも、師が死や生をどう考えているかを知りたい気が少しして、ある時、死について尋ねてみた。
原文を見る
子路は別にそんな問題に興味は無かったが、死そのものよりも師の死生観を知りたい気がちょっとしたので、ある時死について訊ねてみた。
「まだ生きるということも分かっていないのに、どうして死ぬということが分かるだろうか」
原文を見る
「いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。」
これが、孔子の答えだった。
原文を見る
これが孔子の答であった。
まったくだ。
原文を見る
全くだ!
と、子路はすっかり感心した。
原文を見る
と子路はすっかり感心した。
しかし、子貢はまたしても、みごとにはぐらかされたような気がした。
原文を見る
しかし、子貢はまたしても鮮やかに肩透しを喰ったような気がした。
それはそうです。
原文を見る
それはそうです。
しかし、わたしが言っているのは、そういうことではない。
原文を見る
しかし私の言っているのはそんな事ではない。
はっきりとそう言っている、子貢の表情だった。
原文を見る
明らかにそう言っている子貢の表情である。
九
原文を見る
九
衛(えい)の霊公(れいこう)は、たいへん意志の弱い君主だった。
原文を見る
衛の霊公は極めて意志の弱い君主である。
賢い者とそうでない者の見分けがつかないほど愚かではなかった。しかし結局は、耳の痛い忠告よりも、甘いおべっかを喜んでしまうのだった。
原文を見る
賢と不才とを識別し得ないほど愚かではないのだが、結局は苦い諫言よりも甘い諂諛に欣ばされてしまう。
衛の国の政治を左右していたのは、その後宮(こうきゅう・王の妻たちが住むところ)だった。
原文を見る
衛の国政を左右するものはその後宮であった。
夫人の南子(なんし)は、以前からだらしない色恋沙汰のうわさが高かった。
原文を見る
夫人南子はつとに淫奔の噂が高い。
まだ宋(そう)の国のお姫様だった頃、異母兄の朝(ちょう)という有名な美男と通じていた。衛の殿様の夫人となってからも、その宋の朝を衛に呼び寄せて大夫(たいふ・高い位の役人)に任命し、よからぬ関係を続けていた。
原文を見る
まだ宋の公女だった頃異母兄の朝という有名な美男と通じていたが、衛侯の夫人となってからもなお宋朝を衛に呼び大夫に任じてこれと醜関係を続けている。
たいへん頭の切れる女で、政治向きのことにまで口出しをした。だが、霊公は、この夫人の言葉になら、うなずかないことはなかった。
原文を見る
すこぶる才走った女で、政治向の事にまで容喙するが、霊公はこの夫人の言葉なら頷かぬことはない。
霊公に話を聞いてもらいたい者は、まず南子に取り入るのが決まりだった。
原文を見る
霊公に聴かれようとする者はまず南子に取入るのが例であった。
孔子が魯から衛に入った時、呼び出されて霊公には会ったが、夫人のところへは、特に挨拶に行かなかった。
原文を見る
孔子が魯から衛に入った時、召を受けて霊公には謁したが、夫人の所へは別に挨拶に出なかった。
南子は、へそを曲げた。
原文を見る
南子が冠を曲げた。
さっそく人をつかわして、孔子にこう言わせた。
原文を見る
早速人を遣わして孔子に言わしめる。
「よその国から来て、わが君と親しくお付き合いしたいと思う立派な方は、必ず夫人にもお目にかかるものです。夫人も、お目にかかりたいと願っておられます」
原文を見る
四方の君子、寡君と兄弟たらんと欲する者は、必ず寡小君(夫人)を見る。
云々。
原文を見る
寡小君見んことを願えり云々。
孔子もやむを得ず、挨拶に出向いた。
原文を見る
孔子もやむをえず挨拶に出た。
南子は、絺帷(ちい・薄い布のたれぎぬ)の向こうから、孔子と対面した。
原文を見る
南子は絺帷(薄い葛布の垂れぎぬ)の後に在って孔子を引見する。
孔子が北を向いて深々と頭を下げるという礼をすると、南子も二度お辞儀をして応えた。その時、夫人が身につけていた飾り玉が、りんりんと美しい音を立てて鳴ったという。
原文を見る
孔子の北面稽首の礼に対し、南子が再拝して応えると、夫人の身に着けた環佩が璆然として鳴ったとある。
孔子が御殿から帰って来ると、子路が、あからさまに不機嫌な顔をしていた。
原文を見る
孔子が公宮から帰って来ると、子路が露骨に不愉快な顔をしていた。
子路は、孔子が、南子ごときの要求など無視してほしいと思っていたのだ。
原文を見る
彼は、孔子が南子風情の要求などは黙殺することを望んでいたのである。
まさか孔子が、あやしい女にたぶらかされるとは思っていない。
原文を見る
まさか孔子が妖婦にたぶらかされるとは思いはしない。
しかし、絶対に清らかであるはずの先生が、けがらわしい女に頭を下げたというだけで、もう面白くなかった。
原文を見る
しかし、絶対清浄であるはずの夫子が汚らわしい淫女に頭を下げたというだけで既に面白くない。
美しい玉を大切にしている者が、その玉の表面に、けがれたものの影が映ることさえ避けたいと思うのと、同じようなものだったのだろう。
原文を見る
美玉を愛蔵する者がその珠の表面に不浄なるものの影の映るのさえ避けたい類なのであろう。
孔子はまた、子路の中に、かなり腕利きの実務家と、大きな子どもとが、隣り合って住んでいるのを見た。その大きな子どもの部分が、いつまでたっても、まったく大人びる気配がないのを見て、おかしくもあり、困りもするのだった。
原文を見る
孔子はまた、子路の中で相当敏腕な実際家と隣り合って住んでいる大きな子供が、いつまでたっても一向老成しそうもないのを見て、可笑しくもあり、困りもするのである。
ある日、霊公のところから、孔子へ使いが来た。
原文を見る
一日、霊公の所から孔子へ使が来た。
車で一緒に都を一回りしながら、いろいろ話を聞きたいという。
原文を見る
車で一緒に都を一巡しながら色々話を承ろうと云う。
孔子は喜んで服を着替え、すぐに出かけた。
原文を見る
孔子は欣んで服を改め直ちに出掛けた。
この背の高い、ぶっきらぼうな年寄りを、霊公がむやみに賢者として尊敬しているのが、南子には面白くなかった。
原文を見る
この丈の高いぶっきらぼうな爺さんを、霊公が無闇に賢者として尊敬するのが、南子には面白くない。
自分を出し抜いて、二人だけで車に乗り、都を巡るなど、とんでもないことだった。
原文を見る
自分を出し抜いて、二人同車して都を巡るなどとはもっての外である。
孔子が霊公に会い、外に出て一緒に車に乗ろうとすると、そこにはすでに、着飾った南子夫人が乗り込んでいた。
原文を見る
孔子が公に謁し、さて表に出て共に車に乗ろうとすると、そこには既に盛装を凝らした南子夫人が乗込んでいた。
孔子の席がなかった。
原文を見る
孔子の席が無い。
南子は、意地の悪い笑みを浮かべて霊公を見た。
原文を見る
南子は意地の悪い微笑を含んで霊公を見る。
さすがの孔子も不愉快になり、冷ややかに霊公の様子をうかがった。
原文を見る
孔子もさすがに不愉快になり、冷やかに公の様子を窺う。
霊公は決まり悪そうに目を伏せたが、南子には何も言えなかった。
原文を見る
霊公は面目無げに目を俯せ、しかし南子には何事も言えない。
霊公は黙って、孔子のために、次の車を指さした。
原文を見る
黙って孔子のために次の車を指さす。
二台の車が、衛の都を進んでいく。
原文を見る
二乗の車が衛の都を行く。
前を行く、四輪の豪華な馬車には、霊公と並んで、あでやかに美しい南子夫人の姿が、牡丹の花のように輝いていた。
原文を見る
前なる四輪の豪奢な馬車には、霊公と並んで嬋妍たる南子夫人の姿が牡丹の花のように輝く。
後ろのみすぼらしい二輪の牛車には、さびしげな孔子の顔が、きちんと正面を向いていた。
原文を見る
後の見すぼらしい二輪の牛車には、寂しげな孔子の顔が端然と正面を向いている。
道沿いの人々の間には、さすがに、ひそかなため息と、眉をひそめる声が起こった。
原文を見る
沿道の民衆の間にはさすがに秘やかな嘆声と顰蹙とが起る。
群衆の中に混じって、子路もこの様子を見ていた。
原文を見る
群集の間に交って子路もこの様子を見た。
霊公からの使いを受けた時の、先生の喜んだ様子を見ていただけに、はらわたが煮えくり返る思いがした。
原文を見る
公からの使を受けた時の夫子の欣びを目にしているだけに、腸の煮え返る思いがするのだ。
何やら甘えた声を立てながら、南子が目の前を進んでいく。
原文を見る
