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銀河鉄道の夜

宮沢賢治みやざわけんじ)・1969

原文出典: 青空文庫

AI生成この訳はAI(claude-opus-5)が原文から生成したものです(生成日: 2026-07-29

原文: 一 午後の授業
一 午後の授業
原文: 「ではみなさんは、そういうふうに川だとわれたり、ちちながれたあとだとわれたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知しょうちですか」
「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものが本当は何か、ご存じですか」
原文: 先生は、黒板こくばんにつるした大きな黒い星座せいざの図の、上から下へ白くけぶった銀河帯ぎんがたいのようなところをしながら、みんなにいをかけました。
先生は、黒板につるした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問いかけました。
原文: カムパネルラが手をあげました。
カムパネルラが手をあげました。
原文: それから四、五人手をあげました。
それから四、五人手をあげました。
原文: ジョバンニも手をあげようとして、いそいでそのままやめました。
ジョバンニも手をあげようとして、急いでそのままやめました。
原文: たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌ざっしで読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持きもちがするのでした。
たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろのジョバンニはまるで毎日教室でも眠く、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。
原文: ところが先生は早くもそれを見つけたのでした。
ところが先生は早くもそれを見つけたのでした。
原文: 「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう」
「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう」
原文: ジョバンニはいきおいよく立ちあがりましたが、立ってみるともうはっきりとそれを答えることができないのでした。
ジョバンニは勢いよく立ちあがりましたが、立ってみるともうはっきりとそれを答えることができないのでした。
原文: ザネリが前のせきからふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。
ザネリが前の席からふりかえって、ジョバンニを見てくすっと笑いました。
原文: ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。
ジョバンニはもうどぎまぎして真っ赤になってしまいました。
原文: 先生がまたいました。
先生がまた言いました。
原文: 「大きな望遠鏡ぼうえんきょう銀河ぎんがをよっく調しらべると銀河ぎんがはだいたい何でしょう」
「大きな望遠鏡で銀河をよく調べると、銀河はだいたい何でしょう」
原文: やっぱり星だとジョバンニは思いましたが、こんどもすぐに答えることができませんでした。
やっぱり星だとジョバンニは思いましたが、こんどもすぐに答えることができませんでした。
原文: 先生はしばらくこまったようすでしたが、をカムパネルラの方へけて、
先生はしばらく困ったようすでしたが、目をカムパネルラの方へ向けて、
原文: 「ではカムパネルラさん」
「ではカムパネルラさん」
原文: 名指なざしました。
と名指しました。
原文: するとあんなに元気に手をあげたカムパネルラが、やはりもじもじ立ち上がったままやはり答えができませんでした。
するとあんなに元気に手をあげたカムパネルラが、やはりもじもじ立ち上がったまま、やはり答えることができませんでした。
原文: 先生は意外いがいなようにしばらくじっとカムパネルラを見ていましたが、いそいで、
先生は意外そうに、しばらくじっとカムパネルラを見ていましたが、急いで、
原文: 「では、よし」
「では、よし」
原文: いながら、自分で星図をしました。
と言いながら、自分で星図を指しました。
原文: 「このぼんやりと白い銀河ぎんがを大きないい望遠鏡ぼうえんきょうで見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョバンニさんそうでしょう」
「このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョバンニさん、そうでしょう」
原文: ジョバンニはまっになってうなずきました。
ジョバンニは真っ赤になってうなずきました。
原文: けれどもいつかジョバンニののなかにはなみだがいっぱいになりました。
けれどもいつのまにか、ジョバンニの目のなかには涙がいっぱいになりました。
原文: そうだぼくは知っていたのだ、もちろんカムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士はかせのうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌ざっしのなかにあったのだ。
そうだ僕は知っていたのだ、もちろんカムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちで、カムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。
原文: それどこでなくカムパネルラは、その雑誌ざっしを読むと、すぐお父さんの書斎しょさいからおおきな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、まっ黒なページいっぱいに白に点々てんてんのあるうつくしい写真しゃしんを二人でいつまでも見たのでした。
それどころかカムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎から大きな本をもってきて、銀河というところをひろげ、真っ黒なページいっぱいに白い点々のある美しい写真を、二人でいつまでも見たのでした。
原文: それをカムパネルラがわすれるはずもなかったのに、すぐに返事へんじをしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午後にも仕事しごとがつらく、学校に出てももうみんなともはきはきあそばず、カムパネルラともあんまり物をわないようになったので、カムパネルラがそれを知ってきのどくがってわざと返事へんじをしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。
それをカムパネルラが忘れるはずもなかったのに、すぐに返事をしなかったのは、このごろ僕が、朝にも午後にも仕事がつらく、学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあまり物を言わないようになったので、カムパネルラがそれを知って気の毒がり、わざと返事をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、自分もカムパネルラもあわれなような気がするのでした。
原文: 先生はまたいました。
先生はまた言いました。
原文: 「ですからもしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこのすな砂利じゃりつぶにもあたるわけです。またこれをおおきなちちながれと考えるなら、もっと天の川とよくています。つまりその星はみな、ちちのなかにまるでこまかにうかんでいる脂油あぶらたまにもあたるのです。そんなら何がその川の水にあたるかといますと、それは真空しんくうという光をあるはやさでつたえるもので、太陽たいよう地球ちきゅうもやっぱりそのなかにかんでいるのです。つまりはわたしどもも天の川の水のなかにんでいるわけです。そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、天の川のそこふかく遠いところほど星がたくさん集まって見え、したがって白くぼんやり見えるのです。この模型もけいをごらんなさい」
「ですから、もしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんな、その川の底の砂や砂利の粒にあたるわけです。またこれを大きな乳の流れと考えるなら、もっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかに細かく浮かんでいる脂の玉にあたるのです。それなら何がその川の水にあたるかと言いますと、それは真空という、光をある速さで伝えるもので、太陽や地球もやっぱりそのなかに浮かんでいるのです。つまりは私たちも天の川の水のなかに住んでいるわけです。そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集まって見え、だから白くぼんやり見えるのです。この模型をごらんなさい」
原文: 先生は中にたくさん光るすなのつぶのはいった大きな両面りょうめんとつレンズをしました。
先生は、中にたくさん光る砂の粒のはいった、大きな両面の凸レンズを指しました。
原文: 「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶがみんなわたしどもの太陽たいようと同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽たいようがこのほぼ中ごろにあって地球ちきゅうがそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズがうすいのでわずかの光るつぶすなわち星しか見えないでしょう。こっちやこっちの方はガラスがあついので、光るつぶすなわち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるという、これがつまり今日の銀河ぎんがせつなのです。そんならこのレンズの大きさがどれくらいあるか、またその中のさまざまの星についてはもう時間ですから、このつぎの理科の時間にお話します。では今日はその銀河ぎんがのおまつりなのですから、みなさんは外へでてよくそらをごらんなさい。ではここまでです。本やノートをおしまいなさい」
「天の川の形はちょうどこんなふうなのです。このいちいちの光る粒がみんな、私たちの太陽と同じように自分で光っている星だと考えます。私たちの太陽がこのほぼ真ん中にあって、地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこの真ん中に立って、このレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄いので、わずかの光る粒、つまり星しか見えないでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒、つまり星がたくさん見え、その遠いものはぼうっと白く見える。これがつまり今日の銀河の説なのです。それなら、このレンズの大きさがどれくらいあるか、またその中のさまざまな星については、もう時間ですから、この次の理科の時間にお話しします。では今日はその銀河のお祭りなのですから、みなさんは外へ出てよく空をごらんなさい。ではここまでです。本やノートをしまいなさい」
原文: そして教室じゅうはしばらくつくえふたをあけたりしめたり本をかさねたりする音がいっぱいでしたが、まもなくみんなはきちんと立ってれいをすると教室を出ました。
そして教室じゅうはしばらく、机のふたをあけたりしめたり本を重ねたりする音でいっぱいでしたが、まもなくみんなはきちんと立って礼をすると、教室を出ました。
原文: 二 活版所かっぱんじょ
二 活版所
原文: ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七、八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭こうていすみさくらの木のところにあつまっていました。
ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七、八人は家へ帰らず、カムパネルラを真ん中にして校庭の隅の桜の木のところに集まっていました。
原文: それはこんやの星祭ほしまつりに青いあかりをこしらえて川へなが烏瓜からすうりりに行く相談そうだんらしかったのです。
それは今夜の星祭りに青いあかりをこしらえて川へ流す、烏瓜を取りに行く相談らしかったのです。
原文: けれどもジョバンニは手を大きくってどしどし学校のもんを出て来ました。
けれどもジョバンニは手を大きく振って、どしどし学校の門を出て来ました。
原文: すると町の家々ではこんやの銀河ぎんがまつりにいちいのたまをつるしたり、ひのきのえだにあかりをつけたり、いろいろしたくをしているのでした。
すると町の家々では、今夜の銀河の祭りに、いちいの葉の玉をつるしたり、ひのきの枝にあかりをつけたり、いろいろ支度をしているのでした。
原文: 家へは帰らずジョバンニが町を三つがってある大きな活版所かっぱんじょにはいってくつをぬいで上がりますと、き当たりの大きなとびらをあけました。
家へは帰らず、ジョバンニが町を三つ曲がって、ある大きな活版所にはいって靴をぬいで上がりますと、突き当たりの大きな扉をあけました。
原文: 中にはまだひるなのに電燈でんとうがついて、たくさんの輪転機りんてんきがばたりばたりとまわり、きれで頭をしばったりラムプシェードをかけたりした人たちが、何か歌うように読んだり数えたりしながらたくさんはたらいておりました。
中にはまだ昼なのに電灯がついて、たくさんの輪転機がばたりばたりとまわり、布で頭をしばったりランプシェードをかけたりした人たちが、何か歌うように読んだり数えたりしながら、たくさん働いておりました。
原文: ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子テーブルにすわった人のところへ行っておじぎをしました。
ジョバンニはすぐ入口から三番目の高いテーブルにすわった人のところへ行って、おじぎをしました。
原文: その人はしばらくたなをさがしてから、
その人はしばらく棚をさがしてから、
原文: 「これだけひろって行けるかね」
「これだけ拾って行けるかね」
原文: いながら、一枚の紙切れをわたしました。
と言いながら、一枚の紙切れを渡しました。
原文: ジョバンニはその人の卓子テーブルの足もとから一つの小さなひらたいはこをとりだしてこうの電燈でんとうのたくさんついた、たてかけてあるかべすみところへしゃがみむと、小さなピンセットでまるで粟粒あわつぶぐらいの活字かつじつぎからつぎへとひろいはじめました。
ジョバンニはその人のテーブルの足もとから一つの小さな平たい箱をとりだして、向こうの電灯のたくさんついた、立てかけてある壁の隅のところへしゃがみ込むと、小さなピンセットで、まるで粟粒ぐらいの活字を次から次へと拾いはじめました。
原文: 青いむねあてをした人がジョバンニのうしろを通りながら、
青い胸あてをした人がジョバンニのうしろを通りながら、
原文: 「よう、虫めがねくん、お早う」
「よう、虫めがね君、おはよう」
原文: いますと、近くの四、五人の人たちが声もたてずこっちもかずにつめたくわらいました。
と言いますと、近くの四、五人の人たちが、声もたてず、こっちも向かずに冷たく笑いました。
原文: ジョバンニは何べんもをぬぐいながら活字かつじをだんだんひろいました。
ジョバンニは何度も目をぬぐいながら、活字をだんだん拾いました。
原文: 六時がうってしばらくたったころ、ジョバンニはひろった活字かつじをいっぱいに入れたひらたいはこをもういちど手にもった紙きれと引き合わせてから、さっきの卓子テーブルの人へって来ました。
六時が鳴ってしばらくたったころ、ジョバンニは拾った活字をいっぱいに入れた平たい箱を、もういちど手にもった紙きれと引き合わせてから、さっきのテーブルの人のところへ持って来ました。
原文: その人はだまってそれをってかすかにうなずきました。
その人は黙ってそれを受け取り、かすかにうなずきました。
原文: ジョバンニはおじぎをするととびらをあけて計算台のところに来ました。
ジョバンニはおじぎをすると、扉をあけて計算台のところに来ました。
原文: すると白服しろふくた人がやっぱりだまって小さな銀貨ぎんかを一つジョバンニにわたしました。
すると白い服を着た人が、やっぱり黙って小さな銀貨を一つジョバンニに渡しました。
原文: ジョバンニはにわかに顔いろがよくなって威勢いせいよくおじぎをすると、台の下にいたかばんをもっておもてへびだしました。
ジョバンニはにわかに顔いろがよくなって、威勢よくおじぎをすると、台の下に置いた鞄をもって表へ飛びだしました。
原文: それから元気よく口笛くちぶえきながらパンってパンのかたまりを一つと角砂糖かくざとうを一ふくろ買いますといちもくさんに走りだしました。
それから元気よく口笛を吹きながらパン屋へ寄って、パンのかたまりを一つと角砂糖を一袋買いますと、いちもくさんに走りだしました。
原文: 三 家
三 家
原文: ジョバンニがいきおいよく帰って来たのは、ある裏町うらまちの小さな家でした。
ジョバンニが勢いよく帰って来たのは、ある裏町の小さな家でした。
原文: その三つならんだ入口のいちばん左側ひだりがわには空箱あきばこむらさきいろのケールやアスパラガスがえてあって小さな二つのまどには日覆ひおおいがおりたままになっていました。
その三つならんだ入口のいちばん左側には、空き箱に紫いろのケールやアスパラガスが植えてあって、小さな二つの窓には日よけがおりたままになっていました。
原文: 「お母さん、いま帰ったよ。ぐあいわるくなかったの」
「お母さん、いま帰ったよ。ぐあい悪くなかったの」
原文: ジョバンニはくつをぬぎながら言いました。
ジョバンニは靴をぬぎながら言いました。
原文: 「ああ、ジョバンニ、お仕事しごとがひどかったろう。今日きょうすずしくてね。わたしはずうっとぐあいがいいよ」
「ああ、ジョバンニ、お仕事がひどかったろう。今日は涼しくてね。わたしはずっとぐあいがいいよ」
原文: ジョバンニは玄関げんかんを上がって行きますとジョバンニのお母さんがすぐ入口のへやに白いきれをかぶってやすんでいたのでした。
ジョバンニが玄関を上がって行きますと、ジョバンニのお母さんが、すぐ入口の部屋に白い布をかぶって休んでいたのでした。
原文: ジョバンニはまどをあけました。
ジョバンニは窓をあけました。
原文: 「お母さん、今日は角砂糖かくざとうを買ってきたよ。牛乳ぎゅうにゅうに入れてあげようと思って」
「お母さん、今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って」
原文: 「ああ、お前さきにおあがり。あたしはまだほしくないんだから」
「ああ、おまえが先におあがり。あたしはまだほしくないんだから」
原文: 「お母さん。ねえさんはいつ帰ったの」
「お母さん。姉さんはいつ帰ったの」
原文: 「ああ、三時ころ帰ったよ。みんなそこらをしてくれてね」
「ああ、三時ごろ帰ったよ。いろいろそこらを片づけてくれてね」
原文: 「お母さんの牛乳ぎゅうにゅうは来ていないんだろうか」
「お母さんの牛乳は来ていないんだろうか」
原文: 「来なかったろうかねえ」
「来なかったろうかねえ」
原文: 「ぼく行ってとって来よう」
「ぼく、行ってとって来よう」
原文: 「ああ、あたしはゆっくりでいいんだからお前さきにおあがり、ねえさんがね、トマトで何かこしらえてそこへいて行ったよ」
「ああ、あたしはゆっくりでいいんだから、おまえが先におあがり。姉さんがね、トマトで何かこしらえて、そこへ置いて行ったよ」
原文: 「ではぼくたべよう」
「ではぼく、食べよう」
原文: ジョバンニはまどのところからトマトのさらをとってパンといっしょにしばらくむしゃむしゃたべました。
ジョバンニは窓のところからトマトの皿をとって、パンといっしょにしばらくむしゃむしゃ食べました。
原文: 「ねえお母さん。ぼくお父さんはきっとまもなく帰ってくると思うよ」
「ねえお母さん。ぼく、お父さんはきっとまもなく帰ってくると思うよ」
原文: 「ああ、あたしもそう思う。けれどもおまえはどうしてそう思うの」
「ああ、あたしもそう思う。けれどもおまえはどうしてそう思うの」
原文: 「だって今朝けさの新聞に今年は北の方のりょうはたいへんよかったと書いてあったよ」
「だって今朝の新聞に、今年は北の方の漁はたいへんよかったと書いてあったよ」
原文: 「ああだけどねえ、お父さんはりょうへ出ていないかもしれない」
「ああ、だけどねえ、お父さんは漁へ出ていないかもしれない」
原文: 「きっと出ているよ。お父さんが監獄かんごくへはいるようなそんなわるいことをしたはずがないんだ。この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈きぞうしたおおきなかにこうらだのとなかいのつのだの今だってみんな標本室ひょうほんしつにあるんだ。六年生なんか授業じゅぎょうのとき先生がかわるがわる教室へって行くよ」
「きっと出ているよ。お父さんが監獄へはいるような、そんな悪いことをしたはずがないんだ。この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈した大きな蟹の甲らだの、トナカイの角だの、今だってみんな標本室にあるんだ。六年生なんか、授業のとき先生がかわるがわる教室へ持って行くよ」
原文: 「お父さんはこのつぎはおまえにラッコの上着うわぎをもってくるといったねえ」
「お父さんはこの次はおまえにラッコの上着をもってくると言ったねえ」
原文: 「みんながぼくにあうとそれをうよ。ひやかすようにうんだ」
「みんながぼくに会うとそれを言うよ。ひやかすように言うんだ」
原文: 「おまえに悪口わるくちうの」
「おまえに悪口を言うの」
原文: 「うん、けれどもカムパネルラなんかけっしてわない。カムパネルラはみんながそんなことをうときはきのどくそうにしているよ」
「うん、けれどもカムパネルラなんか決して言わない。カムパネルラは、みんながそんなことを言うときは気の毒そうにしているよ」
原文: 「カムパネルラのお父さんとうちのお父さんとは、ちょうどおまえたちのように小さいときからのお友達ともだちだったそうだよ」
「カムパネルラのお父さんと、うちのお父さんとは、ちょうどおまえたちのように小さいときからのお友達だったそうだよ」
原文: 「ああだからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへもつれて行ったよ。あのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰る途中とちゅうたびたびカムパネルラのうちにった。カムパネルラのうちにはアルコールランプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合わせるとまるくなってそれに電柱でんちゅう信号標しんごうひょうもついていて信号標しんごうひょうのあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油せきゆをつかったら、かんがすっかりすすけたよ」
「ああ、だからお父さんはぼくをつれて、カムパネルラのうちへも連れて行ったよ。あのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰る途中、たびたびカムパネルラのうちに寄った。カムパネルラのうちにはアルコールランプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合わせると丸くなって、それに電柱や信号標もついていて、信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油を使ったら、缶がすっかりすすけたよ」
原文: 「そうかねえ」
「そうかねえ」
原文: 「いまも毎朝新聞をまわしに行くよ。けれどもいつでも家じゅうまだしいんとしているからな」
「いまも毎朝新聞をまわしに行くよ。けれどもいつでも家じゅうまだしんとしているからな」
原文: 「早いからねえ」
「早いからねえ」
原文: 「ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるでほうきのようだ。ぼくが行くとはなを鳴らしてついてくるよ。ずうっと町のかどまでついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜からすうりのあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ」
「ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるでほうきのようだ。ぼくが行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ずっと町の角までついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜のあかりを川へ流しに行くんだって。きっと犬もついて行くよ」
原文: 「そうだ。今晩こんばん銀河ぎんがのおまつりだねえ」
「そうだ。今晩は銀河のお祭りだねえ」
原文: 「うん。ぼく牛乳ぎゅうにゅうをとりながら見てくるよ」
「うん。ぼく、牛乳をとりながら見てくるよ」
原文: 「ああ行っておいで。川へははいらないでね」
「ああ、行っておいで。川へははいらないでね」
原文: 「ああぼくきしから見るだけなんだ。一時間で行ってくるよ」
「ああ、ぼく、岸から見るだけなんだ。一時間で行ってくるよ」
原文: 「もっとあそんでおいで。カムパネルラさんといっしょなら心配しんぱいはないから」
「もっと遊んでおいで。カムパネルラさんといっしょなら心配はないから」
原文: 「ああきっといっしょだよ。お母さん、窓をしめておこうか」
「ああ、きっといっしょだよ。お母さん、窓をしめておこうか」
原文: 「ああ、どうか。もうすずしいからね」
「ああ、どうか。もう涼しいからね」
原文: ジョバンニは立ってまどをしめ、おさらやパンのふくろをかたづけるといきおいよくくつをはいて、
ジョバンニは立って窓をしめ、お皿やパンの袋をかたづけると、勢いよく靴をはいて、
原文: 「では一時間はんで帰ってくるよ」
「では一時間半で帰ってくるよ」
原文: いながらくら戸口とぐちを出ました。
と言いながら、暗い戸口を出ました。
原文: 四 ケンタウルさいの夜
四 ケンタウル祭の夜
原文: ジョバンニは、口笛くちぶえいているようなさびしい口つきで、ひのきのまっ黒にならんだ町のさかをおりて来たのでした。
ジョバンニは、口笛を吹いているようなさびしい口つきで、ひのきが真っ黒にならんだ町の坂をおりて来たのでした。
原文: さかの下に大きな一つの街燈がいとうが、青白く立派りっぱに光って立っていました。
坂の下に大きな一つの街灯が、青白く立派に光って立っていました。
原文: ジョバンニが、どんどん電燈でんとうの方へおりて行きますと、いままでばけもののように、長くぼんやり、うしろへ引いていたジョバンニのかげぼうしは、だんだんく黒くはっきりなって、足をあげたり手をったり、ジョバンニのよこの方へまわって来るのでした。
ジョバンニがどんどん電灯の方へおりて行きますと、いままで化け物のように長くぼんやりとうしろへ引いていたジョバンニの影ぼうしは、だんだん濃く黒くはっきりしてきて、足をあげたり手を振ったり、ジョバンニの横の方へまわって来るのでした。
原文: (ぼくは立派りっぱ機関車きかんしゃだ。
(ぼくは立派な機関車だ。
原文: ここは勾配こうばいだからはやいぞ。
ここは坂道だから速いぞ。
原文: ぼくはいまその電燈でんとうを通りす。
ぼくはいまその電灯を通り越す。
原文: そうら、こんどはぼくの影法師かげぼうしはコンパスだ。
そうら、こんどはぼくの影法師はコンパスだ。
原文: あんなにくるっとまわって、前の方へ来た)
あんなにくるっとまわって、前の方へ来た)
原文: とジョバンニが思いながら、大股おおまたにその街燈がいとうの下を通りぎたとき、いきなりひるまのザネリが、新しいえりのとがったシャツをて、電燈でんとうこうがわくら小路こうじから出て来て、ひらっとジョバンニとすれちがいました。
とジョバンニが思いながら、大股にその街灯の下を通り過ぎたとき、いきなり昼間のザネリが、新しいえりのとがったシャツを着て、電灯の向こう側の暗い小路から出て来て、ひらっとジョバンニとすれちがいました。
原文: 「ザネリ、烏瓜からすうりながしに行くの」
「ザネリ、烏瓜を流しに行くの」
原文: ジョバンニがまだそうってしまわないうちに、
ジョバンニがまだそう言い終わらないうちに、
原文: 「ジョバンニ、お父さんから、ラッコの上着うわぎが来るよ」
「ジョバンニ、お父さんから、ラッコの上着が来るよ」
原文: その子がげつけるようにうしろからさけびました。
その子が投げつけるように、うしろから叫びました。
原文: ジョバンニは、ばっとむねがつめたくなり、そこらじゅうきいんと鳴るように思いました。
ジョバンニは、ばっと胸がつめたくなり、そこらじゅうがきいんと鳴るように思いました。
原文: 「なんだい、ザネリ」
「なんだい、ザネリ」
原文: とジョバンニは高くさけかえしましたが、もうザネリはこうのひばのわった家の中へはいっていました。
とジョバンニは高く叫び返しましたが、もうザネリは向こうのひばの植わった家の中へはいっていました。
原文: (ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことをうのだろう。
(ザネリはどうして、ぼくがなんにもしないのにあんなことを言うのだろう。
原文: 走るときはまるでねずみのようなくせに。
走るときはまるでねずみのようなくせに。
原文: ぼくがなんにもしないのにあんなことをうのはザネリがばかなからだ)
ぼくがなんにもしないのにあんなことを言うのは、ザネリがばかだからだ)
原文: ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、さまざまのあかりや木のえだで、すっかりきれいにかざられたまちを通って行きました。
ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、さまざまの灯や木の枝ですっかりきれいに飾られた街を通って行きました。
