トロッコ 現代語訳
芥川竜之介(あくたがわりゅうのすけ)・1968年
AI生成この訳はAI(claude-sonnet-4-6)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-23)
小田原と熱海のあいだに軽便鉄道を敷く工事が始まったのは、良平が八歳のときだった。
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小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。
良平は毎日、村のはずれまでその工事を見に行った。
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良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。
工事を見に行くといっても、ただトロッコで土を運ぶのが面白くて見に行っていたのだ。
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工事を――といったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。
トロッコの上には土工が二人、土を積んだ後ろに立っていた。
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トロッコの上には土工が二人、土を積んだ後に佇んでいる。
トロッコは山を下るのだから、誰も押さなくても自然に走ってくる。
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トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走って来る。
車台がふわふわと揺れたり、土工の半纏の裾がひらひらしたり、細い線路がしなったり――良平はそんな光景を眺めながら、土工になりたいと思うことがあった。
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煽るように車台が動いたり、土工の袢天の裾がひらついたり、細い線路がしなったり――良平はそんなけしきを眺めながら、土工になりたいと思う事がある。
せめて一度でいいから、土工といっしょにトロッコに乗りたいと思うこともあった。
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せめては一度でも土工と一しょに、トロッコへ乗りたいと思う事もある。
トロッコは村はずれの平地まで来ると、自然にそこで止まってしまう。
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トロッコは村外れの平地へ来ると、自然と其処に止まってしまう。
すると土工たちは身軽にトロッコから飛び降りるや、線路の終点に車の土をぶちまけた。
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と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。
それからまたトロッコを押しながら、もとの山の方へ向かって登り始める。
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それから今度はトロッコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。
良平はそのとき、乗れなくてもいいから押すだけでもやってみたいと思った。
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良平はその時乗れないまでも、押す事さえ出来たらと思うのである。
ある夕方のこと――それは二月の初めだった。
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或夕方、――それは二月の初旬だった。
良平は二つ下の弟と、弟と同い年の隣の子どもといっしょに、トロッコが置いてある村はずれへ行った。
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良平は二つ下の弟や、弟と同じ年の隣の子供と、トロッコの置いてある村外れへ行った。
トロッコは泥だらけのまま、薄明るい中に並んでいた。
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トロッコは泥だらけになったまま、薄明るい中に並んでいる。
けれどもそれ以外はどこを見ても、土工たちの姿は見当たらなかった。
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が、その外は何処を見ても、土工たちの姿は見えなかった。
三人の子どもはこわごわと、端にあるトロッコを押してみた。
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三人の子供は恐る恐る、一番端にあるトロッコを押した。
トロッコは三人の力が揃うと、突然ごろりと車輪が回った。
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トロッコは三人の力が揃うと、突然ごろりと車輪をまわした。
良平はこの音にぞくっとした。
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良平はこの音にひやりとした。
しかし二度目に車輪が鳴ったときは、もう驚かなかった。
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しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かさなかった。
ごろり、ごろり――トロッコはそんな音を立てながら、三人に押されてそろそろと線路を登っていった。
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ごろり、ごろり、――トロッコはそう云う音と共に、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登って行った。
そのうちにだいたい十間ほど進んだところで、線路の傾斜が急になり始めた。
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その内にかれこれ十間程来ると、線路の勾配が急になり出した。
トロッコは三人の力では、いくら押しても動かなくなった。
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トロッコも三人の力では、いくら押しても動かなくなった。
ときには車ごと押し戻されそうになることもあった。
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どうかすれば車と一しょに、押し戻されそうにもなる事がある。
良平はもういいと思ったので、年下の二人に合図をした。
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良平はもう好いと思ったから、年下の二人に合図をした。
「さあ、乗ろう!」
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「さあ、乗ろう!」
三人は一斉に手を放すと、トロッコの上へ飛び乗った。
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彼等は一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗った。
トロッコははじめゆっくりと、それからみるみる勢いよく、一気に線路を下り始めた。
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トロッコは最初徐ろに、それから見る見る勢よく、一息に線路を下り出した。