何事か嬌声を弄しながら南子が目の前を進んで行く。
思わずかっとなり、子路はこぶしを固めて、人々を押し分けて飛び出そうとした。
原文を見る
思わず嚇となって、彼は拳を固め人々を押分けて飛出そうとする。
後ろから引き止める者がいた。
原文を見る
背後から引留める者がある。
振り切ろうと、目を怒らせて後ろを向いた。
原文を見る
振切ろうと眼を瞋らせて後を向く。
子若(しじゃく)と子正(しせい)の二人だった。
原文を見る
子若と子正の二人である。
必死に子路の袖を押さえている二人の目に、涙が浮かんでいるのを、子路は見た。
原文を見る
必死に子路の袖を控えている二人の眼に、涙の宿っているのを子路は見た。
子路は、ようやく振り上げたこぶしを下ろした。
原文を見る
子路は、ようやく振上げた拳を下す。
翌日、孔子たちの一行は衛を去った。
原文を見る
翌日、孔子等の一行は衛を去った。
「わたしは、徳を好むことを、女の美しさを好むのと同じくらいに好む人を、いまだかつて見たことがない」
原文を見る
「我いまだ徳を好むこと色を好むがごとき者を見ざるなり。」
というのが、その時の孔子の、嘆きの言葉だった。
原文を見る
というのが、その時の孔子の嘆声である。
十
原文を見る
十
葉公子高(しょうこうしこう)は、竜が大好きだった。
原文を見る
葉公子高は竜を好むこと甚だしい。
自分の部屋にも竜を彫り、刺繍のとばりにも竜を描き、いつも竜に囲まれて暮らしていた。
原文を見る
居室にも竜を雕り繍帳にも竜を画き、日常竜の中に起臥していた。
これを聞いた本物の天の竜が、たいそう喜んで、ある日、葉公の家に降りてきて、自分を愛してくれる人をのぞいてみた。
原文を見る
これを聞いたほん物の天竜が大きに欣んで一日葉公の家に降り己の愛好者を覗き見た。
頭を窓からのぞかせ、尾を座敷いっぱいに引きずるという、すさまじい大きさだった。
原文を見る
頭は牖に窺い尾は堂に拖くという素晴らしい大きさである。
葉公はこれを見るなり、恐ろしさにわななき、逃げ走った。
原文を見る
葉公はこれを見るや怖れわなないて逃げ走った。
たましいが抜けたようになり、顔の色さえ失ってしまうという、なんとも情けない有様だった。
原文を見る
その魂魄を失い五色主無し、という意気地無さであった。
諸侯たちは、孔子の賢者としての評判を好むだけで、その中身を喜びはしなかった。
原文を見る
諸侯は孔子の賢の名を好んで、その実を欣ばぬ。
みな、葉公が竜を好んだのと同じようなものだった。
原文を見る
いずれも葉公の竜における類である。
実際の孔子は、彼らには大きすぎる存在に見えたのだ。
原文を見る
実際の孔子は余りに彼等には大き過ぎるもののように見えた。
孔子を国賓としてもてなそうという国はあった。
原文を見る
孔子を国賓として遇しようという国はある。
孔子の弟子の何人かを、家来として用いた国もあった。
原文を見る
孔子の弟子の幾人かを用いた国もある。
しかし、孔子の政策を実行しようとする国は、どこにもなかった。
原文を見る
が、孔子の政策を実行しようとする国はどこにも無い。
匡(きょう)では、荒くれた民に危害を加えられそうになり、宋では悪だくみをする家来の迫害に遭い、蒲(ほ)では、あらくれ者に襲撃を受けた。
原文を見る
匡では暴民の凌辱を受けようとし、宋では姦臣の迫害に遭い、蒲ではまた兇漢の襲撃を受ける。
諸侯からは敬遠され、お抱えの学者たちからはねたまれ、政治家たちからは追い払われる。それが、孔子を待ち受けていたもののすべてだった。
原文を見る
諸侯の敬遠と御用学者の嫉視と政治家連の排斥とが、孔子を待ち受けていたもののすべてである。
それでもなお、学問を説くことをやめず、互いに学び合うことも怠らず、孔子と弟子たちは、飽きることなく国々への旅を続けた。
原文を見る
それでもなお、講誦を止めず切磋を怠らず、孔子と弟子達とは倦まずに国々への旅を続けた。
「鳥は木を選ぶことができる。木の方から鳥を選ぶことなど、できるはずがない」
原文を見る
「鳥よく木を択ぶ。木豈に鳥を択ばんや。」
などと、たいそう気位は高かったが、決して世をすねていたわけではなく、あくまでも、どこかに用いられることを求めていた。
原文を見る
などと至って気位は高いが、決して世を拗ねたのではなく、あくまで用いられんことを求めている。
そして、自分たちが用いられようとするのは、自分のためではなく、世の中のため、正しい道のためなのだと——本気で、まったくあきれたことに本気で、そう考えているのだった。
原文を見る
そして、己等の用いられようとするのは己がために非ずして天下のため、道のためなのだと本気で――全く呆れたことに本気でそう考えている。
貧しくても、いつも明るく。苦しくても、望みを捨てない。
原文を見る
乏しくとも常に明るく、苦しくとも望を捨てない。
実に不思議な一行だった。
原文を見る
誠に不思議な一行であった。
一行が招かれて、楚の昭王(しょうおう)のもとへ行こうとした時、陳(ちん)と蔡(さい)の高官たちが相談し、こっそり暴徒を集めて、孔子たちを途中で取り囲ませた。
原文を見る
一行が招かれて楚の昭王の許へ行こうとした時、陳・蔡の大夫共が相計り秘かに暴徒を集めて孔子等を途に囲ましめた。
孔子が楚に用いられることを恐れ、それを妨げようとしたのである。
原文を見る
孔子の楚に用いられることを惧れこれを妨げようとしたのである。
暴徒に襲われるのは、これが初めてではなかった。だが、この時が、もっとも苦しい状況に陥った。
原文を見る
暴徒に襲われるのはこれが始めてではなかったが、この時は最も困窮に陥った。
食料の補給が絶たれ、一同、火を通した食事にありつけない日が、七日にも及んだ。
原文を見る
糧道が絶たれ、一同火食せざること七日に及んだ。
さすがに、飢え、疲れ、病人が次々と出てきた。
原文を見る
さすがに、餒え、疲れ、病者も続出する。
弟子たちが疲れ切り、おびえる中にあって、孔子だけは少しも気力が衰えず、いつも通り、琴を弾いて歌うことをやめなかった。
原文を見る
弟子達の困憊と恐惶との間に在って孔子は独り気力少しも衰えず、平生通り絃歌して輟まない。
従っている者たちの疲れ切った様子を見るに見かねて、子路は、少し険しい顔をしながら、琴を弾いて歌う孔子のそばへ行った。
原文を見る
従者等の疲憊を見るに見かねた子路が、いささか色を作して、絃歌する孔子の側に行った。
そして尋ねた。
原文を見る
そうして訊ねた。
「先生が歌われるのは、礼にかなったことでしょうか」と。
原文を見る
夫子の歌うは礼かと。
孔子は答えない。
原文を見る
孔子は答えない。
琴を弾く手も休めない。
原文を見る
絃を操る手も休めない。
そして、曲が終わってから、ようやく言った。
原文を見る
さて曲が終ってからようやく言った。
「由(ゆう)よ。お前に話そう。りっぱな人が音楽を好むのは、おごり高ぶらないためだ。つまらない人間が音楽を好むのは、おびえないためだ。いったいどこの誰なのだ。わたしのことを分かっていないのに、わたしについてくる者は」
原文を見る
「由よ。吾汝に告げん。君子楽を好むは驕るなきがためなり。小人楽を好むは懾るるなきがためなり。それ誰の子ぞや。我を知らずして我に従う者は。」
子路は、一瞬、自分の耳を疑った。
原文を見る
子路は一瞬耳を疑った。
この苦しい状況にあってなお、おごり高ぶらないために音楽を奏でているというのか。
原文を見る
この窮境に在ってなお驕るなきがために楽をなすとや?
しかし、すぐにその心に思い当たると、たちまち子路はうれしくなり、思わず戚(ほこ・舞の道具)を手に取って舞った。
原文を見る
しかし、すぐにその心に思い到ると、途端に彼は嬉しくなり、覚えず戚を執って舞うた。
孔子がこれに合わせて弾き、曲は三度めぐった。
原文を見る
孔子がこれに和して弾じ、曲、三度めぐった。
そばにいた者たちも、しばらくの間は飢えを忘れ、疲れを忘れて、この武骨な即興の舞に見入るのだった。
原文を見る
傍にある者またしばらくは飢を忘れ疲を忘れて、この武骨な即興の舞に興じ入るのであった。
同じ、陳蔡(ちんさい)での災難の時、まだ簡単には囲みが解けそうにないのを見て、子路が言った。
原文を見る
同じ陳蔡の厄の時、いまだ容易に囲みの解けそうもないのを見て、子路が言った。
「りっぱな人にも、行き詰まって困ることがあるのでしょうか」
原文を見る
君子も窮することあるか?