原文: 時計屋とけいやの店には明るくネオンとうがついて、一びょうごとに石でこさえたふくろうの赤いが、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石ほうせきが海のような色をしたあつ硝子ガラスばんって、星のようにゆっくりめぐったり、またこうがわから、どうの人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。
時計屋の店には明るくネオン灯がついて、一秒ごとに石でこしらえたふくろうの赤い目が、くるっくるっと動いたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚いガラスの盤に載って、星のようにゆっくりめぐったり、また向こう側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。
原文: そのまん中にまるい黒い星座早見せいざはやみが青いアスパラガスのかざってありました。
そのまん中に、丸い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。
原文: ジョバンニはわれをわすれて、その星座せいざの図に見入りました。
ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入りました。
原文: それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですが、その日と時間に合わせてばんをまわすと、そのとき出ているそらがそのまま楕円形だえんけいのなかにめぐってあらわれるようになっており、やはりそのまん中には上から下へかけて銀河ぎんががぼうとけむったようなおびになって、その下の方ではかすかに爆発ばくはつしてげでもあげているように見えるのでした。
それは昼に学校で見たあの図よりはずっと小さかったのですが、その日と時間に合わせて盤をまわすと、そのとき出ている空がそのまま楕円形のなかにめぐってあらわれるようになっており、やはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうっとけむったような帯になって、その下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげているように見えるのでした。
原文: またそのうしろには三本のあしのついた小さな望遠鏡ぼうえんきょうが黄いろに光って立っていましたし、いちばんうしろのかべには空じゅうの星座せいざをふしぎなけものへびや魚やびんの形に書いた大きながかかっていました。
またそのうしろには三本の脚のついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立っていましたし、いちばんうしろの壁には、空じゅうの星座をふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形に描いた大きな図がかかっていました。
原文: ほんとうにこんなようなさそりだの勇士ゆうしだのそらにぎっしりいるだろうか、ああぼくはその中をどこまでも歩いてみたいと思ってたりしてしばらくぼんやり立っていました。
ほんとうにこんなような蠍だの勇士だのが空にぎっしりいるだろうか、ああぼくはその中をどこまでも歩いてみたい、などと思ったりして、しばらくぼんやり立っていました。
原文: それからにわかにお母さんの牛乳ぎゅうにゅうのことを思いだしてジョバンニはその店をはなれました。
それからにわかにお母さんの牛乳のことを思いだして、ジョバンニはその店をはなれました。
原文: そしてきゅうくつな上着うわぎかたを気にしながら、それでもわざとむねって大きく手をって町を通って行きました。
そしてきゅうくつな上着の肩を気にしながら、それでもわざと胸を張って大きく手を振って、町を通って行きました。
原文: 空気はみきって、まるで水のように通りや店の中をながれましたし、街燈がいとうはみなまっ青なもみやならえだつつまれ、電気会社の前の六本のプラタナスの木などは、中にたくさんの豆電燈まめでんとうがついて、ほんとうにそこらは人魚のみやこのように見えるのでした。
空気は澄みきって、まるで水のように通りや店の中を流れましたし、街灯はみな真っ青なもみや楢の枝で包まれ、電気会社の前の六本のプラタナスの木などは、中にたくさんの豆電灯がついて、ほんとうにそこらは人魚の都のように見えるのでした。
原文: 子どもらは、みんな新しいおりのついた着物きものて、星めぐりの口笛くちぶえいたり、
子どもらは、みんな新しい折り目のついた着物を着て、星めぐりの口笛を吹いたり、
原文: 「ケンタウルス、つゆをふらせ」
「ケンタウルス、露をふらせ」
原文: さけんで走ったり、青いマグネシヤの花火をしたりして、たのしそうにあそんでいるのでした。
と叫んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃やしたりして、たのしそうに遊んでいるのでした。
原文: けれどもジョバンニは、いつかまたふかくびをたれて、そこらのにぎやかさとはまるでちがったことを考えながら、牛乳屋ぎゅうにゅうやの方へいそぐのでした。
けれどもジョバンニは、いつのまにかまた深く首をたれて、そこらのにぎやかさとはまるでちがったことを考えながら、牛乳屋の方へ急ぐのでした。
原文: ジョバンニは、いつか町はずれのポプラの木が幾本いくほん幾本いくほんも、高く星ぞらにかんでいるところに来ていました。
ジョバンニは、いつのまにか町はずれの、ポプラの木が何本も何本も高く星空に浮かんでいるところに来ていました。
原文: その牛乳屋ぎゅうにゅうやの黒いもんをはいり、牛のにおいのするうすくらい台所だいどころの前に立って、ジョバンニは帽子ぼうしをぬいで、
その牛乳屋の黒い門をはいり、牛のにおいのするうす暗い台所の前に立って、ジョバンニは帽子をぬいで、
原文: 今晩こんばんは」
「今晩は」
原文: いましたら、家の中はしいんとしてだれもいたようではありませんでした。
と言いましたら、家の中はしんとして、誰もいないようでした。
原文: 今晩こんばんは、ごめんなさい」
「今晩は、ごめんください」
原文: ジョバンニはまっすぐに立ってまたさけびました。
ジョバンニはまっすぐに立って、また叫びました。
原文: するとしばらくたってから、年とった女の人が、どこかぐあいがわるいようにそろそろと出て来て、何か用かと口の中でいました。
するとしばらくたってから、年とった女の人が、どこかぐあいが悪いようにそろそろと出て来て、何か用かと口の中で言いました。
原文: 「あの、今日、牛乳ぎゅうにゅうぼく※とこへ来なかったので、もらいにあがったんです」
「あの、今日、牛乳がぼく※とこへ来なかったので、もらいにあがったんです」
原文: ジョバンニが一生けんめいいきおいよくいました。
ジョバンニが一生けんめい勢いよく言いました。
原文: 「いまだれもいないでわかりません。あしたにしてください」
「いま誰もいなくてわかりません。あしたにしてください」
原文: その人は赤いの下のとこをこすりながら、ジョバンニを見おろしていました。
その人は赤い目の下のところをこすりながら、ジョバンニを見おろして言いました。
原文: 「おっかさんが病気びょうきなんですから今晩こんばんでないとこまるんです」
「お母さんが病気なんですから、今晩でないと困るんです」
原文: 「ではもう少したってから来てください」
「ではもう少したってから来てください」
原文: その人はもう行ってしまいそうでした。
その人はもう行ってしまいそうでした。
原文: 「そうですか。ではありがとう」
「そうですか。ではありがとう」
原文: ジョバンニは、お辞儀じぎをして台所だいどころから出ました。
ジョバンニは、おじぎをして台所から出ました。
原文: 十字になった町のかどを、まがろうとしましたら、こうのはしへ行く方の雑貨店ざっかてんの前で、黒いかげやぼんやり白いシャツが入りみだれて、六、七人の生徒らが、口笛くちぶえいたりわらったりして、めいめい烏瓜からすうり燈火あかりってやってるのをました。
十字になった町のかどをまがろうとしましたら、向こうの橋へ行く方の雑貨店の前で、黒い影やぼんやり白いシャツが入り乱れて、六、七人の生徒たちが口笛を吹いたり笑ったりして、めいめい烏瓜のあかりを持ってやって来るのを見ました。
原文: そのわらい声も口笛くちぶえも、みんな聞きおぼえのあるものでした。
その笑い声も口笛も、みんな聞きおぼえのあるものでした。
原文: ジョバンニの同級どうきゅう子供こどもらだったのです。
ジョバンニの同級の子どもらだったのです。
原文: ジョバンニは思わずどきっとしてもどろうとしましたが、思いなおして、いっそういきおいよくそっちへ歩いて行きました。
ジョバンニは思わずどきっとして戻ろうとしましたが、思い直して、いっそう勢いよくそっちへ歩いて行きました。
原文: 「川へ行くの」
「川へ行くの」
原文: ジョバンニがおうとして、少しのどがつまったように思ったとき、
ジョバンニがそう言おうとして、少しのどがつまったように思ったとき、
原文: 「ジョバンニ、ラッコの上着うわぎが来るよ」
「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ」
原文: さっきのザネリがまたさけびました。
さっきのザネリがまた叫びました。
原文: 「ジョバンニ、ラッコの上着うわぎが来るよ」
「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ」
原文: すぐみんなが、つづいてさけびました。
すぐみんなが、続いて叫びました。
原文: ジョバンニはまっ赤になって、もう歩いているかもわからず、いそいで行きすぎようとしましたら、そのなかにカムパネルラがいたのです。
ジョバンニは真っ赤になって、もう歩いているかどうかもわからず、急いで行き過ぎようとしましたら、そのなかにカムパネルラがいたのです。
原文: カムパネルラはきのどくそうに、だまって少しわらって、おこらないだろうかというようにジョバンニの方を見ていました。
カムパネルラは気の毒そうに、だまって少し笑って、おこらないだろうかというように、ジョバンニの方を見ていました。
原文: ジョバンニは、にげるようにそのけ、そしてカムパネルラのせいの高いかたちがぎて行ってまもなく、みんなはてんでに口笛くちぶえきました。
ジョバンニは、にげるようにその目を避け、そしてカムパネルラの背の高い姿が過ぎて行ってまもなく、みんなはてんでに口笛を吹きました。
原文: 町かどをがるとき、ふりかえって見ましたら、ザネリがやはりふりかえって見ていました。
町かどを曲がるとき、ふりかえって見ましたら、ザネリがやはりふりかえって見ていました。
原文: そしてカムパネルラもまた、高く口笛くちぶえいてこうにぼんやり見えるはしの方へ歩いて行ってしまったのでした。
そしてカムパネルラもまた、高く口笛を吹いて、向こうにぼんやり見える橋の方へ歩いて行ってしまったのでした。
原文: ジョバンニは、なんともえずさびしくなって、いきなり走りだしました。
ジョバンニは、なんとも言えずさびしくなって、いきなり走りだしました。
原文: すると耳に手をあてて、わあわあといながら片足かたあしでぴょんぴょんんでいた小さな子供こどもらは、ジョバンニがおもしろくてかけるのだと思って、わあいとさけびました。
すると耳に手をあてて、わあわあと言いながら片足でぴょんぴょん跳んでいた小さな子どもらは、ジョバンニがおもしろくて駆けるのだと思って、わあいと叫びました。
原文: まもなくジョバンニは走りだして黒いおかの方へいそぎました。
まもなくジョバンニは走りだして、黒い丘の方へ急ぎました。
原文: 五 天気輪てんきりんはしら
五 天気輪の柱
原文: 牧場ぼくじょうのうしろはゆるいおかになって、その黒いたいらな頂上ちょうじょうは、北の大熊星おおくまぼしの下に、ぼんやりふだんよりもひくく、つらなって見えました。
牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平らな頂上は、北の大熊星の下に、ぼんやりと、ふだんよりも低く連なって見えました。
原文: ジョバンニは、もうつゆりかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行きました。
ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林の小道を、どんどんのぼって行きました。
原文: まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりにらしだされてあったのです。
真っ暗な草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さな道が、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。
原文: 草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、あるは青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなのって行った烏瓜からすうりのあかりのようだとも思いました。
草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、ある葉は青く透かし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのようだとも思いました。
原文: そのまっ黒な、まつならの林をえると、にわかにがらんと空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へわたっているのが見え、またいただきの、天気輪てんきりんはしらも見わけられたのでした。
その真っ黒な、松や楢の林を越えると、にわかにがらんと空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へわたっているのが見え、また頂の、天気輪の柱も見わけられたのでした。
原文: つりがねそうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、ゆめの中からでもかおりだしたというようにき、鳥が一ぴきおかの上を鳴きつづけながら通って行きました。
つりがねそうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢の中からでもかおりだしたというように咲き、鳥が一羽、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。
原文: ジョバンニは、いただき天気輪てんきりんはしらの下に来て、どかどかするからだを、つめたい草にげました。
ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかする体を、つめたい草に投げました。
原文: 町のあかりは、やみの中をまるで海のそこのおみやのけしきのようにともり、子供こどもらの歌う声や口笛くちぶえ、きれぎれのさけび声もかすかに聞こえて来るのでした。
町の灯は、闇の中を、まるで海の底のお宮のけしきのようにともり、子どもらの歌う声や口笛、きれぎれの叫び声もかすかに聞こえて来るのでした。
原文: 風が遠くで鳴り、おかの草もしずかにそよぎ、ジョバンニのあせでぬれたシャツもつめたくやされました。
風が遠くで鳴り、丘の草もしずかにそよぎ、ジョバンニの汗でぬれたシャツもつめたく冷やされました。
原文: 野原から汽車の音が聞こえてきました。
野原から汽車の音が聞こえてきました。
原文: その小さな列車れっしゃまど一列いちれつ小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人たびびとが、苹果りんごをむいたり、わらったり、いろいろなふうにしていると考えますと、ジョバンニは、もうなんともえずかなしくなって、またをそらにげました。
その小さな列車の窓は一列に小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、りんごをむいたり、笑ったり、いろいろなふうにしていると考えますと、ジョバンニは、もうなんとも言えずかなしくなって、また目を空に上げました。
原文: (この間原稿げんこう枚分まいぶんなし)
(この間、原稿五枚分なし)
原文: ところがいくら見ていても、そのそらは、ひる先生のったような、がらんとしたつめたいとこだとは思われませんでした。
ところがいくら見ていても、その空は、昼に先生の言ったような、がらんとした冷たいところだとは思われませんでした。
原文: それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場ぼくじょうやらある野原のはらのように考えられてしかたなかったのです。
それどころか、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらのある野原のように考えられてしかたなかったのです。
原文: そしてジョバンニは青いことの星が、三つにも四つにもなって、ちらちらまたたき、あしが何べんも出たり引っんだりして、とうとうきのこのように長くびるのを見ました。
そしてジョバンニは、青い琴の星が三つにも四つにもなって、ちらちらまたたき、脚が何度も出たり引っ込んだりして、とうとうきのこのように長く延びるのを見ました。
原文: またすぐの下のまちまでが、やっぱりぼんやりしたたくさんの星のあつまりか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。
またすぐ目の下の町までが、やっぱりぼんやりしたたくさんの星の集まりか、一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。
原文: 六 銀河ぎんがステーション
六 銀河ステーション
原文: そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪てんきりんはしらがいつかぼんやりした三角標さんかくひょうの形になって、しばらくほたるのように、ぺかぺかえたりともったりしているのを見ました。
そしてジョバンニは、すぐうしろの天気輪の柱がいつのまにかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。
原文: それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、鋼青はがねのそらの野原にたちました。
それはだんだんはっきりして、とうとうりんと動かないようになり、濃い鋼青の空の野原に立ちました。
原文: いま新しくいたばかりの青いはがねいたのような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。
いま新しく焼いたばかりの青い鋼の板のような、空の野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。
原文: するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ぎんがステーション、銀河ぎんがステーションとう声がしたと思うと、いきなりの前が、ぱっと明るくなって、まるで億万おくまん蛍烏賊ほたるいかの火を一ぺんに化石かせきさせて、そらじゅうにしずめたというぐあい、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざとれないふりをして、かくしておいた金剛石こんごうせきを、だれかがいきなりひっくりかえして、ばらまいたというふうに、の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんもをこすってしまいました。
するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと言う声がしたと思うと、いきなり目の前がぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を一度に化石させて、空じゅうに沈めたというぐあい、またダイヤモンド会社が、値段が安くならないように、わざと採れないふりをしてかくしておいた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえしてばらまいたというふうに、目の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何度も目をこすってしまいました。
原文: 気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニのっている小さな列車れっしゃが走りつづけていたのでした。
気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。
原文: ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道けいべんてつどうの、小さな黄いろの電燈でんとうのならんだ車室に、まどから外を見ながらすわっていたのです。
ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電灯のならんだ車室に、窓から外を見ながらすわっていたのです。
原文: 車室の中は、青い天鵞絨ビロードった腰掛こしかけが、まるでがらあきで、こうのねずみいろのワニスをったかべには、真鍮しんちゅうの大きなぼたんが二つ光っているのでした。
車室の中は、青いビロードを張った腰かけがまるでがらあきで、向こうのねずみいろのワニスを塗った壁には、真鍮の大きなボタンが二つ光っているのでした。
原文: すぐ前のせきに、ぬれたようにまっ黒な上着うわぎを着た、せいの高い子供こどもが、窓から頭を出して外を見ているのに気がつきました。
すぐ前の席に、ぬれたように真っ黒な上着を着た、背の高い子どもが、窓から頭を出して外を見ているのに気がつきました。
原文: そしてそのこどものかたのあたりが、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしてもだれだかわかりたくて、たまらなくなりました。
そしてその子の肩のあたりが、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくてたまらなくなりました。
原文: いきなりこっちもまどから顔を出そうとしたとき、にわかにその子供こどもが頭を引っめて、こっちを見ました。
いきなりこっちも窓から顔を出そうとしたとき、にわかにその子どもが頭を引っ込めて、こっちを見ました。
原文: それはカムパネルラだったのです。
それはカムパネルラだったのです。
原文: ジョバンニが、
ジョバンニが、
原文: カムパネルラ、きみは前からここにいたの、とおうと思ったとき、カムパネルラが、
カムパネルラ、きみは前からここにいたの、と言おうと思ったとき、カムパネルラが、
原文: 「みんなはね、ずいぶん走ったけれどもおくれてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれどもいつかなかった」
「みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった」
原文: いました。
と言いました。
原文: ジョバンニは、
ジョバンニは、
原文: (そうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそって出かけたのだ)とおもいながら、
(そうだ、ぼくたちはいま、いっしょに誘って出かけたのだ)と思いながら、
原文: 「どこかでっていようか」
「どこかで待っていようか」
原文: いました。
と言いました。
原文: するとカムパネルラは、
するとカムパネルラは、
原文: 「ザネリはもう帰ったよ。お父さんがむかいにきたんだ」
「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎えにきたんだ」
原文: カムパネルラは、なぜかそういながら、少し顔いろが青ざめて、どこかくるしいというふうでした。
カムパネルラは、なぜかそう言いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうでした。
原文: するとジョバンニも、なんだかどこかに、何かわすれたものがあるというような、おかしな気持きもちがしてだまってしまいました。
するとジョバンニも、なんだかどこかに、何か忘れたものがあるというような、おかしな気持ちがして、だまってしまいました。
原文: ところがカムパネルラは、まどから外をのぞきながら、もうすっかり元気がなおって、いきおいよくいました。
ところがカムパネルラは、窓から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直って、勢いよく言いました。
原文: 「ああしまった。ぼく、水筒すいとうわすれてきた。スケッチちょうわすれてきた。けれどかまわない。もうじき白鳥の停車場ていしゃばだから。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川の遠くをんでいたって、ぼくはきっと見える」
「ああしまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれどかまわない。もうじき白鳥の停車場だから。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうに好きだ。川の遠くを飛んでいたって、ぼくはきっと見える」
原文: そして、カムパネルラは、まるいいたのようになった地図ちずを、しきりにぐるぐるまわして見ていました。
そして、カムパネルラは、丸い板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。
原文: まったく、その中に、白くあらわされた天の川の左のきし沿って一じょう鉄道線路てつどうせんろが、南へ南へとたどって行くのでした。
まったく、その中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って、一本の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。
原文: そしてその地図の立派りっぱなことは、夜のようにまっ黒なばんの上に、一々の停車場ていしゃば三角標さんかくひょう泉水せんすいや森が、青やだいだいみどりや、うつくしい光でちりばめられてありました。
そしてその地図の立派なことは、夜のように真っ黒な盤の上に、一つ一つの停車場や三角標、泉水や森が、青や橙や緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。
原文: ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。
ジョバンニは、なんだかその地図をどこかで見たように思いました。
原文: 「この地図ちずはどこで買ったの。黒曜石こくようせきでできてるねえ」
「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ」
原文: ジョバンニがいました。
ジョバンニが言いました。
原文: 銀河ぎんがステーションで、もらったんだ。きみもらわなかったの」
「銀河ステーションで、もらったんだ。きみはもらわなかったの」
原文: 「ああ、ぼく銀河ぎんがステーションを通ったろうか。いまぼくたちのいるとこ、ここだろう」
「ああ、ぼく、銀河ステーションを通ったろうか。いまぼくたちのいるところ、ここだろう」
原文: ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場ていしゃばのしるしの、すぐ北をしました。
ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指しました。
原文: 「そうだ。おや、あの河原かわらは月夜だろうか」
「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか」
原文: そっちを見ますと、青白く光る銀河ぎんがきしに、ぎんいろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、なみを立てているのでした。
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさらゆられて動いて、波を立てているのでした。
原文: 「月夜でないよ。銀河ぎんがだから光るんだよ」
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ」
原文: ジョバンニはいながら、まるではね上がりたいくらい愉快ゆかいになって、足をこつこつ鳴らし、まどから顔を出して、高く高く星めぐりの口笛くちぶえきながら一生けんめいびあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。
ジョバンニは言いながら、まるではね上がりたいくらい愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹きながら、一生けんめい伸びあがって、その天の川の水を見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれがはっきりしませんでした。
原文: けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素すいそよりもすきとおって、ときどきのかげんか、ちらちらむらさきいろのこまかななみをたてたり、にじのようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどんながれて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光りんこう三角標さんかくひょうが、うつくしく立っていたのです。
けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりも透きとおって、ときどき目のかげんか、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。
原文: 遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものはだいだいや黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、あるいは三角形さんかくけい、あるいは四辺形しへんけい、あるいはいなずまくさりの形、さまざまにならんで、野原いっぱいに光っているのでした。
遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、あるいは三角形、あるいは四辺形、あるいは稲妻や鎖の形、さまざまにならんで、野原いっぱいに光っているのでした。
原文: ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけにりました。
ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振りました。
原文: するとほんとうに、そのきれいな野原のはらじゅうの青やだいだいや、いろいろかがやく三角標さんかくひょうも、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたりふるえたりしました。
するとほんとうに、そのきれいな野原じゅうの青や橙や、いろいろかがやく三角標も、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたりふるえたりしました。
原文: 「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た」
「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た」
原文: ジョバンニはいました。
ジョバンニは言いました。
原文: 「それに、この汽車石炭せきたんをたいていないねえ」
「それに、この汽車、石炭をたいていないねえ」
原文: ジョバンニが左手をつき出してまどから前の方を見ながらいました。
ジョバンニが左手をつき出して、窓から前の方を見ながら言いました。
原文: 「アルコールか電気だろう」
「アルコールか電気だろう」
原文: カムパネルラがいました。
カムパネルラが言いました。
原文: するとちょうど、それに返事へんじするように、どこか遠くの遠くのもやのもやの中から、セロのようなごうごうした声がきこえて来ました。
するとちょうど、それに返事するように、どこか遠くの遠くのもやのもやの中から、チェロのようなごうごうした声がきこえて来ました。
原文: 「ここの汽車は、スティームや電気でうごいていない。ただうごくようにきまっているからうごいているのだ。ごとごと音をたてていると、そうおまえたちは思っているけれども、それはいままで音をたてる汽車にばかりなれているためなのだ」
「ここの汽車は、蒸気や電気で動いていない。ただ動くようにきまっているから動いているのだ。ごとごと音をたてていると、そうおまえたちは思っているけれども、それはいままで音をたてる汽車にばかり慣れているためなのだ」
原文: 「あの声、ぼくなんべんもどこかできいた」
「あの声、ぼく、何度もどこかで聞いた」
原文: 「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた」
「ぼくだって、林の中や川で、何度も聞いた」
原文: ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点さんかくてんの青じろい微光びこうの中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。
ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、空のすすきが風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青じろい光の中を、どこまでもどこまでもと走って行くのでした。
原文: 「ああ、りんどうの花がいている。もうすっかり秋だねえ」
「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ」
原文: カムパネルラが、まどの外をゆびさしていました。
カムパネルラが、窓の外を指さして言いました。
原文: 線路せんろのへりになったみじかい芝草しばくさの中に、月長石げっちょうせきででもきざまれたような、すばらしいむらさきのりんどうの花がいていました。
線路のへりになった短い芝草の中に、月長石ででも刻まれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いていました。
原文: 「ぼくびおりて、あいつをとって、またってみせようか」
「ぼく、飛びおりて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか」
原文: ジョバンニはむねをおどらせていました。
ジョバンニは胸をおどらせて言いました。
原文: 「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから」
「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから」
原文: カムパネルラが、そうってしまうかしまわないうち、つぎのりんどうの花が、いっぱいに光ってぎて行きました。
カムパネルラがそう言い終わるか終わらないうちに、次のりんどうの花が、いっぱいに光って過ぎて行きました。
原文: と思ったら、もうつぎからつぎから、たくさんのきいろなそこをもったりんどうの花のコップが、くように、雨のように、の前を通り、三角標さんかくひょうれつは、けむるようにえるように、いよいよ光って立ったのです。
と思ったら、もう次から次から、たくさんの黄いろな底をもったりんどうの花のコップが、湧くように、雨のように目の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです。
原文: 七 北十字きたじゅうじとプリオシン海岸かいがん
七 北十字とプリオシン海岸
原文: 「おっかさんは、ぼくをゆるしてくださるだろうか」
「お母さんは、ぼくをゆるしてくださるだろうか」
原文: いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、せきこんでいました。
いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、せきこんで言いました。
原文: ジョバンニは、
ジョバンニは、
原文: (ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見えるだいだいいろの三角標さんかくひょうのあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。
(ああ、そうだ、ぼくのお母さんは、あの遠い一つのちりのように見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。
原文: 「ぼくはおっかさんが、ほんとうにさいわいになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんのさいわいなんだろう」
「ぼくは、お母さんがほんとうに幸せになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、お母さんのいちばんの幸せなんだろう」
原文: カムパネルラは、なんだか、きだしたいのを、一生けんめいこらえているようでした。
カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを一生けんめいこらえているようでした。
原文: 「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの」
「きみのお母さんは、なんにもひどいことないじゃないの」
原文: ジョバンニはびっくりしてさけびました。
ジョバンニはびっくりして叫びました。
原文: 「ぼくわからない。けれども、だれだって、ほんとうにいいことをしたら、いちばんさいわいなんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるしてくださると思う」
「ぼくはわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。だから、お母さんは、ぼくをゆるしてくださると思う」
原文: カムパネルラは、なにかほんとうに決心けっしんしているように見えました。
カムパネルラは、なにかほんとうに決心しているように見えました。
原文: にわかに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。
にわかに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。
原文: 見ると、もうじつに、金剛石こんごうせきや草のつゆやあらゆる立派りっぱさをあつめたような、きらびやかな銀河ぎんが河床かわどこの上を、水は声もなくかたちもなくながれ、そのながれのまん中に、ぼうっと青白く後光ごこうした一つのしまが見えるのでした。
見ると、もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床の上を、水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射した一つの島が見えるのでした。
原文: そのしまたいらないただきに、立派りっぱもさめるような、白い十字架じゅうじかがたって、それはもう、こおった北極ほっきょくの雲でたといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久えいきゅうに立っているのでした。
その島の平らな頂に、立派な、目もさめるような白い十字架が立って、それはもう、凍った北極の雲で鋳たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。
原文: 「ハレルヤ、ハレルヤ」
「ハレルヤ、ハレルヤ」
原文: 前からもうしろからも声がこりました。
前からもうしろからも声が起こりました。
原文: ふりかえって見ると、車室の中の旅人たびびとたちは、みなまっすぐにきもののひだをれ、黒いバイブルをむねにあてたり、水晶すいしょう数珠じゅずをかけたり、どの人もつつましくゆびを組み合わせて、そっちにいのっているのでした。
ふりかえって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐに着物のひだを垂れ、黒い聖書を胸にあてたり、水晶の数珠をかけたり、どの人もつつましく指を組み合わせて、そっちに祈っているのでした。
原文: 思わず二人ふたりともまっすぐに立ちあがりました。
思わず二人ともまっすぐに立ちあがりました。
原文: カムパネルラのほおは、まるでじゅくした苹果りんごのあかしのようにうつくしくかがやいて見えました。
カムパネルラの頬は、まるで熟したりんごの赤さのようにうつくしくかがやいて見えました。
原文: そしてしま十字架じゅうじかとは、だんだんうしろの方へうつって行きました。
そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつって行きました。
原文: こうぎしも、青じろくぼうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとそのぎんいろがけむって、いきでもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火きつねびのように思われました。
向こう岸も、青じろくぼうっと光ってけむり、ときどき、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が草にかくれたり出たりするのは、やさしい狐火のように思われました。
原文: それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきのれつでさえぎられ、白鳥のしまは、二ばかり、うしろの方に見えましたが、じきもうずうっと遠く小さく、のようになってしまい、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいました。
それもほんのちょっとの間、川と汽車との間はすすきの列でさえぎられ、白鳥の島は二度ばかりうしろの方に見えましたが、じきにもうずっと遠く小さく、絵のようになってしまい、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいました。
原文: ジョバンニのうしろには、いつからっていたのか、せいの高い、黒いかつぎをしたカトリックふうのあまさんが、まんまるなみどりひとみを、じっとまっすぐにとして、まだ何かことばか声かが、そっちからつたわって来るのを、つつしんで聞いているというように見えました。
ジョバンニのうしろには、いつから乗っていたのか、背の高い、黒いかつぎをしたカトリックふうの尼さんが、まんまるな緑の瞳をじっとまっすぐに落として、まだ何か言葉か声かがそっちから伝わって来るのを、つつしんで聞いているというように見えました。
原文: 旅人たびびとたちはしずかにせきもどり、二人ふたりむねいっぱいのかなしみにた新しい気持きもちを、何気なくちがったことばで、そっとはなし合ったのです。
旅人たちはしずかに席に戻り、二人も胸いっぱいのかなしみに似た新しい気持ちを、何気なくちがった言葉で、そっと話し合ったのです。
原文: 「もうじき白鳥の停車場ていしゃばだねえ」
「もうじき白鳥の停車場だねえ」
原文: 「ああ、十一時かっきりにはくんだよ」
「ああ、十一時かっきりには着くんだよ」
原文: 早くも、シグナルのみどりの燈と、ぼんやり白いはしらとが、ちらっとまどのそとをぎ、それから硫黄いおうのほのおのようなくらいぼんやりしたてんてつの前のあかりがまどの下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、まもなくプラットホームの一れつ電燈でんとうが、うつくしく規則きそく正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人はちょうど白鳥停車場ていしゃじょうの、大きな時計とけいの前に来てとまりました。
早くも、シグナルの緑の灯と、ぼんやり白い柱とが、ちらっと窓の外を過ぎ、それから硫黄のほのおのような暗くぼんやりした転てつ機の前のあかりが窓の下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、まもなくプラットホームの一列の電灯が、うつくしく規則正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人はちょうど白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまりました。
原文: さわやかな秋の時計とけい盤面ばんめんには、青くかれたはがねの二本のはりが、くっきり十一時をしました。
さわやかな秋の時計の盤面には、青く焼かれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。
原文: みんなは、一ぺんにおりて、車室の中はがらんとなってしまいました。
みんなは、一度におりて、車室の中はがらんとなってしまいました。
原文: 〔二十分停車ていしゃ〕と時計とけいの下に書いてありました。
〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。
原文: 「ぼくたちもりて見ようか」
「ぼくたちも降りて見ようか」
原文: ジョバンニがいました。
ジョバンニが言いました。
原文: りよう」
「降りよう」
原文: 二人ふたりは一にはねあがってドアをび出して改札口かいさつぐちへかけて行きました。
二人は一度にはねあがってドアを飛び出し、改札口へかけて行きました。
原文: ところが改札口かいさつぐちには、明るいむらさきがかった電燈でんとうが、一ついているばかり、だれもいませんでした。
ところが改札口には、明るい紫がかった電灯が一つついているばかりで、誰もいませんでした。
原文: そこらじゅうを見ても、駅長えきちょう赤帽あかぼうらしい人の、かげもなかったのです。
そこらじゅうを見ても、駅長や赤帽らしい人の影もなかったのです。
原文: 二人ふたりは、停車場ていしゃばの前の、水晶細工すいしょうざいくのように見える銀杏いちょうの木にかこまれた、小さな広場に出ました。
二人は、停車場の前の、水晶細工のように見えるいちょうの木に囲まれた、小さな広場に出ました。
原文: そこからはばの広いみちが、まっすぐに銀河ぎんが青光あおびかりの中へ通っていました。
そこから幅の広い道が、まっすぐに銀河の青い光の中へ通っていました。
原文: さきにりた人たちは、もうどこへ行ったか一人ひとりも見えませんでした。
さきに降りた人たちは、もうどこへ行ったか一人も見えませんでした。
原文: 二人ふたりがその白い道を、かたをならべて行きますと、二人ふたりかげは、ちょうど四方にまどのあるへやの中の、二本のはしらかげのように、また二つの車輪しゃりんのように幾本いくほん幾本いくほんも四方へ出るのでした。
二人がその白い道を肩をならべて行きますと、二人の影は、ちょうど四方に窓のある部屋の中の二本の柱の影のように、また二つの車輪のスポークのように、何本も何本も四方へ出るのでした。
原文: そしてまもなく、あの汽車から見えたきれいな河原かわらに来ました。
そしてまもなく、あの汽車から見えたきれいな河原に来ました。
原文: カムパネルラは、そのきれいなすなを一つまみ、てのひらにひろげ、ゆびできしきしさせながら、ゆめのようにっているのでした。
カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ手のひらにひろげ、指できしきしさせながら、夢のように言っているのでした。
原文: 「このすなはみんな水晶すいしょうだ。中で小さな火がえている」
「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている」
原文: 「そうだ」
「そうだ」
原文: どこでぼくは、そんなことをならったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。
どこでぼくは、そんなことを習ったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。
原文: 河原かわらこいしは、みんなすきとおって、たしかに水晶すいしょう黄玉トパーズや、またくしゃくしゃの皺曲しゅうきょくをあらわしたのや、またかどからきりのような青白い光を出す鋼玉コランダムやらでした。
河原の小石は、みんな透きとおって、たしかに水晶やトパーズや、またくしゃくしゃの褶曲をあらわしたのや、また角から霧のような青白い光を出すコランダムやらでした。
原文: ジョバンニは、走ってそのなぎさに行って、水に手をひたしました。
ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。
原文: けれどもあやしいその銀河ぎんがの水は、水素すいそよりももっとすきとおっていたのです。
けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっと透きとおっていたのです。
原文: それでもたしかにながれていたことは、二人ふたり手首てくびの、水にひたったとこが、少し水銀すいぎんいろにいたように見え、その手首てくびにぶっつかってできたなみは、うつくしい燐光りんこうをあげて、ちらちらとえるように見えたのでもわかりました。
それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったところが少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶつかってできた波が、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。
原文: 川上の方を見ると、すすきのいっぱいにはえているがけの下に、白いいわが、まるで運動場うんどうじょうのようにたいらに川に沿って出ているのでした。
川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えている崖の下に、白い岩が、まるで運動場のように平らに川に沿って出ているのでした。
原文: そこに小さな五、六人の人かげが、何かり出すかめるかしているらしく、立ったりかがんだり、時々なにかの道具どうぐが、ピカッと光ったりしました。
そこに小さな五、六人の人かげが、何か掘り出すか埋めるかしているらしく、立ったりかがんだり、ときどきなにかの道具がピカッと光ったりしました。
原文: 「行ってみよう」
「行ってみよう」
原文: 二人ふたりは、まるで一さけんで、そっちの方へ走りました。
二人は、まるで一度に叫んで、そっちの方へ走りました。
原文: その白いいわになったところの入口に、〔プリオシン海岸かいがん〕という、瀬戸物せともののつるつるした標札ひょうさつが立って、向こうのなぎさには、ところどころ、ほそてつ欄干らんかんえられ、木製もくせいのきれいなベンチもいてありました。
その白い岩になったところの入口に、〔プリオシン海岸〕という、瀬戸物のつるつるした標札が立って、向こうの渚には、ところどころ、細い鉄の欄干も立てられ、木製のきれいなベンチも置いてありました。
原文: 「おや、へんなものがあるよ」
「おや、変なものがあるよ」
原文: カムパネルラが、不思議ふしぎそうに立ちどまって、いわから黒い細長ほそながいさきのとがったくるみののようなものをひろいました。
カムパネルラが、ふしぎそうに立ちどまって、岩から黒い細長い、さきのとがったくるみの実のようなものをひろいました。
原文: 「くるみのだよ。そら、たくさんある。ながれて来たんじゃない。いわの中にはいってるんだ」
「くるみの実だよ。そら、たくさんある。流れて来たんじゃない。岩の中にはいってるんだ」
原文: 「大きいね、このくるみ、ばいあるね。こいつはすこしもいたんでない」
「大きいね、このくるみ、倍あるね。こいつは少しもいたんでない」
原文: 「早くあすこへ行って見よう。きっと何かってるから」
「早くあそこへ行って見よう。きっと何か掘ってるから」
原文: 二人ふたりは、ぎざぎざの黒いくるみのちながら、またさっきの方へ近よって行きました。
二人は、ぎざぎざの黒いくるみの実を持ちながら、またさっきの方へ近よって行きました。
原文: 左手のなぎさには、なみがやさしい稲妻いなずまのようにえてせ、右手のがけには、いちめんぎん貝殻かいがらでこさえたようなすすきのがゆれたのです。
左手の渚には、波がやさしい稲妻のように燃えて寄せ、右手の崖には、いちめん銀や貝殻でこしらえたようなすすきの穂がゆれたのです。
原文: だんだん近づいて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡きんがんきょうをかけ、長靴ながぐつをはいた学者がくしゃらしい人が、手帳てちょうに何かせわしそうに書きつけながら、つるはしをふりあげたり、スコップをつかったりしている、三人の助手じょしゅらしい人たちに夢中むちゅうでいろいろ指図さしずをしていました。
だんだん近づいて見ると、一人の背の高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴をはいた学者らしい人が、手帳に何かせわしそうに書きつけながら、つるはしをふりあげたりスコップを使ったりしている三人の助手らしい人たちに、夢中でいろいろ指図をしていました。
原文: 「そこのその突起とっきをこわさないように、スコップを使いたまえ、スコップを。おっと、も少し遠くからって。いけない、いけない、なぜそんな乱暴らんぼうをするんだ」
「そこのその突起をこわさないように、スコップを使いたまえ、スコップを。おっと、もう少し遠くから掘って。いけない、いけない、なぜそんな乱暴をするんだ」
原文: 見ると、その白いやわらかないわの中から、大きな大きな青じろいけものほねが、横にたおれてつぶれたというふうになって、半分以上はんぶんいじょうり出されていました。
見ると、その白いやわらかな岩の中から、大きな大きな青じろい獣の骨が、横に倒れてつぶれたというふうになって、半分以上掘り出されていました。
原文: そして気をつけて見ると、そこらには、ひづめの二つある足跡あしあとのついたいわが、四角しかくに十ばかり、きれいに切り取られて番号ばんごうがつけられてありました。
そして気をつけて見ると、そこらには、蹄の二つある足跡のついた岩が、四角に十ばかり、きれいに切り取られて番号がつけられてありました。
原文: 「君たちは参観さんかんかね」
「きみたちは見学かね」
原文: その大学士だいがくしらしい人が、眼鏡めがねをきらっとさせて、こっちを見て話しかけました。
その大学士らしい人が、眼鏡をきらっとさせて、こっちを見て話しかけました。
原文: 「くるみがたくさんあったろう。それはまあ、ざっと百二十万年まんねんぐらい前のくるみだよ。ごく新しい方さ。ここは百二十万年前まんねんまえ第三紀だいさんきのあとのころは海岸かいがんでね、この下からはかいがらも出る。いま川の流れているとこに、そっくり塩水しおみずせたり引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこ、つるはしはよしたまえ。ていねいにのみでやってくれたまえ。ボスといってね、いまのうし先祖せんぞで、むかしはたくさんいたのさ」
「くるみがたくさんあったろう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだよ。ごく新しい方さ。ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、この下からは貝がらも出る。いま川の流れているところに、そっくり塩水が寄せたり引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこ、つるはしはよしたまえ。ていねいにのみでやってくれたまえ。ボスといってね、いまの牛の先祖で、昔はたくさんいたのさ」
原文: 標本ひょうほんにするんですか」
「標本にするんですか」
原文: 「いや、証明しょうめいするにるんだ。ぼくらからみると、ここはあつ立派りっぱ地層ちそうで、百二十万年まんねんぐらい前にできたという証拠しょうこもいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層ちそうに見えるかどうか、あるいは風か水や、がらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。けれども、おいおい、そこもスコップではいけない。そのすぐ下に肋骨ろっこつもれてるはずじゃないか」
「いや、証明するのに要るんだ。ぼくらから見ると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたという証拠もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつから見ても、やっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水や、がらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。けれども、おいおい、そこもスコップではいけない。そのすぐ下に肋骨が埋もれてるはずじゃないか」
原文: 大学士だいがくしはあわてて走って行きました。
大学士はあわてて走って行きました。
原文: 「もう時間だよ。行こう」
「もう時間だよ。行こう」
原文: カムパネルラが地図と腕時計うでどけいとをくらべながらいました。
カムパネルラが地図と腕時計とをくらべながら言いました。
原文: 「ああ、ではわたくしどもは失礼しつれいいたします」
「ああ、ではわたくしどもは失礼いたします」
原文: ジョバンニは、ていねいに大学士だいがくしにおじぎしました。
ジョバンニは、ていねいに大学士におじぎしました。
原文: 「そうですか。いや、さよなら」
「そうですか。いや、さよなら」
原文: 大学士だいがくしは、またいそがしそうに、あちこち歩きまわって監督かんとくをはじめました。
大学士は、また忙しそうに、あちこち歩きまわって監督をはじめました。
原文: 二人ふたりは、その白いいわの上を、一生けんめい汽車におくれないように走りました。
二人は、その白い岩の上を、一生けんめい汽車に遅れないように走りました。
原文: そしてほんとうに、風のように走れたのです。
そしてほんとうに、風のように走れたのです。
原文: いきも切れずひざもあつくなりませんでした。
息も切れず、膝も熱くなりませんでした。
原文: こんなにしてかけるなら、もう世界せかいじゅうだってかけれると、ジョバンニは思いました。
こんなふうに駆けられるなら、もう世界じゅうだって駆けられると、ジョバンニは思いました。
原文: そして二人ふたりは、前のあの河原かわらを通り、改札口かいさつぐち電燈でんとうがだんだん大きくなって、まもなく二人ふたりは、もとの車室のせきにすわっていま行って来た方を、まどから見ていました。
そして二人は、前のあの河原を通り、改札口の電灯がだんだん大きくなって、まもなく二人は、もとの車室の席にすわって、いま行って来た方を窓から見ていました。
原文: 八 鳥をる人
八 鳥を捕る人
原文: 「ここへかけてもようございますか」
「ここへかけてもよろしいですか」
原文: がさがさした、けれども親切そうな、大人おとなの声が、二人ふたりのうしろで聞こえました。
がさがさした、けれども親切そうな大人の声が、二人のうしろで聞こえました。
原文: それは、茶いろの少しぼろぼろの外套がいとうて、白いきれでつつんだ荷物にもつを、二つに分けてかたけた、赤髯あかひげのせなかのかがんだ人でした。
それは、茶いろの少しぼろぼろの外套を着て、白い布でつつんだ荷物を二つに分けて肩に掛けた、赤ひげの、背中のかがんだ人でした。
原文: 「ええ、いいんです」
「ええ、いいんです」
原文: ジョバンニは、少しかたをすぼめてあいさつしました。
ジョバンニは、少し肩をすぼめてあいさつしました。
原文: その人は、ひげの中でかすかに微笑わらいながら荷物にもつをゆっくり網棚あみだなにのせました。
その人は、ひげの中でかすかに笑いながら、荷物をゆっくり網棚にのせました。
原文: ジョバンニは、なにかたいへんさびしいようなかなしいような気がして、だまって正面しょうめん時計とけいを見ていましたら、ずうっと前の方で、硝子ガラスふえのようなものが鳴りました。
ジョバンニは、なにかたいへんさびしいような、かなしいような気がして、だまって正面の時計を見ていましたら、ずっと前の方で、ガラスの笛のようなものが鳴りました。
原文: 汽車はもう、しずかにうごいていたのです。