その途端に行く手の景色が、たちまち両側へ割れるように広がりながら、ぐんぐん目の前に迫ってくる。
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その途端につき当りの風景は、忽ち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。
顔に当たる夕暮れの風、足の下で跳ねるトロッコの揺れ――良平はほとんど夢中になった。
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顔に当る薄暮の風、足の下に躍るトロッコの動揺、――良平は殆ど有頂天になった。
しかしトロッコは二、三分後には、もとの終点に止まっていた。
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しかしトロッコは二三分の後、もうもとの終点に止まっていた。
「さあ、もう一度押すぞ!」
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「さあ、もう一度押すじゃあ」
良平は年下の二人といっしょに、またトロッコを押し上げにかかった。
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良平は年下の二人と一しょに、又トロッコを押し上げにかかった。
けれど車輪もまだ動かないうちに、突然うしろから誰かの足音が聞こえてきた。
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が、まだ車輪も動かない内に、突然彼等の後には、誰かの足音が聞え出した。
しかもそれは聞こえてきたと思ったとたん、急に怒鳴り声に変わった。
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のみならずそれは聞え出したと思うと、急にこう云う怒鳴り声に変った。
「このやろう!誰に断ってトロに触った?」
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「この野郎! 誰に断ってトロに触った?」
そこには古い印半纏に、季節外れの麦わら帽子をかぶった、背の高い土工が立っていた。――
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其処には古い印袢天に、季節外れの麦藁帽をかぶった、背の高い土工が佇んでいる。――
そんな姿が目に入ったとき、良平は年下の二人といっしょに、もう五、六間先まで逃げ出していた。――
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そう云う姿が目にはいった時、良平は年下の二人と一しょに、もう五六間逃げ出していた。――
それ以来良平は、使いの帰り道に人気のない工事場のトロッコを見かけても、二度と乗ってみようと思ったことはない。
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それぎり良平は使の帰りに、人気のない工事場のトロッコを見ても、二度と乗って見ようと思った事はない。
ただあのときの土工の姿は、今でも良平の頭のどこかに、はっきりした記憶として残っている。
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唯その時の土工の姿は、今でも良平の頭の何処かに、はっきりした記憶を残している。
薄明かりの中にぼんやり浮かんだ小さな黄色い麦わら帽子――しかしその記憶ですら、年を追うごとに色が薄れていくようだ。
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薄明りの中に仄めいた、小さい黄色の麦藁帽、――しかしその記憶さえも、年毎に色彩は薄れるらしい。
それから十日あまりたって、良平はまた一人で、昼過ぎの工事場に立ちながらトロッコが来るのを眺めていた。
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その後十日余りたってから、良平は又たった一人、午過ぎの工事場に佇みながら、トロッコの来るのを眺めていた。
すると土を積んだトロッコのほかに、枕木を積んだトロッコが一輛、本線になるはずの太い線路を登ってきた。
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すると土を積んだトロッコの外に、枕木を積んだトロッコが一輛、これは本線になる筈の、太い線路を登って来た。
このトロッコを押しているのは、二人とも若い男だった。
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このトロッコを押しているのは、二人とも若い男だった。
良平は彼らを見た瞬間から、何となく親しみやすそうな気がした。
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良平は彼等を見た時から、何だか親しみ易いような気がした。
「この人たちなら怒られない」
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「この人たちならば叱られない」
――そう思いながら、トロッコのそばへ駆けていった。
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――彼はそう思いながら、トロッコの側へ駈けて行った。
「おじさん、押してあげようか?」
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「おじさん。押してやろうか?」
そのうちの一人――縞のシャツを着ている男は、うつむいてトロッコを押したまま、思ったとおり気持ちのいい返事をした。
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その中の一人、――縞のシャツを着ている男は、俯向きにトロッコを押したまま、思った通り快い返事をした。
「おお、押してくれ」
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「おお、押してくよう」
良平は二人のあいだに入って、力いっぱい押し始めた。
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良平は二人の間にはいると、力一杯押し始めた。
「お前はなかなか力があるな」
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「われは中中力があるな」
もう一人――耳に巻きたばこを挟んだ男も、こうして良平を褒めてくれた。
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他の一人、――耳に巻煙草を挟んだ男も、こう良平を褒めてくれた。
そのうちに線路の傾斜は、だんだん楽になり始めた。
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その内に線路の勾配は、だんだん楽になり始めた。
「もう押さなくていい」
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「もう押さなくとも好い」
――良平は今にもそう言われるかと、内心ずっと気になっていた。
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――良平は今にも云われるかと内心気がかりでならなかった。
しかし若い二人の土工は、少し腰を起こしただけで、黙々と車を押し続けていた。
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が、若い二人の土工は、前よりも腰を起したぎり、黙黙と車を押し続けていた。