と。
原文を見る
と。
師がふだん説いていることによれば、りっぱな人は行き詰まって困ることなど無いはずだと、子路は思っていたからである。
原文を見る
師の平生の説によれば、君子は窮することが無いはずだと思ったからである。
孔子はすぐに答えた。
原文を見る
孔子が即座に答えた。
「困り果てるというのは、正しい道を見失うことを言うのではないか。今、わたし(丘)は、思いやりと正しさの道を抱きながら、乱れた世の災難に遭っているだけだ。これがどうして、困り果てることだと言えようか。もし、食べ物が足りず体が疲れ果てることを困り果てると言うなら、りっぱな人にももちろん、そういうことはある。ただ、つまらない人間は、困り果てると、そこで取り乱してしまう」
原文を見る
「窮するとは道に窮するの謂に非ずや。今、丘、仁義の道を抱き乱世の患に遭う。何ぞ窮すとなさんや。もしそれ、食足らず体瘁るるをもって窮すとなさば、君子ももとより窮す。但、小人は窮すればここに濫る。」
と。
原文を見る
と。
違うのは、そこだけだと言うのである。
原文を見る
そこが違うだけだというのである。
子路は思わず顔を赤らめた。
原文を見る
子路は思わず顔を赧らめた。
自分の中にある、つまらない人間の部分を指摘されたような気持ちだった。
原文を見る
己の内なる小人を指摘された心地である。
行き詰まって困ることもまた運命だと知り、大きな災難に臨んでも、少しも動揺した様子を見せない孔子の姿を見ては、なんという大きな勇気だろうかと、感嘆せずにはいられなかった。
原文を見る
窮するも命なることを知り、大難に臨んでいささかの興奮の色も無い孔子の容を見ては、大勇なる哉と嘆ぜざるを得ない。
かつての自分の誇りだった、刃物を目の前に突きつけられてもまばたき一つしない、あの勇気。それが、なんとも情けなく、ちっぽけなものに思えるのだった。
原文を見る
かつての自分の誇であった・白刃前に接わるも目まじろがざる底の勇が、何と惨めにちっぽけなことかと思うのである。
十一
原文を見る
十一
許(きょ)から葉(しょう)へ向かう途中、子路が一人、孔子の一行に遅れて畑の中の道を歩いていくと、竹かごをかついだ一人の老人に出会った。
原文を見る
許から葉へと出る途すがら、子路が独り孔子の一行に遅れて畑中の路を歩いて行くと、蓧を荷うた一人の老人に会った。
子路が気軽に会釈して、「先生を見かけませんでしたか」と尋ねた。
原文を見る
子路が気軽に会釈して、夫子を見ざりしや、と問う。
老人は立ち止まって、「先生先生と言われても、いったいどれがお前の言う先生なのか、わしに分かるはずがないではないか」
原文を見る
老人は立止って、「夫子夫子と言ったとて、どれが一体汝のいう夫子やら俺に分る訳がないではないか」
とつっけんどんに答え、子路の身なりをじろりと眺めてから、「見たところ、手足を動かして働きもせず、実際の仕事もせず、机上の空論で日を過ごしているような人らしいな」
原文を見る
と突堅貪に答え、子路の人態をじろりと眺めてから、「見受けたところ、四体を労せず実事に従わず空理空論に日を暮らしている人らしいな。」
とさげすむように笑った。
原文を見る
と蔑むように笑う。
それから、そばの畑に入り、こちらを振り返りもせずに、せっせと草を取り始めた。
原文を見る
それから傍の畑に入りこちらを見返りもせずにせっせと草を取り始めた。
隠者の一人に違いないと子路は思い、軽くおじぎをして、道に立ったまま、次の言葉を待った。
原文を見る
隠者の一人に違いないと子路は思って一揖し、道に立って次の言葉を待った。
老人は黙って一仕事終えてから道に出て来て、子路を連れて自分の家へ案内した。
原文を見る
老人は黙って一仕事してから道に出て来、子路を伴って己が家に導いた。
すでに日が暮れかかっていたのである。
原文を見る
既に日が暮れかかっていたのである。
老人はにわとりをつぶし、きびを炊いてもてなし、二人の息子にも子路を引き合わせた。
原文を見る
老人は雞をつぶし黍を炊いで、もてなし、二人の子にも子路を引合せた。
食事のあと、少しのにごり酒に酔いが回った老人は、そばにあった琴を手に取って弾いた。
原文を見る
食後、いささかの濁酒に酔の廻った老人は傍なる琴を執って弾じた。
二人の息子がそれに合わせて歌う。
原文を見る
二人の子がそれに和して唱う。
しっとりと、露がおりている
原文を見る
湛々タル露アリ
日が照らなければ、乾きはしない
原文を見る
陽ニ非ザレバ晞ズ
ゆったりと、夜通し酒を飲む
原文を見る
厭々トシテ夜飲ス
酔わなければ、帰りはしない
原文を見る
酔ハズンバ帰ルコトナシ
見るからに貧しい暮らしなのに、家の中には、なんともなごやかな豊かさがあふれていた。
原文を見る
明らかに貧しい生活なのにもかかわらず、まことに融々たる裕かさが家中に溢れている。
なごやかに満ち足りた親子三人の顔つきの中に、時おり、どこか知的なものがきらめくのも、見逃しがたかった。
原文を見る
和やかに充ち足りた親子三人の顔付の中に、時としてどこか知的なものが閃くのも、見逃し難い。
弾き終えてから、老人が子路に向かって語った。
原文を見る
弾じ終ってから老人が子路に向って語る。
陸を行くには車、水を行くには舟と、昔から決まっているものだ。
原文を見る
陸を行くには車、水を行くには舟と昔から決ったもの。
今、陸を行くのに舟を使ったら、どうなる。
原文を見る
今陸を行くに舟をもってすれば、いかん?
今の世の中で、周(しゅう)の昔のやり方を行おうとするのは、ちょうど陸で舟を走らせようとするようなものだ。
原文を見る
今の世に周の古法を施そうとするのは、ちょうど陸に舟を行るがごときものと謂うべし。
猿に、周公(しゅうこう)の着るような立派な服を着せてみろ。驚いて、引き裂いて捨てるに決まっている。
原文を見る
猨狙に周公の服を着せれば、驚いて引裂き棄てるに決っている。
云々……。子路を孔子の門下だと知った上での言葉であることは、明らかだった。
原文を見る
云々…………子路を孔門の徒と知っての言葉であることは明らかだ。
老人はまた言った。
原文を見る
老人はまた言う。
「楽しみを十分に味わってこそ、初めて望みがかなったと言える。望みがかなうというのは、位が高くなることを言うのではない」
原文を見る
「楽しみ全くして始めて志を得たといえる。志を得るとは軒冕の謂ではない。」
と。
原文を見る
と。
澹然無極(たんぜんむきょく・静かに、はてしなく満ち足りていること)とでもいうのが、この老人の理想なのだろう。
原文を見る
澹然無極とでもいうのがこの老人の理想なのであろう。
子路にとって、こうした遁世哲学(とんせいてつがく・世をのがれて生きる考え方)は、初めてではなかった。
原文を見る
子路にとってこうした遁世哲学は始めてではない。
長沮(ちょうそ)・桀溺(けつでき)の二人にも会ったことがある。
原文を見る
長沮・桀溺の二人にも遇った。
楚の接与(せつよ)という、狂ったふりをする男にも会ったことがある。
原文を見る
楚の接与という佯狂の男にも遇ったことがある。
しかし、こうして彼らの暮らしの中に入り、一晩を共に過ごしたことは、まだ無かった。
原文を見る
しかしこうして彼等の生活の中に入り一夜を共に過したことは、まだ無かった。
穏やかな老人の言葉と、にこやかなその様子に触れているうちに、子路は、これもまた一つの美しい生き方には違いないと、いくらかのうらやましさすら感じないではいられなかった。
原文を見る
穏やかな老人の言葉と怡々たるその容に接している中に、子路は、これもまた一つの美しき生き方には違いないと、幾分の羨望をさえ感じないではなかった。
しかし、子路も、黙って相手の言葉にうなずいてばかりいたわけではなかった。
原文を見る
しかし、彼も黙って相手の言葉に頷いてばかりいた訳ではない。
「世の中と縁を切るのは、もちろん楽しいでしょう。しかし、人が人であるゆえんは、楽しみを味わい尽くすことにあるのではありません。ちっぽけな自分一人の身をきれいに保とうとして、人として守るべき大きな道を乱すのは、人間の道ではありません。わたしたちとて、今の世の中で正しい道が行われていないことぐらい、とっくに分かっています。今の世で正しい道を説くことの危うさも知っています。しかし、道の無い世の中だからこそ、危険を冒してでも、なお道を説く必要があるのではないでしょうか」
原文を見る
「世と断つのはもとより楽しかろうが、人の人たるゆえんは楽しみを全うする所にあるのではない。区々たる一身を潔うせんとして大倫を紊るのは、人間の道ではない。我々とて、今の世に道の行われない事ぐらいは、とっくに承知している。今の世に道を説くことの危険さも知っている。しかし、道無き世なればこそ、危険を冒してもなお道を説く必要があるのではないか。」
翌朝、子路は老人の家を辞去して、道を急いだ。
原文を見る
翌朝、子路は老人の家を辞して道を急いだ。
道々、孔子と、昨夜の老人とを並べて考えてみた。
原文を見る
みちみち孔子と昨夜の老人とを並べて考えてみた。
孔子の物事を見通す力が、あの老人に劣るはずはない。
原文を見る
孔子の明察があの老人に劣る訳はない。
孔子の欲が、あの老人よりも多いはずはない。
原文を見る
孔子の慾があの老人よりも多い訳はない。