汽車はもう、しずかに動いていたのです。
原文: カムパネルラは、車室の天井てんじょうを、あちこち見ていました。
カムパネルラは、車室の天井を、あちこち見ていました。
原文: その一つのあかりに黒い甲虫かぶとむしがとまって、そのかげが大きく天井てんじょうにうつっていたのです。
その一つのあかりに黒いかぶと虫がとまって、その影が大きく天井にうつっていたのです。
原文: 赤ひげの人は、なにかなつかしそうにわらいながら、ジョバンニやカムパネルラのようすを見ていました。
赤ひげの人は、なにかなつかしそうに笑いながら、ジョバンニやカムパネルラのようすを見ていました。
原文: 汽車はもうだんだん早くなって、すすきと川と、かわるがわるまどの外から光りました。
汽車はもうだんだん早くなって、すすきと川とが、かわるがわる窓の外から光りました。
原文: 赤ひげの人が、少しおずおずしながら、二人にきました。
赤ひげの人が、少しおずおずしながら、二人に聞きました。
原文: 「あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか」
「あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか」
原文: 「どこまでも行くんです」
「どこまでも行くんです」
原文: ジョバンニは、少しきまりわるそうに答えました。
ジョバンニは、少しきまり悪そうに答えました。
原文: 「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ」
「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ」
原文: 「あなたはどこへ行くんです」
「あなたはどこへ行くんです」
原文: カムパネルラが、いきなり、喧嘩けんかのようにたずねましたので、ジョバンニは思わずわらいました。
カムパネルラが、いきなり、けんかのようにたずねましたので、ジョバンニは思わず笑いました。
原文: すると、こうのせきにいた、とがった帽子ぼうしをかぶり、大きなかぎこしに下げた人も、ちらっとこっちを見てわらいましたので、カムパネルラも、つい顔を赤くしてわらいだしてしまいました。
すると、向こうの席にいた、とがった帽子をかぶり、大きな鍵を腰に下げた人も、ちらっとこっちを見て笑いましたので、カムパネルラも、つい顔を赤くして笑いだしてしまいました。
原文: ところがその人はべつにおこったでもなく、ほおをぴくぴくしながら返事へんじをしました。
ところがその人は別におこったでもなく、頬をぴくぴくさせながら返事をしました。
原文: 「わっしはすぐそこでります。わっしは、鳥をつかまえる商売しょうばいでね」
「わっしはすぐそこで降ります。わっしは、鳥をつかまえる商売でね」
原文: 「何鳥ですか」
「何鳥ですか」
原文: つるがんです。さぎも白鳥もです」
「鶴や雁です。さぎも白鳥もです」
原文: つるはたくさんいますか」
「鶴はたくさんいますか」
原文: 「いますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか」
「いますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか」
原文: 「いいえ」
「いいえ」
原文: 「いまでも聞こえるじゃありませんか。そら、耳をすましていてごらんなさい」
「いまでも聞こえるじゃありませんか。そら、耳をすまして聞いてごらんなさい」
原文: 二人ふたりげ、耳をすましました。
二人は目を上げ、耳をすましました。
原文: ごとごと鳴る汽車のひびきと、すすきの風との間から、ころんころんと水のくような音が聞こえて来るのでした。
ごとごと鳴る汽車のひびきと、すすきの風との間から、ころんころんと水の湧くような音が聞こえて来るのでした。
原文: つる、どうしてとるんですか」
「鶴は、どうしてとるんですか」
原文: つるですか、それともさぎですか」
「鶴ですか、それともさぎですか」
原文: さぎです」
「さぎです」
原文: ジョバンニは、どっちでもいいと思いながら答えました。
ジョバンニは、どっちでもいいと思いながら答えました。
原文: 「そいつはな、雑作ぞうさない。さぎというものは、みんな天の川のすなかたまって、ぼおっとできるもんですからね、そして始終しじゅう川へ帰りますからね、川原でっていて、さぎがみんな、あしをこういうふうにしておりてくるとこを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっとおさえちまうんです。するともうさぎは、かたまって安心あんしんしてんじまいます。あとはもう、わかり切ってまさあ。にするだけです」
「そいつはな、造作ない。さぎというものは、みんな天の川の砂が固まって、ぼおっとできるもんですからね、そしてしょっちゅう川へ帰りますからね、河原で待っていて、さぎがみんな脚をこういうふうにしておりてくるところを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押さえちまうんです。するともうさぎは、固まって安心して死んじまいます。あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです」
原文: さぎにするんですか。標本ひょうほんですか」
「さぎを押し葉にするんですか。標本ですか」
原文: 標本ひょうほんじゃありません。みんなたべるじゃありませんか」
「標本じゃありません。みんな食べるじゃありませんか」
原文: 「おかしいねえ」
「おかしいねえ」
原文: カムパネルラがくびをかしげました。
カムパネルラが首をかしげました。
原文: 「おかしいも不審ふしんもありませんや。そら」
「おかしいも不思議もありませんや。そら」
原文: その男は立って、網棚あみだなからつつみをおろして、手ばやくくるくるときました。
その男は立って、網棚から包みをおろして、手ばやくくるくると解きました。
原文: 「さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです」
「さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです」
原文: 「ほんとうにさぎだねえ」
「ほんとうにさぎだねえ」
原文: 二人ふたりは思わずさけびました。
二人は思わず叫びました。
原文: まっ白な、あのさっきの北の十字架じゅうじかのように光るさぎのからだが、十ばかり、少しひらべったくなって、黒いあしをちぢめて、浮彫うきぼりのようにならんでいたのです。
真っ白な、あのさっきの北の十字架のように光るさぎのからだが、十ばかり、少し平べったくなって、黒い脚をちぢめて、浮き彫りのようにならんでいたのです。
原文: をつぶってるね」
「目をつぶってるね」
原文: カムパネルラは、ゆびでそっと、さぎ三日月みかづきがたの白いつぶったにさわりました。
カムパネルラは、指でそっと、さぎの三日月がたの白いつぶった目にさわりました。
原文: 頭の上のやりのような白い毛もちゃんとついていました。
頭の上の槍のような白い毛も、ちゃんとついていました。
原文: 「ね、そうでしょう」
「ね、そうでしょう」
原文: 鳥捕とりとりは風呂敷ふろしきかさねて、またくるくるとつつんでひもでくくりました。
鳥を捕る人は風呂敷を重ねて、またくるくると包んで紐でくくりました。
原文: だれがいったいここらでさぎなんぞたべるだろうとジョバンニは思いながらきました。
誰がいったいここらでさぎなんぞ食べるだろうと、ジョバンニは思いながら聞きました。
原文: さぎはおいしいんですか」
「さぎはおいしいんですか」
原文: 「ええ、毎日注文ちゅうもんがあります。しかしがんの方が、もっと売れます。がんの方がずっとがらがいいし、第一だいいち手数てすうがありませんからな。そら」
「ええ、毎日注文があります。しかし雁の方が、もっと売れます。雁の方がずっと柄がいいし、第一手数がかかりませんからな。そら」
原文: 鳥捕とりとりは、またべつの方のつつみをきました。
鳥を捕る人は、また別の方の包みを解きました。
原文: すると黄と青じろとまだらになって、なにかのあかりのようにひかるがんが、ちょうどさっきのさぎのように、くちばしをそろえて、少しひらべったくなって、ならんでいました。
すると黄と青じろとまだらになって、なにかのあかりのように光る雁が、ちょうどさっきのさぎのように、くちばしをそろえて、少し平べったくなってならんでいました。
原文: 「こっちはすぐたべられます。どうです、少しおあがりなさい」
「こっちはすぐ食べられます。どうです、少しおあがりなさい」
原文: 鳥捕とりとりは、黄いろのがんの足を、かるくひっぱりました。
鳥を捕る人は、黄いろの雁の足を軽くひっぱりました。
原文: するとそれは、チョコレートででもできているように、すっときれいにはなれました。
するとそれは、チョコレートででもできているように、すっときれいにはなれました。
原文: 「どうです。すこしたべてごらんなさい」
「どうです。少し食べてごらんなさい」
原文: 鳥捕とりとりは、それを二つにちぎってわたしました。
鳥を捕る人は、それを二つにちぎって渡しました。
原文: ジョバンニは、ちょっとたべてみて、
ジョバンニは、ちょっと食べてみて、
原文: (なんだ、やっぱりこいつはお菓子かしだ。
(なんだ、やっぱりこいつはお菓子だ。
原文: チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんながんんでいるもんか。
チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんな雁が飛んでいるもんか。
原文: この男は、どこかそこらの野原の菓子屋かしやだ。
この男は、どこかそこらの野原のお菓子屋だ。
原文: けれどもぼくは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子かしをたべているのは、たいへんきのどくだ)とおもいながら、やっぱりぽくぽくそれをたべていました。
けれどもぼくは、この人をばかにしながら、この人のお菓子を食べているのは、たいへん気の毒だ)と思いながら、やっぱりぽくぽくそれを食べていました。
原文: 「も少しおあがりなさい」
「もう少しおあがりなさい」
原文: 鳥捕とりとりがまたつつみを出しました。
鳥を捕る人が、また包みを出しました。
原文: ジョバンニは、もっとたべたかったのですけれども、
ジョバンニは、もっと食べたかったのですけれども、
原文: 「ええ、ありがとう」
「ええ、ありがとう」
原文: といって遠慮えんりょしましたら、鳥捕とりとりは、こんどはこうのせきの、かぎをもった人に出しました。
と言って遠慮しましたら、鳥を捕る人は、こんどは向こうの席の、鍵をもった人に出しました。
原文: 「いや、商売しょうばいものをもらっちゃすみませんな」
「いや、商売ものをもらっちゃすみませんな」
原文: その人は、帽子ぼうしをとりました。
その人は、帽子をとりました。
原文: 「いいえ、どういたしまして。どうです、今年のわたどり景気けいきは」
「いいえ、どういたしまして。どうです、今年の渡り鳥の景気は」
原文: 「いや、すてきなもんですよ。一昨日おととい第二限だいにげんころなんか、なぜ燈台とうだいを、規則以外きそくいがいに間(一時空白)させるかって、あっちからもこっちからも、電話で故障こしょうが来ましたが、なあに、こっちがやるんじゃなくて、わたどりどもが、まっ黒にかたまって、あかしの前を通るのですからしかたありませんや、わたしぁ、べらぼうめ、そんな苦情くじょうは、おれのとこへって来たってしかたがねえや、ばさばさのマントをあしと口との途方とほうもなくほそ大将たいしょうへやれって、こうってやりましたがね、はっは」
「いや、すてきなもんですよ。おとといの第二限ごろなんか、なぜ灯台の灯を規則以外に間(一時空白)させるかって、あっちからもこっちからも電話で苦情が来ましたが、なあに、こっちがやるんじゃなくて、渡り鳥どもがまっ黒にかたまって、あかりの前を通るのですからしかたありませんや、わたしゃ、べらぼうめ、そんな苦情はおれのところへ持って来たってしかたがねえや、ばさばさのマントを着て脚と口とが途方もなく細い大将へやれって、こう言ってやりましたがね、はっは」
原文: すすきがなくなったために、こうの野原から、ぱっとあかりがして来ました。
すすきがなくなったために、向こうの野原から、ぱっとあかりが射して来ました。
原文: さぎの方はなぜ手数てすうなんですか」
「さぎの方は、なぜ手数がかかるんですか」
原文: カムパネルラは、さっきから、こうと思っていたのです。
カムパネルラは、さっきから聞こうと思っていたのです。
原文: 「それはね、さぎをたべるには」
「それはね、さぎを食べるには」
原文: 鳥捕とりとりは、こっちになおりました。
鳥を捕る人は、こっちに向き直りました。
原文: 「天の川の水あかりに、十日もつるしておくかね、そうでなけぁ、すなに三、四日うずめなけぁいけないんだ。そうすると、水銀すいぎんがみんな蒸発じょうはつして、たべられるようになるよ」
「天の川の水あかりに、十日もつるしておくかね、そうでなけりゃ、砂に三、四日うずめなけりゃいけないんだ。そうすると、水銀がみんな蒸発して、食べられるようになるよ」
原文: 「こいつは鳥じゃない。ただのお菓子かしでしょう」
「こいつは鳥じゃない。ただのお菓子でしょう」
原文: やっぱりおなじことを考えていたとみえて、カムパネルラが、思い切ったというように、たずねました。
やっぱり同じことを考えていたとみえて、カムパネルラが、思い切ったというようにたずねました。
原文: 鳥捕とりとりは、何かたいへんあわてたふうで、
鳥を捕る人は、何かたいへんあわてたふうで、
原文: 「そうそう、ここでりなけぁ」
「そうそう、ここで降りなけりゃ」
原文: いながら、立って荷物にもつをとったと思うと、もう見えなくなっていました。
と言いながら、立って荷物をとったと思うと、もう見えなくなっていました。
原文: 「どこへ行ったんだろう」
「どこへ行ったんだろう」
原文: 二人ふたりは顔を見合わせましたら、燈台守とうだいもりは、にやにやわらって、少しびあがるようにしながら、二人のよこまどの外をのぞきました。
二人は顔を見合わせましたら、灯台守は、にやにや笑って、少し伸びあがるようにしながら、二人の横の窓の外をのぞきました。
原文: 二人ふたりもそっちを見ましたら、たったいまの鳥捕とりとりが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光りんこうを出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手りょうてをひろげて、じっとそらを見ていたのです。
二人もそっちを見ましたら、たったいまの鳥を捕る人が、黄いろと青じろの、うつくしい燐光を出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげ、じっと空を見ていたのです。
原文: 「あすこへ行ってる。ずいぶん奇体きたいだねえ。きっとまた鳥をつかまえるとこだねえ。汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといいな」
「あそこへ行ってる。ずいぶん妙だねえ。きっとまた鳥をつかまえるところだねえ。汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといいな」
原文: ったとたん、がらんとした桔梗ききょういろの空から、さっき見たようなさぎが、まるで雪のるように、ぎゃあぎゃあさけびながら、いっぱいにいおりて来ました。
と言ったとたん、がらんとした桔梗いろの空から、さっき見たようなさぎが、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞いおりて来ました。
原文: するとあの鳥捕とりとりは、すっかり注文ちゅうもん通りだというようにほくほくして、両足りょうあしをかっきり六十に開いて立って、さぎのちぢめてりて来る黒いあし両手りょうてかたっぱしからおさえて、ぬのふくろの中に入れるのでした。
するとあの鳥を捕る人は、すっかり注文通りだというようにほくほくして、両足をかっきり六十度に開いて立ち、さぎのちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片っぱしから押さえて、布の袋の中に入れるのでした。
原文: するとさぎは、ほたるのように、ふくろの中でしばらく、青くぺかぺか光ったりえたりしていましたが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなって、をつぶるのでした。
するとさぎは、蛍のように、袋の中でしばらく青くぺかぺか光ったり消えたりしていましたが、しまいにはとうとう、みんなぼんやり白くなって、目をつぶるのでした。
原文: ところが、つかまえられる鳥よりは、つかまえられないで無事ぶじに天の川のすなの上にりるものの方がおおかったのです。
ところが、つかまえられる鳥よりは、つかまえられないで無事に天の川の砂の上に降りるものの方が多かったのです。
原文: それは見ていると、足がすなへつくやいなや、まるでゆきけるように、ちぢまってひらべったくなって、まもなく溶鉱炉ようこうろから出たどうしるのように、すな砂利じゃりの上にひろがり、しばらくは鳥の形が、すなについているのでしたが、それも二、三明るくなったりくらくなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。
それは見ていると、足が砂につくやいなや、まるで雪の解けるように縮まって平べったくなって、まもなく溶鉱炉から出た銅の汁のように、砂や砂利の上にひろがり、しばらくは鳥の形が砂についているのでしたが、それも二、三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。
原文: 鳥捕とりとりは、二十ぴきばかり、ふくろに入れてしまうと、きゅう両手りょうてをあげて、兵隊へいたい鉄砲弾てっぽうだまにあたって、ぬときのような形をしました。
鳥を捕る人は、二十羽ばかり袋に入れてしまうと、急に両手をあげて、兵隊が鉄砲弾にあたって死ぬときのような形をしました。
原文: と思ったら、もうそこに鳥捕とりとりの形はなくなって、かえって、
と思ったら、もうそこに鳥を捕る人の姿はなくなって、かえって、
原文: 「ああせいせいした。どうもからだにちょうど合うほどかせいでいるくらい、いいことはありませんな」
「ああせいせいした。どうも、からだにちょうど合うほど稼いでいるくらい、いいことはありませんな」
原文: というききおぼえのある声が、ジョバンニのとなりにしました。
という聞きおぼえのある声が、ジョバンニの隣りでしました。
原文: 見ると鳥捕とりとりは、もうそこでとって来たさぎを、きちんとそろえて、一つずつかさなおしているのでした。
見ると鳥を捕る人は、もうそこでとって来たさぎを、きちんとそろえて、一つずつ重ね直しているのでした。
原文: 「どうして、あすこから、いっぺんにここへ来たんですか」
「どうして、あそこから、いっぺんにここへ来たんですか」
原文: ジョバンニが、なんだかあたりまえのような、あたりまえでないような、おかしな気がしていました。
ジョバンニが、なんだかあたりまえのような、あたりまえでないような、おかしな気がして問いました。
原文: 「どうしてって、来ようとしたから来たんです。ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか」
「どうしてって、来ようとしたから来たんです。ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか」
原文: ジョバンニは、すぐ返事へんじをしようと思いましたけれども、さあ、ぜんたいどこから来たのか、もうどうしても考えつきませんでした。
ジョバンニは、すぐ返事をしようと思いましたけれども、さあ、ぜんたいどこから来たのか、もうどうしても考えつきませんでした。
原文: カムパネルラも、顔をまっ赤にして何か思い出そうとしているのでした。
カムパネルラも、顔を真っ赤にして何か思い出そうとしているのでした。
原文: 「ああ、遠くからですね」
「ああ、遠くからですね」
原文: 鳥捕とりとりは、わかったというように雑作ぞうさなくうなずきました。
鳥を捕る人は、わかったというように、造作なくうなずきました。
原文: 九 ジョバンニの切符きっぷ
九 ジョバンニの切符
原文: 「もうここらは白鳥のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所かんそくじょです」
「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です」
原文: まどの外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物たてものが四むねばかり立って、その一つの平屋根ひらやねの上に、もさめるような、青宝玉サファイア黄玉トパーズの大きな二つのすきとおったたまが、になってしずかにくるくるとまわっていました。
窓の外の、まるで花火でいっぱいのような天の川のまん中に、黒い大きな建物が四棟ばかり立って、その一つの平屋根の上に、目もさめるような、サファイアとトパーズの大きな二つの透きとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。
原文: 黄いろのがだんだんこうへまわって行って、青い小さいのがこっちへすすんで来、まもなく二つのはじは、かさなり合って、きれいなみどりいろの両面凸りょうめんとつレンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみだして、とうとう青いのは、すっかりトパーズの正面しょうめんに来ましたので、みどりの中心と黄いろな明るいとができました。
黄いろのがだんだん向こうへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、まもなく二つのはじは重なり合って、きれいな緑いろの両面凸レンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみだして、とうとう青いのはすっかりトパーズの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環とができました。
原文: それがまただんだんよこれて、前のレンズの形をぎゃくにくりかえし、とうとうすっとはなれて、サファイアはこうへめぐり、黄いろのはこっちへすすみ、またちょうどさっきのようなふうになりました。
それがまただんだん横へそれて、前のレンズの形を逆にくり返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向こうへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、またちょうどさっきのようなふうになりました。
原文: 銀河ぎんがの、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所そっこうじょが、ねむっているように、しずかによこたわったのです。
銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、眠っているように、しずかによこたわったのです。
原文: 「あれは、水のはやさをはかる器械きかいです。水も……」
「あれは、水の速さをはかる器械です。水も……」
原文: 鳥捕とりとりがいかけたとき、
鳥を捕る人が言いかけたとき、
原文: 切符きっぷ拝見はいけんいたします」
「切符を拝見いたします」
原文: 三人のせきよこに、赤い帽子ぼうしをかぶったせいの高い車掌しゃしょうが、いつかまっすぐに立っていていました。
三人の席の横に、赤い帽子をかぶった背の高い車掌が、いつのまにかまっすぐに立っていて言いました。
原文: 鳥捕とりとりは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。
鳥を捕る人は、だまってポケットから小さな紙きれを出しました。
原文: 車掌しゃしょうはちょっと見て、すぐをそらして(あなた方のは?)
車掌はちょっと見て、すぐ目をそらして(あなた方のは?)
原文: というように、ゆびをうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。
というように、指を動かしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。
原文: 「さあ」
「さあ」
原文: ジョバンニはこまって、もじもじしていましたら、カムパネルラはわけもないというふうで、小さなねずみいろの切符きっぷを出しました。
ジョバンニが困ってもじもじしていましたら、カムパネルラはわけもないというふうで、小さなねずみいろの切符を出しました。
原文: ジョバンニは、すっかりあわててしまって、もしか上着うわぎのポケットにでも、はいっていたかとおもいながら、手を入れてみましたら、何か大きなたたんだ紙きれにあたりました。
ジョバンニはすっかりあわててしまって、もしかしたら上着のポケットにでもはいっていたかと思いながら手を入れてみましたら、何か大きなたたんだ紙きれにあたりました。
原文: こんなものはいっていたろうかと思って、いそいで出してみましたら、それは四つにったはがきぐらいの大さのみどりいろの紙でした。
こんなものがはいっていたろうかと思って、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙でした。
原文: 車掌しゃしょうが手を出しているもんですからなんでもかまわない、やっちまえと思ってわたしましたら、車掌しゃしょうはまっすぐに立ちなおってていねいにそれを開いて見ていました。
車掌が手を出しているものですから、なんでもかまわない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直って、ていねいにそれを開いて見ていました。
原文: そして読みながら上着うわぎのぼたんやなんかしきりになおしたりしていましたし燈台看守とうだいかんしゅも下からそれを熱心ねっしんにのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書しょうめいしょか何かだったと考えて少しむねあつくなるような気がしました。
そして読みながら上着のボタンやなんかをしきりに直したりしていましたし、灯台守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニは、たしかにあれは証明書か何かだったと考えて、少し胸が熱くなるような気がしました。
原文: 「これは三次空間じくうかんの方からおちになったのですか」
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか」
原文: 車掌しゃしょうがたずねました。
車掌がたずねました。
原文: 「なんだかわかりません」
「なんだかわかりません」
原文: もう大丈夫だいじょうぶだと安心しながらジョバンニはそっちを見あげてくつくつわらいました。
もう大丈夫だと安心しながら、ジョバンニはそっちを見あげて、くつくつ笑いました。
原文: 「よろしゅうございます。南十字サウザンクロスきますのは、つぎだい三時ころになります」
「よろしゅうございます。サウザンクロスへ着きますのは、次の第三時ごろになります」
原文: 車掌しゃしょうは紙をジョバンニにわたしてこうへ行きました。
車掌は紙をジョバンニに渡して、向こうへ行きました。
原文: カムパネルラは、その紙切れが何だったかちかねたというようにいそいでのぞきこみました。
カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ちかねたというように、急いでのぞきこみました。
原文: ジョバンニもまったく早く見たかったのです。
ジョバンニもまったく早く見たかったのです。
原文: ところがそれはいちめん黒い唐草からくさのような模様もようの中に、おかしな十ばかりの字を印刷いんさつしたもので、だまって見ているとなんだかその中へまれてしまうような気がするのでした。
ところがそれは、いちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したもので、だまって見ていると、なんだかその中へ吸い込まれてしまうような気がするのでした。
原文: すると鳥捕とりとりが横からちらっとそれを見てあわてたようにいました。
すると鳥を捕る人が横からちらっとそれを見て、あわてたように言いました。
原文: 「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符きっぷだ。天上どこじゃない、どこでもかってにあるける通行券つうこうけんです。こいつをおちになれぁ、なるほど、こんな不完全ふかんぜん幻想第四次げんそうだいよじ銀河鉄道ぎんがてつどうなんか、どこまででも行けるはずでさあ、あなた方たいしたもんですね」
「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どころじゃない、どこでもかってに歩ける通行券です。こいつをお持ちになれば、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさあ、あなた方、たいしたもんですね」
原文: 「なんだかわかりません」
「なんだかわかりません」
原文: ジョバンニが赤くなって答えながら、それをまたたたんでかくしに入れました。
ジョバンニが赤くなって答えながら、それをまたたたんでポケットに入れました。
原文: そしてきまりがわるいのでカムパネルラと二人ふたり、またまどの外をながめていましたが、その鳥捕とりとりの時々たいしたもんだというように、ちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。
そしてきまりが悪いので、カムパネルラと二人、また窓の外をながめていましたが、その鳥を捕る人がときどき、たいしたもんだというようにちらちらこっちを見ているのが、ぼんやりわかりました。
原文: 「もうじきわし停車場ていしゃじょうだよ」
「もうじき鷲の停車場だよ」
原文: カムパネルラがこうぎしの、三つならんだ小さな青じろい三角標さんかくひょうと、地図とを見くらべていました。
カムパネルラが、向こう岸の三つならんだ小さな青じろい三角標と、地図とを見くらべて言いました。
原文: ジョバンニはなんだかわけもわからずに、にわかにとなりの鳥捕とりとりがきのどくでたまらなくなりました。