良平はとうとうこらえきれずに、おずおずとこんなことを聞いてみた。
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良平はとうとうこらえ切れずに、怯ず怯ずこんな事を尋ねて見た。
「ずっと押していていい?」
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「何時までも押していて好い?」
「いいとも」
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「好いとも」
二人は同時に返事をした。
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二人は同時に返事をした。
良平は「優しい人たちだ」
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良平は「優しい人たちだ」
と思った。
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と思った。
五、六町余り押し続けたところで、線路はもう一度急な坂になった。
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五六町余り押し続けたら、線路はもう一度急勾配になった。
両側のみかん畑には、黄色い実がいくつも日の光を浴びていた。
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其処には両側の蜜柑畑に、黄色い実がいくつも日を受けている。
「登り道の方がいい、いつまでも押させてくれるから」
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「登り路の方が好い、何時までも押させてくれるから」
――良平はそんなことを考えながら、全身を使ってトロッコを押した。
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――良平はそんな事を考えながら、全身でトロッコを押すようにした。
みかん畑のあいだを登りきると、急に線路は下り坂になった。
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蜜柑畑の間を登りつめると、急に線路は下りになった。
縞のシャツを着ている男は、良平に「おい、乗れ」
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縞のシャツを着ている男は、良平に「やい、乗れ」
と言った。
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と云った。
良平はすぐに飛び乗った。
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良平は直に飛び乗った。
トロッコは三人が乗り移ると同時に、みかん畑の香りを巻き上げながら、一気に線路を走り出した。
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トロッコは三人が乗り移ると同時に、蜜柑畑の匀を煽りながら、ひた辷りに線路を走り出した。
「押すよりも乗る方がずっといい」
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「押すよりも乗る方がずっと好い」
――良平は羽織に風をはらませながら、当たり前のことを考えた。
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――良平は羽織に風を孕ませながら、当り前の事を考えた。
「行きに押す場所が多ければ、帰りにまた乗る場所が多い」
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「行きに押す所が多ければ、帰りに又乗る所が多い」
――そんなことも考えたりした。
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――そうもまた考えたりした。
竹やぶのあるところまで来ると、トロッコは静かに走るのをやめた。
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竹藪のある所へ来ると、トロッコは静かに走るのを止めた。
三人はまた前と同じように、重いトロッコを押し始めた。
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三人は又前のように、重いトロッコを押し始めた。
竹やぶはいつの間にか雑木林になっていた。
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竹藪は何時か雑木林になった。
つま先上がりのあちこちには、赤さびた線路も見えないほど落ち葉が積もった場所もあった。
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爪先上りの所所には、赤錆の線路も見えない程、落葉のたまっている場所もあった。
その道をやっと登りきったら、今度は高い崖の向こうに、広々とした薄ら寒い海が広がった。
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その路をやっと登り切ったら、今度は高い崖の向うに、広広と薄ら寒い海が開けた。
と同時に良平の頭に、来すぎてしまったということが、急にはっきりと感じられた。
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と同時に良平の頭には、余り遠く来過ぎた事が、急にはっきりと感じられた。
三人はまたトロッコに乗った。
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三人は又トロッコへ乗った。
車は海を右手に見ながら、雑木の枝の下を走っていった。
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車は海を右にしながら、雑木の枝の下を走って行った。
しかし良平はさっきのように、楽しい気持ちにはなれなかった。
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しかし良平はさっきのように、面白い気もちにはなれなかった。
「もう帰ってくれればいい」
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「もう帰ってくれれば好い」
――彼はそう念じてみた。
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――彼はそうも念じて見た。
しかし行くところまで行かなければ、トロッコも彼らも帰れないことは、もちろん彼にもわかりきっていた。
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が、行く所まで行きつかなければ、トロッコも彼等も帰れない事は、勿論彼にもわかり切っていた。
次に車が止まったのは、切り崩した山を背にした、わら屋根の茶店の前だった。
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その次に車の止まったのは、切崩した山を背負っている、藁屋根の茶店の前だった。
二人の土工はその店に入ると、乳飲み子をおぶったおかみさんを相手に、ゆっくりとお茶などを飲み始めた。
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二人の土工はその店へはいると、乳呑児をおぶった上さんを相手に、悠悠と茶などを飲み始めた。
良平は一人でいらいらしながら、トロッコのまわりをぐるぐると歩き回った。
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良平は独りいらいらしながら、トロッコのまわりをまわって見た。