それでいてなお、自分一人を全うする道を捨てて、正しい道のために天下を巡っている。そう思うと、急に、昨夜はまったく感じなかった憎しみを、あの老人に対して覚え始めた。
原文を見る
それでいてなおかつ己を全うする途を棄て道のために天下を周遊していることを思うと、急に、昨夜は一向に感じなかった憎悪を、あの老人に対して覚え始めた。
昼近くになって、ようやく、はるか前方の真っ青な麦畑の中の道に、人影の一団が見えた。
原文を見る
午近く、ようやく、遥か前方の真青な麦畠の中の道に一団の人影が見えた。
その中でも、ひときわ背の高い孔子の姿を見つけた時、子路は突然、何か胸を締めつけられるような苦しさを感じた。
原文を見る
その中で特に際立って丈の高い孔子の姿を認め得た時、子路は突然、何か胸を緊め付けられるような苦しさを感じた。
十二
原文を見る
十二
宋から陳へ渡る船の上で、子貢と宰予が議論をしていた。
原文を見る
宋から陳に出る渡船の上で、子貢と宰予とが議論をしている。
「十軒ほどの小さな村にも、きっと、わたし(丘)くらい誠実で正直な者はいるだろう。だが、わたしほど学ぶことを好む者は、いないはずだ」
原文を見る
「十室の邑、必ず忠信丘がごとき者あり。丘の学を好むに如かざるなり。」
という師の言葉をめぐって、子貢は、この言葉にもかかわらず、孔子の偉大な人格ができあがったのは、生まれつきの並外れた才能によるものだと言い、宰予は、いや、後から積み重ねた自分を磨く努力の方が大きいのだと言う。
原文を見る
という師の言葉を中心に、子貢は、この言葉にもかかわらず孔子の偉大な完成はその先天的な素質の非凡さに依るものだといい、宰予は、いや、後天的な自己完成への努力の方が与って大きいのだと言う。
宰予によれば、孔子の能力と弟子たちの能力の違いは、量の違いであって、決して質の違いではない。
原文を見る
宰予によれば、孔子の能力と弟子達の能力との差異は量的なものであって、決して質的なそれではない。
孔子が持っているものは、誰もが持っているものだ。
原文を見る
孔子の有っているものは万人のもっているものだ。
ただ、その一つひとつを、孔子はたゆまぬ努力によって、今の大きさにまで仕上げただけのことだ、と。
原文を見る
ただその一つ一つを孔子は絶えざる刻苦によって今の大きさにまで仕上げただけのことだと。
しかし子貢は、量の違いも、あまりに大きくなれば、結局は質の違いと変わらなくなると言う。
原文を見る
子貢は、しかし、量的な差も絶大になると結局質的な差と変る所は無いという。
それに、自分を磨く努力を、あれほどまでに続けられること自体が、すでに生まれつきの並外れた才能の、何よりの証拠ではないか、と。
原文を見る
それに、自己完成への努力をあれほどまでに続け得ることそれ自体が、既に先天的な非凡さの何よりの証拠ではないかと。
だが、何よりもまして、孔子の天才の核心にあるものは何かといえば——「それは」
原文を見る
だが、何にも増して孔子の天才の核心たるものは何かといえば、「それは」
と子貢が言った。
原文を見る
と子貢が言う。
「あの、すぐれた中庸(ちゅうよう・かたよらないほどよさ)への本能だ。どんな時でも、先生の身の振り方を美しいものにする、あの見事な、中庸への本能だ」
原文を見る
「あの優れた中庸への本能だ。いついかなる場合にも夫子の進退を美しいものにする・見事な中庸への本能だ。」
と。
原文を見る
と。
何を言っているんだと、そばで子路は苦い顔をした。
原文を見る
何を言ってるんだと、傍で子路が苦い顔をする。
口先ばかりで、はらわたの無いやつらめ。
原文を見る
口先ばかりで腹の無い奴等め!
今、この舟がひっくり返りでもしたら、あいつらはどんなに真っ青な顔をすることだろう。
原文を見る
今この舟がひっくり返りでもしたら、奴等はどんなに真蒼な顔をするだろう。
何と言っても、いざという時に、実際に先生の役に立てるのは、このおれなのだ。
原文を見る
何といってもいったん有事の際に、実際に夫子の役に立ち得るのはおれなのだ。
才気にあふれ弁の立つ若い二人を前にして、「うまい言葉は徳を乱す」という言葉を思い出し、誇らしげに、自分の胸の中にある澄みきった心を頼みとするのだった。
原文を見る
才弁縦横の若い二人を前にして、巧言は徳を紊るという言葉を考え、矜らかに我が胸中一片の氷心を恃むのである。
しかし、子路にも、師への不満が必ずしも無いわけではなかった。
原文を見る
子路にも、しかし、師への不満が必ずしも無い訳ではない。
陳(ちん)の霊公が、家来の妻と通じ、その女の肌着を身につけて朝廷に立ち、それを見せびらかした時、泄冶(せつや)という家来が忠告して、殺された。
原文を見る
陳の霊公が臣下の妻と通じその女の肌着を身に着けて朝に立ち、それを見せびらかした時、泄冶という臣が諫めて、殺された。
百年ほど前のこの事件について、一人の弟子が孔子に尋ねたことがあった。
原文を見る
百年ばかり以前のこの事件について一人の弟子が孔子に尋ねたことがある。
「泄冶が正しい忠告をして殺されたのは、昔の名臣・比干(ひかん)が忠告して死んだのと、変わるところがありません。
原文を見る
泄冶の正諫して殺されたのは古の名臣比干の諫死と変る所が無い。
これを仁と呼んでよいのでしょうか」と。
原文を見る
仁と称して良いであろうかと。
孔子が答えた。
原文を見る
孔子が答えた。
「いや、比干と紂王(ちゅうおう)の場合は、血のつながりもあったし、官職から言っても少師(しょうし・王を教え導く高い役)だった。だから、自分の身を捨ててまで強く忠告し、殺された後に紂王が悔い改めることを期待していたのだ。
原文を見る
いや、比干と紂王との場合は血縁でもあり、また官から云っても少師であり、従って己の身を捨てて争諫し、殺された後に紂王の悔寤するのを期待した訳だ。
これは仁と呼んでよいだろう。
原文を見る
これは仁と謂うべきであろう。
だが、泄冶と霊公の間には、血のつながりも無く、位もただの大夫に過ぎなかった。
原文を見る
泄冶の霊公におけるは骨肉の親あるにも非ず、位も一大夫に過ぎぬ。
主君が正しくなく、国全体も正しくないと分かったなら、潔く身を退くべきだった。それなのに、身の程もわきまえず、ちっぽけな自分一人の力で、国全体の乱れを正そうとした。
原文を見る
君正しからず一国正しからずと知らば、潔く身を退くべきに、身の程をも計らず、区々たる一身をもって一国の淫婚を正そうとした。
自分から、無駄に命を捨てたようなものだ。
原文を見る
自ら無駄に生命を捐てたものだ。
仁どころの騒ぎではない」と。
原文を見る
仁どころの騒ぎではないと。
その弟子はそう言われて納得し、引き下がった。しかし、そばにいた子路には、どうしてもうなずけなかった。
原文を見る
その弟子はそう言われて納得して引き下ったが、傍にいた子路にはどうしても頷けない。
さっそく、子路は口を出した。
原文を見る
早速、彼は口を出す。
「仁であるか、仁でないかは、しばらく置いておきましょう。
原文を見る
仁・不仁はしばらく措く。
しかし、とにかく、自分の身の危うさを忘れて、国全体の乱れを正そうとしたことの中には、賢いとか愚かとかを超えた、立派なものがあるのではないでしょうか。
原文を見る
しかしとにかく一身の危きを忘れて一国の紊乱を正そうとした事の中には、智不智を超えた立派なものが在るのではなかろうか。
むなしく命を捨てただけだとは、言い切れないものが。
原文を見る
空しく命を捐つなどと言い切れないものが。
たとえ、結果はどうであろうとも」
原文を見る
たとえ結果はどうあろうとも。
「由(ゆう)よ。お前には、そういう小さな義理の中にある見事さばかりが目についてしまい、それ以上のことは分からないようだな。昔の立派な人物は、国に正しい道があれば、忠義を尽くしてこれを助け、国に道が無ければ、身を退いてこれを避けたものだ。こうした身の振り方の見事さは、まだお前には分からないと見える。詩にもこう言う。『世の中がよこしまであふれている時は、自分から進んで規則を作って身を縛るようなことをするな』と。おそらく、泄冶の場合にも、これがあてはまるのだろうな」
原文を見る
「由よ。汝には、そういう小義の中にある見事さばかりが眼に付いて、それ以上は判らぬと見える。古の士は国に道あれば忠を尽くしてもってこれを輔け、国に道無ければ身を退いてもってこれを避けた。こうした出処進退の見事さはいまだ判らぬと見える。詩に曰う。民僻多き時は自ら辟を立つることなかれと。蓋し、泄冶の場合にあてはまるようだな。」
「では」
原文を見る
「では」
と、かなり長い間考えたあとで、子路が言った。
原文を見る
と大分長い間考えた後で子路が言う。
結局、この世でもっとも大切なことは、自分一人の身の安全をはかることにあるのでしょうか。
原文を見る
結局この世で最も大切なことは、一身の安全を計ることに在るのか?
身を捨てて正しいことをなす、その中にはないのでしょうか。
原文を見る
身を捨てて義を成すことの中にはないのであろうか?
一人の人間の身の振り方が正しいかどうかの方が、世の中すべての人々の安全よりも、大切なのでしょうか。
原文を見る
一人の人間の出処進退の適不適の方が、天下蒼生の安危ということよりも大切なのであろうか?