ジョバンニはなんだかわけもわからずに、にわかにとなりの鳥を捕る人が気の毒でたまらなくなりました。
原文: さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくるつつんだり、ひとの切符きっぷをびっくりしたように横目よこめで見てあわててほめだしたり、そんなことを一々考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕とりとりのために、ジョバンニのっているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうのさいわいになるなら、自分があの光る天の川の河原かわらに立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももうだまっていられなくなりました。
さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白い布でそれをくるくる包んだり、人の切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一つ一つ考えていると、もうその見ず知らずの鳥を捕る人のために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸せになるなら、自分があの光る天の川の河原に立って、百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。
原文: ほんとうにあなたのほしいものはいったい何ですかとこうとして、それではあんまり出しけだから、どうしようかと考えてふりかえって見ましたら、そこにはもうあの鳥捕とりとりがいませんでした。
ほんとうにあなたのほしいものはいったい何ですかと聞こうとして、それではあんまり出し抜けだから、どうしようかと考えてふり返って見ましたら、そこにはもうあの鳥を捕る人がいませんでした。
原文: 網棚あみだなの上には白い荷物にもつも見えなかったのです。
網棚の上には、白い荷物も見えなかったのです。
原文: またまどの外で足をふんばってそらを見上げてさぎるしたくをしているのかと思って、いそいでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子すなごと白いすすきのなみばかり、あの鳥捕とりとりの広いせなかもとがった帽子ぼうしも見えませんでした。
また窓の外で足をふんばって空を見上げ、さぎを捕る支度をしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥を捕る人の広い背中も、とがった帽子も見えませんでした。
原文: 「あの人どこへ行ったろう」
「あの人、どこへ行ったろう」
原文: カムパネルラもぼんやりそうっていました。
カムパネルラもぼんやりそう言っていました。
原文: 「どこへ行ったろう。いったいどこでまたあうのだろう。ぼくはどうしても少しあの人にものわなかったろう」
「どこへ行ったろう。いったいどこでまた会うのだろう。ぼくはどうして、少しもあの人に物を言わなかったろう」
原文: 「ああ、ぼくもそう思っているよ」
「ああ、ぼくもそう思っているよ」
原文: ぼくはあの人が邪魔じゃまなような気がしたんだ。だからぼくはたいへんつらい」
「ぼくはあの人が邪魔なような気がしたんだ。だからぼくはたいへんつらい」
原文: ジョバンニはこんなへんてこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今までったこともないと思いました。
ジョバンニは、こんなへんてこな気持ちはほんとうにはじめてだし、こんなことを今まで言ったこともないと思いました。
原文: 「なんだか苹果りんごのにおいがする。ぼくいま苹果りんごのことを考えたためだろうか」
「なんだかりんごのにおいがする。ぼく、いまりんごのことを考えたためだろうか」
原文: カムパネルラが不思議ふしぎそうにあたりを見まわしました。
カムパネルラがふしぎそうにあたりを見まわしました。
原文: 「ほんとうに苹果りんごのにおいだよ。それから野茨のいばらのにおいもする」
「ほんとうにりんごのにおいだよ。それから野ばらのにおいもする」
原文: ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれはまどからでもはいって来るらしいのでした。
ジョバンニもそこらを見ましたが、やっぱりそれは窓からでもはいって来るらしいのでした。
原文: いま秋だから野茨のいばらの花のにおいのするはずはないとジョバンニは思いました。
いま秋だから、野ばらの花のにおいのするはずはないと、ジョバンニは思いました。
原文: そしたらにわかにそこに、つやつやした黒いかみの六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけず、ひどくびっくりしたような顔をして、がたがたふるえてはだしで立っていました。
そうしたらにわかにそこに、つやつやした黒い髪の六つばかりの男の子が、赤いジャケツのボタンもかけず、ひどくびっくりしたような顔をして、がたがたふるえてはだしで立っていました。
原文: となりには黒い洋服ようふくをきちんとたせいの高い青年がいっぱいに風にかれているけやきの木のような姿勢しせいで、男の子の手をしっかりひいて立っていました。
隣りには黒い洋服をきちんと着た背の高い青年が、いっぱいに風に吹かれているけやきの木のような姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立っていました。
原文: 「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ」
「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ」
原文: 青年のうしろに、もひとり、十二ばかりのの茶いろな可愛かわいらしい女の子が、黒い外套がいとうて青年のうでにすがって不思議ふしぎそうにまどの外を見ているのでした。
青年のうしろに、もう一人、十二ばかりの目の茶いろなかわいらしい女の子が、黒い外套を着て青年の腕にすがって、ふしぎそうに窓の外を見ているのでした。
原文: 「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカットしゅうだ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちはかみさまにされているのです」
「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちは空へ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことはありません。わたくしたちは神さまに召されているのです」
原文: 黒服くろふくの青年はよろこびにかがやいてその女の子にいました。
黒服の青年は、よろこびにかがやいて、その女の子に言いました。
原文: けれどもなぜかまたひたいふかしわきざんで、それにたいへんつかれているらしく、無理むりわらいながら男の子をジョバンニのとなりにすわらせました。
けれどもなぜかまた額に深くしわを刻んで、それにたいへん疲れているらしく、無理に笑いながら、男の子をジョバンニのとなりにすわらせました。
原文: それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりのせきゆびさしました。
それから女の子に、やさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。
原文: 女の子はすなおにそこへすわって、きちんと両手りょうてを組み合わせました。
女の子はすなおにそこへすわって、きちんと両手を組み合わせました。
原文: 「ぼく、おおねえさんのとこへ行くんだよう」
「ぼく、おおねえさんのとこへ行くんだよう」
原文: 腰掛こしかけたばかりの男の子は顔をへんにして燈台看守とうだいかんしゅこうのせきにすわったばかりの青年にいました。
腰かけたばかりの男の子は、顔を変にして、灯台守の向こうの席にすわったばかりの青年に言いました。
原文: 青年はなんともえずかなしそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれたぬれた頭を見ました。
青年はなんとも言えず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれたぬれた頭を見ました。
原文: 女の子は、いきなり両手りょうてを顔にあててしくしくいてしまいました。
女の子は、いきなり両手を顔にあてて、しくしく泣いてしまいました。
原文: 「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事しごとがあるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなにながっていらっしゃったでしょう。わたしの大事だいじなタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、ゆきる朝にみんなと手をつないで、ぐるぐるにわとこのやぶをまわってあそんでいるだろうかと考えたり、ほんとうにって心配しんぱいしていらっしゃるんですから、早く行って、おっかさんにお目にかかりましょうね」
「お父さんやきくよねえさんは、まだいろいろお仕事があるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、お母さんはどんなに長く待っていらっしゃったでしょう。わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、雪の降る朝にみんなと手をつないで、ぐるぐるにわとこのやぶをまわって遊んでいるだろうかと考えたり、ほんとうに待って心配していらっしゃるんですから、早く行って、お母さんにお目にかかりましょうね」
原文: 「うん、だけどぼく、船にらなけぁよかったなあ」
「うん、だけどぼく、船に乗らなけりゃよかったなあ」
原文: 「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派りっぱな川、ね、あすこはあの夏じゅう、ツィンクル、ツィンクル、リトル、スターをうたってやすむとき、いつもまどからぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています」
「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あそこはあの夏じゅう、ツィンクル、ツィンクル、リトル、スターをうたって休むとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あそこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています」
原文: いていたあねもハンケチでをふいて外を見ました。
泣いていた姉も、ハンカチで目をふいて外を見ました。
原文: 青年は教えるようにそっと姉弟きょうだいにまたいました。
青年は教えるように、そっと姉弟にまた言いました。
原文: 「わたしたちはもう、なんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこをたびして、じきかみさまのとこへ行きます。そこならもう、ほんとうに明るくてにおいがよくて立派りっぱな人たちでいっぱいです。そしてわたしたちのわりにボートへれた人たちは、きっとみんなたすけられて、心配しんぱいしてっているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう」
「わたしたちはもう、なんにもかなしいことはないのです。わたしたちはこんないいところを旅して、じきに神さまのところへ行きます。そこならもう、ほんとうに明るくてにおいがよくて、立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代わりにボートへ乗れた人たちは、きっとみんな助けられて、心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや、自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから、元気を出しておもしろくうたって行きましょう」
原文: 青年は男の子のぬれたような黒いかみをなで、みんなをなぐさめながら、自分もだんだん顔いろがかがやいてきました。
青年は男の子のぬれたような黒い髪をなで、みんなを慰めながら、自分もだんだん顔いろがかがやいてきました。
原文: 「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか」
「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなさったのですか」
原文: さっきの燈台看守とうだいかんしゅがやっと少しわかったように青年にたずねました。
さっきの灯台守が、やっと少しわかったように、青年にたずねました。
原文: 青年はかすかにわらいました。
青年はかすかに笑いました。
原文: 「いえ、氷山ひょうざんにぶっつかって船がしずみましてね、わたしたちはこちらのお父さんがきゅうようで二か月前、一足さきに本国へお帰りになったので、あとからったのです。私は大学へはいっていて、家庭教師かていきょうしにやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日きのうのあたりです、船が氷山ひょうざんにぶっつかって一ぺんにかたむきもうしずみかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、きり非常ひじょうふかかったのです。ところがボートは左舷さげんの方半分はんぶんはもうだめになっていましたから、とてもみんなはり切らないのです。もうそのうちにも船はしずみますし、私は必死ひっしとなって、どうか小さな人たちをせてくださいとさけびました。近くの人たちはすぐみちを開いて、そして子供たちのためにいのってくれました。けれどもそこからボートまでのところには、まだまだ小さな子どもたちや親たちやなんかいて、とてもしのける勇気ゆうきがなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをおたすけするのが私の義務ぎむだと思いましたから前にいる子供らをしのけようとしました。けれどもまた、そんなにしてたすけてあげるよりはこのままかみ御前みまえにみんなで行く方が、ほんとうにこの方たちの幸福こうふくだとも思いました。それからまた、そのかみにそむくつみはわたくしひとりでしょってぜひともたすけてあげようと思いました。けれども、どうしても見ているとそれができないのでした。子どもらばかりのボートの中へはなしてやって、お母さんが狂気きょうきのようにキスをおくりお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなど、とてももうはらわたもちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずんしずみますから、私たちはかたまって、もうすっかり覚悟かくごして、この人たち二人をいて、かべるだけはかぼうと船のしずむのをっていました。だれげたかライフヴイが一つんで来ましたけれどもすべってずうっとこうへ行ってしまいました。私は一生けんめい甲板かんぱん格子こうしになったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。
「いえ、氷山にぶつかって船が沈みましてね、わたしたちは、こちらのお父さんが急な用で二か月前、一足さきに本国へお帰りになったので、あとから発ったのです。私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日のあたりです、船が氷山にぶつかって一ぺんに傾き、もう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧が非常に深かったのです。ところがボートは左舷の方の半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死になって、どうか小さな人たちを乗せてくださいと叫びました。近くの人たちはすぐ道を開いて、そして子どもたちのために祈ってくれました。けれどもそこからボートまでのところには、まだまだ小さな子どもたちや親たちやなんかがいて、とても押しのける勇気がなかったのです。それでもわたくしは、どうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから、前にいる子どもらを押しのけようとしました。けれどもまた、そんなにして助けてあげるよりは、このまま神の御前にみんなで行く方が、ほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまた、その神にそむく罪はわたくし一人でしょって、ぜひとも助けてあげようと思いました。けれども、どうしても見ているとそれができないのでした。子どもらばかりのボートの中へ放してやって、お母さんが狂気のようにキスを送り、お父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなど、とてももうはらわたもちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私たちはかたまって、もうすっかり覚悟して、この人たち二人を抱いて、浮かべるだけは浮かぼうと、船の沈むのを待っていました。誰が投げたか救命浮輪が一つ飛んで来ましたけれども、すべってずっと向こうへ行ってしまいました。私は一生けんめいで甲板の格子になったところをはなして、三人それにしっかりとりつきました。
原文: どこからともなく三〇六番の声があがりました。
どこからともなく三〇六番の声があがりました。
原文: たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。
たちまちみんなは、いろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。
原文: そのときにわかに大きな音がして私たちは水にち、もううずにはいったと思いながらしっかりこの人たちをだいて、それからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。
そのときにわかに大きな音がして、私たちは水に落ち、もう渦にはいったと思いながら、しっかりこの人たちを抱いて、それからぼうっとしたと思ったら、もうここへ来ていたのです。
原文: この方たちのお母さんは一昨年さくねんくなられました。
この方たちのお母さんは、おととし亡くなられました。
原文: ええ、ボートはきっとたすかったにちがいありません、なにせよほど熟練じゅくれん水夫すいふたちがいで、すばやく船からはなれていましたから」
ええ、ボートはきっと助かったにちがいありません、なにせ、よほど熟練な水夫たちが漕いで、すばやく船からはなれていましたから」
原文: そこらから小さな嘆息たんそくやいのりの声が聞こえジョバンニもカムパネルラもいままでわすれていたいろいろのことをぼんやり思い出してあつくなりました。
そこらから小さなため息や祈りの声が聞こえ、ジョバンニもカムパネルラも、いままで忘れていたいろいろのことをぼんやり思い出して、目が熱くなりました。
原文: (ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。
(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。
原文: その氷山ひょうざんながれる北のはての海で、小さな船にって、風やこおりつく潮水しおみずや、はげしいさむさとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。
その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍りつく潮水や、はげしい寒さとたたかって、誰かが一生けんめい働いている。
原文: ぼくはそのひとにほんとうにきのどくでそしてすまないような気がする。
ぼくはその人にほんとうに気の毒で、そしてすまないような気がする。
原文: ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう)
ぼくはその人の幸せのために、いったいどうしたらいいのだろう)
原文: ジョバンニはくびをたれて、すっかりふさぎんでしまいました。
ジョバンニは首をたれて、すっかりふさぎ込んでしまいました。
原文: 「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちをすすむ中でのできごとなら、とうげの上りも下りもみんなほんとうの幸福こうふくに近づく一あしずつですから」
「何が幸せかわからないです。ほんとうに、どんなつらいことでも、それが正しい道を進む中でのできごとなら、峠の上りも下りも、みんなほんとうの幸福に近づく一足ずつですから」
原文: 燈台守とうだいもりがなぐさめていました。
灯台守がなぐさめていました。
原文: 「ああそうです。ただいちばんのさいわいにいたるためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです」
「ああそうです。ただいちばんの幸せに至るために、いろいろのかなしみもみんな神のおぼしめしです」
原文: 青年がいのるようにそう答えました。
青年が祈るようにそう答えました。
原文: そしてあの姉弟きょうだいはもうつかれてめいめいぐったりせきによりかかってねむっていました。
そしてあの姉弟は、もう疲れて、めいめいぐったり席によりかかって眠っていました。
原文: さっきのあのはだしだった足にはいつか白いやわらかなくつをはいていたのです。
さっきのあのはだしだった足には、いつのまにか白いやわらかな靴をはいていたのです。
原文: ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光りんこうの川のきしすすみました。
ごとごとごとごと、汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進みました。
原文: こうの方のまどを見ると、野原はまるで幻燈げんとうのようでした。
向こうの方の窓を見ると、野原はまるで幻灯のようでした。
原文: 百も千もの大小さまざまの三角標さんかくひょう、その大きなものの上には赤い点々をうった測量旗そくりょうきも見え、野原のはらのはてはそれらがいちめん、たくさんたくさんあつまってぼおっと青白いきりのよう、そこからか、またはもっとこうからか、ときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のろしのようなものが、かわるがわるきれいな桔梗ききょういろのそらにうちあげられるのでした。
百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点々をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集まってぼおっと青白い霧のよう、そこからか、またはもっと向こうからか、ときどきさまざまの形のぼんやりしたのろしのようなものが、かわるがわるきれいな桔梗いろの空に打ちあげられるのでした。
原文: じつにそのすきとおった奇麗きれいな風は、ばらのにおいでいっぱいでした。
じつにその透きとおったきれいな風は、ばらのにおいでいっぱいでした。
原文: 「いかがですか。こういう苹果りんごはおはじめてでしょう」
「いかがですか。こういうりんごははじめてでしょう」
原文: こうのせき燈台看守とうだいかんしゅがいつか黄金きんべにでうつくしくいろどられた大きな苹果りんごとさないように両手りょうてひざの上にかかえていました。
向こうの席の灯台守が、いつのまにか金と紅でうつくしくいろどられた大きなりんごを、落とさないように両手で膝の上にかかえていました。
原文: 「おや、どっから来たのですか。立派りっぱですねえ。ここらではこんな苹果りんごができるのですか」
「おや、どこから来たのですか。立派ですねえ。ここらではこんなりんごができるのですか」
原文: 青年はほんとうにびっくりしたらしく、燈台看守とうだいかんしゅ両手りょうてにかかえられた一もりの苹果りんごを、ほそくしたりくびをまげたりしながら、われをわすれてながめていました。
青年はほんとうにびっくりしたらしく、灯台守の両手にかかえられた一盛りのりんごを、目を細くしたり首をまげたりしながら、われを忘れてながめていました。
原文: 「いや、まあおとりください。どうか、まあおとりください」
「いや、まあおとりください。どうか、まあおとりください」
原文: 青年は一つとってジョバンニたちの方をちょっと見ました。
青年は一つとって、ジョバンニたちの方をちょっと見ました。
原文: 「さあ、こうのぼっちゃんがた。いかがですか。おとりください」
「さあ、向こうの坊ちゃんがた。いかがですか。おとりください」
原文: ジョバンニはぼっちゃんといわれたので、すこししゃくにさわってだまっていましたが、カムパネルラは、
ジョバンニは坊ちゃんと言われたので、少ししゃくにさわってだまっていましたが、カムパネルラは、
原文: 「ありがとう」
「ありがとう」
原文: いました。
と言いました。
原文: すると青年は自分でとって一つずつ二人におくってよこしましたので、ジョバンニも立って、ありがとうといました。
すると青年は自分でとって、一つずつ二人に送ってよこしましたので、ジョバンニも立って、ありがとうと言いました。
原文: 燈台看守とうだいかんしゅはやっと両腕りょううでがあいたので、こんどは自分で一つずつねむっている姉弟きょうだいひざにそっときました。
灯台守はやっと両腕があいたので、こんどは自分で一つずつ、眠っている姉弟の膝にそっと置きました。
原文: 「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派りっぱ苹果りんごは」
「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派なりんごは」
原文: 青年はつくづく見ながらいました。
青年はつくづく見ながら言いました。
原文: 「このあたりではもちろん農業のうぎょうはいたしますけれどもたいていひとりでにいいものができるような約束やくそくになっております。農業のうぎょうだってそんなにほねはおれはしません。たいてい自分ののぞ種子たねさえけばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィックへんのようにからもないし十ばいも大きくてにおいもいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業のうぎょうはもうありません。苹果りんごだってお菓子かしだって、かすが少しもありませんから、みんなそのひとそのひとによってちがった、わずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです」
「このあたりではもちろん農業はいたしますけれども、たいていひとりでにいいものができるような約束になっております。農業だってそんなに骨は折れはしません。たいてい自分の望む種さえまけば、ひとりでにどんどんできます。米だってパシフィックあたりのように殻もないし、十倍も大きくてにおいもいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら、農業はもうありません。りんごだってお菓子だって、かすが少しもありませんから、みんなその人その人によってちがった、わずかのいいかおりになって、毛あなから散ってしまうのです」
原文: にわかに男の子がばっちりをあいていました。
にわかに男の子がぱっちり目をあいて言いました。
原文: 「ああぼくいまおっかさんのゆめをみていたよ。おっかさんがね、立派りっぱ戸棚とだなや本のあるとこにいてね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼく、おっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか、とったらがさめちゃった。ああここ、さっきの汽車のなかだねえ」
「ああ、ぼく、いまお母さんの夢をみていたよ。お母さんがね、立派な戸棚や本のあるところにいてね、ぼくの方を見て手をだして、にこにこにこにこ笑ったよ。ぼく、お母さん、りんごをひろってきてあげましょうか、と言ったら目がさめちゃった。ああ、ここ、さっきの汽車のなかだねえ」
原文: 「その苹果りんごがそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ」
「そのりんごがそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ」
原文: 青年がいました。
青年が言いました。
原文: 「ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん」
「ありがとう、おじさん。おや、かおるねえさん、まだ寝てるねえ、ぼく、起こしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。起きてごらん」
原文: あねはわらってをさまし、まぶしそうに両手りょうてにあてて、それから苹果りんごを見ました。
姉は笑って目をさまし、まぶしそうに両手を目にあてて、それからりんごを見ました。
原文: 男の子はまるでパイをたべるように、もうそれをたべていました。
男の子はまるでパイを食べるように、もうそれを食べていました。
原文: またせっかくむいたそのきれいなかわも、くるくるコルクきのような形になってゆかちるまでの間にはすうっと、はいいろに光って蒸発じょうはつしてしまうのでした。
またせっかくむいたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜きのような形になって、床へ落ちるまでの間にはすうっと灰いろに光って、蒸発してしまうのでした。
原文: 二人ふたりはりんごをたいせつにポケットにしまいました。
二人はりんごを大切にポケットにしまいました。