トロッコの頑丈な車台の板には、はねた泥が乾いてこびりついていた。
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トロッコには頑丈な車台の板に、跳ねかえった泥が乾いていた。
しばらくして茶店を出てきた際に、巻きたばこを耳に挟んでいた男は(そのときはもう挟んでいなかったが)、トロッコのそばにいた良平に新聞紙に包んだ駄菓子をくれた。
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少時の後茶店を出て来しなに、巻煙草を耳に挟んだ男は、(その時はもう挟んでいなかったが)トロッコの側にいる良平に新聞紙に包んだ駄菓子をくれた。
良平はぶっきらぼうに「ありがとう」
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良平は冷淡に「難有う」
と言った。
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と云った。
しかしすぐに、そっけなくしては相手に悪いと思い直した。
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が、直に冷淡にしては、相手にすまないと思い直した。
彼はそのそっけなさを取り繕うように、包みの菓子を一つ口に入れた。
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彼はその冷淡さを取り繕うように、包み菓子の一つを口へ入れた。
菓子には新聞紙に染み込んでいたらしい、石油の匂いがついていた。
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菓子には新聞紙にあったらしい、石油の匀がしみついていた。
三人はトロッコを押しながら、ゆるい傾斜を登っていった。
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三人はトロッコを押しながら緩い傾斜を登って行った。
良平は車に手をかけながらも、心は別のことを考えていた。
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良平は車に手をかけていても、心は外の事を考えていた。
その坂を向こうへ下りきると、また同じような茶店があった。
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その坂を向うへ下り切ると、又同じような茶店があった。
土工たちがその中に入った後、良平はトロッコに腰をかけながら、帰ることばかり気にしていた。
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土工たちがその中へはいった後、良平はトロッコに腰をかけながら、帰る事ばかり気にしていた。
茶店の前には花の咲いた梅の木に、西日の光が消えかかっていた。
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茶店の前には花のさいた梅に、西日の光が消えかかっている。
「もう日が暮れる」
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「もう日が暮れる」
――そう思うと、ぼんやり腰かけてもいられなかった。
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――彼はそう考えると、ぼんやり腰かけてもいられなかった。
トロッコの車輪を蹴ってみたり、一人では動かないとわかっていながら、うんうんそれを押してみたり――そんなことで気持ちを紛らわせていた。
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トロッコの車輪を蹴って見たり、一人では動かないのを承知しながらうんうんそれを押して見たり、――そんな事に気もちを紛らせていた。
ところが土工たちが出てくると、車の上の枕木に手をかけながら、さりげなくこう言った。
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ところが土工たちは出て来ると、車の上の枕木に手をかけながら、無造作に彼にこう云った。
「お前はもう帰れ。俺たちは今日は向こうに泊まるから」
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「われはもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだから」
「あんまり帰りが遅くなるとお前の家でも心配するだろう」
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「あんまり帰りが遅くなるとわれの家でも心配するずら」
良平は一瞬、呆然とした。
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良平は一瞬間呆気にとられた。
もうすぐ暗くなること、去年の暮れに母と岩村まで来たことがあるが、今日の道はその三、四倍あること、それをこれから一人きりで歩いて帰らなければならないこと――そうしたことが一度に頭の中に入ってきたのだ。
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もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――そう云う事が一時にわかったのである。
良平はほとんど泣きそうになった。
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良平は殆ど泣きそうになった。
しかし、泣いても仕方がないと思った。
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が、泣いても仕方がないと思った。
泣いている場合じゃないとも思った。
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泣いている場合ではないとも思った。
彼は若い二人の土工にとってつけたようにお辞儀をすると、どんどん線路沿いに走り出した。
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彼は若い二人の土工に、取って附けたような御時宜をすると、どんどん線路伝いに走り出した。
良平はしばらくのあいだ夢中で線路のそばを走り続けた。
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良平は少時無我夢中に線路の側を走り続けた。
そのうちにふところの菓子包みが邪魔になると気づいたから、それを道端に放り出すついでに、板草履もそこで脱ぎ捨ててしまった。
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その内に懐の菓子包みが、邪魔になる事に気がついたから、それを路側へ抛り出す次手に、板草履も其処へ脱ぎ捨ててしまった。
すると薄い足袋の裏に直接小石が食い込んだが、足だけははるかに軽くなった。
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すると薄い足袋の裏へじかに小石が食いこんだが、足だけは遙かに軽くなった。
彼は左に海を感じながら、急な坂道を駆け登った。
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彼は左に海を感じながら、急な坂路を駈け登った。
ときどき涙がこみ上げてくると、自然に顔がゆがんでくる。――
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時時涙がこみ上げて来ると、自然に顔が歪んで来る。――
それを無理に我慢しても、鼻だけはずっとくすくすと鳴り続けた。