と申しますのも、もし泄冶が、目の前の乱れた行いに眉をひそめただけで身を退いていたら、なるほど彼一人の身はそれでよかったかもしれません。しかし、陳の国の民にとって、それがいったい何になったでしょう。
原文を見る
というのは、今の泄冶がもし眼前の乱倫に顰蹙して身を退いたとすれば、なるほど彼の一身はそれで良いかも知れぬが、陳国の民にとって一体それが何になろう?
むしろ、無駄だと分かっていても、忠告して死んだ方が、国民の気風に与える影響から考えても、はるかに意味があるのではないでしょうか」
原文を見る
まだしも、無駄とは知りつつも諫死した方が、国民の気風に与える影響から言っても遥かに意味があるのではないか。
「それは何も、自分一人の身を守ることばかりが大切だと言っているのではない。それならば、比干を仁の人だと褒めはしないだろう。ただ、命は正しい道のために捨てるとしても、捨てるべき時と場所がある。それを見極めるために知恵を使うのは、決して自分の利益のためではない。急いで死ぬことだけが、優れたことではないのだ」
原文を見る
「それは何も一身の保全ばかりが大切とは言わない。それならば比干を仁人と褒めはしないはずだ。但、生命は道のために捨てるとしても捨て時・捨て処がある。それを察するに智をもってするのは、別に私の利のためではない。急いで死ぬるばかりが能ではないのだ。」
そう言われれば、一応そんな気もしてくるのだが、やはり、すっきりしないところが残る。
原文を見る
そう言われれば一応はそんな気がして来るが、やはり釈然としない所がある。
身を捨ててでも仁を成すべきだと言いながら、その一方で、どこかしら、賢く身を守ることこそ最上の知恵だと考える傾向が、時々、師の話の中に感じられるのだ。
原文を見る
身を殺して仁を成すべきことを言いながら、その一方、どこかしら明哲保身を最上智と考える傾向が、時々師の言説の中に感じられる。
それが、どうも気になるのだった。
原文を見る
それがどうも気になるのだ。
ほかの弟子たちが、これをまったく感じないのは、賢く身を守るという考え方が、彼らに本能としてくっついているからだ。
原文を見る
他の弟子達がこれを一向に感じないのは、明哲保身主義が彼等に本能として、くっついているからだ。
それをすべての土台にした上での仁であり義でなければ、彼らには、危なっかしくて仕方が無いに違いない。
原文を見る
それをすべての根柢とした上での・仁であり義でなければ、彼等には危くて仕方が無いに違いない。
子路が、納得しがたい顔つきで立ち去った時、その後ろ姿を見送りながら、孔子は、顔を曇らせて言った。
原文を見る
子路が納得し難げな顔色で立去った時、その後姿を見送りながら、孔子が愀然として言った。
「国に正しい道がある時も、あの男はまっすぐで、まるで矢のようだ。
原文を見る
邦に道有る時も直きこと矢のごとし。
道が無い時も、やはり矢のようだ。
原文を見る
道無き時もまた矢のごとし。
あの男も、衛の史魚(しぎょ)と同じ種類の人間だな。
原文を見る
あの男も衛の史魚の類だな。
おそらく、ふつうの死に方はしないだろう」と。
原文を見る
恐らく、尋常な死に方はしないであろうと。
楚が呉を攻めた時、工尹商陽(こういんしょうよう)という者が、呉の軍を追いかけていた。同じ車に乗っていた王子の棄疾(きしつ)が、「これは王の御用だ。お前も弓を手にしてよいのだぞ」
原文を見る
楚が呉を伐った時、工尹商陽という者が呉の師を追うたが、同乗の王子棄疾に「王事なり。子、弓を手にして可なり。」
と言われて、ようやく弓を手に取った。「お前、これを射よ」
原文を見る
といわれて始めて弓を執り、「子、これを射よ。」
とすすめられて、ようやく一人を射て倒した。
原文を見る
と勧められてようやく一人を射斃した。
しかし、すぐにまた弓を、韔(かわぶくろ・弓を入れるふくろ)にしまってしまった。
原文を見る
しかしすぐにまた弓を韔に収めてしまった。
再びうながされて、また弓を取り出し、あと二人を倒した。しかし、一人を射るたびに、目をおおった。
原文を見る
再び促されてまた弓を取出し、あと二人を斃したが、一人を射るごとに目を掩うた。
さて、三人を倒すと、「自分の今の身分では、これくらいで、十分お応えできただろう」
原文を見る
さて三人を斃すと、「自分の今の身分ではこの位で充分反命するに足るだろう。」
と言って、車を引き返した。
原文を見る
とて、車を返した。
この話を孔子が伝え聞いて、「人を殺すことの中にも、また礼というものがある」
原文を見る
この話を孔子が伝え聞き、「人を殺すの中、また礼あり。」
と感心した。
原文を見る
と感心した。
子路に言わせれば、しかし、こんなとんでもない話は無かった。
原文を見る
子路に言わせれば、しかし、こんなとんでもない話はない。
特に、「自分としては、三人倒したくらいで十分だ」
原文を見る
殊に、「自分としては三人斃した位で充分だ。」
などという言葉の中に、子路の大嫌いな、自分一人の行動を国の安否より上に置く考え方が、あまりにもはっきりと出ているので、腹が立つのだった。
原文を見る
などという言葉の中に、彼の大嫌いな・一身の行動を国家の休戚より上に置く考え方が余りにハッキリしているので、腹が立つのである。
子路は、むっとして孔子に食ってかかった。
原文を見る
彼は怫然として孔子に喰って掛かる。
「家来としての節義とは、主君の大事にあたっては、ただ力の限りを尽くし、死んではじめて終わるものです。先生は、どうしてあの男をよいとおっしゃるのですか」
原文を見る
「人臣の節、君の大事に当りては、ただ力の及ぶ所を尽くし、死して而して後に已む。夫子何ぞ彼を善しとする?」
さすがの孔子も、これには一言も無かった。
原文を見る
孔子もさすがにこれには一言も無い。
笑いながら答えた。
原文を見る
笑いながら答える。
「そのとおりだ。お前の言うとおりだ。わたしはただ、あの男が、人を殺すことをためらう心を持っていた、その一点を良しとしているだけなのだ」
原文を見る
「然り。汝の言のごとし。吾、ただその、人を殺すに忍びざるの心あるを取るのみ。」
十三
原文を見る
十三
衛に出入りすること四回、陳にとどまること三年。曹(そう)・宋・蔡・葉・楚と、子路は孔子について歩いた。
原文を見る
衛に出入すること四度、陳に留まること三年、曹・宋・蔡・葉・楚と、子路は孔子に従って歩いた。
孔子の道を実際に行ってくれる諸侯が現れるとは、今さら望めなかった。しかし、もはや不思議と、子路はいらだたなかった。
原文を見る
孔子の道を実行に移してくれる諸侯が出て来ようとは、今更望めなかったが、しかし、もはや不思議に子路はいらだたない。
世の中の乱れ、諸侯の無能、孔子の不遇に対する腹立たしさと焦りを、何年も繰り返したあと、ようやくこの頃になって、ぼんやりとではあるが、孔子と、それに従う自分たちの運命の意味が、分かりかけてきたようだった。
原文を見る
世の溷濁と諸侯の無能と孔子の不遇とに対する憤懣焦躁を幾年か繰返した後、ようやくこの頃になって、漠然とながら、孔子及びそれに従う自分等の運命の意味が判りかけて来たようである。
それは、消極的に「これも運命だ」とあきらめる気持ちとは、だいぶ違うものだった。
原文を見る
それは、消極的に命なりと諦める気持とは大分遠い。
同じ「これも運命だ」と言うにしても、「一つの小さな国に限られず、一つの時代にも限られない、世の中すべての時代を通じての木鐸(ぼくたく・人々を教え導く役目の人)」
原文を見る
同じく命なりと云うにしても、「一小国に限定されない・一時代に限られない・天下万代の木鐸」
としての使命に目覚めかけてきた、かなり前向きな「運命だ」という思いだった。
原文を見る
としての使命に目覚めかけて来た・かなり積極的な命なりである。
匡の地で荒くれた民に囲まれた時、堂々と胸を張って孔子が言った、「天が、まだこの道を滅ぼそうとしていないのなら、匡の人々が、このわたしをどうできようか」
原文を見る
匡の地で暴民に囲まれた時昂然として孔子の言った「天のいまだ斯文を喪さざるや匡人それ予をいかんせんや」
という言葉が、今では子路にも、実によく分かるようになってきた。
原文を見る
が、今は子路にも実に良く解って来た。
どんな場合にも絶望せず、決して現実を軽んじず、与えられた範囲でいつも最善を尽くすという、師の知恵の大きさも分かる。そして、いつも後の世の人々に見られていることを意識しているような、孔子の立ち居振る舞いの意味も、今になって初めて、うなずけるのだった。
原文を見る
いかなる場合にも絶望せず、決して現実を軽蔑せず、与えられた範囲で常に最善を尽くすという師の智慧の大きさも判るし、常に後世の人に見られていることを意識しているような孔子の挙措の意味も今にして始めて頷けるのである。
あり余る世渡りの才に妨げられるのか、頭の切れる子貢には、孔子のこの、時代を超えた使命についての自覚が、少なかった。
原文を見る
あり余る俗才に妨げられてか、明敏子貢には、孔子のこの超時代的な使命についての自覚が少い。
飾り気の無い、まっすぐな子路の方が、その、この上なく単純な師への愛情のせいだろうか、かえって、孔子というものの大きな意味をつかむことができたようだった。
原文を見る
朴直子路の方が、その単純極まる師への愛情の故であろうか、かえって孔子というものの大きな意味をつかみ得たようである。
旅から旅への年月を重ねているうちに、子路も、もはや五十歳になっていた。