原文: 川下のこうぎしに青くしげった大きな林が見え、そのえだにはじゅくしてまっ赤に光るまるいがいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標さんかくひょうが立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじってなんともえずきれいないろが、とけるようにみるように風につれてながれて来るのでした。
川下の向こう岸に青く茂った大きな林が見え、その枝には熟して真っ赤に光る丸い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルやシロフォンにまじって、なんとも言えずきれいな音いろが、とけるように、しみるように、風につれて流れて来るのでした。
原文: 青年はぞくっとしてからだをふるうようにしました。
青年はぞくっとして、からだをふるわせるようにしました。
原文: だまってそのを聞いていると、そこらにいちめん黄いろや、うすいみどりの明るい野原のはら敷物しきものかがひろがり、またまっ白なろうのようなつゆ太陽たいようめんをかすめて行くように思われました。
だまってその調べを聞いていると、そこらにいちめん黄いろや、うすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、また真っ白な蝋のような露が太陽の面をかすめて行くように思われました。
原文: 「まあ、あのからす
「まあ、あの烏」
原文: カムパネルラのとなりの、かおるとばれた女の子がさけびました。
カムパネルラのとなりの、かおると呼ばれた女の子が叫びました。
原文: 「からすでない。みんなかささぎだ」
「からすでない。みんなかささぎだ」
原文: カムパネルラがまた何気なくしかるようにさけびましたので、ジョバンニはまた思わずわらい、女の子はきまりわるそうにしました。
カムパネルラがまた何気なく、しかるように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。
原文: まったく河原かわらの青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいにれつになってとまってじっと川の微光びこうを受けているのでした。
まったく河原の青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさん、いっぱいに列になってとまって、じっと川のかすかな光を受けているのでした。
原文: 「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんとびてますから」
「かささぎですねえ、頭のうしろのところに毛がぴんと伸びてますから」
原文: 青年はとりなすようにいました。
青年はとりなすように言いました。
原文: こうの青い森の中の三角標さんかくひょうはすっかり汽車の正面しょうめんに来ました。
向こうの青い森の中の三角標は、すっかり汽車の正面に来ました。
原文: そのとき汽車のずうっとうしろの方から、あの聞きなれた三〇六番の讃美歌さんびかのふしが聞こえてきました。
そのとき汽車のずっとうしろの方から、あの聞きなれた三〇六番の讃美歌の節が聞こえてきました。
原文: よほどの人数で合唱がっしょうしているらしいのでした。
よほどの人数で合唱しているらしいのでした。
原文: 青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きそうにしましたが思いかえしてまたすわりました。
青年はさっと顔いろが青ざめ、立って一度そっちへ行きそうにしましたが、思いかえしてまたすわりました。
原文: かおる子はハンケチを顔にあててしまいました。
かおるという子は、ハンカチを顔にあててしまいました。
原文: ジョバンニまでなんだかはなへんになりました。
ジョバンニまで、なんだか鼻が変になりました。
原文: けれどもいつともなくだれともなくその歌は歌い出されだんだんはっきり強くなりました。
けれどもいつともなく、誰ともなくその歌は歌い出され、だんだんはっきり強くなりました。
原文: 思わずジョバンニもカムパネルラもいっしょにうたいだしたのです。
思わずジョバンニもカムパネルラも、いっしょにうたいだしたのです。
原文: そして青い橄欖かんらんの森が、見えない天の川のこうにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまい、そこからながれて来るあやしい楽器がっきの音も、もう汽車のひびきや風の音にすりへらされてずうっとかすかになりました。
そして青いかんらんの森が、見えない天の川の向こうにさめざめと光りながら、だんだんうしろの方へ行ってしまい、そこから流れて来るあやしい楽器の音も、もう汽車のひびきや風の音にすりへらされて、ずっとかすかになりました。
原文: 「あ、孔雀くじゃくがいるよ。あ、孔雀くじゃくがいるよ」
「あ、孔雀がいるよ。あ、孔雀がいるよ」
原文: 「あの森ライラ宿やどでしょう。あたしきっとあの森の中にむかしの大きなオーケストラの人たちがあつまっていらっしゃると思うわ、まわりには青い孔雀くじゃくやなんかたくさんいると思うわ」
「あの森、琴の宿でしょう。あたし、きっとあの森の中に、むかしの大きなオーケストラの人たちが集まっていらっしゃると思うわ、まわりには青い孔雀やなんかたくさんいると思うわ」
原文: 「ええ、たくさんいたわ」
「ええ、たくさんいたわ」
原文: 女の子がこたえました。
女の子がこたえました。
原文: ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つのみどりいろのかいぼたんのように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀くじゃくがはねをひろげたりとじたりする光の反射はんしゃを見ました。
ジョバンニは、その小さく小さくなって、いまはもう一つの緑いろの貝ボタンのように見える森の上に、さっさっと青じろくときどき光って、その孔雀がはねをひろげたりとじたりする光の反射を見ました。
原文: 「そうだ、孔雀くじゃくの声だってさっき聞こえた」
「そうだ、孔雀の声だってさっき聞こえた」
原文: カムパネルラが女の子にいました。
カムパネルラが女の子に言いました。
原文: 「ええ、三十ぴきぐらいはたしかにいたわ」
「ええ、三十羽ぐらいはたしかにいたわ」
原文: 女の子が答えました。
女の子が答えました。
原文: ジョバンニはにわかになんともえずかなしい気がして思わず、
ジョバンニはにわかになんとも言えずかなしい気がして、思わず、
原文: 「カムパネルラ、ここからはねおりてあそんで行こうよ」
「カムパネルラ、ここからはねおりて遊んで行こうよ」
原文: とこわい顔をしておうとしたくらいでした。
と、こわい顔をして言おうとしたくらいでした。
原文: ところがそのときジョバンニは川下の遠くの方に不思議ふしぎなものを見ました。
ところがそのとき、ジョバンニは川下の遠くの方にふしぎなものを見ました。
原文: それはたしかになにか黒いつるつるした細長ほそながいもので、あの見えない天の川の水の上にび出してちょっとゆみのようなかたちにすすんで、また水の中にかくれたようでした。
それはたしかになにか黒いつるつるした細長いもので、あの見えない天の川の水の上に飛び出して、ちょっと弓のようなかたちに進んで、また水の中にかくれたようでした。
原文: おかしいと思ってまたよく気をつけていましたら、こんどはずっと近くでまたそんなことがあったらしいのでした。
おかしいと思ってまたよく気をつけていましたら、こんどはずっと近くで、またそんなことがあったらしいのでした。
原文: そのうちもうあっちでもこっちでも、その黒いつるつるしたへんなものが水からび出して、まるくんでまた頭から水へくぐるのがたくさん見えてきました。
そのうちもうあっちでもこっちでも、その黒いつるつるした変なものが水から飛び出して、まるく飛んでまた頭から水へくぐるのが、たくさん見えてきました。
原文: みんな魚のように川上へのぼるらしいのでした。
みんな魚のように川上へのぼるらしいのでした。
原文: 「まあ、なんでしょう。たあちゃん。ごらんなさい。まあたくさんだわね。なんでしょうあれ」
「まあ、なんでしょう。たあちゃん。ごらんなさい。まあたくさんだわね。なんでしょう、あれ」
原文: ねむそうにをこすっていた男の子はびっくりしたように立ちあがりました。
眠そうに目をこすっていた男の子は、びっくりしたように立ちあがりました。
原文: 「なんだろう」
「なんだろう」
原文: 青年も立ちあがりました。
青年も立ちあがりました。
原文: 「まあ、おかしな魚だわ、なんでしょうあれ」
「まあ、おかしな魚だわ、なんでしょう、あれ」
原文: 海豚いるかです」
「いるかです」
原文: カムパネルラがそっちを見ながら答えました。
カムパネルラがそっちを見ながら答えました。
原文: 海豚いるかだなんてあたしはじめてだわ。けどここ海じゃないんでしょう」
「いるかだなんて、あたしはじめてだわ。けど、ここ海じゃないんでしょう」
原文: 「いるかは海にいるときまっていない」
「いるかは海にいるときまっていない」
原文: あの不思議ふしぎひくい声がまたどこからかしました。
あのふしぎな低い声が、またどこからかしました。
原文: ほんとうにそのいるかのかたちのおかしいことは、二つのひれをちょうど両手りょうてをさげて不動ふどう姿勢しせいをとったようなふうにして水の中からび出して来て、うやうやしく頭を下にして不動ふどう姿勢しせいのまままた水の中へくぐって行くのでした。
ほんとうにそのいるかのかたちのおかしいことは、二つのひれを、ちょうど両手をさげて不動の姿勢をとったようなふうにして水の中から飛び出して来て、うやうやしく頭を下にして、不動の姿勢のまままた水の中へくぐって行くのでした。
原文: 見えない天の川の水もそのときはゆらゆらと青いほのおのようになみをあげるのでした。
見えない天の川の水も、そのときはゆらゆらと青いほのおのように波をあげるのでした。
原文: 「いるかお魚でしょうか」
「いるかはお魚でしょうか」
原文: 女の子がカムパネルラにはなしかけました。
女の子がカムパネルラに話しかけました。
原文: 男の子はぐったりつかれたようにせきにもたれてねむっていました。
男の子はぐったり疲れたように席にもたれて眠っていました。
原文: 「いるか、魚じゃありません。くじらと同じようなけだものです」
「いるかは魚じゃありません。くじらと同じようなけものです」
原文: カムパネルラが答えました。
カムパネルラが答えました。
原文: 「あなたくじら見たことあって」
「あなた、くじらを見たことがあって」
原文: ぼくあります。くじら、頭と黒いしっぽだけ見えます。しおくとちょうど本にあるようになります」
「ぼくはあります。くじらは、頭と黒いしっぽだけ見えます。潮を吹くと、ちょうど本にあるようになります」
原文: 「くじらなら大きいわねえ」
「くじらなら大きいわねえ」
原文: 「くじら大きいです。子供こどもだっているかぐらいあります」
「くじらは大きいです。子どもだって、いるかぐらいあります」
原文: 「そうよ、あたしアラビアンナイトで見たわ」
「そうよ、あたし、アラビアンナイトで見たわ」
原文: あねほそぎんいろの指輪ゆびわをいじりながらおもしろそうにはなししていました。
姉は細い銀いろの指輪をいじりながら、おもしろそうに話していました。
原文: (カムパネルラ、ぼくもう行っちまうぞ。
(カムパネルラ、ぼくはもう行っちまうぞ。
原文: ぼくなんかくじらだって見たことないや)
ぼくなんか、くじらだって見たことないや)
原文: ジョバンニはまるでたまらないほどいらいらしながら、それでもかたく、くちびるんでこらえてまどの外を見ていました。
ジョバンニはまるでたまらないほどいらいらしながら、それでも固く唇を噛んでこらえて、窓の外を見ていました。
原文: そのまどの外には海豚いるかのかたちももう見えなくなって川は二つにわかれました。
その窓の外には、いるかのかたちももう見えなくなって、川は二つにわかれました。
原文: そのまっくらなしまのまん中に高い高いやぐらが一つ組まれて、その上に一人のゆるふくて赤い帽子ぼうしをかぶった男が立っていました。
その真っ暗な島のまん中に、高い高いやぐらが一つ組まれて、その上に一人の、ゆるい服を着て赤い帽子をかぶった男が立っていました。
原文: そして両手りょうてに赤と青のはたをもってそらを見上げて信号しんごうしているのでした。
そして両手に赤と青の旗をもって、空を見上げて信号しているのでした。
原文: ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤いはたをふっていましたが、にわかに赤旗あかはたをおろしてうしろにかくすようにし、青いはたを高く高くあげてまるでオーケストラの指揮者しきしゃのようにはげしくりました。
ジョバンニが見ている間、その人はしきりに赤い旗をふっていましたが、にわかに赤旗をおろしてうしろにかくすようにし、青い旗を高く高くあげて、まるでオーケストラの指揮者のようにはげしく振りました。
原文: すると空中にざあっと雨のような音がして、何かまっくらなものが、いくかたまりもいくかたまりも鉄砲丸てっぽうだまのように川のこうの方へんで行くのでした。
すると空中にざあっと雨のような音がして、何か真っ暗なものが、いくかたまりもいくかたまりも鉄砲弾のように、川の向こうの方へ飛んで行くのでした。
原文: ジョバンニは思わずまどからからだを半分出して、そっちを見あげました。
ジョバンニは思わず窓からからだを半分出して、そっちを見あげました。
原文: うつくしいうつくしい桔梗ききょういろのがらんとした空の下を、じつ何万なんまんという小さな鳥どもが、幾組いくくみ幾組いくくみもめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。
うつくしいうつくしい桔梗いろの、がらんとした空の下を、じつに何万という小さな鳥どもが、いく組もいく組も、めいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。
原文: 「鳥がんで行くな」
「鳥が飛んで行くな」
原文: ジョバンニがまどの外で言いました。
ジョバンニが窓の外で言いました。
原文: 「どら」
「どれ」
原文: カムパネルラもそらを見ました。
カムパネルラも空を見ました。
原文: そのときあのやぐらの上のゆるいふくの男はにわかに赤いはたをあげて狂気きょうきのようにふりうごかしました。
そのとき、あのやぐらの上のゆるい服の男は、にわかに赤い旗をあげて、狂気のようにふり動かしました。
原文: するとぴたっと鳥のれは通らなくなり、それと同時にぴしゃあんというつぶれたような音が川下の方でこって、それからしばらくしいんとしました。
するとぴたっと鳥の群れは通らなくなり、それと同時にぴしゃあんという、つぶれたような音が川下の方で起こって、それからしばらくしんとしました。
原文: と思ったらあの赤帽あかぼう信号手しんごうしゅがまた青いはたをふってさけんでいたのです。
と思ったら、あの赤帽の信号手が、また青い旗をふって叫んでいたのです。
原文: 「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥」
「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥」
原文: その声もはっきり聞こえました。
その声もはっきり聞こえました。
原文: それといっしょにまた幾万いくまんという鳥のれがそらをまっすぐにかけたのです。
それといっしょに、また幾万という鳥の群れが、空をまっすぐにかけたのです。
原文: 二人ふたりの顔を出しているまん中のまどからあの女の子が顔を出してうつくしいほおをかがやかせながらそらをあおぎました。
二人の顔を出しているまん中の窓から、あの女の子が顔を出して、うつくしい頬をかがやかせながら空を仰ぎました。
原文: 「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと」
「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあ、空のきれいなこと」
原文: 女の子はジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニは生意気なまいきな、いやだいと思いながら、だまって口をむすんでそらを見あげていました。
女の子はジョバンニに話しかけましたけれども、ジョバンニは、生意気な、いやだいと思いながら、だまって口をむすんで空を見あげていました。
原文: 女の子は小さくほっといきをして、だまってせきもどりました。
女の子は小さくほっと息をして、だまって席へ戻りました。
原文: カムパネルラがきのどくそうにまどから顔を引っめて地図を見ていました。
カムパネルラが気の毒そうに、窓から顔を引っ込めて地図を見ていました。
原文: 「あの人鳥へ教えてるんでしょうか」
「あの人、鳥へ教えてるんでしょうか」
原文: 女の子がそっとカムパネルラにたずねました。
女の子がそっとカムパネルラにたずねました。
原文: 「わたり鳥へ信号しんごうしてるんです。きっとどこからかのろしがあがるためでしょう」
「わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからかのろしがあがるためでしょう」
原文: カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。
カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。
原文: そして車の中はしいんとなりました。
そして車の中はしんとなりました。
原文: ジョバンニはもう頭を引っめたかったのですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかったので、だまってこらえてそのまま立って口笛くちぶえいていました。
ジョバンニはもう頭を引っ込めたかったのですけれども、明るいところへ顔を出すのがつらかったので、だまってこらえて、そのまま立って口笛を吹いていました。
原文: (どうしてぼくはこんなにかなしいのだろう。
(どうしてぼくはこんなにかなしいのだろう。
原文: ぼくはもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。
ぼくはもっと心持ちをきれいに大きくもたなければいけない。
原文: あすこのきしのずうっとこうにまるでけむりのような小さな青い火が見える。
あそこの岸のずっと向こうに、まるでけむりのような小さな青い火が見える。
原文: あれはほんとうにしずかでつめたい。
あれはほんとうにしずかでつめたい。
原文: ぼくはあれをよく見てこころもちをしずめるんだ)
ぼくはあれをよく見て、心持ちをしずめるんだ)
原文: ジョバンニはほてっていたいあたまを両手りょうておさえるようにして、そっちの方を見ました。
ジョバンニはほてって痛い頭を両手で押さえるようにして、そっちの方を見ました。
原文: (ああほんとうにどこまでもどこまでもぼくといっしょに行くひとはないだろうか。
(ああ、ほんとうにどこまでもどこまでもぼくといっしょに行く人はないだろうか。
原文: カムパネルラだってあんな女の子とおもしろそうにはなしているしぼくはほんとうにつらいなあ)
カムパネルラだって、あんな女の子とおもしろそうに話しているし、ぼくはほんとうにつらいなあ)
原文: ジョバンニのはまたなみだでいっぱいになり、天の川もまるで遠くへったようにぼんやり白く見えるだけでした。
ジョバンニの目はまた涙でいっぱいになり、天の川もまるで遠くへ行ったように、ぼんやり白く見えるだけでした。
原文: そのとき汽車はだんだん川からはなれてがけの上を通るようになりました。
そのとき汽車はだんだん川からはなれて、崖の上を通るようになりました。
原文: こうぎしもまた黒いいろのがけが川のきし下流かりゅうに下るにしたがって、だんだん高くなっていくのでした。
向こう岸もまた黒いいろの崖が、川の岸を下流に下るにしたがって、だんだん高くなっていくのでした。
原文: そしてちらっと大きなとうもろこしの木を見ました。
そしてちらっと大きなとうもろこしの木を見ました。
原文: そのはぐるぐるにちぢの下にはもう美しいみどりいろの大きなほうが赤い毛をいて真珠しんじゅのようなもちらっと見えたのでした。
その葉はぐるぐるに縮れ、葉の下にはもう、うつくしい緑いろの大きな苞が赤い毛を吐いて、真珠のような実もちらっと見えたのでした。
原文: それはだんだん数をしてきて、もういまはれつのようにがけ線路せんろとの間にならび、思わずジョバンニがまどから顔を引っめてこうがわまどを見ましたときは、うつくしいそらの野原の地平線ちへいせんのはてまで、その大きなとうもろこしの木がほとんどいちめんにえられて、さやさや風にゆらぎ、その立派りっぱなちぢれたのさきからは、まるでひるの間にいっぱい日光をった金剛石こんごうせきのようにつゆがいっぱいについて、赤やみどりやきらきらえて光っているのでした。
それはだんだん数を増してきて、もういまは列のように崖と線路との間にならび、思わずジョバンニが窓から顔を引っ込めて向こう側の窓を見ましたときは、うつくしい空の野原の地平線のはてまで、その大きなとうもろこしの木がほとんどいちめんに植えられて、さやさや風にゆらぎ、その立派な縮れた葉のさきからは、まるで昼の間にいっぱい日光を吸った金剛石のように露がいっぱいについて、赤や緑やきらきら燃えて光っているのでした。
原文: カムパネルラが、
カムパネルラが、
原文: 「あれとうもろこしだねえ」
「あれ、とうもろこしだねえ」
原文: とジョバンニにいましたけれども、ジョバンニはどうしても気持きもちがなおりませんでしたから、ただぶっきらぼうに野原を見たまま、
とジョバンニに言いましたけれども、ジョバンニはどうしても気持ちがなおりませんでしたから、ただぶっきらぼうに野原を見たまま、
原文: 「そうだろう」
「そうだろう」
原文: と答えました。
と答えました。
原文: そのとき汽車はだんだんしずかになって、いくつかのシグナルとてんてつあかりを過ぎ、小さな停車場ていしゃばにとまりました。
そのとき汽車はだんだんしずかになって、いくつかのシグナルと転てつ機のあかりを過ぎ、小さな停車場にとまりました。
原文: その正面しょうめんの青じろい時計とけいはかっきり第二時だいにじしめし、風もなくなり汽車もうごかず、しずかなしずかな野原のなかにそのはカチッカチッと正しく時をきざんでいくのでした。
その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示し、風もなくなり汽車も動かず、しずかなしずかな野原のなかに、その振り子はカチッカチッと正しく時を刻んでいくのでした。
原文: そしてまったくそのの音のたえまを遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律せんりつが糸のようにながれて来るのでした。
そしてまったくその振り子の音のたえまを、遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律が糸のように流れて来るのでした。
原文: 新世界交響楽しんせかいこうきょうがくだわ」
「新世界交響楽だわ」
原文: こうのせきあねがひとりごとのようにこっちを見ながらそっといました。
向こうの席の姉が、ひとりごとのようにこっちを見ながら、そっと言いました。
原文: まったくもう車の中ではあの黒服くろふく丈高たけたかい青年もだれもみんなやさしいゆめを見ているのでした。
まったくもう車の中では、あの黒服の背の高い青年も誰も、みんなやさしい夢を見ているのでした。
原文: (こんなしずかないいとこでぼくはどうしてもっと愉快ゆかいになれないだろう。
(こんなしずかないいところで、ぼくはどうしてもっと愉快になれないだろう。
原文: どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。
どうしてこんなに一人さびしいのだろう。
原文: けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい、ぼくといっしょに汽車にっていながら、まるであんな女の子とばかりはなしているんだもの。
けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい、ぼくといっしょに汽車に乗っていながら、まるであんな女の子とばかり話しているんだもの。
原文: ぼくはほんとうにつらい)
ぼくはほんとうにつらい)
原文: ジョバンニはまた手で顔を半分はんぶんかくすようにしてこうのまどのそとを見つめていました。
ジョバンニはまた手で顔を半分かくすようにして、向こうの窓の外を見つめていました。
原文: すきとおった硝子ガラスのようなふえが鳴って汽車はしずかに動きだし、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛くちぶえきました。
透きとおったガラスのような笛が鳴って、汽車はしずかに動きだし、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛を吹きました。
原文: 「ええ、ええ、もうこのへんはひどい高原ですから」
「ええ、ええ、もうこのへんはひどい高原ですから」
原文: うしろの方でだれかとしよりらしい人の、いまがさめたというふうではきはきはなしている声がしました。
うしろの方で、誰か年寄りらしい人の、いま目がさめたというふうではきはき話している声がしました。
原文: 「とうもろこしだってぼうで二尺もあなをあけておいてそこへかないとはえないんです」
「とうもろこしだって、棒で二尺も穴をあけておいて、そこへまかないと生えないんです」
原文: 「そうですか。川まではよほどありましょうかねえ」
「そうですか。川まではよほどありましょうかねえ」
原文: 「ええ、ええ、かわまでは二千じゃくから六千じゃくあります。もうまるでひどい峡谷きょうこくになっているんです」
「ええ、ええ、川までは二千尺から六千尺あります。もうまるでひどい峡谷になっているんです」
原文: そうそうここはコロラドの高原じゃなかったろうか、ジョバンニは思わずそう思いました。
そうそう、ここはコロラドの高原じゃなかったろうか、ジョバンニは思わずそう思いました。
原文: あのあねは弟を自分のむねによりかからせてねむらせながら黒いひとみをうっとりと遠くへげて何を見るでもなしに考えんでいるのでしたし、カムパネルラはまださびしそうにひとり口笛くちぶえき、男の子はまるできぬつつんだ苹果りんごのような顔いろをしてジョバンニの見る方を見ているのでした。
あの姉は弟を自分の胸によりかからせて眠らせながら、黒い瞳をうっとりと遠くへ投げて、何を見るでもなしに考え込んでいるのでしたし、カムパネルラはまださびしそうに一人口笛を吹き、男の子はまるで絹で包んだりんごのような顔いろをして、ジョバンニの見る方を見ているのでした。
原文: 突然とつぜんとうもろこしがなくなっておおきな黒い野原のはらがいっぱいにひらけました。
突然とうもろこしがなくなって、大きな黒い野原がいっぱいにひらけました。
原文: 新世界交響楽しんせかいこうきょうがくはいよいよはっきり地平線ちへいせんのはてからき、そのまっ黒な野原のはらのなかを一人のインデアンが白い鳥の羽根はねを頭につけ、たくさんの石をうでむねにかざり、小さなゆみをつがえていちもくさんに汽車をって来るのでした。
新世界交響楽はいよいよはっきり地平線のはてから湧き、そのまっ黒な野原のなかを、一人のインディアンが白い鳥の羽根を頭につけ、たくさんの石を腕と胸にかざり、小さな弓に矢をつがえて、いちもくさんに汽車を追って来るのでした。
原文: 「あら、インデアンですよ。インデアンですよ。おねえさまごらんなさい」
「あら、インディアンですよ。インディアンですよ。おねえさま、ごらんなさい」
原文: 黒服くろふくの青年もをさましました。
黒服の青年も目をさましました。
原文: ジョバンニもカムパネルラも立ちあがりました。
ジョバンニもカムパネルラも立ちあがりました。
原文: 「走って来るわ、あら、走って来るわ。いかけているんでしょう」
「走って来るわ、あら、走って来るわ。追いかけているんでしょう」
原文: 「いいえ、汽車をってるんじゃないんですよ。りょうをするかおどるかしてるんですよ」
「いいえ、汽車を追ってるんじゃないんですよ。狩りをするか、踊るかしてるんですよ」
原文: 青年はいまどこにいるかわすれたというふうにポケットに手を入れて立ちながらいました。
青年は、いまどこにいるか忘れたというふうに、ポケットに手を入れて立ちながら言いました。
原文: まったくインデアンは半分はんぶんおどっているようでした。
まったくインディアンは、半分は踊っているようでした。
原文: 第一だいいちかけるにしても足のふみようがもっと経済けいざいもとれ本気にもなれそうでした。
第一、駆けるにしても、足のふみようがもっと無駄なく、本気にもなれそうでした。
原文: にわかにくっきり白いその羽根はねは前の方へたおれるようになり、インデアンはぴたっと立ちどまって、すばやくゆみを空にひきました。
にわかにくっきり白いその羽根は前の方へ倒れるようになり、インディアンはぴたっと立ちどまって、すばやく弓を空にひきました。
原文: そこから一つるがふらふらとちて来て、また走り出したインデアンの大きくひろげた両手りょうてちこみました。
そこから一羽の鶴がふらふらと落ちて来て、また走り出したインディアンの大きくひろげた両手に落ちこみました。
原文: インデアンはうれしそうに立ってわらいました。
インディアンはうれしそうに立って笑いました。
原文: そしてそのつるをもってこっちを見ているかげも、もうどんどん小さく遠くなり、電しんばしらの碍子がいしがきらっきらっとつづいて二つばかり光って、またとうもろこしの林になってしまいました。
そしてその鶴をもってこっちを見ている姿も、もうどんどん小さく遠くなり、電信柱の碍子がきらっきらっと続いて二つばかり光って、またとうもろこしの林になってしまいました。
原文: こっちがわまどを見ますと汽車はほんとうに高い高いがけの上を走っていて、その谷のそこには川がやっぱりはばひろく明るくながれていたのです。
こっち側の窓を見ますと、汽車はほんとうに高い高い崖の上を走っていて、その谷の底には川が、やっぱり幅ひろく明るく流れていたのです。
原文: 「ええ、もうこのへんから下りです。なんせこんどは一ぺんにあの水面すいめんまでおりて行くんですから容易よういじゃありません。この傾斜けいしゃがあるもんですから汽車はけっしてこうからこっちへは来ないんです。そら、もうだんだん早くなったでしょう」
「ええ、もうこのへんから下りです。なんせこんどは一ぺんにあの水面までおりて行くんですから、容易じゃありません。この傾斜があるものですから、汽車は決して向こうからこっちへは来ないんです。そら、もうだんだん早くなったでしょう」