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それは無理に我慢しても、鼻だけは絶えずくうくう鳴った。
竹やぶのそばを駆け抜けると、夕焼けに染まった日金山の空も、もう赤みが消えかかっていた。
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竹藪の側を駈け抜けると、夕焼けのした日金山の空も、もう火照りが消えかかっていた。
良平はいよいよ気が気ではなかった。
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良平は、愈気が気でなかった。
行きと帰りで通り方が違うためか、景色がいつもと違って見えるのも不安だった。
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往きと返りと変るせいか、景色の違うのも不安だった。
そのうえ今度は着物まで、汗でびっしょり濡れているのが気になったから、やはり必死に走り続けたまま、羽織を道端に脱いで捨てた。
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すると今度は着物までも、汗の濡れ通ったのが気になったから、やはり必死に駈け続けたなり、羽織を路側へ脱いで捨てた。
みかん畑あたりまで来るころには、あたりはどんどん暗くなる一方だった。
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蜜柑畑へ来る頃には、あたりは暗くなる一方だった。
「命さえ助かれば――」
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「命さえ助かれば――」
良平はそう思いながら、滑っても転びそうになっても走り続けた。
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良平はそう思いながら、辷ってもつまずいても走って行った。
やっと遠い夕闇の中に、村はずれの工事場が見えたとき、良平は一思いに泣き出したくなった。
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やっと遠い夕闇の中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。
しかしそのときも泣きべそはかいたが、とうとう泣かずに走り続けた。
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しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駈け続けた。
村に入ってみると、両側の家々にはもう電灯の光が灯っていた。
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彼の村へはいって見ると、もう両側の家家には、電燈の光がさし合っていた。
良平はその電灯の光の中で、自分の頭から汗の湯気が立ちのぼっているのが、自分でもはっきりわかった。
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良平はその電燈の光に、頭から汗の湯気の立つのが、彼自身にもはっきりわかった。
井戸端で水を汲んでいる女たちや、畑から帰ってくる男たちは、良平がぜいぜいしながら走るのを見て、「おい、どうしたの?」
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井戸端に水を汲んでいる女衆や、畑から帰って来る男衆は、良平が喘ぎ喘ぎ走るのを見ては、「おいどうしたね?」
などと声をかけた。
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などと声をかけた。
しかし彼は黙ったまま、雑貨屋や床屋など、明るい家の前を走り過ぎた。
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が、彼は無言のまま、雑貨屋だの床屋だの、明るい家の前を走り過ぎた。
自分の家の入口に駆け込んだとき、良平はとうとう大声で、わっと泣き出さずにはいられなかった。
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彼の家の門口へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。
その泣き声が、あっという間に父と母を呼び集めた。
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その泣き声は彼の周囲へ、一時に父や母を集まらせた。
とりわけ母は何か言いながら、良平の体を抱えるようにした。
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殊に母は何とか云いながら、良平の体を抱えるようにした。
しかし良平は手足をばたつかせながら、すすり上げすすり上げ泣き続けた。
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が、良平は手足をもがきながら、啜り上げ啜り上げ泣き続けた。
その声があまりにも激しかったからか、近所の女たちも三、四人、薄暗い入口に集まってきた。
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その声が余り激しかったせいか、近所の女衆も三四人、薄暗い門口へ集って来た。
父母はもちろん、その人たちも口々に、なぜ泣いているのかと尋ねた。
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父母は勿論その人たちは、口口に彼の泣く訣を尋ねた。
しかし彼は何を言われても、泣き続けるより他になかった。
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しかし彼は何と云われても泣き立てるより外に仕方がなかった。
あの遠い道を走り通してきた、今までの心細さを振り返ると、いくら大声で泣き続けても、まだ足りないような気持ちに追い立てられながら、…………
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あの遠い路を駈け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気もちに迫られながら、…………
良平は二十六歳のとき、妻子といっしょに東京へ出てきた。
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良平は二十六の年、妻子と一しょに東京へ出て来た。
今ではある雑誌社の二階で、校正の赤ペンを持って働いている。
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今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている。
しかし彼はどうかすると、まったく何の理由もないのに、あのときの自分のことを思い出すことがある。
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が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。
まったく何の理由もないのに?――
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全然何の理由もないのに?――
日々の疲れに沈んだ彼の前には、今でもあのときのように、薄暗いやぶや坂のある道が、細く一筋、途切れ途切れに続いている。…………
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塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。…………