原文を見る
放浪の年を重ねている中に、子路ももはや五十歳であった。
性格のとがったところが取れたとは言いがたいが、さすがに、人間としての重みも加わってきた。
原文を見る
圭角がとれたとは称し難いながら、さすがに人間の重みも加わった。
後の世に言われる「万鍾(ばんしょう・大金や高い俸禄)も、わたしにとって何ほどのものであろうか」
原文を見る
後世のいわゆる「万鍾我において何をか加えん」
というような気骨も、鋭く光るその眼光も、痩せた浪人のむなしい虚勢から離れて、すでに堂々たる、一人前の人物としての風格を備えるようになっていた。
原文を見る
の気骨も、炯々たるその眼光も、痩浪人の徒らなる誇負から離れて、既に堂々たる一家の風格を備えて来た。
十四
原文を見る
十四
孔子が四度目に衛を訪れた時、若い衛の殿様や、正卿(せいけい・筆頭の重臣)である孔叔圉(こうしゅくぎょ)たちに頼まれるまま、子路を推薦して、この国に仕えさせた。
原文を見る
孔子が四度目に衛を訪れた時、若い衛侯や正卿孔叔圉等から乞われるままに、子路を推してこの国に仕えさせた。
孔子が、十年あまりぶりに故国に招かれた時も、子路は別れて衛にとどまったのである。
原文を見る
孔子が十余年ぶりで故国に聘えられた時も、子路は別れて衛に留まったのである。
十年来、衛の国は、南子夫人の乱れた行いを中心に、絶えず争いを重ねていた。
原文を見る
十年来、衛は南子夫人の乱行を中心に、絶えず紛争を重ねていた。
まず、公叔戍(こうしゅくじゅ)という者が、南子を追い出そうと企てたが、逆にその讒言(ざんげん・告げ口)に遭って、魯へ亡命した。
原文を見る
まず公叔戍という者が南子排斥を企てかえってその讒に遭って魯に亡命する。
続いて、霊公の子である太子蒯聵(かいがい)も、義理の母である南子を刺し殺そうとして失敗し、晋へ逃げた。
原文を見る
続いて霊公の子・太子蒯聵も義母南子を刺そうとして失敗し晋に奔る。
太子のいないまま、霊公が亡くなった。
原文を見る
太子欠位の中に霊公が卒する。
やむを得ず、亡命した太子の子である、まだ幼い輒(ちょう)を立てて、あとを継がせた。
原文を見る
やむをえず亡命太子の子の幼い輒を立てて後を嗣がせる。
これが出公(しゅつこう)である。
原文を見る
出公がこれである。
国を逃げ出した、前の太子である蒯聵は、晋の力を借りて衛の西部にひそかに入り込み、虎視眈々と衛の殿様の位をねらっていた。
原文を見る
出奔した前太子蒯聵は晋の力を借りて衛の西部に潜入し虎視眈々と衛侯の位を窺う。
これを拒もうとする、今の衛の殿様である出公は息子。
原文を見る
これを拒もうとする現衛侯出公は子。
位を奪おうとねらう者は、その父。
原文を見る
位を奪おうと狙う者は父。
子路が仕えることになった衛の国は、このような有様だった。
原文を見る
子路が仕えることになった衛の国はこのような状態であった。
子路の仕事は、孔家(こうけ・孔叔圉の家)のために、宰として、蒲の地を治めることだった。
原文を見る
子路の仕事は孔家のために宰として蒲の地を治めることである。
衛の孔家は、魯でいえば季孫氏にあたる名家で、当主の孔叔圉は、かねてから名大夫としての誉れが高かった。
原文を見る
衛の孔家は、魯ならば季孫氏に当る名家で、当主孔叔圉はつとに名大夫の誉が高い。
蒲は、先ごろ、南子の讒言に遭って亡命した公叔戍の、もとの領地だった。だから、その主人を追い出した今の政府に対して、何かにつけて反抗的な態度を取っていた。
原文を見る
蒲は、先頃南子の讒に遭って亡命した公叔戍の旧領地で、従って、主人を逐うた現在の政府に対してことごとに反抗的な態度を執っている。
もともと気性の荒い土地の気風で、かつて子路自身も、孔子について、この地で暴徒に襲われたことがあった。
原文を見る
元々人気の荒い土地で、かつて子路自身も孔子に従ってこの地で暴民に襲われたことがある。
任地に立つ前、子路は孔子のところへ行き、「この土地には血の気の多い者が多くて、治めにくい」
原文を見る
任地に立つ前、子路は孔子の所に行き、「邑に壮士多くして治め難し」
と言われている蒲の事情を話し、教えを請うた。
原文を見る
といわれる蒲の事情を述べて教を乞うた。
孔子は言った。
原文を見る
孔子が言う。
「うやうやしく、礼儀正しくしていれば、勇ましい者もおそれ入って従うだろう。おおらかで、しかも正しくしていれば、強い者も心を寄せてくるだろう。おだやかで、しかも決断力があれば、悪だくみをする者もおさえられるだろう」
原文を見る
「恭にして敬あらばもって勇を懾れしむべく、寛にして正しからばもって強を懐くべく、温にして断ならばもって姦を抑うべし」
と。
原文を見る
と。
子路は二度お辞儀をして礼を言い、喜んで任地に向かった。
原文を見る
子路再拝して謝し、欣然として任に赴いた。
蒲に着くと、子路は、まず土地の有力者や、反抗している者たちを呼び、包み隠さず率直に語り合った。
原文を見る
蒲に着くと子路はまず土地の有力者、反抗分子等を呼び、これと腹蔵なく語り合った。
手なずけようとする手段では、なかった。
原文を見る
手なずけようとの手段ではない。
孔子がいつも言う、「教えもせずに罰することはできない」
原文を見る
孔子の常に言う「教えずして刑することの不可」
ということを分かっていたからこそ、まず彼らに、自分の考えていることを、はっきりと打ち明けたのである。
原文を見る
を知るが故に、まず彼等に己の意の在る所を明かしたのである。
気取りの無い率直さが、荒っぽい土地の気風に合ったらしい。
原文を見る
気取の無い率直さが荒っぽい土地の人気に投じたらしい。
血の気の多い者たちは、みな、子路の明快でさっぱりとした人柄に心服した。
原文を見る
壮士連はことごとく子路の明快闊達に推服した。
それに、この頃になると、すでに子路の名は、孔子の門下でいちばんの快男児として、天下に知れ渡っていた。
原文を見る
それにこの頃になると、既に子路の名は孔門随一の快男児として天下に響いていた。
「たった一言で、もめごとの決着をつけられる者がいるとしたら、それは由(ゆう)だろうな」
原文を見る
「片言もって獄を折むべきものは、それ由か」
などという、孔子の褒め言葉までが、大げさな尾ひれをつけて、広く知れ渡っていたのである。
原文を見る
などという孔子の推奨の辞までが、大袈裟な尾鰭をつけて普く知れ渡っていたのである。
蒲の血の気の多い者たちを心服させたものの一つは、確かに、こうした評判でもあった。
原文を見る
蒲の壮士連を推服せしめたものは、一つには確かにこうした評判でもあった。
三年後、孔子がたまたま蒲を通りかかった。
原文を見る
三年後、孔子がたまたま蒲を通った。
まず、その領内に入った時、「よいな、由は。うやうやしく、礼儀正しく、そして誠実だ」
原文を見る
まず領内に入った時、「善い哉、由や、恭敬にして信なり」
と言った。
原文を見る
と言った。
さらに進んで町に入った時、「よいな、由は。誠実で正直で、そしておおらかだ」
原文を見る
進んで邑に入った時、「善い哉、由や、忠信にして寛なり」
と言った。
原文を見る
と言った。
いよいよ子路の屋敷に入るにあたって、「よいな、由は。物事を見通す目があり、そして決断力がある」
原文を見る
いよいよ子路の邸に入るに及んで、「善い哉、由や、明察にして断なり」
と言った。
原文を見る
と言った。
手綱を取っていた子貢が、まだ子路の姿を見てもいないのに褒める理由を尋ねると、孔子は答えた。
原文を見る
轡を執っていた子貢が、いまだ子路を見ずしてこれを褒める理由を聞くと、孔子が答えた。
すでにその領地に入ってみると、田畑はすっかりよく手入れされ、雑草もきちんと刈られて、用水路も深く整えられていた。
原文を見る
已にその領域に入れば田疇ことごとく治まり草莱甚だ辟け溝洫は深く整っている。
治める者がうやうやしく、礼儀正しく、誠実だからこそ、民が力を尽くすのだ。
原文を見る
治者恭敬にして信なるが故に、民その力を尽くしたからである。
その町に入ってみると、民家のかきねや家はきちんと整い、木々も生い茂っている。
原文を見る
その邑に入れば民家の牆屋は完備し樹木は繁茂している。
治める者が誠実で、おおらかだからこそ、民は自分の仕事をおろそかにしないのだ。
原文を見る
治者忠信にして寛なるが故に、民その営を忽せにしないからである。
そして、いよいよその屋敷の庭に着いてみると、たいそう静かで落ち着いており、召使いの一人として、命令にそむく者がいない。
原文を見る
さていよいよその庭に至れば甚だ清閑で従者僕僮一人として命に違う者が無い。
治める者の言葉が、物事を見通していて、決断力があるからこそ、その政治が乱れないのだ。
原文を見る
治者の言、明察にして断なるが故に、その政が紊れないからである。
まだ由(ゆう)その人を見ていなくても、こうしてすべて、その政治のありさまが分かるではないか、と。
原文を見る
いまだ由を見ずしてことごとくその政を知った訳ではないかと。
十五
原文を見る
十五
魯の哀公(あいこう)が、西の方の大野(たいや)という土地で狩りをして、麒麟(きりん)をとらえた頃、子路は一時、衛から魯に帰っていた。
原文を見る
魯の哀公が西の方大野に狩して麒麟を獲た頃、子路は一時衛から魯に帰っていた。
その時、小邾(しょうちゅ)の大夫の射(えき)という者が、自分の国にそむいて、魯へ亡命してきた。