原文: さっきの老人ろうじんらしい声がいました。
さっきの老人らしい声が言いました。
原文: どんどんどんどん汽車はりて行きました。
どんどんどんどん、汽車は降りて行きました。
原文: がけのはじに鉄道てつどうがかかるときは川が明るく下にのぞけたのです。
崖のはじに鉄道がかかるときは、川が明るく下にのぞけたのです。
原文: ジョバンニはだんだんこころもちが明るくなってきました。
ジョバンニはだんだん心持ちが明るくなってきました。
原文: 汽車が小さな小屋こやの前を通って、その前にしょんぼりひとりの子供こどもが立ってこっちを見ているときなどは思わず、ほう、とさけびました。
汽車が小さな小屋の前を通って、その前にしょんぼり一人の子どもが立ってこっちを見ているときなどは、思わず、ほう、と叫びました。
原文: どんどんどんどん汽車は走って行きました。
どんどんどんどん、汽車は走って行きました。
原文: 室中へやじゅうのひとたちは半分はんぶんうしろの方へたおれるようになりながら腰掛こしかけにしっかりしがみついていました。
部屋じゅうの人たちは、半分うしろの方へ倒れるようになりながら、腰かけにしっかりしがみついていました。
原文: ジョバンニは思わずカムパネルラとわらいました。
ジョバンニは思わずカムパネルラと笑いました。
原文: もうそして天の川は汽車のすぐ横手よこてをいままでよほどはげしくながれて来たらしく、ときどきちらちら光ってながれているのでした。
もうそして天の川は、汽車のすぐ横手を、いままでよほど激しく流れて来たらしく、ときどきちらちら光って流れているのでした。
原文: うすあかい河原かわらなでしこの花があちこちいていました。
うすあかい河原なでしこの花が、あちこち咲いていました。
原文: 汽車はようやくいたようにゆっくり走っていました。
汽車はようやく落ち着いたように、ゆっくり走っていました。
原文: こうとこっちのきしに星のかたちとつるはしを書いたはたがたっていました。
向こうとこっちの岸に、星のかたちとつるはしを描いた旗が立っていました。
原文: 「あれなんのはただろうね」
「あれ、なんの旗だろうね」
原文: ジョバンニがやっとものをいました。
ジョバンニがやっとものを言いました。
原文: 「さあ、わからないねえ、地図にもないんだもの。てつふねがおいてあるねえ」
「さあ、わからないねえ、地図にもないんだもの。鉄の舟が置いてあるねえ」
原文: 「ああ」
「ああ」
原文: はしけるとこじゃないんでしょうか」
「橋を架けるところじゃないんでしょうか」
原文: 女の子がいました。
女の子が言いました。
原文: 「ああ、あれ工兵こうへいはただねえ。架橋演習かきょうえんしゅうをしてるんだ。けれど兵隊へいたいのかたちが見えないねえ」
「ああ、あれ、工兵の旗だねえ。架橋演習をしてるんだ。けれど兵隊の姿が見えないねえ」
原文: その時こうぎしちかくの少し下流かりゅうの方で、見えない天の川の水がぎらっと光って、はしらのように高くはねあがり、どおとはげしい音がしました。
そのとき向こう岸近くの少し下流の方で、見えない天の川の水がぎらっと光って、柱のように高くはねあがり、どおと激しい音がしました。
原文: 発破はっぱだよ、発破はっぱだよ」
「発破だよ、発破だよ」
原文: カムパネルラはこおどりしました。
カムパネルラは小躍りしました。
原文: そのはしらのようになった水は見えなくなり、大きなさけますがきらっきらっと白くはらを光らせて空中にほうり出されてまるいえがいてまた水にちました。
その柱のようになった水は見えなくなり、大きな鮭や鱒がきらっきらっと白く腹を光らせて空中にほうり出され、丸い輪を描いてまた水に落ちました。
原文: ジョバンニはもうはねあがりたいくらい気持きもちがかるくなっていました。
ジョバンニはもうはねあがりたいくらい気持ちが軽くなって言いました。
原文: 「空の工兵大隊こうへいだいたいだ。どうだ、ますなんかがまるでこんなになってはねあげられたねえ。ぼくこんな愉快ゆかいたびはしたことない。いいねえ」
「空の工兵大隊だ。どうだ、鱒なんかがまるでこんなふうにはねあげられたねえ。ぼく、こんな愉快な旅はしたことがない。いいねえ」
原文: 「あのますなら近くで見たらこれくらいあるねえ、たくさんさかないるんだな、この水の中に」
「あの鱒なら、近くで見たらこれくらいあるねえ、たくさん魚がいるんだな、この水の中に」
原文: 「小さなお魚もいるんでしょうか」
「小さなお魚もいるんでしょうか」
原文: 女の子がはなしにつりまれていました。
女の子が話につり込まれて言いました。
原文: 「いるんでしょう。大きなのがいるんだから小さいのもいるんでしょう。けれど遠くだから、いま小さいの見えなかったねえ」
「いるんでしょう。大きなのがいるんだから、小さいのもいるんでしょう。けれど遠くだから、いま小さいのは見えなかったねえ」
原文: ジョバンニはもうすっかり機嫌きげんなおっておもしろそうにわらって女の子に答えました。
ジョバンニはもうすっかり機嫌が直って、おもしろそうに笑って女の子に答えました。
原文: 「あれきっと双子ふたごのお星さまのおみやだよ」
「あれ、きっと双子のお星さまのお宮だよ」
原文: 男の子がいきなりまどの外をさしてさけびました。
男の子がいきなり窓の外をさして叫びました。
原文: 右手のひくおかの上に小さな水晶すいしょうででもこさえたような二つのおみやがならんで立っていました。
右手の低い丘の上に、小さな水晶ででもこしらえたような二つのお宮がならんで立っていました。
原文: 双子ふたごのお星さまのおみやってなんだい」
「双子のお星さまのお宮ってなんだい」
原文: 「あたし前になんべんもおっかさんから聞いたわ。ちゃんと小さな水晶すいしょうのおみやで二つならんでいるからきっとそうだわ」
「あたし、前に何度もお母さんから聞いたわ。ちゃんと小さな水晶のお宮で二つならんでいるから、きっとそうだわ」
原文: 「はなしてごらん。双子ふたごのお星さまが何をしたっての」
「話してごらん。双子のお星さまが何をしたって」
原文: 「ぼくも知ってらい。双子ふたごのお星さまが野原へあそびにでて、からすと喧嘩けんかしたんだろう」
「ぼくも知ってらい。双子のお星さまが野原へ遊びに出て、からすとけんかしたんだろう」
原文: 「そうじゃないわよ。あのね、天の川のきしにね、おっかさんお話しなすったわ、……」
「そうじゃないわよ。あのね、天の川の岸にね、お母さんがお話しなすったわ、……」
原文: 「それから彗星ほうきぼしがギーギーフーギーギーフーてって来たねえ」
「それからほうき星がギーギーフーギーギーフーって言って来たねえ」
原文: 「いやだわ、たあちゃん、そうじゃないわよ。それはべつの方だわ」
「いやだわ、たあちゃん、そうじゃないわよ。それは別の方だわ」
原文: 「するとあすこにいまふえいているんだろうか」
「するとあそこで、いま笛を吹いているんだろうか」
原文: 「いま海へ行ってらあ」
「いま海へ行ってらあ」
原文: 「いけないわよ。もう海からあがっていらっしゃったのよ」
「いけないわよ。もう海からあがっていらっしゃったのよ」
原文: 「そうそう。ぼく知ってらあ、ぼくおはなししよう」
「そうそう。ぼく知ってらあ、ぼく、お話ししよう」
原文: 川の向こうぎしがにわかに赤くなりました。
川の向こう岸が、にわかに赤くなりました。
原文: やなぎの木や何かもまっ黒にすかし出され、見えない天の川のなみも、ときどきちらちらはりのように赤く光りました。
やなぎの木や何かもまっ黒に透かし出され、見えない天の川の波も、ときどきちらちら針のように赤く光りました。
原文: まったくこうぎしの野原に大きなまっ赤な火がもやされ、その黒いけむりは高く桔梗ききょういろのつめたそうな天をもがしそうでした。
まったく向こう岸の野原に大きなまっ赤な火が燃やされ、その黒いけむりは高く、桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしそうでした。
原文: ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりもうつくしくったようになって、その火はえているのでした。
ルビーよりも赤く透きとおり、リチウムよりもうつくしく、酔ったようになって、その火は燃えているのでした。
原文: 「あれはなんの火だろう。あんな赤く光る火は何をやせばできるんだろう」
「あれはなんの火だろう。あんな赤く光る火は、何を燃やせばできるんだろう」
原文: ジョバンニがいました。
ジョバンニが言いました。
原文: さそりの火だな」
「蠍の火だな」
原文: カムパネルラがまた地図とくびっぴきして答えました。
カムパネルラがまた地図と首っぴきして答えました。
原文: 「あら、さそりの火のことならあたし知ってるわ」
「あら、蠍の火のことならあたし知ってるわ」
原文: さそりの火ってなんだい」
「蠍の火ってなんだい」
原文: ジョバンニがききました。
ジョバンニが聞きました。
原文: さそりがやけて死んだのよ。その火がいまでもえてるって、あたし何べんもお父さんからいたわ」
「蠍がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるって、あたし何度もお父さんから聞いたわ」
原文: さそりって、虫だろう」
「蠍って、虫だろう」
原文: 「ええ、さそりは虫よ。だけどいい虫だわ」
「ええ、蠍は虫よ。だけどいい虫だわ」
原文: さそりいい虫じゃないよ。ぼく博物館はくぶつかんでアルコールにつけてあるの見た。にこんなかぎがあってそれでされるとぬって先生がってたよ」
「蠍はいい虫じゃないよ。ぼく、博物館でアルコールにつけてあるのを見た。尾にこんなかぎがあって、それで刺されると死ぬって先生が言ってたよ」
原文: 「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さんこうったのよ。むかしのバルドラの野原に一ぴきのさそりがいて小さな虫やなんかころしてたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見つかって食べられそうになったんですって。さそりは一生けんめいにげてにげたけど、とうとういたちにおさえられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸いどがあってその中にちてしまったわ、もうどうしてもあがられないで、さそりはおぼれはじめたのよ。そのときさそりはこうっておいのりしたというの。
「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さんはこう言ったのよ。むかしのバルドラの野原に一匹の蠍がいて、小さな虫やなんかを殺して食べて生きていたんですって。するとある日いたちに見つかって、食べられそうになったんですって。蠍は一生けんめい逃げて逃げたけど、とうとういたちに押さえられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があって、その中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがれないで、蠍はおぼれはじめたのよ。そのとき蠍はこう言ってお祈りしたというの。
原文: ああ、わたしはいままで、いくつのもののいのちをとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けんめいにげた。
ああ、わたしはいままで、いくつのものの命をとったかわからない、そしてその私が、こんどいたちにとられようとしたときは、あんなに一生けんめい逃げた。
原文: それでもとうとうこんなになってしまった。
それでもとうとうこんなになってしまった。
原文: ああなんにもあてにならない。
ああ、なんにもあてにならない。
原文: どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。
どうしてわたしは、わたしのからだをだまっていたちにくれてやらなかったろう。
原文: そしたらいたちも一日生きのびたろうに。
そうしたら、いたちも一日生きのびたろうに。
原文: どうかかみさま。
どうか神さま。
原文: 私の心をごらんください。
私の心をごらんください。
原文: こんなにむなしくいのちをすてず、どうかこのつぎには、まことのみんなのさいわいのために私のからだをおつかいください。
こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸せのために私のからだをお使いください。
原文: ってったというの。
って言ったというの。
原文: そしたらいつかさそりはじぶんのからだが、まっ赤なうつくしい火になってえて、よるのやみをらしているのを見たって。
そうしたらいつか蠍は、自分のからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えて、夜のやみを照らしているのを見たって。
原文: いまでもえてるってお父さんおっしゃったわ。
いまでも燃えてるって、お父さんがおっしゃったわ。
原文: ほんとうにあの火、それだわ」
ほんとうにあの火、それだわ」
原文: 「そうだ。見たまえ。そこらの三角標さんかくひょうはちょうどさそりの形にならんでいるよ」
「そうだ。見たまえ。そこらの三角標は、ちょうど蠍の形にならんでいるよ」
原文: ジョバンニはまったくその大きな火のこうに三つの三角標さんかくひょうが、ちょうどさそりのうでのように、こっちに五つの三角標さんかくひょうがさそりのやかぎのようにならんでいるのを見ました。
ジョバンニは、まったくその大きな火の向こうに三つの三角標が、ちょうど蠍の腕のように、こっちに五つの三角標が蠍の尾やかぎのようにならんでいるのを見ました。
原文: そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるくえたのです。
そしてほんとうに、そのまっ赤なうつくしい蠍の火は、音もなく明るく明るく燃えたのです。
原文: その火がだんだんうしろの方になるにつれて、みんなはなんともえずにぎやかな、さまざまのがくや草花のにおいのようなもの、口笛くちぶえや人々のざわざわう声やらを聞きました。
その火がだんだんうしろの方になるにつれて、みんなはなんとも言えずにぎやかな、さまざまの楽の音や草花のにおいのようなもの、口笛や人々のざわざわ言う声やらを聞きました。
原文: それはもうじきちかくに町か何かがあって、そこにおまつりでもあるというような気がするのでした。
それはもうじき近くに町か何かがあって、そこにお祭りでもあるというような気がするのでした。
原文: 「ケンタウルつゆをふらせ」
「ケンタウル、露をふらせ」
原文: いきなりいままでねむっていたジョバンニのとなりの男の子がこうのまどを見ながらさけんでいました。
いきなり、いままで眠っていたジョバンニのとなりの男の子が、向こうの窓を見ながら叫んでいました。
原文: ああそこにはクリスマストリイのようにまっ青な唐檜とうひかもみの木がたって、その中にはたくさんのたくさんの豆電燈まめでんとうがまるで千のほたるでもあつまったようについていました。
ああそこには、クリスマストリーのようにまっ青なとうひかもみの木が立って、その中にはたくさんのたくさんの豆電灯が、まるで千の蛍でも集まったようについていました。
原文: 「ああ、そうだ、今夜ケンタウルさいだねえ」
「ああ、そうだ、今夜はケンタウル祭だねえ」
原文: 「ああ、ここはケンタウルの村だよ」
「ああ、ここはケンタウルの村だよ」
原文: カムパネルラがすぐいました。
カムパネルラがすぐ言いました。
原文: の間原稿げんこうなし)
(この間、原稿なし)
原文: 「ボール投げならぼくけっしてはずさない」
「ボール投げなら、ぼくは決してはずさない」
原文: 男の子が大いばりでいました。
男の子が大いばりで言いました。
原文: 「もうじきサウザンクロスです。おりるしたくをしてください」
「もうじきサウザンクロスです。おりる支度をしてください」
原文: 青年がみんなにいました。
青年がみんなに言いました。
原文: ぼく、も少し汽車に乗ってるんだよ」
「ぼく、もう少し汽車に乗ってるんだよ」
原文: 男の子がいました。
男の子が言いました。
原文: カムパネルラのとなりの女の子はそわそわ立ってしたくをはじめましたけれどもやっぱりジョバンニたちとわかれたくないようなようすでした。
カムパネルラのとなりの女の子は、そわそわ立って支度をはじめましたけれども、やっぱりジョバンニたちとわかれたくないようなようすでした。
原文: 「ここでおりなけぁいけないのです」
「ここでおりなけりゃいけないのです」
原文: 青年はきちっと口をむすんで男の子を見おろしながらいました。
青年はきちっと口を結んで、男の子を見おろしながら言いました。
原文: いやだい。ぼくもう少し汽車へってから行くんだい」
「いやだい。ぼく、もう少し汽車へ乗ってから行くんだい」
原文: ジョバンニがこらえかねていました。
ジョバンニがこらえかねて言いました。
原文: ぼくたちといっしょにって行こう。ぼくたちどこまでだって行ける切符きっぷってるんだ」
「ぼくたちといっしょに乗って行こう。ぼくたち、どこまでだって行ける切符を持ってるんだ」
原文: 「だけどあたしたち、もうここでりなけぁいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから」
「だけどあたしたち、もうここで降りなけりゃいけないのよ。ここ、天上へ行くところなんだから」
原文: 女の子がさびしそうにいました。
女の子がさびしそうに言いました。
原文: 「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないってぼくの先生がったよ」
「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで、天上よりももっといいところをこしらえなけりゃいけないって、ぼくの先生が言ったよ」
原文: 「だっておっさんも行ってらっしゃるし、それにかみさまがおっしゃるんだわ」
「だってお母さんも行ってらっしゃるし、それに神さまがおっしゃるんだわ」
原文: 「そんなかみさまうそのかみさまだい」
「そんな神さま、うその神さまだい」
原文: 「あなたのかみさまうそのかみさまよ」
「あなたの神さま、うその神さまよ」
原文: 「そうじゃないよ」
「そうじゃないよ」
原文: 「あなたのかみさまってどんなかみさまですか」
「あなたの神さまって、どんな神さまですか」
原文: 青年はわらいながらいました。
青年は笑いながら言いました。
原文: 「ぼくほんとうはよく知りません。けれどもそんなんでなしに、ほんとうのたった一人ひとりかみさまです」
「ぼく、ほんとうはよく知りません。けれどもそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の神さまです」
原文: 「ほんとうのかみさまはもちろんたった一人ひとりです」
「ほんとうの神さまは、もちろんたった一人です」
原文: 「ああ、そんなんでなしに、たったひとりのほんとうのほんとうのかみさまです」
「ああ、そんなんでなしに、たった一人のほんとうのほんとうの神さまです」
原文: 「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうのかみさまの前に、わたくしたちとお会いになることをいのります」
「だからそうじゃありませんか。わたくしは、あなた方がいまにそのほんとうの神さまの前に、わたくしたちとお会いになることを祈ります」
原文: 青年はつつましく両手りょうてを組みました。
青年はつつましく両手を組みました。
原文: 女の子もちょうどその通りにしました。
女の子も、ちょうどその通りにしました。
原文: みんなほんとうにわかれがしそうで、その顔いろも少し青ざめて見えました。
みんなほんとうに別れが惜しそうで、その顔いろも少し青ざめて見えました。
原文: ジョバンニはあぶなく声をあげてき出そうとしました。
ジョバンニは、あぶなく声をあげて泣き出そうとしました。
原文: 「さあもうしたくはいいんですか。じきサウザンクロスですから」
「さあ、もう支度はいいんですか。じきサウザンクロスですから」
原文: ああそのときでした。
ああ、そのときでした。
原文: 見えない天の川のずうっと川下に青やだいだいや、もうあらゆる光でちりばめられた十字架じゅうじかが、まるで一本の木というふうに川の中から立ってかがやき、その上には青じろい雲がまるいになって後光のようにかかっているのでした。
見えない天の川のずっと川下に、青や橙や、もうあらゆる光でちりばめられた十字架が、まるで一本の木というふうに川の中から立ってかがやき、その上には青じろい雲が丸い環になって、後光のようにかかっているのでした。
原文: 汽車の中がまるでざわざわしました。
汽車の中がまるでざわざわしました。
原文: みんなあの北の十字のときのようにまっすぐに立っておいのりをはじめました。
みんな、あの北の十字のときのようにまっすぐに立って、お祈りをはじめました。
原文: あっちにもこっちにも子供がうりびついたときのようなよろこびの声や、なんとも言いようないふかいつつましいためいきの音ばかりきこえました。
あっちにもこっちにも、子どもが瓜に飛びついたときのようなよろこびの声や、なんとも言いようのない深いつつましいため息の音ばかり聞こえました。
原文: そしてだんだん十字架じゅうじかまど正面しょうめんになり、あの苹果りんごにくのような青じろいの雲も、ゆるやかにゆるやかにめぐっているのが見えました。
そしてだんだん十字架は窓の正面になり、あのりんごの肉のような青じろい環の雲も、ゆるやかにゆるやかにめぐっているのが見えました。
原文: 「ハレルヤ、ハレルヤ」
「ハレルヤ、ハレルヤ」
原文: 明るくたのしくみんなの声はひびき、みんなはそのそらの遠くから、つめたいそらの遠くから、すきとおったなんともえずさわやかなラッパの声をききました。
明るくたのしくみんなの声はひびき、みんなはその空の遠くから、つめたい空の遠くから、透きとおったなんとも言えずさわやかなラッパの声を聞きました。
原文: そしてたくさんのシグナルや電燈でんとうあかりのなかを汽車はだんだんゆるやかになり、とうとう十字架じゅうじかのちょうどまかいに行ってすっかりとまりました。
そしてたくさんのシグナルや電灯のあかりのなかを、汽車はだんだんゆるやかになり、とうとう十字架のちょうど真向かいに行って、すっかりとまりました。
原文: 「さあ、おりるんですよ」
「さあ、おりるんですよ」
原文: 青年は男の子の手をひきあねたがいにえりやかたをなおしてやってだんだんこうの出口の方へ歩き出しました。
青年は男の子の手をひき、姉は互いにえりや肩をなおしてやって、だんだん向こうの出口の方へ歩き出しました。
原文: 「じゃさよなら」
「じゃ、さよなら」
原文: 女の子がふりかえって二人にいました。
女の子がふりかえって二人に言いました。
原文: 「さよなら」
「さよなら」
原文: ジョバンニはまるでき出したいのをこらえておこったようにぶっきらぼうにいました。
ジョバンニは、まるで泣き出したいのをこらえて、おこったようにぶっきらぼうに言いました。
原文: 女の子はいかにもつらそうにを大きくして、も一こっちをふりかえって、それからあとはもうだまって出て行ってしまいました。
女の子はいかにもつらそうに目を大きくして、もう一度こっちをふりかえって、それからあとはもうだまって出て行ってしまいました。
原文: 汽車の中はもう半分以上はんぶんいじょういてしまいにわかにがらんとして、さびしくなり風がいっぱいにみました。
汽車の中はもう半分以上も空いてしまい、にわかにがらんとしてさびしくなり、風がいっぱいに吹き込みました。
原文: そして見ているとみんなはつつましくれつを組んで、あの十字架じゅうじかの前の天の川のなぎさにひざまずいていました。
そして見ていると、みんなはつつましく列を組んで、あの十字架の前の天の川のなぎさにひざまずいていました。
原文: そしてその見えない天の川の水をわたって、ひとりのこうごうしい白いきものの人が手をのばしてこっちへ来るのを二人は見ました。
そして、その見えない天の川の水をわたって、一人のこうごうしい白い着物の人が手をのばしてこっちへ来るのを、二人は見ました。
原文: けれどもそのときはもう硝子ガラスび子は鳴らされ汽車はうごきだし、と思ううちにぎんいろのきりが川下の方から、すうっとながれて来て、もうそっちは何も見えなくなりました。
けれどもそのときはもうガラスの呼び子は鳴らされ、汽車は動きだし、と思ううちに銀いろの霧が川下の方からすうっと流れて来て、もうそっちは何も見えなくなりました。
原文: ただたくさんのくるみの木がをさんさんと光らしてそのきりの中に立ち、黄金きんの円光をもった電気栗鼠でんきりす可愛かわいい顔をその中からちらちらのぞいているだけでした。
ただたくさんのくるみの木が葉をさんさんと光らせてその霧の中に立ち、金の円光をもった電気りすが、かわいい顔をその中からちらちらのぞいているだけでした。
原文: そのとき、すうっときりがはれかかりました。
そのとき、すうっと霧がはれかかりました。
原文: どこかへ行く街道かいどうらしく小さな電燈でんとう一列いちれつについた通りがありました。
どこかへ行く街道らしく、小さな電灯が一列についた通りがありました。
原文: それはしばらく線路せんろ沿ってすすんでいました。
それはしばらく線路に沿って進んでいました。
原文: そして二人ふたりがそのあかしの前を通って行くときは、その小さな豆いろの火はちょうどあいさつでもするようにぽかっとえ、二人ふたりが過ぎて行くときまたくのでした。
そして二人がそのあかりの前を通って行くときは、その小さな豆いろの火は、ちょうどあいさつでもするようにぽかっと消え、二人が過ぎて行くとまたつくのでした。
原文: ふりかえって見ると、さっきの十字架じゅうじかはすっかり小さくなってしまい、ほんとうにもうそのままむねにもつるされそうになり、さっきの女の子や青年たちがその前の白いなぎさにまだひざまずいているのか、それともどこか方角ほうがくもわからないその天上へ行ったのか、ぼんやりして見分けられませんでした。
ふりかえって見ると、さっきの十字架はすっかり小さくなってしまい、ほんとうにもうそのまま胸にもつるされそうになり、さっきの女の子や青年たちがその前の白い渚にまだひざまずいているのか、それともどこか方角もわからないその天上へ行ったのか、ぼんやりして見分けられませんでした。
原文: ジョバンニは、ああ、とふかいきしました。
ジョバンニは、ああ、と深く息をしました。
原文: 「カムパネルラ、またぼくたち二人ふたりきりになったねえ、どこまでもどこまでもいっしょに行こう。ぼくはもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなのさいわいのためならばぼくのからだなんか百ぺんいてもかまわない」
「カムパネルラ、また、ぼくたち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでもいっしょに行こう。ぼくはもう、あの蠍のように、ほんとうにみんなの幸せのためならば、ぼくのからだなんか百ぺん焼いてもかまわない」
原文: 「うん。ぼくだってそうだ」
「うん。ぼくだってそうだ」
原文: カムパネルラのにはきれいななみだがうかんでいました。
カムパネルラの目には、きれいな涙がうかんでいました。
原文: 「けれどもほんとうのさいわいはいったいなんだろう」
「けれども、ほんとうの幸せはいったいなんだろう」
原文: ジョバンニがいました。
ジョバンニが言いました。
原文: ぼくわからない」
「ぼくはわからない」
原文: カムパネルラがぼんやりいました。
カムパネルラがぼんやり言いました。
原文: ぼくたちしっかりやろうねえ」
「ぼくたち、しっかりやろうねえ」
原文: ジョバンニがむねいっぱい新しい力がくように、ふうといきをしながらいました。
ジョバンニが、胸いっぱいに新しい力が湧くように、ふうと息をしながら言いました。
原文: 「あ、あすこ石炭袋せきたんぶくろだよ。そらのあなだよ」
「あ、あそこ、石炭袋だよ。空の穴だよ」
原文: カムパネルラが少しそっちをけるようにしながら天の川のひととこをゆびさしました。
カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら、天の川のひとところを指さしました。
原文: ジョバンニはそっちを見て、まるでぎくっとしてしまいました。
ジョバンニはそっちを見て、まるでぎくっとしてしまいました。
原文: 天の川の一とこに大きなまっくらなあなが、どおんとあいているのです。
天の川のひとところに、大きなまっ暗な穴が、どおんとあいているのです。
原文: そのそこがどれほどふかいか、そのおくに何があるか、いくらをこすってのぞいてもなんにも見えず、ただがしんしんといたむのでした。
その底がどれほど深いか、その奥に何があるか、いくら目をこすってのぞいてもなんにも見えず、ただ目がしんしんと痛むのでした。
原文: ジョバンニがいました。
ジョバンニが言いました。
原文: ぼくもうあんな大きなやみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでもぼくたちいっしょにすすんで行こう」
「ぼく、もうあんな大きな闇の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうの幸せをさがしに行く。どこまでもどこまでも、ぼくたちいっしょに進んで行こう」
原文: 「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんなあつまってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっ、あすこにいるのはぼくのお母さんだよ」
「ああ、きっと行くよ。ああ、あそこの野原はなんてきれいだろう。みんな集まってるねえ。あそこがほんとうの天上なんだ。あっ、あそこにいるのはぼくのお母さんだよ」
原文: カムパネルラはにわかにまどの遠くに見えるきれいな野原をしてさけびました。
カムパネルラは、にわかに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。
原文: ジョバンニもそっちを見ましたけれども、そこはぼんやり白くけむっているばかり、どうしてもカムパネルラがったように思われませんでした。
ジョバンニもそっちを見ましたけれども、そこはぼんやり白くけむっているばかりで、どうしてもカムパネルラが言ったようには思われませんでした。
原文: なんともえずさびしい気がして、ぼんやりそっちを見ていましたら、こうの河岸かわぎしに二本の電信でんしんばしらが、ちょうど両方りょうほうからうでを組んだように赤い腕木うでぎをつらねて立っていました。