原文を見る
その時小邾の大夫・射という者が国に叛き魯に来奔した。
子路と一度顔を合わせたことのあったこの男は、「季路(きろ・子路の別名)に、わたしのために保証してもらえるなら、わたしは、魯との誓いなど要らない」
原文を見る
子路と一面識のあったこの男は、「季路をして我に要せしめば、吾盟うことなけん。」
と言った。
原文を見る
と言った。
当時の習わしとして、よその国に亡命した者は、その国に、命の保証を誓ってもらって初めて、安心して住み着くことができた。だが、この小邾の大夫は、「子路さえ、その保証をしてくれれば、魯の国の誓いなど要らない」
原文を見る
当時の慣いとして、他国に亡命した者は、その生命の保証をその国に盟ってもらってから始めて安んじて居つくことが出来るのだが、この小邾の大夫は「子路さえその保証に立ってくれれば魯国の誓など要らぬ」
というのだった。
原文を見る
というのである。
引き受けた約束を一晩たりとも先延ばしにしない、という子路の誠実さとまっすぐさは、それほどまでに世に知られていたのだ。
原文を見る
諾を宿するなし、という子路の信と直とは、それほど世に知られていたのだ。
ところが、子路は、この頼みを、にべもなく断った。
原文を見る
ところが、子路はこの頼をにべも無く断った。
ある人が言った。
原文を見る
ある人が言う。
「大きな国の誓いさえ信じないのに、ただあなた一人の言葉を信じようという者がいる。
原文を見る
千乗の国の盟をも信ぜずして、ただ子一人の言を信じようという。
男としてこれ以上の本望はないだろうに、なぜこれを恥とするのか」と。
原文を見る
男児の本懐これに過ぎたるはあるまいに、なにゆえこれを恥とするのかと。
子路が答えた。
原文を見る
子路が答えた。
「魯の国が小邾と事を構えて、その城の下で死ねと言われたなら、事情がどうであろうと、喜んで応じよう。
原文を見る
魯国が小邾と事ある場合、その城下に死ねとあらば、事のいかんを問わず欣んで応じよう。
しかし、射という男は、国を売った、家来にあるまじき者だ。
原文を見る
しかし射という男は国を売った不臣だ。
もし、その保証人になったりすれば、自分から、国を売った者を認めることになってしまう。
原文を見る
もしその保証に立つとなれば、自ら売国奴を是認することになる。
これが、おれにできることか、できないことか、考えるまでもないではないか」
原文を見る
おれに出来ることか、出来ないことか、考えるまでもないではないか!
子路をよく知っている者たちは、この話を伝え聞いた時、思わずほほえんだ。
原文を見る
子路を良く知るほどの者は、この話を伝え聞いた時、思わず微笑した。
あまりにも、子路がしそうなこと、言いそうなことだったからである。
原文を見る
余りにも彼のしそうな事、言いそうな事だったからである。
同じ年、斉の陳恒(ちんこう)が、自分の主君を殺した。
原文を見る
同じ年、斉の陳恒がその君を弑した。
孔子は、三日の間、心身を清めて慎んだあと、哀公の前に出て、正義のために斉を討つことを願い出た。
原文を見る
孔子は斎戒すること三日の後、哀公の前に出て、義のために斉を伐たんことを請うた。
願い出ること、三度。
原文を見る
請うこと三度。
斉の強さを恐れた哀公は、聞き入れようとしない。
原文を見る
斉の強さを恐れた哀公は聴こうとしない。
季孫に伝えて、相談するようにと言う。
原文を見る
季孫に告げて事を計れと言う。
季康子(きこうし)が、これに賛成するはずがなかった。
原文を見る
季康子がこれに賛成する訳が無いのだ。
孔子は主君の前を退き、そして、人にこう告げた。
原文を見る
孔子は君の前を退いて、さて人に告げて言った。
「わたしは、大夫という位の末席に連なる身だ。だから、あえて言わないわけにはいかなかったのだ」
原文を見る
「吾、大夫の後に従うをもってなり。故にあえて言わずんばあらず。」
無駄だと分かっていても、一応は言わなければならない自分の立場だというのである。
原文を見る
無駄とは知りつつも一応は言わねばならぬ己の地位だというのである。
(当時、孔子は、国老としての待遇を受けていた。)
原文を見る
(当時孔子は国老の待遇を受けていた。)
子路は、ちょっと顔を曇らせた。
原文を見る
子路はちょっと顔を曇らせた。
先生のしたことは、ただ、形をきちんと整えるためだけのことだったのか。
原文を見る
夫子のした事は、ただ形を完うするために過ぎなかったのか。
形さえ踏めば、それが実際に行われなくても、平気で済ませられる程度の、正義の怒りなのだろうか。
原文を見る
形さえ履めば、それが実行に移されないでも平気で済ませる程度の義憤なのか?
教えを受けて、もう四十年近くになるのに、それでもなお、このみぞは、どうしようもないのだった。
原文を見る
教を受けること四十年に近くして、なお、この溝はどうしようもないのである。
十六
原文を見る
十六
子路が魯に来ている間に、衛では、政界の大黒柱だった孔叔圉が死んだ。
原文を見る
子路が魯に来ている間に、衛では政界の大黒柱孔叔圉が死んだ。
その未亡人で、亡命した太子蒯聵の姉にあたる、伯姫(はくき)という策略家の女が、政治の表舞台に出てくるようになった。
原文を見る
その未亡人で、亡命太子蒯聵の姉に当る伯姫という女策士が政治の表面に出て来る。
一人息子の悝(かい)が、父の圉(ぎょ)のあとを継いだことにはなっていたが、それは名ばかりに過ぎなかった。
原文を見る
一子悝が父圉の後を嗣いだことにはなっているが、名目だけに過ぎぬ。
伯姫から見れば、今の衛の殿様である輒(ちょう)は甥、位をねらう前の太子は弟で、どちらも身内に変わりはないはずだった。しかし、愛憎と欲との複雑ないきさつがあって、なぜか弟のためばかりを図ろうとしていた。
原文を見る
伯姫から云えば、現衛侯輒は甥、位を窺う前太子は弟で、親しさに変りはないはずだが、愛憎と利慾との複雑な経緯があって、妙に弟のためばかりを計ろうとする。
夫の死後、しきりにかわいがっている、もと小姓の渾良夫(こんりょうふ)という美しい青年を使いにして、弟の蒯聵との間を行き来させ、ひそかに、今の衛の殿様を追い出す企みを進めていた。
原文を見る
夫の死後頻りに寵愛している小姓上りの渾良夫なる美青年を使として、弟蒯聵との間を往復させ、秘かに現衛侯逐出しを企んでいる。
子路が再び衛に戻ってみると、衛の殿様の父子の争いはさらに激しくなっており、政変が起こりそうな気配が、どことなく色濃く漂っているのが感じられた。
原文を見る
子路が再び衛に戻ってみると、衛侯父子の争は更に激化し、政変の機運の濃く漂っているのがどことなく感じられた。
周の昭王の四十年、閏十二月のある日。
原文を見る
周の昭王の四十年閏十二月某日。
夕方近くになって、子路の家に、あわただしく駆け込んできた使者があった。
原文を見る
夕方近くになって子路の家にあわただしく跳び込んで来た使があった。
孔家の家老、欒寧(らんねい)のところからだった。
原文を見る
孔家の老・欒寧の所からである。
「本日、前の太子である蒯聵が、都にひそかに入り込みました。ただ今、孔家の屋敷に入り、伯姫・渾良夫とともに、当主の孔悝(こうかい)を脅して、自分を衛の殿様として立てさせました。もはや、この流れは動かしがたいものです。わたし(欒寧)は、今から、今の衛の殿様をお守りして魯へ逃げるところです。あとは、どうぞよろしくお願いします」
原文を見る
「本日、前太子蒯聵都に潜入。ただ今孔氏の宅に入り、伯姫・渾良夫と共に当主孔悝を脅して己を衛侯に戴かしめた。大勢は既に動かし難い。自分(欒寧)は今から現衛侯を奉じて魯に奔るところだ。後はよろしく頼む。」
という言づてだった。
原文を見る
という口上である。
いよいよ来たか、と子路は思った。
原文を見る
いよいよ来たな、と子路は思った。
とにかく、自分の直接の主人にあたる孔悝が、捕らえられて脅されたと聞いては、黙っているわけにはいかなかった。
原文を見る
とにかく、自分の直接の主人に当る孔悝が捕えられ脅されたと聞いては、黙っている訳に行かない。
取るものもとりあえず、子路は御殿へ駆けつけた。
原文を見る
おっ取り刀で、彼は公宮へ駈け付ける。
外門を入ろうとすると、ちょうど中から出て来た、小さくて背の低い男にぶつかった。
原文を見る
外門を入ろうとすると、ちょうど中から出て来るちんちくりんな男にぶっつかった。
子羔だった。
原文を見る
子羔だ。
孔子の門下の後輩で、子路の推薦によってこの国の大夫となった、正直で気の小さい男である。
原文を見る
孔門の後輩で、子路の推薦によってこの国の大夫となった・正直な・気の小さい男である。
子羔が言った。
原文を見る
子羔が言う。
「内門は、もう閉まってしまいましたよ」
原文を見る
内門はもう閉ってしまいましたよ。
子路。
原文を見る
子路。
「いや、とにかく行くだけは行ってみよう」
原文を見る
いや、とにかく行くだけは行ってみよう。
子羔。
原文を見る
子羔。
「しかし、もう無駄ですよ。
原文を見る
しかし、もう無駄ですよ。
かえって、災難に遭わないとも限りません」
原文を見る
かえって難に遭うこともないとは限らぬし。
子路が声を荒らげて言った。
原文を見る
子路が声を荒らげて言う。
「孔家の俸禄をいただいている身ではないか。
原文を見る
孔家の禄を喰む身ではないか。
何のために、災難を避けるのだ」
原文を見る
何のために難を避ける?
子羔を振り切って内門のところまで来ると、はたして、中から閉ざされていた。
原文を見る
子羔を振切って内門の所まで来ると、果して中から閉っている。
どんどんと、激しく叩いた。
原文を見る
ドンドンと烈しく叩く。
「はいってはいけない」
原文を見る
はいってはいけない!
と、中から叫ぶ声がした。
原文を見る
と、中から叫ぶ。
その声を聞きとがめて、子路が怒鳴った。
原文を見る
その声を聞き咎めて子路が怒鳴った。
「公孫敢(こうそんかん)だな、その声は。
原文を見る
公孫敢だな、その声は。
災難を逃れるために、節を曲げるような、そんな人間じゃない、おれは。
原文を見る
難を逃れんがために節を変ずるような、俺は、そんな人間じゃない。
その俸禄を受けた以上、その患難を救わなければならないのだ。
原文を見る
その禄を利した以上、その患を救わねばならぬのだ。
開けろ。
原文を見る
開けろ!
開けろ」
原文を見る
開けろ!
ちょうど、中から使いの者が出て来たので、それと入れ違いに、子路は飛び込んだ。
原文を見る
ちょうど中から使の者が出て来たので、それと入違いに子路は跳び込んだ。
見ると、広い庭一面が群衆でいっぱいだった。
原文を見る
見ると、広庭一面の群集だ。
孔悝の名で、新しい衛の殿様を立てるという宣言があるというので、急に呼び集められた家臣たちだった。
原文を見る
孔悝の名において新衛侯擁立の宣言があるからとて急に呼び集められた群臣である。
皆、それぞれに驚きと戸惑いの表情を浮かべ、どちらに味方すべきか迷っているように見えた。
原文を見る
皆それぞれに驚愕と困惑との表情を浮かべ、向背に迷うもののごとく見える。
庭に面した露台の上では、若い孔悝が、母の伯姫と、叔父の蒯聵とに押さえつけられ、一同に向かって、政変の宣言とその説明とをするよう、強いられている様子だった。
原文を見る
庭に面した露台の上には、若い孔悝が母の伯姫と叔父の蒯聵とに抑えられ、一同に向って政変の宣言とその説明とをするよう、強いられている貌だ。
子路は、群衆の後ろから、露台に向かって大声で叫んだ。
原文を見る
子路は群衆の背後から露台に向って大声に叫んだ。
「孔悝を捕えて何になる。
原文を見る
孔悝を捕えて何になるか!
孔悝を放せ。
原文を見る
孔悝を離せ。
孔悝一人を殺したところで、正義の側の者たちが滅びるものか」
原文を見る
孔悝一人を殺したとて正義派は亡びはせぬぞ!
子路としては、まず、自分の主人を救い出したかったのだ。
原文を見る
子路としてはまず己の主人を救い出したかったのだ。
さて、広い庭のざわめきが一瞬静まり、一同が自分の方を振り向いたと分かると、今度は群衆に向かって、あおり立て始めた。
原文を見る
さて、広庭のざわめきが一瞬静まって一同が己の方を振向いたと知ると、今度は群集に向って煽動を始めた。
「太子は、うわさに聞こえた臆病者だぞ。
原文を見る
太子は音に聞えた臆病者だぞ。
下から火を放って露台を焼けば、恐れて孔叔(悝)を放すに決まっている。
原文を見る
下から火を放って台を焼けば、恐れて孔叔(悝)を舎すに決っている。
火をつけようではないか。
原文を見る
火を放けようではないか。
火を」
原文を見る
火を!
すでに夕暮れどきのこととて、庭のすみずみには、かがり火がたかれていた。
原文を見る
既に薄暮のこととて庭の隅々に篝火が燃されている。
それを指さしながら、子路が、「火を。火を」
原文を見る
それを指さしながら子路が、「火を! 火を!」
と叫んだ。
原文を見る
と叫ぶ。
「先代の孔叔文子(こうしゅくぶんし・孔叔圉のこと)の恩義を感じる者たちは、火を取って露台を焼け。そうして、孔叔を救え」
原文を見る
「先代孔叔文子(圉)の恩義に感ずる者共は火を取って台を焼け。そうして孔叔を救え!」
露台の上にいた、位を奪った者は、大いに恐れ、石乞(せききつ)・盂黶(うえん)という二人の剣士に命じて、子路を討たせた。
原文を見る
台の上の簒奪者は大いに懼れ、石乞・盂黶の二剣士に命じて、子路を討たしめた。
子路は、二人を相手に、激しく斬り結んだ。
原文を見る
子路は二人を相手に激しく斬り結ぶ。
かつての勇者子路も、しかし、年齢には勝てなかった。
原文を見る
往年の勇者子路も、しかし、年には勝てぬ。
しだいに疲労が重なり、呼吸が乱れてくる。
原文を見る
次第に疲労が加わり、呼吸が乱れる。
子路の旗色が悪くなったのを見た群衆は、この時になって、ようやく自分たちの態度をはっきりさせた。
原文を見る
子路の旗色の悪いのを見た群集は、この時ようやく旗幟を明らかにした。
ののしり声が子路に向かって飛び、無数の石や棒が、子路の体に当たった。
原文を見る
罵声が子路に向って飛び、無数の石や棒が子路の身体に当った。
敵のほこの先が、頬をかすめた。
原文を見る
敵の戟の尖端が頬を掠めた。
纓(えい・冠のひも)が切れて、冠が落ちかかった。
原文を見る
纓(冠の紐)が断れて、冠が落ちかかる。
左手でそれを支えようとした途端、もう一人の敵の剣が肩先に食い込んだ。
原文を見る
左手でそれを支えようとした途端に、もう一人の敵の剣が肩先に喰い込む。
血がほとばしり、子路は倒れ、冠が落ちた。
原文を見る
血が迸り、子路は倒れ、冠が落ちる。
倒れながら、子路は手を伸ばして冠を拾い、正しく頭にかぶりなおすと、すばやく纓を結んだ。
原文を見る
倒れながら、子路は手を伸ばして冠を拾い、正しく頭に着けて素速く纓を結んだ。
敵の刃の下で、真っ赤に血を浴びた子路が、最期の力を振り絞って、大声で叫んだ。
原文を見る
敵の刃の下で、真赤に血を浴びた子路が、最期の力を絞って絶叫する。
「見よ。りっぱな人は、冠を正しくして、死ぬものだぞ」
原文を見る
「見よ! 君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」
全身をなますのように切り刻まれて、子路は死んだ。
原文を見る
全身膾のごとくに切り刻まれて、子路は死んだ。
魯にいて、遠く衛の政変を聞いた孔子は、即座に、「柴(さい・子羔の本名)は、きっと帰って来るだろう。由(子路)は、きっと死ぬだろう」
原文を見る
魯に在って遥かに衛の政変を聞いた孔子は即座に、「柴(子羔)や、それ帰らん。由や死なん。」
と言った。
原文を見る
と言った。
はたして、その言葉のとおりになったと知った時、老いた聖人は、しばらくの間、立ち尽くして目を閉じていた。やがて、とめどなく涙を流した。
原文を見る
果してその言のごとくなったことを知った時、老聖人は佇立瞑目することしばし、やがて潸然として涙下った。
子路の亡骸が、醢(ししびしお・肉を塩漬けにして刻んだ食べ物)にされたと聞くと、孔子は、家の中の塩漬け類をすべて捨てさせた。そして、その後、醢を、二度と食卓に出させなかったということである。
原文を見る
子路の屍が醢にされたと聞くや、家中の塩漬類をことごとく捨てさせ、爾後、醢は一切食膳に上さなかったということである。
(昭和十八年二月)
原文を見る
(昭和十八年二月)