なんとも言えずさびしい気がして、ぼんやりそっちを見ていましたら、向こうの川岸に二本の電信柱が、ちょうど両方から腕を組んだように赤い腕木をつらねて立っていました。
原文: 「カムパネルラ、ぼくたちいっしょに行こうねえ」
「カムパネルラ、ぼくたちいっしょに行こうねえ」
原文: ジョバンニがこういながらふりかえって見ましたら、そのいままでカムパネルラのすわっていたせきに、もうカムパネルラの形は見えず、ただ黒いびろうどばかりひかっていました。
ジョバンニがこう言いながらふりかえって見ましたら、そのいままでカムパネルラのすわっていた席に、もうカムパネルラの姿は見えず、ただ黒いビロードばかりが光っていました。
原文: ジョバンニはまるで鉄砲丸てっぽうだまのように立ちあがりました。
ジョバンニはまるで鉄砲弾のように立ちあがりました。
原文: そしてだれにも聞こえないようにまどの外へからだをり出して、力いっぱいはげしくむねをうってさけび、それからもう咽喉のどいっぱいきだしました。
そして誰にも聞こえないように窓の外へからだを乗り出して、力いっぱいはげしく胸をうって叫び、それからもう、のどいっぱいに泣きだしました。
原文: もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。
もうそこらが一ぺんにまっ暗になったように思いました。
原文: そのとき、
そのとき、
原文: 「おまえはいったい何をいているの。ちょっとこっちをごらん」
「おまえはいったい何を泣いているの。ちょっとこっちをごらん」
原文: いままでたびたび聞こえた、あのやさしいセロのような声が、ジョバンニのうしろから聞こえました。
いままでたびたび聞こえた、あのやさしいチェロのような声が、ジョバンニのうしろから聞こえました。
原文: ジョバンニは、はっと思ってなみだをはらってそっちをふりきました、さっきまでカムパネルラのすわっていたせきに黒い大きな帽子ぼうしをかぶった青白い顔のやせた大人おとなが、やさしくわらって大きな一さつの本をもっていました。
ジョバンニは、はっと思って涙をはらってそっちをふり向きました。さっきまでカムパネルラのすわっていた席に、黒い大きな帽子をかぶった青白い顔のやせた大人が、やさしく笑って大きな一冊の本をもっていました。
原文: 「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ」
「おまえの友だちがどこかへ行ったのだろう。あの人はね、ほんとうに今夜遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ」
原文: 「ああ、どうしてなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐに行こうとったんです」
「ああ、どうしてなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐに行こうと言ったんです」
原文: 「ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。おまえがあうどんなひとでも、みんな何べんもおまえといっしょに苹果りんごをたべたり汽車にったりしたのだ。だからやっぱりおまえはさっき考えたように、あらゆるひとのいちばんの幸福こうふくをさがし、みんなといっしょに早くそこに行くがいい、そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ」
「ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。おまえが会うどんな人でも、みんな何度もおまえといっしょにりんごを食べたり汽車に乗ったりしたのだ。だからやっぱりおまえは、さっき考えたように、あらゆる人のいちばんの幸福をさがし、みんなといっしょに早くそこに行くがいい、そこでばかり、おまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ」
原文: 「ああぼくはきっとそうします。ぼくはどうしてそれをもとめたらいいでしょう」
「ああ、ぼくはきっとそうします。ぼくはどうして、それをもとめたらいいでしょう」
原文: 「ああわたくしもそれをもとめている。おまえはおまえの切符きっぷをしっかりもっておいで。そして一しんに勉強べんきょうしなけぁいけない。おまえは化学かがくをならったろう、水は酸素さんそ水素すいそからできているということを知っている。いまはたれだってそれをうたがやしない。実験じっけんしてみるとほんとうにそうなんだから。けれどもむかしはそれを水銀すいぎんしおでできているとったり、水銀すいぎん硫黄いおうでできているとったりいろいろ議論ぎろんしたのだ。みんながめいめいじぶんのかみさまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもおたがいほかのかみさまをしんずる人たちのしたことでもなみだがこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論ぎろんするだろう。そして勝負しょうぶがつかないだろう。けれども、もしおまえがほんとうに勉強べんきょうして実験じっけんでちゃんとほんとうの考えと、うその考えとを分けてしまえば、その実験じっけん方法ほうほうさえきまれば、もう信仰しんこう化学かがくと同じようになる。けれども、ね、ちょっとこの本をごらん、いいかい、これは地理ちり歴史れきし辞典じてんだよ。この本のこのページはね、紀元前きげんぜん二千二百年の地理ちり歴史れきしが書いてある。よくごらん、紀元前きげんぜん二千二百年のことでないよ、紀元前きげんぜん二千二百年のころにみんなが考えていた地理ちり歴史れきしというものが書いてある。
「ああ、わたくしもそれをもとめている。おまえはおまえの切符をしっかりもっておいで。そして一心に勉強しなけりゃいけない。おまえは化学を習ったろう、水は酸素と水素からできているということを知っている。いまは誰だってそれを疑いやしない。実験してみると、ほんとうにそうなんだから。けれども昔はそれを、水銀と塩でできていると言ったり、水銀と硫黄でできていると言ったり、いろいろ議論したのだ。みんながめいめい、自分の神さまがほんとうの神さまだと言うだろう、けれどもお互い、ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも、涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとか悪いとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれども、もしおまえがほんとうに勉強して、実験でちゃんとほんとうの考えとうその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる。けれども、ね、ちょっとこの本をごらん、いいかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこのページはね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん、紀元前二千二百年のことでないよ、紀元前二千二百年のころにみんなが考えていた地理と歴史というものが書いてある。
原文: だからこのページ一つが一さつ地歴ちれきの本にあたるんだ。
だからこのページ一つが、一冊の地歴の本にあたるんだ。
原文: いいかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前きげんぜん二千二百年ころにはたいてい本当ほんとうだ。
いいかい、そしてこの中に書いてあることは、紀元前二千二百年ごろにはたいてい本当だ。
原文: さがすと証拠しょうこもぞくぞく出ている。
さがすと証拠もぞくぞく出ている。
原文: けれどもそれが少しどうかなとこう考えだしてごらん、そら、それはつぎページだよ。
けれども、それが少しどうかな、とこう考えだしてごらん、そら、それは次のページだよ。
原文: 紀元前きげんぜん一千年。
紀元前一千年。
原文: だいぶ、地理ちり歴史れきしわってるだろう。
だいぶ、地理も歴史も変わってるだろう。
原文: このときにはこうなのだ。
このときにはこうなのだ。
原文: へんな顔をしてはいけない。
変な顔をしてはいけない。
原文: ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって、天の川だって汽車だって歴史れきしだって、ただそう感じているのなんだから、そらごらん、ぼくといっしょにすこしこころもちをしずかにしてごらん。
ぼくたちは、ぼくたちのからだだって考えだって、天の川だって汽車だって歴史だって、ただそう感じているのなんだから、そらごらん、ぼくといっしょに少し心持ちをしずかにしてごらん。
原文: いいか」
いいか」
原文: そのひとはゆびを一本あげてしずかにそれをおろしました。
その人は指を一本あげて、しずかにそれをおろしました。
原文: するといきなりジョバンニは自分というものが、じぶんの考えというものが、汽車やその学者がくしゃや天の川や、みんないっしょにぽかっと光って、しいんとなくなって、ぽかっとともってまたなくなって、そしてその一つがぽかっとともると、あらゆるひろ世界せかいががらんとひらけ、あらゆる歴史れきしがそなわり、すっとえると、もうがらんとした、ただもうそれっきりになってしまうのを見ました。
するといきなりジョバンニは、自分というものが、自分の考えというものが、汽車やその学者や天の川や、みんないっしょにぽかっと光って、しいんとなくなって、ぽかっとともってまたなくなって、そしてその一つがぽかっとともると、あらゆる広い世界ががらんとひらけ、あらゆる歴史がそなわり、すっと消えると、もうがらんとした、ただもうそれっきりになってしまうのを見ました。
原文: だんだんそれが早くなって、まもなくすっかりもとのとおりになりました。
だんだんそれが早くなって、まもなくすっかりもとのとおりになりました。
原文: 「さあいいか。だからおまえの実験じっけんは、このきれぎれの考えのはじめからわりすべてにわたるようでなければいけない。それがむずかしいことなのだ。けれども、もちろんそのときだけのでもいいのだ。ああごらん、あすこにプレシオスが見える。おまえはあのプレシオスのくさりかなければならない」
「さあいいか。だからおまえの実験は、このきれぎれの考えのはじめから終わりまですべてにわたるようでなければいけない。それがむずかしいことなのだ。けれども、もちろんそのときだけのでもいいのだ。ああごらん、あそこにプレシオスが見える。おまえはあのプレシオスの鎖を解かなければならない」
原文: そのときまっくらな地平線ちへいせんこうから青じろいのろしが、まるでひるまのようにうちあげられ、汽車の中はすっかり明るくなりました。
そのとき、まっ暗な地平線の向こうから青じろいのろしが、まるで昼間のように打ちあげられ、汽車の中はすっかり明るくなりました。
原文: そしてのろしは高くそらにかかって光りつづけました。
そしてのろしは高く空にかかって、光りつづけました。
原文: 「ああマジェランの星雲せいうんだ。さあもうきっとぼくぼくのために、ぼくのお母さんのために、カムパネルラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福こうふくをさがすぞ」
「ああ、マジェランの星雲だ。さあもうきっと、ぼくはぼくのために、ぼくのお母さんのために、カムパネルラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ」
原文: ジョバンニはくちびるんで、そのマジェランの星雲せいうんをのぞんで立ちました。
ジョバンニは唇を噛んで、そのマジェランの星雲をのぞんで立ちました。
原文: そのいちばん幸福こうふくなそのひとのために!
そのいちばん幸福なその人のために!
原文: 「さあ、切符きっぷをしっかりっておいで。お前はもうゆめ鉄道てつどうの中でなしにほんとうの世界せかいの火やはげしいなみの中を大股おおまたにまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つの、ほんとうのその切符きっぷけっしておまえはなくしてはいけない」
「さあ、切符をしっかり持っておいで。おまえはもう夢の鉄道の中でなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を、大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つの、ほんとうのその切符を、決しておまえはなくしてはいけない」
原文: あのセロのような声がしたと思うとジョバンニは、あの天の川がもうまるで遠く遠くなって風がき自分はまっすぐに草のおかに立っているのを見、また遠くからあのブルカニロ博士はかせの足おとのしずかに近づいて来るのをききました。
あのチェロのような声がしたと思うと、ジョバンニは、あの天の川がもうまるで遠く遠くなって風が吹き、自分はまっすぐに草の丘に立っているのを見、また遠くからあのブルカニロ博士の足音がしずかに近づいて来るのを聞きました。
原文: 「ありがとう。私はたいへんいい実験じっけんをした。私はこんなしずかな場所ばしょで遠くから私の考えを人につたえる実験じっけんをしたいとさっき考えていた。お前のった語はみんな私の手帳てちょうにとってある。さあ帰っておやすみ。お前はゆめの中で決心けっしんしたとおりまっすぐにすすんで行くがいい。そしてこれからなんでもいつでも私のとこへ相談そうだんにおいでなさい」
「ありがとう。私はたいへんいい実験をした。私はこんなしずかな場所で、遠くから私の考えを人に伝える実験をしたいと、さっき考えていた。おまえの言った言葉はみんな私の手帳にとってある。さあ帰っておやすみ。おまえは夢の中で決心したとおり、まっすぐに進んで行くがいい。そしてこれからなんでもいつでも、私のところへ相談においでなさい」
原文: ぼくきっとまっすぐにすすみます。きっとほんとうの幸福こうふくもとめます」
「ぼく、きっとまっすぐに進みます。きっとほんとうの幸福を求めます」
原文: ジョバンニは力強ちからづよいました。
ジョバンニは力強く言いました。
原文: 「ああではさよなら。これはさっきの切符きっぷです」
「ああ、ではさよなら。これはさっきの切符です」
原文: 博士はかせは小さくったみどりいろの紙をジョバンニのポケットに入れました。
博士は小さく折った緑いろの紙を、ジョバンニのポケットに入れました。
原文: そしてもうそのかたちは天気輪てんきりんはしらこうに見えなくなっていました。
そしてもうその姿は、天気輪の柱の向こうに見えなくなっていました。
原文: ジョバンニはまっすぐに走っておかをおりました。
ジョバンニはまっすぐに走って丘をおりました。
原文: そしてポケットがたいへんおもくカチカチ鳴るのに気がつきました。
そしてポケットがたいへん重く、カチカチ鳴るのに気がつきました。
原文: 林の中でとまってそれをしらべてみましたら、あのみどりいろのさっきゆめの中で見たあやしい天の切符きっぷの中に大きな二まい金貨きんかつつんでありました。
林の中でとまってそれを調べてみましたら、あの緑いろの、さっき夢の中で見たあやしい天の切符の中に、大きな二枚の金貨が包んでありました。
原文: 博士はかせありがとう、おっかさん。すぐちちをもって行きますよ」
「博士、ありがとう、お母さん。すぐ牛乳をもって行きますよ」
原文: ジョバンニはさけんでまた走りはじめました。
ジョバンニは叫んで、また走りはじめました。
原文: 何かいろいろのものが一ぺんにジョバンニのむねあつまってなんともえずかなしいような新しいような気がするのでした。
何かいろいろのものが一ぺんにジョバンニの胸に集まって、なんとも言えずかなしいような、新しいような気がするのでした。
原文: ことの星がずうっと西の方へうつってそしてまたゆめのように足をのばしていました。
琴の星がずっと西の方へ移って、そしてまた夢のように足をのばしていました。
原文: ジョバンニはをひらきました。
ジョバンニは目をひらきました。
原文: もとのおかの草の中につかれてねむっていたのでした。
もとの丘の草の中に、疲れて眠っていたのでした。
原文: むねはなんだかおかしくほてり、ほおにはつめたいなみだがながれていました。
胸はなんだかおかしくほてり、頬にはつめたい涙が流れていました。
原文: ジョバンニはばねのようにはねきました。
ジョバンニはばねのようにはね起きました。
原文: 町はすっかりさっきの通りに下でたくさんのあかりつづってはいましたが、その光はなんだかさっきよりはねっしたというふうでした。
町はすっかりさっきの通りに、下でたくさんの灯を綴ってはいましたが、その光はなんだかさっきよりは熱したというふうでした。
原文: そしてたったいまゆめであるいた天の川もやっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかり、まっ黒な南の地平線ちへいせんの上ではことにけむったようになって、その右には蠍座さそりざの赤い星がうつくしくきらめき、そらぜんたいの位置いちはそんなにわってもいないようでした。
そしてたったいま夢で歩いた天の川も、やっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかり、まっ黒な南の地平線の上ではことにけむったようになって、その右には蠍座の赤い星がうつくしくきらめき、空ぜんたいの位置はそんなに変わってもいないようでした。
原文: ジョバンニはいっさんにおかを走って下りました。
ジョバンニはいっさんに丘を走って下りました。
原文: まだ夕ごはんをたべないでっているお母さんのことがむねいっぱいに思いだされたのです。
まだ夕ごはんを食べないで待っているお母さんのことが、胸いっぱいに思いだされたのです。
原文: どんどん黒いまつの林の中を通って、それからほの白い牧場ぼくじょうさくをまわって、さっきの入口からくら牛舎ぎゅうしゃの前へまた来ました。
どんどん黒い松の林の中を通って、それからほの白い牧場の柵をまわって、さっきの入口から暗い牛舎の前へまた来ました。
原文: そこにはだれかがいま帰ったらしく、さっきなかった一つの車が何かのたるを二つっけていてありました。
そこには誰かがいま帰ったらしく、さっきなかった一つの車が、何かの樽を二つ載せて置いてありました。
原文: 今晩こんばんは」
「今晩は」
原文: ジョバンニはさけびました。
ジョバンニは叫びました。
原文: 「はい」
「はい」
原文: 白い太いずぼんをはいた人がすぐ出て来て立ちました。
白い太いズボンをはいた人がすぐ出て来て立ちました。
原文: 「なんのご用ですか」
「なんのご用ですか」
原文: 「今日牛乳ぎゅうにゅうがぼくのところへ来なかったのですが」
「今日、牛乳がぼくのところへ来なかったのですが」
原文: 「あ、みませんでした」
「あ、すみませんでした」
原文: その人はすぐおくへ行って一本の牛乳瓶ぎゅうにゅうびんをもって来てジョバンニにわたしながら、またいました。
その人はすぐ奥へ行って、一本の牛乳瓶をもって来てジョバンニに渡しながら、また言いました。
原文: 「ほんとうにみませんでした。今日はひるすぎ、うっかりしてこうしのさくをあけておいたもんですから、大将たいしょうさっそく親牛おやうしのところへ行って半分はんぶんばかりのんでしまいましてね……」
「ほんとうにすみませんでした。今日は昼すぎ、うっかりして子牛の柵をあけておいたものですから、大将さっそく親牛のところへ行って、半分ばかり飲んでしまいましてね……」
原文: その人はわらいました。
その人は笑いました。
原文: 「そうですか。ではいただいて行きます」
「そうですか。ではいただいて行きます」
原文: 「ええ、どうもみませんでした」
「ええ、どうもすみませんでした」
原文: 「いいえ」
「いいえ」
原文: ジョバンニはまだあつちちびん両方りょうほうのてのひらでつつむようにもって牧場ぼくじょうさくを出ました。
ジョバンニは、まだ熱い牛乳の瓶を両方の手のひらで包むようにもって、牧場の柵を出ました。
原文: そしてしばらく木のある町を通って大通りへ出てまたしばらく行きますとみちは十文字になって、その右手の方、通りのはずれにさっきカムパネルラたちのあかりをながしに行った川へかかった大きなはしのやぐらが夜のそらにぼんやり立っていました。
そしてしばらく木のある町を通って大通りへ出て、またしばらく行きますと、道は十文字になって、その右手の方、通りのはずれに、さっきカムパネルラたちがあかりを流しに行った川へかかった大きな橋のやぐらが、夜の空にぼんやり立っていました。
原文: ところがその十字になった町かどや店の前に女たちが七、八人ぐらいずつあつまってはしの方を見ながら何かひそひそはなしているのです。
ところがその十字になった町かどや店の前に、女たちが七、八人ぐらいずつ集まって、橋の方を見ながら何かひそひそ話しているのです。
原文: それからはしの上にもいろいろなあかりがいっぱいなのでした。
それから橋の上にも、いろいろなあかりがいっぱいなのでした。
原文: ジョバンニはなぜかさあっとむねつめたくなったように思いました。
ジョバンニは、なぜかさあっと胸が冷たくなったように思いました。
原文: そしていきなり近くの人たちへ、
そしていきなり近くの人たちへ、
原文: 「何かあったんですか」
「何かあったんですか」
原文: さけぶようにききました。
と叫ぶように聞きました。
原文: 「こどもが水へちたんですよ」
「子どもが水へ落ちたんですよ」
原文: 一人ひとりいますと、その人たちは一斉いっせいにジョバンニの方を見ました。
一人が言いますと、その人たちはいっせいにジョバンニの方を見ました。
原文: ジョバンニはまるで夢中むちゅうはしの方へ走りました。
ジョバンニはまるで夢中で橋の方へ走りました。
原文: はしの上は人でいっぱいでかわが見えませんでした。
橋の上は人でいっぱいで、川が見えませんでした。
原文: 白いふく巡査じゅんさも出ていました。
白い服を着た巡査も出ていました。
原文: ジョバンニははしたもとからぶように下の広い河原かわらへおりました。
ジョバンニは橋のたもとから、飛ぶように下の広い河原へおりました。
原文: その河原かわらの水ぎわに沿ってたくさんのあかりがせわしくのぼったり下ったりしていました。
その河原の水ぎわに沿って、たくさんのあかりがせわしくのぼったり下ったりしていました。
原文: こうぎしくらいどてにも火が七つ八つうごいていました。
向こう岸の暗い土手にも、火が七つ八つ動いていました。
原文: そのまん中をもう烏瓜からすうりのあかりもない川が、わずかに音をたててはいいろにしずかにながれていたのでした。
そのまん中を、もう烏瓜のあかりもない川が、わずかに音をたてて灰いろにしずかに流れていたのでした。
原文: 河原かわらのいちばん下流かりゅうの方へのようになって出たところに人のあつまりがくっきりまっ黒に立っていました。
河原のいちばん下流の方へ、洲のようになって出たところに、人の集まりがくっきりまっ黒に立っていました。
原文: ジョバンニはどんどんそっちへ走りました。
ジョバンニはどんどんそっちへ走りました。
原文: するとジョバンニはいきなりさっきカムパネルラといっしょだったマルソにいました。
するとジョバンニは、いきなりさっきカムパネルラといっしょだったマルソに会いました。
原文: マルソがジョバンニに走りっていました。
マルソがジョバンニに走り寄って言いました。
原文: 「ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ」
「ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ」
原文: 「どうして、いつ」
「どうして、いつ」
原文: 「ザネリがね、ふねの上からからすうりのあかりを水のながれる方へしてやろうとしたんだ。そのときふねがゆれたもんだから水へっこったろう。するとカムパネルラがすぐびこんだんだ。そしてザネリをふねの方へしてよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラが見えないんだ」
「ザネリがね、舟の上から烏瓜のあかりを水の流れる方へ押してやろうとしたんだ。そのとき舟がゆれたものだから、水へ落っこったろう。するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを舟の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれども、あとカムパネルラが見えないんだ」
原文: 「みんなさがしてるんだろう」
「みんなさがしてるんだろう」
原文: 「ああ、すぐみんな来た。カムパネルラのお父さんも来た。けれども見つからないんだ。ザネリはうちへれられてった」
「ああ、すぐみんな来た。カムパネルラのお父さんも来た。けれども見つからないんだ。ザネリはうちへ連れられてった」
原文: ジョバンニはみんなのいるそっちの方へ行きました。
ジョバンニは、みんなのいるそっちの方へ行きました。
原文: そこに学生たちや町の人たちにかこまれて青じろいとがったあごをしたカムパネルラのお父さんが黒いふくてまっすぐに立って左手に時計とけいってじっと見つめていたのです。
そこに、学生たちや町の人たちに囲まれて、青じろいとがったあごをしたカムパネルラのお父さんが、黒い服を着てまっすぐに立って、左手に時計を持ってじっと見つめていたのです。
原文: みんなもじっとかわを見ていました。
みんなもじっと川を見ていました。
原文: だれ一言ひとことものう人もありませんでした。
誰も一言も物を言う人はありませんでした。
原文: ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。
ジョバンニは、わくわくわくわく足がふるえました。
原文: 魚をとるときのアセチレンランプがたくさんせわしく行ったり来たりして、黒い川の水はちらちら小さななみをたててながれているのが見えるのでした。
魚をとるときのアセチレンランプがたくさん、せわしく行ったり来たりして、黒い川の水はちらちら小さな波をたてて流れているのが見えるのでした。
原文: 下流かりゅうの方の川はばいっぱい銀河ぎんがおおきくうつって、まるで水のないそのままのそらのように見えました。
下流の方の川幅いっぱいに銀河が大きく写って、まるで水のない、そのままの空のように見えました。
原文: ジョバンニは、そのカムパネルラはもうあの銀河ぎんがのはずれにしかいないというような気がしてしかたなかったのです。
ジョバンニは、そのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がして、しかたなかったのです。
原文: けれどもみんなはまだ、どこかのなみの間から、
けれどもみんなはまだ、どこかの波の間から、
原文: 「ぼくずいぶんおよいだぞ」
「ぼく、ずいぶん泳いだぞ」
原文: と言いながらカムパネルラが出て来るか、あるいはカムパネルラがどこかの人の知らないにでもいて立っていてだれかの来るのをっているかというような気がしてしかたないらしいのでした。
と言いながらカムパネルラが出て来るか、あるいはカムパネルラがどこかの人の知らない洲にでも着いて立っていて、誰かの来るのを待っているか、というような気がしてしかたないらしいのでした。
原文: けれどもにわかにカムパネルラのお父さんがきっぱりいました。
けれどもにわかに、カムパネルラのお父さんがきっぱり言いました。
原文: 「もう駄目だめです。ちてから四十五分たちましたから」
「もうだめです。落ちてから四十五分たちましたから」
原文: ジョバンニは思わずかけよって博士はかせの前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方を知っています、ぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのです、とおうとしましたが、もうのどがつまってなんともえませんでした。
ジョバンニは思わずかけよって博士の前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方を知っています、ぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのです、と言おうとしましたが、もうのどがつまってなんとも言えませんでした。
原文: すると博士はかせはジョバンニがあいさつに来たとでも思ったものですか、しばらくしげしげジョバンニを見ていましたが、
すると博士は、ジョバンニがあいさつに来たとでも思ったのでしょうか、しばらくしげしげとジョバンニを見ていましたが、
原文: 「あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩こんばんはありがとう」
「あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はありがとう」
原文: とていねいにいました。
とていねいに言いました。
原文: ジョバンニは何もえずにただおじぎをしました。
ジョバンニは何も言えずに、ただおじぎをしました。
原文: 「あなたのお父さんはもう帰っていますか」
「あなたのお父さんはもう帰っていますか」
原文: 博士はかせかた時計とけいにぎったまま、またききました。
博士は固く時計を握ったまま、また聞きました。
原文: 「いいえ」
「いいえ」
原文: ジョバンニはかすかに頭をふりました。
ジョバンニはかすかに頭をふりました。
原文: 「どうしたのかなあ、ぼくには一昨日おとといたいへん元気な便たよりがあったんだが。今日きょうあたりもうくころなんだが。ふねおくれたんだな。ジョバンニさん。あした放課後ほうかごみなさんとうちへあそびに来てくださいね」
「どうしたのかなあ、ぼくにはおととい、たいへん元気な便りがあったんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。ジョバンニさん。あした放課後、みなさんとうちへ遊びに来てくださいね」
原文: そういながら博士はかせはまた、川下の銀河ぎんがのいっぱいにうつった方へじっとおくりました。
そう言いながら博士はまた、川下の銀河がいっぱいにうつった方へ、じっと目を送りました。
原文: ジョバンニはもういろいろなことでむねがいっぱいで、なんにもえずに博士はかせの前をはなれて、早くお母さんに牛乳ぎゅうにゅうって行って、お父さんの帰ることを知らせようと思うと、もういちもくさんに河原かわらまちの方へ走りました。
ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいで、なんにも言えずに博士の前をはなれて、早くお母さんに牛乳を持って行って、お父さんの帰ることを知らせようと思うと、もういちもくさんに河原を街の方へ走りました。